澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

上野公園に見る「維新政府の不寛容」

日曜日の散歩コースは、いつも上野に。変わり映えせず芸のない話だが、季節季節に趣は大いに異なる。本日(1月7日)、風は冷たいが透きとおるような好天。見るものすべてが光っているような景色。

本郷通りを横切り、赤門から東大キャパンスにはいって鉄門から出る。岩崎邸の石積みを右に見ながら無縁坂を下って不忍池に。このところ池の畔に居着いているカワセミに見とれて、弁天堂から五條神社・上野大仏を経て噴水広場が終点。本日ここは、シャンシャン(香香)祭りの大にぎわい。

踵を返して王仁博士の碑に立ちより、2本のジュウガツザクラの満開を愛でる。その先が彰義隊を顕彰する「戦死之墓」と「上野戦争碑」。そして西郷隆盛像。150年前に闘った敗者と勝者が並んでいる。

意識的に「明治150年」を強調する風潮のなかで、彰義隊碑には特に事件後150年を意識させるものはなにもない。西郷隆盛像の近くには、NHK大河ドラマ「西郷どん」のポスターがあった。まあ、その程度。

ネットを検索すると、いろんなことが書き込まれている。「漢文石碑を読み歩く」というシーズの中に、「上野戦争碑記」として、その成り立ちが詳細に記されている。
http://bon-emma.my.coocan.jp/sekihi/ueno_sensou.html

以下その抜粋。
「明治維新のとき、現在の上野公園の一帯では、幕臣たちが結成した彰義隊と明治政府軍との間で、いわゆる「上野戦争」が行われました。この石碑は、「彰義隊」という名前を発案した人物として知られる阿部弘蔵(弘臧とも)が、上野戦争の経緯を記したもの。上野公園から見て東京国立博物館の裏手、寛永寺の境内に建っています。
  山崎有信『彰義隊戦史』(1904年)によると、阿部弘蔵は、上野戦争のときには数え年で20歳。いかにも当時の若い侍らしく、和漢の古典を学んだ上に西洋流の兵術も身に付けた、優秀な人材だったようです。わずか20歳なのに彰義隊の命名を任されたということは、文章の才でも一目置かれていたのでしょう。
 碑文の末尾にもあるように、弘蔵がこの文章を書いたのは、1874(明治7)年のこと。しかし、すぐに石碑を建てることはできませんでした。政府の許可が下りなかったのです。後に弘蔵の娘婿、松岡操がまとめた『寛永寺建碑始末』(1912年)では、その理由を「文字ニ不穏ナル点アリトイフヲ以テナリ」と推測しています。
  それから40年近く経った1911(明治44)年、こんどは松岡操たちが中心となって請願し、冒頭と末尾の240字ほどを削るなど文章にも手を加えて、ようやく石碑の建設にこぎ着けることができました。」

碑文の全体は余りに長い。しかし、最も関心を寄せるべきは、「削られた冒頭と末尾の240字ほど」である。その読み下し文と、現代語訳とを引用しておく。

【削除された冒頭部分】
明治の中興、百度、維(これ)新たなり。仁は海内遍く、沢枯骨に及ぶ。凡そ国事に死して功烈顕著なる者は、数百年の久しきを経と雖いえども、皆、封爵を追贈し、之を祀典に列す。又、嘗て譴(とがめ)を朝廷に得る者と雖も、過ちを悔い志を改むれば、則ち才を量りて登用し、復(また)旧罪を問わず。

 明治になって天皇の政治が復興すると、多くの制度が一新された。その仁徳は国中に行き渡り、その恩恵は亡くなった人々にまで施された。国のために命を失い、その功績が大きくはっきりしている者には、数百年前の人であっても、すべて爵位を追贈して、英霊を祀った。また、以前、朝廷から罪を問われた者であっても、その過ちを認めて志を改めれば、才能に応じて登用して、以後は一切、昔の罪を問題にはしていない。

而(しかる)に独り彰義隊以下の戦没する者のみ、一旦、西軍に抗うを以てや、今に至るも藁葬(こうそう)を許されず。孤魂超然として依憑(いひょう)する所無し。嗟呼(ああ)、彼、豈(あに)叛臣賊子に甘んずる者ならんや。亦また各々忠を其の事(つかう)る所に尽くすのみ。世、或いは察せず、徒(ただ)成敗を視みて以て之を議するは、篤論(とくろん)に非あらざるなり。

 ところが、彰義隊に従って戦争で亡くなった者だけは、あのときに新政府軍に抵抗したという理由で、現在になっても簡単な葬儀さえ許されていない。見捨てられた魂はさまよって、きちんと成仏できないでいる。ああ、反逆者として扱われて、彼らが不満を持たないわけはなかろう。彼らだって、自分たちが仕える主君に尽くしただけなのだ。それなのに、世間の人がたいてい、経緯を調べもせず、結果だけを見て評価しているのは、きちんとした議論ではない。

【削除された末尾部分】
余も亦た幸いに残喘(ざんぜん)を保ち、以て今日に至る。而(しか)れども彼の義を執りて事に死する者、今猶なお不祀の鬼と為る、悲しいかな。頃者(ちかごろ)、其の親しく睹(み)る所を追録し、之を石に勒(きざ)み、以て其の霊を慰む。亦た唯だ寃(えん)を天下後世に雪(すす)がんと欲するのみ。

 私もまた、幸いなことに生きながらえることができ、現在に至っている。しかし、大義のために戦って死んだあの者たちの霊が、いまでもきちんと弔われないままなのは、あまりにも悲しい。そこでこのたび、私が自分の眼で見たことを思い出して記録し、それを石に刻むことで、彼らを慰霊することにした。後の時代の人々に対して無実を晴らしておきたい、という一心からのことである。

「唯だ寃を天下後世に雪がんと欲するのみ」に関わる文章は、天皇制政府の許容するところとはならなかった。「死しての後はみな仏。敵も味方もありはせぬ」という日本古来の常識(むしろ、良識)は維新政府の採るところではなかった。官軍と賊軍とは、死して後も未来永劫に峻別され、賊軍が「雪冤」を述べることは許されないのだ。それこそが、150年を経て今なお変わらぬ靖国の思想である。

「明治150年」とは維新賛美であり、すなわち天皇制賛美でもある。天皇への忠誠は国民道徳の基本として刷り込まれ叩き込まれた。その反面、賊軍の死者は天皇への反逆ゆえに、死してなお鞭打たれ続けられねばならないのだ。「彰義隊以下の戦没する者のみ、一旦、西軍に抗うを以てや、今に至るも藁葬(こうそうー粗末な葬儀)を許されず」「彼の義を執りて事に死する者、今猶なお不祀の鬼と為る」と、と嘆かざるを得ないのだ。

なお、1月5日毎日新聞「論点」が、「『明治150年』を考える」だった。
「今年は1868年の明治改元から150年。政府は『明治の精神に学び、日本の強みを再認識する』と記念行事を計画中だ。呼応するように保守層の一部から『明治の日』制定を求める動きも浮上している。近代日本の出発点となったとされる明治維新だが、維新称揚を『復古主義』と警戒する声も…。」というのがリード。そのリードのとおり、論者3人の見解がいずれも明快である。中でも、「寛容性のない国になった」と表題する、作家・原田伊織氏の論が傾聴に値する。その一部を抜粋しておきたい。

「長州出身の元老たちによる明治の『長州藩閥』政治は大正以降も今に至るまで『長州型』政治として日本の政治風土の中で続いている。特徴は、憲法をはじめとする法律よりも、天皇を重視し利用してしまうこと。幕末に長州藩は孝明天皇や幼い明治天皇を担いで攘夷、倒幕の御旗として利用したが、明治以降はまさに『天皇原理主義』となり、国家を破滅に導いた。それ以前の日本には天皇を神聖化した『原理主義』などは存在しなかった。

もう一点は富国強兵、殖産興業の名の下で政治と軍部、軍事産業でもあった財界とが癒着する社会を生み出したことだ。これが私が言う『長州型』政治である。明治50年は寺内正毅、100年は佐藤栄作、そして150年は安倍晋三と、いずれも山口県(長州)出身の首相の下で祝典が営まれるのはただの偶然と思いたいが、戦後の自民党政権は一貫してこの長州型から抜け切れなかった。

最大の問題は歴史の『検証』がほとんど行われなかったことだ。『明治維新至上主義者』である司馬遼太郎氏は敬愛する大学の大先輩ではあるが、『それだけは違いますよ』と言いたい。どれほど無駄な命があの原理主義の名の下に葬られ去ったか。その「過ち」の検証も反省もなく日本は2度目の破滅(敗戦)を迎えたのだが、戦後も検証は行われず、ずるずると今も明確な外交方針すらなく業界との癒着がニュースになる。」

「明治150年」という今年、司馬遼太郎的史観を克服して、明治維新と天皇制維新政府に、批判の視点を持たねばならない。安倍晋三の「長州型」政治と対決しなければならない。維新政府の寛容性の欠如は「恩賜上野公園」の中にもよく見えるのだ。
(2018年1月7日)

アベシンゾーの「壊憲ことはじめ」

本日(1月4日)は、官庁の仕事始め。首相アベシンゾーは、さっそくの憲法違反ことはじめ。伊勢参拝と参拝後の年頭記者会見での発言と。

首相の伊勢神宮参拝は明らかな違憲行為である。
各メディアが報じるところによれば、安倍晋三首相は本日(1月4日)午後、三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝した。どのように肩書記帳をしたか、公用車を使ったか、新幹線や近鉄の乗車料金は公費か私費か。メディアは関心事として報道していない。しかし、随行者を伴った参拝をし、直後に神宮司庁で総理記者会見までしているのだから、公的資格においての参拝であることは明らかで、憲法20条3項に定める政教分離違反と考えるしかない。

政教分離とは、「政」(公権力)と「教」(宗教)との癒着の禁止である。公権力との間に分離の壁を隔てることを要求される「教」とは、形式的には諸々の宗教一般であるが、実質的に日本国憲法が警戒するものは神道施設である。なかんずく、伊勢と靖国にほかならない。

かつて民族信仰として存在していた神社神道が、天皇崇拝の祭儀と結びついて、国家神道となった。正確に言えば、明治政府によって拵え上げられた。国家神道とは、天皇を神の子孫であるとともに現人神として崇敬し、かつ天皇を神の司祭とする「天皇教」をいう。

