澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「こんな人たち」以外の「一般の人々」に訴えます。ーアベ・シンゾーより

第48回衆院総選挙は10月10日に公示され、いよいよ明日22日が投票日となります。国民の皆さまのうち、どうせ私の言うことになど聞く耳もたない「こんな人たち」を除く、「こんな人たちではない一般の人々」にお願いを申しあげます。

今回の解散総選挙は、私アベシンゾーが仕掛けたものです。私は、自分に一番好都合なタイミングを選んで、衆議院を解散して勝負に出たのです。政治家として当然のことではありませんか。

グズグズしていたら、森友学園問題も加計学園疑惑追求もたいへんなことになってしまうではありませんか。突っ込まれたり暴かれたりしたら困るネタが、それこそ無数にあることは、私自身が一番良く知っていることです。

それならどうするか。まずは逃げることです。卑怯と罵られようと、みっともないと嗤われようとも、「三十六計逃ぐるに如かず」ではありませんか。おとなしく臨時国会を開いて、野党の攻撃に身をさらし、サンドバッグになりたくはないのです。それに、私は、あんまり筋を通すとか、矜持を大切にするという潔癖な性格ではありません。「嘘つきめ」「食言だ」「逃げたな」「プライドはないのか」と言われても、あまり応えるタチではないのです。自分でも、政治家向きの性格だと思いますね。10年前、あんなみっともない政権投げ出しをして恥を晒しましたが、めげずに再登板しました。図々しい者が勝ちなんですよ。この世の中は。

だから逃げたのです。だから冒頭解散でした。解散総選挙の必要を、消費税増税分の使途について有権者の意図を問う、ナンチャッテ言ってみましたが、誰も信じはしませんでした。もちろん、私自身も信じてもらえるとも思っていません。

私の評判が地に落ちていることは、自覚していました。モリ・カケだけではない。憲法問題も、「こんな人たち」が悪法という法律制定を強行したことも。私の側近といわれた政治家のスキャンダルも、いろいろありましたから。しかし、それでも、解散自体がこんなに評判悪いものになるとは思わなかったのです。「大義なき解散」「森友・加計の疑惑隠し解散」「ジリ貧回避解散」「今ならまだマシ解散」「私利私欲加算」「自己チュー解散」とさんざんでした。それでも、私には、心強い味方が、三つありました。

一つ目の味方は、北朝鮮です。金正恩のミサイル発射も核実験も、アベ政権への援護射撃。あるいは祝砲と言ってもよい。これは確実な追い風になりました。ありがたくって涙が出るほど。

軍備を拡大し、国防に金を注ぎ込み、国防国家体制を作ることによって人心を把握し、政権の基盤を強固にする。その意図と政策において、金正恩体制とアベ政権は同志的連帯でつながれています。アベ政権の危機には、北朝鮮がミサイルを撃ってくれる。すると、アベ政権は安泰になるのです。今まさにその時。北の脅威を誇張して吹聴することで、我が陣営に暖かい風が吹くのです。

二つ目は、有権者である国民の忘れっぽさです。解散して、総選挙をやっているうちに、きっと国民の大多数は、モリもカケも、共謀罪も、集団的自衛権行使容認もすっぱりと忘れてくれるだろう。選挙が終われば、モリ・カケ疑惑解明にも、安保法制や共謀罪法廃止にも、国民の関心が続くはずはない。もっと新しい前向きな問題に関心が移るはず。私は、国民をそのように信頼申しあげているのです。

そして、三つ目が株高です。アベノミクスは本当は失敗ですよ。もう5年近くも、「もう少しすれば…」、と言い続けてきたのですが、いつまで経っても「もう少しすれば…」なのですから。でも、株高はアベノミクスの成果とする宣伝材料になるはずだと思ったのです。もちろん、株高にはからくりがあります。国が国民から預かっている年金を、株式市場に注ぎ込んで株を買っているのですから上がるはず。いつまでも続くはずはないのですが、当面経済がうまく行っているように見えればそれで十分なのです。国民みんなのお金で、株を持っている人だけの資産価値を押し上げているわけですから、「こんな人たち」にはご不満でしょうが、それ以外の「一般の人々」には歓迎されていますよね。

12日間の選挙戦の今日が最終日。モリもカケも封印し、都合の悪いところは徹底してスルーして、つまみ食いの経済指標を並べたてて、北朝鮮の脅威を煽るうちに風向きがすこしよくなってきたのが、我ながら不思議。今回解散は失敗だったかと、何度もヒヤヒヤしましたが、どこからかカミカゼが吹いてきたような思い。

「こんな人たち」が、縁なき衆生として度しがたいのはやむをえません。問題は、それ以外の「一般の人々」。この人たちは、私の言うことによく耳を傾けて、もう少しだまされ続けてあげましょうという寛大な態度。ホントに素晴らしい有権者のみなさま。これなら九条改憲も、原発再稼働も、沖縄辺野古新基地建設も、日本中にオスプレイ飛ばすことも、天皇の交代も…、私の思いのまま。いつまでも、傲慢なアベらしいアベであれということではありませんか。
(2017年10月21日)

韓国内の核武装容認論台頭を憂うる

憲法9条の恒久平和主義は、抑止論と対決し続けてきた。

抑止論は、「自国の武力の整備は、相手国の武力行使抑止の効果を持つ」「武力の整備を欠いた非武装無防備は、相手国の武力行使を誘発する」「武力の権衡あってこそ相互の攻撃を自制させる」「したがって、相互に均衡をした武力の整備こそが平和の条件である」という。

これが、論理においてまったく成り立たない愚論だとは思わない。しかし、過去の苦い歴史が、このような考え方こそが、軍拡競争をもたらし、恐怖の均衡に人々を陥れ、偶発的な均衡の破綻が悲惨な戦争をもたらしてきた。戦力の不保持を宣言する憲法9条の恒久平和主義は、過去の悲惨な歴史への真摯な反省からの決意であり、唯一の平和の保障策である。

核抑止論ともなれば、さらに問題は深刻である。冷戦終了後も、使う予定もなく、現実には使うこともできない核兵器の廃棄がいまだにできない。相互不信から核軍縮が十分に進展せず、核抑止論の克服ができないうちに、公然と核抑止論の有効性を掲げて核開発を進める北朝鮮の暴挙である。

核保有の5大国には、声を大にして核廃絶を迫らなければならない。米・韓・日の合同演習など軍事挑発行為にも反対しなければならない。しかし、同様に北朝鮮の核開発を批判しなければならない。防衛的なものだからとして容認してはならない。北朝鮮の核抑止論と核開発は、容易に他国に飛び火する。まずは韓国、次いで日本に、同じ論理での核開発を誘発しかねない。

北朝鮮の核とミサイル開発。北に直接対峙している韓国世論の動揺が深刻なようだ。以下は、発行部数韓国最大の朝鮮日報が報じるところ。
「韓国ギャラップが(9月)5~7日に実施した調査では『核武装に賛成』が60%で、『反対』の35%を上回った。野党・自由韓国党支持者で核武装に賛成する人は82%、同・正しい政党支持者で賛成する人は73%、与党・共に民主党支持者でも賛成(52%)の方が反対(43%)を上回っている。韓国社会世論研究所(KSOI)が8日と9日に成人男女1014人を対象に調査した結果も、『北朝鮮の核の脅威に対応して防衛の観点から戦術核を再配備すべきだ』という人が68.2%だった。『南北間関係をさらに悪化させるから戦術核再配備に反対する』という人は25.4%、「分からない・無回答」は6.4%だった。」
韓国世論は、いま深刻な事態にあるのだ。

