澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「すくっと 立ち上がる」言葉を

かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの池で
晋と朋が滑った
後ろの政治家だあれ?

「右派言論ウォッチャー」を自ら称する佐藤恵美さんの作。「靖国・天皇問題 情報センター通信」の最新号(通算517号)の「新編右翼事情」欄の末尾に載っていたもの。

「かごめかごめ」の元歌がなにやら不可解で、不可解ながら不気味で陰鬱な色合いをにじませている。「籠の中の鳥は いついつ出やる」とは、囚われ人の溜息が言葉になったものだろう。こんな、絶望の雰囲気に満ちた童謡がまたとあろうか。

佐藤恵美版「かごめ」は趣を異にする。「籠の中の鳥」とは、アベ政治のおぞましさ、まがまがしさの根源にある行政を私的にコントロールする仕組みの秘密。「晋」は極右の「朋」には、ねぎらい、振る舞うのだ。行政機構は、忖度を重ねて「晋の朋」のために、大判振る舞いをする。おぼえめでたきを良しとして、見返りを期待するというわけだ。

籠の中に閉じ込められて、なかなか外からはうかがい知れない。この「鳥」が、もう一息でうまく出そうなのだが、出そうでいて実はなかなか出てこない。そのもどかしさが、「いついつ出やる」と愚痴になる。

それにしても、「晋」と「昭」と、その「朋」らが、みっともなくも滑ったことは間違いない。籠からは真実を開け放ち、代わって「晋」と「昭」らを逃さず閉じ込めなければならない。

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何の解決も見ることなく、事態生煮えのままやや下火になった「アベ友学園」問題。このままでよいはずはない。ようやく、このところ再燃の兆し。新たな資料も出てきた。「『森友』音声記録 土地交渉中 昭恵氏に言及〈籠池氏、財務省と面会時〉」(東京)、「森友の国有地取得、財務局が手助け 書類の案文も添付」(朝日)などと、新資料に基づいて、問題解明に積極的に切り込む報道が増えている。

本日(4月27日)の東京新聞「こちら特報部」は、出色。「共謀罪」と「森友問題」をならべて、「ふたつの共通項とは?」と記事にしている。「政府・与党 禁じ手連発」「揺らぐ法の支配」「機能不全の国会」「説明できぬ大臣 反対意見抑圧」「野党の資料要求も拒む」と、大きな活字の見出しが並ぶ。

特報部記事の中に、「デスクメモ」という囲み記事がある。ここに「息苦しい新たな『戦中』がかたちになり始めている。押し返さねば、塗り固められる。いたるところで抵抗を」と書かれている。切実な思いの込められた重い言葉。

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4月21日の当ブログ「森友への国有地低額売買をうやむやにしてはならない」ーそのための具体的提案」で話題にした、近畿財務局への第三者委員会の設置等を求める要請行動。この短期間に、弁護士と学者の要請賛同者は280名を超えた。

本日、代表者が、近畿財務局に要請書を提出し、連休明け5月10日までの回答が約束されたという報告。

MBS(毎日放送)が下記のように取り上げている。
http://www.mbs.jp/news/kansai/20170427/00000023.shtml

「学校法人「森友学園」が大阪府豊中市に小学校を建設するために国有地を取得したいきさつについて、弁護士らのグループが近畿財務局に対し、第三者委員会の設置を求める要望書を提出しました。
去年6月、森友学園は小学校を建設するために豊中市の国有地を買い受けましたが、約8億円が値引きされた算定根拠などは今も不透明なままです。このため、弁護士や法学者など約280人のグループは 土地を売却した近畿財務局に対して交渉経緯などを調査する第三者委員会の設置を求めています。

『国民の大多数は疑問に思っている。法的な手段で可能なものを全てやる』(阪口徳雄弁護士)
グループは、国が交渉記録を廃棄したことについて行政訴訟を起こすことも検討しているということです。」
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この報道のタイトルが、「『法的な手段全てやる』弁護士ら森友問題で要望書」というもの。阪口徳雄君の、「国民の大多数は疑問に思っている。法的な手段で可能なものを全てやる」発言は、短くて歯切れがよい。

ところで、本日の東京新聞「筆洗」からの引用である。

捨てる。捨てない。
忘れる。忘れない。
戻る。戻れない。
帰りたい。帰れない。
遠い。近い。
どうする。どうしようもない。
陽炎の 向こうに。
ゆれて見える。

これは、福島県相馬市に住む根本昌幸さん(70)の詩集『荒野に立ちて』に収められた詩「わが故郷」だという。微妙で複雑な気持ちが、そのまま言葉になっている。
また、根本さんは、こういう詩も書いているという。

人が人を 虫けらや獣のような 扱いをしたとき。
言葉はすくっと 立ち上がるだろう。
そして人に向かって行くだろう…。

復興相の「東北でよかった」発言にちなんでの、「筆洗」の引用であって、まことに適切である。だが、この詩はそのような状況を越えて、普遍性の高い、立派な作品であり、言葉だと思う。

『荒野に立ちて』も、東京新聞「デスクメモ」も、阪口君の「法的な手段で可能なものは全てやる」発言も、言葉がすくっと立っている印象がある。

そういえば、最近「すくっと 立ち上がった」、見事な言葉を聞いた。

多喜二多喜二 総理の夢に現れよかし  山路家子(81)東京都

東京新聞4月20日の「平和の俳句」である。いとうせいこうが、「特高警察に殺された小林多喜二の命日、2月20日にさまざまな句が寄せられた。共謀罪の閣議決定に私たちは過去を見る。そして歌う」と解説している。この句の凜々しさ、厳しさに、解説が追いつかない。

私も、「すくっと 立ち上がる」言葉を発したい。切実にそう思う。
(2017年4月27日)

今村復興大臣辞任をめぐってー「失言・放言・暴言・妄言」再論

2011年3月。私は、故郷岩手の3・11被害に驚愕し動顚し、うろたえてもいた。その心理状態で、石原慎太郎の「震災・津波は天罰」という発言に接して文字通り激怒した。「石原慎太郎天罰発言」批判のブログ連載はその怒りのほとばしりである。4年後の3月11日に、そのダイジェストをアーカイブとして当ブログに掲載している。再度、お読みいただけたらありがたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=4563

その中の一文が、「失言・放言・暴言・妄言」(2011年3月31日)という以下のもの。本日なればこそ、再掲したい。

石原の「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
失言とは、「不注意に本音を漏らす」 こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。

彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。

翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。

放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。

失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。

思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。

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以上の拙文の、「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」という発言内容を、「これはまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった」「自主避難者が帰還するかどうかは自己責任。裁判でもなんでもやればいい」に置き換えれば、そのまま昨日(2017年4月25日)の今村復興相発言批判に通用する。石原慎太郎と今村雅弘とは、似た者同士で同罪相哀れむの仲。いずれも、問題は失言にではなく、彼らが抱えているホンネにあるのだ。今村だけではない。イナダ以下の閣僚皆がそうではないか。

そしてアベ本人には、「失言・放言・暴言・妄言」以外に、「呆言(ほうげん)」というものがある。呆は痴呆の「呆」。官僚が書いた原稿の「云々」を、自信たっぷりに「でんでん」と読む、あの手の「呆言」。これが、日本国民にふさわしい内閣なのか。

