澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「日の丸・君が代」強制は違憲ー予防訴訟難波判決から11年

9月21日。あの日の感激と興奮から11年となった。2006年の9月21日。私たちは、東京地裁で、公権力による「日の丸・君が代」強制は憲法19条(思想・良心の自由の保障)に反して違憲無効、との判決を得た。いわゆる「日の丸君が代強制予防訴訟」での難波孝一裁判長判決である。

原告団・弁護団とも、手の舞い足の踏む所を知らずの歓喜の判決だった。裁判官が行政の判断を違憲とする判決を書くことは駱駝が針の穴を通るほどの難事。その実情を知る者にとって、この日の判決の意義は格別のものという思いが深かった。裁判長には、深甚の敬意を惜しむものではない。

しかし、素直に考えれてみれば、「日の丸・君が代」強制が強制される者の思想良心を侵害することは、理の当然ではないか。公務員だから、教員だから、思想良心の侵害を受忍しなければならないという筋合いはない。国旗・国歌(日の丸・君が代)に服することが教員としての資質の条件ではない。むしろ、国家の意思に従属することのない主権者を育てる任務の教員が、唯々諾々と国旗・国歌(日の丸・君が代)強制に屈してよいものだろうか。

これは、理論の問題であるよりは憲法感覚の問題といってよい。理屈はどうにでもつけられるが、結局は個人の尊厳の尊重を貫くか、それとも公権力が設定した秩序維持を優先するか。私には、秩序派の憲法感覚の鈍麻は唾棄すべきものとしか考えられない。

難波判決は、「10・23通達」関連事件の最初の判決だった。そのトップの判決が優れた裁判官らによる勇気と知性にあふれたものとなった。これこそ、日本国憲法本来の人権原理を顕現するもの。私たちは、この判決がこれから重ねられる「10・23通達」関連判決の先例となるだろうと確信した。

しかし、あれから11年。残念ながら、あのとき思い描いたようにはなっていない。難波判決直後の、いわゆるピアノ伴奏拒否事件(「10・23通達」発出以前の事件)の最高裁判決が、難波判決を否定する判断となった。以来、最高裁判決の少数意見を例外として、違憲判決は姿を消した。私たちは、懲戒権の逸脱濫用論でかろうじて、減給以上の重きに失する処分を取り消して、都教委の横暴に歯止めを掛けているにとどまっている。

しかし、この11年間、判決内容が固定されてきたのではない。最高裁判決の判断枠組みも、下級審の裁量権論も微妙に動いてきている。けっして、「国旗・国歌(日の丸・君が代)強制が合憲」と確定したものとはなっていない。

9月21日、あらためて難波判決を思い起こし、「国旗・国歌(日の丸・君が代)強制は違憲」との判決獲得への努力を決意する日としたい。

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予防訴訟の難波判決を紹介するために、岩波ブックレット「『日の丸・君が代』を強制してはならないー都教委通達違憲判決の意義」を書いた頃が懐かしい。

岩波のホームページに、次の記載がある。
「東京都教育委員会による教職員への『日の丸・君が代』強制を違憲とした東京地裁判決は,いかに書かれたか。弁護団副団長が提訴前から判決までの全過程を踏まえて,とりわけ憲法19条,教育基本法10条との関連で難波判決の意義と特質をどう見るのか,なぜ原告達の訴えが結実したかについて解明した注目の一冊。」

そして、「著者からのメッセージ」がこう書かれている。
「時代を映す訴訟があり判決がある.『日の丸・君が代強制反対・予防訴訟』と『9・21判決』は,まさしくそのようなものである.
 この事件が映す時代相はけっして明るいものではない.日本国憲法と教育基本法への悪意に満ちた勢力が支配している時代.敗戦の悲惨な反省からようやく手にした教育の自由と,思想・良心の自由とが蹂躙されつつある時代.
 歴史上,思想・良心圧殺の象徴として私たちが思い描く事件は,江戸幕府の踏み絵と明治期の内村鑑三・教育勅語拝礼拒否である.暴走する東京都教育行政は,幕府や天皇制政府の役人とまったく同じ発想で,学校行事での日の丸・君が代強制を踏み絵として,教員の良心を奪い,良心を枉げない教員を排除しようとしている.行き着く先は教育の国家統制にほかならない.
 予防訴訟は,自らの思想・良心を堅持し,生徒・子どもらの学ぶ権利を擁護するために立ちあがった教師群によって担われた.必死の思いの原告教師たちと,支援者,弁護団,研究者の総力をあげた活動によって,一審段階ではすばらしい勝利の判決に到達した.
明るい時代ではない.しかし判決は,この時代の希望を映している.

また、私のパソコンのメモリーに、当時の草稿の次の一文が残っている。
◆国家ではなく、生徒こそが主人公。◆
教育をめぐる論議の中心課題は、国家による国家のための教育か、国民による国民のための教育か、に尽きる。国民とは学校現場では、生徒であり子どもである。学校現場の主人公を国家とするのか、生徒にするのか。
生徒の卒業制作の展示を禁止して、壇上正面に国旗を掲揚する。これが、東京都教育行政のイデオロギーをあまりにもみごとに視覚的に表象している。
本件予防訴訟では、原告が教職員に限られているという事情から、すべてを教職員の権利侵害に収斂させなければならない法技術的制約があった。しかし、原告となった教員たちの共通の思いは、教え子のために自分は何ができるか、何をすべきか、ということであった。
生徒の前で、今こそ自分の職責が問われている。原告401人は、そのように自覚した教師集団である。
教え子よ、国家に身を委ねてはならない。国家に思想を吹き込まれてはならない。自分自身でものを考える姿勢を堅持せよ。批判する力を持て。必要なときには抵抗の姿勢を示さねばならない。
 自分も教師として、悩みながらも、ささやかな抵抗の姿勢を示そう。教え子よ、その姿を見てくれ。主権者として真っ当な国を社会を作る力量を育ててくれ。
これが、401人の自覚した教師集団に通底するメッセージだと思う。
淡々と「教育という営みは、教師と生徒との人格の触れあいを本質とするものですから、生徒に恥ずかしい行動はけっして取ることができません」こういう教育者が集団として存在することに、この国の光明を見る思いがする。
その教師集団を中心として、多くの研究者、弁護士、支援者、世論。そして、これまでの多くの教育訴訟における諸活動の歴史。その総合力の結集によって得られた本判決である。
訴訟はこれから控訴審。さらに多くの支援の力を得て、本判決を守り抜きたいと思う。そのことが、教育本来の姿を学校現場に取り戻すことになるだろう。そのことの意義は、私たちの未来にとって限りなく大きい。「憲法の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」のだから。

 原告だった人々も、いま闘っている人々も、支援者も、そして私たち弁護団も、初心を思い返すべき日。それが、今日9月21日である。
(2017年9月21日)

