澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

明日は「3・1ビキニデー」 第五福竜丸平和協会にご協力を

1954年3月1日に、アメリカがマーシャル群島ビキニ環礁でブラボーと名付けられた水爆を爆発させた。広島型原爆の1000倍の威力を持つ恐るべき破壊力。直径4キロの巨大なクレーターは、膨大な量の珊瑚が砕けて飛び散った跡だ。この砕け散った珊瑚片は大空へ舞い上がり、やがて高線量放射能の「死の灰」となって広範な海域に降り注いだ。第五福竜丸乗組員23人は、爆心地から160キロの海上で死の灰を被って被曝した。原爆に続いて水爆についても日本の国民が被害者となったのだ。この「負の大事件」「負の日」を忘れてはならないとするのが「3・1ビキニデー」。

被爆した木造マグロ船第五福竜丸は、美濃部都政の時代に東京の夢の島に展示館を得て船体が保存され、多くの来館者に「この悲劇を忘れるな、繰り返すな。核を根絶せよ」と訴え続けている。

この展示館建設実現は、国民的な原水爆禁止運動の高揚と革新都政の成果である。これを支える世論があって、石原都政の時代を経て展示館は健在である。年間来館者は約12万人。ビキニの悲劇と、その後の国民運動の歴史を語る船体展示は、平和と核廃絶を願う世論を喚起し続けている。

第五福竜丸の船体と展示館の所有権は東京都にある。東京都から委託を受けて、船体の保存と展示の業務をおこなっているのが、公益財団法人第五福竜丸平和協会(川崎昭一郎会長)。船体の展示だけでなく、原水爆被害の諸資料を収集・保管・展示して、「広く国民の核兵器禁止・平和思想の育成に寄与すること」を目的としている。私は、その監事(会社の監査役に相当)の任にある。

核の廃絶が協会に集う者の願い。核兵器だけでなく、原子力発電の「核のゴミ」による被ばくの被害も廃絶しなければならない。ウランの採掘から、原発稼働や再処理、そして廃炉まで、あらゆる過程における被ばくの根絶が課題として意識されつつある。

第五福竜丸の展示を中心とする平和運動は、多くの市民と市民団体に支えられている。が、課題の大きさに比較して、財政基盤も運動参加者も十分な規模とは言えない。是非、この平和運動にご参加、ご協力を御願いしたい。

まずは夢の島の展示館を訪問いただきたい。有楽町線・京葉線の新木場駅から徒歩10分。もちろん無料である。ボランティアの説明員は親切で、水準が高い。子ども連れの散歩にもよい。展示内容は年2回は変更になっている。

それだけでなく、「第五福竜丸の平和を目ざす航海」と財団の活動を支える「賛助会員」になっていただくようお願いしたい。
年会費個人5千円、団体1万円。賛助会員には、「福竜丸だより」が定期的に届けられるほか、各地で行われる催し物のご連絡をする。また、「福竜丸だより」購読だけの「ニュース会員」であれば年2千円。

その会費納入の継続が、平和と核廃絶、そして脱原発にも生きることになる。詳しくは、下記URLをご参照いただきたい。
  http://d5f.org/
  http://d5f.org/kyoukai.htm

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いま、第五福竜丸展示館の展示内容は、ゴジラである。「ゴジラと福竜丸~想像力と現実」というもの。期間は3月22日(日)まで。もちろん、入館料は一切無料、是非お見逃しなく。

