澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

オバマとアベの広島訪問は、「国民の核アレルギーをトゲ抜きする対症療法」に過ぎない

明日(5月26日)から伊勢志摩サミット。地元だけでなく東京までがテロ対策の厳戒態勢。今そこにある不愉快な日常の展開である。

つくづく思う。常にテロに怯えなければならない社会は病んでいる。これに慣れてはいけない。勇ましく「テロと闘う」などという愚を犯すことなく、テロの背景と温床を剔抉して、暴力のない「積極的な平和」を作る努力を重ねなければならない。今、先進国が享受している不公正な豊かさを大きく犠牲にする覚悟で。

もっとも、このサミット警護を口実の厳戒はうさんくさい。「テロ対策」は、治安出動予行演習として格好の機会ということなのだろう。過剰警護についても目を光らせる必要があろう。

ところで、戦争の暴力はテロの比ではないけた外れの悪の極み。その戦争における、超絶した暴力手段が核兵器である。核こそは、人類と共存しえない絶対悪として廃絶しなければならない。人類史において、その核が絶対悪であることを、この上ない規模と質の悲惨さで証明したのが、1945年8月6日の広島であった。そして、同月9日長崎の悲劇が続いた。

今次のサミットを機に、原爆を投下した加害国の大統領が、公式に広島の爆心地を訪れることになった。が、事前に「謝罪抜き」を言明してのこと。その訪問の意味がさまざまに論じられている。

被爆者団体は概ね歓迎の意向である。無理に謝罪は求めないとも言っている。その上で、被爆者との面談を求めている。毎日新聞紙上で、長崎大元学長・土山秀夫さん(91)は、「米大統領の広島訪問 遅すぎた『慰霊の旅』」として、「私も原爆で家族を亡くしているので謝罪を求めたい気持ちは痛いほど分かる。しかし、オバマ大統領を窮地に追い込んでは、米国内の反オバマ勢力に力を貸すだけだ。大統領は『慰霊の旅』として訪問を実現させたと解釈し、受け入れたい」と述べている。

被爆者の言には、侵しがたい重みがある。内容も無理からぬことは思う。しかし、釈然としないままことは目前に迫った。

釈然としないのは、なによりもアベの先導による訪問だからである。戦争法成立を強行し、平和憲法に敵意を剥き出しの安倍晋三が、あたかも日本国民の平和と核廃絶の願いの先頭に立つがごときパフォーマンスに、大きな違和感を禁じ得ない。それでも、このオバマの広島訪問が核廃絶に繋がる第一歩となるならよい。しかし、そのことにモヤモヤ感が払拭できないのだ。「謝罪はしない」ことを予め言明して、オバマはいったい何のために広島を訪問しようというのだ。

昨日(5月24日)の東京新聞夕刊「紙つぶて」欄に、中野晃一が「広島で何を」という記事を寄稿している。
「初めて米国の現職大統領が広島を訪問するというので、メディア論調は歓迎ムード一色です。しかし憲法は核兵器の保有・使用を禁じていないと繰り返す安倍晋三首相に案内されて広島に何をしにいくのでしょう。被爆者への謝罪どころか米国はいまだに核兵器の非人道性を認めていないのですから、社会科見学みたいな話です。中高生なら自分の目で見て感じることから始めればいいでしょう。しかし無知と無関心にあぐらをかいた米国世論の許す範囲で、オバマ氏と安倍氏が日米軍事・原子力同盟の強化目的で広島を訪問するというなら、それは被爆地の政治利用にすぎず、核廃絶には繋がりません。」

問題は、「オバマと安倍が日米軍事・原子力同盟の強化目的で広島を訪問する」と見る確かな視点を持てるか否か。

この点について、本日(5月25日)の毎日朝刊が、「米大統領の広島訪問 私の見方」の連載に浅井基文からの聞き書きを掲載している。タイトルは、「米の責任問い続けよ」というもの。傾聴に値すると思う。全文を引用する。

 日米開戦時の日本軍による真珠湾奇襲攻撃と、日本敗戦直前の米国による広島、長崎への原爆投下は、戦後の日米関係において、のどに刺さったトゲとも言うべき要素だ。日米同盟関係は米国が日本を一方的に取り仕切る「おんぶにだっこ」から、いまや日本が積極的に米国の世界戦略に協力する「持ちつ持たれつ」へと様変わりしている。オバマ氏の広島訪問は、変質強化された同盟関係を盤石なものに仕上げる最後のステップと位置づけられているとみる。

 米政権にとって「核のない世界」はあくまでビジョンに過ぎない。日本の政権にとっても「核の傘」は同盟関係の基軸だ。オバマ氏の広島訪問が核兵器廃絶の第一歩になるとの期待は幻想で、核兵器の堅持を前提としたセレモニーに過ぎない。

 広島と長崎は戦後長年、日本の核廃絶運動の中心的存在として、日米安保体制を最も中心に置く日本政府への対抗軸としての役割を担ってきた。オバマ氏の来訪を無条件に歓迎することは、日米両政府の核政策を全面的に受け入れるという意味に他ならず、日本外交における「お飾り」の役割に徹するということだ。

 広島は、戦争加害国としての日本の責任を正面から受け止めると同時に、無差別大量殺害兵器である原爆を投下した米国の責任を問いただす立場を放棄してはならない。そうすることによってのみ、核兵器廃絶に向けた人類の歩みの先頭に立ち続けることができるだろう。

指摘のとおり、日本国憲法の体制に対抗して日米安保体制がある。現実には、日米安保体制という強固な現実に、日本国憲法を携えた一群の民衆が抵抗を続けていると言うべきなのかも知れない。このせめぎあいにおいて、核廃絶の運動は紛れもなく日本国憲法の側の大きな砦である。それ故に、広島・長崎の核は、「戦後の日米関係において、のどに刺さったトゲ」となっているというのだ。

日米の支配層は、このトゲを取り去るか無害化することによって、日米両政府の核政策を完成させたいところ。日本国憲法の理念を擁護する立場からは、このトゲをトゲのままに終わらせず、核廃絶の大きな運動の拠り所としなければならない。

注文を付けないオバマ広島訪問は、核兵器の堅持という現状を前提とした、「核アレルギー対症療法のセレモニー」に過ぎない、というのが浅井説である。私も、これに賛意を表したい。そして、あらためて戦争と核の悪を追求し続ける覚悟を固めたい。
(2016年5月25日)

今、国と沖縄県の係争はどうなっているかー係争委審査の現段階

本日は、緊急シンポジウム「辺野古新基地建設と沖縄の自治-辺野古が問う日本の地方自治のあり方」に参加した。

行政法学者を中心とした「辺野古訴訟支援研究会」が主催し、「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」が共催。衆院第1議員会館地下の会議室で、参加者は210名と盛況だった。

