澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

パールハーバーでのアベ晋三演説の違和感

パールハーバーでのアベ晋三の、なんとも面妖な17分間の演説。朝、ラジオで聞いていて、神経に障った。不愉快極まりない。

なるほど、詐欺師と総理大臣とは、平気で嘘をつかねば務まらない。「アンダーコントロールでブロック」のときも呆れたが、今度は戦争と平和についての問題として、さらに深刻だ。

演説の内容は、3つの部分からなる印象。
(1) どうでもよい、情緒的で無内容なつまらぬ部分。
(2) それ自体間違ってはいないが、「そんな演説をする資格があるのか」と突っ込まねばならない部分。
(3) そして、本音の問題発言部分。

(1) 「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入江。」「耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。」「あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で、死んでいった…」

誰が書いた文章なのかは知らないが、こんな浮わついた駄文の朗読を聞かされる身にもなって見よ。耳が痒くなる。尻が落ち着かない。それが、「日本国民を代表して」と繰り返されての発言なのだから、目から火が出るほどに恥ずかしい。日本とは、この程度の首相しか出せない国なのだ。

それはともかく、驚いたのは次のくだりだ。

(2) 戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

「日本国総理大臣として」の部分を除けば、このように演説のできる人、このような演説を口にして違和感のない人物は、保守革新の立場を問わず、日本に少なからずいる。しかし、そのような人は、アベ政権とその周囲にはいない。「不戦の誓いを貫いてまいりました」と言える人は、例外なくアベ晋三の批判者である。政敵であるといってもよい。

「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない」とは日本国憲法の根幹の理念である。一貫して憲法を敵視し、とりわけ九条改憲に執着してきたアベの口から出れば、デマゴギーである。あるいはマヌーバーなのだ。教育基本法を改悪し、特定秘密保護法や戦争法の制定を強行し、日本を戦争のできる国にしたばかりか、非核三原則や武器輸出三原則をないがしろにして、防衛予算だけを聖域化してきたアベではないか。どの口からどの舌をもって「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」などと言えるのか。

(3) さらに、「勇者は、勇者を敬う」の引用が愚かしくも危険極まりない。アベは、奇襲した側の皇軍の兵士も、奇襲を受けたアメリカ軍の兵士も、ともに「勇者」として称えているのだ。靖国の思想に通底する。戦争を徹底して愚かなものと見ないのだ。それぞれの祖国のために勇敢に闘った勇者と勇者。そのように美化する戦没兵士観。これは同盟国同士の戦意高揚演説ではないか。

最大の問題点は、平和を語っていたのが、いつの間にか日米の同盟の賛美を語りはじめる点だ。この演説の本音はここにある。同盟(alliance)とは、軍事に関わる用語ではないか。共通の仮想敵国を想定しての軍事同盟(military alliance)を意味しているのだ。そのような理解で読めば、文意が明瞭になる。

「歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた(軍事的)同盟国となりました。」「それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の(共通の仮想敵国がもたらす)困難に、ともに立ち向かう(軍事)同盟です。明日を拓く、『(軍事的勝利という)希望の同盟』です。」というもの。

こんな軍事同盟はやめて、どこの国とも積極的に友好関係を結ぶべきではないか。そうすれば、特定国との軍事同盟の必要は無くなる。そのような姿勢こそ、「不戦の誓いを貫く」ものとして、誇るに足りるものではないか。

ところで、この演説の中に何度も出て来る「日本国民」とは、はたして沖縄県民を含んでいるのだろうか。いや、沖縄県民に共感してアベ政権を批判する多くの全土の国民を含んでいるのだろうか。アベ政権は、「不戦の誓いを貫く」とは正反対の行動として、沖縄に新軍事基地を建設しようと狂奔している。アベのパールハーバー行の最中に、名護市辺野古大浦湾埋め立て承認の「取り消し処分」が取り消され、日米軍事同盟を強化して、戦争のための基地建設工事が再開された。

こうしてアベ政権と沖縄県民との基地建設の工事をめぐる攻防も再開された。到底、ここに「自由で民主的な国」の姿はない。「法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました」とは、ぬけぬけとよくも言ったもの。「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ」る事態とはほど遠い。

翁長知事は今後も、あらゆる手段で辺野古新基地建設を阻止する考えに変わりないことを強調している。地元の理解や協力なくして、防衛も安全保障もあり得ない。

これを見れば、米軍とアベ政権のパールハーバーでの共同セレモニーは、結局のところ、国民を無視しての支配層同士・軍部同士の、日米軍事同盟強化のパフォーマンスだったと言うべきではないか。
(2016年12月28日)

オール沖縄と闘う、米軍とアベ政権

本日(12月22日)、沖縄県名護市の万国津梁館で、日米両政府が主催する米軍北部訓練場の返還式・祝賀会が行われた。この返還面積(4010ヘクタール)は、1972年に沖縄が本土復帰して以降最大規模のもの。日本側からは菅義偉官房長官やイナダ防衛大臣らが、米国側からはケネディ駐日米大使やマルティネス在日米軍司令官らが出席した。

もちろん、沖縄県知事も県議会議長も出席していない。名護市長もだ。知事はこの式典には出ずに、同じ名護市で行われたオスプレイ不時着事故の抗議集会に参加した。ここで、オスプレイ配備撤回だけでなく、普天間基地の早期返還と辺野古基地建設反対を4200人の聴衆に熱く語りかけた。

翁長知事が、返還式と祝賀会に「出席見合わせ」を発表したのは12月12日夜のこと。欠席の理由は、訓練場内のヘリパッド建設の強引で拙速な進め方と、宜野座村城原区で県などの抗議にもかかわらずオスプレイつり下げ訓練が継続されていることなどにあった。「高江周辺でもこのようなことが起こり得ることが容易に予想され、県としては到底容認できない。北部訓練場の返還には私のみならず、多くの県民が理不尽な思いを抱いている」と述べている。オスプレイの墜落事故は、その翌日、12月13日のことである。

県議会議長の欠席決定は、オスプレイ墜落事故のあとのこと。自民党議員団だけが出席を主張し、各会派で意見がまとまらないため議長が欠席を判断したとのこと。

この返還の記念式典には在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官が出席している。オスプレイの墜落事故について、「沖縄県民は住民への事故を回避したパイロットに感謝すべきだ」と発言して、物議を醸した人物。当日のスピーチは伝えられていないが、忌憚なくしゃべらせたらどんなことを言ったか。興味津々。たとえば、以下のようなものだったろう。

