澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

人権侵害アンケート実施の張本人橋下徹の個人責任追及を

下記は、本日(3月26日)「赤旗」1面の記事。
「大阪高裁 大阪市に賠償命じる
橋下徹前大阪市長による市職員への憲法違反の「思想調査アンケート」(市職員への労使関係アンケート調査)で「精神的苦痛をうけた」として、職員とOB計59人が市に1900万円余りの賠償を求めた訴訟の控訴審判決が25日、大阪高裁でありました。田中敦裁判長は、一審大阪地裁に続いて、アンケートの一部を違憲と断定。大阪市に賠償を命じました。賠償額は一審判決の1人6000円を変更し5000円としました。
 田中裁判長は、アンケートの四つの設問について、団結権(憲法28条)やプライバシー権(同13条)を違法に侵害したと断罪。一審で団結権侵害が認められた組合費の使い道の設問については侵害にあたらないと判断しました。橋下前市長には、アンケートが職員の権利を侵害しないよう確認する注意義務があったのに違反したとして損害賠償を認めました。
 判決後の記者会見で、弁護団の西晃事務局長は「アンケートが憲法に抵触する内容を含む違法な公権力の行使であったと明確に判断された勝利判決だ。市は上告することなくこの判決を受け入れてほしい」と話しました。
 原告団長の永谷孝代さん(60)は「みなさんの励ましの中でたたかってきて本当によかった。職員が働きがいが持てない職場の状況、市民が苦しむ市政が続くなか、みなさんとともに大阪市が良くなるように運動していきたい」とのべ、大阪市役所労働組合(市労組・全労連加盟)の田所賢治委員長は「憲法守る市役所づくりのために引き続き奮闘する」と話しました。」

他紙の報道では、「アンケートは組合の「政治活動」を問題視した橋下市長(当時)が、職務命令で回答を義務づけて実施。」「昨年12月に組合5団体と市職員29人が原告となった同様の訴訟で、大阪市におよそ80万円の賠償を命じる市側敗訴の大阪高裁判決が確定している。」「今回の判決も上告なく確定する模様」とのこと。

同業者として恥ずかしい限りだが、この件には弁護士が深く関わっている。この違法アンケートを強制した責任者である当時市長の橋下徹が弁護士。そして橋下からの依頼で「特別顧問」となり違法アンケート実施の実務を担当したのが野村修也、やはり弁護士である。権力に対峙して人権を擁護すべき弁護士が人権侵害の側にまわっているのだ。

事件は2012年2月のこと。大阪市は、職員およそ3万人を対象に労働組合の活動への参加や、特定の政治家を応援する活動経験について記名式のアンケート調査を行った。しかも、「このアンケートは任意の調査ではありません。市長の業務命令として、全職員に、真実を正確に回答していただくことを求めます。」「正確に回答がなされない場合は処分の対象となりえます。」と述べて、従わない場合は処分もあり得ることが明示されていた。公権力による思想表白強制といわざるを得ない。常軌を逸しているというほかはない。

当時、この橋下流の乱暴に世論の批判は高く、「このような被告職員の人権を著しく侵害する本件思想調査に対して、労働組合や法律家団体、広範な市民から激しい抗議がなされた。その結果、本件思想調査回答期限後の2月17日、野村修也は、データ開封作業や集計などを「凍結」することを表明せざるを得なくなった。また、同月22日には、大阪府労働委員会が、大阪市労働組合連合会らの実効確保の措置申立てに対して、市の責任において、本件思想調査を中止するよう異例の勧告を出した」(訴状)

そのため、結局は集めたアンケートの回答は未開封のまま廃棄されたが、これで納得しない職員の2グループが、訴訟を提起した。2件の訴訟ともに、職員らが原告となってアンケートの回答強制が人権侵害の憲法違反だとするもの。特定の公務員の故意または過失にもとづく違法な公権力の行使があって、その結果損害が生じたとする国家賠償請求訴訟である。両事件とも、1・2審を通じて、大阪市の敗訴となった。

2件の訴訟はこれで確定する。大阪市は原告らに損害を賠償することになる。ということは、市長の違法行為によって、市が損害を被るということだ。実はその損害の範囲は、必ずしも判決で命じられた賠償額にとどまらない。違法なアンケート調査にかかった費用、たとえば特別顧問野村修也への報酬など、が因果関係ある損害たりうる。余計な紛争の処理に要した費用も同様である。市が不当労働行為救済申し立てや、損害賠償請求訴訟に対応するために出費したものについても、市長の違法行為による損害となり得る。

判決を読む機会に恵まれていないが、判決では、大阪市の公権力行使が違法というだけでなく、市長の故意または過失が明確になったはず。ならば、市長の責任が問われなければならない。具体的な手段は、監査請求前置の住民訴訟である。

国立市に好個の参考事例がある。マンション事業者の明和地所が、国立市の違法な公権力行使によって損害を被ったとして国家賠償訴訟を提起し、2500万円の請求を認容する判決が確定した。市は明和地所に対して遅延損害金を含む賠償金を支払ったが、市民のなかから「市長の違法行為によって、市に損害が生じたのだから、市は当然に元市長に損害分を求償すべきだ。市長は市の損害分を個人で負担すべきだ」というグループが現れて、監査請求を経て原告となり東京地裁に「国立市は、明和地所に支払った損害賠償金と同額を元市長個人(上原公子)に対して請求せよ」との判決を求める住民訴訟を提起した。住民が原告となり、被告は元市長という訴訟である。

東京地裁はこの請求を認容する判決を言い渡し確定した。国立市は、判決にしたがって、元市長に請求したが、拒絶されて元市長に対する損害賠償請求訴訟を提起した。今度は、原告が市、被告は元市長という訴訟である。

その一審判決直前に国立市議会は元市長に対する賠償請求権を放棄することを議決している。一審判決はこれを踏まえて、「国立市議会が上原公子元市長に対する賠償請求権の放棄を議決しているにもかかわらず、現市長がそれに異議を申し立てることもせず、そのまま請求を続けたことが『信義則に反する』」として、国立市の請求を棄却するものとなった。市の債権がなくなったとしたのではなく、議会の債権放棄の議決によっても債権が存続することを前提として、請求を信義則違反としたのだ。なかなか分かりにくいところ。

ところが、控訴審継続中に議会の構成が逆転して、求償権の行使を求める議決が可決される事態となった。これを受けて、控訴審判決は一審とは逆に請求を全部認容するものとなっている。

国立市の事例と同様に、違法なアンケート調査によって大阪市に損害を与えた橋下徹の責任追及は、元市長橋下徹に対しても可能ではないか。大阪市の住民であれば、誰でも原告となれるのが住民訴訟だ。大阪在住のどなたかに、具体化していただきたいものと思う。

なお、大阪市議会の定数は86。与党である「大阪維新の会」の議員数は37である。幸いに半数に達していない。しかし、あと7人を語らえば、債権放棄決議が可能となる。議会の決議で、違法な市長の責任を免じることの不当は明らかというべきではないか。
(2016年3月26日)

自治会・町内会ーこの身近にして問題多き難しきもの

朝日が、2月8日から12日まで5回のシリーズで「自治会は今 フォーラム面の現場から」という特集を連載した。各回のタイトルは以下のとおり。

 1 断れない「寄付」って変 2月8日
 2 神社維持、全員で負担? 2月9日
 3 選挙協力、まるで後援会 2月10日
 4 退会者に「ごみ出すな」 2月11日
 5 「地域の要望」誰の声? 2月12日

自治会・町内会は日本全国に遍く組織されている。多くの人にとって、最も身近な組織と言えよう。自治会・町内会との付き合いにおいて、プリミティブに組織と個人の関わりの基本問題が表れる。したがって、自治会・町内会の運用のあり方は、日本社会全体の構造の縮図として深く関心を寄せざるを得ない。民主主義や個人の自立の問題が見えてくるはずなのだ。いま、その切り口となるキーワードは「社会的同調圧力の組織化」ではないか。