集会の性格は政治集会ではない。法的な研究成果の報告という地味なものなのだが、元米軍海兵隊員の女性殺害容疑事件勃発と時期が重なった。準備された集会の内容は事件とは直接の関わりはない。「緊急シンポジウム」ということで参加した聴衆の一部には場違いな感じだったかも知れない。それでも、多くのスピーカーが、この傷ましい事件に触れて、基地撤去に向けた怒りの集会ともなった。

主なプログラムは、
「辺野古裁判の経過・意義と国地方係争処理委員会の争点」
 沖縄県辺野古裁判等弁護団代表竹下勇夫氏
「沖縄から国地方係争処理委員会の役割を考える一和解を受けて」
 成蹊大学教授武田真一郎氏
「辺野古新基地阻止への思いと地方自治」
 沖縄県知事翁長雄志氏(知事公館室長代読)
「辺野古埋立問題と日本の地方自治一今後の展望」
 早稲田大学教授岡田正則氏
パネルディスカッション

辺野古新基地建設をめぐっては、国と沖縄県との間に3件の訴訟が係属していたが、本年3月4日福岡高裁那覇支部で暫定的な和解が成立。3件とも訴訟は取り下げられ、和解にもとづいて国は湾の埋立作業を停止して今日に至っている。しかし、この和解は飽くまで仕切り直しのしばしの休戦に過ぎない。見方によっては、大坂冬の陣の休戦となりかねない。

和解3日後の3月7日、はやくも国土交通大臣は沖縄県知事に対して、地方自治法に基づく是正を指示(知事がした「埋立承認取消処分」を取消すよう指示)した。この指示は手続的に不備があって撤回され、3月16日にあらためての指示があり、これを不服とする知事は、和解が定めたとおり、同月23日に国地方係争処理委員会審査申し出をして、現在その審査が進行中である。

審査期間は90日以内と定められている。すると審査の日程のリミットは6月21日(火)ということ。果たして、どのような判断になるだろうか。大いに注目されるところ。

配布されたレジメに、「国地方係争処理委員会及び訴訟における法的争点」表が掲載されていた。これを転載しておきたい。

争点1 審査の対象
 国の主張 仲井眞前知事の埋立承認の適法性
 県の主張 現知事(翁長)の埋立承認取消の適法性
        是正の指示、そのものが違法

争点2 どこに基地を設置するか知事に審査権限はあるか
 国の主張 国の政策的・技術的な裁量に委ねられている。
 県の主張 基地を作ることを目的とした公有水面の埋立ての必要性の認定が問題となっていて、それは知事にある。

争点3 普天間の危険除去を理由に、埋立の必要性あり、といえるか
 国の主張 いえる。
 県の主張 普天間の危険除去の必要性が埋立の必要性と論理的に結びつくわけではない。

争点4 埋立により辺野古の海が有する優れた自然価値を損なわれないか
 国の主張 環境評価、代替案等で、可能な限り、損なわれないようにしている。
 県の主張 環境アセスが不十分であるし、専門家等の疑問に適切に答えていない。

争点5 職権取消しの法理の適用
 国の主張 適用有り
 県の主張 適用なし

争点6 辺野古新基地建設は、沖縄の自治権侵害に当たるか
 国の主張 (?)
 県の主張 米軍基地に対して、国の規制や自治体の規制が及ばないし、自治体の街づくりにも支障があり、これは自治権侵害にあたる。

以上の争点の判断において、本日強調されたのは、国地方係争処理委員会の存在理由や使命についてである。また、憲法が想定する地方自治のあり方である。

憲法の保障する地方自治を実現するためには、国と地方自治体の関係は「対等・平等・協力」の関係でなければならない。このような認識にたって地方分権改革(1999年)が進められ、国に対する地方の「対等・平等・協力」関係を確保するために、地方自治体が国等の関与を争う制度として国地方係争処理委員会が設けられた。裁判所の審理の対象が違法性に限られるのに対して、国地方係争処理委員会は、国と地方の各行政方針などにも踏み込み柔軟な判断をなし得る。

係争委は、自治体に対する国の関与の適法性や公益適合性を審査する機関だが、飽くまで憲法の保障する地方自治の本旨の実現を図るためのもの。「政治権力の圧力に屈することなく、その使命を貫け」「地方自治に関する憲法の原則を貫け」という熱いメッセージの集会となった。
(2016年5月24日)

「小さな人権」そこをのけ、「大きな人権」のお通りだ。-自民改憲草案の基本思想

本日の毎日新聞夕刊第2面・特集ワイド欄に、「自民党『憲法改正草案Q&A』への疑問」「緊急時なら制限されてもいい…?『小さな人権』とは」という記事。
  http://mainichi.jp/articles/20160523/dde/012/010/006000c

冒頭の一文が、「思わず首をかしげてしまった。『大きな人権』と『小さな人権』が存在するというのである」。この一文を読んで、思わず膝を打ってしまった。そうだ、「大きな人権」も「小さな人権」もあるものか。

この記事は、記者の次の問題意識から、展開されている。
「この表現(『大きな人権』と『小さな人権』)は、自民党が憲法改正草案を解説するために作成した冊子『改正草案Q&A』の中で見つけた。大災害などの緊急時には『生命、身体、財産という大きな人権を守るため、小さな人権がやむなく制限されることもあり得る』というのだ。そもそも人権は大小に分けることができるのだろうか。

大きな人権を守るために犠牲にされる「小さな人権」の内実はいったい何だ。という記者の問いかけが新鮮である。この疑問を掘り下げることで、自民党改憲草案の本質をえぐり出している。アベ改憲許すまじの結論なのだ。

「Q&A」では、緊急事態条項解説の個所にだけ出て来る「大きな人権と小さな人権」の対比。もちろん、「大きな人権を守るために、小さな人権の制約はやむを得ない」という文脈で語られる。

「Q&A」の表現は、「『緊急事態であっても、基本的人権は制限すべきではない』との意見もありますが、国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得るものと考えます」というもの。底意が見えている。

改憲草案の作成に深く関わったという礒崎陽輔・党憲法改正推進本部副本部長の言も紹介されている。
国家の崇高で重い役割の一つは、国民の生命、身体、財産を守ることにある。小さな人権が侵害されることはあるかもしれないが、国民を守れなければ、立憲主義も何もない」というのだ。こちらが、より本音があらわれている。

自民党が「小さな人権」として語っているものは、実は個人を主体とする基本的人権である。普通に語られている「人権」そのものなのだ。これは、「侵害されることはあるかもしれない」と位置づけられている。要するに、大切にはされていない。

これに対置される「大きな人権」とは、「国家の崇高で重い役割」によって保障される「国民の生命、身体、財産」という価値である。実は、この「大きな人権」の主体は個人ではない。ここでいう「国民」とは、個人としての国民ではなく、集合名詞としての国民全体にほかならない。

