澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

伊藤詩織・大坂なおみ両氏の、この社会での飛び抜けた影響力。

(2020年9月24日)
米誌タイムは、例年「世界で最も影響力のある100人」を選出して発表している。「パイオニア(Pioneer)」「Artists(アーティスト)」「Leaders(リーダー)」「Titans(巨人)」「Icons(アイコン)」の5カテゴリーに分けてのこと。

昨日(9月23日)今年の「100人」が発表になった。日本からは、2人の女性が選出されている。自らの性暴力被害を公表しているジャーナリスト伊藤詩織さんと、人種差別反対を訴えているテニスプレーヤーの大坂なおみさんである。伊藤さんについては「勇気ある告発」で日本人女性の在り方を大きく変えたと評価され、大坂さんについては、全米オープンの場で人種差別に抗議、スポーツの領域を超えた存在感を示したと紹介されている。

伊藤さんの選評は、社会学者の上野千鶴子さんが執筆しているという。伊藤さんの告発を機に、日本でほかの女性もセクハラ被害に声を上げるようになったことなどを紹介し、「勇気ある告発で、日本人女性の生き方を永遠に変えた」などとした。

この2人が、今の日本で「最も影響力のある人物」という、タイムの見識に敬意を表さねばならない。今年は、アベ晋三やスガ義偉を選ばず、小池百合子や吉村洋文も、そしてトヨタやホンダの経営者も無視したセンスに肯かざるを得ない。

タイム誌のフェルセンタールCEO兼編集長は「(コロナ禍や反人種差別デモで)6カ月前には考えられない顔ぶれになった。政府首脳ら伝統的な権力者だけではなく、あまり知られていないが素晴らしい人たちも多く含まれている」と述べたという。なるほど、そのとおりとなっている。

さて、伊藤詩織さんである。上野千鶴子さんの選評は、「彼女は性被害を勇敢にも告発することで、日本人女性たちに変化をもたらしました」と評価。「彼女は日本の女性たちにも#MeToo運動に加わることを後押しし、全国の女性たちが花を持って集まり、性被害の経験について語ることで、性暴力に抗議するフラワーデモにも火をつけました」とのこと。

彼女は2017年、山口敬之・元TBS記者から性行為を強要されたことを記者会見で公表した。この件は、刑事事件としては嫌疑不十分で不起訴となり、検察審査会でも「不起訴相当」と判断された。山口敬之と官邸との親密な関係から、この不起訴にまつわる濃厚な疑惑を払拭できない。

その後、伊藤さんは山口を相手に民事訴訟を提起し、2019年12月の一審・東京地裁で勝訴判決を得た。この判決は、「合意のないまま本件行為に及んだ事実」などが認められるとして不法行為の成立を認定している。また、いわゆる「セカンドレイプ」に当たる誹謗中傷表現について、漫画家のはすみとしこや議員の杉田水脈らの責任を追及して損害賠償を求める訴訟を起こしてもいる。

彼女は今回の発表の後、「私の中ではまだまだ変えていくべきところの途中にいると思っています。選ばれたことを見たとき、確実な一歩が踏めたんだなという気持ちになりました」と話したという。

彼女が選出されたカテゴリーは、「パイオニア(Pioneer)」部門であるという。彼女は、その行動によって日本のジェンダー意識を変えた。ジェンダー文化を変革したと言ってもよいかも知れない。まさしく「パイオニア(先駆者)」なのだ。このジェンダー不平等社会を代表する山口敬之や、官邸まで繋がる一連の人脈の男性たち。そして、はすみとしこや杉田水脈ら、多くの野卑な女性たち。こういう人たちの存在の中での、泣き寝入りを拒絶した勇気ある行動が、彼女を「パイオニア(先駆者)」たらしめているのだ。

そして、大坂なおみさんである。こちらは2年連続の選出だが、今年の重みは昨年の比ではない。彼女は、アメリカで広がっている警官による黒人への暴行に抗議する「Black Lives Matter」の主張に賛同して、2020年全米オープンでは、犠牲になった黒人の名前をプリントしたマスクを7着を用意して試合に望み、全7試合に勝利した。

彼女には、「スポーツの場に政治を持ち込むな」「スポーツと政治は混同させるべきではない」という、非難が浴びせられる。だが、このような、ネトウヨ諸君からの誹謗や中傷あればこそ、輝きを増す勇気ある行為であり褒むべき影響力なのだ。

「スポーツの場に政治を持ち込む」とはいったいどんなことなのか、「Black Lives Matter」は「政治」なのか、それがなぜ非難されるべきことなのか、非難する者からの説明は一切ない。

大阪さん自身は、「アスリートは政治に関与してはいけない、ただ人を楽しませるべきだと言われることが嫌いです」とはっきりと表明し、「第一に、これは人権の問題です。第二に、なぜ私よりもあなたの方がこの問題について『話す権利』があると言えるのでしょうか? その論理だと、例えばIKEAで働いていたら、IKEAの “グローンリード”(ソファのシリーズ)のことしか話せなくなりますよ」と小気味よく反論している。

報道されている中で、「天気やランチの話をするように、人権について話をすべき」という賛同のコメントが、素晴らしい。

彼女も、日本女性やアスリートの文化を変えた。自分の信念を堂々と表現してよいのだ。とりわけ、人権について、差別についての、見て見ぬふりの沈黙はむしろ『裏切り』でさえある。彼女の発言は、まことに爽やかである。確かに、影響力は大きい。

死刑制度存廃の議論は、もっと真面目に、もっと真正面から。

(2020年9月15日)
9月24日、東京弁護士会が臨時総会を開く。その第2号議案が、「死刑制度廃止に向け、まずは死刑執行停止を求める決議」(案)の件である。

その趣旨は、「死刑制度廃止は望ましい方向だが、議論はまだ十分に煮詰まっていない。性急に廃止の結論を出す前に、まずは弁護士会として死刑執行停止を求める決議」を成立させようというもの。

死刑制度の存否は、刑事政策・司法制度の重要テーマである。倫理・哲学・死生観・社会観・刑罰の本質論、そして被害感情や死刑冤罪の防止等々から、深刻な議論が尽きない。

死刑廃止論も存置論もそれぞれが十分な根拠をもっていることを認め合わねばならない。が、そのうえで、死刑制度を存続させてよいのかを常に問い直さねばならない。そして、死刑制度の存廃について結論を出さねばならない。とりわけ、人権擁護を使命とする弁護士・弁護士会は、議論をすること、態度表明することを避けて通ることができない。

私は、死刑廃止論を強く支持する。人権尊重を第一義とする国家が、犯罪者であれ国民の生命を奪う制度を合法的に持てるとは思えないからである。被害者の人権が重要であることは当然である。しかし、加害者の生命を奪うことが、被害者人権尊重の唯一の手段だとはどうしても思えない。とりわけ、相次いだ死刑確定4事件(免田・財田川・松山・島田事件)の再審無罪判決以来、死刑廃止論の妥当性は私の確信となった。

盛岡に居たころ、松山事件の死刑囚だった松山幸夫さんが我が家を訪ねてこられたことがある。再審無罪判決の直後、母親のヒデさんとご一緒だった。短い時間だったが、「この人が、死刑台から生還された方か」と感無量だった。その以前、ヒデさんが仙台の街角に、息子の無実と再審無罪を訴えて一人立っていたのを、何度か見かけている。どんなにか、息子の「死刑判決」が辛かったことだろうか。

このとき、我が家の一員だった、30キロを超すチャウチャウが斎藤幸夫さんを熱烈歓迎して、その顔をなめまわした。30年近くも拘禁されていた斎藤さんが、なんとも上手に犬と楽しそうに遊んだことに驚いた。およそ「死刑囚」という印象とは縁遠い人柄。人なつっこく明るい印象だった。

弁護士なら、みな死刑廃止論かと言えば、決してそうではない。強い存置論がある。私は、死刑存置論者の主張にも敬意を払ってきた。が、いずれは死刑存置論は勢いを失うだろうと確信もしてきた。今、世界を見わたせば、文明社会の趨勢は明らかに死刑制度は廃止に向かっている。

世界の趨勢に比して、日本における廃止論の成熟は遅々としている。日弁連が廃止論をリードしていることをありがたいと思う。その日弁連の姿勢については、下記URLを参照されたい。

死刑制度の問題(死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部)
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/criminal/deathpenalty.html

そのような最中、死刑存置論者のグループが、東弁の臨時総会に向けて「2号決議反対」のキャンペーンを始めた。私の事務所にも、「東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。」というビラが、郵送されている。ビラの内容は、後掲のとおりである。

