澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

60年安保闘争、あれから60周年。

(2020年6月23日)
1960年6月23日が、現行日米安全保障条約発効の日である。旧安保に代わる改定新安保は、文字どおりの国民的な大反対運動を押し切って成立した。全国津々浦々に満ちた「安保反対」「岸を倒せ」の声は、政権を担う者の心胆を寒からしめたが、参院での条約承認の議決できないまま、6月19日自然成立となった。そして条約発効6月23日、岸信介首相は混乱の責任をとって退陣を表明した。あれから60年である。

当時私は片田舎の高校2年生。周囲に安保反対を熱く語る人はなく、安保闘争高揚の意味はよく分からなかった。6月15日における樺美智子の死を報じる新聞紙面の興奮は覚えている。安保反対の運動が反戦平和を求めていることくらいの認識はあったが、安保条約のもつ対米従属性やその平和への危険性、あるいは条約と憲法との矛盾などへの理解はほとんどなかった。

その後、上京して進学すると、学内には安保闘争を直接に体験した上級生の、安保を知らない下級生に対する優越感らしきものを意識した。戦後ならぬ「安(保)後世代」という言葉もあった。安保闘争は偉大な大衆運動だった。続く若者たちに、政治的スローガンを掲げて街頭に出ることには何の抵抗もなく、政治文化として定着していた。

当時の学生や労働者にとって、好戦的な帝国主義アメリカと、これと結ぶ従属国日本支配層の不正義は自明のことであった。世界は、東西両陣営と両者に与しない第三世界とからなっていた。帝国主義陣営とその対抗勢力の拮抗を中心に地球は回っていた。日本は、平和国家としての国是をもっている以上、帝国主義陣営に組み入れられることを拒絶しなければならない。

国民を不幸のどん底に陥れたあの戦争を繰り返そうという輩が日本の再軍備を企てて違憲の自衛隊を育て、さらにはアメリカの手先となって自衛隊を極東の防衛に使おうとしている。これが当時の若者の常識であった。日米新安保はそのような日米の戦略の法的な根拠である。安保条約は、日本全土を米軍基地として提供する根拠となり、米軍とその指揮下にある自衛隊とが危険な軍事挑発をしょうとして、東側勢力を挑発している。

のみならず、日米新安保は、経済協力の名で、日本が経済的にアメリカに従属する体制を作り出した。政治的にも日本がアメリカの目下の同盟者になることの誓約でもあった。

多くの同世代の学生と同様、私もすんなりと、以上のように思った。1970年になれば、安保は通告することで平和裡に廃棄できる。安保を廃棄して日本を独立させることで、自主的な全方位平和外交展開の途が開けることになる。そのとき、自主防衛などという名目で日本の軍国主義を復活させてはならない。安保廃棄と並んで、自衛隊の解消ないし削減も、大きな政治課題となる。安保と自衛隊をなくして初めて日本国憲法が花開く。これが当時の常識だった。多くの学生や労働者が、シンプルにそう考えていた。だからこそ、あの国民的大闘争が展開されたのだ。

ところが、その後の事態は、予想したようには進展してこなかった。あの頃、政府がどう弁明しようとも、裁判所が何と言おうとも、安保も自衛隊も違憲が常識だった。ところが今はどうだ。安保も自衛隊もあって当然、安保と自衛隊のどこが問題なのか、いったい何が問題かという世の風潮。

60年安保闘争は戦後15年目のこと、戦争の惨禍への国民的な体験生々しい時代を背景としていた。あの時代、人々は何よりも平和を求め、再びの戦争の恐れに極めて敏感だった。そのことが、学生運動にも労働運動にも反映していた。

その後、憲法を学ぶようになって、二つの法体系論を心に刻んだ。日本国憲法体系と安保法体系の二重構造。両者は矛盾し、現実には安保法体系が日本国憲法の最高法規性を侵奪している。60年間、この構造が変わらない。

60年安保闘争時、学生運動も労働運動も力量を持っていた。運動に携わる人々だけでなく、多くの若者たちが自ずから反権力であった。その後の10年ないしは20年ほど、個人史的には私の青年時代には、そのような風潮であったと思う。未来は若者の手にあり、労働運動の発展が、世の中を変えるだろうと楽観していた。今、そうなっていないことを残念に思う。しかし、だからといって失望もしていない。社会の質が変わるには、長い時間が必要なのだ。

そして今日はもう一つ。敬愛する吉田博徳さんの99歳の誕生日である。吉田さんは、目出度く白寿を迎えた。昨日の赤旗に、60年安保当時の運動の経験を語っておられた。その年齢が(99)としてあったが、これは間違い。「年齢計算ニ関スル法律」によれば、1921年6月23日生まれの吉田さんは、昨日までは98歳。晴れて本日が99歳である。

お祝いの電話をして、すこしお話しした。すこぶるお元気である。最後に言われたのが「私はこの頃、一番大切なものは人権だと思うようになりました」という言葉。続けて「憲法がいう『個人の尊厳』ですね。国内もそうだけど、中国や北朝鮮を見ていると何とかしなければという気持ちになります」とのこと。背筋を伸ばして、肝に銘じた。

小池都知事よ、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への嫌がらせをやめよ

小池百合子・小池都政にガマンがならない理由のひとつに、その頑なな歴史修正主義の姿勢がある。浜矩子が言うとおり、「安倍政治と小池政治は全く瓜二つ」である。かつての日本が近隣諸国の民衆に何をしてきたかについて、真摯な認識の意欲をもっていない。口先だけはダイバーシティ(多様性)を標榜しながら、民族的少数者への配慮はない。ヘイトスピーチをこととする人物や集団を拒絶する潔癖さがない。

その象徴的な出来事が、「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への対応である。1973年の第1回追悼式典以来、歴代の都知事が追悼文を送ってきた。人間としての心あれば、当然の行為というべきだろう。あの、右翼・石原慎太郎でさえも欠かしたことがない。にもかかわらず、小池百合子はこの追悼文の送付を辞めた。極右の都議会議員・古賀俊昭の議会での質問に呼応してのことである。

そればかりではなく、今年は、式典の主催者に不当な誓約書の提出を求めるに至っている。この誓約書の提出なければ、会場の使用許可をしないというのだ。これまで式典が荒れたことも、問題を起こしたこともないのに、である。歴史的な事実の重み、これまでの追悼式の経緯、誓約書の内容と効果などに鑑みれば、小池知事の追悼式典への不当な嫌がらせとしか考えられない。

