澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

ソンタクこそは日本文化の神髄である

「忖度」、そりゃ大切だ。周りとうまくやるためには、一に忖度、二に忖度。
処世の要諦、これ忖度。忖度なしには、世渡りできない暮らせない。

出世しようと思うなら、ね、キミ。
上司の意中を忖度できなくっちゃね。

なんてったって、ソンタクこそは日本文化の神髄だ。忖度なくして、われわれの和の文化はあり得ない。忖度があって初めて、美しい日本の社会が存在するんだ。 17か条の憲法も、教育勅語も、忖度でできている。忖度は、大和民族の文化でもあり、伝統でもあるのだ。

そう。忖度は、男尊女卑や、大勢順応、権威追随、権力への諂いなどとともに、民族の優れた精神的遺産なのだ。天皇制とともに、いつまでも大切にしなければならない。しかも、今や、企業文化の基盤となっているのだからね。

いいかね、この社会は上位の者と下位の者とが階層をなしてできている、みんながみんな人間は平等だ、なんて言いだしたらいったいどうなる。この社会の平穏な秩序が壊れてしまうじゃないか。これを防ぐのが、忖度の文化だ。下位者の上位への自発的服従という美風だ。

社会の秩序を守るために、いにしえの聖人が道を説いてきた。たとえば、五倫。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信だ。今なら、さらに富者と貧者の和、多数派と少数派の議。あるいは諸民族間の敬であろうか。

この五倫をパクって、極端な国家主義と天皇崇拝を混ぜて拵え上げたのが教育勅語だ。臣は君に、子は父に、妻は夫に、幼は長に、そして朋友は互いに、忖度せよというわけだ。臣たる者、君命の出づる前に、主君の心中を察して行動せよ、言いにくいことを言わせるな。これが忖度の意味であり精神文化たる所以。

暴力団の鉄砲玉は、組長からあいつを襲えと具体的な指示を受けるわけではない。言われる前に、立派に忖度して組長の意に沿うのだ。そして、事後には組長から指示を受けていないと、組と組長を守ることになる。これこそ忖度文化の到達点。

戦前の天皇制がそうだった。天皇はけっして自ら命令を下さない。しかし、東条をはじめとする群臣は、例外なく、天皇(裕仁)の意向を忖度して、オオミココロに沿ったのだ。そうしてこそ、天皇の意思を実現しつつも、天皇の法的政治的責任を免じる口実をつくるのだ。

「木戸幸一日記」や「原田熊雄日記」が示すように、上奏以前の内奏等の過程で、天皇はしばしば質問(下問)や沈黙の形で、自らの意思を間接に示しており、そこから内奏者等は天皇の意思をまさに「忖度」して、その意に沿って何らかの決定を行っているのである。(横田耕一・「忖度」が横行する社会)

戦後今に至るも、この伝統は受け継がれている。いま、「天皇(明仁)の意に沿うべきだ」などと恥ずかしげなく言える空気が世に満ちている

「和をもって貴しとなす」も同じことだ。「和」とは、もちろん主体性をもった平等者間の連帯や団結のことではない。下っ端役人は上級官僚にツベコベ言うな。官僚は天皇に逆らってはならない。上からの命令や懲罰によってではなく、下僚の上級に対する自発的な服従でできあがる官僚秩序の形成を「貴い」としたのだ。これこそ、忖度の文化と伝統の草分けではないか。いま、これがわが国の企業内人間関係に生きていて、愚物の企業経営者が、社内の「和」を説いている。

文化と伝統の墨守は、保守政党のお手のもの。モリ・カケ事件でのアベ晋三は、忖度した官僚を、トカゲの尻尾よろしく切り捨てて涼しい顔だ。「私も妻も、けっして指示なんぞしていない」というわけだ。

日大アメフト部の監督も、この辺はよく心得ている。
「弊部の指導方針は、ルールに基づいた『厳しさ』を求めるものでありますが、今回、指導者による指導と選手の受け取り方に乖離が起きていたことが問題の本質」と言ってのけた。これはホンネだろうが、たいしたものだ。

この監督は、ルール違反のタックルで相手チームの主力選手にケガを負わせろ、とまでは言っていなかったのかも知れない。しかし、当の選手には監督が何を望んでいるかは、明瞭に「忖度」可能だったのだ。だから、監督の望むとおりに実行した。

監督の側は、いざというときは、「自分は指示をしていない」「選手が忖度した結果だとすれば、それは勝手にした間違った忖度だ」と逃れることを想定している。天皇も、アベも、組長も、そして体育部の監督も、忖度文化の利益を存分に享受しているのだ。

だけどね、キミ。「忖度」がいつもうまく行くとは限らない。
出世しようと上司の意中を忖度した結果が、上司に裏切られることも、往々にしてあるんだな。その場合は、泣くに泣けない悲劇となる。

「忖度」にも、相応の覚悟が必要ってことだ。佐川や、柳瀬や、迫田や、美並などの行く末をよくよく見てみようじゃないか。
(2018年5月19日)

柳瀬唯夫答弁に市民の声。「嘘」つくな。「偽」るな。きみらは「膿」だ。「怒」っているぞ。

沖縄の旅を終え、日常生活に戻った。本日(5月12日)午後、文京区民センターでの稲嶺進・前名護市長との「交流の集い」。300人を超える参加者の盛会だった。

主催は「平和委員会」。沖縄の辺野古新基地反対闘争と、全国の反基地・平和運動との連携を目指した集会。稲嶺さんの講演の演題は、「沖縄はあきらめない」という微妙なものだった。「子どもたちの未来のために 辺野古に基地はつくらせません」との副題が付されている。

「沖縄は、琉球処分・廃藩置県後に《大和世(やまとゆー)》となり、敗戦後には《アメリカ世(あめりかゆー)》となりましたが、1972年復帰によって《再びの大和世》になったわけです。『祖国復帰』をスローガンとした県民の真の願いは、平和憲法の日本への復帰でした。しかし、現実は基地付き・核密約付きの復帰でしかありませんでした。それ以来現在まで、沖縄は事実上アメリカと、アメリカ言いなりの本土政府の支配下にあります。県民の願いを無視し、普天間の移設を口実とした辺野古新基地建設強行は、平成の琉球処分ともいうべき暴挙です。…」

稲嶺さんは、「自分は市長ではなくなったが、名護市民の思いが新基地建設反対にあることは明らかなのだから、引き続き基地反対運動には関わっていきます。今は『誇りある名護をつくる会』の代表として、当面は9月の名護市議選に向けての運動に携わっています。」という。

