澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「国有財産不正払い下げ疑惑小学校・不名誉校長」辞められるかしら?

サンク・コスト(埋没費用)という経済用語がある。回収不能な既投下費用のことで、その意味自体は分かりやすい。規制緩和を合理化する理論と結びついた概念なのだそうだが、そんな背景とは切り離して、いろんな場面で使われている。

あるプロジェクトの進捗が順調でない場合、撤退するか継続するか、その悩ましい局面でサンク・コスト(埋没費用)が問題となる。撤退すれば、これまでの投下費用がムダにはなるが、それ以上の損失の拡大は防止できる。敢えて事業を継続して成功に到達すれば、これまでの投下費用が生きることにはなるが、さらに費用を追加し損失を拡大して失敗に至るリスクを抱えなければならない。

サンク・コスト(埋没費用)が大きければ大きいほど撤退は困難になる。かつては、戦争や作戦継続のために軍がこの理を使った。「既に莫大な軍事費を投入し、人的資源も損耗した。いまさら方針を変更することはできない」「勝利を見ることのない撤収とあっては、満蒙の地に眠る英霊たちに申し訳が立たないではないか」として、結局のところ破局にまで暴走をかさねた。

原発も同様だ。あれだけの事故を起こしながら、サンク・コストに引きずられて、結局は原発と縁を切れない。なし崩しに再稼働を認めているのだ。この点は、ドイツとの対比が鮮やかだ。

投資でもバクチでも同じこと。これまでの損にこだわって、これを取り戻そうとあがくことが、結局は大損の原因となるのだ。これを「サンク・コスト効果」というようだ。あるいは、「サンク・コストの罠」「サンク・コストの呪縛」などとも。

もし、豊洲移転の方針を撤回して、これ以上、豊洲に金を注ぎ込む愚に終止符を打つことができれば、画期的なことになるだろう。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」は、道徳律であるよりは、経済原則なのだ。その場合、サンク・コストを生んだ責任を徹底して追及しなければならない。

さて、学校法人「森友学園」の「アベ友疑惑小学校」設立認可の問題について、「サンク・コストの罠」の視点から問題を考えてみたい。新学校開設を推進するか、あるいはここできれいさっぱり断念すべきか。

まずは、子供の立場を考えれば
そもそも、この小学校は社会への不適応児をつくるものと自覚されている。小学校設立の趣旨をアベ妻自身がこう語っている。
「せっかくここで芯ができたものが公立の学校に行くと揺らいでしまう」
ここというのは、塚本幼稚園のことだ。つまり、「せっかく塚本幼稚園で、『大日本帝国万歳』『安倍晋三総理万歳』という右翼教育をしても、小学校に行くと、そんなものは通らない。公立で普通の教育を受けることになれば、雲散霧消してしまう」。だから、サンク・コスト効果が働いて、幼稚園教育を生かした小学校の設立が必要というのだ。しかし、小学校にやれば、次は中学、そして高校。いずれは社会に出なければならなくなる。サンク・コストが大きくなるほど、社会への適応が困難になる。右翼幼稚園教育を継続するか、早めに清算すべきか。できるだけ、早いに越したことはない。設立認可などない方が子供のためだ。

学校法人「森友学園」の立場から
アベ夫妻のご威光のおかげで、学校敷地は国有財産をただ同然で手にすることができた。ここまでは順調で感謝感激。でも、校舎建設費やゴミ処理費用まではただ同然とはいかない。4月開校を前提に教職員の募集をし、これに相当の費用をかけてもいる。当法人の財政規模からは、相当過大な金額の学校開設費用を投じている。学校開設を断念すれば、これらがサンクス・コストとして埋没してしまう。いまさら、敵前逃亡はなしがたい。

さりとて、これから学校を開設するとなれば、生徒が集まるか否かにかかわらず、莫大な維持費がかかることになる。教職員に賃金を支払っていけるだろうか。はなはだ心もとない。これまで経営してきた塚本幼稚園でさえ、生徒の応募状況は募集定員の半数に満たない。新設予定の小学校では、新1年生と新2年生それぞれ80人を募集し入学予定者は1年生が45人、2年生が5人だったが、1年生予定者のうち、朝日の報道があって以来5人が辞退した。騒ぎが大きくなって今後さらに辞退者が増えることも覚悟しなければならない。採算点は60人なのだから、経営的にはまったく自信がない。やっぱり、早めに撤退した方がいいのだろうか。悩みは尽きない。

生徒の保護者の立場から
大事な我が子の小学校選び。安倍総理大臣ご夫妻が肩入れされているということで、立派な教育をしてくれる学校と思ったんです。でも、塚本幼稚園の教育内容をよく聞くとどうもおかしいことだらけ。一人ひとりの生徒が大切にされる雰囲気はないし、話題は、ヘイトスピーチに、児童虐待との報道。園を辞めたり辞めさせたりのトラブルが絶えない様子。

私の場合は、サンクス・コストを考える必要はありません。この学校が抱える問題点がよく見えてきた今、もっと安心して常識的な教育を行う小学校に通わせた方がよいと思うようになりました。

昨日の私学審の席では、「避けなければいけないのは、開校したものの児童が集まらずに結果的に運営ができなくなること」「来年以降に児童が集まるのか」「(経営見通しは)みんな危惧している」と、発言が相次いだそうではありませんか。また、「常勤の教職員で小学校の教員経験者が少ない」「カリキュラム内容も不透明」とも報道されていますよね。そんなところに子供をやれますか。きっと、辞退者はどんどん増えていきますよ。

だいたいこの学校の経営がいつまでもつかは疑問だらけ。それにしても、私学審などの討議状況は、秘密にしないで公開していただきたいものですね。あとになって、保護者が、「そんなことを知っていたらこんな学校にやるはずはなかった」と後悔することのないようにお願いします。

アベの妻の立場から
あーあ、こんなことになるのなら、初めから名誉校長なんて引き受けるんじゃなかったわ。塚本幼稚園の教育には、錚々たる右翼のみなさんが関わっているでしょう。私も夫も、右翼は大好きで、教育勅語も五箇条のご誓文も軍歌もヘイトにも何の違和感もないんですよ。でもこれまでチヤホヤしていたマスコミが、突然に寄ってたかって叩き始めて面食らっているの。これでは「名誉校長」とは名ばかり。国有財産不正払い下げ疑惑の「不名誉校長」になってしまったじゃありませんか。

「瑞穂の國記念小學院」「名誉校長」の立場。本当はもう降ろしてもらいたいの。籠池さんは国会に呼ばれるって話があるけど、私はいやですよ。これ以上関わりたくはない。

でも、ここまで関わってしまった今になって抜けてしまうって言うと、右翼のみなさんがどう思われるかしら。せっかくのアベ内閣への右翼筋の信頼がなくなり、支持率がぐんと下がってしまうことにならないかしら。

とはいえ、このまま名誉校長を続けて開校すれば、たくさんの人の批判の的になってしまうことでしょう。アベ内閣のダメージにもなる。それだけでなく。いずれ開校後に財政が破綻して小学校がつぶれれば、そのときの名誉校長への世論の風当たりはこの上なく強いことになる。口さがないメデイァの恰好の餌になります。それなら、小学校の開設認可をストップするか、あるいは名誉校長を辞めるのがよいのでしょうね。

いっそのこと、私学審が小学校開設を認可不適当と答申して、大阪府知事が認可しないのが一番良い。それなら、名誉校長もなくなるし、すべてを私学審のせいにして収まるのではありませんか。
(2017年2月23日)

