澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

国連「家族農業の10年」と「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」

「浜の一揆」訴訟の控訴審。第2回法廷が来週火曜日。10月2日(火)午後1時30分、仙台高裁101号法廷である。

当方(控訴人・漁民側)が準備書面を提出し主張を述べることになる。この法廷で、二平章氏(北日本漁業経済学会会長)の意見書を提出する。

この訴訟の主要な論点は、漁業調整の名のもとに、「大規模定置網漁業者の利益を確保するために、弱小零細な漁民のサケ刺し網漁業の許可申請を排斥してよいのか」ということに尽きる。二平氏は、「弱小零細な漁民をこそ保護すべき」という立場から、立論している。そのうちの一節をご紹介したい。

 より弱小零細な漁民を保護するべきとの第2の理念は、憲法学でいう実質的平等の考え方と同様です。
経済活動の自由を保障さえすれば、すべてがうまくいくというのは、既にあやまった考えであることが明らかになっています。合理的な制約と介入を権力が行わないと、大変な不公平が社会に生じることは公知の事実です。
漁業法は、漁業の「民主化」を目的に掲げています。強大な事業者と零細な漁民がいれば、零細漁民を優先することを想定しているのです。
これは、戦後の一時期の特別な政策という訳ではありません。2017年12月20日、国連総会は、2019年から2028年までを「家族農業の10年」とすることを採択しました。この「家族農業」とは、農場の運営から管理までの大部分を、1戸の家族で営んでいる農業のことです。現在、世界の食料のうち約8割が家族農業による生産でまかなわれており、世界中の食糧共有の中で重要な役割を担っています。持続可能性の観点からも、自然を収奪する大規模農業ではなく、自分や自分の子孫が耕し続けると考えながら自然に働きかける家族農業こそ鍵だと考えられるようになったのです。
実は、国連が掲げるこの「家族農業」には家族漁業も含まれています。国連では、「家族農業」を「農業労働力の過半を家族労働力が占めている農林漁業」と定義しています。必ずしも血縁によって結びついた家族による農林漁業のみではなく、非血縁の家族も、一人で営む個人経営も、家族農業に準じて議論されています。資本的つながりによって結合した企業的農業に対置する概念として理解されています。
さらに国連は2022年を「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」と定め、各国が小規模家族漁業者の重要性を認識し、その保護政策を確立するよう訴えようとしています。
持続可能性という観点からも、零細な家族漁業を保護することは極めて現代的で正しい政策といえるのです。

 国連「家族農業の10年」は家族漁業も含むのか。知らなかった。2022年が国連の「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」。これもまったく知らなかった。これこそが、国際潮流なのだ。心強い。

この国際潮流は、生産性至上主義とはまったく無縁の思想に基づくもの。人は、人を搾取し収奪するために生くるにあらず。もちろん、人は搾取され収奪されるために生くるにもあらず。どちらの生き方も、結局は資本の奴隷としての生き方ではないか。

搾取・収奪とは無縁の「家族労働による農林漁業」。これこそ人間本来の生き方ではないか。国連による零細な農林漁業の支援は、豊かな人生観・社会観に満ちている。
(2018年9月25日)

DHCテレビ番組のYouTube配信一部停止 ― 「差別的動画」通報運動の盛り上がり

インターネット動画配信事業者である「DHCテレビ」、フルネームは「株式会社DHCテレビジョン」。あの吉田嘉明が代表取締役会長の任にあり、株主は株式会社ディーエイチシーだけという一人会社。この業者が配信する番組「ニュース女子」が、デマとヘイトの放送で一躍悪名を馳せたのはご存じのとおり。しかも、BPOに批判されてなお、まったく反省する姿勢を見せないことでDHCテレビの悪名は不動のものとなった。

「ニュース女子」だけではない。やはりDHCテレビが配信する「真相深入り!虎ノ門ニュース」も同様の問題を抱えている。こちらは、この番組にお似合いのアベ晋三が出演(9月6日)し、「密かに見ている。非常に濃い」などとおべんちゃらを述べたことで一躍有名になった。アベとは何者かを、如実に示したのだ。

その「虎ノ門ニュース」について、配信媒体であるYouTubeが自社のポリシーに反するものとして、番組ライブ配信の一部停止に踏み切った。

9月19日、DHCテレビのホームページは、「YouTubeチャンネルについてのお知らせ」を掲載した。その全文を引用する。

平素よりDHCテレビジョンをご覧いただき、誠にありがとうございます。
2018年9月19日、YouTubeはDHCテレビが10月5日に放送を予定していた「真相深入り! 虎ノ門ニュース」金曜日について、「ガイドラインに違反している」として、ライブ配信予定のページ削除を行いました。
これに伴い、YouTubeから科せられたペナルティとして、9月19日配信分の当社番組「DHCキレイを磨く! エクストリームビューティ」のライブ配信が停止されました。
また10月5日を除く、虎ノ門ニュース及び当社制作番組のライブ配信については、問題なく配信できるかどうかは今のところ不明です。
なお、まだ配信されていない番組を削除した経緯や理由について、YouTubeは「スパムと欺瞞的行為に関するポリシーに違反したため」と通告するのみで、具体的な内容についての言及はありません。
 現在、当社ではYouTubeに対して異議申し立てを行っており、従来どおり番組をライブ配信できるよう鋭意努力しておりますが、YouTubeにてDHCテレビをチャンネル登録して御覧頂いている皆様には、最新番組が表示されない可能性があります。
その場合はDHCテレビの公式ホームページにアクセスすると、最新番組をご覧頂きやすくなりますので、是非DHCテレビ公式ホームページをご活用いただきたく存じます。
2018年9月19日 DHCテレビジョン

YouTubeは、「ライブ配信予定のページ(10月5日放送予定の「虎ノ門ニュース」)削除を行いました。」「YouTubeから科せられたペナルティとして、9月19日配信分の当社番組「DHCキレイを磨く! エクストリームビューティ」のライブ配信が停止されました。」というのだ。DHCテレビは、YouTubeからの通告をそのまま転載していない。だから、「ライブ配信予定のページ削除」の意味が必ずしも明確ではなく、隔靴掻痒の感を否めない。それでも、DHCテレビが慌てふためいている様はよく分かる。

いったい何が起こっているのだろうか。
産経新聞(8月6日)が、「ユーチューブの保守系チャンネルが相次ぎ閉鎖 『削除の基準、不透明』と批判」という記事を掲載している。産経だから、「保守系チャンネル」の側に立っての記事なのだが、およそ問題のあらましが推測できる。

差別発言の撲滅か、言論の自由の侵害か-。動画配信サイト「ユーチューブ」で5月以降、中国や韓国に批判的な保守系動画投稿者の利用停止が相次いでいる。背景には「差別的な動画」への通報運動の盛り上がりがあるが、一方で投稿者らは「差別的発言ではない」「削除基準が不透明」として反発を強めている。
「私は中国や韓国の政府や民族に対して政治的な批判をすることはあるが、出身民族の差別は絶対にしていない。これは言論テロ」。登録者数約15万5千人を数えた動画配信「竹田恒泰(つねやす)チャンネル」を5月に停止された、明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰氏は、そう憤る。
ユーチューブは投稿ルールで、人種や民族的出自に基づく暴力や差別の扇動を禁じている。運営側がルール違反と判断した場合、投稿者に警告が届き、3カ月以内に3回続くとアカウント(開設権)が停止される。竹田氏は5月23日夜に最初の警告を受け、24日早朝までに2回目と3回目が続き停止となった。現在は予備アカウントで配信を再開している。
 竹田氏によると、ユーチューブでの通報運動は匿名掲示板「5ちゃんねる」で5月半ばに始まり、対象リストや通報の方法などが拡散。7月上旬までに200以上の保守系チャンネルが停止され、22万本以上の動画が削除されたという。