「この返還は、沖縄の住民にとって、とても重要なもので、沖縄の状況を改善して負担を軽減するものだ。
 基地が、住民にとっていかに危険で、不安のタネとなっているかはよく知っている。もちろん騒音もひどい。とりわけオスプレイの騒音が耐えがたいのは分かりきったこと。私の家族には、基地の側には絶対に住まわせたくはない。
 だから、このたびの広大な訓練場の返還に対しては、沖縄の住民は『沖縄の負担軽減』としてアメリカに感謝すべきではないか。にもかかわらず、知事は式典出席を拒否して、抗議集会に出席だとのことではないか。せっかく返してやったのに、ありがとうとも言えないのか。無礼きわまる態度ではないか」

「もっとも、大きな声では言えないが、本当のところこの返還は私たち在沖米軍にとっては、痛くも痒くもない。問題は基地の面積ではなく、基地機能の強弱にある。その点、今回の『返還』は明らかに基地機能の強化をもたらすものとして我々にとっても、ハッピーなのだ。なにしろ、『北部訓練最大で51%の使用不可能な土地を返還し、新たな施設を設け、土地の最大限の活用が可能になった』のだから。実のところ、お祝いは、米軍にとってのものなのだ」

「北部訓練場の半分の引き換えに我々は、新たな着陸帯6カ所の提供を受けた。MV22オスプレイの使用は、その6カ所の合計で年間2520回が見込まれている。また、東村高江周辺の新設ヘリパッドは、宇嘉川の河口部に設けた訓練区域と連動する形で、海からの上陸作戦や人員救助などの訓練を実施できるようになる。世界唯一のジャングル戦闘訓練施設として重用されてきた北部訓練場に、新たな上陸作戦訓練機能が加わるのだ」

「これまで、北部訓練場内では既設22カ所と2015年に米側に引き渡したN4の新設2カ所を合わせ24カ所のヘリパッドがあった。このうち、今回の返還に伴って閉鎖されるのが7カ所。新たに、N1(2カ所)とG、Hの計4カ所を新たに提供することで、ヘリパッドは21カ所になる。その21カ所の内の15カ所でオスプレイを運用。年間の使用回数は計5110回に上る。高江集落6カ所のヘリパッドの発着数2520回は確かに多いが、訓練の実施は必要不可欠なものだ。もちろん、あらゆる必要な訓練が予定されている。オスプレイの低空飛行ルートも設定され、地上15~60メートルの地形追従飛行を年25回実施する」

「だからまあ、翁長知事が祝賀式典を欠席して、抗議集会に出席する気持もわからなくもない」

菅官房長官はこう語った。
「今回の返還は沖縄の本土復帰後、最大規模のもので、アメリカ軍専用施設のおよそ2割が減少し、沖縄の基地負担軽減に大きく資するものだ。ヘリコプター発着場の移設で地元には引き続き負担をかけることになるが、両村から強い要請があった、返還後の財政措置や地域振興策は確実に実施することを約束する」

以上の発言は、「私は地元に対し、カネの問題についての約束はできるがそれ以上はできない。オスプレイの騒音の軽減もできないし、墜落の不安への対処もできない。」との含意と理解すべきなのだ。また、「もうすぐ、佐賀にも木更津にも、そして横田の上空にもオスプレイが飛ぶことになる。その場合も同様に、『騒音の軽減もできないし、墜落の不安への対処もできない』」と言っているのだ。

翁長知事は、オスプレイ墜落後わずか6日での飛行全面再開のときに、「言語道断」に続けて「政府はもう相手にできない」との姿勢を明らかにした。本日、知事の姿が返還祝賀式になく、抗議集会にあったことが、「沖縄県民は、日本政府を相手にせず」の姿勢を印象づけた。

米軍とアベ政権とは、オール沖縄との全面対決を強いられている。仮想敵国との戦争準備の前に、沖縄県民との闘いを余儀なくされているのだ。周囲を「敵」なる住民に包囲されて、基地が機能できるはずはない。防衛や安全保障政策の実行ができるはずもなかろう。
(2016年12月22日)

司法は権力から独立しているのか。ー辺野古訴訟最高裁判決の示すもの

「あたらしい憲法のはなし」を、ときおり読み返す。今日は、辺野古訴訟の最高裁判決を受けて、その「十一 司法」を読んでみた。

日本国憲法の施行が1947年5月。その年の8月に、新制中学校1年生用の社会科教科書として文部省が編纂したのが、この「あたらしい憲法のはなし」。当時、文字通り、できたての「あたらしい憲法」だったのだ。その後副読本に格下げされ、1952年以後は使われていない。

内容は細部を見れば不十分ではあるが、「民主的な平和憲法」の精神を国民に普及しようという、時代の空気や清新な意気込みが伝わってくる。全十五章。各章の標題は以下のとおり。
「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」

「十一 司法」は短い。全文をご紹介する。
 「司法」とは、爭いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。
 裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめております。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられないことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるのです。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。
こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。
 みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。

新憲法の特徴として違憲立法審査権が解説されているほか、「公平」という裁判の理念を実現するために、「司法権の独立」(その内実としての「裁判官の独立」)の重要性が強調されている。さて、「司法権の独立」は70年後の今日、現実のものとなっているだろうか。

司法の独立とは、最高裁を頂点とする裁判官たちが、国家や公権力からの有形無形の圧力から自由であることを意味する。今の司法が、国や政権におもねることなく、法と良心のみに従った裁判ができているか。答は「ノー」というしかない。

日本の裁判官諸氏の廉潔性は信頼に足りる。裁判官の私的利益獲得の思惑で判決の内容が左右されることはない。しかし、その廉潔な裁判官が、権力からの圧力に屈せぬ気概をもち、現行の支配の秩序が求めるものから自由であるかといえば、到底肯定し得ない。

最高裁だけでなく下級審の判決も、丁寧で精緻ではある。しかし、支配の秩序の根幹に関わる事案においては、どうしても「反権力」とはなり得ない。九条・安保・基地・沖縄・天皇・日の丸・君が代・家制度などに関わるテーマとなれば、憲法の理念を貫くという姿勢が腰砕けとなってしまう。

本日(12月20日)の最高裁辺野古訴訟判決はその典型と言ってよい。さすがに、原審・福岡高裁那覇支部判決のような「安保公益論」の思い込みの説示はなかったものの、4人の裁判官の全員一致の結論で反対意見も補足意見もなかったという。

先に引用した、「あたらしい憲法のはなし」は、国民に、
  國会には信頼を
  裁判所には尊敬を
求めている。これは、間違いだろう。民主主義本来の理念からは、
  國会には国民の猜疑を
  裁判所には国民の監視を
こそ、求めねばならない。

しかし、当時の文部省は、裁判所を「じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかた」と描いたのだ。いざという時の「国の味方」としての裁判所は想定外だったのだ。国の肩をもって、戦争のための恒久的な海兵隊の揚陸艦接岸基地建設を認め、環境破壊も治安の悪化も騒音も我慢せよという、住民いじめの判決を書く裁判所が現れようとは思いもよらなかったのだ。