自民党は、「個人」が大嫌いで、「国家・国民」が大好きなのだ。だから、現行日本国憲法のヘソというべき第13条「すべて国民は、個人として尊重される」を、わざわざ「全て国民は、人として尊重される」と、「個」を抜いて書き直そうというのだ。憲法からの「個人」の排除である。個人よりは国家社会優先という姿勢を隠そうともしない。

大きな人権とは、国家や国民全体の利益をいうのだ。「全体は個に優越する」。「全体のために、個人の利益が制約されることはやむを得ない」。「大所高所に立てば、個人的利益の擁護に拘泥してはおられない」。これが自民党改憲案のホンネ。

戦前は、もっと露骨だった。「忠良なる汝臣民」は、天皇のために死ぬことが誉れとされた。個人ためではなく、君のため・国のために生きることが道徳とされ、天皇の軍隊の兵士として死ねとまで教え込まれた。これが、富国強兵時代の国家主義思想である。

この「君」「国」が、今自民党改憲草案では「(集合名詞としての)国民」の「大きな人権」に置き換えられている。

「緊急事態には、『国民の生命、身体及び財産という大きな人権』を守るために、必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得る」は、俗耳に入り易いようにと言いつくろったレトリック。本音は、「国家社会が全体として危機にあるとき、個人の人権擁護などと悠長なことを言ってはおられるか」ということだ。

阪口正二郎一橋大教授(憲法学)が、紙上でこう解説している。
「人権に大小の区別はありません」。「緊急時に表現の自由が『小さな人権だ』として制限される可能性がある」「緊急事態条項の目的は国家を守ること。『危機にある国家を守らねばならないから、国家を批判する言動は控えろ』と、表現の自由などの人権を制限しかねない。個人の人権よりも国家の意思を優先させ、物事を進めたいのが本音ではないでしょうか

自民党の改憲草案は、緊急事態に限らず、「国家社会を優先」「そのための安易な人権制約」の思想に貫かれている。「国家あっての人権」「安全保障が確保されてこその人権」「国家の秩序、社会の安寧が保たれてこその、その枠内の自由であり人権」という戦前回帰型思想である。これが、戦後レジームからの脱却の中身。

個人の人権を、ことさらに「小さい」と形容する自民党・アベ政権は、国家主義・全体主義の見地から、人権軽視の改憲を目論んでいると指弾せざるをえない。この姿勢は、国のために死ぬ兵士を想定した、戦争のできる国作りにも通じる。

「大きな時計と小さな時計、どちらも時間はおんなじだ。」にならって、「大きな人権小さな人権、どっちも値打ちはおんなじだ。」というべきであろうか。いや、「大も小も区別ない、みんな同じ価値の人権だ」というべきであろう。
(2016年5月23日)

野党選挙共闘に期待する―「改憲阻止絶対防衛圏」を守り抜くため

各紙の「野党 参院選全1人区で候補一本化」との見出しが目にまぶしい。
香川選挙区で民進党が擁立を断念し、共産党の候補予定者への一本化が決定。これを受けて共産党は近く、民進党と調整中の三重、佐賀で公認候補を取り下げる方向だという。これで事実上、今夏の参院選「1人区」(32選挙区)すべてで、民進・共産・社民・生活4党による候補者一本化実現となった。

各選挙区の候補者と所属は以下のとおりである。
 青森   田名部匡代   民・新
 岩手   木戸口英司   無・新
 宮城   桜井 充     民・現
 秋田   松浦大悟    民・前
 山形   舟山康江    無・前
 福島   増子輝彦    民・現
 新潟   森ゆう子    無・前
 富山   道用悦子    無・新
 石川   柴田未来    無・新
 福井   横山龍寛    無・新
 山梨   宮沢由佳    民・新
 長野   杉尾秀哉    民・新
 栃木   田野辺隆男   無・新
 群馬   堀越啓仁    民・新
 岐阜   小見山幸治   民・現
 三重   芝博一      民・現 
 滋賀   林久美子    民・現
 奈良   前川清成    民・現
 和歌山  由良登信    無・新
 鳥取島根 福島浩彦   無・新
 岡山   黒石健太郎   民・新
 山口   纐纈 厚     無・新 
 徳島高知  大西聡    無・新 
 香川   田辺健一    共・新
 愛媛   永江孝子    無・新
 長崎   西岡秀子    民・新
 佐賀   中村哲治    民・元
 熊本   阿部広美    無・新
 大分   足立信也    民・現
 宮崎   読谷山洋司   無・新
 鹿児島 下町和三     無・新
 沖縄   伊波洋一    無・新

これまで相争う関係にあった各党の候補者調整である。困難が大きいのは当然のこと。「岡田克也(民進党)代表は20日の会見で、香川について『共産党との関係は現時点で白紙だ』と述べた。共産党の候補予定者を民進党が推薦する可能性は低く、正式な協力態勢が整った石川や熊本などとは温度差がある」(毎日)と報じられている。各党がこぞって、統一候補を推薦というきれいな図を描くには至っていない。

それでも、全一人区で与野党一騎打ちの構図になる。この意義は大きい。「改憲か、その阻止か」という対抗軸が明瞭になるからだ。いくつかの選挙区では、野党共闘の成果としての議席の獲得が現実化するだろう。その新たな獲得議席が、明文改憲を阻止し、解釈改憲も是正する貴重な存在となるだろう。

明文改憲の阻止と戦争法廃止の両者を統一するスローガンが、「日本の政治に立憲主義を取り戻そう」である。日本国憲法の存在を前提として、いま、安倍政権の、反憲法的政治姿勢は目に余る。憲法が政権を縛り政権の方向を定めているのに、政権はこれを嫌って、憲法をねじ曲げようとしている。あまつさえ、憲法そのものを書き換えようとしている。このアベ政権の姿勢を「立憲主義に反する」と批判し、「立憲主義を取り戻せ」とスローガンを掲げているのだ。

憲法擁護義務を無視した安倍政権は、強引に憲法9条の解釈を変えて戦争法の成立を強行し、それでも足りずに、明文改憲を狙っている。政権の目指す憲法が、「自民党改憲草案にあることは自民党の広言するところ。これまで国民が共通の認識としてきた憲法価値である、平和・人権・民主主義の擁護が「立憲主義を取り戻せ」のスローガンに包含されている。表現の自由も、福祉も、労働も、歴史認識も、その具体的課題となる。

参院選での野党共闘態勢の構築は、正式な共闘成立公表とともに、メディアの大きな話題となるだろう。また、今後に大きな影響を与えることにもなるだろう。まずは、5月27日告示6月5日投開票の沖縄県議選を励ますことになり、衆院選の小選挙区共闘を促すことになるだろう。

今回参院選の統一候補の内訳が、「政党公認16、無所属16」である。政党公認16のうち、「民進15、共産1」というのが、現実的な落としどころなのだろう。このように現実化した参院1人区共闘が、総選挙でできないはずはない。世論が求め、そうしなければ勝てないという現実があるからだ。しかも、ここで「各院の3分の1」という「絶対防衛圏」を破られては、後戻りできない禍根を残すことになるではないか。