オーイ、藤原くん。アベ晋三じゃダメだ。

藤原寛一君は、小・中・高を通じて一緒に育った友人。学校生活だけでなく寮生活もともにした仲。高校時代は同じクラブ活動の仲間でもあった。とはいえ、同じ境遇で育って、同じ時代を生きてきても人は同じようにはならないのが面白い。彼からは、ときどき私のアベ批判の口調のとげとげしさをたしなめるメールを頂戴する。彼は、私と違ってアウトドア派の趣味人である。山や花や小鳥の四季をみごとに切りとった写真をネットに掲載し続けている。以下が、彼の自己紹介。

自然が大好きな自由人。山野草の撮影にドップリ。蝶ならぬ私が、花から花へカメラを手に飛び回っています。ホームグラウンドは大阪府・奈良県をまたぐ「金剛山」(1125㍍)。日本100高山のうち39座に登っています。

https://botibotihuu.jimdo.com/

http://kkfuji.exblog.jp/

http://www.h6.dion.ne.jp/~kk-fuji/

その彼が、定年以来、「人生下り坂。どこに向かうもとても楽」と言い続けている。なるほど、「とても楽」が自由人の心境なのだ。うらやましい限りである。

ところで、「人生下り坂」と観念すれば、「とても楽」であると同時に、いまが一番高みにあることにもなる。いまが、できることが多いのだから、今のうちにやっておこうということになるのではなかろうか。

風情のない話に転じるが、おそらくはアベ晋三も「下り坂」の心境なのだろう。もう少し正確に言えば、「ジリ貧」の認識。ジリ貧なら、早いうちにできることはやっておこう。いまの解散が、傷を最小にとどめる良策だとなる。

野党の態勢の不備を見すかし、これに付け込んで、「いまがチャンス」と見たのだろう。公平で正確な主権者の判断を仰ごうという謙虚さは微塵もない。選挙民の判断材料を隠して、とにもかくにも選挙に勝つこと最優先。勝ちさえすれば官軍でいられるというゲスの根性。その人柄がとうてい信用できないということそれ自身を神無月総選挙の重要な判断材料としなければならない。

一方、トランプも同じではないか。アメリカが北朝鮮に対して、軍事的な絶対優位にあることは疑うべくもない。しかし、相対的な優位度はいま縮まりつつある。これも、トランプの目からは、「下り坂=ジリ貧」と見えているに違いない。

危険なのは、「開戦するなら早ければ早いほど有利」「開戦の機は、相対的優位が最大のいま」という判断になりかねないということだ。

軍事力においては、ドーベルマンとチワワにたとえられる両国の関係。チワワがどう吠えようとも、ドーベルマンに噛みつくまですることはあり得ない。しかし、アメリカが「いまのうちに北朝鮮をたたきつぶしておこう」と考える余地あることは否定し得ない。いまなら、北は米本土への核報復の能力を持っていない。「叩くなら、今のうち」ということはありえない判断ではない。

もちろん、北朝鮮は韓国に対する瞬時の報復能力を持っている。日本国内の米軍基地に対してもだ。楽観的に、アメリカが同盟国を火の海にしかねない危ない選択をするはずはない、と信頼してよいだろうか。もしやアメリカは、「いまなら、戦争の火の粉は、同盟国に降りかかっても、アメリカ本土は安全」「ならば、いまこそ行動の時」と考えはしまいか。

トランプの昨日(9月19日)の国連演説。「米国は大いなる強さと忍耐力があるが、米国と同盟国を守らなければならない時、北朝鮮を完全に破壊するほか選択肢はない」「米国はその準備ができているが、できれば(軍事的行動は)必要でないことを望む」という一節は不気味この上ない。

トランプのテーブルにあらゆる選択肢があるわけではない。軍事オプションは、韓国の国民、日本の国民が許容するところではない。まずは、ドーベルマンに対して、「チワワに噛みついてはならない」と国際世論を喚起しなければならない。窮鼠でさえ猫を噛む危険な存在。噛みつかれたチワワも、近隣諸国民には危険この上ないのだ。

その上で、北朝鮮の瀬戸際政策をも強く批判しなければならない。そうして、国際世論の圧倒的な圧力によって、当事国双方を、時の氏神や近隣諸国をまじえて対話のテーブルに着ける以外にこの危機を解決する方法はない。

トランプに続いて、アベ晋三も国連で対北朝鮮政策を演説するという。伝えられるところでは、トランプへの全面追随で、北朝鮮に対する制裁圧力一辺倒の内容だとか。彼の眼中には、ご主人様トランプ政権だけがあって、韓国や日本の国民の安全はないのではないか。

オーイ、藤原くん。アベ晋三じゃダメだ。安心して「花から花へカメラを手に飛び回って」おられるように、もう少しマシな政権に取り換えようぜ。
(2017年9月20日)

松井一郎はん、そりゃちゃう。まちごうてまっせ。

今朝(9月19日)の新聞に、あんさんのコメントが掲載されてましたな。
「解散批判、負け犬の遠ぼえ」ちゅうやっちゃ。えろう違和感ありまんな。どないしても一言いわんなならん。

これは、失言とはちゃいまんな。あんさんの素がよう出てますさかいな。いや、維新の本性みたいなもんやおまへんか。もしかして、あんさん、批判されてもキョトンとしてんとちがいまっか。なかなか分からへんやろうな。

あんさん、東京弁で、こないに言わはってまんな。
「選挙は戦いだから、有利な時期に解散をするというのは、だからこそ総理に解散権がある。いつも衆院議員は常在戦場って言っている。批判してもしょうがない。それ批判するのは、負け犬の遠ぼえだ。」

「選挙は戦いや」。これが、あんたらのホンネや。「勝つか負けるかの戦い」ちゅうゲーム感覚でんな。誰と誰との「戦い」やゆうたら、政党と政党との票の取り合いや。あんさんの頭の中には、主権者や有権者がおらんのや。そこや。そこが、あんさんらの限界や。底が割れてまんねんな。

あんたらにとっては有権者は一票の持ち主にしか見えへんのや。いや、票だけ見えて、有権者は見えへん。ほんま、票の取り合いだけをやってんのや。それが選挙やと心から底から思うてはる。

ちがーーうやろ。有権者の選択が選挙や。有権者は、政党の都合で選挙に駆り出されるんやない。いっつも有権者が主人公や。政党の都合で選挙が行われるて、ゆうたら絶対にあかん。有権者の審判が必要なときにやな、有権者に正しい選択ができるようにお膳立てをするのが政党の役目や。とりわけ、与党の責任は大きいんや。有権者の判断に必要な材料を取りそろえて提供せにゃあかん。主権在民て、あんたら中学校で習わんかったんか。それともなにか。選挙は有権者を煙に巻いて、票を掠めとるゲームとでも、思うてんのかいな。