まことに、権力から独立した「そんけいにあたいする最高裁」が切実に求められている事態ではないか。
(2016年12月20日)

「言語道断」「政府はもう相手にできない」-オスプレイ飛行全面再開

オスプレイ飛んだ
名護まで飛んだ
名護まで飛んで
浅瀬に墜ちた

オスプレイ墜ちた
やっぱり墜ちた
撃たれもせぬに
こわれて無惨

オスプレイ墜ちた
墜ちてもけろり
風、風、吹くな
日本中飛ばそ

日本を震撼させたオスプレイの墜落が12月13日の夜9時半。現地の不安と恐怖が癒える間もなく、本日(19日)在沖米軍はオスプレイの飛行を全面的に再開した。防衛大臣や官房長官は「防衛省・自衛隊の知見、専門的見地などから、合理性があるということだ」と言い、地元沖縄知事は「事前の説明がないまま一方的に飛行再開を強行した日米両政府の姿勢は、信頼関係を大きく損ねるもので、到底容認できない」(沖縄タイムス)と述べている。米軍と日本政府が、緊密なタッグを組んでの沖縄県民いじめの図ではないか。

この上なく頼りないだけでなく邪悪なイナダよ。おまえはどこの国の防衛大臣なのだ。米軍の言い分鵜呑みがおまえの仕事なのか。アベ政権よ、日本の主権はどこに行ったのか。県民感情は踏みにじっても、米軍へのおもねりが大事だということか。

翁長知事の最初の言葉が「言語道断だ」であった。この事態にまことにふさわしいが、痛切な響きをもつ。次いで、「そういう(オスプレイ飛行是認の)政府はもう相手にできない。法治国家ではない」と言っている。知事の会見では、「日本政府は県民に寄り添うと繰り返しながら、米側の考えを優先して再開を容認した」「県民不在で、日米安保に貢献する県民を一顧だにしていない。強い憤りを感じる」「あらゆる機会を通じてオスプレイの配備撤回と飛行停止を求める」と厳しい。

名護の稲嶺市長も、記者団に「言語道断」と言っている。
「まだ十分な検証ができていない中、政府が、飛行再開について『わかりました』というのが理解できない。沖縄県民の生命と財産を軽んじている。言語道断だ」

イナダは15日午後に、上京した翁長知事と防衛省で会っている。知事が「不安が現実のものとなり大きな衝撃を受けている。配備に強く反対してきたオスプレイが、このような事故を起こしたことに怒りを禁じ得ず、直ちに飛行中止と配備撤回を強く要請し、強く抗議する」と述べ、イナダは、「在日アメリカ軍の司令官と電話会談し、沖縄県や国民が安全性に重大な関心を寄せているオスプレイの事故は非常に遺憾だと伝え、政府や国民に透明性を持った情報開示をしてほしいと申し入れている」「住民の住んでいる近くで起きたことなので、防衛省としてもしっかり情報収集や公表を行い、安全確認や理解を頂くことが前提だと思っている」応じている。

その舌の根も乾かぬ内の、オスプレイ飛行再開是認の発言であり、自らが県民をしっかり説得しようとまで言っている。開いた口が塞がらない。よくもまあ、恥知らずなことを言えるものと、呆れるほかはない。

翁長知事の反論が厳しい。「安全を確認するのならば、しっかりと中身を含めて具体的に説明するべきで、『アメリカから丁寧な説明があり、日本政府が検証した結果理解した』という報告ではとても納得がいかない。これだけ安全保障を沖縄が背負っているのに、県民に説明しない形で物事にふたをするのはありえない」

この沖縄の怒りのなか、明日(20日)に辺野古訴訟最高裁判決が言い渡される。
(2016年12月19日)

ワタシが強面のニコルソンだ。オスプレイは、今後も飛ばす。

オスプレイは、墜落したのではない。コントロールされた状態で着水したのだ。確かに機体は大破し乗員二人は脱出時に負傷した。常識的には、これは「crush」(墜落)だろう。しかし、そんなことが今問題なのではない。重要なことは機体が着水直前まで完全にコントロールされた状態にあったことだ。だから、誰がなんと言おうともこれは、「landing on the water」(着水)なのだ。

墜落か着水かを分けるものが、「under control」だ。これあればこそ、パイロットは負傷しながらも住宅や住民の被害を避け得たのだ。沖縄の住民は、重大事故から間一髪のところで、オスプレイ・パイロットの的確な判断と英雄的な行為によって救われたのだ。これは表彰に値する。だから、沖縄県は挙ってオスプレイのパイロットに感謝すべきではないか。少なくとも、負傷の米兵に見舞いの言葉があってしかるべきだ。それを、副知事お出ましの抗議とは筋違いも甚だしい。ワタシは怒りを抑えきれない。机を叩くぐらいのことはする。

貴国の総理大臣も私と同じではないか。彼は、2013年9月7日ブエノスアイレスで開催されたIOC総会の席上、福島第1原発の汚染水排出問題を「The situation is under control」と表現している。その言葉で、東京オリンピック誘致に成功したのだ。当時常識的には、事故後の原発の汚染水が外洋にダダ漏れになっていたことは世界中の人が知っていた。それでも、「under control」だ。「under control」とは、かくも使い勝手のよい便利な言葉なのだ。

もし、私の「under control」がウソだというのなら、貴国の総理大臣も大嘘つきだ。そんな大嘘つきが首相を務める国の自治体が、ワタシに抗議する資格などあるわけはない。

そもそも、米軍が日本を片務的に防衛してやっているのだ。沖縄県も日本の一部ではないか。常々、駐留米軍に対する敬意と感謝の気持ちが足りないことを不満に思ってきた。どうして、そのような不遜な態度がとれるのか。

オスプレイの騒音がうるさいとか、事故の確率が高くて不安だとか、軍人の態度が横暴だとか、遵法精神に乏しいとか、そのくらいのことは、些細なこととして我慢してもらわなければならない。沖縄が、他国から攻めてこられたら、うるさいの、危ないの、不愉快だなどというレベルの問題ではないではないか。守ってもらっていることへの感謝の気持がもっとあってもよいはずなのだ。

オスプレイが沖縄に配備されてから既に4年を経過した。その間事故がなかったことはたいへんなことだ。どうしてこのことを立派なことと言わずに、たった一度の事故らしい事故で、被害もないのに大騒ぎをするのだろうか。