参院とは対照的に、衆院の野党共闘協議は進んでいないのが実態。民進党の態度が消極的だといわれてきた。しかし、「国会会期末が迫るなか、野党内には首相が参院選に合わせて衆院解散に打って出るとの警戒感が高まり、民進も態度を変えた。」「民進の岡田代表は、『衆参ダブル選挙の可能性もかなり高い。幹事長レベルでよく話し合っていく』と述べ、衆院小選挙区での候補者調整を急ぐ考えを示した。21日には愛媛県新居浜市で記者団に『特に一本化すれば勝てる可能性があるところは、一本化の努力はすべきだ』と述べた」「仮に衆参同日選となれば調整に残された時間は少なく、選挙協力がどこまで進むかは不透明だ。民進幹部は『いざとなったら「えいや」でやるしかない』と語る」(朝日)と報じられている。

ことは、憲法の命運に関わる。憲法の命運とは、国民の権利と自由と平和の命運にほかならない。「野党は共闘」「野党は真剣に共闘に取り組め」と声を上げ続けねばならないと思う。
(2016年5月22日)

目くそ君たち、大いに鼻くそを嗤え。

聖書には、引用される名言が多い。「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」などは、その筆頭格だろう。ヨハネによる福音書第8章なのだそうだ。現代語訳では、「イエスは立ち上がって彼らに言われた、『あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい』」となっている。「故事俗信ことわざ大辞典」(小学館)をひもとくと、「この言葉によって、イエスは人が人を裁く権利のないことを悟らせた」との解説が見える。また、十王伝説では、閻魔は人を裁くその罪故に、毎日溶けた銅を飲む責め苦に耐えるのだという。他人の罪をあげつらうのは、罪なき聖者以外にはなしえず、清浄なる者にとっても他人の罪を裁くことは軽々になし得ることではないというのだ。

しかし、俗世は聖書にも仏教説話にもほど遠い。舛添要一の醜態を、我先に石もてなげうつ輩ばかり。これを「目くそが鼻くそを嗤う」という。「目やにが鼻垢を笑う」という語法もあるそうだ。

目くその筆頭は、石原慎太郎であろう。次いで、猪瀬直樹。鼻くそ君にも、3分の理があり、2分のプライドもあろう。この前任者二人に対しては、「ほかの人はともかく、おまえたち二人には言われたくない」との思いが強かろう。

続いて目立った目くそは、橋下徹、萩生田光一といったところ。萩生田光一(東京都第24区選出衆議院議員・内閣官房副長官)については、首を傾げる向きもあろうか。「安保関連法賛成議員の落選運動を支援する弁護士・研究者の会」が、4月28日付で東京地方検察庁に政治資金規正法違反で告発している御仁で、明らかに目くそというに相応しいお一人。
  http://rakusen-sien.com/rakusengiin/5625.html
この目くそ君。5月13日の舛添会見後、「(家族と会議?)それ嘘だろ! うさんくさいねえ。オレが記者なら追いかけるよ。これ以上のイメージダウンは勘弁願いたいね」と言っている(週刊文春)。目くそが鼻くそを嗤うの典型パターン。

鼻くそを嗤うのは楽だ。水に落ちた犬を叩くのはたやすい。正義は我にありとして、力を失った者を叩き続けるメディアに真のジャーナリズム魂があるのだろうか。

目くそにはなりたくない。目くそと呼ばれたくもない。ジャーナリスト諸君よ。鼻くそではなく、目くその方を追わないか。石原慎太郎の所業をもう一度洗い出さないか。政権で涼しい顔をしている連中とカネの問題を徹底して洗い出さないか。権力の座にある者、強い立場にある者、権威をひけらかしている者を批判してこそのジャーナリズムではないか。目くそ連中と一緒くたにされて本望か。

しかしだ。もう一段深く考えてみると、視点も変わる。諸々の目くそ君たちよ。目くそと言われて怯んではならない。自分のことは棚に上げて、大いに鼻くその非をあげつらえ。目くそと鼻くそは、実はいつでも交替可能な関係だ。昨日の鼻くそも、今日の目くそとなる。それでよいのだ。権力にある者の不正を批判することに資格は要らない。たとえ自分が汚くても、仮に自分に非があったとしても、権力者の不正批判は社会に有益なのだ。

だから、「汝らのうち権力の不正を目にした者、誰も躊躇なく石をなげうて」なのだ。「我が振り直す前に、権力者の振りに石をなげうて」なのだ。道徳の教えるところと、世俗の政治社会のありようとはかくも違う。

私は道徳にも宗教にも関心はないが、舛添叩きへの加担にいささかの躊躇がある。舛添潰しはもはや政権への打撃にならないのだ。のみならず、舛添後の都知事に最悪の候補者が出てくることにならないかという心配もある。

舛添叩きに加担することに躊躇しつつ、やっぱり舛添告発の代理人の一人となった。政治とカネの汚いつながりを断つために、目くその側に連なったのだ。
(2016/05/21)

「漁業で生活できる行政を」―浜の一揆訴訟の第3回法廷

本日は、風薫る盛岡で、浜の一揆訴訟の第3回法廷。地域によってはウニの口開けと重なったとのことだったが、30人の原告が法廷を埋め、報告集会も意気盛んなものとなった。

本日も、法廷では堂々の原告意見陳述があった。かつての三閉伊一揆発祥の地、田野畑村の延縄漁師が、「延縄では漁業を続けることができない。ぜひとも、固定式刺し網でのサケ漁の許可が必要なのだ」という内容。迫力に満ちたものだった。

法廷での陳述は、文章にして読めば分かる、というものではない。生身の人間の発声を通じての訴えは、重く心に響く。真摯さや切実さが伝わってくる。ブログでは伝わらないものもあるが、ご紹介したい。

田野畑村で漁船漁業を営んでおります。昭和33年8月生まれの私は、岩手県立 岩泉高校 田野畑校卒業と同時に、八戸市の水産会社に就職。最初の1年は日本近海を操業。2年目からはニュージーランド等、外国遠海までイカつり操業に従事しました。4年後には茨城県の水産会社に移り、2年間まき網船に乗り、機関助手として働きました。そして沖縄県に本社のある水産会社で現場が八戸市にある沖防波堤工事の作業船に一年ほど乗船しました。

その後、 村に帰って田野畑村漁業協同組合の大型定置網に従事。 一年後の昭和59年、25歳で結婚。所帯をもってからは、漁協理事を兼務する父親と一緒に、養殖の塩蔵ボイルワカメとサケ延え縄漁、そしてカゴ漁でタコを取って生計を維持してきました。父親と二人でしたから、最盛期にはサケ延え縄漁だけで900万円を超す収入もあり、最高収益の賞状を漁協からもらったことも2回あります。この間、3歳ちがいの娘2人を育て、双方とも高校まで卒業させてきました。

