澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「10・23通達」発出のこの日に、「明治150年記念式典」

1868年10月23日、150年前の今日。「明治改元の詔」なるものが出たのだという。「それがどうした?」「だからなんだ?」「改元が目出度いか?」と言いたいところだが、政府は8月10日の閣議で、政府主催の記念式典を行うことを決定。本日(10月23日)永田町の憲政記念館で「明治150年式典」が開催された。安倍政権は、明治150年を祝賀しようという。ならば、われわれは「天皇専制と戦争の近代史」を思い起こす日にしようではないか。

2003年10月23日、15年前の今日。都内公立学校の全教職員に、学校儀式における「日の丸・君が代」への起立・斉唱をを強制する「10・23通達」が発出された。当時の都知事は石原慎太郎。以来、不起立・不斉唱での懲戒処分件数は、延べ483件に上っている。都内の公立校に、思想・良心の自由はない。教育現場は荒廃している。今日は、学校現場における思想・良心の自由獲得の重大さを思い起こすべき日でもある。

100年前の今日、制度が変わったわけではない。法が制定されたのでもない。先代天皇(孝明)の死亡の日ですらない。それまでの慶應が、幾つかの候補(一説に7案)の内から、明治と決められたというだけの日。しかも、当時は旧暦で(慶応4年)9月8日だった。そして、改元の効果は、その年の旧暦1月1日に遡るとされた。10月23日に、いったい何の意味があるのか分からない。

問題は、何ゆえ明治150年が記念に値するのか。国費を投じて式典まで行う必要があるのか、ということ。

この点、8月時点で菅義偉官房長官は、明治以降のわが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機としたい」と述べたにとどまる。「明治以降のわが国の歩みを振り返り」「未来を切り開く契機」との関係がさっぱり分からない。

「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、天皇を国民統合の中心と戴いて国威を発揚してまいりました輝かしい時代であったと申せましょう。この我が国固有の歴史に誇りをもって、国の未来を切り開く契機にいたしたい」なのだろうか。

あるいは、「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、その前半は天皇制官僚と軍国主義者との横暴が猖獗を極めた専制と戦争の時代でありました。また、その後半は、専制や戦争あるいは差別を克服しようとして道半ばの時代と言わねばなりません。総じて、150年を徹底して反省することをもって、これからのくにの未来を切り開く契機にしなければなりません」ということなのだろうか。

同様のことは、「明治100年」の際にも問われた。このとき(1868年10月23日)にも政府主催の記念式典が開催された。会場は北の丸公園の日本武道館、天皇・皇后(先代)も出席してのこと。今回の式典は盛り上がりに欠ける。天皇(明仁)の出席もなかった。

ところで、本日の赤旗第2面。下記の記事が掲載されている。明治150年記念式典・出席せず」「小池氏・趣旨に同意できない」という見出し。

 小池晃書記局長は22日の記者会見で、23日に開かれる政府主催の「明治150年記念式典」について問われ、「明治150年の前半は侵略と植民地支配の負の歴史です。それと戦後を一緒にして150年をまるごと肯定する立場に、わが党は立たない」として、式典に参加しないと表明しました。
 小池氏は、「閣僚の『教育勅語』容認発言のように戦前を美化したり、9条改憲によって『戦争をする国』に向かおうという安倍首相の意向が背景にある」と強調し、「式典の趣旨そのものに同意できない」と述べました。

 産経が、これを記事にしている。「共産、明治150年式典欠席へ」「前半は負の歴史」という見出し。

 共産党の小池晃書記局長は22日の記者会見で、東京・憲政記念館で23日開かれる明治改元150年記念式典に同党として欠席すると表明した。「150年の前半は、侵略戦争と植民地支配に向かった負の歴史がある。明治以降を丸ごと祝い、肯定するような行事に参加できない」と語った。
 関係者によると、会場には国会議員向けの席が用意される予定。小池氏は式典について「教育勅語の礼賛や、憲法9条改定により戦争する国造りを進めようという安倍晋三首相の強い意思が働いている」と指摘した。

 この「改元150年記念式典出席拒否」には全面的に賛同の意を表したい。「儀礼的なものに過ぎないから」「国会議員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なことだから」「他の野党との連携上、やむを得ない」などといわずに、きっぱりと出席を拒否したことを評価したい。

明日(10月24日)が臨時国会の開会式。望むべくは、玉座の天皇が議場の国民代表を見下して「開会の辞」を述べるという、国民主権に屈辱的な、あの儀式への参加もきっぱりと拒否してもらいたいところ。

東京新聞(こちら特報部・2018年10月17日)は、150年祝う政府式典 反対集会23日に同日開催 『明治礼賛』に異議あり」を特集している。下記のとおり、立派な姿勢だ。

 「明治150年」を記念する政府の式典が23日、東京都内で開かれる。近代国家の礎を築いた栄光の時代をたたえる趣旨だが、同じ日、アジア侵略につながった負の歴史を批判する団体も反対集会を開く。平等を説きながら差別をなくせなかった時代を礼賛するとして、沖縄の人々やアイヌ民族も複雑な思いを抱く。改憲に前のめりの安倍政権で迎える節目は、どんな意味を持つのか。

 10月21日、「10・23通達」抗議の集会が開催されている。明治150年、その前半は暗黒の時代だった。後半も人権や民主主義にとってけっして明るいばかりの時代ではないことを「10・23通達」による「日の丸・君が代」強制の実態が教えている。常に、権力に対する抗議が必要なのだ。

日の丸・君が代の強制を合理化してはならない。「儀礼的なものに過ぎないから」「教員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なこと」「世論状況でやむを得ない」などといわずに、きっぱりと「日の丸・君が代」強制に抗議の声を上げていただきたい。
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下記は、本日付赤旗の「主張」。明治150年・近代日本の歩み検証する視点」というタイトル。さすがに赤旗、この論説は、行き届いた正論である。赤旗とは無縁な人のために、全文を紹介しておきたい。

 「上からは明治だなどというけれど 治明〈おさまるめい〉と下からは読む」―徳川幕府が倒れて明治新政府ができたとき、東京と改称された江戸の民衆はこんな狂歌をよんだと伝えられています。

 150年前の1868年、旧幕府側と薩摩・長州両藩を中心とする新政府軍との間で戊辰戦争が始まり、新政府は「五箇条の誓文」を公布し、江戸城が無血開城されました。そして、年号が慶応から明治に改元されました。

特異な一面的礼賛の姿勢

 きょう政府は都内で「明治150年記念式典」を開催します。1868年10月23日に明治改元があったことを記念し「明治以降の我が国の歩みを振り返り、これからの未来を切り開く契機とする」(菅義偉官房長官)との触れ込みです。安倍晋三政権は2年前から「明治150年」キャンペーンを展開してきました。

 首相自身、今年の年頭所感で「明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました」「近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人」と強調しました。きわめて一面的な「明治」礼賛です。戦前と戦後の違いを無視した時代錯誤の危険な歴史観がにじんでいます。
明治維新によって身分制が改められるなど、政治変革の激動のもとで急速な近代化が進んだのは事実です。しかし、明治政府がおこなったのは「富国強兵」「殖産興業」の名のもとに、資本主義化を推進し、労働者や農民から搾取と収奪をすすめることでした。

 それと並行して、欧米列強に対抗するために徴兵令(1873年)を公布し、台湾出兵(74年)や江華島事件(75年)などアジアへの侵略の歩みを進めました。また、蝦夷地(えぞち)を「開拓」してアイヌ民族を差別し、琉球処分を強行して沖縄を一方的に支配下に組み込みました。国民の政治参加を求めた自由民権運動は抑え込まれました。

 明治政府がうちたてたのは、大日本帝国憲法(1889年)のもとで、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治でした。そのうえ教育勅語(90年)を制定し、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」―つまり“国家危急の時は天皇のために命をささげよ”と国民に強要しました。

 戦前の日本共産党幹部で1934年に獄死した野呂栄太郎は、著書『日本資本主義発達史』(30年刊行)で、明治維新を「資本家と資本家的地主とを支配者たる地位につかしむるための強力的社会変革」と指摘し、それによって生まれた政治権力を「絶対的専制政治」と明快に特徴づけています。

 明治政府は、日清・日露戦争を経て台湾や朝鮮半島を植民地化しました。昭和に入り1931年から中国への侵略戦争を開始、45年の敗戦までにアジア2000万人以上、日本国民310万人以上の犠牲をもたらしたのです。

根本に侵略戦争の肯定が

「明治150年」キャンペーンは、安倍政権が「日本会議」など過去の侵略戦争を肯定・美化し、歴史を偽造する勢力によって構成され、支えられていることと深く結びついています。過去の戦争の反省に根ざした日本国憲法の精神にたち、近代日本の歩みを検証することが強く求められています。

(2018年10月23日)

祝・「植村隆氏、金曜日の社長に就任」

「植村裁判を支える市民の会」のホームページが素晴らしく充実している。支援の質の高さを示して、さすがというほかはない。URLは以下のとおり。
http://sasaerukai.blogspot.com/

そのサイトの昨日(9月26日)の記事に驚いた。「植村隆氏、金曜日の社長に就任」というもの。 金曜日とは、言わずと知れた「週刊金曜日」を発行する「株式会社金曜日」のこと。同誌は、これまでも植村訴訟支援の姿勢を堅持してきた。とは言うものの、植村さんがその出版社の代表取締役社長兼発行人に就任なのだ。私には、思いもよらなかったこと。明日(9月28日)、就任の記者会見をするという。

まずは、目出度い。祝意を述べねばならない。植村さんは、今わが国に跋扈している極右似非ジャーナリズムとの対峙の最前線に位置する人。政権ヨイショの御用文化人との厳しい対立関係にもある。その人が、孤立するどころか、有力メディアの代表者になった。植村裁判支援の輪も広がるだろうし、週刊金曜日の新たな読者層の開拓も可能になるだろう。それは目出度い。

