澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

NHK受信料訴訟大法廷回付に思う

NHKとの受信契約締結を拒否した男性を被告として、NHKが受信料の支払いを求めた訴訟が上告審に係属中である。その事件の審理が大法廷に回付されたことで話題となっている。訴訟の焦点は、契約成立の時期をめぐる争いと報じられているが、問題はそれだけではあるまい。もっと基本的な問題があるはずだ。

この事件では、視聴者側の契約締結の意思表示はない。それでも強気のNHKの主張は、「受信契約の『申込書』を視聴者に送った時点で自動的に契約が成立する」「視聴者が承諾しなくても、放送法に基づいて支払いの義務が生じる」というもの。

もっとも、「この事件の一審・東京地裁判決は『申込書を送っても、承諾しなければ契約は成立しない』と判断。『判決が男性に承諾を命じた時点で契約が成立する』と結論づけ、二審も支持した。他の訴訟の判決でも同様の考え方が主流だ。」(日経)と報じられている。

NHKが、契約未締結の視聴者を被告として、裁判所に「受信契約承諾の意思表示を求める訴訟」を提起し、これに勝訴すればその時点で受信契約が成立する。これが、一審判決の構成。これを前提にすれば、NHKは、契約未締結者の一人ひとりにこのような提訴をしなればならず、煩わしさを覚悟しなければならない。しかし、その覚悟さえあれば、訴訟によって契約未締結者との契約を成立せしめることができることになる。

どうしてそんなことができるのか。NHKと視聴者との関係を規律しているのが、放送法第64条1項。〈受信契約及び受信料〉という標題が付けられた、やや奇妙な条文である。

分かり易く、同条1項本文を整理するとこうなる。
「NHKテレビ放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、NHKとの間において、その放送の受信についての契約をしなければならない。」

一応は、「NHKテレビを受信することのできる受像器を設置した者」に対する契約締結を命じる内容とは読める。しかし、この「しなければならない」は、「したものと見なす」ではない。「しなければならない」の強制手段について触れるところはなく、視聴者がこの規定に従わなかった場合の効果はまったく記載されていない。「契約をしなければならない」にもかかわらず、契約をしなかった場合はどうなるのだろうか。

この64条の規定が裁判規範として法的拘束力をもつものか、それとも訓示規定に過ぎないか。それは定かではない。そもそも、法が「契約締結」を命じうるかが、問われなければならない。

「やや奇妙」というのは、本来契約は自由だからである。契約を締結するかしないか、誰とどのような内容の契約を締結するか、すべて自由であることが想定されている。契約の方式や内容については弱者保護の政策的理由から種々の規制がある。また大量の契約を斉一的に取り扱う必要からも、約款における「契約自由の原則」は変容している。とはいえ、契約締結それ自体を命じる法の条文には、「ナニこれ?」という違和感を禁じ得ない。本当に、放送法64条を裁判規範と理解し、その効果として契約締結を認めうるのだろうか。

国民に義務を課することが可能かと問われている場面である。裁判規範としての法的効果が明示されていない条文を、解釈で補って、これを根拠に義務を課することには慎重でなくてはならない。

また、受信料を契約上の債務とした放送法の趣旨を吟味しなければならない。放送法は、戦前のNHKが権力と一体化したメディアとして戦争や植民地支配そして思想の統制に果たした役割への徹底した批判と反省に立脚して制定されたものと理解しなければならない。

NHKを常に国民の批判に曝されたものとし、国民の負託に応えるべく自覚を継続するに適合した制度として、契約による受信料支払いの制度を構築したものと考えるべきである。契約は、飽くまで自由である。64条は訓示規定と読むべきである。視聴者各自がNHKのあり方に納得し容認して、各自のその意思に基づいて、NHKを支えるべく契約締結に至ることを想定しているというべきである。

あるいは、NHKが、放送法1条や4条に記載された公共放送としてのあり方に適合していることを当然の前提として、放送法64条があると読まねばならない。

このように解して初めて、国民が支えるNHKであり、国民の批判に謙虚に耳を傾けるNHKとなる。軽々に、「64条の効果として、裁判所は判決で契約締結を命じうる」としてはならない。
(2016年11月14日)

籾井NHK会長再任に反対する署名は3万2670筆ーさらにご協力を

民主主義の政治システムにおいては、政治権力が知られたくない情報をこそ、国民が把握できなくてはならない。そのような意味での国民の知る権利が全うされるか否かは、ひとえにメディアの報道姿勢の如何にかかっている。

諸メディアの中で、NHKがひときわ大きな存在である現在、NHKの報道の質は、国民世論の動向や政権形成のあり方に影響極めて大きいと言わねばならない。日本の民主主義を語る上で、NHKの政治報道姿勢は避けて通れないと言ってよい。

比較の対象は、公共放送としての性格を近しくするBBCだ。その権力におもねらない姿勢故の英国国民からの信頼に比して、NHKはまことに権力からの独立という矜持に乏しい。国民からの信頼が薄い。

NHKは、「大本営発表」時代の母斑を消すことのできぬ間に、「政府が右と言えば、左ということはできない」と公言する会長を据えてしまった。恥ずかしげもなくNHKの経営委員の席を占める大方も、アベのお友だち揃いではないか。いまや、NHKの政治報道を「アベチャンネル」と揶揄する言葉が定着している。アベ政権と籾井NHKの醜い「相い寄る魂」の図。その籾井勝人会長の任期が来年1月で切れる。こんな人物を再任させてはならない。

「国民は自らにふさわしい政府しかもてない」から、アベ政権が存続している。「国民は自らにふさわしいメディアしかもてない」から、NHKのアベチャンネル化を許している。政権がアベチャンネル化を促進し、アベチャンネルが政権を支える。この悪循環を断ちきらねばならない。

国民が声を発して、まずはNHKのアベチャンネル化を脱却しよう。そのためには、籾井続投を許してはならない。NHKをアベのチャンネルから解放して、真っ当な政権批判のできるメディアにしなければならない。

そのための、メディアに関心をもつ各団体が、共同して籾井NHK会長再任に反対する署名を提出した。NHKの会長人事権は、経営委員会が持っている。署名は経営委員会宛の要望書となっている。

☆要望書のタイトルは、
「次期NHK会長選考にあたり、籾井現会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求める」というもの。

☆経営委員会長宛の具体的な要望事項は以下のとおり。
1. 公共放送のトップとして不適格な籾井現会長を絶対に再任しないこと
2. 放送法とそれに基づくNHKの存在意義を深く理解し、それを実現できる能力・見識のある人物を会長に選考すること
3. 会長選考過程に視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用すること。そのための受付窓口を貴委員会に設置すること

☆ 要望事項に添えられた要請文は下記のとおり。
 来年1月に籾井現会長の任期が満了するのに伴い、貴委員は目下、次期NHK会長の選考を進めておられます。
 私たちは、放送法の精神に即して、NHKのジャーナリズム機能と文化的役割について高い見識を持ち、政治権力からの自主・自立を貫ける人物がNHK会長に選任されることを強く望んでいます。
 籾井現会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」、「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」、「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、視聴者の厳しい批判を浴びてきました。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を貫くべき公共放送のトップにはまったくふさわしくありません。
 次期会長選考にあたっては、視聴者の意思を反映させる、透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されるよう、貴委員会に対し、以下のことを強く要望いたします。

第3次集約分の署名は合計3万2670筆となって、11月7日これを経営委員会に提出した。以下は11月9日付け赤旗の記事。

「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の醍醐聰共同代表らは7日、次期NHK会長選考にあたっての要望署名第3次集約分を経営委員会に提出しました。新たに集約されたのは1万2575人分。第1次集約からの累計で3万2670人分となりました。
 署名は同コミュニティを含む全国27の視聴者・市民団体が呼びかけています。籾井勝人現会長の再任に反対し、会長の推薦・公募制の採用を求めています。
 併せて、署名とともに寄せられた視聴者からのメッセージ13人分も提出しました。主な声は次の通り。
「不偏不党であるべき放送事業者は、時の政権や経営責任者におもねることなく市井の視点から番組などを作っていくのが使命だと思います」
「籾井現会長になってからは、情報などが信用できなくなり、テレビを整理して観ていません」
「NHKには公共放送だからこそできる、政権からも財界からも独立した放送を目指し続けていただきたい」署名の最終集約は18日で、最終分を21日に提出します。