安慶田副知事は、ワタシへの抗議のあとの記者会見を行い、こう記事にさせている。
「安慶田氏によると、抗議の際、在沖米軍トップで第3海兵遠征軍司令官のニコルソン四軍調整官の表情はみるみる怒気に染まっていった。ニコルソン氏は『パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。感謝されるべきで表彰ものだ』と述べた。安慶田氏が『オスプレイも訓練もいらないから、どうぞ撤去してください』と伝えると、『政治問題化するのか』などと話し、テーブルをたたく場面もあったという。」「会談後、安慶田氏は記者団に『植民地意識丸出しだ。私たちからすると、抗議するのは当然だ』と感想を述べた。」

ワタシは、「植民地意識丸出しだ」という副知事の記者会見発言に驚いた。副知事は、沖縄を米軍の植民地ではないと思っているようだ。もちろん、19世紀から20世紀前半の「植民地」とは違うかも知れない。しかし、米軍は大きな犠牲を払って沖縄地上戦を制したのだ。また、戦後の占領期に、日本の天皇(裕仁)はマッカーサーに、独立後も沖縄の占領を継続するよう申し出た事実もあるではないか。今の沖縄は、戦争によって、敗戦国日本から戦勝国米国に差し出された「植民地同然」の島ではないか。いまさら、「植民地意識丸出しだ」などという抗議が成立する余地はない。

確かに、沖縄がオスプレイ配備に反対だということは知っている。知事が反対派の筆頭だ。県議会は3度も反対を決議し、41市町村の全議会も同調している。2012年9月には配備反対の県民大会が開かれ、10万1千人(主催者発表)が集まった事実もある。13年1月には全市町村の首長らが参加して東京・銀座を、オール沖縄勢力がデモ行進する事態に発展した。今も、確かに反対する県民世論は強く大きい。

しかし、本来この問題の所管は日本の政府だろう。国が米軍のオスプレイ配備計画に異を唱えたことは一度もない。防衛大臣も「不時着水」と繰り返しているではないか。アベ政権は、もの分かりがよい。だから、沖縄県が何を言っても、ワタシたちは本来無視してよいはずなのだ。それを忙しい時間を割いて、面会してやっていることをよく理解していただきたい。

どんな自動車も飛行機も、所詮は人が作った機械だ。絶対安全ということはありえない。オスプレイも、「いつか落ちる」ものなのだ。それが今回であったというだけのことではないか。今回の事故でワタシ自身が問題ないと確信するまで飛行はしないが、もちろんほとぼりの冷めたころには必ず飛行を再開する。ワシントンもオスプレイは引き続き飛行すると判断している。アベ政権も容認、いや歓迎するに違いない。

それでいったい何が問題なのか、聞かせてもらいたいものだ。ワタシには理解できない。
(2016年12月15日)

最高裁がどう断じても、民意は辺野古新基地を作らせない。

本日(12月12日)沖縄タイムスと琉球新報が、ともに号外を発行した。ほぼ同じ大見出し。「辺野古 県敗訴へ」「最高裁 弁論開かず」「20日上告審判決」「高裁判決確定」というもの。

記事の内容は「名護市辺野古の新基地建設を巡り、石井啓一国土交通相が翁長雄志知事を訴えた『辺野古違法確認訴訟』で最高裁は12日までに、上告審判決を今月20日午後3時に言い渡すことを決めた。辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しを違法とし、知事が敗訴した福岡高裁那覇支部の判決の見直しに必要な弁論を開かないため、県側敗訴が確定する見通し。知事は今後、埋め立て承認取り消しを撤回する手続きに入る。」というもの。

もちろん、12月20日の判決で問題は解決しない。ことの性質上、国が敗訴すれば、問題は解決する。しかし、県が敗訴しても紛争が終息するはずもない。沖縄の民意が新基地建設反対である以上は、その切実な要求を掲げた闘いは続く。知事には、幾つも手段が残されている。大浦湾埋立工事は再開できるのか。恒久的な新基地建設は完成に至るのか。予断を許さない。さて、これから局面は具体的にどうなるか。

沖縄タイムスは、こう言っている。
「国は早期に埋め立て工事を再開する考え。ただ、国が工事を進めるために必要な設計概要や岩礁破砕の許可申請に対し、県は不許可とすることを検討。埋め立て承認の撤回も視野に入れている。新基地建設を巡る国と県の争いは新たな段階に突入する。」

琉球新報はこうだ。
「翁長知事は『確定判決には従う』と述べており、最高裁判決後にも埋め立て承認取り消しを“取り消す”見通しとなった。国が新基地建設工事を再開する法的根拠が復活する。一方、翁長知事は敗訴した場合でも『あらゆる手法』で辺野古新基地建設を阻止する姿勢は変わらないとしており、移設問題の行方は不透明な情勢が続く。」

最高裁の12月20日判決言い渡しが沖縄県敗訴となる公算は限りなく高い。予想されていたことながら、この局面だけを見れば残念なこと。敗訴確定して、沖縄県は「その内容に不服だから、確定判決といえども従わない」とは言えない。言うべきでないとも言えるだろう。では、確定判決によって何が確定して、争えなくなるのか。

訴訟は、国土交通相(国)が原告となって、沖縄県知事を訴えた「不作為の違法確認訴訟」である。「地方自治法251条の7第1項の規定に基づく不作為の違法確認請求事件」と事件名が付されている。弁護士にだってなじみのない事件名。その一審・福岡高裁那覇支部判決の主文は以下のとおりである。

「原告(国)が被告(県)に対して平成28年3月16日付け『公有水面埋立法に基づく埋立承認の取消処分の取消しについて(指示)』(国水政第102号)によってした地方自治法245条の7第1項に基づく是正の指示に基づいて,被告が公有水面埋立法42条1項に基づく埋立承認(平成25年12月27日付沖縄県指令土第1321号,沖縄県指令農第1721号)を取り消した処分(平成27年10月13日付沖縄県達土第233号,沖縄県道農第3189号)を取り消さないことが違法であることを確認する。」

経過についての予備知識なしに理解しうる文章ではない。なんとか分かるように、日本語を組み直してみよう。

まず「仲井眞承認」(辺野古基地建設のために国が大浦湾埋立をすることの許可)があった。これを前知事の間違った承認として翁長現知事が取り消した(「翁長取消」と呼ぶ)。原告(国)は被告(県)に対して、「『翁長取消』を取り消せ」と是正指示(地方自治法に基づくもの)をした。ところが、被告(県)はこれに従わない。そこで、「国の指示に従って、県は「翁長取消し」を取り消すべきなのにこれを取り消さない。この県の不作為は違法」と裁判所に宣告を求めたのがこの訴訟である。

今年(2016年)9月16日、福岡高裁那覇支部は、「翁長知事による前知事の承認取り消しは違法」として、同取り消しの違法の確認を求めていた国の主張を全面的に認める判決を出した。上告棄却によって、この高裁判決が確定することになる。