なるほど、「保守派の差別的な動画」が、ユーチューブの「投稿ルール」に抵触したことで、警告が発せられ、配信停止になったのだ。産経の表現では、「中国や韓国に批判的な保守系動画」が、ユーチューブ側から見たら看過できない「デマとヘイト」。表現の自由を看板にするYouTubeも、さすがにこの事態を放置できなくなったということなのだ。

YouTube 社のホームページに次のコメントがある。
ライブで配信するすべてのコンテンツは、YouTube のコミュニティ ガイドラインと利用規約に準拠している必要があります。コミュニティ ガイドラインに違反するコンテンツをライブ配信していると思われる場合、YouTubeはそのライブ配信に年齢制限を設けたり、削除したりする場合があります。また、YouTubeは独自の裁量により、クリエイターのライブ配信機能を制限する権利を有します。

ライブ配信が制限されると、アカウントに対しても違反警告を受けることがあります。その場合、3か月間はライブ配信ができなくなります。アカウントのライブ配信を制限されている方が、別のチャンネルを使用してYouTubeでライブ配信を行う行為は禁止されています。これは、アカウントへの制限が有効である限り適用されます。この制限に対する違反は利用規約の迂回とみなされ、アカウントが停止される場合があります。

悪意のある表現に関するポリシー
YouTube では表現の自由を支持し、あまり一般的でない意見でも自由に表現できるように努めていますが、悪意のある表現は許可されません。
悪意のある表現とは、次のような特性に基づいて個人や集団に対する暴力を助長したり差別を扇動したりするようなコンテンツを指します。
人種または民族的出自
宗教
身体障がい
性別
年齢
従軍経験
性的指向性 / 性同一性

悪意のある表現と見なされるかどうかは紙一重で決まります。たとえば、一般的に民族国家を批判することは許容されますが、出身民族だけの理由で差別を扇動することが主な目的のコンテンツは YouTube のポリシーに違反すると見なされます。また、宗教など上記のような特性に基づいて暴力を助長するコンテンツも同様です。

悪意のあるコンテンツを報告する

コンテンツがYouTubeの悪意のある表現に関するポリシーを遵守していないと思われる場合は、YouTubeに報告して確認を求めることができます:

不適切なコンテンツの報告
YouTube では、不適切と思われるコンテンツを YouTube コミュニティのメンバーに報告していただいています。コンテンツの報告は匿名で行われるため、誰が動画を報告したかは他のユーザーに開示されません。

問題を報告しても、自動的にコンテンツが削除されるわけではありません。報告されたコンテンツは、次のガイドラインに沿って審査されます。
コミュニティ ガイドラインに違反しているコンテンツは YouTube から削除されます。

デマとヘイトの報告は下記のURLから。
https://support.google.com/youtube/answer/2801939?hl=ja

DHCテレビ番組のデマとヘイトについて、大いに報告を実行しよう。DHCの吉田嘉明とは、民族差別を公言して恥じない人物なのだから。自浄能力はない。外部からの強制による矯正が必要なのだ。既に実践している人たちの地道な努力で、成果は上がっている。これに続く努力を積み重ねよう。

そして、もう一言。産経が、「差別発言の撲滅か、言論の自由の侵害か-」と問題設定をしているのは、笑止千万というべきである。そもそも言論の自由とは、「デマやヘイトの自由」を意味しない。しかも、「表現の自由」とは、権力や強者を批判する自由にこそ真骨頂がある。アベ一強がヨイショの翼賛番組に、言論の自由を語る資格はない。
(2018年9月24日・連続更新2003日)

投票用紙に特定の候補者名を記載した場面を撮影して報告を求める」行為には、公職選挙法第228条1項(投票干渉罪)に該当する疑いがある

9月20日付のリテラに、横田一記者が、インパクトのある記事を掲載している。「沖縄県知事選で佐喜真陣営が公共事業予算アップをエサに建設業者を選挙運動に動員! 投票した人リストまで提出させ…」と題するもの。今、沖縄で何が起こっているのか、具体的で迫力に満ちた記事。民主主義とは、選挙とは、そしてアベ政権の本性とは…。考え込まざるを得ない。個々の選挙運動員における選挙違反の問題以前に、知事選の基本構造それ自体が、政権による利益誘導となっているという指摘なのだ。
https://lite-ra.com/2018/09/post-4267_2.html

その冒頭の一部を引用させていただく。
「沖縄県知事選で佐喜真淳・前宜野湾市長を推薦する自公維が、札びらで県民の頬を叩くような卑劣な選挙を始めた。告示翌日(9月14日)の建設業界の総決起大会で、建設業界職域代表の佐藤信秋参院議員(自民党)や公明党の太田昭宏・前国交大臣や維新の下地幹郎政調会長ら国会議員が次々と挨拶。辺野古反対の翁長雄志知事時代に一括交付金や公共事業予算が約500億円も減ったことを問題視する一方、“「対立から対話」を掲げる佐喜真知事誕生なら、公共事業予算は増加に転じて建設業者の労務単価(人件費)もアップする”という“にんじん”をぶら下げて、辺野古反対を言わない新基地容認派の佐喜真候補への支援を業者に呼びかけたからだ。

「ーさきま淳氏とともに建設産業の発展をー」と題された建設産業政策推進総決起大会は、14日の平日、金曜日の14時から開始。勤務時間中のはずなのに、那覇市内のホテルの会場に駆けつけた建設業者は「約1200人」(主催者)だったという。

会場入口では「内部資料」と記載された文書が配布されていた。「期日前投票の協力願い!!」と「『さきま淳』入会申込について(お願い)」を銘打った要請文2枚と、氏名や居住地を表に書き込む形式の「期日前実績調査票(個人報告用)」「入会申込書」がセットになっていた。いずれも県建設業協会の政治団体である「沖縄県建設産業政策推進連盟」が送付先でFAX番号が明記され、「期日前実績調査表」には次のようなただし書きがあった。

「※予定調査ではありません。実際に行った後にご報告下さい」
「※従業員・ご家族・親戚・友人・知人の方々の期日前の状況について、確認をお願い致します」
「※個人情報についての取り扱いには十分にご注意下さい。当方も十分に注意を致します」
「※氏名、地域、実行日については、必ず記入頂けますようよろしくお願いします」

●佐喜真陣営のなりふり構わぬ選挙戦略!期日前選挙に行った人の名簿まで提出
人手不足が深刻な建設業界としては、勤務時間帯に総決起大会に駆けつけるだけでもかなり負担に違いないが、さらなる“宿題”として従業員・ご家族・親戚・友人・知人に期日前投票を依頼、実際に行った人の名簿提出も要請されていたのだ。

民間企業経営者なら、気が重くなる“政治的活動要請”に見えるが、壇上で挨拶した国会議員の面々は違った。「大米建設」創業者の下地米一・元平良市長が父で、同社代表取締役会長の下地米蔵・建設業協会会長が兄の下地幹郎衆院議員(沖縄1区で落選・比例九州ブロックで復活)は、平然とこう言ってのけた。