以下は、企画の趣旨についてのメッセージである。

国民的人気怪獣、ゴジラが誕生したのは1954年のこと。この年の3月1日、巨大水爆実験により第五福竜丸が被ばく、乗組員は放射線障害に、たくさんの漁船が原子マグロを水揚げし、放射能の雨が全国に降りそそいだ。
そんな中で着想されたのが、核実験により呼び覚まされた太古の怪獣ゴジラ。それは人間に襲いかかり破壊の限りをつくす。吐き出す霧は放射能・・・ゴジラは水爆の化身、ヒトは自らつくり出した破壊の極地ともいうべき核爆弾で滅びるのであろうか・・・。
しかし人びとは声をあげ、水爆実験中止、原水爆反対は世界にひろがった。
かねてから第五福竜丸展示館でゴジラに関する企画をおこないたいと思ってきた。1954年そして2011年が私たちに問いかけるものは・・・画家であり、武蔵野美術大学教授の長沢秀之氏が学生たちと取り組んだ「大きいゴジラ、小さいゴジラ」作品を展示していただく機会を得た。第五福竜丸とゴジラ作品をとおして、今に生きる私たちの「現実と想像力」はどのように広げられていくのだろう。第五福竜丸の被ばく60年最後の企画展とヒロシマ・ナガサキから70年の最初の企画展となる。

■主な展示作品
大きいゴジラ小さいゴジラ、レインボーゴジラ、ゴジラの目、尻尾、腕、着ぐるみ、ぶらりんゴジラ、フィルムとしてのゴジラ、小さいゴジラとRマーク、日常のゴジラ、ビデオインスタレーション・ゴジラ

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協会は、毎年3月1日の前後に記念のイベントをおこなう。ビキニ被爆から60周年に当る昨年は大規模な記念講演・演奏会をおこなった。今年の「記念のつどい」は、坂田雅子監督の最新作ドキュメンタリー映画「わたしの、終わらない旅」を一般公開に先駆けて特別先行上映の企画。そして、映画の後に、同監督と世界の核被害地を写し続けてきたフォトジャーナリスト豊﨑博光氏との対談がおこなわれた。

なお、「わたしの、終わらない旅」の一般公開スケジュールは以下のとおりである。
3月7日(土)~3月27日(金)場所:ポレポレ東中野(中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル地下)
上映時間:10:30~/12:30~
◎期間中、「核をめぐる」トークイベント開催決定!
<全て10:30の回上映終了後>
3月7日(土)
加藤登紀子さん(歌手)×坂田雅子監督
「母から子へ いのちをつなぐメッセージ」
3月8日(日)
坂田雅子監督 舞台挨拶
3月10日(火)
鎌仲ひとみさん(映画監督)×坂田雅子監督
「福島第一原発の事故から4年を前に、いま伝えるべきこと」
3月14日(土)
後藤政志さん(元・原子力プラント設計者)×坂田雅子監督
「技術者の目から見た原発の安全性/危険性」
3月15日(日)
島田興生さん(写真家)×坂田雅子監督
「ビキニと福島 2つの土地を見つめて」
3月21日(土)
太田昌克さん(共同通信編集委員)
「日米核同盟 原爆、核の傘、フクシマ」

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「わたしの、終わらない旅」は、監督の母である坂田静子さんが遺した一冊の本の問いかけから始まる。静子さんは、1976頃から反原発の運動に深く関わるようになり、1977年5月に「聞いてください」というガリ版刷りのミニコミ誌第1号を発行。92年までの15年間に35号を重ねたという。これが、一冊の合本になって遺されている。なお、静子さんの反原発運動開始のきっかけは、次女雅子さんが、フランスのラ・アーグ核再処理施設の近くに住んで、核の被害への恐怖を語ったこと。

坂田雅子監督は、福島の被害を見つめ、母の遺した訴えを胸に、ラ・アーグ、マーシャル、カザフスタンと、核の被害に翻弄された人々の地を訪ねる。
「福島第一原発の事故がもたらした現実に心震えながら、今は亡き母が数十年前から続けていた反原発運動の意味に、改めて気づいた坂田。彼女は、母親と自身の2世代にわたる想いを胸に、兵器と原発という二面性を持つ核エネルギーの歴史を辿る旅に出る。フランスの核再処理施設の対岸の島に暮らす姉を訪ね、大規模な核実験が繰り返し行われたマーシャル諸島で故郷を追われた島の人々に出会い、そしてカザフスタンでは旧ソ連による核実験で汚染された大地で生きる人々をみつめる。」