判決が確定すれば、遺憾ながら「『翁長取消し』を取り消さない県の不作為が違法であること」が確認され、その蒸し返しはできないことになる。「不作為の違法確認」と「作為の強制」とは異なるから、「取消の作為を命じる強制力はない」という議論もあるのだろうが、知事の採るべき選択ではなかろう。

しかし、「翁長取消し」が違法とされた結果として「仲井眞承認」が復活したとしても、工事の続行ができるかどうかは別問題である。

国が海面の埋立工事を進めるためには県の承認(許可と同義)が必要だが、一回の包括的承認で済むことにはならない。「仲井眞承認」の有効を前提としても、今後の工事続行は種々の知事の許可が必要なのだ。まずは、設計概要や岩礁破砕の許可が必要なところ、そのような国の申請に対し県は不許可を重ねることになるだろう。このことは以前から報じられていたことだ。知事側が徹底抗戦すれば、工事の続行は困難といわなければならない。さらには、仲井眞承認に瑕疵のあることを前提とした『取消』ではなく、「県の公益が国の公益を上回った場合には、『撤回』もできる」という考え方もある。

これだけの地元の反対がある中での基地の建設や維持がそもそも無理というべきなのだ。沖縄県民の反基地世論が燃え、本土の支援がこれに呼応する限り、辺野古新基地建設は至難の業というべきであろう。最高裁判決に意気阻喪する必要はない。そして、こんなことで沖縄を孤立させてはならない。
(2016年12月12日)

「土人」「シナ人」よう言うた。「出張ご苦労様」や。

松井一郎や。これでも、府民の人気で立っている大阪府知事。
ああ、確かに言うたがな。おとつい(10月19日)の夜や。ツイッターでな。「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」や。そのとおりやんけ。

そりゃあ、「土人」も「シナ人」も、言われた方は怒るわな。翁長はんが湯気立てて抗議をするのももっともやで。けどな、それも立場の違いや。翁長はんは翁長はんの立場で怒ったらええ。わいはわいで府民の立場で、警官を弁護せなならんのや。

こないだ民進党の蓮舫に、「行革は我々の原点。『まがい物』のようなところに持っていかれてはいけない」と、維新が「まがい物」扱いをされたやろう。これに対して、「どっちがまがい物なのか。『偽物』にまがい物と言われとうない」と言い返したった。ああ言いかえさなアカンのや。沖縄県民に大阪の機動隊員がポロカスに言われたら、言いかえさなアカン。言い返しにバッシングあったら、擁護せなアカンのや。

政治家は人気商売や。維新はとりわけそうなんや。口にはせんものの府民がホンマのところ何を考えているかを読まんなならん。タテマエばかりで行儀ようしていたら、たちまち見捨てられる。オモロイこともようけあるけど、所詮は因果な商売や。前任の橋下かてそうや。「風俗活用せえ」て、あんなこと言い続けて目立たなアカンのや。アメリカのトランプやて、そうやろ。あれだけ、突っ張っているからここまで持ちこたえてんのや。

大阪人の気質てのはこうやな。ひとつは東京への対抗心や。敵愾心いうてもええ。これが地元限定タイガース人気の秘密や。対東京・対中央の叛骨。もう一つは、第中央意識の地方見下し優越感や。この二つの感情を、いつも勘定に入れて、算段せなアカンのや。

今回は、本土意識で沖縄への差別感がもろに出てきたんや。突発的なことやあらへんし、きれいごとではおさまらん。タテマエだけで差別発言は許されんなどと言ってはおられんのや。そんな様子を見せたら、途端に維新の人気はがた落ち、府民から見離される。多くの府民の心の奥にあるどろどろとした感情を上手にすくいとらねばならんのや。

だから、昨日(10月20日)も記者団に「沖縄の人の感情はあるので言ったことには反省すべきだと思う」とタテマエを言いつつも、「そのことで(警察官)個人を特定され、あそこまで鬼畜生のようにたたかれるのはちょっと違うんじゃないか。相手もむちゃくちゃ言っている」とゆうたとおり、警官の肩をもたなならんのや。

しかしや、若い大阪の機動隊員が「ぼけ、土人が」「帰れ、シナ人」などとは、よう言うたもんやな。なんと言えば、相手を侮辱することができるのか、日ごろから考えておったんやろうな。「ぼけ、沖縄県人が」「ぼけ、琉球人が」「ぼけ、ウチナンチューが」では悪口にならへん。相手の胸に突き刺さらんのや。「土人」は、単なる未開野蛮の一般名詞やあらへんで。戦前のアイヌや、占領した南方諸島の人々に対する固有の歴史にもとづく立派な差別用語や。一億総差別主義に浸った大日本帝国臣民とその末裔に根強く残る差別の語感を見事に表現して、相手を侮辱する言葉になったんや。「おまえんとこは、日本やない。未開の蛮地やんけ。その未開のボケの土人がえらそうなことを言うな」というわけやな。これをつづめて「ぼけ、土人が」。見事なやっちゃ、あっぱれなやっちゃ。ほとぼり過ぎたら、大阪府民栄誉賞を考えんないかんとちゃうか。

「帰れ、シナ人」は、もっと政治性の高い発言やな。日本の仮想敵国に中国があって、中国の大国化が日本の脅威で、そのための日米安保強化が必要で、安保のための辺野古と高江だ。それを妨害する奴らは、中国の手先に違いない。さすが大阪府警の機動隊員。ものごとを深く見ているやん。なんてったって本土を守るための沖縄の基地や。四の五の言わずに、沖縄はみあいのカネだけもろうて基地の建設に協力すればええやんか。それに楯突く沖縄県民は中国の手先や。だから「帰れ、シナ人」。整然たる論理やんか。沖縄差別と中国差別を兼ねたダブル差別。

でもな。本音を言えば、こんなことになっているのはアベ内閣の責任や。本当の責任者が口を拭って涼しい顔をしてはるのはおかしいんやないか。これは、大阪対沖縄の戦闘とはちゃうが、明らかに大阪府民と沖縄県民の衝突や。こんな具合に衝突させている元凶は、アベさんあんたの無策や。失敗や。そのとばっちりを沖縄と大阪が受けている。

それを他人事と知らん顔とは、殺生やんか。ええ、アベ晋三はん。

それとももしや、この大阪府警機動隊員の差別発言が大きな話題となって、辺野古だけでなく、高江で何が起こっているのか、世間の耳目を集めたことを苦々しく思ってはると言わはんのかね。
(2016年10月21日)

「起立・斉唱」と「起立・拍手」

久々に澄みきった青空が心地よい秋の日曜日に、爽やかならぬワタクシ・アベの登場でお目汚しをお許しください。ワタクシの今国会冒頭の所信表明演説が「北朝鮮現象」と評判が悪いのですが、釈明させていただきたいのです。

