澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

街頭宣伝活動での選挙総括

本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所の皆さま。こちらは地元の「本郷・湯島九条の会」です。私たちは、憲法を守ろう、憲法を大切しよう、とりわけ平和を守ろう。絶対に戦争は繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう思いから、訴えを続けています。

あなたが政治に関心をもたなくても、政治の方はけっしてあなたに無関心ではいない。あなたが平和と戦争の問題に無関心でも、戦争は必ずあなたを追いかけてきます。けっして見逃がしてはくれません。少しの時間、お耳を貸してください。

一昨日の7月10日が第24回参院選投開票で、既にご存じのとおりの開票結果となりました。今回選挙の最大の焦点は、紛れもなく憲法改正問題でした。より正確には、アベ政治が投げ捨てた立憲主義の政治を取り戻すことができるか否か。憲法を大切にし、政治も行政も憲法に従って行うという当たり前の大原則を、きちんと政権に守らせる勢力の議席を増やすことができるか。あるいは、憲法をないがしろにして、あわよくば明文改憲を実現したいという勢力の議席を増やしてしまうか。

一方に憲法を護ろうという野党4党と市民運動のグループがあり、もう一方に改憲を掲げるアベ自民党とこれに擦り寄る公明・維新・こころの合計4党があります。この「立憲4党+市民」と「壊憲4党」の憲法をめぐる争いでした。おそらくは、この構図がこれからしばらく続くものと思います。

「壊憲4党」の側は徹底して争点を隠し、争点を外し、はぐらしました。それでもなお、客観的にこの選挙は改憲をめぐる選挙であり、選挙結果は壊憲4党に参院の3分の2の議席を与えるものとなりました。これは恐るべき事態と言わねばなりません。

改憲発議の権利は、今やアベ自民とこれに擦り寄る勢力の手中にあることを自覚しなければなりません。到底安閑としておられる状況ではない。憲法は明らかにこれまでとは違った危機のレベルにある、危険水域に達していることを心しなければならないと思います。

では、国民の多くが憲法改正を望んでいるのか。いえ、けっしてそんなことはありません。参院選投票時に何社かのメディアが出口調査をしていますが、その出口調査では有権者の憲法改正についての意見を聞いています。共同通信の調査も、時事通信もNHKも、いずれも「憲法改正の必要がある」という意見は少数なのです。「改憲の必要はない」という意見が多数です。これを9条改憲の是非に絞って意見を聞けば、さらに改憲賛成は少なくなります。「安倍政権下での9条改憲」の是非を聞けば、さらに改憲反対派が改憲賛成派を圧倒するはず。

ですから、明らかに、国民の憲法意識と国会の政党議席分布にはねじれが生じています。大きな隔たりがあると言わなければなりません。にもかかわらず、改憲勢力は今改憲の発議の内容とタイミングを決する権限を手に入れてしまったのです。

今回選挙のこのねじれを生じた原因は、ひとつは改憲派の徹底した争点隠しですが、それだけでなく選挙区制のマジックの問題もあります。改憲派と野党との得票数は、けっして、獲得議席ほどには差は大きくありません。

たとえば、立憲4党は、今回選挙で32ある一人区のすべてで統一候補を立てて改憲派候補と一騎打ちの闘いをしました。その結果、11の選挙区で勝利しました。
 青森・岩手・山形・福島・宮城・新潟・長野・山梨・三重・大分そして沖縄です。
他の県は敗れたとはいえ、前回は31の一人区で、自民党は29勝したのですから、これと比較して共闘の成果は大きかったといわねばなりません。それだけでなく、この一人区一騎打ちの票数合計は2000万票でした。その2000万票が、立憲派に900万票、自公の壊憲派に1100万票と振り分けられました。議席だけを見ると11対21ですが、得票数では9対11の僅差。実力差はこんなものというべきなのです。

それでも、議席を争った選挙での負けは負け。長く続いた平和が危うい事態と言わざるを得ません。既に日本は、1954年以来、憲法9条2項の戦力不保持の定めに反して、自衛隊という軍事組織を持つ国になってきています。しかし、長い間、自衛隊は専守防衛のための最小限の実力組織だから戦力に当たらない、だから自衛隊は違憲の存在ではない、と言い続けてきました。

ところが、一昨年(2014年)7月1日アベ政権は、閣議決定で専守防衛路線を投げ捨てました。個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権の行使を容認して、憲法上の問題はない、と憲法の解釈を変えたのです。憲法が邪魔なら憲法を変えたい。しかし、改憲手続きのハードルが高いから憲法解釈を変えてしまえというのが、アベ政権のやり方なのです。こうして、集団的自衛権の行使を容認して、自衛隊が海外で戦争をすることができるという戦争法を強行成立させました。

自国が攻撃されてもいないのに、一定の条件があれば海外に派兵された自衛隊が、世界中のどこででも戦争ができるという内容の法律ですから、「戦争法」。日本は、自衛のためでなくても戦争ができる国になってしまいました。この戦争法を廃止することが、喫緊のおおきな政治課題となっています。

今、このように憲法がないがしろにされているこのときにこそ、全力を上げて憲法を守れ、立憲主義を守れ、憲法の内実である、平和と人権と民主主義を守れ、と一層大きく声を上げなければならない事態ではないでしょうか。

本当に、今、声を上げなければ大変なことになりかねません。でも、声を上げれば、もう少しで国会の議席配分を逆転することも可能なのです。このことを訴えて、宣伝活動を終わります。ご静聴ありがとうございました。
(2016年7月12日)

東北と甲信越各県の選挙共闘の教訓に学ぼう

第24回参院選投開票の翌日。昨日と変わらぬ太陽がまぶしい夏の日。だが、今日の空気は昨日までのものとは明らかに違う。各紙の朝刊トップに、「改憲勢力議席3分の2超」という大見出し。この国の国民は、そんな選択をしたのだ。溜息が出る。

衆参両院とも、改憲4党(+保守派無所属)で発議に必要な議席は確保した。憲法改正発議の内容とタイミングは、彼らの手中にあることとなった。明日にも改憲発議があるという事態ではないが、憲法の命運に厳しい時代となったことを覚悟しなくてはならない。

この事態を決めた各党の実力と国民の政治意識とは、比例の得票数に端的に表れる。今回の各党の得票数は、ざっくりと整理して以下のとおり。これが現時点での各党の実力。議席の数ほどの差はない。
 自民 2000万
 民進 1200万
 公明  750万
 共産  600万
 お維  500万
 社民  150万
 生活  100万

主要政党の得票数の推移は以下のとおりである。
自民の最近4回(07年・10年・13年・16年)の各得票数は次のとおり。
  1700万→1400万→1800万→2000万
1986年選挙での自民票は2200万であり、95年選挙では1100万票である。自民票の浮沈は激しく、けっして安定してはいない。

民新(民主)の最近4回の票数は次のとおり。
  2300万→1800万→700万→1200万
民進は、著しく実力を低下させた中で、今回は健闘したというべきではないか。

公明の最近4回の票数は次のとおり。
  780万→760万→760万→760万
公明は04年選挙では862万票を取っていた。いまや、頭打ちの党勢といってよい。

共産の最近4回の票数は次のとおり。
  440万→360万→520万→600万
共産は98年選挙では820万票を取った実績がある。このとき、自民1400万、民主1200万だった。その後の低迷期を抜け出つつあるというところだろう。