ヘイトスピーチに、もっと敏感になろう。もっと強く批判しよう。

岩波ジュニア新書「1945年8月6日ーヒロシマは語り続ける」(伊藤壮著)に、次の一節がある。

 満州事変がはじまって以来、町は戦争一色にぬりつぶされようとしていた。学校でも家庭でも、中国軍という「悪者」をやっつける「正義」の味方、日本車の勇敢な戦いぶりに、子どもたちはすっかり感激していた。
 満州事変のさなかに茨城県に住む小学校高等科一年生(いまの中学一年生)が書いた『朝日新聞』への投書がある。
「毎日、毎日の新聞は、連盟(国際連盟)における日本の不利を報じています。私は連盟って何だかわかりません。が、日本をつぶす会のようにしか考えられません。なぜ、外国は支那をたすけ正義の日本を悪くしているのでしょう。満州にいる兵隊さんたちよ、あまりにも馬鹿な支那をうちこらしてください。日本の国のために、たとえ支那にアメリカがつこうが、ロシヤがつこうとも、断然立って戦ってください。九千万の同胞のために戦ってください。二七年前に私たちの父祖が血を流した満州の地を守ってください。広い満州の野は日本の生命です。ああ私たちの兄さんよ、どうか奮闘してください。お国のために闘ってください。正義にはむかう不正なる支那をうちこらしてください。」

この投書を読んで、背筋が寒くならないか。恐怖を感じないか。これが、あの時代の日本であり、日本人だった。恐るべき国の恐るべき時代。

この投書の子どもは、しっかりとした文章の書ける明晰な頭脳を持っている。中学一年生の年齢で、国際連盟の動きにも、満州の歴史にも通じている。そして、おそらくは、「正義感」も強い優等生だったのではないか。

彼のいう「正義」とは、「お国」と同義である。日本こそが正義そのもので、これと闘っている「支那」は、「あまりにも馬鹿」なのだから、「うちこらして」当然なのだ。アメリカもロシヤも、国際連盟も、日本に敵対するものは全て不正義で、「お国のため」に闘うことが正義の闘いという確信に満ちて、少しの揺るぎもない。

戦前の政府は、子どもたちをこのように育てることに成功したのだ。恐るべき「教育」いや、マインドコントロールの成果。戦争とは国家の名における大量殺人にほかならない。自国を美しい正義とし、敵国を醜い不正義としなければ、闘いはできない。敵国の民を憎むべき人々に仕立て上げなければ、大量の人殺しはできない。そのような刷り込みがあって初めて、戦争を始めることができるのだ。

ヘイトスピーチとは、そういう刷り込みの性格をもったものだ。他国を他民族を、憎むべき集団として描き出す。その差別者意識は、薄汚いだけでなく、きわめて危険なのだ。

たとえば、今話題の「アベ疑惑・小学校」の開設申請者として知られるようになった籠池泰典塚本幼稚園長などは、中国・韓国などへのヘイト感情を隠そうともしない。

同園への批判に対し、「これらの内容は全くの事実無根であり、保護者間の分裂を図り、当園の教育活動を著しく害するものです。専門機関による調査の結果、投稿者は、巧妙に潜り込んだ韓国・中国人等の元不良保護者であることがわかりました」と言ってみたり、「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと記載した文書を保護者向けに配布したり。また、「名古屋の塾から小学校を興した人も市内の高校を買収した人も在日ですから、この学校では勉強はできても国家観はズタズタになり反日の人間になり得る」「現(沖縄)知事は親中華人民共和国派、娘婿も支那の人である。もともと中共に従いたいと心から思っているので、中共の手先かもしれない」といった調子。

安倍晋三は、国有地払い下げへの関与は否定しても、この右翼・差別主義者との親密さを隠そうとはしていない。「価値観を共有する間柄」の如く思われて痛痒を感じないようなのだ。一方、この右翼幼稚園経営者は「アベの後ろ盾」を誇示する如くである。

ヘイトスピーチを行う者は、唾棄すべき存在として、この社会から強く指弾されなければならない。だが、もう子どもではないアベと籠池。諭しても説教しても聞く耳は持たないだろう。有効な手段は、ヘイトスピーチを繰り返している限り、問題のアベ疑惑小学校の開設はなく、幼稚園の経営も成り立たないと知らしめる以外にない。

塚本幼稚園の元保護者が作る「T幼稚園退園者の会」がホームページを立ち上げて、貴重な情報を提供している。
https://youchienblog.wordpress.com/

園から保護者に対して、信じられない数々の愚行が繰り返されてトラブルを引きずっており、この幼稚園の経営が継続できるとは思えない。

昨年(2016年)5月の時点で、定員315人に対して、園児の数は以下のとおり。
年長 51名
年中 36名
年少 68名
計155名で充足率は50%を切っている。そして現在の実数は、もっと少ないという。これでは、経営がずいぶん苦しかろう。もう少しの批判の積み重ねで、園の方針を変えることができるのではないか。

新設予定の「アベ疑惑小学校」の定員は1学年80名。塚本幼稚園の年長組が全員入学しても30名不足という。世論の批判を大きくすれば、経営が成り立たなくなる。さすれば、小学校の開設認可もなくなる。アベに擦り寄っても意味のないことを明らかにもできる。ヘイトスピーチ幼稚園、ヘイト小学校の経営が成り立たない状態をつくり出すことが、最も現実的な対応策だろう。

「お国のために闘ってください。正義にはむかう不正なる支那をうちこらしてください。」と投書する子どもを再び作ってはならない。アベと籠池と、両者に対して強い批判を積み重ねなければならない。
(2017年2月22日)

大阪府知事は「アベ疑惑小学校」の認可を留保せよ

当ブログでは、2月11日(建国記念の日)に取り上げた「瑞穂の國記念小學院」の設立認可問題。次から次へと「疑惑」が噴出している。その「疑惑」とは、安倍晋三夫妻と真正右翼との関わりであり、その関わりが、国有地払い下げに格別の取り計らいをもたらしたのではないかという強い疑いである。

校舎建設は進んでいる様子だが、この右翼小学校の設立認可はまだ下りていない。その認可の権限は大阪府知事にある。「大阪府私立小学校及び中学校の設置認可等に関する審査基準」によれば、3月31日が手続的には、知事権限による認可の期限である。しかし、「首相関与の国有財産不正払い下げ疑惑」はますます深まっている。その解明あるまで、軽々に認可を与えてはならない。

本日(2月21日)の赤旗は、同紙が入手した、大阪府私立学校審議会(私学審)での審議録に基づいて、次のように報道している。

「府側は私学審での認可適当の答申を前提に15年2月に国有地の処分の是非を審議する国有財産近畿地方審議会が開かれると報告したものの、14年12月の(私学審)会議では結論を保留。15年1月27日に臨時の審議会(私学審)を開催。指摘された問題について学園側が提出した書類についてなお『人件費が30%いかない。相当ひどいことをしないとできない』『まずい場合は認可しかるべしを取り下げる』などの意見が出されました。しかし、学校建設にかかる工事請負契約の締結状況や寄付金の受け入れ状況、詳細なカリキュラム、入学志願の出願状況など、開校にむけた進捗状況を次回以降も審議会に報告する条件付きで認可適当と認め府に答申しています。」