問題の個所は、ワタクシが意識して声を張り上げた次のくだりです。
「我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げます。現場では、夜を徹して、そして、今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が、任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか。」

わたしは、「今この場所から、自衛隊員らに、心からの敬意を表そうではありませんか。」と演説したに過ぎず、けっしてワタクシから我が党の議員にスタンディングオベーションを求めたものではありません。もっとも、事前に最前列の我が党の若手議員諸君には内々「起立・拍手」の指示をしていたのは報道されたとおりですが、けっして全議員に指示もお願いもしていたわけではありません。前列が立てば、順次附和雷同が連鎖するだろうと、計算づくのことだったからです。

君が代の「起立・斉唱」だって同じことでしょう。誰かが起立することは、周りの人に同じ行動を促す圧力になる。着席したままでは国家に意識的な反発をもっていると見なされかねない。順次起立の附和雷同現象が生じるものなのです。みんなが起立して一人不起立は、これはもう非国民。処分の対象としても大きな世論の非難はおきないのです。それとおんなじ雪崩現象を計算し期待したということです。

できれば、公明や維新あたりには同調圧力が及ぶことを期待したのですが、そこまでは実現しなかった。その点ややものたりず残念ではありますが、さすが我が党の議員。ほぼすべての諸君の領土・領海・領空を守る兵隊さんたちへの鳴り止まぬ「起立・拍手」。これこそが戦後レジームを脱却した戦前回帰への大きな第一歩。そして、ようやくにして我が党の議員だけでも国防国家という価値観を共有する北朝鮮の域に近づいてくれたかと、感慨一入というところでございます。

このとき、ワタクシの念頭にあったのは、あの「兵隊さんよありがたう」の歌詞とメロデイでした。念のため、歌詞を掲載しておきましょう。

 肩を並べて兄さんと  
 今日も学校へ行けるのは
 兵隊さんのおかげです 
 お国のために     
 お国のために戦った  
 兵隊さんのおかげです 

 夕べ楽しい御飯どき  
 家内そろって語るのも 
 兵隊さんのおかげです 
 お国のために     
 お国のために傷ついた 
 兵隊さんのおかげです 

 淋しいけれど母様と  
 今日もまどかに眠るのも
 兵隊さんのおかげです 
 お国のために     
 お国のために戦死した 
 兵隊さんのおかげです 

 明日から支那の友達と
 仲良く暮してゆけるのも
 兵隊さんのおかげです
 お国のために
 お国のために尽くされた
 兵隊さんのおかげです
 兵隊さんよありがとう
 兵隊さんよありがとう

ワタクシがいう「海上保安庁、警察、自衛隊の諸君」とは、この歌の「兵隊さん」にほかならないのです。

この歌は、日中戦争開始翌年の1938(昭和13)年10月、大阪朝日、東京朝日による「皇軍将士に感謝の歌」の懸賞募集の佳作一席に選ばれたのがこの歌だそうです。ちなみに、一等に選ばれたのは「父よあなたは強かった」だとか(ウィキペディア)。当時は、朝日新聞も国家や政府・軍部に全面協力の立派なことをしていたわけです。

国民生活に奉仕する人びとはたくさんいることでしょう。障がい者や老人の介護に専念している多くの人にではなく、危険な消火活動に当たっている消防士にでもなく、「兵隊さん」には特別に感謝しなくてはいけないのです。平和を守るためには、国際間の格差や不平等や貧困をなくし医療や教育の普及をする活動が不可欠と言えば言えることでしょう。でも、そういう取り組みに地道に努力している人たちに感謝することはないのです。飽くまでも感謝の先は「兵隊さん」でなくてはならないのです。

国の平和と安全を守るためには、武力を手段とする道と、武力によらない道とがあります。日本国憲法を素直に読めば、「武力による平和」「武力による安全保障」という道を明示的に放棄し、武力によらない平和、武力によらない安全保障という道を選択しています。ワタクシ・アベはこの憲法を天敵としています。この憲法を壊して、戦前同様に富国強兵をスローガンとする国防国家を作りたい。そのためには、何よりも、国民の中に根強くある「戦争は悪だ」という惰弱な厭戦意識や戦争アレルギーを払拭して、まずは「兵隊さんよありがとう」精神を涵養しなければならないのです。

ワタクシが言及した「任務の現場」の中には、もちろんのこと辺野古や髙江もはいります。ここでは、国家的大局観を見失って、地方的な利益に固執する一部の人びとの激しい抵抗を排除するために、「海上保安庁、警察、自衛隊の諸君」が体を張ってがんばっています。

まさしく、我が国の領土・領海・領空を守るための、辺野古大新基地であり、髙江ヘリパッドの建設ではありませんか。それを「沖縄地上戦の悲惨な体験から絶対に基地は作らせない」と妨害するのは、非国民ともいうべき不逞の輩以外の何者でもありません。そんなオジイやオバアの抵抗を排除するために、今日、今も、「兵隊さんたち」が極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、ごぼう抜きの任務を全うしているのです。
 
その沖縄の彼ら「兵隊さん」に対し、今この国会のこの場所から、自民党議員諸君だけでも一丸となって、心からの敬意を表そうではありませんか、と申しあげたのです。

えっ? 弁明になっていない? なぜそう言われるのか理由が理解できない。反日の非国民諸君には、ワタクシ・アベの言葉が通じないということなのでしょう。
(2016年10月2日)

「警視庁機動隊の辺野古・髙江派遣費用」の支出差し止め請求を

日刊ゲンダイが、辺野古新基地建設反対の闘いを「平成の砂川闘争」と表現した。「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」との名フレーズを残したあの砂川闘争である。「ちゅら海を、いくさの泥で汚させない」というのが、辺野古闘争である。

いま、代執行訴訟の和解によって大浦湾埋立工事はストップしているが、代わって東村高江周辺の米軍北部訓練場のヘリパッド建設工事が強行されている。工事の強行を支えているのは、500人規模といわれる全国から投入された機動隊である。地元沖縄の警察では住民や支援者に手荒なまねはできない。県外の機動隊に頼らざるを得ないのだ。

とりわけ、目立っているのが警視庁機動隊。工事現場では「何しに来たのか」「東京へ帰れ!」と怒声が飛ぶ。海保も機動隊も、沖縄戦での日本軍(第32軍)に似ている。地元の運動体には、「警視庁機動隊をなんとかできないのか」という声が高いという。さもありなん。一方、東京の運動体には、沖縄支援の具体策を講じたいが、有効な手立てはないだろうか。という声がある。

この両者を結びつける東京でできる手立てが、機動隊予算支出差し止めの監査請求である。

地方自治法242条に基づき、東京都民であれば誰でも(たった一人でも)、機動隊の沖縄派遣費用が東京都公安委員会ないし警視総監による違法または不当な公金の支出にあたるとして、その公金支出を差し止め、あるいは既往の損害を東京都に賠償するよう請求することができる。