どの党も、獲得票数の増減は結構激しい。けっして、今回選挙が固定した勢力図ではない。次の選挙結果は予測しがたいのだ。

そう言って自らを励ますしかないというのが、全国的な選挙結果なのだが、例外もある。今回選挙でもっとも注目し、教訓を汲むべきは、沖縄を別にすれば、東北6県の選挙区選挙。いずれも1人区として4野党統一候補を擁立し、選挙共闘の成果は6議席中5議席の獲得となった。これに加えて、新潟・長野・山梨も野党が勝利している。

アベノミクスはこの地に繁栄も希望ももたらしていない。むしろ窮乏と中央との格差、農林水産業の衰退、先行きの不安をもたらした。政権のTPP推進は明確な自民の裏切りと映っている。震災・津波からの復興問題も原発再稼働も、すべてアベ政権不信の材料となっている。

東北のブロック紙、河北新報が、「<参院選>東北 自民圧勝に異議」として、次のように解説している。この解説記事がよくできていて、身に沁みて分かる。

【解説】第3次安倍政権発足後、初の大型国政選挙となった第24回参院選は、東北6選挙区(改選数各1)で野党統一候補が自民党候補を圧倒した。全国で与党圧勝の流れが形成される中、東北の有権者は「1強」に異議を申し立てた。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの復興が道半ばの岩手、宮城、福島で与党が敗れたことは政権にとって打撃だ。政府が「復興加速」を説きながら、地域再生が進まない現実との乖離に、被災者は冷ややかな視線を向けた。
 6選挙区で共闘した野党は、福島で現職閣僚を破ったほか、山形や岩手で終始リード。宮城で現職同士の争いを制し、青森では新人が現職を追い落とした。
 野党は経済政策「アベノミクス」を徹底批判した。東北は少子高齢化の急加速で個人消費が停滞、景気回復の循環に力強さを欠く。先行き不安を巧みに突く戦術は東北の有権者に有効だった。
 環太平洋連携協定(TPP)への攻撃も一定の効果を生んだ。日本の食料基地である東北には、TPPへの反発が根強く残る。野党は保守の岩盤とされた農村部に漂う不満の受け皿にもなった。
 全国に先駆けて宮城で共闘を構築するなど、野党のスクラムは強固だった。安全保障関連法の廃止を求める学生、市民団体との連動も相乗効果を生んだ。
 自民は秋田で独走したが、5県は厳しい戦いを強いられた。党本部は安倍晋三首相ら幹部級を東北に続々投入する総力戦を展開。各業界の締め付けを徹底したが、加速した野党共闘の前に屈した。
 公示後、与党はネガティブキャンペーンを全開させた。旧民主党政権時代の失政をあげつらい、共産党への反感をあおる発言に終始。憲法論争も避けた。政策競争を軽視した「1強政治」のおごりを見透かされた面は否めない。…」

奥羽越列藩同盟の再現であろうか。秋田を除いて、その余の東北5県と甲信越は野党の勝利となった。選挙結果に絶望することなく、東北の闘い方に学びたいものとと思う。
(2016年7月11日)

アベ政権が描く「美しい国・日本」とはこんなものだ

今日は7月10日、参院選の投開票の日。まだ、開票結果の確定報はない。しかし、望ましからざる民意が示されたことは疑いがない。日本国憲法の命運は危くなってきた。これはたいへんな事態だ。既に、アベが「憲法改正、憲法審査会できっちり議論」と言い出したと報道されている。

民主主義とは何であるか。またまた、考え込まざるを得ない。私が物心ついたころ、戦後民主主義と平和とは不即不離のイメージだった。戦前には国民主権も民主主義もなかった。だから、誤った軍部に引きずられて民衆が心ならずも戦争の被害者になった。民主主義さえあれば、あの惨禍をもたらした愚かな戦争を再び民衆が望むはずはない。多くの人がそう思い、私もそう思って疑わなかった。

しかし今、アベのごとき人物が民意に支えられて首相になっている。正真正銘「右翼の軍国主義者(a right-wing militarist)」たるアベである。そのアベによる壊憲・教育介入・メディア支配・沖縄の民意蹂躙・原発再稼働・強引な国会運営が強行されている。世は忖度と萎縮に満ちている。にもかかわらず、アベ政権の支持率が下がらない。憲法が想定した民主主義は、どうなってしまったのだろう。

民意が独裁を望み、民意が戦争を辞せずとし、民意が少数派を差別するとき、民主主義とは一体なんなのだ。どうすれば、もすこしマシな、理性的な社会を作ることができるのだろうか。私たちの国の民主主義はどこで間違ってしまったのだろう。どうすれば軌道を修正できるのだろうか。それとも、最初から日本には民主主義が根付く土壌がなかったということなのだろうか。

アベ政権がどのような社会を作ろうとしているのか。自らが分かり易く示している。
7月7日のことと思われるが、自民党がそのホームページに、「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というタイトルの記事を掲載した。その本文は、次のとおりである。

《党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』、あるいは『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
 学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。》

これには一驚を禁じ得ない。「子供たちを戦場に送るな」との主張は、戦後平和教育の出発点であり、広く国民の支持を受けたスローガンだった。これを、「不偏不党」にも「政治的中立性」にも反し逸脱したというのだ。これでは、「平和は尊い」「戦争を繰り返してはならない」「原爆は禁止すべきだ」も、特定のイデオロギーに染まった結論として排斥されることにならざるを得ない。

自民党は、「子供たちよ、勇ましく戦場を目指せ」と言いたいのだとしか考えられない。もっとも、「子供たちを戦場に送るな」の部分は、その後「安保関連法は廃止にすべき」と、こっそり書き換えられたようだ。姑息千万である。

このホームページの問題はさらに大きい。次のように続けられているのだ。
《そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いします。》として、投稿フォームを設置。氏名や性別、連絡先などとともに、《政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください。》という書き込みができる入力欄を設けている。

ちくり、密告の奨励である。子どもたちや父母をスパイに育てようということではないか。あるいは、教員同士の相互監視と密告体制。ジョージ・オーエルの「1984年」を思い出させる。これでは教育が成り立たない。これがアベが取り戻すという「美しい国・日本」の正体なのだ。
(2016年7月10日)

いよいよ明日が投票日ーアベ非立憲政治にノーの審判を

6月22日に公示の第24回参議院議員通常選挙。18日間の選挙戦が本日終了して明日(7月10日)が投票日となる。

日本の命運に関わる今回の選挙。関心の焦点は、改憲勢力に3分の2の議席をとらせるのか否か。各メディアの調査では、軒並み厳しい獲得議席予測となっている。しかし、私には信じがたい。国民の護憲バネを信じたいし、選挙戦最終盤での巻き返しにも大いに期待したい。

何よりも、選挙区議席73のうち32を占める1人区の全選挙区で成立した、市民と4野党の共闘の成果に注目したいし、比例区ではアベ政治と真っ向対峙する日本共産党の勝利を願う。

アベ政権は、紛れもなく壊憲政権であり、非立憲政権である。けっして、戦後の保守本流の自民党政権ではない。右翼政権であり、好戦政権と言ってもよい。日本国憲法大嫌い政権なのだ。

その姿勢は、直接憲法攻撃に向けられているばかりではない。教育とメディアに対する統制にも色濃く表れている。沖縄問題や歴史認識、さらには原発(核)についても、家族法制についても同様である。