私も、本日この映画を観たが、終盤に思いがけない場面に出くわした。
1995年の「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故をきっかけに、原子力委員会が広く国民の意見を聞くとして「原子力政策円卓会議」が開催された。坂田静子も招聘されて、意見陳述をしている。錚々たる肩書の学識経験者にまじって、おそらく一般人としては静子さんが一人だけ。

堂々とこう述べている。
「原子力発電が始まった頃は、原子力羊羹ができるほどの、バラ色の夢が描かれていたのですが、今は、マイナス面も明らかになってきているんですから、国策というものは、もうすっかり状況が違っていると思うんです。それで、原子力基本法、つまり国策を見直すべきではないでしょうか。国策も誤ることがあります。私たちの年代は身を以てそれを経験しました。ドイツは、原子力法を変えて、再処理と高速増殖炉から撤退しました。これから以後のこういう円卓会議は、ぜひ国策としての原子力推進は是か非かというテーマでやっていただきたいと思います。」

オヤと思ったのは、続いて画面は舛添要一(現都知事)の意見陳述をとらえている。20年前の舛添は、こう言っている。

「世界中の原子力発電所を見ても、『もんじゅ』の事故はありましたけど、日本の水準は、極めて安全性は高いし、よその国と比べて、それに携わっている人間の質もそれほどお粗末ではないと思っていますけれども、広東、フウチェン、それから韓国、フィリピン、台湾、いろいろなところでまさに建設ラッシュなんですけれども、その実態を見るとに、チェルノブイルと同じことが起こらない保証はない。こういうことに対する日本の援助ができないのかどうなのか。私は、チェルノブイルというのは、ウクライナですから、遠く離れたヨーロッパの出来事です。10年前にあった。その反省から、原子力サミットが4月にモスクワで行われたばかりですけれども、アジアでもう一遍ああいうことが起こったときに、おそらく日本の原子力発電は全部止めざるを得ないと思います。とても国民感情が許さない」
「アジアでもう一遍ああいうことが起こったときに、おそらく日本の原子力発電は全部止めざるを得ないと思います。とても国民感情が許さない。」まったく、そのとおりだよ、舛添君。アジアどころではない。日本で、「ああいうこと」つまりは、チェルノブイリ級の過酷事故が現実に起こったのだ。「日本の原子力発電は全部止めざるを得ない」「とても国民感情が許さない」のが、今の事態ではないか」

機会があったら、今でもこの通りに思っているのか確認してみたい。舛添さんという人、日本の原発の安全性を盲信していたことはともかく、国民感情の理解の点では、石原慎太郎とは違って案外まともな感覚の持ち主ではないか。
(2015年2月28日)

ビキニの水爆と福島の原発はつながっている

昨日(9月23日)が久保山愛吉忌。第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉がなくなって60年になる。

1954年3月1日に、一連のアメリカ軍の水素爆弾実験(キャッスル作戦)が始まった。ブラボーと名付けられた、その最初の一発によって、第五福竜丸の乗組員23人が死の灰を浴びて、全員に急性放射線障害が生じた。各人が個別に浴びた放被曝線量は「最小で1.6シーベルト、最大で7.1シーベルト」と算定されている。そして、被曝から207日後に久保山が帰らぬ人となった。

病理解剖の結果による久保山の死因について、都築正男医師(元東大教授・当時日本赤十字病院長)は、「久保山さんの遺骸の解剖検査によって、われわれは今日まで習ったことも見たこともない、人類始まって以来の初めての障害、新しい病気について、その一端を知る機会を与えられた」と言っている。

聞間元医師は、「久保山の死因は、放射性降下物の内部被曝による多臓器不全、特に免疫不全状態を基盤にして、肝炎ウィルスの侵襲と免疫異常応答との複合的、重層的な共働成因により、亜急性の劇症肝炎を生じたもの」で、「原爆症被爆者にも見られなかった『歴史始まって以来の新しい病気』『放射能症性肝病変』なのであり、『久保山病(Kuboyama Disease)』と名付け、後世に伝えるべき」と述べている(以上、「第五福竜丸は航海中ー60年の記録」から)。

