澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

司法は権力から独立しているのか。ー辺野古訴訟最高裁判決の示すもの

「あたらしい憲法のはなし」を、ときおり読み返す。今日は、辺野古訴訟の最高裁判決を受けて、その「十一 司法」を読んでみた。

日本国憲法の施行が1947年5月。その年の8月に、新制中学校1年生用の社会科教科書として文部省が編纂したのが、この「あたらしい憲法のはなし」。当時、文字通り、できたての「あたらしい憲法」だったのだ。その後副読本に格下げされ、1952年以後は使われていない。

内容は細部を見れば不十分ではあるが、「民主的な平和憲法」の精神を国民に普及しようという、時代の空気や清新な意気込みが伝わってくる。全十五章。各章の標題は以下のとおり。
「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」

「十一 司法」は短い。全文をご紹介する。
 「司法」とは、爭いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。
 裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめております。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられないことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるのです。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。
こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。
 みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。

新憲法の特徴として違憲立法審査権が解説されているほか、「公平」という裁判の理念を実現するために、「司法権の独立」(その内実としての「裁判官の独立」)の重要性が強調されている。さて、「司法権の独立」は70年後の今日、現実のものとなっているだろうか。

司法の独立とは、最高裁を頂点とする裁判官たちが、国家や公権力からの有形無形の圧力から自由であることを意味する。今の司法が、国や政権におもねることなく、法と良心のみに従った裁判ができているか。答は「ノー」というしかない。

日本の裁判官諸氏の廉潔性は信頼に足りる。裁判官の私的利益獲得の思惑で判決の内容が左右されることはない。しかし、その廉潔な裁判官が、権力からの圧力に屈せぬ気概をもち、現行の支配の秩序が求めるものから自由であるかといえば、到底肯定し得ない。

最高裁だけでなく下級審の判決も、丁寧で精緻ではある。しかし、支配の秩序の根幹に関わる事案においては、どうしても「反権力」とはなり得ない。九条・安保・基地・沖縄・天皇・日の丸・君が代・家制度などに関わるテーマとなれば、憲法の理念を貫くという姿勢が腰砕けとなってしまう。

本日(12月20日)の最高裁辺野古訴訟判決はその典型と言ってよい。さすがに、原審・福岡高裁那覇支部判決のような「安保公益論」の思い込みの説示はなかったものの、4人の裁判官の全員一致の結論で反対意見も補足意見もなかったという。

先に引用した、「あたらしい憲法のはなし」は、国民に、
  國会には信頼を
  裁判所には尊敬を
求めている。これは、間違いだろう。民主主義本来の理念からは、
  國会には国民の猜疑を
  裁判所には国民の監視を
こそ、求めねばならない。

しかし、当時の文部省は、裁判所を「じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかた」と描いたのだ。いざという時の「国の味方」としての裁判所は想定外だったのだ。国の肩をもって、戦争のための恒久的な海兵隊の揚陸艦接岸基地建設を認め、環境破壊も治安の悪化も騒音も我慢せよという、住民いじめの判決を書く裁判所が現れようとは思いもよらなかったのだ。

まことに、権力から独立した「そんけいにあたいする最高裁」が切実に求められている事態ではないか。
(2016年12月20日)

「言語道断」「政府はもう相手にできない」-オスプレイ飛行全面再開

オスプレイ飛んだ
名護まで飛んだ
名護まで飛んで
浅瀬に墜ちた

オスプレイ墜ちた
やっぱり墜ちた
撃たれもせぬに
こわれて無惨

オスプレイ墜ちた
墜ちてもけろり
風、風、吹くな
日本中飛ばそ

日本を震撼させたオスプレイの墜落が12月13日の夜9時半。現地の不安と恐怖が癒える間もなく、本日(19日)在沖米軍はオスプレイの飛行を全面的に再開した。防衛大臣や官房長官は「防衛省・自衛隊の知見、専門的見地などから、合理性があるということだ」と言い、地元沖縄知事は「事前の説明がないまま一方的に飛行再開を強行した日米両政府の姿勢は、信頼関係を大きく損ねるもので、到底容認できない」(沖縄タイムス)と述べている。米軍と日本政府が、緊密なタッグを組んでの沖縄県民いじめの図ではないか。

この上なく頼りないだけでなく邪悪なイナダよ。おまえはどこの国の防衛大臣なのだ。米軍の言い分鵜呑みがおまえの仕事なのか。アベ政権よ、日本の主権はどこに行ったのか。県民感情は踏みにじっても、米軍へのおもねりが大事だということか。

翁長知事の最初の言葉が「言語道断だ」であった。この事態にまことにふさわしいが、痛切な響きをもつ。次いで、「そういう(オスプレイ飛行是認の)政府はもう相手にできない。法治国家ではない」と言っている。知事の会見では、「日本政府は県民に寄り添うと繰り返しながら、米側の考えを優先して再開を容認した」「県民不在で、日米安保に貢献する県民を一顧だにしていない。強い憤りを感じる」「あらゆる機会を通じてオスプレイの配備撤回と飛行停止を求める」と厳しい。

名護の稲嶺市長も、記者団に「言語道断」と言っている。
「まだ十分な検証ができていない中、政府が、飛行再開について『わかりました』というのが理解できない。沖縄県民の生命と財産を軽んじている。言語道断だ」

イナダは15日午後に、上京した翁長知事と防衛省で会っている。知事が「不安が現実のものとなり大きな衝撃を受けている。配備に強く反対してきたオスプレイが、このような事故を起こしたことに怒りを禁じ得ず、直ちに飛行中止と配備撤回を強く要請し、強く抗議する」と述べ、イナダは、「在日アメリカ軍の司令官と電話会談し、沖縄県や国民が安全性に重大な関心を寄せているオスプレイの事故は非常に遺憾だと伝え、政府や国民に透明性を持った情報開示をしてほしいと申し入れている」「住民の住んでいる近くで起きたことなので、防衛省としてもしっかり情報収集や公表を行い、安全確認や理解を頂くことが前提だと思っている」応じている。

その舌の根も乾かぬ内の、オスプレイ飛行再開是認の発言であり、自らが県民をしっかり説得しようとまで言っている。開いた口が塞がらない。よくもまあ、恥知らずなことを言えるものと、呆れるほかはない。

翁長知事の反論が厳しい。「安全を確認するのならば、しっかりと中身を含めて具体的に説明するべきで、『アメリカから丁寧な説明があり、日本政府が検証した結果理解した』という報告ではとても納得がいかない。これだけ安全保障を沖縄が背負っているのに、県民に説明しない形で物事にふたをするのはありえない」

この沖縄の怒りのなか、明日(20日)に辺野古訴訟最高裁判決が言い渡される。
(2016年12月19日)

ワタシが強面のニコルソンだ。オスプレイは、今後も飛ばす。

オスプレイは、墜落したのではない。コントロールされた状態で着水したのだ。確かに機体は大破し乗員二人は脱出時に負傷した。常識的には、これは「crush」(墜落)だろう。しかし、そんなことが今問題なのではない。重要なことは機体が着水直前まで完全にコントロールされた状態にあったことだ。だから、誰がなんと言おうともこれは、「landing on the water」(着水)なのだ。

墜落か着水かを分けるものが、「under control」だ。これあればこそ、パイロットは負傷しながらも住宅や住民の被害を避け得たのだ。沖縄の住民は、重大事故から間一髪のところで、オスプレイ・パイロットの的確な判断と英雄的な行為によって救われたのだ。これは表彰に値する。だから、沖縄県は挙ってオスプレイのパイロットに感謝すべきではないか。少なくとも、負傷の米兵に見舞いの言葉があってしかるべきだ。それを、副知事お出ましの抗議とは筋違いも甚だしい。ワタシは怒りを抑えきれない。机を叩くぐらいのことはする。

貴国の総理大臣も私と同じではないか。彼は、2013年9月7日ブエノスアイレスで開催されたIOC総会の席上、福島第1原発の汚染水排出問題を「The situation is under control」と表現している。その言葉で、東京オリンピック誘致に成功したのだ。当時常識的には、事故後の原発の汚染水が外洋にダダ漏れになっていたことは世界中の人が知っていた。それでも、「under control」だ。「under control」とは、かくも使い勝手のよい便利な言葉なのだ。

もし、私の「under control」がウソだというのなら、貴国の総理大臣も大嘘つきだ。そんな大嘘つきが首相を務める国の自治体が、ワタシに抗議する資格などあるわけはない。

そもそも、米軍が日本を片務的に防衛してやっているのだ。沖縄県も日本の一部ではないか。常々、駐留米軍に対する敬意と感謝の気持ちが足りないことを不満に思ってきた。どうして、そのような不遜な態度がとれるのか。

オスプレイの騒音がうるさいとか、事故の確率が高くて不安だとか、軍人の態度が横暴だとか、遵法精神に乏しいとか、そのくらいのことは、些細なこととして我慢してもらわなければならない。沖縄が、他国から攻めてこられたら、うるさいの、危ないの、不愉快だなどというレベルの問題ではないではないか。守ってもらっていることへの感謝の気持がもっとあってもよいはずなのだ。