分けても、解釈改憲についての突出した姿勢には驚くばかりだ。
私は長く、「憲法9条は専守防衛の立場を認めている」という論者を憲法解釈を歪める論敵ととらえてきた。「自衛のための必要最小限度の実力を逸脱しない限り、自衛隊は9条2項で保持を禁じられた戦力に当たらない」という政府解釈を9条破壊の謬論とし、1954年以後はこの考えで一貫している内閣法制局こそ謬論の元凶と考えてきた。

ところが、アベ政権になって事態は一変した。アベは、専守防衛など生温いとして、海外で戦争ができる道を開こうと言うのだ。歴代の内閣法制局は、専守防衛を合憲解釈とするために、「個別的自衛権の行使は違憲ではないが、集団的自衛権の行使は憲法上容認し得ない」と主張してきた。アベはこの法制局見解を邪魔として、一線を踏みこえた。しかも、内閣法制局長官の首のすげ替えという強硬手段をもってしてのこと。

そうして、閣議決定で憲法の解釈を変え、国民の強い反対を押し切って戦争法を強行させた。無茶苦茶な話だ。今は、その戦争法廃止が最大の課題となっている。

専守防衛論、集団的自衛権行使違憲という、かつての内閣法制局の考え方が、アベ政権によっていとも簡単に否定され排除された。その結果専守防衛論者は、アベ壊憲に反対する立場において、自衛隊違憲論者と目的を共通にする味方になった。アベが極端な立場に位置しているからである。

明日の投票では、アベ政治に対する批判票の集積を期待したい。戦争法廃止も、選挙結果次第で道が切り開かれる。

アベ政権は、今回選挙でも徹頭徹尾の争点隠し争点はずしの戦略をとっている。明文改憲にも、戦争法の必要性にも触れない。戦争法成立時には、説明が足りなかったことを認めて、「国民の皆様の理解が更に得られるよう、政府としてこれからも丁寧に説明する努力を続けていきたいと考えております」と殊勝に述べたものだ。にもかかわらず、今回選挙ではまったく触れようとしない。徹底して争点化を避ける方針なのだ。それでいて、選挙が済んだら、南スーダンへの自衛隊派遣発表の段取りとされている。欺されてはならないと思う。

戦争法は、政権主張のとおりの抑止力となっているだろうか。果たして平和に寄与するものだろうか。むしろ、近隣諸国との軍事的緊張を高める愚策なのではないか。一方の「挑発行為」に、もう一方が軍事的な対応をすれば、結局は軍事対立・軍事緊張のエスカレーションをもたらすことになる。アベ政権は、そのような軍事緊張をもたらす政策をもてあそんでいるのだ。戦争の惨禍をもたらした戦前の軍国主義への反省を忘れ去っている。

平和を願い、立憲主義を取り戻すという願いが結実する明日の投票日であって欲しいと切実に思う。
(2016年7月9日)

「立憲4党」にイエス。「壊憲4党」にはノーの意思表示を。

あと3日。参院選最終盤に至って、憲法問題の争点化が浸透してきた。
私は、先に今回参院選の勢力関係の骨格を、「右翼アベ自民とこれを支持する公明が改憲勢力を形づくり、左翼リベラル4野党連合が反改憲でこれに対峙する。この両陣営対決のはざまに、おおさか維新という夾雑物が存在するという2極(+α)構造」と描いた。これをもっと単純化すれば、「立憲4党」対「壊憲4党」の争いともいえるのではないか。

「立憲4党」は中野晃一さんのネーミング。なるほど、民進・共産・社民・生活の4党共闘の核になっているものは、明文改憲阻止というよりは立憲主義の回復というべきではないか。アベ政治は既に立憲主義を破壊しつつある。この現実を糺し修復しなければならないという喫緊の課題での共闘。このネーミングの方が緊迫感ないし切実感がある。

これに対する自民・公明・おおさか維新・こころの4党を、大手メディアが「改憲4党」と呼ぶようになっている。「改憲4党は、非改選議席と併せて参院の3分の2の議席がとれるだろうか」との関心の寄せ方。しかし、実は「これから憲法に手を付けます」ではなく、既に憲法の一部を壊しているのだ。その意味では、「改憲」よりは「壊憲4党」と呼ぶのにふさわしい。

大日本帝国憲法下での立憲主義と日本国憲法の下での立憲主義とは大きく異なる。この違いは、権力からの個人の自由をメインの理念とする「近代憲法」と、資本主義の矛盾を克服する福祉国家理念をもつ「現代憲法」との違いに対応したもの。権力が護るべきとされるものの中に、平和主義・民主主義・法律の留保なき人権・社会権・参政権の保障を含むか否かなのだ。

憲法を頂点とする法体系の保護がなければ、強い者勝ちになる不公正に歯止めをかけ、弱い者の立場を護る思想に貫かれているのが、現代憲法としての「日本国憲法」である。改憲を阻止する、憲法を護る、憲法を活かす、立憲主義を取り戻すとは、結局のところ、法の保護なくば弱い側の立場を守ろうということなのだ。「立憲」4党の「立憲」は、この立場を指す。

既に壊されている憲法の理念は、まずは平和である。その最大のテーマは戦争法(安保関連法)であり、次いで表現の自由などの精神的自由権。そして、労働や福祉、さらには教育も民主主義もある。

この二つのブロックの中の各政党の個性はひとまず措いて、「立憲ブロック」と「壊憲ブロック」のどちらに投票すべきか。立場によって分かれる。分かり易いではないか。迷う必要はなさそうだ。

もし、あなたがこの社会の強者の側にあるなら、つまりは大企業の経営者側で、労働者をできるだけ安く使うことを望んでおり、労働者の首切りは自由な方がありがたいと思う立場であるなら、また株や債権の売買でぼろ儲けをしていて、軍事緊張が高まれば武器が売れて景気がよくなるとほくそ笑む立場にあるなら、所得税も法人税も相続税もできるだけ小さくして、累進性をなくし、福祉も教育も自己負担で自助努力が原則の国を望むなら、堂々と壊憲4党に投票すればよい。

しかし、あなたが働く者として首切り自由はとんでもないとし、時間外手当のカットも不当と考えるなら。また、軍事緊張も戦争もゴメンだというのなら。所得税や相続税は累進性を強化すべきが実質的公平に合致すると考え、福祉も教育も本来は国が負担すべきが望ましいとお考えなら、壊憲4党に投票してはならない。農業や漁業の従事者も、中小零細企業家も同じだ。うっかり自公への一票は、自分の首を絞めることとなる。

さらに、仮にあなたがこの格差社会の不合理を身をもって体験している立場にあるなら、あなたの一票は特別な意味を持つ。政治とは、誰の立場にたって政策を進めるかのせめぎあいだ。この社会は利害対立するグループで成り立っている。総じて、強い立場の者と弱い立場の者。強い者は、自分たちが支配する現行の体制を維持し続けようと試み、支配を受けている者がこれに抵抗を試みているのだ。税金のとりかたも使い方も、「強い者・富める者」と「弱い者、貧しき者」との綱引きの結果として決まっている。実は、万人に利益となる政治は幻想であって、どちらの層の利益になるかが、熾烈に争われているのだ。

日本国憲法は、「強い者・富める者」の利益を抑制して、「弱い立場の者、貧しき者」の利益を擁護すべきとする理念を掲げている。飽くまで理念に過ぎない「弱い立場の者、貧しき者」の利益を実現する政治は、選挙によって初めて形づくられる。理念を眠り込ませることなく現実化するのが選挙という機会である。