なお、執拗に繰り返されたイマムラ放言には、被災者切り捨ての方針を打診する意図があったのではないか。批判がなければ確実に東北の切り捨てが進行したと思う。イマムラにもアベにも、厳しい批判が必要なのだ。
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そして、同アーカイブから、もう一つの記事(2011年04月04日)を。

ばちあたり

「なんてかなしいこと」というと
「なに、てんばつさ」という。

「ほんとにてんばつ?」ときくと
「ほんとにてんばつさ」という。

「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
「てっかいしてしゃざいする」という。

そうして、あとでもういちど
「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。

こだまでしょうか、
いいえ、あのひと。

「天罰」はだれにも見えないけれど
「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
「天罰」は本当はないのだけれど
「天罰という人の罪」は深い

これも、「天罰」を「自己責任」に、「しゃざい」を「辞任」に、「あのひと」をアベあるいはイマムラに置き換えてお読みいただきたい。
(2017年4月26日)

沖縄の民意を蹂躙するアベ政権の支持者よ、君たち恥ずかしくないか。

本日(4月25日)、全国紙の各社説の1本はいずれもフランス大統領選挙問題。そして、もう一本のテーマが、北朝鮮、万博、原発、それにカジノなど。沖縄・辺野古はテーマになっていない。沖縄2紙は違う。いずれも、辺野古の新基地建設問題を取り上げた。明確に、「護岸工事着工ノー」の立場を鮮明にしてのこと。

沖縄タイムス社説のタイトルが、「名護市辺野古の新基地建設に反対する沖縄の民意は揺るがない」。そして、琉球新報が、「辺野古護岸着工へ 埋め立て承認撤回する時だ」というもの。「建設に反対する民意」を確認した上で、「埋め立て承認撤回」と、建設阻止の具体策まで踏み込んでいるのが、沖縄のメディアなのだ。

沖縄タイムス社説
「沖縄タイムス社、朝日新聞社等が実施した県民意識調査で、新基地に『反対』する人が61%を占めた。『賛成』は23%にとどまった。これが、県民の意志である。新基地を争点にした主要選挙も流れを一にする。名護市長選、衆院選、参院選と新基地に反対する候補者が完全勝利した。民意の背景にあるのは、沖縄に米軍基地が過度に集中している現状への差別感、沖縄のことは沖縄が決めるといった自己決定権要求の高まり-などである。
安倍内閣に対し県内では『支持しない』が48%で『支持する』の31%を大きく上回った。朝日新聞社の全国世論調査では「支持」が50%で「不支持」が30%。沖縄と全国では逆の結果になった。「辺野古が唯一の解決策」と繰り返し、県との「対話」をないがしろにした対応が県民の危機感を高め、それが安倍内閣の支持率低下につながったのだろう。
翁長知事への「支持」は58%、「支持しない」は22%。自民党支持層でも支持と不支持が拮抗した。今年に入ってから宮古島市、浦添市、うるま市の市長選で翁長知事が推す候補者が3連敗するなど、知事の求心力低下を指摘する声もある。しかし、5割を超える支持率は、新基地に反対する翁長知事への期待感がなお根強いことを表している。
沖縄防衛局は25日にも護岸工事に着手する。石材などを初めて辺野古沿岸部に投入し、埋め立ての外枠を造る。意識調査では本格的な埋め立て工事を始めようとする安倍政権の姿勢について「妥当でない」が65%に上った。
基地負担の軽減について安倍内閣が沖縄の意見を『聞いていない』としたのは計70%に達している。新基地建設が民意に反するのは明らかだ。」

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沖縄県民世論調査―質問と回答〈4月22、23日実施〉
◆あなたは、翁長雄志知事を支持しますか。支持しませんか。
支持する58▽支持しない22
◆あなたは、安倍内閣を支持しますか。支持しませんか。
支持する31(50)▽支持しない48(30)
◆あなたは、今、どの政党を支持していますか。政党名でお答えください。
自民20▽民進7▽公明4▽共産4▽維新1▽自由0▽社民3▽日本のこころ0▽沖縄社大0▽そうぞう0▽その他の政党1▽支持する政党はない46▽答えない・分からない14
◆あなたは、アメリカ軍の普天間飛行場を、名護市辺野古に移設することに賛成ですか。反対ですか。
賛成23(36)▽反対61(34)
◆普天間飛行場を名護市辺野古に移設するため、安倍政権は今、辺野古沿岸部での埋め立て工事を本格的に始めようとしています。あなたは、安倍政権のこの姿勢は、妥当だと思いますか。妥当ではないと思いますか。
妥当だ23▽妥当ではない65
◆アメリカ軍基地が集中する沖縄の負担軽減について、あなたは、安倍内閣が、沖縄の意見をどの程度聞いていると思いますか。(択一)
十分聞いている3(5)
ある程度聞いている24(36)
あまり聞いていない39(40)
まったく聞いていない31(13)
(括弧内は、全国調査の数値)

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琉球新報社説
「3月末に岩礁破砕許可の期限が切れたにもかかわらず、沖縄防衛局は無許可状態で工事を強行してきた。県は護岸工事によって、土砂の投下やしゅんせつなどの行為があれば岩礁破砕行為に当たるとみている。
菅義偉官房長官は『日本は法治国家』と繰り返している。ならば違法行為に当たる護岸工事の着工を中止すべきである。一方、翁長雄志知事は、大量の石材などが海底に投じられ現状回復が困難になる護岸工事を許さず、埋め立て承認の撤回を決断する時だ。
護岸工事は石材を海中に投下し、積み上げて埋め立て区域を囲む。埋め立て区域北側の「K9」護岸の建設から着手する。一部護岸ができ次第、土砂を海中に投入する埋め立ても進める。
政府は地元漁協が漁業権放棄に同意したことをもって漁業権が消失し、岩礁破砕の更新申請は必要なくなったと主張する。これに対し県は、漁業権は公共財であり知事がその設定を決定するもので、漁業権を一部放棄する変更手続きには、地元漁協の内部決定だけでなく知事の同意が必要だとして、国の岩礁破砕許可の申請義務は消えていないと主張し、双方平行線をたどっている。
仲井真弘多前知事の埋め立て承認書に留意事項が付いている。第1項で『工事の実施設計について事前に県と協議を行うこと』を義務付けている。このため県との協議なしに本体工事を実施できないはずだが、政府は一方的に協議の打ち切りを通告した。
これが『法治国家』といえるだろうか。留意事項に違反した国に対して、知事は埋立承認権者として承認を撤回できるはずだ。
知事選で圧倒的多数の信任を得た辺野古新基地阻止の公約を実現するため、承認撤回のタイミングを逃してはならない。」
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2紙が危惧したとおり、本日(4月25日)政府(沖縄防衛局)は無許可状態での本格的護岸工事着工を強行してきた。琉球新報が示唆したように、翁長知事は、仲井眞前知事の承認を撤回するだろう。そして、その撤回の効果をめぐって、県と国とは、またまた法廷で対決することになる。

それにしても思う。民主主義とはいったい何なのだと。沖縄の民意は、明確に辺野古新基地建設を拒否して揺るがない。米軍基地は、単に騒音を撒き散らし風紀上問題の不快なものというものではなく、有事の際には真っ先に標的とされる命の危険を伴うものと認識されつつある。しかし、全国の民意は、沖縄に基地建設を押しつけている。沖縄は辺野古建設を拒否する翁長知事を支持し、全国は辺野古建設を強行するアベ政権を支持しているのだ。