「寄付」や「神社維持」への協力の強制、「選挙」や「地域の要望」への動員は、典型的な社会的同調圧力といえよう。「退会者に『ごみ出すな』」はその強制の手段としての深刻な問題。全体的傾向として、個人の自立が社会的同調圧力に組み敷かれている構図が描かれている。地方行政の末端組織として組み入れられた自治会・町内会のあり方の再考が求められてもいる。

言うまでもなく、自治会・町内会に入会するもしないも自由。なんの理由も不要でいつだって退会可能だ。とは言うものの、ひとり入会せずに非協力を貫くことには相当のプレッシャーがかかってくる。敢えて、退会するのはなおさらのことだ。これが、社会的同調圧力。

非権力的組織であるから、住民の合意だけで組織され運営される。親睦のみならず、地域の環境保全や治安や災害対策に有用であることは言うまでもない。地域と行政とのパイプ役としても、その存在意義は否定し得ない。しかし、現実には民主的な運営の確保が難しく、社会的同調圧力を合理化し実行する組織になる危険を常にはらんでいる。

連載第1回に掲載の、佐倉市の自治会の例が示唆に富む。14年前、役員会での討議を経て、日本赤十字社などへの寄付という事実上の強制をやめたという。もちろん、建前としては寄付は強制ではない。しかし、衆人環視の中で寄付を断ることは難しい。これが、社会的同調圧力のなせる業。そこで、任意制が徹底するよう集め方を変えた。「大判の封筒を使う方法だ。誰がいくら入れたか分からないように封筒のお金を入れるところだけ開けておき、隣の家に回す。封筒の表には寄付するかどうかも、金額も自由と書いた。」

任意のはずの寄付が事実上の強制となる不合理を不合理として確認し、任意制を徹底する具体的な方法まで考えて実行した、最も身近な場における民主主義の実践に、敬意を表せざるを得ない。

朝日の記事は、次の点でさらに示唆に富む。
当時自治会長だった内野光子さんは、封筒方式を実現できたのは当時、役員10人のうち女性が6、7人を占めていたからだと思っている。「リタイア男性中心の『オヤジ自治会』や、同じ人が長く居座る『ボス自治会』では改革が難しい。役員に主婦がもっと入らないと変わらない。

なるほど、言われてみればそのとおり。男性中心の『オヤジ自治会』や『ボス自治会』の問題性は、ひろがりを持っている。自治会が日本社会の構造の一部であり縮図である以上は、地方政界の『オヤジ議会』や『ボス自治体』の問題でもあり、さらには『オヤジ国会』や『ボス内閣』という日本の政治構造にもつながっている。

オヤジやボスは、今この社会の多数派を取り仕切っている。オヤジやボスの常識は、「地域共同体の日常の懇親や親睦による出る杭のない、穏やかな秩序が何より」「行政に貸しを作り、いざというときには行政に口利きのパイプをつなげておくことが肝要」「みんなが文句を言わずに労力と経済的負担をして自治会を支えるべきが常識」「地域の結束のためではないか。自治会が神社への奉賛をすることになんの問題があろうか」「役員は多大な労力を費やしているのだから、会費で多少の飲み食いしたくらいで、細かいことをうるさく言うな」というもの。

このオヤジ感覚ボス体質が保守政党の末端組織とつながる。自治会・町内会を通じて、オヤジやボスの体制派的常識が組織化され保守勢力に吸い上げられる。平時は、天皇制と結びついた神社を支え、行政や警察機構の末端として働き、また保守政党を地域で支える。そして、一旦緩急あらば、大政翼賛会か国防婦人会の末端組織に、あるいは関東大震災後の自警団に早変わりしかねない危うさを持っている。

朝日記事の第2回が、神社の費用負担問題を取り上げている。
この中に、ある自治会長(男性・72)の「神社は地域の守り神、文化のようなもの。特定の宗教という感覚はない」との見解が紹介されている。おそらくホンネなのだろうし、これが社会の多数派の意見なのかも知れない。しかし、少数派のなかには、潔癖な信仰者もいようし、無神論者として特定宗教への寄金に抵抗感をもつ者もいる。このような少数者の意見が無視されてよかろうはずはない。

もっとも、なかなかに少数者の発言は難しい。黙っていれば、多数派の横暴がまかりとおる。自治会・町内会の意見が、地域全体の意見にすり替えられる。かくて、自治会・町内会は、保守政権支配の末端組織として機能することになる。

地元の自治会・町内会の活動に積極的に関わって、原則を曲げずに辛抱強く民主的な運営を実践している方を尊敬する。マンションの管理組合もPTAも同様だ。私には、上手にやり遂げる自信がない。ならば、次善の策として自治会に加入しないのも一つの意思表示。

これまで、居を構えてから幾十年、地域自治会や町内会に加入したことがない。回覧板も寄付の要請も、私の家だけは通り過ぎる。

ずいぶん以前のことだが、ある町会長さんに呼ばれて、親切に加入を勧められたことがある。そのとき、町内会の規約や会計報告、そして立派な会の歴史をまとめた冊子を見せていただいた。ずいぶん整った自治会だと一面好感をもったが、ご多分にもれない問題が2点。自動的に近くの著名な神社の氏子となって自治会からの奉納金の支出が行われていた。そして、もう1点、私の大嫌いな自民党の有力政治家との友好関係が見えていた。自治会の大きな行事はその政治家の「会館」で行われ、会史にその政治家が登場してくる。これは、生理的に受け容れがたい。

中にはいって改革すべきなのだが、私にできそうもない。私にできることは、自治会に加入しない選択肢もあるのだと身をもって示す程度のこと。私は未熟であり、この先も成熟の可能性はない。もしかしたら、この程度のことも都会だから出来ることなのかも知れない。

佐倉市内の住民自治会で、果敢に民主主義を実践してこられた内野光子さんのブログを参照していただきたい。
  http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/cat7752986/index.html

(2016年2月15日)

自治体はヘイト集会への施設使用を拒否しなければならないー東京弁護士会バンフレットの普及と活用を

昨日(1月10日)の毎日新聞に、「ヘイト集会拒否できる」「東京弁護士会がパンフ 自治体向け」の記事が掲載されている。ヘイトスピーチの集会に公共施設が利用される事態を防ごうと、東京弁護士会が利用申請を拒否する法的根拠をまとめたパンフレット「地方公共団体とヘイトスピーチ」を作製し自治体向けに配布している、との内容。

このパンフの内容となっている「地方公共団体に対して人種差別を目的とする公共施設の利用許可申請に対する適切な措置を講ずることを求める意見書」の発表は、昨年(2015年)9月7日のこと。以来4か月、東京弁護士会は、東京都内の全自治体や議会事務局、全国の弁護士会に配布してきたという。東京以外からも「参考にしたい」との問い合わせが相次ぎ、これまでに全国の25団体に送付。具体的な取り組みについて、東京弁護士会の担当弁護士と話し合いを始めた自治体もあるとのこと。

パンフの内容となっている意見書の全文は、東京弁護士会の下記URLで読むことができる。表現は慎重で穏やかだが、ヘイトスピーチの撲滅が国際条約上の国の義務となっているにもかかわらず政府は無為無策、これを放置している人権後進国日本の現状がよく分かる。
  http://www.toben.or.jp/message/ikensyo/post-412.html

国がなんの施策も行おうとしない現状で、自治体がヘイト集会への会館使用を拒否することは、ヘイト対策として実効性のある手段の提供としてその着眼がすばらしい。しかも、このパンフは、実によくできている。表現の自由にも慎重な目配りをしたうえでの具体的な提言である。説得力がある。今後の課題は、これを全国の自治体に普及して啓発し、遵守してもらうよう粘り強く働きかけること、さらにはその実現のための実効的措置を追求すること、だと思う。

東京弁護士会は、日本が締結し批准もしている人種差別撤廃条約を根拠に、「自治体は差別行為に関与しない義務を負って」おり、「公共施設が人種差別に利用されると判断される場合には会館等の利用を拒否できる」だけではなく、「会館等の利用を拒否しなければならない」と指摘している。

もちろん、要件は厳格でなければならないが、昨今問題となっているヘイトスピーチの集会に、会館等使用を許可すれば違法となり、当該自治体の住民の誰もが、自治体の財産管理における違法を主張して、住民監査請求から住民訴訟を提起することができることになる。