同じく、日本語で読める朝鮮日報のサイトでは、「(保守系最大野党の)自由韓国党は9月10日、『戦術核再配備と核兵器開発のためのオンライン・オフライン1000万人署名運動』を開始した」と報じている。

また、9月16日付で、朝鮮日報は北朝鮮の核についての主筆のコラムを掲載している。「全く、国とは言えない」という表題の長文のもの。自国のこれまでの核政策を「国とは言えない」と強く批判するもの。1991年に韓国が在韓米軍の核を全面撤去して以来の、歴代韓国大統領による北朝鮮核開発への対応を具体的に無策と批判している。朝鮮日報が保守論壇を代表する立場にあるにせよ、これは見過ごせない。その一部を引用する。

1991年より前は、韓国に核(米軍の戦術核)があり、北朝鮮には核がなかった。それが、韓国から核がなくなり、北朝鮮に核があるという、あべこべの形になった。国際政治の歴史上、こんな逆転はない。一体どうしてこんなことが可能だったのか気になり、91年の本紙を読み直してみた。11月9日付、1面トップは『在韓米軍の核、年内に撤収』だ。その横にある、もっと大きな記事が『盧泰愚(ノ・テウ)大統領、韓半島(朝鮮半島)非核化宣言』だ。韓国国内の核兵器を全面撤去し、今後核を保有・製造・使用しないという内容で、『非核の門をまず南が開け、北に核の放棄を迫る』というものだった。
続いて12月19日付、1面トップは盧大統領の『韓国国内の核不在』宣言だった。米軍の戦術核が全て引き揚げられたという意味だ。92年1月1日付、1面の冒頭記事は『南北非核宣言完全妥結』だ。南北双方が核兵器の試験・生産・受け入れ・保有・貯蔵・配備・使用を禁止するという内容。北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れると約束した。その日、盧泰愚大統領は新年のあいさつで『われわれの自主的な努力により核の恐怖がない韓半島を実現しようという夢で、大きな進展が実現した』と語った。『北が核兵器製造技術を持たないと表明したことは、本当に喜ばしい』とも語った。
全ては、北朝鮮による完全な詐欺だった。南北非核化宣言に合意したその日も、北朝鮮は寧辺でプルトニウムを抽出していた。金日成(キム・イルソン)主席は米軍の戦術核が撤収したのを確認した後、韓国の鄭元植(チョン・ウォンシク)首相と会談した席で『われわれには核がない。在韓米軍を撤収させよ」と要求した。『核査察の約束を守れ』という韓国側の要求には答えなかった。韓国という国の間抜けなドラマと、北朝鮮の核の悪夢が同時に開幕した。
北朝鮮の核問題の過程は、歴代韓国大統領の北朝鮮に対する無知と幻想が国家の安全保障を崩壊へと追いやっていく、完全に『国家の失敗』の歴史だ。盧泰愚大統領の後を継いだ金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、北朝鮮が核爆弾を作っているにもかかわらず、就任演説で『いかなる同盟国も、民族より勝るということはあり得ない』と語った。金大中(キム・デジュン)大統領は、金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談を終えた後、『われわれにも新しい日が差してきた。分断と敵対に終止符を打ち、新たな転機を開く時期に至った』と語った。『北は核を開発したこともなく、能力もない。私が責任を持つ』という発言が報道されたこともあった。…」

NHK(WEB)によれば、「北朝鮮外務省でアメリカを担当する幹部(北米局のチェ・ガンイル副局長)は、15日の弾道ミサイル発射について、『核抑止力強化のための正常な過程の一環だ』と述べ、アメリカのトランプ政権が北朝鮮政策を転換しない限り、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「そのうえで、『アメリカがわれわれを敵視し続け、核で脅し続けるかぎり、われわれは絶対に核兵器とミサイルを協議のテーブルに載せない。まずアメリカが敵視政策と制裁をやめてこそ、対話になる』と述べ、トランプ政権が北朝鮮政策を転換しないかぎり、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「また、『核・ミサイル開発は自衛的な措置だ』とする主張を改めて示」した、という。

北朝鮮の、「自国の核開発は自衛的な措置だ。凶悪なアメリカの核攻撃を抑止する唯一の手段だ」という主張は、韓国や日本の好戦勢力や防衛産業にまことに好都合。同じ理屈で核武装や核持ち込みのシナリオを描くことができる。

金正恩。その世襲制、個人崇拝、反人権、非民主的な体制だけでなく、絶対悪としての核をもてあそぶその姿勢においても批判されなければならない。

北朝鮮の地下核爆発実験の報には心が凍りつく。どうして、笑っていられのだろうか。金正恩も開発に携わった科学者たちも。広島や長崎の被爆者の叫びを聞け。叫ぶ術もなく死んでいった多くの人々の声を聞け。核抑止論を主張する人々は、原爆資料館に足を運ばねばならない。丸木美術館で原爆の図を凝視しなければならない。

いまは、関係各国に無条件で和解のテーブルに着くべきだとする国際世論を喚起するしかない。「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」(核兵器禁止条約)の締結が、国際世論の本流になっているいま、その声が巻きおこらぬはずはない。
(2017年9月17日)

「浜の一揆」訴訟―漁協を守るために漁民にはサケを獲らせない?

本日は、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の証人尋問。原告側・被告側それぞれ申請の学者証人の尋問が行われた。

原告側の証人は、サケの生態学については第一人者の井田齊さん。被告側は、漁業経済学者の濱田武士さん。原告側が自然科学者で、被告側が社会科学者。自然科学者が沿岸漁民の側に立ち、社会科学者が県政の側に立つ構図が興味深い。

今日の尋問で証拠調べは終了、次回12月1日(金)が最終弁論期日となる。

何度もお伝えしているとおり、岩手の河川を秋に遡上するサケは三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。ところが、現在三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収まである。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねが、なんの進展も見ることができなかった。

そのため、2014年に3次にわたって、岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をした。これが不許可となるや、所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。2015年11月のこと、その原告数ちょうど100人である。

請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいる。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と同根の闘いとする心意気からである。

三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点であることは、本日の被告側証人の証言においても確認されたところ。

漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。

この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。

この合理性・必要性に支えられた理由とは、二つのことに収斂される。
漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができる、とする。

これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。

したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。

本日の原告側証人は、サケの専門家として、孵化放流事業の実態を語って、本件申請を許可しても「水産資源の保護培養」に何の影響もない、と結論した。また、水産学者として、三陸沿岸の自然環境の多様性に即した多様な漁業形態があってしかるべきだという立場から、大規模な漁協の自営定置も零細漁民の刺し網漁も共存することが望ましいとして、定置網漁のサケ漁獲独占を批判した。

本日の被告側証人は、漁協の存立を重要視する立場から、漁協が孵化放流事業を行い、自営定置で漁獲することを不合理とは言えないとして、本件不許可処分を是認した。しかし、「漁業調整の必要」の存在を具体的に述べることには成功しなかった。そして、「漁業調整」の指導理念であるべき漁業法上の「民主化」を援用すれば、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することは不当ではないか、という立論にむしろ理解を示したように見受けられた。