以下は、5月18日付の「追悼式典実行委員会」声明、そして、本日(5月28日)付「自由法曹団東京支部」声明である。ぜひ、お読みいただきたい。

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声     明

2020年5月18日
9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
実行委員長 宮 川 泰 彦

 9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会(以下、当実行委)は、東京都立横網町公園内に建立されている朝鮮人犠牲者追悼碑前で、毎年9月1日、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典を執り行っている。
横網町公園は、1930年に関東大震災の犠牲者を追悼することを目的として開園した「慰霊の公園」である。朝鮮人犠牲者追悼碑も、こうした公園の趣旨に合致するものとして、関東大震災50年を迎えた1973年(昭和48年)に当時の都議会全会派の幹事長も参加する建立実行委員会によって建立され、都に寄贈されたものである。
当実行委は、碑が建立された1973年以降、毎年、都との事前打ち合わせを踏まえ使用許可を得て、厳粛且つ平穏に追悼式典を執り行ってきた。式典には、小池都知事が取り止めるまでは歴代の都知事から追悼文が送付され、近年では総理大臣経験者やソウル市長、宗教者や学者などからもメッセージが寄せられるようになった。また昨年(2019年)は700人が参列するなど、虐殺犠牲者を悼み、二度と繰り返すまいと誓う場として、広く認められるようになっている。
そして、この追悼式典が、公園管理に関わる大きな問題を指摘されるようなことは、これまでなかった。
ところが昨年9月以降、東京都は、2020年の追悼式典使用許可申請に対して、使用許可条件について整備中だとして、当実行委の申請受理を3回にわたり拒否し、12月24日には、「横網町公園において9月1日に集会を開催する場合の占有許可条件について」(以下、「条件」)と題する文書を当実行委に示してきた。
それによると、毎年9月1日の横網町公園では、「関東大震災に関連した追悼行事等の集会に関する占有許可申請が複数」あり、昨年は「集会参加者によるトラブルが発生」したため、公園利用者の安全のために条件を付すこととしたという。「複数」とあるように、「条件」は、9月1日に横網町公園で式典や集会を行うすべての団体に向けられたものである。
「条件」の具体的な内容は、「公園管理上支障となる行為は行わない」「(都の大法要と重なる時間は)拡声音量装置は使用しない」「(集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とすること」などである。
問題なのは、東京都が、これを遵守する旨の都知事宛ての誓約書を提出することを求めていることである。しかも、この誓約書には「下記事項が遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」とある。
こうした内容の誓約を求めることは、本来自由・自主である集会運営を萎縮させる恐れがある。そもそも一般通念上、誓約書を書かせるというのは非常に重い要求である。まして、式典を中止させられたり不許可にされたりしても「異存ありません」との誓約を求めるのは、よほどのことである。ところが当実行委は、都が示したような「公園管理上支障となる行為」等を行ったことはないのである。
当実行委は、今年2月、「条件」が示す一つ一つの内容について、朝鮮人犠牲者追悼式典がそれに反する行いをしたことはあるかと文書で質した。すると、都は、そのすべてについて「今回設けた条件に概ね合致している」として、「今後も、概ね昨年同様の式典を開催いただけると考えております」と、文書で回答した。追悼式典のあり方には従来のままで基本的に問題がないというのである。だとすればなおさら、当実行委に誓約書の提出を求める必要性も合理的理由も見当たらない。なぜ当実行委が、このような誓約を、都知事に対して行わなければならないのか。
都の要請の背景には、2017年より、朝鮮人犠牲者追悼式典と「同日同時刻」にあえてぶつけるかたちで、同じ横網町公園内で行われている、右翼団体「そよ風」主催の「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」と称する集会がある。毎日新聞動画ニュースサイトが「追悼の場に『ヘイトスピーチ』 9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式典」と伝えたように、この集会では、「不逞朝鮮人」が「震災に乗じて略奪、暴行、強姦」を行い、「日本人が虐殺されたのが真相」だなどと演説し、さらに拡声器を故意に朝鮮人犠牲者追悼式典の方向に向け、それを大音量で流すといった、まさに「トラブル」を引き起こしている。
東京都が示した「条件」の内容は、東京都自らが文書で回答したとおり、追悼式典については全く問題にならないものだが、一方、「そよ風」の行動についてはその多くが当てはまる。この「条件」は、「そよ風」主催の集会を念頭に置いたものだと理解できなくもない。
しかし、だとすればなぜ「そよ風」に対して個別に問題行動について注意するのではなく、何の瑕疵もない当実行委とセットにして、双方に誓約書を書くことを求めるのか。
なぜ、震災時の虐殺犠牲者を「不逞朝鮮人」と貶めることを目的として現にトラブルを惹起している集会と、震災時の朝鮮人虐殺犠牲者を厳粛に追悼してきた式典を同列に扱い、集会を中止させられたり不許可にされたりしても「異存ありません」などと誓わせるのか。「慰霊の公園」という横網町公園の趣旨に照らして、都の意図に対する疑念は膨らむばかりである。
当実行委は、今後も毎年、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典を厳粛に執り行っていく。東京都に対しては、2020年9月1日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典開催に関する当実行委の占有許可申請を直ちに受理すること、および、当実行委に対する前記誓約書要請を撤回し昨年までと同様の占有許可を速やかに行うことを、強く求めるものである。

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9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典の開催につき不当な誓約書の提出を条件とすることを撤回し、占有許可を求める声明

自由法曹団東京支部は、自由法曹団(1921年創立、憲法と人権、平和と民主主義の問題にたずさわる弁護士が約2000名以上加入し、全都道府県で活動している団体)の東京支部として、都内の約460名の弁護士が結集している団体で基本的人権の擁護、平和・民主主義の発展を目指し、諸活動に取り組んでいます。
9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会が毎年9月1日に開催している関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典につき占有許可の条件として提示した誓約書の提出要求を撤回するよう求めます。

趣  旨

東京都は9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典の開催場所である東京都立横網町公園の占有許可申請に対して実行委員会に提示している占有許可の条件(「公園管理上支障となる行為は行わない」「(都の大法要と重なる時間は)拡声音量装置は占有しない」「(集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とする」、「遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」との内容の不当な誓約書の提出を占有許可の条件とすることを撤回し、同委員会へ直ちに占有許可してください。

理  由

本追悼式典は、関東大震災時に殺害された朝鮮人犠牲者を追悼するものであり、虐殺犠牲者を悼み、二度と繰り返すまいと誓うものです。朝鮮人が武装蜂起や放火をするといったデマで、自警団や軍隊、警察による殺傷事件が起き、中央防災会議の報告書は、朝鮮人らの犠牲者数は約十万五千人であり、震災死者の「1~数%」と指摘しています。こうした悲劇を踏まえ、横網町公園に1973年、朝鮮人犠牲者追悼碑が建立され、40年以上追悼式が行われてきました。式典は毎年厳粛に静かに執り行われており、管理上の支障や混乱が生じたことは全くありません。
今回の都による異例の条件付与は、朝鮮人虐殺を否定する団体が2017年から追悼式と同時間帯に「慰霊祭」を開くようになったことがその要因であると考えられます。都は誓約書の提出を要求する理由として、2019年追悼式典の会場付近でトラブルが生じたことを挙げていますが、「不逞朝鮮人」などの言葉で犠牲者を貶め、静謐であるべき追悼の場を妨害する者の言動は、東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例に定める不当な差別的言動(ヘイトスピーチ)に該当することが明らかであり、このような団体と本追悼式典との双方に混乱の原因があるかのようにいう行政の対応は、本追悼式典を妨害する団体を不当に利するものというほかありません。
小池百合子都知事は、歴代の都知事が行ってきた式典への追悼文の送付を取りやめ、また、追悼碑にある犠牲者数などについてはさまざまな意見があると述べて明白な虐殺についても諸説あるかのような極めて消極的な姿勢を示しています。関東大震災の朝鮮人虐殺が事実であることは明白であるにもかかわらず、「虐殺否定論」に利する態度をとることは、悲劇を繰り返すまいと積み重ねてきた東京の追悼の歴史が、壊されてしまいかねないものと憂慮します。
自由法曹団東京支部は、東京都に対し、2020年9月1日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典開催に関する主催団体の占有許可申請を直ちに受理すること、主催団体に提示した誓約書要請を撤回し昨年までと同様の占有許可を速やかに行うことを強く求めます。
2020年5月28日