私学審の認可適当の答申は実は条件付きなのだ。その条件に関わって、重要な事実が2点大きな疑惑として浮かびあがってきている。

第1点は、法人の基本財産でもある校地(校舎敷地、屋外運動場等)の取得が確定的であるかの疑問である。国有地を「ただ同然」で取得した疑惑の経過が世に明らかとされてなお契約が有効として維持されるかどうか、はなはだ疑問ではないか。適正な価格を再算定してなお、経営主体がこれを取得する十分な財政能力を有しているとは考え難い。

要するに、特別のはからいでの価格と支払い方法での校地取得を否定されたら、学校経営などできはしないだろうということだ。

近畿財務局と森友学園とが、どんなからくりを使って文字通り「ただ同然」で、国有財産をアベとつるんだ右翼に払い下げたか。今のところ、最もよく調べているのは、下記のサイトであろう。筆者は京都の自由法曹団員弁護士である。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20170220-00067887/

第2点は、「寄付金の受け入れ状況」についての疑惑である。森友学園が、「安倍晋三記念小学校」の校名で、設立費用の寄付を募集していたことが明らかになっている。いつからいつまで、安倍晋三の名を使って、いったいいくらの金額を集めたのか。これが明らかにされないうちの認可はあり得ない。アベ首相自身が、「自分の名が使われたことは知らなかった」と国会答弁しているのだ。アベは、金集めのために勝手に自分の名が使われたことをもっと怒ってしかるべきではないか。

私学審答申の「認可適当」の条件は、単に形式的に報告があればよいというものではない。報告の内容が、再議を必要とするものであれば、当然に条件成就とはならないはずではないか。

それにしても、「秘すれば花」とは風流の世界のこと。豊洲にしても、南スーダンの日報にしても、「隠すのは醜悪さを見られては困る」からなのだ。情報公開請求を拒否した近畿財務局の経過隠蔽が、疑惑の発端となったこの事件。隠しきれなくなっての疑惑がふくれ、その醜悪さが際立ってきた。

森友学園理事長籠池泰典とは、経営する塚本幼稚園の保護者に「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと記載したヘイトスピーチ文書を配布して物議を醸した人物。アベとは「類は友を呼ぶ」、あるいはもともとが「同じ穴のムジナ」というべきか。「あい寄る魂」は美しいが、政治右翼と真正右翼の醜悪この上ないあい寄る疑惑の関係。

両者の関係を白日の下にさらけ出す努力が今求められている。その疑惑解明までの間に、この「アベ疑惑小学校」設立の駆け込み認可があってはならない。
(2017年2月21日)

民主主義は、トランプ政権に打ち克てるか

トランプ新政権が発足して1か月。その行方が気になって仕方がない。民主主義という確立したはずの理念が揺らいでいるからだ。その妥当性や有効性があらためて問われている。アベ政権の暴走ぶりにも驚ろかされてきたが、トランプの乱暴さはそれに輪をかけたものになっている。

民主主義は、権力無謬の信仰とは無縁である。主権者無謬もない。国民の政権選択は常に暫定的なものに過ぎないとする。その暫定的な選択の誤りに対する修正の能力を、民主主義は期待しているのだ。ワイマール体制下でナチスドイツがやったことは、この「後戻りの道」を閉ざしたことだ。

いま日本もアメリカも、政権選択の誤りについての修正能力が試されている。アベにしてもトランプにしても、これだけ問題点が明確になれば、退陣を余儀なくされなければならない。ところが、コアな支持者として盲目的な右翼勢力のあることが不気味である。ポストトゥルースのこの時代、アナザーファクトしか見ようとしない支持者たちが、アベやトランプをのさばらせているのだ。

それでも、アメリカ側には幾つかの明るいニュースがある。最近の大統領が就任した日から数えて、不支持率が多数を占めるまでに要した日数は下記の通りなのだそうだ。(「お役立ち情報の杜」)http://useful-info.com/analyzing-president-trump-personality
 レーガン大統領  :  727日
 ブッシュ大統領-Ⅰ:1336日
 クリントン大統領 :  573日
 ブッシュ大統領-Ⅱ:1205日
 オバマ大統領   :  936日
 トランプ大統領  :      8日

支持率・不支持率には、いくつもの調査があるから、正確なことは言えない。それでも、トランプへのご祝儀蜜月期間が極端に短かったことは確かなようだ。

Gallup世論調査結果が発表された。2月13~15日の日程で行われたもの。トランプの支持率は40%で、就任1か月時点の調査としては、歴代の最低を記録したという。2大政党下での選挙の勝者である。当然過半数の支持があろうというもの。それが、40%でしかない。隠れトランプは、雲散霧消してしまったのではないか。

Gallupによると、アイゼンハワー大統領以来、就任1カ月目の支持率平均は61%で、トランプの支持率は平均を21%も下回るものとなっているのだそうだ。これまでの最低支持率は、ビル・クリントン大統領の51%。この最低記録を11%下回る新記録なのだそうだ。

アイゼンハワーからトランプまでの就任1か月後支持率は以下のとおり。
    Date        Job approval (%)
Trump 2017 Feb 13-15       40 %
Obama 2009 Feb 12-15      64 %
G.W. Bush 2001 Feb 19-21      62 %
Clinton 1993 Feb 12-14      51 %
G.H.W. Bush 1989 Feb 28-Mar    63 %
Reagan 1981 Feb 13-16       55 %
Carter 1977 Feb 18-21         71 %
Nixon 1969 Feb 20-25       60 %
Kennedy 1961 Feb 10-15       72 %
Eisenhower 1953 Feb 22-27   67 %
Average(平均)            61 %

もう一つのニュースが、ニューヨーク・タイムズに載った精神科医連名の投書。「大統領職を安全に務めることは不可能だと信じる」とするもの。

投書はアメリカ精神医学会(APA)に所属する医師など専門家35人の連名で、2017年2月13日付けの紙面に掲載されたという。投書の見出しは、「精神保健の専門家はトランプ氏に警告する」。次のような翻訳が報道されている。

「トランプ氏の一連の発言や行動は、異なる意見を受容する能力に欠けることを示しており、彼は異なる見解に怒りの行動をとる。彼の言動は他者への共感能力に著しく欠けることを示している。こうした人物は自分の精神状況に合わせて現実を歪め、事実や事実を伝えようとする人物(ジャーナリストや科学者)を攻撃する」
「トランプ大統領の言動が示す重大な精神的不安定さから、われわれは彼が大統領職を安全に務めることは不可能だと信じる」

以下は、「J-CASTニュース」からの引用。その先の引用元は分からないが、信頼できそうな内容。

この投書が注目されたのは、反トランプの内容だけでなく、投書した医師たちが、アメリカ精神医学会の長年の倫理規定を意識的に破ったことにあるという。
  この規定はゴールドウォーター・ルールと呼ばれ、1964年に民主党のジョンソン大統領と共和党のゴールドウォーター上院議員が大統領選を争ったのを機に制定された。この選挙では、ある雑誌が「ゴールドウォーターのメンタル特集」というテーマで、各地の精神科医に大統領として適任かどうかを投票させた。ゴールドウォーター氏はすぐに雑誌を名誉毀損で訴え、裁判では勝訴した。
  このルールは精神科医がこうしたトラブルに巻き込まれないようにつくられた。「精神科医が自ら診察していない公的人物について、職業的意見を述べたり、精神状態を議論したりすることは非倫理的」と禁止した。1973年に制定され、今も有効だ。
  アメリカ精神医学会は2016年、「このルールを破って大統領候補の精神状態を分析することは「無責任で、レッテル貼りにつながり、非倫理的な行為だ」と厳しく戒めた。しかし、今回の医師らは投書の中で、「これまでの沈黙は失敗だった。この非常時にもう沈黙は許されない」と規定破りの決意を述べている。