問題は漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるか、という点に絞られてきた感がある。
定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるもの。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。
しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。

漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。

また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする。」これが、漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころが、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。

訴訟の進行は、本日まですこぶる順調である。11月10日までに原被告双方が最終準備書面を提出し、12月1日が最後の口頭弁論期日となる。勝訴を確実なものとするために、もう一踏ん張りしなければならない。
(2017年9月8日)

学術・科学の分野におけるアベ政権との対峙

昨日(3月7日)、日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」が、「軍事的安全保障研究に関する声明(案)」をとりまとめて発表した。その全文を、末尾に掲載する。この案は、3月24日の学術会議幹事会での議論を経て、4月13日から開かれる総会で確定するものと見られている。

このような声明案が検討されるきっかけは、アベ政権の軍事大国化政策である。具体的には、2015年度に防衛省が創設した「安全保障技術研究推進制度」である。初年度3億円の予算規模で始まり17年度には110億円に膨張して話題と憤激を呼んだあの制度。研究者を金で締め上げ、政権に身をすり寄せる矜持のない者についてだけ、紐付きの研究費を恵んでやろうという発想である。

学術会議は、この防衛省の紐付き研究資金公募制度開始を機に、新たな声明案作成の作業に着手した。当初は、学術会議の方針が軍事研究容認に傾くのではないかと懸念されたが、結局はアベ政権のこの卑劣な手口にたいする科学者集団の危機感が、今回の声明案に結実したと言ってよい。その内容を吟味してみたい。

日本学術会議は、1948年7月公布の日本学術会議法に基づいて、1949年1月に設立された公法人である。同法は前文を持ち、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」と宣言している。教育基本法などと並んで、戦後民主主義の息吹にあふれたもの。平和憲法の学術科学版でもある。

人間に幸福をもたらすはずの科学が、いびつな発達を遂げて、数多くの残虐な兵器をつくり出した。1945年8月6日の広島で明らかにされたとおり、人類は遂に人類自身を消滅させるに足りる科学力を手にしたのだ。間違った科学は人類を破滅させる。

学術会議は、1950年4月の総会で、科学者が戦争に協力した戦前の反省に立って法の目的を具現すべく、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を総会で決議している。その決意のみずみずしさが今読む者の胸を打つ。「科学者としての節操」の言葉が輝いている。

  戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
 日本学術会議は,1949年1月,その創立にあたって,これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家,世界平和の礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。
  われわれは,文化国家の建設者として,はたまた世界平和の使徒として,再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに,さきの声明を実現し,科学者としての節操を守るためにも,戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する。
  昭和25年4月28日 日本学術会議第6回総会

学術会議は、さらに重ねて67年の総会でも下記の声明を出している。今こそ、読んで噛みしめるべき内容ではないか。

   軍事目的のための科学研究を行わない声明
 われわれ科学者は、真理の探究をもって自らの使命とし、その成果が人類の福祉増進のため役立つことを強く願望している。しかし、現在は、科学者自身の意図の如何に拘らず科学の成果が戦争に役立たされる危険性を常に内蔵している。その故に科学者は自らの研究を遂行するに当って、絶えずこのことについて戒心することが要請される。
 今やわれわれを取りまぐ情勢は極めてきびしい。科学以外の力にょって、科学の正しい発展が阻害される危険性が常にわれわれの周辺に存在する。近時、米国陸軍極東研究開発局よりの半導体国際会議やその他の個別研究者に対する研究費の援助等の諸問題を契機として、われわれはこの点に深く思いを致し、決意を新らたにしなければならない情勢に直面している。既に日本学術会議は、上記国際会議後援の責任を痛感して、会長声明を行った。
 ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する。
 昭和42年10月20日第49回総会

以上の理念が、長く日本の科学者の倫理と節操のスタンダードとされ、これに則って大学や公的研究機関の研究者は軍事研究とは一線を画してきた。当然のことながら、日本国憲法の平和主義と琴瑟相和するもの。ところが、いま、この科学者のスタンダードに揺るぎが生じている。言うまでもなく、アベ政権の平和憲法への攻撃と軌を一にするものである。

問題は深刻な研究費不足であるという。政権や防衛省が紐をつけた軍事研究には、予算がつく。アベ政権の平和崩しは、ここでもかくも露骨なのだ。

さらに大きな問題は、大西隆現会長ら政権に近い筋が、「1950年、67年の声明の時代とは環境条件が異なって専守防衛が国是となっているのだから、自衛のための軍事研究は許容されるべき」「デュアルユースなら許されてよい」などと発言していることだ。

「デュアルユース」とは、技術研究を「民生用」と「軍事用」に分類し、「軍事用研究」も「民生」に役立つ範囲でなら許容されるというもの。ところが、「軍事用研究」の中に「専守防衛技術」というカテゴリを作ると、「専守防衛のための軍事技術は国是として許容されるのだから、民生に役立つかどうかを検討するまでもない」となる。結局は限りなく、許容される軍事技術の研究分野を広げることになる。

そのような経過で、今軍事と科学の関係に関する、3番目の声明案がとりまとめられたのだ。この声明案は、学術会議が1950年と67年に出した過去の2声明にについて、「科学者コミュニティーの戦争協力への反省と再び同様の事態が生じることへの懸念があった」と指摘のうえ、「軍事的安全保障研究」は学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあるとして、過去の「2つの声明を継承する」と明記した。

私は、学術会議が科学者の総意をこの内容の声明案に結実させたことを高く評価したい。過去の二つの声明の継承を明記した上、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)を、名指しで批判している。今後は、この声明の精神を具体化していくこととなろう。

ここにも重要なアベ政権との対峙の運動がある。
(2017年3月8日)
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       軍事的安全保障研究に関する声明(案)
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究が学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
 科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政府によって制約されたり動員されたりしがちであるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性が担保されなければならない。軍事的安全保障研究では、研究の期間内および期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
 防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い。むしろ必要なのは、科学者の自主性・自律性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。
 研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。大学等の各研究機関は、施設・情報・知的財産等の管理責任を有し、自由な研究・教育環境を維持する責任を負うことから、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる。
 研究の適切性をめぐっては、学術的な蓄積にもとづいて、科学者コミュニティにおいて一定の共通認識が形成される必要があり、個々の科学者はもとより、各研究機関、各分野の学協会、そして科学者コミュニティ全体が考え続けて行かなければならない。科学者を代表する機関としての日本学術会議は、そうした議論に資する知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く。

1月28日(土)午後1時30分『DHCスラップ訴訟・勝利報告集会』にご参加を-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第92弾

私自身が訴えられた「DHCスラップ訴訟」。その勝利報告集会が近づいてきました。あらためてお知らせし、集会へのご参加を、よろしくお願いします。
日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶 田島泰彦先生記念講演 常任弁護団員からの解説
テーマは、「名誉毀損訴訟の構造」「サプリメントの消費者問題」「反撃訴訟の内容」など。会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。

この集会から、強者の言論抑圧に対する反撃をはじめます。ご支援ください。

さて、「DHCスラップ訴訟」とは、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 また消費者問題としての意義(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 訴権濫用による高額賠償請求がどこまで許されるか。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。訴訟の被告になるのは、だれもが避けたい不愉快でしんどい経験です。6000万円もの請求を受ければ、多少はびびりの気持も湧いてきます。「こんな面倒なことになるのなら批判のブログは書かねばよかった」などと、ちらりと思ったりもします。でも、「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。