政治を変えようと切実な声が選挙に結実すれば、医療も教育も、介護も保育も福祉も、すべてを国の負担で行う制度の実現が可能なのだ。格差と貧困を克服する社会の実現は、たとえ時間はかかろうとも、けっして夢物語ではない。その高みに至る道は、陰謀や血なまぐさい暴力によって切り開かれるのではない。あなたのもっている選挙権が唯一の武器だ。言論による説得と、自覚的な一票の積み重ねによって、もっと住みやすい社会を実現できる。アベ政治の継続で利益を得ている者たちに欺されてはならない。

まずは、立憲4党を勝たせることだ。憲法改正を阻止するだけでなく、既に損なわれている憲法の理念を修復して、弱い者に暖かい手を差し伸べる政治を実現しなければならない。壊憲4党に、分けてもアベ自民に投票してはならない。
(2016年7月7日)

「法と民主主義」大学問題特集と、参院選の結果を論じる広渡清吾氏記念講演

本日は、日本民主法律家協会(日民協)の機関誌「法と民主主義」(法民)の編集会議。
選挙期間中だが、日民協と法民の話題を提供したい。

最新刊の法民2016年6月号【509号】特集は、小沢隆一さんの責任編集で「岐路に立つ日本の大学」。
  http://www.jdla.jp/houmin/index.html

「特集に当たって」のリードの中に、小沢さんの次の一文がある。
「今日の大学と学術にかけられている攻撃に対してどのようなスタンスで立ち向かうか。大学で学び、働く者の共同の取り組みが求められている。依るべきものは、日本国憲法の23条「学問の自由」と26条「教育を受ける権利」という二つの柱である。
そしてその際、次のようなユネスコの学習権宣言(一九八五年)も手掛かりにしてはどうだろうか。
  学習権とは、
  読み書きの権利であり、
  問い続け、深く考える権利であり、
  想像し、創造する権利であり、
  自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、
  あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
  個人的・集団的力量を発達させる権利である。」

6月号の目次は次のとおり。
特集★岐路に立つ日本の大学
◆特集にあたって…………編集委員会・小沢隆一
◆現在の大学政策と学問の自由・大学の自治………中富公一
◆学ぶ権利を侵害する学生の生活・労働実態とその克服──奨学金政策の改革を………岡村 稔
◆大学と学生の学びを支える非常勤講師の諸問題と非常勤講師組合の取り組み………松村比奈子
◆国立大学への日の丸・君が代強制に抗する………成澤孝人
◆「政治的中立性」という名の怪物 ──ある市議会からの「攻撃」を受けた、ある憲法研究者の「告発」………三宅裕一郎
◆法学入門科目「現代社会と法」について──法学部教育のあり方が問われる中で………小森田秋夫
連続企画●憲法9条実現のために〈6〉憲法9条擁護のために──急加速の軍学共同とそれとの闘い………赤井純治
特別企画●東日本大震災・福島原発事故と自主避難者の賠償問題・居住福祉課題〈上〉──近時の京都地裁判決の問題分析を中心に………吉田邦彦
司法をめぐる動き・ハンセン病「特別法廷」最高裁調査報告書について………内田博文
◇司法をめぐる動き・4月・5月の動き…………司法制度委員会
◇判決・ホットレポート●三菱マテリアルとの和解について………森田太三
◇メディアウオッチ2016●2016憲法報道・メディア操作にジャーナリズムの姿勢を 争点隠し選挙と改憲問題………丸山重威
◇あなたとランチを〈№18〉………ランチメイト・横湯園子先生×佐藤むつみ
◇委員会報告●司法制度委員会/憲法委員会………米倉洋子/大江京子
◇インフォメーション●6・9「安倍政権と報道の自由」集会アピール
時評●英米流小選挙区制をとおして中華帝国ミニチュア版が再現?………志田なや子
ひろば●安倍政権が推進する国立大学の国旗と国歌………澤藤統一郎

「ひろば」は、日民協執行部や編集委員が回り持ちで自由に執筆する欄。6月号は私が書いた。本欄の末尾に掲載するので、お読みいただきたい。

7月号【510号】の特集は、新屋達之さんの責任編集で「徹底検証『改正』刑訴法・盗聴法」。改正法の解説と徹底批判、そして反対運動を振り返えり、今後を展望する論稿が並ぶとになる。

そして、8・9月合併号【511号】は、参院選の結果を踏まえての情勢討論特集号。10月号【512号】は、「憲法25条・福祉国家論」について。「法と民主主義」健在である。

なお、日民協は 来週土曜日に第55回定時総会を開催する。
 日時 2016年7月16日(土)午後1時~6時 終了後に懇親会
 会場 プラザエフ8階スイセン
その目玉企画が、広渡清吾さんの総会記念講演
 予定時刻 午後3時15分~5時
 演題「安倍政権へのオルタナティブを一個人の尊厳を擁護する政治の実現を目指す」

ほかならぬ広渡さんの「安倍政権へのオルタナティブ」論である。しかも、参院選直後のこの時期に、参院選の結果を踏まえての講演となる。会員外のご参加も歓迎。無料。できれば、事前に下記まで出席予定のご連絡を。
 電話 03(5367)5430  ファックス 03(5367)5431

また、総会では、第12回「相磯まつえ記念・法民賞」授賞式も行われる(午後5時10分~5時30分)。

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「安倍政権が推進する国立大学の国旗と国歌………弁護士 澤藤統一郎

本年5月1日の毎日新聞によると、同紙が実施したアンケート調査で、国立86大学のうち、76大学が今春の式典で国旗を掲揚し、14大学が国歌斉唱を実施したという。その内、新たに国旗を掲揚したのが4大学。新たに国歌を斉唱したのは6大学。斉唱まではしないが、国歌の演奏や独唱をプログラムに入れたのが5大学。じわじわと、「日の丸・君が代」包囲網が大学を押し包んでいくような不気味な空気がある。

 国立大学での国旗国歌問題の発端は、昨年(2015年)4月参院予算委員会における安倍首相答弁だった。「税金によって賄われているということに鑑みれば、教育基本法にのっとって、正しく実施されるべきではないか」というもの。知性に欠けるということは恐ろしい。反知性の首相であればこそ、臆面もなく恥ずかしさも知らず、堂々とこんな短絡した「論理」をのたまうことができるのだ。憲法も、歴史の教訓もまったく無視して。
 この首相発言を、盟友下村博文文部科学相(当時)が受けとめた。同年6月には、国立大学長を集めた会議で「国旗・国歌法が施行されたことも踏まえ、適切な判断をお願いしたい」との要請となり、後任の馳浩文は本年2月、岐阜大が国歌斉唱をしない方針を示したことに対し、「日本人として、国立大としてちょっと恥ずかしい」という意味不明なコメントを述べている。教育行政を司る部門の責任者の言がこれなのだから、国民の方がまことに恥ずかしい。

 だが、愚かな政権の愚かな「要請」の効果は侮れない結果となった。心ならずも政権の意向を汲んで屈服したものは、包囲網に加わる形となって抵抗者を孤立させていく。幾たびも目にしてきた光景ではないか。
 愚かな政権の愚かな「要請」は、本来その意図とは逆の効果を生じなければならない。これまで式典に国旗国歌を持ち込んでいた大学も、「文科省に擦り寄る姿勢と誤解されてはならない」「大学の自治に介入する文科省に抗議の意を表明する」として、国旗も国歌も式からなくすという見識が欲しい。
 国立大学は結束しなければならない。文科省に擦り寄る大学の存在を許せば、当然に差別的な取り扱いを憂慮しなければならないことになる。大学が真理追究の場ではなくなる虞が生じ、世人の信頼を失うことにもならざるを得ない。