オスプレイが沖縄に配備されてから既に4年を経過した。その間事故がなかったことはたいへんなことだ。どうしてこのことを立派なことと言わずに、たった一度の事故らしい事故で、被害もないのに大騒ぎをするのだろうか。

安慶田副知事は、ワタシへの抗議のあとの記者会見を行い、こう記事にさせている。
「安慶田氏によると、抗議の際、在沖米軍トップで第3海兵遠征軍司令官のニコルソン四軍調整官の表情はみるみる怒気に染まっていった。ニコルソン氏は『パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。感謝されるべきで表彰ものだ』と述べた。安慶田氏が『オスプレイも訓練もいらないから、どうぞ撤去してください』と伝えると、『政治問題化するのか』などと話し、テーブルをたたく場面もあったという。」「会談後、安慶田氏は記者団に『植民地意識丸出しだ。私たちからすると、抗議するのは当然だ』と感想を述べた。」

ワタシは、「植民地意識丸出しだ」という副知事の記者会見発言に驚いた。副知事は、沖縄を米軍の植民地ではないと思っているようだ。もちろん、19世紀から20世紀前半の「植民地」とは違うかも知れない。しかし、米軍は大きな犠牲を払って沖縄地上戦を制したのだ。また、戦後の占領期に、日本の天皇(裕仁)はマッカーサーに、独立後も沖縄の占領を継続するよう申し出た事実もあるではないか。今の沖縄は、戦争によって、敗戦国日本から戦勝国米国に差し出された「植民地同然」の島ではないか。いまさら、「植民地意識丸出しだ」などという抗議が成立する余地はない。

確かに、沖縄がオスプレイ配備に反対だということは知っている。知事が反対派の筆頭だ。県議会は3度も反対を決議し、41市町村の全議会も同調している。2012年9月には配備反対の県民大会が開かれ、10万1千人(主催者発表)が集まった事実もある。13年1月には全市町村の首長らが参加して東京・銀座を、オール沖縄勢力がデモ行進する事態に発展した。今も、確かに反対する県民世論は強く大きい。

しかし、本来この問題の所管は日本の政府だろう。国が米軍のオスプレイ配備計画に異を唱えたことは一度もない。防衛大臣も「不時着水」と繰り返しているではないか。アベ政権は、もの分かりがよい。だから、沖縄県が何を言っても、ワタシたちは本来無視してよいはずなのだ。それを忙しい時間を割いて、面会してやっていることをよく理解していただきたい。

どんな自動車も飛行機も、所詮は人が作った機械だ。絶対安全ということはありえない。オスプレイも、「いつか落ちる」ものなのだ。それが今回であったというだけのことではないか。今回の事故でワタシ自身が問題ないと確信するまで飛行はしないが、もちろんほとぼりの冷めたころには必ず飛行を再開する。ワシントンもオスプレイは引き続き飛行すると判断している。アベ政権も容認、いや歓迎するに違いない。

それでいったい何が問題なのか、聞かせてもらいたいものだ。ワタシには理解できない。
(2016年12月15日)

最高裁がどう断じても、民意は辺野古新基地を作らせない。

本日(12月12日)沖縄タイムスと琉球新報が、ともに号外を発行した。ほぼ同じ大見出し。「辺野古 県敗訴へ」「最高裁 弁論開かず」「20日上告審判決」「高裁判決確定」というもの。

記事の内容は「名護市辺野古の新基地建設を巡り、石井啓一国土交通相が翁長雄志知事を訴えた『辺野古違法確認訴訟』で最高裁は12日までに、上告審判決を今月20日午後3時に言い渡すことを決めた。辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しを違法とし、知事が敗訴した福岡高裁那覇支部の判決の見直しに必要な弁論を開かないため、県側敗訴が確定する見通し。知事は今後、埋め立て承認取り消しを撤回する手続きに入る。」というもの。

もちろん、12月20日の判決で問題は解決しない。ことの性質上、国が敗訴すれば、問題は解決する。しかし、県が敗訴しても紛争が終息するはずもない。沖縄の民意が新基地建設反対である以上は、その切実な要求を掲げた闘いは続く。知事には、幾つも手段が残されている。大浦湾埋立工事は再開できるのか。恒久的な新基地建設は完成に至るのか。予断を許さない。さて、これから局面は具体的にどうなるか。

沖縄タイムスは、こう言っている。
「国は早期に埋め立て工事を再開する考え。ただ、国が工事を進めるために必要な設計概要や岩礁破砕の許可申請に対し、県は不許可とすることを検討。埋め立て承認の撤回も視野に入れている。新基地建設を巡る国と県の争いは新たな段階に突入する。」

琉球新報はこうだ。
「翁長知事は『確定判決には従う』と述べており、最高裁判決後にも埋め立て承認取り消しを“取り消す”見通しとなった。国が新基地建設工事を再開する法的根拠が復活する。一方、翁長知事は敗訴した場合でも『あらゆる手法』で辺野古新基地建設を阻止する姿勢は変わらないとしており、移設問題の行方は不透明な情勢が続く。」

最高裁の12月20日判決言い渡しが沖縄県敗訴となる公算は限りなく高い。予想されていたことながら、この局面だけを見れば残念なこと。敗訴確定して、沖縄県は「その内容に不服だから、確定判決といえども従わない」とは言えない。言うべきでないとも言えるだろう。では、確定判決によって何が確定して、争えなくなるのか。

訴訟は、国土交通相(国)が原告となって、沖縄県知事を訴えた「不作為の違法確認訴訟」である。「地方自治法251条の7第1項の規定に基づく不作為の違法確認請求事件」と事件名が付されている。弁護士にだってなじみのない事件名。その一審・福岡高裁那覇支部判決の主文は以下のとおりである。

「原告(国)が被告(県)に対して平成28年3月16日付け『公有水面埋立法に基づく埋立承認の取消処分の取消しについて(指示)』(国水政第102号)によってした地方自治法245条の7第1項に基づく是正の指示に基づいて,被告が公有水面埋立法42条1項に基づく埋立承認(平成25年12月27日付沖縄県指令土第1321号,沖縄県指令農第1721号)を取り消した処分(平成27年10月13日付沖縄県達土第233号,沖縄県道農第3189号)を取り消さないことが違法であることを確認する。」

経過についての予備知識なしに理解しうる文章ではない。なんとか分かるように、日本語を組み直してみよう。

まず「仲井眞承認」(辺野古基地建設のために国が大浦湾埋立をすることの許可)があった。これを前知事の間違った承認として翁長現知事が取り消した(「翁長取消」と呼ぶ)。原告(国)は被告(県)に対して、「『翁長取消』を取り消せ」と是正指示(地方自治法に基づくもの)をした。ところが、被告(県)はこれに従わない。そこで、「国の指示に従って、県は「翁長取消し」を取り消すべきなのにこれを取り消さない。この県の不作為は違法」と裁判所に宣告を求めたのがこの訴訟である。

今年(2016年)9月16日、福岡高裁那覇支部は、「翁長知事による前知事の承認取り消しは違法」として、同取り消しの違法の確認を求めていた国の主張を全面的に認める判決を出した。上告棄却によって、この高裁判決が確定することになる。

判決が確定すれば、遺憾ながら「『翁長取消し』を取り消さない県の不作為が違法であること」が確認され、その蒸し返しはできないことになる。「不作為の違法確認」と「作為の強制」とは異なるから、「取消の作為を命じる強制力はない」という議論もあるのだろうが、知事の採るべき選択ではなかろう。

しかし、「翁長取消し」が違法とされた結果として「仲井眞承認」が復活したとしても、工事の続行ができるかどうかは別問題である。

国が海面の埋立工事を進めるためには県の承認(許可と同義)が必要だが、一回の包括的承認で済むことにはならない。「仲井眞承認」の有効を前提としても、今後の工事続行は種々の知事の許可が必要なのだ。まずは、設計概要や岩礁破砕の許可が必要なところ、そのような国の申請に対し県は不許可を重ねることになるだろう。このことは以前から報じられていたことだ。知事側が徹底抗戦すれば、工事の続行は困難といわなければならない。さらには、仲井眞承認に瑕疵のあることを前提とした『取消』ではなく、「県の公益が国の公益を上回った場合には、『撤回』もできる」という考え方もある。

これだけの地元の反対がある中での基地の建設や維持がそもそも無理というべきなのだ。沖縄県民の反基地世論が燃え、本土の支援がこれに呼応する限り、辺野古新基地建設は至難の業というべきであろう。最高裁判決に意気阻喪する必要はない。そして、こんなことで沖縄を孤立させてはならない。
(2016年12月12日)

「土人」「シナ人」よう言うた。「出張ご苦労様」や。

松井一郎や。これでも、府民の人気で立っている大阪府知事。
ああ、確かに言うたがな。おとつい(10月19日)の夜や。ツイッターでな。「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」や。そのとおりやんけ。