死刑制度存置論を揶揄したり軽蔑する気持ちはさらさらない。しかし、このビラの内容が、全部とは言わないが、どうにも薄っぺらで浅薄なのだ。死刑制度存廃についてのこんな議論のしかたが、どうにも情けない。この郵送されたビラを見て、敢えて一言せざるを得ないという気持ちにさせられた。

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ビラで、まず引っかかったのは、次の一行。

「我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。」

「犯罪から国民・市民を守る」のは、第1次的には公権力の行使者である警察・検察や司法当局の役割であって、決して「我々弁護士」の役割ではない。「我々弁護士」は、公権力行使に逸脱がないかを厳正にチェックすることで、「権力から国民・市民の人権を守る」ことを本務とする。このビラを作ったグループには、弁護士とは異質な権力的な臭みを感じざるを得ない。

また、次の一節。

「私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。」

このビラを作ったグループにとっては、死刑制度廃止は「業務に支障あるのよねぇ。だから反対」というのだ。この議論のしかたは、弁護士としてあまりに志が低くはないか。人権や社会正義の視点から、考え直していただけないだろうか。

このビラの随所に出て来る以下の議論のしかたも、明らかにミスリードというべきであろう。真正面の死刑制度存廃の議論からは逃げていると指摘せざるを得ない。

強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ~。

会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。

問われているものは、純粋に「死刑制度存廃の当否」(今回の決議案では、「死刑執行停止の当否」)である。言うまでもなく、死刑制度の存否は国民の人権と深く関わる重大な問題である。だから、弁護士会が人権に関わる課題として、死刑制度に関して会則に則って「建議及び答申」をすることは、会の責務と言ってよい。これを「思想統一するような決議」「何が正義かを多数決で決める」と問題をすり替えてはならない。「強制加入団体が」「一部の意向で」と、ことさらに作為を凝らすのも真っ当な議論のしかたではない。成立した決議は、決して会員個人の思想と直接の対峙や軋轢を生じる関係にはない。もちろん、死刑の廃止は自分の個人的な思想や信念との深刻な衝突を来すという人もいるであろう。しかし反対に、死刑の存続こそが自分の個人的な思想信条との堪えがたい葛藤を来しているという人もいるのだ。個人的な思想や信念は、この局面では問題とならない。「死刑制度存廃の当否」を議論し決議することを「問題だわ~」と非難される筋合いはない。

さらに、「死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…」という主張。問題を客観視し全体像を眺める姿勢に欠けること甚だしい。

今、袴田巌さんとその姉の秀子さんのことをお考えいただきたい。あるいは、最高裁で8対7の1票差で死刑が確定した竹内景助さんのご遺族のことも。明らかに、「死刑存続運動を見るだけで傷つく」人もいるのだ。誰もが、人を傷つける活動に参加したくはない。しかし何もしないことも人を傷つけるのだ。死刑制度の存廃を論じることが避けて通れない以上は、単にひとつの局面だけに焦点を当てるのではなく、全体をよく見ての議論でなくてはならない。

下記も、不真面目で不見識な議論ではないか。

「東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?」「そんなに使ってんの!」

「弁護士会は、金がかかる人権問題に取り組むな」というメッセージである。人権擁護の使命を全うするために、ある程度の費用がかかることはやむを得ない、予算規模や決算については意見を述べて然るべきだが、こういう不真面目な議論の仕方はあらためなければならない。

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9/24臨時総会
やっぱり、東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。

未だに多くの凶悪犯罪があるのに、東弁の『総意』が死刑廃止って決めていいの?
強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
「日弁連の要請があるから」で、決議しちゃっていいの?
死刑検討協議会が「意思統一できない」って言ってるのに無視していいの?

この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ~。

死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。
私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…東弁は、いろいろな立場の会員のことを考える、そういう寛容な会であって欲しいです。

関弁連アンケートで、廃止派の弁護士が46%ってハガキで見たけど、回答率は6%だって。死刑廃止に熱心な人はアンケートに答えるから、6%×46%=2.76%!! 大半がサイレントマジョリティなんだね。

私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。

東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?

そんなに使ってんの!しかも、コロナなのに臨時総会って不要不急だし!
やるべきことはもっと別にあるんじゃないの?

会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。誤判・えん罪は、絶対にあってはなりませんが、そのためにはえん罪の防止を検討すべきです(スーパーデュープロセス等)。

個々の事件での死刑量刑の適否と、制度としての死刑を廃止するかどうかは別問題であり、誤判・えん罪の問題は死刑廃止の論拠となりません。

執行部は、「日弁達の要請で、京都コングレスが開かれる今年決議したい。長々と時間をかけていられない」と述べ、昨年12月半ばに突然、関連委員会と会派に意見照会しました。
東弁の死刑制度検討協議会(死刑存廃を検討するために設置され、刑事系委員会から委員が選出されて設置された)は、この議案について「撤回されるべき」「賛否両論あり、統一的な回答はできない」と回答しており、他の委員会等からも同様の回答や、慎重な検討を求める回答が多くありました。
執行部は「多<の反対意見や慎重意見があることは承知している」と言いながら「全会員アンケートはとらない」と述べています。昨年決議した札幌弁護士会は、執行部が問題提起した後1年内に2度にわたり全会員アンケートを実施しています。なお、昭和56年の東京三会弁護士ァンケートでは60.4%が死刑存置。廃止は39.6%でした。また、弁護士会がどう対処すべきかについて、63.9%が「存置論、廃止論の両説のあることをふまえたうえで継続的にこの問題に取り組むべきである」との回答でした。
東弁が死刑廃止を表明するにつぃて、会内の適正な手続が踏まれ、議論が尽くされ、会内意見が一致団結してまとまったとはぃえません。なお、千葉県弁護士会では、総会決議が否決されました(今年2月)。今年3月にほぼ桔抗した票数で可決した埼玉弁護士会も、一昨年には否決されています。

国民・市民の8割以上は、死刑制度を存置する意見です。令和元年11月の調査は80.8%が賛成で前回調査(平成26年11月)から微増しました(終身刑※を導入した場合も同様)。「国民の理解が得られないのではないか」との質問に、執行部は具体的な回答ができず、これまでも国民の理解を得るための活動をしていません。理解が得られない意見表明は、国民一市民の反感を招き、弁護士自治を危険にさらします。執行部は、弁護士自治のリスクについて「そうならないと信じたい」と述べるだけで、何ら危機感をもっていません。あえて弁護士自治を危険にさらすよりも、我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。

弁護士会は、コロナウィルス感染症拡大に伴う諸問題、司法・訴訟制度の具体的な在り方や、法テラス扶助償還免除、法律事務独占に関する他士業際問題、東弁財政赤字削減、若手支援、谷間世代支援など、もっと他にやるべきことがあるはずです。

死刑廃止は国際的潮流と言われますが、死刑を廃止した国の中には、逮捕現場での犯人射殺が多数発生している国もあると言われています。日本がどのような刑事政策を採るかは、外国が決めるのではなく、国民が決めるべきです。

中国による「民族文化ジェノサイド」を防止する有効な手立ては?

(2020年9月12日)
中国の香港民主派への弾圧の印象が強烈で、以来この大国の人権状況が気にかかってならない。香港以前には、チベット・ウイグルに対する弾圧が問題とされており、香港後は台湾だろうと思っていたら、突然に内モンゴル自治区における「同化政策」が大きな住民の反発を招いているという報道である。

私は、昨年(2019年)8月に、旧関東軍の戦跡をめぐる内モンゴルの旅に参加した。ハイラルからノモンハン、ホロンバイル、そしてロシア国境の満州里まで。あの独特の縦書きのモンゴル文字をあちこちで見かけたが、その文字と言語の消長が問題となっているとは気が付かなかった。見る目のないことは如何ともしがたく、バス旅行の行程では不穏な空気を感じ取ることもできなかった。

それでも、モンゴル族の現地ガイドに「漢族との差別はありますか。不満はないのですか」と聞くと、漢族の通訳に聞こえぬよう配慮しつつ、「それは、当然にありますよ」と語っていた。が、明らかにそれ以上に話はしたくないという態度で、このテーマでの会話の発展はなかった。

あれから1年。この9月から始まった新学期での学校教育が様変わりだという。これまで保障されていた内モンゴル自治区内小中学校でのモンゴル語教育が、事実上中国語(北京官話)だけとされることに、モンゴル族の住民が激しく反発して抗議行動が噴出し、これを当局が厳しく取り締まっている、という。ああ、香港と同様の構図だ。