また、この東京弁護士会の「反ヘイト・バンフ」が普及してくれば、自治体の首長や責任者がヘイト集会に会館使用を許可したことは、違法というだけでなく、過失の認定も容易になる。集会と、それに引き続くデモなどで精神的被害を受けたという被害者にとって国家賠償請求が容易になると考えられる。このような事後的な法的支援についても、具体的な方策が考えられてしかるべきではないか。

東京弁護士会意見書の意見の趣旨は以下のとおりである。読み易いように、カギ括弧などを入れてみた。

地方公共団体は,「市民的及び政治的権利に関する国際規約」及び「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」に基づき,人種差別を撤廃するために,人種的憎悪や人種差別を扇動又は助長する言動など,人種差別行為を行うことを目的とする公共施設の利用申請に対して,「条件付許可」,「利用不許可」等の〈利用制限その他の適切な措置〉を講ずるべきである。」

この意見書の下記の言及は、襟を正して読まねばならない。

ヘイトスピーチなどの人種差別行為の放置は,社会に深刻な悪影響を与える。差別や憎悪を社会に増大させ,暴力や脅迫等を拡大させる。国連人種差別撤廃委員会が2013年の一般的勧告「人種主義的ヘイトスピーチと闘う」で強調しているように,それらの放置は,「その後の大規模人権侵害およびジェノサイドにつながっていく」。ナチスによるホロコーストやルワンダにおける民族大虐殺等だけでなく,日本においても,1923年に発生した関東大震災で,朝鮮人が暴動を起こしているとの流言飛語が広まり,日本軍や,民間の自警団によって少なくとも数千人の朝鮮人が虐殺された。これは,1910年に朝鮮半島を植民地とした後,被支配民族としての朝鮮人に対する蔑視と,植民地化に対する朝鮮人の抵抗運動に対する恐れから,日本国内で朝鮮人に対するヘイトスピーチが蔓延した結果であった。日本にもこのような過去があることが想起されなければならない(2003年8月25日付け日弁連「関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺人権救済申立事件」勧告書参照)。

人種や民族間の差別意識は、人為的に創られ煽られて生じる。植民地支配や戦争の準備と重なる。アベ政権の好戦的な憲法改正の策動と切り離せない問題といわざるを得ない。

ナチスはユダヤ人をホロコーストの対象とした。その数、500万人を超す。一般のドイツ人がそのことを知らなかったわけではない。ある日ユダヤ人が消える。その財産は、ドイツ人に分け与えられる。あるいは消えたユダヤ人が占めていた地位をドイツ人が襲うことになる。こうして、ホロコーストは、ドイツ人に現実的な利益をもたらしたのだ。

社会の中の特定の集団を敵として、多数派が寄ってたかっていじめるとはそういう実利に結びつくことなのだ。恥ずべき泥棒根性といわざるを得ない。いま、ヨーロッパでもアメリカでも、そしてもちろん日本でも、弱い立場の人種や民族に対しての非寛容な空気の醸成がおぞましい。ヘイトスピーチの抑制は、平和に通じるのだ。東京弁護士会の試みを、成功を念じつつ見守りたい。

なお、紹介されている具体例を挙げておく。
公共施設の利用拒否が可能になり得る具体的な例。
・人種差別集会を繰り返している団体や個人から申請があった
・施設の利用申請書に特定の民族を侮辱する表現が含まれていた
・集会の案内状に人種差別をあおる内容が書かれていた

施設の利用拒否が可能な人種差別行為の具体例
・「○○人は犯罪者の子孫」などの発言を繰り返す
・「○○人を殺せ」などのプラカードを掲げる
・「○○人のゆすり・たかりを粉砕せよ」などと告知して集会を開く

ここを出発点に、ヘイトスピーチ撲滅の動きを作り出せそうな気がする。
(2016年1月11日)

けっして、「魂の飢餓感」と「澄み切った法律論」の対決ではないー辺野古代執行訴訟法廷

昨日(12月2日)が、辺野古代執行訴訟の第1回口頭弁論。冒頭、翁長知事自身が被告本人として意見陳述を行った。覚悟のほどを見せたわけである。

翁長さんは、那覇市議から、沖縄県議、そして那覇市長の経歴を保守の陣営で過ごし、その後に「オール沖縄」の支援を得て知事になった人。県民の意を体して、国と対峙して一歩も引かないその姿勢はみごとというほかはない。

もともとは保守の陣営に属しながら、辺野古新基地建設反対のスローガンで当選した翁長知事。就任の当初には、行く行くはぶれるのではないか、県民を裏切りはしまいかという心配がつきまとっていた。知事の耳にもはいるこのような懸念に対して、知事は当選直後に「裏切るなら死ぬ」と述べている。

「ボクは裏切る前に自分が死にますよ。それくらいの気持ちを言わないとね、沖縄の政治はできないですよ。今、予測不可能ななかでね、こんな言い方をされるとね。その時は死んでみせますというね、そのくらいの決意」(「荻上チキSession-22」TBSラジオ、2014年11月17日)

さらに、知事の妻・樹子さんの存在も大きい。琉球新報が、本年11月9日付で報道するところでは、
「新基地建設に反対する市民らが座り込みを続ける名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に7日、翁長雄志知事の妻・樹子さんが訪れ、基地建設に反対する市民らを激励した。
 樹子さんは…市民らの歓迎を受けてマイクを握り、翁長知事との当選時の約束を披露した。『(夫は)何が何でも辺野古に基地は造らせない。万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している』と語り掛けると、市民からは拍手と歓声が沸き上がった。『まだまだ万策は尽きていない』とも付け加えた樹子さん。『世界の人も支援してくれている。これからも諦めず、心を一つに頑張ろう』と訴えた。座り込みにも参加し、市民らと握手をしながら現場の戦いにエールを送っていた。」

たとえ敗れても、県民とともに抵抗の姿勢を示そうという知事夫妻。県民世論からの絶大な支持を集めて当然であろう。県民世論だけでなく、国民全体の世論の支持も高まっている。政治的には、完全に国に勝っていると言ってよい。国が原告になって裁判に打って出たのは、傲慢なイジメの構図としか見えない。あとは、法廷での勝利を切に期待したい。

その知事が覚悟のほどを見せた法廷の模様は、本日各紙のトップを飾っている。
県と国の双方の主張を手際よくまとめた本日の東京新聞報道を引用したい。
「翁長氏は、住民を巻き込んだ沖縄戦や、米軍に土地を強制接収され、戦後七十年続く基地負担の実態を説明した。『政府は辺野古移設反対の民意にもかかわらず移設を強行している。米軍施政権下と何ら変わりない』と批判し『(争点は)承認取り消しの是非だけではない。日本に地方自治や民主主義はあるのか。沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か。国民に問いたい』と訴えかけた。」

「国側は主張の要旨を読み上げ、まず『基地のありようにはさまざまな意見があるが、(法廷は)議論の場ではない』と指摘。『行政処分の安定性は保護する必要があり、例外的な場合しか取り消せない』と強調した。移設が実現しなければ普天間飛行場の危険性が除去されず、日米関係が崩壊しかねないなどの大きな不利益が生じるため、取り消しは違法と訴えた。」

朝日も同様に、県と国との主張を要約している。
「翁長氏は陳述で、琉球王国の時代からの歴史をひもとき、沖縄戦後に強制的に土地が奪われて米軍基地が建設された経緯を説明。『問われているのは、埋め立ての承認取り消しの是非だけではない』と指摘。『日本に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる日米安保体制は正常と言えるのか。国民すべてに問いかけたい』と訴えた。」

「一方、原告の国は法務省の定塚誠訟務局長が出席し、『澄み切った法律論を議論すべきで、沖縄の基地のありようを議論すべきではない』などと主張。埋め立て承認などの行政処分は「例外的な場合を除いて取り消せない」とし、公共の福祉に照らして著しく不当である時に限って取り消せる、と述べた。」

各紙がほぼ同様の調子で、これに翁長意見陳述の全文を掲載している。「歴史的にも、現在においても、沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてきた」として、「魂の飢餓感」を訴えた格調の高いものだ。だがなんとなく、原告国側が法的論点を絞り込み、被告県側は論点を拡散させて背景事情ばかりを述べている、そんな報道の雰囲気がなくもない。そのことが気になる。