 大学とは、学問の場であり、学問の成果を教授する場である。学問とは真理追究であって、大学人には、何ものにもとらわれずに自由に真理を追究しこれを教授すべきことが期待されている。言うまでなく、この自由の最大の敵対者が権力である。したがって、学問の自由とは権力に不都合な真理を追究する自由であり、教授の自由とは時の権力が嫌う教育を行う自由にほかならない。国立大学とは、国家が国費を投じて真理追究の自由と教育の環境を保障した場である。国家は学問と教育の両面に及ぶ自由を確保すべき義務を遵守するが、学問や教育の内容に立ち入ってはならない。こうして、学問は時の政権からの介入や奉仕の要請から遮断されることで、高次のレベルで国民の期待に応えることになる。

 国民の精神的自由を保障するために、権力が介入してはならないいくつかの分野がある。まずは教育であり、次いでメディアであり、そして宗教であり、さらに司法である。この各分野のすべてが、濃淡の差こそあれ政権からの攻撃の対象とされている。この各分野への攻撃は、それ自身が目的であるとともに、戦後レジームからの脱却と改憲への強力な手段ともなっている。国立大学での国旗国歌は、政権の国家主義強化の策動を象徴するテーマとなっている。けっして、これを成功させてはならないと思う。
(2016年7月6日)

醍醐聡さんの「安倍政治批判、野党共闘」ブログに思うこと

下記は、醍醐聰さんの昨日(7月4日)付ブログ。タイトルが、「安倍政治批判、野党共闘、日本共産党の政治姿勢について」というのだから、話はこの上なく大きい。
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-e4ee.html

冒頭に、「(以下は昨夜、Aさんに送ったEメールである。このブログへの転載に当たっては一部、表現を加除した)」とある。この「メールの送り先のAさん」が私だ。醍醐さんのブログは私信ではなくなったのだから、返信ではなく、ブログへの感想を書きたい。

メールをいただいたのは、「昨夜」(3日夜)ではなく、7月4日未明の4時40分のこと。この時刻のメールには、さすがに驚く。「馬力の違いを痛感」せざるを得ない。

私は、ブログ「憲法日記」を毎日書き続けている。第2次安倍内閣存立の時期と重なるこの3年余。醍醐さんご指摘のとおり、「護憲への熱意と安倍政治への徹底した批判」で貫かれているはず。そして最近は、参院選に焦点を当てている。今が、日本国憲法試練の時と意識してのこと。市民運動が背中を押してできた野党共闘を評価し、明文改憲を阻止して「立憲主義を取り戻す」運動に賛同してエールを送る立場を明確にしている。

その毎日の私のブログを丁寧に読んでいただいての醍醐さんのご意見である。私のブログに対する「異論」の提起であるとともに、護憲・リベラル派の言論への物足りなさや、危惧の表明ともなっている。そして革新運動の体質や姿勢についての問題提起でもある。

私信としてのメールでは小見出しはなかったが、醍醐ブログでは、次の小見出しが付いていて、全体の文意を把握しやすい。
 有権者はなぜ安倍政治を支持し続けるのか?
 「野党共闘」の内実を問う
 日本共産党の中途半端な自衛隊論
 内実が伴わない「立憲主義を取り戻す」の公約
 異論と真摯に向き合う姿勢こそ

この小見出しをつなぐ、ご意見の骨格は次のようなもの。
「有権者はなぜ安倍政治を支持し続けるのか?」についての分析が不十分ではないか。だから、的確な運動論が展開できていない。「野党共闘」に対する手放しの評価はできないし、共闘の中心に位置する日本共産党のポピュリズムにも危惧を覚える。とりわけ、共闘の共通目標とされている「立憲主義を取り戻す」というスローガンは無内容きわまるものではないか。このような事態で、どうしてもっと異論が出てこないのだろうか。湧き起こらねならない多様な論争が起こらないこの状態こそが何よりも問題ではないか。」

おそらく、醍醐さんがもっとも言いたいのは、次のことだ。
「今の野党共闘陣営(日本共産党も含め)には、借り物ではない、自分の言葉で、意見が異なる人々と対話する能力が決定的に欠けていると日々、感じています。」「私が指摘したような疑問、異論が政党内や支持者内から全くといってよいほど聞こえてこないことに大きな疑問、気味悪さを感じています。」「異論、批判に真摯に向き合わない体質が国民と溝を作る要因であることに、なぜ気づかないのでしょうか?」

私のブログの論調に、「意見が異なる人々と真摯に対話し説得しようとする」姿勢と能力の欠如を感じてのご指摘。これが、私だけでなく野党共闘陣営全体の欠点となっているのではないか。そのことが、護憲や革新の運動が大きくならない最大の原因であろうとのご意見なのだ。思い当たり、肯くべきところが多々ある。
以下に、醍醐さんに触発された何点かについて、私見を述べておきたい。

醍醐さんは、「安倍批判の言葉の強さではなく、多くの人の心のうちに届く言葉を選ぶことが大切だ」と示唆する。そして、多くの人の心のうちに届いて説得力を持つ言葉を選ぶためには、「有権者はなぜ安倍政治を支持し続けるのか?」をしっかり把握する必要があるとされる。民主主義がポピュリズムに堕しているから、国民が愚昧だから、という切り捨ては解答にならず、問題解決の道は見えてこない。

醍醐さんはこう言う。
「消極的な安倍支持者の主な支持の理由は、次の2つではないかと思います。
 ①安倍(自民党)政権に代わり得る受け皿が見当たらない。
 ②安倍政治に幻想を持っている。」

確かに、「安保法、憲法改定、消費税増税、原発再稼働、沖縄基地問題など、どれをとっても過半の有権者は安倍政権の中核的政策を支持していない」。にもかかわらず、内閣支持率は落ちない。それは、安倍政権への主な支持の理由が、「②安倍政治に幻想を持っている」よりは、「①安倍(自民党)政権に代わり得る受け皿が見当たらない」にあるからと言わざるを得ない。

2009年の民主党政権誕生は圧倒的な民意に支えられた画期的な展開だったが、その失敗の印象が大きい。「自民党政権はあれよりマシ」、「もう、チェンジのリスクをとりたくない」というのが、「ポスト民主党政権」のトラウマとして国民意識に定着している。だから、現政権への国民の支持は消極的なものだが、それにも拘わらず現政権に代わるべき受け皿としての認知されることへのハードルは高い。果たして、現在の「野党共闘」はそのような内実をもったものになっているか。

醍醐さんは、端的に「冷めた見方」だという。私も、野党の共闘は緒についたばかり、政権を担う受け皿としての成熟度が十分とまでは思わない。しかし、改憲阻止という喫緊の課題における現実的な対応としてはこれ以外にはなく、また大きな役割を期待できるとも思っている。裏切られる可能性もなくはないが、このたびの野党共闘は幅の広い市民運動が土台にあってつくり出された側面が大きい。今後とも、市民運動が政党を後押ししながら「野党+市民」の運動が展開される展望をもつことができる。野党の一部が裏切るか否か、それは国会内外の運動の進展如何にかかっていると思う。

なお、正直言って、立ち止まって考えている余裕はないのではないか。今回選挙に、市民主導で野党共闘が実現したことは、「ようやく間に合ってよかった」と、明文改憲阻止のために積極評価したいと思う。醍醐さんが提唱される「市民が主体的に無党派の候補者を擁立し、それを既存の野党も共同推薦するという形」は、やや違和感を否めない。市民と政党を、あまりに開きすぎた距離ある存在ととらえている印象。また、私は小林節グループの運動には批判的な意見をもっている。