本日(9月12日)のNHKWEBNEWSは、「中国 内モンゴル自治区 小中学校での中国語教育強化に抗議活動」として、以下のように報じている。

 中国で少数民族のモンゴル族が多く住む内モンゴル自治区の小中学校で、新学期から中国語の教育が強化されたことを受けて、現地では生徒や保護者らによる抗議活動が起きています。
 これに対して地元の公安当局は、騒動を起こしたなどとして100人以上の顔写真をインターネット上に公開して出頭や情報提供を呼びかけるなど、抑え込む姿勢を示しています。
 
 中国内陸部の内モンゴル自治区では、地元政府が先月下旬、新学期に合わせて一部の教科書をモンゴル語から中国語に変更すると発表しました。

 アメリカに拠点を置く人権団体「南モンゴル人権情報センター」によりますと、中国語の教育が強化されることにモンゴル族の生徒や保護者の間で反発が広がり、複数の地域で抗議活動が起きているということです。

 これに対して地元の公安当局は、騒動を起こしたなどとして、インターネット上に100人以上の顔写真を公開して、出頭や情報提供を呼びかけています。また、現地には公安省のトップも訪れ、「反分裂主義との闘いを進め、民族の団結を促進しなければならない」と訓示していて、抗議活動を抑え込む姿勢を示しています。

 これについて中国外務省の趙立堅報道官は、11日の記者会見で「これはあくまで内政問題だ」と述べるにとどめ、海外メディアの報道に神経をとがらせています。

《公安省のトップ》《反分裂主義との闘い》は意味不明だが、住民の抗議行動と、公安当局の取締りの意図は、よく分かる。そして、相変わらずの「あくまで内政問題だ」という逃げ口上。

時事ドットコムニュースの見出しは、より深刻である。『中国・内モンゴル、標準語教育に住民反発 同化政策、「文化絶滅」の懸念』というのだ。内容も詳細でよく分かる。

 【北京時事】中国北部の内モンゴル自治区で、小中学校の授業で使う言語をモンゴル語から標準中国語に変更することにモンゴル族住民が反発し、抗議デモや授業のボイコットが相次いでいる。当局は参加者の拘束など弾圧を強めている。

 同自治区は1学期開始前の8月26日、少数民族系の小中学校1年の国語の教科書をモンゴル語から標準中国語にかえると通知。来年以降は段階的に道徳や歴史にも中国語授業を広げる方針だ。保護者や一般市民が各地の街頭で抗議活動を展開し、授業をボイコットした生徒は数千人以上とみられる。

 米国のNGO「南モンゴル人権情報センター」によれば、警察はデモ参加者を暴力的に取り締まり、一部を拘束。インターネット上で100人以上の参加者の顔写真を公開し、出頭や情報提供を呼び掛けた。寄宿制の学校では生徒が自宅に帰らないよう警官隊が敷地を封鎖したという。

 AFP通信によると、住民の1人は「ほとんどのモンゴル族は授業の変更に反対だ」と述べ、子供が母語を流ちょうに話せなくなると危惧。「言葉は数十年で絶滅の危機にひんする」と訴えた。

 こうした「同化政策」は、チベット自治区や新疆ウイグル自治区でも進む。「中華民族」の結束を目指し標準中国語の浸透を図る習近平政権は異論を排除する構えだ。趙克志国務委員兼公安相は2日まで内モンゴル自治区に入り「反分裂闘争を推進し、民族の団結を促せ」と警察幹部に訓示した。

 国際社会には波紋が広がり、モンゴルのウランバートルでは抗議活動が行われた。エルベグドルジ前大統領はツイッターで「モンゴル文化のジェノサイド(抹殺)は生存への闘いをあおるだけだ」と非難した。しかし、中国外務省の華春瑩報道局長は3日の記者会見で「国の共通言語を学んで使うのは各市民の権利であり義務だ」と主張し、批判に耳を貸そうとしなかった。」

中国は、今や世界の悪役を買って出ようというのだろうか。「モンゴル文化のジェノサイド」といわれる政策を何故強行しようとするのか。清の時代の中央政府は、地方や辺境を決して中央一色に染め上げようとはせず、「因俗而治」(俗に因りて治む)を国策にしたという。「因俗而治」を訳せば、「各地の文化習俗を尊重した統治」と言えようか。現代中国はこの知恵を失って、退化してしまったのではないか。

それにしても、香港も内モンゴルも当局の力があまりに強い。中国の横暴に有効な歯止めとなる手立てはないものかと思っていたら、こんな報道が目に入った。

「北京冬季五輪、実施再検討を 人権団体がIOCに文書」「160 超の人権団体、北京冬季五輪開催の再考をIOCに要請」という、ロイターやAFPの記事である。もしかしたら、この方式は効くかも知れない。中国だって、国際的な孤立は避けたいのだろう。

「2022年に開催を予定している北京冬季五輪について、世界各国の160以上の人権団体が9日までに、実施再検討を求める文書を国際オリンピック委員会(IOC)に連名で送付した。中国政府の人権侵害を理由に挙げている。

 新疆ウイグル自治区や香港での対応をめぐって、中国政府に対して国際的な批判が上がっている。8日に公開された連名の文書には、「中国での人権侵害の悪化を見過ごせば、五輪精神が損なわれる」などと記された。これに対して中国外務省の報道官は、IOCに送られた文書をスポーツの政治利用だと非難。「五輪憲章の精神に反している」などと反論した。(ロイター時事)。」

「160を超える人権擁護団体が連名で国際オリンピック委員会(IOC)に書簡を送り、2022年の北京冬季オリンピック開催を再考するよう要請した。中国政府による人権侵害を理由に挙げている。

過去数カ月間、この種の要請は各人権団体から何度も行われていたが、今回の書簡はこれまでで最大規模。新疆ウイグル自治区に暮らすウイグル族への対応や「香港国家安全維持法」の施行を巡り、中国に対する国際的な批判が高まっている。

8日に公開された書簡には、アジア、欧州、北米、アフリカ、オーストラリアに拠点を置く、ウイグル族やチベット族、香港住民、モンゴル族の人権団体が署名。「中国全土で起きている人権危機の深刻化が見過ごされてしまえば、オリンピック精神と試合の評価は一段と損なわれるということをIOCは認識しなければならない」としている。(AFP)」

戦前の日本では天皇への不敬言動が犯罪だった。今の香港では「打倒共産党」発言が起訴される。

(2020年9月10日)
本日(9月10日)の赤旗国際面に《香港 「扇動」で民主派起訴 英国統治時代の法根拠》という【香港=時事】の記事。恐い話だが避けて通れることではない。せめて声を上げよう。これは、私たち自身の問題でもあるのだから。

短い記事だから、全文をご紹介しよう。

 香港当局は9日までに、民主派政党「人民力量」副主席の譚得志氏を「扇動的発言」を繰り返したなどの罪で逮捕、起訴した。問題視された発言は、昨年以降の反政府デモで多用されてきたスローガン「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時だ)」などで、民主派は「言論弾圧だ」と反発している。
 香港メディアによると、譚氏に適用された罪は英国統治時代に制定された法に基づくもの。1997年の中国への香港返還後、同罪での訴追は例がない。植民地支配に抵抗する親中派の取り締まりに用いられた歴史があり、社会の現状にそぐわないとの批判の声が司法関係者からも上がっている。6月末の国家安全維持法施行後、香港の民主派摘発は加速しており、同法以外にもあらゆる手段が当局側の選択肢にあると示した形だ。

以上が、時事ドットコムからの引用だが、赤旗の記事には以下の、恐るべき一文が続いている。

 当局側の資料によると、譚氏は1月17日から8月23日までの間、デモや集会で、「光復香港」を389回警察を罵る言葉を324回、「打倒共産党」を34回繰り返しました。罪に問われたのは、3~7月の言動に関してだといいます。

なんという権力の野蛮。デモや集会で、「光復香港」と叫ぶことも、「打倒共産党」と声を上げることも犯罪というのだ。民主主義の原則からは、「光復香港」も「打倒共産党」も、最も擁護されねばならない言論である。「表現の自由」とは、権力が最も不快とする言論こそが自由でなければならないという原則なのだから。

しかも、この野蛮な権力の末端は、どこかにじっと身を潜めて民主派政治家の「違法」発言回数を数えている。そうして作られた「資料」が、どこかに山を成して積まれているのだ。権力の恣意が、その資料のどこかをつまみ上げて活用することになる。