しかし、その気がかりは不要なのだ。朝日が要約する訴状請求原因の骨子は以下のようなもの。
(1) 公有水面埋立法の埋め立て承認は、承認を受けた者に権利が生じる『受益的処分』だ。処分した行政庁が自らの違法や不当を認めて取り消すには、維持することが公共の福祉に照らして著しく不当だと認められるときに限られる。
(2) 取り消しによって普天間飛行場の危険性除去ができなくなり、日米両国の信頼関係に亀裂が生じかねず、既に投じた473億円が無駄になるなど計り知れない不利益が生じる。埋め立てによって辺野古地区の騒音被害や自然環境の破壊などが生じるが、その不利益は極めて小さい。
(3) そもそも承認に法的瑕疵はなく取り消せない。また、米軍施設の配置場所など国の存立や安全保障に関わる国の重要事項について、知事に適否を判断する権限はない。

えっ、これが「澄み切った法律論」? ちっとも澄み切ってはいない。公共性は我にあり、という濁りきった傲慢な姿勢。

こうした国側の主張に対し、県側は「『(埋立て承認を国が知事に求めた根拠の)公有水面埋立法には、国防に関する事業を除外する規定はない』とし、知事が埋め立て承認を審査するのは当然だと訴えた」(東京)。

実はここが重大だ。裁判所がこの争点をどうとらえるかで、訴訟の様相はがらりと変わる。そもそも日本国憲法の平和主義の理念からは、軍事や国防の「公共性」を認めることができない。国は、そのホンネにおいて、「県知事の公有水面埋立承認の取消処分」(要するに、辺野古新基地建設阻止)は、「国防上重大な利益を損なう」と主張しているのだ。しかし、憲法訴訟となることを避けて、あからさまにはホンネを語れない。慎重に「普天間飛行場の危険性除去ができなくなり、日米両国の信頼関係に亀裂が生じかねず、既に投じた473億円が無駄になる」としか言えない。

本来は、軍備による平和や、軍事同盟(安保条約)の公共性を問う議論に発展しうるこの訴訟。その点では、砂川事件と同質のものをもっているのだ。「澄み切った法律論」とは、9条や安保の論議を避けた法律論を指しているのだろう。その思惑のとおりとなるかどうか、予断を許さない。

また、沖縄県側は、けっして「魂の飢餓感」を中心に、「背景事情」ばかりを主張しているのではない。原告国の方から、「公共の福祉」論や利益・不利益の「衡量論」をもちだされたのだ。背景としての歴史的経過は単なる事情にとどまらない。小さくない法的な意味をもちうる。

さらに、県側の積極的な法的主張がある。東京新聞の要約では以下のとおり。
① 辺野古移設強行は自治権の侵害で違憲
② 埋め立て承認は環境への配慮が不十分で瑕疵がある
③ 代執行は他に手段がない場合の措置で、国は一方で取り消し処分の効力を停止しているため、代執行手続きを取れない

いずれも重い論点だ。裁判所は真摯に向き合わねばならない。
①は、法が知事の権限としたものを、国が軽々に取り上げてよいのか。県民の圧倒的世論を無視しての辺野古建設強行が許されるのか、という問題。

②は、訴訟の中心となる争点だが、法は「都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」として「国土利用上適正且合理的ナルコト」「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」を挙げている。つまり、「環境保全等に十分配慮されたものであることが確認されるまでは、知事は許可(国に対する場合は「承認」という)してはならないのだ。

そして③。これが一番分かり易い。国が代執行という強権手段をとることができるのは、他にとるべき手段がない場合に限られる。知事が承認を取り消して、「工事を続行するためには、代執行を申し立てる以外に他の手段がない」ことが必要なのだ。ところが、国は行政不服審査法に基づく審査請求申立をし、お手盛りで執行停止まで実現してしまった。現に工事は続行している。結局は、「他に手段がない場合に限る」という要件を欠いている、という指摘なのだ。

これだけの争点があって、証人尋問なしで結論を出せるはずはなかろう。被告の言い分を汲んで、原告の請求を棄却あるいは却下する判決なら証人尋問なしで書ける。しかし、実のある判決を書くためには、証人調べは不可欠だろう。裁判所は、真摯に対応しなければならない。国民はこの訴訟を見守っているのだから。しかも、ぶれない知事と県民の気迫に、エールをおくりつつである。
(2015年12月3日・連続第976回)

醜悪なりアベ政権ー辺野古「久辺三区」への分断とバラマキ

古今を通じて、力なき者が権力と闘うための第一の武器は団結と連帯である。権力者が反抗する人民を統治する手段の第一は、分断と各個撃破である。これも、古今東西を通じてのこと。沖縄の県民はこのことを知悉してオール沖縄の団結を作ろうと努力を重ね、安倍政権もこのことをよく弁えて、県民の分断工作に余念がない。

昨日(11月27日)防衛大臣は、「再編関連特別地域支援事業補助金」制度新設を発表した。「再編」とは聞き慣れない言葉。「再編関連」もよく分からない。「特別地域」とはいったいなんぞや。そして、「支援事業補助金」とは?

辺野古新基地建設に対する地元反対闘争を分断するための「つかみ金」制度の創設と言い、その「ばらまき第一弾」と言えば分かり易い。県民に受け入れがたい政策を押しつけるための「ばらまき」も醜いが、これはまた露骨な反対運動に対する分断と各個撃破策。感じ悪いよね~、アベ政権。

この補助金支出の対象は、今話題の久辺三区。各区に1300万円、合計3900万円を上限とする補助金を交付するという。今年は、もともとの予算措置がないところを「在日米軍等の駐留関連諸費」からひねり出す。来年からはきちんと予算措置をするという。よい子にしていれば増額もあり得る、そういうイヤな含みを隠そうともしない防衛大臣会見である。

この「区」あるいは「行政区」というものの性格が分かりにくい。もちろん、特別区とはまるっきり違って公的な存在ではない。飽くまでも住民の自治組織。防衛省ブリーフィングのレジメでは、補助金支出先は「円滑な駐留軍再編に寄与する地域の地縁団体(自治会)」となっている。防衛省も各「行政区」を「地縁団体(自治会)」ととらえた。都市部での「町内会」や「自治会」に相当するものである。

沖縄では、地方自治体行政の補助組織として、集落単位の行政区を活用しているようだ。人口61,500人の名護市は、合計55の行政区をもっている。その内、久志地区(人口4400人)と言われる地域に13行政区があり、その内の久志(274世帯、611人)、豊原(189世帯、419人)、辺野古(1104世帯、1869人)の3行政区をひとかたまりに「久辺三区」と呼ぶのだそうだ。ここが、辺野古新基地建設の地元中の地元となる。(数字は本年3月末現在。名護市のホームページから)

この、400人から1800人ほどの集落の各自治会にそれぞれ、まずは1300万円ずつを注ぎ込もうというのだ。今のところ、その補助金の使途は特定の事業に限定されている。記者会見での大臣説明ではこうだ。
「対象事業と致しましては、まず日米交流に関する事業、例えば伝統芸能に資する事業、またスポーツ大会などであります。もう一点は住民の生活の安全に関する事業ということで、交通安全講習会、また防災・防犯教育啓発、また防犯灯設置などであります。もう一点はその他ということで、生活環境の整備に関する事業ということで、集会施設の改修・増築など、こういった対象のメニューをあげておりますが、事業につきましては今後、確定をしていく予定でございます。」

防衛大臣の、沖縄県や名護市に対する接し方とはおよそ異なる、歯の浮くような久辺三区へのサービスぶりはどうだ。これぞ、世辞の見本というところ。

「久辺三区につきましては、…移設事業の実施に当たりましては、直接最も大きな影響を受けることから、同区が実施する米軍再編の影響を緩和をし、生活環境の保全、また住民の生活の安定に資する事業に対しまして、直接補助が可能となるわけでございます。防衛省としては、今回の交付要領の制定を機に、今後とも久辺三区からの御要望につきまして、きめ細かく応えて参りたいと思っております。」

