澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

山口香さん。国旗・国歌(日の丸・君が代)強制についても、議論を避けないで。

(2021年1月20日)
1月13日、ほかならぬNHKが世論調査の結果をこう報道した。

ことし(2021年)に延期された東京オリンピック・パラリンピックについて、NHKの世論調査では、「開催すべき」は16%で先月より11ポイント減りました。一方、「中止すべき」と「さらに延期すべき」をあわせるとおよそ80%になりました。

 この調査結果は、市民の感覚に合っている。NHK以外の他の調査の結果も大同小異。常識的には、どう考えても今年の7月に東京五輪などできっこない。日本が無理なだけでなく、世界全体がオリンピックどころではない。この調査に何らかの意味があるとすれば、できっこないことを承知で何が何でも東京五輪をやらねばならぬと思い込んでいる恐るべき硬直化した人々が16%もいるということ。

そのような雰囲気の中で、JOC理事である山口香が毎日新聞のインビューに応じて一石を投じた。昨年も同じようなことがあったが、おそらくはこの人の個人的見解ではなかろう。個人的見解であったとしても、主催者側の相当な賛同を確認しての発言と思われる。

昨日(1月19日)の毎日インタビューは、「五輪意義、議論避けるな 山口香JOC理事、一問一答」とのタイトル。その山口香発言を抜き書きしてみる。

◆五輪は…いつできるようになるかも見通せない。できるのかというと難しいと、客観的に見て思う。

◆今回は中止か延期かの議論でなく、やるかやらないか。どういうプロセスで誰がいつまでに判断するのか、早く示すべきだと思う。

◆(五輪で)世界の人が入ってくることが、(感染状況の)逆戻りにつながる不安がある。国の説明が足りない。五輪が勇気を与えるというのは簡単だが、経済状況がどん底の人がたくさんいる中で、「五輪をやってくれれば、ご飯を食べなくても元気になれる」とは思えない。

◆日本の組織の体質がある。議論すること自体が「負け」であり、弱気と受け止められるので避ける雰囲気がある。…この国難の中で実施する五輪とは社会にとってどんな意義があるのか。オープンな議論が求められる。

取り立てて、格別の見識が示されたわけではない。誰が考えてもできっこない東京五輪だが、主催者側は、やるかやらないかその常識的な議論さえ始まっていないと嘆いているのだ。

東京五輪、その実行は無理だと世論は結論を出している。可及的速やかに中止の結論を出した方がよい。くずぐずしていると、敗戦時の二の舞となる。敗戦の決断が遅れたことによって、どれだけの命を犠牲とし、国土を焼き、戦費を費やすことになったか。

今は、オリンピックを断念して、コロナ対策に専念すべきだ。さしあたり、空いているオリンピック選手村は、軽症患者の収容施設として活用すべきである。

山口の最後の質問と回答の全文を掲記しておきたい。

問 ――大会関係者は「開催する」としか公式には言わない。

答 ◆日本の組織の体質がある。議論すること自体が「負け」であり、弱気と受け止められるので避ける雰囲気がある。
 国民はスポーツ自体を否定しているのではない。昨年12月の柔道男子66キロ級五輪代表決定戦の阿部一二三選手対丸山城志郎選手、今月の卓球全日本選手権女子シングルス決勝の石川佳純選手と伊藤美誠選手の試合はコロナ禍だからこそ、胸を打たれた。この国難の中で実施する五輪とは社会にとってどんな意義があるのか。オープンな議論が求められる。

 よく読むと何を言っているのか分からぬところもあるが、「早急にオープンな議論が求められる」という趣旨には異論がなかろう。

ところで、山口香は、東京都教育委員6名の一人である。周知のとおり、東京都教育委員会は、悪名高い「10・23通達」を発して、君が代に不起立の教職員を懲戒処分にし続けてきた。その懲戒処分の量定が重きに過ぎるといくつも裁判で敗訴もしている。処分を違憲とした下級審判決もあり、最も軽い戒告処分も懲戒権の濫用として違法とした東京高裁判決もある。多くの最高裁裁判官が、教育現場での処分強行を憂いて、教育現場にふさわしく十分に話し合うべきだという意見を述べている。しかし、その話し合いは、何度申し込んでも実現しない。東京都教育委員会の問答無用の頑なな姿勢は、石原都政時代以来まったく変わらない。山口香も、その責任を一端を担っている。

山口さん、二枚舌ではなかろうか。せめてこう言ってもらえないだろうか。

◆東京都教育委員会の体質の問題がある。議論するとか、話し合いの場をもつこと自体が「負け」であり、弱気と受け止められるので避ける雰囲気がある。
 君が代に不起立の教員が、真面目な教育を否定しているわけではない。むしろ、真面目な教員ほど、国旗・国歌(日の丸・君が代)に関わる歴史や教育効果を真剣に考え、あるべき教育像や教師像を持っているからこそ、その信念に基づいて敢えて起立することができないということは私にもよく分かっている。それでも、教育現場においてなぜ国旗・国歌(日の丸・君が代)に対する敬意の表明が必要なのか、社会にとって、民主主義国家においてどんな意義があるのか。また、教員や生徒一人ひとりの思想・良心の保障とどう折り合いを付けるべきか、訴訟の場とは別に、教育あるいは教育行政の場におけるオープンな議論が早急に求められる。

悪名高き「10・23通達」発出の日に、その撤回を求める決意を再確認する。

(2020年10月23日)
今年も10月23日がめぐってきた。2003年のこの日、東京都教育委員会が悪名高い「10・23通達」を発出した。横山洋一教育長名だが、実質的には石原慎太郎という極右政治家の意図によるもの。今、日本人の多くがトランプを大統領に選出したアメリカ国民の知的水準を嗤っているが、石原慎太郎のごときトンデモ人物を首都の知事に選んだ日本人も同列なのだ。

「10・23通達」は、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明を強制する内容。具体的には、東京都内の公立校の全ての校長に対する命令という形式となっている。各校長に、所管の教職員に対して、入学式・卒業式等の儀式的行事に、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」よう職務命令例を発令せよ、職務命令違反には処分がともなうことを周知徹底せよというのだ。

以来、東京都内の全ての公立校の教職員は、入学式・卒業式の度に、「起立・斉唱」を義務付ける職務命令を受け取る。口頭と文書の両方でだ。違反には、懲戒処分が待っている。それでも、どうしても起立できないという教職員がおり、この17年間、抵抗を続けているのだ。この抵抗は、真面目な教員と支援する市民の、人間としての尊厳を求め、公権力の教育への不当な介入を阻止しようという運動である。

「10・23通達」については、これまで何度も当ブログに取りあげてきた。主なものは、下記のとおりである。

10・23通達関連訴訟を概観する
http://article9.jp/wordpress/?p=140

都教委の諸君、君たちは「裸の王様」だー10・23通達から10年の日に
http://article9.jp/wordpress/?p=1397

「10・23通達」発出からの11年
http://article9.jp/wordpress/?p=3745

「10・23通達」発出のこの日に、「明治150年記念式典」
http://article9.jp/wordpress/?p=11330

入学式卒業式に「日の丸・君が代」など、かつての都立高にはなかった。それが、「都立の自由」の象徴であり、誇りでもあった。ところが、学習指導要領の国旗国歌条項の改訂(1989年)あたりから締め付けが強まり、国旗国歌法の制定(1999年)後には国旗の掲揚と国歌斉唱のプログラム化は次第に都立校全体に浸透していく。それでも、強制はなかった。多くの教師・生徒は国歌斉唱時の起立を拒否したが、それが卒業式の雰囲気を壊すものとの認識も指摘もなく、不起立不斉唱に何の制裁も行われなかった。単なる不起立を懲戒の対象とするなどは当時の非常識であった。

17年前、その「非常識」が現実のものとなった。驚愕しつつも、こんなバカげたことは石原慎太郎が知事なればこその事態、石原が知事の座から去れば、「10・23通達」は撤回されるだろう、としか考えられなかった。

しかし、今や石原も横山もその座を去り、悪名高い教育委員であった米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員は内舘牧子を最後にいなくなった。教育庁(教育委員会事務局)の幹部職員も入れ替わっている。しかし、「10・23通達」はいまだに、その存在を誇示し続け、教育現場を支配し続けている。

そして、抵抗の運動も、続けられている。主軸となる訴訟としては、まず、通称「予防訴訟」(「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」)が提起され、次いで、処分取消訴訟が第1次訴訟から第4次訴訟まで続き、現在第5次訴訟を準備中である。