久保山は1914年の生まれ、死亡時40歳。私の父と同い年で、今生きていれば、100歳になる。23人の第五福竜丸乗組員の最年長者だった。妻と3人の幼子を残しての死であった。長女が私と同年輩であろう。

なお、乗組員のリーダーである漁労長・見崎吉男が28歳。以下、ほとんどが20代であって、その若さに驚く。(余談だが、第五福竜丸展示館に、見崎吉男の筆になる長文の「船内心得」が掲示されている。当時、操舵室に張ってあったもの。その文章の格調に舌を巻かざるを得ない)。久保山だけが、召集されて従軍の経験を持っていたのだろう。従軍経験者の常識として、被曝の事実は無線で打電することなく、寄港まで伏せられた。米軍を警戒してのこととされる。

久保山の死は、核爆発によるものではなく、核爆発後の放射線障害によるものである。原子力発電所事故による放射線障害と変わるところがない。だから、久保山の死は、原水爆の被害として核廃絶を訴える原点であると同時に、核の平和利用への警鐘としても、人類史的な大事件なのだ。福島第一原発事故の後、そのことが誰の目にも明瞭になっている。

被ばく当時20歳だった第五福竜丸の乗組員大石又七が今は80歳である。「俺は死ぬまでたたかいつづける」と宣言し、病を押して証言者として文字通り命がけで活躍している。

昨日(9月23日)江東区亀戸中央公園で開催された「さようなら原発全国大集会」で、車椅子の大石が被ばく体験を話した。以下は、本日付東京新聞朝刊社会面(31面)の記事。

「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ。絶対反対です」「乗組員には頭痛や髪の毛が抜けるなどの急性症状が出た。この日は被ばくの半年後に亡くなった無線長の久保山愛吉さんの命日。『核実験の反対運動は当時タブーとされ、内部被ばくの研究も進まなかった。福島第一原発事故の後も、同じことが繰り返されようとしている。忘れられつつあるビキニ事件を今の人たちに伝えたかった』と大石さんは語った」

久保山愛吉が遺した言葉が、多くの人々の胸の奥底にある。
「原水爆の犠牲者は、私で最後にしてほしい」

この言葉は、大石又七の「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ」の名言と一体のものして理解すべきだろう。

「原水爆であれ原発であれ、核による人類の被害は、久保山愛吉の尊い犠牲を最後にしなければならない」と。
(2014年9月24日)

ビキニ水爆被災60年・連続市民講座第1回「その国内的影響」

 1945年8月 6日
 1954年3月 1日
 2011年3月11日

以上は人類が永久に記憶しなければならない日。とりわけ、日本人である私たちにとって忘れることのできない日。

8月6日は、人類が核という自殺手段を手に入れたことをこの上なく残虐な方法で明示した日。3月1日は兵器としての核の威力が極限に達して、ヒロシマ型原爆の1000倍規模の水爆(「ブラボー」15メガトン)が爆発した日。そして、3月11日は核と人類が共存できないことが明らかとなった日。いずれの日にも日本人が犠牲となった。第五福竜丸の被ばくは原水爆禁止運動の起点となり、また今福島原発事故の放射線被害の教訓ともなっている。核兵器の脅威と、核の放射線被害の恐怖との結節点でもある。

今年は、その第五福竜丸の被ばくから60周年。本日は、記念行事のひとつとしての連続市民講座の第1回。公益財団法人第五福竜丸平和協会と明治学院大学国際平和研究所との共催での「いま水爆の時代を問う~核と向き合い明日へ」の4回シリーズのうちの「第五福竜丸被ばく・ビキニ事件をたどる。その国内的影響」。午後1時に開会して閉会は5時15分。たいへん充実した「講座」だった。いささかくたびれるほどのレベルの高さ。

