澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

DHC・吉田嘉明、DHCスラップ「反撃」訴訟判決に控訴 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第163弾

 お知らせしたとおり、10月4日にDHC反撃訴訟の判決が言い渡され、私(澤藤)が勝訴した。本日(10月18日)が控訴期限。私の側は控訴しなかったが、DHC・吉田嘉明の側が控訴した。これから、控訴審が始まる。DHC・吉田嘉明が控訴人となり、私(澤藤)が被控訴人となる。

 普通、控訴審の期間は長くかからない。私が被告になった、「DHCスラップ訴訟」も、口頭弁論期日は1回開かれただけで、即日結審となった。皆様に、もう少しのご支援をお願いしたい。

もう一度、事案と判決の内容を整理しておきたい。

私が、当ブログに吉田嘉明を批判する記事を掲載した。DHC・吉田嘉明が、その記事によって名誉を毀損されたとして、私を被告とする損害賠償請求訴訟を提起した。この訴訟が、「DHCスラップ訴訟」(あるいは「前件訴訟」)である。
そのDHCスラップ訴訟では、一審・控訴審そして最高裁への上訴のフルコースで、私が勝訴して確定した。

しかし、私はそれだけでは納得できなかった。私は、DHC・吉田嘉明の私に対する訴訟は、社会的な強者が、自分(吉田嘉明)に対する批判を封殺する目的で提訴した典型的なスラップ訴訟として違法であることを理由に、損害賠償請求訴訟を提起した。これが「DHCスラップ『反撃』訴訟」である。

その一審で私が勝訴し、敗訴のDHC・吉田嘉明が、一審判決に不服として東京高裁に控訴した、というのが現段階である。

私が一貫して主張しているものが、表現の自由である。仮に、DHC・吉田嘉明のこんな訴訟がまかり通ることになれば、民主主義社会を支える表現の自由が枯死してしまう。私こそが表現の自由の旗を持ち、DHC・吉田嘉明がこれに敵対する者なのだ。

しかし、当然のことながら、「表現の自由」が常に他の憲法価値に優越するわけではない。
Aの表現がBの社会的評価を貶めるとき、「Aの表現の自由」と「Bの人格権」とが衝突して調整を要することになる。Bが自らの人格権を違法に侵害されたとして損害賠償請求の訴えを提起すれば、Aに違法性阻却要件具備の挙証責任が課されて審理されるのが現在の訴訟実務。
その訴訟でBが結果として敗訴しても、直ちに不当な訴えを提起したことにはならない。結果として負けた訴訟が、すべてスラップということではない。社会の正義の感覚とは相容れない司法の壁に跳ね返されて、勝つべくして勝てない訴訟はたくさんある。これを違法・不当な訴訟とは言わない。

では、どのような場合に、Bの提訴が不当・違法な訴訟となるのか。どのような状況で、どのような要件を具備した場合に、スラップと呼ぶべき違法な訴訟として、提訴自体を不法行為に問うことができるのか。まだ、必ずしも明確な基準が設定されているとは言いがたい。

つまり、「結果としては勝てなかったが、争う価値ありという提訴」と、「そのような提訴自体が違法となる提訴」をどこで分けるべきかは微妙な問題が残されている。しかし、DHC・吉田嘉明の私に対する提訴の違法性は、そのような微妙な境界事例ではない。歴としたスラップ、明々白々な違法提訴なのだ。そのことを反映して、DHCスラップ『反撃』訴訟一審判決は、逡巡のあとのない、迷いのない判断を示している。

裁判所の判断の枠組みは、民事訴訟裁判制度の趣旨目的に照らして、著しく相当性を欠く場合にあたるか否かというものである。

判決の論理の出発点は、次の最高裁判例である。

「訴えの提起は,提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,同人が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り,相手方に対する違法行為になるものというべきである(最高裁判所・1988(昭和63)年1月26日第三小法廷判決)。

その上で、大要次のように判断する。

「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して訴えを提起し、損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについても、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が澤藤に対する違法行為になる」

噛み砕いて言えば、こんなものである。
「澤藤ブログが、DHC・吉田嘉明の耳には痛く面白くないとしても、裁判をしてもどうせ勝てっこない。しかも、勝てっこないことは分かっていたはず。仮にそのことが分かっていなかったとしても、普通の人なら容易にが分かったはずなのだから、そんな提訴はしてはいけない。してはいけない提訴をしたことは澤藤に対する違法行為として、損害賠償の責任を負わねばならない」ということでもある。

問題となっている提訴が、以下の「Aを前提に、B1かB2」であれば、違法となるということである。
A「客観的に勝てない」
B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
B2「常識的に勝てないことが分かるはず」

つまり、これがスラップ勝利の方程式。
A+(B1orB2)=スラップ

吉田の澤藤に対する提訴が、A「客観的に勝てない」ものであることは、既に答が出ている。吉田嘉明の訴えは全面的に請求棄却で確定しているからだ。残るは、B1「提訴者が勝てないことを知っている」、あるいはB2「常識的に勝てないことが分かるはず」と言えるか。判決は、迷いを見せずに、これを肯定する。この判定過程が、この判決の神髄。当該判示部分の冒頭を抜き書きする。

原告澤藤ブログ(5本)は,本件(吉田嘉明の週刊新潮)手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を前提に、他の情報を付加することなく、原告が考える政治と金銭との健全な関係の観点から、本件(8億円)貸付について、被告吉田の内心の推察を試みつつ批判を加えようとするものと読み取ることができる。そうすると、原告ブログは、本件手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を元にした社会的な評価や推論であることが理解可能である記述部分や,人の内心に係る一般的な行為の動機の問題である記述部分からなり、被告吉田の本件(8億円)貸付の動機についての事実の摘示を含むものと解することはできないのであり、このことは、一般の読者において同様の理解が容易というべきである

控訴しても、この結論が変わるはずはない。付帯控訴によって、賠償金の増額はあり得る。その控訴審の進行は、当ブロクで詳細に報告したい。引き続きのご支援をお願いいたします。
(2019年10月18日)

中国よ、大国の風格はどこに。

風格という言葉がある。その意味するところの説明は難しいが、なんとなく分からないではない。山岳や巨樹・古木の中には、確かに風格を感じさせるものがある。遺跡や建造物についても同様である。自ずと畏敬の念を呼び起こす雰囲気。今は既に絶滅してお目にかかることはないが、昔は風格のある人物が存在していたともいう。

人間集団にも風格はありうる。ある種の企業の独特の社風に風格を感じ取ることある。デマやヘイトやスラップをもっぱらとする企業には、望むべくもないことだが。

そして、大国には、中小規模の国にはない風格があってしかるべきである。大国の自信と余裕から、大らかで寛大な風格が自ずから滲み出ることになる。

今、大国アメリカの国連の分担金滞納が話題となっている。そのため国連は、深刻な財政危機にあり、「11月の人件費をまかなえない恐れがある」と事務総長が訴える事態となっている。けちくさいトランプの小細工。堂々たる大国のやることではない。世界から、尊敬も信用も得られない、風格なきトランプのアメリカ。

もう一つの大国、中国も同様である。いま、中国は総がかりで、NBA(全米プロバスケットボール協会)と対峙している。そのまなじり決したやり方には、大国の風格のカケラもない。これでは、世界から尊敬も信用も得られまい。風格なき習近平の中国。

問題の発端は、10月4日の一通のツイートである。NBAに所属するヒューストン・ロケッツのゼネラルマネジャーであるダリル・モーリーが「香港と共に立ち上がろう」と書かれた画像をツイッターに投稿した。中国に対する批判の言論ではない。香港と共に立ち上がろう」である。これが中国の逆鱗に触れた。大きな中国がこの一通のツイートに噛みついたのだ。何という、鷹揚さにも寛大さにも欠けた対応。余裕も自信もないことをさらけ出しているではないか。

もちろん、このツイートはNBAの公式コメントではない。ヒューストン・ロケッツのツイートですらない。あくまで、ダリル・モーリー個人の見解であることは明らかだ。NBAが責任をもつ筋合いはない。常識的には。

中国メディアの反発に対して、NBAはどう言うべきであっただろうか。
「民主主義社会の普遍的理念として表現の自由がある。NBAは表現の自由を尊重し発言者を擁護する」と言うべきであったろう。おそらくは、そう言いたかったに違いない。それでこそ、「自由の国」の「自由の精神」を貫徹することになる。しかし、そうは言えなかった。アメリカは、「自由の国」であるだけでなく、「カネが支配する国」,すなわち「資本の原理が貫徹する国」でもある。表現の自由という理念よりも、儲けのチャンスを逃してはならないとする現実的な要請を優先せざるを得ない。