これに対する稲嶺・名護市長のコメントは次のようなものだ。
「全国でこの地域だけを対象としたものだということを考えると、公共のために使う補助金として本当に妥当なものか理解を超える」「補助金の対象事業として挙げられているものは、すべて地方自治体が地域住民に対して支援をしていく内容のものと解釈される。それからすると、当該自治体の頭越しに直接やるということは、地方自治をないがしろにするもの以外、何ものでもない。この地域だけ対象となると、分断工作というか、“アメとムチ”の最たるものだ」

沖縄タイムスは、次のように報道している。
「防衛省は3区からの事業申請を受け、早ければ年内にも交付を開始する。新基地建設に反対する名護市を介さず頭越しに支援する異例の措置。辺野古に反対する稲嶺進市長や県をけん制する狙いもあり、県内から強い反発が上がっている。

一方、辺野古区の嘉陽宗克区長と久志区の宮里武継区長は菅氏の『地元は(辺野古移設に)条件付き賛成』との認識を否定しているほか、久志区は受け取りの可否で賛否が割れているなど、3区の認識は一致していない。」

政府必死の分断工作も、その成否はまだ定かならずというところ。では、もっと餌を撒くか、あるいは恫喝という奥の手も使うことにするか。アベ政権のことだ、どんな汚い奥の手を使うことになるのか分からない。

政治家が、政策の実行のためとして有権者にカネをバラマケば、疑いもなく公選法違反の「買収」となる。金でなくても、一切の利益の供与が買収罪の犯罪行為を構成する。政府の税金を使ってのバラマキは、お咎めなしなのだろうか。法にのっとり、適正手続が確保され、平等原則が確認されて初めての補助金支出でなくてはならない。

よこしまな動機から、まず補助金支出先を久辺三区と決めておいて、久辺三区だけに支出ができるような要件を作っての補助金支出。もちろん、立法措置もないままである。政府主体の有権者買収と言われてもしかたあるまい。辺野古新基地反対運動の分断と各個撃破策だと言われても、だ。
(2015年11月28日・連続第972回)

「辺野古代執行訴訟」への注目の視点

辺野古新基地建設に関連して翁長知事が名護市辺野古沿岸海面の埋め立て承認を取り消し、国(国交相)はこの承認取り消しを違法として、福岡高裁那覇支部に「承認処分取消の撤回を求める」訴訟(辺野古代執行訴訟)を提起した。地方自治法に定められた特例の代執行手続としての一環の行政訴訟である。

国交相の沖縄県知事に対する提訴(辺野古代執行訴訟)に関して、本日(11月18日)の東京新聞社説がこう述べている。
「翁長知事が埋め立て承認を取り消したのは、直近の国政、地方両方の選挙を通じて県内移設反対を示した沖縄県民の民意に基づく。安全保障は国の責務だが、政府が国家権力を振りかざして一地域に過重な米軍基地負担を強いるのは、民主主義の手続きを無視する傲慢だ。憲法が保障する法の下の平等に反し、地方の運営は住民が行うという、憲法に定める『地方自治の本旨』にもそぐわない。」

また、同社説は「菅義偉官房長官はきのう記者会見で『わが国は法治国家』と提訴を正当化したが、法治国家だからこそ、最高法規である憲法を蔑ろにする安倍内閣の振る舞いを看過するわけにはいかない。」と手厳しい。

毎日社説は、端的に「国は安全保障という『公益』を強調し、沖縄は人権、地方自治、民主主義のあるべき姿を問いかける。その対立がこの問題の本質だろう。」という。なるほど、このあたりが、衆目の一致するところであろうか。

訴訟では、本案前の問題として、まず訴えの適法性が争われることになるだろう。国は、地方自治法が定めた特別の訴訟類型の訴訟として高裁に提訴している。その訴訟類型該当の要件を充足していなければ、本案の審理に入ることなく却下を免れない。

このことに関連して本日の毎日の解説記事が次のように紹介している。
「承認取り消しについて行政不服審査を請求する一方で代執行を求めて提訴する手法を『強権的』と批判する専門家も多い。不服審査には行政法学者93人が「国が『私人』になりすまして国民を救済する制度を利用している」と声明を出したが、国土交通相は承認取り消しの一時執行停止を決めた。
 この対応について、声明の呼び掛け人の一人、名古屋大の紙野健二法学部教授は『代執行を定めた地方自治法は、判決が出るまで執行停止を想定していない。不服審査請求は、先回りして承認取り消しの効力を止め、工事を継続したまま代執行に入るための手段だった』と推測する。専修大の白藤博行法学部長(地方自治法)は『代執行は他に是正する手段がないときに認められた例外的手段。不服審査と代執行訴訟との両立は地方自治の精神を骨抜きにする』と批判した。」

一方で私人になりすまして審査請求・執行停止の甘い汁を吸っておきながら、今度は国の立場で代執行訴訟の提起。こういうご都合主義が許されるのか、それとも「手続における法の正義は国にこそ厳格に求められる」と、本案の審理に入ることなく、訴えは不適法で、それ故の却下の判決(または決定)となるのか。注目したいところ。

報道されている「訴状の要旨」は以下のとおりである。
「請求の趣旨」は、「被告は、平成27年10月13日付の公有水面埋め立て承認処分の取り消しを撤回せよ」というもの。

請求原因中の「法的な争点」は次の2点とされている。
(1) 不利益の比較(「処分の取り消しによって生じる不利益」と、「取り消しをしないことによる不利益」の比較)
(2) 知事の権限(知事には、国政の重大事項について適否を審査・判断する権限はない)

「翁長承認取消処分」は、「仲井眞承認」に法的瑕疵があることを根拠にしてのものである。つまりは、本来承認してはならない沖縄防衛局の公有水面埋め立て承認申請を、前知事が真面目な調査もせずに間違って承認してしまった、しかも、法には、厳格な条件が満たされない限り「承認してはならない」とされている。事後的にではあるが、本来承認してはならないことが明らかになったから取り消した、と丁寧に理由を述べている。けっして、理由なく「仲井眞承認」を撤回したのではない。

だから常識的には、今回の提訴では「仲井眞承認」の瑕疵として指摘された一項目ずつが吟味されるのであろうと思っていた。しかし、様相は明らかに異なっている。いかにも大上段なのだ。「国家権力を振りかざして」の形容がぴったりの上から目線の主張となっている。東京社説が言うとおりの傲慢に満ちている。メディアに紹介された「要旨」を見ての限りだが、安倍や菅らのこれまでの姿勢を反映した訴状の記載となっいるという印象なのだ。

翁長承認取消処分を取り消すことなく放置した場合の不利益として強調されているものは、「約19年にわたって日米両国が積み上げてきた努力が、わが国の一方的な行為で無に帰し、両国の信頼関係に亀裂が入り崩壊しかねないことがもたらす日米間の外交上、政治上、経済上の計り知れない不利益」である。

そして、知事の権限については、次のとおり。
「(被告翁長知事は)取り消し処分の理由として、普天聞飛行場の代替施設を、沖縄県内や辺野古沿岸域に建設することは適正かつ合理的とする根拠が乏しいと主張するが、しかし、法定受託事務として一定範囲の権限を与えられた知事が、米軍施設・区域の配置といった、国の存立や安全保障に影響を及ぼし国の将来を決するような国政の重大事項について、その適否を審査・判断する権限はない。」

公有水面埋立法の条文や承認要件の一々の吟味などは問題ではない。天下国家の問題なのだから、国家の承認申請を、知事風情が承認取消などトンデモナイと、居丈高に言っているのだ。それは、国(国交相)側が、訴訟上の主張としては無意味な政治的主張を述べているのではない。

おそらくは、担当裁判官にプレッシャーを与えることを意識しているのだ。「これだけの政治的、軍事的、外交的重要案件なのだ。このような重さのある事件で、国側を敗訴させるような判決をおまえは書けるのか」という一種の恫喝を感じる。

砂川事件最高裁判決では、大法廷の裁判体が、事案の重さを司法は受け止めがたいとして裁判所自身の合違憲判断をせずに逃げた。逃げ込んだ先が、統治行為論という判断回避の手法だった。しかも、全裁判官一致の判断だった。辺野古代執行訴訟でも、国は同じことを考えているのだ。