未署名の方は是非ご協力をお願いしたい。国民が真実を知ることのできるNHKとするために。署名の最終集約は11月18日。

☆署名用紙の全文(呼びかけ団体、署名運動の趣旨、要望事項、署名欄、署名用紙の郵送先などを記載)は下記URLを参照してください。
  http://bit.ly/2aVfpfH

☆ネット署名も受け付けています。
  https://goo.gl/forms/G43HP83SSgPIcFyO2
 署名に添えられたメッセージを、個人情報を省いて、ネット上で公開しています。
  https://goo.gl/GWGnYc
☆署名の最終集約とその提出予定
  集約日   11月18日(金)
  提出予定日 11月21日(月)

(2016年11月10日)

朝日新聞 WEBRONZAに、スラップ関連の2論稿掲載ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第89弾

2論稿とは、内藤光博教授の「市民の『表現の自由』を侵害するスラップ訴訟ー言論活動を萎縮させる『スラップ』、日本社会での認識を高めることが必要だ」
http://webronza.asahi.com/national/articles/2016102800003.html?

そして、私の「スラップ訴訟の実害と対策 私の経験からージャーナリズム全体の萎縮状況がスラップ訴訟を生む土壌に」
http://webronza.asahi.com/national/articles/2016102600001.html

本日(2016年10月31日)早朝、WEBRONZA「社会」のジャンルでアップされた。実は掲載まで、内藤論稿との抱き合わせ原稿依頼とは知らなかった。研究者らしく問題の全体状況をバランスよく解説した内藤論稿と、当事者として問題の焦点をしぼった拙稿との組み合わせが絶妙ではないか。

拙稿の新味は、スラップ訴訟の増加傾向を「ジャーナリズム全体に萎縮状況のあることが基本的な原因だろう」と言っていること。「天皇制や政権批判における言論の層が薄く切れ味も鈍い。だから、やや突出した言論が権力の側から叩かれる。これに対して言論界が一致して、表現の自由擁護のために闘うという雰囲気が脆弱である。こういう状況が、スラップを生む土壌となっている。」とする論調。詳細はサイトをご覧いただきたい。

売り込んだ記事ではない。編集部からの寄稿依頼によるもの。法セミに続く企画。少しずつ、スラップへの社会的関心が高まっているように思える。
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NHK経営委員会宛ネット署名(11月4日締切り)のお願いー「次期NHK会長選考にあたり、籾井現会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求めます」

NHK経営委員会 御中

 来年1月に籾井現会長の任期が満了するのに伴い、貴委員会は目下、次期NHK会長の選考を進めておられます。

 私たちは、放送法の精神に即して、NHKのジャーナリズム機能と文化的役割について高い見識を持ち、政治権力からの自主・自立を貫ける人物がNHK会長に選任されることを強く望んでいます。

 籾井現会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」、「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」、「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、視聴者の厳しい批判を浴びてきました。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を貫くべき公共放送のトップにはまったくふさわしくありません。

 次期会長選考にあたっては、視聴者の意思を反映させる、透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されるよう、貴委員会に対し、以下のことを強く要望いたします。

1.  公共放送のトップとして不適格な籾井現会長を絶対に再任しないこと
2. 放送法とそれに基づくNHKの存在意義を深く理解し、それを実現できる能力・見識のある人物を会長に選考すること
3.  会長選考過程に視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用すること。そのための受付窓口を貴委員会内に設置すること

署名数は現在2万8000筆ほど。もう一押しで3万に到達します。
詳細は以下を参照ください。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/nhk-1e91-1.html
(注)紙の署名用紙はこちら→http://bit.ly/2aVfpfH(注)この署名運動についてのお問い合わせは
   メール:kanjin21menso@yahoo.co.jp または、
   お急ぎの場合は 070-4326-2199 (10時~20時受付)までお願いします。
(注)以下のネット署名でNHK経営委員会に提出する名簿にはメールアドレス以外の項目すべてが記載されます。ネット上に集計結果を公開するときは「お名前」「お住まい(市区町村名)」は削除します。
   → 集計結果の公開URLは https://goo.gl/GWGnYc  
  *署名の第3次集約は11月4日(金)(第3版)です。
   11月7日、NHKに提出予定です。
(2016年10月31日)

「NHK・ワンセグ裁判」さいたま地裁判決を評価する

高市早苗総務相は昨日(9月2日)の記者会見で、さいたま地裁が、「ワンセグ放送を受信できる携帯電話を持っているだけではNHKの受信料を支払う義務はない」と判断したことについて、「携帯受信機も受信契約締結義務の対象と考えている」と述べた、と報じられている。この人は、はたして判決書きを読んで、ものを言っているのだろうか。

 裁判では、ワンセグ機能つき携帯電話の所有者が、放送法64条1項で受信契約の義務があると定められている「放送を受信できる受信設備を設置した者」にあたるかが争われた。高市氏は「NHKは『受信設備を設置する』ということの意味を『使用できる状況に置くこと』と規定しており、総務省もそれを認可している」と説明した。(朝日)

総務相の説明は、さいたま地裁でNHKが主張して、裁判所に排斥された考え方の要約。判決理由の批判になっていないのだ。所管の大臣が、蒸し返して同じ理屈しか言えないようでは、控訴しても覆すことは難しかろう。

8月28日さいたま地裁で言い渡された、「NHK・ワンセグ裁判」判決。ようやく判決書に目を通すことができた。報道の印象とは異なって、堂々の判決理由となっている。これなら、控訴審でも十分に持ちこたえそうだ。

この裁判の原告は、大橋昌信という朝霞市の市会議員。「NHKから国民を守る党」として選挙に臨んで当選している。この裁判の提起は、彼の政党活動でもあったわけだ。

ところで、「NHKから国民を守る党」に格別の理念は見あたらない。「NHKの政権への擦り寄り体質がもたらす害悪から国民を守る」とか、「NHKの報道萎縮の弊害から国民を守る」という党是はない。純粋に「NHKの受信料取り立てによる経済被害から国民を守る党」であるらしい。それでも果敢にNHKと闘っていることを評価すべきなのだろうが、この政党との距離感のとりかたは悩ましいところ。

裁判は、NHKから起こされたものではない。大橋市議が原告となって被告NHKを訴えたもの。請求の趣旨は、「原告(大橋)が、被告(NHK)との間に受信契約を締結する義務が存在しないことを確認する。」という義務不存在確認請求訴訟。請求のとおりの判決となった。

原告は訴訟代理人(弁護士)を選任することなく、本人訴訟を貫いた。判決を読む限りだが、原告と被告の論戦があって裁判所が原告の側に軍配を上げたという経過ではない。法律論は、もっぱら被告NHK側が詳細に主張し、裁判所はNHK側の法的主張を説得力ある論拠を挙げて排斥した。被告NHKは一人相撲をとって、原告にではなく行司役の裁判所に寄り切られたという印象。それでも、視聴者側の勝ちは勝ち。NHKの負けは負け。貴重な判決であり、影響は大きい。

争点は簡明である。放送法第64条1項本文は、「協会(NHK)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会(NHK)とその放送の受信についての契約をしなければならない」と定める。原告は、ワンセグ機能付き携帯電話をもっているが、「携帯」して持ち歩いており「設置」していない。だから、64条1項本文の「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」に該当しない。それゆえに、受信契約締結義務はない、と主張した。

原告の主張は、徹底した文理解釈である。国語の意味において「設置」と「携帯」とは明らかに異なる。「設置」とは据え置かれて固定されていることをいい、機器を持ち歩いての「携帯」が「設置」となるはずはない、という単純にして明快な理解。