振り返って今、私は、DHC・吉田のやり口をけっして許してはならないと考えています。このような手口を放置すれば、社会の言論が萎縮して言論の自由が根底から崩壊しかねないとの危機感を持っています。とりわけ、「強者を批判することは裁判をやられて面倒だから、やめておいた方が賢い」となりかねません。

また、攻撃された私のブログは、政治とカネにまつわる、典型的な政治的言論ですから、スラップを放置することは権力批判の言論への萎縮を容認することにほかならないと思います。さらに、私は、吉田を「『金で政治を買おうというこの行動』、とりわけ『大金持ちがさらなる利潤を追求するために行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す』、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない」とブログに書きました。これは、消費者を代表する立場から、消費者利益を攻撃する者への言論による批判です。このような言論が封殺されてはなりません。

ですから、私は被告として訴訟に勝利しただけでは不足なのです。DHC・吉田は私の他に、同時期に9件のスラップ訴訟を提起しています。スラップ常習者と言って差し支えないと考えます。このようなスラップ常習者には、反撃訴訟が必要だと思います。

私に対する、DHCスラップ訴訟の提起が2014年4月16日ですから、時効期間の3年を考慮して、2017年4月16日以前の提訴が望ましいと思います。候補日を最初のブログ掲載の日から3年目の3月30日(木)として準備をいたします。被告は、DHC・吉田嘉明の両名だけとするか、あるいはDHC・吉田の不法行為を補佐した原告訴訟代理人となった弁護士も被告とするか。もう少し詰めて検討したいと思います。

反撃訴訟の訴額(損害賠償請求額)は660万円とします。
その根拠は、6000万円請求のスラップに対抗して応訴するための弁護士費用がその10%の金額として主損害を600万円。その損害賠償請求訴訟の弁護士費用10%を付加しての660万円。つまり、スラップ応訴のために被告(澤藤)が本来支払うべき弁護士費用(着手金+成功報酬)の妥当額が600万円。そして、反撃訴訟の弁護士費用がその10%の60万円。こういう計算です。

・違法性を基礎づけるキーワードは、
(1) DHC側の「調査義務懈怠」
(2) 6000万円の過大請求
(3) 合計10件もの濫訴
(4) 成算ないのに控訴し、最高裁まで争った。

1月28日集会では、田島先生のDHCスラップ訴訟を闘ったことの意義をお話しいただけるものと思います。また、反撃訴訟について、弁護団からの解説もあります。言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。
(2017年1月13日)

本郷湯島九条の会は「ぶたちゅう」を応援し、「軍学共同研究」に断固反対します。

本日は、「本郷湯島九条の会」新年の本郷三丁目交差点「かねやす」前街宣活動。憲法施行70周年のこの年には、アベ政権と民衆との本格的な改憲をめぐっての攻防が展開される。何よりも、野党と市民との共闘で国会の議席分布を変えなければならない。

マイクを取った人々が、戦争法のこと、共謀罪のこと、南スーダンの情勢、アベらのパールハーバー訪問、イナダの靖國神社参拝等々の訴えが続いた。そして、我が文京区も小選挙区の野党統一候補選定の話が進んでいるという。

東京2区は、文京(ぶ)・台東(た)・中央(ちゅう)の3特別区を範囲とする。これをまとめて「ぶたちゅう」と言うのだそうだ。まだ、統一候補予定者の名前も出てこないが、政党ではなく、まずは市民を中心に関係者が寄り集まっているという。がんばれ、「ぶたちゅう」。

もう一つ、話題は、東京大学の大学院生からの呼びかけで、軍学共同研究反対の訴え。

本日は、軍学共同研究反対に関する、再度の緊急署名のお願いをしておきたい。各大学や研究機関に宛てた要望である。

URLは下記のとおりである。
http://no-military-research.jp/shomei/

 

お知らせ
防衛装備庁は、軍事技術に関する研究助成制度である「安全保障技術研究推進制度」を2015年度に創設しました。この制度の狙いは、防衛装備(兵器・武器)の開発・高度化のために、大学・研究機関が持つ先端科学技術を発掘し、活用することです。2015年度に3億円、2016年度に6億円であった予算規模は、2017年度予算では110億円へと大幅増額されようとしています。何としてもここで軍学共同の流れにストップをかけなければなりません。

そこで私たちは、全国の大学・研究機関に、本制度へ応募しないように求める下記要望書を、科学者と市民の署名を添えて提出することにしました。皆様のご署名を呼びかけます。また、周囲の方々にも広げていただければ幸いです。2017年2月20日に皆様から寄せられた署名を集約する予定です。

大学・研究機関への要望書
防衛装備庁は、軍事技術に関する研究助成制度である「安全保障技術研究推進制度」を2015年度に創設しました。この制度の狙いは、防衛装備(兵器・武器)の開発・高度化のために、大学・研究機関が持つ先端科学技術を発掘し、活用することです。2015年度に3億円の予算規模で始まった本制度は、2016年には6億円に増額され、来年度(2017年度)においては当初の30倍超の110億円が閣議決定されました。大学予算や科学予算が減額され続けている中で、軍学共同を推進するための予算のみが大幅に増額されようとしていることは極めて異常と言わざるを得ません。そして本制度によって大学・研究機関や科学者が軍事研究に取り込まれてしまうことが強く懸念されます。

「安全保障技術研究推進制度」について、防衛装備庁は(1)基礎研究に対する助成である、(2)研究成果の公開を原則としている、(3)デュアルユースで民生技術への波及効果がある、などと強調して軍事研究に対する科学者や市民の警戒心を和らげようと躍起になっています。

しかし、(1)防衛装備庁の言う「基礎研究」とは、通常の意味における基礎科学・基礎研究ではなく、防衛装備(兵器・武器)の開発・高度化を目指す一連の研究・開発の過程の初期段階を意味します(その詳細は日本学術会議「安全保障と学術に関する検討委員会」の第6回会議のWEBに資料2として掲載されています)。つまり「直ちに装備化するわけではない防衛装備の基礎開発」という意味であり、将来的に本格的な装備として実用化するための第一歩なのです。

また(2)の公開については、防衛装備庁は公募要領で「研究成果は公開が原則」と曖昧に書いて発表・公開が自由であるかのように見せかけながら、実際の成果の公開に際しては必ず防衛装備庁の確認を必要とし、通常の研究と同様な研究成果公開の完全な自由が保証されておりません。さらに、採択された後に交わされる『委託契約事務処理要領』では「発表の内容、時期等については、他の当事者(防衛装備庁)の書面による事前の承諾を得るものとする」と書かれ、『委託契約書』では「発表及び公開にあたっては、その内容についてあらかじめ甲(防衛装備庁)に確認するものとする」と書かれており、採択決定後に取り交わす書類ですから、公募要領より露骨に防衛装備庁が介入・干渉できるようになっています。研究成果の完全に自由な公開という研究者にとっての死活条件が担保されていないことに対して、学術研究の場を預かる立場として安易に対応すべきではないと思われます。

(3)のデュアルユース問題については、防衛装備庁は元々民生技術として大学・研究機関で行われている開発研究を軍事目的に特化して応用しようというものであり、上記(2)の非公開の可能性を考えれば、むしろ本来構想していた民生のための技術開発が行われなくなることになると考えられます。つまりデュアルユースは、民生技術へ波及するかのように装う見せかけだけの言葉であり、実際は軍事のために技術を独占することになるのです。