さて、今回の訴訟で、はたして司法は躊躇することなく淡々と公有水面埋立法の承認要件の具備如何を判断できるだろうか。それとも、国の意向に逆らう判決を出すことに躊躇せざるを得ないとするであろうか。

憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。「憲法が想定するとおりの地方自治であるか」だけではなく、「憲法が想定するとおりの裁判所であり裁判官であるか」も問われているのだ。
(2015年11月18日・連続第963回)

住民訴訟制度の「骨抜き」防止は、法改正と法解釈の両面で

昨日(11月10日)の毎日新聞に、興味深い記事。
見出しは、「住民訴訟:骨抜き回避 首長ら免責、係争中議決を禁止 総務省見直し案」というもの。
「総務省は9日、違法な公金支出をした自治体首長や職員に賠償を求める住民訴訟制度の見直し案を公表した。地方議会が首長らの賠償免除を議決し、裁判所が違法性の有無を判断しないまま住民の訴えを退ける例が目立つことから、係争中の議決を禁止する。
 判決で行政側の責任が明確になることで、訴訟が『骨抜き』になるのを防止し税金の使い道の監視機能を高める効果がありそうだ。」というのが大意。

制度見直しの必要性について、現行制度「骨抜き」の実態をこう説明している。
 「与党が多数を占める議会では、…自治体の賠償請求権を放棄し、支払いを免除する条例を係争中に議決。裁判所が公金支出の違法性を判断しないまま、住民が敗訴する例が相次ぎ、問題視されている。
 係争中の議決を禁止すれば、裁判所は公金支出が違法か適法かの判断を示すことになる。判決確定後、議会が監査委員の意見を聞いた上で、賠償金の支払いを免除することは認めるが、違法性が明確になれば、住民の批判を押し切って賠償免除を議決するのは難しくなる。免除となるのは、当事者の首長らが死去するなど限定的なケースを想定している。」

政府は来年の通常国会でこの内容の地方自治法改正案提出を目指すとしている。共同通信も同内容の短い記事を配信している。この制度の趣旨の「骨抜き」許さない法改正に賛成だ。ぜひ早期に実現してもらいたい。そして、住民訴訟制度が使い勝手のよいものとなって大いに活用されることを望んでいる。

この「住民訴訟制度」は、たいへんに有益なもの。地方自治体といえども、立派な権力である。権力の行使は厳格に適法でなくてはならず、その適法性を住民が監視し、違法あれば声を上げて是正しなければならない。自治体の財務会計上の行為に違法の疑いがある場合、住民であればたった一人でも裁判所に訴えることができる。

例えば、市長に違法な行為があってそのために市が、被害者に損害を賠償すると、市長が市にその賠償支払の金額について違法に損害を与えたことになる。本来は市が市長個人に対して、この穴を埋めるよう請求することがスジではあるが、現実にはなかなか実行されない。こんなとき、住民がたった一人でも、市に代わって「市長(個人)は、市に与えた損害を賠償せよ」と訴訟を提起することができる。このとき、「住民一人の言い分よりも、多くの市民の代表である市長の言い分を聞け。それが民主主義ではないか」という言い訳は通用しない。

地方権力の違法行為の抑止、市民による地方権力監視の実効性確保の手段として有効なこの制度だが、賠償請求権は飽くまで自治体が持っており、原告となる市民は自治体を代位して請求する構造なのだから、自治体が権利を放棄すると裁判が成立しなくなる。

ここに目をつけて、地方議会が首長らの賠償免除を議決し、裁判所が違法性の有無を判断しないまま住民の訴えを退ける例が目立つのだという。まさしく、「制度の趣旨の骨抜き」だ。これを防止するために、係争中の債権放棄議決を禁止するという。けっこうなことだ。

当ブログは、この問題を何度か取り上げている。「高層マンション建設を妨害したと裁判で認定され、不動産会社に約3100万円を支払った東京都国立市が、上原公子元市長に同額の賠償を求めた訴訟」の実例を素材にしてのもの。

経過の概要は次のとおりだ。先行する住民訴訟において、東京地裁判決(2010年12月22日)が上原公子元市長の国立市に対する賠償責任を認容し、この判決は確定した。上原元市長は国立市に対する任意の支払いを拒んだので、同市は元市長を被告として同額の支払いを求めた訴訟を提起した。

ところが、その判決の直前に新たな事態が出来した。市議会が、11対9の票差で、裁判にかかっている国立市の債権を放棄する決議をしたのだ。東京地裁判決は、この決議の効果をめぐっての解釈を争点としたものとなり、結論として国立市の請求を棄却した。

「増田稔裁判長は請求を棄却した。同裁判長は『市議会は元市長に対する賠償請求権放棄を議決し、現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」(時事)と報じられている。

これこそ、制度骨抜きの典型事例であろう。元市長の行為の違法性の判断ではなく、債権放棄決議の法的効果が争点では、国立市民にとっても不本意な判決であろう。問題は、たった一人でも行政の違法を質すことができるはずの制度が、議会の多数決で、その機能が無に帰すことになる点にある。

仮に債権放棄決議が単なる内部的行為にとどまらず、有効に債権を消滅させる行為であるとすれば、訴訟上確定した国立市の債権3100万円(と遅延損害金分)の放棄決議は、市の財産を消滅させる行為である。当然に賛成票を投じた議員11人の法的責任が生ずることになる。その場合は、経過や動機等の諸事情を勘案して投票行動の、違法性と過失の有無が論議されることになる。そして、この責任も監査請求を経て住民訴訟の対象となり得る。本来、債権放棄決議は、そこまでの覚悟がなければできないことなのだ。

なお、最高裁は、古くから「市議会の議決は、法人格を有する市の内部的意思決定に過ぎなく、それだけでは市の行為としての効力を有しない」としてきた。高裁で分かれた住民訴訟中の債権放棄議決の効力について、最近の最高裁判決がこれを再確認している。

2012(平成24)年4月20日と同月23日の第二小法廷判決が、「議決による債権放棄には、長による執行行為としての放棄の意思表示が必要」とし、これに反する高裁判決を破棄して差し戻しているのだ。

なお、2014年9月25日付け当ブログは、総務省の第29次地方制度調査会「今後の基礎自治体及び監査・議会制度のあり方に関する答申」(2009年6月16日)に触れた。

その結論は、「住民に対し裁判所への出訴を認めた住民訴訟制度の趣旨を損なうこととなりかねない。このため、4号訴訟の係属中は、当該訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権の放棄を制限するような措置を講ずるべきである。」というもの。今回、これが具体的な制度改革案として成案に至ったのだ。
  http://article9.jp/wordpress/?p=3589

国立市事件の控訴審判決は間近とのこと。「骨抜き」防止は、法改正だけでなく、法解釈においても貫いていただきたい。
(2015年11月11日・連続第956回)

日野市は「消された理念」を復活せよ

ある日目が覚めて、なにもかにもが茶色の世界だったとしたら…。茶色新聞や茶色放送が、「ペットはすべて茶色でなければならない」「不適切な犬あるいは猫の飼育は国家侮辱罪である」と言いたて、茶色の制服を着た男たちが乱暴に取り締まる…。そんな朝は、金輪際ご免だ。

寓話ではなく、こちらは現実の話。ある日役所から通知が来る。公用封筒に印字された「日本国憲法の理念を守ろう」という12文字が、フェルトペンでわざわざ黒く塗りつぶされている。これにはギョッとせざるを得ない。昨日までは「日本国憲法の理念を守ろう」が当たり前の世の中だった。しかし、今日からは違うのだ。それを思い知らせるための墨塗り、文字消しなのだ。いったんは、そう考えざるを得ない。

安倍政権が、日本国憲法大嫌い内閣であることは天下周知の事実だ。しかも安倍政権は、政権に迎合しない名護市には交付金をストップしたまま、久辺3区にはつかみ金をばらまこうという露骨な利益誘導型政権。大学の自治すら金の力で蹂躙できると信じている反知性・金権体質。さては、日本中の自治体が、金のほしさに政権に擦り寄って、「日本国憲法の理念を守ろう」に墨を塗り始めたのか。そう勘ぐってもおかしくはない時代状況なのだ。こうして迎える朝は、茶色を通り越した、黒い朝だ。