とはいえ、目出度いばかりでもなかろう。雑誌メディアの経営は、今どこも順調ではない。もしかしたら、植村さんには経営環境改善の手腕を求められているのかも知れない。そうであれば大変なことだが、応援もしなければならない。

 

ところで、植村さんが原告となっている訴訟は2件ある。最初の提訴が東京地裁、次いで札幌地裁。いずれの訴訟も最終盤、間もなく判決期日を迎える。

東京訴訟の提起は2015年1月9日。朝日新聞の植村執筆記事を「捏造」とする西岡力(東京基督教大学教授)と、文芸春秋社を被告としての名誉棄損損害賠償請求訴訟。文芸春秋社が被告になっているのは、植村さんを捏造記者と決めつけてバッシングの端緒なったのが週刊文春の記事であったから。次回11月28日第14回口頭弁論で結審の予定。

札幌訴訟提起は15年2月10日。櫻井よしこと、週刊新潮、週刊ダイヤモンド、月刊WiLLの発行元3社を被告とする同様の損損害賠償請求。本年(2018年)7月6、第12回口頭弁論期日をもって結審。11月9日(金)午後3時30分判決言渡しの予定である。

「支える会」は、2016年4月12日付で「設立趣意書」を公表している。
「植村さんとともに、さらに前へ」というタイトル。「さらに前へ」という呼びかけは、下記の共同代表7氏によるもの。
上田文雄(前札幌市長、弁護士)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授)

この呼びかけ文の抜粋で、事態を理解することができる。

 発端は、週刊文春2014年2月6日号の記事「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」でした。転職先に決まっていた神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到、植村さんは教授就任を断念せざるを得なくなりました。14年5月からは、非常勤講師を務める北星学園大学にも「国賊をやめさせろ」「学生をいためつける」など脅迫・嫌がらせのメールや電話が押し寄せ、ネット上に植村さんの長女(当時17歳)の写真と実名がさらされ「自殺するまで追い込むしかない」などと書き込まれる事態になりました。

 「大学、植村さん家族を脅迫から守ろう。私たちも北星だ」と立ち上がったのは市民です。北星学園大学に応援メッセージを送るなど大学を励ます「負けるな北星!の会」(略称・マケルナ会)には国内外の1000人が加わりました。全国の400人近い弁護士が脅迫者を威力業務妨害罪で札幌地検に刑事告発するなど、支援の輪は大学人、宗教者、市民グループ、研究者、弁護士、ジャーナリストなど各界に広がっていきました。この応援を力に、北星学園大学は14年12月、植村さんの次年度雇用継続を決めました。

 植村さんは「私は捏造記者ではない」と手記や講演で反論を続けています。朝日新聞の第三者委員会、歴史家、当時取材していた記者らによって完全否定されても、「捏造」のレッテル貼りは執拗に続いています。

 この間の異常ともいえる植村さん攻撃は、基本的人権、学問の自由、報道・表現の自由、日本の民主主義に向けられています。女性が生と性を蹂躙された日本軍「慰安婦」を、なかったことにし、歴史を書き換え、ものを言わせぬ社会に再び導こうとする黒い意志を、見逃すわけにはいきません。この裁判が植村さんの名誉回復のみならず、私たちの社会の将来に大きな影響を及ぼすと考える所以です。

 札幌訴訟が先行して証拠調べを実施し、櫻井よしこ尋問で、そのウソが明らかとなった。東京訴訟でも西岡力のウソが暴かれている。ウソで、人を「捏造記者」と決めつけ、恐るべきネット右翼のバッシングの導火線となったのだ。

以下は、「支える会」ホームページの本日(9月27日)付「西岡氏の批判広がる」の転載である。この訴訟に関心をよせていた人たちの櫻井・西岡に対する批判。植村バッシングとは何であるか。この問題の多面性が浮かびあがってくる。

以下は9月26日午後3時現在の#西岡力についてのタイムラインからの抜粋である。このほかに、中島岳志、平野敬一郎氏らの本文なしリツイートも多数ある。

※抜粋にあたっては、ツイート本文の一部を削ったものもある。
https://twitter.com/search?q=%EF%BC%83%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%8A%9B&src=typd
■望月衣塑子
めちゃくちゃである。何の学術的裏付け、根拠もないまま植村氏を批判。結果、植村氏や家族や大学は誹謗中傷、脅迫に晒され続けた。その罪はあまりにも重い
■佐藤 章
この裁判記事によれば西岡力はほとんど捏造じゃないか。自分が捏造しておいて他者を捏造呼ばわりするのは学者として人として失格だろう。恐らくは櫻井よしこもそうだろう。植村隆は捏造などするような人間ではない。西岡と櫻井は、記者会見を開いて謝罪すべきだ。
■masa
慰安婦問題を少しかじったら誰もが知ってる名前だろう。そして、裁判で捏造を認めた、この人物は北朝鮮拉致被害者の「救う会」の会長でもある。では「家族会」は?一緒に多くの集会を開いているだろうから、YouTubeででも確認するとよいかもしれない。
■細かい情報?
西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。
■まりーべる321
#ヤフコメ が酷いですね。 #ネトウヨ さん達、いい加減にして欲しいです。
■World Peace Productions
#西岡力 本当に学者なのか?恥を知れ嘘つき野郎
■Hiroshi Takahashi
櫻井よしこさんも自分がウソ吐いたのを白状したし、西岡力さんも自分がウソ吐いたの白状したし、阿比留瑠比さんも自分の矛盾をアウェーの植村隆さんに突っ込まれて白旗上げたし、これだけウソ吐きのウソがばれてるのに、ウソを信じたい人たちは目を覚まさないんだよなー。
■佐藤 章
植村隆はぼくの昔の同僚だが、捏造などするような人間では決してない。人間である以上細かいミスはあるだろうが、優秀なジャーナリストであることは間違いない。捏造は、櫻井や西岡である。お仲間の杉田や小川のレベル、人間性を見てもよくわかる。
■渡辺輝人
酷いな。歴史修正主義って、日本語だと、修正なんて生易しいものじゃなくて、歴史の意図的改ざんなんだよね。
■ Hiroshi Takahashi
櫻井よし子に続いて右派の連中、ボロボロやんかw。
■想田和弘
シャレにならんな。→『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める
■ソウル・フラワー・ユニオン?
西岡力。櫻井よしこといい阿比留瑠比といい、嘘をつきまくって結局白旗。汚辱にまみれたカルトの不誠実な人生。
■能川元一
西岡力も櫻井よしこも、実に軽々しく「捏造」という非難を他者に浴びせてきたから、自分たちのミスを「捏造」呼ばわりされても自業自得なんだよね。
■宋 文洲
嘘吐きはウヨの始まり
■m TAKANO?
植村隆裁判で、事実に基づいた緻密な追求によって櫻井よしこに続いて西岡力も白旗を揚げざるを得ない状況に追い込まれた。いわゆる右派論客こそ捏造だらけであることが、この裁判を通じて明らかにされた。
■北丸雄二
「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力、捏造だったって。
■森達也(映画監督・作家)
ここまでの展開はさすがに予想できなかった。思想信条は違っても尊敬できる人であってほしいのに、下劣すぎる本質がどんどん顕わになる。
■tany
<西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた> って、間違いじゃなくて<嘘をついた>だよね。 櫻井よしこやネトウヨはどうするんだろう。
■hiroshi ono
なんか、最近YuTubeでも歴史改ざんやヘイトまき散らす(自称)保守系ネット番組が相次いで締め出されたり、新潮の雑誌が休刊に追い込まれたり、櫻井よし子や今回の西岡力が裁判で自ら捏造デマ流してたこと認めたり、潮目が変わって来た感じ。日本の自浄作用に期待します。
■西大立目
結局「捏造」してるのは朝日叩いてる連中なんですよね。 小川榮太郎とか櫻井よしことか西岡力とか そしてコイツラは未だに「保守論壇誌」だの「産経新聞」だので朝日叩きのお仕事継続中
■デマを生む人信じる人の思考回路研究?
「慰安婦問題」を否定する人々の拠り所とされてきた西岡力氏の言論。西岡氏は、元朝日新聞記者の植村隆氏の書いた慰安婦記事は捏造だ?と言い続けてきた。しかし実際は逆で、西岡氏の方が自らの言論に都合よく事実を捏造していたことを東京地裁で認めた。
■you u you
これホントだったら大変なことだと思うんだけど。植村さんを叩いている人達は西岡さんに事実確認したほうがよくない?
■Kawase Takaya
人を嘘つき呼ばわりしていた奴が本当に嘘つきだった。これで事の理非が分からなければ、病膏肓に入るとしか。
■スワローヲタフク
西岡力って、確か「救う会」の会長で、アベのブレーンだよな。まさに、アベ政権に「巣食う会」になりましたとさwww
■河原 淳
櫻井よしこに続いて西岡力もー。 安倍首相を取り巻く右派論客のウソが次々に暴かれている。平然とウソをつき、他人を容赦なく攻撃し排斥する。安倍首相にも通じる。
■akabishi2
司会は櫻井よし子。救う会会長は西岡力。植村裁判で実質的に「捏造」を認めた2人が、拉致被害者の運動に深く関わっているのは偶然でもなんでもないことは、普通に考えればわかることなのに、誰もそのことを口にできないし書けないもんなー
■清水 潔
おいおい。 西岡氏は、植村氏の記事に対し「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメント。 しかし尋問で問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。
■T-T
櫻井よしこも西岡力も裁判でデマを認めて、いま沖縄知事選でデマが飛び交っていると問題になっているけど与党候補からはデマで困っているという声は出ていないということ。
■藤井 太洋
慰安婦=プロの娼婦説の引き金を引いた西岡力が、発端となった記事の捏造を認めたのか。大きな一歩になるな。 そもそも慰安所にはプロも、騙された人も強制連行された人もいたのだろう。だからといって移動の自由がない戦地の慰安所に収容していいわけがないのだ。
■河信基
この男が横田夫妻を操り、拉致問題を10年間拗らせた張本人。廃刊になった新潮45の常識外に偏った常連寄稿者の一人でもある。
■宿坊の掲示板ほぼbot
「慰安婦」問題否定派の旗手である西岡力氏。彼の論考や発言は、櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ
■Veem.atomic
朝日新聞の慰安婦問題、結局は捏造ではなくて、捏造だと言ってた西岡力氏が、否定の根拠を捏造(記憶違い)だと裁判で認めた訳だ。 朝日を責めてた人達、これからどうするんだろ? 謝罪するのかな?
■ウツボマン
しかし、安倍応援団、ひどいね。百田尚樹に青山繁晴、櫻井よしこに西岡力。小川榮太郎に山口敬之、竹田恒泰。よくもこれだけのメンバーを集められるもんだ。
■川上 哲夫
元朝日新聞記者・植村隆さんの、元「慰安婦」記事を「捏造」と週刊誌に書いた西岡力の記事こそが【捏造】であったことを本人が認めた。仕方なく認めた
■toriiyoshiki?
「金曜日」の記事を読んで思うのは、西岡力氏の学者・研究者・言論人としてのモラル崩壊ぶりである。自説を補強するため、新聞記事のありもしない一節をでっち上げるなど、あってはならないこと、人並みの良心さえあればとても考えられないことである。
■toriiyoshiki
朝日新聞の従軍慰安婦についての記事を「捏造」だと非難してきた御本人が、自らの論拠が事実上の「捏造」だったことを認めるに至ったお粗末の顛末。これは裁判記録として残るから、もう言い抜けはできまい。
■ryozanpaku
『植村氏が起こした民事裁判で、西岡力氏は今年9月5日、植村氏を批判する根拠としていた元「慰安婦」の訴状と韓国紙の記事について、そのいずれも引用を誤っていたうえ、自らが記事を改竄していたことを認めた。植村氏の記事が「捏造だ」という主張はもはや根拠を失っている。』 西岡、謝れ!