以上の点からも明らかなように、この制度が大学・研究機関に浸透すれば、科学は人類全体が平和的かつ持続的に発展するための学術・文化ではなくなり、特定の国家や軍に奉仕するものへと変質させられてしまうでしょう。それは、大学・研究機関が本来行ってきた民生目的での研究・開発を歪めてしまうことになります。また、大学院生やポスドクなどの若手研究者が軍事研究に参加することが当然予想され、次世代を担う人間を育てる高等教育の在り方を変質させ、これまでせっかく築き上げてきた大学・研究機関の健全性への市民の信頼に傷をつけてしまうことは明らかです。さらに、戦時中に科学者が軍に全面協力したことへの痛烈な反省から導かれた「軍事研究を行わない」という戦後の日本の学術の原点をも否定することに繋がります。

市民は日本の学術研究が人類の平和と幸福に貢献するものと期待しており、戦争につながる研究を行なうことを決して望んではいません。市民の学術への信頼を裏切ることなく、日本の学術を預かる人間としての矜持の下、良識を貫くことを期待します。

上述したような「安全保障技術研究推進制度」の持つ危険性に鑑みて、私たちは
1.貴学・貴研究機関として、「安全保障技術研究推進制度」への応募を行わないこと、
2.貴学・貴研究機関として、「安全保障技術研究推進制度」をはじめとする軍事的研究資金の受け入れを禁止する規範あるいは指針の策定や、平和宣言の制定を検討すること、
を要望致します。
(2017年1月10日)

高江オスプレイパッド建設反対のリーダー山城博治さんを釈放せよ

今年は、沖縄の基地建設反対闘争が正念場を迎える。自分のできることで沖縄の運動に参加したいと思う。まずは、下記のURLを開いて、高江オスプレイパッド建設反対のリーダー山城博治さんの釈放を求めるネット署名をお願いしたい。

15000人目標の賛同者が、今11731人の賛同者を得て、残り3269人となっているという。できることなら、あなたのお気持ちを、一言なりともコメントしていだたきたいし、このネット署名を拡散しようではないか。

https://www.change.org/p/savehiroji

署名の要請文は以下のとおりだ。
「ふるさとの自然を守りたい」「当たり前のくらしを守りたい」「米軍施設はいらない」--ただそれだけの思いで、高江の住民や沖縄の人たちは必死の座り込みを続けています。座り込みは、「非暴力で」「自主的に」「愛とユーモアを」のガイドラインが徹底され、強制排除にあっても、住民側にケガ人は続出しましたが、機動隊側を誰一人傷つけることはありませんでした。

それなのに、いま、山城博治さんら、反対運動のリーダーたちが、こじつけとしか思えない理由で、不当逮捕され、次々に別の理由に切り替わり、長期に拘留されています。最新の理由は、10ヶ月前の、1月28日から30日にかけて、辺野古・キャンプシュワブのゲート前にブロックを積み、工事車両の通行を妨げたというものです。なぜ、10ヶ月も前に行われた抗議行動について、いま、逮捕勾留なのでしょうか。警察は、その場にいて、見ていたにもかかわらず、何の行動も起こしていませんでした。

これは運動を委縮させ、運動のイメージを傷つけるための不当逮捕としか言いようがありません。

山城博治さんらの釈放を求めるため、年明けに以下の要請文を提出します。ぜひ賛同して要請者になってください!

要請者:鎌田慧、澤地久枝、佐高信、落合恵子、小山内 美江子

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那覇地方裁判所御中
那覇地方検察庁御中

山城博治さんらの釈放を求める要請書

前略
私たちは、沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に反対する人々に対する政府のすさまじい弾圧に深い憂慮の意を表明し、逮捕・勾留されている山城博治さんらの釈放を強く求める者です。
沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に沖縄の県民の多くが反対をしています。沖縄の基地負担軽減では全くなく、新たな基地を作り、基地機能を強化するものでしかないこと、また、貴重なふるさとの自然を守りたい、平穏な生活を守りたいという気持ちから、非暴力の座り込みが続けられています。こうした中、反対運動を続ける沖縄平和運動センター議長である山城博治さんたちがこじつけとも思われる理由で逮捕され、次々と罪名が切り替わり、長期の勾留が続いています。現場で行動を指揮する山城博治さんに対する勾留は、2016年12月25日で、70日にも及んでいます。山城博治さんは、10月17日、ヘリパッド建設予定地周辺の森の中におかれた有刺鉄線を切断したとして器物損壊罪で逮捕されましたが、那覇簡裁は20日にいったん勾留請求を却下しました。すると、警察は、同じ20日に、9月25日に公務執行妨害と傷害を行ったとの容疑で再逮捕しました。勾留を続けるために再逮捕したのです。11月11日には、山城さんは、公務執行妨害と傷害の罪で起訴されました。しかし、起訴の翌日の琉球新報は、山城さんは、「現場で市民の行動が過熱化したり、個別に動いたりすることを抑制し、」「勝手に機動隊員らと衝突したりしないように繰り返し呼びかけていた」と報じています。さらに、山城さんが2015年4月に闘病生活に入り、辺野古のキャンプシュワブゲート前の抗議行動に参加できなくなった後の県警関係者の話として、「暴走傾向の人を抑える重しとして山城さんは重要だった」と話していたと報じています。現場で、警察官が傷害を負った事実が仮にあるとしても、それを山城さんの責任とすることは筋違いです。
さらに、11月29日には、今度は、山城さんは威力業務妨害罪で逮捕されました。この逮捕の容疑は、10ヶ月前の、1月28日から30日にかけて、ゲート前にブロックを積み、工事車両の通行を妨げたというものです。なぜ、10ヶ月も前に行われた抗議行動について、いま、逮捕勾留なのでしょうか。警察は、その場にいて、見ていたにもかかわらず、何の行動も起こしていませんでした。
山城博治さん他運動関係者らに対する逮捕、勾留は、高江のオスプレイパッド建設、辺野古の新基地建設を強行するために、その反対運動をつぶすために行われているものです。沖縄の人々の、基地とヘリパッド建設反対のやむにやまれぬ行動に対して、これを力でねじ伏せるような一連の検挙は、不当な弾圧であり、決して許されてはなりません。
私たちは、山城博治さんたちの早期釈放を求めます。保釈が認められるべきです。同じ被疑事実で逮捕された他の人たちの何人かは、起訴されず釈放されています。罪証隠滅の恐れなどないことは明らかです。もちろん逃亡の恐れもありません。勾留を続ける法的な理由がありません。
とりわけ山城博治さんの健康状態が心配です。山城博治さんは、2015年に大病を患い、病み上がりの状態です。今も、白血球値が下がり、病院に通院し、治療を受けなければならない状態です。勾留理由開示公判で山城さんを見た、市民からも、山城さんの健康を危惧する声が上がっています。健康を害していることが、明らかな状態のもとで、長期の勾留が続けられています。さらに、山城博治さんのみ接見禁止がついていて、市民が面会に行くこともできず、弁護士としか会えない状態が続いています。山城博治さんの健康を害し、生命の危険すらもたらしかねない長期勾留は、人道上も決して許されることではありません。山城博治さんたちの一刻も早い釈放を求めます。