これに対する被告NHK側は、目的論的な解釈論を展開した。
「放送法64条1項の趣旨は,被告(NHK)の公共放送機関としての役割の重要性に照らし,被告が適正かつ公平に受信料を受領できるようにすることにあり,上記趣旨を全うするには,受信設備が一定の場所に設け置かれているか否かで区別すべきでないから,「設置」とは受信設備を使用できる状態に置くことを意味する。」という。つまりは、国語の意味に拘泥することなく、条文の趣旨・目的を見据えた「正しい解釈」をしなければならない。受信機を固定しようと持ち歩こうと区別の必要はなく、要は受信が可能かどうかだけが問題なのだから、64条の「設置」とは結局のところ「携帯」を含む概念である、という。

やや我田引水気味ではあるが、もちろん荒唐無稽な主張ではない。NHK側は、この理屈で裁判所は勝たせてくれる、と思っていたにちがいない。「なんたって、NHKも司法も準国家機関。裁判官は仲間だもの」。

ところが、判決はNHKと司法との仲間意識を吹き飛ばすものとなった。
判決理由は、憲法83条(財政民主主義)、84条(租税法律主義)及び財政法3条から説き起こす。財政法3条とは、馴染みが薄いが、「租税だけでなく、国が国権に基いて徴収する課徴金や専売代金価格や事業料金などは、すべて法律又は国会の議決に基いて定めなければならない」と憲法の租税法律主義を補充した規定。NHK受信料もこれに含まれるという趣旨だ。

これは原告が主張したことではない。裁判所は、事実主張に対する判断においては、当事者(原被告)の主張に拘束される(弁論主義)が、法的な判断に関しては当事者の主張に縛られないのだ。

問題は、以前から論じられている受信料の法的性格。
判決は、「放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,実際に放送を受信し,視聴するか否かにかかわらず,被告(NHK)と受信契約を締結する義務を負うから,受信料は必ずしも放送の視聴に対する対価とはいえず,被告(NHK)の維持運営のために特殊法人である被告(NHK)に徴収権が認められた特殊な負担金と解するのが相当である。」と双務契約上の対価説を否定する。これは、他の受信料訴訟での視聴者側には歓迎すべき判断ではない。

しかし、本件ではそのことが、NHKの受信料請求を認めるためには、厳格な法解釈を必要とするとの根拠にされている。この部分の判断は以下のとおり。やや長いが、該当個所の全文を引用しておきたい。

被告(NHK)は,放送法16条により設立された特殊法人であって,「公共の福祉のために,あまねく日本全国において受信できるように豊かで,かつ,良い放送番組による国内基幹放送」を行うことを目的とし(放送法15条),内閣総理大臣が任命した委員により構成される経営委員会が,受信料について定める受信契約の条項(受信規約)について議決権を有しており(同法29条1項1号ヌ),受信規約は総務大臣の認可を受ける必要があること(同法64条3項)からすれば,受信料の徴収権を有する被告は,国家機関に準じた性格を有するといえるから,放送法64条1項により課される放送受信契約締結義務及び受信料の負担については,憲法84条(租税法律主義)及び財政法3条の趣旨が及ぶ国権に基づく課徴金等ないしこれに準ずるものと解するのが相当であり,その要件が明確に定められていることを要すると解するのが相当である。

以上が、ユルユルの目的論的解釈を排して、厳格な文理解釈を採用すべきとする基本原理の説示である。これを判決は「課税要件明確主義」といっている。

その上で、判決は「同一の法律において,同一の文言が使用されている場合には,同一の意味に解するのが原則であることはいうまでもない」「課税要件明確主義の立場からは,一層,同一文言の解釈について一貫性が要求されるというべきである。」として、放送法2条14号は「設置」と「携帯」を区別している、と指摘する。

放送法第2条は、「この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする」という定義規定で、その14号は「移動受信用地上基幹放送」を定義して、「自動車その他の陸上を移動するものに『設置』して使用し、又は『携帯』して使用するための受信設備により受信されることを目的とする基幹放送であつて、衛星基幹放送以外のものをいう。」と明確に、『設置』と『携帯』を別の概念として使い分けている。

また、判決は放送法64条の改正経緯を検討して、当初の「設置」の概念が「携帯」を含まないものであったことが明らかであるところ、後に「携帯」という文言が放送法に取り入れられてもなお、64条については何らの変更もなく、変更の議論や説明もされていない。「設置」の概念に変更があったと解することはできない、ともいう。

判決は、さらに放送法だけでなく、電気通信事業法などの他の法律の『設置』概念の検討を経て、「放送法64条1項の『設置』は,同法2条14号の『設置』と同様,『携帯』の意味を含まないと解するのが相当である。」と結論づける。その結論に至る論理は明快で、分かり易い。

高市コメントは、以上の説得力ある判決理由に対する的確なコメントとなっていない。要するに、地裁判決の判断に不服だから控訴する、というだけのもの。行政が、下級審で不本意な判決に接したとき、もっと謙虚なコメントがあってしかるべきではないだろうか。行政の論理を正当と維持して上訴する権利はもちろんある。しかし、下級審とはいえ、憲法上の行政のチェック機関である裁判所から、行政の間違いを指摘されたのだ。しかも、詳細に説得力をもって。そのことの重みを十分に認識した上での謙虚な対応であって欲しいと思う。
(2016年9月3日)

次期NHK会長選考に関する要望署名運動へのご協力のお願い

下記の、各地17の視聴者団体が、今日(8月11日)から連名で、NHK経営委員会長宛先にした、署名運動を始めた。

この署名運動への賛同と拡散への協力要請の通知を受けた。
私も署名をして、多くの方への賛同と拡散への協力を要請します。

☆呼びかけ団体は以下のとおり。
 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
 NHKとメディアを語ろう・福島
 NHK問題大阪連絡会
 NHK問題京都連絡会
 NHK問題とメディアを考える茨城の会
 NHK問題を考える岡山の会
 NHK問題を考える会・兵庫
 NHK問題を考える会・さいたま
 NHK問題を考える堺の会
 NHK問題を考える滋賀連絡会
 NHK問題を考える奈良の会
 NHKを憂える運動センター・京都
 NHKを考える東海の会
 NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
 政府から独立したNHKをめざす広島の会
 「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)
 時を見つめる会
 放送を語る会
 籾井さん!NHK会長やめはったら受信料払います京都の会

☆要望書のタイトルは、
「次期NHK会長選考にあたり、籾井現会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求める」
というもの。

☆署名による経営委員会長宛の要望事項
1. 公共放送のトップとして不適格な籾井現会長を絶対に再任しないこと
2. 放送法とそれに基づくNHKの存在意義を深く理解し、それを実現できる能力・見識のある人物を会長に選考すること
3. 会長選考過程に視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用すること。そのための受付窓口を貴委員会内に設置すること

☆署名用紙の全文(呼びかけ団体、署名運動の趣旨、要望事項、署名欄、署名用紙の郵送先などを記載)は下記URLを参照してください。
  http://bit.ly/2aVfpfH

☆ネット署名も受け付けています。
  https://goo.gl/forms/G43HP83SSgPIcFyO2
 署名に添えられたメッセージを、個人情報を省いて、ネット上で公開しています。
  https://goo.gl/GWGnYc

☆署名の第一次集約とその提出予定
  第一次集約日 9月10日(土)
  第一次分提出予定日 9月12日(月)
  (9月13日(火)が経営委員会長定例会長となります)

☆ 要望事項に添えられた要請文は下記のとおり。
 来年1月に籾井現会長の任期が満了するのに伴い、貴委員は目下、次期NHK会長の選考を進めておられます。
 私たちは、放送法の精神に即して、NHKのジャーナリズム機能と文化的役割について高い見識を持ち、政治権力からの自主・自立を貫ける人物がNHK会長に選任されることを強く望んでいます。
 籾井現会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」、「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」、「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、視聴者の厳しい批判を浴びてきました。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を貫くべき公共放送のトップにはまったくふさわしくありません。
 次期会長選考にあたっては、視聴者の意思を反映させる、透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されるよう、貴委員会に対し、以下のことを強く要望いたします。

皆さま、ご協力のほど、よろしくお願いします。
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ジャーナリズムの本領は、国民の知る権利に応えることにあります。
国民の知る権利の対象は、時の政権が国民に知らせたいことではなく、国民に知らせたくないことにほかなりません。 国民の知りたいこと、知るに値することは、時の政権に不都合なこと。これを国民に知らせることが、NHKの使命ではありませんか。