アメリカの1964年の事件で、言論の自由の旗を掲げる側が敗訴した裁判例あることが信じがたい。このような判例が今も生きているとは到底思えない。それはさておき、トランプは、35人の精神科医をやむにやまれぬ気持にさせたのだ。「これまでの沈黙は失敗だった。この非常時にもう沈黙は許されない」
メディアと医師が、トランプとたたかう姿勢を見せている。アメリカのこととはいえ、この動きに勇気づけられる。日本もかくあらねば、と思う。

(2017年2月20日)

「保育園落ちた日本死ね!!!」の表現を擁護する

あの怒りのブログから1年。また、「保育園落ちた」の季節となった。「保活」(保育園就園活動)という言葉が定着しているそうだが、さて、深刻な保活事情は改善されているのだろうか。

毎日新聞はこう報じている。
「『日本死ね!!!』から1年 1年後も『待機ゼロ』無理 目標達成、首相『厳しい』」
「昨年2月に「保育園落ちた。日本死ね!!!」と窮状を訴える匿名ブログが共感を集めて社会問題化して1年。(2月)17日の衆院予算委員会で待機児童問題が取り上げられた。安倍晋三首相は「保育の受け皿は増やした」としつつ、政府が掲げる2017年度末の待機児童ゼロの目標達成は困難だとの見通しを示した。今年4月の入所を目指して落選した親たちには失望が広がっている。」

「保育園落ちた日本死ね!!!」という、このブログの衝撃は大きかった。意図したかどうかはともかく、市井の人の言語的表現がこれほどの社会的インパクトを獲得し、政権をうろたえさせた例は稀だろう。

当「憲法日記」では、昨年(2016年)3月15日に、「『保育園落ちた日本死ね』怒りのブログに、曾野綾子の『大きなお世話』」を書いた。今読み直してみて、書き換えなければならないところはない。目を通していただけたら、ありがたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=6578

当時、「日本死ね!!!」という表現に違和感をもつという意見があった。いまだに散見される。「『死ね』は、人格否定の最たる表現」「いかなる場合にも禁句」という批判である。

だが、「日本死ね!!」の表現がなければ、このブログがこれほどのインパクトを持つことはなかった。そして、私自身は、「日本死ね!!」にさしたる違和感をもたなかった。このブログが大きな共感を呼んだのは、私のように違和感をもたなかった読み手が多かったからに違いない。むしろ、「日本死ね!!」という表現の過激に藉口した「日本」「国家」への批判抑制の論調の方に違和感をもった。自分の感性が鈍麻しているのかとも思ったが、そうではなさそうだ。

何よりも、このブログは弱者の悲鳴である。通常の言葉遣いでは到底気持が通じないという切羽詰まった状況が、このような強い言葉を選ばせている。強者が弱者に対して放つ、人格否定の文脈ではない。

しかも、日本人が日本人を対象に、自分も属している日本という国家の政策批判を展開しているというシチュエーションが重要なのだ。他者、他国、他グループに対する悪罵とは決定的に違っている。

他国に対する批判も、自国に対する批判も、表現の自由の範疇として保障の対象になることは当然である。当然ではあるが、自国に対する批判の方が、遠慮は要らない。他国に対する批判の言論には、慎重な配慮が必要との立論にはそれなりの理があろうかと思う。刑法は、第4章「国交に関する罪」の中に、第92条「外国国旗損壊罪」を設けている。「外国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊する」ことが犯罪とされ、自国の国旗についての損壊を犯罪とはしていない(器物損壊が成立しうることは別として)。

また、「死ね」と言葉を投げつけられたのは、「日本」である。「日本」という国家は、組織であり機構であり制度であって、死ぬことはない。しかも、公権力の主体として最も辛らつな国民からの批判に晒されるべき存在といわねばならない。そのうえ、国家は人権享有主体ではない。「日本死ね」は、飽くまで、制度の不合理に対する怒りの比喩的な表現に過ぎないことが、一見明瞭なのだ。

仮に、このブログの表現が、「日本人死ね」であったとしたら、印象は相当に変わっていたはずである。私も違和感をもったかもしれない。さらに、特定の人名を出しての「○○死ね!!」であったら、このブログがこれほどの共感をもって受けとめられることはなかったに違いない。

昨年5月、在日への差別的表現を禁止した、ヘイトスピーチ対策法(フルネームは、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が成立し、6月施行となった。同法第2条は、ヘイトスピーチを「差別的意識を助長・誘発する目的で、生命、身体、自由、名誉、財産に危害を加えると告げることや、著しく侮蔑するなどして、地域社会からの排除をあおる差別的言動」と定義している。同法は、差別解消のための努力を国の責務とし、自治体にも同様の努力義務を課している。

法の定義だけでは分かりにくいとして、法務省人権擁護局は、各自治体にヘイトスピーチの典型を例示した文書を提供している。そのヘイトスピーチの典型例が、許されない他への打撃的言論の限界を考察するための参考になりそうである。

報道によると、その「典型例」はヘイトスピーチ対策法の定義規定(第2条)の条文から、差別的言動を下記の3種に分けている。
①「生命、身体、自由、名誉、財産に危害を加えると告げるもの」
②「著しく侮蔑するもの」
③「地域社会からの排除をあおるもの」

①の脅迫的言動としては、「〇〇人は殺せ」「〇〇人を海に投げ入れろ」といった殺害を含め、危害を加えることの扇動に当たるもの。
②の著しく侮蔑する言動としては、特定の人種、民族、出身国・地域の人について『ゴキブリ』などの虫、動物、物に例えることや隠語や略語を用いたり一部伏せ字にして罵るパターンも含まれる。
③の地域社会からの排除を扇動する言動としては、「〇〇人を叩き出せ」「〇〇人は国へ帰れ」「〇〇人を強制送還しろ」など、日本もしくは地域からの排除の扇動。
というものである。

ひるがえって、日本人による「日本死ね」発言。対外的には、国交に関する「差別的意識を助長・誘発する目的」もなければ、外国への侮辱にもあたらない。対内的にも、だれに対する関係でも危害の煽動になっていない。侮蔑の意味もなく、誰かを排除する意図もない。「被害」は、日本ないし国家という抽象的存在に限定されて、人権享有主体のだれをも傷つけてはいない。

「日本死ね」の表現はことさらに非難をするにはあたらない。これを非難することが結局は政権や国策の擁護になっていることに留意されなければならない。
(2017年2月19日)

卒業式直前・五者(原告団・元原告団)総決起集会で

弁護団の澤藤です。お集まりの皆さまに、冒頭のご挨拶を申しあげます。
本日はやや冷えておりますが、確実に春が近づいています。春は万物にとっての希望の季節。とりわけ学校にとっては、若者たちの巣立ちを祝い、また新しい生徒たちを迎え入れる、慶事の季節。

しかし、石原慎太郎第2期都政下で、「10・23通達」が発出されて以来、希望の春は憂鬱な春に変わってしまいました。それから年を重ねて今年は14度目の憂鬱な春。

この間、梅が咲けば重苦しい卒業式が間近となり、桜が咲けばまた重苦しい入学式。これは、きっと短い悪夢だ。いつまでもこんなことが続くはずはないと念じつつ闘いを続けながら、時を過ごしてまいりました。