第5次訴訟での原告側主張の目玉となるだろうものが、「国旗国歌の強制を避ける」べきことを内容とする国連の日本政府に対する勧告である。

国連の、ILOとユネスコとは、教員の労働条件に関して、各専門家の合同委員会(セアート)を構成している。そのセアートが、日本の教職員組合からの申立に基づいて、昨年(2019年)日本政府に、下記に記した6項目の勧告を出した。この政府に対する勧告の中に、「愛国的な式典における国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるよう」対話に応じよ、「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」べきこと、などが明記されている。

「消極的で混乱をもたらさない不服従」を罰してはならない。教員に対する国旗国歌(への敬意表明)の強制などは、世界の良識に照らして非常識なものであって、是正されねばならないのだ。

悪名高き「10・23通達」発出の日に、あらためてその撤回を求める決意を確認したい。

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合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。

(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c) 懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d) 現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e) 障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f) 上記勧告に関する諸努力についてそのつど合同委員会に通知すること。

学術会議人事介入を重大問題と受けとめる感性を

(2020年10月3日)
スガ政権による、日本学術会議会員人事への介入事件。その第一報は、10月1日赤旗一面のトップ記事だった。「菅首相、学術会議人事に介入」「推薦候補を任命せず」「安保法批判者ら数人」「前例ない推薦者外し」というもの。

これに目をやって、なんともイヤーな気持ちになった。日本は、こんなところまで落ちてしまったのか、いったいこれからどうなるのか、という失望と焦慮との入りまじった感情。ともかく、たいへんなことになったというのが「第一感」。

本日(10月3日)の毎日朝刊コラム「土記」に、専門編集委員の青野由里が、こう述べている。「(学術会議に)菅義偉政権が人事介入したと知って、背すじがざわっとした。理屈以前に、『民主国家でやってはならないこと』と直感的に信じてきたからだ。」とある。

青野さんの言うとおり、《理屈以前の直感》において「背すじがざわっとした」という感性・感覚が大切だと思う。この種の問題については、憲法感覚、人権感覚、歴史感覚、主権者感覚…が重要なのだ。理論的な思考を経て到達する以前に、事態の適否と重要性を受けとめる直感や感性がなくてはならない。

その感性の出所は、歴史の読み方や、社会の見方の積み重ねによって培われるもので説明はしにくいが、この件を平然と「それがナニカ?」「政権の何が問題?」という人とは、付き合いたくない。

おそらくは、個人対国家、人権対秩序、自由対集権…という社会を語る基本枠組みにおいて、強権的国家主義秩序の側に立つことを容認するか否かの「感性の試金石」が問われているのだ。

いかなる権力も、腐敗・暴走を免れない。いかなる権力も危険を内包している。過度に集中し、過度に強力な権力は、過度に危険な権力でもある。権力機構は分散させ、権力には批判が必要である。

そのために、司法は権力から独立していなければならない。検察官の独立も必要である。地方自治も不可欠である。そして、学問も、教育も、メディアも、宗教も、権力から独立していなければならない。それが、健全な政府と社会のありかたであり、個人の尊厳や自由を擁護するための鉄則である。政府批判は、許容されねばならない。批判を封じる権力は、実は脆弱なのだ。

日本学術会議の創設は、学術・科学を国家の恣意的な支配に任せることは危険であるという基本発想になるものである。政府に建言する専門家の叡智の結集の在り方を、専門家の自治と自主性に任せ、独立を保障した組織としている。権力の、学問・教育への介入の愚かさと、その帰結がもたらす悲惨とは、全国民が骨の髄まで身に沁みたことではないか。あの愚をまたまた繰り返そうというのか

ともかく、事態は深刻である。以下に、目についた記事や論稿を採録しておきたい。このような無数の批判の論稿が発表されることを期待したい。

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第25期新規会員任命に関する要望書

令和2年10月2日

内閣総理大臣 菅 義偉 殿

日本学術会議第181回総会第25期新規会員任命に関して、次の2点を要望する。
1.2020年9月30日付で山極壽一前会長がお願いしたとおり、推薦した会員候補者が任命されない理由を説明いただきたい。
2.2020年8月31日付で推薦した会員候補者のうち、任命されていない方について、速やかに任命していただきたい。

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日本学術会議会長殿

要請書 日本学術会議会員への任命拒否の撤回に向け総力であたることを求めます

私たちは、2020年8月、第25-26期日本学術会議会員候補者として推薦されました。小澤は2008年10月から12年にわたり、岡田と松宮は2011年10月から9年にわたり、連携会員として日本学術会議の活動に誠心誠意参画してきました。私たちはこうした参画とこの度の推薦を栄誉なことと思い、会員候補者としての諸手続きを済ませ、事務局からの総会、部会等への出欠の問い合わせにも応じて、10月1日からの総会等への参加を準備していました。ところが、9月29日、突如として、内閣総理大臣による任命がされない旨伝えられました。日本学術会議としても前代未聞の事態と聞きます。
私たちの日本学術会議会員への任命を拒むにあたり、内閣総理大臣からは理由など一切の説明がありません。これは、日本学術会議の推薦と同会議の活動への私たちの尽力をまったく顧慮しないものとして、到底承服できないものです。もしも私たちの研究活動についての評価に基づく任命拒否であれば、日本国憲法第23条が保障する学問の自由の重大な侵害として断固抗議の意を表します。
また、今回の事態は、私たちだけの問題ではなく、日本学術会議の存立をも脅かすものです。日本学術会議は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(日本学術会議法第2条)として、「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること」などの職務を「独立して」行い(同法第3条)、「科学の振興及び技術の発達に関する方策、科学に関する研究成果の活用に関する方策、科学を行政に反映させる方策」などについて、「政府に勧告することができる」(同法第5条)とされています。こうした日本学術会議の地位、職務上の独立性、権限は、会員の任命が内閣総理大臣の意のままになれば、すべて否定されてしまい、学問の自由は、この点においても深刻に侵されます。
貴職におかれては、このような重大問題をはらむ私たちに対する日本学術会議会員への任命拒否の撤回に向けて、会議の総力を挙げてあたることを求めます。
2020年10月1日

小澤隆一 東京慈恵会医科大学教授 憲法学
第21-24期日本学術会議連携会員
岡田正則 早稲田大学法学学術院教授 行政法学
第22-24期日本学術会議連携会員
松宮孝明 立命館大学大学院法務研究科教授 刑事法学
第22-24期日本学術会議連携会員

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前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)@brahmslover·10月1日

菅首相が学術会議の推薦した会員候補者を任命しなかったのは、
憲法が保障する学問の自由を踏みにじる行為だ。
日本会議会議法にも反する行為だ。
糾弾されるべき行為だ。
国民はこの行為の問題性をはっきり認識するべきだ。
メディアはしっかり追及するべきだ。
なぜ任命を拒否したのか、菅首相は説明せよ。

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菅首相による違憲・違法の学術会議会員任命拒否に断固抗議し、
撤回を求める声明

菅首相は、2020年10月1日から任期が始まる日本学術会議の新会員について、同会議が推薦した105名の候補のうち6名の任命を拒否した。

日本学術会議は日本の科学者を内外に代表する機関で首相所轄であるが、政府から独立して政策提言等をし、会員は特別職の非常勤国家公務員である。日本学術会議法は、会員(210名)を同会議の推薦に基づいて、首相が任命すると定め、会員の任期は6年間で3年ごとに半数が交代する。

日本学術会議が推薦した候補が任命されなかった例は過去になく、過去の国会答弁によれば、首相の任命権は形式的なものに過ぎない。任命を拒否された6名は安保法制や共謀罪、沖縄の新基地建設等に反対を表明する等してきた。本件任命拒否は、安倍政治の継承をうたう菅首相によって、6名の候補の研究活動を理由としてなされたものであることは明らかであり、日本学術会議法に違反するとともに憲法23条が保障する学問の自由に対する重大な侵害である。

日本学術会議の2020年10月1日の総会においても、退任した山極寿一前会長(京都大学前総長)と選出された梶田隆新会長(東京大学教授、ノーベル物理学賞受賞者)は本件任命拒否を重大な問題である旨述べている。
菅首相は、自民党総裁選の際、政治的な決定に反対する官僚がいた場合、異動させる旨述べる等していたが、本件任命拒否は政権に批判的な研究活動は許さないという菅首相による宣言である。こうした菅首相の姿勢は学問の分野以外にも当然及び得るのであり、さらなる人権侵害、委縮効果を引き起こすこと確実である。

自由法曹団東京支部は、菅首相による違憲・違法の学術会議会員任命拒否に断固抗議し、撤回を求めるとともに、政権に批判的な活動を許さないという菅首相の姿勢自体もまた改めることを求めるものである。