香港での「光復香港」・「打倒共産党」は、今の日本での「安保条約廃棄」「自民党打倒」「天皇制廃絶」程度のスローガンだろう。こんなことを口にできない社会は、想像するだに恐しい。

かつての天皇制国家も野蛮を極めた。今、香港に三権分立はなく、三権を睥睨する至高の存在としての中国共産党がある。その至高の中国共産党に対して、人民風情が打倒を叫ぶなどは、逆賊の犯罪として許されない。これと同様に、大日本帝国憲法下の三権を睥睨する至高の存在としての天皇がいた。その天皇の神聖性や権威を冒涜することは、逆臣の犯罪として許されなかった。

当時刑法第74条(不敬罪・1947年廃止)は、「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ處ス」「神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ」という、バカバカしい犯罪を作っていた。また、治安維持法が、国体(=天皇制)の変革を目的とする結社を禁じてもいた。今にしてバカバカしいが、当時は思想警察が国民生活に立ち入って、不敬の言動に耳をそばだてていた。ちょうど、今、香港の警察が民主派活動家の「違法」発言回数を数えているように、である。

いったいいつの間に、中国共産党は天皇制権力に擬せられる存在になってしまったのだろう。かつての天皇制権力の野蛮を繰り返させてはならないように、今香港で行われている中国共産党の野蛮を批判しなければならない。

心しよう。常に権力への警戒を怠ってはならない。いかなる権力に対しても、批判を継続しなければならない。その批判の武器としての「表現の自由」を鈍麻させてはならない。香港の事態を他人事と看過してはならないのだ。

中国当局は、「香港国家安全維持法」批判の国際世論に耳を傾けよ。

(2020年9月7日)
独善性の強い国と言えば、長くアメリカがトップの地位を保ってきた。大戦後の歴史を通じて世界の警察官を任じてきたが、「割に合わない」として今その役割から降りようとしている。替わって、その座を占めつつあるのが理念なき中国である。経済力があっても、近代の常識が通じない大国だから、まことに厄介である。

その中国の香港支配の現状は、これまでの国際公約を反故にするというだけではなく、誰が見ても、法の支配と民主主義の原則に反し、人権を弾圧するものと指摘せざるをえない。人類が築き上げた文明の共通ルールをないがしろにするものなのだ。

ある政権の国内人権抑圧に対しては、これを批判する国際世論を集約することが対応の基本手段である。この批判に対して、当該国は「内政干渉」と反発するのが定番だが、批判は決して無力ではない。当該国の反発は、その効果の証左にほかならない。

中国の「香港国家安全維持法」(国安法)施行にもとづく香港市民の民主化運動弾圧は、既に大きな国際世論の批判の的になっており、国連マターにもなっている。同法は20年6月30日全国人民代表大会常務委員会において全会一致(162票)で可決され、即日公布・施行となった。その同じ日に、スイス・ジュネーブで第44回国連人権理事会が開催され、国家安全維持法に関する審議が行われている。

この日、英国、フランス、ドイツなど日本を含む27か国が、国連人権理事会の会合で「強い懸念」を示す共同声明を発表した。一方、同じ会合でキューバ政府が53か国を代表して中国への支持を表明。中国の香港政策を巡り国際社会が分裂した形となった。

27か国の対中国批判声明は、国連にも登録されている中英共同宣言(1984年)が香港の高度な自治を規定していると指摘し、香港市民の頭越しに行われた同法制定は「1国2制度」を損なうと批判するもので、併せて中国の新疆ウイグル自治区における人権侵害についても言及したものという。

一方、中国に賛意を示した53か国の声明は、27か国批判声明を「内政干渉だ」と非難した上で、同法が「香港の繁栄と安定に資する」と中国政府の見解をなぞったもの、と報じられている。

念のため、国家安全維持法を批判した27か国を挙げておこう。
 英国、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、オーストリア、スロベニア、スロバキア、アイルランド、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ラトビア、エストニア、リトアニア、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、パラオ、マーシャル諸島、ベリーズ、日本。(米国はトランプ政権になってから、同理事会を脱退)

中国支持にまわった53か国は、以下のとおりである。
 中国、キューバ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、ニカラグア、ベネズエラ、スリナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス、スリランカ、ネパール、パキスタン、タジキスタン、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、イエメン、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、モロッコ、スーダン、南スーダン、エリトリア、ジブチ、ソマリア、ニジェール、ガンビア、シエラレオネ、トーゴ、ギニア、ギニアビサウ、赤道ギニア、ガボン、カメルーン、ブルンジ、中央アフリカ、レソト、コンゴ共和国、モーリタニア、トーゴ、ザンビア、ジンバブエ、モザンビーク、パプアニューギニア、コモロ、ベラルーシ、北朝鮮。

この53か国は、自身が独裁ないし権威主義政治体制であるか、中国からの経済援助の恩恵に預かっているかである。53国の内実はどうであれ、恐るべき「一帯一路」パワーの実力を見せつけられた思いが強い。

中国の経済力にもとづく国際影響力の前に国連の知性も無力かと思うと、実はさに非ず。「香港国安法は人権侵害」「国連特別報告者らが書簡」「国連の人権専門家ら中国に公開書簡」「中国政府に見直し要求」などの報道が飛び込んできた。

[ジュネーブ 4日 ロイター]の次の記事を紹介したい。

国連の人権問題特別報告者ら専門家7人が連名で、中国に異例の書簡を送付し、中国が新たに施行した「香港国家安全維持法」が「特定の基本的人権を侵害」しているとの見解を示した。香港の政治活動の弾圧に利用される可能性があるとしている。

専門家らは、中国政府に書簡を送付して48時間経過後、その内容を公開した。14ページに及ぶ書簡には、「香港国家安全維持法」について法的側面からみた詳細な分析を反映させ、同法が香港司法の独立性を脅かす可能性もあるとしたほか、「国際法における中国の法的義務に従っておらず、『重要部分の精度に欠け』、特定の基本的人権を侵害している」などと指摘した。

また発言や表現の自由、および平和的集会を行う権利を含む基本的自由の抑制や制限に同法が使用されるべきではないとし、香港で多くの合法的な人権保護活動が違法とされたことに懸念を表明。

さらに、中国は「香港国家安全維持法」が国際的な人権保護義務に適合しているかを検証する「完全に独立したレビュアー」を任命すべきとしている。

人権の促進と保護に関する特別報告者のフィオヌアラ・ニ・アオレイン氏は、ロイターに対し「国安法に関する国連による初の包括的な評価であり、中国が国際的な人権義務を順守しているかどうかを法的に分析した。そして(われわれの)見解では、中国は順守していない」と語った。

さらに、香港での表現、集会、公正な裁判などの権利に関して、中国には一段と高度な義務が課せられるとした。アオレイン氏によると、中国当局は書簡の受領を認めているという。

この人権専門家7人連名の書簡に対して、中国当局は何と答えるだろうか。おそらくは、「内政干渉」「誹謗・中傷」「国際陰謀」と反発することだろう。

実は、日本政府もよく似ているのだ。いま市民運動は、国連の勧告に謙虚に対応しようとしない日本政府の傲慢な姿勢を正そうと活動している。「国旗・国歌(日の丸・君が代)強制に関するセアート(ILO/ユネスコ合同勧告委員会)の勧告」についてのことである。

ILO/ユネスコ勧告実施市民会議、文科省交渉の場で
http://article9.jp/wordpress/?p=15275

セアート勧告は、日本政府に対して、「国旗掲揚と国歌斉唱に参加したくない教員への配慮ができるように、愛国的な式典に関する規則について教員団体と対話する場を設定すること。」「不服従という無抵抗で混乱を招かない行為に対する懲罰を回避する目的で、懲戒処分のメカニズムについて教員組合と協議すること」を求めている。

国(文科省)は、この勧告について「我が国の実情や法制を十分斟酌しないままに記述されている」と繰り返して、わが国が尊重するに値するものではないとの意見。しかし、世界の良識は、その傲慢な態度を批判しているのだと知らねばならない。

中国についても同様である。世界の良識の言に謙虚に耳を傾けていただきたい。大国にふさわしい風格を見せていただきたい。いつまでも人権後進国・没道義国家との非難を甘受してはおられまい。国連加盟国として、人権規約締結国として、国連人権理事会の言には、真摯に対応していただきたい。

本日も、香港では市民のデモに対する野蛮な弾圧が報じられている。嗚呼。

「パットを外した」のは、トランプ自身ではないか。

(2020年9月3日)
類は友を呼ぶ。アベシンゾーの友は、同類のトランプやプーチンであるという。「友」もいろいろ。シンゾーもひどいが、トランプやプーチンは、これに輪を掛けたムチャクチャぶり。それぞれにムチャクチャではあるが一定の岩盤支持層を有していることが、同類の所以。