この間、屈することなく闘い続けて来られた皆さまに心からの敬意を表明いたします。

この恐るべき事態がこんなにも続くとは、当初は思ってもみないことでした。これは、極右の知事が選挙で思いがけなくも308万票もとって舞い上がり、教育委員会を側近で固めてやってのけた、突出したできごとだと思っていたものです。知事が代わるまで教育委員が交替するまでの我慢…。ところが、今その知事の権勢は地に落ち、3代目の後継知事となっています。「10・23通達」発出当時の教育委員は、一人も残っていません。それでも、日の丸・君が代強制の「10・23通達」と卒業式入学式の「実施指針」は生き延びています。

じつは、私たちは「トンデモ知事」や、「トンデモ都教委」と闘ってきたのではなく、安倍政権の基本性格に見られるような、この時代の趨勢と切り結び闘ってきたのではないかと思うのです。

安倍政権は、明らかにこれまでの保守政権とは違います。従前の自民党の改憲案とは明確に質を異にする「自民党改憲草案」を掲げて、戦後レジームからの脱却を呼号する右翼政権。特定秘密保護法を成立させ、内閣法制局長官の更迭までして集団的自衛権行使容認の解釈改憲を強行し、戦争法成立を強行採決した暴走内閣。

このような国民主権や平和主義に背を向けて暴走する政治勢力が必要とするのが、ナショナリズムにほかなりません。ナショナリズムがもたらす、自国の優越意識と、他国への差別感情と排外主義。これらがなくては、改憲も軍事大国化もできることではありません。

ナショナリズムの第一歩。それこそが、日の丸・君が代の強制なのです。今は、そのようなナショナリズム鼓吹の時代なのではないでしょうか。

東京都に限らず、全国にナショナリズム鼓吹の風が吹いています。国旗国歌は小中学校高校だけでなく、保育園・幼稚園から国立大学にまで、事実上の強制が行われています。国家主義横行の時代には、平和も人権も蹂躙されていく。「国権栄えて民権亡ぶ」の図となるのです。

私たちの、日の丸・君が代強制との闘いは、そのような国家意思と切り結ぶ重大事なのだと考えざるをえません。

この間、法廷の闘いでは、まず予防訴訟があり、再発防止研修執行停止申立があり、人事委員会審理を経て4次にわたる取消訴訟があり、再雇用拒否を違法とする一連の訴訟がありました。難波判決や大橋判決があり、いくつかの最高裁判決が積み重ねられて、今日に至っています。

法廷闘争は一定の成果をあげてきました。都教委が設計した累積過重の思想転向強要システムは不発に終わり、原則として戒告を超える懲戒処分はできなくなっています。しかし、法廷闘争の成果は一定のもの以上ではありません。起立・斉唱・伴奏命令自体が違憲であるとの私たちの主張は判決に結実してはいません。戒告に限れば、懲戒処分は判決で認められてしまっています。

また、何度かの都知事選で、知事を変え都政を変えることが教育行政も変えることになるという意気込みで選挙戦に取り組みましたが、この試みも高いハードルを実感するばかりで実現にはいたっていません。

しかし、闘いは終わりません。都教委の違憲違法、教育への不当な支配が続く限り、現場での闘いは続き、現場での闘いが続く限り法廷闘争も終わることはありません。今、判決はやや膠着した状況にありますが、弁護団はこれを打破するための飽くなき試みを続けているところです。

時あたかも、第4次処分取消訴訟の東京地裁審理が結審を迎えます。来たる3月15日が結審の法廷となります。2月末〆切で、今弁護団は最終準備書面を作成中です。

その事件の判決が目ざすところは、これまでの最高裁の思想良心の自由保障に関する判断枠組みを転換して、憲法学界が積み上げてきた厳格な違憲審査基準を適用して、明確な違憲判断を勝ち取ることです。まだ、1件も大法廷判決はないのですから、事件を大法廷で審理して、あらたな判例を作ることはけっして不可能ではありません。

また、憲法19条違反だけでなく、子どもの教育を受ける権利を規定した26条や教員の教授の自由を掲げた23条を根拠にした違憲・違法の判決も目ざしています。国民に対する国旗国歌への敬意表明強制はそもそも立憲主義に違反しているという主張についても裁判所の理解を得たい、そう考えています。

国旗国歌は、国家と等値できる存在です。国旗国歌への敬意表明とは国家に対する敬意表明にほかなりません。ですから、公権力が国民に国旗国歌への敬意表明を強制することは、国家が主権者である国民に対して「オレを尊敬しろ」と強制していることなのです。主権者国民によって作られた国家が国民に向かって「オレを尊敬しろ」と強制することなどできるはずがない。それは、憲法的には背理であり倒錯だというのが、私たちの主張です。

現在の最高裁判決の水準は、意に沿わない外的行為の強制が内心の思想・良心を傷つけることを認め、起立斉唱の強制は思想良心の間接的な制約にはなることを認めています。最高裁は、「間接的な制約に過ぎないのだから、厳格な違憲判断の必要はない」というのですが、「間接的にもせよ思想良心の制約に当たるのだから、軽々に合憲と認めてはならない」と言うべきなのです。卒業式や入学式に「日の丸・君が代」を持ち出す合理性や必要性の不存在をもう一度丁寧に証明したいと思います。

第4次訴訟では、ほぼ全員の原告が法廷で意見陳述をし、原告本人として証言しました。毎回の法廷が感動的なもので、裁判官も真面目によく聞いてくれたという印象でした。原告のみなさんが、悩みながらも、生徒の前で教師としての生き方が問われているとの思いから、不当な職務命令には従えないとした心情をよく理解してもらえたのではないかと思っています。

闘うことを恐れ、安穏を求めて、長いものに巻かれるままに声をひそめれば、権力が思うような教育を許してしまうことになってしまいます。苦しくとも、不当と闘うことが、誠実に生きようとする者の努めであり、教育に関わる立場にある人の矜持でもあろうと思います。

私たち弁護団も、法律家として同様の気持で、皆さまと意義のある闘いをご一緒いたします。今年の卒業式・入学式にも、できるだけの法的なご支援をする弁護団の意思を表明してご挨拶といたします。
(2017年2月18日)

3歳児に日の丸・君が代を刷り込め

「三つ子の魂百まで」というじゃないか。国民をマインドコントロールする遠大な計画は3歳児の教育から始めなければならない。そう。マインドコントロールとは、ナショナリズムを国民に吹き込むことだ。マインドコントロールという言葉の響きが嫌いなら、「思想の善導」と言い換えておこう。国旗・国歌(日の丸・君が代)とは、善良な思想の象徴だ。日の丸・君が代を抵抗なく受容することは、権力に従順な証しなんだ。だから、今回の「3歳児からの日の丸・君が代」、素晴らしいことじゃないか。さすがは、アベ政権。さすがに極右に支えられた政権。よくぞ、その役割を果たしているじゃないか。

教え込まなければ、国家の価値など分かるわけがない。ナショナリズムとは、自然に育つものではなく刷り込まねばならないことなのだ。先人がそのために、いかに真剣に国民を欺す努力を重ね、硬軟さまざまなその技を磨いてきたか。国家のためには命を捨てるとまでの国民精神を鍛え上げた、その成功の過程をもう一度よく振り返って、貴重な教訓を噛みしめなければならない。