■Joshua Martin あたま抱え中?
2014年当時、西岡力に私もすっかり騙されていた。
「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。」→嘘でした!
「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」→加筆捏造でした!
■根村恵介?
レイプジャーナリスト、捏造記者、ウヨクエンタメ作家、お追従評論家…安倍晋三のまわりはいかがわしい人物だらけ。
■omelette
【「私は40円で売られて,キーセンの修業を何年かして,その後,日本の軍隊のあるところに行きました」という元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると,「間違いです」と小声で認めた。】 元の物に無い文を勝手に作るのは、「間違い」ではなく、「捏造」
■能川元一
あの二人はなにか勘違いしたとか筆が滑ったとかであんなこと描いてるわけじゃない。あれは二人の世界観そのものなんだから。櫻井よしこや西岡力があれだけ法廷でド詰めされても「捏造記者」呼ばわりを謝罪もせず撤回もしてないのを見ればわかるじゃん。
■エリン
この 西岡力 って奴のデマに、脊髄反射で共感したのが 櫻井よしこ らであり、加害に加担した罪は大きい。西岡氏は大学教授を辞し、櫻井よしこは物書きとして筆を折るべきだ。
以下略

両訴訟の判決を楽しみに待ちたい。
(2018年9月27日)

東京都知事は、熊谷市の爪の垢を煎じて飲むべし。

毎日新聞・9月12日(水)夕刊の「特集ワイド」は、「関東大震災から95年 虐殺された朝鮮人の遺族来日」と題する文字通りワイドな記事。毎日は、いま日本のメディアがなすべき仕事をよくしていると思う。

中見出しに、「否定の動き、ヘイトスピーチ続く中… 伝える努力に希望」「『反省なき教育』が戦争になった」とある。井田純記者の署名記事だが、事件を見る視点に確かなものがある。

関東大震災から95年の今年、震災直後のデマで虐殺された朝鮮人の遺族、権在益(クォンジェイク)さん(62)と曺光煥(ソガンファン)さん(57)が韓国から来日した。事件ゆかりの地を訪ね、各地の追悼行事に参列しながら、市民と交流を重ねた。初めて日本を訪れた2人は、2代前の祖先が犠牲になった地を踏んで、何を感じたのか。

記事の一部を引用させていただく。全文は、(有料記事だが)下記を参照されたい。
https://mainichi.jp/articles/20180912/dde/012/040/006000c

権さんの母方の祖父は1923年、この寺(藤岡市・成道寺)の隣にあった藤岡警察署内で殺害された朝鮮人17人の1人。震災後、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を入れている」などのデマは群馬県内にも伝わり、各地で自警団が結成された。藤岡警察署は保護を求めてきた朝鮮人をかくまっていたが、9月5日、群衆が「朝鮮人を引き渡せ」と署に乱入、翌日にかけて竹やりや日本刀などで惨殺したという。
 安全が保証されていたはずの署内で起きた「藤岡事件」は、「藤岡市史」「群馬県警史」などにも記録が残る。事件後、地域住民らは犠牲者追悼の思いを込めて成道寺に慰霊碑を建立した。碑の裏には「今後再びこのような惨事の発生を断ち」と願う文言とともに、17人の犠牲者、建立に関わった藤岡市長らの名前が刻まれている。

震災後の関東一円で無数に生じた、民衆による朝鮮人虐殺事件の一断片である。このケースでは、朝鮮人を保護しようとした警察を群衆(自警団)が敢えて排除したのだ。無防備で無抵抗な朝鮮人に対する虐殺が警察署の庁内で行われたのだ。日本人の所業として「国恥」というしかない同胞による蛮行の一端である。

しかし、救いの一つは、「市史」「県警史」などに記録が残されていることだ。記録に残しておかねばならないとする良心の人が複数いたということなのだ。安倍政権の記録隠蔽改ざんの忖度官僚よりも、ずっと立派な人たちではないか。そして、地域住民らの手で犠牲者追悼の思いを込めた慰霊碑が建立され、成道寺では20年以上も慰霊祭が継続されているという。

だれがどのように殺戮をしたかを思いめぐらすと断腸の思いだが、他方、だれがどんなかたちで碑の建立を思い立ち、その思いがどんな風に広まって、どんな風に費用負担についての協議が調い、ことが実行されたのだろうか。その経過に日本人の良心を見ることができる。

同様の追悼行事は各地で続いているという。たとえば…、
埼玉県熊谷市では、95年から追悼行事を市が主催。市長、市議会議長が悲惨な出来事が二度と繰り返されないようにと追悼の言葉を贈る。だが、在日コリアンに対するヘイトスピーチ(差別扇動表現)拡大の影響か、市に抗議電話やメールが寄せられることがあるという。市の担当者は「そういった方には、公的記録からも聞違いなくこの事件があったことがわかっている、と伝えています。犠牲者の冥福を祈り、再発を防止する趣旨の行事だとお話しします」と話す。

熊谷市。暑いだけでなく、人を思いやる心が熱い。いまだに国恥にまみれたままの東京都知事小池百合子は、この記事を読んだだろうか。この人には、熊谷市担当職員の爪の垢を煎じて飲ませたい。

横浜で震災後の朝鮮人虐殺の実態を調査している元教員が次のように語っている。この言葉は肝に銘じておこう。
「(デマと知っていたのに)デマだったと教えない教師、事件に対する反省のない教育が、次の時代の戦争を担う世代を準備したのです。」

この記事の最後は、こう締めくくられている。
先祖が殺された地を踏むことに抵抗があった、という曺さんは離日前にこう言った。「震災時の虐殺に関するフィールドワークや慰霊行事を続け、忘れずに伝えていこうとする日本のみなさんの努力に敬意を持っています。悪い日本人ばかりじゃない、ということを帰って伝えたい。韓国と日本が、力を合わせて記録と記憶を継承していきたいと願っています」

歴史的事実は消えない。民族差別を背景とした虐殺の「恥」は消えようもない。しかし、その事実を隠蔽し、あるものをないことにするのは、さらに恥ずべきことなのだ。痛みを伴う同胞の「恥」の事実を見据えるところからしか、未来は開けない。藤岡にも熊谷にも、良心の人がいたことに希望の光を見る思いである。

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いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を! 賛同署名のお願い。
http://article9.jp/wordpress/?p=11058

安倍政治に即刻の終止符を求める人々の熱い言葉の数々。
http://article9.jp/wordpress/?p=11073

ネット署名にご協力を。そして、是非とも拡散をお願いします。
9月10日に開始して、賛同者は本日(1 6日)6500筆を上回っています。

署名は、下記URLからお願いいたします。
https://bit.ly/2MpH0qW

(2018年9月16日・連続更新1995日)

9月1日は、「国恥の日」。

敗戦と平和を考える8月が去って、9月になった。本日は、個人的に「国恥の日」と名付ける9月1日。1923年の今日、関東地方をマグニチュード7.9の巨大地震が襲った。死者10万5千余といわれる、その甚大な被害はいたましい限りだが、震災は恥とも罪とも無縁である。3・11津波の被害を「天罰」と言った愚かで無責任な都知事がいたが、この言こそ不見識の極み。自然災害自体に可非難性はない。

私が「国民的恥辱」「日本人として恥を知るべき」というのは、震災後の混乱のなかで日本人民衆の手によって行われた、在日朝鮮人に対する大量集団虐殺である。これは、まぎれもなく犯罪であり刑罰に値する行為。人倫に反すること著しい。その事実から目を背け、まともに責任を追求しようとせず、反省も、謝罪もしないままに95年を徒過したことを「国恥」といわざるを得ない。そして、今なお、この事実に正面から向き合おうとしない日本社会の排外主義容認を「国恥」というのだ。