結局、NBAは自らは関与していないという言い訳の声明を発表しただけでなく、英語と中国語で謝罪した。

NBAにとって、中国は数十億ドルの市場だという(「ニューズ・ウィーク」)。この巨大市場を失いたくはないというNBAの現実感覚が、表現の自由擁護を追いやったのだ。

恐るべきは、巨大市場を擁する中国である。バスケットボールに限らない。スポーツ一般にも限らない。すべての経済分野で、巨大市場を武器とする中国の傍若無人が、まかり通っていることが報じられている。

米中ともに、大国の風格を欠くことにおいて兄たり難く弟たり難し。とりわけ、ナショナリズムをふりかざす中国の格好の悪さが際立っている。

国際的な批判が必要である。私も、ダリル・モーリーに倣って声を上げよう。
「香港と共に立ち上がろう」と。
(2019年10月17日)

NHKへの抗議と激励の「アピール行動」10月18日(金)中止

(急ぎのお知らせ) 明日10月18日、17時から予定していた「NHK前アピール行動」は雨天の予報を受け、中止となりました。 目下、呼びかけ人の間で、近々に、同じ趣旨で代わりの企画を行う相談をしています。明日中には決定してお知らせします。 たびたびの予定変更ですが運動はしっかり続けますので,よろしくお願いします。

徴用工訴訟韓国大法院判決から間もなく1年

本日は、日本民主法律家協会の理事会。その席で、川上詩朗弁護士による1時間余の講演を拝聴した。タイトルは、「日韓関係を解決する道すじは? - 韓国人徴用工問題・慰安婦問題を読み説きながら」というもの。詳細なレジメとパワポを駆使したパワフルでみごとな解説。情熱に溢れた語り口にも好感がもてた。

あの、徴用工訴訟韓国大法院判決が、2018年10月30日のこと。その直後に、私も自分なりの受け止め方を下記のブログに、書き留めておいた。

徴用工訴訟・韓国大法院判決に、真摯で正確な理解を
http://article9.jp/wordpress/?p=11369 (2018年11月1日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)
http://article9.jp/wordpress/?p=11376 (2018年11月2日)

相当の長文。読み通すのはなかなかに骨が折れる。川上講演も参考に、改めてそのポイントをまとめておきたい。

当時私は、「この判決に対する日本社会の世論が条件反射的に反発しあるいは動揺している事態をたいへん危ういものと思わざるを得ない。政権や右派勢力がことさらに騒ぎ立てるのは異とするに足りないが、日本社会の少なからぬ部分が対韓世論硬化の動きに乗じられていることには警戒を要する。まずは、同判決を正確に理解することが必要だと思う。それが、『真摯な理解を』というタイトルの所以である。判決は、けっして奇矯でも、反日世論迎合でもない。法論理として、筋が通っており、条理にかなっていることも理解しなけばならない。」と書いた。1年後の今、同じ思いを、深刻に反芻している。

10月30日韓国大法院の徴用工判決で認容されたものは、原告である元徴用工の、被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求権」である。日本企業の朝鮮人徴用工に対する非人道的な取り扱いを不法行為として、精神的損害(慰謝料)の賠償を命じたものである

同事件において、被告新日鉄住金側は,こう抗弁した。
「原告の請求権は日韓請求権協定(1965年)の締結によってすべて消滅した」
この抗弁の成否、つまり、「日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か」これが、判決における核心的争点と位置づけられている。

この核心的争点における被告新日鉄の抗弁の根拠は、同請求権協定2条第1項「両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する」、及び同条3項「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする」との文言が、原告ら元徴用工の被告企業に対する一切の請求権を含むものであって、「解決済み」で、「如何なる主張もできないことになっている」ということにある。

しかし、この被告の抗弁を大法院は斥けた。その理由を、多数意見は「協定交渉の経過に鑑みて、原告の被告会社に対する『強制動員慰謝料請求権』は、協定2条1項の『両締約国の国民間の請求権』には含まれない」とし、だから同条約締結によって原告の請求権は消滅していない、との判断を示した。その判断は一般的な文言解釈と協定締結までの交渉経過を根拠とするもので、論理としては分かり易い。

この多数意見とは反対に、請求権協定における「両締約国の国民間の請求権」には、本件の「強制動員慰謝料請求権」も含まれる、とする5名の個別意見がある。

そのうちの2人は、「だから、協定締結の効果として、韓国国内で強制動員による損害賠償請求権を訴として行使することも制限される」「結論として、原判決を破棄して原審に差し戻す」という意見。要するに、原告敗訴を結論とする見解。

残る3人の意見が興味深い。結論から言えば、「強制動員慰謝料請求権」も、「完全かつ最終的に解決された請求権に含まれる」ものではあるが、「解決された」という意味は、国家間の問題としてだけのことで、国家間の権利は放棄されているものの、「個人が持つ請求権は、この放棄の限りにあらず」ということなのだ。多数意見と理由を異にはするが、この3人の裁判官の結論は上告棄却で、多数意見と原告徴用工勝訴の結論は同じものとなる。

大法院広報の「報道資料」は、この3裁判官意見を以下のように紹介している。

「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると解するべきである。ただし原告ら個人の請求権自体が請求権協定によって当然消滅すると解することはできず、請求権協定により、その請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴によって権利を行使することができる。」

この3裁判官見解では、「請求権協定の締結によって『外交的保護権』は放棄された」が、「原告ら個人の被告企業に対する『請求権自体』は、請求権協定によって消滅していない」ということになっている。だから、韓国内での裁判による権利行使は可能という結論なのだ。実は、この見解、日本側の公式見解と同じなのである。日本政府も日本の最高裁も、日韓請求権協定と同種の条約によって、個人の請求権は消滅していないことを確認している。

日韓請求権協定によって、国家間の権利義務の問題は解決した。だから、個人の『外交保護権』は失われ、国家が個人請求権問題を交渉のテーブルに載せることもできなくなった。しかし、個人請求権は消滅していない。これが、日韓両政府・両裁判所の共通の見解である。

個人の権利者がその請求権を裁判所で行使した場合、これを認容するか否かは、当該国の司法権の判断次第である。他国の政府がこれに容喙するのは、越権というしかない。

「請求権協定には、外交的保護権の放棄にとどまらず「個人請求権」の消滅について日韓両国政府の意思の合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。」「国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は、国際法上も受け入れられているが、権利の『放棄』は、その権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によるとき、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをさらに厳格に解釈すべきである。」「請求権協定では『放棄(waive)』という用語が使用されていない。」

さらに重要なのは、以下の日本側の意思についての指摘である。

「当時の日本は請求権協定により個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみ放棄されると解する立場であったことが明らかである。」「日本は請求権協定直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。このような措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解できる。」

実はこの点は、日本政府がこれまで国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことなのだ。ことは、韓国・ソ連・中国との関係において、日本政府自身が繰り返し言明してきたことなのだ。徴用工訴訟・韓国大法院判決を法的に批判することは、少なくも日本政府のなし得るところではない。22万人と言われる強制動員された徴用工。過去の日本がいかに大規模に、苛酷で非人道的な振る舞いを隣国の人々にしたのか。まず、その訴えに真摯に耳を傾けることを行わない限り、公正な解決はあり得ない。

韓国を非難する意見の中には、「個人請求権が消滅しないとしても、その請求権の行使は日本の政府や企業に向けられるべきではなく、韓国政府が責任を負うべきではないか。それが、日韓請求権協定の「完全かつ最終的に解決されたことになる」の意味するところ」という俗論がある。しかし、前述のとおり、「請求権協定には、外交的保護権の放棄にとどまらず『個人請求権』の消滅について日韓両国政府の意思の合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない」というほかない。とすれば、当該の徴用工が、加害企業に対して有する損害賠償請求権の行使が妨げられてよいはずはない。

政府も企業も肝に銘じなければならない。戦争も植民地支配も、けっしてペイしないものであることを。ツケは必ず回ってくる。それは、けっして安いものではあり得ないのだ。
(2019年10月16日)

第50回司法制度研究集会「今、あらめて、司法と裁判官の独立を考える」─ 司法の危機の時代から50年─

第50回司法制度研究集会へのお誘い

 司法制度研究集会は、今年第50回を迎えます。
50年前の1969年は、自衛隊の違憲性を問う長沼ナイキ基地訴訟が提起され、担当の福島重雄裁判官に対する裁判干渉の書簡が平賀健太札幌地裁所長から渡される「平賀書簡事件」が起こり、政治権力と最高裁が一体となって、憲法を守ろうとする全国の裁判官を攻撃する「司法の危機」と呼ばれる一連の出来事が始まった年でもありました。