自由法曹団東京支部
支部長 黒岩哲彦

(2020年5月28日)

「絶対おもろい! 新型コロナいろは川柳」

青年法律家協会議長の北村栄さん(名古屋)のご紹介。「絶対おもろい!新型コロナいろは川柳」。「(青法協)あいち支部の平松清志弁護士が、コロナに関しての「いろは川柳」を作り、あいちのMLに流してくれました。会員も多士済々ですね。本当に笑え、気分転換にうってつけ」という触れ込み。

平松清志です。
地元の9条の会(野田・荒子9条の会)の定例街宣も世情に鑑みて中止となったので、代わりにブログで宣伝しようと、暇に任せて いろは川柳を作ってみました。

 いつまでも続く「瀬戸際」「正念場」

 ロックダウン街が死んでるオレも死ぬ

 橋下は微熱だけでも検査受け

 ニッポンはもはや先進国じゃない

 防護服足りずに代用?雨合羽

 変だよね 検察人事と 安倍政権

 トランプと安倍が愚かさ競ってる

 ちょっと待て 不要不急の 悪法案

 理屈なし その場限りのやったふり

 布マスク400億の無駄遣い

 留守番の子どもを襲う侵入者

 ヲタクらはランサーズからの回し者?

 ワクチンができなきゃ続くパンデミック

 閣僚もアベノマスクは着けてない

 4日間待ってコロリと逝くコロナ

 台湾と韓国 先に収束よ

 蓮舫や辻元disるデマ右翼

 葬式もまともに出せぬ感染者

 too late too littleだよ政府案

 ネトウヨのヘイトスピーチ許すまじ

 なんで今 オリンピックに固執する?

 ランドセル背負うことなく夏は来ぬ

 無理だよね 電車でソーシャルディスタンス

 ウソばかり大本営発表NHK

 ヰ(ウィ)ルスに感謝捧げる安倍昭恵

 能天気 アベは自宅で猫を抱き

 怖ろしや院内感染続々と

 クラスター追えど探せど患者増え

 雇い止め、首切り続くコロナ不況

ま まだ辞めぬ河井夫婦は雲隠れ

 憲法を知らぬ首相の暴走だ

 ファシズムの音が聞える緊急権

 国難はお前だ無能安倍政権

 依怙贔屓はびこる国は破滅する

 テレワークできぬ現場だ 俺たちは

 安倍辞めろ麻生も辞めろ菅辞めろ

 三密を避けられないよ保育所は

 記者会見 台本ありきの朗読会

 行き場なし DV被害者 増え続け

 目に見えぬ敵は見ぬふり「専門家」

 身に迫る医療崩壊 無策ゆえ

 しばらくはステイホームだ ひきこもり

 ヱ(ウェ)ブ会議 やりたいけれど どうやるの?

 PCRやらなきゃ増えぬ感染者

 モリカケも桜も辺野古も忘れない

 世界中物笑いだぜゴミマスク

 スシローも岩田明子も見たくない

 んだどもさ なじょして死んだ 志村けん

 

なるほど、本当によくできている。なるほど、絶対に面白い。

作者の平松清志弁護士(愛知県弁護士会所属、高畑アクセス法律事務所)のプロフィルは、下記のとおり。

名古屋南部法律事務所に23年間所属し、労働事件(東海銀行差別事件、日立 製作所差別事件)、刑事冤罪事件(山中事件、名張事件)、消費者事件(原野商法事件)等を担当。これまでに担当した法律相談は6000件以上に上る。弁護士会では、人権擁護委員会両性の平等部会長、法律相談センター運営委員長を歴任、東海労働弁護団幹事。

http://www.t-access.jp/index.html

(2020年5月2日)

コロナ風吹きすさぶ中での「ズーム」会合

コロナ禍は、確実に生活のスタイルを変える。その一つが、対面のコミュニケーションから、オンラインのコミュニケーションへの変化である。弁護団会議も市民団体の会合も様変わりだ。

本日(4月20日)、ズームを使っての2時間枠の会合が二つ。自宅にいながらの参加なのだから、何ともありがたい。不器用な私も、ようやくこの会議のやり方に慣れてきた。互いに離れた人びとの参加が容易になるし、交通の時間と費用が節約できる。これは、事態が平常に戻っても続くことになるだろう。もしかしたら、人口の一極集中の弊を解消する切り札になるかも知れない。

ところで、本日の会合は二つとも、気心の知れた仲間内のものだった。話は自ずとコロナ禍の問題となる。事態の打開が見えて来ない現状がもどかしくも重苦しい。が、それだけでない。この事態を乗り切るための国家の手法のあり方がより重要ではないか。その手法如何は、国家や社会の基本原理を転換しかねない。いつになるかはともかく、コロナ禍はいずれ収束する。しかし、この災厄を逃れるために必要として変えられた社会は、もしかしたら元に戻れなくなってしまうかも知れないのだ。

今進行しつつあるパンデミックの進行を阻止し解消するためには、人と人との接触を避けなければならない。あるいは、感染者から感染経路をたどらねばならない。その必要性は避けがたいことだ。

その実効的手段として最も手っ取り早いのが、権力的統制である。国民に、集会を禁止し外出を禁止し、スポーツや歌舞音曲の場をなくしてしまう。その強制の実効性を担保するためには実力行使を辞さない。そしてもう一つが、事実と道理を説くことによって国民を説得し、自発的な行動規制を求める手法である。こちらは、手ぬるく迂遠な印象を持たれがちである。

現実には両者の手法が折衷することになるが、中国が統制型の手法を用いて前者のモデルの成功例となりつつある。これは恐ろしいことだ。国家が全国民の行動履歴や健康状態を把握することは、かつては望むべくもない不可能事であった。今は、それが容易なことになり、現実化している。「1984年」のデストピアの出現である。

正常な国民感覚は、国家のプラバシー侵害を忌避する。ところが、このパンデミックの非常事態の恐怖は、多くの国民に「権力に無限の権限を」「プライバシーよりは生命の安全を」という感情を醸成させる。

私たちが、今もたねばならないのは、このような国民に届く説得力をもった言葉である。そのことに、誰も異議がない。

しかし、そこから先の具体策については、よく分からない。意見が一致しない。まだ、先は長そうだ。本日のズームの会合では、問題の整理ができただけでも収穫であったとしよう。
(2020年4月20日)

DHCスラップ反撃訴訟控訴審判決理由の素晴らしき判断 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第176弾

3月18日(水)に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審判決。一審判決も会心の内容だったが、控訴審判決はさらに素晴らしいものとなった。これを不服としたDHC・吉田嘉明は、上訴期限最終日の4月1日(水)に、最高裁宛の上告状兼上告受理申立書を原審裁判所(東京高裁)に提出した。

4月7日(火)、東京高裁第5民事部から私宛に、上告提起通知書・上告受理申立通知書の特別送達があった。5月28日が、上告理由書・上告受理申立理由書の提出期限となる。

DHC・吉田嘉明が不服とする控訴審判決の主文は、「(DHC・吉田嘉明両名は連帯して、澤藤に対して)165万円を支払え」とするだけの素っ気ないものであるが、その判決理由において、DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法を一審以上に明確に認めている点で、私にとって極めて満足度の高いものとなっている。