「この選挙は日本にとっても沖縄にとっても大切な選挙ですので、仕事をやめて選挙運動しましょう」

つまり、勤務時間中の選挙運動(無償労働提供)を要請していたということになる。民間企業の経営者が利益創出に関係ない無償労働(政治的活動)を社員に指示すれば、株主から背任で訴えられる恐れがある。そのため、「佐喜真知事誕生のための選挙運動が建設会社の利益になる」という前提で、総決起大会出席や期日前投票調査票提出や後援会入会要請など“タダ働き”をさせているということではないのか。「無償労働提供による佐喜真氏支援活動」の見返りに「建設業者の利益拡大」を約束する“買収選挙”ともいえる。…」

この下地幹郎の発言は聞き捨てならない。建設業協会傘下の企業とその従業員に、「仕事をやめて選挙運動しましょう」と呼びかけたのだ。

横田記者は、下地の「仕事をやめて選挙運動しましょう」の呼びかけの意味を、「従業員に“タダ働き”をさせるということではないのか」と理解した。もちろん、仮にそうであったとしたら、それ自体が労働契約・労働基準法上の大きな問題ではあるが、常識的にそれはあり得ない。建設会社の社員が、協会や会社からの呼びかけに応じて「ただ働きの選挙運動」をするはずはない。明言はされていないが、各企業に対して、「社員の給料は減額することなく、会社の仕事をやめて選挙運動をさせなさい」、あるいは「選挙運動期間中は、通常の業務に替えて佐喜真支持の選挙運動への従事を業務命令として、本来の仕事ではなく選挙運動をさせるように」という呼びかけ以外に考えがたい。

この呼びかけの内容は、明らかな公職選挙法違反である。具体的には、運動員買収罪(公職選挙法221条1項・3年以下の懲役)に当たる。もちろん、「大切な選挙ですので、私は一定期間仕事をやめて選挙運動をします」と有権者個人が自発的に行動することは自由だ。しかし、それは飽くまで会社の指示によるものではなく、自主的な判断で、しかも自分の経済的な負担でしなければならない。本来選挙運動は無償でなければならないからだ。有権者が議会制民主主義の政治プロセスに参加する行為なのだから当然のことである。有償での選挙運動は、運動員買収罪として、金銭授受の当事者双方に犯罪が成立する。

経営者が社員に「仕事をやめて選挙運動を」と要請する場合に、「君たち、無償で選挙運動してくれ」と言えるはずはない。「給与は保証するから、佐喜真候補の当選のために働いてくれ」と言うしかない。その場合、選挙運動時間に相当する賃金分が運動員買収の対価となる。こうして、主権者個人ではなく、企業が選挙の主体となる。民主主義は大きくねじ曲げられることになる。しかも、留意すべきは、選挙運動を命じた企業だけではなく、これに応じた従業員の側にも犯罪が成立するのだ。

これまで、企業ぐるみ選挙の弊害が論じられてきた。私の過去のブログ「『ぐるみ・金権』選挙の徹底取り締まりを」(2013年9月17日)も参照いただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=1190

「公選法は、選挙運動に対する報酬の支払いを禁じている。支払った方も、支払いを受けた方も選挙違反として犯罪にあたる。だから、徳州会から派遣された各職員は、所属する病院に1週間~1か月程度の欠勤や有給休暇を届け出た上で選挙運動を行っていた。もちろん、純粋に無給のボランティア活動であれば犯罪とはならない。「有給休暇中のボランティア」とするのが、カムフラージュの常套手段だ。実際のところは、欠勤・休暇は形だけで、欠勤で減額された給与分は、同月の賞与に上乗せして補填され、実質的な選挙運動の報酬が支払われていたという。鹿児島までの交通費やホテルの宿泊費なども、同会側が負担したとのこと。
選挙運動の自由は最大限保障されなければならない。一方、選挙の公正が金の力でゆがめられてはならない。金がものを言うこの世の中で、買収・供応等の金権選挙・企業ぐるみ選挙を許してはならない。経済的な格差を投票結果に反映させてはならず、取り締るべきは当然である。」

建設業協会の企業ぐるみ選挙推進との関係は必ずしも明確ではないが、9月21日の沖縄タイムスには、「誰に投票したか撮影して報告、とネットで話題に 沖縄知事選 弁護士有志が禁止要請」の記事が出ている。

沖縄弁護士会所属の弁護士有志の「投票の自由と秘密を守り公正な選挙を求める弁護士の会」(池宮城紀夫代表)は19日、県選挙管理委員会に対し、県知事選の投票所での写真撮影や録音、録画などの禁止の告知を徹底するよう要請した。

要請書では「特定の候補に投票したことを明らかにするため、投票用紙に候補者名を記載した場面を撮影して報告を求める企業があるとの情報がネット上で流れている」と指摘。これが事実であれば「有権者の投票の自由や投票の秘密を侵害する由々しき事態だ」とし、その企業が特定されなくても、同情報が流れていること自体が有権者の投票行動に悪影響を及ぼしかねないとして、禁止の周知徹底を求めている。

私は、「選挙人に対して、投票用紙に特定の候補者名を記載した場面を撮影して報告を求める」行為は、公職選挙法第228条1項の(投票干渉罪)に該当するものと思う。

同条1項は「投票所において正当な理由がなくて選挙人の投票に干渉し又は被選挙人の氏名を認知する方法を行つた者は、1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する」と規定する。この条文は、他人に干渉されることなく、自由に候補者を選定することのできる選挙人の権利を保障するために、他からの干渉を処罰する規定である。選挙人に対して拒否しがたい影響力を持つ会社が、選挙人の意思如何にかかわらず、会社が指示する特定の候補者に投票するよう働きかけ、その干渉を確実に成功させる手段として、当該選挙人に対して、投票所において投票用紙に特定の候補者名を記載した場面を撮影して報告を求めているのだから、公職選挙法第228条1項(投票干渉罪)に該当する犯罪行為というべきである。

まだ判例はないだろう。捜査の対象としたという例も聞かない。しかし、明らかに投票の自由を侵害する可罰性の強い行為だ。このような指示をした者に対する告発があってしかるべきだと思うし、投票の自由と選挙の公正を確保するため、選挙管理委員会は厳正な対応をしなければならない。
(2018年9月23日・連続更新2002日)

アベ3選の今、アベの改憲意欲に吹く嵐。

自民党総裁選が終わった。「石破善戦・安倍意外の苦戦」というのが大方の評価。注目は、この結果を受けての改憲情勢。さて、どうなっているのだろうか。

もちろん、アベ自身は空元気にせよ、改憲を言い続けなければならない立場。3選後の記者会見では、用意したコメントの一番最後に改憲に触れた。

「全ての世代が安心できる社会保障改革。戦後日本外交の総決算。そして制定以来初めての憲法改正、いずれも実現は容易なことではない。いばらの道であります。党内の議論も、他の政党との調整も一筋縄ではいかないかもしれない。しかし、今回の総裁選を通して、党内の大きな支持をいただくことができました。これは、これから3年間、私が自民党総裁として強いリーダーシップを発揮できる、党一丸となって大改革を断行する大きな力になるものと考えています。」