あれから50年。いまの司法はどうなっているでしょうか。「司法の危機」の影響は形を変えながら根強く残ってはいないでしょうか。昨年の司法制度研究集会は、「国策に加担する司法」を告発しましたが、司法・裁判官は独立して職権を行使し、立憲主義・人権の砦の役割、戦争の惨禍を二度と繰り返させない役割を果たしているでしょうか。その役割を果たさせるために、法律家は何をすべきでしょうか。

第50回の節目にあたり、司法の問題を皆で考えていく出発点にすることを願い、これまで日本民主法律家協会が主催してきた集会を、今年は、法律家3団体と全司法労働組合の共催で行うこととし、準備を重ねてきました。
50年前を知る弁護士から若手の弁護士、元裁判官、研究者など、多彩な報告者・発言者から多面的な問題提起をしていただきます。ぜひご参加下さい。共に考えましょう。

日 時■2019年11月23日(祝・土)午後1時~6時
会 場■東京・永田町 全国町村会館ホールA・B
参加費■資料代1000円(修習生・学生500円)

主 催■自由法曹団/青年法律家協会弁学合同部会/全司法労働組合/日本民主法律家協会
連絡先■日本民主法律家協会(TEL:03-5367-5430 FAX:03-5367-5431)

 ■基調報告:その1
   長沼事件から50年・我々はいま、何をなすべきか
                           新井 章 弁護士

 ■特別報告
   司法の危機の時代── 何があったのか
                          鷲野忠雄 弁護士

 ■基調報告:その2
   司法の可能性と限界と──司法に役割を果たさせるために
                         井戸謙一 弁護士

 ■特別発言
  岡口裁判官問題から考える裁判官の独立と市民的自由
                          島田 広 弁護士

  刑事法の視点から最近の最高裁を批判する
                    白取祐司 神奈川大学教授

  問われる最高裁の思考様式──行政法の観点から
                                                  晴山一穂 専修大学名誉教授

報告者と報告内容の紹介

※新井章 弁護士 1954年弁護士登録(8期)。砂川・百里・恵庭・長沼など、憲法9条を巡る重要な訴訟を担当し、長沼訴訟を提起した直後に、担当裁判官の福島重雄さんが地裁所長から裁判干渉されるという平賀事件を経験。当時の社会的・歴史的背景を振り返りながら、戦後日本の軍事政策に対する国民の闘いと憲法訴訟の意義、司法の危機をもたらしたもの、そして今後の法律家がいかに行動すべきかを語っていただきます。

※鷲野忠雄 弁護士 1964年弁護士登録(16期)。「司法の危機」の時代、青法協事務局長としてまさに激動の情勢に対応された上、1971年創立された「司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議」の事務局長として司法の独立のための国民運動に大きく貢献されました。「何があったのか」を「今」に繋がる史実として、伝えていただきます。

※井戸謙一 弁護士 1979年裁判官任官、2011年退官、弁護士登録(31期)。裁判官時代、原発差止、住基ネット差止、議員定数不均衡違憲判決等を担当し、弁護士登録後は、原発差止・再稼働禁止、刑事再審事件(湖東事件)等で大きな成果をあげておられます。裁判所の内・外で真摯に事件に取り組んできた立場から、「司法の危機」後の裁判官の意識、いまの裁判所・裁判官の状況、裁判官を動かすものは何か、等々について語っていただきます。

※島田 広 弁護士 1998年弁護士登録(50期)。2018年、東京高裁の岡口基―裁判官がツイッターヘの投稿を理由に東京高裁、最高裁から懲戒処分を受けた件で、「裁判官の表現の自由の尊重を求める弁護士共同アピール」のとりまとめをされました。岡目事件に取り組んだ問題意識、裁判官の独立・市民的自由について、ご発言をいただきます。

※白取祐司 神奈川大学教授 最近、1・2審の判断を覆して大崎事件の再審開始決定を破棄自判したり、死刑囚がハムレットの一節を記した便箋台紙の廃棄処分を適法とするなど、異例・異常とも言える最高裁の判断が続いています。刑事法の研究者として、こうした最高裁の判断・姿勢を批判的に分析していただきます。

※晴山一穂 専修大学名誉教授 行政法・公務員法をご専門とする研究者の立場から、最高裁がいかに権力側の立場を尊重する姿勢に立っているかという問題意識、これとの関係で、安倍内閣による最高裁裁判官の選任についても批判的に論じていただきます。

例年のとおり、質疑・応答・討論の時間も設けられています。ぜひ、ご参加ください。
(2019年10月15日)

N国・立花さん、いったん口にしたスラップの提訴。ぜひおやりなさい。

私は、根は親切なタチだ。多少は、お節介でもある。だから、このブログでも、何人かの人には親切心から、「おやめなさい」と言ってきた。

しかし、私が万人に親切であるわけはない。相手によっては、不親切心からの思惑あって「おやめなさい」と言うこともあれば、うまく行かないことを見越して「ぜひおやりなさい」とけしかけることだってある。

ところで、N国の立花孝志さん。あなたは、10月4日の記者会見で、小西洋之参院議員に対する民事訴訟の提訴を宣言された。小西さんの立花批判発言を名誉毀損として損害賠償請求の提訴をすると明言された。記者会見とは国民の代表への語りかけの場。あなたは、国民への約束をされた。政治家に二言はあるまじきこと。このスラップまだ提訴になっていないようだが、どうなさったか。ぜひ、おやりなさい。早くおやりなさい。躊躇していてはなりません。グズグズしているのは、あなたらしくない。

あれから10日も経っている。一度口にしたことは速やかに実行しましょう。そうでないと、政治家失格。いや、社会人失格。「埼玉補選出馬準備で忙しい」なんて言い訳は止めましょう。あなたらしくもない。名誉毀損損害賠償請求の訴状を書くのは簡単なこと。だれにだって書ける。立花さん、あなただって自分で書ける。自分で書くのが面倒なら、どんな弁護士にでも依頼さえすればよい。訴状だけならたやすく書ける。あなたは、埼玉補選に専念しておいてよいのだ。

私は、2014年4月8日、当ブログに「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」という、DHC・吉田嘉明批判の記事を書いた。そうしたら、DHC・吉田嘉明は4月16日に私を名誉毀損で提訴した。吉田嘉明かDHCの誰かが、そのブログを最初に読んだのは、どう考えても4月9日以降のこと。とすれば、提訴を決意し弁護士に相談して依頼し、弁護士が受任して訴状を書いて提出するまで、一週間という期間でしかなかった。

しかも、この一週間は、DHCの顧問弁護士(今村憲)が、多くの吉田嘉明批判言論から、「確実に勝訴の見込みがあると判断」される事案をセレクトする作業期間を含んでいる。その一週間に、私のDHC・吉田嘉明批判のブログも「確実に勝訴の見込みがあると判断」されて、提訴対象とされたのだ。

あなたの場合の時系列を確認しておこう。
まずは、あなたのユーチューブ発言があった。

「人間の天敵はいないから、結局人間が人間を殺さざるを得ないのが戦争だと思ってる」「ある意味ものすごい大ざっぱに言うと、そういうあほみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう、みたいな。やる気はないけど、それを目指したら、結局そういうことになるのかな」「うちで飼っている猫とあまり変わらない人いっぱいいますよ。そういう人はご飯をあげたら繁殖するんですよ、言い方悪いけど、いっぱい子供産むんですよ、やることないから。避妊に対する知識もないし」「人種差別やめようとは思ったことない」「差別やいじめは神様が作った摂理だから、本能に対して逆らうことになるでしょ。だって誰かを差別したり、誰かをいじめることによって自分が安心できるっていう、人間持っている本来の摂理なので、それが本当に正しいのかって言うのはすごく疑問がある」

以上のあなたの発言批判を小西さんが、ツイッターに書き込んだ。これが9月27日のこと。

空前絶後の暴言。
憲法、国連憲章の全否定に等しい。
参議院規則第207条では、「議員は、議院の品位を重んじなければならない。」と明記されている。
この規則への違反は、憲法58条により懲罰処分、すなわち、除名(議席はく奪)も可能だ。
参議院の与野党の責任が問われている。

なるほど、参議院規則には、下記の各条文がある。小西さんのツイッターによるあなたへの批判の意見は、荒唐無稽なものではない。

第207条 議員は、議院の品位を重んじなければならない。
第245条 議院を騒がし又は議院の体面を汚し、その情状が特に重い者に対しては、登院を停止し、又は除名することができる。

この批判を不服とするあなたは、「小西さんに対話を求めたが応じなかった」として、10月3日に「小西氏の国会事務所を動画撮影しながら突撃した」と報じられている。

そして、翌4日の記者会見での提訴発言となった。この日程なら、小西さんを被告とする訴状を準備して、会見場で配布することもできたはず。まさか、やる気もないのに、口だけ発言ではなかったのでしょうね。そして、念のため。今さら、提訴は止めたなんて言わないでしょうね。