5年前の東日本大震災では、小型漁船は沖に避難して何とか助けました。 しかしサッパ船や、1.5トントラック、養殖ワカメの施設、サケ延え縄の諸道具、カゴ漁などの諸施設等一切を流失してしまいました。しかし、何としても生きなければならないために、サケ延え縄漁とカゴ縄だけは、隣り近所からの援助もいただきながら再開しました。こうして、震災1年目から何とか生活できるだけの収入は、かろうじて確保しました。

震災1年目の延え縄の水揚げは、およそ200万円でした。2年目は思いがけなく約700万円の豊漁でした。ところが3年目は、1年目よりもわずかに上回る250万円前後。そして今年は50万円にも届かない40万円ほどで、本当に何ともなりません。延え縄漁については、収入が多くても少なくても経費はほとんど変わらずに50万円前後です。サケ延え縄漁では、どうしても食べていけないのが現実なのです。
大震災のあった平成23年3月11日の2カ月後に、久慈市に住んでいる長女に初孫が生まれ、その時はお祝いをすることができました。でも、昨年2人目の誕生には、可愛さ・喜びは同じでも、満足できるお祝いすら与えることができませんでした。

田野畑漁協管内のサケ延え縄に従事する漁師は、従来50隻以上の出漁でしたが、今ではたった7隻しかありません。こういう状況の中で、三陸沿岸で漁業を続けていくためにはどうしてもサケ刺網漁の許可をえなければならず、それ以外には漁業を続けていく方法がありません。漁師として生きていくために、私は100人の原告の一人として名前を連ねています。

生き残った私の小型船で、どうかサケ刺し網漁ができるよう、裁判官の皆様におかれましては実情をしっかりとお汲み取りいただき、適切なご判断をいただきますよう、どうぞ宜しくお願い致します。
 **************************************************************************
訴訟の進展は、下記の段階。
訴状⇒答弁書⇒原告準備書面(1)⇒被告第1準備書面⇒原告準備書面(2)

だが、原被告間の議論はまだ噛み合ったものとなっていない。原告の主張の概要は次のようなものである。

海洋の資源は原則として無主物であって、これを採捕(採取と捕獲を併せた立法上の造語)することは本来的に自由である。採捕を業として行うことは、営業の自由(憲法22条1項)に属する基本権として保障されている。
憲法上の基本権が、無制限な自由ではなく、「公共の福祉」による内在的な制約に服すべきことは当然としても、原則が自由であることは、その制約には、首肯しうるだけの、制約の必要性と合理性を根拠づける理由がなくてはならない。
原告は、自らの憲法上の権利を制約する行政庁の不許可処分を特定して、これを違法と主張しているのである。権利を制約した側の被告行政庁において、その適法性の根拠を主張し挙証する責めを負うべきは当然である。

原告の営業の自由を制約する法律上の根拠は、漁業法65条1項にいう「漁業調整の必要」と、水産資源保護法4条1項にいう「資源の保護培養の必要」以外にはない。岩手県漁業調整規則23条1項3号は、この両者を取り込んで「知事は、漁業調整又は水産資源の保護培養のため必要があると認める場合は起業の認可をしない」としている。

だから、被告は「漁業調整又は水産資源の保護培養のための必要」に当たる具体的事実を主張しなければならない。しかし、被告は自らした不許可処分の適法性の根拠について語るところはなく、もっぱら内規として取り決めた「取扱方針」によるとだけ主張して、具体的な根拠事実を主張しようとしない。原告に許可を与えれば漁業調整や水産資源の保護に不都合が生じる根拠となる具体的な事実についてはまったく主張しようとしない。

また、行政処分には理由の付記が不可欠であって、それを欠けば違法として取消理由となる。ましてや、本来国民の自由な行為を一般的に禁止したうえ、申請に従って個別に解除して本来の自由を回復すべき局面においては、飽くまでも許可が原則であって、不許可として自由を制約するには、合理性と必要性を備えた理由が要求される。その具体的な理由の付記を欠いた本件不許可処分はそれだけで手続的に違法である。

被告は、以上の原告主張に的確な対応をしていない。9項目の求釈明にも、真摯な回答をしようとしない。

本日の法廷では、裁判所から被告に対して、次のような指示があった。
「被告第1準備書面の2頁に、『被告知事は、原告らの固定式刺し網漁業の許可申請に対し、規則23条1項3号の上記規定(抽象的な規定内容)をそのまま解釈・適用して本件各不許可処分を行ったのではなく、同号の定め(漁業調整又は水産資源の保護培養の必要)を個別の漁業などの実情に応じて具体化した規程(審査基準。行政手続法5条)である取扱方針(乙2)を適用して許可の当否を判断したのである』と記載されていますが、『個別の漁業などの実情に応じて具体化した』とはどういうことなのか、その内容をもっと具体的に述べていただきたい。原告の反論や求釈明も同じ趣旨だと思われますので、次回までに被告の側でその点を明らかにしてください」

原告が指摘したとおりの裁判所の理解。浜の一揆、訴訟の進行は順調である。
(2016年5月20日)

改憲阻止を目指す野党選挙共闘実現の流れー32の一人区のうち、あますところはあと3区。

参院選の野党統一候補擁立の動きに注目し続けている。その成否が改憲阻止の成否に直結するからだ。アベ壊憲政権の与党勢力に3分の2の議席を与えてはならない。そのためには、明文改憲阻止の一点で野党の選挙共闘が不可欠だ。民進・共産・社民・生活の野党4党間で進んでいる、候補者統一が改憲を阻止しうる院内勢力を形づくることになる。そして、参院選後の総選挙での選挙協力にも道を切り開くことになる。

注目の一人区は全部で32(県数では34)。このところ、5月15日に鹿児島、16日に奈良、そして昨日(18日)和歌山と岩手の野党統一候補擁立の発表があった。残るは3選挙区、三重・香川・佐賀のみである。ここまでくれば、一人区全部で野党統一候補擁立実現の見通しが高くなってきた。がぜん、参院選は伯仲模様、熱を帯びたものとなってきている。

岩手は、民進が生活に譲った形での共闘成立。協議難航した生活と民進両党を説得したのが、間にはいった社民・共産の両党だったと報道されている。「野党共闘は衆参一体で捉えるべきだ」との立場から、生活推薦候補を参院選の共闘候補とし、民進推薦候補を次期衆院選岩手2区候補とする案を提示して、打開につなげたという。これで、野党4党対自公の一騎打ちとなる。注目選挙区の一つである。

和歌山の共闘模様は、やや複雑だ。すんなりの全野党合意ではない。
まず、安全保障関連法廃止を掲げる「市民連合わかやま」の主導で、統一候補者が模索された。「市民連合わかやま」が、各野党に呼びかけた政策の合意は次の3点である。
①安全保障関連法の廃止
②集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回
③日本の政治に立憲主義と民主主義を取り戻す