1.山城博治さんほか沖縄辺野古の新基地建設と高江のオスプレイパッド建設に反対する活動に関連して勾留されている人々の保釈または勾留執行停止を強く求めます。

2.山城博治さんに対する接見禁止措置を直ちに解除することを求めます。

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賛同者の署名簿は、那覇地方裁判所と那覇地方検察庁に届けられる。私は、この署名の呼びかけ人である鎌田慧、澤地久枝、佐高信、落合恵子、小山内美江子の各位を、尊敬し信用している。長期拘留が、基地建設反対運動への弾圧であることは自明であるとも考えている。このような事態を放置しておいてはならない。

なお、昨年暮れ(12月28日)に発表された「山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明」も併せて掲載しておきたい。

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山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明
沖縄平和運動センターの山城博治議長(64)が、70日間を超えて勾留されている。山城氏は次々に3度逮捕され、起訴された。接見禁止の処分に付され、家族との面会も許されていない山城氏は、弁護士を通して地元2紙の取材に応じ、「翁長県政、全県民が苦境に立たされている」「多くの仲間たちが全力を尽くして阻止行動を行ってきましたが、言い知れない悲しみと無慈悲にも力で抑え込んできた政治権力の暴力に満身の怒りを禁じ得ません」と述べる(沖縄タイムス2016年12月22日、琉球新報同24日)。この長期勾留は、正当な理由のない拘禁であり(憲法34条違反)、速やかに釈放されねばならない。以下にその理由を述べる。

山城氏は、①2016年10月17日、米軍北部訓練場のオスプレイ訓練用ヘリパッド建設に対する抗議行動中、沖縄防衛局職員の設置する侵入防止用フェンス上に張られた有刺鉄線一本を切ったとされ、準現行犯逮捕された。同月20日午後、那覇簡裁は、那覇地検の勾留請求を棄却するが、地検が準抗告し、同日夜、那覇地裁が勾留を決定した。これに先立ち、②同日午後4時頃、沖縄県警は、沖縄防衛局職員に対する公務執行妨害と傷害の疑いで逮捕状を執行し、山城氏を再逮捕した。11月11日、山城氏は①と②の件で起訴され、翌12日、保釈請求が却下された(準抗告も棄却、また接見禁止決定に対する準抗告、特別抗告も棄却)。さらに山城氏は、③11月29日、名護市辺野古の新基地建設事業に対する威力業務妨害の疑いで再逮捕され、12月20日、追起訴された。

山城氏は、以上の3件で「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」(犯罪の嫌疑)と「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があるとされて勾留されている(刑訴法60条)。

しかし、まず、犯罪の嫌疑についていえば、以上の3件が、辺野古新基地建設断念とオスプレイ配備撤回を掲げたいわゆる「オール沖縄」の民意を表明する政治的表現行為として行われたことは明らかであり、このような憲法上の権利行為に「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があるのは、その権利性を上回る優越的利益の侵害が認められた場合だけである。政治的表現行為の自由は、最大限尊重されなければならない。いずれの事件も抗議行動を阻止しようとする機動隊等との衝突で偶発的、不可避的に発生した可能性が高く、違法性の程度の極めて低いものばかりである。すなわち、①で切断されたのは価額2,000円相当の有刺鉄線1本であるにすぎない。②は、沖縄防衛局職員が、山城氏らに腕や肩をつかまれて揺さぶられるなどしたことで、右上肢打撲を負ったとして被害を届け出たものであり、任意の事情聴取を優先すべき軽微な事案である。そして③は、10か月も前のことであるが、1月下旬にキャンプ・シュワブのゲート前路上で、工事車両の進入を阻止するために、座り込んでは機動隊員に強制排除されていた非暴力の市民らが、座り込む代わりにコンクリートブロックを積み上げたのであり、車両進入の度にこれも難なく撤去されていた。実に機動隊が配備されたことで、沖縄防衛局の基地建設事業は推進されていたのである。つまり山城氏のしたことは、犯罪であることを疑うべき行為でも、身体拘束できるような行為でもなかったのである。

百歩譲り、仮に嫌疑を認めたとしても、次に、情状事実は罪証隠滅の対象には含まれない、と考えるのが刑事訴訟法学の有力説である。②の件を除けば、山城氏はあえて事実自体を争おうとはしないだろう。しかも現在の山城氏は起訴後の勾留の状態にある。検察は公判維持のために必要な捜査を終えている。被告人の身体拘束は、裁判所への出頭を確保するための例外中の例外の手段でなければならない。もはや罪証隠滅のおそれを認めることはできない。以上の通り、山城氏を勾留する相当の理由は認められない。

法的に理由のない勾留は違法である。その上で付言すれば、自由刑の科されることの想定できない事案で、そもそも未決拘禁などすべきではない。また、山城氏は健康上の問題を抱えており、身体拘束の継続によって回復不可能な不利益を被るおそれがある。しかも犯罪の嫌疑ありとされたのは憲法上の権利行為であり、勾留の処分は萎縮効果をもつ。したがって比例原則に照らし、山城氏の70日間を超える勾留は相当ではない。以上に鑑みると、山城氏のこれ以上の勾留は「不当に長い拘禁」(刑訴法91条)であると解されねばならない。

山城氏の長期勾留は、従来から問題視されてきた日本の「人質司法」が、在日米軍基地をめぐる日本政府と沖縄県の対立の深まる中で、政治的に問題化したとみられる非常に憂慮すべき事態である。私たちは、刑事法研究者として、これを見過ごすことができない。山城氏を速やかに解放すべきである。

*呼びかけ人(50音順)
春日勉(神戸学院大学教授) 本庄武(一橋大学教授) 前田朗(東京造形大学教授) 森川恭剛(琉球大学教授)

*賛同人(50音順)
足立昌勝(関東学院大学名誉教授) 雨宮敬博(宮崎産業経営大学准教授) 石塚伸一(龍谷大学教授) 内田博文(神戸学院大学教授) 内山真由美(佐賀大学准教授) 梅崎進哉(西南学院大学教授) 大場史朗(大阪経済法科大学准教授) 大藪志保子(久留米大学准教授) 岡田行雄(熊本大学教授) 岡本洋一(熊本大学准教授) 垣花豊順(琉球大学名誉教授) 金尚均(龍谷大学教授) 葛野尋之(一橋大学教授) 斉藤豊治(甲南大学名誉教授) 櫻庭総(山口大学准教授) 佐々木光明(神戸学院大学教授) 島岡まな(大阪大学教授) 鈴木博康(九州国際大学教授) 関哲夫(國學院大学教授) 高倉新喜(山形大学教授) 豊崎七絵(九州大学教授) 新倉修(青山学院大学教授) 新村繁文(福島大学特任教授) 平井佐和子(西南学院大学准教授) 平川宗信(名古屋大学名誉教授) 福島至(龍谷大学教授) 福永俊輔(西南学院大学准教授) 松本英俊(駒澤大学教授) 水谷規男(大阪大学教授) 宗岡嗣郎(久留米大学教授) 村田和宏(立正大学准教授) 森尾亮(久留米大学教授) 矢野恵美(琉球大学教授) 吉弘光男(久留米大学教授) 他3人
*計 41 人(12月28日13:00 第1回集約)
(注) 引き続き賛同を呼びかけ、2017年1月中旬に次回集約の予定。
以 上