言うまでもないことだが、『スラップ訴訟の提起を受けて被告の立場で闘って請求棄却の勝訴判決を得ること』と、『スラップを違法と主張してスラップの張本人に損害賠償請求の『反撃』訴訟を提起して勝訴判決を得ること』とは、ハードルの高さが決定的に異なる。

スラップをかけられれば、売られたケンカ」として受けて立たざるを得ない。しかし、圧倒的にハードルの高い『反撃』訴訟を提起することには、誰しも躊躇を感じるところ。万が一にも高いハードルを乗り越えられないときのデメリットの影響を慮ってのことである。さらに、その背景には現在の裁判所への不信がある。判例の傾向が決して表現の自由という民主主義社会の根幹をなす大原則の擁護に親和的とは思えないのである。

私の場合も、『DHCスラップ訴訟』の判決が勝訴として確定したあと、直ちにDHC・吉田嘉明に対する『反撃訴訟』を提起したわけではない。いずれ時効完成までにはと思いつつも、煩わしい訴訟の提起には躊躇がなかったわけではない。ところが、DHC・吉田嘉明の方から、債務不存在確認訴訟の提起があって、2度目の「売られたケンカ」を買わざるを得ない立場となり、結果として満足すべき一審判決を得るに至った。

そして、『反撃』訴訟の一審判決に満足した私は、弁護団の意見もあって、敢えて控訴を見送った。DHC・吉田嘉明にとっては、わずか110万円の給付判決。これで確定するだろうという思いが強かった。ところが、DHC・吉田嘉明は控訴した。言わば、3度目の「売られたケンカ」である。私は、附帯控訴して一審以上に満足すべき控訴審判決を得た。

以上のとおり、この極めて満足すべき控訴審判決は、半ばはDHC・吉田嘉明の提訴・控訴のお蔭で獲得に至ったものなのだ。具体的には以下のとおりである。

DHC・吉田嘉明が、私のブログを名誉毀損と決めつける理由の最たるものは、以下のとおりである。

「控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が主張する(吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円貸付の)動機は,《脱官僚,規制緩和を掲げる政治家を応援するために8億円を貸し付けた》というものであるのに対して,被控訴人(澤藤)は、貸付動機を《金儲けのためだと断定している》ことが名誉毀損である。」

この8億円という巨額の裏金(政治資金収支報告書にも、選挙運動収支報告書にも未記載)の貸付動機についての私のブログでの記載が、DHC・吉田嘉明のいう「名誉毀損」言論であった。私はこう言ったのだ。6年前のブログの一部をそのまま抜粋する。

吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。
この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。(2014年3月31日)

この点を反撃訴訟の控訴審・秋吉判決は、こう判断している。

「控訴人吉田自身が,
平成20年3月27日付け日本流通産業新聞への特別寄稿において,控訴人会社の創業以来成長のー途をたどってきた健康食品市場の停滞につき指摘し,その主要な原因が厚労省による監視の強化にある旨を述べた上で,その解決のため,健康食品に関する議員立法を目指す国会議員の動きにつき「先生方には藁にもすがりたい思いである」として,立法による解決を期待する旨の意見を表明していたこと,

本件手記において,控訴人会社の主務官庁(厚労省)による規制が煩わしいものであったことを述べ,官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革であり,それを託せる人こそが私の求める政治家であると述べて,脱官僚を主張し,行政改革に取り組む渡辺議員と意気投合し,その選挙資金融資の依頼に応じて8億円を貸し付けたこと,

その後渡辺議員と決別したが,その志を援助するために行った貸付の意義についてもう一度彼自身に問うてみたいと記載していたことに照らせば,

本件貸付の動機,目的は,窮極的には規制緩和を通じて控訴人会社(DHC)の利益を図るものと推認できるのであって,仮に本件各記述が本件貸付の動機についての事実を摘示したものであったとしても,これが真実に反するということはできない。(中略)

前示のとおり,被控訴人(澤藤)の本件各記述が,いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること

それにも関わらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し,その請求額が,当初合計2000万円,本件ブログ4掲載後は,請求額が拡張され,合計6000万円と,通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと,

控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば,その内容からして,本件各記述のような意見,論評,批判が多数出るであろうことは,控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ(なお,前件訴訟の提訴前に,控訴人らの相談に当たった弁護士から,本件貸付が規制緩和目的のためなのか,私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。),控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,それに対し,言論という方法で対抗せず,直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること,

ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し,判決に至ったものは,いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては,控訴人らの損害賠償請求が認応られずに確定していることからすれば,

前件訴訟(DHCスラップ訴訟)等の提起前に控訴人会社(DHC)の担当者と弁護士との間で訴訟提起等に関する相談がされたこと等を考慮しても,前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり,不法行為と捉えたとしても,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。

したがって,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は,請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに,あえて訴えを提起したものとして,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ,被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。

まことに胸のすく判決理由の説示である。これなら、スラップ訴訟を提起された言論人は、勇気をもってスラップ訴訟の提起者に対して、反撃訴訟を提起できるではないか。私は、素晴らしい判決であると思う。DHC・吉田嘉明は、あらためてこの判決をよく噛みしめて、自分のしたことの誤りを反省しなければならない。
(2020年4月10日)

「こんな日本に誰がした」 ー いま、切実に問わなければならない。

本日(3月25日)の毎日新聞第8面「みんなの広場」欄に、市民感情を代表する投書が掲載されている。タイトルが、「こんな日本に誰がした」というもの。大阪の主婦・岡田マチ子さんの叫ぶがごとき文章である。

このタイトルだけでおよその見当がつく。「こんな日本」とは、「ウソとゴマカシが横溢し、正直者が苦しむ日本」である。「誰がした」か? 今さらいうまでもなく、「ウソとゴマカシが横溢した、こんな日本のトップ」である。もっとも、この『誰』は、一人とは限らない。投書は2人の名を挙げている。佐川宣寿と安倍晋三である。

 もう我慢できない。平気でうそをつき、権力者の顔色をうかがい、国税庁長官に上り詰めたその人物に。

 まったく同感だ。私も我慢ができない。「平気なうそ」にも、「権力者の顔色をうかがう」その卑屈な姿勢にも。そして、そのような人物の一群が、この国の権力者を支えていることにも。

 森友学園への国有地売却を巡る財務省の決裁文書改ざん問題で2018年3月に自殺した近畿財務局の男性職員の奥さまが、真実を求めて国と元国税庁長官の佐川宣寿氏を相手取り訴訟を起こした。

 権力を持つ者に不都合な真実は常に隠されている。厚いベールに覆われて、容易に真実に近づくことができないのだ。そのベールを剥ぎ取って、権力を持つ者に不都合な真実を明るみに曝け出すことが提訴の狙いである。そうしてこそ、亡くなった人の無念を晴らすことができようというもの。

 17年2月17日、国会中継を見ていた。森友疑惑に関して安倍晋三首相は「私や妻が関係していたら首相も国会議員もやめる」と語気を荒らげた。首相の奥さまが学園の予定する小学校の名誉校長に就任していたというのに。

 佐川宣寿の背後に安倍晋三がいる。安倍が佐川に不都合な文書の改竄を指示したのか、あるいは佐川が安倍の意向を勝手に忖度したに過ぎないのか。いずれにせよ、安倍の私益を擁護するために、佐川が文書改竄を指示し末端職員が違法行為の実行を余儀なくされたのだ。