今回の選挙のタイミングを考えてみい。臨時国会の焦点は、森友、加計の疑惑の解明や。それに、北朝鮮をめぐって、集団的自衛権によって核戦争に巻き込まれる心配についても徹底した議論をせなならん。アベ政権たらいったいなんや。何をしてきたんや。本当にこんな奴に政権を任せておいてもええんかいな。それを有権者に判断してもらうための国会やんか。臭いものに蓋をしといてやな、いっちゃん大切な判断材料を国民には知らせんといて、「選挙は戦いだから、有利な時期に解散をするというのは、総理の権利」やて? 何ゆうてんねん。あんた、アベとおんなじぐらい、おかしいぜ。

「だからこそ総理に解散権がある」やて? そんなものない、ない。主権者の正しい判断を損なう権利など、誰にもおまへんがな。松井はん、政権にヨイショして、誰かの口まねしてんとちゃうか。みっともないやんけ。

まあな。森友問題いうたら、責任は維新にもごっつうあるんやさかい、疑惑隠しに賛成いう気持もあるやろな。これ、見当外れの忖度やろか。

自分も叩けばホコリが出て来るさかい、アベにうまいことごまかされてばかりとちがうんか。大阪いうたら、阪神タイガースやろ。タイガースいうたら、アンチ巨人や。反権力で反中央や。それが、大阪人の心意気とちゃうんか。アベ政権にヨイショして、あんさん、ナニ考えてんや。

あー、いじましいやっちゃなぁ。あかんたれやな。松井はん。
(2017年9月19日)

「9・18」を忘れてはならない―謀略によって侵略を開始した日本こそ

本日の朝刊各紙は、9月28日臨時国会での冒頭解散が確定したごとくの報道。政権の総選挙の投開票が10月22日だろうという。官邸のリークが紙上におどっているのだ。官邸は、その反応を見ているのだろう。

実に腹立たしい。冒頭解散はあり得ない。ちがうだろうー、アベ晋三よ。森友学園問題も、加計学園疑惑も、ほかならぬ汝と汝の妻のしでかしたことではないか。二人揃って疑惑を釈明の責任がある。二人揃って謝罪をし引責しなければならない。

「丁寧にする」との国民に対する説明の約束。またも引き延ばしておいて反故にするのか。もうそろそろ忘れたころだろうとほっかむり。いつもの手口で、夫婦への共同責任追及を解散総選挙で逃げ切ろうとの魂胆丸見え。国民もなめられたものだ。

疑惑隠し解散、頬被り解散、敵前逃亡解散、ずる逃げ解散、海苔弁解散、もりかけ解散、党利党略解散、私利私略解散、自己保身解散、しめたこのタイミング解散、抜け駆け解散、火事場泥棒解散、人の弱みに付け込み解散、因循姑息解散、卑怯破廉恥解散、奸佞悪辣解散…ではないか。

ところで、本日は9月18日。敬老の日でもあるが、柳条湖事件勃発の日。
86年前になる1931年9月18日深夜、奉天(現審陽)近郊柳条湖で起きた南満州鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。後に爆破は日本軍自らが仕組んだ謀略であることが明らかになったが、関東軍はこれを中国軍の仕業と喧伝し、奉天を占領してさらに満州(現東北三省)全土への軍事侵攻の口実にした。

こうして、事件は、満州事変となり、翌32年3月には傀儡国家「満州国」の建国が強行され、国際連盟リットン調査団の報告を経て、33年2月日本の国際連盟脱退に至る。傍若無人の振る舞いの結果、軍国日本が敗戦によって壊滅する、そのきっかけの日となったのが、「9・18」である。

何年か前、この事件の現場を訪れたことがある。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。

「9・18」を、中国語で発音すると、「チュー・イーパー」となる。何とも悲しげな響き。その博物館で、「チュー・イーパー」という歌を聴いた。もの悲しい曲調に聞こえた。中国の国歌は、義勇軍進行曲と名付けられている。作詞田漢、作曲聶耳として名高く、「起来!起来!起来!」(チライ・チライ・チライ=立ち上がれ)と繰り返される勇猛な曲。「チュー・イーパー」の曲は、およそ正反対のメロディだった。

柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であったが、満州侵略を熱狂的に支持する「民意」があればこその「成功」であった。世論は、幣原喜重郎外相の軟弱外交非難の一色だった。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていたのだ。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。

今の世はどうだろうか。極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法、戦争法、さらに共謀罪までが成立した。

北朝鮮脅威論が過剰に喧伝されてはいないだろうか。偏狭なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。

今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。軽々に政権の扇動に乗せられてはならないと、自らを戒めるべき日。心して、隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にすることで、権力への抵抗を心がけよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右勢力の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。疑惑隠し解散に負けてはおられない。
(2017年9月18日)

韓国内の核武装容認論台頭を憂うる

憲法9条の恒久平和主義は、抑止論と対決し続けてきた。

抑止論は、「自国の武力の整備は、相手国の武力行使抑止の効果を持つ」「武力の整備を欠いた非武装無防備は、相手国の武力行使を誘発する」「武力の権衡あってこそ相互の攻撃を自制させる」「したがって、相互に均衡をした武力の整備こそが平和の条件である」という。

これが、論理においてまったく成り立たない愚論だとは思わない。しかし、過去の苦い歴史が、このような考え方こそが、軍拡競争をもたらし、恐怖の均衡に人々を陥れ、偶発的な均衡の破綻が悲惨な戦争をもたらしてきた。戦力の不保持を宣言する憲法9条の恒久平和主義は、過去の悲惨な歴史への真摯な反省からの決意であり、唯一の平和の保障策である。

核抑止論ともなれば、さらに問題は深刻である。冷戦終了後も、使う予定もなく、現実には使うこともできない核兵器の廃棄がいまだにできない。相互不信から核軍縮が十分に進展せず、核抑止論の克服ができないうちに、公然と核抑止論の有効性を掲げて核開発を進める北朝鮮の暴挙である。

核保有の5大国には、声を大にして核廃絶を迫らなければならない。米・韓・日の合同演習など軍事挑発行為にも反対しなければならない。しかし、同様に北朝鮮の核開発を批判しなければならない。防衛的なものだからとして容認してはならない。北朝鮮の核抑止論と核開発は、容易に他国に飛び火する。まずは韓国、次いで日本に、同じ論理での核開発を誘発しかねない。