トランプは退任表明をした朋友シンゾーについて「素晴らしい人物。最大の敬意を表したい」とお世辞を言っているそうだ。お互いにそう言い合おうとの魂胆が見え見えで、醜悪きわまる。もっとも、トランプの真意はこういうことだ。

「シンゾーこそ、これまでどんな無理なことも私の言うとおりに従順に従ってくれた素晴らしい人物。とりわけ、友情の証しとして、日本国民への苛酷な負担をも顧みず、ほとんど独断で不必要な大量の武器を私の言い値で購入してくれたことに、心の底からの敬意を表したい」

トランプとシンゾー。ゴルフ仲間だという。多分どちらも、パットは下手くそなのだろう。トランプが、「ゴルフの大会で、3フィートのパットでも外すことはある」と言ったことが話題になっている。もちろん、「3フィートのパット外し」は、比喩である。この出来の悪い比喩が、もしかしたら大統領選の命取りになるかも知れない。

トランプは8月31日放送のFOXニュースのインタビューで、米中西部ウィスコンシン州の警官による黒人男性銃撃事件を話題にして、警官を取り巻く非難の重圧がますます厳しくなっていると強調した。その上で、このような重圧の中では「ゴルフの大会でもそうだが、3フィート(約90センチ)のパットでも外すことはある」と述べたのだ。白人警察官が丸腰の黒人男性の背後から至近距離で7発もの銃弾を打ち込んで瀕死の重傷を負わせた深刻な犯罪行為を、お気楽に趣味のゴルフに例えたというわけだ。

「3フィートのパットを外す」という比喩は、「7度の発砲」についてのもの。恐ろしく下手くそで分かりにくいだけでなく不愉快極まる比喩ではあるが、重圧の中ではどんなゴルファーも、「3フィートのパットを外すというミス」を起こすものだ。同様に、非難の世論という重圧の中では、白人警官が「黒人男性に対する背後からの7度の発砲というミス」を起こしても不思議ではないと言いたいのだ。だから、パットミスと同様に、発砲した白人警官を責めることは酷に過ぎる、大目に見てやれ。そういう、白人層に対するアピールなのだ。白人警官の黒人に対する発砲行為が抱えている深刻な問題を見ようとせず、パットミス程度の問題と擁護しようというのだ。当然のことながら、ワシントン・ポスト紙を始め有力メディアが、批判の声を上げている。

パットミスを使った下手な比喩で、白人警官を擁護しようとしたトランプ発言だったが、実はパットを外してミスを犯したのはトランプ自身ではないか。彼は、自らの「3フィートのパットミス」発言で、差別主義者であることをさらけ出したのだから。確かに、厳しい環境に焦ると本性をさらけ出す発言で、取り返しのつかないミスを犯しがちではある。トランプがそれを証明して見せた。

ところで、トランプの友人というシンゾー君。ゴルフ仲間のシンゾー君よ。「素晴らしい人物。最大の敬意を表したい」とまでお世辞を言われているシンゾー君。そして、シンゾー後継を争う諸君。君たちもそう思うか。トランプの言うように、「白人警官が黒人男性の背後から7回も銃撃することは、パットミス程度のことか」と。また、こんな発言をするトランプと、今後も友人関係を続けようというのか、と。

大坂なおみが示した「日本人離れ」の、さわやかな個性

(2020年8月31日)
ナショナリズムとは、「内」と「外」とを分けるドグマ(教条)である。このドグマが教えるところは、単に「内」は味方で「外」は敵というにとどまらない。内は優れて外は劣る。内は正しく外は不正義という。ある種の人々にとっては、優越意識と排外主義のセットが心地よいのだ。しかし、さて問題は「内」と「外」とをどう分けるかである。国籍で? 人種で? 言語で? 信条で? 帰属意識で? 出自で? 体型で? 肌の色で? 目の色で? いずれもまことにバカげている。

この観点からは「内」の周縁に位置する人々に関心をもたざるを得ない。外国人力士、外国人労働者、在日コリアン、アイヌ、沖縄の人々。急速にふえつつある混血の人々。私だって、誇り高くまつろわぬ蝦夷の末裔だ。この人たちは、内なのか外なのか。タマネギの皮を剥き続けて、いったいどんな芯が残るというのだ。一見芯に見える天皇だって、百済からの帰化人の血を引いている。

大坂なおみというテニス選手、その風貌も言語習慣も「日本人離れ」の個性の持ち主。ハイチ系アメリカ人の父と日本人の母を持ち、日本で生まれてアメリカで育った。日米の二重国籍だったが、22歳になる際に日本国籍を選択したという。これまで、そのときどきで「内」にいれられたり「外」に弾かれたりという印象が否めない。

この人の意見や発言が、また「日本人離れ」して、すこぶる明快なのだ。力強い拳をあしらった図柄のMLB黒シャツ姿と、下記のツィッターが、いまさわやかな話題を振りまいている。

https://twitter.com/naomiosaka/status/1298785716487548928

こんにちは。多くの皆さんもご存じのように、私は明日(8月27日)の準決勝に出場する予定でした。しかし、私はアスリートである前に、一人の黒人女性です。黒人女性として、私のテニスを見てもらうよりも、今は注目しなければいけない大切な問題があると感じています。

私がプレーしないことで劇的に何かが起きるとは考えていませんが、白人が多い競技で議論を始めることができれば、正しい道へのステップになると思います。相次いで起きている警官による黒人の虐殺を見ていて、正直、腹の底から怒りが湧いています。数日おきに(被害を受けた人の名前の)新しいハッシュタグをつけ(SNSに投稿し)続ける状況に苦しみ、疲れています。

そして、同じ会話を何度も何度も繰り返すことにとても疲れてもいます。いったい、いつになったら終わるのでしょうか?

なお、ツィッターの原文には、英文と並んで日本語訳がある。日本語訳があることの意味は重要だと思うが、残念ながらこの日本語訳は日本語としてこなれたものではない。上記は朝日の訳を転載させていただいた。

この人は、自分を「アスリートである前に一人の黒人女性(a black woman)である」と躊躇なく言い切っている。そこがまことにさわやかなのだが、日本ナショナリズムは、自らを「一人の黒人女性(a black woman)」と自己認識する彼女を「内」の人と受け入れるだろうか。

私は、テニスという競技にはほとんど何の興味も知識もなく、「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」の準決勝棄権というものの重みを実感できない。が、プロの選手が国際試合をボイコットしようというのだ。ウィスコンシン州で起きた黒人銃撃問題に抗議の意を示し問題提起のためとする、彼女の準決勝棄権の決意のほどは伝わってくる。立派なものだ。

その後、大会主催者は大坂の問題提起を受けとめた。8月27日に予定されていた全試合を28日に順延すると発表した。また、全米テニス協会も日程の順延について「テニスは、アメリカで再び起きた人種差別と社会の不公平に対し、結束して反対する」という声明を出したという。これも立派なものだ。おそらくは、大坂の問題提起を受けとめねばならないという空気が全米に満ちているのだろう。

さらには、Twitterでは「#大坂なおみさんを支持します」というハッシュタグが作られ日本のトレンドに入ったという。紹介されているものでは、「アスリートの鏡だと思う」「自身の影響力を社会のために使っている素晴らしい例」など大坂選手への応援の言葉が大半を占めたという。もちろん、右翼諸君の批判や疑問も多数にのぼるものだったともいう。

この大坂なおみ、『スポーツと政治を混同してはいけない』『アスリートの政治的発言はいかがなものか』という定番の批判にたじろぐところがない。今年(2020年)6月5日には、「スポーツと政治を混同させるな」の声に反論して、次のように発信している。

「アスリートは政治的に関わるな、ただ楽しませればよいという意見が大嫌い。第一にこれは人間の権利に関わる問題だから。そしてなぜあなたの意見の方が私より良いの? もしIKEAで働いていたら、IKEAのソファーの話しかしちゃいけないの?」

そのとおりだ。誰もがいかなる政治的テーマにも関わってよい。アスリートはその技倆で観衆を楽しませていればよく、その分を越えるべきではないというのは、アスリート蔑視であり不当な差別である。ましてや、重大な人権問題については、すべての人が関心をもち、発言しなければならない。それは、民主主義社会に生きるすべての人々の責務と言ってよい。