 男性職員の手記によるとその9日後、上司から改ざんを指示される。指示の大本は当時、財務省理財局長だった佐川氏だという。新聞記事にある「『僕の契約相手は国民』が口癖だった」のくだりで活字がにじむ。

 この手記は涙なくしては読めない、というのが真っ当な市民感情。安倍や麻生には、血も涙もない。手記で名前を上げられた佐川も、中村も、田村も、杉田も、そして美並も池田も、その後はみんな見事に出世している。公文書改竄で自ら命を断った者と、悪事をともにして出世した人びととのなんたるコントラスト。

 森友問題、加計問題、桜問題、東京高検検事長定年延長問題……。こんな日本に誰がした。安倍氏をおいて他にない。

 安倍晋三の罪は重い。国政を私物化し、国政をウソとゴマカシで固めたのだ。「こんな日本」「こんな総理」に、国民の支持がいまだに4割を超える。その国民の責任も大きい。森友、加計、桜、検事長定年延長…、これだけあって何ゆえ「こんな総理」が生き延びているのだ。「こんな日本に誰がした」は、今切実な発問である。
(2020年3月25日)

自衛隊の中東派遣を撤回せよ

本日(2月20日)、「自衛隊の中東派遣に反対し、閣議決定の撤回を求める集会」。「改憲問題対策法律家6団体連絡会」と「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の共催。

半田滋さん(東京新聞論説兼編集委員)が、『自衛隊の実態・中東清勢について』報告し、永山茂樹さん(東海大学教授)が『憲法の視点から中東派遣を考える』として違憲論を述べた。次いで、野党議員の連帯挨拶があり、集会アピールを採択した。

「安倍内閣進退きわまれり」との雰囲気の中で、挨拶も報告もボルテージの高いものだった。自由法曹団団長の吉田健一さんが、閉会挨拶で「自衛隊の海外派兵をやめさせ、改憲策動をやめさせ、安倍内閣をやめさせよう」と呼びかけたのが、参加者の気持ちを代弁することばだった。

なお、《改憲問題対策法律家6団体連絡会》とは、「安倍政権の進める改憲に反対するため共同で行動している6つの法律家団体(社会文化法律センター・自由法曹団・青年法律家協会弁護士学者合同部会・日本国際法律家協会・日本反核法律家協会・日本民主法律家協会)で構成されています。これまでに、日弁連とも協力して秘密保護法や安保関連法の制定に反対し、安倍改憲案に対しては、安倍9条改憲NO!全国市民アクション、総がかり行動とも共同して反対の活動を続けています」と、自己紹介している。

本日の集会アピールは、以下のとおり。よくできていると思う。

 

「自衛隊中東派遣に反対し閣議決定の撤回を求める集会」アピール

1 安倍政権は、昨年12月27日、中東地域への自衛隊派遣を閣議決定し、本年1月10日に自衛隊派遣の防衛大臣命令を強行しました。そして、1月21日から海上自衛隊のP-3C哨戒機が中東海域での情報収集活動を開始し、2月2日には、閣議決定により新たに中東へ派遣されることとなった護衛艦「たかなみ」が海上自衛隊横須賀基地を出港しました。

2 すでに中東海域には、アメリカが空母打撃群を展開しており、軍事的緊張が続いていましたが、本年1月2日には、アメリカが国際法違反の空爆によってイラン革命防衛隊のガセム・ソレイマニ司令官を殺害し、これに対して、1月8日、イランがイラク国内にあるアメリカ軍基地を弾道ミサイルで攻撃するなど、一触即発の状態にまで至っています。
安倍政権は、今回の派遣を「我が国独自の取祖」と説明していますが、自衛隊が収集した情報はアメリカ軍に提供されることになっており、その実態は、アメリカのトランプ政権が呼びかける「有志連合」への事実上の参加に他なりません。そして、アメリカ軍との共同の情報収集・警戒監視・偵察活動に用いられているP-3C哨戒機、国外ではデストロイヤー(駆逐艦)と呼ばれている護衛艦、そして260名もの自衛官を中東地域に派遣すれば、それはイランヘの大きな軍事的圧力となり、中東地域における軍事的緊張をいっそう悪化させることになります。集団的自衛権を解禁した安保法(戦争法)のもと、中東地域で自衛隊がアメリカ軍と連携した活動を行えば、自衛隊がアメリカの武力行使や戦争に巻き込まれたり、加担することにもなりかねません。今回の自衛隊の中東派遣は憲法9条のもとでは絶対に許されないことです。

3 また、自衛隊の中東派遣という重大な問題について、国会審議にもかけないまま国会閉会後に安倍政権の一存で決めたことも大問題です。安倍政権は、主要なエネルギーの供給源である中東地域での日本関係船舶の航行の安全を確保するためとしていますが、これでは、政権が必要と判断しさえすれば、「調査・研究」名目で自衛隊の海外派遣が歯止めなく許されることになります。そもそも、組織法にすぎない防衛省設置法の「調査・研究」は、自衛隊の行動や権限について何も定めておらず、およそ自衛隊の海外派遣の根拠となるような規定ではなく、派遣命令の根拠自体が憲法9条に違反します。

4 現在の中東における緊張の高まりは、2018年5月にトランプ政権が「被合意」から一方的に離脱し、イランに対する経済制裁を再開したことに端を発しています。憲法9条を持ち、唯一の戦争被爆国である日本がなすべきは、アメリカとイランに対話と外交による平和的解決を求め、アメリカに「核合意」への復帰を求めることです。安倍政権も第1に「更なる外交努力」をいうのであれば、自衛隊中東派遣は直ちに中止し、昨年12月27日の閣議決定を撤回すべきです。