あなたは、同じ会見で「(小西さんが)謝罪すれば別だが、徹底的にやる」と豪語した旨報じられています。まさか、小西さんがあなたに謝罪することがあるなど、本心でお考えではないですよね。あなたは、「(議員会館での)撮影禁止は知っていたが、わざと問題のある行為をすることで先方に逃げられないようにしている」と述べたそうですがね。実は、逃げられなくなったのはあなたの方なんですよ。もう、退路はない。徹底的にやらざるを得ないのですよ。

あなたの発言は、憲法の理念に照らして、また国連憲章に照らして、社会の良識に照らして、到底看過し得ない。あなたは国会議員の任に堪えない。

10月2日の毎日社説が、的確にあなたを批判している。
「今度は『虐殺』という暴言 これ以上許してはならぬ」
https://mainichi.jp/articles/20191002/ddm/005/070/122000c

「国会は直ちに厳しく対処すべきである。そうでないと日本はこうした暴言を容認していると国際社会から見なされかねない。」

これが良識というもの。

「議院の品位を重んじなければならないとする参議院規則に違反し、除名も可能だ」という、この小西議員の発言は、真っ当な表現の自由の行使として、違法となる疑念は露ほどもない。

立花さん。この発言を不服として批判するのは、それが小西議員への人格攻撃や事実に基づかない誹謗中傷に至らぬ限りは、あなたの表現の自由に属することだ。しかし、提訴という手段で、小西議員に応訴の負担をかけるのは、スラップとして違法となる。結局あなたは、損害賠償の責めを負わねばならない。

小西議員の発言に違法の要素はなく、あなたの提訴がまったく勝ち目のないことは、明々白々というべきだ。にもかかわらず敢えてするあなたの提訴は、嫌がらせ以外の何ものでもない典型的なスラップ訴訟。民事訴訟制度の趣旨目的を大きく逸脱した提訴となる。

だから、立花さん。「もう参議院議員は辞めたのだから、小西さんへの提訴も取り止めた」などと、言い訳をしてはいけない。あなたは、いままた、参議院議員を目指しているではないか。

だから、N国の久保田学・立川市議が、フリーライターちだい氏を名誉毀損で訴えた、あのスラップ訴訟と同様に、立花さん、あなたはスラップ訴訟を提訴して完敗するしかない。そして、その反訴でも潔く負けていただきたい。そうして、スラップの汚さ、スラップの害悪、さらにはスラップ提起が自らに跳ね返ってくるリスクを世に知らしめることが、せめてものあなたの政治家としての社会への貢献になるのではないか。

だから、重ねて申しあげる。立花さん、小西議員に対するスラップを、ぜひおやりなさい。早急におやりなさい。躊躇することはありませんよ。善は急げ、不善も急げ、というではありませんか。
(2019年10月14日)

あの台風のなか、上野公園の路上生活者は?

昨日(9月11日)は、巨大な台風19号の襲来に、丸一日身構えていた。なすすべもなく、ひたすらに身を固くしていただけのこと。ようやく大過なく一夜が明けて、東京は抜けるような青空。まだ風は強いが、透きとおった空気に陽光がまぶしい。

被災地の皆様には申し訳ないが、まことに、野分の朝こそをかしけれ、の風情。東大本郷キャンパスの銀杏並木は、通路に散り敷いたギンナンの山。臭いがきつい。うっかり履むと足の裏の臭いがどこまでもついてくる。落ちたギンナンに履を納れてはいけない。スズカケや、タイワンモクゲンジの実も散乱している。なんとももったいない。

不忍池では、華のない蓮の葉ばかりが風に揺れている。漢語でハスを「荷」というそうだ。してみれば、「荷風」とは、今日のようなハスの葉裏を翻すさわやかな風だろうか。それとも、蓮の異名の清香を運ぶほのかなそよ風か。

ところで今朝は、路上生活者諸氏の姿が見あたらない。昨夜の雨と風を,どこでどのようにして凌いだのだろうか。避難所で安眠できただろうか。気になるところだが、毎日(デジタル)にこんな記事があった。

路上生活者、台風19号の避難所入れず 台東区「住所ないから」

台風19号の被害が拡大した12日、東京都台東区が、路上生活者などで区内の住所を提示できない人を避難所で受け入れていなかったことが、同区などへの取材で明らかになった。

台東区によると、台風19号の接近に伴って11日午後5時半以降、区内4カ所に自主避難所を開設。12日にこのうちの区立忍岡小の避難所を訪れた2人に対し、「住所がない」という理由で受け入れを拒否したという。

区災害対策課によると、自主避難所は区民対象に開設。避難者には入所時に住所や氏名を記入してもらう。12日に訪れた2人が「住所がない」と説明したため、受け入れられないと伝えたという。同課は「区民が今後来るかもしれない状況だったため、区民を優先した」と説明する。

この対応に、貧困者の支援団体などからは「路上生活者の締め出しだ」という批判が上がっているという。

一般社団法人「あじいる」代表の今川篤子さんによると12日、複数の路上生活者から「避難所に行ったが断られた」という訴えを直接聞いたという。今川さんらが忍岡小を訪れて区職員に確認したところ「住所のない人は利用させないようにと指示を受けた」と回答したという。

区広報課田畑俊典課長補佐は「結果として支援から漏れてしまったのは事実で、今回の対応に多くの批判もいただいている。住所のない人の命ををどう守るか。他の自治体などを参考に支援のあり方を検討していきたい」と話した。

あの嵐のさなかのできごと。こんな会話があったのではなかろうか。

「この避難所で、雨風をしのぎたいのですが」
「あなた、お住まいはどちらですか」
「お住まいって…。ちゃんとしたお住まいがないから、一晩だけでも…」
「ここは台東区民のための施設ですから、区内にお住まいでなくてはね」
「普段は台東区上野公園で暮らしていますが、それじゃだめでしょうか」
「住民登録がなくっちゃね」
「……」

行政としては、この状況においては、手続や形式よりも、まずは誰であれ、生身の人を尊重すべきであったろう。

「『人命』より『住民票』? ホームレス避難所拒否で見えた自治体の大きな課題」というタイトルで、本日13時40分配信の〈AERA dot.〉が、津久井進弁護士(兵庫県西宮市)のコメントを引用している。

「災害救助法では、事務取扱要領で現在地救助の原則を定めています。住民ではなくても、その人がいる現在地の自治体が対応するのが大原則。また、人命最優先を定めた災害対策基本法にも違反する。あり得ない対応です」

「災害対策が進んでいると自負していた東京都でさえ、基本原則が理解されていない現場があることが露呈した。法律の趣旨原則に通じていない自治体が次なる大災害に対処できるのか、極めて強い不安を覚えます。同時に、法律が複雑なうえ、災害救助法は1947(昭和22)年に制定された古い法律です。国も、さらなる法整備を進める必要があるでしょう」

路上生活はこの上なく厳しい。ネットを検索したら、下記のURLを見つけた。形式主義で避難受け入れを拒否する人ばかりではなく、路上生活者に手を伸ばそうと、懸命に努力している立派な人もいるのだ。何もできない自分を恥じつつも、この社会、けっして捨てたものでもないとホッとしている。

寝る場所がないとき:東京の無料宿泊施設情報
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(2019年10月13日)

いま読むべき「戦前不敬発言大全」のお薦め

 

私の手許に、「戦前不敬発言大全」という分厚い一冊がある。この本の副題が長い。「落書き・ビラ・投書・怪文書で見る、反天皇制・反皇室・反ヒロヒト的言説」というのだ。戦前の体制側記録である「特高月報」「思想旬報」「憲兵隊記録」「社会運動の記録」などからの「不敬発言」集である。それに、コラムや解説記事が行き届いている。どこからどう読み始めても、興味深い記事ばかり。なによりも、読み易さが身上。

長い前書きの冒頭に、「特高警察、憲兵、そして現代の公安および体制の犠牲になった人々に本書を捧げる」とある。今年(2019年)6月1日発行。天皇交代直後の今だから、天皇をめぐる表現に萎縮あることを感じざるを得ない今だから、大いに読まれるべき一冊だと思う。戦前を回顧し、言論の不自由が何をもたらしたかを再確認しなければならない。

戦前の日本には、不敬罪というものがあり、国民の不敬言動が広く取り締まられた。そのため、取締対象となった不敬言動が記録として残された。この不敬言動、並べてみると、なかなかに壮観である。人は、忖度のみにて生くるものにあらず。権力の思いのままにはならぬものなのだ。