だから、沖縄ではアベ内閣の支持率(31%)は、不支持率(48%)を大きく下回るという全国との逆転現象が起きている。

全体の利益のためとして一部の者に犠牲を押しつける。その犠牲の押しつけを、多数決で正当化する。こんなやり口を民主主義とはいわない。これは多数の横暴であり、差別であり、人権の侵害であり、地方自治の破壊なのだ。アベ政権を支持する者よ、恥を知るべきではないか。
(2017年4月25日)

都教委の「日の丸・君が代」不当処分 累計480人に

4月20日、都教委は都立校卒業式の国歌斉唱時に起立しなかったとして、2人の教員を懲戒処分(減給と戒告)とした旨を発表した。
(都教委HP・「卒業式における職務命令違反に係る懲戒処分について」参照)
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/p_hukumu/170420.pdf

「10・23通達」発出以来、これで累計の処分者数は480名となった。民主主義や人権にとって、また教育の自由や独立という制度の理念にとって恐るべき事態といわねばならない。その真の被害者は、真っ当な教育を受ける権利を剥奪された子どもたちであり、明日の主権者の成長を阻害された日本の民主主義それ自体である。

「日の丸・君が代」への敬意表明強制を学校現場に持ち込み、処分濫発の元凶として悪名高い「10・23通達」は、石原慎太郎都政第2期の産物。ことさらに、「(場合によっては)命がけで憲法を破る」と言ってのけたこの男に、2003年4月の都知事選で都民は308万票を与えた。その直後から準備が進行し、この年の秋にこの通達が教育長から発せられた。以来、東京都の教育現場は萎縮したまま今日に至っている。

石原慎太郎が都庁から去れば、こんな馬鹿なことはなくなるのではないか。慎太郎が任命した愚劣な教育委員たちが交替すれば、事態は正常に復するのではないか。そう思いつつ、13年余が過ぎた。石原慎太郎は、知事の座から去ったが、石原後継を標榜する知事が襲って、「日の丸・君が代」強制問題に何の変化ももたらさなかった。次に、保守ではあっても右翼ではなく、石原後継でもない知事が誕生した。期待を持たせたこの知事は、結局五輪準備だけに熱心で、教育現場の事態改善の努力をしなかった。

米長邦雄や鳥海厳、内舘牧子、横山洋吉などの当時の教育委員が総入れ替えしても、事態はまったく変わらないのだ。関与した人物の個性の問題ではなく、権力を形づくる勢力の根源的な意思として、ナショナリズムの涵養が急務となっていると考えざるをえない。

とこうしているうちに都知事はまた昨年交替して、再び大きく右にぶれた。教育分野で小池知事がいつ地金を出して何をやりはじめるか、心配でならない。

以下に、「被処分者の会」の抗議声明を転載する。
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  卒業式における「日の丸・君が代」不当処分に抗議する声明
4月13日、東京都教育委員会(都教委)は第7回定例会を開催し、卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったことを理由に都立高校教員2名に対する懲戒処分(不起立4回目に対し減給10分の1・1月、同3回目に対し戒告)を決定し、本日4月20日、処分発令を強行した。この処分は、「懲戒権者の裁量権の範囲を超え、違法」として減給以上の処分を取り消した最高裁判決および確定した下級審判決の趣旨をないがしろにする暴挙である。
今回の処分によって、「10・23通達」(2003年)に基づく処分者数は、延べ480名となった。
この大量処分は、東京の異常な教育行政を象徴するものであり、命令と処分によって教育現場を意のままに操ろうとする不当な処分発令に満身の怒りを込めて抗議し、その撤回を求めるものである。
処分発令と同時に、都教委は、被処分者に対して、5月10日に始まり3か月に亘る服務事故再発防止研修の受講命令を発した。再発防止研修は、2012年から質量ともに強化され、「思想・良心の自由」と「教育の自由」に基づく信念から不当にも処分された教職員に対して、セクハラや体罰などと同様の「服務事故者」というレッテルを貼り、反省や転向を迫るもので、日本国憲法の精神を踏みにじるものである。
これは、「繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容される範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性がある」とした東京地裁決定(2004年7月)にも反しており、私たちは、憲法違反の再発防止研修を直ちに中止するよう求めるものである。
東京「君が代」裁判一次訴訟および二次訴訟の最高裁判決には、「すべての関係者によってその(紛争解決の)ための具体的な方策と努力が真摯かつ速やかに尽くされていく必要がある」(2012年1月16日 一次訴訟 櫻井裁判官)、「謙抑的な対応が教育現場における状況の改善に資するものというべき」(2013年9月6日 二次訴訟 鬼丸裁判官)など、かつてなく多くの補足意見が付された。最高裁判決は、明らかに強制と処分ではなく、話し合いによる解決を求めているのである。
にもかかわらず、都教委は再三にわたる被処分者の会、原告団の要請を拒んで紛争解決のための話し合いの席に就こうともせず、最高裁判決の趣旨を無視して「職務命令」を出すよう各校長を「指導」し、全ての都立学校の卒業式で例外なく各校長が「職務命令」を出し続けている。それどころか、二次訴訟の最高裁判決(2013年9月)及び第三次訴訟の地裁判決(2015年1月)によって減給処分を取り消された教職員(今回減給処分を発令された教員を含む現職の都立高校教員 計16名)に対し、改めて戒告処分を発令(再処分)するという暴挙を繰り返すなど、司法の裁きにも挑戦するがごとき都教委の姿勢は、都民に対して信用失墜行為を繰り返していると言わざるを得ない。
東京の学校現場は、10・23通達はもとより、2006年4月の職員会議での挙手採決禁止「通知」、主幹・主任教諭などの新たな職の設置と業績評価システムによって、教職員が口を塞がれ、もはや学校は機能麻痺を起こしていると言っても過言ではない。「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える。
都立高校では、今年度から“高校版の道徳”と懸念される新科目「公共」を先取りして「人間と社会」が導入された。生徒たちの心を縛る教育が猛威を振るい、教師たちがその実行部隊にされている。
私たちは、東京の学校と教育の危機的状況を打ち破り、自由で民主的な教育を甦らせ、生徒が主人公の学校を取り戻すため、全国の仲間と連帯して「日の丸・君が代」強制に反対し、不当処分撤回を求めて闘い抜く決意である。この国を「戦争をする国」にさせず、「教え子を再び戦場に送らない」ために!
2017年4月20日
「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
東京「君が代」裁判原告団
共同代表  岩木 俊一  星野 直之
事務局長  近藤 徹
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末尾の「『日の丸・君が代』強制に反対し、不当処分撤回を求めて闘い抜く決意である。この国を『戦争をする国』にさせず、『教え子を再び戦場に送らない』ために!」は、「10・23通達」発出直後の処分の頃には、やや大仰に聞こえたかもしれない。

しかし、アベ政権誕生以来、とりわけ第2次アベ政権が続く現在、多くの人の実感となってきているのではないだろうか。何しろ、アベ政権が改憲志向集団であることは誰もが知る事実なのだ。

アベ政権の姿勢とは、「戦後レジームからの脱却」であり、「96条改憲論」、「教育基本法改正」、「特定秘密保護法」、「戦争法」であり、そして今「共謀罪」なのである。次は、国家総動員法や戦陣訓が出てくるのではないか、さらには宣戦布告ではないかと危惧の念を禁じ得ない。