そりゃあ、「土人」も「シナ人」も、言われた方は怒るわな。翁長はんが湯気立てて抗議をするのももっともやで。けどな、それも立場の違いや。翁長はんは翁長はんの立場で怒ったらええ。わいはわいで府民の立場で、警官を弁護せなならんのや。

こないだ民進党の蓮舫に、「行革は我々の原点。『まがい物』のようなところに持っていかれてはいけない」と、維新が「まがい物」扱いをされたやろう。これに対して、「どっちがまがい物なのか。『偽物』にまがい物と言われとうない」と言い返したった。ああ言いかえさなアカンのや。沖縄県民に大阪の機動隊員がポロカスに言われたら、言いかえさなアカン。言い返しにバッシングあったら、擁護せなアカンのや。

政治家は人気商売や。維新はとりわけそうなんや。口にはせんものの府民がホンマのところ何を考えているかを読まんなならん。タテマエばかりで行儀ようしていたら、たちまち見捨てられる。オモロイこともようけあるけど、所詮は因果な商売や。前任の橋下かてそうや。「風俗活用せえ」て、あんなこと言い続けて目立たなアカンのや。アメリカのトランプやて、そうやろ。あれだけ、突っ張っているからここまで持ちこたえてんのや。

大阪人の気質てのはこうやな。ひとつは東京への対抗心や。敵愾心いうてもええ。これが地元限定タイガース人気の秘密や。対東京・対中央の叛骨。もう一つは、第中央意識の地方見下し優越感や。この二つの感情を、いつも勘定に入れて、算段せなアカンのや。

今回は、本土意識で沖縄への差別感がもろに出てきたんや。突発的なことやあらへんし、きれいごとではおさまらん。タテマエだけで差別発言は許されんなどと言ってはおられんのや。そんな様子を見せたら、途端に維新の人気はがた落ち、府民から見離される。多くの府民の心の奥にあるどろどろとした感情を上手にすくいとらねばならんのや。

だから、昨日(10月20日)も記者団に「沖縄の人の感情はあるので言ったことには反省すべきだと思う」とタテマエを言いつつも、「そのことで(警察官)個人を特定され、あそこまで鬼畜生のようにたたかれるのはちょっと違うんじゃないか。相手もむちゃくちゃ言っている」とゆうたとおり、警官の肩をもたなならんのや。

しかしや、若い大阪の機動隊員が「ぼけ、土人が」「帰れ、シナ人」などとは、よう言うたもんやな。なんと言えば、相手を侮辱することができるのか、日ごろから考えておったんやろうな。「ぼけ、沖縄県人が」「ぼけ、琉球人が」「ぼけ、ウチナンチューが」では悪口にならへん。相手の胸に突き刺さらんのや。「土人」は、単なる未開野蛮の一般名詞やあらへんで。戦前のアイヌや、占領した南方諸島の人々に対する固有の歴史にもとづく立派な差別用語や。一億総差別主義に浸った大日本帝国臣民とその末裔に根強く残る差別の語感を見事に表現して、相手を侮辱する言葉になったんや。「おまえんとこは、日本やない。未開の蛮地やんけ。その未開のボケの土人がえらそうなことを言うな」というわけやな。これをつづめて「ぼけ、土人が」。見事なやっちゃ、あっぱれなやっちゃ。ほとぼり過ぎたら、大阪府民栄誉賞を考えんないかんとちゃうか。

「帰れ、シナ人」は、もっと政治性の高い発言やな。日本の仮想敵国に中国があって、中国の大国化が日本の脅威で、そのための日米安保強化が必要で、安保のための辺野古と高江だ。それを妨害する奴らは、中国の手先に違いない。さすが大阪府警の機動隊員。ものごとを深く見ているやん。なんてったって本土を守るための沖縄の基地や。四の五の言わずに、沖縄はみあいのカネだけもろうて基地の建設に協力すればええやんか。それに楯突く沖縄県民は中国の手先や。だから「帰れ、シナ人」。整然たる論理やんか。沖縄差別と中国差別を兼ねたダブル差別。

でもな。本音を言えば、こんなことになっているのはアベ内閣の責任や。本当の責任者が口を拭って涼しい顔をしてはるのはおかしいんやないか。これは、大阪対沖縄の戦闘とはちゃうが、明らかに大阪府民と沖縄県民の衝突や。こんな具合に衝突させている元凶は、アベさんあんたの無策や。失敗や。そのとばっちりを沖縄と大阪が受けている。

それを他人事と知らん顔とは、殺生やんか。ええ、アベ晋三はん。

それとももしや、この大阪府警機動隊員の差別発言が大きな話題となって、辺野古だけでなく、高江で何が起こっているのか、世間の耳目を集めたことを苦々しく思ってはると言わはんのかね。
(2016年10月21日)

「起立・斉唱」と「起立・拍手」

久々に澄みきった青空が心地よい秋の日曜日に、爽やかならぬワタクシ・アベの登場でお目汚しをお許しください。ワタクシの今国会冒頭の所信表明演説が「北朝鮮現象」と評判が悪いのですが、釈明させていただきたいのです。

問題の個所は、ワタクシが意識して声を張り上げた次のくだりです。
「我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げます。現場では、夜を徹して、そして、今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が、任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか。」

わたしは、「今この場所から、自衛隊員らに、心からの敬意を表そうではありませんか。」と演説したに過ぎず、けっしてワタクシから我が党の議員にスタンディングオベーションを求めたものではありません。もっとも、事前に最前列の我が党の若手議員諸君には内々「起立・拍手」の指示をしていたのは報道されたとおりですが、けっして全議員に指示もお願いもしていたわけではありません。前列が立てば、順次附和雷同が連鎖するだろうと、計算づくのことだったからです。

君が代の「起立・斉唱」だって同じことでしょう。誰かが起立することは、周りの人に同じ行動を促す圧力になる。着席したままでは国家に意識的な反発をもっていると見なされかねない。順次起立の附和雷同現象が生じるものなのです。みんなが起立して一人不起立は、これはもう非国民。処分の対象としても大きな世論の非難はおきないのです。それとおんなじ雪崩現象を計算し期待したということです。

できれば、公明や維新あたりには同調圧力が及ぶことを期待したのですが、そこまでは実現しなかった。その点ややものたりず残念ではありますが、さすが我が党の議員。ほぼすべての諸君の領土・領海・領空を守る兵隊さんたちへの鳴り止まぬ「起立・拍手」。これこそが戦後レジームを脱却した戦前回帰への大きな第一歩。そして、ようやくにして我が党の議員だけでも国防国家という価値観を共有する北朝鮮の域に近づいてくれたかと、感慨一入というところでございます。

このとき、ワタクシの念頭にあったのは、あの「兵隊さんよありがたう」の歌詞とメロデイでした。念のため、歌詞を掲載しておきましょう。

 肩を並べて兄さんと  
 今日も学校へ行けるのは
 兵隊さんのおかげです 
 お国のために     
 お国のために戦った  
 兵隊さんのおかげです 

 夕べ楽しい御飯どき  
 家内そろって語るのも 
 兵隊さんのおかげです 
 お国のために     
 お国のために傷ついた 
 兵隊さんのおかげです 

 淋しいけれど母様と  
 今日もまどかに眠るのも
 兵隊さんのおかげです 
 お国のために     
 お国のために戦死した 
 兵隊さんのおかげです 

 明日から支那の友達と
 仲良く暮してゆけるのも
 兵隊さんのおかげです
 お国のために
 お国のために尽くされた
 兵隊さんのおかげです
 兵隊さんよありがとう
 兵隊さんよありがとう

ワタクシがいう「海上保安庁、警察、自衛隊の諸君」とは、この歌の「兵隊さん」にほかならないのです。

この歌は、日中戦争開始翌年の1938(昭和13)年10月、大阪朝日、東京朝日による「皇軍将士に感謝の歌」の懸賞募集の佳作一席に選ばれたのがこの歌だそうです。ちなみに、一等に選ばれたのは「父よあなたは強かった」だとか(ウィキペディア)。当時は、朝日新聞も国家や政府・軍部に全面協力の立派なことをしていたわけです。

国民生活に奉仕する人びとはたくさんいることでしょう。障がい者や老人の介護に専念している多くの人にではなく、危険な消火活動に当たっている消防士にでもなく、「兵隊さん」には特別に感謝しなくてはいけないのです。平和を守るためには、国際間の格差や不平等や貧困をなくし医療や教育の普及をする活動が不可欠と言えば言えることでしょう。でも、そういう取り組みに地道に努力している人たちに感謝することはないのです。飽くまでも感謝の先は「兵隊さん」でなくてはならないのです。

国の平和と安全を守るためには、武力を手段とする道と、武力によらない道とがあります。日本国憲法を素直に読めば、「武力による平和」「武力による安全保障」という道を明示的に放棄し、武力によらない平和、武力によらない安全保障という道を選択しています。ワタクシ・アベはこの憲法を天敵としています。この憲法を壊して、戦前同様に富国強兵をスローガンとする国防国家を作りたい。そのためには、何よりも、国民の中に根強くある「戦争は悪だ」という惰弱な厭戦意識や戦争アレルギーを払拭して、まずは「兵隊さんよありがとう」精神を涵養しなければならないのです。