そして、次のように展望を述べた。
「辺野古新基地予定地の海底には活断層もありマヨネーズのような軟弱地盤もあることが明確になってきています。もうすぐ、翁長知事の健康状態も回復し、近いうちに、仲井眞知事がした国に対する埋立承認の撤回がなされるはずで、大きな盛り上がりの中で11月の知事選を迎えることになります」「また、大浦湾沿岸の13字(あざ)にまたがる『名護市東海岸漁業協同組合』の設立と漁業権の設定が認可される見通しで、地元漁業を守る見地からの新たな埋立工事阻止の運動にも法的措置にも期待されるところです」

**************************************************************************
ところで、今年3月の佐川宣寿証人喚問のときには韓国旅行の最中だった。今度は5月の沖縄旅行中に、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致。佐川の証言もひどかったが、柳瀬の答弁は輪をかけてひどい。偽証は見え見えのバレバレではないか。以下の川柳が笑い飛ばしているとおりではないか。素晴らしい出来栄え。川柳子には、素晴らしい素材なのだ。

東京新聞(12日)。
 官僚は記憶戻すに許可が要り(所沢 髙橋馨)

朝日川柳(12日)。
 えんま様舌を抜かずに舌を巻く(岩手県 小林晴男)
 真相をバーベキューの煙(けむ)に巻き(岐阜県 清水朋文)

同(5月5日)。
 調整がつけば記憶を取り戻し(東京都 安達雅夫)
 知らなんだ事実は調整するものと(三重県 日江井敦子)
 調整が済んで出演猿芝居(群馬県 細堀勉)

読売時事川柳(12日)にも。
 忖度をするほど落ちる記憶力(新宿区 藤吉尚之)

また、東京新聞2面に「自民党前 抗議デモ 本部や神奈川など一斉に」の記事。

何より写真がよい。自民党本部前での抗議デモの参加者の掲げるプラカードの大きな文字が怒っている。「怒」「膿」「嘘」「偽」「うそをつくな」「責任をとれ」…。
ここまでいわれる政権も珍しかろうが、これだけ撃たれてもまだ権力にしがみついている破廉恥に首相も珍しい。記事は以下のとおり。

安倍政権を支える与党自民党に「市民の怒りを見せつけよう」と、会員制交流サイト(SNS)で呼びかけた全国一斉の抗議行動が十一日、東京都千代田区の自民党本部前などであった。神奈川や千葉、埼玉など各地の党事務所前に広がり、参加者らは「安倍政権は今すぐ退陣を」などと声を合わせた。
党本部前では五百人超が集まり、「怒」「膿(うみ)」「嘘(うそ)」などと書かれたプラカードを掲げた。

呼び掛け人の会社員、日下部将之さん(43)が「力任せの国会運営、不誠実な答弁などの問題がありながらも、総理大臣が責任を取らない。一番の問題は安倍内閣を支える自民党だ」と訴えた。

仕事帰りに参加した豊島区の女性会社員(48)は「もう耐えられない。自民党は今の首相・総裁が一番ふさわしいと思うくらい、人材がいないのか」と語った。

党千葉県連(千葉市中央区)前での抗議に参加した、千葉県市川市の片岡良男さん(53)は「言い訳ばかりで、自浄能力のない安倍政権はすぐに退陣してほしい」と話していた。

そして、東京新聞1面トップは、「首相会食受け柳瀬氏助言 加計側に学部新設対応策」。既報の記事の蒸し返しではない。新たなニュースソースによる記事。これはニュースソースとなった「政府関係者」に注目せざるを得ない。

学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部開設を巡り2015年4月、学園や愛媛県幹部らが柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と面会した際、学園側出席者が「安倍晋三首相と加計孝太郎学園理事長が会食した際、『下村博文文部科学相(当時)が、加計学園は課題への回答もなくけしからんといっている』との発言があった」という趣旨の説明をしたことが、政府関係者の証言で分かった。この発言を受け、柳瀬氏は「課題への取り組み状況を文科省に説明するのがよい」と、学園側に助言したという。

政府関係者によると、学園関係者が「(下村氏の指摘への)対応策について意見を求めた」ところ、柳瀬氏が「今後、策定する国家戦略特区の提案書と併せて課題への取組状況を整理して、文科省に説明するのがよい」とアドバイスしたとされる。こうしたやりとりは、県文書に記載されているが、発言者が明示されていなかった。

柳瀬氏は参考人質疑で、15年2月から6月の間に加計学園関係者らと首相官邸で3回面会したと認め、国家戦略特区での獣医学部開設を協議したと明らかにした。しかし、4月の面会の際、安倍首相と加計理事長の会食が話題になったことを「記憶がない」とし、自身の助言についても「私がそういう発言をしたという覚えもない」と述べた。

安倍首相は昨年7月の国会で、学園の学部開設を知ったのは「(学園が事業者に正式決定した)17年1月20日」と答弁している。

この記事は、加計孝太郎の証人喚問が必須であることを再確認させてくれる。そして、おそらくは、加計孝太郎の証人喚問の実施がアベ政権の終焉となることも。

(2018年5月12日)

12月15日(金)13時30分 東京地裁415号法廷に。閉廷後の報告集会は、伊那太陽光発電スラップ訴訟勝訴報告 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第112弾

私(澤藤)自身が被告とされ、反訴で反撃している「DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)」。事実上の第1回口頭弁論期日は12月15日(金)。どなたでも、なんの手続も必要なく、傍聴できます。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。

13時30分 東京地裁415号法廷・東京地裁庁舎4階(民事第1部)
       反撃訴訟訴状(反訴状)の陳述
       光前弁護団長が反訴の要旨を口頭陳述
       澤藤が反訴原告本人として意見陳述

閉廷後の報告集会を東京弁護士会504号室(5階)で行います。
報告集会では、木嶋日出夫弁護士(長野弁護士会)から、「伊那太陽光発電スラップ訴訟」での勝訴判決(長野地裁伊那支部2015年10月26日判決)の教訓についてご報告いただきます。

同判決は、「判例時報」2291号(2016年6月11日発行)に、「事業者の、反対住民に対する損害賠償請求本訴の提起が、いわゆるスラップ訴訟にあたり違法とされた事例」と紹介されているものです。「DHCスラップ2次訴訟」に当て嵌めれば、「DHC・吉田の澤藤に対する損害賠償請求本訴の提起が、いわゆるスラップ訴訟にあたり違法とされた事例」ということになります。

同日閉廷後 14時~15時30分 報告集会
     東京弁護士会504号室(5階)
     光前弁護団長から、訴状(本訴・反訴)の解説。
     木嶋日出夫弁護士 伊那太陽光発電スラップ訴訟代理人報告と質疑
     澤藤(反訴原告本人)挨拶