2020年10月2日
自由法曹団東京支部
支部長 黒岩哲彦

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私たち、全国の教員・退職教員・市民による全国ネットワークである<許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!安倍・菅政権の改憲・教育破壊全国ネットワーク>は、菅義偉内閣総理大臣によって、「学者の国会」ともいわれる日本学術会議で長年守られてきた人事の独立が破られ、日本国憲法23条の「学問の自由」を蹂躙する日本学術会議会員の人事への政治的介入により、日本学術会議への6人の新会員の任命が拒否されたことに対し、満腔の怒りを込めて抗議し、6人が任命されなかった理由を明らかにするとともに、6人の任命拒否の撤回と6人の任命を改めて求める。

1.菅義偉内閣総理大臣は、10月1日、「日本学術会議法」の規定に基づいて日本学術会議が新会員として推薦した105人のうち6人を任命しなかった。会員に任命されなかったのは、芦名定道・京都大教授(宗教学)、宇野重規・東京大教授(政治思想史)、岡田正則・早稲田大教授(行政法学)、小沢隆一・東京慈恵会医科大教授(憲法学)、加藤陽子・東京大教授(日本近代史)、松宮孝明・立命館大教授(刑事法学)の6人である。

「日本学術会議法」では、「優れた研究、業績がある科学者のうちから会員候補者を選考し、首相に推薦する」と定めており、推薦に基づき首相が会員(210
人)を任命する。任期は6年で3年ごとに半数を改選している。会員210人の日本学術会議は3年に1回、半数の105人を改選する。

日本学術会議は2020年9月末で会員の半数が任期満了を迎えることから、学術研究団体などから提出された推薦書をもとに、2020年2月から学術会議の選考委員会で選考が進められ、7月9日の臨時総会で候補者105人が承認された。8月31日、安倍晋三首相(当時)あてに、8月31日に6人を含む計105人の推薦書を提出した。9月末に学術会議事務局に示された任命者名簿には6人を除く99人の名前しかなかったという。

菅義偉首相によって6人が任命されなかった理由について、政府からの説明は一切なく、学術会議事務局が任命されなかったことを事前に問い合わせたところ、政府からは「間違いや事務ミスではない」と返答があったという。任命を拒否された6人以外の新会員99人は10月1日付で菅義偉首相に任命された。

「学者の国会」と呼ばれ、高い独立性が保たれる学術会議の推薦者を首相が任命しなかったのは、現行の制度になった2004年度以降では初めてである。政府は拒否した理由を明らかにしていないが、6人の中には、安全保障関連法や「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法を批判してきた学者が複数含まれている。

2.加藤勝信官房長官は10月1日の記者会見で、学術の立場から政策を提言する政府機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補の一部を菅義偉首相が任命を見送ったと明らかにした。加藤勝信官房長官は、6人が任命されなかった理由について、「個々の候補者の選考過程、理由については人事に関することでありコメントは差し控える」と説明を避け、「結果の違いであって、これまでの対応の姿勢に変わりはない」とし、法律に基づいた正当な判断であると主張し、「学術会議の目的において、政府側が責任を持って(人事を)行うのは当然だ」、「首相の所轄で、人事等を通じて一定の監督権を行使することは法律上可能となっている」「推薦を義務的に任命しなければならないというわけではない」と述べている。政治判断による人事介入は憲法が保障する「学問の自由」の侵害になるのではないかと問われると、加藤官房長官は、「直ちに学問の自由の侵害にはつながらないと考えている」と応えている。現在の任命の仕組みになった
2004年以降、推薦された候補が任命されなかったケースについても、「そうした事例があるとは承知していない」と述べている。

10月2日、閣議後の記者会見で、加藤官房長官は、「総理大臣の所轄のもとの行政機関である『日本学術会議』について、任命権者である総理大臣が法律に基づいて任命を行った。こうした説明を引き続き行っていきたい」、「専門領域の業績のみにとらわれない広い視野に立って、総合的、ふかん的観点からの活動を進めていただくため、累次の制度改正がなされてきた。これを踏まえ、総理大臣の所轄のもとの行政機関である『日本学術会議』について、任命権者である総理大臣が法律に基づいて任命を行った。こうした説明を引き続き行っていきたい」と述べた。

3.菅義偉内閣総理大臣が「日本学術会議法」の規定に基づき日本学術会議が新会員として推薦した105人のうち6人を任命しなかったことに対し、学術会議会員らからは「学問の自由を保障する憲法に反する行為」と批判が相次いでいる。

10月1日の日本学術会議の総会で退任した日本学術会議前会長・山極寿一・京都大前総長は、オンラインを含め会員ら230人が出席して開かれた挨拶の冒頭で、「6人の方が新会員に任命されなかった。初めてのことで、大変驚いた。菅首相あてに文書で説明を求めたが、回答はなかった」と述べている。学術会議は8月末、政府に105人を推薦していた。しかし、6人が任命されないことを山極会長が知らされたのは9月28日の夜だという。総会後、「私たちは理由を付して新会員を推薦したのに、理由をつけずに任命しないという事実がまかり通ってしまったことは大変遺憾。学術にとって非常に重大な問題だ」と話した。

新会長に選ばれたノーベル賞受賞者の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長は、「極めて重要な問題で、しっかり対処していく必要がある」と述べ、6人を任命しなかった理由について菅首相に説明を求めることを検討すると述べた。推薦した人が任命されなかった例は平成16年度に今の制度になって以降なく、日本学術会議は10月2日に開かれた総会で、緊急にこの件を協議した。6人が任命されなかった理由を明らかにすることと、6人の任命を改めて求める要望書をまとめることを決めた。総会のなかで、日本学術会議新会長の東京大学梶田隆章教授は「非常に重要な件だと思うので、引き続き部会で議論して、学術会議としてしっかりと対応したい」と述べた。総会後に梶田隆章会長は「学術会議は政府からある程度、独立して学問を基礎に発信するものなので、その基本が変わることがあってはならない」と話している。

4.日本学術会議は、人文・社会科学や生命科学、理工など国内約87万人の科学者を代表し、科学政策について政府に提言したり、科学の啓発活動をしたりするために1949年に設立された。「学者の国会」とも言われる。210人の会員は非常勤特別職の国家公務員で任期は6年間。3年ごとに半数が交代する。1954年には、原子力の平和利用について「自主、民主、公開」の原子力三原則を打ち出し、55年の原子力基本法に盛り込まれた。軍事研究のあり方についても、「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を1950年と1967年に発表し、2017年にも、防衛装備庁が創設した研究助成制度をめぐり、軍事研究を禁じた過去2回の声明を継承するとの声明を発表した。

5.今回任命されなかった6人のうちの一人、東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)は「共謀罪」法案などに反対の立場を取ったことがある。加藤教授は、「首相が学術会議の推薦名簿の一部を拒否するという、前例のない決定をなぜしたのか、それを問題にすべきだ。学術会議内での推薦は早くから準備され、内閣府から首相官邸にも8月末には名簿があがっていたはずだ。それを、新組織が発足する直前に抜き打ち的に連絡してくるというのは、多くの分科会を抱え、国際会議も主催すべき学術会議会員の任務の円滑な遂行を妨害することにほかならない。欠員が生じた部会の運営が甚だしく阻害されている。この決定の背景を説明できる協議文書や決裁文書は存在するのだろうか、私は学問の自由という観点からだけでなく、この決定の経緯を知りたい。」「学術会議の担うべき任務について、首相官邸が軽んじた点も問題視している」などとコメントした。

任命されなかった小沢隆一・東京慈恵会医科大教授、岡田正則・早稲田大教授、松宮孝明・立命館大教授は1日、梶田会長に、任命拒否の撤回に向け、学術会議の総力をあげてあたることを求める要請書を手渡した。要請書で3氏は、首相から理由の説明がなく、「私たちの研究活動についての評価に基づく任命拒否であれば、憲法23条が保障する学問の自由の重大な侵害」、「(任命が首相の意のままになれば)日本学術会議の地位、職務上の独立性、権限は、会員の任命が内閣総理大臣の意のままになればすべて否定されてしまい、学問の自由はこの点においても深刻に侵されます」などとしている。小沢氏は「私は2015年、安保法制をめぐる国会での中央公聴会で『憲法違反だ』と述べた。仮に、学問上の意見を国会で述べたことが任命拒否につながっているのだとすれば、学問の自由の侵害だ」と話している。