昨日(10月31日)の東京新聞社会面トップの記事が詳しい。見出しが、「憲法順守 消された理念」「日野市封筒黒塗り」となっている。
「東京都日野市が、公用封筒に印字された『日本国憲法の理念を守ろう』という文言を黒く塗りつぶし、市民らに七百~八百枚を発送していたことが分かった。市側は『封筒は古いデザインで、現行型に合わせるため』と釈明しているが、市民から抗議の声が寄せられ、大坪冬彦市長が市のホームページ(HP)で『誤った事務処理で市民の皆さまに誤解を与えた』と対応のまずさを認めた。」(東京新聞)

その記事には日野市役所庁舎の写真が掲載されている。皮肉なことに、「核兵器廃絶・平和都市宣言」の大きな標柱が玄関前に建っている。「核兵器廃絶・平和都市宣言」はまさしく、日本国憲法の具体的理念。いつまで、この標柱の文字が生き抜けるのだろうか。心配せざるを得ない。

東京新聞の報道は、日野市側の弁明を詳しく紹介している。
「問題となったのは、長形3号の縦長の郵便用茶封筒で、大きな『日野市』の文字の左下に『憲法の理念を守ろう』の文言が印字されている。2010年度のモデルで、4月1日からの1年間、全庁的に使われた。」「憲法の文言が何年度から採用されたかは分からないが、長い間、印字されてきたという。」「この文言は10年度モデルを最後に消えたが、その理由について市は『把握できない』としている。」

「黒塗りを命じた課長は、「当時は見た目のことばかり考えてしまい、短絡的だった。憲法の文言をあえて消す必要はなく、メッセージ性を持った行動と受け取られても仕方ない」と話し、手元に残った黒塗り封筒五百枚は、全て処分する方針を示した。」

この課長のコメントも不可解だが、日野市のホームページに掲載された市長のコメントもよく分からない。
「このたび誤った事務処理により、市民の皆様に誤解を与えてしまったことについて遺憾に思います。憲法をはじめとする法令を遵守することは、市政の基本であり、これまでも、そして今後も、憲法をはじめとする法令を遵守して市政を運営することに、いささかも揺るぎがないことを改めて表明します。
日野市長 大坪冬彦」

朝日の記事では、「市は『憲法を軽んじる意図はない。何か圧力があったわけでもない』と説明。多くの人は『それなら良かった』と納得するという。」となっている。

「多くの人」とは誰のことか分からぬが、少なくとも私は納得しない。何よりも、かつてあった『憲法の理念を守ろう』の封筒に印字された文言がなぜ消えたのか、その理由を聞きたい。

市長の言い分は、明らかに論点のすり替えである。「憲法をはじめとする法令を遵守して市政を運営する」べきことは理の当然である。いまは、そんなことが問題になっているのではない。安倍政権やヘイトスピーチグループなどから憲法が痛めつけられている受難の時代である。「消された理念」を消しっぱなしにしていたのでは、日野市は客観的に改憲勢力に与したことになる。改憲に与するものでないとすれば、立憲主義・人権尊重・民主主義・平和主義という「憲法の理念」を守ろうと、声を上げなければならない。

市長よ、「市民の皆様に誤解を与えてしまったことが遺憾」「憲法遵守に、いささかも揺るぎがない」のであれば、「消された理念」12文字を復活せよ。改めて、「日本国憲法の理念を守ろう」の標語を入れた封筒を作成して使用を継続していただきたい。それあってこそ初めて、市民は「誤解」を解き、市の「憲法遵守の姿勢」に信を措くことになるだろう。それ以外に、「誤解」を解く方法はない。
(2015年11月1日・連続第945回)

都知事に対する「500億円捨て金」支出の責任追及

毎日新聞署名コラムの中で、山田孝男「風知草」の論調には、歴史認識や立憲主義の理解の点で違和感が大きい。安倍晋三に招かれて、ともに会食などしているとこうなるのではないか。その山田が、国立競技場建設費問題を戦争中の戦艦武蔵の「悲劇」になぞらえている。武蔵は、世界最大の戦艦としての威信を誇示した。しかし、時代遅れの大艦巨砲主義は戦略あいまいなままに出撃して何の戦果を挙げるでもなく、巨費とともに沈んだ。両者の類似の指摘は頷かせる。安倍と会食をともにする記者の記事でさえなければ立派な記事だ。

国立競技場建設費用は2520億円!!。金額だけではなく、その金額の決め方にまつわる無責任体制が、戦争責任や原発開発とも重なる。「ドタバタ劇」として、「負のレガシー」として国民に完全に定着した。あの「読売」の世論調査でも、81%が建設計画を見直すべきだという結果である。「責任の所在があいまいなまま突っ走り、『決まったことだから』と、途中でやめることができない。これが日中戦争から太平洋戦争にかけての日本の歴史。と思っていたら、新国立競技場をめぐる問題も、そっくりです。」とは池上彰の毎日紙上発言。2520億円問題は、誰も彼も大っぴらに批判のできるテーマとなっている。

もちろん、この問題にも、諸悪の根源としての安倍晋三が絡んでいる。この競技場のデザインと、福島第1原発の放射能問題の解決が東京五輪招致成功の2本の柱だった。これを国際公約といっているわけだ。放射能は「完全にコントールされ、ブロックされています」というこちらの柱は、大ウソだったことがとっくに明確になっている。もう一つもウソとなれば、「大ウソ2本立て」。招致の根拠が崩れるというわけだ。せめて競技場のデザインだけは遺したい。これが政権と、その意を体した無責任体制関連人脈のホンネのところ。

しかし、この計画を推進するには2520億の巨費を調達しなければならない。安倍や森、下村の懐を痛めての負担ではない。身銭を切るのは国民なのだ。批判の荒波を覚悟しなければならない。政権を揺るがすことにもなりかねない。

この計画を頓挫させれば、日本の威信にかかわる? そんなことはない。安倍政権とJOCの威信でしかなかろう。安倍晋三が引責辞任すればよいだけのことだ。

何とも、無責任極まる安倍晋三・森喜朗・下村博文、そしてJOCだ。FIFAのカネまみれ体質が明らかになったが、あまり人々が驚いていない。所詮、そんなものだろうという受け止め方。商業主義蔓延のオリンピックも同様ではないのか。2520億という巨額のカネの取扱いの杜撰を見ていると、オリンピックが美しいものなどとは到底思えない。こんなに金のかかる競技場なら作る必要はない。入場式なんぞは原っぱで十分だ。雨が降ったら傘をさせばよい。そんな非常識なことはできない、というのならオリンピックなんかやめてしまえ。わけの分からぬ東京オリンピックを返上しろ。

イメージというものは恐ろしい。あのキールアーチのデザインは、最初の頃こそ斬新・清新なイメージだった。しかし、報道が積み重ねられるうちに、既に完全な負のレガシーとしてのイメージが定着した。あのデザインそのままでは、オリンピックのバカバカしさ、薄汚さのシンボルとして半永久的な語りぐさとなる。

さて、問題はここからだ。こんな馬鹿馬鹿しいものの建設費はムダ金であり、捨て金だ。捨て金の支出など許してはならない。舛添知事は、これまでは比較的常識的な姿勢で都民の支持を維持してきた。「国側からきちんとした説明をいただかなければ、都民の税金を費やすわけには行かない。」という至極真っ当な姿勢。ところが、7月7日有識者会議以来、どうも雲行きがおかしい。

舛添さん、都民の知らぬ裏の場で、安倍・森・下村などから一席設けられ、振る舞い酒に酔うなど、けっしてないように。何とはなしに話をつけて、都の財政から500億のつかみがねを支出するようなことがあれば、都民の怒りを買うことになりますぞ。500億を出したらあなたの2期目はない。オリンピックの年まで知事でいたいのなら、なによりもこの捨て金を出さないと明言することが肝要だ。

このところ多くの人が、地方財政法上、国の支出の一部を地方が負担することは禁じられていると指摘している。つまり、都財政からの500億円支出は、単に不当というだけでなく、違法なのだ。違法な支出は、都民がたった一人でも住民監査を経て住民訴訟の提起が可能である。