もちろん、日本の歴史に真摯に向き合おうという日本人も少なくない。日本の民衆が、民族差別と排外主義とによって在日の朝鮮人・中国人を集団で大規模に虐殺した事実を直視し、自らの民族がした蛮行を恥辱としてこれを記憶し、再びの過ちを繰り返してはならないと願う人々。

そのような思いの人々が、毎年9月1日に、東京都墨田区の都立横網町公園内の追悼碑前で、「朝鮮人犠牲者追悼式典」を開催している。今年も行われた、本日11時からの式典に参加した。多くの友人に遭って、挨拶を交わした。

「おや小竹さん、沖縄へお出かけと聞いていました。お忙しいのにご苦労様です」「忙しいんだけれど、小池都知事のあの態度でしょう。無理しても出席しなけりゃいけないと思ってね」こういう会話が多かった。

あの石原慎太郎でさえ、この式典には都知事としての追悼文を寄せていたのだ。ところが、小池百合子は昨年から敢えて朝鮮人犠牲者に対する追悼文の送付を中止した。歴史に向き合うことをせず、反省などするものか、という姿勢と批判されてもやむを得まい。今年も追悼文なしと報道されて、その都知事の姿勢への批判の高まりを反映して、追悼式参加者数は、昨年を大きく上回る700人に上った。メディアの取材もかつてなく規模が大きかった。

今年の式典での追悼の辞で特徴的だったのは、やはり小池知事の姿勢への批判。そして、朝鮮半島情勢変化の兆しの中で排外主義や民族差別を克服していこうという呼びかけ。参加者の真剣さを反映してか、いつにもまして感動的な追悼集会だった。

ところで、関東震災後の朝鮮人虐殺には、軍と警察が深く関わっていたことが広く知られている。軍と警察が民衆を煽った責任のあることは論を待たない。しかし、恐るべきことは、自警団という名の民衆が武装し、積極的に朝鮮人狩をして、無抵抗の人々を集団で撲殺し刺殺し縛って川に投げ込むなどの蛮行におよんだことである。特殊な右翼思想集団や狂信的国粋主義者の犯罪ということではない。犯罪者集団や犯罪傾向をもった集団が、殺人・傷害に走ったということでもない。平凡な普通の日本人民衆が、残虐な殺人・傷害を重ねたのだ。

関東一円に無数にできた自警団とは、町内会や自治会であり商店会にほかならない。ごく普通の地域住民がそのメンバーであった。つまりは、おぞましい集団虐殺の実行犯は私たちの父祖自身なのだ。なぜこんなことを起こしたのか。正確に知り、記憶しなければならない。そのための、「国恥の日」である。

この点に関して、東京新聞8月29日夕刊文化欄「大波小波」というコラムに、「『千田是也』の名の由来」という記事が出ている。これに、知人が「千田是也のペンネームの由来が、千駄ヶ谷で朝鮮人に間違えられて虐殺されそうになった。という話は聞いたことがありましたが、千田是也が虐殺側の人間だったという事は知りませんでした」とコメントを寄せてきた。

同コラムは、「 劇団燐光群公演『九月、東京の路上で』(坂手洋二作・演出、今月5日まで)は、今の路上に溢れるヘイトと分断の禍々しい声から、95年前の朝鮮人虐殺という惨劇を黒々と呼び起こしてみせた。」と始まるが、中に次の記述がある。

「演劇人・千田是也の名が、震災直後の千駄ヶ谷で朝鮮人(コリアン)に間違えられ殺されそうになった体験に由来するのはよく知られている。ただし千田はそのとき、武器を持ち朝鮮人を求めて走っていた。千田は被害者になりかかった加害者だったのである。」

なんとなく、朝鮮人狩や集団虐殺に踊らされたのは「無知な大衆」であって、知識階級は別だ、という思い込みがありはしないだろうか。多くの学者や文人が、そのような目でこの事件を語っている印象がある。しかし、千田是也までが実はそのとき、「武器を持ち朝鮮人を求めて走っていた」となれば、事態はより深刻といわねばならない。

これについては、千田自身が書いた、詳細な手記が残されている。「潮」1971年9月号の『日本人100人の証言と告白』に掲載のものだという。千田の正直さと、問題の深刻さを教えられる。

「私のセンダ・コレヤという芸名の由来である(千駄ヶ谷をとって“千田” 朝鮮人つまりコーリアンをもじって“是也”というわけである)千駄ヶ谷で朝鮮人に間違えられて殺されそうになった事件の起きたのは、大震災の二日目の晩だったとおぼえている。
 町々の炎が夜空を真っ赤にそめ、ときどきガソリンや火薬の爆発する無気味な音が聞こえ、余震が繰り返され、担架や荷車に乗せた負傷者たちの行列がつづく状況のなかで聞くと、朝鮮人が日ごろの恨みで大挙して日本人を襲撃しているとか、無政府主義者や社会主義者が井戸に毒を投げ込んだり、通り端で避難民に毒まんじゅうを配ったりしているとかいうバカバカしいデマが、いかにもほんとうらしく思えてくる。また、別な方面からの情報によれば、軍は目下、多摩川べりに散開して神奈川方面から北上中の強力な不逞鮮人集団と交戦中だという。
 そこで私も勇みたって、二階の長持ちの底から先祖伝来の短刀を持ち出して、いつでも外から取れるように便所の小窓のかげにかくし、登山ヅエを持ってお向かいの息子さんといっしょに家の前の警備についた。
 そのうち、ただ便々と待っているのも気がきかぬ気がして、敵情偵察かなにかのつもりで、千駄ヶ谷の駅にちかい線路の土手をのぼって行くと、後ろのほうで「鮮人だ、鮮人だ!」という叫びが聞こえた。ふりかえると、明治神宮の、当時はまだ原っぱだった外苑道路のヤミのなかを、幾つもの提灯が近づいてくるのが見えた。それを私はてっきり「不逞鮮人」をこっちへ追ってくるものと思い込んで、はさみ打ちにしてやろうと、そっちへ走って行くと、いきなり腰のあたりをガーンとやられた。あわてて向き直ると、雲つくばかりの大男がステッキをふりかざして「イタア、イタア!」と叫んでいる。
 登山ヅエを構えて後ずさりしたら「違うよ!違いますったら」といくら弁解しても相手は聞こうともせず、ステッキをめったやたらに振り回しながら「センジンダア、センジンダア!」とわめきつづける。
 そのうち、提灯たちが集まってきて、ぐるりと私たちを取り巻いた。見ると、わめいている大男は、千駄ヶ谷駅の前に住む白系ロシア人の羅紗ラシャ売りだった。そっちは朝鮮人でないことは一目でわかるのだが、私のほうは、そうもいかない。その証拠に、棍棒だの木剣だの竹ヤリだのマキ割りだのを持った、これも日本人だか朝鮮人だか見分けのつきにくい連中が「ちくしょう白状しろ」「ふてえ野郎だ、国籍をいえ」と私をこずきまわすのである。「いえ日本人です。そのすぐ先に住んでいるイトウ・クニオです。このとおり早稲田の学生です」と学生証を見せても、いっこう聞き入れない。
 そして、マキ割りを私の頭の上に握りかざしながら「アイウエオ」をいってみろだの「教育勅語」を暗誦しろだのという。まあ、この二つはどうやら及第したが、歴代天皇名をいえというのにはよわった。どうせ、この連中だってよく知っていまいと度胸をすえ、できるだけゆっくりと「ジンム、スイゼイ、アンネー、イトク、コーショー、コーアン、コーレイ、カイカ、スージン、スイニン、ケーコー、セイム、チューアイ……」
 もうその先は出てきそうもなくなったとき、ありがたいことに、誰かが後ろのほうから、「なぁんだ、伊藤さんのお坊っちゃんじぁねぇか、だいじょうぶです。この人なら知っています」といってくれた。近所の酒屋の若い衆である。すると、もう一人「そうだ、伊藤君だ」と青年団の服を着た男が前に出てきた。これは千駄ヶ谷教会の日曜学校にかよっていたころの友だちだった。
 私の場合のようにこうあっけなくすんでしまえば、ただのお笑いぐさだが、あの朝鮮人騒ぎではずいぶんたくさんの何の罪もない朝鮮人が殺された。朝鮮人に似ているというだけで――もともと大した区別はないのだから、その場の行きがかりで、ただ朝鮮人と思い込まれたというだけで多くの日本人が殺されたり、負傷したりした。いま思えば、あれは、ナチスのユダヤ狩りと同じように、震災で焼け出され、裸にされた大衆の支配層に対する不満や怒りを、民族的敵対感情にすり替えようとした政府や軍部の謀略だったのだろう。
 それにしても、私は一方的に被害者だったかのような事件の顛末であったが、その私自身も自警団のマネをして加害者たらんとした気持ちを動かしたのである。このときの経験から、朝鮮問題はあちらの立ち場からの把握、理解をすることがいかに大切であるか、つくづくと思い知ったのである。(同氏の文章と談話をまとめた)」

改めて、日本人の中にある差別や排外主義の根深さを痛感するとともに、それを克服するために、「朝鮮問題は、あちらの立ち場からの把握、理解をすることがいかに大切であるか」を実践しなければならないと思う。ことあるごとに、繰りかえし、辛い歴史を見つめ直し、語り継がねばならない。今日、9月1日はそのための「国恥の日」である。
(2018年9月1日)

オウム信者の権威主義と、臣民の精神構造

人の生命はこの上なく重い。犯罪者の生命も例外ではありえない。
だから、死刑の判決には気が滅入る。被害者や肉親の被害感情を考慮しても、国家による殺人を正当化することは文明の許すところではない。死刑執行の報道にはさらに辛い思いがする。少なくとも、死刑を言い渡した裁判官も、求刑した検察官も、執行を命じた法務大臣も、死刑執行にはその全員が立ち会うべきだと思う。それが、人の死の厳粛さに向き合う国家の誠実さであろう。