6.私たち、全国の教員・退職教員・市民による全国ネットワークである<許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!安倍・菅政権の改憲・教育破壊全国ネットワーク>は、菅義偉内閣総理大臣によって、「学者の国会」ともいわれる日本学術会議で長年守られてきた人事の独立が破られ、日本国憲法23条の「学問の自由」を蹂躙する日本学術会議会員の人事への政治的介入により、日本学術会議への6人の新会員の任命が拒否されたことに対し、満腔の怒りを込めて抗議し、6人が任命されなかった理由を明らかにするとともに、6人の任命拒否の撤回と6人の任命を改めて求めるものである。

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石破 茂 です。

 日本学術会議会員の任命にあたって、推薦された候補者のうち6名を任命しなかったことが取りざたされています。総理大臣が任命権者である以上、任命権があるのなら拒否権も当然あるものと考えるのが自然でしょう。ただ、従来の内閣との関係(推薦された候補者全員をそのまま任命する)がなぜ変わったのか、ということについては、政府側が十分な説明を尽くす必要があるでしょう。

日本学術会議は文部科学省ではなく内閣府の所管ですから、その担当大臣がいます。組織のルールとして、いきなり総理大臣が任命を拒否するとは考えられず、内閣府の担当大臣の承認を経て総理に上がると考えるのが自然ですが、今回どういう手続きを踏まれたのかも明確にしておいた方がいいのではないでしょうか。

なお、この件に関連して、自民党の憲法改正草案では、国民の権利と義務の章に「国は国政上の行為につき国民に説明する責務を負う」と定めています。憲法改正は第9条や緊急事態に限られるものではありません。自民党で党議決定した唯一の案であるこの草案が等閑視されているのは本当に残念なことです。

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三浦瑠麗さんは、「業績の中身を知りもしない人間(官邸)が新聞記事程度の情報をもとに、こういうつまらない口出し(人事介入)をやり出したとき、社会は劣化する」と批判。
今回の人事介入は、学術界だけに留まらないという指摘も。東京大の佐倉統教授は「これは政治信条が右翼か左翼かとか、学者かそうでないかとか関係なく、とても危険な問題だ。首相の意に沿うかどうかという基準だけで選抜されるのだから、権力者におもねる者だけが生き残るという恐怖政治への第一歩だ。右か左かではなく自由か不自由かの問題だ。」(10月2日・東京新聞)

中国の圧力による香港教科書の改悪ー「愛国教育」とは政権に従順たれと教え込むこと

(2020年8月27日)

 香港教育当局が「愛国教育」を重視する中国の習近平指導部の意向を受け、学校で使う教科書への管理を強化している。今年の検定では複数の出版社が当局の修正要求を受け、香港に「三権分立」の仕組みがあるとの記述や、民主化運動に関する写真などを削除した。香港各紙が18日に報じた。民主派は「教科書を通じて『親中国政府』の考え方を浸透させる狙いだ」と強く反発している。(毎日)

人民支配の鉄則は「アメとムチ」…だが、それだけでは十分でない。全人民にムチすることは現実には不可能であり何より非効率で愚策である。ムチよりはアメが先行するが、アメの量は常に限られている。のみならず、人民は必ずしもアメのみにて生きるものではない。アメとムチ以外に、人民の精神を自発的服従に仕向ける工夫が必要なのだ。

それを「マインドコントロール」と言っても、「洗脳」と言ってもよい。あるいは、端的にダマシとか、イデオロギー支配、共同幻想、ナショナリズム喚起とでも。その結果としての、国家ないし権力への忠誠心の醸成、少なくとも意識的な抵抗心の放棄がなければ、安定した人民支配はできない。そのために、手垢のついた愛国心が持ち出される。

国家の経営者は、国民に経済的利益を与えることに腐心し、権力にまつろわぬ者には刑罰を与えるだけでなく、当該の国家や権力を正義とするマインドコントロールに知恵を絞る。その知恵の働かせどころは、まずは教育であり、次いでメディアである。情報と考え方をコントロールして、権力に好都合なことだけにバルブを開き、不都合なことはシャットアウトするのだ。

だから、国家や権力に絡めとられぬように、教育もメディアも、権力から独立して自由でなければならない。これが、市民革命を経た近代社会の常識であり、約束ごとである。もちろん、前近代の天皇制国家は、教育にもメディアにも徹底して介入を試みた。今なお日本の現実は、この弊風を払拭しきれていない。

が、中国の香港教育への介入のこの露骨さは驚くべきものだ。あらためて、中国には、民主主義思想も人権思想もなく、一党独裁あるのみと確認するほかはない。「党は正しい方針を持っている。だから近視眼的な批判は慎むべきだ」という思想と対決しなければならないと思う。

香港は、中国とはまったく別のリベラルな教育制度を運用してきた。その象徴が、「通識」という科目だという。日本の公民に近いものだろうか。日本でも一時流行った「リベラルアーツ」教育のようでもある。《幅広い社会問題を学んで批判的精神や多様な見方を育てる》というのが科目の目標で、高校の必修科目となっている。これが、中国から危険視の対象となった。

この「通識」が、香港の若者の民主的な思考や態度を養ってきたと言われ、2019年6月に本格化した政府への抗議デモでは、高校生らが校舎前で手をつないで政府に抗議の意思を示す「人間の鎖」が各地で繰り返し見られた。

中国にしてみれば、これを何とかしなければならない。《絶対であるべき党のものの見方を相対化して、幅広く社会問題を学び、批判的精神や多様な見方を育てる》ことは危険視されるのだ。中国政府は昨年来、この通識を「愛国心ではなく、批判的思考を育んでいる」として非難してきた経緯があるという。

中国政府はよく分かっている。《批判的な精神》と《愛国の精神》とは、真っ向から対立する理念なのだ。香港に対する統制を強化する「香港国家安全維持法」(国安法)が6月に施行されたことを踏まえ、香港当局は中国の意を受けて愛国教育を徹底する方針を打ち出した。まずやり玉に上げられたのが、通識教育である。

「通識」の教科書の書き換えが要求された。「香港教育図書社」の教科書の例では、「香港の法制度の特徴として『三権分立の原則に従い、個人の自由と権利、財産の保障を極めて重視する』との記述があった。だが検定後は削除され、代わりに『デモで違法行為をした場合、関連の刑事責任を負う』との記述が加えられた。」(香港明報)という。他の三つの出版社でも「香港では三権分立の制度が取られている」との表記が削除された。

 なるほど、中国には権力分立の観念はない。立法・行政・司法の各権力の上に、党という「権威兼権力」が君臨している構造なのだ。あたかも、大日本帝国憲法において、議会と内閣と司法の上に、天皇という「権威兼権力」が君臨していたごとくに。

 この他にも教科書の検定では、14年の民主化要求デモ「雨傘運動」の現場や政府への抗議メッセージを記した付箋が貼られた壁を撮影した写真や、19年の政府への抗議デモに関して「警察がデモを禁止したことで市民の自由が侵害された」「政府が経済、政治、生活に関する市民の要求に応じなかったことも一因」などの記述が削除された。いずれも民主派の抑え込みを図る当局の意向が反映されたとみられる。(毎日)

 香港では19年、抗議活動に関連して18歳以下の学生約1600人や19歳以上の学生約2000人、教職員100人以上が拘束された。中国政府は教育現場への締め付けを強めるため、国安法で学校に対して「宣伝、指導、監督および管理を強化する」と明記し「国家安全教育」を進めると盛り込んだ。香港当局は6月、教育現場で国歌斉唱などを義務づける「国歌条例」も施行。教育現場への締め付けは着実に強まっている。(毎日)

1989年の天安門事件や2014年の雨傘運動など民主化デモに関する記述の削除・削減が加速した。教師ら学校関係者は21日、「洗脳教育を断固拒否する」との声明を発表、反発を強めている。(産経)

 また、ある教科書では「私は香港人だ」と記された旗を持つデモ参加者のイラストが、「中国の経済発展の成果を享受できて、私は中国人であることが誇らしい」と説明されたイラストなどに差し替えられた。(産経)

 中国国営新華社通信は21日、「通識科の『消毒』は、香港の教育が正しい道に進む第一歩だ」と題する論評を配信し、教科書改訂を歓迎しました。ある在日香港人は本紙に「今回の改訂は、政権に従順な新しい世代をつくり出すための第一歩だ」と警戒感を示しました。(赤旗)

これは一陣の涼風。教科書採択にアベ政権没落のご託宣。

(2020年8月26日)
今年の夏は常の夏ではない。コロナの夏であり、異常な猛暑の夏。そして首相引きこもりのなんとも冴えない鬱陶しい夏である。そこに、思いがけない一陣の涼風が吹き込んできた。教科書採択の成果である。端的に言えば、全国的規模での、育鵬社教科書(歴史・公民)不採択の涼風なのだ。