権力から独立してこそのジャーナリズムです。
政府が右と言おうと左と言おうと、これに左右されるようなことでは、ジャーナリズム失格というほかはありません。

ジャーナリズムの公正とは、権力からの独立と同義にほかなりません。
NHKの公正の度合いは、官邸からの距離ではかられます。官邸の思惑を忖度などけっしてしてはなりません。

NHKの信頼を完全に失った籾井勝人会長は失格というほかありません。
NHKの使命を全うするにふさわしい、識見を持った会長の選考を求めます

(2016年8月11日)

震災のいまだからこそ、より厳格な政府の監視と批判を。

熊本地震は14日の発生以来今日(23日)が10日目。当初、「あと1週間は余震に警戒を」という気象庁の警告を大袈裟ではないかと思ったが、まだ収まらない。九州には身内も知り合いもあり他人事ではない。また、明日は我が身かとも思わざるを得ない。こんなときにこそ、国民はその福利のために、国家を形成したことを思い起こさねばならない。

しかし、いつの世にも政権はしたたかである。戦争が起これば、政権の求心力は瞬時にして跳ね上がる。非常時における同調圧力が政権の求心力に転化するからだ。非常時の擬似一体感が政権を中心に形成される。政権批判は、タブーとなる。

災害も戦争と似た働きをする。恐怖した国民の心理が、容易に政権による統合に乗じられる。「こんなとき」に、政府批判などしている暇はない。現政権を中心に挙国一致で復旧・復興に当たるべきではないか。いま、そういう雰囲気が、演出されてはいないだろうか。

実は、その逆だ。「こんなとき」だからこそ、本当に、国民に役立つ政権であるかが見えてくる。その点を徹底して検証しなければならない。政府の対応の迅速さ、適切さ、真摯さを吟味しなければならない。適切な批判なければ、真っ当な政権は生まれず、真っ当な政権の運用は期待し得ない。国民の安心安全も絵に描いた餅になる。

そのような視点から、この間気になっていることを何点か指摘しておきたい。

まずは、政府の熊本地震現地対策本部長のお粗末である。
災害対策基本法(24条)によって、内閣府内に非常災害対策本部が設置された。河野太郎内閣府特命担当大臣が本部長になっている。これを東日本大震災時並みに、「首相を本部長とする緊急対策本部」に切り替えるべきとする意見も強いが、問題は閣内の非常災害対策本部が適切に機能しているかどうかである。

政府は4月15日松本文明・内閣府副大臣を現地対策本部長に任命し、熊本に派遣した。現地の政府側トップとして国と県の調整を行うべき重責を担ったこの人物。役に立たなかった。むしろ復旧作業の足を引っ張って、このままでは政権に打撃となるとの判断で、更迭された。一昨日(4月20日)のこと、任命期間はわずか6日間だった。

この人、いかにも国民がイメージする自民党議員らしい見た目とお人柄。全国的にはほとんど無名だったが、政府と現地を結んだテレビ会議の「おにぎり・バナナ発言」で、俄然有名になった。

テレビ会議で、河野防災担当大臣に、自分とスタッフへの食料差し入れを要請したのだ。「みんな(自分とスタッフ)食べるものがない。これでは戦うことができない。近くの先生(国会議員)に、おにぎりでもバナナでも何でもいいから差し入れをお願いしてほしい」というのだ。河野はこれに応じて手配し、熊本県関係の議員4人の事務所からおにぎりが届けられたという。

松本は、このことを記者団に得々として話している。「何々先生(議員)からの差し入れだということで、ありがたくいただいた」とまで。公明党も、さすがにかばいきれず批判にまわった。食料を用意して駆けつけているボランティアなどアタマの片隅にもないのだろう。

これだけでない。彼は、「屋外に避難している住民を今日中に屋内に避難させろ」という政府の指示を熊本県側に伝えて、「現地のことがわかっていない」と不快感を示されたという、例の事件の当事者としても著名になった。この政府指示は、安倍首相本人から出ていると報じられている。おそらくは、「迅速で適切な政府の対応の結果として屋外避難はなくなった」という「成果」を絵にすることにこだわったのだろう。

ところが、これをオウムの如く熊本県知事に伝えて、「余震の続くうちは心配で屋内では寝られないのだ。遠くの政府は、現地のことがわかっていない」と切り替えされて、これに同調。知事と一緒に中央を批判する形となった。安倍政権から見れば、こんな無能な者を目立つ位置に置いてはおけないわけだ。

菅義偉官房長官は一昨日(4月21日)の会見で、食料要請問題での松本の陳謝については「そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べたが、松本の交代はローテーションで更迭ではないと強調している。みっともない。

次は、またまたのNHK問題である。

以下は、「原発報道『公式発表で』…NHK会長が指示」との見出しの毎日の記事。
「NHKが熊本地震発生を受けて開いた災害対策本部会議で、本部長を務める籾井勝人会長が『原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい』と指示していたことが22日、関係者の話で分かった。識者は『事実なら、報道現場に萎縮効果をもたらす発言だ』と指摘している。
 会議は20日朝、NHK放送センター(東京都渋谷区)で開かれた。関係者によると、籾井会長は会議の最後に発言。『食料などは地元自治体に配分の力が伴わないなどの問題があったが、自衛隊が入ってきて届くようになってきているので、そうした状況も含めて物資の供給などをきめ細かく報じてもらいたい』とも述べた。出席した理事や局長らから異論は出なかったという。
 議事録は局内のネット回線を通じて共有され、NHK内には『会長の個人的見解を放送に反映させようとする指示だ』(ある幹部)と反発も聞かれる。
(以下略)」

毎日を追った朝日の報道には、次のような記事がある。
「会議の議事録は局内ネットを通じて関係職員も見られるようになっていた。職員からは『公式発表通りでは自主自律の放送ではない』『やっぱり会長は報道機関というものがわかっていない』といった声が上がっているという。」

何とも情けなくもおぞましいNHKではないか。国民は、NHKを報道機関と認識してはならない。安倍政権の報道部に過ぎないのだ。真実を真実として報道しようという姿勢はハナからない。権力の圧力に抗しても真実を貫くという、ジャーナリズム本来の姿勢は望むべくもない。あるのは、政府の意向を忖度しての、治安に資する報道であり、政府の政策に奉仕する報道の原則を貫こうという、尻尾振る忠犬の姿勢でしかない。

今、断層帶に沿って帯状に、前例のない群発地震が頻発して止まない。その断層帶の南と東の延長線上に、川内原発と伊方原発とがある。安倍政権は、原発再稼働を至上命題とする観点から、納得しうる根拠なく「両原発とも安全。何の心配もない」といいたいのだ。NHKがこれに拳拳服膺なのだ。そして、「原発の安全」と並ぶもう一つのキーワードが「自衛隊の活躍」である。官邸からの指示があったか、あるいは籾井の忖度か。いずれにせよ、NHKの報道姿勢は、安倍政権の思惑に沿うことが最優先され、真実を報道する姿勢ではない。大本営発表時代の再来ではないか。

さらにNHKを離れて政権の思惑を見れば、災害の発生を奇貨としたオスプレイの「活用」である。「被災者に役に立つのだからオスプレイ活用批判は怪しからん」という異論を封じる雰囲気利用の思惑が透けて見える。いつものことながら迷彩服姿で、軍用車両を走らせる自衛隊のプレゼンスも同じ問題をもっている。「せっかくあるものだから活用せよ」という論理だけでは、とめどなく憲法上の自衛隊合憲論に譲歩を重ねざるを得ない。自衛隊違憲論に踏みとどまることが肝要ではないか。

震災あればこそ、政権や、政権を取り巻く体制の本音や不備がよく見えてくる。「震災だから政権批判をせずに挙国一致」ではなく、「震災だからこそ、より厳格な政府の監視と批判を」しなければならない。
(2016年4月23日)