最終的には、知事個人が違法支出の責任をとらねばならない。応訴にもかかわらず、舛添敗訴となれば、500億円を個人として東京都に支払うよう命じられる。500億円全額回収に現実性はないものの、違法支出の抑止効果は十分に期待できる制度だ。知事や議会は多数派が握っている。多数派の横暴に歯止めをかけて、統治の合法性を確保するための貴重な制度である。

ところが、今、国立市で問題となっている一つの裁判が、この制度を無にしかねない重大な問題をはらんでいる。仮に、国立競技場の建設費の一部として舛添知事が500億を都の財政から支出し、これを裁判所が違法と認めたとする。その場合でも、都議会の自民党が舛添免責の決議を提案して議会がこれを採択すれば、東京都が舛添知事個人に対する損害賠償請求権の行使はできなくなる、というのだ。現実に、そのような地裁判決が出ている。

詳しくは、下記の当ブログを参照されたい。
2014年9月26日「株主代表訴訟と住民訴訟、明と暗の二つの判決」
http://article9.jp/wordpress/?p=3589

当該の判決についての報道は、以下のとおり。
「高層マンション建設を妨害したと裁判で認定され、不動産会社に約3100万円を支払った東京都国立市が、上原公子元市長に同額の賠償を求めた訴訟の判決が(2014年9月)25日、東京地裁であり、増田稔裁判長は請求を棄却した。
 増田裁判長は『市議会は元市長に対する賠償請求権放棄を議決し、現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」(時事)

今回の事例に置き直せば、以下のようになるのだ。
「先行する住民訴訟の判決で、国立競技場建設費用500億円の知事の支出は違法とされた。この判決に基づいて、東京都が原告となって舛添要一知事に500億円の賠償を求めた訴訟の判決が東京地裁であり、裁判長は原告の請求を棄却した。裁判長は『都議会は知事に対する賠償請求権放棄を議決し、知事は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」

要するに、舛添知事の責任を都議会多数派の意思次第で免責することが可能だというのである。これは制度の趣旨を根本から突き崩すものではないか。上原元市長の行為が違法であるかどうかについては私は論評を控えたい。事情を詳らかにしないだけでなく、結論がどちらでも、事例判決を一つ積み重ねるだけでさしたる問題ではない。議会で首長の責任を免責できるか否かが大問題なのだ。

住民訴訟とは、民主主義・多数決原理に限界を画するものである。住民の多数派から選任された首長が、どのような「民意に基づく行為」であったにせよ、法体系に反することはできないのだ。首長らに財務会計上の違法行為があれば、住民たった一人でも、原告となってその是正を求める提訴ができる。これを、議会の多数決で違法行為の責任を免ずることができるとすれば、せっかくの住民訴訟の意義を無にすることになる。

首長の違法による損害賠償債務を議会が多数決で免責できるとすることには、とうてい納得し難い。国立市はいざ知らず、東京都をはじめ、ほとんどの地方自治体の議会は、圧倒的な保守地盤によって形成されている現実がある。首長の違法を質すせっかくの住民訴訟の機能がみすみす奪われることを認めがたい。

もし仮に、最高裁までが議会の決議による首長の債務免責を認めることになれば、免責決議に賛成した議員の法的責任追及が必要になるものと考えている。
(2015年7月12日)

文京区議会が戦争法案反対請願を採択ー孤立しているのは自公だ

まずは、下記の請願に目を通されたい。
安全保障法制の関連法案に反対を求める請願
 請願者  文京平和委員会
 紹介議員 板倉美千代
 請願理由
安倍政権は集団的自衛権の行使容認を柱とした「閣議決定」(2014年7月1日)を具体化するための「安全保障法制の関連法案」を国会に提出しました。これは、戦力の不保持や交戦権否認を明記した憲法9条に違反して、海外での武力行使に踏み出すことを可能にするものです。
すなわち、①自衛隊が「戦闘地域」まで行って軍事支援をする、②イラクやアフガニスタンでの治安維持活動などに参加し、武器を使用できるようにする、③集団的自衛権を発動し、他国の戦争にも参戦するなどで、これらはこれまでの「専守防衛」の安保政策の大きな転換点を意味します。よって私たちは、以下のことを強く求めます。
 請願事項
「安全保障法制の関連法案」を廃案にするよう、国に求めること。

6月30日、わが町文京の区議会本会議がこの請願の採択を決議したのだ。戦争法案の違憲を指摘したうえで、曖昧さを残さず、その廃案を求める請願の採択である。拍手を送りたい。

地方自治法第99条は「地方公共団体の公益にかかわる事柄に関して、議会の議決に基づき、議会としての意見や希望を意見書として内閣総理大臣、国会、関係行政庁に提出できる」とさだめる。この請願は文京区議会の意見として、内閣と、衆参両院に提出されることなる。

東京新聞の報道では、「白石議長は、自身の所属する自民党が成立を目指す法案に反対する要望書を送付することに『議会が決めたことですから、きっちり扱わないといけない』と語った」という。

紹介議員の板倉美千代さんは共産党の所属。ブログでもと探したが、見あたらなかったので、代わって金子てるよし文京区議(共産党)のブログを紹介する。決議成立の経過について、次のように解説されている。

■「不採択」の主張は自民・公明だけ
 請願が審議された総務区民委員会は、採決に加わらない委員長を除くと委員は8名(自民1、公明1、未来3、共産2、市民1)です。26日の総務区民委員会で自民・公明の委員は「決して戦争法案ではない」「歯止めがある」と反論しましたが、未来・共産・市民の委員は「憲法違反」と指摘し、採択6・不採択2で「採択すべき」との報告が議長にされていました。

■マスコミも注目「東京」(1日付)が報道
「安保法制関連法案の廃案を求める要望書」が区議会の意思として政府に提出されることが確実になった30日、本会議開催前から党区議団にも取材があり、共産党都委員会や民主党都連への取材も踏まえ、法案に明確に反対の請願採択は“23区では初めて”と注目し、記事を掲載しました。

「未来」とは、正式名称は、「ぶんきょう未来」。「民主、維新、無所属の10人が所属する区議会最大会派」とのこと。結局、自・公が孤立して、本議会では「賛成多数」による採択だった。今は、自公以外は戦争法案に反対の姿勢なのだ。

民主党のベテラン・渡辺まさし区議のホームページの、立派な一文(抜粋)も紹介しておきたい。
特筆すべきは「安保法制案の廃案を求める」請願が採択されたこと。この案件において、地方議会から政府にダメだしを発信できたことはとても意義あることで、まさに区民の「時の声」を反映できたものと嬉しく思っています。
……地球の裏側で自衛隊が武力行使することや、集団的自衛権を行使できるなどということは、どう解釈しても現下の憲法では読み解くことが出来ないと思います。政府は集団的自衛権の行使について「歯止めがある」と強調していますが、国会審議を見る限りそれらも曖昧なままです。これらのことを真摯に受け止めて、どうぞ今後国会においては立法府として、また国権の最高機関としての矜持を示して頂き、間違っても憲法違反となるであろう法案を成立させることのないよう強く望むものです。

6月20日のNHKニュース7が、「安全保障法制について各地の地方議会が次々と国への意見書を議決している」というニュースを報じた。
その集計結果は、
  賛成    3
  反対  181
  慎重   53
である。この数字はなかなかのものではないか。

もっとも、NHKは、「賛成」と「慎重」の各1議会を現場取材して放映したが、「反対」意見を議決した圧倒的多数の議会については、一つも取り上げなかった。このみごとな偏向ぶりが話題を呼んで印象が深い。

今日(7月3日)の赤旗の首都圏欄に、文京区だけでなく、鎌倉市(13対10)と、国立市(12対9)での廃案を求める請願採択の記事が出ている。いずれも、反対した自公が孤立して敗れている。これは、今の世論の動向を良く表した結果だ。

これで、少なくとも、反対決議をした地方議会数は184となった。国会の会期は9月下旬まで。文京区や鎌倉市の成果が他に伝播していくことを期待したい。
(2015年7月3日)

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