日本共産党の自衛隊論については、醍醐さんのご指摘は、かつては常識的なものだったと思う。「ポピュリズムが透けて見えます」というのは、そのとおり。しかし、選挙は勝たねば意味がないという面を否定し得ない。私は自衛隊違憲論だし、共産党もそのはず。それでも、「安保関連法の違憲性を主張しながら、法を施行する際に武力行使の中核を担う自衛隊の違憲性は棚上げするという議論」は、あり得ると思う。現に、昨年の安保法(戦争法)案反対運動は、「自衛隊違憲論者」と「専守防衛に徹する限り自衛隊合憲」論者の共闘として発展した。

私は、個人崇拝も党崇拝もしないが、「共産党の理性はどこまで劣化するのか、計りかねます」というほどには悲観的でない。党の内外からの批判の言論が大切なのだと思う。その意味では、醍醐さんのご意見は、私にではなくむしろ日本共産党に向けられたものとして貴重なものでないか。

醍醐さんのブログの最後は、次のとおりの、革新派の体質問題である。
「上のような疑問を向けると、必ずと言ってよいほど『利敵行為論』が返ってきます。宇都宮選挙の時も体験しました。しかし、異論、批判に真摯に向き合わない体質が国民と溝を作る要因であることに、なぜ気づかないのでしょうか?「今は○○が大事だから」という物言いで、組織の根深い体質にかかわる問題や自らの政策に宿る未熟な部分を直視しない態度を、いつまでとり続けるのでしょうか?」

これは、一面は私への苦言である。私は、「改憲派に議席の3分の2をとられかねない緊急事態なのだから、明文改憲阻止勢力の共闘が大義」と言っているのだから。しかし、その私も、宇都宮選挙を担った「市民グループ」の質の悪さや未熟さと、これを推した日本共産党の無責任を身をもって経験している。

「大所高所」論やら、「大の虫・小の虫」論、「利敵行為」論、さらには「今は○○が大事だから」論のいやらしさは身にしみている。「組織の根深い体質にかかわる問題」や「自らの政策に宿る未熟な部分」を直視してもらいたいという願望は人一倍強い。その私も、場面場面でのご都合主義に流されかねない。

醍醐さんは、類い希なる原則主義者として、その私のご都合主義に警鐘を鳴らしているのだ。こういう人の身近な存在は、得がたい好運というほかはない。

「改憲派に議席の3分の2をとられかねない緊急事態なのだから、明文改憲阻止勢力の共闘が大義」と今の私は考えているが、「今は○○が大事だから」論のご都合主義に毒されているのかも知れない。選挙の結果が出たあとも、秋の臨時国会も、このあとに続く改憲派と護憲派のせめぎあいを、醍醐さんの指摘の視点をもって見続けたい。
(2016年7月5日)

「日本のこころ」とは、國体思想のことなのだ

今回参院選の勢力関係構図は分かり易い。
右翼アベ自民とこれを支持する公明が改憲勢力を形づくり、左翼リベラル4野党連合が反改憲でこれに対峙する。この両陣営対決のはざまに、おおさか維新という夾雑物が存在するという2極(+α)構造なのだ。

アベ自民が保守ではなく、自身が右翼勢力となっているため、与党をより右へとひっぱる極右政党の存在理由がなくなっている。次世代の党から党名を変えた「日本のこころ」は、そのような極右政党として存在意義を失い、今回参院選で政党要件を失うことになる。次回参院選では消滅の運命にあると言ってよい。

この政党は出自から怪しい。日本維新の会の分裂から、立ち上がれ日本、太陽の党、次世代の党を経ての日本のこころ。この変遷を記憶する人もすくなかろうし、記憶を確認するに値もしない。但し、関わった極右政治家の名前くらいは記憶に留めておこう。石原慎太郎・平沼赳夫・西村慎吾・田母神俊雄・中山成彬…といった面々。

次世代の党が「日本のこころを大切にする党」に党名変更したのは昨年(2015年)12月。「日本のこころ」とは、中山恭子によれば、「穏やかさや誠実さ、良心など、日本人が誰でも持っている精神」なのだそうだが、石原慎太郎・平沼赳夫・西村慎吾・田母神俊雄・中山成彬という面々からの印象は、「穏やかさや誠実さ」などというものではない。「傲慢・不遜・上から目線・差別主義・排外主義・好戦性・遵法精神の欠如・開き直り・老害」などというところではないか。「日本の心」の伝統の中に、そのような悪しき部分のあることを認めざるを得ない。その意味では、適切なネーミングなのかも知れない。

党名変更の理由は、中野正志によれば、「国政選挙でも地方選挙でも次世代の党名が受け入れられなかった厳しい現実がある。党名を一新して新しい気持ちで臨むしかない」というのだ。ジリ貧を党名変更で挽回しようといういかにも姑息なのだが、正直でもある。もっとも、党名変更をめぐっては江口克彦参院議員が「独断強行に進められている事態は民主主義の党運営に反する」と反対し、結局離党した。これも、「日本の心」的なものであろうか。

現在、「こころ」の衆院議員はゼロ。都道府県議会議員も0。参院3(いずれも今回非改選)で、今回参院選では選挙区10,比例区5の立候補者を擁しているが、衆目の一致するところ、1議席の当選も無理であろう。「比例区の得票率2%以上」も絶望で、政党要件を失うことが確実。

以下は、ホームページでの代表就任挨拶の抜粋である。
この度、日本のこころを大切にする党代表を務めることとなりました。石原慎太郎先生、平沼赳夫先生の想いをしっかり受け継ぎ、更に発展させて参ります。
…… 
自主憲法の制定、安全保障の確立、教育再生、行財政改革、地方分権の推進、社会保障制度の抜本改革など何れも直ぐに取り組まなければならない大きな課題です。これからも新しい「国のかたち」を築く活動を続けて参ります。…日本の国柄、日本人の精神のこもった自主憲法を制定します。
今、「日本のこころ」が失われつつあります。…私たちは、日本が長い歴史のなかで育んできた風俗、習慣、文化に息づく「日本のこころを大切にする」政策を推進し、明るく、温かな社会を創って参ります。

その政策の柱は、「誇りある日本を取り戻そう」というナショナリズム。
Policy 1 日本人の手による自主憲法の制定を
Policy 2 拉致被害者全員の救出を
Policy 3 日本の歴史・文化をいかした政策の実現を

今回参院選挙公約の第1に、「我が党は、長い歴史と伝統を持つ日本の国柄と日本人のこころを大切にした、日本人の手による自主憲法の制定を目指す。」がある。その自主憲法の目玉は次の4点とされている。
1.憲法上の天皇の位置付けを検討
2.国家緊急権に関する規定の整備
3.自衛のための戦力の保持
4.憲法改正の発議要件の緩和

この政党の選挙公約の1丁目1番地に「憲法上の天皇の位置づけ」が出て来ることに驚くべきか、驚かざるべきか。「自主憲法における天皇の位置付けの検討」といえば、現行日本国憲法の「象徴天皇制の見直し」以外にはない。元首化にとどめるのか、統治権の総覧者とするつもりなのか。いずれにせよ、「日本のこころ」とは、結局は天皇を中心とする国民精神のあり方、國体思想を意味するということなのだ。