☆伊那太陽光発電スラップ訴訟概要
(長野地裁伊那支部・2015(平成27)年10月28日判決)
原告(反訴被告)株式会社片桐建設
被告(反訴原告)土生田さん
被告(反訴原告)代理人弁護士 木嶋日出夫さん
本訴請求額 6000万円 判決は請求棄却
反訴請求額  200万円 判決は50万円認容
双方控訴なく確定

☆木嶋日出夫弁護士紹介。
1969年 司法研修所入所(23期・澤藤と同期)
1971年 司法研修所卒業 弁護士登録(長野県、旧林百郎事務所)
1974年 自由法曹団長野県支部事務局長
1976年 日本弁護士連合会公害対策委員
1979年 長野県弁護士会副会長
1990年 第39回衆院選当選(日本共産党公認・旧長野3区・1期目)
1996年 第41回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・2期目)
2000年 第42回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・3期目)

**************************************************************************
当日の木嶋弁護士報告レジメは、以下のとおり。

長野県伊那市細ヶ谷地区・太陽光発電スラップ訴訟報告メモ
2017.12.15 弁護士 木嶋日出夫

1 スラップ訴訟(恫喝訴訟)の提起から判決まで
①2014年2月25日 原告株式会社片桐建設が、被告土生田勝正に対し、6000万円の損害賠償請求訴訟を長野地裁伊那支部に提起。
提訴理由は、被告が科学的根拠のないデマで原告会社の名誉を毀損し、A地区に太陽光発電設備設置を断念させたというもの。その損害は2億4969万円と主張。
②2014年8月4日 被告は、原告会社に対し200万円の損害賠償請求反訴を提起。本訴提起が、被告に対する不法行為(スラップ訴訟)であると主張。要件が狭すぎることは承知の上で、昭和63年1月26日付最高裁判決の論理に拠った。
③2015年10月28日 判決。本訴請求を棄却。反訴請求のうち損害賠償50万円を容認。(判例時報平成28年6月11日2291号)原・被告とも控訴せず、判決は確定。

2 判決の要旨(反訴請求について)
①住民説明会において、住民が科学的根拠なくその危惧する影響や危険性について意見を述べ又はこれに基づく質問をすることは一般的なことであり、通常は、このことを問題視することはない。
②このような住民の反対運動に不当性を見出すことはない。
③少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違法ということができないことを容易に知り得た。
④A区画への設置の取り止めは、住民との合意を目指す中で原告が自ら見直した部分であったにもかかわらず、これを被告の行為により被った損害として計上することは不合理であり、これを基にして一個人に対して多額の請求をしていることに鑑みると、原告において、真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したものとも考えがたい。
⑤本件訴えの提起は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く。

3 スラップ訴訟を抑止するために-本件判決の意義と問題点-
①最高裁判決の論理にとどまっていては、スラップ訴訟を抑止することは困難
判例時報の評釈でも指摘されているが「もっとも、その発言が、誹謗中傷など不適切な内容であったり、平穏でない態様でされた場合などには違法性を帯びるとの規範を示した」とされていることは、見逃せない問題である。
どこまでが違法性を帯び、どこまでが違法性がないといえるのか、本判決は、なんらの具体的基準を示していない。
本件事案は、その必要性がないほど、被告の行為や発言内容に違法性が認められなかったのであるが、この判決の射程は必ずしも明らかではない。
②反訴請求で認められた慰謝料50万円では、抑止力としてはきわめて不十分
反訴請求で認容される損害額は、経済力を持った企業や行政に対し、スラップ訴訟の提起を抑止させるほどの金額にならない。本件でも、原告会社は控訴せず、すぐに「損害」全額の支払いをしてきた。
本件判決は、地元のマスコミが報道し、建設業界の業界誌でも紹介されるなど、社会的に一定の広がりを見せた。地元伊那市において、太陽光発電設備についてガイドラインを施行し、緩やかな「規制」を始めた。しかし被告会社に真摯な反省は見られない。
③スラップ訴訟の提起を抑止するには、新しい法的枠組みが必要(2016年1月消費者法ニュース106号)
以上
**************************************************************************
※木嶋弁護士レジメのとおり、この判決は「昭和63年1月26日付最高裁判決」の論理に拠って、判断し「本件訴えの提起は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」から違法と結論した。
その結論に至る判断の過程で、
「少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違法ということができないことを容易に知り得たといえる」
「(不合理な損害を計上して)一個人に対して多額の請求をしていることに鑑みると、原告において、真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したものとも考えがたいところである」
「以上のことからすると、原告は、通常人であれば容易にその主張に根拠のないことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したものといえ、本件訴えの提起は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる」との判示が注目される。

これらの点が、DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)に生かせる。

※また、木嶋弁護士レジメが、「本件判決は、地元のマスコミが報道し、建設業界の業界誌でも紹介されるなど、社会的に一定の広がりを見せた。地元伊那市において、太陽光発電設備についてガイドラインを施行し、緩やかな「規制」を始めた。しかし被告会社に真摯な反省は見られない。」と言っているのが注目される。
スラップ訴訟を提起した片桐建設は、訴状において、「企業イメージの悪化が直ちに、住宅建設の売り上げ悪化につながる」と主張している。被告の発言によって、「企業イメージが悪化し、営業損害もこうむったというのである。
 しかし、スラップ訴訟提起の結果、片桐建設の企業イメージは、「スラップ企業」として有名になって大きく傷ついた。このことが教訓だと思う。
 DHCについても、「スラップ常習企業」として、多くの人の批判と非難による社会的制裁が必要であり重要なのだ。
(2017年12月9日)

日民協・司研集会に、司法の嵐の時代を想う

本日は、第48回の日本民主法律家協会・司法制度研究集会。今回はこれ以上はない大きなテーマ。「憲法施行70年・司法はどうあるべきか―戦前、戦後、そして いま」。戦前・戦後の司法制度に詳しい内田博文教授(神戸学院大学・九州大学名誉教授)の講演がメインだった。旧憲法下の「戦時司法」が、戦後、日本国憲法の制定により、果たして反省・総括され克服されたのかという視点から、憲法施行後70年の日本の司法を振り返っていただく。そして、人権保障の砦としての司法を国民の手に取り戻すにはどうしたらよいかという問題提起をしていただく、という内容。

その講演にサブタイトルが付けられた。「戦前司法への回帰?ー「公共の福祉」論から「公益及び公の秩序」論へ」というもの。戦前と比較してみて、安倍政権の今の動向は、相当にやばいところまできている、という危機感横溢した報告だった。