育鵬社教科書とは何であるか。2015年9月17日付けで、「★育鵬社教科書採択570校一覧(9月17日現在)」という、勇ましいネット記事が残されている。冒頭にこうある。

「正統保守の敵『つくる会』一部首脳を追撃します。『新しい歴史教科書をつくる会』が自由社から出した教科書は反日自虐。」「教科書改善の会のメンバーが執筆した フジサンケイグループ育鵬社こそが正統保守教科書です。」

継続採択も含め私立中の採択は24校です。公立中は約550校(特別支援学校で該当生徒のいる校数が確定しないため、正確な数はまだ分かりません)で、合計約570校の生徒が育鵬社の教科書で学ぶことになりました。
 
採択冊数は、歴史が7万2000~7万3000冊(シェア6.2~6.3%)、公民が6万6000~6万7000冊(シェア5.7%前後)と推定されます。

つまり、「フジサンケイグループ育鵬社(扶桑社の100%子会社)の教科書こそが、正統保守教科書です。」というのだ。ここでいう「正統保守」とは、歴史修正主義・国家主義・排外主義・権威主義を指す。まさしく、安倍晋三を行政トップに押し上げた勢力の歴史観・政治観をいう。その立場は明らかに、《反日本国憲法》であり、同時に《親大日本帝国憲法》でもある。

そんな教科書で、毎年7万2000~7万3000人もの中学生が歴史を学んできた。これが今年度(2020年度)までの現実である。

今年は、通常4年ごとに行われる教科書採択の年。「つくる会」系教科書採択の消長は、わが国の民主主義度のバロメータともなっている。「フジサンケイグループ育鵬社の正統保守教科書」の採択状況に衆目が集まる。そして、ほぼその結果が出てきた。まさしく、一陣の涼風である。日本の民主主義勢力決して先細りではない。

「子どもと教科書全国ネット21」の集計では、公立学校での育鵬社の歴史教科書採択冊数を71,510冊、公民教科書冊数を65,480冊と報告している。

それが今回の採択では、注目すべき大型採択地域で軒並み育鵬社は敗退した。前回育鵬社を採択して、今回は逆転不採択となったのは、確認できる範囲で以下のとおりである。
 横浜市(146校) 歴史2万7000冊、公民2万7000冊
 大阪市(130校) 歴史1万8500冊、公民1万8500冊
 東大阪市(26校)            公民4200冊
 松山市(29校)   歴史4200冊
 藤沢市(19校)   歴史3500冊、  公民3500冊
 呉市(26校)    歴史1900冊、  公民1900冊
 東京都立中(10校) 歴史1400冊、  公民1400冊
 新居浜市(11校)  歴史1100冊
 四国中央市(7校)  歴史 800冊、  公民 800冊
 泉佐野市(5校)   歴史1000冊、  
 河内長野市(7校)            公民 900冊
 武蔵村山市(5校)  歴史 700冊、  公民 700冊
 四條畷市(4校)   歴史 600冊、  公民 600冊
 愛媛県立中(3校)  歴史 480冊、  公民 480冊
 東京都立特別支援学校(10校)歴史100冊、公民100冊

以上で、歴史教科書の削減冊数は61,000冊を超え、公民は60,000冊を超える。来年(2021年)度からの育鵬社版教科書の使用冊数は、歴史は1万冊を割り、公民は5000冊に届かない。

この成果を切り拓いたものは何か。もちろん、自然にこうなったわけではない。右翼の運動に抗して各地で起こった市民運動の成果なのだ。歴史修正主義や憲法を軽んじる歴史や公民の教科書を我が子には使わせないという地道な市民運動が結実したものである。その具体的な運動のあり方は、追々語られることになるだろう。横浜・大阪だけではなく、全国至るところで教育運動が盛り上がったことの意味は大きい。

もう一つの感想がある。5年前育鵬社教科書が採択数で伸びた時期は、安倍政権の勢いがまだ安泰だった。右翼も威勢を張っていたということである。森友学園事件は、まだ世に明るみに出ていない。安倍政権をバックとして、「フジサンケイグループ育鵬社の正統保守教科書」の採択は順調だったと言えよう。しかし、今年の夏、安倍政権のたそがれが誰の目にも明らかだ。右派勢力がアベ晋三に期待した憲法改正などできっこないと認めざるを得ない。

「つくる会」系の右翼偏向教科書の採択状況は、右翼勢力の力量消長のバロメータでもあり、右翼を背景とするアベ政権の盛衰のバロメータでもある。この真夏に、そのバロメーターが示したアベ没落のご託宣はまことに目出度い。まさしく、猛暑のなかの一陣の涼風である。

歴史を歪め改憲を指向する「育鵬社版『歴史』『公民』教科書」の採択を許すな

(2020年8月10日)
注目の4年に1度の教科書採択、いま真っ盛りである。注目される理由は、これが日本の民主化度のバロメータであるからだ。残念なことに、このバロメータの指し示すところが最近芳しくない。歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書で次代の主権者教育が行われてはたまらないのだが、歴史修正主義や国家主義、改憲基調の政治がまかり通っているのがこの国の現実。そんな勢力を代表する政治家が、長期政権を維持しているご時世なのだ。

攻防の焦点は、公立中学校の「歴史」と「公民」の教科書である。採択権者は、学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会。いつもは名ばかりの教育委員だが、このときばかりは時の人になる。自分の権限の重さに、うろたえてしかるべきである。

この攻防、アベ晋三政権終焉の空気を反映してか、改憲気運衰退のしからしめるところか、歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書には、採択の勢いがない。

いわゆる「つくる会」系の、歴史修正主義派教科書の出版社としては、「育鵬社」と「自由社」がある。両社の教科書とも、これまでのところ軒並み不採択で不調この上ない。

都教委が、都立中学10校と特別支援学校中学部22校の教科書採択において、これまでの姿勢を覆して育鵬社、自由社版を不採択にした。続いて、藤沢市・横浜市でも逆転不採択となり、さらには心配された名古屋市で8月7日不採択となった。

ここまで、歴史修正主義派教科書は完敗と言ってよい。とりわけ、全国で最多校数・最多生徒数を誇る横浜市の動向が象徴的である。地元、神奈川新聞がこう伝えている。

横浜市教委、育鵬社版不採択に 中学の歴史・公民教科書

 横浜市教育委員会は(8月)4日、定例会を開き、市立中学校など147校で2021年度から4年間使用する歴史と公民の教科書について、育鵬社版を不採択とした。鯉渕信也教育長と教育委員5人が無記名で投票し、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版を採択した。使用する生徒は全国最多の約7万4千人。

 歴史は7社、公民は6社の教科書を審議した。定例会では、学識経験者や校長、保護者ら20人でつくる「市教科書取扱審議会」の答申が公表され、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版の評価が高かった。

 採決を前に、大場茂美委員が「責任ある判断をする上で、冷静な判断ができる環境を維持したい」と無記名投票を提案。他の委員から異論は出なかった。投票の結果、歴史は帝国書院が4票、公民は東京書籍が5票で、育鵬社はそれぞれ2票と1票だった。

さて、これからである。維新の牙城である大阪府内では育鵬社版教科書採用率が高い。前回は、大阪市、東大阪市、泉佐野市、四條畷市、河内長野市などが育鵬社版を採択していた。本日まで、四條畷市、河内長野市が不採択となり、残る大阪市、東大阪市、泉佐野市の帰趨が注目されている。

言うまでもないが、この教科書採択の結果は、多くの人の運動の反映である。教員や父母が連携し、地域の市民団体も意見を集約して教育委員会に届けている。委員会の傍聴も続けられている。その熱意、その論理、その説得力が、教育委員に影響を与えているのだ。

その運動の全国組織である「子どもと教科書全国ネット21」が、7月30日に「育鵬社教科書不採択の流れを全国に波及させよう」と題する【緊急アピール】を発している。

「約20年にわたって「つくる会」系教科書の採択に、都立学校でいったん終止符を打つことができたことは、大きな前進です。大阪府でもこれまで育鵬社の公民教科書を採択してきた四条畷市と河内長野市で、採択を許さないという成果を上げることができました。
この流れをさらに強め、
1 育鵬社歴史・公民教科書、自由社公民教科書(日本の植民地支配やアジア太平洋戦 争について歴史的事実をゆがめて正当化し、日本国憲法の価値を否定し、憲法改悪に誘導しようとする)
2 日本教科書道徳教科書(生徒の内心に踏み込む、数値による徳目の達成度を求める 自己評価や、植民地支配を肯定的に描く題材まで載せている)
これら教科書の採択を許さない取り組みを、全国の市民、保護者、教職員、労働組合、研究者、弁護士などの幅広い皆さんと全力をあげて進めていきましょう。」