幕末、「天皇教」は一握りの為政者のイデオロギーに過ぎなかったが、150年前に維新政府ができたとき、臣民意識の教導の有用な道具として徹底して活用された。為政者が創出した信仰だから、為政者自身が信仰心を持っていたわけではない。しかし、天皇を神として崇拝すべきことは、学校と軍隊を通じて臣民に叩き込まれ、人格を支配した。こうすることで、対内的な統合作用を形成するとともに、対外的には選民意識、排外主義の涵養に重要な役割を果たした。

敗戦によって、ようやくにして日本は神の国から普通の国になった。天皇教の信徒であった臣民は解放されて主権者となった。しかし、天皇教の祭神であり教主であった天皇は天皇のまま生き残った。76年もの間、天皇制権力が臣民に叩き込んだ天皇崇敬の念は容易に消えず、再度天皇が神の位置に戻らぬとも限らないと懸念された。

この懸念に歯止めを掛けた装置が日本国憲法の政教分離規定である。従って、公権力が、近づいてはならぬとされるのは、何よりも天皇の神社なのである。その代表格が、アマテラスを祭神とする天津神社の筆頭である伊勢であり、天皇の軍隊の戦死者を祭神とする軍国神社靖国なのだ。

いうまでもなく伊勢は天皇の祖先神を祭神とする神宮として神社群の本宗の位置を占めている。公権力は、他のどんな宗教施設よりも、伊勢と癒着してはならない。本日のアベの伊勢詣では、違憲のことはじめなのである。

歴代首相による新春の参拝は毎年恒例とも報じられているが、漫然と違憲行為が積み重ねられているということに過ぎない。ならぬものはならぬのであり、違憲はあくまで違憲である。

なお、参拝には、野田聖子総務相や林芳正文部科学相、世耕弘成経済産業相らとともに、話題の加藤勝信厚生労働相も随行したという。加藤勝信の厚労相就任は、アベのオトモダチ人事の典型だが、大型消費者被害をもたらしたジャパンライフ事件のフィクサーとして今年のアベ政権の「顔」になるはずの人物である。

そして、2つ目の壊憲行為は伊勢での年頭記者会見における発言の内容である。
官邸のホームページに、本日(1月4日)の「安倍内閣総理大臣年頭記者会見」における発言内容が掲載されている。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0104kaiken.html

まず、【安倍総理冒頭発言】がある。アベ個人ではなく、自民党総裁としての発言ではない。明らかに、総理としての発言。これがかなり長い。

最後の方に、唐突に不思議なパラグラフが出て来る。
「この国の形、理想の姿を示すものは憲法であります。戌年の今年こそ、新しい時代への希望を生み出すような憲法の在るべき姿を国民にしっかりと提示し、憲法改正に向けた国民的な議論を一層深めていく。自由民主党総裁として、私はそのような1年にしたいと考えております。」

取って付けたかのごとき「憲法改正」への言及。ところが、これが「自由民主党総裁として」の発言ということにされてしまう。総理年頭記者会見を改憲宣伝の場にしてはならない。

憲法への言及は「憲法改正に向けた議論を深めていく」というだけ。人権や民主主義や国際平和や、生存権や平等について行政府の長としてしっかり憲法を遵守するという話は出て来ないのだ。

質疑応答は少しも面白くない。切り込むところがない。それでも、アベはこんなことを言っている。

「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものであります。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の基本理念は今後も変わることはありません。その上で、時代の変化に応じ、国の形、在り方を考える、議論するのは当然のことだろうと思います。大いに議論すべきだと考えています。
  そこで私は、昨年の5月、それまで停滞していた議論の活性化を図るために一石を投じました。事実、その後、党内での議論は活発になったと思います。具体的な検討は党に全てお任せしたいと考えています。」

心得違いも甚だしい。「時代の変化に応じ国の形、あり方を考える議論をするのは当然のこと」ではない。憲法は、主権者から公権力を預かる者に対する命令なのだから、首相アベは憲法の枠内でしか動いてはならない。それが憲法99条が明示する公務員の憲法尊重擁護義務というものだ。憲法改正の発議を首相がする権限はない。改正論議を呼びかけるのも越権だ。改憲発議は、国民の意向を受けた国会がするものではないか。

首相として、憲法遵守の発言なく、改憲にのみ言及した本日の伊勢での年頭記者会見。新年からアベ発言には憲法を粗略にする驕りが見える。それを許している国民の側に緩みが見える。気をつけよう、アベ改憲と暗い道。気を緩めてはならない。
(2018年1月4日)

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」最高裁判決について

まずは、以下の「抗議声明」をお読みいただきたい。

「2017年12月20日、最高裁判所第二小法廷は安倍首相靖国参拝違憲訴訟において、不当な上告棄却(および上告不受理)決定を下した。

 そもそも本件参拝は、憲法第20条に明確に禁止されている国家機関(内閣総理大臣)による宗教活動であることは明らかである。また、違法な参拝を受け入れた靖国神社は戦没者を英霊と意味づけることによって国民に対して英霊につづいて国と天皇のために命をささげることを促す戦争準備施設であり、そのことは、被告靖国神社自身が『靖国神社社憲』などで明確に認めていることである。したがって、本件参拝は原告(控訴人)らの内心の自由形成の権利・回顧祭祀に関する自己決定権などを侵害するのみならず、平和的生存権を侵していることも明らかである。本件参拝は、けっして「人が神社に参拝する行為」一般に解消できるものではない。

1981年4月22日に行われた靖国神社の例大祭に対して愛媛県は5000円の玉ぐし料を支出した。支出だけで、知事が東京に出向き例大祭に参拝したわけではない。この件に対して最高裁大法廷は1997年4月2日疑問の余地のない違憲判決を下した。わずか5000円の支出が憲法第89条が禁止する宗教団体への援助になるとしたのではない。県が靖国神社を特別扱いしたことが知れ渡ることが援助になると判断したのである。首相の参拝となれば、この「援助」は絶大である。このことは、本件を審理した地裁・高裁の裁判官も当然熟知している。すなわち、本件参拝はどう考えても違憲というほかはないことを彼らは熟知している。この、愛媛玉ぐし料訴訟最高裁判決に際して尾崎行信裁判官が「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という警句を以て違憲行為の早目の阻止を示したことや、小泉靖国参拝違憲訴訟福岡地裁判決において亀川清長裁判官が、違憲性の判断回避は行政の違憲行為を放置することになるからとして「当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え」るとしたような憲法擁護の責務を果たす気概は現在の司法には存在しないのだろうか。

本件に対する地裁及び高裁の判決は、それでも屁理屈の理由を付している。最高裁第二小法廷はそれさえしないのである。大阪地裁及び高裁で安倍首相に対する忖度の理屈をこねる役割を担わされた裁判官たちは、最高裁第二小法廷の山本庸幸裁判長らをうらやましく思っていることだろう。そして、どんな明白な証拠が出てきても、忖度を重ね、しらを切り通せば、国税庁長官や最高裁判事に「出世」できると学んだことであろう。

われわれは、こうした日本の行政と司法の現状に怒りを超えて深い悲しみを覚える。
われわれは、この決定を到底容認することはできない。これに対して、強く抗議するとともに、戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。

 2017年12月22日
安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団
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 安倍晋三が首相として靖国神社を参拝したのは、2013年12月26日、第2次安倍内閣発足後1年を経てのことである。彼は、礼装し公用車を使って靖国に向かい、「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書記帳して、正式に昇殿参拝している。靖国側も私人安倍晋三として接遇したわけではない。これを私的参拝だから政教分離則に反しないというのは、黒いカラスを白い鷺と言いはるほどの無理があろう。

 要するに、首相としての安倍晋三が靖国という軍国主義を象徴する宗教施設に参拝したことが憲法の政教分離原則に反することは明らかなことなのだ。最高裁は、厳格な政教分離論を排斥して、目的効果基準を編み出したが、この緩やかな基準をもってしても、愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、県費からの玉串料支出という形での愛媛県と靖国神社との関わりを、違憲と断じた。しかも、裁判官の意見分布は13対2の圧倒的大差だった。

だから、原告らは勝訴を確信していたか。実はそうではない。問題は、違憲判断にたどり着けるかどうかにあった。その点だけが実質的な争点だったといってよい。喩えて言えば、土俵に上がっての勝負は目に見えていた。問題は、土俵での取り組みができるかどうかだけ。結局は、原告らは土俵に上げてもらえなかったということなのだ。

裁判所とは、違憲・違法な行為があったときに、誰でも駆け込んでその是正を求めることができるところではない。権利の侵害を受け者が、その回復を求めることができるに止まるのだ。その意味では、裁判所は人権の砦ではあっても、必ずしも憲法の砦ではない。たとえ政府に明白な違憲行為があろうとも、そのことによって権利の侵害を受ける者がいなければ、裁判手続を通じての是正はできない。他人の権利侵害での裁判も受け付けてはもらえない。健全なメディアによる健全な世論形成によって、次の選挙で政府をあるいは政策を変えさせることが期待されているのみなのだ。

ことは三権分立の理解にある。「司法の優越」は、司法がオールマイテイであることを意味しない。立法や行政が、国民の権利を侵害するときに限り、その権利侵害を回復する限度で、司法は機能する。とはいえ、具体的事案で、司法が機能する場面であるか否かの判断は、けっして容易ではない。

個人の権利利益の保護を目的とする通常の訴訟(主観訴訟)に対して、例外的に権利侵害を要件としない客観訴訟というものがある。特に、法秩序の適正な維持を目的として訴権が認められたもの。その典型が、地方公共団体の財務会計行為の適正を目的とした住民訴訟である。これは、はじめから立派な土俵が設定されているのだから、違憲判断に踏み込む要件の成否を問題にする必要がない。津地鎮祭訴訟、岩手靖国違憲訴訟、愛媛玉串料違憲訴訟などは、この土俵に上がっての成果だった。

しかし、首相の参拝や、官邸の公用車の管理に関して、住民訴訟の適用があるはずはない。原告として名乗り出る人は、首相安倍晋三の靖国参拝によって、何らかの権利や利益が侵害されたことを主張しなければならない。そのために、原告らが有する「宗教的人格権」や「平和的生存権」が侵害されたという構図を描かなければならない。あるいは、この訴訟では「内心の自由形成の権利」「回顧祭祀に関する自己決定権」の侵害などが主張された。