いずれも実現は容易なことではない。いばらの道であります。党内の議論も、他の政党との調整も一筋縄ではいかないかもしれない。」は、だれもが頷くところ。しかし、「今回の総裁選を通して、党内の大きな支持をいただくことができました。私が自民党総裁として強いリーダーシップを発揮できる、党一丸となって大改革を断行する大きな力になるものと考えています。」はだれもが頷くところではない。むしろ、冷笑する向きが多いのではないか。

記者団の質問に答えてこうも言っている。
憲法改正は…今回も総裁選の最大の争点であったと思います。憲法改正推進本部の議論を経て党大会で報告された条文イメージの上に、次の国会に案を提出できるように党を挙げて取り組むべきだと申し上げてきました。そして総裁選の結果、力強い支持を得ることができたと考えています。結果が出た以上、この大きな方針に向かってみんなで一致結束をして進んでいかなければならないと思います。」
「しかし、党として案を国会提出に向けて幅広い合意が得られるように対応を加速してまいりますが、その際には友党の公明党との調整を行いたいと思います。その後のスケジュールは国会次第でありまして、予断を持つことはできないと思いますし、もちろん(衆参両院の)3分の2で発議をしていくことは相当高いハードルですし、できるだけ多くの方々に賛同していただく努力をしていくべきだろうと思います。これは党を中心にそうした努力を行っていただきたい」

アベ改憲を唱えるアベ自身の自信のなさが滲み出ているではないか。3分の2で発議をしていくことは相当高いハードル」との自覚はリアリティに支えられたもの。にもかかわらず、党内論議さえ不十分。友党である公明党との調整もおぼつかない。そしてその先は、まったくの無方針。「次の国会に案を提出できるように党を挙げて取り組むべきだと申し上げてきました。」「大きな方針に向かってみんなで一致結束をして進んでいかなければならない」という言葉が虚しい。あきらめの本心さえ窺うことができる。

アベ3選を踏まえての最初の世論調査を共同通信が発表した。
「自民改憲案提出に反対51%」「「安倍1強」57%が問題視」と見出しを打っている。
共同通信社が20、21両日、自民党総裁選で安倍晋三首相が連続3選を果たしたのを踏まえて実施した全国緊急電話世論調査によると、首相が秋の臨時国会に党改憲案の提出を目指していることに「反対」との回答は51.0%に上り、「賛成」の35.7%を上回った。首相が政治や行政の意思決定で大きな力を持つ「安倍1強」を「問題だ」と答えた人が57.4%、「問題ない」は33.6%だった。
 首相の連続3選を「評価する」は29.7%にとどまり、「評価しない」は24.9%、「どちらとも言えない」は44.7%だった。

これでは、軽々に秋の臨時国会に改憲上程とは行くまい。この世論状況では、議会内の3分の2の獲得がどだい無理な話。アベに義理立てして、うっかり改憲発議に加わると、政治的に大きく傷つくことになりかねないからだ。仮に、3分の2の獲得ができたところで、国民投票では否決される。そのときは、アベ内閣が瓦解するときだ。

同じ共同通信が、公明・山口代表の見解を記事にしている。「改憲世論熟さず―『自民は信頼向上を』」というのだ。これはまことに冷ややかな反応。

 公明党の山口那津男代表は21日、共同通信社の世論調査で、秋の臨時国会への自民党憲法改正案提出に反対が51・0%に上ったことに関し「改憲に向けて世論が熟していない。自民党がこの現実をどう受け止めて対応するか見守りたい」と述べた。取材に対し答えた。
 安倍晋三首相「1強」は問題だとする回答が57・4%だったことには「自民党が受け止めて、信頼感や安心感を高める必要がある」と強調した。

驚いたのは、あの小池都知事が「改憲ふさわしい時期か」と述べていること。
これは朝日。毎日も記事にしている。
 自民党総裁選で連続3選した安倍晋三首相が憲法改正に意欲を示していることについて、東京都の小池百合子知事は21日の記者会見で、「内外に山積する課題はとても大きい。今、日本のエネルギーを憲法改正に集約させていくことにふさわしい時期なのか。よく吟味していただきたい」と述べた。
 小池氏は改憲肯定派だが、首相の拙速な動きに異論を唱えた格好だ。
 首相の地方票の得票率が55%にとどまったことについては、「(国会)議員はいろいろと人間関係があるが、(地方票は)客観的な投票だと思う。選挙は最大の世論調査。地方の声が反映されている」との見方を示した。

山口も小池も、世論の動向を読むのに余念がない。その両名の風の読み方が一致している。いま、改憲に向けて追い風はない、という読み。

自民党総裁選はコップの中の波と風だったが、それでも改憲阻止を望む立場からはまずは波乱なくおさまった。沖縄知事戦は、コップの中の嵐ではない。3選直後のアベ政権を直撃する大嵐を期待したい。
(2018年9月22日・連続更新2001日)

連続2000回目の蟷螂の斧。今後も意気軒昂に振りかざし続けよう。

 本日で、「憲法日記」連続2000回である。2013年4月1日から連続更新を広言し、この日を第1回として本日が2000回目。2000日間、およそ5年6か月。毎日途切れなく書き続けてきたことになる。しかし、達成感には大きく欠ける。ちっともめでたくはない。本日各紙の朝刊には、「安倍三選」の見出しが躍っている。

実は、「憲法日記」を書き始めたのは、同年の1月1日。日民協の軒先を借りてのこと。もちろん、安倍晋三という人物が、再び政権与党の総裁となり、首相に就任したことの危機感から、改憲阻止のために何かをしなくてはならないと思い立ってのこと。

安倍晋三という人物には大衆政治家としての魅力と力量がない。彼の演説にカリスマ性を感じさせるところはまったくなく、聴衆を惹き付け熱狂させ魅入らせるという能力にも欠ける。議論の運び方に知性のカケラも感じられず、感情の抑制も得意ではない。批判の語彙と言えば、ニッキョウソとキョーサントーに尽きるのだ。この凡庸な政治家が国政のトップの座についた。

こんな程度の政治家を首相の地位に押し上げた時代の空気に、危機感をいだかざるを得ない。この人物、改憲意欲だけは旺盛なのだ。日本国憲法に対する敵意と、歴史修正主義と軍事大国化をウリにし、嫌韓・反中の右翼を支持勢力として保守陣営のトップに駆け上がった。ヘイトスピーチ跋扈の時代が、彼を首相に押し上げたと言い切ってよい。

こんな右翼を国のトップに据える嘆かわしい時代になったという危機感、あるいは焦燥感から書き始めた「憲法日記」。時代の空気が、本当にアベの改憲の野望を実現することになるのではないかという恐怖感情すらあった。

幸い、この人物の第1次政権は教育基本法の「改正」だけはしたものの長くは続かなかった。その政権投げ出しの際の醜態が印象に深い。このとき、「こんなみっともなくも情けない人物」に保守勢力が束ねられるはずはない、と少し安堵した。ところが、その後に返り咲いての第2次政権発足である。その発足が2012年12月26日。私は13年1月1日から「憲法日記」を書き始めた。そのご、自前の本ブログを開設した同年4月1日から数えて、今日が2000日目となる。

とは言うものの、この日記の連載を始めたころ、まさか5年先まで安倍政権がもつとは夢にも思わなかった。こんなみっともなくも情けない人物の長期政権の維持が可能とは到底思えなかった。ところが、現実が予想を裏切った。こんなみっともなくも情けない人物をトップに据えた、みっともなくも情けない国政が2000日余も続いたのだ。そのうえさらに3年とは…。なんたる事態。