請求先が東京都監査委員会で、そのメンバーは5名。警視庁生活安全部長の友渕宗治が常勤で他4人が非常勤。自民党都議・山加朱美、公明党都議・吉倉正美、元中央大学大学院教授・筆谷勇、公益財団法人21世紀職業財団会長・岩田喜美枝。

監査請求は、事実の特定が不十分でもかまわない。違法ではなく不当の主張でもよい。とりあえず監査請求をすることで、派遣機動隊の規模や支出額が特定できることになる。「宿泊先は、名護市内にある1部屋1泊5万円前後の高級リゾートホテル」との報道の真偽も確認できる。そして、監査結果に納得できなければ、監査請求者が原告となって、東京地裁に住民訴訟の提起もできることになる。

機動隊派遣費用支出が、違法あるいは不当な公金支出に該当するか否かは、もっぱら派遣された機動隊の行動如何にある。いったい、機動隊は何をしたのか、何をしているのか、現地の運動体との連携を緊密に、逐一その違法行為を監査請求審査の場に反映させるというのは、優れて実践的な運動であり法的手段ではないか。
そのような試みが今準備中であるという。
(2016年9月26日)

「こんな裁判所なら不要」ではなく、「こんな判決は有害」というべきだ。

沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、石井啓一国土交通相が沖縄県の翁長雄志知事を訴えた「辺野古違法確認訴訟」で福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)は(9月)16日、国側の請求を認め、県側敗訴の判決を言い渡した。(朝日から引用)

沖縄タイムスが、法廷での裁判長の発言を、「裁判長『ほっとした ありがとう』異例の感謝」「憤る傍聴席」の見出しで、次のように報じている。

「ほっとしたところであります。どうもありがとうございました」。16日午後2時、多見谷寿郎裁判長は、約4分間の国側勝訴の判決言い渡しを安堵の表情で締めくくり、県側代理人に一礼した。
 翁長雄志知事が敗訴した場合に『確定判決には従う』考えを明言したことへの異例の“感謝”に、県側代理人は硬い表情を崩さなかった。傍聴席からは『出来レースとしか思えない』と憤りの声が上がった。」

裁判長の言い渡しとこれに続く発言は以下のとおりとのこと。

それでは、いま読み上げました事件(平成28年(行ケ)第3号地方自地法251条の7第1項の規定に基づく不作為の違法確認請求事件)の判決を致します。
主文
1、原告が被告に対して平成28年3月16日付「公有水面埋立法に基づく埋立承認の取り消し処分の取り消しについて(指示)」によってした、地方自治法245条の7第1項に基づく是正の指示に基づいて、被告が公水法42条1項に基づく埋立承認を取り消した処分を取り消さないことが違法であることを確認する
2、訴訟費用は被告の負担とする。
請求認容です。理由については、判決の骨子と要旨を作成している。ご覧ください。

なお、この場で2点だけ説明致します。
まず1点目は、協議と判決との関係。協議は政治家同士の交渉ごとでまさに政治の話。訴訟は法律解釈の話。両者は対象とする問題点は同じでも、アプローチがまったく違うもので同時並行は差し支えないと、考えた。
2点目。裁判所が被告に敗訴判決に従うかを確認した理由に関係する。国は敗訴しても変わらない。国は何もできないことが続くだけ。
これは弁護士の方はよくご存じだと思うが、平成24年の地方自治法改正を検討する際に問題になった。

不作為の違法を確認する判決が出ても、地方公共団体は従わないのではないか。そうなれば判決をした裁判所の信頼権威を失墜させ、日本の国全体に大きなダメージを与える恐れがあるということが問題になった。
そういう強制力のない制度でも、その裁判の中で、被告が是正指示の違法性を争えるということにすれば、地方公共団体も判決に従ってくれるだろうということで、そういうリスクのある制度ができた。
それで、その事件がこの裁判にきたということになる。そういうことで、そのリスクがあるかを裁判所としてはぜひ確認したいと考えた。もしそのリスクがあれば、原告へ取り下げ勧告を含めて、裁判所として日本の国全体に大きなダメージを与えるようなリスクを避ける必要があると考えた。もちろん代執行訴訟では、被告は「不作為の違法確認訴訟がある。そこで敗訴すれば、従う。だから、最後の手段である代執行はできない」と主張されまして、それを前提に和解が成立しました。
ですから当然のこととは思いましたけれども、今申し上げたように理解があるということでしたので、念のため確認したものの、なかなかお答えいただけなくて心配していたんですけども、さすがに、最後の決断について知事に明言していただいて、ほっとしたところであります。どうもありがとうございました。判決は以上です。じゃあ終わります。

裁判所が作成した判決骨子というものは以下のとおり。これだけ読めば、裁判所の考え方が、あらかた解る。

判決骨子
1 事案の概要
 本件は,原告が,被告に対し,普天間飛行場代替施設を辺野古沿岸域に建設するために受けていた公有水面埋立ての承認の取消しを敢り消すよう求めた是正の指示に従わないのは違法であるとして,その不作為の違法の確認を求めた事案である。
2 当裁判所の判断
(1) 知事が公有水面埋立承認処分を取り消すには,承認処分に裁量権の逸脱・濫用による違法があることを要し,その違法性の判断について知事に裁量は存しないので,取消処分の違法性を判断するに当たっては,承認処分の上記違法性の有無が審理対象となる。
(2) 公有水面埋立法(以下,「法」という。)4条1項1号要件の審査対象に国防・外交上の事項は含まれるが,これらは地方自治法等に照らしても、国の本来的任務に属する事項であるから,国の判断に不合理な点がない限り尊重されるぺきである。
(3) 普天間飛行場の被害を除去するには本件埋立てを行うしかないこと,これにより県全体としては基地負担が軽減されることからすると,本件埋立てに伴う不利益や基地の整理縮小を求める沖縄の民意を考慮したとしても,法4条1項1号要件を欠くと認めるには至らない。
(4) 承認時点では,十分な予測や対策を決定することが困難な場合は引き続き専門家の助言の下に対策を講じることも許されるなどの点に照らすと法4条1項2号要件を欠くと認めるには至らない。
(5) よって,承認処分における要件審査に裁量権の逸脱・濫用があるとは言えず,承認処分は違法であるとは言えない。仮に,承認処分の裁量権の範囲内であってもその要件を充足していないという不当があれば取り消せると解したとしても,承認処分に不当があると認めるには至らないし,仮に不当があるとしても,知事の裁量の範囲内で埋立ての必要を埋立てによる不利益が上回ったに過ぎず,承認を取り消すべき公益上の必要がそれを取り消すことによる不利益に比べて明らかに優越しているとはいえないなど,承認処分を取り消すことは許されない。よって,被告の取消処分は違法である。
(6)その他,被告がする是正の指示が違法であるとの主張は,その前提とする地方自治法の解釈が失当である。
(7)遅くとも本件訴え提起時には,是正の指示による措置を講じるのに相当の期間は経過しており。被告の不作為は違法となった。また,地方自治法の趣旨及び前件和解の趣旨から,被告は自ら是正の指示の取消訴訟を提起するべきであった。