当時の日本は、国家神道(すなわち、「天皇教」)という急拵えの新興宗教体系を国家存立の基礎とも主柱ともする脆弱な宗教国家であった。その新興宗教体系の中心をなすものは、現人神としての天皇の神聖性という作られた信仰であった。

天皇とは神の子孫であるとともに、自らも神という聖なる存在である。天皇がこの国を統治する正当性の根拠は、神代の昔に、最高神アマテラスが定めたことなのだから、疑う余地はない。その神の定めに従って、この国の民のすべては、神なる天皇に臣従する立場にある。神である天皇を戴く神国日本は、他国に優越する優れた国で、神の加護の下にある…。こんなことを、大真面目に説いていたのだ。

天皇教国家は、学校教育と軍隊教育とを通じて、神なる天皇の神聖性という信仰を臣民の精神に刷り込み、「思想の善導」をはかった。が、その限界は明らかである。「思想の善導」に服さない非国民が確実に存在し、非国民への対策が必要だった。

その対策の一つが、メディアの統制であり、他の一つが、天皇の神聖性を否定する国民の言動に対する刑罰権の発動による取り締まりであった。この天皇の神聖性擁護の言動取締りが、不敬罪である。心底、天皇を敬せずともよいが、天皇に不敬の言動は厳格に取り締まる、というわけである。

初めて刑法典をひもとく人には驚くべきことに違いないないが、現行の刑法典は1907(明治40)年に制定されたものである。加除添削を重ね、ひらがな化、口語化などを経ているが、骨格は100年以上の昔のままである。

その刑法は2編からなる。第1編が「総則」であり、第2編が「罪。総論と各論に当たる。第2編の「罪」とは、何が刑罰権発動の要件としての犯罪になるのか、その構成要件を明確にして条文化したものである。この第2編「罪」が、第1章から第40章まであって、侵害される法益の種類や行為態様によって犯罪が分類されている。

たとえば、第26章「殺人の罪」には、「第199条(殺人罪)」「第200条(尊属殺人)削除」「第201条(殺人予備)」「第202条(自殺関与及び同意殺人罪)」「第203条(未遂罪)」と、分かり易い条文が並んである。

「殺人の罪」が第26章として、では第1章は何か。言わずと知れた、「皇室ニ對スル罪」である。もちろん、戦後すぐ(1947年)に削除されたもので、今はない。

我々が今なお、日々使っている刑法。その第2編第1章に、削除以前には下記の4か条があった。

第1章  皇室ニ對スル罪
第73条 《天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ》危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者死刑ニ處ス

第74条 《天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ》不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス 《神宮又ハ皇陵ニ対シ》不敬ノ行為アリタル者亦同シ

第75条 《皇族ニ對シ》危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ處シ 危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ處ス

第76条 《皇族ニ對シ》不敬ノ行為アリタル者ハ二月以上四年以下ノ懲役ニ處ス

上記第73条が、戦前制定された刑法各論のトップ、言わば「1丁目1番地」に位置する犯罪であった。これが、悪名高い「大逆罪」である。読みにくいが,ぜひよくお読みいただきたい。天皇や皇后に対する殺人罪ではない。「危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル」ことが犯罪行為とされている。「危害を加えようとした」だけで、「死刑ニ處ス」である。法定刑にそれ以外の選択はない。

上記の第74条と76条が、不敬罪である。不敬行為の客体は、天皇・皇族・神宮・皇稜。そして、不敬ノ行為とは「天皇等の尊厳を害する一切の行為」を指すとされた。演説から、私語から、ビラから、トイレの落書きまで、不敬言動は多岐に渡る。これを取り締まった特高もたいへんだった。

この書の著者は髙井ホアン。自らを「不逞鮮人」をもじって「太いハーフ」という人。早川タダノリ氏のデビュー当時、その若さに驚いたものだが、髙井ホアンは1994年生まれ、早川氏よりもさらに20年若い。

「高校時代より反権力・反表現規制活動を行う中、その過程で戦前の庶民の不敬・反戦言動について知り、そのパワフルさと奥深さに痺れて収集と情報発信を開始」という。

その奥深さとは、「天皇の批判を投書や怪文書でコッソリ表明」「犠牲を顧みる一般市民の非英雄的反体制的言論活動」という視点。本の宣伝に引用されている、不敬言辞は、たとえば以下のようなものだが、本を読めば、実にバラエティに富んだものであることがよく分かる。著者が、「痺れて収集と情報発信を開始」したのももっともなのだ。

■「皇太子殿下も機関の後継者というだけで別に変ったものでない」
■「俺も総理大臣にして見ろ、もっと上手にやって見せる」
■「俺は日本の国に生れた有難味がない、日本に生れた事が情無く思う」
■「実力のある者をドシドシ天皇にすべきだ」
■「生めよ殖せよ陛下の様に」
■「早く米国の領地にしてほしい」
■「天皇陛下はユダヤ財閥の傀儡だぞ」
■「日本の軍隊が他国へ攻め込んでそれで正義と言うのは変ではないか」
■「個人あってこそ国家があるので個人が立行かぬ様になっては国家もその存立を失う」

実はこの本。「戦前ホンネ発言大全」の1。同じ著者が同2を同時に発行している。こちらは「戦前反戦発言大全」である。「落書き・ビラ・投書・怪文書で見る反軍・反帝・反資本主義的言説」という副題。

「両巻合わせて合計1184ページ 約1000の発言を収録!」という惹句で、「不敬発言大全」の表紙には昭和天皇(裕仁)、「反戦発言大全」の表紙には東条英機の写真が掲載されている。

髙井ホアン(著/文) 発行:パブリブ
両巻とも、価格 2,500円+税 初版年月日2019年6月1日
http://publibjp.com/wordpress/wp-content/uploads/2019/04/戦前ホンネ発言大全FAXDM.jpg

世の空気に,しなやかに抵抗の叛骨ぶりが、好もしくも頼もしい。

(2019年10月12日)

靖国神社での「南京大虐殺を忘れるな!」抗議に懲役10月の有罪判決。

昨日(10月10日)の午後、東京地裁で建造物侵入の罪に問われた香港人2人の被告に有罪判決が言い渡された。
被告の1人は郭紹傑(グオ・シウギ55才)、言い渡しの量刑は懲役8月・執行猶予3年(求刑1年)。もう一人は厳敏華(イン・マンワ27才)、懲役6月・執行猶予3年(求刑10月)。2人は即日控訴したという。

2人は何をしたのか。昨年(2018年)12月12日、南京大虐殺への抗議活動のために靖国神社(東京都千代田区)の敷地に入って、郭氏が横断幕を広げて抗議のパフォーマンスをし、厳氏がこれを撮影した。「サンデー毎日」記事に拠れば、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」という。南京大虐殺は、1937年12月13日皇軍の南京占領に始まる。12月12日の靖国での行動は、翌13日に「南京大虐殺を忘れるな!」という放映のためであったろう。彼らにとっては、その撮影場所は靖国神社でなければならなかった。

靖国神社の開門時刻は午前6時という。この撮影時刻は早朝7時のこと。混乱はまったく起きていない。実害のない行為だった。2人に気づいた守衛に制止されて、2人は撮影を止め境内から退去の寸前に、現行犯逮捕され、起訴された。以後10か月間,保釈申請と却下が繰り返され、長期勾留が続いた。支援団体は、この事態を「見せしめ勾留」と抗議し続けてきた。実に、300日間の長期勾留となった。

問題はいくつもある。まず、犯罪構成要件の解釈。本来厳格であるべき解釈が、こんな緩い解釈でよいのだろうか。

 刑法第130条(住居侵入等)「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

 公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に、同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。2人は、施錠を壊しあるいはドアを破って建造物に侵入したわけではない。だれもが平穏にはいることのできる「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳」まで足を運んだことが、「建造物」に「侵入」したとされた。朝日は、「靖国神社境内は「建造物」 侵入し抗議の中国人2人有罪」と見出しを打った。「敷地」が「建造物」であり、だれもが平穏に入れるところに「侵入」とされたわけだ。

判決理由で野沢晃一裁判長は「抗議活動は宗教施設の平穏な環境を害する」と指摘し、「管理権者は参拝以外の目的による立ち入りを禁止しており、管理権を侵害している」と述べたという。はたして、本当にそうなのか、これでよいのだろうか。

この事件では、靖国神社になんの実害もない。2人の靖国神社境内立ち入りの意図が、靖国神社に何らかの実害をもたらすことにあったわけでもなく、表現の自由行使という側面は否定しえない。この微罪に対して、逮捕し、起訴し、さらに10か月に及ぶ勾留を敢えてしたのだ。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。カルロス・ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。