2000日、改憲の危機感をバネに書き続けてきた。アベが身を引くまでは、毎日書き続けると言ってきたからには、ここで止めるわけにはいかない。だから、2000日の連続更新は少しも目出度くはない。改憲の策動に失敗した傷心のアベが首相の座を去るとき、私は擱筆してこのブログを閉じることができる。そのときこそが祝うべき目出度いとき。

このブログは、徹頭徹尾アベ的なものへの批判の言論となっているはず。改憲・軍事大国化・歴史修正主義・人権侵害・差別・新自由主義政策による格差貧国・教育統制・そして国政の私物化…。これに切り込む手段としては、批判の言論あるのみ。その批判の言論には切れ味が必要だ。切れ味とは、批判の相手にとっての「毒」にほかならない。アベのごとき権力者の批判に有効な毒、天皇制に象徴される権威を批判するに効力のある毒、格差社会に社会的強者として君臨する経済的強者に打撃となる言論の毒、そして、マイリティーに非寛容で同調圧力を押しつけるマジョリテイを覚醒させる毒。

たとえば、「吾輩は危険人物である」といった宮武外骨のように、あるいは「地震・憲兵・火事・巡査」を書いた山崎今朝弥のごとく、強者を敵にまわして一歩も退かない叛骨の精神を学びたい。

自分に言い聞かせる。私は弁護士だ。弁護士とは近代の市民社会が生み出した自由業。侵害された市民の自由や権利の救済に力を尽くすためには、弁護士自身が権力や社会的強者から独立し自由でなければならないのだ。権力や金力にへつらう自由の使い方をしてはならない。

そのように精神は昂揚すれども、如何せん身体は疲れる。その疲れた身体に鞭打って、蟷螂の斧を振り続けよう。各紙の朝刊に「安倍政権終焉 改憲の願い虚しく晋三去る」との見出しが躍るその日まで。
(2018年9月21日・連続更新2000日)

沖縄知事選序盤情勢 「デニー優勢なれども予断を許さず」

注目の沖縄知事選。その帰趨が、辺野古新基地建設の成否を大きく左右する。のみならず、政局や改憲問題にも大きな影響を及ぼさざるを得ない。

沖縄とは、安保体制と日本国憲法体制との矛盾の結節点である。安保体制派(政権与党)と、日本国憲法派(市民と野党の共闘)が、総力でせめぎ合う最前線。その地の民意の動向は常に注目の的となる。しかも、今回知事選の最大の争点は、アベ政権による辺野古新基地建設強行の是非である。

県民の意思が、辺野古新基地建設強行反対であることは論を待たない。沖縄経済が基地依存を脱して久しい。沖縄の基地は、県民の生活の安全にも経済にも、摘出すべき病巣以外のなにものでもない。

昨日(9月19日)の琉球新報が、世論調査の結果を「承認撤回『支持』7割 辺野古埋め立て」の記事を載せている。「70、60歳代で多く 自民支持層も一定数」の小見出しもある。

国が辺野古新基地を建設するためには、大浦湾の海面を埋立てなければならない。公有水面埋立法は、県知事の許可または承認がなければ海面の埋立はできないこととしている。仲井真元知事は民意を裏切って国にその承認を与えた。翁長知事は、「オール沖縄」勢力の与望を担って、前回2014知事選で仲井真陣営に圧勝して、まずは「承認を取り消した」。

紆余曲折はあつたが、法廷闘争で知事の「承認取消し」は認められないとして確定した。しかし、万策尽きたわけではない。翁長知事は、膵癌末期の症状を押して「承認撤回」の手続に着手し、同知事の死後の8月31日知事職代行者の副知事によって、正式に「承認撤回」の処分がなされた。

今回選挙において選出された新知事の最初の仕事は、「翁長前知事の意向に沿って、仲井真元知事がした辺野古新基地建設のための国の大浦湾海面埋立工事に対する承認の撤回を維持する」のか、あるいは「(翁長知事の)承認撤回を(新知事において)撤回する」のか、判断が迫られることになる。

今回知事選の争点が、「辺野古新基地建設強行の可否」を問うものとは、具体的には、(翁長前知事の)承認撤回を支持するか否かである。世論調査の結果は、県民の7割が「支持」派なのだ。「支持しない」派は2割にとどまる。民意の所在は明らかという所以である。

 琉球新報社が沖縄テレビ放送、JX通信社と合同で14日から3日間に実施した電話世論調査の結果、辺野古新基地建設に伴う埋め立て承認を沖縄県が撤回したことについて、「強く」と「どちらかといえば」を合わせて約7割が支持していることが分かった。支持しないと答えたのは約2割だった。県民の間に、米軍普天間飛行場の辺野古移設を阻止したい意思が強いことが改めて浮き彫りになった。8月31日に県が埋め立て承認を撤回してから、その判断についての県民の評価が示されるのは初めて。

 承認撤回に「強く支持する」が56・8%、「どちらかといえば支持する」が12・5%だった。一方で「全く支持しない」は12・1%、「どちらかといえば支持しない」は9・2%だった。「分からない」は9・4%あった。

同じ、琉球新報社世論調査については、9月17日に次のような結果が報道されている。
「調査で投票先を決める際に重視する政策」では、
 「基地問題」が     41・6% 
 と最も高い。ついで
 「経済、景気、雇用」が 26・7%、
  「医療、福祉」が13・0%、
  「教育、子育て」が7・5% と続いた。

知事選の最大の争点となる普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題については
「県外に移設させるべきだ」の割合が最も高く28・1%、
「国外に移設させるべきだ」が21・2%、
「無条件に閉鎖し撤去するべきだ」が19・7%と続いた。
これに対し「辺野古に移設させるべきだ」は17・1%、
「辺野古以外の県内に移設すべき」は4・3%だった。
分からないは9・7%。
約7割が辺野古移設に反対の意見だった。

以上の調査結果は、おそらく沖縄県民の率直な心情なのだろう。この意見分布なら、選挙結果は、翁長承継を標榜し、承認撤回を前面に掲げているデニーの勝利、それもダブルスコアでの圧勝以外にはない。しかし、有権者の現実の投票行動が必ずしもこのような調査のとおりにならないことは、名護市長選で「オール沖縄」の稲嶺候補が敗れたことに表れている。

この知事選は、本来はまぎれもなく「辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票」である。県民の多くは辺野古に新基地を作らせたくないと思っている。辺野古移設容認派は2割に満たない。にもかかわらず、「辺野古新基地建設反対」を明言し、翁長知事の埋立承認撤回の立場を承継することを公約に掲げるデニー圧勝の予測とはならない。強大な政権与党が対立陣営に肩入れしているからだ。与党側候補を勝たせるために、辺野古問題での投票行動をひっくり返すだけの経済的利益供与をチラつかせることができるのだ。

だから、自公は、徹底したステルス(争点隠し)戦術をとっている。名護でも成功した「対立よりは協調」「経済振興策をこそ」と訴えている。しかも、県民の一部には、「どうせ国には勝てない。司法も国の味方じゃないか。公正な判決など期待できない」「ならば少しでも、よい条件の獲得を」との気持がある。自公が県民世論を覆して、佐喜真を当選させる目はあるのだ。