硬骨のジャーナリスト溝口敦が「不注意で視聴者の会賛同」

「放送法遵守を求める視聴者の会」なるものがある。
「国民主権に基づく民主主義のもと、政治について国民が正しく判断できるよう、公平公正な報道を放送局に対して求め、国民の『知る権利』を守る活動を行う任意団体です」と自ら称している。「国民主権」「民主主義」「公平公正な報道」そして、「知る権利の擁護」というのだから、一瞬これはリベラル派の市民運動組織かと思い込みはしないだろうか。

「政府が『右』というときに、『左』とは言えない」と、歴史に残る名言を吐いた「国営」放送局の会長を糾弾して、「公平公正なNHK報道を求め、国民の『知る権利』を守る活動を行うリベラル市民団体」のことではないかと、いかにも間違いが起こりそうではないか。

もちろん、呼びかけ人や賛同者の名前を見れば、誤解は吹っ飛ぶ。すぎやまこういちであり、渡部昇一であり、西修、東中野修道、呉善花、小堀桂一郎、西岡力等々のおなじみの面々。なるほど、ものは言いよう。「公平公正」とはアベ政権擁護の立場のこと、「国民の知る権利を守る」とはアベ政権の言い分を国民に浸透させること、「国民主権」も「民主主義」も政権の正当性の根拠の説明限りのもの。権力から独立してこそのジャーナリズム、という認識はない。

これまで3度この会の名で、「私たちは違法な報道を見逃しません」という例の新聞広告を出した。昨年(2015年)11月、読売と産経に各1度。そして、今年(2016年)2月13日に再び産経に。この3度目の広告には、呼びかけ人だけでなく、賛同者の名が掲載された。

変わり映えのしない狭い右派人脈の名の羅列だが、その中で、たった一人、思いがけない名前を見つけて驚いた。「溝口敦」という名。これはインパクトがある。

この会のホームページを閲覧すると、13人の「賛同者」がメッセージを寄せている。そのなかの一人として、顔写真付きで溝口敦の次のコメントがある。
「NHK、民放を問わず、局の体質はゼイ弱です。ともすれば、権力と多数陣営に迎合しがちです。せめて放送法を盾に民主主義を守り、戦前への回帰を阻止せねば、と思います。」

私は、溝口について特に知るところがあるわけではない。とりわけ彼の政治信条や政治的人脈については、何も知らない。右翼人脈との付き合いあって、こんな所に名前を出したのだろう。単純にそう思っていた。

溝口敦の名を知らぬものとてなかろう。ノンフィクション作家といってもよいし、ルポライター、ジャーナリストと言ってもよい。私の知る限り、最も危険な立場に身を置いてその姿勢にブレのない、稀代の物書きである。暴力団・創価学会・同和・サラ金・食の安全等々タブーに切り込む姿勢の果敢さにおいて、驚嘆すべき人物である。

暴力にも圧力にも筆を鈍らせることのない、不屈の姿勢においてジャーナリストの鑑のごときこの人物と、政権応援団右翼組織の奇妙な組み合わせ。奇妙ではあるが現実と受け止めざるを得ない残念な気持を印象にとどめた。

ところが、本日(3月18日)の毎日夕刊で、この「奇妙」の謎が解けた。この謎解きをしてくれた毎日の記者に感謝したい。

記事は、「特集ワイド」の「続報真相 改憲急ぐ安倍首相を応援する人々 『美しい日本の憲法』とは」という読み応えのある調査報道。

「安倍晋三首相が憲法改正を『参院選で訴える』と前のめりだ。この姿に喝采を送るのが、改憲を支持する『安倍応援団』とも呼べる人たちだ。首相に近いとされる彼らがどんな憲法観を持っているのか、有権者は知っておくべきだろう。一般には知られていない発言などを掘り起こしてみた。」というリードでその姿勢はお分かりいただけよう。記事の全文は下記URLでお読みいただける。
  http://mainichi.jp/articles/20160318/dde/012/010/017000c

記事中の「安倍応援団」の一つとして、「放送法遵守を求める視聴者の会」が出て来る。そして、記者も溝口に注目して、溝口を取材している。その結果が以下の記事だ。「溝口敦さん『不注意で視聴者の会賛同』」と小見出しが付いている。

 最後に意外な人物に登場してもらおう。暴力団問題に詳しいジャーナリスト、溝口敦さん(73)である。
 「国民の会」代表発起人でもある小川氏やすぎやま氏らが呼びかけ人となり、「公平公正な報道を放送局に対して求め、国民の『知る権利』を守る活動を行う任意団体」として昨年設立した「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」の賛同者に名前を連ね、多くの人を驚かせた。呼びかけ人の7人全員が、安倍氏と近かったり、改憲を支持したりしている人たちだったからだ。
  … …
 溝口さんに真意を尋ねると『不注意でした』と意外な答えが返ってきた。「『放送法遵守』というから、どういう人たちが作った団体か確認せずに『賛同する』としてしまったんです」。昨秋、前触れなく届いた封書に記入し、返送しただけだという。
 改めて自身の意見を聞くと、こう語るのだ。「問題報道どころか、最近は安倍首相を立てるような報道やニュースばかりですよ。もっと批判しなきゃ。キャスターが特定の立場で批判的発言をしたっていいじゃないですか。放送法1条は放送の自律の保障をうたっている。これが前提です。高市早苗総務相の『停波』発言はそれこそナンセンス。真実と自律を保障する放送法を盾に、政治権力と戦わなきゃ」
 溝口さんは同会に寄せたメッセージで「民主主義を守り、戦前への回帰を阻止せねば、と思います」と記していた。改憲論議についても同じことが言えるだろう。

この記事を読んで、私は胸のつかえが降りた。今日は良い気持ちだ。さすが正義漢・溝口敦の言である。「問題報道どころか、最近は安倍首相を立てるような報道やニュースばかりですよ」「政治権力と戦わなきゃ」とは、視聴者の会の主張とは正反対ではないか。それにしても、最近は右翼の言説がこれまでリベラル派が言ってきたことと紛らわしい。溝口でさえも間違うことを教訓としなければならない。

ジョージ・オーウェルの「1984年」に出て来る、真理省のスローガンを想い起そう。
  戦争は平和なり
  自由は隷従なり
  無知は力なり

 積極的平和主義とは平和憲法破壊のこと。
 公平公正とは政権批判抑制のこと。
 知る権利擁護とは政権の言い分を伝えること、なのだ。

あらためて、「視聴者の会」賛同者のコメントを見直してみる。もしかしたら、間違えた賛同者が、溝口の外にもいるのではないだろうか。たとえば、次のようなコメントに考え込まざるを得ない。

「特定の立場からの報道であるのであれば、その立場を明確に表し反論の機会を提供すべきです。中立公正を装って、特定の立場からの意見を表明することは、許されることではありません。」
「国民一人一人が、借りものの思想や価値観で判断するのではなく、自分の頭で考え判断できるようにするためには、放送内容の公平性と公正さを守ることが必須です。」
「1.マスコミは権力者である 2.権力者は国民がチェックできなければならない。」
「NHKの分割・民営化、少なくとも視聴料禁止、娯楽番組に限り双方向性で課金するようにすべし」
(2016年3月18日)

これは、大きな問題だ。ぜひあなたも、高市早苗と安倍政権に抗議の声を。

2月8日と9日の衆議院予算委員会における総務相高市早苗発言。放送メディアを威嚇し恫喝して、アベ路線批判の放送内容を牽制しようという思惑の広言。あらためて、これは憲法上の大問題だと言わざるを得ない。政治とカネの汚い癒着を露呈した甘利問題もさることながら、表現の自由・国民の知る権利、そして民主主義が危うくなっていることを象徴するのが高市発言。もっと抗議の声を上げなければならない。

表現の自由こそは、民主主義社会における最重要のインフラである。これなくして、民主主義も平和も、社会の公正もあり得ない。そして、この表現の自由とは、何よりも権力からの自由である。表現の自由の主たる担い手であるメデイアは、常に権力からの介入に敏感でなくてはならない。いま、放送というメディアに権力が威嚇と恫喝を以て介入しているときに、肝心のメディア自身に危機感が見えない。もっと真剣に対峙してもらいたい。