ワタクシが言及した「任務の現場」の中には、もちろんのこと辺野古や髙江もはいります。ここでは、国家的大局観を見失って、地方的な利益に固執する一部の人びとの激しい抵抗を排除するために、「海上保安庁、警察、自衛隊の諸君」が体を張ってがんばっています。

まさしく、我が国の領土・領海・領空を守るための、辺野古大新基地であり、髙江ヘリパッドの建設ではありませんか。それを「沖縄地上戦の悲惨な体験から絶対に基地は作らせない」と妨害するのは、非国民ともいうべき不逞の輩以外の何者でもありません。そんなオジイやオバアの抵抗を排除するために、今日、今も、「兵隊さんたち」が極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、ごぼう抜きの任務を全うしているのです。
 
その沖縄の彼ら「兵隊さん」に対し、今この国会のこの場所から、自民党議員諸君だけでも一丸となって、心からの敬意を表そうではありませんか、と申しあげたのです。

えっ? 弁明になっていない? なぜそう言われるのか理由が理解できない。反日の非国民諸君には、ワタクシ・アベの言葉が通じないということなのでしょう。
(2016年10月2日)

「警視庁機動隊の辺野古・髙江派遣費用」の支出差し止め請求を

日刊ゲンダイが、辺野古新基地建設反対の闘いを「平成の砂川闘争」と表現した。「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」との名フレーズを残したあの砂川闘争である。「ちゅら海を、いくさの泥で汚させない」というのが、辺野古闘争である。

いま、代執行訴訟の和解によって大浦湾埋立工事はストップしているが、代わって東村高江周辺の米軍北部訓練場のヘリパッド建設工事が強行されている。工事の強行を支えているのは、500人規模といわれる全国から投入された機動隊である。地元沖縄の警察では住民や支援者に手荒なまねはできない。県外の機動隊に頼らざるを得ないのだ。

とりわけ、目立っているのが警視庁機動隊。工事現場では「何しに来たのか」「東京へ帰れ!」と怒声が飛ぶ。海保も機動隊も、沖縄戦での日本軍(第32軍)に似ている。地元の運動体には、「警視庁機動隊をなんとかできないのか」という声が高いという。さもありなん。一方、東京の運動体には、沖縄支援の具体策を講じたいが、有効な手立てはないだろうか。という声がある。

この両者を結びつける東京でできる手立てが、機動隊予算支出差し止めの監査請求である。

地方自治法242条に基づき、東京都民であれば誰でも(たった一人でも)、機動隊の沖縄派遣費用が東京都公安委員会ないし警視総監による違法または不当な公金の支出にあたるとして、その公金支出を差し止め、あるいは既往の損害を東京都に賠償するよう請求することができる。

請求先が東京都監査委員会で、そのメンバーは5名。警視庁生活安全部長の友渕宗治が常勤で他4人が非常勤。自民党都議・山加朱美、公明党都議・吉倉正美、元中央大学大学院教授・筆谷勇、公益財団法人21世紀職業財団会長・岩田喜美枝。

監査請求は、事実の特定が不十分でもかまわない。違法ではなく不当の主張でもよい。とりあえず監査請求をすることで、派遣機動隊の規模や支出額が特定できることになる。「宿泊先は、名護市内にある1部屋1泊5万円前後の高級リゾートホテル」との報道の真偽も確認できる。そして、監査結果に納得できなければ、監査請求者が原告となって、東京地裁に住民訴訟の提起もできることになる。

機動隊派遣費用支出が、違法あるいは不当な公金支出に該当するか否かは、もっぱら派遣された機動隊の行動如何にある。いったい、機動隊は何をしたのか、何をしているのか、現地の運動体との連携を緊密に、逐一その違法行為を監査請求審査の場に反映させるというのは、優れて実践的な運動であり法的手段ではないか。
そのような試みが今準備中であるという。
(2016年9月26日)

「こんな裁判所なら不要」ではなく、「こんな判決は有害」というべきだ。

沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、石井啓一国土交通相が沖縄県の翁長雄志知事を訴えた「辺野古違法確認訴訟」で福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)は(9月)16日、国側の請求を認め、県側敗訴の判決を言い渡した。(朝日から引用)

沖縄タイムスが、法廷での裁判長の発言を、「裁判長『ほっとした ありがとう』異例の感謝」「憤る傍聴席」の見出しで、次のように報じている。

「ほっとしたところであります。どうもありがとうございました」。16日午後2時、多見谷寿郎裁判長は、約4分間の国側勝訴の判決言い渡しを安堵の表情で締めくくり、県側代理人に一礼した。
 翁長雄志知事が敗訴した場合に『確定判決には従う』考えを明言したことへの異例の“感謝”に、県側代理人は硬い表情を崩さなかった。傍聴席からは『出来レースとしか思えない』と憤りの声が上がった。」

裁判長の言い渡しとこれに続く発言は以下のとおりとのこと。

それでは、いま読み上げました事件(平成28年(行ケ)第3号地方自地法251条の7第1項の規定に基づく不作為の違法確認請求事件)の判決を致します。
主文
1、原告が被告に対して平成28年3月16日付「公有水面埋立法に基づく埋立承認の取り消し処分の取り消しについて(指示)」によってした、地方自治法245条の7第1項に基づく是正の指示に基づいて、被告が公水法42条1項に基づく埋立承認を取り消した処分を取り消さないことが違法であることを確認する
2、訴訟費用は被告の負担とする。
請求認容です。理由については、判決の骨子と要旨を作成している。ご覧ください。

なお、この場で2点だけ説明致します。
まず1点目は、協議と判決との関係。協議は政治家同士の交渉ごとでまさに政治の話。訴訟は法律解釈の話。両者は対象とする問題点は同じでも、アプローチがまったく違うもので同時並行は差し支えないと、考えた。
2点目。裁判所が被告に敗訴判決に従うかを確認した理由に関係する。国は敗訴しても変わらない。国は何もできないことが続くだけ。
これは弁護士の方はよくご存じだと思うが、平成24年の地方自治法改正を検討する際に問題になった。

不作為の違法を確認する判決が出ても、地方公共団体は従わないのではないか。そうなれば判決をした裁判所の信頼権威を失墜させ、日本の国全体に大きなダメージを与える恐れがあるということが問題になった。
そういう強制力のない制度でも、その裁判の中で、被告が是正指示の違法性を争えるということにすれば、地方公共団体も判決に従ってくれるだろうということで、そういうリスクのある制度ができた。
それで、その事件がこの裁判にきたということになる。そういうことで、そのリスクがあるかを裁判所としてはぜひ確認したいと考えた。もしそのリスクがあれば、原告へ取り下げ勧告を含めて、裁判所として日本の国全体に大きなダメージを与えるようなリスクを避ける必要があると考えた。もちろん代執行訴訟では、被告は「不作為の違法確認訴訟がある。そこで敗訴すれば、従う。だから、最後の手段である代執行はできない」と主張されまして、それを前提に和解が成立しました。
ですから当然のこととは思いましたけれども、今申し上げたように理解があるということでしたので、念のため確認したものの、なかなかお答えいただけなくて心配していたんですけども、さすがに、最後の決断について知事に明言していただいて、ほっとしたところであります。どうもありがとうございました。判決は以上です。じゃあ終わります。

裁判所が作成した判決骨子というものは以下のとおり。これだけ読めば、裁判所の考え方が、あらかた解る。

判決骨子
1 事案の概要
 本件は,原告が,被告に対し,普天間飛行場代替施設を辺野古沿岸域に建設するために受けていた公有水面埋立ての承認の取消しを敢り消すよう求めた是正の指示に従わないのは違法であるとして,その不作為の違法の確認を求めた事案である。
2 当裁判所の判断
(1) 知事が公有水面埋立承認処分を取り消すには,承認処分に裁量権の逸脱・濫用による違法があることを要し,その違法性の判断について知事に裁量は存しないので,取消処分の違法性を判断するに当たっては,承認処分の上記違法性の有無が審理対象となる。
(2) 公有水面埋立法(以下,「法」という。)4条1項1号要件の審査対象に国防・外交上の事項は含まれるが,これらは地方自治法等に照らしても、国の本来的任務に属する事項であるから,国の判断に不合理な点がない限り尊重されるぺきである。
(3) 普天間飛行場の被害を除去するには本件埋立てを行うしかないこと,これにより県全体としては基地負担が軽減されることからすると,本件埋立てに伴う不利益や基地の整理縮小を求める沖縄の民意を考慮したとしても,法4条1項1号要件を欠くと認めるには至らない。
(4) 承認時点では,十分な予測や対策を決定することが困難な場合は引き続き専門家の助言の下に対策を講じることも許されるなどの点に照らすと法4条1項2号要件を欠くと認めるには至らない。
(5) よって,承認処分における要件審査に裁量権の逸脱・濫用があるとは言えず,承認処分は違法であるとは言えない。仮に,承認処分の裁量権の範囲内であってもその要件を充足していないという不当があれば取り消せると解したとしても,承認処分に不当があると認めるには至らないし,仮に不当があるとしても,知事の裁量の範囲内で埋立ての必要を埋立てによる不利益が上回ったに過ぎず,承認を取り消すべき公益上の必要がそれを取り消すことによる不利益に比べて明らかに優越しているとはいえないなど,承認処分を取り消すことは許されない。よって,被告の取消処分は違法である。
(6)その他,被告がする是正の指示が違法であるとの主張は,その前提とする地方自治法の解釈が失当である。
(7)遅くとも本件訴え提起時には,是正の指示による措置を講じるのに相当の期間は経過しており。被告の不作為は違法となった。また,地方自治法の趣旨及び前件和解の趣旨から,被告は自ら是正の指示の取消訴訟を提起するべきであった。