語られたことは、天皇の名において行われた戦前の法と司法が、新憲法下においても連続の契機を多く持っているということ。実定法の分野では治安維持法や国防保安法、戦時刑事特別法などの戦時法体系が、戦後の平時法体系に伏在していること。そして、司法を担う裁判官は、そのまま職にとどまって戦後司法の担い手となった。

戦後の司法は、国家からの独立の気概をもたなかった。現在の司法の基礎が築かれた時期(50年代)に10年にわたって2代目最高裁長官を務めた田中耕太郎がその象徴といってよい。彼は、強烈な反共主義者で、自ら「国家の番犬」を任じた。その国家が、アメリカの僕だったのだから、日本の司法はアメリカの番犬でもあった。こうして、砂川事件における在日米軍の存在を容認する「論理」が構築されたのだ。

田中耕太郎後の60年代には、少しはマシになるかに見えた司法であったが、70年代には「司法反動」の時代を迎える。この時代を代表する人物が石田和外。そして、時代を代表する事件が宮本判事補の再任拒否だ。本日、宮本さんと同期の元裁判官が、当時の裁判所の空気についてフロアーから発言をした。

「宮本裁判官の再任拒否が噂された時期、多くの裁判官がよもやそんなことはあるまいと思っていた。宮本さんの上司の裁判官も『そんなことはあり得ない』と言っていた。それだけに、宮本再任拒否の衝撃は大きかった。多くの裁判官が萎縮を余儀なくされた。以前は、自分の考えだけで判決を出すことができたが、宮本再任拒否以後は明らかに変わった。すこしでも政治がらみと思われる事件の判決に筋を通すには、身分上の覚悟を要することとなった。」

宮本さんが、13期。私が23期である。宮本さんが10年の裁判官生活を経て再任を拒否された1971年4月。時期を同じくして、23期の裁判官任官希望者7人が任官を拒否された。うち、6人が青年法律家協会の会員だった。我々にとっては明らかな、思想信条による差別だった。

差別された思想とは、裁判所・裁判官は憲法の求めるものでなくてはならないという当たり前の考え方。もう少し具体的には、裁判官は、毅然として国家権力や時の政権から独立していなければならない、とする憲法に書き込まれた思想だ。

憲法理念に忠実でなければならないとする若手の裁判官や司法修習生は青年法律家協会に結集していた。時の自民党政権には、これが怪しからんと映った。当時続いた官公労の争議権を事実上容認する方向の判決などは、このような「怪しからん」裁判官の画策と考えられた。

いつの世も、まずお先棒をかつぐ輩がいる。当時の反共雑誌「全貌」が特集で青年法律家協会攻撃を始めた。自民党がこれに続き、石田和外ら司法の上層部はこの動きに積極的に迎合した。こうして、裁判所内で「ブルーパージ」と呼ばれた、青年法律家協会会員への脱会工作が行われ、これが宮本再任拒否、23期任官拒否となった。23期の修了式で任官拒否に抗議の発言をした阪口徳雄君の罷免という事態も加わって、「司法の嵐」といわれる時代を迎えた。

最高裁の暴挙には当然大きな国民的抗議の世論が巻き起こった。そのスローガンは、「司法の独立」であった。行政権からも立法権からも独立して、多数決原理とは異なる理性の立場から、人権を擁護し憲法理念に忠実な司法を形づくらねばならない、という大きな世論の形成があった。政府の番犬ではない、国家権力から独立して、主権者国民に奉仕する司法が求められたのだ。

1971年以後、裁判官の多くは、青年法律家協会とは絶縁して無難にその職業生活を全うした。しかし、いつの世にも、どこの世界にも、少数ながら硬骨漢といわれる人物はいる。そのような裁判官は差別的な処遇に甘んじた。昇格昇給や任地で差別され、政治的に影響の大きな事件の担当からは排除され、合議体の裁判長からも外されることで後輩裁判官との接触を絶たれた。

先日、そのような境遇で筋を貫き通した同期の元裁判官と話をする機会があった。裁判官としての仕事は充実し能力にも自信をもっていたが、明らかに任地で差別され出世が遅れていた。その彼に、裁判官生活の最後の一年を「所長に」という話があったという。即答せずに妻と相談したら、即座に反対されたそうだ。「これまで筋を通してきたのだから最後までその姿勢を貫いたらいい」。その一言で、結局所長にはならず終いだったという。立派なものではないか。

46年前の4月に司法修習を終えた23期は、「司法の嵐」のさなかに、船出をはじめた。同期の多くの者にとっては、憲法の理想とはほど遠い反動的最高裁との対決が、法曹としての職業生活の原点となった。この原点としての姿勢を貫いている仲間の存在は、痛快であり希望でもある。安倍自民党の策動、軽視はし得ないが、それに対抗する力量も各界に存在しているはずではないか。

本日の報告の全体像は、「法と民主主義」12月号に特集される。ぜひ、これをお読みいただきたい。
(2017年11月23日・連日更新第1698回)

秋葉原の異様な光景ーアベ自民の選挙運動の終わり方

公職選挙法(第129条)は、選挙運動ができる期間を「公示(または告示)から当該選挙の期日(投票日)の前日まで」に限っている。この異様な規制の起源は1925年衆議院議員選挙法の改正に遡る。当時の天皇制支配の補完物であった政権が、不本意ながらも男子普通選挙制度を実現した際に、無産政党の進出を恐れて編み出した、選挙運動の自由規制の一端である。この選挙法「改正」が治安維持法と双子の兄弟として同時に立法されたことも、記憶に留めておかねばならない。

この異様な立法は、日本国憲法制定とともに、表現の自由に対する典型的な規制として是正されるはずだったが、衆議院議員選挙法の後継法である公職選挙法が、天皇制下の選挙運動規制体系をほぼそのまま受継した。しかも、戦後続いた保守政権が選挙運動の規制を我に有利として放置して現在に至っている。司法も、これを違憲と踏み込むことはしない。総選挙についてみれば、当初30日間だった選挙運動期間が、今は12日間である。

そんなわけで、「当該選挙の期日」である本日(10月22日)は、選挙運動ができない。インターネット(ブログ・SNSを含む)でも同様である。

もっとも、判例・実例によれば、選挙運動の定義は、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」とされている。けっして明瞭ではないが、憲法上の基本権の制約なのだから、軽々に表現行為を違法としてはならない。

特定の候補者についての投票依頼は、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得させるために必要な行為」として避けるべきだろうが、投票依頼から離れた政治的言論まで萎縮してはならないと思う。