しかし、大阪地裁も大阪高裁も、これを「原告(控訴人)らの不快感の域を出るものではなく、法的保護に値する利益の侵害とはいえない」と切り捨てられている。

従って、判決は違憲判断を避けただけで、安倍参拝を合憲と判断したわけではない。原告らは、安倍と裁判所を追い詰めたが、体を交わされたのだ。

先に引用した、訴訟団声明中の「本件参拝は、けっして『人が神社に参拝する行為』一般に解消できるものではない。」に触れておきたい。

小泉靖国参拝国家賠償請求訴訟において、最高裁は2006(平成18)年6月、「人が神社に参拝する行為は他人の信仰生活に圧迫、干渉を加えるものではない。このことは内閣総理大臣の参拝でも異ならない」として、損害賠償の対象にはならないと判示した。訴訟団はこれを納得しがたいとしているのだ。外ならぬ内閣総理大臣が、外ならぬ軍国神社靖国に公式に参拝という形での政教分離の破壊行為は、平和や立憲主義に対する極めて具体的で直接的な攻撃というべきものとして、戦没者遺族や宗教者の精神生活・信仰生活の平穏を侵害するものなのだ。

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」と名付けられたこの訴訟。戦没者の遺族ら765人が原告となって、首相と国、靖国神社を被告として、将来の参拝差し止めと1人1万円の慰謝料の請求をしたもの。最終的に敗れたとはいえ、けっして勝ち目のない訴訟ではなかった。また、この訴訟提起自身が、市民が直接に安倍内閣の憲法破壊行為に異議申し立てをする場の設定として意義あるものと言うべきだろう。

訴訟団声明の末尾には、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する」とある。その軒昂たる意気や良し。
(2017年12月27日)

靖国派の終戦記念日論説(神社新報)を批判する

8月が終わりに近い。毎年この時期になると、し残したことのあるような、忘れ物があるような、なんとなく焦りにも似た気持になる。当ブログも、8月のうちに言っておくべきことを言い尽くせていない。

何を素材にすれば、言い残した語るべきことを語れるか。典型右翼の言論に対置する反論の形式が分かり易い。そのような観点で素材を探してみたが、適切なものが見つからない。結局、神社新報(神社本庁の準機関紙)の論説に落ちついた。8月21日付「終戦記念日 英霊への感謝と自戒を常に」と表題するものである。

同論説は、表題のとおり、「終戦記念日に際して、(1) 英霊への感謝と、(2) 英霊に恥じぬ自戒」とを呼びかけるもの。しかし、もちろんそれだけのものではない。そして、戦争観、戦没者観がよく出ている。

論説は、4個のパラグラフから成っている。必ずしも、各パラグラフが論理的に連関しているというわけではない。その意味で、出来のよい論説とは言いがたい。

○第1パラグラフは、戦没者の慰霊や追悼のあり方を述べる。
「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』である八月十五日、今年も靖國神社をはじめ全国の護国神社には多くの人々が参拝し
て英霊に感謝を申し上げ、東京・日本武道館では天皇・皇后両陛下御臨席のもとに、政府主催の「全国戦没者追悼式」が執りおこなはれた。
 戦後七十二年を経過し、戦争の記憶を持つ人々が減っていく中にあっても、国を護るために遠く戦地に赴き、もしくは戦禍によって命を落とされた方々に思ひを馳せようとする心は綿々と受け継がれてをり、靖國神社・護国神社で社頭に額づき、また両陛下の黙祷に合はせて御霊の安らかなることを祈ってゐる。
 先の大戦のことを思ひ、慰霊の誠を捧げることはごく自然におこなはれ、数多くの人々がそれを当然のことと理解してゐるが、残念ながらさうした雰囲気に反する行動も見られる。六月の「沖縄全戦没者追悼式」における野次や罵声なども含め、慰霊や追悼といふ厳粛であるべき場において、相応しくない行為に及ぶ人たちに対しては、ぜひともその再考を促したい。」

8月15日、国民が追悼した対象が、「国を護るために遠く戦地に赴き、もしくは戦禍によって命を落とされた方々」と表現されている。これは天皇(明仁)の戦没者追悼式での式辞からの転用だが、「(国を護るために)遠く戦地に赴いた」のは、帝国主義的侵略戦争に駆り出されたということだ。けっして自国を守るために、国土への侵入者と戦ったものではない。にもかかわらず、被侵略国の被害者に対する謝罪も反省も、追悼の言葉すらもない。これが宗教者の言だろうか。

また、本当に、「先の大戦のことを思ひ、慰霊の誠を捧げることはごく自然におこなはれ、数多くの人々がそれを当然のことと理解してゐる」だろうか。死を悼み、死者を回想してその人を偲び、その死を悼んで追悼すること自体は自然におこなわれていることだろう。しかし、ここで論じられているのは、戦争犠牲者一般の死を追悼することではない。皇軍兵士の戦没者だけを特別に「英霊」(優れた霊魂)と称して、これに「慰霊の誠を捧げる」と顕彰するのだ。死んだ兵士に、「あなたは立派だった」「あなたは優れた行いをした」と称賛しているのだ。こうして、侵略戦争の性格や戦争責任の所在は切り捨てられる。靖國神社や護国神社への参拝は、そのようなことさらの意図をもった、特殊な戦死者への接し方なのだ。

なお、慰霊や追悼が厳粛であるべきことは論を待たない。しかし、厳粛な問題であればこそ、死者の政治的利用は許されない。慰霊や追悼に名を借りた、現政権の9条改憲策動への靖国神社利用を許してはならないのだ。

○第2パラグラフは、信教の自由援用の問題である。
 「もとより、自らの信仰から英霊祭祀に異議を唱へる人々に対しては、信仰の営みの観点から我々が信ずる英霊祭祀のあり方を示し、そこに存する我々の意志を地道かつ明確に示していくことが必要であるだらう。
 しかし、この慰霊の日にあたり、ややもすれば反対することが目的化したやうな集会なども開かれ、例へば「平和安全法制」や「共謀罪」などに関する主張を絡め、または現政権への批判を持ち出して、慰霊とはかけ離れた極めて政局的な事柄を論じるやうな向きも見られる。また一方で、自らの信仰を充分に咀嚼しないまま、英霊祭祀に反対するやうな勢力に対していたづらな反論を試み、混乱に拍車をかけるやうなこともあってはならない。いづれにしても、不毛な論議が雑音のやうに入り乱れ、真摯な祈りを妨碍するやうなことが最も懸念されるところである。」

興味深いのは、「(靖国の)英霊祭祀に異議を唱へる人々」の二分論である。その一として、「自らの信仰」を動機とする一群の人々のあることを認めている。戦没者、あるいはその遺族が、自らの信仰から英霊祭祀に異議を唱えることに対しては、必ずしも感情的な反発をしていない。神社側の信仰の営みとして神社側が信ずる英霊祭祀の意志を地道に示していくしかないという。「あなたたちと私たちの、それぞれの信仰の衝突なのだ。ここは、私たち流を貫かせていただく」という姿勢。

「英霊祭祀に異議を唱へる人々」の別の一群とは、「慰霊とはかけ離れた極めて政局的な事柄を論じるやうな向き」である。神社側は「真摯な祈り」を捧げており、これに政治的な立場から異を唱えることは、「真摯な祈り」の妨害と位置づけられている。

しかし、戦没兵士の死をことさらに美化し、特別の意味づけを行っているのは、(靖国)神社側である。戦争や兵士の死の真実を明らかにし、その死の意味を明らかにする議論は、同じ過ちを繰り返さないために、避けて通ることはできないのだ。これを「真摯な祈り」の妨害として議論を封じることは、結局は戦争と戦死の美化論につながらざるを得ない。

○第3パラグラフは、8月15日の意味づけを中心とした叙述。さしたる論争点はない。
 「いふまでもなく八月十五日は、「大東亜戦争終結ニ関スル詔書」の玉音放送があり、終戦の象徴的な日となってゐる。終戦の日としては、ポツダム宣言を受諾した八月十四日や、ポツダム宣言に基づく降伏文書の調印日である九月二日、またはサンフランシスコ講和条約発効日の四月二十八日など、いくつかが挙げられようが、やはり昭和天皇が御親らポツダム宣言受諾の旨を国民に示された八月十五日が似つかはしく、加へて月遅れの盆と重なることで、さうした意味合ひが強くなってゐる感がある。
 盆行事は本来旧暦の七月十五日だが、太陽暦採用にあたって月遅れの行事が八月十五日におこなはれるやうになり、各家庭では祖霊を迎へたり墓参りをしたりと、さまざまな行事がおこなはれる。それゆゑに多くの人々が休暇を取って帰省することになり、東京都心は正月に人々が帰省したときのやうな、ある意味で独得な静けさにも包まれる。さうした都会の中で「全国戦没者追悼式」が執りおこなはれ、隣接する靖國神社では、ほぼ終日に亙って降り続いた雨に濡れることも厭はず、神前で真摯に祈りを捧げる人々が列をなしてゐた。」

○第4パラグラフでは、神社流の慰霊のあり方の肯定を強く押し出している。
 「英霊に感謝を申し上げ、慰霊と顕彰の誠を捧げる営みには、もちろん戦争の惨禍に思ひを馳せ、平和を誓ふ祈りが含まれることは当然であり、決して好戦的なものではない。平和を護ることを常に意識し、挑撥をくり返す周辺国に対して充分な備へをおこなひ、また友好国との連携に努めることも当たり前のことである。ただ闇雲に「平和」の言葉を唱へるだけでは、決して真の平和は護れない。歴史と現実を直視し、時に毅然たる態度を執らねばならないことはいふまでもない。
 また八月十五日の祈りを捧げるとき、平素の自らの行為についても充分に考へる必要があらう。果たして今の自らが英霊に恥ぢないやうな生活を送り、浄明正直といふ言葉に反してゐないかといふことも含め、常に自戒の念を持つ必要性を指摘したい。
 八月十五日といふ節目の日に際し、英霊が護らうとしたこの日本において日々の生活を送れてゐることへの感謝の念を持ち、また内外の情勢への的確なる対応を常に考へ、そして、現今の平和な世の中を後世に伝へるためにも、改めて祈りを捧げるものである。
平成二十九年八月二十一日」

「英霊に感謝を申し上げ、慰霊と顕彰の誠を捧げる営み」という表現が曲者である。兵士の戦死を、意味のない無駄死にだったとは国民感情において口にしにくい。とりわけ、遺族の面前では。そこで、立派な目的をもった戦争で、国のために立派な死を遂げたと、死が美化されることになる。戦死の美化は、必然的に戦争目的の美化をともなう。国の膨張政策や軍国主義までカムフラージュされる。そして、戦った敵国は、邪悪で卑劣な国でなくてはならない。このようにして、英霊への感謝と顕彰は、戦争に対する反省をないがしろにし、次の戦争の準備に利用されることになる。