ところで、最も注目される大阪市である。

「子どもと教科書大阪ネット21」の平井美津子事務局長は、育鵬社の歴史教科書について、以下の問題点を指摘している。

・大日本帝国憲法と天皇制を賛美する。
・植民地政策を正当化し、日本が近代化を進めたとする。
・ 15年戦争をアジア解放の戦争と位置付ける。
・日本国憲法は「押し付けられた」ものと否定的。
(ちなみに、育鵬社は、公民では、憲法について、人権の保障より「公共の福祉による制限」を強調し、人権についての正しい知識・感覚を持ちにくい。また、憲法改正へ誘導する記述となっている。)
・最後は中国・北朝鮮への敵愾心を煽り、「日本クール」を謳って締める。
「わが国は、過去の歴史を通じて、国民が一体感を持ち続け、勤勉で礼節を大事にしてきたため、さまざまな困難を克服し、世界でもめずらしい安全で豊かな国になりました。世界の中の大国である日本は、これからもすぐれた国民性を発揮して、国内の問題を解決するとともに、世界中の人々が平和で幸せに暮らしていけるよう国際貢献していくいことが求められています。」

7月30日に、大阪市教育委員会事務局が「戦争美化の教科書を子どもたちにわたさない大阪市民の会」と「教科書採択について」の協議を実施している。形式は、「協議」だが、実際は「要請」に対する「回答」と説明であろう。大阪市のホームページに、6項目の「要望」と「回答」が、次のように掲載されている。

①国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を原則とする日本国憲法の精神に反する育鵬社版、自由社版の教科書は絶対に採択しないでください
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。

②本市の学校には在日外国人の子どもたちも多数在籍しています。諸外国との友好・連帯を何よりも大切にし、まかり間違っても、排外主義や嫌中、嫌韓感情を助長する教科書は採択しないように強く求めます。
(回答)大阪市教育振興基本計画において、「我が国や郷土の文化・伝統を尊重し、広く伝えるとともに、世界における多様な文化を互いに理解し合い、異なる文化を持った人々とともに生き協働していこうとする、多文化共生社会をめざす資質や能力を持った子どもをはぐくみます。」と示しています。
採択にあたっては、教育基本法、学習指導要領、大阪市教育振興基本計画等に示された基本的な目標に基づいて調査研究を行い、調査会等が作成する資料により、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。

③教室で実際の教育活動にあたる教師の意見に耳を傾けてください。
(回答)採択にあたっては、大阪市立義務教育諸学校教科用図書選定委員会規則に基づき、教科用図書選定委員会(以下「選定委員会」という。)を設置することとし、教育委員会が諮問し、選定委員会が調査、研究を経て作成した答申を参照し、採択を行います。
選定委員会は、採択地区ごとに専門性の高い校長及び教員で構成される専門調査会と、各学校の校長及び教員で構成される学校調査会を設置しており、現場教員による調査の結果が選定委員会に報告されます。調査会等が作成する資料については、文部科学省の通知に則り、採択権者の責任が不明確になることのないよう留意しつつ、採択権者の判断に資するよう一層充実したものとなるよう努めてまいります。

④教科書閲覧などを通じて、市民の声に真摯に耳を傾けてください。
(回答)本市では、保護者や学校協議会委員をはじめ市民の皆様に教科書や教科に対する理解を深めていただけるよう教科書展示会を実施しております。教科書展示会では、市民の皆様に教科書への関心を持っていただくとともに、教科書について広く意見を集めることを目的として、アンケート箱を設置しています。アンケートの集約結果並びに皆様からいただいたご意見やご感想につきましては、教科書採択にあたっての参考資料の 1 つとして、教育委員、選定委員にお伝えしてまいります。

⑤新型コロナ問題の先が見通せないなか、教職員や保護者や市民が教科書の検討を可能とする十分な閲覧会場と日程を保証してください。
(回答)本市では、市立図書館・区役所・区民センター・区役所出張所等、市内31か所の教科書センターで、令和3年度使用教科書展示会を開催いたします。
なお、「新型コロナウイルス感染症」に係る感染拡大防止の観点から、来場者へのマスク着用や近距離での会話をご遠慮いただくなどのお願いや、来場者が多い場合は同時に入場する人数を制限する措置をとらせていただく場合があります。
しかしながら、「法定外展示期間」を例年よりも長く設定している「教科書センター」もあり、できるだけ多くの方々に教科書に触れていただく機会の確保に努めております。

⑥教育行政にあたる皆さんが、如何なる政治的圧力にも屈することなく、日本国憲法の精神と、良心のみに従って、教科書選定作業を行われるよう強く要請いたします。
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。

「採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。」では、実はなんの回答にもなっていない。問題は、「公正かつ適正な採択」の具体的な中身である。2015年の初採択時も今と同じタテマエだった。それでどうして育鵬社版採択に至ったのか。育鵬社版教科書のこんな内容が、どうして「公正かつ適正な採択」に馴染むのか。「公正かつ適正」が、育鵬社版教科書とどう折り合えるのか、ではないか。

全国の適正な教科書採択を求める運動の圧倒的な成果を期待したい。全ては、今月中に決着が着く。

育鵬社版教科書の不採択に思う ー 都教委は変わりつつあるのだろうか?

(2020年7月29日)
学校教育における教科書が子どもに与える影響力は大きい。とりわけ、歴史観や社会観に関わる教科書は将来の国民の主権者意識を決定しかねない。教科書の記載は、歴史の真実を曲げてはならず、その社会の良識をよく反映するものでなくてはならない。

かつては、国定教科書が皇国のイデオロギーを臣民に注入する役割を果たした。その歴史教科書は、荒唐無稽な神話の伝承と区別されるところはなく、國體の賛美に満ち満ちていた。この過ちを繰り返してはならないとして、国定教科書は廃絶された。しかし、これに代わる教科書検定の制度が必ずしもあるべき運営となってはいない。

複数の検定済み教科書からの採択が最も問題となるのは公立中学校の社会科の教科書である。採択の権限は、管轄の各地教委にある。市立中学校なら各市教育委員会に、区立中なら各区教育委員会に…。歴史や公民の教科書採択には、各教育委員のイデオロギーが表れる。侵略戦争を美化するもの、日本国憲法をあからさまに敵視する教科書の採択が現実に問題となっている。

一昨日(7月27日)東京都教育委員会は、都立中高一貫校10校と特別支援学校22校の各中学部の教科書採択を行なった。
https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/press/press_release/2020/release20200727_01.html#link1

その結果、採択されたのは、都立中学では【歴史=山川出版】、【公民=教育出版】(1校のみ日本文教出版)、【道徳=廣済堂あかつき】。特別支援学校では、【歴史=東京書籍】、【公民=日本文教出版】、【道徳=光村図書出版】で、歴史修正主義派とされる育鵬社・自由社・日本教科書の採択はなかった。

本日(7月29日)の赤旗が、「都教委 育鵬社版採択せず」「侵略美化の教科書不使用」と大きく見出しを打って、「19年ぶり」という小見出しを付けている。都教委は2001年以来、歴史修正主義派の教科書を採択してきた。都立校に「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書採択がなくなったのは、実に19年ぶりのことなのだ。

 来年度から使われる中学教科書の採択で、東京都教育委員会が都立の中高一貫校と特別支援学校について、育鵬社の歴史教科書・公民教科書を不採択にしたことが28日、わかりました。都立学校から侵略美化の中学教科書がなくなるのは19年ぶりです。27日の会議で決定しました。
 現在、都立の中高一貫校(10校)と聴覚障害・肢体不自由・病弱の特別支援学校中学部(22校)では全校で育鵬社の歴史・公民教科書が使われていますが、来年度からは育鵬社の教科書は都立学校では使われないことになります。

これはまことに喜ばしい。インパクトが大きい。だが、実は薄氷を踏む思いの成果なのだ。
都教委のメンバーは下記の6名である、問題の歴史や公民の採択についての投票の表決は、いずれも「過半数」とはならなかった。育鵬社を支持した委員は2人、自由社は1人、計3名だった。もし、2回目投票で自由社の1票が育鵬社に流れれば計3票となり、教育長の決裁で育鵬社版採択もあり得たのだ。これが、都教委の実態である。

藤田 裕司(教育長・都職員)
遠藤 勝裕(実業家)
山口  香(元柔道選手)
宮崎  緑(元ニュースキャスター)
秋山千枝子(小児科医)
北村 友人(東大大学院准教授)