なお、最高裁裁判官の国民審査は公職選挙法の適用はない。どこでもいつでも、「安倍政権が選任した最高裁裁判官全員に×を」と宣伝してよい。

さて、選挙運動期間は昨日で終わった。アベ自民党の秋葉原での最後のお願いの異様さが、話題を呼んでいる。

いつもながら、リテラが素早く的確だ。「安倍首相の秋葉原街頭演説が極右集会そのもの! 『こんな人たち』を排除し、日の丸はためくなか『安倍総理がんばれ』コール」という表題。
http://lite-ra.com/2017/10/post-3530.html

東京新聞のネット版は以下のとおり。
https://mobile.twitter.com/tokyonewsroom/status/921676634121314305

知人から、「安倍首相演説時の秋葉原の状況、これは見ておいた方がいい」という紹介もいただいた。
https://t.co/DWsrHskaNX?amp=1

この映像は衝撃だ。日の丸の林立に囲まれたアベ自民。視覚的にアベが「保守」ではないことを明らかにしている。これを「極右」と言わずしてなんと呼ぶべきか。背筋が寒い。
(2017年10月22日)

「こんな人たち」以外の「一般の人々」に訴えます。ーアベ・シンゾーより

第48回衆院総選挙は10月10日に公示され、いよいよ明日22日が投票日となります。国民の皆さまのうち、どうせ私の言うことになど聞く耳もたない「こんな人たち」を除く、「こんな人たちではない一般の人々」にお願いを申しあげます。

今回の解散総選挙は、私アベシンゾーが仕掛けたものです。私は、自分に一番好都合なタイミングを選んで、衆議院を解散して勝負に出たのです。政治家として当然のことではありませんか。

グズグズしていたら、森友学園問題も加計学園疑惑追求もたいへんなことになってしまうではありませんか。突っ込まれたり暴かれたりしたら困るネタが、それこそ無数にあることは、私自身が一番良く知っていることです。

それならどうするか。まずは逃げることです。卑怯と罵られようと、みっともないと嗤われようとも、「三十六計逃ぐるに如かず」ではありませんか。おとなしく臨時国会を開いて、野党の攻撃に身をさらし、サンドバッグになりたくはないのです。それに、私は、あんまり筋を通すとか、矜持を大切にするという潔癖な性格ではありません。「嘘つきめ」「食言だ」「逃げたな」「プライドはないのか」と言われても、あまり応えるタチではないのです。自分でも、政治家向きの性格だと思いますね。10年前、あんなみっともない政権投げ出しをして恥を晒しましたが、めげずに再登板しました。図々しい者が勝ちなんですよ。この世の中は。

だから逃げたのです。だから冒頭解散でした。解散総選挙の必要を、消費税増税分の使途について有権者の意図を問う、ナンチャッテ言ってみましたが、誰も信じはしませんでした。もちろん、私自身も信じてもらえるとも思っていません。

私は、この解散を「国難突破解散」とネーミングしました。自分でも、気恥ずかしさはありましたが、図々しさに徹しなければこの商売やっていけませんからね。選挙期間中、どこででも「おまえが国難」「アベの存在自体が国難」「国難アベ政権摘出解散」などと言われて、覚悟はしていましたが、不愉快でしたね。

私の評判が地に落ちていることは、自覚していました。モリ・カケだけではない。憲法問題も、「こんな人たち」が悪法という法律制定を強行したことも。私の側近といわれた政治家のスキャンダルも、いろいろありましたから。しかし、それでも、解散自体がこんなに評判悪いものになるとは思わなかったのです。「大義なき解散」「森友・加計の疑惑隠し解散」「ジリ貧回避解散」「今ならまだマシ解散」「私利私欲加算」「自己チュー解散」とさんざんでした。それでも、私には、心強い味方が、三つありました。

一つ目の味方は、北朝鮮です。金正恩のミサイル発射も核実験も、アベ政権への援護射撃。あるいは祝砲と言ってもよい。これは確実な追い風になりました。ありがたくって涙が出るほど。

軍備を拡大し、国防に金を注ぎ込み、国防国家体制を作ることによって人心を把握し、政権の基盤を強固にする。その意図と政策において、金正恩体制とアベ政権は同志的連帯でつながれています。アベ政権の危機には、北朝鮮がミサイルを撃ってくれる。すると、アベ政権は安泰になるのです。今まさにその時。北の脅威を誇張して吹聴することで、我が陣営に暖かい風が吹くのです。

二つ目は、有権者である国民の忘れっぽさです。解散して、総選挙をやっているうちに、きっと国民の大多数は、モリもカケも、共謀罪も、集団的自衛権行使容認もすっぱりと忘れてくれるだろう。選挙が終われば、モリ・カケ疑惑解明にも、安保法制や共謀罪法廃止にも、国民の関心が続くはずはない。もっと新しい前向きな問題に関心が移るはず。私は、国民をそのように信頼申しあげているのです。

そして、三つ目が株高です。アベノミクスは本当は失敗ですよ。もう5年近くも、「もう少しすれば…」、と言い続けてきたのですが、いつまで経っても「もう少しすれば…」なのですから。でも、株高はアベノミクスの成果とする宣伝材料になるはずだと思ったのです。もちろん、株高にはからくりがあります。国が国民から預かっている年金を、株式市場に注ぎ込んで株を買っているのですから上がるはず。いつまでも続くはずはないのですが、当面経済がうまく行っているように見えればそれで十分なのです。国民みんなのお金で、株を持っている人だけの資産価値を押し上げているわけですから、「こんな人たち」にはご不満でしょうが、それ以外の「一般の人々」には歓迎されていますよね。

12日間の選挙戦の今日が最終日。モリもカケも封印し、都合の悪いところは徹底してスルーして、つまみ食いの経済指標を並べたてて、北朝鮮の脅威を煽るうちに風向きがすこしよくなってきたのが、我ながら不思議。今回解散は失敗だったかと、何度もヒヤヒヤしましたが、どこからかカミカゼが吹いてきたような思い。

「こんな人たち」が、縁なき衆生として度しがたいのはやむをえません。問題は、それ以外の「一般の人々」。この人たちは、私の言うことによく耳を傾けて、もう少しだまされ続けてあげましょうという寛大な態度。ホントに素晴らしい有権者のみなさま。これなら九条改憲も、原発再稼働も、沖縄辺野古新基地建設も、日本中にオスプレイ飛ばすことも、天皇の交代も…、私の思いのまま。いつまでも、傲慢なアベらしいアベであれということではありませんか。