しかし今の国民感情を考慮するとき、平和の大切さに言及せざるを得ない。論説は、微妙な言い回しで、「慰霊と顕彰の誠を捧げる営みには、もちろん戦争の惨禍に思ひを馳せ、平和を誓ふ祈りが含まれることは当然」という。どうして「もちろん」なのかは了解しがたい。「戦没者の慰霊と顕彰」は、軍事的行為として過去の戦争の肯定そのものではないか。好戦的なものといって差し支えない。

さらには、「平和を護ることを常に意識し、挑撥をくり返す周辺国に対して充分な備へをおこなひ、また友好国との連携に努めることも当たり前のことである。」という。ここに述べられていることは、英霊の名を借りての「中国・北朝鮮に対する軍事的防備の増強」と、「アメリカとの軍事同盟強化」のアピールである。英霊に名を借りた、好戦的防衛政策の鼓吹にほかならない。

そして、神社イデオロギーのホンネが出てくる。
「ただ闇雲に『平和』の言葉を唱へるだけでは、決して真の平和は護れない。歴史と現実を直視し、時に毅然たる態度を執らねばならないことはいふまでもない。」
ここに、「平和」と「真の平和」のダブルスタンダードが語られている。ここでの「真の平和」は、安倍晋三のいう「積極的平和主義」に酷似する。平時から軍備を調え、必要なときには毅然として軍事力を行使せよ、というのだ。それが、「英霊に感謝を申し上げ、慰霊と顕彰の誠を捧げる営み」の意味するところとして、言及されているのだ。「靖国派」の面目躍如ではないか。

もちろん、平和を実現するためには、「ただ闇雲に『平和』の言葉を唱へるだけ」ではたりない。「歴史と現実を直視する」ことを通じて、徹底した靖国派との論争が必要である。そして、あらゆる国との間で核廃絶や軍縮に「毅然たる態度」を執り、紛争のタネをなくするために国際協調の「的確なる対応」を考えなければならない。
(2017年8月26日)

憲法日記・連続更新第1600回に靖国を論じる。

毎日の更新を続けている当ブログは、本日で連続第1600回となった。

休眠していていた「憲法日記」を再開したのは、2013年1月1日。その前年12年12月総選挙での第2次安倍政権発足が暮れの26日、これに危機感を抱いてのことだ。

安倍晋三という右翼の歴史修正主義者が、「戦後レジームからの脱却」、「日本を取り戻す」などというスローガンを掲げて政権に返り咲いた。支持勢力は、保守ではない。明らかに右翼ではないか。

あの第1次政権投げ出しの経過が印象に強かった。この上なくぶざまでみっともない本性をさらけ出したひ弱な政治家。誰も、彼がすぐれた政治理念をもつカリスマ的な指導者だとは思ってはいない。むしろ、愚かで浅薄な人物というのが定評。その愚かで浅薄な安倍晋三が、右翼勢力の支持で再びの政権に就いた。時代の風が、右から吹いていることをいやでも意識せざるを得ない。

彼は、右翼を糾合してこれをコアな地盤とし、保守派と「下駄の雪・公明」を巻き込んだ勢力で、戦後営々と築き上げられてきた民主主義の破壊を目論んだ。戦後的なるものを総否定した戦前回帰の復古主義である。そのことは、日本国憲法の否定と、限りなく大日本帝国憲法に近似する自民党改憲草案に象徴的に表れていた。

こうして、平和や民主主義や人権を大切に思う側の国民による、総力をあげての安倍政権との闘いが始まったのだ。私もできることをしなければならない。それが、2013年1月1日からの当「憲法日記」である。書き始めた当時は、日民協の軒先を借りてのことだった。自前のサイトに移って、思うがままに書けるようになったのが、2013年4月1日。この日のブログを第1回と数えて、本日が1日の途切れもなく第1600回となった。

ところが、まだ、安倍政権が続いている。気息奄々の安倍晋三が、いまだに憲法を変えたいと執念を見せている。だから、私も、この日記を書き続けなくてはならない。憲法の安泰を見届けるまでは。

これまでの1600日。ブログのテーマに困ったことはほとんどない。私には手に余る大きなテーマで書き始めてとてもまとまらず、さて困ったとなって代わりに何を書こうか。と思案することは少なくない。そういうときは、産経の社説に目を通すのだ。困ったときの産経頼み。産経こそがこコアな安倍支持勢力の代弁者。もちろん読売も安倍的右翼勢力だが、産経の方がものの言い方がはるかにストレートで分かり易い。だから、産経社説はありがたい。本日も、批判の対象としてご登場いただく。

昨日(8月16日)の産経社説は、「戦後72年の靖国、いったい誰に『申し訳ない』のか 首相も閣僚も直接参拝せず」というタイトルだった。言い古された、陳腐きわまる靖国擁護論である。その全文を太字で記して、批判を試みたい。もっとも、批判も陳腐なものとならざるを得ないのだが。

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 戦後72年の終戦の日、靖国の杜には雨にもかかわらず、多くの参拝者が訪れた。国に命をささげた人々の御霊に改めて哀悼の意を表したい。
・宗教観念や信仰の内容を他者が批判する筋合いは毫もない。亡くなった人の霊がこの世に残るという信仰を持ち、特定の宗教施設に亡き人の霊が宿っているとして、霊が祀られている施設への参拝者が訪れることを非難する者はなかろう。憲法20条で保障される信教の自由を尊重すべきが、常識的な姿勢。戦没者遺族の心情は自ずと尊重されるべきである。
・但し、「国に命をささげた」人々の意味は定かではない。まさか、戦没者のすべてが、喜んで「国に命をささげた」と言っているわけではなかろうが、戦没者を一括りにして、意味づけをすることは慎まなければならない。
・なお、今年(2017年)の8月15日靖国参拝者数は、雨がたたってかいつになく少数で静謐であったというのが、各紙の報道である。産経社説だけが、「靖国の杜には雨にもかかわらず、多くの参拝者が訪れた。」と書いている。現実ではなく、願望を優先せざるを得ないのだろう。

 東京・九段の靖国神社は、わが国の戦没者追悼の中心施設である。幕末以降、国に殉じた246万余柱の御霊がまつられている。うち213万余柱は先の大戦の戦没者だ。終戦の日に参拝する意義は大きい。
・靖国神社が、わが国の戦没者追悼の中心施設であったことは歴史的事実ではある。しかし、今は、「一宗教法人であって、それ以上のものではない」ことを明確にしなければならない。
・「国に殉じた246万余柱の御霊」の表現はいけない。膨大な戦没者とその遺族のなかには、「国に殉じた」気持をもち、靖国の顕彰や奉祀を感謝の念をもって受け容れている人もいるだろう。しかし、遺族が合祀されていることを徹底して嫌忌している人もいる。「国に殉じた」のではなく、「国に命を奪われた」と考えている人たちも少なくないのだ。
・「終戦の日に参拝する意義は大きい。」とは、なんとも無内容な一文。もし、「終戦の日に参拝する意義」が、今次の大戦において「国に殉じた」人々を顕彰することにある、というのなら、それは余りに偏った独善的イデオロギーの表白である。

 靖国は静かな追悼の場である。その国の伝統文化に従い戦没者の霊をまつり、祈りをささげることはどの国も行っていることだ。
・「靖国は静かな追悼の場である」。それだけのことなら、なんの問題もない。この宗教施設が戦没者を偲ぶ場としてふさわしいと考えている個人が、それぞれの思いで追悼の場とすればそれでよい。ところが、それではもの足りぬという人々がいる。国の関わりが必要という思惑をもつ人々が、靖国を静かな追悼の場でなくしているのだ。
・「その国の伝統文化に従い戦没者の霊をまつり、祈りをささげることはどの国も行っていることだ。」
これは、ずるい文章だ。文脈からすると、「どの国も行っていること」が述語なのだから、これが主要な命題との印象を受ける。本当に、戦没者に対する靖国的祭祀が国際的な普遍性を持っているのかを吟味しようとすると、「その国の伝統文化に従い」という特殊性に逃げられる。いったいどっちなんだ、と言いたくなる文章。
・実は、どっちでもないのだ。靖国とは、国際的な普遍性を持っていないことは当然として、日本固有の伝統文化に従った戦没者の霊のまつり方でもない。近代天皇制政府が拵え上げた似非伝統なのだ。

 とりわけ国の指導者が、国民を代表して哀悼の意を表することは、当然の行いだ。それが堂々と行われないのはなぜなのか。
・国が全戦没者を追悼する式典は、「全国戦没者追悼式」として毎年8月15日に挙行されている。その問題性なきにしもあらずだが、産経が、「国の指導者が、国民を代表して堂々と戦没者に哀悼の意を表することを行わないのはなぜか」というのは間違っている。
・宗教法人靖国神社が、国家行事を行うにふさわしからざる場であることは、自明であって、ここで「国の指導者が、国民を代表して哀悼の意を表する」などは絶対にあってはならない。もちろん、明確に違憲な行為でもある。

 安倍晋三首相は自民党総裁として玉串料を納めたが、直接参拝しないのはやはり残念である。
 この日の閣僚の参拝は一人もいなかった。寂しい限りである。
・はたして、安倍晋三首相の玉串料奉納は私人としての行為であったか。極めて疑問であるが、参拝はできなかった。内閣総理大臣としての玉串料奉納もしないポーズはとらざるを得ない。乱暴な安倍晋三も、憲法を守らざるを得ないと、ようやくにして理解してきた。その限りでけっこうなことだった。
・一般論だが、産経が「残念」「寂しい」と表白する事態は、憲法に笑顔をもたらすものである。

 かつて首相が閣僚を率いて参拝するのは、普通の姿だった。中国が干渉するようになったのは、中曽根康弘首相が公式参拝した昭和60年8月以降である。
 長期政権を築いた小泉純一郎首相は平成13年から18年まで年1回の靖国参拝を続けたものの、多くの首相が参拝を見送っている。いわれなき非難を行う中国や韓国への過度の配慮からだ。それがさらなる干渉を招いてきた。
 安倍首相も25年12月に参拝した後、参拝を控えている。
・首相や天皇の公式参拝(公的資格による参拝)は、憲法20条3項の政教分離原則が禁じるところである。わが国は、主権者の意思として、国家がすべての宗教との関わりを持つことを禁じた。その宗教とは憲法に明示されていないが、なによりも天皇を神の子孫であり現人神とする国家神道(=天皇教)であった。なかでも、国家神道の中の軍国主義側面を司る靖国神社である。
・また、日本国憲法はアジア諸国に対する侵略戦争を反省する不戦の誓いとしての性格を有している。だから、日本国憲法の理念は、日本一国だけのものではなく、アジア諸国全体のものとも言える。わが国は、憲法の運用において独善に陥ることなく、近隣諸国の声に耳を傾けなければならない。