都政も国政も危うい。「戦争をする国」にさせず、「教え子を再び戦場に送らない」という覚悟の必要性は、教員たちにリアリティをもって迫っているといわねばならない。いつの間にか、そのような時代なのだ。
(2017年4月24日)

首相夫人付公務員の選挙応援関与は違法

本日(4月23日)の朝日。社会面のトップが、「昭恵氏付職員 どこまで公務」「田植え・ハワイ・スキー 同行続々」の記事。中見出しに、「選挙は15回、野党が追及」とある。

「アベ友学園」問題は多面体だ。実に多様な顔を見せてくれるが、朝日は首相の妻の「公人・私人」論争から、お付きの公務員論に光を当てた。「選挙は15回」とは、「国政選挙で、昭恵氏の選挙応援への職員の同行が明らかになったのは15回に上る」ということ。これは、お付きの公務員が、首相夫人を介してアベ一派の選挙に関わったことを意味している。

朝日の記事の締めくくりは、「選挙応援をめぐっても『私的な行為と公的な行為を昭恵氏はぐちゃぐちゃにしている』との批判が上がっている。」というもの。まったくそのとおり。「ぐちゃぐちゃ」なのだ。これまでは首相夫人が無頓着に「ぐちゃぐちゃ」にしてきた。政権はこれを有利に働くとして放置してきた。いや、5人の公務員をつけたのだから、意識的に「ぐちゃぐちゃ」作りに加担してきたというべきだろう。

これが表沙汰となってからは、夫人付きの公務員の行為を、あるときは「私的行為の支援」といい、あるときは「公務員としての行為」と言って、政権もことさらに「ぐちゃぐちゃ」にしてきたのだ。しかし、首相夫人の選挙応援に政府の職員が同行していたとなると、問題は大きい。「ぐちゃぐちゃ」に放置はしておけないのだ。

朝日のリードはこう言っている。
「安倍晋三首相の妻、昭恵氏に付く政府職員の「業務」が、森友学園(大阪市)への国有地売却問題をきっかけに明らかになっている。昭恵氏の選挙応援への同行も次々と判明し、国会では公務員に禁じられた政治的行為にあたるのではとの議論にも発展。告発の動きも出てきた。」

選挙応援という政治活動は、公務員がその職務としてなし得ることではない。
猿払事件(1974年最高裁判決)がリーディングケースとなっている。「郵便局の職員(全逓の役員)が日本社会党を支持する目的をもって、同日同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を自ら公営掲示場に掲示した」などの行為が、国家公務員法違反として有罪とされたのである。

この最高裁判決は悪評高いが、ともかく生きている大法廷判例である。革新陣営の選挙運動には弾圧手段として厳格に適用され、首相夫人付きの公務員にはまことにゆる~い適用なのだ。ダブルスタンダードも甚だしい。

最近では、無罪を勝ち得た社会保険庁年金相談係の堀越さんの事件がある。衆議院選挙前の時期に、仕事と無関係に、職場から離れた自宅周辺で、休日に、赤旗やビラをポスティングしていた。これが国家公務員法の政治活動禁止に触れるとして逮捕され起訴までされた。最終的には無罪となったが、いまだに公務員法の政治活動禁止規定は弾圧法規として機能しているのだ。

猿払判決基準からは、あるいは堀越起訴基準に照らせば、首相夫人の選挙運動に関わった公務員の行為は、当然に起訴相当である。公務員に厳格に要求される中立性に対する社会からの信頼を裏切ることは論じるまでもないのだから。

この点、既に4月20日に、首相夫人とそのお付き職員として選挙に関わった3人の計4人が国家公務員法違反(政治活動禁止)の罪名で告発されている。首相夫人は公務員ではなく、本来身分のない者として公務員法違反の犯罪者とはならない。しかし、共犯としてなら、犯罪が成立しうる。刑法65条1項の効果として、である。「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯」とされるのだ。

これも、朝日の記事。
「昭恵氏らの告発状、元高検部長が送付 参院選応援巡り」「安倍晋三首相の妻、昭恵氏が昨夏の参院選で候補者の応援に行った際、首相夫人付の政府職員を同行させたのは国家公務員法(政治的行為の制限)違反にあたる疑いがあるとして、元大阪高検公安部長の三井環(たまき)氏が20日、昭恵氏と夫人付職員3人に対する告発状を東京地検特捜部に送付した。

告発状によると、職員3人は昨年6月22日~7月9日の計14回、昭恵氏の選挙応援に同行。三井氏は、これらが昭恵氏と職員が共謀して行った選挙運動に該当すると主張している。三井氏は取材に対し、『政権が国家公務員を使って選挙活動をしたことは大問題』と話した。」

首相夫人の行為が純粋に私的なものなら、公務員を付けてサポートすることはできない。公的な色彩あればこそ、公務員を付け得ることになるが、公的な行為が選挙応援となれば、明らかに違法となる。公務員が首相夫人の選挙応援活動をサポートすることはできないのだ。公務員氏は、そんな首相夫人の行為をやめさせるか、選挙関係の行動には同行を拒否するか、どちらかしかない。

朝日は、職員が公務として付いた首相夫人の私的行動を「田植えや森友学園の幼稚園での講演、米ハワイ訪問、スキーイベント参加などだ。政府は『公務として同行した』などと説明。スキーイベントでは、職員は『用務に要した時間以外の時間』にスキーをしたという。」と報道している。

ずいぶん楽しそうだが、他のことはともかく公務員は政治活動を禁止されている。だから、首相夫人付きの公務員といえども、党派性の露出を免れない選挙応援に一切関与してはならないのだ。政権は、「ぐちゃぐちゃ」を整理して、公務員が選挙応援をした違法を認めなければならない。そして、首相夫人の共犯も、なのだ。
(2017年4月23日)

靖國神社への参拝も真榊奉納も、そりゃ違憲だ。

普段は静かな靖國神社だが、春秋の例大祭と8月15日には格別の賑やかさを見せる。いま、その春季例大祭のさなかで、境内の賑わいよりは政治との関わりが喧しい。

靖國神社によれば、次の通りだ。
「靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。春の例大祭は4月21日から23日までの3日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・直会の諸儀が斎行されます。‥当日祭では、生前、お召し上がりになっていた御饌神酒や海の幸、山の幸などの神饌50台をお供えして神霊をお慰めし、平和な世の実現を祈ります。また、この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます。」

靖國に天皇の参拝は途絶えて久しいが、それでも同神社と天皇とはいまだに関係が切れていない。そして、靖國神社自らも「平和な世の実現を祈る」としていることが印象的である。軍国神社も平和を祈るのだ。

春期例大祭の初日に当たる昨日(4月21日)、高市早苗総務相が靖国神社を参拝した。私的な参拝なら、社頭で礼拝して賽銭をあげることで十分だろう。春の例大祭にこだわるのなら、土曜・日曜でも参拝は可能だ。にもかかわらず、この人の参拝は、ウィークデイの日中11時50分頃だったという。その時間帯からは、おそらくは公務の時間を割いての公用車での乗り付けだったに違いない。正式にこれ見よがしの昇殿参拝をして、「総務大臣・高市早苗」と記帳している。これが公式参拝でなくてなんなのだ。

「3年前に総務大臣に就任して以降、春と秋の例大祭の期間中や、8月15日の終戦の日に靖国神社に参拝しています」というのが、この人のコメント。玉串料は私費で納めたというが、どうやら、「総務大臣となった以上は、靖國神社参拝が責務」と思い込んでいるごとくである。