あなたがね。それを不愉快と思うのなら、私を落とせばいいんですよ。自民党や公明党に投票せず、市民と野党の共闘候補に投票すればよい。そして、比例は日本共産党に。そうすりゃあ、私も大きな顔をすることができなくなる。
(2017年10月21日)

韓国内の核武装容認論台頭を憂うる

憲法9条の恒久平和主義は、抑止論と対決し続けてきた。

抑止論は、「自国の武力の整備は、相手国の武力行使抑止の効果を持つ」「武力の整備を欠いた非武装無防備は、相手国の武力行使を誘発する」「武力の権衡あってこそ相互の攻撃を自制させる」「したがって、相互に均衡をした武力の整備こそが平和の条件である」という。

これが、論理においてまったく成り立たない愚論だとは思わない。しかし、過去の苦い歴史が、このような考え方こそが、軍拡競争をもたらし、恐怖の均衡に人々を陥れ、偶発的な均衡の破綻が悲惨な戦争をもたらしてきた。戦力の不保持を宣言する憲法9条の恒久平和主義は、過去の悲惨な歴史への真摯な反省からの決意であり、唯一の平和の保障策である。

核抑止論ともなれば、さらに問題は深刻である。冷戦終了後も、使う予定もなく、現実には使うこともできない核兵器の廃棄がいまだにできない。相互不信から核軍縮が十分に進展せず、核抑止論の克服ができないうちに、公然と核抑止論の有効性を掲げて核開発を進める北朝鮮の暴挙である。

核保有の5大国には、声を大にして核廃絶を迫らなければならない。米・韓・日の合同演習など軍事挑発行為にも反対しなければならない。しかし、同様に北朝鮮の核開発を批判しなければならない。防衛的なものだからとして容認してはならない。北朝鮮の核抑止論と核開発は、容易に他国に飛び火する。まずは韓国、次いで日本に、同じ論理での核開発を誘発しかねない。

北朝鮮の核とミサイル開発。北に直接対峙している韓国世論の動揺が深刻なようだ。以下は、発行部数韓国最大の朝鮮日報が報じるところ。
「韓国ギャラップが(9月)5~7日に実施した調査では『核武装に賛成』が60%で、『反対』の35%を上回った。野党・自由韓国党支持者で核武装に賛成する人は82%、同・正しい政党支持者で賛成する人は73%、与党・共に民主党支持者でも賛成(52%)の方が反対(43%)を上回っている。韓国社会世論研究所(KSOI)が8日と9日に成人男女1014人を対象に調査した結果も、『北朝鮮の核の脅威に対応して防衛の観点から戦術核を再配備すべきだ』という人が68.2%だった。『南北間関係をさらに悪化させるから戦術核再配備に反対する』という人は25.4%、「分からない・無回答」は6.4%だった。」
韓国世論は、いま深刻な事態にあるのだ。

同じく、日本語で読める朝鮮日報のサイトでは、「(保守系最大野党の)自由韓国党は9月10日、『戦術核再配備と核兵器開発のためのオンライン・オフライン1000万人署名運動』を開始した」と報じている。

また、9月16日付で、朝鮮日報は北朝鮮の核についての主筆のコラムを掲載している。「全く、国とは言えない」という表題の長文のもの。自国のこれまでの核政策を「国とは言えない」と強く批判するもの。1991年に韓国が在韓米軍の核を全面撤去して以来の、歴代韓国大統領による北朝鮮核開発への対応を具体的に無策と批判している。朝鮮日報が保守論壇を代表する立場にあるにせよ、これは見過ごせない。その一部を引用する。

1991年より前は、韓国に核(米軍の戦術核)があり、北朝鮮には核がなかった。それが、韓国から核がなくなり、北朝鮮に核があるという、あべこべの形になった。国際政治の歴史上、こんな逆転はない。一体どうしてこんなことが可能だったのか気になり、91年の本紙を読み直してみた。11月9日付、1面トップは『在韓米軍の核、年内に撤収』だ。その横にある、もっと大きな記事が『盧泰愚(ノ・テウ)大統領、韓半島(朝鮮半島)非核化宣言』だ。韓国国内の核兵器を全面撤去し、今後核を保有・製造・使用しないという内容で、『非核の門をまず南が開け、北に核の放棄を迫る』というものだった。
続いて12月19日付、1面トップは盧大統領の『韓国国内の核不在』宣言だった。米軍の戦術核が全て引き揚げられたという意味だ。92年1月1日付、1面の冒頭記事は『南北非核宣言完全妥結』だ。南北双方が核兵器の試験・生産・受け入れ・保有・貯蔵・配備・使用を禁止するという内容。北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れると約束した。その日、盧泰愚大統領は新年のあいさつで『われわれの自主的な努力により核の恐怖がない韓半島を実現しようという夢で、大きな進展が実現した』と語った。『北が核兵器製造技術を持たないと表明したことは、本当に喜ばしい』とも語った。
全ては、北朝鮮による完全な詐欺だった。南北非核化宣言に合意したその日も、北朝鮮は寧辺でプルトニウムを抽出していた。金日成(キム・イルソン)主席は米軍の戦術核が撤収したのを確認した後、韓国の鄭元植(チョン・ウォンシク)首相と会談した席で『われわれには核がない。在韓米軍を撤収させよ」と要求した。『核査察の約束を守れ』という韓国側の要求には答えなかった。韓国という国の間抜けなドラマと、北朝鮮の核の悪夢が同時に開幕した。
北朝鮮の核問題の過程は、歴代韓国大統領の北朝鮮に対する無知と幻想が国家の安全保障を崩壊へと追いやっていく、完全に『国家の失敗』の歴史だ。盧泰愚大統領の後を継いだ金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、北朝鮮が核爆弾を作っているにもかかわらず、就任演説で『いかなる同盟国も、民族より勝るということはあり得ない』と語った。金大中(キム・デジュン)大統領は、金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談を終えた後、『われわれにも新しい日が差してきた。分断と敵対に終止符を打ち、新たな転機を開く時期に至った』と語った。『北は核を開発したこともなく、能力もない。私が責任を持つ』という発言が報道されたこともあった。…」

NHK(WEB)によれば、「北朝鮮外務省でアメリカを担当する幹部(北米局のチェ・ガンイル副局長)は、15日の弾道ミサイル発射について、『核抑止力強化のための正常な過程の一環だ』と述べ、アメリカのトランプ政権が北朝鮮政策を転換しない限り、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「そのうえで、『アメリカがわれわれを敵視し続け、核で脅し続けるかぎり、われわれは絶対に核兵器とミサイルを協議のテーブルに載せない。まずアメリカが敵視政策と制裁をやめてこそ、対話になる』と述べ、トランプ政権が北朝鮮政策を転換しないかぎり、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「また、『核・ミサイル開発は自衛的な措置だ』とする主張を改めて示」した、という。