郭被告は、昨年(2018年)12月『長期勾留』に抗議して、約100時間絶食し、その結果同27日体調不良で検査のため病院に運ばれた」という。また、第1回公判の罪状認否では、「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張したと報道されている。

この事件の被告2人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国と日本社会の圧倒的多数派世論を直接の敵にまわしているからだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。

むしろこの機会に、2人が訴えたいとした香港の人びとの、靖国に象徴される日本の加害責任追及の声に耳を傾けたい。

以下、9月24日東京新聞朝刊「こちら特報部」「市民運動弾圧のにおい」から抜粋して引用する。

 まず、香港事情に詳しいジャーナリスト和仁廉夫氏の説明。
 米国と開戦した日本が最初に占領したのが、イギリス領だった香港だ。1941年12月25日から3年8ヵ月、軍政下に置いた。殺りくや略奪も多発したという。厳被告も、香港で暮らしていた祖母が日本兵にレイプされないよう、泥墨を顔に塗って男の子のように装い、難を逃れたという経験を聞いて育った。

 「72年に日中の国交は正常化した。その後、日本社会は加害の歴史に目を背けてきた。最近はその傾向か強まっている。謝罪も償いも受けられなかった人々に不満が高まっている」と和仁さんは語る。

 「靖国神社はアジアの人々にとって先の戦争の象徴だから、日本社会が戦争責任に向き合わない限り、同様の抗議は繰り返されるだろう」

 そして、これも「特報部」からの抜粋。

 立命館大学法科大学院の松宮孝明教授(刑法)は検察側の解釈に疑問を持つ。
  「建造物内部に侵入したのと同じ程度に建物内の平穏が乱されたのでなければ、建造物侵入罪を適用すべきではない」。そして「建造物侵入を唯一の罪として、検察官の裁量で適用が拡大されるなら、市民運動の弾圧にも使える」と問題点を指摘する。

 すでに弾圧のにおいがする事件も起きている。
 一つは「立川テント村事件」。東京・立川の自衛隊官舎の集合ポストに反戦ビラを投函した市民グループの3人が住居侵入罪に問われた。もう一つが「政党ビラ事件」。こちらは、葛飾区のマンションのドアポストに日本共産党の議会報告ビラなどを入れていた男性が同罪に問われた。いずれも2004年に起きた。

 松宮氏は「立川の事件では日中に平穏のうちに行われたビラまきが住居侵入だとして逮捕され、長期間、拘束された。住居でも建物でも、付随した土地での管理者の意に反する行動はすべて侵入罪に問われかねない。特に政治色を帯びた活動が狙われ、思想弾圧の道具にも使われるようになる」と批判する。

 さらに松宮氏は香港の2人の勾留が長期に及んだことに疑問の目を向ける。「建造物侵入しか罪状がなくても、ここまで取り締まれるという先例をつくるための裁判ではないか」「日本の市民社会を萎縮させる可能性を持つ、大変危険な裁判だ」。

昨日の判決は、この疑念を払拭することなく、むしろ疑念を確認するものとなってしまった。控訴審の帰趨にも、注目しなければならない。
(2019年10月11日)

共産党は、「即位礼正殿の儀」に参列しない。その姿勢や良し

本日(10月10日)の赤旗からの引用である。
「『即位の礼』 一連の儀式参列せず」「小池氏 憲法原則と両立しない」という見出し。この見出しだけでも、分かることは分かる。

 日本共産党の小池晃書記局長は9日、国会内で記者会見し、天皇の代替わりにかかわり行われる「即位の礼」の一連の儀式への態度について問われ、「『即位礼正殿の儀』および『饗宴の儀』には参列しない」と述べました。

 小池氏は、日本共産党が天皇の代替わりに伴う儀式等については、憲法の国民主権、政教分離の原則にかなったものとすることを求めてきたが、政府が昨年4月に閣議決定した「即位の礼」の一連の儀式は、戦前の明治憲法下の天皇主権・国家神道のもとで代替わりの儀式を定めた「登極令」のやり方を踏襲するものだと指摘。「とりわけ『即位礼正殿の儀』は、神によって天皇の地位が与えられたことを示す『高御座』から天皇が即位を宣明し、その即位を内外の代表が祝う儀式であり、神道行事である『大嘗祭』と一体不可分に行われるものだ。『饗宴の儀』は、こうした『即位礼正殿の儀』と一体の行事に他ならない」として、「わが党は、これらの儀式が現行憲法の国民主権、政教分離の原則とは両立しないことを指摘し、国事行為である国の儀式とすることに反対を表明してきた。こうした見地から『即位礼正殿の儀』および『饗宴の儀』には参列しない」と述べました。

 簡明な理由と簡明な結論。これでよかった。共産党ともあろう者が、高御座の新天皇を仰ぎ見て、安倍晋三の音頭に唱和して、「テンノーヘイカ・バンザイ」などという愚かな真似をやれるはずもなかろう。共産党を支持し、これに票を投じた少なからぬ国民を代表する立場で、きっぱりと「一連の儀式参列せず」としたことを評価したい。

これを産経が「共産党が天皇陛下ご即位の儀式に欠席表明」と報じている。「天皇陛下ご即位の儀式」には、国民こぞって参列し、テンノーヘイカ・バンザイ」と祝意を表明すべきだと言わんばかりの記事のつくり。

芥川はこう言った。「わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」

芥川に倣って,今はこう言わねばならない。「わたしには実際不思議である。なぜ主権者たる国民が、酒にも酔わずに、『テンノーヘイカ・バンザイ』などと叫ぶことができるのであろうか?」

私は、代替わり(天皇の交代)を祝うという感性が、自律した個人にふさわしからぬものと思う。これは、日本国憲法以前の、言わば近代のもつ自然法的な大原則だと思う。

共産党は、そこまでは言わない。キーワードは、「国民主権」政教分離」代替わり(天皇交代)儀式のあり方がこの憲法上の両原則に反するという。象徴天皇制を尊重しつつ、天皇交代の儀式のありかたを、天皇の存在に優越する他の憲法諸原則に照らして問題とする姿勢。もちろん、日本国憲法遵守至上主義に文句の付けようはないが、私には、やや物足りない。

ところが、世の中には、いろんな人がいて、いろんな見方がある。この共産党の「憲法遵守至上主義」を、「共産党は改憲派」という自民党議員の発言が飛び出した。何だいったいそれは。私の頭が混乱しているのか、当該議員の発言が混乱しているのか。

自民党の井野俊郎という議員が、本日(10月10日)の衆院予算委員会で「共産党の皆さんは改憲派」と発言し、一騒動あったという。

発言した当の自民党議員にしてみれば、「改憲派」とは、自分のことだ。共産党を「改憲派」というのは、自分と同じということ。これでは、罵り言葉にならない。

朝日が伝えるところでは、井野の発言は「憲法第1章、天皇制について言えば、我々自民党は護憲。他方、共産党の皆さんは改憲派になると思う」というもの。井野という人物、最近の共産党の姿勢を知ってのことか、知らないのか。

野党の席から「違うよ!」「でたらめなこと言うな!」と激しいヤジが飛び、委員会室は一時騒然となった。井野氏は「(共産党は)即位の礼に参加しないじゃないですか」と反論したが、ヤジは収まらなかった。

こうした状況を受け、午後に再開された同委の冒頭、棚橋委員長は井野氏の発言について、「公党に対して誤解を与えるような発言がありました。発言には十分に注意してほしい」と述べ、注意を促した。

井野議員の発言は「憲法第1章、天皇制について言えば、我々自民党は護憲。他方、共産党の皆さんは改憲派になると思う」は、本来の共産党のあるべき姿の指摘といえよう。国民の多くが漠然とそう考えているものと思われる。その改憲とは、歴史の進歩に沿う方向でのもの。

もちろん、天皇制について、「自民党が護憲派」はウソだ。歴史に逆行する形での改憲志向政党である。2012年4月28日発表の「自民党改憲草案」は、その前文の冒頭を、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって…、」としている。日本国憲法とは大違い。

そして、残念ながら、「共産党の皆さんは改憲派になると思う」も間違いなのだ。野党の席から「違うよ!」「でたらめなこと言うな!」と激しいヤジが飛んだとおり、共産党は「護憲一辺倒」なのだ。確かに、共産党は即位の礼に参加しない。しかし、それは現行憲法の大原則に反するからであって、象徴天皇制そのものに反対し、天皇制をなくしていこうという積極的改憲路線とは無縁なのだから。
(2019年10月10日)

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NHKへの抗議と激励の「アピール行動」10月18日(金)に延期