参拝を終えたあとの記者団に対する談話の内容が、「1人の日本人として、国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って、感謝の誠をささげ、ご遺族の皆さまのご健康と、平和を祈って参りました」と、報じられている。また、「中国や韓国の反発が予想されることには『国策に殉じられた方々の慰霊のあり方は外交問題であるべきではない』と強調した」という。

「1人の日本人として」の参拝というのはわかりにくい。まさか、「日本人2人分」の参拝はできまい。大臣あるいは公人としての参拝ではなく、普通の日本人としての、つまりは私人としての参拝という主張なのかも知れないが、そう端的には言わないところに含みがある。突っ込まれれば、公的資格における参拝、私的参拝、どちらにも言い逃れできる余地を意識的に残した表現のつもりなのだろう。

「国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って感謝の誠をささげ」は、常套句のようではあるが、やはりよく分からない。

まず確認すべきは、「靖國神社には戦没将兵の霊魂が存在する」という宗教観念をこの人が承認しているということ。憲法20条3項の政教分離原則は、行為者本人の認識に関わりはなく問題となるが、ここまで本人が宗教性を認識していることは、重要なファクターとなり得る。

戦没将兵を「国策に殉じられた方々」と言っているのは、なかなかに微妙な表現。「国に殉じた」のではなく「国策に殉じた」とは、国家政策の犠牲者というニュアンスがあることをこの人は意識していないのだろうか。

「尊崇の念を持って感謝の誠をささげ」は不可解である。なぜ戦没者は「尊崇の念」の対象になるのだろうか。また、「感謝」することとなるのだろうか。むしろ、率直に、「誤った国策によって命を落とした犠牲者とその遺族に対する、謝罪と不再戦の誓い」をこそなすべきであろう。

さらに、「国策に殉じられた方々の慰霊のあり方は外交問題であるべきではない」は、無理筋の発言。外交問題であるか否かは、優れて相手国のとらえ方の問題で、その口を封じることはできない。そして、何よりも閣僚の靖國神社参拝は、外交問題である以前に憲法問題ではないか。しかも、靖國神社こそは、国家の宗教性の払拭という問題だけでなく、国家が宗教を利用して国民を軍国主義に誘導したことへの反省という、政教分離の核心に関わる問題にほかならない。当然に、かつての侵略戦争や植民地支配の被害国からの反発は必至と考えねばならない。

ところが、菅官房長官は同日の記者会見で「外交への影響は全くない。外交問題にするほうがおかしい」と述べたそうだ。そりゃなかろうぜ。

「外交への影響は全くない」は事実認識の問題だが、「全くない」と考えることは明らかにおかしいし、その発言がさらに、相手国を刺激することになろう。

「外交問題にするほうがおかしい」は評価の問題だが、かつて日本の軍国主義の被害を被った国からすれば、日本政府の閣僚が軍国神社靖國の祭神に、「国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って、感謝の誠をささげる」と言うのだから、神経を尖らせざるを得ない。その上に、「外交問題にするほうがおかしい」と、文句を言うなといわんばかりの高飛車な姿勢。しかも、靖國神社の祭神の中には東条英機以下のA級戦犯も含まれているのだ。

高市だけではない。アベ晋三も同罪だ。同日、供え物の「真榊」を「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で奉納している。これ見よがしに、「内閣総理大臣 安倍晋三」という札を立てての真榊奉納、首相として、靖國神社という特定の宗教団体と、特別な関係を誇示する行為。目的効果基準から見て、政教分離に違反する許されざる行為と言わねばならない。

これに対して、菅官房長官は、記者会見発言で、「私人としての行動に関することであり、政府として見解は控えたい」と述べたという。そりゃなかろうぜ、菅さん。

「アッキード事件」を契機に、公人・私人論争が熱を帯びている。「私人」といえば、何でもできることにはならない。公務員の肩書きを明らかにし、公務員と公用車を使い、靖國神社に政府との特別の関わりがあることを示す効果があれば、これは政教分離違反だ。
(2017年4月22日)

「森友への国有地低額売買をうやむやにしてはならない」ーそのための具体的提案

下記は、一昨日(4月19日)の「弁護士阪口徳雄の自由発言」というブログの転載。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/archives/1065590829.html

森友事件(「アベ友事件」「アッキード事件」)があぶり出した諸問題の核心に位置するのが「国有地低額売買問題」。これについて、いい加減な幕引きを許さず、徹底解明を求めようという運動の呼びかけである。私も呼びかけ人の一人になっているので、この記事を転載し、拡散をお願いしたい。

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安倍官邸は国有地を異常に低く売買した森友問題をどうやらうやむやにしそうだ。マスコミ報道も最近では極端に減ってきた。このような動きに危機を感じた23期の年寄り弁護士達が大阪・京都の若手の弁護士の協力を得て、
「国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会」
を結成して真相解明のための行動を起こすことにした。

第1弾として、下記の「学校法人森友学園との交渉経過のデータの保存及び第三者委員会の設置等を求める要請書」を弁護士・研究者の多数の賛同で4月27日に提出予定。

第2弾として、国会審議に委ねるだけでなく、法律家として自らこの問題を調査して必要な法律上の行動を起こす。具体的には情報公開請求訴訟(すでに開示請求している)や多数の弁護士・研究者の名前で必要な告発なども検討中である。

第3弾としては、市民も多数参加できる行動提起も検討中。

当面は賛同者は弁護士・研究者に限るが賛同の方は氏名、住所、弁護会名(研究者は大学などの肩書)を記載して
abc5def6@yahoo.co.jp
に連絡を頂きたい。賛同者の氏名・肩書はHPに公表させてもらいます。(公表は不可でも要請に賛同の方もその旨お書き頂き歓迎です)

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近畿財務局局長 美並義人殿
2017年4月27日
学校法人森友学園との交渉経過のデータの保存及び第三者委員会の設置等を求める要請書

別紙弁護士目録記載の弁護士・研究者○○名

国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会
(呼びかけ人代表) 阪口徳雄
(呼びかけ人) 豊川義明、大江洋一(以上大阪)、村山晃(京都)松岡康熙(奈良)、梓澤和幸、澤藤統一郎、児玉勇二、山下登司夫、中山武敏、宇都宮健児(以上東京)、野上恭道(群馬)、郷路征記(札幌)、渡辺輝人(京都)、小林徹也、由良尚文、愛須勝也、菅野園子、白井啓太郎、岩佐賢次(以上大阪)

第1 要請の趣旨
1 大阪府豊中市野田地区の国有地の賃貸借、売買における近畿財務局と学校法人森友学園との交渉経過に関する紙ベースの記録・電子情報・パソコン内のデータ―を保存すること
2 豊中市内の国有地を学校法人森友学園に賃貸、売買に至る経過、その理由、及び交渉経過等を調査する公正・中立な別紙記載の第三者委員会を設置して調査し、その結果を公表すること
を要請する。