もっとも、めったにない形式の訴訟。経過を追っていないと、何が争われているかが分かりにくい。読者に分かっていただけるように解説したい。

国(沖縄防衛局)は、沖縄県名護市辺野古の大浦湾を埋め立てて、広大な米軍新基地を建設しようとしている。この埋め立てには公有水面埋立法に基づく県知事の承認が必要となっている。国といえども例外ではない。そこで、国が県に対して埋立の承認を求めた。問題となった法の条項は、公有水面埋立法4条1項の1号と2号である。

第四条 都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ
一 国土利用上適正且合理的ナルコト
二 其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト

国の公有水面埋立承認申請に対して、
(1)13年12月27日、仲井眞前知事が承認した。(これを「仲井眞承認」と言うことにする)
(2)15年10月13日、翁長現知事が、「仲井眞前知事がした承認」を取り消した。(これを「翁長取消」とする)
(3)16年3月16日、国(国土交通大臣)が県に対して、『翁長知事が、「仲井眞前知事がした承認」を取り消した」のは違法だから、この取消を取り消すよう』是正の指示をした。
(4)県が是正の指示に従わないから、国(国交大臣)は県を被告として「是正の指示に従わない不作為が違法であることの確認を求める」という訴訟を起こした。

つまり、国は県に対して、「翁長取消を取り消せ」と是正指示をしている。翁長取消が取り消されれば仲井眞承認が復活して、現在中断している埋立工事を再開して続行できるとになるわけだ。

国にいわせれば、(1)法に照らして「仲井眞承認」が正しく、(2)「翁長取消」が違法。だから、(3)国の是正の指示にしたがって、県は「翁長取消を取り消す」べきだがこれをしないから、(4)県の不作為(国の指示に従わないこと)の違法確認を求める、という訴訟を提起したのだ。

これに対して、県の側からは、(1)「仲井眞承認」はいい加減な審査でなされた違法な承認で、(2)翁長現知事の「承認取消」は環境保全問題を精査して出された適法な取り消し。だから、(3)国の県に対する是正の指示は不適法なものとして、従う必要はない。したがって、(4) 裁判では、違法確認請求の棄却を求める、ということになる。

判決は、国の完勝、県の完敗である。判決言渡し後の報告集会で、被告県側の弁護団長は「考えられる中では最も悪い判決」と言い切ったと報道されている。まったく、そのとおりだろう。判決書は全文180頁を越す大部なもので、全文は手許にないが、目次や沖縄タイムスが報道している下記の「詳細要旨」で十分に中身が分かる。裁判所が整理した、争点(1)~争点?のいずれについても、裁判所はなんの悩みもなく国側の肩をもっている。

 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/62573

まず、判決理由は、「仲井眞承認は広範な裁量権にもとづくもので、これを取り消すには,承認処分に裁量権の逸脱・濫用による違法があることを要する」とし、一方「翁長取消の判断に、仲井眞承認の違法性判断に裁量はない」と言いきる。これで、事実上勝負あったということになる。

続いて、判決は仲井眞承認の適法性を積極的に述べている。公有水面埋立法4条1項の1号と2号の各要件を充足しているというのだ。この判断には、問題が大きい。とりわけ、「国土利用上適正且合理的ナルコト」に関して、国の防衛政策上の適正・合理性の主張に過剰にコミットしている点が問題となろう。事実上、日米安保を基軸とする国の防衛政策を過度に重要視して、これに反する自治体の判断を許さないものとなっており、地方自治をないがしろにするものと言わざるを得ない。(3) 普天間飛行場の被害を除去するには本件埋立てを行うしかないこと,これにより県全体としては基地負担が軽減されることからすると,本件埋立てに伴う不利益や基地の整理縮小を求める沖縄の民意を考慮したとしても,法4条1項1号要件を欠くと認めるには至らない。また、埋立承認の条件としての環境保全の必要性については、その重要性が没却されている。

「普天間飛行場の被害を除去するには本件埋め立てを行うしかない」などと国の主張に積極的な賛意を表するその筆致は、公正性を疑わせるに十分である。

なお、争点6の「国が行える是正の指示の範囲について」の判示が引っかかる。

「本件指示は国土交通大臣の権限を逸脱する」という、知事側の見解を一蹴して、判決はこう言っている。
「是正の指示の要件は、『各大臣は、その所管する法律、またはこれに基づく政令に係る都道府県の法定受託事務の処理が法令の規定に違反していると認めるとき』(同法245条の7第1項)と定めている。これは、法定受託事務に関する是正の指示については、都道府県が処理する法定受託事務に係る法令を所管する大臣であることだけが要件とされている。自らの担任する事務に関わるか否かに関係なく、法定受託事務の処理が違法であれば、是正の指示の発動が許される趣旨と解される。よって、この点において知事の主張に理由がないことは明らかだ。」

この見解だと、仮に仲井眞承認の先行なく、翁長知事が国(防衛局)の埋立申請を不承認とした場合でも、国(国交相)は承認するように是正の指示が出せることになる。これでは、国と自治体との対等性はまったく否定されてしまうではないか。

多見谷コートに関しては、沖縄現地の報道は、非常にネガティブなものだった。「15年10月に多見谷裁判官が福岡高裁那覇支部長に異動したのは、国寄りの判決を書いてきた姿勢を見込まれて、辺野古訴訟対策に送り込まれたのではないか」「国側代理人は法務省の定塚訟務局長だが、定塚氏は高裁支部の多見谷裁判長と連絡をとっていた」など。判決は、危惧されたとおりのものとなった。

裁判とは紛争解決の役割を持つ制度だが、どのような判決でも、ともかくどちらかの主張に軍配を挙げること自体に意味があるというものではない。公正な立場から法的正義を実現しているとの国民からの信頼を得ることによって、社会の秩序形成に資することになる。しかし、これだけ露骨な政府摺り寄りの判決となっては、沖縄県民だけでなく、沖縄の問題に関心を寄せるあらゆる人に、説得力を持ち得ないものとなった。

「こんな裁判所なら不要」のレベルではない。「こんな判決は有害」というべきだろう。これでは国と沖縄県との紛争解決に益するものとはなりようがない。
(2016年9月17日)

「辺野古・違法確認訴訟」ーはたして公正な裁判が行われているのか。

国が沖縄県を訴えた「辺野古・違法確認訴訟」が昨日(8月19日)第2回口頭弁論で結審した。7月22日提訴で8月5日に第1回口頭弁論。この日、判決までの日程が決まった。そして、決まった日程のとおりわずか2回の期日での結審。9月16日には判決言い渡しとなる。異例の早期結審・早期判決というだけではない。極めて問題の大きな訴訟指揮が行われている。果たして公正な裁判が行われているのだろうか。納得しうる判決が期待できるのだろうか。

問題は、やや複雑である。まずは、どんな裁判なのか確認しておきたい。

国(沖縄防衛局)は、沖縄県名護市辺野古の大浦湾を埋め立てて、広大な米軍新基地を建設しようとしている。公有水面を埋め立てるには、国といえども県知事の承認が必要となっている。そこで、国が県に対して埋立の承認を求めた。承認の是非は、主として環境保全の観点から判断される。

国の公有水面埋立承認申請に対して、
(1)仲井眞前知事が承認した。
(2) 翁長現知事が、「仲井眞前知事がした承認」を取り消した。
(3)国(国土交通大臣)が県に対して、『翁長知事が、「仲井眞前知事がした承認」を取り消した」のは違法だから、この取消を取り消すよう』是正の指示をした。
(4)県が是正の指示に従わないから、国(国交大臣)は県を被告として「是正の指示に従わない不作為が違法であることの確認を求める」という訴訟を起こした。

つまり、国にいわせれば、(1)「仲井眞前知事の埋立承認」が正しく、(2)「翁長現知事の承認取消」が違法。だから、(3)国の是正の指示にしたがって、県は「承認取消を取り消す」べきだがこれをしないから、(4)県の不作為(国の指示に従わないこと)の違法確認を求める、ということになる。