NHKへの抗議と激励の「アピール行動」は台風のため延期となりました。

10-18-kanpo-1.pdf

  日時:10月18日(金) 17時~18時
  場所:NHK放送センター西門周辺
     (最寄り駅:澁谷・原宿・明治神宮駅)

私は何を書いて、DHC・吉田嘉明からスラップの標的とされたか。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第162弾

10月4日スラップ「反撃」訴訟の勝訴判決以来、会う人ごとに「おめでとう」「よかったね」と言われ続けている。とても気分は良い。そして、「この裁判を知ってからDHCは買ってないよ」「ウチは、DHCは以前から買ってない」と,多くの人から聞かされる。面倒を厭わず闘い続けた甲斐があったと思う。本当によかった。弁護団や支援の皆様には感謝の言葉しかない。

しかし、なかには、「いったい、DHCと吉田嘉明にどんな悪口を言って、裁判までされたの?」という質問をする方もいる。かすかに、「裁判までされたのは、よほどのことを言ったからでしょう」というニュアンスが感じられる。

そこで、私が、名誉毀損として訴えられたブログのすべてを掲載しておきたい。そのブログは全部で5本。名誉毀損とされた表現の個所は合計16個所ある。これを並べてお読みいただきたい。私のブログは吉田嘉明を厳しく批判するものだ。吉田の耳に痛いことは当然として、この私の言論が許されざる違法なものであるかどうか、読者ご自身の憲法感覚でご判断いただきたい。

2014年3月27日、吉田嘉明の独占手記「さらば器量なき政治家・渡辺喜美」掲載の週刊新潮(4月3日号)発売になった。私は、これを批判するブログを3本書いて、DHC・吉田嘉明から、2000万円の損害賠償請求の訴えの提起を受けた。損害賠償請求と併せて、ブログ記事の削除と謝罪文掲載の請求もあった。私のブログ記事掲載は、同年3月31日、4月2日、4月8日のこと。これを違法とするDHC・吉田嘉明の訴え提起は、4月16日のことだった。

その3本の「2000万円相当ブログ」は下記のとおり。

http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

この提訴の訴状に不備があったのか、訴状の私への送達は遅れて、5月16日となった。友人と相談して、弁護団態勢を組む目途が付いた頃から、私は不退転の決意反撃に出た。当ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの掲載を開始したのだ。その第1回が、同年7月13日のこと。
2014年7月
13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
18日 第5弾「この頑迷な批判拒否体質(1)」
19日 第6弾「この頑迷な批判拒否体質(2)」
20日 第7弾「この頑迷な批判拒否体質(3)」
22日 第8弾「グララアガア、グララアガア」
23日 第9弾「私こそは『幸せな被告』」
25日 第10弾「『表現の自由』が危ない」
27日 第11弾「経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ」
31日 第12弾「言論弾圧と運動弾圧のスラップ2類型」
同年8月
3日 第13弾「スラップ訴訟は両刃の剣」
4日 第14弾「スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。」
8日 第15弾「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ」
10日 第16弾「8月20日(水)法廷と報告集会のご案内」
13日 第17弾「DHCスラップ訴訟資料の公開予告」
20日 第18弾「満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論」
21日 第19弾「既に現実化しているスラップの萎縮効果」
22日 番外「ことの本質は『批判の自由』を守り抜くことにある」
31日 第20弾「これが、損害賠償額4000万円相当の根拠とされたブログの記事」
同年9月
14日 第22弾「DHCが提起したスラップ訴訟の数々」
15日 第23弾「DHC会長の8億円拠出は『浄財』ではない」
16日 第24弾「第2回口頭弁論までの経過報告」
17日 第25弾「第2回口頭弁論後の報告集会で」
(以下略、現在162弾まで)

以上のとおり、私は猛烈に書き続けた。怒りこそが、エネルギーの源泉である。私のブログを検索していただければ、すべてを読むことができる。「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの最初の方ものは、読み物としてもできのよい面白いものではないか。

しかし、吉田嘉明にしてみれば、黙れと恫喝したのに反撃されたことが面白くないものと映ったようだ。8月29日付の書面で、2000万円の損害賠償請求金額は6000万円に跳ね上がった。その根拠とされたものが、第1弾と、第15弾の2本のブログ、第1弾の5個所と、第2弾の1個所が名誉毀損の表現部分だという。

http://article9.jp/wordpress/?p=3036(2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

http://article9.jp/wordpress/?p=3267 (2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

以上の経過で、損害賠償請求の根拠とされた私のブログは、合計2000万円相当の3本と、合計4000万円相当の2本となった。これを以下のとおり、再掲しておきたい。なお、赤字部分が名誉毀損表現として特定された文章である。

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「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

「徳洲会・猪瀬」5000万円問題が冷めやらぬうちに、「DHC・渡辺喜美」8億円問題が出てきた。2010年参院選の前に3億円、12年衆院選の前に5億円。さすが公党の党首、東京都知事よりも一桁上を行く。

私は、「猪瀬」問題に矮小化してはならないと思う。飽くまで「徳洲会・猪瀬」問題だ。この問題に世人が怒ったのは「政治が金で動かされる」ことへの拒否感からだ。「政治が金で買われること」のおぞましさからなのだ。政治家に金を出して利益をむさぼろうという輩と、汚い金をもらってスポンサーに尻尾を振るみっともない政治家と、両者をともに指弾しなければならない。この民衆の怒りは、実体法上の贈収賄としての訴追の要求となる。

「DHC・渡辺喜美」問題も同様だ。吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

もっとも、刑事的な犯罪性という点では「徳洲会・猪瀬」事件が、捜査の進展次第で容易に贈収賄の立件に結びつきやすい。「DHC・渡辺喜美」問題は、贈収賄の色彩がやや淡い。これは、知事(あるいは副知事)と国会議員との職務権限の特定性の差にある。しかし、徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

もうひとつの問題として、政治資金、選挙資金、そして政治家の資産状況の透明性確保の要請がある。政治が金で動かされることのないよう、政治にまつわる金の動きを、世人の目に可視化して監視できるように制度設計はされている。その潜脱を許してはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。

この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。
(2014年3月31日)

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「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

「ヨッシー日記」と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。そして、もう一点は、DHC吉田嘉明のやり口に触れているところ。こちらは、金を持つ者への政治家の諂いと、金で政治が歪められている実態の氷山の一角を見せてくれる。いずれにせよ、貴重な読み物である。

渡辺の法的弁明は、一読して相当に腹の立つ内容。おそらくは、弁護士の代筆が下敷きにある。「本件は法の取り締まりの対象とはならない」という挑戦的な姿勢。政治倫理や、政治資金の透明性の確保などへの配慮は微塵もない。要するに刑事制裁の対象となる違法はないよ、という開き直りである。法的に固く防御しているつもりで、政治的には却って墓穴を掘っている。

ここでの渡辺の「論法」は、「吉田嘉明から渡辺喜美が、みんなの党各候補者の選挙運動資金調達目的で金を借りたとしても、その借入を報告すべき制度上の義務はなく、法律違反の問題は生じない」ということに尽きる。謂わば、法の隙間の処罰不能な安全地帯にいるのだという宣言である。

もちろん、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」には違反している。この法律は、「(第1条)国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする。」として、政治家の資産と所得の公開を求めている。しかし、これには処罰規定がない。倫理の問題としては責められても、強制捜査も起訴も心配しなくて済む。

では、公職選挙法上の選挙運動資金収支として報告義務の違反にはならないか。渡辺は、「選挙資金として(渡辺から吉田に対する)融資の申し込みをしたというメールが存在すると報道がありました。たとえそれがホンモノであったとしても法律違反は生じません。」と開き直る。自分の選挙ではないからだ。報告義務を負うのは各候補者であり、各陣営の会計選任者だからということ。

では、政党の党首が選挙運動費用として党員候補者に使わせる目的で金を借りたら、その借入の事実を政治資金収支報告書に記載すべきではないか。これも、「党首が個人の活動に使った分は、政治資金規正法上、政治家個人には報告の義務はありません。そのような制度がないということです。個人財産は借金も含めて使用・収益・処分は自由にできるからです」とここでも開き直っている。

もっとも、渡辺がDHCの吉田から借りた金を、党の政治資金や候補者の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げ切れない。8億の金がどう流れたのか、調査の結果を待って辻褄が合うのかどうか検討を要する。

今の段階では、「一般的に、党首が選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然のことです。一般論ですが、借り受けた資金は党への貸付金として選挙運動を含む党活動に使えます。その分は党の政治資金収支報告書に記載し、報告します。」という、開き直りでもあるが貴重な言質でもあるこの言葉を胸に納めておこう。