このうち、誰が育鵬社や自由社の教科書採択を支持していたかは、公表されていない。

よく知られているとおり、1996年歴史修正主義派は「新しい歴史教科書をつくる会に結集して、「子供たちと日本の名誉を守る」ための教科書を作り、その採択運動に奔走してきた。その立場は、極めて明白である。発足時、「Mission 子供たちと日本の名誉を守る!」として、こう言っている。

 皆さんはご家庭でお子さんが学校で使われている教科書をのぞいてみたことはありますか?
 「南京大虐殺」「従軍慰安婦」…今、全国の学校で使われている歴史教科書の多くは、ありもしない話を多く並べた、過去の日本を貶めるものばかりです。
 そして今年に入り、「従軍慰安婦」問題は、いよいよ世界中に広がりを見せ始めました。これで子供たちは、自分の国に誇りを持ち、健全に育つことができるでしょうか。
 自国の歴史・伝統と文化をないがしろにした国の未来に「繁栄」はありません。子供たちのため、そしてこの国の未来のために、健全な歴史教育・公民教育が行われる環境を、私達と一緒に作っていきましょう。

 ここに謳われていることは、「歴史の真実」ではなく、「国の誇り」であり、「自国の歴史・伝統」である。1999年石原慎太郎が都知事となり、「石原教育行政」が始まった。都教委は、2001年に「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した扶桑社の歴史教科書と公民教科書を、都立養護学校(現特別支援学校)で採択した。公立学校での扶桑社版教科書採択はこれが全国で初めてのこと。都教委はその後、新設された都立の中高一貫校でも扶桑社の教科書を採択した。

そして、2003年石原都政2期目となって、悪名高い「10・23通達」が発出される。こうして、つくる会系教科書採択に引き続いて、「日の丸・君が代」強制が始まった。その後、「つくる会」の運動は離合集散を繰り返し、扶桑社版教科書は、その後継の育鵬社や自由社の教科書となっているが、都教委はその後掲教科書の採択を続けてきた。19年にもわたってのことである。その19年も続いた、「つくる会」系教科書採択が薄氷を踏む思いながらも終焉したのだ。

6人の教育委員の内、「つくる会」系教科書支持の委員が3人というのは、余りにも偏頗な構成。とは言え、去年まではもっと酷かったというわけだ。「日の丸・君が代」強制を続けてきた都教委は、少しは変わってきているのだろうか。希望的な観測も込めて、そう思いたい。

しかし、問題は東京にだけあるのではない。横浜市の教科書採択が8月4日に行われる。横浜市教委は育鵬社教科書を採択しているのだ。東京同様に逆転できるだろうか。育鵬社版を採択している大阪市、東大阪市も注目される。大阪府下で前回採択時に育鵬社教科書を採択した四條畷市、河内長野市で、今回は育鵬社教科書が不採択となったという報告もある。

安倍政権という存在が、「新しい歴史教科書をつくる会」や育鵬社・自由社を鼓舞してきた。あるいは、「つくる会」や育鵬社・自由社教科書が跋扈する世の中の空気が、安倍政権を長く支えてきたというべきだろうか。その育鵬社・自由社の衰退である。最初に「歴史修正主義教科書」に手を差し伸べた都教委の、その手が引っ込められたのだ。続く、都教委の変化に、また全国の動向に注目したい。

都教委は、懲戒処分に先立つ事情聴取に弁護士の立ち会いを認めよ

(2020年7月28日)

申  入  書

2020(令和2)年7月22日

東京都教育委員会
教育長  藤  田  裕  司  殿
委員   遠  藤  勝  裕  殿
委員   山  口     香  殿
委員   宮  崎     緑  殿
委員   秋  山  千  枝  子  殿
委員   北  村  友  人  殿

弁護士 澤 藤 統一郎
外弁護士6名連名

 私たちは、東京都立I特別支援学校に勤務するT教諭から依頼を受けた弁護士として、連名で貴委員会に下記の申し入れをいたします。

 東京都教育庁人事部から所属校の学校長を通じてT教諭に対して、口頭での「事情聴取」の通告がありました。同時に、「事情聴取」実施日について同教諭の日程問い合わせがなされているところです。
おそらくは、この「事情聴取」は貴委員会が、T教諭に対する懲戒処分発令する手続きの一環としてなされるもので、当該の「事情聴取」とは、行政手続法13条1項2号にいう、「弁明の機会の付与」であるものと理解いたします。
 いうまでもなく、懲戒処分発令はこれを受ける公務員にとっては重大な不利益処分となります。しかも、T教諭には、教育公務員としての職責の遂行に何の落ち度もなく、むしろ貴委員会が発令しようとしている懲戒処分にこそ憲法違反、ないしは数々の法令違反が窺われるところです。
 しかし、T教諭には貴委員会による処分決定に向けた教育庁人事部による「事情聴取」を拒絶する意思は豪もなく、むしろ、与えられたこの機会に、予想される懲戒処分の違憲・違法・不当について十分な弁明を尽くしたいと考えています。そして、その弁明に遺憾なきを期するために弁護士の立ち会いを希望しています。私どもは、同教諭の依頼に応えて、私たちのうちの日程の都合のつく者が「事情聴取」に立ち会い、法律専門家の立場から、弁明に必要なアドバイスを行う所存です。
 ご存じのとおり、行政手続法は「聴聞」と「弁明の機会の付与」とを分け、前者の手続には代理人選任を被聴聞者の権利として認めており、後者の場合には認めていません。しかし、もとより「弁明の機会の付与」に、代理人の選任を禁ずる規程はなく、ましてや弁護士の立ち会いを不都合とするものではあり得ません。
本件は、優れて法的に複雑な問題を伏在している事案として、弁明者の権利の保護という観点からも、なされるべき弁明が全うされて法が要求する手続に瑕疵なきを期するという視点からも、弁護士の立ち会いを認めて然るべき事案だと思料せざるを得ません。
 弁護士という職能は国民の基本的人権を擁護するために、法治国家としてのわが国の法が認めた法律事務専門職であります。国民の誰もが、法的な助言を得たいと希望するときに、これに応えることが弁護士の職責であることをご理解いただきたいと存じます。
 なお、教育行政を司る貴委員会の在り方としても、教師としての職責を有する公務員の立場を尊重され、是非とも弁護士立ち会いを認めていただくよう申し入れする次第です。

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T先生は、特別支援学校で美術を教えている。穏やかな人だ。京都で育ち、身近に在日差別や部落差別に接して心を痛めてきた。そして、自分が教師になって差別をを許さない教育実践をしようと思ったという。そのT先生にとって、学校での「日の丸・君が代」は、かつての皇民教育の象徴であり、民族差別・身分差別の象徴でもあった。自分が教員を志した原点に関わる問題として起立・斉唱の強制に服することはできない。それは、教え子に対する裏切りである、と言う。

T先生は、東京君が代裁判・4次訴訟の原告のお一人。訴訟では、次の5件の懲戒処分の取消を求めた。
第1回不起立 戒告
第2回不起立 戒告
第3回不起立 戒告
第4回不起立 減給10分の1・1か月
第5回不起立 減給10分の1・1か月

一審・東京地裁判決は、残念ながら戒告処分の取消を認めなかったが、2件の減給処分をいずれも違法として取り消した。都教委は、これを不服として東京高裁に控訴したが控訴棄却の判決となった。都教委は、さらに上告受理申立までしたが最高裁は申立を不受理として、一審判決が確定した。これが、2019年3月28日のことである。

なお、4次訴訟の一審判決では、《停職6月》1名、《減給10分の1・6月》2名、《減給10分の1・1月》3名(4件)が、いずれも取り消された。これについて、都教委は、T先生の《減給10分の1・1月》(2件)だけを控訴して、他は確定させている。東京都も都教委も、この6名7件の確定した処分取消に対して、謝罪をしていない。謝罪をしようともしていない。まずは、真摯に謝罪すべきが当然であろう。

謝罪するどころか、都教委は「減給が認められないのであれば、改めて戒告処分としなければならない」ということなのだ。これが通るのなら、T先生としては、ひとつの不起立行為に2度の制裁手続を強いられ、再度の救済手続を強いられることにもなる。これは、過重な負担となる。

それにしても、昨年3月28日から既に1年4か月である。これまで、再処分手続に着手しようとしなかったことに、都教委の自信のなさを窺うことができよう。

都教委は弁護士の立ち会いを認めて、T先生に十分な弁明の機会を保障しなければならない。それが、教育行政に携わる者に要求される最低限の誠実さではないか。

この申し入れに、教育委員会からの返答はまだない。

都教委の卑劣な「思想転向強要システム」の破綻について

(2020年7月12日)
本日(7月12日)の東京新聞「こちら特報部」に、おや、見覚えのある方のお顔。もと、国立二小の教員だった佐藤美和子さん。「日の丸・君が代強制に反対」の思いを込めたブルーリボンを手にしての一枚。