だから、序盤情勢についての電話世論調査報道では、慎重な琉球新報としてはデニー優勢とは打てない。

琉球新報社は沖縄テレビ放送、JX通信社と3社合同で14~16日の3日間、県内全域の有権者を対象に実施し、選挙戦序盤の情勢を探った。調査結果に本紙の取材を加味すると、県政与党が支援する無所属新人で前衆院議員の玉城デニー氏(58)と、無所属新人で前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)=自民、公明、維新、希望推薦=が接戦を繰り広げている。一方、投票先を決めていない有権者も一定数おり、その投票動向によって情勢は流動的な要素がある。

どちらが優勢とは書かずに、「接戦」となっている。デニーを先に、佐喜真をあとに書くのは、調査の限りではわずかながらもデニー有利の読みなのだろう。それでも「接戦」である。

もう一つの世論調査が公表されている。リサーチコム社のもの。
「沖縄県知事選 投票意向は国政の与野支持層で二分も、序盤は玉城氏が先行」「内閣支持率は全国平均を大きく下回り、支持しないが6割強」とこちらの方が歯切れがよい。

つまりは、国政の与党支持層が佐喜真を応援し、国政野党支持層がデニーを支持している構図だという。告示直後は玉城デニー氏先行、佐喜真氏追い上げるか」とまとめられている。これは、9月15~17日の調査限りのもの。

電話調査の結果に選挙ドットコムが取材で得た情報を加味したところ、佐喜真氏は8月の調査時点から手堅く支持を広げているものの、玉城氏が幅広く浸透し、先行しています。ただ、調査時点から投票日の30日までは2週間ほどあることから、情勢が変わる可能性もあります。

また、沖縄タイムスの伝えるところによれば、期日前投票が前回と比較して倍増しているという。
「30日投開票の沖縄県知事選で、14日から始まった期日前投票者数が前回2014年知事選と比べ倍増している。16日までの3日間で、11市の総数は1万4628人で、前回同期比で約1・96倍に上っている。市の中で最多は那覇市の3327人で、前回の3・39倍に上っている。最も増加率が高いのは沖縄市の3・95倍で、既に2107人が投票を済ませた。」という。

名護市長選の期日前投票者が異様に多かった。期日前投票者数は異例の当日有権者の44.4%。これが、「オール沖縄」稲嶺候補の思わぬ敗北の一因と言われたことが気にかかる。民意を撹乱することなく、適切に反映する選挙であって欲しいと切に思う。
(2018年9月20 日・連続更新1999日)

憲法と落語(その4) ― 「名人長二」では、無茶苦茶な刑事司法が語られている。

三遊亭圓朝とは、言わずと知れた落語界の大名跡。大名人として「大圓朝」とさえ言われる。大看板、大真打ち、大師匠。どこまでも「大」の付く別格の噺家。その技倆は伝説にのみ残されているが、幕末から明治の人とて録音はない。だから、圓朝の話芸そのものについては、誰しもが語りかねる。

写真は残されており、鏑木清方、河鍋暁斎などの人物画もある。それらを見る限り、面白い噺をして人を笑わせようというタイプにはみえない。人情話や怪談を専らにし、また多くの長編を創作して自演した。その速記録が、日本文学史上の言文一致体の形成に大きな役割を果たしたとされている。

速記録を見れば、なるほど大したものと思わざるを得ない。しかし、大圓朝の作だからなんでも結構かと言えば、そんなことはない。中には変な噺もある。

「名人長二」は、大圓朝創作の「変な噺」である。登場人物も多彩で、仔細を極めた筋書きだが、無茶苦茶なストーリーというしかない。

長い噺である。名人譚の見せ場である「仏壇こわし」の抜き読みなどは寄席や独演会にかかることもあるそうだが、私は聞いたことがない。志ん生のCDでは、各30分余で5話にまとめられている。何度か聞き直したが、やっぱり無茶苦茶だ。

時代は文政期。長二は、若いながらも名人の名を確立した指物師である。その名人気質や気っぷの良さの語りは聞いていて気持ちがよい。この名人譚だけでまとめておけば無難でよかったのにとも思うのだが、圓朝はこれをお白州ものとした。長二が、親殺しに及んで裁きを受けるのである。この点は、モーパッサンの短編「親殺し」を翻案したものとされている。この判決と、無理な判決理由をひねり出す過程が無茶苦茶なのだ。

あらすじをごくかいつまんで要約してみよう。
長二は、たまたま湯河原に傷養生の湯治に出かけて、自分の出生の秘密を知ることになる。自分はこの地で生み落とされて捨て子にされた。背中の傷は藪に捨てられたとき竹が刺さったためと聞かされれる。養父母は、これを拾って大事に育てたが、何も言わぬまま他界した。

その後、長二は亡き父母の菩提寺で、豪商亀甲屋幸兵衛とお柳の夫妻にめぐり遭う。長二は、贔屓にしてくれる幸兵衛とお柳を実父母ではないかと思うようになり、背中の傷を見せて問い質すが、夫婦は否定し続ける。そして、押上堤の場。長二は親子の名乗りをと迫り、これを拒否する幸兵衛が刃物をとりだし、もみ合いのなかで、長二は亀甲屋夫婦を殺害する。

長二は師匠の縁を切った上、奉行所に駆け込んで親殺しを自首する親殺しは大罪。南町奉行井和泉守の詮議が始まるが、長二は仔細を話すと親の恥が出るので話せない、このまま処刑して欲しいと言うばかり。さて、尊属殺をどう裁くか。

奉行の詮議の結果、29年前の「事件」が発覚する。実は、幸兵衛は長二の実父ではなく、長二の実父半右衛門殺しの犯人だったと判明。幸兵衛は、亀甲屋半右衛門の妻お柳と謀って半右衛門を殺し、亀甲屋を我が物としてお柳と夫婦におさまっていた。そして、そのとき生まれたばかりの長二を邪魔として捨てていた。

幸兵衛の殺害に関しては長二は親殺しではないばかりか、はからずも実父の仇を討ったことになる。ところが、問題として残ったのは、実母お柳殺しの罪状についてである。長二はまぎれもなく実母を殺したのだ。しかし、奉行と幕閣は、長二を何とか無罪にしたい。そこで、儒者・林大学頭の鑑定を依頼する。何とか無罪にする方策はないか、知恵をお借りしたいという趣旨である。

これに、大学はどう答えたか。青空文庫から引用する。
大學頭様は窃(ひそか)に喜んで、長二の罪科御裁断の儀に付き篤(とく)と勘考いたせし処、唐土(もろこし)においても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二へは御褒美の御沙汰(ごさた)あって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記(らいき)と申す書物をお取寄せになりまして、第三巻目の檀弓(だんぐう)と申す篇の一節(ひとくだり)を御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声(こわいろ)を使わんければならない所でございますが、四書(ししょ)の素読もいたした事のない無学文盲の私には、所詮お解りになるようには申上げられませんが、あるかたから御教示を受けましたから、長二の一件に入用(いりよう)の所だけを摘(つま)んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、あざなを子思と申す方がございまして、そのお子を白、あざなは子上と申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になって後死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服(きふく)を受けさせませんから、子思の門人が聖人の教えに背くと思って、「何故に忌服をお受けさせなさらないのでございます」と尋ねましたら、子思先生の申されるのに、「拙者の妻であれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのである」と答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺ひとごろしだのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうど是この半右衞門が子思の所で、子上が長二に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫と謀って夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通の廉(かど)ばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、然れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁した婦(おんな)は仮令(たとえ)無瑕(むきず)でも、長二のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領(おうりょう)いたしたのみならず、実子をも亡(うしな)わんといたした無慈悲の女、天道いかでこれを罰せずに置きましょう、長二の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中から直たゞちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍(こおどり)するまでに喜ばれ、…関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。