いずれにしても、みんなの党は総力をあげて渡辺の8億円の使途を追求しなければならない。でなければ、自浄能力のない政党として国民の批判に堪え得ず、全員沈没の憂き目をみることになるだろう。

興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。

それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

これが、おそらくは氷山の一角なのだ。
(2014年4月2日)

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政治資金の動きはガラス張りでなければならない

本日(4月8日)の、朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。標題を一覧するだけで、何を言わんとしているか察しがつく。

朝日新聞  渡辺氏の借金―辞任で落着とはならぬ
毎日新聞  渡辺代表辞任 不信に沈んだ個人商店
東京新聞  渡辺代表辞任 8億円使途解明を急げ
日本経済  党首辞任はけじめにならない
読売新聞  渡辺代表辞任 8億円の使い道がまだ不明だ
産経新聞  渡辺代表辞任 疑惑への説明責任は残る

各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。

毎日の「構造改革が旗印のはずだった同党だが最近は渡辺氏が主導し特定秘密保護法や集団的自衛権行使問題など自民党への急接近が目立ち、与党との対立軸もぼやけていた。いわゆる第三極勢自体の存在意義が問われている。」と指摘していること、東京が「『みんなの党は自慢じゃないけど、お金もない、組織もない、支援団体もない。でも、しがらみがない。だから思い切った改革プランを提示できる』と訴え、党勢を伸ばしてきた。党首が借入金とはいえ8億円もの巨資を使えるにもかかわらず、『お金がない』と清新さを訴えて支持を広げていたとしたら、有権者を欺いたことにならないか」と言及していることが、辛口として目立つ程度。これに対して、産経は「新執行部は渡辺氏にさらなる説明を促し「政治とカネ」の問題に率先して取り組み、出直しの第一歩にしてもらいたい」と第三極の立ち直りにエールを送る立ち場。

もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。

DHCの吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには、厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、「官僚と闘う」「官僚機構の打破」にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。

自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。

政治資金規正法違反の犯罪が成立するか否かについては、朝日の解説記事の中にある、「資金提供の方法が寄付か貸付金かは関係なく、『個人からのお金を政治資金として使うのであれば、すべて政治資金収支報告書に記載する必要がある』として、違法性が問われるべき」との考え方に賛意を表したい。

仮に、今回の「吉田・渡辺ケース」が政治資金規正法に抵触しないとしたら、それこそ法の不備である。政治献金については細かく規制に服するが、「政治貸金」の形となれば一切規制を免れてしまうことの不合理は明らかである。巨額の金がアンダーテーブルで政治家に手渡され、その金が選挙や党勢拡大にものを言っても、貸金であれば公開の必要がなくなるということは到底納得し得ない。明らかに法の趣旨に反する。ましてや本件では、最初の3億円の授受には借用証が作成されたが、2回目の5億円の授受には借用証がないというのだ。透明性の確保に関して、献金と貸金での取扱いに差を設けることの不合理は明らかではないか。

主要6紙がこぞって社説に掲げているとおり、事件の幕引きは許されない。まずは「みんなの党」内部での徹底した調査の結果を注視したい。その上で、国会(政倫審)や司法での追求が必要になるだろう。

政治と金の問題の追求は決しておろそかにしてはならない。
(2014年4月8日)

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いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

当ブログは新しい報告シリーズを開始する。本日はその第1弾。
興味津々たる民事訴訟の進展をリアルタイムでお伝えしたい。なんと、私がその当事者なのだ。被告訴訟代理人ではなく、被告本人となったのはわが人生における初めての経験。

その訴訟の名称は、『DHCスラップ訴訟』。むろん、私が命名した。東京地裁民事24部に係属し、原告は株式会社ディーエイチシーとその代表者である吉田嘉明(敬称は省略)。そして、被告が私。DHCとその代表者が、私を訴えたのだ。請求額2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟である。

私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。

DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。

私は改憲への危機感から「澤藤統一郎の憲法日記」と題する当ブログを毎日書き続けてきた。憲法の諸分野に関連するテーマをできるだけ幅広く取りあげようと心掛けており、「政治とカネ」の問題は、避けて通れない重大な課題としてその一分野をなす。そのつもりで、「UE社・石原宏高事件」も、「徳洲会・猪瀬直樹事件」も当ブログは何度も取り上げてきた。その同種の問題として「DHC・渡辺喜美事件」についても3度言及した。それが、下記3本のブログである。

http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

是非とも以上の3本の記事をよくお読みいただきたい。いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」ことへの批判を内容とするものである。

DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。

原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。

万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。

本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴をなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。

このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない。

応訴の弁護団をつくっていただくよう呼びかけたところ、現在77人の弁護士に参加の申し出をいただいており、さらに多くの方の参集が見込まれている。複数の研究者のご援助もいただいており、スラップ訴訟対応のモデル事例を作りたいと思っている。

本件には、いくつもの重要で興味深い論点がある。本日を第1弾として、当ブログで順次各論点を掘り下げて報告していきたい。ご期待をいただきたい。

なお、東京地裁に提訴された本件の事実上の第1回口頭弁論は、8月20日(水)の午前10時30分に開かれる。私も意見陳述を予定している。

是非とも、多くの皆様に日本国憲法の側に立って、ご支援をお願い申しあげたい。「DHCスラップ訴訟を許さない」と声を上げていただきたい。
(2014年7月13日)
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「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

政治資金規正法は、1948年に制定された。主として政治家や政治団体が取り扱う政治資金を規正しているが、政治資金を拠出する一般人も規正の対象となりうる。政治資金についての規正が必要なのは、民主主義における政治過程が、カネで歪められてはならないからだ。

政治資金規正法第1条が、やや長めに法の目的を次のとおり宣言している。
「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」

立派な目的ではないか。これがザル法であってはならない。これをザル法とする解釈に与してもならない。カネで政治を歪めることを許してはならない。

改めて仔細に読み直すと、うなずくべきことが多々ある。とりわけ、「議会制民主政治の下」では、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」と述べていることには、我が意を得たりという思いだ。

キーワードは、「国民の不断の監視と批判」である。法は、国民に政治家や政権への賛同を求めていない、暖かい目で見守るよう期待もしていない。主権者国民は、政党・政治団体・公職の候補者・すべての議員への、絶えざる監視と批判を心掛けなければならない。当然のことながら、政治家にカネを与えて政治をカネで動かそうという輩にも、である。

砕いて言えば、「カネの面から民主主義を守ろう」というのが、この法律の趣旨なのだ。「政治とカネの関係を国民の目に見えるよう透明性を確保する。金持ちが政治をカネで歪めることができないように規正もする。けれども、結局は国民がしっかりと目を光らせて、監視と批判をしてないと民主主義の健全な発展はできないよ」と言っているのだ。

「政治資金収支の公開」と「政治資金授受の規正」が2本の柱だ。なによりもすべての政治資金を「表金」としてその流れを公開させることが大前提。「裏金」の授受を禁止し、政治資金の流れの透明性を徹底することによって、カネの力による民主主義政治過程の歪みを防止することを目的としている。

今私は、政治とカネの関係について、当ブログに何本もの辛口の記事を書いた。そのうちの3本が名誉毀損に当たるとして、2000万円の損害賠償請求訴訟の被告とされている。私を訴えたのは、株式会社DHCとその代表者吉田嘉明である。

どんな罵詈雑言が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。下記3本のブログをご覧いただきたい。

http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。

私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。

事実上の有権解釈を示している、『逐条解説 政治資金規正法〔第2次改訂版〕』(ぎょうせい・2002年)88頁は、法の透明性の確保の理念について、「いわば隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」と解説している。

にもかかわらず、3億円、5億円という巨額な裏金の授受を規正できないとする法の解釈は、政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならない。

この透明性を欠いた巨額カネの流れを、監視し批判の声を挙げた私は、主権者として期待される働きをしたのだ。逆ギレて私を提訴するとは、石流れ木の葉が沈むに等しい。これが、スラップなのだ。明らかに間違っている。

憲法と政治資金規正法の理念から見て、恥ずべきは原告らの側である。本件提訴は、それ自体が甚だしい訴権の濫用として、直ちに却下されなければならない。(2014年8月8日)

私に「6000万円支払え」と訴訟を提起した根拠が、以上のブログ記事である。これを違法として「6000万円支払え」と請求した人物が、DHCの吉田嘉明。読者諸賢の読後感はいかがだろうか。

問題は2段階ある。まずは、この内容の言論が違法とされてよいのか、ということ。そして、この内容の言論を違法として提訴し、表現者に応訴の負担をかけることが許されるのか、ということ。

私は、改めて読み直して、いずれの記事も正鵠を射たものであり、DHC・吉田嘉明の提訴違法について改めて確信を深めている。

(2019年10月9日)

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