2 私たちは、安倍政権による憲法9条の明文改憲も事実上の改憲も許さず、自衛隊の中東派遣に反対し、派遣中止と閣議決定の撤回を強く求めます。

2020年2月20日

         「自衛隊中東派遣に反対し閣議決定の撤回を求める集会」参加者一同

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関連する日弁連会長声明は以下のとおり、

中東海域への自衛隊派遣に反対する会長声明

2019年12月27日、日本政府は日本関係船舶の安全確保に必要な情報収集活動を目的として、護衛艦1隻及び海賊対策のためにソマリア沖に派遣中の固定翼哨戒機P-3Cエ機を、中東アデン湾等へ派遣することを閣議決定した。
2018年5月に米国がイラン核合意を離脱後、ホルムズ海峡を通過するタンカーヘの攻撃等が発生していることから、米国はホルムズ海峡の航行安全のため、日本を含む同盟国に対して有志連合方式による艦隊派遣を求めてきた。
これに対し日本は、イランとの伝統的な友好関係に配慮し、米国の有志連合には参加せずに上記派遣を決定するに至った。
今般の自衛隊の中東海域への派遣は、防衛省設置法第4条第1項第18号の「調査及び研究」を根拠としている。しかし、同条は防衛省のつかさどる事務として定めている。
そもそも、自衛隊の任務、行動及び権限等は「自衛隊法の定めるところによる」とされている(防衛省設置法第5条)。自衛隊の調査研究に関しても、自衛隊法は個別規定により対象となる分野を限定的に定めている(第25条、第26条、第27条及び第27条の2など)。ところが、今般の自衛隊の中東海域への派遣は、自衛隊法に基づかずに実施されるものであり、防衛省設置法第5条に違反する疑いがある。
日本国憲法は、平和的生存権保障(前文)、戦争放棄(第9条第1項)、戦力不保持・交戦権否認(第9条第2項)という徹底した恒久平和主義の下、自衛隊に認められる任務・権限を自衛隊法で定められているものに限定し、自衛隊法に定められていない任務・権限は認めないとすることで、自衛隊の活動を規制している。自衛隊法ではなく、防衛省設置法第4条第1項第18号の「調査及び研究」を自衛隊の活動の法的根拠とすることが許されるならば、自衛隊の活動に対する歯止めがなくなり、憲法で国家機関を縛るという立憲主義の趣旨に反する危険性がある。
しかも、今般の自衛隊の中東海域への派遣に関しては、「諸外国等と必要な意思疎通や連携を行う」としていることから米国等有志連合諸国の軍隊との間で情報共有が行われる可能性は否定できず、武力行使を許容されている有志連合諸国の軍隊に対して自衛隊が情報提供を行った場合には、日本国憲法第9条が禁じている「武力の行使」と一体化するおそれがある。また、今般の閣議決定では、日本関係船舶の安全確保に必要な情報の収集について、中東海域で不測の事態の発生など状況が変化する場合における日本関係船舶防護のための海上警備行動(自衛隊法第82条及び第93条)に関し、その要否に係る判断や発令時の円滑な実施に必要であるとしているが、海上警備行動や武器等防護(自衛隊法第95条及び第95条の2)での武器使用が国又は国に準ずる組織に対して行われた場合には、日本国憲法第9条の「武力の行使」の禁止に抵触し、更に戦闘行為に発展するおそれもある。このようなおそれのある活動を自衛隊法に基づかずに自衛隊員に行わせることには、重大な問題があると言わざるを得ない。
政府は、今回の措置について、活動期間を1年間とし、延長時には再び閣議決定を行い、閣議決定と活動終了時には国会報告を行うこととしている。しかし、今般の自衛隊の中東海域への派遣には憲法上重大な問題が含まれており、国会への事後報告等によりその問題が解消されるわけではない。中東海域における日本関係船舶の安全確保が日本政府として対処すべき課題であると認識するのであれば、政府は国会においてその対処の必要性や法的根拠について説明責任を果たし、十分に審議を行った上で、憲法上許容される対処措置が決められるべきである。
よって、当連合会は、今般の自衛隊の中東海域への派遣について、防衛省設置法第5条や、恒久平和主義、立憲主義の趣旨に反するおそれがあるにもかかわらず、国会における審議すら十分になされずに閣議決定のみで自衛隊の海外派遣が決められたことに対して反対する。

2019年(令和元年)12月27日

日本弁護士連合会会長 菊地 裕太郎

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憲法学者126名の共同声明は以下のとおり。

ホルムズ海峡周辺へ自衛隊を派遣することについての憲法研究者声明

1、2019年10月18日の国家安全保障会議で、首相は、ホルムズ海峡周辺のオマーン湾などに自衛隊を派遣することを検討するよう指示したと報じられている。わたしたち憲法研究者は、以下の理由から、この自衛隊派遣は認めることができないと考える。

2、2019年春以来、周辺海域では、民間船舶に対する襲撃や、イラン・アメリカ両国軍の衝突が生じている。それは、イランの核兵器開発を制限するために、イラン・アメリカ等との間で結ばれた核合意から、アメリカ政府が一方的に離脱し、イランに対する経済制裁を強化したことと無関係ではないだろう。
中東の非核化と緊張緩和のために、イラン・アメリカ両国は相互に軍事力の使用を控え、またただちに核合意に立ち戻るべきである。

3、日本政府は、西アジアにおける中立外交の実績によって、周辺地域・周辺国・周辺民衆から強い信頼を得てきた。今回の問題でもその立場を堅持し、イラン・アメリカの仲介役に徹することは十分可能なことである。またそのような立場の外交こそ、日本国憲法の定めた国際協調主義に沿ったものである。

4、今回の自衛隊派遣は、自衛隊の海外派遣を日常化させたい日本政府が、アメリカからの有志連合への参加呼びかけを「渡りに船」で選択したものである。
自衛隊を派遣すれば、有志連合の一員という形式をとらなくとも、実質的には、近隣に展開するアメリカ軍など他国軍と事実上の共同した活動は避けられない。
しかも菅官房長官は記者会見で「米国とは緊密に連携していく」と述べているのである。
ほとんどの国が、この有志連合への参加を見送っており、現在までのところ、イギリスやサウジアラビアなどの5カ国程度にとどまっている。このことはアメリカの呼びかけた有志連合の組織と活動に対する国際的合意はまったく得られていないことを如実に示している。そこに自衛隊が参加する合理性も必要性もない。

5、日本政府は、今回の自衛隊派遣について、防衛省設置法に基づく「調査・研究」であると説明する。
しかし防衛省設置法4条が規定する防衛省所掌事務のうち、第18号「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行うこと」とは、どのような状況において、自衛隊が調査・研究を行うのか、一切の定めがない。それどころか調査・研究活動の期間、地理的制約、方法、装備のいずれも白紙である。さらに国会の関与も一切定められていない。このように法的にまったく野放し状態のままで自衛隊の海外派遣をすることは、平和主義にとってもまた民主主義にとってもきわめて危険なことである。

6、わたしたちは安保法制のもとで、日本が紛争に巻き込まれたり、日本が武力を行使するおそれを指摘してきた。今回の自衛隊派遣は、それを現実化させかねない。
第一に、周辺海域に展開するアメリカ軍に対する攻撃があった場合には、集団的自衛権の行使について要件を満たすものとして、日本の集団的自衛権の行使につながるであろう。
第二に、「現に戦闘行為が行われている現場」以外であれば、自衛隊はアメリカ軍の武器等防護をおこなうことができる。このことは、自衛隊がアメリカの戦争と一体化することにつながるであろう。
第三に、日本政府は、ホルムズ海峡に機雷が敷設された場合について、存立危機事態として集団的自衛権の行使ができるという理解をとっている。 しかし機雷掃海自体、極めて危険な行為である。また戦胴中の機雷掃海は、国際法では戦闘行為とみなされるため、この点でも攻撃を誘発するおそれがある。
このように、この自衛隊派遣によって、自衛隊が紛争にまきこまれたり、武力を行使する危険をまねく点で、憲法9条の平和主義に反する。またそのことは、自衛隊員の生命・身体を徒に危険にさらすことも意味する。したがって日本政府は、自衛隊を派遣するべきではない。

2019年10月28日

憲法研究者有志(126名連名省略)

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自由法曹団の申入書

自衛隊の中東海域への派遣命令の撤回を求める申入書

1 安倍内閣は、2019年12月27日、自衛官260名、護衛艦1隻を新規に中東地域に派遣し、すでに海賊対処行動に従事している哨戒機1機を中東海域へ転用する旨の閣議決定を行った。
自由法曹団は、同日、同閣議決定に抗議するとともに、自衛隊の派遣中止を求める声明を発表したが、自衛隊の中東海域への派遣を中止しないばかりか、河野防衛大臣は、2020年1月10日、自衛隊に派遣命令を発出し、派遣を強行しようとしている。