北朝鮮の核とミサイル開発。北に直接対峙している韓国世論の動揺が深刻なようだ。以下は、発行部数韓国最大の朝鮮日報が報じるところ。
「韓国ギャラップが(9月)5~7日に実施した調査では『核武装に賛成』が60%で、『反対』の35%を上回った。野党・自由韓国党支持者で核武装に賛成する人は82%、同・正しい政党支持者で賛成する人は73%、与党・共に民主党支持者でも賛成(52%)の方が反対(43%)を上回っている。韓国社会世論研究所(KSOI)が8日と9日に成人男女1014人を対象に調査した結果も、『北朝鮮の核の脅威に対応して防衛の観点から戦術核を再配備すべきだ』という人が68.2%だった。『南北間関係をさらに悪化させるから戦術核再配備に反対する』という人は25.4%、「分からない・無回答」は6.4%だった。」
韓国世論は、いま深刻な事態にあるのだ。

同じく、日本語で読める朝鮮日報のサイトでは、「(保守系最大野党の)自由韓国党は9月10日、『戦術核再配備と核兵器開発のためのオンライン・オフライン1000万人署名運動』を開始した」と報じている。

また、9月16日付で、朝鮮日報は北朝鮮の核についての主筆のコラムを掲載している。「全く、国とは言えない」という表題の長文のもの。自国のこれまでの核政策を「国とは言えない」と強く批判するもの。1991年に韓国が在韓米軍の核を全面撤去して以来の、歴代韓国大統領による北朝鮮核開発への対応を具体的に無策と批判している。朝鮮日報が保守論壇を代表する立場にあるにせよ、これは見過ごせない。その一部を引用する。

1991年より前は、韓国に核(米軍の戦術核)があり、北朝鮮には核がなかった。それが、韓国から核がなくなり、北朝鮮に核があるという、あべこべの形になった。国際政治の歴史上、こんな逆転はない。一体どうしてこんなことが可能だったのか気になり、91年の本紙を読み直してみた。11月9日付、1面トップは『在韓米軍の核、年内に撤収』だ。その横にある、もっと大きな記事が『盧泰愚(ノ・テウ)大統領、韓半島(朝鮮半島)非核化宣言』だ。韓国国内の核兵器を全面撤去し、今後核を保有・製造・使用しないという内容で、『非核の門をまず南が開け、北に核の放棄を迫る』というものだった。
続いて12月19日付、1面トップは盧大統領の『韓国国内の核不在』宣言だった。米軍の戦術核が全て引き揚げられたという意味だ。92年1月1日付、1面の冒頭記事は『南北非核宣言完全妥結』だ。南北双方が核兵器の試験・生産・受け入れ・保有・貯蔵・配備・使用を禁止するという内容。北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れると約束した。その日、盧泰愚大統領は新年のあいさつで『われわれの自主的な努力により核の恐怖がない韓半島を実現しようという夢で、大きな進展が実現した』と語った。『北が核兵器製造技術を持たないと表明したことは、本当に喜ばしい』とも語った。
全ては、北朝鮮による完全な詐欺だった。南北非核化宣言に合意したその日も、北朝鮮は寧辺でプルトニウムを抽出していた。金日成(キム・イルソン)主席は米軍の戦術核が撤収したのを確認した後、韓国の鄭元植(チョン・ウォンシク)首相と会談した席で『われわれには核がない。在韓米軍を撤収させよ」と要求した。『核査察の約束を守れ』という韓国側の要求には答えなかった。韓国という国の間抜けなドラマと、北朝鮮の核の悪夢が同時に開幕した。
北朝鮮の核問題の過程は、歴代韓国大統領の北朝鮮に対する無知と幻想が国家の安全保障を崩壊へと追いやっていく、完全に『国家の失敗』の歴史だ。盧泰愚大統領の後を継いだ金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、北朝鮮が核爆弾を作っているにもかかわらず、就任演説で『いかなる同盟国も、民族より勝るということはあり得ない』と語った。金大中(キム・デジュン)大統領は、金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談を終えた後、『われわれにも新しい日が差してきた。分断と敵対に終止符を打ち、新たな転機を開く時期に至った』と語った。『北は核を開発したこともなく、能力もない。私が責任を持つ』という発言が報道されたこともあった。…」

NHK(WEB)によれば、「北朝鮮外務省でアメリカを担当する幹部(北米局のチェ・ガンイル副局長)は、15日の弾道ミサイル発射について、『核抑止力強化のための正常な過程の一環だ』と述べ、アメリカのトランプ政権が北朝鮮政策を転換しない限り、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「そのうえで、『アメリカがわれわれを敵視し続け、核で脅し続けるかぎり、われわれは絶対に核兵器とミサイルを協議のテーブルに載せない。まずアメリカが敵視政策と制裁をやめてこそ、対話になる』と述べ、トランプ政権が北朝鮮政策を転換しないかぎり、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「また、『核・ミサイル開発は自衛的な措置だ』とする主張を改めて示」した、という。

北朝鮮の、「自国の核開発は自衛的な措置だ。凶悪なアメリカの核攻撃を抑止する唯一の手段だ」という主張は、韓国や日本の好戦勢力や防衛産業にまことに好都合。同じ理屈で核武装や核持ち込みのシナリオを描くことができる。

金正恩。その世襲制、個人崇拝、反人権、非民主的な体制だけでなく、絶対悪としての核をもてあそぶその姿勢においても批判されなければならない。

北朝鮮の地下核爆発実験の報には心が凍りつく。どうして、笑っていられのだろうか。金正恩も開発に携わった科学者たちも。広島や長崎の被爆者の叫びを聞け。叫ぶ術もなく死んでいった多くの人々の声を聞け。核抑止論を主張する人々は、原爆資料館に足を運ばねばならない。丸木美術館で原爆の図を凝視しなければならない。

いまは、関係各国に無条件で和解のテーブルに着くべきだとする国際世論を喚起するしかない。「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」(核兵器禁止条約)の締結が、国際世論の本流になっているいま、その声が巻きおこらぬはずはない。
(2017年9月17日)

こんなの要らない。返上しよう、薄汚い東京オリンピック。

英紙「ガーディアン」が一昨日(9月14日)報じたところによると、ブラジルの捜査当局は、「東京五輪招致に買収疑惑あり」との結論を出したという。捜査は、リオ五輪と東京五輪の両者に行われていたというが、私の関心は自ずと東京の招致問題だけ。

捜査結果の報道が、ブラジル紙ではなく、なぜ「ガーディアン」なのか。このあと続報があるのかないのか。フランス当局の捜査の進展はどうなっているのか。そもそも、ブラジルでは国内法のどのような犯罪構成要件に該当するというのだろうか。よく分からないことが多い。が、五輪を支える組織や幹部の腐敗の実態や、東京五輪誘致陣の薄汚さの再確認という点で、関心を持たざるを得ない。