 首相はこの日、名代の柴山昌彦総裁特別補佐に「参拝に行けずに申し訳ない」と託したという。だれに対して申し訳ないのか。英霊の前で平和と国の守りをしっかりと誓うべきである。
・安倍晋三は、「参拝に行けずに申し訳ない」という必要はない。「国家を代表する立場でありながら、特定宗教団体に玉串料など奉納し特別の関わりを作ってしまい、申し訳ない」と日本国憲法と憲法制定権力者である国民に詫びなければならない。
・靖国は、平和を誓うにふさわしい場所ではない。神も神社もいろいろだ。学問の神に商売繁盛を願うのも、地獄の神にこの世の栄達を願うのも筋違い。宗教的軍事施設である靖国は、平和を祈る場ではない。もともとが戦死者に向かって、「あなたの死を無駄にしない。次の戦いでは必ず勝って見せる」と誓う儀式の場なのだから。

 春秋の例大祭など機会を捉え、参拝してもらいたい。
 靖国の社頭では、戦没者の遺書や書簡が月替わりに紹介、配布され手に取る人も多かった。8月のこの日の文は、24歳の若さで西太平洋のトラック諸島で戦死した陸軍中尉が「父上様」と記し、「墓標は、つとめて小たるべし」と自身のことをわずかに、国を守る思いがつづられていた。
 海外の激戦地には、いまなお多くの遺骨が眠っていることも忘れてはならない。
 戦没者の孫、ひ孫世代の子を連れた人も目立った。国や故郷、家族を思って逝った尊い犠牲のうえに国が築かれてきた歴史を改めて知る日としたい。
・戦争を忘れてはならない。とりわけ、戦争で悲惨な死を遂げた若者たちの苦悩と悲惨を忘れてはならない。そのことに、異存のあろうはずはない。
・引っかかるのは、産経が繰り返す「国のため」「国を守る」「国を思い」「その犠牲の上の国」である。
産経社説には右翼言論の常として、「わが国」だけがあって、戦った相手国がない。相手国の国民がないのだ。あたかも、戦争で悲惨な死を遂げた若者たちの苦悩と悲惨は、わが国特有のものだったごとくではないか。中国をはじめとするアジア諸国民の若者たちにも、英・米・蘭・ソの連合国の兵士たちも、まったく同様であった。過酷な植民地支配をうけた朝鮮もである。
・にもかかわらず、靖国神社は、けっして1931年以来の戦争が侵略戦争であったことを語らない。また、けっして皇軍の蛮行を語らない。ひたすらに戦争を正当化し、戦死を美化するのみである。

この立場に与するのが産経新聞であり、産経が支持するのが、安倍政権である。その安倍政権が、いまだに生き延びている。嗚呼、しばらくブログは続けざるを得ない。

(2017年8月17日・毎日連続更新第1600回)

日中両国民間の「和解」を阻む靖国神社ー張剣波さんの指摘

重慶大爆撃訴訟(現在、東京高裁係属中)を支える「弁護団」と「連帯する会」が発行している『重慶大爆撃 会報』が40号となった。訴訟の進行は困難な局面に差し掛かっているが、この訴訟は大きな問題提起をなし得ている。

戦後日本は、旧日本軍(皇軍)による中国への侵略と加害の歴史に正面から向き合ってこなかった。戦後72年を経てなお加害についての真摯な謝罪と反省はなく、両者の和解は成立していない。この訴訟と、日中両国にまたがるこの訴訟を支える運動とは、究極の和解を目指すものと言えよう。

この会報40号に、「靖国神社と靖国神社参拝の本質について」と題する張剣波さん(早稲田大学講師・政治学博士)の講演録が掲載されている。被害者の側から日中両国民の和解の必要が語られていて、紹介に値するものと思う。

氏は、日中両国民間の和解の必要について、大意こう語っている。(なお、以下の紹介文は、文意を変えない程度に、澤藤が要約したもの)
「和解は不可欠なのです。和解がないと、心のわだかまりは残ります。そもそもそれは、正義に反します。政治的政策的な動機で田中角栄が中国を訪問して、日中国交正常化以降、一時期日中友好の時代もありました。でも結局、それが非常に脆いものだったのです。歴史問題が障害になって日中友好の時代はあっという間に過ぎ去ってしまいました。
和解というプロセスがないと、戦争につながるという懸念が残ります。日本が再び戦争への道を走る。その危険性は、今も全くないとは言えない。多くの人が心配するところです。しかし、私は元侵略者が再び侵略戦争をやるという可能性以上に、侵略された側が強く大きくなって復讐のために何かをやる、その方を私は心配するのです。そんなことのないように、やはり和解という問題は重要なのです。」

その上で、氏は和解の障害としての靖國神社の存在について語っている。靖国を語ることは、日本軍の戦没兵士の功罪を語ることであり、中国での戦争の性格を語ることでもある。当然のことではあるが、被害側の氏の言葉は、私たちにとって重く、しかも鋭い。

「歴史問題を語る時に、日本軍の戦没者の性格は、中国からみると極めて簡単な問題ですけれども、日本の中では、これは非常に難しく微妙な問題になっているのです。私が日本に来たばかりのときに、大学でお世話になった日本人の先生が仰ったことを今でも鮮明に覚えています。『あなたの家族や親戚の人が戦死していたとしたら、それでもあなたは家族の死をもたらしたその戦争を間違った戦争だった、と言えるだろうか』というのです。なるほど、日本の普通の庶民は、やはりそういう風に思うのだ、こんな偉い先生でもそう思うのだ、ずっと頭の中に、その話が残っている。これは、戦死者、戦没者の性格について私が考える一つのきっかけにもなりました。

中国の一般民衆からすれば、日本による戦争の侵略性と犯罪性は明らかで、侵略と犯罪に加担した日本軍の兵士の罪は戦死しても消えない。ところが、侵略戦争と犯罪に加担した日本軍の軍人がその罪を背負ったまま靖国神社に祀られている。神として、英霊として。

重慶空爆を行って中国軍に撃ち落とされた兵も、731部隊で人道に悖る行為をした将兵も、靖国神社に祀られています。彼らは、紛れもなく侵略者であり犯罪者です。これを祀る靖国神社というのは、侵略戦争を支える軍事的な施設であり、侵略の道具でした。

侵略された側から見た場合、日本軍の戦没兵士は侵略者であり犯罪者であって、彼らを多角的に理解しなければならない理由はありません。靖国神社は、このような侵略者、犯罪者を、英霊として、神として祀っている。これは、全く正当性を持だない。反正義であり、反人類である。そのような施設を参拝することは、なおさら正義に反する。参拝してはならない。

このような前提にたって、靖国神社あるいは靖国神社参拝を考えれば、靖国神社の存在がある限り和解は困難です。侵略戦争に加担して死亡した者を美化する施設はあってはならない。まして、そのような施設を参拝するということは、絶対にあってはならない。和解の妨げになります。

保守系の議論の中で靖国神社参拝問題が政治問題になるのはA級戦犯分祀ということが争点になります。A級戦犯を靖国から分祀すればこの問題は終わるから、外国の首脳にも靖国神社を参拝させる、日本の政治家も堂々と参拝しても良いと。そのような主張が結構あるのです。しかしそうあってはならないのです。決してA級戦犯だけの問題ではない。A級戦犯をそこから出したからもう参拝しても良い、ということにはならないのです。」

靖国神社問題の最もやっかいなところは、戦没者遺族の心情を神社側が絡めとっているところにある。靖国の英霊とは、客観的には侵略戦争の尖兵である。被害国から見ての侵略者であり犯罪者である。しかし、「自分の親が戦死していたとしたら、その親を侵略者であり犯罪者と呼べるだろうか」「自分の子の死をもたらしたその戦争を間違った侵略戦争だったと言えるだろうか」という問は、受けとめるのにあまりに重たい。

靖国神社は、家族の死をこの上なく美化し意味あらしめてくれる。戦没者遺族にとって、これ以上ない慰藉の場なのだ。しかし、同時にその慰謝は天皇が唱導した侵略戦争への無批判な賛美につながる。

そうあってはならない。本来遺族は、大切な家族を兵士とし無惨な死へと追いやった、国の責任をこそ追及すべきなのだ。まさしくこれこそが歴史認識の根幹に関わる問題。あまりに重いが、いかに重くとも歴史の真実は真実として受けとめなければならない。被害を受けた側の怒りや嘆きは、比較にならぬほどに大きく深刻なのだから。
(2017年7月17日)

愛媛玉串料訴訟大法廷判決から20年。いま、その意義を考える。

本日は、久しぶりの松山。愛媛弁護士会が主催し日本弁護士連合会共催のシンポジウム「安保法制が成立した今、愛媛玉串料訴訟最高裁判決の意義を考える」に招かれての出席。朝羽田を発っての日帰りだったが、まだ身体は元気なのがありがたい。

愛媛玉串料訴訟大法廷判決(1997年4月2日)から20年。その地元愛媛で、判決の意義を再確認しようという企画。もちろん、現在の憲法状勢に照らして20年前の判例を見直してみようという趣旨。それが、「安保法制が成立した今」と付された意味なのだ。

「安保法制が成立した今」とは、集団的自衛権の行使として海外に派兵された自衛隊員に戦死者が出る、そのことの現実的な可能性を考慮しなければならない「今」である。再びの靖国神社合祀はないのかと問わざるを得ない今のことなのだ。戦後70年余、平和憲法下に戦死者あることを考えずにきた日本が、今までの日本ではなくなった。

スケジュール冒頭の記念講演が、当時愛媛大学で憲法を担当し、愛媛玉串料訴訟の理論的支柱であった諸根貞夫・現龍谷大学法学部教授による「安保法制と愛媛玉串料訴訟の意義」。