昨日(7月6日)、麻原彰晃以下7名のオウム真理教幹部の死刑が執行された。
偶然の暗合だろうか。1948年12月23日、東条英機以下のA級戦犯処刑も7名であった。この日は、当時の皇太子(明仁・現天皇)の誕生日を特に選んでのこととされている。

A級戦犯7人の遺体は、横浜の斎場で火葬され遺骨は米軍により東京湾に捨てられている。遺骨を軍国主義者の崇拝の対象としないための配慮からである。死刑の執行や遺体・遺骨の処理をめぐっても、政治的な思惑はつきまとうのだ。今回のオウムの場合の政治的な意図の有無や内容はまだよく分からない。しかし、現代においては、他の刑死者と異なる取り扱いが許されるはずはなく、遺体ないし遺骨は、しかるべき親族に引き渡されることにならざるをえない。

私的な感情においては、この事件を坂本堤弁護士一家被害の立場から見ざるを得ないのだが、全体としてのオウム事件は社会史的・文明史的な事件として多様な角度から検証が必要である。

最大の問題として、信者の教祖に対する権威主義的な盲目的信仰のありかたが問われなければならない。あまりにも旧天皇制の臣民に対する精神支配構造に似ているのだ。この点についての精緻な分析の必要を痛感する。

オウムの信者とは、はたして「凡庸な教祖」と「浅薄な教義」に惑わされた、特別に愚かな被洗脳者集団であったろうか。あるいは、特殊な洗脳技術の犠牲者というべきだろうか。そうではあるまい。70余年前まで、この国の全体が「教祖とされた凡庸な一人の人物」と「浅薄な国家神道教義」に惑わされた被洗脳臣民集団が形づくる宗教国家であったのだから。

当時、支配者が意識的に煽ったナショナリズムが信仰の域に達して、天皇を神とする天皇教が国民の精神を支配した。天皇はその教義に則って現人神を演じ、国民は支配者が作り出した浅薄きわまりない天皇を神と崇める教義を刷り込まれ、信じ込まされた。あるいは、信じたふりを強要された。

当時の平均的日本人は、「万世一系の天皇を戴く神の国日本に生まれ、天皇の慈しみを受ける臣民であることの幸せ」を受け入れていた。この国全体が、オウムと同様に「凡庸な教祖」と「浅薄な教義」に惑わされた狂信的信者に満ち満ちていたのだ。

天皇や、天皇の宗教的・道徳的権威に対する、国民の批判精神の極端なまでの脆弱さ。その権威主義的精神構造が、「天皇と臣民」の関係をかたちづくった。換言すれば、臣民根性の肥大こそが、神なる天皇と、神聖な天皇に拝跪する臣民の両者を作ったのだ。

敗戦によって、日本国民は天皇制の呪縛や迷妄から解き放されて、自立した主権者になった…はずだった。が、本当に国民は自立した精神を獲得したのだろうか。為政者や権威に対する批判的精神は育っているだろうか。時代は社会的同調圧力に屈しない人格に寛容だろうか。自他の尊厳を尊重する人権意識が共有されているだろうか。自分の精神の核にあるものにしたがって、理不尽な外的強制を拒否する精神の強靱を、一人ひとりがもっているだろうか。

明治150年論争が盛んである。その前半の旧天皇制の支配を許した精神構造を、後半の時代が克服し得ているか。これが最大のテーマのはず。残念ながら、オウムの事件は、これに否定的な答を出しているようではないか。天皇制を許した権威主義的国民精神の構造が、そのまま尊師の権威を尊崇する精神になっているように見えるからだ。

「たとえ人を殺しても、尊師の命令に従うことが正しいことだ」という精神構造は、「天皇のために勇敢に闘え。天皇の命じるところなのだから、中国人や鬼畜米英を殺せ。」という、あの時代の精神が伏流水のごとくに吹き出してきたものに見える。地下水脈は枯れてはいなかった。一億総洗脳の時代のカケラが、部分的洗脳となったに過ぎないのではないか。

オウムの事件は、国民の権力や権威に対する批判精神が、いまだ不十分であることを示している。天皇制を支えた国民の権威主義が払拭されずそのままであるとすれば、象徴天皇制が、いまなお国民を支配するための道具としてすこぶる有用ということでもある。オウムの事件を通じて教訓とすべき最大のものは、権威主義の克服ということであろうかと思う。
(2018年7月7日)

絵本『花ばぁば』の作者が語る日本軍従軍慰安婦問題のとらえ方

足を踏んだ程度のことでも、踏まれた側と踏んだ側とのとらえ方は大きく異なる。往々にして、踏まれた側の痛みは大きく、当然に大きな事件、大きな責任問題と考える。しかし、なかなか踏んだ側には痛みが伝わらない。往々にして、たいしたことでもないことを、なにを大袈裟に騒ぐのかと考えられる。

殴られた方や、いじめられた方は痛みや怨みを忘れない。殴った方やいじめた方には、痛みも怨みも伝わらず、早々に忘れられてしまう。ましてや、戦争での加害と被害、植民地支配における差別や人権蹂躙ともなれば、その溝は大きい。個人と個人のレベルでも、民族と民族の間でも、国家対国家の関係でも…。加害・被害の歴史のとらえ方は大きく異なることにならざるをえない。

無責任な加害者・加害国に対しては、被害の当事者は、「加害行為を忘れるな。被害者の痛みを忘れてはならない。加害の責任を認めよ」と言い続けることになる。そうしなければ、加害の事実も責任も、この世から忘れ去られてしまうことになるからだ。絵本「花ばぁば」もそのような文脈での作品だろうと、手に取るまでは思っていた。読んでみて、少しちがうようだという感想を持った。

昨日(6月24日)、韓国の絵本作家クォン・ユンドクの「絵本『花ばぁば』」の制作過程を描いたドキュメンタリーDVD「わたしの描きたいこと」(販売元「ころから」)を観て、日本軍従軍慰安婦問題についての被害者側での問題のとらえ方が通り一遍ではないことを認識させられた。この絵本の作家の「わたしの描きたいこと」とは、決して皇軍の蛮行の告発ではない。日本軍のあの戦争における具体的な野蛮な行いではなく、戦争というものが、女性という弱い存在に及ぼす暴力の忌まわしさというものである。だから、どこの国のどの時代も平和でなくてはならない。すべての人に関してそうなのだが、とりわけ女性への性暴力を防ぐためには平和が不可欠なのだ。

ナレーションではなく、独白と議論が作者の考え方を物語っていく。
作者は、躊躇しながらも語る。「私には性暴力被害の体験がある。だから、誰よりも私が慰安婦とされた女性の気持ちがよく分かる。私こそが、この絵本を作る作家として最もふさわしい。そう思っていた」

しかし、次第にその気持ちが空回りしているのではないかと悩み始める。被害者に思いいれる気持ちと、本来伝えるべき作品のありかたのとの溝を意識するようにもなる。

最初、彼女の描く絵は生々しさにあふれるものだった。加害の責任を追求する姿勢もストレートで厳しい。天皇(裕仁)の肖像が描かれる。すべての加害行為の責任の象徴のごとくに。しかし、天皇の肖像は消えて菊となり、さらに桜に変わっていく。軍艦の旭日旗や、飛行機の「日の丸」も消える。直接の加害者であった旧天皇制国家や日本軍に対する怒りや怨みが、昇華されていく。

韓国の出版社のスタッフは、怪訝な思いでこの変化を見つめて問う。「どうしてわざわざ、現実にあったものを消すのか」。彼女は、説明を繰りかえしながら、自分を納得させる答を探す。「日本がすべて敵なのではない」「日本の国民が悪というわけでもない」「日本には良いところも、学ぶべきところもある。この本を読む子どもたちに日本はすべて悪いと誤ったメッセージを与えてはならない」「憎むべきは戦争であり、戦争をもたらした支配者であり、国家の体制ではないか」「そのことをこそ伝えたい」

このドキュメンタリーの最後で、作家は韓国の子供たちに伝える。「ベトナム戦争では、韓国も日本軍と同じようなことをしたのよ」と。戦争を高みで見ることなく、最も弱い立場に視座を据えてみる戦争。「あの戦争だから」ではなく、「戦争だからやむを得ない」でもなく、弱い者が理不尽に虐げられる一切の戦争をなくさなければならない。

料理や掃除をしながらの思索と繰り返される試行錯誤。日韓の子供たちとの会話や出版社スタッフとの議論。また、作品のモデルとなった元日本軍「慰安婦」シム・ダリヨンさんとの温かい交流…。こうした営みの結晶としてこの絵本は完成している。作家の訴えが、加害国の側に生まれた私の心に重く響く。
(2018年6月25日)

絵本『花ばぁば』が語る「戦争のおぞましさ」と「出版の不自由」

私の手許に、「花ばぁば」という絵本がある。やさしい筆使いのやわらかい絵。たくさんの花が描かれている。子どもたちに読んでもらおうという、紛れもない上質の絵本。しかし、内容はこの上なく重い。日本軍慰安婦だった一人の女性の人生を描いた作品。

絵と文は、クォン・ユンドク。1960年生まれで大家という年齢ではないが、「韓国絵本界の先駆者」と紹介される人。翻訳は桑畑優香。早稲田を出たあと、延世大学、ソウル大学で学んだ人だという。絵本にふさわしい、優しさあふれる文章になっている。

『花ばぁば』とは、元日本軍「慰安婦」だったシム・ダリヨンさんのこと。その辛い体験の証言をもとにストーリーが組み立てられている。晩年の彼女は、園芸セラピーを受け、押し花の作品作りを楽しみに過ごしていたという。