各紙の報道に目を通しても、なかなか事実経過をつかみにくい。すこし、整理が必要である。

問題は、東京五輪誘致に関わる贈収賄。贈賄側は、東京五輪招致委員会。理事長が竹田恆和、理事に橋本聖子や鈴木大地などが名を連ねる。当然に、首相や当時の都知事もからんでいる。

収賄側は、IOC委員でもあり国際世界陸連会長でもあったラミン・ディアク(セネガル)という人物。大物としてIOC内で特別な影響力があり、次期五輪会場の決定に大きな権限あると思われていた人物だという。その代理人として、交渉や金の授受の窓口になったのは、息子のパパマッサタ。

登場人物はこれだけではない。カムフラージュとしての中間項が登場する。その内の最重要なのが、ブラック・タイディングス社というペパーカンパニー。一時期だけ、シンガポールの公営アパートの一室に形だけがあったという。

時系列を確認しておきたい。安倍晋三がブェノスアイレスで、「アンダーコントロールで完全ブロック」という詐欺まがいのトークで、2020年東京五輪招致を掠めとったのが2013年9月7日。その前後の同年7月と10月とに、招致委員会から出た金がラミン・ディアク側に渡っているというのだ。結論から言えば、これは買収資金の「着手金」と「成功報酬」と解釈するしかない。

最初、疑惑はフランス検察当局の捜査状況として報じられた。2013年の7月と10月の2回にわたって、東京五輪招致委員会がブラック・タイディングス社の秘密口座に送金されてたことが確認されたということが大きなニュースになった。このブラック・タイディングス社はラミン・ディアクの息子パパ・マサタ・ディアクに深い関係があるペーパーカンパニーとも報じられた。

その金額は2億3000万円。東京五輪招致委員会の理事長であり、日本オリンピック委員会(JOC)会長でもある竹田恒和は当初この疑惑を否定したが、後に国会に参考人として招致された際には認めて「正式な業務契約に基づく対価として支払った」と釈明した。「招致計画づくり、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析など多岐にわたる招致活動の業務委託、コンサル料などの数ある中の1つであり、正式な業務契約に基づく対価として支払った」というのだ。おそらく誰もこんなことを信じてはいない。コンサル料名義の賄賂を、名もない会社の秘密口座に送金したという疑惑が極めて濃厚なのだ。

ブラック・タイディングス社とは、シンガポール東部の老朽化し、取り壊しを待つ公営住宅の1室にあり、シンガポールメディアによると同社は2014年には業務を停止しているとのこと。つまりは完全なペーパーカンパニーで、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析などのコンサル業務を行う能力の片鱗もなさそう。

竹田恒和は国会で、支払った2億3000万円の最終的な使途についてブラック・タイディングス社側に「確認していない」と証言している。さらには「同社とは現在連絡が取れていないと聞いている」とも答えている。無責任極まるというレベルではなく、贈賄と疑われてやむをえないとの発言なのだ。

今回のガーディアンの報道では、ブラジルの当局は、2013年9月8日(東京招致成功の翌日)に、ブラック・タイディングスがシンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロ(約1113万円)をパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。

つまり、東京五輪招致委員会→ブラック・タイディングス社→パパマッサタの金の流れが確認できたということだ。コンサル料とは、実はIOC委員への買収資金としての賄賂送金だったという以外には考えがたい。ブラジル当局は、その認識である。

共同は、「東京五輪、リオデジャネイロ五輪は招致で『買収』と結論 英紙が報道」と見出しを打った。ブラジルの当局は「買収」の意図があったと結論づけたというのだ。
「東京の五輪招致にIOCの票の買収があった容疑について新展開」「ブラジルの当局は、ラミン・ディアク氏を買収する意図があったとしている」という記事。

ガーディアン記事は、「ブラジル連邦検察局はフランス検察局の調査結果を踏まえて、支払いが『IOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクの支援と票の買収の意図をもって』、2020年東京の招致成功のためになされたという結論を出した。」という。さて、これからどう捜査が発展するのだろうか。

ガーディアンは、「ブラジルからの今回の暴露によって、次回の五輪開催国(日本)に対する調査が再開され、どのようにして東京が五輪開催権を獲得したのかそのプロセスが解明されることになるだろう。」という。

東京五輪はうんざりだ。アベ政権や小池都政の政治利用、国威発揚、ナショナリズム鼓吹、住民無視の東京再開発の促進、東北復興妨害、税金の無駄遣い、負のレガシーの創出…、そしてこの薄汚い招致活動での恥さらし。もう、きっぱり返上しようではないか。
(2017年9月16日)

判決は 目出度さ・無念 相半ば ― 東京「君が代」裁判(4次訴訟)判決

本日(9月15日)13時10分、東京地裁527号法廷において、東京「君が代」裁判(4次訴訟)の判決が言い渡された。

東京「君が代」裁判は、悪名高き「10・23通達」関連訴訟のメインをなす懲戒処分取消訴訟で、今回の判決は原告14名の教職員が、延べ19件の処分取消を求める行政訴訟。係属部は民事第11部(佐々木宗啓裁判長)で、提訴は2014年3月17日のこと。

地方公務員法上の懲戒処分は、重い方から、《解雇》《停職》《減給》《戒告》の4種がある。今回の原告ら14名が取消を求める処分の内訳は、以下のとおりである。

《停職6月》       1名  1件
《減給10分の1・6月》 2名  2件
《減給10分の1・1月》 3名  4件
《戒告処分》       9名 12件
 計          14名 19件

判決は、減給以上の全処分(6名についての7件)を取り消した。これは目出度いと言わねばならない。
しかし、判決は戒告処分(9名についての12件)については、取り消さなかった。これは無念というほかない。

原告の中で最も注目されていたのがQさん。Qさんが取消を求めた懲戒処分は、以下のとおり5件ある。
   1回目不起立 戒告
   2回目不起立 戒告
   3回目不起立 戒告
   4回目不起立 減給10分1・1月
   5回目不起立 減給10分1・1月
 
公権力による教員に対する、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制が違憲であれば、懲戒の種類・量定を問うことなく、すべての処分が違法として取り消されることになる。Qさんに対する5件の処分もそのすべてが取り消されることになるが、そうはならなかった。

また、必ずしも違憲論に踏み込まずとも、戒告処分を含む全処分を処分権の逸脱濫用として取り消すことは可能であった。これが6年前の1次訴訟控訴審の東京高裁『大橋判決』だ。しかも、これまでの最高裁判決は、「戒告はノミナルな処分に過ぎず、被戒告者に実質的な不利益をもたらすものではない」ことを前提としていた。しかし、実は戒告といえども、過大な経済的不利益、実質的な種々の不利益をともなうようになってきた。とりわけ、最近になって都教委は意識的に不利益を増大させている。しかし、これも本日の判決が採用するにいたらなかった。