残念ながらメディアの反応は鈍く、中央紙の社説では下記の3本が目につく程度。
 毎日社説 2月10日 総務相発言 何のための威嚇なのか  
 読売社説 2月14日 高市総務相発言 放送局の自律と公正が基本だ  
 東京新聞 2月16日 「電波停止」発言 放送はだれのものか  

政府寄り・アベ御用達と揶揄されるスタンスの社も、メディアのプライドをかけて高市発言を批判しなければなるまい。この事態を放置しておけば、確実に「明日は我が身」なのだから。しかも、各紙とも系列の電波メディアを持っている。とうてい他人事ではないのだ。

メディアの反応が鈍ければ、主権者が直接に乗り出すしかない。そこで、ご提案したい。ぜひ皆さま、抗議の声明を出していただきたい。個人でも、グループでも、組合でも、民主団体でも…。声明でも、要請でも、抗議文でも、申入書でも…形式はなんでもよい。宛先は高市早苗と安倍政権。あるいは、各放送メディアへの要請もあってしかるべきだろう。手段は、ブログもよし。手紙でもファクスでもメールでもよい。

問題は、文面である。在野・市民団体の側の危機感は鋭く、高市発言以来昨日(2月16日)までに、多くの抗議の声が上げられている。その内、下記4本の声明や申入れが代表的なもので、ほぼ問題点を網羅している。いずれも、日頃からの問題意識あればこその迅速な対応としての声明文だ。それぞれに特色があるが、並べて読めば網羅的に問題点を把握できる。これを読み比べ、議論の叩き台として、見解をまとめてみてはいかがだろうか。

官邸の宛先は
〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1
   内閣総理大臣 安倍晋三殿

下記アドレスから官邸へのメール発信が出来る。
  https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

総務大臣の宛先は、
〒100-8926東京都千代田区霞が関2-1-2
     中央合同庁舎第2号館
 総務大臣 高市早苗殿

総務大臣宛には、下記URLからメールで。
  https://www.soumu.go.jp/common/opinions.html

なお、2月8日衆院予算委員会議事録のネットでの公開はまだないが、下記のサイトで、記録を起こした全文が読める。「高市早苗氏『電波の停止がないとは断言できない』放送局への行政指導の可能性を示唆」
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160209-00010000-logmi-pol

また、参考とすべき放送法は
  http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html

電波法は、
  http://www.houko.com/00/01/S25/131.HTM

代表的な4本の抗議声明とは、下記のA~D。いずれも、信頼できる団体の信頼できる内容。

A 2月10日 民放労連声明
 「高市総務相の「停波発言」に抗議し、その撤回を求める」
  http://www.minpororen.jp/?p=293

B 2月12日 放送を語る会・日本ジャーナリスト会議
 「高市総務大臣の「電波停止」発言に厳重に抗議し、大臣の辞任を要求する」
  http://jcj-daily.seesaa.net/article/433733323.html

C NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ 申入れ
  「高市総務相の「停波」発言の撤回と総務大臣の辞職を求める申し入れ」
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-e9fb.html

D 2月16日 東京弁護士会・会長声明
 「高市早苗総務大臣の「放送法違反による電波停止命令を是認する発言」に抗議し、その撤回を求めると共に、政府に対し報道・表現の自由への干渉・介入を行わないよう求める会長声明」
  http://www.toben.or.jp/message/seimei/post-425.html

それぞれの特色があるが、下記の点では、ほぼ共通の認識に至っている。
(1) 高市発言の「放送法の規定を順守しない場合は行政指導を行う場合もある」「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」の部分を問題として取り上げ、これを不要不適切というのみならず、放送メディアに対する威嚇・恫喝と把握していること。

(2) 高市発言が、「放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した」ことについて法の理解を間違いとしている。憲法・放送法の研究者においては放送法第4条は放送事業者に法的義務を課す規範ではなく、放送事業者の内部規律に期待した倫理規定とみなすのが定説であって、権力規制に馴染まないこと。

(3) 高市発言は、安倍政権の報道の自由への権力的介入の姿勢の象徴であるとともに、高市自身の日頃の政治姿勢の問題の発露でもあること。

(4) 電波管理行政を所管する大臣からの、メディアへの威嚇・恫喝は、憲法21条の理念に大きく違背するものとして、憲法上重要な問題であること。

(5) 高市には閣僚としての資質が欠けているとして、本人には辞任を、政権には更迭を求めていること。(弁護士会声明だけは別)

以下、各声明・申し入れの特徴を略記しておきたい。
A 2月10日 民放労連声明
さすがに、対応が迅速である。高市発言を放送の自由に対する権力的介入と捉え、これを我がこととしての当事者意識が高い。その自覚からの次の苦言が印象的である。
「今回のような言動が政権担当者から繰り返されるのは、マスメディア、とくに当事者である放送局から正当な反論・批判が行われていないことにも一因がある。放送局は毅然とした態度でこうした発言の誤りを正すべきだ。」

また、問題の根源が未熟な政府の放送事業免許制にあるとして、次の提案がなされている。
「このような放送局への威嚇が機能してしまうのは、先進諸国では例外的な直接免許制による放送行政が続いていることが背景となっている。この機会に、放送制度の抜本的な見直しも求めたい。」

B 2月12日 放送を語る会・日本ジャーナリスト会議声明
高市総務大臣の「個性」に着目して背景事情を語り、その資質を問題として糾弾する姿勢において、もっとも手厳しい。

「もし高市大臣が主張するような停波処分が可能であるとすれば、その判断に時の総務大臣の主義、思想が反映することは避けられない。
 仮に高市大臣が判断するとした場合、氏はかつて『原発事故で死んだ人はひとりもいない』と発言して批判をあび、ネオナチ団体代表とツーショットの写真が話題となり、また日中戦争を自衛のための戦争だとして、その侵略性を否定したと伝えられたこともある政治家である。このような政治家が放送内容を『公平であるかどうか』判定することになる。
 時の大臣が、放送法第4条を根拠に電波停止の行政処分ができる、などという主張がいかに危険なことかは明らかである。」
「我々は、このような総務大臣と政権の、憲法を無視し、放送法の精神に反する発言に厳重に抗議し、高市大臣の辞任を強く求めるものである。」

C NHKを監視・激励する視聴者コミュニティの総務大臣宛申入れ
小見出しを付した3パラグラフから成る。もっとも長文であり、叙述も広範囲に亘っている。
1.倫理規範たる放送法第4条違反を理由に行政処分を可とするのは法の曲解であり、違憲である。
「最高裁判決は、放送法4条の趣旨を、『他からの干渉を排除することによる表現の自由の確保の観点から,放送事業者に対し,自律的に訂正放送等を行うことを国民全体に対する公法上の義務として定めたもの』と言っている。権力的な介入を認める余地はない。」

2. 停波発言は2007年の放送法改正にあたって行政処分の新設案が削除され、真実性の確保をBPOの自主的努力に委ねるとした国会の附帯決議を無視するものである。
「高市総務相は『BPOはBPOとしての活動、総務省の役割は行政としての役割だと私は考えます』と答弁し、BPOの自立的な努力の如何にかかわらず、行政介入を行う意思を公言した。しかし、権力的介入を防止し、社会的妥当性を踏まえた自律機能を発揮するのがBPOの存在意義。高市発言は、BPOの存在意義を全面的に否定するものにほかならない。」

3. 放送法第4条に違反するかどうかを所管庁が判断するのは編集の自由の侵害である。
 「政治的に公平だったかどうか、多角的に論点を明らかにしたかどうかは往々、価値判断や対立する利害が絡む問題である。そして報道番組の取材対象の大半は、時の政権が推進しようとする国策であり、報道番組では政府与党自身が相対立する当事者の一方の側に立つのがほとんどである。放送に関する許認可権を持つ総務大臣が、放送された番組が政治的に公平かどうかの審判者のようにふるまうのは、自らがアンパイアとプレイヤーの二役を演じる矛盾を意味する。その上、放送事業者に及ぼす牽制・威嚇効果は計り知れず、そうした公言自体が番組編集の自由、放送の公平・公正に対する重大な脅威となる。」