これに対して、県の側からは、(1)「仲井眞前知事の埋立承認」はいい加減な審査でなされた不適法な承認で、(2)翁長現知事の「承認取消」は環境保全問題を精査して出された適法な取り消し。だから、(3)国の県に対する是正の指示は不適法なものとして、従う必要はない。したがって、(4) 裁判では、違法確認請求の棄却を求める、ということになる。

以上の説明だと、新旧各知事の「承認」と「その取り消し」の適法違法だけが争点になりそうだが、現実の経過はより複雑になっている。それは、本件訴訟の前に、国から県に対する代執行訴訟の提起があって、その和解がなされていること、その和解に基づいて国地方係争委員会の審査があり、結論として「真摯な協議」を求められていること、である。

代執行訴訟の和解も、係争委員会の決定も、国と県との両者に真摯な協議による自主解決が望ましいとする立場を明らかにしている。しかし、この間における国の協議拒否の姿勢の頑なさは尋常ではない。

代執行訴訟の和解は今年の3月4日金曜日だった。誰もが、これから県と国との協議が始まる、と考えた。ところが、土・日をはさんで7日月曜日には、国は協議の申し入れではなく、県に対して「承認取消を取り消す」よう是正の指示を出している。国は、飽くまで辺野古新基地建設強行の姿勢を変えない。

「代執行訴訟における和解も、係争委員会の決定も、国と県との両者に真摯な協議による自主解決が望ましいとしているではないか。県は一貫して国との間に真摯な協議の継続を求めており、不作為の違法と評される謂われはない」とするのが県の立場。

衆目の一致するところ、先行した代執行訴訟での原告国の勝ち目は極めて薄かった。この訴訟での国の敗訴で国が辺野古新基地建設を終局的に断念せざるをえなくなるわけではないが、国にとっては大きな痛手になることは避けられない。裁判所(福岡高裁那覇支部・多見谷寿郎裁判長)は、強引に両当事者に和解案を呑ませて、国を窮地から救ったのではないのだろうか。

国は敗訴を免れたが、埋立工事の停止という代償を払わざるをえなかった。以来、工事は止まったままだ。国は新たな訴訟での勝訴確定を急がねばならない立場に追い込まれている。裁判所の審理促進は、このような国の立場を慮り、気脈を通じているのではないかと思わせる。

裁判所が異様な審理のあり方を見せたのは、まずは被告となった県側が答弁書を提出する前に争点整理案を提示したことである。裁判の大原則は当事者主義である。裁判所は両当事者の主張の範囲を逸脱した判決は書けない。だからまずは両者の言い分によく耳を傾けてからでなくては争点の整理はできない。答弁書提出前の争点整理など非常識で聞いたことがない。これではまるで昔のお白州並みだ。原告の審理促進の要望に肩入れしていると見られて当然なのだ。

本日(8月20日)の沖縄タイムスは、「『辺野古訴訟』結審 異様な裁判浮き彫りに」と題する社説を掲げている。そのなかに次の一文がある。

「2回の口頭弁論で見えてきたのは裁判の異様さである。
 この日も国側代理人は翁長知事に「最高裁の判断で違法だと確定した場合に是正するのは当然だという理解でいいか」と繰り返し尋ねた。多見谷裁判長も「県が負けて最高裁で確定したら取り消し処分を取り消すか」とただした。
 審理中の訴訟について、県が敗訴することを前提に最高裁における確定判決に従うかどうかを質問するのは裁判所の矩を超えている。
 多見谷裁判長と国側代理人の示し合わせたような尋問をみると、3月に成立した国と県の和解は、国への助け舟で仕組まれたものだったのではないかとの疑念が拭えない。

 多見谷裁判長は昨年10月30日付で福岡高裁那覇支部に異動している。国が代執行訴訟に向けて動き始めていた時期と重なっていたため、さまざまな臆測を呼んだ。
 同裁判長と国側代理人を務める定塚誠・法務省訟務局長は成田空港に隣接する農地の明け渡しを求めた「成田訴訟」で、それぞれ千葉地裁、東京高裁の裁判官を務めていたことがある。定塚氏は和解条項の案文や和解受け入れにも深く関わっている。」

本来、裁判所は両当事者から等距離の第三者でなければならない。国の代理人が仲間の裁判官という構図で裁判が進行しているのだ。」

また、本日(8月20日)の琉球新報は、こう述べている。
「原発問題など地方自治体の民意と国益の衝突は全国にあり、今後、地方と国の対立が司法に持ち込まれる場面は増加するとみられる。不作為の違法確認訴訟は今回が制度創設以来初めてのケースだ。多見谷寿郎裁判長が、まだ煮詰まっているとは到底言えない議論をどう整理するのか。訴訟の判決は、司法が地方自治とどう向き合うかを問う試金石となる。」

そのとおりだ。試金石の意味を敷衍すれば、こうなるだろう。
9月16日判決で沖縄県が勝訴すれば、公正な司法が地方自治と真っ当に向き合ったことの証しとなる。しかし、もし国が勝訴するようなことがあれば、裁判の公正に対する国民の信頼は地に落ちることになる。司法は真っ当に地方自治に向き合っていないと評せざるをえないということだ。

そんな裁判で、仮に沖縄県が敗訴したとしよう。知事が、確定判決に従わざるをえないことは当然としても、そのことが「辺野古新基地建設を阻止する」手立てを失うことにはならない。訴訟は、「あらゆる手段を尽くして辺野古新基地建設を阻止する」という手立のひとつに過ぎない。しかも、法的手段がまったくなくなるというわけでもない。

民意が新基地建設反対という以上は、本来国は無理なことをやっているのだ。強引になればなるほど、傷を大きくするのは国でありアベ政権とならざるを得ない。自民党だけではない。国交相を出している公明党にとっても大きな打撃となるだろう。
(2016年8月20日)

稲田朋美核容認防衛大臣誕生の悪夢

都知事選の敗北を引きずっての8月である。脱力感が抜けないまま、はや原爆忌。この間、内閣改造があって、えっ? 稲田朋美が防衛大臣だと?。悪い冗談はほどほどに、と言わざるを得ないできごと。共和党の大統領候補となったトランプ同様の悪夢。と言うよりはリアリティのないマンガ的なできごとではないか。とはいえ、小池百合子都知事同様、イナダ防衛大臣が現実となっている。そもそもアベ政権の存在が、既に悪夢であり、信じがたいマンガ的できごとであり、冗談のはずの現実なのだ。

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8月3日深夜のイナダ就任記者会見は、さすがにご祝儀会見とはならなかった。記者諸君のツッコミはなかなかのもの。防衛省のホームページに防衛大臣臨時記者会見概要として掲載されている。
    http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2016/08/04a.html

見出しをつけ、多少質疑の順番を入れ替えて整理してみた。少し長いがイナダなるものがよく分かる。ぜひ目を通していただきたい。イナダが、防衛大臣として不適任なこと明々白々ではないか。こんな人物を物騒な地位に就けては、日本の安全にもアジアの平和にも有害だ。もっとも、外の省庁なら適任という意味ではない。この人、過去の自分の発言に無責任だ。質問に噛み合った答弁の能力がない。言っていることが論理的整合性に乏しい。上手に切り返す政治的センスがない。答弁に余裕もユーモアもない。要するに政治家としてはまったくダメということだ。

イナダの歴史認識を問う
Q:大臣は、日中戦争から第2次世界大戦にいたる戦争は、侵略戦争だと思いますか。自衛のための戦争だと思いますか。アジア解放のための戦争だと思いますか。
A:歴史認識に関する政府の見解は、総理、官房長官にお尋ねいただきたいと思います。防衛大臣として、私個人の歴史認識について、お答えする立場ではありません。

Q:防衛大臣としての見解を伺いたい。
A:防衛大臣として、お答えする立場にはないと考えております。

Q:大臣の就任が決まってから、中国やフランスのメディアなどが、右翼政治家と指摘していたと思うのですけれども、大臣のそれについての御見解と、自分をどういう政治家だと。
A:多分、弁護士時代に関わっていた裁判などを捉えられたりされているのではないかというふうに思っておりますけれども、私自身は、歴史認識の問題について、様々な評価はあるでしょうけれども、一番重要なことは客観的な事実が何かということだと思います。私自身の歴史認識に関する考え方も、一面的なものではなくて、やはり客観的事実が何かということを追求してきたつもりであります。その上で、私は、やはり先ほども申し上げましたように、東アジア太平洋地域の平和と安定、そしてそのためには、中国、韓国との協力的な関係を築いていくということは不可欠だろうというふうに思っております。いつでも、私は、交流というか、話し合いの場を自分から設けていきたい。そして、議論することによって、私に対する誤解も、多分払拭されていくのではないかというふうに思っております。

Q:それに関連して、前の大臣、中谷さんは、訪中についてかなり追求されていたと思うのですけれども、大臣、先ほどの質問で聞かせていただいたのですが、訪中に関する考え方を教えて下さい。
A:機会があれば、訪中したいというふうに思っております。