2 米国は、上記閣議決定後の2020年1月2日、イラン革命防衛隊のガセム・ソレイマニ司令官を空爆(以下、「本件空爆」という)によって殺害した。
そして、イランは、本件空爆に対する「報復」として、同月8日、十数発の弾道ミサイルを発射し、米軍が駐留するイラク西部のアサド空軍基地及び同国北部のアルビル基地を爆撃した。
両国の武力行使により、緊張がますます激化しているが、そもそも両国の関係が悪化したきっかけはトランプ政権がイラン核合意から一方的に離脱したことである。また、本件空爆は、国連憲章及び国際法に違反する先制攻撃であり、何らの正当性もない。
米国は、軍事力行使を直ちにやめ、イラン核合意に復帰すべきであり、国際社会は、これ以上の・・暴力の連鎖¨が引き起こされないよう外交努力を尽くさなければならない。

3 自由法曹団は、2019年12月27日の時点で、既に中東情勢は緊迫しており、自衛隊の中東海域への派遣は、「情報収集活動」にとどまらない危険性が高い等の理由から閣議決定に反対したが、現在の中東情勢は、その時点と比べても極度に緊迫した状態にある。
にもかかわらず、河野防衛相は、2020年1月10日、海上自衛隊の護衛艦1隻と哨戒機2機の中東への派遣命令を発出した。現在の中東情勢の下での自衛隊の中東海域への派遣は、中東地域の緊張をいっそう高めるばかりか、日本が米国の誤った中東政策を賛同する国として、米国の戦争に巻き込まれる危険性を高めるものであり、絶対に派遣を許してはならない。

4 日本は、憲法9条の理念に基づき、両国との信頼関係を活かしながら、対話と外交による平和的解決を目指すべきである。
自由法曹団は、米国及びイラン両国に対して自制を求めるとともに、憲法を踏みにじる自衛隊の中東海域の自衛隊の派遣に断固反対し、改めて閣議決定及び防衛相の派遣命令に強く抗議し、防衛大臣において1月10日になした派遣命令を撤回し、自衛隊派遣の中止を求める。

2020年1月14日

自由法曹団長 吉田健一

(2020年2月20日)

あらめでたやな ― 吉田博徳さんの『日本と朝鮮の2000年』出版記念と白寿を祝う会

本日(1月17日)は、小平で「吉田博徳さんの出版記念と白寿を祝う会」に出席した。吉田さんは、1921年6月23日のお生まれ。今年(2010年)の誕生日で満99歳となる。少し早めだが、仲間が集まっての白寿を祝う会である。しかも、99歳にして単著の上梓である。重ねての目出度さ。

長寿と健康は、人皆が等しく望むところ。喜寿も米寿も目出度いが、親しい人の白寿のお祝いは、なかなかあるものではない。盛会の末席にあるだけで、慶賀のお裾分けという気分。

吉田さんは、1921年大分県で生まれ、6歳のとき一家で朝鮮(全羅北道金堤邑)に移住している。地元の金提尋常高等小学校を経て京城師範学校を卒業、1941年長安国民学校教師となった。世が世であれば教師だったはずが、翌年招集されて都城に入隊。次いで、ノモンハン事件直後の満州ハイラルに配属となる。そして1945年大分陸軍少年飛行兵学校で終戦を迎えた。

戦後福岡地方裁判所に就職し、労働運動に身を入れる。全司法労働組合中央執行委員として専従活動家となった。全司法労働組合中央本部書記長から,伝説の闘争を担った委員長となる。その後、日朝協会、原水禁、平和委員会で活躍。小平市長選挙にも立候補している。私とは、日民協でのお付き合い。

その多忙な活動の人生で、齢をとることを忘れてしまったのだろう。とても90代の人とは思えない。姿勢も、足取りも、発声もしっかりしたもの。お話しの論理に破綻がない。矍鑠という言葉はこの人にためにつくられたとさえ思わせる。高齢となってもこうでありたい、というお手本のような人。一部では「怪物」ともささやかれている。

今日の吉田さんは、挨拶に立って朝鮮語の歌を唱った。10歳の頃に朝鮮で覚えた、少年と少女の,春の喜びの歌だという。伸びやかで、実に楽しそうな唱いぶりだった。

その人が、昨年、地元小平で2回の連続講座「日本と朝鮮の2000年」を実施し、この連続講座の原稿を出版した。吉田さんは、「われわれは日本史の中で、近現代史をキチンと学んでいない」「日本の学校教育は、日本が朝鮮に何をしてきたかを教えていない」「日朝関係の歴史は、近現代だけでなく、古代からの通史として学び直す必要がある」という。その言を実践したのが、本日(2010年1月17日)発行の「日本と朝鮮の2000年ー日本と朝鮮の歴史を正しく知ろう」である。中学生にも分かるように、との注文で執筆されたという。著者の息遣いが、聞こえてくるような書となっている。

発行は,小平の「学びあい支えあう会」。本文300頁で、頒価は1300円だが、郵送料込みだと1500円となる。
以下、この書物の広告から引用する。

…日本と朝鮮の歴史は学校教育のなかで正しく教えられていません。
…朝鮮は日本に最も近い国ですし、最も長い交流の歴史をもっている外国なのですから、日本と朝鮮の歴史を知ることは、日本人と朝鮮人との真の友好関係を築き、北東アジアの平和と安定のために不可欠なことです。

 少年期、青年期を現地で学び教師として働いた経験を持つ白寿の著者が、労働運動、市民住民運動、平和運動を通じて得た、日朝の真の友好とは何かを提示する。中学生にもよくもわかる「講演」の記録。

申込先 「学びあい支えあう会」
奥 泉 二士夫 090-3806-8440
穂 積 健 児 090-3572-8445
川 村 征 治 090-8589-2660
小 嶋 弘 遵 090-3045-3735

吉田さん、次は何歳のお祝いをしましょうか。

(2020年1月17日)

総理大臣・安倍晋三の仕事始めは、政教分離違反の違憲行為から

例年、総理大臣・安倍晋三の仕事始めは伊勢神宮参拝からである。今年も例外ではない。ゴルフ休み明けの伊勢神宮。総理大臣が特定の宗教施設に公然と参拝する。東京在住の安倍晋三が町内の神社に初詣するのとはわけが違う。天皇の祖先神を祀るとされている神宮に、わざわざ公費で出かけるのだ。もちろん、違憲。

いささかなりとも憲法感覚の持ち合わせがあれば、やるべきことではない。メディアも世論ももっと敏感に、安倍を批判しなければならない。立憲民主党も、国民民主も真似をせぬ方がよい。政権を担ったら、絶対やってはいけない。

わが国の政教分離とは、権力と神道との危険な癒着を厚い壁で隔てることを言う。ここで言う神道とは、天皇を神にまつりあげた国家神道の基礎となった宗教をいう。国家が再び天皇を神とし、神なる天皇というこの上なく重宝な政治的道具を利用させぬための歯止めである。

そのような意味で、憲法の政教分離規定が最も警戒する宗教施設が二つある。1番が伊勢神宮で、2番が靖国神社である。伊勢は天皇の祖先神を祀るのだから、天皇の政治的利用を嫌う憲法の立場からは、政教分離と言えば、まずは政権と伊勢神宮との関係を問題とする。この両者を隔絶しなければならないのに、何と無神経な安倍晋三。

そして2番目の靖国神社は、皇軍将兵の戦没者を神として祀る軍事的宗教施設である。これも天皇の神社だが、なによりも軍国主義の精神的主柱とされた。だから、皇軍の侵略を受け、あるいは植民地化された近隣諸国の目は厳しい。靖国に首相や天皇の参拝あれば、厳しい外圧を覚悟しなければならない。