通常の絵本にはない、前書きとしての「著者からの言葉」がある。その冒頭の一文が、「戦争で被害を受け苦しんでいる、すべての女性たちにこの本を捧げます」というもの。重ねて後書きとして、Q&A形式の「読者のみなさんへ」がある。いずれもやや長い。著者のこの本の出版へのこだわりや思いの深さが痛いほど伝わってくる。

その中の一節にこうある。
「この本では、黄土色と『空っぽの服』を象徴として、私たちが『慰安婦問題』を見つめるときに注目すべきことに対する考え方を表現しています。旧日本軍の服の色である黄土色は帝国主義を、『空っぽの服』は人間の考え方と行動を規定し支配する制度や習慣、国家体制などをそれぞれ象徴しています」
「誰もがそのような服を着れば、自分でも気付かない行動をとる可能性があります。つまり、『私たちは、慰安婦問題の責任を一人ひとりの具体的な個人ではなく、彼らを指揮し煽動した国家と支配勢力に問うべきだ』という意味を込めているのです」

大いに異論があってしかるべき論争点だろうが、これがこの作品の中心テーマで、作家の視点には揺るぎがない。大日本帝国の責任、旧日本軍の責任、どの部隊の誰の責任と決めつけ特定してしまうと普遍性が薄れる。戦争一般に性暴力の原因があり、弱者に深刻な被害を強いるものという基本認識から、戦争そのものをなくそうという平和志向の思想。だから、最後は、こう締めくくられている。

「今も地球上のあちこちで絶えず戦争が起きています。花ばぁばが経験した痛みは、ベトナムでもボスニアでも繰り返されました。そして今、コンゴやイラクでも続いているのです。」

この本の刊行は、今年の4月29日の日付。「ころから」という小さな出版社から、「202名の(クラウドファンディングでの)支援で刊行されました」と記されている。が、この本が実は8年も前に日韓同時に出版されるはずだったことを知らなかった。このことは、日本社会の表現の自由の現状を雄弁に物語っているのだ。

以下は、東京新聞2018年6月20日の「『花ばぁば』が伝える戦争」というコラム。この間の事情を手際よくまとめている。

「東京・赤羽の小さな出版社「ころから」から出された絵本『花ばぁば』は、旧日本軍の慰安婦とされた韓国人のシム・ダリョンさんの証言に基づき、韓国の作家クォン・ユンドクさんが描いた物語だ。

日本が朝鮮半島を植民地としていたころのこと。突然連れ去られた少女は軍の施設に閉じ込められ、その部屋の前には兵隊たちが毎日列を作った…。水彩の絵の美しさが、軍隊の暴力性をより鮮烈に伝えるようだ。

2010年に韓国でオリジナル版が出版された後、日本での出版は、シムさんの証言が慰安所設置に関する公文書記録と一致しないという理由で見送られた。一度お蔵入りしたこの作品を日本で出そうと奔走したのは、絵本作家の田島征三さんら日本の有志だった。

実は私(記者)も05年、大邱(テグ)市にあったシムさんの自宅を訪ね、被害の体験を聞いたことがある。けれども連行された時期や場所など分からない点が多く、証言を記事にできなかった。彼女は『私は頭がおかしくなった。覚えていないんだ』と涙ぐみながら、日本からきた記者の私に語ろうとしたのに。あの日、私がするべきだったのは、『埋められない記憶』を問うことではなく、彼女が経験した痛みの重さにもっと心を寄せることだった。

シムさんは日本版の出版を待たず10年に83歳で他界したが、彼女が残した絵本は戦争の真実を静かに語り続ける。(佐藤直子)」

「マガジン9:http://maga9.jp/」には、「この人に聞きたい」シリーズで、クォン・ユンドクのインタビュー記事が掲載されている。今年の5月30日にアップされたもの。これは、衝撃的な内容。

クォン・ユンドクさんに聞いた:日本軍「慰安婦」にされた女性の物語 『花ばぁば』で伝えたかったこと

クォン 日本での版元からは最初、日本で出版するためにはここを変えてほしい、といって何度も修正依頼が来ました。受け入れられる点については修正しましたが、とても受け入れられない点もあって、それについては「できません」とお答えしたのです。

──たとえば、どんな点でしょうか。

クォン 『花ばぁば』では、慰安所の見取り図のような場面や、慰安所がつくられていた地域分布を示す場面なども出てくるのですが、こうした資料的な絵を入れず、もっと「一人の女性の人生」という観点からストーリーをつくれないか、と言われました。でも、私は単なるハルモニの個人史ではなく、その背景にある社会的な要素もあわせて描きたかった。そこは変えたくありませんでした。
また、もっとも受け入れがたかったのは、モデルを別のハルモニに変えてほしいと言われたことです。シム・ダリョンさんは慰安婦として連れて行かれた後、戦後にかけて記憶を失っている時期があるので、証言の確実性がないのではないか、というのです。シム・ダリョンさんのように無理矢理トラックに乗せられたケースではなく、「お金を稼げるよ」と騙されて連れて行かれたハルモニの証言をもとにしたほうが、普遍的な物語になるのではないかとも言われました。

でも、シム・ダリョンさんが記憶喪失になってしまったのは、慰安婦にされて性暴力を受けたことや、戦後に韓国で差別を受けたことの結果であって、そのこと自体が重要な「記憶」です。それを証言として信用できないということには、まったく納得が行きませんでした。私はシム・ダリョンさんだから描きたいと思ったのだし、出版社が「こういうおばあさんの話を描いてほしい」というのなら、それを描いてくれる作家を別に探せばいいじゃないか、という話ですよね。
最終的には、「他のハルモニの話に変えないのならうちの出版社からは出せません」という返事でした。

──それが本当の理由というよりは、慰安婦問題というセンシティブな問題を扱った絵本を出したくなかったのかもしれないという気がします。特に、ここ数年の日本では、「慰安婦」という言葉を出すだけで一部の層からひどいバッシングを受けるという傾向がありますし、「シム・ダリョンさんの証言に問題があるから出さない」ではなく、「日本社会に問題があるから出せない」だったのではないでしょうか。

クォン 本当にそうです。その「日本社会の問題」を、「ハルモニの問題」にすり替えて断りの理由にされたことが本当に悲しくて。そのときにはもう亡くなられていたシム・ダリョンさんに対しても、申し訳ない思いでいっぱいでした。被害者が自分の受けた被害の話をするというのは、本当に苦しくてつらいことなのに、それを否定されたわけですから……。私だけでなく、「平和絵本」シリーズにかかわっていた作家たちはみんな、大きなショックを受けていました。

──しかし、田島征三さん、浜田桂子さんら日本の絵本作家の奔走もあって、2018年に別の出版社からの刊行が決まります。資金集めのためのクラウドファンディングでは、当初の目標額だった95万円がわずか4日間で集まったそうですね。

クォン 2000年の女性戦犯法廷の話などを聞いて、日本には慰安婦の存在を否定したい勢力もいるけれど、それをきちんと検証して知らせようとしている人たちも大勢いるんだということを知りました。日本での出版前から、韓国語版を自分たちで翻訳して読書会を開いてくれているグループもありましたし、そうした人たちが支援してくれたのではないかと思っています。

さらに本日(6月24日)、友人の勧めで詳細に事情を語るドキュメントDVD「わたしの描きたいこと」を観た。日本語版は、本年5月25日発売。93分が短かった。

惹句では、「絵本『花ばぁば』(クォン・ユンドク絵/文)が出来上がるまでを描くドキュメンタリー映画。韓国を代表する絵本作家クォン・ユンドク(権倫徳)が、日本軍「慰安婦」の証言をテーマに絵本創作に取りかかる2007年から、予定されていた日本語版刊行が無期限延期となる2012年までを描く。クォン・ヒョ監督は、作家性と出版の軋轢を、ノーナレ(ナレーションなし)で見事に描きだす。」という。なるほど、まったくそのとおりだ。

日本で出版を予定し、最終的に断念したのは「童心社」である。松谷みよ子と関係の深かった児童書の大手。良心的な出版社である。その童心社が恐れたのは、日本社会のありかたを象徴する「右翼」の攻撃。できるものなら出版したいが、「今の情勢では、このままでの出版はできない」という。

幾つかの点での妥協を覚悟して修正作業に取りかかった作家に、日本から「今、日本社会の事態はより悪くなっている。修正しても出版は難しい」との最終の連絡がはいる。本来日韓同時出版の予定だった「花ばぁば」は、韓国ではシム・ダリョン生前に出版して好評を博したが、日本での出版はできないという結論でこのドキュメントは終わる。

なるほど、日本社会とはこんなものなのだ。日本とは、右翼の跳梁する恐るべき国、民主主義や人権の後進国と見られてやむを得ないのだ。世界の報道の自由度ランキングでは、16年72位、17年72位と続いて、今年(2018年)は68位だが、本当だろうか。アベ政権のもと、右翼の跳梁やヘイトスピーチが、おさまる気配は見えない。

「花ばぁば」は、その内容において戦争のおぞましさを語っているが、はからずもその出版を通じて日本の出版の自由の制約や右翼の跳梁の実態、民主主義や人権のありかたについても語るものとなった。
(2018年6月24日)

武田清子『天皇観の相剋』再読

本日(4月19日)の朝刊で、武田清子さんが4月12日に亡くなられていたことを知った。思想史学者で国際基督教大名誉教授。1917年のお生まれは、丸山真男(1914年生)や鶴見俊輔(1922年生)らと同世代で、享年がちょうど100となる。

靖国訴訟に携わった際に、「天皇観の相剋ー1945年前後ー」に目を通した。
その際には、アメリカ占領軍の対日占領政策における天皇制廃止論と天皇制存続論との「相克」としてだけ理解した。戦後民主化の障害物として廃止の対象とする天皇観と、効率的に支配と民主化に利用できるものみる天皇観との相克。