教授は講演の最後に、「特に戦死者の扱いについて」として、次のようにまとめられた。
「死にどのように向き合うかは故人ないし近親者の『自己決定権』と密接にかかわる問題で、そこには特定宗教で『祀られない自由』も含まれると解すべきである。『自由とは、他人を害しないすべてをなし得ることに存する』(フランス「人権宣言」第4条)とするならば、靖国神社は自己の『信教の自由』を一方的に主張して、他者の『祀られない自由』を害することはできないと解すべきである。国家による特定宗教を利用した戦死者の『管理』は許されない。最高裁が特定の宗教団体を特別に扱ってはならないと明言し、戦没者の慰霊などは『特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくても』行うことができると指摘していることに注目すべきである。

そして、下記3名の各弁護士の報告と、パネルディスカッション。
愛媛玉串料訴訟弁護団長・弁護士西嶋吉光
岩手靖国訴訟弁護団・弁護士澤藤統一郎
箕面忠魂碑訴訟弁護団・弁護士加島宏

愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、靖国神社・護国神社境内で挙行する祭祀に対し、県費から支出の玉串料等を奉納することが、憲法20条3項・89条に定める政教分離原則に反する違憲行為と断じた。多数意見13、反対意見2である。

なお、反対意見2の一人が、最高裁長官三好達。ネトウヨ同然の反対意見を書いて、退官後は日本会議の議長になった。大した識見である。

なお、諸根教授に対抗して、被告知事側に「理論」を提供したのが、当時愛媛大学に在籍していたもうひとりの憲法学者・百地章。勝敗があまりに明白に出たことが印象深い。

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私の岩手靖国違憲訴訟報告レジメを掲載しておく。
第1 岩手靖国違憲訴訟と判決
岩手靖国違憲訴訟とは原被告を異にする二つの(住民)訴訟からなる
☆当初は岩手靖国公式参拝違憲訴訟(1981年3月16日提訴)
天皇と内閣総理大臣の靖国公式参拝を求める県議会決議の違憲を問題にしたもの
(同様の決議は県議会レペルで37、市町村議会レペルで1548あった)
原告(牧師・元教師) 、被告(議長・県議40人)。

なお、この議会決議運動を主宰したのは、「英霊にこたえる会」。その初代会長が、石田和外元最高裁長官。

☆岩手玉串料訴訟(県費からの玉串料支出違憲訴訟・82年6月28日提訴)
原告住民(多彩な市民) 被告(知事・福祉部長・厚生援護課長) 県が補助参加
(提訴の日が愛媛玉串料訴訟と同日)

1983年夏の陣としての証拠調べ
原告側証人 村上重良・大江志乃夫・高柳信一の各氏
被告側証人神野藤重申(靖国神社禰宜)氏

そして、「最低・最悪」完敗の一審判決(1987年3月5日)から
「完勝」の仙台高裁控訴審判決(1991年1月10日)に

第2 高裁判決の憲法判断
☆ 天皇・首相の靖国公式参拝は違憲
☆ 県費からの玉串料支出は違憲
いずれも、目的効果基準に拠りつつ、これを厳格に適用しての違憲判断。
潜在効果・波及効果・象徴的効果などを重視する姿勢。
上告却下 特別抗告却下

第3 弁護団は政教分離問題をどうとらえたか
*信教の自由の制度的保障規定⇒基本的人権(精神的自由権)に関わる問題
*天皇を再び神にしてはならないとする歯止めの規定⇒国民主権原理に関わる問題
*軍国神社靖国と政権との癒着を禁じる規定⇒恒久平和主義に関わる問題
*政教分離の「教」とは、「国家神道の残滓」であり、「天皇の神聖性」鼓吹であり、国民精神を戦争に動員した「軍事的擬似宗教」である。
☆政教分離は、憲法の根幹に関わる大原則。自衛隊の海外派兵や自民党改憲論にからんで、ますますその重要性を高めている。歴史認識に立っての正確な認識が必要となっている。
(2017年6月24日)

安倍首相靖国参拝違憲訴訟に、東京地裁の「安倍忖度判決」

一昨日(4月28日)東京地裁で、「安倍靖国参拝違憲訴訟・東京」での判決言い渡しがあった。すべて、却下と棄却。原告側の全面敗訴である。この判決について、私なりにコメントしておきたい。

安倍晋三は、第2次政権発足1周年に当たる2013年12月26日に、靖国神社を昇殿参拝した。「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書を記帳してのことである。

靖國神社の教義によれば、皇軍戦没将兵の霊魂は靖國神社臨時大祭における招魂祭(あるいは合祀祭)において、靖國神社に降霊する。降霊した霊魂は、「霊璽簿(れいじぼ)」(旧称「祭神簿」)と称される名簿に宿り、靖国神社の神体とされる鏡によって「人霊」が「神霊」になるという。あの神社には、246万余柱の祭神(神霊)が籠もっているとされるのだ。

安倍晋三は、内閣総理大臣という公的資格において、特定宗教法人の宗教施設に祭神(神霊)が祀られているという超自然的な宗教観念を承認して、礼拝という宗教的意義をもつ行為に及んだ。このことによって、国と靖國神社とは、許されざる過度の関わりを持った。

この安倍晋三の参拝は、「国及びその機関は、…いかなる宗教的活動もしてはならない。」(憲法20条3項)という命令に反する宗教的活動に当たる。国家機関に特定の宗教との結びつきを禁ずる、政教分離原則に反することになる。

政教分離の「政」とは政治権力(国家)のこと、「教」とは宗教(信仰)を意味する。国民のすべてが関わって構成する政治権力(国家)と、純粋に私的で内心の領域に属する宗教(信仰)とは原理的に相交わりがたい。理念上、国家は全国民のものだが、宗教はその性質上一部のもので、国家が特定宗教と関わることは、一部国民が信仰する特定宗教への助長となり、その反面として他の特定宗教への抑圧あるいは弾圧ともなりかねない。このことから、近代憲法の普遍的な原理として、国民の信仰の自由を保障するために憲法原則として政教分離が確立している。

我が国においては、さらに特有の厳格な政教分離を必要とする事情があった。戦前、大日本帝国は、紛れもない宗教国家であった。元首である天皇は、神の子孫であるとともに自身が神であり、かつ祭司でもあるとされた。天皇は、統治権の総覧者であり、大元帥でもあったが、その正統性の根拠は記紀神話における神勅(神のお告げ)に求められた。

天皇の統治権を正当化するために神様がもち出された。その宗教的教義の体系が国家神道である。これは、天皇が教祖であり神様でもあるのだから、端的に「天皇教」と言った方が正確でもあり分かり易くもある。こんなバカバカしい教義が、20世紀前半まで国家の礎とされ、大真面目で信奉されていたのだ。恐るべきことではないか。

バカバカしいことだからこそ、政権は「王様は裸だ」と言い出す不埒者が出ることを極端に恐れ、全国民にこの天皇教の信仰を徹底的に強制した。

戦後、天皇制は廃絶されることなく中途半端なかたちで生きながらえた。天皇は統治権の総覧者でも大元帥でもなくなったが、まだ国民のなかに、叩き込まれ培われた「臣民根性」の名残がある。まだ、天皇も天皇制も単なる過去の遺物ではなく、生々しい危険な存在なのだ。

だから、日本国憲法は、再び天皇を神としないために、歴史の逆転を防止する歯止めを必要とした。その天皇教復活阻止条項、国家神道禁止条項が、憲法20条の政教分離にほかならない。

天皇教の効果が最も有効に働いたのは、軍国主義への国民精神総動員においてのことであった。国家神道の軍国主義側面を代表するものが、陸海軍が共同管轄する靖國神社。天皇のために死ね。天皇のために死ぬことが臣民の誉れ。天皇のために死ねば神として祀られ、かたじけなくも天皇の親拝を賜ることができる。これが、靖国の思想であり機能なのだ。

もちろん憲法には、特定の宗教名や宗教施設の名称は出てこない。しかし、政教分離の「教」の第一として憲法が意識しているのは、靖國神社にほかならない。国家が再び靖国と積極的な関係を持とうとするとき、新たな戦争を準備し、新たな英霊の創出とその慰霊の方式を具体化しようという意図あることについて忖度せざるをえないのだ。

だから、中曽根参拝にも小泉参拝にも、これを違憲とする大型訴訟が提起された。そして今回の安倍靖国参拝にも、東京と大阪に2件の各違憲訴訟が提起された。

東京訴訟の原告は中国人や韓国人を含む633人。被告は、安倍本人と国と宗教法人靖国神社の3者である。原告らの請求の趣旨は以下のとおり。
(1) 被告安倍晋三は,内閣総理大臣として靖國神社に参拝してはならない。
(2) 被告靖國神社は,被告安倍晋三の内閣総理大臣としての参拝を受け入れてはならない。
(3) 原告ら(3名)と被告国との間で,被告安倍晋三が2013(平成25)年12月26日に内閣総理大臣として靖國神社に参拝したことが違憲であることを確認する。
(4) 原告ら(3名)と被告靖國神社との間で,被告靖國神社が2013(平成25)年12月26日に被告安倍晋三による内閣総理大臣としての参拝を受け入れたことが違憲であることを確認する。
(5) 被告らは,各自連帯して,原告それぞれに対し,金1万円及びこれに対する2013(平成25)年12月26日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(6) 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決及び第5項につき仮執行の宣言を求める。

判決は、第3項と4項について却下、その余は全部棄却であった。

これに対する原告団・弁護団の抗議声明を、まず紹介する。

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安倍首相靖国神社参拝違憲訴訟 東京地裁判決への抗議声明
2017年4月28日
本日、東京地方裁判所民事第6部(裁判長岡崎克彦、田邉 実、岩下弘毅)は、安倍首相靖国神社参拝違憲訴訟において、違憲判断を示すことなく、原告らの請求のいずれも却下ないし棄却するという不当な判決を下した。
私たち安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京の原告団及び弁護団は、この判決に強く激しく抗議する。

本件訴訟は2013年12月26日に、安倍晋三首相が政権成立1周年を機に、周囲の反対を押し切って靖国神社を強行参拝したことに対して、国内のみならず中国、ドイツ、韓国、香港等の原告ら633名が政教分離違反等の違憲確認と人格権等の侵害を理由として損害賠償を求めたものである。
約3年に亘る審理の中で、本件参拝及び参拝受入行為が、①明白な政教分離違反行為であること、②国のために死ぬことが名誉なことであるとの靖国の思想を国民に浸透させ、戦争に向かう精神的基盤を確立する行為であること、③集団的自衛権の行使容認・武器輸出禁止原則の廃止・改憲による立憲主義の否定などの安倍政権の諸政策と連動するものであることなどを、膨大な書証と延べ18名に及ぶ原告ら本人尋問その他意見陳述によって明らかにしてきた。