「政治に関わるな」「政治的発言は控えろ」「分を弁えておとなしくしておけ」という、社会の圧力に唯々諾々としたがっていたのでは、いつまでも社会から不合理がなくならない。民主主義とは、すべての人の発言を保障する社会のありかたである。多くの人々の意見の交換によってのみ、社会はより良い方向に進歩するという信念が基底にあるのだ。

ところで、日本のナショナリストたちには、日本女性の典型についてのイメージがあろう。おそらくは、男に寄り添う「たおやめ」であり、ひっそりと健気な「大和撫子」でないか。大坂なおみは、およそ正反対。これを「内」と「外」のどちらに分類するか、聞いてみたいもの。

人は、それぞれ多様な個性を持っている。大坂なおみは、飽くまで大坂なおみなのだ。「内」と「外」との分類におさまりようがない。そのことは、実はナショナリズムというドグマの不条理を物語っている。

コントロールの効かない権力の恐怖 ー 中国習近平政権への徹底批判を

(2020年8月11日)

いよいよ、習近平政権が香港の民主派に牙を剥いた。一つは、メディアに対する弾圧であり、もう一つは民主的活動家の逮捕である。「香港国家安全維持法」が武器とされている。これは対岸の火事という事態ではない。国際世論による徹底した中国批判が必要だ。もしかしたら、既に遅すぎるかも知れない…。

中国は世界に、自らの野蛮を堂々と宣言したのだ。中国は、自国に対する批判の言論を許さない。政権に不都合な言論の自由を認めない。言論の自由を主張する不届きな言論機関は容赦なく弾圧する、と。

それだけではない。また中国は、民主的な選挙制度を求める運動を許さないとも宣言したのだ。人民の意思によって権力が形成されるという子供じみた思想を認めない。党と国家あってこその人民ではないか。党と国家に従順ならざる者の口は塞がねばならない、と。もちろん、中国人民には自由も民主主義も保障される。が、それは党と国家が認める枠内でのことだ、これをはみ出したら徹底して弾圧する、と威嚇したのだ。

97年の香港返還における「1国2制度」は50年の約束だった。その際の「2制度」とは、果たして《社会主義と資本主義》という経済体制の別を意味していただろうか。当時既に中国は《社会主義》といえる体制にはなかった。70年代の末には、改革開放政策に踏み切り、80年代の中ごろには鄧小平の「先富論」がまかりとおる世になっていた。「先富論」とは、中国版「トリクルダウン」理論のことではないか。

結局、「2制度」を認めるとは、《共産党の一党独裁》を香港には及ぼさず、《議会制民主主義》を尊重する、という約束であったはず。自国ではともかく、香港の人権や政治的自由や、民主主義・立憲主義を、少なくとも50年は尊重すると約束ししたのだ。中国よ、これを守ろうという道義をも投げ捨てたのか。

下記URLが、「香港国家安全維持法」の全条文である。中国国営新華社通信が7月2日に日本語で配信したもの。あらためてこれを読み直してみた。

https://mainichi.jp/articles/20200714/k00/00m/030/141000c

全6章・66か条からなる奇妙な法律である。本年(2020年)6月30日、「中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会で可決、成立したのを受け、香港政府は同日深夜、国安法を公布、施行した。」とされる。香港の市民から自由を奪う法律が、香港市民の関与なく制定される。それ自体が占領立法ないしは異国の支配だ。

この法の眼目は、第3章 犯罪行為及び処罰にある。ここに規定されているのは、次の4罪である。
  第1節 国家分裂罪
  第2節 国家政権転覆罪
  第3節 テロ活動罪
  第4節 外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪

香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏が10日夜、「国家安全維持法(国安法)違反の疑いで逮捕された」と報じられているが、被疑事実は明らかにされていない。

周氏は、逮捕後の11日未明のフェイスブックで「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加えた罪」に問われたと公表したという。しかし、当局側の発表はない。いったい、何をもって「外国勢力と結託し」て、どのように「国家の安全に危害を加えた」というのだろうか。

この罪の構成要件は以下のとおりである。甚だしく出来が悪い。いったい何が罪になるべきことなのかが分からない。むしろ、分からないのが付け目と言わんばかりではないか。

 第29条 外国または域外の機構、組織、人員のために国家の安全に関わる国家の秘密または情報を盗み、探り、買収、不法に提供した場合、以下の行為のいずれか一つを外国または域外の機構、組織、人員に実施するよう求め、外国または域外の機構、組織、人員と共謀して実施し、もしくは外国または域外の機構、組織、人員の指図、コントロール、資金援助またはその他形式の支援を直接または間接的に受けて実施した場合は、いずれも犯罪に属する。
 1、中華人民共和国に対して戦争を発動し、もしくは武力または武力による脅しを以て、中華人民共和国の主権、統一、領土保全に対し重大な危害をもたらした場合。
 2、香港特別行政区政府または中央人民政府が法律、政策を制定、執行するのをひどく妨害し、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
 3、香港特別行政区の選挙に対し操作、破壊を行い、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
 4、香港特別行政区または中華人民共和国に対して制裁、封鎖またはその他の敵対行動を行った場合。
 5、各種の不法な方式を通じ、香港特別行政区住民の中央人民政府または香港特別行政区政府に対する憎しみを引き起こし、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。

 こんなわけの分からぬ条文で、犯罪に該当していると判断されれば、法定刑は「3年以上10年以下の懲役」である。さらに、「犯罪行為が重大な場合は、無期懲役または10年以上の懲役に処する」とされる。しかも、同法第65条は、「この法律の解釈権は全国人民代表大会常務委員会に属する」と定める。さらには、「国家の安全を害する罪を犯したと判決を言い渡された場合は、候補者として香港特別行政区が行う立法会、区議会選挙に参加する資格、もしくは香港特別行政区のいずれかの公職または行政長官選挙委員会委員に就任する資格を直ちに失う」(第35条)とまで念を入れて定めているのだ。ムチャクチャとしかいいようがない。

かつて、中国刑法には罪刑法定主義がなく、むしろ「本法各則に明文の規定がない犯罪は、本法各則の最も類似する条文に照らして罪を確定し、刑を言い渡すことができる」という罪刑法定主義否定の条文が設けられていた。97年10月施行の改正現行刑法で初めて、「法律によって明文で犯罪行為と規定されていないものは、罪を確定し、刑罰を科すことはできない」とされた。「国家安全維持法」も5条に同様の規定を置いてはいるが、曖昧模糊たる構成要件で刑罰権を発動しようというのだ。

中国習政権の発想は、治安維持法で反政府運動を取り締まった旧天皇制政府とまったく同じであり、同罪である。

コントロールの効かない権力の暴走は恐ろしい。中国国内でのコントロールに期待できなければ、批判の国際世論を喚起するしかない。

ILO/ユネスコ勧告実施市民会議、文科省交渉の場で

(2020年7月21日)
弁護士の澤藤と申します。「日の丸・君が代」強制問題に関わるようになってから、20年余になります。

先程来、文科省の担当者から、セアート(ILO/ユネスコ合同勧告委員会)の報告書に関して、「我が国の実情や法制を十分斟酌しないままに記述されている」と繰り返されています。だからこの報告書はわが国が尊重するに値するものではないとのご意見のようですが、世界の良識は、その傲慢な態度を批判しているのだと知らねばなりません。

セアート勧告は、「国旗掲揚と国歌斉唱に参加したくない教員への配慮ができるように、愛国的な式典に関する規則について教員団体と対話する場を設定すること。」「不服従という無抵抗で混乱を招かない行為に対する懲罰を回避する目的で、懲戒処分のメカニズムについて教員組合と協議すること」を求めています。これを、「我が国の実情や法制を十分斟酌しない記述」と排斥してはなりません。

どこの国にも、それぞれの「実情」があり、それぞれの「法制」があります。それぞれの国の「実情」や「法制」に従っていればこと足れりで、国連が何を言おうと知らぬ顔というわけには行かないのです。「わが国にはわが国なりの人権の在り方がある。他国の批判は受けない」という国を、人権後進国といいます。今回の文科省の姿勢は、日本を人権後進国として印象づけるものというほかはありません。

実のところ、「我が国の実情」こそが問題なのです。教育の場に日の丸・君が代の強制が持ち込まれています。あまりに深く大日本帝国と結びつき、侵略戦争の歴史とも一体となったこの旗と歌。新しい憲法下の今の時代に、この歌を歌え、この旗に敬意を表せと言われても、それには従いかねます、というのが真っ当な主権者というものではありませんか。