だから、戒告処分は維持された。Qさんの戒告3件も取り消されることなく維持された。以上が無念と言わざるを得ない側面。

しかし、Qさんの4回目不起立、5回目不起立に対する、減給10分1・1月の処分はいずれも、重きに失するとして処分裁量の逸脱濫用にあたると判断された。その結果違法として取り消された。これが、目出度い側面。

判決は「争点10」として、「本件職務命令違反を理由として減給または停職の処分を科することの裁量権の逸脱・濫用の有無」を判断している。

まず、一般論としては、次のように述べる。
「減給処分は,処分それ自体の効果として教職員の法的地位に一定の期間における本給の一部の不支給という直接の給与上の不利益が及び,停職処分も,処分それ自体によって教職員の法的地位に一定の期間における職務の停止及び給与の全額の不支給という直接の職務上及び給与上の不利益が及ぶうえ,本件通達を踏まえて卒業式等の式典のたびに懲戒処分が累積していくおそれがあることなどを勘案すると,起立斉唱命令違反に対する懲戒において減給又は停職の処分を選択することが許容されるのは,過去の非違行為による懲戒処分等の処分歴や不起立行為等の前後における態度等(以下,併せて「過去の処分歴等」という。)に鑑み,学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの「相当性を基礎付ける具体的な事情」が認められる場合であることを要すると解すべきである。そして,……「相当性を基礎付ける具体的な事情」があるというためには,過去の処分歴に係る非違行為がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるなど,過去の処分歴等が減給又は停職処分による不利益の内容との権衡を勘案してもなお規律や秩序の保持等の必要性の高さを十分に基礎付けるものであることを要するというべきである(平成24年最高裁判決参照)。」

判決は、以上の一般論をQさんに適用すると次のようになると結論する。

「原告Qが起立斉唱命令を拒否したのは,自らの信条等に基づくものであること,各減給処分の懲戒事由となった本件職務命令違反のあった卒業式等において,原告Qの不起立により,特段の混乱等は生じていないと窺われることをも考慮すると,原告Qの前記職務命令違反について、減給処分(10分の1・1月)を選択することの「相当性を基礎づける具体的な事情」があるとまでは認めがたい。」

つまり、こういうことだ。
減給や停職処分を選択するには、この重い処分を選択するについての「相当性を基礎付ける具体的な事情」が必要であるところ、被懲戒者の行為が、
 (1)自らの信条等に基づくものであること、
 (2)卒業式や入学式等に特段の混乱等は生じていないこと、
という2要件を考慮すれば、「相当性を基礎付ける具体的な事情」は認めがたい、というのだ。

本日の判決は、教員の不起立が「自らの信条等に基づくものであること」を、裁量権の逸脱・濫用判断の積極要件とした点において、一定の評価が可能というべきである。

だから、我々にとっては、残念・無念だけでない、中くらいの目出度さもある判決なのだ。

一方、都教委から見れば、今日の判決の衝撃は大きい。
都教委は、Qさんの4回目・5回目の不起立に敢えて挑発的な減給を選択して、いずれも敗れたのだ。大いに恥じ、大いに反省しなければならない。教育行政を司る機関の行為が、違法として取り消されたことの重大性を深刻にとらえなければならない。

戒告を違法としない最高裁判決も、もけっして戒告処分を結構だとしているわけではない。「当不当の問題はともかく」として、違法とまではいえないと言っているのだ。

都教委は、思想・良心の侵害をやめよ。教育の場に、国家主義のイデオロギーを持ち込むことをやめよ。
(2017年9月15日)

百合子女王の(屁)理屈

えっ? なんですって? もう一度言ってごらんなさい? 「都民ファーストの会」の代表交代のプロセスが不透明ですって? いったい誰がそんなこと言っているの? そんなこと、この私の前で言えること?

あなたもあなたよね。以前私に向かって「大山鳴動して鼠一匹」って言った愚かな記者がいたでしょう。「それは失礼というものでしょう」と一喝したら黙ったけど。私には、口の利き方に気をつけた方がいいわよ。

私、ここから表情と口調をよそ行きに変えます。ここから報道しなさいね。

都民ファーストの会代表だった野田数さんから9月10日付で代表辞任の申し出がありました。理由は、知事特別秘書の仕事に専念するためということ。それで、翌11日に党規約に則って私と2人の都議の3人で代表選考委員会を開いて荒木千陽都議を新代表に推薦しましたの。

今日(13日)の都民ファーストの都会議員総会で、推薦の通り新代表人事が承認されたと聞いておりますよ。党規約に基づいた手続ですけど、それが何か?

都議会の臨時会も終えて都民ファーストも新人ばかりだったのが落ち着き、都民に選ばれた議員が代表する状況がこれで整った感があります。荒木さんは、7月の都議選で初当選した総務会長の女性で度胸がある。まさしく都民ファーストの魂でいろいろやってくれると思いますよ。

もちろん、野田さんも、荒木さんも、私の秘書だった人。それに何か問題が?

「なぜいま、唐突に野田さんが辞任したか」ですって? 先ほど、知事特別秘書の仕事に専念するためと申しあげたでしょう。それ以上、何も出てきませんわよ。私が何か言うはずもないでしょう。

「新代表選考委員会ができたことも、荒木さんの代表推薦も知らなかった。晴天の霹靂だ」なんて、大袈裟にツベコベ言っている都議がいたんですって。それがなにか? 開かれた組織だからこそ、そんなツベコベも言えるんだし、メディアの耳にもはいるんじゃないかしら。

そりゃあ私も、これまでの都政をブラックボックスと批判して、「見える化」を進めるとは言ってきましたよ。「都民ファーストの会」の政策決定プロセスを可能な限り公開していくなんてことも確かに言ったおぼえはありますよ。でもね、状況はすっかり変わりましたでしょ。もう、私の都知事としての政治的基盤はしっかりと確立しましたからね。あの頃言ったことに一々縛られていたのでは政治を前に進めることはできませんよ。都民ファーストの会の代表が誰だって、プロセスがどうだって大した問題ではないでしょ。

都議選後に、私から野田さんに代表交代をした際は、私と野田さんの2人で「臨時役員会」を開いて人事を決めたんです。今度は、私と都議2人の「代表選考委員会」で決めました。規約に則った手続ですよ。えっ? 規約を見せてくれですって? 議事録はあるのかって? それは失礼じゃございません。そんな必要はないでしょう。

都会議員総会が代表を選出したのか、それとも選考委員会が選出して都議総会が承認したのかって? そもそも選考委員会委員の選出手続は規約上どうなっているかですって。 そんな細かいことはどうでもよいことでしょ。

ええ、規約はインターネットには掲載していませんよ。「どうして?」って、そんな必要ないからですよ。もちろんホームページで党員の募集はしています。並みの党なら、綱領と規約に賛同して入党の申込みをするんでしょうが、うちの党は信頼関係に基づいて党を運営するんだから、規約の公表なんて不要なんです。

もちろん、綱領はホームページにアップしていますよ。「宇宙から夜の地球を見た時、世界は大きな闇と、偏在する灯りの塊に見える…。」という書き出しの、あの有名な奴。無内容でひどいという批判もあるけど、その批判はやっかみね。

なんですって? 行政の透明性の徹底とか、情報公開を売りにしている都民ファーストが、自分のことになると、まったく不透明で、結局のところ二枚舌ですって?