もっとも、めったにない形式の訴訟。経過を追っていないと、何が争われているかが分かりにくい。読者に分かっていただけるように解説したい。

国(沖縄防衛局)は、沖縄県名護市辺野古の大浦湾を埋め立てて、広大な米軍新基地を建設しようとしている。この埋め立てには公有水面埋立法に基づく県知事の承認が必要となっている。国といえども例外ではない。そこで、国が県に対して埋立の承認を求めた。問題となった法の条項は、公有水面埋立法4条1項の1号と2号である。

第四条 都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ
一 国土利用上適正且合理的ナルコト
二 其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト

国の公有水面埋立承認申請に対して、
(1)13年12月27日、仲井眞前知事が承認した。(これを「仲井眞承認」と言うことにする)
(2)15年10月13日、翁長現知事が、「仲井眞前知事がした承認」を取り消した。(これを「翁長取消」とする)
(3)16年3月16日、国(国土交通大臣)が県に対して、『翁長知事が、「仲井眞前知事がした承認」を取り消した」のは違法だから、この取消を取り消すよう』是正の指示をした。
(4)県が是正の指示に従わないから、国(国交大臣)は県を被告として「是正の指示に従わない不作為が違法であることの確認を求める」という訴訟を起こした。

つまり、国は県に対して、「翁長取消を取り消せ」と是正指示をしている。翁長取消が取り消されれば仲井眞承認が復活して、現在中断している埋立工事を再開して続行できるとになるわけだ。

国にいわせれば、(1)法に照らして「仲井眞承認」が正しく、(2)「翁長取消」が違法。だから、(3)国の是正の指示にしたがって、県は「翁長取消を取り消す」べきだがこれをしないから、(4)県の不作為(国の指示に従わないこと)の違法確認を求める、という訴訟を提起したのだ。

これに対して、県の側からは、(1)「仲井眞承認」はいい加減な審査でなされた違法な承認で、(2)翁長現知事の「承認取消」は環境保全問題を精査して出された適法な取り消し。だから、(3)国の県に対する是正の指示は不適法なものとして、従う必要はない。したがって、(4) 裁判では、違法確認請求の棄却を求める、ということになる。

判決は、国の完勝、県の完敗である。判決言渡し後の報告集会で、被告県側の弁護団長は「考えられる中では最も悪い判決」と言い切ったと報道されている。まったく、そのとおりだろう。判決書は全文180頁を越す大部なもので、全文は手許にないが、目次や沖縄タイムスが報道している下記の「詳細要旨」で十分に中身が分かる。裁判所が整理した、争点(1)~争点?のいずれについても、裁判所はなんの悩みもなく国側の肩をもっている。

 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/62573

まず、判決理由は、「仲井眞承認は広範な裁量権にもとづくもので、これを取り消すには,承認処分に裁量権の逸脱・濫用による違法があることを要する」とし、一方「翁長取消の判断に、仲井眞承認の違法性判断に裁量はない」と言いきる。これで、事実上勝負あったということになる。

続いて、判決は仲井眞承認の適法性を積極的に述べている。公有水面埋立法4条1項の1号と2号の各要件を充足しているというのだ。この判断には、問題が大きい。とりわけ、「国土利用上適正且合理的ナルコト」に関して、国の防衛政策上の適正・合理性の主張に過剰にコミットしている点が問題となろう。事実上、日米安保を基軸とする国の防衛政策を過度に重要視して、これに反する自治体の判断を許さないものとなっており、地方自治をないがしろにするものと言わざるを得ない。(3) 普天間飛行場の被害を除去するには本件埋立てを行うしかないこと,これにより県全体としては基地負担が軽減されることからすると,本件埋立てに伴う不利益や基地の整理縮小を求める沖縄の民意を考慮したとしても,法4条1項1号要件を欠くと認めるには至らない。また、埋立承認の条件としての環境保全の必要性については、その重要性が没却されている。

「普天間飛行場の被害を除去するには本件埋め立てを行うしかない」などと国の主張に積極的な賛意を表するその筆致は、公正性を疑わせるに十分である。

なお、争点6の「国が行える是正の指示の範囲について」の判示が引っかかる。

「本件指示は国土交通大臣の権限を逸脱する」という、知事側の見解を一蹴して、判決はこう言っている。
「是正の指示の要件は、『各大臣は、その所管する法律、またはこれに基づく政令に係る都道府県の法定受託事務の処理が法令の規定に違反していると認めるとき』(同法245条の7第1項)と定めている。これは、法定受託事務に関する是正の指示については、都道府県が処理する法定受託事務に係る法令を所管する大臣であることだけが要件とされている。自らの担任する事務に関わるか否かに関係なく、法定受託事務の処理が違法であれば、是正の指示の発動が許される趣旨と解される。よって、この点において知事の主張に理由がないことは明らかだ。」

この見解だと、仮に仲井眞承認の先行なく、翁長知事が国(防衛局)の埋立申請を不承認とした場合でも、国(国交相)は承認するように是正の指示が出せることになる。これでは、国と自治体との対等性はまったく否定されてしまうではないか。

多見谷コートに関しては、沖縄現地の報道は、非常にネガティブなものだった。「15年10月に多見谷裁判官が福岡高裁那覇支部長に異動したのは、国寄りの判決を書いてきた姿勢を見込まれて、辺野古訴訟対策に送り込まれたのではないか」「国側代理人は法務省の定塚訟務局長だが、定塚氏は高裁支部の多見谷裁判長と連絡をとっていた」など。判決は、危惧されたとおりのものとなった。

裁判とは紛争解決の役割を持つ制度だが、どのような判決でも、ともかくどちらかの主張に軍配を挙げること自体に意味があるというものではない。公正な立場から法的正義を実現しているとの国民からの信頼を得ることによって、社会の秩序形成に資することになる。しかし、これだけ露骨な政府摺り寄りの判決となっては、沖縄県民だけでなく、沖縄の問題に関心を寄せるあらゆる人に、説得力を持ち得ないものとなった。

「こんな裁判所なら不要」のレベルではない。「こんな判決は有害」というべきだろう。これでは国と沖縄県との紛争解決に益するものとはなりようがない。
(2016年9月17日)

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