「こちら特報部」の記事は、「黒川氏『訓告』甘すぎる」「「日の丸・君が代」で「懲戒」も」「思想の自由教えただけなのに」と見出しを付けられたもの。そのリードは、以下のとおり。

コロナ禍の真っただ中に新聞記者と賭けマージャンをした前東京高検検事長・黒川弘務氏の訓告処分が「甘過ぎる」と、批判を強めている人たちがいる。かつて「日の丸・君が代」の問題で処分された学校関係者だ。式典での国歌斉唱などの際、思想や信仰の自由を貫いただけで、減給や停職とされた人もいる。「犯罪行為の賭博が、なぜこんなに軽いのか」と、国や東京都に説明を求めている。

佐藤さんは、「たったこれだけ。私はこれ(ブルーリボン)を胸に着けていただけなのに、職務に専念していないと見なされて訓告処分を受けました」という。佐藤さんが、「日の丸・君が代」強制を受け入れがたいとする理由の根幹には、信仰と歴史観の問題がある。

佐藤さんは父親と母方の祖父が牧師。戦時中、キリストではなく天皇を神としてあがめるよう強制された話を聞かされた。朝鮮、台湾といった植民地での皇民化教育にも使われ、軍国主義の歴史が色濃い日の丸・君が代は受け入れられなかった。

それだけではない。教員として、子どもたちに思想の自由を教えながら、「日の丸・君が代」の強制を受け入れてはならないという思いも強かった。

式の一週間ほど前には、6年生の授業で君が代を扱ったばかり。歌詞の意味や賛否両方の意見を教えつつ「世の中には歌いたい人も、歌いたくない人もいる。その選択はみんなの自由で、憲法で保障されている。決して強制されるようなものではない」と伝えていた。

信仰と歴史観、そして教員としての良心に従った佐藤さん。佐藤さんは、教員としてあるべき姿を貫いたのではないか。しかし「訓告」。一方、常習賭博にも当たる、賭けマージャンの黒川が同じく「訓告」。誰が考えてもおかしくはないか。

念のために申し上げれば、00年3月の国立二小の卒業式の式次第には、国歌斉唱のプログラムも、起立斉唱の号令もない。式場に日の丸もなかった。「日の丸・君が代」なしに、創意工夫をこらした感動的なフロア対面形式の卒業式が行われている。ただ、それまで、「日の丸」とも「君が代」ともまったく無縁だった国立二小校舎の屋上に、校長が独断で「日の丸」を立てたのだ。佐藤さんのブルーリボンは、そのことへの抗議だった。

その後03年10月23日に、悪名高き「10・23通達」が発出されて、事態は昏迷することになる。あの石原慎太郎2期目の都政でのことである。この年の4月13日都知事選で、石原は308万票(得票率70%)を獲得した。ここから、石原の暴走が始まる。この右翼政治家に308万票を献じた都民の責任は大きい。

いつもながら、東京新聞「こちら特報部」は、立派な記事を書いてくれた。だが、一点気になるところがある。「10・23通達」後の、国歌斉唱時の不起立による処分の問題。記事には、こう書いてある。

都教委は2000年代から統制を強め、卒業式や入学式の国歌斉唱時に起立しないことなどへの処分が続出した。03年度以降、訓告は数人、より重い懲戒処分は延べ約480人に上る。不起立1回目は戒告で、1回増えるたびに減給1、3、6ヵ月、停職1、3、6ヵ月と重くなる。

都教委の意図は「特報部」記事のとおりであった。現実に、都教委は最高裁判決が出るまで、この累積加重の処分を重ねてきた。卒入学式での国歌斉唱時における不起立1回目は戒告。2回目は減給(10分の1・1か月)、3回目目は減給(10分の1・6か月)、4回目は停職(1か月)、5回目は停職(3か月)、6回目は停職(6か月)…というもの。このあとは、懲戒解雇しかなくなる。

不起立の回数が増える度に、懲戒処分の量定を重くし、自らの思想・良心・信仰を曲げなければ教壇を追われることになるという二律背反。この深刻な事態に、良心的な教員を追い込もうという卑劣なやり口。これをわれわれは、「思想転向強要システム」と呼んだ。

さすがに、最高裁もこの邪悪なたくらみを許さなかった。不起立と、それによる処分が累積しても、認められる懲戒処分の量定は戒告限り。減給も、停職も認められないというのが現在の最高裁の態度である。都教委がたくらんだ、思想転向強要システムは破綻している。このことは、もっと広く知られねばならない。

都教委よ。なによりも大事なものが「日の丸・君が代」だというのか

いつもながらの安倍晋三「やってる感」演出の印象操作。この度のパフォーマンスは国民生活への影響多大な全国一律休校要請。そのテンヤワンヤの影響が、全国各校の卒業式にも及んでいる。しかし、この期に及んでなお、東京都内での「日の丸・君が代」強制へのこだわりぶりが恐ろしい。

東京都教育委員会は、先月(2月)28日、「新型コロナウイルスに関する都内公立学校における今後の対応」を公表した。

これによると、「1 都立学校の基本方針」を次のように言う。

「先般、都としては、今後、3週間程度を集中対策期間とし、更なる感染防止拡大に向け、時差通学の実施や春季休業期間の前倒しなどに取り組むこととしたところである。
 この度、国が方針を変更し、全国一斉の休校を行うこととしたため、都としても、これを踏まえ、原則として3月2日から春休みまでの間、休校とする。」

まったく自主性に欠けた、情けない中央追随主義。そして、その故に安倍の場当たり方針変更に振り回されるみじめな実態というほかはない。その基本方針のもと、「2 休校に伴う課題への対応」が記されているが、卒業式については以下の2行のみである。

「(2)卒業式
 参列者の制限や時間の短縮により実施」

可及的に感染の機会を低減しようとするなら、授業だけでなく卒業式も取りやめればよい。そうすれば、政権への忖度の姿勢を見せるメリットもある。とは言うものの、教育の役割や児童・生徒の心情に思いをいたせば、卒業式をやめるとまでは言いにくい。それ故の「参列者の制限や時間の短縮による卒業式実施」なのであろう。それはそれで、理解できなくもない。問題はその具体化だ。

「参列者の制限」としては、議員や地域の名誉職を呼ぶのはやめよう。教育委員会事務局からの指導主事など「日の丸・君が代」実施の監視要員も不要だ。「時間の短縮」のためには、まずは君が代斉唱をやめよう。紋切り型の式辞の類も一切不要だ。生徒が学窓の想い出と将来への決意を語り、教員がそれを励ます、生徒と教員を中心とした簡素な集いでよい。3年間の教育の成果を確認する感動的な卒業式は、「参列者の制限と時間の短縮」でより濃密になるだろう。

ところが、現実にはそうなっていない。公表の限りでは、「休業中の卒業式は『31教総務第2347号』に基づいて実施する」とされているが、この通達は見あたらない。

複数の友人からの報告によれば、以下のとおり東京都教育委員会は、「式次第から校歌、卒業生の歌、保護者式辞などを省いても『君が代』斉唱だけはやる」との方針であるという。生徒のための式ではなく、国家のための卒業式の色彩が濃くなっている。本末転倒も甚だしい。

報告その1
卒業式は時間短縮で、保護者、在校生、来賓は感染防止のため出席させないにもかかわらず、式次第に『国歌斉唱』だけはある。校長も、通達があるからどうしようもないと言っている。都民の声として挙げてもらえたら。

報告その2
卒業式の件ですが、私の勤務校では「短縮化」と言いながら、「国歌斉唱」のみ従来通り強行という内容です。何だかんだで「君が代」だけやればいいという教委の目的が浮き彫りになった感じです。
管理職はセンターの担当に「証書の授与だけではよくないのか?」と質問したそうだが、「(国歌斉唱は)必ずやってください」と言われたとのこと。
式の進行概要は以下の通りで、前日の予行は中止です。
① 卆業生入場、②「君が代」斉唱、③証書授与(呼名+代表生徒への授与)、④校長式辞、⑤卒業生退場

報告その3
以下の内容で、都民の声にメールしました。
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都立高校の卒業式は、新型コロナウイルス対策のために、校歌斉唱や式の歌を省略して実施することになりましたが、君が代の斉唱は行うことになっています。感染防止のために斉唱を取り止めたのなら、君が代の斉唱も取り止めるべきではないでしょうか。卒業生の健康や命より、君が代の方が大事にされるのはどう考えても間違いだと思います。
なぜ君が代斉唱を行わなければならないか、理由を教えてください。説明を求めます。

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(2020年3月7日)

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