あなたねえ、どこの記者? 「それは失礼というものじゃない」。そもそも都政と政党の運営の問題をごっちゃにしているんじゃないの。都政はパブリックよ。透明性も情報公開も必要でしょ。政党はダイバーシティよ。お分かり? 多様なあり方があってよいじゃないの。規約が曖昧だとか、ネットに掲載ないとか、規約を見せずに党員募集しているとか、そんな些末な批判があればご自由にどうぞ。都民が、次の選挙で決着をつけてくれるわ。圧倒的な民意が私と都民ファーストの会にあるのよ。そこをよーくご自覚遊ばせ。

この頃、うるさいのよ。「都民ファースト」ではなく、「自分ファースト」だろうとか、「百合子ファースト」だとか。ひどいのは、「都民ファシストの会」とまで。でもね、私は都民のため、都民目線を忘れたことはございませんことよ。舛添要一さんが、朴槿恵元大統領と約束した、韓国人学校敷地提供の件を一存で反故にしたり、9月1日の朝鮮人虐殺慰霊行事への追悼文送付をやめたり。私のことを歴史修正主義者だとか、生粋のレイシストなんていう人がいるけど、大まちがいね。

私は、嫌韓、反韓の姿勢が都民に受けると思ってやっているだけ。だって、選挙権のある人に選ばれたのですもの。私を選んだ選挙権のある人の祖父の代の人々が、関東一円で自警団を作って、武器を持って朝鮮人狩りをして、大規模で残虐な集団殺人行為を行ったことなんて事実と認めたくないでしょう。だから、虐殺が事実であればこそ、都民有権者の気分がよいようにしているだけ。韓国人学校も同じこと。

私こそが、選挙民の立場をよく考えているんだから、私こそ民主主義者なの。お分かり?
(2017年9月14日)

東京「君が代」裁判(4次訴訟)の9月15日判決にご注目を

明後日(9月15日)13時10分、東京地裁527号法廷において、東京「君が代」裁判(4次訴訟)の判決言い渡しがある。その後14時30分からは、日比谷公園内の「日比谷図書文化会館」地下1階大ホールで「判決報告集会」が開かれる。ぜひ、多くの方々にご参加いただきたいと思う。

東京「君が代」裁判は、悪名高き「10・23通達」関連訴訟のメインをなす懲戒処分取消訴訟で、今回の判決は原告14名の教職員が、延べ19件の処分取消を求める行政訴訟。係属部は民事第11部(佐々木宗啓裁判長)で、提訴は2014年3月17日のこと。

原告ら14名が取消を求める処分は、最も軽いものが《戒告》、最も重いものが《停職6月》となっている。
内訳は、
《戒告処分》        9名 12件
《減給10分の1・1月》 3名  4件
《減給10分の1・6月》 2名  2件
《停職6月》        1名  1件
 計           14名 19件
以上の数字が合わないように見えるのは、複数件の処分を争う原告もあり、《戒告処分》と《減給10分の1・1月》の処分を重複して受けている原告も一人いるから。

私たちは、14原告に対する19件の、戒告処分を含む全処分が取り消されなければならないと確信している。それが、日本国憲法の命じるところだからである。

戦前の天皇制国家や、現代なお続く軍国主義や国家主義の国家、あるいは個人崇拝の独裁国家の真似をして、国旗・国歌(日の丸・君が代)強制など滑稽の極みではないか。

そもそも、首相であろうと文科大臣であろうと、あるいは都知事であろうと都教委であろうと、国民の僕であるはずの公的機関が、教育公務員を含む国民に向かって、「国家に対して敬意を表明せよ」と強制することなどできるわけがないのだ。そんなことの強行は、価値倒錯であり背理だ。

また、憲法19条(思想・良心の自由)、20条(信教の自由)、23条(教員の専門職としての自由)、26条(教育を受ける権利の保障)が保障する原告たちの基本権の侵害は明らかに違憲である。さらに、教育基本法16条(旧法10条)が定める教育に対する公権力の不当な支配としても許されない。

これまで最高裁は頑なに違憲判断を回避してきた。私たちは、もう一歩のところまで肉薄はしてきたが、2006年9月の予防訴訟一審の『難波判決』を除いて、違憲判決を勝ち取ることができていない。

しかし、最高裁判決は変更されなければならない。今回の訴訟においても、多角的に違憲論を展開してきた。裁判所の真摯な姿勢での審理はあった。これに続く真っ当な判断に期待したい。

仮にの話だが、担当裁判所が最高裁判決の「論理」にとらわれて、違憲判決は出せないとした場合でも、全原告の全処分を処分権の逸脱濫用として取り消すことができる。これが6年前の東京高裁1次訴訟控訴審の『大橋判決』だ。しかも、これまでの最高裁判決は、「戒告はノミナルな処分に過ぎず、被戒告者に実質的な不利益をもたらすものではない」ことを前提としていた。しかし、実は戒告といえども、過大な経済的不利益、実質的な種々の不利益をともなうようになってきた。とりわけ、最近になって都教委は意識的に不利益を増大させているのだから。

さらに仮定の話として、担当裁判所が戒告処分の限りでは違憲ではなく、裁量権の逸脱濫用もないと判断したとしても、最高裁判決の論理に従えば、減給以上の過酷な懲戒処分は、すべて裁量権の逸脱濫用として違法となる。《減給》《停職》の処分すべてが取り消されなければならない。

都教委は,「国家へ敬意を表する態度」を取らなかったこと、すなわち国旗に向かって起立し国歌を斉唱しなかったことを理由として、原告ら教職員に、戒告・減給等の懲戒処分を科してきた。このような懲戒処分は毎年、卒業式・入学式のたびに繰り返され、しかも累積すれば処分は加重されることになる。こうして職務命令違反として懲戒処分された教職員は、延べ480名余にのぼる。

これまでの最高裁判決は、国歌斉唱時に起立斉唱を命じることが思想信条の自由に対する間接的な制約であることを認め、起立斉唱命令が直ちに違憲とまではいえなくとも、各原告の有する思想・良心と一定の緊張関係を持つことは否定できず相応の配慮が必要であることまでは認めている。のみならず、教職員の不起立行為は積極的に卒業式等の進行を妨害したとはいえないこと、減給など実害をともなう懲戒処分は教職員に多大な不利益をもたらすものであることから、不起立行為等を理由として原告らに減給以上の懲戒処分を科すことは、社会観念上著しく妥当を欠き重きに失することから懲戒権の範囲を逸脱・濫用したものであるとして、懲戒処分の取り消しを命じている。