また「我が国の法制」も問題なのです。立派な憲法をもちながら、これが活かされていない。むしろ憲法の下位にあるべき法令や、さらにその下位にあるはずの学習指導要領などに侵蝕されて、憲法は半分枯死してしまっている。法の下克上という現象です。最高裁は、毅然としてこれを正すことをしない。行政の暴走にブレーキを掛けるべきところを決して止めようとしない。暴走に任せてしまっている。

このような「我が国の実情や法制」こそが、国連という世界の良識から批判されていることを自覚しなければなりません。人権も、民主主義も、教育の権力からの独立も、文明社会の共通価値ではありませんか。「わが国には、わが国流の、人権や民主主義がある」という主張は、今や通じるものではないことを知らねばなりません。

時の首相がウルトラナショナリストだから、また文科大臣もその内閣の一人だから、という理由で身をすくめていてはなりません。人権も、教育の政権からの独立も、文明社会の共通の理念だとお考えになって、是非ともこのセアートの勧告を十分に活用していただくよう、お願いいたします。

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2020年7月9日

萩生田 光一 文部科学大臣殿

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議
共同代表 金井 知明・寺中 誠・山本 紘太郎

「ILO/ユネスコ合同専門家委員会 第13回会期最終報告」に関する7・9質問書

本年2月、「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議は、貴職に対してILO・ユネスコ合同専門家委員会第13回会期最終報告に関して質問書を提出し、4月10日に回答を受領した。
回答を受けても猶不明な点や、回答によって新たに生じた疑問について、5月に再質問書を提出し、6月29日に回答を受領した。
2回にわたる回答に感謝するとともに、貴職の見解をより正確に理解するために、新たに質問をまとめた。以下について再度貴職の見解を伺う。

質問1
文科省は、CEART第13回会合報告書(勧告)の日本語訳を求める当方に対して、「和訳を作成する予定はない」と繰り返すのみで、なぜ日本語訳をしないのか理由を一切説明しない。当方は「質問1(6)及びその回答に対する再質問」で、文部科学省が第10回会期最終報告書を日本語訳(仮訳)したことを指摘しているが、貴省はそれを否定していない。
全日本教職員組合の申し立てに対して、2009年11月、ILO理事会法務基準委員会は「政府はCEART報告を、コメントをつけて各県教育委員会に伝達すること。政府および全ての教員団体の代表は前進や解決できていない困難についてCEARTに情報を提供し続けること。」と勧告し、2009年9月にCEARTは「上記の所見と勧告を日本政府、県教委、関係する教員団体に伝達し、政府と代表的な教員団体全てにたいし、これらの事項についての進展や継続する困難にかんする情報を共同専門家委員会に引き続き提供すること。」と勧告している。これはCEARTの一貫した基本姿勢である。
直ちに、CEART第13回最終報告書を日本語訳し、地方自治体へ送るよう求める。

質問2
(1) 文部科学省は<質問4(10)~(12)の回答に対する再質問に対する回答>で、「我が国の実情や法制を十分斟酌しないままに記述されていると考えております。」と回答した。パラグラフ103・105で日本の実情を斟酌しないままに記述されているのはどの部分か、日本の法制を十分斟酌しないまま記述されてるのはどの部分か。具体的に指摘されたい。
(2)(1)に記載した文科省回答で、文科省は、パラグラフ103・105の見解に同意しないことを言明した。同意しないという見解である、という理解で間違いないか。
(3)CEART第13回会合報告書(日本政府への勧告を含む)、及び、後にILOならびにユネスコで承認された最終報告書(日本政府への勧告を含む)が、法的拘束力を有するものではないことは周知の事実である。しかし、法的拘束力を有しないから尊重する必要性がないということではない、ことも周知の事実である。
2015年1月、市民団体の質問に対して、文部科学省自身が(勧告は)「法的拘束力を有するものではないが、政府として適切に対処していきたいというのが我が国政府の考え方である」と答弁している。勧告についての貴省の見解は、現在も同じだと考えて間違いないか。
(4)CEART第13回会合報告書の中に書かれているように、CEARTは「教員の地位に関する勧告」(1966年)に照らして、申し立てを判断している。「教員の地位に関する勧告」パラグラフ80、自由権規約第18条、世界人権宣言など、人権保障の国際基準に基づいて出されたパラグラフ103並びに105の見解が、文部科学省が拠り所とする2011年6月6日の最高裁判決と相違する場合、貴省は「我が国の実情や法制に適合した方法で取組を進めてまいりたい」(「質問4(10)~(12)の回答に対する再質問」への回答)として、CEART第13回会合報告書は日本には妥当しないものとして処理するのか。
(5)「我が国の実情や法制に適合した方法で取組を進めてまいりたいと考えており、自由権規約委員会により日本の第7回政府報告に関する事前質問票への回答についても、従来の見解を回答しているところです。」とする回答は、CEART第13回会合報告書パラグラフ103・105の見解を退け、日本には妥当しないものとして処理した、ということか。
(6)CEART第13回会合報告書パラグラフ93から110の中で、文部科学省が尊重し、受け入れられる箇所はどこか、示されたい。

質問3
(1)2011年6月6日の最高裁判決は、2011年5月30日から7月14日にかけて出された10件の判決群の中の1つである。これらの判決に関わった第1、2、3小法廷の裁判官のうち、7人から補足意見が、2人から反対意見が出された。
文部科学省が回答で取り上げている6月6日第1小法廷判決でも5人(金築、桜井、白木、宮川、横田)の裁判官のうち、金築裁判官から補足意見、宮川裁判官から反対意見が出され、後に、桜井裁判官(2012年「君が代」訴訟判決・予防訴訟判決)、横田裁判官(2012年予防訴訟判決)からも補足意見が出された。
これほどの数の反対意見、補足意見が出されたのは、多数意見を述べるだけでは根本的問題が解決し得ないと裁判官自身が感じていたからに他ならない。
補足意見には「このような職務命令によって、実は一定の歴史観等を有する者の思想を抑圧することを狙っているというのであるならば、公権力が特定の思想を禁止するものであって、憲法19条に直接反するものとして許されない」(須藤正彦裁判官)、「この問題の最終解決としては、国旗及び国歌が、強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要である」(千葉勝美裁判官)、「教育の現場でこのような職務命令違反行為と懲戒処分がいたずらに繰り返されることは決して望ましいことではない。教育行政の責任者として、現場の教育担当者として、それぞれがこの問題に真摯に向かい合い、何が子供たちの教育にとって、また子供たちの将来にとって必要かつ適切なことかという視点に立ち、現実に即した解決策を追求していく柔軟かつ建設的な対応が期待されるところである。」(桜井龍子裁判官)などと書かれている。
これらはセアート第13回会合報告書の内容と通底する。
危惧や異口同音に指摘された解決のため対話の重要性が記されている一連の最高裁判決は、補足意見や反対意見も含めて判決文全体が尊重されるべきであると考えるが、文部科学省の見解を問う。
(2)2011年の最高裁判決は、国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり、「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、起立斉唱を求められることは、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判示している。起立斉唱命令は思想良心の自由への「間接的制約」となる面があるという最高裁の判示についての文部科学省の見解を問う。
(3)文部科学省が回答した「国旗国歌に係る懲戒処分等の状況」によれば、2001年度・2002年度の東京都の懲戒処分件数はゼロだった。2003年10月23日に東京都教育長が発出した「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」以後、2003年度は179人、2004年度は114人(他に訓告1人)と急増した。貴省は急増の原因を何だと考えるか。

質問4
2003年10月23日、東京都は「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」を発出するとともに、別紙「入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を示した。実施指針は「3 会場設営について 入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。(1)卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。(以下略)」と定め、都内公立養護学校(現特別支援学校)では、それまでは一般的だった舞台を使用しないフロア形式の卒業式が一律禁止されることになった。
松葉杖や車椅子を使用する生徒も自力で演台の前に進み、卒業証書を受け取ることができるフロア形式は、障がいを持つ児童生徒、障がい児教育の専門家である教職員、子どもの成長を見守り励ましてきた保護者など、当事者・関係者のニーズに応えて考え出された卒業式の形だった。児童生徒や学校の実情を考慮することなく、一律に禁止するのは、障害者差別禁止法が行政機関に義務づけている合理的配慮を欠いた措置である。文部科学省は、都内公立の特別支援学校全校の卒業式で、フロア形式を禁じられ、壇上を使用させられている事実を把握しているか。合理的配慮を欠くこの事実に対する貴省の見解を問う。