結局、「市民連合わかやま」は、この3項目の政策で参議院選挙の和歌山選挙区予定候補に由良登信弁護士(元和歌山弁護士会会長)を推薦することを決定し、民進、共産、社民の各野党に「野党統一候補として推薦いただきたい」と申し入れた。市民組織先行での野党への呼びかけは、「この指止まれ方式」だ。

これに対し、共産・社民・生活の3党は、この指にとまって、由良推薦を決めた。共産は独自候補を比例区に回してのこと。民進党県連の、この指への止まり方は微妙だった。自党の参院選予定候補者を「次の衆議院選挙の和歌山2区で候補とする」と「転戦」を発表はしたが、由良候補推薦とはならなかった。「基本的な理念や政策に違和感がある。野党の統一候補とは言えない」として、参議院選挙では、自主投票としたという。

複雑な事情は知り得ないが、民進も既に決めていた候補者を下ろしたのだ。由良候補を、「事実上の野党統一候補」と言ってよいだろう。

私は、由良さんをよく知る一人だ。日弁連の消費者委員会で活動をともにした。信頼のできる人だし、社会的弱者の立場に立つことを鮮明にしている人。到底、自ら国政に出ようというタイプには見えなかったが、この人が選挙に出るなら、なるほどよい候補者だ。人当たりが柔らかで、誰の意見にも穏やかに耳を傾ける。何よりも声がよい。歯切れがよいし、滑舌が滑らかで聞きやすい。そして、話が分かりやすい。説得力がある。
がんばれ、由良さん。がんばれ、和歌山野党共闘。

「野党は共闘」とは、市民の声であり、今や天の声でもある。野党はこの天の声に耳を傾けざるをえない。なんと言っても、これが大義なのだ。この大義が、由良さんのような無所属候補を擁立したのだ。これで、「野党共闘+市民の陣営」対「与党(自公)の陣営」の対立構図が明確になってきた。対立軸は、明文改憲と解釈改憲の是非である。「憲法擁護の、野党+市民」対「改憲の自公」の対立なのだ。

典型例としての愛媛県の例。無所属の候補と、これを擁立した市民組織「安保法制(戦争法)の廃止を求める愛媛の会」と4野党(ここでは、民進、共産、社民、新社会)との合意内容は以下のとおりである。
①憲法違反の安全保障関連法廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を公約する
②安倍政権の打倒をめざす
③自民党改憲案にもとづく憲法改正を阻止する
④立憲主義と民主主義の回復をめざし、その姿勢を貫く

こうして、日本国民は、憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」を実践し、日本国憲法とその理念を、日々選び取り血肉化しているのだ。憲法を排撃すること厳しいアベ政権が、国民の憲法意識を鍛えているとも言えるだろう。

最後に、もう一度。がんばれ、由良さん。がんばれ全国の野党統一候補者の皆さん、そして共闘を支える野党と市民の皆さん。
(2016年5月19日)

竹田君のモノローグ-「前途には、越すに越せない障害物が山積」

私、竹田恒和です。恥ずかしながら、皇族の出です。オリンピックを取り巻いているのは、金持ちだけでなく王族や貴族が織りなす世界。クーベルタン自身が男爵でしたし、歴代9名のIOC会長のうち、5人は爵位の持ち主です。キラニンは男爵、サマランチは侯爵、ロゲは伯爵。世が世であれば、私だって爵位くらいはあったはず。

もっとも、出自の良さと能力には何の関係もありません。出自と廉潔さともなれば、なおさらのこと。もっとも、育ちの良さは、一般に逆境を切り抜ける強さに欠けることにはなるでしょう。私も、この点自信がありません。東京オリンピック招致不正疑惑についての厳しいご指摘、一々ごもっともと、私自身が思ってしまうのですから。安倍さんや、籾井さん、そして今もうひとり疑惑の渦中にいる舛添さんなどの強心臓を学ばねばならないと思いながらも、ままなりませんね。

一昨日(5月16日)から本日(18日)まで、三日続けて国会で疑惑追及の矢面に立たされました。部下が作った原稿を読むのが私の役目なのですが、当の私自身が出来のよい弁明とは思えないくらいですから、あれを聞いておられた多くの人びとが、疑惑を深めたであろうことはよく分かります。私は馬術の障害飛越競技選手でしたが、果たして眼前の障害を乗り越えることができるのだろうか。心細く不安でなりません。

私の弁明は、招致委員会が「ブラックタイディングス社」に2億3000万円を送金したことを認めるところから出発しています。送金の事実は証拠を押さえられていますから、否定することができません。2回に分けての送金の時期が、2013年9月の東京オリンピック招致を決めたIOC総会をはさんで、7月と10月。当然疑惑の対象となるわけです。

送金先の会社とどのように接触したのか。その素性をどう確認したのか、送ったカネの趣旨は何だったのか、そのカネはどのように使われたのか、送金先からカネの使途についてどのように報告を受けているか、ほかにもカネをばらまいていないのか…。想定される疑問に、スタッフが知恵を絞ってあの原稿を書いたのです。

具体的なことを書けばボロが出るわけですから、できるだけ抽象的に、あとからどうでも言い訳できるような文章を拵えてありますから、リアリティに欠けます。後ろめたい印象となったのは当然のこと。

しかしこう思ってくださる心温かい方もすくなくないと思うのです。
「オリンピック招致にワイロが動くのは常識じゃないの」「2016年大会招致の敗北は結局実弾が不足していたからでしょう」「招致に成功すれば見返りは十分なのだから思い切った『投資』が必要なことは理解できる」「コンサルなんて、ワイロあっせんに決まっているでしょうが」「ロビー活動って、結局はどうやって裏金を渡すかの密談以外の何ものでもありませんよね」「要は、ワイロを待ち構えているIOC委員に、どれだけの金額で、オ・モ・テ・ナ・シをするかだよ」

こういうものわかりのよい人びとを心の支えに、「カネはコンサル業務の対価としての支払いだ」とまずは構成しました。で、電通の名を出してこれに一部責任を転嫁し、「電通から、実績あるコンサル業者であることを確認した」と言ったのです。

ブラックタイディングスは、自分の方から売り込んできたのです。自分の実績も、IOC委員とのつながりについても、いろいろ話しただろうと思うのが常識的な判断。でも、そこを認めてしまっては、障害を飛越できません。飽くまでも、無理と知りつつ、「何も聞いていません」「委員との人的関係は知る由もありませんでした」とがんばるしかありません。

もっとも、何もかも知らぬ存ぜぬでは、「そんなことを調べもせずに2億ものカネを出したのか」「杜撰きわまる」と批判されますから、どこまで知らぬと押し通すかは微妙なところ。本当のことを語っては、「お・し・ま・い」なのですから、いかに本当らしく語るかが、苦心のしどころなのです。