その限度で、最高裁判決は積極的な意義をもつものである。石原慎太郎都政下における都教委の強権的「日の丸・君が代」強制政策に大きな頓挫をもたらした。しかし、けっして憲法の命じるところにしたがって、「日の丸・君が代」強制は違憲で無効とは言っていない。その違憲判決を勝ち取るまで、東京「君が代」裁判は続くことになる。

今回判決を迎える事件が4次訴訟である。これまでに、1次訴訟(原告数173)、2次訴訟(原告数67)、そして3次訴訟(原告数50)があった。さらに続く5次訴訟の対象処分も行われ、提訴の準備もなされている。

これは、紛れもなく、公権力に抗って思想良心の自由を擁護する歴史的な闘いであり、教育に対する権力による不当な支配を排除する抵抗運動でもある。

私は思う。司法も問われているのだ。その本来の使命を全うしているか否かを。9月15日判決にご注目いただきたい。東京地裁が、果たして憲法に定められた人権の砦としてのその本来の使命を全うしているか、あるいは権力の走狗となってはいないかを。
(2017年9月13日)

兵庫県弁護士会に、隻腕の韓国籍会長

弁護士会は、弁護士法に基づいて設立された弁護士の強制加入団体である。弁護士会に登録しなければ弁護士としての業務はできない。この点、任意加入団体である医師会・歯科医師会・薬剤師会等とは大きく事情を異にする。

弁護士会は、公的な組織でありながら行政からの監督を受けることのない自治を享有して、所属弁護士の指導・監督を行なう。このことが国民の人権を守る上で大きな役割を果たしている。全国には各府県に1会、東京に3会、北海道に4会の合計52の弁護士会がある。その連合組織としての日本弁護士連合会と区別して、単位会という。

単位会の規模は、東京の3会がず抜けており、大阪・横浜・愛知・福岡などがこれに次いで、8番目の規模の単位会として兵庫県弁護士会がある。会員数916名(本年度初)の大単位会。

今年(2017年)4月1日、その兵庫県弁護士会の会長に韓国籍の白承豪(はく・しょうごう)さんが就任した。外国籍の会長は、全国に前例のないことだという。国籍という壁を乗り越えた素晴らしい慶事だと思う。

しかも、白さんについて驚くべきことがさらに二つある。一つは、ソウルで出生し日本語を母語としない環境で生まれて育って11歳で日本に渡ってきたということだ。後天的な学習によって日本語を習得したその努力は並大抵のものではなかったろう。

さらに、彼は交通事故で右手を失っている。出生地ソウルで、5歳のできごとだったという。言葉の壁、身体障害の壁、国籍の壁を乗り越えての弁護士資格の取得であり、弁護士会長就任である。

一昨日(9月10日)の「毎日新聞ストーリー」が、1面と4面にその白さんを大きく取り上げた。「負けん気 試練に挑む―韓国籍の兵庫県弁護士会長」というメインタイトル。中見出しに、「障害・言葉 乗り越え」「初の外国籍弁護士会長・白承豪さん」「沖縄が第二の故郷」「戦争だけはいけない」。共謀罪法案に反対する弁護士会の「市民街頭パレード」で先頭に立つ写真や、左手一本でゴルフクラブを振る写真が目を引く。

もともと、司法試験には国籍条項がなかった。しかし、弁護士になるには最高裁が管轄する司法研修所に司法修習生として入所しなければならない。最高裁は長く、司法修習生の採用には日本国籍を要件としてきた。

司法修習生が国家公務員に準ずる地位にあるという形式的な理由だけではなく、司法修習では検察庁で容疑者の取り調べをしたり、裁判所で非公開の合議に立ち会ったりする機会があるため、「公権力の行使や国家意思の形成に携わる公務員には日本国籍が必要」との内閣法制局の見解を準用したものという。

その結果、外国籍の司法試験合格者は、司法修習生として採用されるためには帰化するなどして日本国籍を取得しなければならなかった。

これを不当として、敢然と抵抗した人物があらわれた。それが金敬得さん。早稲田大学を卒業して1976年に司法試験に合格、韓国籍のままでの修習生採用を希望した。最高裁は、飽くまで帰化して日本国籍を取りなさいという姿勢。彼は最高裁の姿勢を不当として、「請願書」を提出した。1976年11月20日を最初のものとし、同種の意見書提出は6回に及んだという。

自分はけっして権力を行使する立場の法曹を目指すものではない。私人としての立場から基本的人権の擁護と社会正義の実現に尽力することを使命とする弁護士を志望する者だ。弁護士の職業的性格を憲法の精神に照らしてみれば、外国人が弁護士になれない理由はない。とすれば、外国人だからという理由で司法修習生採用の道を閉ざしてはならない。

また、ことがらは自分個人の問題にとどまらず、在日65万の同胞の権利に関わる。個人的解決(帰化)をすべきではないと考える。

これを日弁連もバックアップした。結局、最高裁は1977年に国籍を必要とする原則は変えぬまま、「相当と認めるものに限り、採用する」との方針を示して金さんを採用した。こうして、金敬得さんは、外国籍修習生第1号となった。

これに続くものが多く、2009年までに140人を超える外国籍の合格者が司法修習を受けた。この流れの中で、同年最高裁は司法修習生の選考要項から日本国籍を必要とする「国籍条項」を削除した。

白さんの司法修習生採用は1991年。金敬得さんに続く外国籍の一人だった。が、韓国生まれでの修習生は珍しかったのではないか。

白さんの紹介記事を書いた記者がこう言っている。
いつも人の輪の中心にいる白さん。でも人生は困難の連続でした。事故で片腕を失い、韓国では見たこともなかった漢字に苦しみ、最愛の父をがんで亡くし、司法試験に何度も落ち……いくつもの壁を努力と頑張りで乗り越えてきました。その原動力は『隻腕コンプレックス』だったと言います」「努力は裏切らない。そんな気持ちを込めて原稿を書きました。…白さんの生きざまを通し、努力することの大切さを再認識していただけると幸いです

金敬得さんも白承豪さんも、人を感動させる。自分を圧する境遇に屈することなく、自己の尊厳を守り抜いたことにおいてであろう。

私の手許に、金敬得さんからいただいた著書がある。「在日コリアンのアイデンティティと法的地位」というもの。恵存のサインの日付が、99年6月26日となっている。金さんは、その後2005年12月に亡くなられた。
(2017年9月12日)

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