第2 要請の理由
1 近畿財務局は森友学園に小学校用地として2016年6月、鑑定価格9億5600万円からごみ撤去費8億1900万円などを差し引いた1億3400万円で売却しました。
2 国会などでの審議経過を見ても、何故このような低額譲渡がなされたのか、その経過、ごみ撤去費用に関する算定根拠、交渉経過の記録の廃棄など極めて不透明な内容であり、およそ多くの国民を納得させる説明になっていません。
特に『平成23年度大阪国際空港場外用地(OA301)土壌汚染深度方向調査業務報告書』のP11の地層想定断面図によると深さ2.8mより下部は自然界土質の沖積粘性土質になっておりゴミ等が混入するはずがない場所です。
3 また、それ以前の2009年1月の「国土交通省大阪航空局・大阪探査技術株式会社」の地中埋設物状況調査報告書によっても、地下埋設物の存在は概ねGL-3mとして結論付けています。仮に、地中埋設物・その量が御庁の通りの量があったしても、国、自治体の積算基準で、この地中埋設物撤去費用は専門家に調査依頼をしていますが、概算で3億7千万円前後であり、約4億5千万円前後が過大な見積りであるとの意見もあります。
4 近年、オリンパス株式会社に代表されるように、上場企業、地方自治体でこのような疑惑が生じた場合には、直ちに事案の真相解明、再発防止策を検討する第三者委員会を設置して調査しその結果を公表しています。
しかし、御庁では国会での質疑に応じて「適正」に処理したというだけで、自らその経過、価格算定の根拠資料、森友学園の交渉経過などについて調査して、その結果を公表しようとしていません。国会で答弁しているように御庁の判断が正しいとするならば、自浄作用を発揮して事案の真相を解明することは、国家公務員の当然の責務です。
5 交渉経過を記載した文書を廃棄したとの説明は、およそ納得できるものではありませんが、紙ベースの交渉記録文書が仮に廃棄されたとしても、関係者からヒヤリングすることは可能です。またパソコン内のデータであればコンピュータフォレンジック調査(コンピュータ本体に記録された電子データを収集・分析して、証拠とするための技術)を行えば、当時作成した交渉記録も復元できるので、容易に交渉経過も明らかにできるはずです。
今年の6月に貴局のシステムをすべて入れ替えるとの報道もなされています。そうであれば、後日、交渉経過が一切解明されない可能性があります。
また、内部調査又は自らが恣意的に選任した第三者委員会を設置して調査をしても国民の多くは納得することはあり得ません。
6 そこで要請の趣旨に記載したとおり、交渉経過を記録したパソコンのデータ―を保存し、かつ外部の専門家の団体の推薦を受けた外部委員で構成された委員会を設置して経過、その理由、交渉経過等を調査して、その結果を公表することを要請いたします。

2017年5月10日までに本件第三者委員会を設置するのかどうか文書で代表の阪口徳雄弁護士あてに回答されるようお願いいたします。
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国有財産譲渡問題調査委員会設置要領(案)
1(設置)
本調査委員会は学校法人森友学園に国有地の譲渡に関して多くの国民からの疑惑を招いたことに関して近畿財務局としての説明責任を果たす為に、国有財産譲渡問題調査委員会(以下委員会という)を設置する
2(目的)
本委員会の目的は2016年6月20日学校法人森友学園に1億3400万円で譲渡に至る経過、譲渡金額、交渉経過等を調査することを目的として、調査結果を速やかに公表することを目的とする
3(具体的調査内容)
本委員会は上記目的達成の為に次の点に特に留意して調査を行うものとする
(1)本件土地を学園に賃貸する経過について国有地を賃貸する従前の方法と比べて特に不自然ではなかったか。
(2)本件土地の更地価格が適正であったかどうか
(3)本件土地の地中埋設物の算定価格(8億1900万円)が公正妥当であったかどうか
(4)本件土地の賃貸経過、売買経過について学園及び政治家などの第3者との面談・交渉記録などを調査する。なお、紙べースでの交渉記録などが不存在の場合は関係した職員からヒヤリングして明らかにすること。なお担当者のパソコンに記載した情報をコンピュータフォレンジック調査等をして交渉記録の正確性を確保すること。
(5)その他、他の国有地の賃貸、売買と異なる内容で処理している場合はそのないよを明らかにすること
4(本委員会の構成)
(1)本委員会の委員は数名の委員の外部の弁護士、不動産鑑定士、公認会計士で構成する
(2)委員の選任については弁護士については大阪弁護士会、不動産鑑定士については大阪府不動産鑑定士協会、公認会計士については近畿公認会計士協会から推薦された委員とする。外部の委員の推薦に当たっては国、大阪府、学園と過去取引関係がない委員を推薦すること
5(会長及び副会長)
(1)本委員会には会長及び副会長を置く。
(2)会長及び副会長は,委員の互選により定めるものとする。
(3)会長は,委員会を代表し,会務を総理する。
(4)副会長は,会長を補佐し,会長に事故があるときは,その職務を代理する。
6(会議等)
(1)委員会は,会長が招集し,会議の議長を務めるものとする。
(2)本件調査の為に委員以外の補助者に委嘱して調査活動を行なわせることができる

この要綱に定めるもののほか,委員会の運営に関し必要な事項は,会長が委員会に諮って定める。

附則 本要綱は2017年5月 日から施行する

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以上の呼びかけ人のうち、阪口徳雄、豊川義明、大江洋一、村山晃、松岡康熙、梓澤和幸、澤藤統一郎、児玉勇二、山下登司夫、中山武敏、宇都宮健児、野上恭道、郷路征記の13人が、23期の司法修習(1969年4月~71年3月)時代に主として青年法律家協会活動をともにした仲間。数えてみれば、知り合ったのは48年前のことになる。阪口が、「23期の年寄り弁護士達」と自嘲するのももっともなこと。

みんな70代の「年寄り」となって風貌は変わったが、その心根の青臭さは当時と少しも変わらない。必ずしも常に意見が一致するわけではないが、権力の不正や腐敗を憎む気持には、揺るぎがない。

教育勅語に、「長幼の序」という徳目はないが、ここは「青くさい年寄り」の呼びかけに耳を傾けていただくよう、お願いする。
(2017年4月21日)

「浜の一揆」訴訟、次回法廷で5人が証言ーいよいよ山場に

盛岡地裁での「浜の一揆」訴訟。三陸沿岸の漁民100人が、岩手県知事を被告として、「大規模定置網事業者だけにサケ漁を独占させるのは不公平で不合理だ」「おれたち零細漁民にも、1人年間10トンの枠でサケ漁を許可せよ」という請求。本日(4月20日)の法廷で、原告(漁民)側5人、被告(岩手県)側2人の人証採用が決まった。被告の「一人の採用も必要ない」との意見を斥けてのことである。

次回6月22日には、原告本人4人と被告申請の岩手県漁業調整課長(当時)の合計5人の尋問が行われる。そして、次々回(日程調整中)には、原被告が各申請の専門家証人2人の尋問予定で、この2回廷が審理のヤマ場となる。

大いに満ち足りた気持で法廷を出ると、はからずも盛岡地裁前庭の石割桜が満開。開廷前には眺める余裕もなかったが、閉廷後には青空に映えたその見事な姿を心から楽しんだ。

証人尋問採用に至る経緯の概略は次のようなもの。
原告は1月10日付で7人の人証申請をした。原告本人が4人、証人が3人である。まず専門家(魚類特にサケの生態と漁法の研究者)一人。加えて漁民組合顧問と県漁連会長。この2人の証言を対置することによって三陸沿岸のサケの漁獲をめぐる社会的な対立構造が見えてくる。また、漁連や有力者と県政との癒着構造も見えてくる。と、いうのが原告側の証人採用を求める理由。