質問5
文部科学省は、地方公務員法55条を理由に教員団体との対話を拒むが、地方公務員法55条3項は、管理運営は交渉の対象としないというもので、交渉に限定したものであり、教育行政を円滑に進めていくための相互理解をはかる対話までも拒否しているものではない。
そもそも、CEARTが推奨する対話は「教員の地位に関する勧告」の適用促進を目的とする、説得的で相互理解促進型の対話である。地方公務員法上の交渉を指しているものではない。CEART第13回会合報告書の中に記載される懲戒処分に関する話し合いを、積極的に誠実に行うよう求める。

法輪功を邪教として弾圧する、中国政府の言い分に耳を傾ける。

(2020年7月13日)
私は信仰をもたない。信ずべき宗教に関心はない。しかし、信仰の自由には大きな関心をもっている。権力による宗教弾圧にも、社会的同調圧力による宗教差別にも敏感でありたいと思う。信仰が人格の中核をなすということを理解しているつもりだし、少なくも理解しようと努めている。信仰の自由は、個人の尊厳を保障するものとして、徹底されなければならない。

思想の自由も表現の自由も、その内容優れたものを選別して認められるものではなく、あらゆる思想・表現に自由が認められなければならない。これを制約するには、極めて厳格な要件を必要とする。信仰も同じことだ。

優れた信仰も劣った信仰もありえない。多様な信仰の自由が認められなければならない。文明社会では、権力が信仰を選別してはならない。

709事件で弾圧された「人権弁護士」の中には、宗教団体・法輪功関連の弁護活動に携わっていた人が多いようだ。なぜ、法輪功は中国当局から疎まれているのだろうか。これがよく分からない。

戦前の天皇制政府の野蛮な宗教弾圧も、必ずしも天皇の権威を貶める教義を掲げる宗教だけを対象にしたわけではない。宗教の規模が大きくなりすぎ、その教祖が天皇と並ぶ精神世界の権威となることを好ましくないとしたことが弾圧の理由ではなかったか。中国の法輪功弾圧も似たような理由に思われる。

弾圧する側とされる側があるとき、まずは弾圧される側の主張に耳を傾けなければならない。これが鉄則である。法輪功側の言い分を十分に聞いてみたいとは思うが、その機会を得ない。やむなく、弾圧する側である中国大使館のホームページを覗いてみる。《邪教「法輪功」の危害》《「法輪功」とは何か》という記事がある。少し、その論述にこだわってみたい。

http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm

「法輪功」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。その教祖は現在アメリカにいる李洪志という人物です。「法輪功」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様ですが、教義や教祖への絶対服従と絶対崇拝を要求し、信者にマインドコントロールを施すのです。

この記述自体がたいへんに胡散臭い。権力がこんな大雑把なアナロジーで宗教弾圧を正当化してはならない。この「論理」のパターンはどうにでも使える。たとえば、次のように。何の論証にもなっていない。

「中国共産党」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。どちらも強固なイデオロギーと排他性と組織規律を特徴としています。「中国共産党」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様に、組織トップやイデオロギーへの絶対服従と絶対崇拝を要求し、その信奉者にマインドコントロールを施すのです。

「法輪功」を、《一口でいえば、中国の「オウム真理教」》と言ってのける乱暴さもさることながら、オウム真理教に似ているから邪教との決め付けはあまりに粗雑。オウムが指弾されたのは、そのメンバーが多くの人を殺傷したからである。殺傷行為は、刑法に触れるものとして処罰の対象となった。しかし、その信仰が断罪されたわけではない。

「法輪功」の教祖である李洪志はまず「善良」を看板にして、「心を修練し、体を鍛える」、長期にわたって「法輪功」を修練すれば、「薬なしで病気を癒し、健康になる」などと口説いて入門させます。続いて彼の書いた「経書」を読ませ、さらに、「地球は爆発する」など「世界の終末説」をばら撒き、教祖のみが世界を救い、「人を済度して天国に行かせる」と唱え、信者たちを恐怖のどん底に陥れて狂乱させます。その結果、信者は教祖に絶対服従するようになり、善悪の判断能力を失い、己を害し、他人を害するなど、極端な行動に走ってしまいます。

古今東西を通じて、終末思想も衆生済度も教祖への絶対的帰依も、宗教教説の定番である。これをもって「法輪功」の邪教の証しというのは、いささか牽強付会の体。

また、世の善悪判断と基準を異にする宗教も巷に満ちている。人を殺せ、盗め、と極端な教説は要警戒だが、「人を済度して天国に行かせる」と称えるから邪教とは説得力に乏しい。このくらいのことしか言えないのでは、中国政府側に「三分の理」もなさそうだ。「己を害し他人を害する」行為があれば、必要な限りで対応するのが文明国の在り方。過剰に取り締まることを宗教弾圧という。

中国政府のこれまでの統計によりますと、「法輪功」の狂信者の中に、自殺或いは投薬や治療を拒否して死亡した者はすでに1600人を超え、精神に障害をきたした者は650余人に達したのです。また、殺人を犯した者は11人で、障害者となった者は144人にのぼります。

中国政府は、自殺・精神障害・殺人に関して、これまでどのような統計を取ってきたのだろうか。仏教徒やキリスト教徒と比較して、この数値は有意な差があるのだろうか。あるいは、中国共産党員というカテゴリーでの自殺・精神障害・殺人件数と比較して、どうなのだろうか。

この中で、特に人を驚かせたのは、今年の1月23日、つまり中華民族が21世紀になって初めて迎える春節(旧正月)を前にして一家団欒で過ごす大晦日に、7人の「法輪功」の狂信者が北京の天安門広場で焼身自殺を図る事件を起こしたのです。その中の2人は未遂に終りましたが、4人がひどい焼けどを負って顔形がまったく分からなくなり、1人がその場で焼死しました。火傷を負った4人の中に、なんと、12歳になったばかりの少女もいました。彼女は「法輪功」に夢中になった母親に焼身自殺の現場に連れて来られたのでした。理性と母性愛をここまで失うとはと、人々を驚かせました。

この事件の真相は分からない。分からないのは、中国に信頼に足りるジャーナリズムが育っていないこと、中国当局の調査が信頼されていないことによる。この件は、新華社によると、法輪功の会員が中国政府による法輪功弾圧に抗議する態度を表明する意味で自らの体に火をつけたものだという。しかし、法輪功の側は、けっして自殺を称揚することはなく、この事件は法輪功を貶めるための捏造であると反論しているという。真相は分からないが、「この事件こそが法輪功の邪教の証明」といわんばかりの中国政府の主張には、首を傾げざるを得ない。もしかしたら、この痛ましい事件こそが、中国が宗教弾圧国家であることの揺るぎなき証明なのかも知れないのだから。

事実が物語っているように、「法輪功」は日本国民に嫌われる「オウム真理教」と同様に、人権を踏みにじり、社会に危害を与える紛れもないカルト教団そのものです。中国政府は信教の自由を尊重します。しかし、他の国と同様に、カルト教団に対しては決して座視することは出来ません。国民の強い要望に答え、法に基づいてカルト教団である「法輪功」を取り締まり、厳しく打撃を与えることは、国民の生活と生命安全を守り、正常な社会秩序を維持するためなのです。

「事実が物語っている」というには、すこぶる根拠薄弱だが、《「法輪功」を取り締まり厳しく打撃を与える》という断固たる国家意思は極めて明瞭である。中国政府は、法輪功に対する宗教団弾圧の実行を広言しているに等しい。しかも、その弾圧を正当化する根拠についての当局の一方的な説明がこの程度でしかないのだ。

思い出すことがある。15年くらいも以前のことだったろうか。日弁連で中国の弁護士会からの訪問団との懇談の機会があり、出席したことがある。流暢な中国側の通訳を介して和やかに消費者問題などを話し合っていたが、日本側の誰かが法輪功を話題にした。

その途端に通訳の表情が一変した。しばらく、ひそひそと中国側内部のやり取りがあって、「その問題は、本日の話題として不適当ですから触れないでください」ということだった。当然、座は白けた。「なんだ、弁護士も話題にすらできないのか」という雰囲気。私は黙っていられない思いで、「人権擁護の立場から法輪功の側で弁護士としての活動を行っている人もいると思いますが、政府から問題にされてはいませんか」と聞いた覚えがある。が、かわされて無視された。

その頃既に、東京の街を歩くと法輪功関係者と思しき人々のビラ配りを見かけるようになっていた。中国政府が、信じがたいほどの人権侵害をしていると訴えるもの。にわかに信じがたい内容だが、昨今の中国政府の言い分とやり口とのギャップを見ていると、法輪功あながち大袈裟に吹聴しているばかりでもなさそうだという気持ちに傾いてくる。

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