東京の教育現場における「日の丸・君が代」強制の実態。

本日は、東京「君が代」裁判第4次訴訟での原告7名についての本人尋問。東京地裁103号大型法廷で、午前9時55分開廷午後4時30分閉廷までの長丁場。充実した、感動的な法廷だった。

10・23通達関連の訴訟は数多いが、そのメインとなっているのが、起立斉唱命令違反による懲戒処分取消を求める「東京『君が代』裁判」。172名の1次訴訟から始まって、現在一審東京地裁民事第11部に係属しているのが4次訴訟。

2010年から2013年までの間に、17名に対して懲戒処分22件が発せられた。その内の14名が原告となって、19件の処分取消を求めている。なお、処分内容の内訳は、「戒告」12件、「減給1月」4件、「減給6月」2件、「停職6月」1件である。

主張の骨格として、第1に、公権力は、立憲主義の構造上、主権者に対して、国家象徴に敬意表明を強制する権限をもたないとする立論(「客観違憲」と呼んでいる)をし、また第2に、個人の権利侵害による違憲違法性として、憲法19条、23条、26条違反ならびに国際条約等に違背する(「主観違憲」)ことを主張している。さらに、本件各懲戒処分が裁量権を逸脱・濫用したものであることを主張している。

申請のとおりに原告13名の本人尋問が採用されて、本日(10月14日)7名、次回(11月11日)に6名の尋問が行われる。

本日7名の原告は、それぞれの立場から処分の違憲違法を基礎づける事実を語った。皆が、児童・生徒を主人公とし、それに向かい合う真摯な教育実践を語り、その教育理念と真っ向背馳するのが、「国旗国歌」ないし「日の丸・君が代」に象徴される国家主義的教育観であり、公権力による教育支配であると述べた。

ある者は、侵略戦争と植民地支配をもたらした戦前の教育の誤りを語り、その轍を踏んではならないとする思いから日の丸・君が代を受容できないとし、またある者は、教員としての良心において、生徒に国家主義を刷り込む行為に加担できないとし、またある者は生徒の前で面従腹背の恥ずべき行為はできないとした。

明らかになったことは、誰もが悩みなく不起立を貫いているのではないこと。多くの原告が、最初は不本意ながらも起立していたという。強い同調圧力と懲戒処分の威嚇効果からである。累積処分が職を奪うことになる恐怖心から不本意な起立を重ねたという原告がほとんど。しかし、やがて真剣に生徒に向かい合おうとする努力の中で、不本意な起立に訣別する。悩みながらも、自分を励まして、起立強制を拒否するに至る。問題の深刻さから体調を崩し、精神的なバランスを崩したりの葛藤の末にである。さながら、感動的な7本の人間ドラマを観ている趣だった。

また、各原告は「10・23通達」体制下で、教育現場がいかに変わったか。都教委の横暴が、現場をいかに荒廃させたかを語った。職員会議での採決禁止通達以来、教員集団の教育力は地に落ち、教員の情熱も自発性も責任意識も、既に大きく失われてしまったとの証言は生々しい。

私が主尋問を担当した教員は、不本意ながらも起立を続けたあと、大きな緊張と決意で不起立に転じた。しかし、5回の不起立は現認処分なく経過し、6回目から処分されるようになった。その後、現認と処分が繰り返され、3度の戒告処分を受けたあと、2度の減給処分を受けている。

この教員は次のように述べている。
「反省なく、不起立を繰り返せば処分を重くするのは当然、という考え方には同意できません。一般的な非違行為であれば、反省を欠くとして繰り返しの処分が重くなることは理解できます。しかし私は、自分の思想や良心に照らして、起立できないのです。非違行為といわれること自体も不本意で、反省の色が見られないと言われても反省のしようがありません。」

「もちろん戒告も納得できませんが、4回目と5回目の処分が戒告ではなく減給になっていることについては、どうしても納得できません。私の思想や良心は不可分の一個のものです。何回目の不起立であろうとも、職務命令に従えなかった理由は、同じ一個の思想・良心に基づくということです。ですから、私の思想良心が変わらない限り、同様の状況で職務命令が出されれば、結果として何度でも不起立とならざるを得ません。私に、『反省して起立せよ』というのは、思想や良心を変えろ、あるいは屈服せよ、ということです。減給処分は、そういう脅しにほかなりません。」

次回(11月11日)午前9時55分から午後4時30分まで、6名の原告尋問が、同じ103号法廷で行われる。関心おありの方には是非傍聴をお薦めする。いま、この社会で、東京の教育現場で起こっている現実が語られる。貴重な体験となると思う。
(2016年10月14日)

まず恒産を確保して、しかる後に恒心を発揮しよう

本日(9月25日)は、開業医共済協同組合の総代会準備の理事会に出席。
総代会に提案の議案書冒頭に、「事業の基本方針」が高らかに宣言されている。

1.開業医共済協同組合は開業医として国民の命と健康を守る立場にあり、共済協同組合として、国民の協同の力で共済制度の解体を狙うアメリカと日本の金融資本の横暴を阻止し、何よりも人間として平和と自由を希求するものである。その立場から、これらの政治の動きに警鐘を鳴らし、開業医の経営と生活を守り、協同の理念を広げる当組合と制度の発展に尽力する。またそのことによって開業医運動の未来を示す役割も果たす。
2.国民の生存権確保を目的とする社会保障の一翼を担って、第一線の医療現場で医療を給付している開業医には、ひとたび病気やケガで自院の休業を余儀なくされたときに医業再開のための公的休業保障は無く、当組合は「国民医療の改善」「開業保険医の経営を守る」という保険医運動の基本方針と「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という協同組合の基本原則に則り、共済事業をさらに発展させていくために、保険医団体はじめ関係団体とともに協力・協同して活動する。
3.当組合は、医師・歯科医師自身が作った組織であるという株式会社等にはない共同体組織としての「優位性」を備えている。医療機関の経営を下支えすること、開業医共済休業保障制度の共済基盤を安定させることの2つの課題を正面に据え、組合員の立場に立った制度共済を提供・充実させるために、組合員の知恵と共同の力に基づいて事業を推進する。

なお、この議案書案の中には、医療を取り巻く情勢として、「憲法破壊に対峙し、平和を求める国民による明確な意思表示」の一項目が明記されている。

この議案書に通底するものは、「恒産無くして恒心無し」という現実主義である。「医師が、国民の命と健康を守るという使命を果たすには、まずもって自身の経営の安定が必要だ」というリアリティ。極めてわかりやすい。

弁護士も似たようなもの。人権と社会正義に奉仕するという弁護士本来の任務を全うするためには、弁護士が裕福である必要はないが、経営の安定が必須の要件なのだ。このことを軽視してはならない。弁護士の不祥事の多くは過当競争による弁護士の貧困に起因する。個人的な資質をあげつらうだけでは解決にならない。俗世では、「貧すりゃ鈍する」というとおりである。

孟子の「恒産無くして恒心無し」は、「恒産無くして恒心有る者は、ただ士のみ能くする」とセットをなしている。弁護「士」にしても、医「師」にしても、社会的使命を全うするためにやせ我慢せよ、とは言いがたい。世に「赤髭」はいるが常に稀有の存在でしかない。人権派弁護士も自己犠牲を求められれば、圧倒的に少数派とならざるを得ない。