招致決定以前の7月の支払いは、国際ロビー活動や情報収集業務として、招致後の10月の支払い分は、「勝因分析」業務として支払ったことにしました。「勝因分析に1億」って、そりゃ何だ? と突っ込まれるのは当然といえば当然。このコンサル会社は実はただのペーパーカンパニーで、裏で国際陸連前会長ラミン・ディアク氏の息子であるパパ・ディアク氏と繋がっていることを知っていただろうという追求を受けることになります。「知っていた」と言ってしまえば、一巻の終わりです。

どうしても逃げられないのが、コンサルタント料の約2億3000万円について、事前にも事後にも使途を確認していない、ということ。本日も、参考人として出席した衆院文部科学委員会で説明、このことを明言しました。だってね、まさか「事前に、ワイロとしての使途を確認」したり、「事後に、確実にワイロとしてターゲットに渡ったことの確認」などできるわけはないでしょう。だから、「使途の確認はしていない」と言わざるをえないのです。

すると、「使途の確認もすることなく2億を超えるカネを支払ったのか」「まことに不自然ではないか」「不見識」とお叱りを受けることになります。これは辛いが、じっと我慢する以外ありません。辻褄合わせは楽ではないのです。

結局、今はやりの第三者委員会方式による調査をすることにしました。弁護士など第三者の調査チームをつくるという、あのやり方です。ここにお任せして、招致関係者から聞き取り調査をしてもらおうというのです。これが一番楽で利口なやり方。うるさい記者には「第三者委員会で調査中で、その結論を待っています」と時間稼ぎができます。その内に、いろんな事件が起きて世論の逆風もおさまるに違いない、と思うのです。

うるさくない弁護士だけを集めて、調査チームを作って答申させるのです。あんまり、露骨な甘い調査ではいけない。さりとて本気になって厳格な調査など始められたら、なおいけない。その辺のアウンの呼吸を身につけた、大人の弁護士を見つけるのが、この種危機管理の要諦というもの。しかるべき人脈で、しかるべき弁護士を見つけることができるはずです。いざという時は、また、電通に頼みこめばよしなにはからってくれるでしょう。

私の後ろには、政権も東京都もついていたはずだったのです。ところが、東京都の方は当時の知事が不祥事で辞任し、その次の知事もおかしくなってしまっています。残るは、安倍政権なのですが、今度の参院選でどうなりますか。こちらも、心もとないありさまです。

そして心配は、日本での追求は飛越できたとしても、フランスの捜査当局がいったい何を見つけてしまうのか。心配で夜もオチオチ眠れません。いっそのこと、東京オリンピック返上覚悟で、洗いざらいぶちまけてしまったら、気持も軽くなろうかと思うのですが、そんな思い切ったことができないのは、やはり私の育ちの良さが邪魔しているのでしょうかね。
(2016年5月18日)

「起訴後勾留中の取調べに録画義務なし」との政府解釈にもかかわらず法案を推進する日弁連に強く抗議する ―「全過程可視化」はどこへ行ったのか?!

以上のタイトルは、昨日(5月16日)日弁連会長に宛てた法律家8団体の抗議書のタイトルそのものである。相当に厳しいトーン。私は、この抗議に全面的賛成の立場だ。
 まずはこの抗議の全文をお読みいただき、事態の深刻さをご理解いただきたい。

日本弁護士連合会 会長中本和洋殿 
       2016年5月16日

私たちは,参議院で審議中の刑事訴訟法等改正法案は,司法取引や盗聴の大幅拡大,「部分録画」を許す取調べ録音録画など,冤罪防止どころか新たな冤罪を作り出す危険が高く,捜査権限の拡大強化と国民監視を図るだけの制度を法制化するものだとして,本法案の廃案を求めて運動を続けてきました。
本法案は今週5月19日(木)にも採決予定と言われていますが,審議すればするほど本法案の人権侵害性が明らかになり,審議は全く尽くされていません。
このような法案を数の力で成立させることは絶対に許されません。

私たちは,日弁連が,17年前には現行盗聴法の成立に強く反対したにもかかわらず,本法案について推進の立場をとったことを誠に残念に思ってきました。日弁連が本法案を推進する最大の理由は,「取調べの可視化」が法制化されることにあったと思います。日弁連は,この「可視化」がどれほど不十分なものであっても,法制化されること自体が冤罪防止のための「一歩前進」であるとして,盗聴拡大や司法取引の導入と引き換えにしても余りある価値があると考えてきたはずです。

ところが4月8日の今市事件の宇都宮地裁判決は,本法案の先取りのような形で取調べの録音録画が行われたことにより,被告人の有罪判決が導かれるという重大な事態を露呈しました。暴力を振るわれ,「殺してゴメンナサイと50回言わされた」などの自白強要場面は録画されず,屈服して自白した場面が録画されて公判廷で再生されることにより,映像の強烈なインパクトによって,自白の「任意性」が容易に導かれただけでなく,実質証拠としても機能して有罪判決に至ったのです。裁判員たちは,録画がなければ有罪判断はできなかったと語っています。本法案の録画対象事件の少なさや大幅な例外規定をもって「抜け穴だらけの可視化」,「いいとこ録り」などと批判してきた私たちも,現実の裁判を目のあたりにして,これほど酷いことになるとは思わなかったと青ざめています。冤罪被害者たちは,本法案の恐ろしさを肌で感じ,必死で反対しています。

それだけでなく,今市事件に関連する国会質疑においては,本法案の重大な「欠陥」が明らかになりました。
今市事件では,2月に商標法違反で起訴され,起訴後の勾留中に殺人罪の取調べが行われ,6月に殺人罪で再逮捕されています。この3か月半にわたる起訴後勾留中の取調べにおいて自白が強要されましたが,その部分は録画されていません。そして,参議院法務委員会で林刑事局長は,別件で起訴後の勾留中の「被告人」に対する本件の取調べは,「被疑者」(法案301条の2第4項)の取調べではないから,録音録画義務がないと明言したのです。
これでは,本法案が成立したならば,別件での起訴後勾留を利用して,いくらでも録画なして自白を強要し,自白に追い込んだところで本件で逮捕することが可能になってしまいます。

日弁連は,本法案は,取調べの「全過程可視化」を実現するものだと主張し続けてきましたが,政府の解釈によって,「全過程可視化」など全く実現しないことが,はっきりと明らかになったのです。
法案の採決が迫った5月12日,日弁連の刑事法制委員会が,上記の一点に絞り,日弁連は,法務省等に対し,起訴後勾留中の取調べについても録音録画義務があることを明確にする法案への修正を求めるべきだとの意見書を出しました。ところが,日弁連の正副会長会議は,この意見を受け入れず,政府の解釈が間違っているとして,法案修正を求めない結論になったとのことです。