裁判所の求めに応じて3月30日に、県漁連会長を除く人証予定者の各陳述書を提出した。その後の4月14日に、被告から人証をすべて不採用とすべしとの意見書が出てきた。被告も、一応は2人(専門家証人と担当課長)の証人申請をしているのだが、「本来、原被告双方の申請人証の採用が必要ない」という。

この被告県知事の、人証申請に対する攻撃的な姿勢は、異例であるばかりでなく異様で異常というべきだろう。本件許可申請以前の原告漁民の要求を頑なに拒否し続けてきた行政の姿勢が、そのまま本件訴訟における応訴態度として示されているというほかはない。

4月18日付でその反論を提出し、漁民組合顧問と県漁連会長の2人については採否の決定留保となったが、その余はすべて採用となった。

その経過での裁判長とのやり取りのなかで、裁判所が考える本件訴訟における争点が見えてきた。原告側と同一ではないものの、ほとんど齟齬はない。結局は、岩手県漁業調整規則23条1項3号に定める「水産資源の保護培養の必要」と「漁業調整の必要」の2点が、認められるか否かだけなのである。証拠調べはこの点に関して行われることになる。

原告ら漁民がサケの漁獲で生計を立てようとすることは、憲法22条1項に基本権として定められた「営業の自由」に属するものである。これを制限して、申請を不許可とするためには、高い合理性に裏付けられた要件を充足しなければならない。

漁業法と水産資源保護法から授権を受けた岩手県漁業調整規則23条1項本文は、「知事は、次の各号のいずれかに該当する場合は漁業の許可をしない」としたうえで、同項の3号に、「漁業調整又は水産資源の保護培養の必要があると認める場合」と定めている。つまり、「漁業調整又は水産資源の保護培養の必要があると認める場合」に限って「許可をしない」こととなり、原則は許可をすべきものなのである。裁判所は、以上の2点を根拠づけるための人証採用を決めたのだ。

争点の一である「水産資源の保護培養の必要」の有無は、自然科学的な根拠の証明に馴染むものである。この点に関して、原告は主として専門家証人によって、本件許可にかかる原告らの固定式刺し網によるサケ漁が「サケ資源の保護培養」に影響するものではないことを立証する。

もう一つの争点である「漁業調整の必要」は、必ずしも定義明確ではない理念的な概念であるところ、究極的には、「現状のとおり、漁協と経済的有力者を主とする大規模定置網業者へのサケ漁の独占を許し、その漁獲高を確保するために原告ら漁民にサケの採捕を禁じることが、憲法や漁業法が掲げる法的正義に適うか」という判断に帰着する。

この判断を左右する幾つかの具体的論点がある。
漁協の自営定置経営の漁獲高確保のために零細漁民にはサケを獲らせないとすることが、「民主化」を掲げる漁業法の理念のもとで許されるのか。また、漁協の運営は真に漁民の利益のために、漁民の意思に基づいてなされているのか。その実態が問われなければならない。

被告が漁業調整における民主的手続の中心にあるとする「海区漁業調整委員会」の運営の実態についても証拠調べを欠かすことができない。この組織が、本当に民主的に運営されているのだろうか。

さらに、原告らは漁業者の立場から、「水産資源の保護培養の必要」と「漁業調整の必要」とを連結する試みとして、TAC(総量規制)とIQ(個別割当)の制度を提唱してきた。本件における各原告の年間10トンを限度とする許可申請は、その制度設定を意識してのものである。原告ら小型漁船漁業者こそが、後継者の育つ漁業の永続を願う立場にあり、水産資源の維持に最も切実な関心をもっている。その原告らが、けっして乱獲による資源の枯渇を招くことはありえない。

ようやく、「浜の一揆」訴訟は山場を迎える。次回6月22日は、盛岡地裁301号法廷で10時30分から午後いっぱい。誰でも傍聴が可能だが、満席になれば入廷できないことになる。本日なればこそ、法廷に入れなければせめて石割り桜を愛でる眼福にあずかれたが、次回も桜満開というわけにはいかない。また、残念ながら、石割り桜のサクランボは、見応えあるものではない。
(2017年4月20日)

憲法記念日を前に訴える緊急声明(日民協)ー「軍事力で問題は解決しない!米朝対立による戦争の危機を回避せよ」

1.日本国憲法施行70年を迎える憲法記念日が近づいています。憲法は前文
で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存す
る権利を有することを確認」しています。ところが今、朝鮮半島に「戦争の
危機」が迫っています。
私たち日本民主法律家協会は、米国および北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和
国)両国の対立から、東アジアで戦争が起きることを断固として回避し、あ
くまで話し合いによって問題解決を図るよう、米、朝両国政府に訴えるとと
もに、日本政府と韓国、中国、ロシアを初めとする東アジアの各政府が問題
を深刻にとらえ、対話による問題解決の道を開くため、あらゆる努力を傾注
することを求めます。

2.北朝鮮政府は、度重なる国連の決議にも拘わらず、核兵器および、その運
搬手段である中、長距離の弾道ミサイルの開発を進め、実験を続けてきてい
ます。これに対し、米国の新政権は、これまでの北朝鮮への経済制裁、韓国、
日本との共同訓練だけでなく、武力による制圧を計画し、近海への空母攻撃
団の派遣など圧力を強めています。そしてさらに、米国は「あらゆるオプシ
ョンがテーブル上にある」「中国が協力しなければ、独力で北朝鮮核問題を
解決する」「一線を越えれば、トランプ大統領は行動に出る」などと発言、
一方の北朝鮮も「米国が選択すれば戦争に乗り出す」「米国の無謀な軍事作
戦に先制打撃で対応する」「トランプ政権の対朝鮮政策は、歴代政権と比べ
てもさらに悪辣で好戦的」などと応酬、「宣伝戦」を続けています。
4月18日に行われたペンス米副大統領と安倍晋三首相との会談では、ペン
ス米副大統領が、「平和は力によってのみ初めて達成される」と述べたこと
に対し、安倍首相が事実上同意して、この「力による『平和』」を支えるた
めに「北朝鮮が真剣に対話に応じるよう圧力をかけていくことが必要だ」な
どと軍事的対立を煽るかのような発言をしています。
こうした日本国憲法の平和理念と正反対の動きに竿をさす安倍首相の責任
は重大であり、私たちは強く抗議します。
これらの発言は、メディアで取り上げられ、拡大され、それぞれの考え方
や思惑を越えて、世界に不安と不信を広げています。

3.私たちは、いかなる事情があろうとも、問題を武力で解決しようとする双
方の考え方を支持することはできません。
私たちは日本中をがれきにし、アジアで2000万、日本人だけで300
万を超す犠牲者を出した戦争の惨禍を経て、非戦、非武装の日本国憲法を守
り、70年を生きてきました。
しかし、今回、いずれかの国が「先制攻撃」をし、もう一方がそれに「反
撃」をすれば、米朝両国だけでなく、韓国も日本も、その戦争に巻き込まれ
多大な犠牲を出すであろうことは、火を見るより明らかです。まして、いっ
たん核兵器が実戦に使われたならば、一地域の問題ではなく、地球規模の被
害となることも必定です。
国民の生命と財産を守るべき日本政府は、こうした状況を冷静に見据え、
あくまで、朝鮮半島がそのような事態にならないよう、両国に訴えかけるな
ど、積極的な努力をしなければなりません。そして同時に、平和的な外交手
段を通じて、北東アジア地域全域の「武力によらない平和と安全保障」を追
求しなければなりません。
いま私たちは、この危機に直面して、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と
欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とう
たった憲法前文と、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行
使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした憲
法九条を改めて思い起こし、「軍事力で問題は解決しない」ことを、声を大
にして訴えます。