連合国の天皇や天皇制への批判は厳しかった。たとえば、同書の中に、終戦直前のワシントンポスト(1945年6月29日付)が報じるギャラップ世論調査の紹介がある。天皇(裕仁)の取り扱いに関するアメリカの世論は、以下のとおりである。
 処刑             33%
 終身刑            11%
 追放              9%
 裁判で決定          17%
 日本を動かすパペットに利用せよ 3%
 軍閥の道具だから何もしない   4%
 雑・回答なし          23%

天皇個人を処罰し天皇制を廃止すべし、というのが圧倒的な戦勝国の世論だった。「日本の天皇制が根こそぎに除去されるまで、日本人を文明人の仲間とすることは不可能である」(『シカゴ・ニュース』)、「あの、中世的ミカド・システム(天皇制)が、温存されている限り、太平洋にはけっして平和はあり得ない」(『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』)、「裕仁は、日本の軍事的冒険に直接的に責任がある」(雑誌『ネーション』)などの米国内の論調が紹介されてもいる。オーストラリアの世論は、さらに天皇や天皇制に厳しいものだったという。

しかし、天皇(裕仁)は「処刑」・「終身刑」・「追放」にはならず、「裁判で決定」にすらならなかった。この範疇の世論合計が70%にも達していたにもかかわらずである。彼は、戦犯としての起訴を免れ、3%の支持しかなかった「日本を動かすパペットに利用」という政策が採られることになった。

これは、奇妙ではないか。圧倒的な世論を背景とした峻厳なラティモアらの天皇制廃止派と、占領政策の効率的な運用という観点からのグルーら妥協的天皇制温存派の「相克」において、どうして前者が敗れて後者の採用となったか。当時の私はその関心だけで読んだ。しかし、これは皮相な読み方だったようだ。

この書の広告文に、「廃止か保持か―日本降伏をめぐる英・米・オーストラリア・中国など連合国側のさまざまな天皇観の対立・相剋をはじめて実証的に明らかにし、戦後改革を伝統社会の変容のドラマとして解明した画期的研究。諸外国の「鏡」に映し出された天皇制のイメージは、同時に日本人のいかなる思考や集団行動様式を反映しているのか。」とある。相克は、「諸外国の『鏡』に映し出された日本自身の天皇制の二重のイメージ」だということがこの書の眼目のようなのだ。

著者自身が、朝日.comのインタビューで、次のように分かり易く、明快に語っている。
「1945年前後の連合国では、天皇観が対立していました。アメリカの中国専門家オーエン・ラティモアは『アジアにおける解決』で、天皇制を廃止しなければ日本の民主化はできないと主張しました。オーストラリアも天皇制廃止論の強い国の一つでした。一方で、アメリカの駐日大使だったジョセフ・グルーは、天皇は秩序維持に不可欠な『女王蜂』であり、右翼や軍国主義者を排除すれば天皇がいても日本は民主化できる、と楽観的でした。

 この相剋の帰結は、天皇の人間宣言や象徴天皇制となりますが、実は外国という鏡に映った日本の中の相剋だったというのが私の見方です。そもそも明治維新のシンボルとしての天皇観に対立があった。吉田松陰は『天下は一人の天下』と絶対主義的な天皇観であり、山県太華は『天下は天下の天下』と制限君主的な天皇観でした。

 明治憲法の起草者である伊藤博文の思想も二重構造でした。『万世一系ノ天皇』は『神聖ニシテ侵スヘカラス』だから、天皇は憲法も超える存在だと民衆には説く。他方で、政治家や民権論者に対しては、憲法は君主権を制限するものだという解釈を示す。これはその後、超国家主義である国体明徴運動と、民本主義の大正デモクラシーや天皇機関説とに分解していきます。

 二重構造の天皇観が、敗戦で連合国という異質の文化と出会い、民主化というドラマが始まりました。その時、連合国と共演した日本人は誰なのか。私は、天皇の側近だったようなオールドリベラリストではなく、大正デモクラシーや天皇機関説でインパクトを与えられ、民主化への希望を懐に持っていた一般民衆だったと思いました。そういう人たちが新憲法を支持した。(以下略)」

なるほど、相克しているのはもともとわが国に古くからあった「二重構造の天皇観」なのだ。これをキーワードに読み直すと、いろんなことが見えてくる。

著者は、近代日本の形成過程の中に、天皇に関する二つのイメージ、二つの相対立する天皇観が存在し、その両要素がパラドキシカルな緊張関係を保ちながら機能していた、と分析する。

単純化していえば、「神話的・絶対主義的・大権主義的天皇観」と、「憲法の制限のもとに君主権を行使するところの『民主主義』的天皇観」との、二つの天皇のイメージが、近代日本を貫いて二重構造・二元制をなして機能してきた。これが近代日本の内包する天皇観の相克で、こうした相矛盾する天皇観が外国の鏡に自らを投影し、それが無条件降伏後の日本の占領政策にはね返ってきた、というのだ。

具体的には、「神話的・絶対主義的・大権主義的天皇観」からは天皇制廃止の方針しか出てこない。しかし、「憲法の制限のもとに君主権を行使するところの『民主主義』的天皇観」からは天皇制を温存しつつ、平穏な民主化という選択肢が現実的なものと映ることになる。日本の占領政策は後者をメインに折れ合って、天皇の権威を利用して成功裡に平穏な民主化を実現したことになる。

この分析は、天皇・天皇制の考察を中心に、戦前と戦後の連続性と断絶性の契機を考える基本視点を提供するものでもある。天皇制の相克の折り合いは、戦前と戦後の断絶性と連続性との折り合いでもある。天皇制を温存した戦後は、戦前的な多くのものを引きずって今日に至っている。天皇制温存の「民主化」は平穏な過程というメリットとともに、自ずから不徹底な限界を内在する宿命にもあったのだ。

わが国戦後の天皇制存続下の民主化は、昨今における北朝鮮の金体制温存下での民主化の課題を彷彿とさせる。微温的に天皇制を温存しつつこれを「無力化」した日本の戦後民主主義改革の如くに、金体制の存続を保証しつつ、民主化や国際協調が可能なのだろうか。
(2018年4月19日)

私が、「HEEUM(ヒウム)日本軍『慰安婦』歴史館」の館長です。

皆様、ようこそいらっしゃいました。
「HEEUM(ヒウム)」とは、「希望を集めて花を咲かせる」という意味です。この歴史館は、地元の元日本軍「慰安婦」被害者の資料展示を中心に、この方たちの痛苦の歴史を忘れずに記憶し、日本軍「慰安婦」問題の正当な解決を目指す「実践型歴史館」であり活動拠点なのです。その活動を通じて、ハルモニ(おばあさん)たちの願いであった《平和》と《女性人権》が尊重される、「希望の花」咲く社会を作ることを目標にしています。

大邱(テグ)の中心街に建設されたこの歴史館の開設は、2015年12月です。日本軍「慰安婦」被害を記憶しておこうという趣旨の施設としては全国で4番目のものになります。

最初の日本軍「慰安婦」被害関連の歴史館は京畿道広州(クァンジュ)の「ナヌムの家」にある「日本軍慰安婦歴史館」で、1998年にできたもの。次が、釜山水営(スヨン)区の「民族と女性歴史館」(2004年)。そして、ソウル麻浦(マポ)区の戦争と女性人権博物館(2012年)。大邱のヒウム歴史館は、これらに続くものです。

元「慰安婦」被害者には法にもとづく登録制度があります。これまでの登録者は累計238名となっています。その内、大邱近郊の方が28名いらっしゃいますが、そのうちの過半の方が家族のないままに寂しい暮らしをして来られました。私たちは、ボランティアとして、そのようなハルモニの生活のお手伝いをすることから始めて、「挺身隊ハルモニと共にする市民の会」を作り、市民運動としてこの歴史館建設を思い立ちました。

「市民の会」は2009年12月に「歴史館建設推進委員会」を立ち上げ、翌年から市民募金活動を始めました。ヒウムのブレスレットやバッグを販売して収益金を集めました。10年1月に大邱の病院で亡くなったハルモニのお一人、故キム・スンアクさんは生前、「大邱に日本軍慰安婦歴史館を作ってほしい」と5千万ウォンを遺言で寄付されました。国と大邱市がそれぞれ2億ウォン、大邱中区が4千万ウォンを拠出し、他のハルモニも寄付をされて、合計13億ウォン(約1億3000万円)を超す資金を得ました。こうして、6年後に会館建設に漕ぎつけました。

大邱は、ソウル・釜山・インチョンに次ぐ韓国第4の大都市です。その中心部中区西門路に1920年代の2階建日本風建物を購入して、展示館に改修しました。敷地が214.45平方メートル、歴史館の1階181平方メートルは展示室と事務室、2階101平方メートルは展示室や教育館として作られています。展示室には、日本軍慰安婦に関連する写真など歴史資料が備えられています。また慰安婦被害者ハルモニ(おばあさん)たちの写真や証言を含め、日本軍慰安婦問題解決過程も説明されています。

この歴史館開館までに、相当数のハルモニの方が亡くなられています。また、当然のことではありますが、生存者も高齢化しています。何とか早期に、正義に則った解決を願っています。

この歴史館の開館は、ハルモニたちの慰めになっていると思います。また、韓国社会が被害者たちの苦痛を忘れず記憶することに寄与していると思います。大切なことは戦争をなくし平和を築くこと。そして、女性の人権が尊重される社会を作ることだと考えています。

いまご質問がありました「日本軍『慰安婦』問題の正当な解決」についてですが、開館以前は、この歴史館の設立の趣旨を、「日本軍『慰安婦』問題の解決」としていました。開館建設運動の議論の中で、単なる「解決」ではなく、「正当な解決」が必要だと考えるようになりました。皆様に配布したリーフレットには、「正当な解決」と記載されています。