伊勢への首相の参拝は、外圧は小さいが、これこそ厳格な政教分離の対象なのだ。私は毎年このことを指摘してきた。最近のものは下記のURLでお読みいただけたら、ありがたい。

総理大臣・安倍晋三の仕事始めは伊勢神宮参拝から
http://article9.jp/wordpress/?p=11847   (2019年1月5日)

伊勢神宮での内閣総理大臣年頭記者会見
http://article9.jp/wordpress/?p=7939 (2017年1月5日)

新年の伊勢神宮「公式参拝」、そこで首相が祈願したこと
http://article9.jp/wordpress/?p=6176  (2016年1月6日)

今年は天皇交替で元号変更後の新年だが、今年の伊勢での安倍晋三年頭記者会見は精彩がない。批判をするにも面白みに欠ける。そこで、衆議院のホームページに掲載されていたこんな質問主意書と答弁書を取りあげたい。

2018年1月22日提出の質問趣意書。提出者は立民の逢坂誠二議員。表題が「安倍総理の伊勢神宮参拝に関わるLINEでの発信に関する質問主意書」というもの。

「平成三十(2018)年一月四日、首相官邸のLINEの公式アカウントで安倍総理は、「安倍晋三です。伊勢神宮に向かう道中、新幹線から美しい富士山が見えました」(「本発言」という。)と発信している。
静粛な環境の下、歴代の総理大臣が年頭にあたり伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えられるものの、その行動を首相官邸のLINEの公式アカウントで告知することは、伊勢神宮の活動に関する助長、促進につながるものと考える。
このような観点から、以下質問する。

一 歴代の総理大臣が年頭にあたり宗教施設である伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えているのか。政府の見解如何。
二 本発言が発信されることで、伊勢神宮への参拝者が増加し、特定の宗教施設の活動を援助、助長、促進するものではないのか。政府の見解如何。
三 本発言をLINEで発信することは、「昭和四六(行ツ)六九 行政処分取消等」(最高裁判所大法廷判決 昭和五十二年七月十三日)でいうところの、「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」に該当し、日本国憲法第二十条に反するのではないか。政府の見解如何。
四 静粛な環境の下、内閣総理大臣が年頭にあたり伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えられるものの、その行動を事前に、首相官邸のLINEの公式アカウントで告知することは、伊勢神宮の活動に関する助長、促進につながり、不適切ではないか。政府の見解如何。

逢坂議員の人柄については、予てから信頼に足りる政治家という好印象が強い。しかし、「静粛な環境の下、内閣総理大臣が年頭にあたり伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えられる」は、私見と大きく食い違う。曖昧な「国民意識の受容」をもって軽々に憲法原則を曲げてはならないと思う。また、質問内容もものたりないとは思う。それでも、果敢にこのような趣意書を発信して答弁を引き出している姿勢は評価したい。

なお、引用されている「昭和四六(行ツ)第六九号・行政処分取消等請求上告事件」は、津地鎮祭訴訟のこと。(行ツ)は、行政訴訟上告審の事件番号に付する符号。民事訴訟ではなく、行政訴訟としての住民訴訟だった。名古屋高裁の住民側勝訴判決を逆転し、厳格分離説を排斥して政教分離の規準として目的効果論を採用した判例として知られているもの。

衆議院議員逢坂誠二君提出安倍総理の伊勢神宮参拝に関わるLINEでの発信に関する質問に対する答弁書

一について
内閣総理大臣が私人としての立場で行う伊勢神宮参拝については、政府として立ち入るべきものではないことから、お尋ねについてお答えすることは差し控えたい。

二から四までについて
お尋ねの「発信」又は「告知」は、それ自体宗教的意義をもつ行為ではなく、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるようなこともないことが明らかであることから、「日本国憲法第二十条に反する」及び「不適切」との御指摘は当たらないと考えている。

ニベもない答弁書である。質問の一部に対しては、「安倍晋三の伊勢神宮参拝は『私人としてのもの』だから政府は関与しない」という。また、LINEでの告知は、目的効果基準からは許されるとしている。しかし、安倍晋三は、肩書を記帳し、随員を同道し、公用車も使い、列車にも公費で乗車している。玉串料だけは私費で支出しているというが、それなら問題ないということにはならない。

下記は、天皇と首相の靖国神社公式参拝を違憲とした岩手靖国訴訟仙台高裁判決(1991年3月1日)の判示の一節である。

「天皇及び内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は,その目的が宗教的意義をもち,その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり,しかも,公的資格においてされる公式参拝がもたらす直接的,顕在的な影響及び将来予想される間接的,潜在的な動向を総合考慮すれば,前記公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは,憲法の政教分離原則に照らし,相当とされる限度を超えるものであり,憲法20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為である」

目的効果基準を前提としてなお、「直接的・顕在的な影響だけではなく、将来予想される間接的・潜在的な動向、波及的効果までを総合考慮する」ことによって、政教分離違反・違憲と断じている。安倍晋三は、この判決の「靖国神社」を「伊勢神宮」と読み替えて、よく理解してもらわねばならない。
(2020年1月7日)

12月8日、あらためて平和の永続を願う。

78年前、1941年の12月8日も、今日と同じく寒気厳しく東京の空は抜けるように高く澄んでいたという。その日、午前7時のNHK臨時ニュースの大本営陸海軍部発表で国民は「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と初めて知らされた。日中戦争膠着状態の中での新たな戦線の拡大である。これを、多くの国民が熱狂的に支持した。

この日国民はラジオに釘付けになった。正午に天皇(裕仁)の「宣戦の詔書」と東條首相の「大詔を拝し奉りて」という談話が発表され、午後9時のニュースでの真珠湾攻撃の大戦果(戦艦2隻轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破)報道に全国が湧きかえった。そして、この日から灯火管制が始まった。

戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にする。78年前には気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされた。治安維持法が共産党の活動を非合法とし徹底して弾圧した。情報は大本営発表だけに統制され、宣戦布告を「大詔渙発」として天皇を国民精神動員に最大限利用した。こんな歴史の繰りかえしは、金輪際ごめんだ。

今朝は7時のラジオニュースを聞きながら、布団のなかでぬくぬくと「平和」を満喫した。軍機保護法も治安維持法もない。共産党も公然と政権の「桜を見る会」の疑惑を追及している。これが安倍晋三が脱却を目指すとしている「戦後レジーム」なのだ。

安倍晋三が取り戻そうとしている日本とは、「大本営発表の世界」ではないか。78年前のこの日の宣戦の詔書は、早朝の閣議で確認されたもの。その閣議には、安倍が尊敬するという祖父・岸信介が商工大臣(在任期間1941年10月18日~43年10月8日)として加わっていた。そんな日本の取り戻しなど許してはならない。

戦争は教育から始まる。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の統制から始まる。戦争は忖度メディアの煽動から始まる。戦争は排外主義から始まる。戦争は民族差別から始まる。戦争は、軍備増強競争の悪循環から始まる。戦争は過剰なナショナリズムから始まる。ナショナリズムは「テンノウヘイカ・バンザイ」から始まる。戦争は議会制民主主義の堕落から始まる。

そして、新しい戦争は過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正主義の跋扈は、新たな戦争への準備と重なる。集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのだ。

平和憲法を破壊しようという危険な政権、しかも、腐敗の極みの安倍政権をいつまでものさばらせてはおけない。12月8日の今日、改めて強くそう思う。
(2019年12月8日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2019. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.