日本政府と米朝両国、また、両国をはじめ世界の人々が、直ちに、話し合
いの呼びかけなど、そのための具体的な努力をされるよう、こころから訴え
るものです。
2017年 4月19日
日本民主法律家協会
理事長 森 英 樹

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少しだけ、私見を付け加える。
今対決すべきは、「平和は力によってのみ初めて達成される」という思想。70年前の日本国憲法制定時に、われわれはこれを採らないとした思想だ。私たちは戦争の惨禍を経て、「武力による平和」という考えを捨てて平和憲法を採択した。私たちのテーブルには、豊富な平和への選択肢がある。しかし、武力による威嚇や武力の行使による平和構築という選択肢はない。

樋口陽一氏の講演録からの引用である。
「1931年の満州事変の時、国際法学者の横田喜三郎(1896ー1993)は、「これは日本の自衛行動ではない」と断言した。その横田の寄稿を載せた学生たちの文集が手許にある。その中で横田は「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」とのラテン語の警句を引き、「汝平和を欲すれば平和を準備せよでなければならない」と呼び掛けた。そして文集に、学生が「横田先生万歳!」「頑張れ!」と共感を書き込んでいる。恐らく、この2人の学生は兵士として出征しただろう。再び母校に戻ってくることはなかったかもしれない。」

今必要なのは、「平和は力によってのみ初めて達成される」に対置される、「平和を欲するがゆえの平和を準備」にほかならない。平和を欲して「平和を準備する」その一歩は、とにもかくにも平和を望む声をあげることだ。日民協の声明は、その一つの試み。その声明を紹介する私のこのブログも、そのような小さな声の一つ。

日民協の緊急声明。是非とも、転載拡散をお願いしたい。

(2017年4月19日)

102歳の治安維持法犠牲者が語る共謀罪の危険性

日本国民救援会の「救援新聞」(月3回刊)が、共謀罪の問題点を衝く記事で充実している。

最近の4月15日号(通算1853号)の一面に、シリーズ「私も反対です『共謀罪』」として、治安維持法犠牲者杉浦正男さんのインタビュー記事がある。同氏は、2014年生まれの102歳。改正治安維持法5条の目的遂行罪で、1942年に検挙され、懲役3年の実刑判決を受けて敗戦後の45年10月に釈放されている。下獄中に、「私の妻は3月10日の東京大空襲で爆死したと聞かされ、房で大声をあげて泣きました」という体験をもった方。

「特高警官5人が竹刀手にリンチ」という小見出しで、逮捕された際の体験が、次のように綴られている。
「『貴様ら、共産主義運動をやりやがって、日本を赤化しようなんて大それたことをやらかすとは、どういうことだ。戦地では兵隊さんがお国を守るために必死に戦っているんだぞ。国賊め、貴様らの一人や二人殺しても、誰のとがめも受けないんだ。たたき殺してやる』
 横浜の警察の道場に連れて行かれ、竹刀や樫の棒を持った警官5人が代わる代わるメッタ打ちにし、髪をつかんで引きずり回し、樫の棒で膝を、竹刀で頭を打ち、正座させては膝の上に何人もが乗り、飛び跳ね、蹴飛ばすなど、凄惨なリンチを受けました。」

おそらく、何の誇張もない証言。「国賊め、貴様らの一人や二人殺しても、誰のとがめも受けないんだ」とは、特高の本心だったろう。治安維持法がこの世にあった20年間(1925年~45年)に、送検された者7万5681人だが、現実に特高の手で「たたき殺された」犠牲者は90人。拷問、虐待などによる獄死者1600人余とされている(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟調べ)。

杉浦さんは、実刑を受けた受刑者5162人の一人。リンチで殺された90人にも、拷問虐待死者1600人余にもはいらなかったが、同様の手荒い扱いは受けたわけだ。戦前の野蛮きわまる天皇制のもとでの狂気の振る舞い、というほかはない。

しかし、こんなことをした特高は、実は鬼でも蛇でもない。おそらくは仕事が終われば妻と花見もし、子連れで花火の見物もする実直な下級公務員であったろう。むしろ、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ」という徳目の実践者であったとも考えられる。天皇に逆らう非国民・国賊を痛い目に遭わせることは、「君のため、国のため」の正義の鉄槌だと本気で信じていたに違いない。3・1万歳事件や南京事件で他国の民を虐殺した皇軍兵士も同様だ。これが、人間の恐いところ。教育勅語に象徴される戦前の教育(というよりは洗脳)を受けて作りあげられた人格の現実の姿を冷静に見据えなければならない。

「1925年に制定された治安維持法は、天皇制と資本主義を否定する結社とその活動を取り締まることが目的で、制定の3年後には最高刑を死刑に引きあげ、目的遂行罪が導入され、これが猛威をふるいました。禁止されている結社に加入していなくても、その結社の目的を助けたと警察が判断すれば検挙されたのです。」

実は、杉浦さん自身には、治安維持法が禁止する天皇制と資本主義を否定するという考えはなく、共産党員でもなかった。
「私はただ、悲惨な印刷出版労働者の現状を何とかしたいと思って活動していたら、特高警察に共産主義を信奉して、大衆を集めて教育した犯罪者にされてしまった」という労働運動活動家であった。これが、天皇制政府の戦争遂行政策に邪魔者とされたのだ。

そのような体験を振り返って、杉浦さんがこう語っている。
「『共謀罪の中身を見ると、これは治安維持法と同じだと思います。警察が目を付けた人間を監視し、話している内容を知ろうと捜査する。いったん、法律ができてしまうと、治安維持法と同じく、拡大解釈されたり、改悪される可能性は大きいのです』
杉浦さんは噛みしめるように訴えます。
『私は、治安維持法の恐ろしさを知っている生き証人として訴えます。共謀罪は間違いなく、戦前の治安維持法と同じ、国民の話し合いの自由を奪うものです。必ず、廃案にさせましょう』」

共謀罪の恐ろしさは、構成要件が曖昧なことだ。犯罪実行行為着手のずっと手前で、「資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の…準備行為」の段階で共謀参加者を一網打尽にしようというのだから、当然に曖昧となる。ことさらに曖昧なことが政権にとっての使い勝手の良さなのである。物の購入や金銭の出し入れなど、普通の人の日常の行動を犯罪にすることができるのだ。

これが、改正治安維持法第5条「(結社)ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ1年以上10年以下ノ懲役ニ処ス」の、「目的遂行のためにする行為」という、何でもしょっ引ける構成要件と瓜二つなのだ。

治安維持法が猛威を振るったことに関して、内田博文・九州大学名誉教授が、その拡大解釈を許した法曹の責任を「治安維持法の育ての親」と厳しく問うている。その責任を負うべき「天皇の裁判所」の裁判官たちは、追放されることなく戦後新憲法の司法を受け継いだ。いま、忖度の流行る世の中。裁判官も例外ではない。「信頼できる裁判所があるから大丈夫」などとノーテンキなことを言っていてはならない。102歳翁の「共謀罪必ず、廃案にさせましょう。」の訴えを噛みしめたい。
(2017年4月18日)

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