ところが、開館直後の2015年12月28日に、慰安婦問題「韓日合意」が成立したと報じられて以来、議論を継続しています。「正当な解決」では不十分ではないか、端的に「正義の解決」が必要ではないか。あるいは「人類の目指す方向に基づく解決」ではどうかという議論です。

具体的な要求は、誰に対するどんな内容かということですが、2014年6月2日に採択された「第12回・日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議決議」が韓国だけでなく、関係各国の市民運動の共通スローガンとなっています。その内容は、当歴史館に展示もしていますが、日本政府に対するもので次のとおりです。

日本軍「慰安婦」問題解決のために日本政府は
1.次のような事実とその責任を認めること
① 日本政府および軍が軍の施設として「慰安所」を立案・設置し管理・統制したこと
② 女性たちが本人たちの意に反して、「慰安婦・性奴隷」にされ、「慰安所」等において強制的な状況の下におかれたこと
③ 日本軍の性暴力に遭った植民地、占領地、日本の女性たちの被害にはそれぞれに異なる態様があり、かつ被害が甚大であったこと、そして現在もその被害が続いているということ
④ 当時の様々な国内法・国際法に違反する重大な人権侵害であったこと

2.次のような被害回復措置をとること
  ① 翻すことのできない明確で公式な方法で謝罪すること
  ② 謝罪の証として被害者に賠償すること
  ③ 真相究明:日本政府保有資料の全面公開
         国内外でのさらなる資料調査
         国内外の被害者および関係者へのヒヤリング
  ④ 再発防止措置:
    義務教育課程の教科書への記述を含む学校教育・社会教育の実施
   追悼事業の実施
   誤った歴史認識に基づく公人の発言の禁止、
   および同様の発言への明確で公式な反駁等

この具体的な要求に照らして、15年12月28日の韓日合意は、まったく不十分なものだと思っています。何よりも大切なことは当事者である被害者本人の意思を尊重することのはずですが、そのような配慮はまったくなされていません。被害者の意思の反映なき合意は無効だというのが、運動体の意見と言ってよいと思います。

私たちは、韓国政府に、「韓日合意」の無効化を宣言せよと要求しています。折良く政権も交代し、事実上合意の無効化はできていると言ってよいのではないでしょうか。

なお、ご質問のありました強制性の問題ですが、狭い意味での「暴力的強制」の有無を問題することは、極めて意図的な議論の仕方ではないでしょうか。日本軍「慰安婦」とされたきっかけとして圧倒的に多いケースは、就労詐欺です。貧しい女性の勤め口をあっせんすると言って連れ出して、戦地に送るという手口です。いったん、戦地に送られてしまえば、拒否の自由などあり得ません。これが、強制でなくて何でしょうか。

また、ご質問がありました世代間の記憶承継の問題ですが、何よりも勇気をもって、被害を受けたご本人が名乗り出たことが大きな役割を果たしたのだと思います。

1991年金学順さんが、名乗り出たハルモニの第1号となりました。それまで、どなたも名乗り出ることはできなかったのです。それ以来、問題は解決済みだとする日本側との厳しい対決が始まりました。若い人々にも、関心が高い問題となりました。

そして、憲法裁判所の果たした役割が大きかったと思います。
2011年8月30日、韓国の憲法裁判所は、韓国政府が日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関し、具体的解決のために努力していないことは「被害者らの基本権を侵害する違憲行為である」との注目すべき決定を出しました。それ以来、政府には「具体的解決のために努力すること」が義務づけられ、小学校5年生、6年生の教科書にこの問題が掲載されるようになりました。

また、もう1300回を超えたソウルの水曜デモですが、一時は参加者が2~300人の規模でした。それが、憲法裁判所決定のあとは、10倍の規模になっています。韓国では、若者もこの問題はみんな知っています。関心をもっています。この歴史館を建設する運動にも、多くの若者が関わっています。

本日おいでの日本の皆様を拝見すると、高齢の方が多いご様子で。日韓の若い世代の意識のギャップがこれ以上広がらなければよいのですが…。

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上記は、日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の4日目。18年3月29日・木曜日の大邱「HEEUM(ヒウム)日本軍『慰安婦』歴史館」館長の説明に、若干の補充をしたもの。

展示の資料の中に、故キム・スンアクさんの「日本軍『慰安婦』認定証」が飾られていた。彼女は、生前からこれを額に入れて大切にし、毎日これを清掃していたと、説明を受けた。この認定証に対する思いは、ハルモニそれぞれに複雑であるという。中には、認定を受けたことを秘密にしている人もあるという。もちろん、日本軍「慰安婦」であったことをひたすら隠し通したのが、圧倒的多数なのだ。

キムさんは、不幸な過去を隠すのではなく、この繰り返してはならない不条理な出来事を多くの人に知ってもらおうと決断したのだ。その決断の重さは、余人には計り知れない。認定証は、キムさんの後戻りできない決断の証しであったろう。キムさんは、自分の決断の正しさを認定証の清掃で確認し続けたのではないだろうか。

この旅のあちこちで、「両国政府はともかく、両国市民の連帯と友好を深めよう」と語り合った。この日も、館長の説明に、ピースツアー参加者一同、大いに肯いた。アベ政権の「これをもって不可逆的解決」という傲慢さに対する批判が、日本側から次々と発言された。

私には、「女性の人権尊重」が、常に「平和」とのセットで語られていたことが印象に深かった。「戦時のことだから仕方がない」などという言い訳を許してはならない。最も弱い立場にある者の人権を悲惨に蹂躙する戦争を許してはならないのだ。
(2018年4月2日)

慰安婦問題日韓合意 ― 韓国側の言い分に十分な理がある

対立する当事者との意見の食い違いがあるとき、何よりも必要なことは、相手の言い分をよく聞くことだ。対北朝鮮、対韓国、対中国の諸問題では、圧倒的なメディア・ナショナリズムが、相手側の言い分を掻き消している感がある。慰安婦問題に関する2015年日韓合意でも、その印象が深い。

一昨日(2月11日)の毎日新聞朝刊第7面(国際面)「世界の見方」欄に、南基正(ソウル大日本研究所副教授)が、「10億円の意味 確認を」というタイトルの寄稿が掲載されている。達意の文章で、説得力に富む。読後、「なるほど、韓国世論はこう考えているのか」と蒙を啓かれた思いがある。目立たない隅っこの記事でネットにもアップされていないが、貴重な意見として紹介したい。

「平昌五輪開会式に安倍音三首相が出席し、文在寅大統領と首脳会談を行ったことはひとまず良かった。2015年の慰安婦問題に関する日韓両政府合意をめぐる意見の隔たりにもかかわらず、未来志向を確認したことは、大人の外交の可能性を示した。
 合意直後から日本側は日本政府が拠出する10億円は日本政府の責任認定と関係ないかのように説明し、安倍首相は元慰安婦たちにおわびの手紙を送ることは『毛頭考えていない』と切り捨てた。首相のこの言葉は韓国国民に衝撃を与え、元慰安婦たちの心の傷口を広げた。
 合意の基本精神は、慰安婦問題について日本政府が責任を認め、謝罪し、元慰安婦の心の傷を癒やすための措置をとることだったはずだ。その基本精神を否定されて渡される金銭的措置に何の意味があるのか。10億円の意味を確認することは、事業継続と合意履行のために不可欠だ。
 合意には、日本政府の予算で拠出した資金で、『全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う』ために韓国政府と協力することが明記されている。韓国が求めているのはこの範囲内でのことである。さらに合意は、日本政府の取るべきこの行動を前提に、問題が最終的に不可逆的に解決『される』ことを確認している。条件を伴った未来形であるので、条件が満たされない限り、問題が解決「した」ことにはならない。
 合意と関連し、韓国はゴールポストを動かしてはいない。ゴールのなかにボールをいれる方法を示したのである。10億円の意味に対する疑心こそ、合意完成への道をふさぐ最大の障害だ。日本がその疑心を晴らすのは合意の枠内で日本がしなければならない責務である。その責任を果たす真摯な態度が合意を拒む元慰安婦たちの心に届く時、合意は完成に向かって動き出すだろう。(日本語で寄稿)」

眼目は、「合意の基本精神は、慰安婦問題について日本政府が責任を認め、謝罪し、元慰安婦の心の傷を癒やすための措置をとることだったはずだ。その基本精神を否定されて渡される金銭的措置に何の意味があるのか。10億円の意味を確認することは、事業継続と合意履行のために不可欠だ。」というところにある。

安倍政権側は、「カネで解決できるのなら10億を出そう。形だけ謝って済むのなら謝罪の表明もしよう。しかし、これっかぎりだ。この合意で、『最終的かつ不可逆的に解決』なのだから、これ以上は1ミリも譲歩はしない。元慰安婦に謝罪の手紙を書くなんて約束していないことをすることは『毛頭考えていない』」というわけだ。

韓国側は、安倍政権に「その責任を果たす真摯な態度」を要求し、安倍政権側は、「そんな約束はしていない。カネで解決の約束のはずだ」「それ以上の要求は筋違い」とすれ違っている。

あらためて、日韓慰安婦合意の内容を確認しておこう。以下は、外務省のホームページからの転載である。これ以外に密約があるとも言われるが、密約の存在もその内容も気にする必要はない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html

2015(平成27)年12月28日
1 岸田外務大臣
日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。
(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。
(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。
(3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。
あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

2 尹(ユン)外交部長官
韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,韓国政府として,以下を申し述べる。
(1)韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し,日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,日本政府の実施する措置に協力する。
(2)韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。
(3)韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

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なるほど、よく読めば、南氏のいうとおりではないか。安倍政権には、韓国政府とともに、「日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行う」義務を負うのだ。「10億出したから終わり」と逃げることは許されない。明らかに、韓国側の言い分に分がある。
(2018年2月13日)

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