北朝鮮の、「自国の核開発は自衛的な措置だ。凶悪なアメリカの核攻撃を抑止する唯一の手段だ」という主張は、韓国や日本の好戦勢力や防衛産業にまことに好都合。同じ理屈で核武装や核持ち込みのシナリオを描くことができる。

金正恩。その世襲制、個人崇拝、反人権、非民主的な体制だけでなく、絶対悪としての核をもてあそぶその姿勢においても批判されなければならない。

北朝鮮の地下核爆発実験の報には心が凍りつく。どうして、笑っていられのだろうか。金正恩も開発に携わった科学者たちも。広島や長崎の被爆者の叫びを聞け。叫ぶ術もなく死んでいった多くの人々の声を聞け。核抑止論を主張する人々は、原爆資料館に足を運ばねばならない。丸木美術館で原爆の図を凝視しなければならない。

いまは、関係各国に無条件で和解のテーブルに着くべきだとする国際世論を喚起するしかない。「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」(核兵器禁止条約)の締結が、国際世論の本流になっているいま、その声が巻きおこらぬはずはない。
(2017年9月17日)

「浜の一揆」訴訟―漁協を守るために漁民にはサケを獲らせない?

本日は、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の証人尋問。原告側・被告側それぞれ申請の学者証人の尋問が行われた。

原告側の証人は、サケの生態学については第一人者の井田齊さん。被告側は、漁業経済学者の濱田武士さん。原告側が自然科学者で、被告側が社会科学者。自然科学者が沿岸漁民の側に立ち、社会科学者が県政の側に立つ構図が興味深い。

今日の尋問で証拠調べは終了、次回12月1日(金)が最終弁論期日となる。

何度もお伝えしているとおり、岩手の河川を秋に遡上するサケは三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。ところが、現在三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収まである。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねが、なんの進展も見ることができなかった。

そのため、2014年に3次にわたって、岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をした。これが不許可となるや、所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。2015年11月のこと、その原告数ちょうど100人である。

請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいる。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と同根の闘いとする心意気からである。

三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点であることは、本日の被告側証人の証言においても確認されたところ。

漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。

この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。

この合理性・必要性に支えられた理由とは、二つのことに収斂される。
漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができる、とする。

これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。

したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。

本日の原告側証人は、サケの専門家として、孵化放流事業の実態を語って、本件申請を許可しても「水産資源の保護培養」に何の影響もない、と結論した。また、水産学者として、三陸沿岸の自然環境の多様性に即した多様な漁業形態があってしかるべきだという立場から、大規模な漁協の自営定置も零細漁民の刺し網漁も共存することが望ましいとして、定置網漁のサケ漁獲独占を批判した。

本日の被告側証人は、漁協の存立を重要視する立場から、漁協が孵化放流事業を行い、自営定置で漁獲することを不合理とは言えないとして、本件不許可処分を是認した。しかし、「漁業調整の必要」の存在を具体的に述べることには成功しなかった。そして、「漁業調整」の指導理念であるべき漁業法上の「民主化」を援用すれば、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することは不当ではないか、という立論にむしろ理解を示したように見受けられた。

問題は漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるか、という点に絞られてきた感がある。
定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるもの。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。
しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。

漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。

また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする。」これが、漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころが、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。

訴訟の進行は、本日まですこぶる順調である。11月10日までに原被告双方が最終準備書面を提出し、12月1日が最後の口頭弁論期日となる。勝訴を確実なものとするために、もう一踏ん張りしなければならない。
(2017年9月8日)

学術・科学の分野におけるアベ政権との対峙

昨日(3月7日)、日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」が、「軍事的安全保障研究に関する声明(案)」をとりまとめて発表した。その全文を、末尾に掲載する。この案は、3月24日の学術会議幹事会での議論を経て、4月13日から開かれる総会で確定するものと見られている。

このような声明案が検討されるきっかけは、アベ政権の軍事大国化政策である。具体的には、2015年度に防衛省が創設した「安全保障技術研究推進制度」である。初年度3億円の予算規模で始まり17年度には110億円に膨張して話題と憤激を呼んだあの制度。研究者を金で締め上げ、政権に身をすり寄せる矜持のない者についてだけ、紐付きの研究費を恵んでやろうという発想である。

学術会議は、この防衛省の紐付き研究資金公募制度開始を機に、新たな声明案作成の作業に着手した。当初は、学術会議の方針が軍事研究容認に傾くのではないかと懸念されたが、結局はアベ政権のこの卑劣な手口にたいする科学者集団の危機感が、今回の声明案に結実したと言ってよい。その内容を吟味してみたい。

日本学術会議は、1948年7月公布の日本学術会議法に基づいて、1949年1月に設立された公法人である。同法は前文を持ち、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」と宣言している。教育基本法などと並んで、戦後民主主義の息吹にあふれたもの。平和憲法の学術科学版でもある。

人間に幸福をもたらすはずの科学が、いびつな発達を遂げて、数多くの残虐な兵器をつくり出した。1945年8月6日の広島で明らかにされたとおり、人類は遂に人類自身を消滅させるに足りる科学力を手にしたのだ。間違った科学は人類を破滅させる。

学術会議は、1950年4月の総会で、科学者が戦争に協力した戦前の反省に立って法の目的を具現すべく、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を総会で決議している。その決意のみずみずしさが今読む者の胸を打つ。「科学者としての節操」の言葉が輝いている。

  戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
 日本学術会議は,1949年1月,その創立にあたって,これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家,世界平和の礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。
  われわれは,文化国家の建設者として,はたまた世界平和の使徒として,再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに,さきの声明を実現し,科学者としての節操を守るためにも,戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する。
  昭和25年4月28日 日本学術会議第6回総会

学術会議は、さらに重ねて67年の総会でも下記の声明を出している。今こそ、読んで噛みしめるべき内容ではないか。

   軍事目的のための科学研究を行わない声明
 われわれ科学者は、真理の探究をもって自らの使命とし、その成果が人類の福祉増進のため役立つことを強く願望している。しかし、現在は、科学者自身の意図の如何に拘らず科学の成果が戦争に役立たされる危険性を常に内蔵している。その故に科学者は自らの研究を遂行するに当って、絶えずこのことについて戒心することが要請される。
 今やわれわれを取りまぐ情勢は極めてきびしい。科学以外の力にょって、科学の正しい発展が阻害される危険性が常にわれわれの周辺に存在する。近時、米国陸軍極東研究開発局よりの半導体国際会議やその他の個別研究者に対する研究費の援助等の諸問題を契機として、われわれはこの点に深く思いを致し、決意を新らたにしなければならない情勢に直面している。既に日本学術会議は、上記国際会議後援の責任を痛感して、会長声明を行った。
 ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する。
 昭和42年10月20日第49回総会