1丁目2番地が「国家緊急権」規定で、以下「9条改憲」と「96条改憲」。この点は、アベ改憲路線の応援団の役割が意識されている。

こんな前世紀の遺物のごとき政党への支持は、この社会を枯死させかねない。多くの有権者にとってけっしてためにならない。だから心から申しあげる。「およしなさい。日本のこころへの投票など」。

蛇足ながら戯れ歌を献呈する。

こころこそ 心惑わす こころなれ
こころ見据えて 心許すな

こころには 心許すな 票やるな
心してこそ 心なおけれ

心せよ こころがかくす 下心
心尽くして 見抜け心を
(2016年7月3日)

大阪維新は改憲政党である

おおさか維新の会が、「2016年参院選マニフェスト」を公表している。
その公約集のタイトルが、「維新が変える。改革メニュー13」というもの。そのメニューの第1が、驚くなかれ「憲法改正」なのだ。もっとも、アベ自民の改憲草案と同工異曲では埋没するのみ。独自色がないはずはない。総論でのメニューには「憲法改正による教育無償化、道州制実現を含む統治機構改革、政治家改革」と書いてある。これが、トップに掲げられた公約である。

そこで、具体的な改憲内容に興味が湧くことになる。「教育無償化」と「道州制」についてはイメージが湧く。しかし、憲法改正のテーマとしての「政治家改革」ってなんだろう。

ところがマニフェストの具体的項目に目を通して見ると、次の3項目となっている。
(1) 教育の無償化
(2) 道州制実現を含む統治機構改革
(3) 憲法裁判所の設置
あれあれ。メニュー1の憲法改正による「政治家改革」はどこに行っちゃったの?

この(3)の「憲法裁判所の設置」は、「(2) 道州制実現を含む統治機構改革」の一部をなすものだろう。「政治家改革」という言葉は、メニュー2の「身を切る改革・政治家改革」の中にはある。しかし、当然のことだが憲法改正と結びつく内容としては語られていない。メニューのトップに置かれた「憲法改正による政治家改革」は文字通りメニューだけ。料理としては出てこない。

要するに、このマニフェストは真面目に読む有権者の存在を想定していない。メニューのトップに掲げた「憲法改正」問題についてこのありさまだ。相当ないい加減感覚で作成されたものというほかはない。これが、この政党の政策レベル。真面目さレベル。以下、まともに論評することに徒労感がつきまとう。

もちろん、「教育の無償化」という政策が悪かろうはずはない。しかし、維新の公約のキモは、「教育の無償化」を改憲と結びつけているところにある。これは「甘い罠」といわねばならない。気をつけよう、「甘い政策とおおさか維新」なのだ。

マニフェストの当該部分は、「すべて国民は、経済的理由によって教育を受ける機会を奪われないことを明文化。」「機会平等社会実現のため、保育を含む幼児教育、高等教育(高校、大学、大学院、職業訓練学校等)についても、法律の定めるところにより、無償とする。」という。これが全文。

「教育を受ける機会を奪われないことを明文化」とは、憲法に明文規定を置くという意味だろう。そして、憲法に「法律の定めるところにより、無償とする。」という条文を設けるという趣旨なのだろう。しかし、そんな迂遠な手間ひまをかける必要はない。憲法改正手続を待つことなく、すぐにでも教育無償化法案を提出すればよいことだ。予算はたいしたことはない。F35とオスプレイの買い付けをやめ、辺野古新基地建設を断念してその費用を転用するくらいで、十分ではないか。それで足りなきゃイージス艦も要らない。要はプライオリティの問題なのだ。

現行日本国憲法26条1項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めている。その子どもの教育を受ける権利に対応する義務の主体は、「社会全体 (大人一般)」とされている(旭川学テ大法廷判決)。もちろん、「社会全体 (大人一般)」とは政府も議会も含む概念だ。「経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない」ことこそ、現行日本国憲法の現代憲法としての面目である。憲法改正をしなければ実現しない課題ではないのだ。

憲法改正を要しない政策課題をことごとしく憲法改正テーマとして押し出す維新の底意はどこにあるのか。アベ改憲志向政権へのスリよりである。改憲という重要テーマを軽く見せることで、政権に秋波を送っているのだ。「憲法改正なんぞはたいしたことではない。安倍自民党の改憲提案を拒絶しませんよ」というシグナルでもある。

道州制については、もう言い古されてきた。地方自治強化の名で、実は国の福祉機能と責任を切り捨てる新自由主義政策の目玉の一つである。福祉を切り捨てて法人税軽減の財源とすべしという財界による財界のための政策。

そして、統治機構改革としての「憲法裁判所」。
「政治・行政による恣意的憲法解釈を許さないよう、憲法裁判所を設置する」という。マニフェストには掲載されていないが、報道では「12人の裁判官で構成し、一審制とする」という。憲法裁判所は、具体的争訟とは無関係に法令の合違憲適合性の審査権を持つ裁判所をいう。うまく機能すれば、「政治・行政による恣意的憲法解釈を許さない」役割を果たすことになる。しかし、その反対に、「立法や行政に、迅速に合憲のお墨付きを濫発する」機関にもなりかねない。実はアベ政権が喜びそうな改憲案なのだ。

ドイツや韓国ではかなりうまく機能しているようだが、果たして日本でも適正な運用が期待できるかどうか。私は懐疑派である。この点慎重を要する問題というほかはない。

以上の憲法問題だけからも、おおさか維新の基本的な立ち位置が見えてくる。政権に擦り寄りながら票を集めねばならない、ということなのだ。

かつては「みんな」や「維新」を第三極といった。この表現には、政権与党と野党の対立軸とは、別の平面に位置しているという持ち上げのイメージがある。今、それはない。注目すべきは、維新自身が、政策の独自性発揮に苦労を隠していないことである。

マニフェストに「維新は他党とここが違う」という1項目が設けられている。わざわざ、そう言わなければならない苦しさが滲み出ている。しかも、そこに掲げられている表をよく見ても、他党との違いは見えてこない。

自らつくったこの表は、「民共」を左欄に、「自公」を右欄において、その中間の「維新」の政策が、左右の欄の政策とどう違うかを際たせようというもの。この表を見ると、「民共」対「自公」の対立はよく見えてくる。しかし、維新の独自性はよく見えない。目立つ独自政策は、あっけらかんとした「TPP賛成」くらいではないか。この点は新自由主義政党としての面目躍如というべきだろう。とても、全国で有権者の支持は得られまい。

たとえば、毎日が松井一郎について、こう言っている。
「初の大型国政選挙に挑むおおさか維新の会は憲法改正に賛成し、安倍政権には是々非々の立場。『自公』対『民共』が注目される中、いかに埋没を防ぐか。橋下徹前代表の政界引退で、『党の顔』としての重責を背負う」
これが、維新の今の立場をよく表している。要するに、票を取ろうと思えば、政策は『民共』に似てこざるを得ないし、さりとて「自公」に擦り寄るメリットは捨てられないし…。喜劇のハムレットなのだ。早晩消えゆく政党ではあるが、消えるまでに改憲の土台を整備し、改憲ムードという遺産を残されたのではたまらない。