今まさに、共謀罪法案がテロ対策を口実に上程され、日本政府が国民の人権を蹂躙して戦争国家への道を突き進む中で、いかなる判決が下されるのか、憲法の番人である司法の使命が問われる判決でもあった。

しかるに、岡崎克彦裁判長は、これらの主張立証等を一顧だにすることなく原告らの請求をすべて排除する判決を下したものであり、この点で本判決は、司法が安倍政権に全面的にへつらった「安倍忖度(そんたく)判決」のそしりを免れないものである。憲法の番人たる地位を放棄した司法権の恣意的行使と言わざるを得ない。

私たちは、このような行政追随判決を到底容認することはできない。これに対して強く抗議するとともに、首相その他閣僚らの靖国神社参拝行為が根絶されるまで、また安倍政権による立憲主義の蹂躙と戦争国家への道を阻止するために闘い続けることを宣言する。

安倍靖国参拝違憲訴訟・東京
原告団
弁護団

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以下は、同判決を伝える時事配信の記事。大方の報道はこの線でのもの。
「…岡崎克彦裁判長は『原告らの法的利益を侵害していない』と述べ、請求を棄却した。憲法判断についても『必要がない』とした。原告側は控訴する方針。
岡崎裁判長は、安倍首相が参拝後に発表した談話について、「恒久平和への誓いを立てたと理解できる。参拝を戦争準備行為などと理解するのは困難だ」と指摘。原告側が訴えた平和的生存権などの侵害はないと判断した。
原告側は参拝が政教分離に反するか判断を求めたが「結論を導くのに必要な場合を超えて判断するのは相当でない」とし、憲法判断は不要と結論付けた。
安倍首相の靖国神社参拝をめぐる判決は3件目。大阪地裁は16年1月、憲法判断せずに請求を棄却し、大阪高裁も支持していた。
原告側は判決後に記者会見し、「司法の職責を完全に放棄して首相に迎合した『安倍忖度(そんたく)判決』で到底容認できない」と批判した。

朝日は次のとおり。
「判決は、靖国参拝をめぐり、最高裁が06年の判決で示した『首相の参拝によって宗教上の感情が害され不快に思っても、ただちに法的に権利が侵害されたとして損害賠償を求められない』との判断を引用。首相の参拝は原告の信仰に対して強制や圧迫をするものではなく、損害賠償を求める対象にはならないとした。

政教分離原則については、『政教分離規定に反する国の行為があったとしても、(直ちに)個人の間の権利や自由を侵害することにはならない」と述べた。参拝が違憲であることの確認を求めた原告の訴えは却下した。」

報道でやや驚いたのは、東京新聞が「首相靖国参拝は『平和への誓い』 違憲訴訟、東京地裁判決」と見出しを打ったこと。

首相の靖國神社参拝が政教分離違反であることは、上述のとおり明らかといってよい。しかし問題は、それだけでは必ずしも訴訟のテーブルに乗らないということにある。

訴訟の提起が可能なのは、具体的な権利侵害があって権利救済の必要がある場合(あるいは権利侵害が迫っていて権利を予防しなければならない場合)に限られる。少なくも、法的保護に値する私的利益の侵害がなければならない。原告の権利や利益の侵害を離れて、国家機関に違憲・違法な行為があったから、その是正を求めるという訴えは不適法として却下の憂き目に遭う。だから、安倍晋三の違憲・違法な靖國神社参拝によって、各原告にどのような権利侵害(あるいは、法的保護に値する利益の侵害)があったかを特定し、立証しなければならない。

政教分離は信仰の自由という基本権を擁護するための制度的保障ということになっているのだが、政教分離違反があるだけでは必ずしも信仰の自由が侵害されたとは言えない。だから、具体的な信仰の自由の侵害がない限り、政教分離違反があったという訴えは取り上げない。政教分離違反の主張があっても判断の必要はない。司法は、このような頑なな姿勢を維持し続けている。

原告らは、自らの「宗教的人格権が傷つけられた」とし、また「平和的生存権が侵害された」とした。平和的生存権侵害の主張に対する判決の応答が以下のとおりで、やや長いが全文を引用する。
「原告らは,侵略戦争それ自体を賛美する靖国神社への本件参拝及び本件参拝受入れは,精神的な側面から戦争を受け入れる状況を作り出し,日本を戦争ができる国にする戦争準備行為であるのみならず,国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性を高め,原告らの生活に脅威と不安をもたらし,日本を含む諸国を戦争の危機に陥れる行為であるから,原告らの平和的生存権が侵害された旨を主張する。
しかしながら,平和とは,理念あるいは目的等を示す抽象的概念であって,憲法前文にいう『平和のうちに生存する権利』もこれを主張する者の主観によってその内容,範囲が異なり得るものであり,いまだ具体的なものではないから,平和的生存権を被侵害利益と認めるのは困難である。加えて,前記認定事実によれば,被告安倍は,本件参拝後にインタビューに応じ,『恒久平和への誓い』と題する談話を発表したが,その内容は,国のために戦い,尊い命を犠牲にした英霊に哀悼の誠を捧げ,尊崇の念を表し,御霊安らかなれと冥福を祈ったこと,日本は二度と戦争を起こしてはならず,過去への痛切な反省の上に立って,今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにしたことなどを表明するものであったことが認められ,少なくともこれを素直に読んだ者からは,被告安倍が本件参拝によって恒久平和への誓いを立てたものと理解されるものであって,本件参拝が戦争準備行為であるとか,本件参拝によづて国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性が高まるといった理解をするのは困難であるといわざるを得ない。
したがって,本件参拝及び本件参拝受入れにより平和的生存権が侵害されたことをもって被侵害利益とする原告らの主張は,理由がない。」

東京新聞は、上記のうちの「少なくともこれを素直に読んだ者からは,被告安倍が本件参拝によって恒久平和への誓いを立てたものと理解される」から、「首相靖国参拝は『平和への誓い』」と見出しを打ったもの。

一見して明らかなとおり、原告らの主張は、「侵略戦争それ自体を賛美する靖国神社への本件参拝及び(靖国による)本件参拝受入れは,精神的な側面から戦争を受け入れる状況を作り出し,国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性を高め」るものだから、「原告らの生活に脅威と不安をもたらし,原告らの平和的生存権が侵害された」というものであって、靖国とは何であるか、それに首相が参拝することの客観的な意味を問うている。

ところが、判決はこれに応えていない。むしろ、安倍談話を無批判に引用している点で、担当裁判官の見識を疑わざるをえない。原告団・弁護団声明が、「『安倍忖度(そんたく)判決』のそしりを免れないもの」と怒りを露わにするのも当然なのだ。
(2017年4月30日・連続第1491回)

靖國神社への参拝も真榊奉納も、そりゃ違憲だ。

普段は静かな靖國神社だが、春秋の例大祭と8月15日には格別の賑やかさを見せる。いま、その春季例大祭のさなかで、境内の賑わいよりは政治との関わりが喧しい。

靖國神社によれば、次の通りだ。
「靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。春の例大祭は4月21日から23日までの3日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・直会の諸儀が斎行されます。‥当日祭では、生前、お召し上がりになっていた御饌神酒や海の幸、山の幸などの神饌50台をお供えして神霊をお慰めし、平和な世の実現を祈ります。また、この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます。」

靖國に天皇の参拝は途絶えて久しいが、それでも同神社と天皇とはいまだに関係が切れていない。そして、靖國神社自らも「平和な世の実現を祈る」としていることが印象的である。軍国神社も平和を祈るのだ。

春期例大祭の初日に当たる昨日(4月21日)、高市早苗総務相が靖国神社を参拝した。私的な参拝なら、社頭で礼拝して賽銭をあげることで十分だろう。春の例大祭にこだわるのなら、土曜・日曜でも参拝は可能だ。にもかかわらず、この人の参拝は、ウィークデイの日中11時50分頃だったという。その時間帯からは、おそらくは公務の時間を割いての公用車での乗り付けだったに違いない。正式にこれ見よがしの昇殿参拝をして、「総務大臣・高市早苗」と記帳している。これが公式参拝でなくてなんなのだ。

「3年前に総務大臣に就任して以降、春と秋の例大祭の期間中や、8月15日の終戦の日に靖国神社に参拝しています」というのが、この人のコメント。玉串料は私費で納めたというが、どうやら、「総務大臣となった以上は、靖國神社参拝が責務」と思い込んでいるごとくである。

参拝を終えたあとの記者団に対する談話の内容が、「1人の日本人として、国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って、感謝の誠をささげ、ご遺族の皆さまのご健康と、平和を祈って参りました」と、報じられている。また、「中国や韓国の反発が予想されることには『国策に殉じられた方々の慰霊のあり方は外交問題であるべきではない』と強調した」という。

「1人の日本人として」の参拝というのはわかりにくい。まさか、「日本人2人分」の参拝はできまい。大臣あるいは公人としての参拝ではなく、普通の日本人としての、つまりは私人としての参拝という主張なのかも知れないが、そう端的には言わないところに含みがある。突っ込まれれば、公的資格における参拝、私的参拝、どちらにも言い逃れできる余地を意識的に残した表現のつもりなのだろう。

「国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って感謝の誠をささげ」は、常套句のようではあるが、やはりよく分からない。

まず確認すべきは、「靖國神社には戦没将兵の霊魂が存在する」という宗教観念をこの人が承認しているということ。憲法20条3項の政教分離原則は、行為者本人の認識に関わりはなく問題となるが、ここまで本人が宗教性を認識していることは、重要なファクターとなり得る。

戦没将兵を「国策に殉じられた方々」と言っているのは、なかなかに微妙な表現。「国に殉じた」のではなく「国策に殉じた」とは、国家政策の犠牲者というニュアンスがあることをこの人は意識していないのだろうか。

「尊崇の念を持って感謝の誠をささげ」は不可解である。なぜ戦没者は「尊崇の念」の対象になるのだろうか。また、「感謝」することとなるのだろうか。むしろ、率直に、「誤った国策によって命を落とした犠牲者とその遺族に対する、謝罪と不再戦の誓い」をこそなすべきであろう。

さらに、「国策に殉じられた方々の慰霊のあり方は外交問題であるべきではない」は、無理筋の発言。外交問題であるか否かは、優れて相手国のとらえ方の問題で、その口を封じることはできない。そして、何よりも閣僚の靖國神社参拝は、外交問題である以前に憲法問題ではないか。しかも、靖國神社こそは、国家の宗教性の払拭という問題だけでなく、国家が宗教を利用して国民を軍国主義に誘導したことへの反省という、政教分離の核心に関わる問題にほかならない。当然に、かつての侵略戦争や植民地支配の被害国からの反発は必至と考えねばならない。