とりわけ、今は基本的人権などという余計なことを学校が教える。国際化の時代と言われたり、コミュニティが大切だと言われたり。企業が国家を凌駕したり。国家を単位とするナショナリズムは旗色が悪い。誰かが先導し鼓吹しなければ、愛国心も国家ファースト主義も自然に育つものではないのだ。国民の側からのナショナリズム煽動の動きが弱ければ、国家自身がナショナリズムを鼓吹する以外にない。それが、日の丸・君が代強制のホンネでないか。そのどこが悪い。どこに問題があるというのだ。なんと言っても、国家あっての国民じゃないか。

ナショナリズムを叩き込むのは、余計な知恵の付かないうちがよい。生まれ落ちた瞬間から、日の丸であやされ、君が代を子守歌にする環境が最も望ましい。それが無理でも3歳からは、日の丸・君が代に親しむ環境を作るのだ。親しむというよりは、叩き込むというべきだろう。子どもに知恵が付いて、「国家よりは、個人の尊厳」とか、「主権者としての自覚」などと言いだしたらもうおしまいだ。3歳ならまだ間に合う。まだ、国家の何たる、民族の何たるかも分からない。日の丸・君が代と天皇制や戦争との結びつきも、何も知らない。知らないことが重要なのだ。ものの分からないうちがナショナリズム煽動と刷り込みのチャンスだ。勝負のときは短いのだ。

3歳児の公的な預け先は3系統ある。
文科省管轄の幼稚園。厚労省管轄の保育園。そして幼稚園と保育所の機能を併せ持つ内閣府管轄の「認定こども園」。その全てが、3歳児から「国旗・国歌に親しむ」教育を受けさせることになる。これは、われらナショナリストにとって欣快の慶事ではないか。

これまで、幼稚園と認定保育園とは国旗についてだけ「親しむ」とされていたが国歌については定めがなかった。保育園に至っては、国旗・国歌の両方について、何の定めもなかった。これは、どう考えてもおかしい。保育園とはまるで、若い両親が自分の仕事を優先して子どもを施設に預けさえすればよいかのごときではないか。保育園には、国家や自治体が金の補助をしているのだ。それなら、見返りに国家が望む子どもに育つよう、ナショナリズムを刷り込む。「預けた子どもに余計な思想教育などもってのほか」などという輩は、保育園からも幼稚園からも閉め出せばよいのだ。

塚本幼稚園を見よ。毎朝、感心にも君が代を唱い教育勅語を暗唱しているというではないか。だから、アベの妻が名誉校長になるのだ。それだけではない。国有地をただ同然で払い下げてもらえるのだ。国家のための教育を行っているところに、国家が報いるのは当然だろう。

キミ、人間が上手に生きていくために一番大切な資質って何だと思う?
それは、従順ということだ。あるいは順応能力と言ってもよい。国家に、体制に、社会に、企業に、無理なく逆らわずに生きていくことのできる資質。善導されたとおりに善良な思想を形成し、柔軟に自分を体制に合わせて生きていく能力だ。なまじ自主性だのプライドなど持ち合わせているとこの世は生きにくくなる。付け焼き刃でない、体制ベッタリの順応能力、その資質を育むには3歳児からだ。そこまで見越しての、3歳児からの日の丸・君が代教育なのだ。

アベ内閣の遠大な、愚民化教育政策に万歳三歳。いや万歳三唱!!
(2017年2月17日)

これで共謀罪が成立することになるのかー学習会寸劇

本日は、我が澤藤法律事務所の澤藤大河弁護士が、埼玉県川口市で「共謀罪」学習会の講師を務めた。パワポを駆使した学習会だったようだが、好評だったのは、冒頭披露した寸劇だったとのこと。

主催者側の総選挙埼玉県2区の候補者が法務委員会の質問者役を、大河が法務大臣役を演じて議論が白熱したという。以下に、その台本を掲載しておく。

犯罪が成立するためには、構成要件に該当する実行行為がなければならない。「人を殺す」「火を放つ」「人の身体を傷害する」「他人の財物を窃取する」などが実行行為である。その着手がなければ未遂罪も成立しない。ところが、例外的にもせよ予備や準備や共謀を処罰するとなると、構成要件的行為としての定型性を持たない日常行為が処罰の対象となってしまう。寸劇は、そのあたりの問題点を描いている。  **************************************************************************

ある日の法務委員会審議にて(架空の質疑)

Q 大臣、なぜ,今,共謀罪を新設するのですか。共謀罪は、犯罪の実行行為がなくとも刑罰を科する、極めて広汎な処罰範囲を持つことになります。過去にも多くの懸念があり、国民の強い反対で廃案に持ち込まれてきたではありませんか。
A 今、委員のご質問でございますが、共謀罪ではなく、「テロ等準備罪」でございます。国際組織犯罪防止条約の批准のために必要な法案であると考えております。
国際組織犯罪防止条約、一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し,これと戦うための協力を促進することを目的とする国連条約です。
平成15年9月に発効しています。この条約については,同年5月にその締結について国会の承認を得ており,我が国としても,早期に締結することが重要です。
そこで,我が国も,国際社会の一員として,この条約を早期に締結し,国際社会と協力して,一層効果的に国際的な組織犯罪を防止するため,この条約が義務付けるところに従い,「テロ等準備罪」を新設する必要があります。

Q パレルモ条約は、テロ関係ないでしょう。大体何年に締結されたんですか。
A 平成12年です。

Q それじゃ、2000年じゃないですか。2001年の9・11の前じゃないですか。テロが国際的な関心事になる前の条約ですよ。だいたい、パレルモという都市で締結されて、パレルモ条約とも呼ばれるわけですが、パレルモとは、イタリア、シチリア島の都市です。つまり、マフィア、ヤクザ、そういう組織犯罪を対象にした条約じゃないですか。テロを対象にした条約ではなくて、経済的なマネーロンダリングを主たる対象にした条約じゃないですか。
A 委員は、よく勉強なさっているようですが、組織的な犯罪に対する対応は、テロでもテロ以外でも待ったなしなのであります。

Q 新たな刑罰法規を作ろうというのだから、やはり差し迫った必要性がなくてはならないわけです。では、どうして、テロが差し迫っているというのですか。日本がテロの脅威にさらされているという事ですか?
A 世界中で、不安定な地域がたくさんあります。これだけ安全保障体制が揺らいでおるわけでありまして、先進諸国、たとえばアメリカでの9・11事件、イギリス・ロンドンでの連続爆破テロ、フランス・パリでの出版社襲撃事件などが起こっているわけです。
日本だけが、これらの事件に目を背けていていいのでしょうか。自由と民主主義・人権という共通の価値を守るために、憎むべきテロリストとの戦いに、日本だけが安穏としていることはできないのです。

Q 立法事実として、日本でのテロの危険があるかとお聞きしている。
A それはいろいろな評価がありうる。日本人が、イラクやシリアで誘拐され、殺害される事件も起こっている。

Q 日本でのテロが差し迫っている状況にあるのかと聞いている。
A 我々は、テロの脅威から、国民を守るべき責務を負っております。常に備えなければならないのです。オリンピックも迫っております。安全なオリンピックを開催するためにも、どうしてもテロ等準備罪は必要なのです。