Q:海外メディアは、大臣の歴史問題に関しまして、南京事件について御見解がいろいろあると思うのですが、聞きたいということと、防衛省の正式な見解では、非戦闘員の殺害、略奪行為をやったことは否定できないと。正しいか、いろいろな説はあるのでどれかとは整理はできませんとあるのですけれども、この見解についてはどう御覧になられますか。
A:私が、弁護士時代取組んでいたのは、南京大虐殺の象徴的な事件といわれている百人切りがあったか、なかったか。私は、これはなかったと思っておりますが、そういったことを裁判として取り上げたわけであります。それ以上の歴史認識については、ここでお答えすることは差し控えたいと思います。

Q:外務省の方の見解は、これは政府としての正式な見解ではないと思うのですけれども、どうお考えですか。
A:外務省の見解を申し上げていただけますか。

Q:南京入城の時に、非戦闘員が殺害、略奪行為があったことは否定できないと思われていますと。具体的なニュースについては、諸説あるので政府はどれが正しいか言えませんと。歴史のQ&Aのホームページ、外務省に書いてあるのですけれども、これはいかがでしょうか。
A:それは、三十万人、四十万人という数が、南京大虐殺の数として指摘をされています。そういった点については、私は、やはり研究も進んでいることですので、何度も言いますけれども、歴史的事実については、私は、客観的事実が何かということが最も重要だろうというふうに思います。

Q:この見解については、虐殺があったと。略奪行為。民間人の虐殺であったと。数は分からないと。この認識だと思うのですけど。これはお認めになるのですか。
A:数はどうであったかということは、私は重要なことだというふうに思っております。それ以上に、この問題について、お答えする立場にはないというふうに思っています。

Q:例えば秦郁彦なんて、ああいった右の方だと思うのですが、日本軍の陣中日記ですとか、その作戦の照合とか御覧になって、捕虜になって捕まった人は、正式な軍事裁判にかけられずに殺されていると。これは、民間人ではないし、虐殺に当たる。虐殺というか、不法な殺害に当たるので、そういう意味では数万の殺害は認めざるを得ないと。これは、かなりコンセンサス的にできあがっているところだと思うのですけれども、戦闘詳報とか、先ほど「事実が大切」と仰いましたが、日本側の残した正式な記録に残る少なくとも数万の殺害というのは、認められるのかどうかというのをぜひお伺いしたいのですが。
A:秦先生を含め、様々な見解が出ていいます。何が客観的事実かどうか、しっかりと見極めていくことが重要で、それ以上について、私がお答えできる立場にはないと思います。

Q:外務省の見解についてはどうなのですか。ホームページに載っているのですけれども。外務省と防衛省、見解が違ったら困ると思うのですが。
A:外務省の見解が、政府の見解と反するということではない、当たり前のことですけれども。

Q:大臣もこの見解をとられると、従うということですか。
A:大臣もというか、私は、歴史的な問題については客観的事実が全てであり、数は関係ないという御意見もありますけれども、数を含めて客観的事実が何かということを、しっかりと検証していくことが重要だというふうに思っています。

Q:その点でのポイントというのは、ここ20年ぐらいは議論が進んでいなくて、歴史家でこれに挑戦する人ってあまりいないのですけれども、大臣、そこら辺は、事実、事実と仰られますが、この点についても、捕虜の殺害、この点、疑義があられるということなのでしょうか。
A:私がここで秦先生の見解について、何かコメントをする立場にはありません。

イナダの靖国参拝の意向について問う
Q:大臣は、靖国の参拝を心の問題だとおっしゃったけれども、かつて小泉内閣時代に、総理は堂々と靖国に公式参拝するべきだとおっしゃられていました。それが、なぜ今、防衛大臣になられて、公式参拝をするとも、しないとも言えないのですか。
A:私は、靖国神社に参拝するか、しないか、これは、私は、心の問題であるというふうに感じております。そして、それぞれ一人一人の心の問題について、行くべきであるとか、行かないべきであるとか、また、行くか、行かないか、防衛大臣として、行くか、行かないかを含めて、申し上げるべきではないと考えております。

Q:かつて、総理大臣が一国のリーダーとして、堂々と公式参拝するべきだというふうにおっしゃっていましたけれども、それとは考え方が変わったということですか。
A:変わったというより、本質は心の問題であるというふうに感じております。

Q:そのときには、総理大臣は行くべきだというふうにおっしゃっていた訳ではないですか。心の問題だというふうにおっしゃっていないではないですか。
A:そのときの私の考えを、ここで申し上げるべきではないというふうに思います。また、一貫して、行政改革担当大臣、さらには政調会長、もうずっとこの問題は心の問題であって、行くとか、行かないとかは、お話しはしませんけれども、安倍内閣の一員として適切に判断をして行動してまいりたいと思っております。

Q:行政改革担当大臣としては行かれた。防衛大臣としては、なぜ行くとも行かないとも言わないのですか。
A:行政改革担当大臣の時代にも、何度も予算委員会、それから様々な記者会見でもお尋ねを受けました。その際にも私は、心の問題であり、靖国に参拝するとか、しないとか、すべきであるとか、すべきでないとか、申し上げませんということを一貫して申し上げてきたとおりです。

Q:一国の総理大臣は、公式参拝すべきだと言っているではないですか。べきだと、「べきだ論」を言っているではないですか。
A:私は、これの本質は心の問題だというふうに感じております。

イナダの従軍慰安婦問題の認識を問う
Q:慰安婦問題に関して聞きたいのですけれども、2007年に、事実委員会が、報告をアメリカの新聞に出したのですけれど、そのときは、大臣は賛同者として名前をつけたのですけれども、慰安婦は、強制性はなかったとコメントもあったので、今の考え方は変わっていますか。
A:慰安婦制度に関しては、私は女性の人権と尊厳を傷つけるものであるというふうに認識をいたしております。今、そのワシントンポストの意見公告についてでありますが、その公告は、強制連行して、若い女性を20万人強制連行して、性奴隷にして虐殺をしたというような、そういった米国の簡易決議に関連してなされたものだというふうに思っております。いずれにいたしましても、8月14日、総理談話で述べられているように、戦場の影に深く名誉と尊厳を傷つけられた女性達がいたことを忘れてはならず、20世紀において、戦時下、多くの女性達の尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻みつけて、21世紀は女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていくという、その決意であります。

Q:強制性はあったということですか。
A:そういうことではありません。そういうことを言っているのではありません。

イナダの沖縄・辺野古政策を問う
Q:別件になるのですけれども、先ほど沖縄の件で、大臣は辺野古が唯一の解決策だというふうに従来の政府の見解を示されました。ただ、なかなか移設は進んでいない状況があると、この根本的な原因はどこにあるとお考えでしょうか。
A:まずは、普天間の辺野古移設が決められた経緯でありますけれども、この問題の本質は、普天間飛行場が世界一危険な飛行場と言われ、まさしく市の中心部、ど真ん中、小学校のすぐ近くにあるということだというふうに思っております。そういったこの問題の本質を、やはり住民の皆様方にしっかりと説明をしていくということが必要であろうと思っております。そして、大きな議論の末に、裁判所で国と県が和解をして、和解条項が成立したわけでありますので、その和解条項に基づいて、今、国も提訴し、さらには協議も進めて行くのだということも説明した上で、誠実に対処していく必要がある、引き続き粘り強く取組んでいく必要があるというふうに思っております。

Q:住民に説明するのが必要と仰いましたけれども、防衛大臣になられて、自ら沖縄に訪問する、行きたいというお考えはありますか。
A:この問題については、しっかりと知事や県民の皆様方にも、御説明をする必要があるというふうに思っています。今、具体的にスケジュール的なものを検討しているわけではありませんけれども、その必要があるというふうに考えております。

Q:今日、午前の菅官房長官の会見で、基地問題と振興策がリンクしている部分があるのではないかという懸念が出ました。大臣御自身は、沖縄の基地問題、現在の辺野古移設とか止まっていますが、これが進まない段階では、振興策は減らすべきだとお考えですか。
A:振興策を減らすとはどういうことでしょうか。

Q:沖縄の振興予算を減額すべきだとお考えでしょうか。
A:私は、沖縄の基地移転、そしてその負担軽減、これは、政府を上げて安倍政権が出来ることは全て行い、また、目に見える形で実施するという基本方針の基で、在日米軍の再編を初めとした施策を着実に進めて行きたいというふうに思っております。その上で、振興策について、防衛省として、お答えする立場にはないというふうに思います。また、基地問題と沖縄振興をリンクさせることについては、本日午前の官房長官会見において、菅長官が述べられたとおりだと承知いたしております。

防衛費について問う
Q:防衛費についてお聞かせください。一時的な例外を除いて、日本の防衛費はGDPの1%以下に抑えられていたという整理だったと思うのですけれども、事実として、1%に抑えられてきたと、それが意識されていたという経緯もあるかと思うのですけれども、そういった防衛費の扱い方というのは、適正かどうかというのを、大臣、どのようにお考えでしょうか。

A:予算の中で防衛費がどうあるべきか、日本の安全を守るためにどれぐらいの防衛予算が必要か、非常に重要な問題だと思います。そういった点を踏まえて、中期防も計画を立てているわけでありますので、その中で着実に、必要な防衛費ということは、つけていくということだというふうに思います。