「離縁した以上は私の妻ではないから、子のためにも母でない」「だから、離縁相当のことをしでかしたお柳を殺しても、長二は母殺しにはならない」というのがこの噺のキー・センテンス。これが儒教であり、家制度なのだ。明治の聴衆は、この噺を違和感なく受け入れたのだろうか。さらに、半右衛門はお柳を離縁したわけではない。志ん生は「あの世で離縁したに違いない」と辻褄を合わせている。

こうして、判決言い渡し。長二は無罪。どころか、「非業に相果てたる実父半右衞門の敵を討ったのであるぞ、孝心の段、上にも奇特に思召し、青差拾貫文御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、且つ半右衞門の跡目相続」も、という無茶苦茶。念のためだが、この「上」というのは、天皇のこではなく将軍家斉のこと。圓朝は名君と持ち上げている。当時、天皇も将軍もおんなじようなものだったのだろう。

尊属殺が否定されたところで、通常の殺人罪は成立するはずだと思ったら、これも敵討ちとして無罪。実母を殺しても、実母が家長殺しなら、むしろ仇を討ったとしてのご褒美頂戴だという。長二本人には、敵討ちの意図などさらさらなかったのに、である。

この判決の無茶苦茶さは、おそらく巧みな話芸が糊塗したのだろう。聴衆は、不幸な過去を持ちながらも、気っ風のよい善人長二に感情移入させられている。その長二が無罪なのだから、終わり良ければすべて良しとなる。

しかし、お白州とは、裁きとは、刑事司法とは、「お上」の思惑次第でどうにでもなるのでは困るのだ。世の中には、善人集団と悪人集団とがあるわけではない。司法の役割は悪人集団に属する者を摘発して裁くことではない。犯罪を犯した者を、罪状に応じて処罰することに尽きるのだ。善人長二を救って大団円という、「大圓朝」の変な噺に欺されてはならない。
(2018年9月19 日・連続更新1998日)

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 選挙だもの。脅すくらいのことはあるだろう。
 そんなことでへこたれてはいけない。それをいかに乗り越えるかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 政治だもの。ウソもごまかしもあるのは当然だろう。
 いちいち責任なんかとれっこない。いかにごまかし通すかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 一強だもの。批判されたってどこ吹く風よ。
 甘ったれちゃいけない。食うか食われるかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 権力者だもの。腹心の友に甘い汁を吸わせるくらいはあたりまえ。
 学部一つ作るくらいで騒ぐんじゃない。あんな人たちには負けられない。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 自民党だもの。それとなく賄賂をねだるくらいのことはあるだろう。
 ばれたって大丈夫さ。検察もメディアもわが手にあるのだから。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 資本主義だもの。貧富の格差は必要悪だ。
 格差がなくなったら大変だ。貧乏人を金で操れなくなる。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 国会取り巻くデモの波。ウチのじいさん呑み込んだ。
 へこたれてはいけない。どうやって弾圧するかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 軍隊だもの。ビンタもリンチもあるだろう。
 逃げてはいけない、逃がさない。殴れば殴るほど兵は強くなる。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 軍隊持たなきゃ国家じゃない。戦争できなゃ国家じゃない。
 改憲できなきゃ日本じゃない。取り戻そうぜ、大日本帝国。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 会社だもの上下の秩序が必要だ。パワハラもセクハラもやり放題だった。
 それでへこたれてはいけない。いずれは、自分もやる方になれるのだから。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 学校だもの。勅語の精神たたき込み、素直な良い子を作らなきゃ。
 「日の丸・君が代」否定するのは非国民。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 「テンノーヘイカの思し召し」その一言で、命までも投げ出した。
 あの時代がうらやましい。もう一度あの日本を取り戻そう。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 政治家にも教養があった。ミゾユウ・デンデンなんてなかった。
 今でよかった。これでも大臣務まるもの。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 隙を見せたら、強面記者から叩かれた。遠慮も会釈もあらばこそ。
 今は、一緒に寿司を食う。記者は仲良し、たいこもち。

(2018年9月18日・連続更新1997日)

「敬老」の日に、思いめぐらすあれこれ 

本日(9月17日・第3月曜日)は敬老の日。「国民の祝日に関する法律」(祝日法)では、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」趣旨とある。おや、そうなのですか。

そもそも「国民の祝日」とは何か。「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である」(同法1条)とのこと。

「敬老」とは、「自由」と「平和」と「美しい風習」と「よりよき社会」と「より豊かな生活」のどれに関わるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてきた老人」だけが、「敬愛」と「長寿を祝う」対象となるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてはこなかった老人」はどうなるのだろう。その線引きは?

それはともかく、敬老の日は戦前はなかった。戦後の賜物である。
明治期には「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年太政官布告第344号、1873年10月14日施行、1878年6月5日・1879年7月5日改正)によって、大正期・昭和初期には「休日ニ関スル件」(大正元年勅令第19号、1912年9月3日施行、1913年7月16日・1927年3月3日改正)によって定められていた。(ウィキペディアからの引用。ウィキは便利だ)

よく知られているとおり、戦前の祝日と祭日とは、すべて天皇制と天皇神話に結びついたものだった。祝祭日だけではなく、一世一元・「日の丸・君が代」・ご真影・修身・国史・教育勅語・軍人勅諭・靖国神社…。なにもかにもが、天皇賛美のマインドコントロールの道具立てだった。あるいは、天皇教という空疎な信仰の教典・教具。オウムがやろうとしてできなかったことを天皇制国家は大規模に現実のものとしていたのだ。

明治以来150年の前半に構築された狂信のシステムはその半ばで崩壊した。が、根絶はされずしぶとくその根を生き残らせている。天皇も、元号も、「日の丸・君が代」も。そして祝日の一部もである。なによりも、国民一人ひとりの感性の底に、権威主義というかたちで。

本日・敬老の日は、その成り立ちが天皇制とは無縁のようで、その点は清々しい。とはいうものの、なんとなく、「敬老」には、取って付けたような不自然さがある。社会は、本音のところ高齢者を「敬」してなどいない。無理して口裏を合わせているというニュアンス。「敬老」の「敬」は「敬して遠ざく」の敬。

本日の産経社説が「敬老の日 地域で高齢者を見守ろう」と題するもの。その冒頭が、「お年寄りは、長く社会に尽くしてくれている。だから敬いたい。」という気持ちの悪い一文。

杉田水脈は、こう言った。
LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同を得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。」

杉田は、愚かにも本音を漏らしてお仲間からも批判を受けた。しかし、実のところ、この杉田の言こそが今権力を握っている勢力の本音なのだ。「国家・社会に役に立たない人間は、存在する価値がない」「資本が利潤を生むに寄与するところのない人物は無価値」というのだ。

すべての人は、人として生を受けたというそのことだけで、等しく尊厳をもっている。人種・民族・宗教の別なく、男女・年齢・障害の有無に関わりなく、平等に生きる権利をもっている。このことはけっしてだれにも自明なことではなく、常に意識し、自覚し直し、発言し続けなければならない。人類の長年の努力がようやく到達したこの公理としての理念。努力を積み重ねることなくして維持することもできないのだ。

老人は、LGBT以上に「生産性」をもたない。だから、当然に「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」の本音が感じられる。老人福祉を「枯れ木に水をやる」と表現した政治家もいた。