実は、医師や弁護士に限ったことではない。「恒産無くして恒心無し」「衣食足りて礼節を知る」「貧すりゃ鈍する」は刑事政策の基本ではないか。犯罪をなくすためには、貧困をなくし、すべての人に生活の安定を保障することのはず。いや、国際紛争の多くが、経済格差や貧困から生じているではないか。

開業医共済協同組合は、まずは医師・歯科医師の共助によって自らの経営と生活の安定を確保し、その上で後顧の憂いなく自らの職業的使命を全うしようというのだ。企業による保険ではなく、献身的なボランティア理事による共済事業として今順調に発展中である。
関心ある方は、下記のURLをご覧いただきたい。
  http://www.kaigyouikumiai.or.jp/
(2016年9月25日)

転向を強要してはならない。良心に鞭打ってはならない。ー「服務事故再発防止研修」強行に抗議する。

本日、服務事故再発防止研修受講を強いられているT教諭を代理して、代理人弁護士の澤藤から抗議と要請を申しあげる。直接には、東京都教職員研修センター総務課長に申しあげるが、抗議と要請の相手は、東京都教育委員会と都知事だ。これから申しあげる抗議と要請の趣旨をよろしくお伝えいただきたい。

T教諭は、今年(2016年)3月、勤務先の特別支援学校卒業式において「君が代」斉唱時の不起立を理由として懲戒処分(減給10分の1・1月)を受けた。これは、憲法に保障された「思想・良心の自由」と「教育の自由」を蹂躙する暴挙と言わざるをえない。少なくとも、懲戒権濫用として取り消しを要する違法な処分だ。

あらためて申しあげるまでもなく、すべての人は、それぞれ固有の精神生活をもっている。この精神生活の核心にあるものを憲法は、「思想」あるいは、「良心」と表現している。人が人であるために、自分が自分であるために、けっして譲ることのできない、思想と良心とが誰にもある。もとより、その思想および良心は自由でなくてはならない。国家に思想や良心の持ち方に関して、干渉される筋合いはないのだ。

憲法19条が、「思想および良心の自由はこれを保障する」とわざわざ定めたのは、戦前のウルトラ国家主義時代の反省に基づくものである。この時代、天皇を中心とする國体思想が国家公認のイデオロギーとされ、国民にはこの国家公認のイデオロギー受容が強制された。一方、これに反する多様な思想や良心が強権的に排斥された。

とりわけ、国策である富国強兵と植民地拡大に反対する思想や良心は権力に不都合として、徹底した弾圧を受けた。平和を唱え、民族の独立を支援する思想や良心には、非国民・国賊という悪罵が投げかけられた。記憶すべきは、この忌まわしい時代にも、思想や良心の自由をかけがえのないものとして、飽くまでこれを守り抜こうと、権力に抗って弾圧の犠牲となった少からぬ人びとがいたことである。

この、思想・良心や信仰が乱暴に蹂躙された苦い経験の反省の上に、戦後ようやく日本国民は憲法19条を手にしたのだ。けっして、これを絵に描いた餅にしてはならない。思想や良心をむち打つようなことをしてはならない。誰のものであれ、思想や良心を傷つけてはならない。公権力が、特定の思想を価値あるものとしてこれを国民に押しつけ、他方、特定の思想を嫌って、その思想からの転向を迫るような、野蛮なことをしてはならない。

とりわけ、学校で再び国家主義を鼓吹する教育を強行してはならない。教員に対して、ナショナリズムや愛国心を強制するような形で、教員の思想良心を蹂躙するようなことがあってはならない。

T教諭が「日の丸」の前で起立して「君が代」を歌うことができなかったのは、「日の丸・君が代」をかつての侵略戦争や植民地支配のシンボルとして捉えているからだ。あまりに深く、忌まわしい戦争と民族差別に結びついたこの旗とこの歌。これに敬意を表することは、結局のところ侵略戦争や他民族支配に、無自覚・無反省であることを意味することにほかならない。そのことは、国内外の多くの人びとの平和に生きる権利を否定することであり、民族差別を肯定することでもあって、到底、起立斉唱などなしうるものではない。

また、教師である自分が生徒の前で「日の丸・君が代」に起立斉唱することは、生徒に対する「日の丸・君が代」への敬意表明強制に加担することとして、教師としての良心が許すところではない。

T教諭は、自分の思想と、教員としての良心に恥じない姿勢を貫こうとしたのだ。日本国憲法は、このような国民の思想・良心の自由を尊重せよ、侵害してはならないと、公権力に命じている。だから、東京都教育委員会は、T教諭を、その思想・良心に基づく行為に対する偏狭な政治的・社会的圧力から擁護しなければならない。

ところが、都教委はまったく正反対のことをしている。思想・良心にしたがった真面目な教員を擁護するどころかこれを処分し、あまつさえ、これに追い打ちをかけてT教諭に「服務事故再発防止研修」という名目で、思想・良心の転向を強要しているではないか。

都教委と研修センターとは、自己の思想・良心を貫いたT教諭に、いったい何を研修せよ、何を反省せよ、というのか。

日本の行った侵略戦争と植民地支配が、実は正しいものであったと歴史観を変更せよ、というのか。侵略戦争を唱導した天皇制国家に誤りはなかったと認めよ、というのか。戦争や植民地支配を正当化した、日本の優越意識や民族差別を肯定せよというのか。あるいは、教育公務員である以上は、唯々諾々といかなる職務命令にも無批判に従えというのか。教室においては、自らの思想や良心の一切を捨てよ、というのか。思想や良心は捨てなくてもよいから、面従腹背の生き方を教師として子どもたちに模範を示せというのか。あらためて、「再発防止研修」の強行に満身の怒りを込めて抗議する。

服務事故再発防止研修には、2004年7月の司法判断がある。「研修執行停止申立に対する東京地裁決定」で、担当裁判官の名を冠して、「須藤決定」と呼ばれているものだ。

須藤決定はこう言っている。「繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容される範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性があるといわなければならない」

違法の要素とされているものは、「繰り返し同一内容の研修を受けさせ」ること、「自己の非を認めさせようとする」ことである。T教諭は、確固たる自己の思想と良心に基づいて起立斉唱を拒否している。「繰りかえし同一内容の研修を受けさせる」とは、研修実施者において、服務事故とされている被研修者の行為が、実は被研修者の思想・良心にもとづく行動だと分かったあとも、研修を継続するということを意味する。思想や良心に基づく行為に対して、「自己の非を認めさせようとする」ことは許されないのだ。

T教諭に対する、同じ研修の繰りかえしは今日が4度目だ。もはや研修の名による追加処分以外のなにものでもない。既に、研修の名による、転向強制となっているではないか。

古来より、「我が心 石にあらざれば 転ずべからず」「我が心 蓆にあらざれば 巻くべからず」と言われるとおり、思想や信条、良心や信仰というものは、容易にうごかすことはできない。取り去ったり、形を変えることもできない。人が人であり、自分が自分であるための精神の核心に位置するものなのだから、公権力がこれを動かそうなどとしてはならないものなのだ。

本日、あなた方は、T教諭をここ研修センターに呼び出して、いったい何をしようというのか。けっして、教諭の思想を弾劾してはならない。良心をむち打ってはならない。憲法に反する行為に加担することのないよう、厳重に抗議と要請を申しあげる。
(2016年8月29日)

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