私たちは,この日弁連の結論に強く抗議します。
政府がはっきりと「録音録画義務なし」との解釈を明言しているのですから,法案が成立すればその解釈どおりに実務は動くでしょう。何か月も,やりたい放題,録画なしで自白を強要でき,自白に追い込まれて「スラスラ」自白している場面だけ録画する。このような法案の成立を,日弁連が黙って見ていることが許されるのでしょうか。
「全過程可視化」はどこに行ったのでしょうか。
法案はまだ成立していないのです。
政府見解に抗議し,法案の修正を求めるのは当然のことでしょう。
それがダメなら、今からでも日弁連として法案に毅然として反対して下さい。
「日弁連が冤罪に加担した」と言われないために。
日弁連が冤罪被害者と国民の信頼を取り戻すために。

  社会文化法律センター
  自由法曹団
  青年法律家協会弁護士学者合同部会
  日本国際法律家協会
  日本民主法律家協会
  盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会
  盗聴法廃止ネット
  盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する刑事法研究者の会

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同じく8団体が、同じ日に民進党にも要請書を提出している。その、タイトルだけをお読みいただきたい。これで、本文はあらかた推察がつく。

冤罪防止を目的としたはずの刑事訴訟法等「改正」法案は、冤罪拡大の「大改悪」法案であることが、参院質疑の政府答弁で改めて明らかに!!
今市事件裁判判決(本年4月8日)を通して、「一歩前進」とされてきた取調べの可視化(録音・録画)が、「むしろ冤罪・誤判を誘導するという危険性」をメディアも報道!
私たちは、民進党が5月19日採決容認方針を撤回し、徹底かつ十分な審議を貫くことを強く求めます!

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法律家8団体がこぞって、刑事訴訟法等『改正』法案は、実は「冤罪・誤判誘発法」となる危険性を指摘しているのだ。そして、その指摘の内容は極めて具体的だ。今市事件の取り調べ経過と部分可視化による判決で、その危険は顕在化している、と警告し猛反対している。

今市事件の教訓は次のようなものだ。被告人は、まず「偽ブランド品のバッグを所持していた」という商標法違反の別件で逮捕され起訴された。起訴のあとは、取り調べに応じる義務はないとされているが、それはタテマエだけのこと。現実には本件の殺人事件について、ぎゅうぎゅう取り調べを受けた。このときに、自白強要があったが、この場面は録画されなかった。屈服して自白した場面だけが録画されて公判廷で再生されることになったのだ。「この,自白映像の強烈なインパクトによって,自白の『任意性』が容易に導かれただけでなく,実質証拠としても機能して有罪判決に至った」。裁判員たちは、「この映像がなければ有罪判決は出せなかった」と言っている。部分可視化がもたらした有罪判決であり、冤罪である可能性が限りなく高い。

しかも、この取り調べの「部分可視化」について、参議院法務委員会で法務省の刑事局長は,このような「別件で起訴後の勾留中の「被告人」に対する本件の取調べは録音録画義務がない」と明言している。つまりは、現法案が成立すれば今市方式が是認されるのだ。

日弁連は、「部分可視化でも一歩前進」の立場、また「刑事局長答弁は法(案)の解釈を間違えている」という立場でもある。これに対して、8団体意見は「このような制度化された部分可視化は冤罪を誘発する」、「立法担当者が明言する取り調べ運用は必ず実務となる」という批判。
信頼されている日弁連が間違うとことだ。朝日も毎日も批判をしにくい。むしろ、赤旗のほかでは、産経がきちんと問題点を報道するという奇妙なことが起こっている。

明後日、5月19日(木)にも参議院での委員会採決強行があるかも知れない緊迫の状況。ぜひ反対の声に応じていただきたい。
(2016年5月17日)

「オリンピック・ワイロ誘致音頭」または「恥さらし音頭」

ハア~
あの日猪瀬が ながめた月が
きょうは 舛添ボロ照らす
次の次には 東京五輪
かたい約束 夢の夢
ヨイショ コリャ 夢となれ
オリンピックの 顔と顔
ソレトトント トトント 恥さらし

ハア~
あの日会議で もっともらしく
コントロールよ ブロックと
ウソを承知のしたり顔
ダマシとったが 我が手柄
ヨイショ コリャ 手柄顔
オリンピックの ウソとウソ
ソレトトント トトント 大ウソだ

ハア~
コンサル会社に払ったカネは
2億と少しのはした金
庶民騒ぐは すじちがい
これが相場のワイロ額
ヨイショ コリャ やすいもの
オリンピックの カネまみれ
ソレトトント トトント カネまみれ

ハア~
東京招致は 日本の知恵よ
ワイロとダマシの 大成功
追求されても二枚舌
日本の子どもに よい見本
ヨイショ コリャ 処世術
オリンピックの カネとウソ
ソレトトント トトント 大成功

ハア~
待ちに待ったる 世界のカネよ
西の国から 東から
北の空から 南の海も
越えて日本へ どんと来い
ヨイショ コリャ ザクザクと
オリンピックの カネとカネ
ソレトトント トトント ふんだくれ

ハア~
色もしぼんだ エンブレム 
大会経費は青天井
ゼネコン企業にはずむゼニ
いずれおとらぬ 無駄遣い
ヨイショ コリャ 人のカネ
オリンピックだ たかろうぜ
ソレトトント トトント この際だ

ハア~
終始一貫 無責任
どんなに金がかかっても
知事も首相も知らぬ顔
宴のツケは庶民宛
ヨイショ コリャ 気をつけよう
オリンピックの 霧と闇
ソレトトント トトント 無責任 

ハア~
政権はやせば 国民踊る
失政繕う 隠れみの
メディアこぞって 拍手の音に
アベの批判も かすみゆく
ヨイショ コリャ 思う壺
オリンピックの 笛太鼓
ソレトトント トトント もっと吹け

ハア~
暑い盛りの真夏の空に
聖火台など 要りはせぬ
省エネ日本の心意気
そのままギリシャにお返ししょ
ヨイショ コリャ お返ししょ
オリンピックは 要らないね
ソレトトント トトント 要らないよ

ハア~
リオの五輪は 政権ご難
東京五輪も ぐらぐら揺れて
オリンピックは 呪われづくし
いっそやめよう 東京五輪
ヨイショ コリャ 夢さませ
オリンピックの 夢と夢
ソレトトント トトント 悪夢だね

ハア~
東京五輪は 錦の御旗
東北復興そっちのけ
熊本復興どうでもよいさ
一極集中まっしぐら
いっそやめよう 東京五輪
ヨイショ コリャ 民のため
オリンピックは 困りもの
ソレトトント トトント やめちゃおう

ハア~
オリンピックのうらおもて
おもての成果は とりあって
うらの失敗 なすりあい
うらばっかりの
オ・モ・テ・ナ・シ
こんな五輪は返上だ 
ヨイショ コリャ 返上だ 
オリンピックは もう要らぬ
ソレトトント トトント 返上だ 
(2016年5月16日)

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