Q 具体的に、日本にテロが迫っていると、あなたですら断言できないようでは、どうして、テロ対策が必要なんですか。では、そのような共謀罪、もし成立してしまったら、犯罪を実行することを話し合っただけで処罰されてしまうのではないか。
A そんなことは、絶対にないのであります。準備行為がなければ、処罰されることはありません。
共謀が成立しただけ、つまり計画しただけでは、犯罪が成立しないことは、法文上明らかであります。一般の方が話しているだけで犯罪者になるなど、絶対にあり得ません。

Q 労働組合や、市民団体が犯罪集団に当たることはないのですか。
A 組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
適法な活動をしている労働組合や、その他の団体は、その目的が犯罪はないのですから、当然対象とはなりません。

Q そんなことを言っているが、では、更にお尋ねします。既に存在する適法な団体の目的が、ある時点から犯罪目的に変化したと認定することはあり得ないのか。
A 一般論としてお答えすると、一般人が対象となることはないのです。組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
もし、犯罪を企む集団であるのなら、すでにその集団の構成員は一般人ではないのです。

Q 今、大変な答弁が出た。つまり、「この法律が罰するのは、一般国民ではない」という意味は、「この法律が罰するときには、既に一般人ではないからだ」と、こういうことではないか。論理が逆転している。
A 委員の解釈は、あまりに一方的で偏っているのではないでしょうか。重大犯罪を目的とする団体に、それと知って属しているということは、一般国民の目から見て、一般人とは呼べないことは通常の感覚ではないですか。

Q そんなことはない。企業でも、市民団体・労働組合、サークルでも、適法な通常の団体が、ある時点から犯罪目的だと認定されることはありうるのだから、国民誰でも、共謀罪の犯罪者になり得るじゃないですか。
A 重大な犯罪を計画している団体に属して、具体的な重大犯罪を計画していたら、罰せられるべきは当然ではありませんか。

Q ついに、誰もが対象になりうることが分かりました。しかも、犯罪目的があるかどうか、計画があるかどうか、捜査段階では、判断するのは、裁判所ではなく、捜査機関、大体は警察になるわけです。
その結果、警察が、国民生活に監視の目を光らせ、あらゆる団体が犯罪目的をもっていないかを調べる。これは、まさに現在の治安維持法ではないか。
A 全くそうではございません。
治安維持法は、私有財産制を否定し、国体を変革しようとするという、思想そのもの、つまり、犯罪とは切り離して、特定思想を有する団体を結成すること、加入することを処罰する法律でございます。
今回の、テロ等準備罪は、思想のみを処罰するのものではありません。準備行為という行為を要求しています。
また、団体も重大犯罪を目的とするという、犯罪集団に限って対象とするものですから、ご指摘はあたりません。
捜査についても、捜査機関は、刑事訴訟法、その他関連法令を遵守し、裁判所の令状審査を経て、適法な捜査を行うことになりますので、委員のご指摘はあたらないものと思います。

Q 結局は捜査機関が、最初の判断をする。しかも、政府に批判的な活動をしていると、犯罪を行っているとして、捜査の対象とされかねない。しかも、計画と準備で犯罪が成立するのだから、団体監視を常に行うことが主たる捜査方法になることは明白ではないか。団体に対する警察の監視、団体内部でも密告を恐れて活動が萎縮する。これこそ治安維持法そのものではないですか。
A 委員は、少し感情的になっておられる。お答えしたとおり、一般人が処罰されることはないのです。まあ、治安維持法も一般人は処罰されることはなかったわけですが。

Q 処罰範囲が拡大しすぎる危険がある。
以下の具体例でお聞きします。共謀罪は成立するのか。
米軍基地の建設に反対している市民団体。ついに本格的工事着手が3日後に迫ってきた。メンバーのXYは、今度は工事現場のゲートに座り込んででも、美しい自然を守ろうと話し合った。
翌日、Yはゴザを購入した。
2日後、台風のせいで、海が荒れ、とりあえず工事は延期になった。
どうですか。
A 細かい点がわからないため、お答えしかねる。

Q どこがわからないのか。
A 共謀が成立したといえるのか、議論の様子や、ゴザの購入目的なども検討しなくては、犯罪成否は軽々に答えられない。

Q つまり、犯罪が成立しうるから検討が必要だということですか。
A 犯罪が成立するか否かは、常に微妙な事実の問題を含んでいるのであります。
最終的には裁判官が判断するわけでありまして、今、この事例についてどうかということは、大変難しく、私の頭脳ではお答えしかねる。

Q 結局、どちらの事案も共謀罪が成立しうること、少なくとも、絶対に共謀罪が成立しないわけではないという答弁だった。
共謀罪は、国民の自由な団体活動のみならず、表現の大幅な萎縮を生み出し、思想・信条の自由を侵害する、違憲なものであることが明白になりました。絶対に成立させるわけにはいきません。

(2017年2月16日)

「アメリカ・ファースト」ではなく、「トランプ・ファースト」「金儲け・ファースト」だろう。

トランプの長女がイバンカ。そのイバンカが手がけるファッションのブランド名が、「イバンカ・トランプ」だという。「イバンカ・トランプ」は、人気が低迷して売れ行きが悪くなった。大手百貨店が売り上げ3割減の不振を理由に「イバンカ・トランプ」の販売中止を決めたという。売れ行き不振がトランプの不人気のゆえか、商品の質の悪さか、それはどうでもよい。大統領の名を冠した商品が、売れても売れなくても、政治や行政と何の関係もない純粋に私的な領域の問題だ。

ところが、まず、トランプ自身が大手デパートに対して、ツイッターで激怒した。その行為が「公私混同だ」と批判されてのテレビ取材で、大統領顧問が「イバンカ・トランプ」の宣伝をしたというから、これは事件だ。トランプ一族とその取り巻き連中の薄汚さが芬々たる腐臭を放っている。

事件は、次のようであったらしい。2月9日、コンウェー大統領顧問がテレビ局フォックス・ニュースに出演した際に、「イバンカ・トランプ」の商品を買うよう国民に呼びかけたのだ。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」「宣伝するわ」「皆さん、きょう、買いに行って!」と訴えたと報道されている。公私混同ここにきわまれり、ではないか。

コンウェーといえば、「オルタナティブ・ファクト」(「もう一つの事実」、あるいは「都合のよい真実」)発言で有名になった人。彼女にとっては、真実とは取り替えの利くもので、けっしてひとつのものではない。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」もオルタナティブ・ファクトの類だろう。いや、彼女の発言の全てが真実とは思えない。大統領府の発言全体の信憑性が怪しい。

「連邦政府の倫理規定は、政府職員が立場を利用して商品を宣伝することを禁じている」と報道されているが、規定の有る無しにかかわらず当たり前のことだ。コンウェーの行為を倫理規定違反として公的機関に申告する動きは速かった。テレビ番組で発言を問題視した下院監視・政府改革委員会のチェイフェッツ委員長(共和党)が米政府倫理局に調査を申し立てた。

米政府倫理局は13日付で結論を出した。実に素早い。コンウェーが「公的な立場でテレビ番組に出演し、イバンカの製品を宣伝する機会として利用した」点を取り上げ、「公的立場の悪用を禁じる規定に明確に反する」と断定。ホワイトハウスに対し、コンウェーの発言を調査し、懲戒処分を検討するよう勧告した。

ウォルター・シャウブ局長名のこの勧告は、「コンウェー氏が行動規範を違反したと強く疑う理由があり、懲戒処分が必要」と指摘。そのうえで、トランプ政権に調査の実施を求めるとともに、「2週間以内に調査結果を提示し、懲戒処分を行ったら詳細を説明するよう」求める、具体的なものである。