産経とはひと味違う社説を掲載しているのが東京新聞。本日付社説は「敬老の日に考える 物語をしてください」。これは秀逸だ。

「戦中戦後を生き抜いた人たちは、誰もが“鍵”を持っています。私たちの未来を開く鍵。だからおじいさん、おばあさん、今宵また物語をしてください。」という書き出し。

で、採話した物語の語り手が、在韓被爆者なのだ。17歳直前での広島爆心地近くでの被爆体験者。今は、「韓国のヒロシマ」と呼ばれている韓国南東部にある陜川(ハプチョン)の「陜川原爆被害者福祉会館」で暮らしている人。当時は、まぎれもない日本人だった。達者な広島弁で記者に「自分の物語り」を語ったという。

 「あたしは金日祚(キムイルチョ)。日本名は松本君代。君が代ね。学校の友達にはキミちゃんと呼ばれてました。昭和3年9月18日生まれ、数え年91歳。もう年寄りでね、耳が遠いけん…」

以下は、下記のURLで。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018091702000153.html
この記事には、産経のような「上から目線」がない。高齢者に対するシンパシーにあふれている。

この社説が言うとおりだ。私も、亡き父と母に、話しをしてもらえばよかったと思う。戦争のこと、戦地のこと、銃後のこと、戦前と戦後とが違うのかつながっているのか。生活苦のこと、学校のこと、故郷のこと、天皇のこと…。若者が高齢者に、「伝えておきたいことをゆっくり話して」といわせる余裕のある社会であって欲しいと思うが、そんな文化も今はなかろう。その余裕もない社会を作ってきたのが、私たち自身なのだと、後悔しきりである。

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いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を! 賛同署名のお願い。
http://article9.jp/wordpress/?p=11058

安倍政治に即刻の終止符を求める人々の熱い言葉の数々。
http://article9.jp/wordpress/?p=11073

ネット署名にご協力を。そして、是非とも拡散をお願いします。
9月10日に開始して、賛同者は本日(1 7日)6600筆余と足踏み状態です。

署名は、下記URLからお願いいたします。
https://bit.ly/2MpH0qW

(2018年9月17日・連続更新1996日)

東京都知事は、熊谷市の爪の垢を煎じて飲むべし。

毎日新聞・9月12日(水)夕刊の「特集ワイド」は、「関東大震災から95年 虐殺された朝鮮人の遺族来日」と題する文字通りワイドな記事。毎日は、いま日本のメディアがなすべき仕事をよくしていると思う。

中見出しに、「否定の動き、ヘイトスピーチ続く中… 伝える努力に希望」「『反省なき教育』が戦争になった」とある。井田純記者の署名記事だが、事件を見る視点に確かなものがある。

関東大震災から95年の今年、震災直後のデマで虐殺された朝鮮人の遺族、権在益(クォンジェイク)さん(62)と曺光煥(ソガンファン)さん(57)が韓国から来日した。事件ゆかりの地を訪ね、各地の追悼行事に参列しながら、市民と交流を重ねた。初めて日本を訪れた2人は、2代前の祖先が犠牲になった地を踏んで、何を感じたのか。

記事の一部を引用させていただく。全文は、(有料記事だが)下記を参照されたい。
https://mainichi.jp/articles/20180912/dde/012/040/006000c

権さんの母方の祖父は1923年、この寺(藤岡市・成道寺)の隣にあった藤岡警察署内で殺害された朝鮮人17人の1人。震災後、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を入れている」などのデマは群馬県内にも伝わり、各地で自警団が結成された。藤岡警察署は保護を求めてきた朝鮮人をかくまっていたが、9月5日、群衆が「朝鮮人を引き渡せ」と署に乱入、翌日にかけて竹やりや日本刀などで惨殺したという。
 安全が保証されていたはずの署内で起きた「藤岡事件」は、「藤岡市史」「群馬県警史」などにも記録が残る。事件後、地域住民らは犠牲者追悼の思いを込めて成道寺に慰霊碑を建立した。碑の裏には「今後再びこのような惨事の発生を断ち」と願う文言とともに、17人の犠牲者、建立に関わった藤岡市長らの名前が刻まれている。

震災後の関東一円で無数に生じた、民衆による朝鮮人虐殺事件の一断片である。このケースでは、朝鮮人を保護しようとした警察を群衆(自警団)が敢えて排除したのだ。無防備で無抵抗な朝鮮人に対する虐殺が警察署の庁内で行われたのだ。日本人の所業として「国恥」というしかない同胞による蛮行の一端である。

しかし、救いの一つは、「市史」「県警史」などに記録が残されていることだ。記録に残しておかねばならないとする良心の人が複数いたということなのだ。安倍政権の記録隠蔽改ざんの忖度官僚よりも、ずっと立派な人たちではないか。そして、地域住民らの手で犠牲者追悼の思いを込めた慰霊碑が建立され、成道寺では20年以上も慰霊祭が継続されているという。

だれがどのように殺戮をしたかを思いめぐらすと断腸の思いだが、他方、だれがどんなかたちで碑の建立を思い立ち、その思いがどんな風に広まって、どんな風に費用負担についての協議が調い、ことが実行されたのだろうか。その経過に日本人の良心を見ることができる。

同様の追悼行事は各地で続いているという。たとえば…、
埼玉県熊谷市では、95年から追悼行事を市が主催。市長、市議会議長が悲惨な出来事が二度と繰り返されないようにと追悼の言葉を贈る。だが、在日コリアンに対するヘイトスピーチ(差別扇動表現)拡大の影響か、市に抗議電話やメールが寄せられることがあるという。市の担当者は「そういった方には、公的記録からも聞違いなくこの事件があったことがわかっている、と伝えています。犠牲者の冥福を祈り、再発を防止する趣旨の行事だとお話しします」と話す。

熊谷市。暑いだけでなく、人を思いやる心が熱い。いまだに国恥にまみれたままの東京都知事小池百合子は、この記事を読んだだろうか。この人には、熊谷市担当職員の爪の垢を煎じて飲ませたい。

横浜で震災後の朝鮮人虐殺の実態を調査している元教員が次のように語っている。この言葉は肝に銘じておこう。
「(デマと知っていたのに)デマだったと教えない教師、事件に対する反省のない教育が、次の時代の戦争を担う世代を準備したのです。」

この記事の最後は、こう締めくくられている。
先祖が殺された地を踏むことに抵抗があった、という曺さんは離日前にこう言った。「震災時の虐殺に関するフィールドワークや慰霊行事を続け、忘れずに伝えていこうとする日本のみなさんの努力に敬意を持っています。悪い日本人ばかりじゃない、ということを帰って伝えたい。韓国と日本が、力を合わせて記録と記憶を継承していきたいと願っています」

歴史的事実は消えない。民族差別を背景とした虐殺の「恥」は消えようもない。しかし、その事実を隠蔽し、あるものをないことにするのは、さらに恥ずべきことなのだ。痛みを伴う同胞の「恥」の事実を見据えるところからしか、未来は開けない。藤岡にも熊谷にも、良心の人がいたことに希望の光を見る思いである。

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いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を! 賛同署名のお願い。
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安倍政治に即刻の終止符を求める人々の熱い言葉の数々。
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9月10日に開始して、賛同者は本日(1 6日)6500筆を上回っています。

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(2018年9月16日・連続更新1995日)

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