ところが、菅官房長官は同日の記者会見で「外交への影響は全くない。外交問題にするほうがおかしい」と述べたそうだ。そりゃなかろうぜ。

「外交への影響は全くない」は事実認識の問題だが、「全くない」と考えることは明らかにおかしいし、その発言がさらに、相手国を刺激することになろう。

「外交問題にするほうがおかしい」は評価の問題だが、かつて日本の軍国主義の被害を被った国からすれば、日本政府の閣僚が軍国神社靖國の祭神に、「国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って、感謝の誠をささげる」と言うのだから、神経を尖らせざるを得ない。その上に、「外交問題にするほうがおかしい」と、文句を言うなといわんばかりの高飛車な姿勢。しかも、靖國神社の祭神の中には東条英機以下のA級戦犯も含まれているのだ。

高市だけではない。アベ晋三も同罪だ。同日、供え物の「真榊」を「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で奉納している。これ見よがしに、「内閣総理大臣 安倍晋三」という札を立てての真榊奉納、首相として、靖國神社という特定の宗教団体と、特別な関係を誇示する行為。目的効果基準から見て、政教分離に違反する許されざる行為と言わねばならない。

これに対して、菅官房長官は、記者会見発言で、「私人としての行動に関することであり、政府として見解は控えたい」と述べたという。そりゃなかろうぜ、菅さん。

「アッキード事件」を契機に、公人・私人論争が熱を帯びている。「私人」といえば、何でもできることにはならない。公務員の肩書きを明らかにし、公務員と公用車を使い、靖國神社に政府との特別の関わりがあることを示す効果があれば、これは政教分離違反だ。
(2017年4月22日)

日の丸・君が代の強制は、憲法20条(信教の自由)違反である。

「君が代裁判・4次訴訟」で、今月末を期限とした最終準備書面の作成に忙しい。私の分担部分の憲法20条(信教の自由)侵害論の一節(第3部 第2章 第2)を要約してご紹介したい。もちろん、違憲の根拠として主張しているものは、20条だけではない。19条もあれば、23条も、26条も、13条も、そして99条もある。20条は論点としては隠れがちだが、決しておろそかにしてはならない。以前にも申しあげたが、多くの人に、何を問題にしているかを知っていただきたい。その一端である。

※原告らの中には、自らの信仰ゆえに「日の丸・君が代」に対する敬意表明の強制に服しがたいとする複数の者がいる。
当該信仰をもつ原告らに対して、国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを強制する10・23通達、同通達に基づく職務命令、そして当該原告に対する本件各処分は、いずれも当該原告の信教の自由を侵害するものとして、憲法20条に違反する。
また、その余の信仰をもたない原告らについても、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよとの強制は消極的な信教の自由(信仰をもたず、信仰を強制されず、一切の宗教的関わりからの自由)を侵害するものとして、同じく憲法20条に違反する。

※ 信教の自由は、憲法史において、常に基本権カタログの先頭に位置するものであった。近代憲法における精神的自由はなによりも信教の自由を意味し、王権や為政者に対して被治者の信教の自由を認めさせるために近代憲法が成立したとさえ語られる歴史的事実の積み重ねがある。
しかし、我が国においては、20世紀の中葉まで信教の自由はなかった。1889年制定の大日本帝国憲法28条は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背サル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とし、天皇制を支える国家神道に抵触しない範囲でしか信教の自由は認められなかった。
その結果、国体思想に抵触する信仰は、天皇の神聖性を毀損することから「安寧秩序ヲ妨ケ」るものとして苛酷な宗教弾圧の対象となった。また、すべての国民に対して、明らかな宗教行事である神社参拝や宮城遙拝が「臣民タルノ義務」の範疇の行為として強制された。
日本国憲法は、旧憲法体制が国民の信教の自由を蹂躙した過去の反省から、憲法20条1項前段に、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と厳格な信教の自由保障の規定をおき、その2項で「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と明記した。

※ 「日の丸・君が代」は、大日本帝国の慣習法上の国旗国歌であった。大日本帝国が国家神道という特殊な宗教教義に基づく宗教国家であった以上、「日の丸・君が代」は、国家の象徴であるだけでなく国家神道という宗教上のシンボルでもあった。「日の丸・君が代」は、天皇の祖先神と現人神としての現天皇の弥栄を祈念する宗教儀式に必須の存在としての宗教的性格を持つ旗であり歌とされた。
日の丸は、太陽神を象形した宗教的デザインである。その象形が国家神道のシンボルとされたのは、天皇の祖先神(皇祖)であるアマテラスが太陽信仰に由来するところからとされる。また、君が代の歌詞は、神なる天皇の治世が代々継承して永久に続くように、という宗教的な祝祭歌である。
20世紀中葉まで、そのような意味付けをされていた「日の丸・君が代」は、象徴天皇制の日本国憲法下、かつての「日の丸・君が代」の宗教的性格を払拭し得ていない。とりわけ、自らの信仰を持つ者にとっては、「日の丸・君が代」が公的に宗教と結びついていた時代の記憶はいまだに生々しい。のみならず、現在なお天皇とその祖先を神と祀る宮中の皇室祭祀が連綿と継承され、これに追随する全国の神社神道が社会に根を下ろしている今日、「日の丸・君が代」をアマテラス信仰やアラヒトガミ信仰と切り離して考えることのできない現実的な社会基盤がある。

※ 信仰者である原告らにとっては、「日の丸」も「君が代」も、自らの信仰と厳しく背馳し抵触する存在であって、信仰という精神の内面の深奥において、この両者を受容しがたく、強制に服することができない。
このような信仰を有する者に、「日の丸・君が代」を強制することによる精神の葛藤や苦痛を与えてはならない。それこそが、日本国憲法が旧憲法時代の苦い反省のうえに国民に厳格な信仰の自由を保障した積極的な意味である。また、人類史が信教の自由獲得のための闘いとしての一面をもち、各国の近代憲法の基本権カタログの筆頭に信教の自由が掲げられ続けてきた普遍的意味でもある。

※ また、信仰者ではない原告らにとっても、宗教的性格を払拭し得ていない「日の丸・君が代」を強制されることは、信仰を有するものとは違った形で、自己の消極的な信仰の自由の侵害にあたるものである。

※ 「日の丸・君が代」の宗教的性格の有無や宗教的な意味付けの判断は、特定の宗教的行為を強制される側、すなわち被人権侵害者の認識を基準とすべきである。百歩譲っても、被侵害者の認識を最大限尊重しなければならない。人権侵害者の側である公権力においてする意味付けは、ことの性質上まったく意味をなさない。また、一般的客観的な基準によるときには、少数者の権利としての人権保障の意味は失われることにならざるを得ない。
とりわけ留意されるべきは、問題の次元が政教分離原則違反の有無ではなく、個人の基本的人権としての信教の自由そのものの侵害の有無であることである。公権力への禁止規定としての政教分離原則違反に関しては一般的客観的な判断になじむにせよ、基本的人権そのものである信教の自由侵害の有無を判断するに際しては、人権侵害の被害を被っている本人の認識を判断基準としなければならない。

※ 公権力の行使によって、原告らに対して「日の丸・君が代」への敬意表明を強制することが憲法20条に保障された信教の自由の侵害に該当するか否かの判断の過程では、憲法19条についての判断の枠組みと同様、一応は、原告らに対する起立や斉唱という外部行為の強制が、原告らの内面における宗教的信条を侵害すると言えるかが検討の対象となる。
しかし、信仰をもつ原告らについては、その判断の帰趨は自明というべきである。当該原告らにとっては、「他宗の神への礼拝の強制」にほかならず、「日の丸・君が代」に敬意を表明するよう強制されることは、信仰する教義と深く結びついた自己の人格そのものを否定されることであり、精神の深奥にあるものへの受け容れがたい破壊的攻撃以外のなにものでもない。

※ 江戸時代初期に、当時の我が国の公権力が発明した信仰弾圧手法として「踏み絵」があった。この狡猾な弾圧手法は、公権力が信仰者に対して聖像を踏むという身体的な外部行為を命じているだけで、直接に内心の信仰を否定したり攻撃しているわけではない、と言えなくもない。しかし、時の権力者は、信仰者の外部行為と内心の信仰そのものとが密接に結びついていることを知悉していた。だから、踏み絵の強制が信仰者にとって堪えがたい苦痛として信仰告白の強制になること、また、強制された結果心ならずも聖なる像を土足にかけた信仰者の屈辱感や自責の念に苛まれることの効果を冷酷に予測し期待することができたのである。
事情は今日においてもまったく変わらない。都教委は、江戸時代のキリシタン弾圧の幕府役人とまったく同様に、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制が、教員らの信仰や思想良心そのものを侵害し、堪えがたい精神的苦痛を与えることを知悉しているのである。
また、信仰をもたない原告らについても、事情は本質において変わらない。信仰をもつ原告においては侵害されるものが自己の信仰であるのに対して、信仰をもたない原告らにおいて侵害されるものは、特定の信仰の強制や干渉から自由であることである。
踏み絵の強制は、信仰をもたない一般人に対しても精神の静謐に対する被害を及ぼしうる。本来すべての人が、いかなる宗教とも、いかなる態様においても、関わりのなく精神生活を送ることについての自由を有する。「日の丸・君が代」の宗教性が払拭されていない以上は、これに対する敬意表明を強制される原告らは、宗教から完全に自由であるべきとする精神への侵害となるものである。

※ 以上の理は、基本的に「エホバの証人」剣道実技受講拒否事件最高裁判決(1996(平成)8年3月8日最高裁第二小法廷判決民集50巻3号469頁)において最高裁がとるところと言ってよい。
「エホバの証人」を信仰する神戸市立工業高等専門学校の生徒が受講を強制された剣道の授業受講は、一般的客観的には、宗教的な意味合いをもった行為とは言いがたい。しかし、当該の生徒の信仰に抵触する行為として、その強制の違法を最高裁は認めた。宗教性の認定に一般的客観的基準ではなく、被人権侵害者本人基準を採用したものというべきである。

本件でも、事情は同様であり、しかも「日の丸・君が代」への敬意表明という強制される行為は、剣道の授業受講とは比較にならない宗教性濃厚な行為である。(以下略)
(2017年2月26日)

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