最初に、20分余の科学ドキュメント「死の灰」が上映された。第五福竜丸の甲板に付着して持ち帰られた「死の灰」の分析と、ビキニ近海の放射線汚染を調査した俊鶻丸のドキュメント。当時の緊迫した雰囲気が伝わってくる。

俊鶻丸は、水産庁が企画した調査船。その第1次の調査航海は、54年5月15日に竹芝桟橋出港となっている。3月1日に被ばくした第五福竜丸が一直線に母港焼津に寄港したのが3月14日。16日に読売が「世紀のスクープ」記事を掲載。乗組員全員が東大附属病院で「急性放射能症」と診断されたのが3月20日である。3月下旬には水産庁がビキニ海域の総合調査企画を開始し、4月に各分野の科学者から成る調査顧問団を編成し、調査船に乗り込む調査団22名と報道班9名を人選、水産講習所の俊鶻丸に測定器具・分析器具、ガスマスクまでを積み込んでの出港であった。その迅速性に驚かされる。帰港は7月4日。

本日の講座の前半は、「被ばくと関わった科学者に聞く」として、当時直接に死の灰の分析に当たった池田長生さんと、俊鶻丸に乗り組み手製の測定器を駆使して環境放射線を測定した岡野眞治さんお二人の講演。お二人とも、もうすぐ90歳。直接お話を聞くことがでたことだけで貴重な体験であった。

「死の灰」の正確な分析と、俊鶻丸の海洋調査とは、「放射線など大したことはない」「日本は大袈裟に過ぎる」と言っていたアメリカに、恐怖の根拠を突きつけるものとなった。遅ればせながら55年2月に、アメリカも調査船タニー号を派遣するが俊鶻丸の調査結果を追認することとなった。

俊鶻丸の調査は、水爆実験への強力な批判の根拠となった。三宅泰雄博士(第五福竜丸平和協会・初代会長)は、次の言葉を残している。
「水爆実験に伴う多くの研究や観測、これらはいかにうまく水爆を使うかというための研究である。俊鶻丸のみが世界でただひとつ、いかにして人類を水爆の危険から守るか、というヒューマニズムに立脚した研究を行った」(「死の灰と闘う科学者」より)

本日の講座の後半はお二人の水産・海洋学専門家の講演と質疑。「ビキニ事件とマグロ」(水口憲哉さん)、「放射能雨と地球環境」(青山道夫さん)。パワーポイントを使っての詳細な講演だった。講演内容は、近々ブックレットとして出版される予定。加筆のうえ表やグラフを添えてのものとなるはず。楽しみに待ちたい。

本日の講演では、当然のことのごとくに、会場からの質問は福島第1原発事故による「海洋汚染」と「水産物の安全性」に集中した。過去の問題でもなく、将来のリスクとしての問題でもない。まさしく現在進行中の放射線被害の恐怖は、核と人類との共存があり得ないことをものがたっている。かつては、原水禁運動にも「原子力の平和利用」というスローガンが掲げられていた。3・11を経た今、兵器としての核利用も、原発としての核利用も、人間の手に負えぬものとの認識が多くの人に共有されている。

第五福竜丸平和協会が、被ばく60周年を記念して出版した記録集の「第五福竜丸は航海中」の帯に、「核なき世界に」としっかり書き込まれている。第五福竜丸の航海が目指すさきは、核兵器も原発もない世界なのだ。

次回の市民講座は、6月14日(日)午後1時30分より。場所は明治学院大学。テーマは、「ビキニ事件、日米関係への影響」、報告者と演題は以下のとおりである。
(1)公開外交文書に見る第五福竜丸被ばくビキニ事件と日米関係・市田真理(展示館学芸員)
(2)ビキニ事件の米政策への影響と日米関係・太田昌克(共同通信編集委員)
(3)ビキニ事件と経済界の動向・山本義彦(静岡大学名誉教授)

今回は専ら理系だったが、次回は社会科学系。これも充実したものになりそうだ。参加希望者は、第五福竜丸平和協会の下記ホームページから事前の申込を。
http://d5f.org/top.htm
(2014年4月20日)

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