この勧告は、2月14日公表され、15日には世界を駆け巡った。さて、ホワイトハウスはどうするか、注目しなければならない。トランプ政権の独善性の程度がいかほどのものか、また、自省や反省による自浄能力がいかほどのものか、それが問われている。

いくつかの感想がある。
一つは、トランプ一族の金儲けへの執念である。何もかも、金儲けのためなのだ。「アメリカ・ファースト」は嘘っぱち。「トランプ・ファースト」であり、「金儲け・ファースト」なのだ。政治も行政も選挙も、彼にとっては全てが金儲けの手段なのだ。

二つ目。そのような貪欲な金の亡者の大富豪を、失業や貧困に悩む大衆が支持し、大統領職に就けたというパラドックスである。トランプの政策は、けっして搾取や収奪、格差や貧困をなくするものではない。大企業減税と規制緩和の徹底した企業優遇策であり、長目では明らかに反労働者政策である。オバマケア撤回に見られる反福祉政策でもある。奴隷が、奴隷主を称賛するがごとき、奇妙な現象なのだ。

三つ目。それでも、政府倫理局の審理と結論の素早さには驚かざるをえない。迅速であるだけでなく、萎縮のない真っ当な結論も称賛に値する。「古い」アメリカのリベラルな秩序が、トランプ流の乱暴な暴走に歯止めを掛けているのだ。

共和党の委員長が共和党のトランプ政権の非に申立をしているのも立派ではないか。わが国で、自民党の議員がアベ内閣の非を申し立てることができるだろうか。アベの妻が名誉校長を務める小学校の敷地に、ただ同然で国有地を払い下げるなどの醜聞に、自民党員が疑義を糺すことができるだろうか。

わが国のチェック機関もこのようであって欲しい。たとえば、BPO。TOKYO MX「ニュース女子」番組(DHCシアター作成)についての辛淑玉さんの人権侵害申立に、迅速に曖昧さを残さない結論を出していただきたい。こんなに露骨なデマとヘイトにまみれた地上波放送は前例がないだろう。BPOの存在と役割が問われている。いや、BPOの存在意義をアピールする絶好の機会ではないか。
(2017年2月15日)

象徴天皇制のあり方について、横田耕一(九州大学名誉教授)の原則論

天皇(明仁)の生前退位希望発言をきっかけに、象徴天皇制のあり方をめぐる議論が活発化している。しかし、その活発化した議論は未整理のまま昏迷しており、幾つかの「ねじれ」さえある。泥縄的に天皇の生前退位を認める法整備が急がれているいま、原理的で原則的な象徴天皇についての議論が求められている。

天皇自身の生前退位希望発言は、象徴天皇の公的行為についての積極的拡大論とセットになっていて、その公的行為拡大論には、世論の一定の支持がある。これまでの天皇(明仁)の発言が憲法に親和的でリベラルなものと認識され、また被災地慰問や戦没者慰霊などの行為が世論から好感を持たれているという事情による。

そのため、いまリベラル派の一部にも「公的行為拡大」論を容認する論調が見られ、むしろ守旧派が「公的行為縮小」論を主張するという「ねじれ」た論争が展開されている。しかし、生前退位の可否と、公的行為容認の可否とは厳格に分けて論じなければならない。

明らかに、天皇自身が「象徴としての公的行為」拡大を意識し、そのような「象徴天皇像」を作ろうと意図してきた。今回の天皇の生前退位の法的措置を求める発言は、天皇が憲法解釈に容喙するものとして看過しえない。本来天皇とは、国民主権原理を標榜する日本国憲法体系の本流になく、その例外としての夾雑物的存在に過ぎない。天皇の存在と行動可能範囲、影響力を極小化する立論こそが出発点であって、「国民統合の象徴」という憲法規定からの法律効果を主張する議論を警戒しなければならない。

そのような視点から、信頼に足る論者の一人が、横田耕一(九州大学名誉教授)であろう。
「法学セミナー」(日本評論社)2017年2月号に、特別企画「座談会 憲法学から天皇の生前退位を考える(上)」が掲載されており、そこで、横田耕一さんが「象徴天皇制」についてのブレのない原則的な憲法論を展開している。

冒頭、横田さんが7ページに及ぶ発言で学説を整理している。これを目次にまとめてみる。
〔1〕大日本帝国憲法の「天皇制度」と、日本国憲法の「象徴天皇制度」とは、根本的に異なる。
 両者は、①天皇の「地位」、②その地位の「根拠」、③天皇の「権能」、において根本的に違うもの。
〔2〕両「天皇制度」の関係ー「断絶説」と「連続説」
 (1) 断絶説
 (2) 連続説
 (3) 現実は、「連続説」に立って展開している
〔3〕「主権者国民」の「総意」に基づく天皇制度
〔4〕「象徴」
 (1) 象徴の意味
 (2) 「日本国・日本国民統合の象徴」の意味
  そしてそのことに積極的な意味があるのか
〔5〕天皇の「お務め」
 (1) 国事行為
 (2) 私的行為は公務ではない
 (3) 「公的行為」
 ①「象徴としての行為」説(清宮四郎など)
 ②「公人としての行為」説(佐藤幸治など)
 ③「準国事行為」説(清水睦、岩間昭道など)
 ④「国事行為」説(宮澤俊義、高橋和之など)
 ⑤違憲説(横田説など)

横田さんの見解における結論は、以下のとおり明快である。
「私は、天皇はそのようなこと(公的行為)は一切やるべきではなく、憲法違反であるという立場です。この説に対しては、実際的でない、非常識という批判がありますが、何か実際的でないか、非常識であるかは、私には分かりません。」

そして、最後をこう締めくくっている。
「以上、五つの説を説明してきましたが、まとめると、国事行為以外に公的行為を認めた場合の問題点は、(1)その範囲が不明確になる、(2)責任の所在が不明確になる、(3)内閣による政治利用ができる、(4)天皇の意思が介在することで天皇が政治的機能を果たすことになる危険性があり、その結果として天皇制度の安定的な運用において困った事態が生じる可能性がある、といったところにあると考えられます。
今の天皇は国民意識に沿うことを行っているので評判が良いのですが、もしも変な天皇が出てきて変なことをやり出したらどうなるのかという話になります。これは受け取り側の意識の問題ですが、天皇の発意に内閣は背けないでしょう。今度のお言葉についても放っておくこともできるはずですが、それには背けないということがあるでしょう。
以上のことから言える大切なことは、第一に、仮に公的行為の存在を認める立場からしても、それは義務的行為ではない。だからそれが過多であれば適宜やめればよいだけの話です。そしてまた、政府見解によれば、皇族が公務をやってもよいことになっていますから、他の皇族に任せればよいわけです。
そして、第二に、天皇には積極的に国民を統合することは期待されていない。この二つをしっかり押さえて天皇の生前退位の問題を議論すべきです。これらのことについては、学説でもおそらく異論はあまりないだろうと思います。」

「公的行為」ないし、「象徴的行為」を、違憲として認めないのが横田説。国事行為以外に公的行為を認めることの問題点は既述のとおりで、積極説はその問題点に目をつぶるもの。

憲法に忠実な厳格解釈が、膨れ上がった公的行為という現実規制に有効に機能しうるかは、主権者としての意識をもった多くの国民の支持を得ることができるかに、かかっている。

(2017年2月14日)

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