Q:必要があれば、1%を超えることも、躊躇するべきではないというふうに、大臣、お考えでしょうか。
A:しっかりと、いろいろなことを勘案して計画は立てております。そして、その結果が防衛予算、それが必要なものを積み上げたものであるというふうに、私は認識をいたしております。

北朝鮮弾道ミサイル発射に関して
Q:別件で大変恐縮なのですけれども、北朝鮮の弾道ミサイル、発射されたものについて、回収作業というのは、現在、どのような感じで進んでらっしゃるのか。一部報道で、打ち切ったということも報じられているのですけれども、大臣としては、どのように認識されていますか。

A:昨日から今朝にかけて、弾道ミサイル、あるいは、その一部が落下したと推定される海域において、自衛隊のP-3Cや護衛艦、海上保安庁の航空機や巡視船による捜索を実施し、発見した漂流物を回収しているところであります。他方、現在までに回収した漂流物の中に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるようなものは確認されておりません。引き続き、自衛隊の護衛艦や艦載ヘリによる捜索を実施し、仮に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるような物体を発見できれば、それを回収し、分析することを考えております。

自衛隊員の戦死の持つ意味について問う
Q:戦死ということについてお伺いしたいのですけれども、国民国家においては日本に限らず、戦死ということに様々な意味が付与されてきたと思います。現在、自衛隊員を預かる防衛大臣として、戦死、戦争で亡くなるということに対して、どういうふうなお考えを持つのか、戦死という言葉が持つ意味についての御認識をお聞かせ下さい。
A:憲法上、日本は戦争を放棄いたしております。ただ、憲法ができた時には9条があるので、攻めてこられたとしても、白旗を揚げて自衛権も行使しないというのが解釈だったわけですけれども、1954年に解釈を変えて、そして、日本も主権国家であるので、自衛隊は憲法違反ではない、合憲である。そして、自衛権の行使も、必要最小限度の行使を可能であるということを解釈上決め、また、それは最高裁でもそのような解釈にあるわけであります。自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。

重ねて歴史認識を問う。先の戦争は侵略戦争ではないのか。
Q:先ほどお答えいただけなかったので、もう一回聞きますけれども、軍事的組織の自衛隊のトップとしての防衛大臣に伺いますが、日中戦争から第二次世界大戦にいたる戦争は侵略戦争ですか、自衛のための戦争ですか、アジア解放のための戦争ですか、見解を教えてください。
A:政府の見解は、総理、官房長官に聞いていただきたいと思います。私は、昨年総理が出された談話、これが政府の見解だと認識しております。

Q:大臣自身の見解もそのとおりですか。異論はないのですか。
A:昨年の総理が出された談話に異論はありません。

Q:侵略戦争ですか。
A:侵略か侵略でないかというのは、評価の問題であって、それは一概に言えないし、70年談話でも、そのことについて言及をしているというふうには認識していません。

Q:大臣は侵略戦争だというふうに思いますか、思いませんか。
A:私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います。

Q:防衛大臣として極めて重要な問いかけだと思うので答えてください。答えられないのであれば、その理由を言って下さい。
A:防衛大臣として、その問題についてここで答える必要はないのではないでしょうか。

Q:軍事的組織のトップですよ。自衛隊のトップですよ。その人が過去の戦争について、直近の戦争について、それは侵略だったのか、侵略じゃないか答える必要はあるのではないですか。何故、答えられないのですか。
A:何度も言いますけども、歴史認識において、最も重要な事は、私は、客観的事実が何かということだと思います。

Q:侵略だと思うか、思わないかということを聞いているわけです。
A:侵略か侵略でないかは事実ではなく、それは評価の問題でそれぞれの方々が、それぞれの認識を持たれるでしょうし、私は歴史認識において最も重要なことは客観的事実であって、そして、この場で私の個人的な見解を述べる立場にはありません。

Q:防衛大臣としての見解ですよ。
A:防衛大臣として、今の御質問について、答える立場にはありません。

Q:では、関連ですけれども、日中戦争と太平洋戦争は若干違うと思うのですが、日中戦争の前、日本は、あの時は南満州鉄道あたりしか駐留する権利はなかったわけですね、軍隊を。そこからはみ出して、傀儡国家を打ち立てて、満州国を作ったと。これ侵略じゃないのですか。普通の常識から言って、いろいろ議論はあるのでしょうけれど、太平洋戦争は議論があるとしても、満州国を作るときの経緯というのは、どういう法律に基づいたのか、しかも、あのとき陸軍は、天皇の統帥権を最後無視して、暴走して、拡大して、後から認めた件はありますけれども、それが日本にとって最大の軍事的な教訓なわけですよね。日中戦争、あるいは、その満州国の作り方について、評価できないというのは、国のリーダーとして、いかがなものかと思いますけれど、この2点いかがですか。
A:私は、安倍内閣の一員として、政府の大臣として、この場におります。私の個人的な見解や、また、この場は、歴史論争をする場ではないと思います。政府の一員として、私は、政府の見解、これは昨年の70年談話において総理が示されたとおりだというふうに認識をいたしております。

Q:別に歴史認識(論争)をしたいわけではなくて、これはリアルな、過去をどう捉えて、軍をどうコントロールするか、あるいは、今の近隣諸国とどう仲良くやっていくか、今のリアルの問題と繋がっているからお聞きしているので、別に学者的な論争をしたいわけではないのですけど。日中戦争の、特に満州国の作るときの過程というのは、これは侵略じゃないと、歴史学者は、普通、侵略と言うと思うのですけれども、国際法の専門家の議論はあると思うのですけれども、国民感情からして、歴史学者は、普通、侵略というのは、一般の常識じゃないかと思うのですけれども、そういった一般の、例えば世界中の人々に受け止め方ですね。これ、侵略じゃないと言い切って、どこの欧米の方でもリーダーとして議論されたらいいと思うのですけれども、まともに議論できるとお思いなのでしょうか。
A:私は、歴史認識において、最も重要なのは、客観的事実が何かということだと思います。また、昨年の70年談話でも示されたように、我が国は、過去の歩みをしっかり反省をして、戦後、しっかりと憲法の下で、法律を守り、法の支配の下で、どこの国を侵略することも、また、戦争することもなく、70年の平和な歩みを続けてきたこの歩みを続けていくということだと思っております。

Q:これから、例えば、中国、韓国のリーダーとか、欧米のリーダーと会うときに、あの戦争、太平洋戦争はいろいろ議論があるかもしれませんが、日中戦争に関しても、侵略かどうか、私、言えませんというふうにおっしゃって議論されるわけですね。
A:そういう単純な質問はないと思うのですね。

Q:でも、報道関係、みんなに見られているからですね。欧米のメディアは、そこに歴史認識を集中しているわけですよ。単純と言われようがそういう具合に、この人こういう歴史認識を持っているのではないかとみんな懸念しているわけですよ。別に、単純に議論を私がふっかけるのではなくて、割と世界中のメディアがそういう懸念を持って、書いていると。それに対して答える影響というのは、我々国民なのですから、説明責任はあると思うのですが、いかがですか。
A:私は、昨年、総理が出された70年談話、この認識と一致いたしております。

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イナダは、2011年3月号の雑誌「正論」の対談で、「長期的には日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべきではないでしょうか」と発言していた。小池百合子と同類。軽佻浮薄の極みというべきだろう。

昨日(8月5日)の記者会見で、この点を記者から突っ込まれて、「憲法上、我が国がもてるとされる必要最小限度(の武力)がどのような兵器であるかということに限定がない」と述べ、憲法9条で禁止しているわけではないとする従来の政府見解に沿って説明した。ただ、「現時点で核保有はあり得ない」としつつ、「未来のことは申し上げる立場にない」とも語った。

イナダが述べたことは、「我が国が核武装することは憲法上は許されることだ」。だが、「現時点では諸般の事情に鑑み、政策として核保有はあり得ない」。もっとも、政策の問題だから、状況次第で未来の核政策はどうなるか分からない。未来とは過去と現在を除くすべて、つまりは明日からのこと」と理解すべきなのだ。

その発言の翌日に当たる今日(8月6日)が、71年めの広島平和記念式典。松井一実市長は平和宣言で、「今こそ『絶対悪』を消し去る道筋をつけるために連帯し、行動を」と呼びかけた。核は、絶対悪なのだ。絶対悪の廃絶こそが平和への道であり、国内外の世論ではないか。

状況次第で核保有が許される、核政策がころころ変わるようなことを許してはならない。「日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」などとは、悪魔の言と言わねばならない。

アベ首相は、6日、広島市内で記者会見し、イナダの発言を「我が国は核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない。稲田防衛大臣の発言はこのような政府の方針と矛盾するものではない」と擁護したという。これも同罪なのだ。都知事選敗北の脱力感は払拭し得ないが、早く悪魔が跳梁するこの悪夢を終わらせないと、世界が滅びてしまうことにもなりかねない。
(2016年8月6日)

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