D 2月16日 東京弁護士会・会長声明
 高市問題に関する最初の弁護士会声明である。憲法21条についての実践的重要課題として迅速に取り上げた執行部に敬意を表したい。
最後は、「よって、報道・表現の自由を萎縮させ、国民の知る権利を侵害し立憲民主主義を損なう高市早苗総務大臣の発言に強く抗議し撤回を求めると共に、政府に対し報道・表現の自由への干渉・介入となり得るような行政指導や発言を行わないよう求める。」と結ばれている。ここにも見られるとおり、高市よりは、むしろ政府に対する抗議と要請になっていることに特色がある。

「菅官房長官や安倍総理も、この(高市)発言を『当然のこと』『問題ない』として是認している。しかし、このような発言や政府の姿勢は、誤った法律の解釈に基づき放送・報道機関の報道・表現の自由を牽制し委縮させるもので、我が国の民主主義を危うくするものである。」というのが基本姿勢。

「憲法21条2項は検閲の禁止を定めているが、これは表現内容に対する規制を行わないことを定めるものでもある。1950年の放送法の制定時にも、当時の政府は国会で「放送番組については、放送法1条に放送による表現の自由を根本原則として掲げており、政府は放送番組に対する検閲、監督等は一切行わない」と説明している。
放送法4条が放送内容への規制・制限法規範になるものではなく、放送事業者の自律性における倫理規定に過ぎないことは明らかである。」「政府が、放送法4条の「政治的に公平」という言葉に部分的に依拠しそれが放送事業者に対する規制・制限法規範であると解釈して、行政指導の根拠とすることは許されず、さらに違反の場合の罰則として電波法76条1項による電波停止にまで言及することは、憲法および放送法の誤った解釈であり許されない。」とする。
その上で、「放送法4条についての今般の解釈を許すならば「政治的に公平である」ということの判断が、時の政府の解釈により、政府を支持する内容の放送は規制対象とはならず、政府を批判する内容の放送のみが規制対象とされることが十分起こり得る。さらに、電波停止を命じられる可能性まで示唆されれば、放送事業者が萎縮し、公平中立のお題目の下に政府に迎合する放送しか行えなくなり、民主主義における報道機関の任務を果たすことができなくなる危険性が極めて高くなるものである」とたいへん分かり易い。

安倍政権は、今や誰の目にも、存立危機事態ではないか。アベノミクスは崩壊だ。閣僚不祥事は次々と出て来る。そして、メディアを牽制するだけが生き残りの道と思っているのではないか。なんとか生き延びて、悲願の改憲をしたいというのがホンネであろう。
一つ一つの課題に、抗議の声を積み上げたいものと思う。
(2016年2月17日)

高市早苗発言のホンネ

私、高市早苗です。総務大臣のポストにあって、微力ながらもけなげにアベ政権を支えています。甘利さん、島尻さん、丸川さん、岩城さんなど、アベ政権を支える閣僚の不祥事や問題発言、そして無能ぶりが話題になっています。しかし、私に関しては不祥事とも、問題発言とも無縁です。もちろん無能とも。私の発言はすべて計算ずく、言わば確信犯なのですから、島尻さんや丸川さん岩城さんなどと一緒にされるのは、迷惑至極と言わねばなりません。

アベ政権の反知性の姿勢が批判の対象となっていますね。島尻さん、丸川さん、岩城さんなどは、いかにも「反知性」を感じさせますが、飽くまでも私は別格です。私は、アベ政権の知性を代表して、アベ政権を支えるために日夜奮闘しているのですから。

総務省って昔の自治省と郵政省を統合したもので、郵政省が管轄していた電波監理行政は今総務大臣である私の手の内にあります。NHKも民放も、放送法の縛りの中での免許事業ですから、私の意向を忖度しながら動かなければなりません。それが当然、当たり前のことではありませんか。

放送に携わる多くの方には、私が何を考えているか、どうすれば私の意に沿う放送内容になるのか、またどうすれば私の逆鱗に触れることになるのか、よくご理解いただいています。それくらい気がきかなければこの世界で生き抜いていくことが出来るとは思えませんものね。「憲法9条を守れ」だの、「解釈改憲は怪しからん」だの、「アベ政権の姿勢はおかしい」「アベノミクスは大失敗」だのといえば、免許権を持っている官庁との間に無用の摩擦が生じてものごとが面倒になる、そのくらいのことは大人の分別をお持ちの方ならよくお分かりのはず。

でも、今に限っては、「よくお分かりのはず」では不十分なのです。テレビやラジオの放送事業に携わる者の大部分はものわかりのよい方ばかりですが、ごく一部ではありますが変わり者もいます。「ジャーナリズムの真髄は政権批判にある」などと訳の分からぬことを言う人たち。普段ならともかく、今はこういう確信犯的人物の出番をなくさねばなりません。そのために、放送事業者に絶えずシグナルを送り続けなければならないのです。

何しろ、これから無理をしてでも、国民に不人気な明文改憲をやろうというアベ政権なのです。今のメディアの状況が続けば、アベ政権批判が噴出して、もたないことになるかも知れない。その危機感は閣内全体のものとなっています。だから、私がアベ政権を支える立場から、メディアの政権批判を抑制するよう火中の栗を拾わなければならないのです。

私は知性派ですから、必要な限りでホンネを発言しつつ、突っ込まれても躱せるように、切り抜け策を十分に準備しています。それが、「忖度と萎縮効果期待作戦」あるいは「ホンネチラ見せ戦術」と言うべきものなのです。私の独創ではなく、敏腕の政治家や官僚の常套手段といってもよいのではないでしょうか。

「おまえ、人を殺すようなことをするなよ」とか、「嘘を言うものじゃないよ」と言えば、言われた方は怒ります。「オレを人殺しだというのか」「嘘つきだというのか」と。でも、「『人を殺すようなことをしてはいけない』も『嘘を言ってはいけない』も、当然のことを言ったまでのことで、あなたを人殺しや嘘つきと決めつけたわけではない。だからなんの問題もない発言」と切り返すことを準備しているのです。これがアベ政権の悪知恵、いや知能犯、でもなく知性のあるやり方なのです。

私は、2月8日の衆院予算委員会で、「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合には、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性がある」と確かに言いました。でも、飽くまで、一般論を述べただけ、「人を殺すようなことをしてはいけないのは当たり前だろう」と開き直って切り抜けられるように計算した発言なのです。何が政治的な公平性を欠くものか、どこの局のどのような番組にその虞があるのか、具体的な決め付けは何もしていません。

それでも、停波可能性発言のあとに、「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」「私の時に(電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」と続けました。ここまで言っておけば、放送事業者には私の真意を十分に忖度していただけるはず、そして萎縮してくれることが十二分に期待できるのです。

当たり障りのないことを言っているようで、実は萎縮狙いの効果抜群の私の発言。知性派である私なればこそ出来ることで、私がアベ政権をけなげに支えていると申しあげた意味も十分にお分かりいただけるものと思います。

ところで、「政治的な公平性」とは何か、誰が判断するのか、ということがにわかに議論となってまいりました。

「政治的な公平性」あるいは「公平性を欠く」という判断は誰がするのか。その判断の権限は、主務官庁の責任者である私にあることは明らかです。私は、逃げることなくその判断をいたします。

考えてもいただきたい。民主主義の世の中です。選挙で主権者の多数からご支持をいただいて政権が出来ています。私の職責も、主権者国民から委託されたものなのです。私がその職責を果たさないことは、国民を裏切ることになろうというものです。

では、「政治的な公平性を欠く」とはどういうことか。私が申し上げましたとおり、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」で十分だと思います。これで、多くの放送事業者はものわかりよく、「憲法を守れ」「9条改憲反対」「アベ政権は非立憲」などと言ってはいけないのだと、正確に呑み込んでいただけるはず。これをアウンの呼吸とか、魚心あれば水心というものでしよう。これにツッコミを入れるなんて野暮というものではありませんか。