赤旗は辛辣だ。
「『身を切る改革』を参院選の公約の1番目に掲げる、おおさか維新の会。一方で、母体となる地域政党・大阪維新の会の議員による政務活動費の不正支出は後を絶ちません。
 たとえば、堺市の小林由佳市議は、印刷や配布の実態がない政策ビラの代金などに計約1040万円を支出。返還をめぐって訴訟にまで発展しています。北野礼一元堺市議は、ゴルフコンペの景品購入代などに約1050万円を支出し、辞任に追い込まれました。
 大阪市の伊藤良夏市議は、トヨタの高級車「レクサス」の購入費の一部に政務活動費を充てていました。
 言行が一致しないのは、政務活動費の問題だけではありません。
 兵庫県議会で維新は、一昨年末に期末手当(ボーナス)を引き上げる議案に賛成しました。神戸市議会でも同年、議案の共同提案者となってまでボーナスを引き上げました。
 『退職金をゼロにした』と訴える松井一郎代表(大阪府知事)も、実際には廃止分を毎月の給与に上乗せし、総額で348万円も給与を増額させただけです。
 政党助成金についても、『必要経費』と言って手放しません。
 選挙のたびに『身を切る』と叫んで政治家としての『身分』を守り、公約をほごにして税金で身を肥やす。これが、おおさか維新の会が唱える『身を切る改革』の実態です。」

おおさか維新に集まる連中の質の低さは、赤旗が指摘するとおりである。問題議員はもっともっと多くいる。それが、この党の抱える本質的問題と言ってよいかどうかは分からない。しかし、おおさか維新は政党助成金をぬくぬくと受領し、けっして政党助成金の制度廃止を言い出さない。このことだけで、身を切る改革の本気度を信じることは到底できない。

こんな不誠実な政党への支持は、多くの有権者にとって自らの首を絞めることと強く警告せざるを得ない。だから申しあげる。「およしなさい。おおさか維新への投票」。
(2016年7月2日)

公明党の公約には、「憲法」も「沖縄」もまったく出てこない。

はや7月である。今年も半分が過ぎた。この秋はどのような秋になるだろうか。暮れはどうだろう? 鬼が笑っているだろうか。それとも鬼も哭いているのだろうか。

今月10日に参院選投開票。そして、31日には都議選である。とりわけ2016年参院選の結果は、日本の将来を大きく左右することになりかねない。憲法と日本の命運のかかる選挙である。

今日を含めて選挙運動ができる期間は、あと9日。当ブログも精一杯、野党共闘の側の勝利のための記事を書き続けたい。

今日は公明党を取り上げる。自民党の下駄の雪と揶揄されつつも、壊憲与党を支える大勢力となっている。昔は、「平和の党」や「福祉の党」を称したが、今、その面影はない。

公明党の参院選政策集に、憲法問題への言及のないことが話題となっている。自民党のように「隅っこに小さく」さえも載せない。自民党のように「もごもごと曖昧に」語ることすらしない。

公明党の選挙政策集は「希望が行きわたる国へ」という21頁に及ぶものだ。大項目で6、小項目では52の政策を掲げている。そのなかに、憲法がまったく出てこないのだ。護るとも、活かすとも、付け加えるとも、語るとも、論ずるとも、変えるとも、なくするとも言わない。まったくのダンマリ。国民の間に憲法や立憲主義についての関心がこれだけ高まっているときに、国の行く末を左右するこの大問題への徹底した沈黙は、不気味というほかはない。

大項目の第5項が、「安定した平和と繁栄の対外関係」。この中には、「アジア太平洋地域の平和と繁栄の構築」という小項目がある。しかし、ここでも中国に対する侵略戦争や、韓国に対する植民地支配に関する歴史認識はまったく語られていない。そもそも憲法の理念を語る姿勢に欠けていると指摘せざるを得ない。憲法問題については完全なフリーハンドを留保しておきたいという意思表示なのだろう。こんな政党に投票できるだろうか。

公明党の選挙公約に欠けているのものは「憲法」だけではない。実は、「沖縄」も出てこない。「普天間」も「辺野古」の文字もない。もちろん、「海兵隊」も「カデナ」も「オスプレイ」も「地位協定」もない。公明党は、いったい国と沖縄の深刻な対立問題をどう考え、どう対応しようとしているのか。その方針について、民意の審判を受ける意思はないというのだろうか。

しかも、である。辺野古新基地建設に伴う大浦湾の公用水面埋立問題に関わって、沖縄県知事の埋立承認取消を執行停止とし、埋立工事の続行を強行させた悪名高い国交大臣は、公明党所属の石井啓一ではないか。辺野古埋立を是とするのであれば、堂々と公約に掲げて民意の審判を仰ぐべきが当然ではないか。

選挙遊説でも、公明党の幹部は憲法も沖縄も語らないという。しかし、両テーマとも日本の政治の根幹に関わる大問題である。有権者の関心もきわめて高い。これに触れない公明党の選挙公約を、いったい何と評すべきか。

「2014年衆院選や13年参院選の公約では、憲法に新たな条項を加える『加憲』の項目があったが、今回は触れていない。山口那津男代表は(6月)9日の記者会見で『今回の選挙は、憲法改正の成熟した選択肢が実現していないので、争点にはならないと考えている』と説明した。」(毎日)
これは、論理的に破綻している。前回・前々回選挙では成熟していた憲法改正の選択肢が、今回選挙ではその成熟がしぼんだとでもいうのであろうか。事態はまったく逆であることが明らかだ。要するに公明党は、都合の悪いことからは逃げているだけのことなのだ。

憲法についても沖縄についてもホンネを語らず、きれいごとだけを並べてごまかして、票だけはいただこうという、姑息な魂胆が透けて見える。これが公明党の流儀というほかはない。このような真摯さと誠実さに欠ける政党の集票活動に有権者は惑わされてはならない。

この公明党の姿勢への反発を「日刊ゲンダイ」が報じている。「公明党まさかの大苦戦 比例区に手回らず支持者離れも深刻」という表題。

「支持者を裏切った結果か。公明党が真っ青になっている。参院選で予想外の苦戦をしているからだ」というリードで始まっている、その記事の中に次の取材コメントが紹介されている。
「公明党は定数が増えた選挙区に次々に候補者を擁立しています。愛知は9年ぶり、兵庫と福岡は24年ぶりに立てた。パワーが分散されたためか、埼玉と兵庫は大苦戦している。埼玉は最後の1議席を共産党と争い、兵庫は民進党と競り合っている。焦った公明党は、安倍首相に泣きつき、埼玉と兵庫の公明党候補の応援演説をしてもらっています。もし、2つの選挙区を落としたら、山口那津男代表の責任問題になるでしょう」(公明党事情通)

「公明党の支持者は、公明党を“平和の党”“福祉の党”と信じて支持し、選挙になれば知り合いに投票をお願いする、いわゆる“フレンド票”を集めてきた。ところが公明党は、“戦争法案”成立に突っ走った。あれで、熱心な支持者ほど離れてしまった。今回、“自分は公明党に一票を入れるけど、フレンド票は集めない”と口にする人も多い。比例票が激減する可能性があります」(公明党関係者)

同様の報道は、複数見られる。私には選挙情勢や党内事情についての真偽を判断する術はない。しかし、かつては平和を語って平和憲法擁護の立場を明確にし、福祉を語って民衆の支持を集めていた政党のこの様変わりである。戦争法を強行採決し、弱い者イジメの新自由主義政策に加担している公明党に、かつての真面目な支持者が愛想をつかして公明党離れをしつつあるということは、大いに納得できる。

こんな不誠実な政党への投票は、多くの有権者にとって自らの首を絞めることと強く警告せざるを得ない。だから申しあげる。「およしなさい。公明党への投票」。
(2016年7月1日)

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