以上の理念が、長く日本の科学者の倫理と節操のスタンダードとされ、これに則って大学や公的研究機関の研究者は軍事研究とは一線を画してきた。当然のことながら、日本国憲法の平和主義と琴瑟相和するもの。ところが、いま、この科学者のスタンダードに揺るぎが生じている。言うまでもなく、アベ政権の平和憲法への攻撃と軌を一にするものである。

問題は深刻な研究費不足であるという。政権や防衛省が紐をつけた軍事研究には、予算がつく。アベ政権の平和崩しは、ここでもかくも露骨なのだ。

さらに大きな問題は、大西隆現会長ら政権に近い筋が、「1950年、67年の声明の時代とは環境条件が異なって専守防衛が国是となっているのだから、自衛のための軍事研究は許容されるべき」「デュアルユースなら許されてよい」などと発言していることだ。

「デュアルユース」とは、技術研究を「民生用」と「軍事用」に分類し、「軍事用研究」も「民生」に役立つ範囲でなら許容されるというもの。ところが、「軍事用研究」の中に「専守防衛技術」というカテゴリを作ると、「専守防衛のための軍事技術は国是として許容されるのだから、民生に役立つかどうかを検討するまでもない」となる。結局は限りなく、許容される軍事技術の研究分野を広げることになる。

そのような経過で、今軍事と科学の関係に関する、3番目の声明案がとりまとめられたのだ。この声明案は、学術会議が1950年と67年に出した過去の2声明にについて、「科学者コミュニティーの戦争協力への反省と再び同様の事態が生じることへの懸念があった」と指摘のうえ、「軍事的安全保障研究」は学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあるとして、過去の「2つの声明を継承する」と明記した。

私は、学術会議が科学者の総意をこの内容の声明案に結実させたことを高く評価したい。過去の二つの声明の継承を明記した上、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)を、名指しで批判している。今後は、この声明の精神を具体化していくこととなろう。

ここにも重要なアベ政権との対峙の運動がある。
(2017年3月8日)
**************************************************************************
       軍事的安全保障研究に関する声明(案)
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究が学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
 科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政府によって制約されたり動員されたりしがちであるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性が担保されなければならない。軍事的安全保障研究では、研究の期間内および期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
 防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い。むしろ必要なのは、科学者の自主性・自律性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。
 研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。大学等の各研究機関は、施設・情報・知的財産等の管理責任を有し、自由な研究・教育環境を維持する責任を負うことから、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる。
 研究の適切性をめぐっては、学術的な蓄積にもとづいて、科学者コミュニティにおいて一定の共通認識が形成される必要があり、個々の科学者はもとより、各研究機関、各分野の学協会、そして科学者コミュニティ全体が考え続けて行かなければならない。科学者を代表する機関としての日本学術会議は、そうした議論に資する知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く。

1月28日(土)午後1時30分『DHCスラップ訴訟・勝利報告集会』にご参加を-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第92弾

私自身が訴えられた「DHCスラップ訴訟」。その勝利報告集会が近づいてきました。あらためてお知らせし、集会へのご参加を、よろしくお願いします。
日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶 田島泰彦先生記念講演 常任弁護団員からの解説
テーマは、「名誉毀損訴訟の構造」「サプリメントの消費者問題」「反撃訴訟の内容」など。会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。

この集会から、強者の言論抑圧に対する反撃をはじめます。ご支援ください。

さて、「DHCスラップ訴訟」とは、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 また消費者問題としての意義(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 訴権濫用による高額賠償請求がどこまで許されるか。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。訴訟の被告になるのは、だれもが避けたい不愉快でしんどい経験です。6000万円もの請求を受ければ、多少はびびりの気持も湧いてきます。「こんな面倒なことになるのなら批判のブログは書かねばよかった」などと、ちらりと思ったりもします。でも、「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。

振り返って今、私は、DHC・吉田のやり口をけっして許してはならないと考えています。このような手口を放置すれば、社会の言論が萎縮して言論の自由が根底から崩壊しかねないとの危機感を持っています。とりわけ、「強者を批判することは裁判をやられて面倒だから、やめておいた方が賢い」となりかねません。

また、攻撃された私のブログは、政治とカネにまつわる、典型的な政治的言論ですから、スラップを放置することは権力批判の言論への萎縮を容認することにほかならないと思います。さらに、私は、吉田を「『金で政治を買おうというこの行動』、とりわけ『大金持ちがさらなる利潤を追求するために行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す』、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない」とブログに書きました。これは、消費者を代表する立場から、消費者利益を攻撃する者への言論による批判です。このような言論が封殺されてはなりません。

ですから、私は被告として訴訟に勝利しただけでは不足なのです。DHC・吉田は私の他に、同時期に9件のスラップ訴訟を提起しています。スラップ常習者と言って差し支えないと考えます。このようなスラップ常習者には、反撃訴訟が必要だと思います。

私に対する、DHCスラップ訴訟の提起が2014年4月16日ですから、時効期間の3年を考慮して、2017年4月16日以前の提訴が望ましいと思います。候補日を最初のブログ掲載の日から3年目の3月30日(木)として準備をいたします。被告は、DHC・吉田嘉明の両名だけとするか、あるいはDHC・吉田の不法行為を補佐した原告訴訟代理人となった弁護士も被告とするか。もう少し詰めて検討したいと思います。

反撃訴訟の訴額(損害賠償請求額)は660万円とします。
その根拠は、6000万円請求のスラップに対抗して応訴するための弁護士費用がその10%の金額として主損害を600万円。その損害賠償請求訴訟の弁護士費用10%を付加しての660万円。つまり、スラップ応訴のために被告(澤藤)が本来支払うべき弁護士費用(着手金+成功報酬)の妥当額が600万円。そして、反撃訴訟の弁護士費用がその10%の60万円。こういう計算です。

・違法性を基礎づけるキーワードは、
(1) DHC側の「調査義務懈怠」
(2) 6000万円の過大請求
(3) 合計10件もの濫訴
(4) 成算ないのに控訴し、最高裁まで争った。

1月28日集会では、田島先生のDHCスラップ訴訟を闘ったことの意義をお話しいただけるものと思います。また、反撃訴訟について、弁護団からの解説もあります。言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。
(2017年1月13日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2017. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.