えっ? なんですって? 「あなたの目は結局政権だけに向いていて、国民の方には向いていないのか? とおっしゃるのですか」

その質問がおろかなのです。国民が選んだ政権ではありませんか。アベ政権こそが、国民の意思を体現しているのです。ですから、軽々にアベ政権批判は慎んで戴きたいという私の真意は、国民の意思を尊重することでもあるのです。お分かりでしょうか。

ああ、私って、なんて知性派。
(2016年2月14日)

水島朝穂「直言」が語る「メディア腐食の構造―首相と飯食う人々」

水島朝穂さんのメルマガ「直言」は、胸のすくような鋭い切れ味に貴重な情報が満載。教えられることが多い。
  http://www.asaho.com/jpn/index.html

その最近号は、明日(2016年1月11日)付の「メディア腐食の構造―首相と飯食う人々」というタイトル。ジャーナリストたる者が、「首相と飯食う」ことを恥ずべきことと思わず、むしろ、ステイタスと思っている節さえあるのだ。この人たちに、アベとともに喰った飯の「毒」が確実にまわっているという指摘である。その指摘が実に具体的であるところが切れ味であり、胸のすく所以である。

かなりの長文なので、私なりに抜粋して要点をご紹介する。ぜひ下記の原文もお読みいただきたい。
  http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0111.html

水島さんは、「10年でメディアの批判力はここまで落ちたのか。劣化度は特にNHKに著しい」と嘆く。アベ政権は、「政府が右と言うときに、左とはいえない」という会長人事や、経営委員会に百田・長谷川のような右翼を送り込むだけでなく、論説委員や記者への接触によって籠絡していることを具体的に語っている。

批判力の劣化を嘆かざるを得ないNHK政治部記者3人の名が出て来る。まずは、ご存じ岩田明子(解説委員・政治部)。
この人は、安倍首相の「想い」を懇切丁寧に読み解いて、「安倍総理大臣は、日本が再び戦争をする国になったといった誤解があるが、そんなことは断じてありえないなどと強調しました。安倍総理大臣は行使を容認する場合でも限定的なものにとどめる意向で、こうした姿勢をにじませ、国民の不安や疑念を払拭すると同時に、日本の平和と安全を守るための法整備の必要性、重要性を伝えたかったのだと思います」と言っている。客観報道ではなく、「忖度報道記者」なのだ。

ついで、田中泰臣(記者・政治部)。
「その『解説』はひどかった。例えば、採決を強行した安倍首相を次のように『弁護』していた。
『安倍総理大臣とすれば、安全保障環境が厳しさを増しているなか日米同盟をより強固なものにすることは不可欠であり、そのために必要な法案なので、いずれ分かってもらえるはずだという思いがあるものとみられる。また集団的自衛権の行使容認は、安倍総理大臣が、第1次安倍内閣の時から取り組んできた課題でもあり、みずからの手で成し遂げたいという信念もあるのだと思う。』」
これも典型的な忖度記者。

そして3人目が、島田敏男(NHK解説副委員長)。この人の名は、まずはアベの「寿司友」の一人として出て来る。もっぱら、西新橋「しまだ鮨」での会食なのだそうだ。

「メディア関係者との会食も、歴代政権ではかつてなかった規模と頻度になっている。このことを正面から明らかにしたのは、昨年の『週刊ポスト』5月815日号である。それによると、安倍首相は2013年1月7日から15年4月6日まで、計50回、高級飲食店で会食している。記事の根拠は、新聞の「首相動静」欄である。首相と会食するメンバーは、田崎史郎(時事通信解説委員)、島田敏男(NHK解説副委員長)、岩田明子(同解説委員)、曽我豪(朝日新聞編集委員)、山田孝男(毎日新聞特別編集委員)、小田尚(読賣新聞論説主幹)、石川一郎(日本経済新聞常務)、粕谷賢之(日本テレビメディア戦略局長)、阿比留瑠比(産経新聞編集委員)、末延吉正(元テレビ朝日政治部長)などである。

首相とメディア幹部がかくも頻繁に会食するという「腐食の構造」は、それまでの政権には見られなかったことである。「毒素」は、メディアのなかにじわじわと浸透していった。」

島田敏男への「毒素」のまわり具合については、水島さん自身の体験が語られている。
「NHKの『日曜討論』に呼ばれたのは、安保法案が衆議院で採決される4日前という重要局面だった。『賛成反対 激突 安保法案 専門家が討論』。控室での打ち合わせの際、司会の解説委員(島田敏男・澤藤註)は、『一つお願いがあります。維新の党の修正案には触れないでください』と唐突に言った。参加した6人の顔ぶれからして、私に向けられた注文であることは明らかだった。自由な討論のはずなのに、発言内容に規制を加えられたと感じた。実際の討論でも、私が発言しようとすると執拗に介入して、憲法違反という論点の扱いを小さく見せようとした節がある。結局、『法案が成立したら自衛隊は国際社会で具体的にどう活動していくか』という方向で議論は終わった。採決を目前にして、『違憲の安保法案』というイメージを回避しようとしたのではないか。それを確信したのは、帰り際、送りのハイヤーに乗り込んだ私に対して、その解説委員がドア越しに、『維新の修正案は円滑審議にとてもいいのですよ』と言ってにっこり微笑んだからである。車内でその言葉の意味に気づくのにしばらく時間がかかった。」

こうして、水島さんは「『日曜討論』は私の『島』だという顔をしている島田解説副委員長」について、「これ以上、『日曜討論』の司会を彼に続けさせてはならない。」ときっぱり言っている。はっきりものを言うことのリスクを承知の上での発言である。

さらに、水島さんは、浅野健一著『安倍政権言論弾圧の犯罪』(社会評論社、2015年)を高く評価して、その一読を勧める書評の中で、こう書いている。
「本書は著者(浅野)の最新刊。『戦後史上最悪の政権』が繰り出す巧妙かつ露骨なメディア対策の数々を鋭く抉りながら、他方、メディア側の忖度と迎合の実態にも厳しい批判を速射する。特に、一部週刊誌が暴露した安倍首相とメディア関係者のおぞましい癒着の実態を、本書はさらに突っ込んで剔抉する。」
「本書によれば、安倍首相は第2次内閣発足後、親しいメディア関係者と30数回も会食している」「時事通信解説委員(田崎)が最も多く首相と会食しているが、彼はTBSの番組で、『政治家に胡蝶蘭を贈るのは迷惑。30ももらって置くところがない。もらってくれと 言われ、もらった。家で長くもった』と言い放ったという。こんなジャーナリストは米国では永久追放になる、と著者は厳しく批判する。政権とメディアの関係を正すためにも、本書の一読をおすすめしたい。」
「米国では永久追放になる」という「こんなジャーナリスト」には、NHKの3記者も含まれることになるのだろう。

ジャーナリズムは、社会の木鐸っていうじゃないか。権力を叩いて警世の音を響かせるのが役目だろう。政権の監視と批判が真骨頂さ。権力と癒着しちゃあおしまいよ。安倍晋三なんぞと親しく飯喰って、それでズバリと物が言えるのかい。自分じゃどう思っているか知らないが、世間はそんな記者も、そんな記者を抱えているメディアも、決して信頼できないね。

民俗学では共同飲食は祭祀に起源をもって世俗的なものに進化したというようだ。「一宿一飯」「同じ釜の飯」という観念は世俗社会に共有されている。酒食を共にすることは、その参加者の共同意識や連帯感を確認する社会心理的な意味を持つ行為である。親しく同じ飯を喰い、酒を酌み交わしては、批判の矛先が鈍るのは当然ではないか。ジャーナリストが、権力を担う者と「親しく同じ席の飯を喰う」関係になってはいけない。

産経のように、ジャーナリズムの理念を放擲し政権の広報紙として生き抜く道を定めた「企業」の従業員が、喜々として首相と飯を喰うのなら、話は別だ。しかし、仮にもジャーナリズムの一角に位置を占めたいとするメディア人の、「腐食の構造」への組み込まれは到底いただけない。とりわけ「公正」であるべきNHKのアベ政権との癒着振りは批判されなけばならない。

アベ政権だけにではなく、アベと癒着したメディアに対しても、冷静な批判の眼を持ち続けよう。
(2016年1月10日)

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