澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

教育勅語暗唱の「洗脳」に批判と怒りを

一昨日(3月1日)の朝日新聞が、「森友学園 公教育を逸脱している」と、異様な塚本幼稚園の教育内容を批判する社説を掲載した。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12819044.html

森友学園とアベ政権の関係をめぐるこの一連の疑惑。その根底にある最も本質的な問題は森友学園の教育内容にある。反憲法的な復古主義教育に、政権が無批判であるだけでなく、異例の優遇を重ねてきたことが大問題なのだ。この偏頗な教育内容をこそ、批判の対象としなければならない。「私立学校だから教育方針は自由」との「屁理屈」を許してはならない。キーワードは「公教育」である。私立学校といえども、公教育である以上は教育基本法を頂点とする教育法体系を尊重しなければならない。
朝日社説は、このことを明確に意識したものとなっている。

子どもの教育法として望ましい姿とはとても思えない。
 学校法人森友学園(大阪市)が運営する幼稚園が、運動会の選手宣誓で園児にこんな発言をさせていた。
 『日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史でうそを教えないようお願いいたします』『安倍首相がんばれ』『安保法制国会通過、よかったです』
 運動会とはおよそ関係のない話で、異様さに耳を疑う。
 教育基本法は、特定の政党を支持するなどの政治教育や政治的活動を禁じている。安倍首相自身、自らへの『応援』について国会で『適切でないと思う』と述べた。当然だ。
 深く理解できる年代でもない子に、他国名をあげて批判させたり、法の成立をただ『よかった』と言わせたりすることが、教育に値するだろうか。
他者を排し、一つの考えを植えつけるような姿勢は、公的制度にのっとった公教育としてふさわしくない。『自他の敬愛と協力』の重視を求める教育基本法の趣旨にも反する。
 この幼稚園は、園児に教育勅語を素読させてもいる。学園が4月に開校予定の小学校でも同様に素読させるとしている。
 教育勅語は、天皇を頂点とする秩序を説き、戦前の教育の基本理念を示したものだ。『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑問を残す』などとして、48年に衆参両院で排除・失効の確認が決議されている。この経緯からも、素読は時代錯誤だ。
首相の妻の安倍昭恵氏は、幼稚園での講演で『この幼稚園でやっていることが本当にすばらしい』と語ったという。教育内容をどこまで知っていたのか。小学校の名誉校長を辞したが、経緯はなお不明なことが多い。
 首相は当初、学園や理事長について『妻から先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている』と肯定的に語っていたが、その後、『学校で行われている教育の詳細はまったく承知していない』などと距離を置き始めた。いかにも不自然だ。(以下略)」
そして、本日(3月3日)の毎日新聞社説が続いた。森友学園の教育内容を厳しく批判したもの。題して、「森友学園 教育機関と言えるのか」。
http://mainichi.jp/articles/20170303/ddm/005/070/098000c

果たして教育機関を名乗る資格があるのか。学校法人「森友学園」の実態が明らかになるにつれて疑念が深まる。
 学園が運営する幼稚園の運動会で「安倍(晋三)首相がんばれ。安保法制、国会通過よかったです」などと園児に選手宣誓をさせていた。この映像を見て異様さを感じた人は少なくないはずだ。
 教育基本法は思想が偏らないよう教育の政治的中立を求めている。園児にこうした宣誓をさせることが法を逸脱しているのは明らかだ。
 政治について理解する力が身についていない幼児に、大人の思想を押しつけるのは教育ではなく、まさに洗脳である。
 子供の健全な成長に影響を及ぼしかねない深刻な事態だと受け止めなければならない。
 この幼稚園は教育勅語を園児に暗唱させており、新設予定の小学校でも素読させるとしている。
 明治憲法下の教育理念である教育勅語は忠君と国家への奉仕を求めていた。1948年、『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す』などと衆参両院で排除と失効確認が決議された。公式決議の意味は重く、教育現場での暗唱はふさわしくないはずだ
 強引に戦前回帰を進めようとする籠池泰典理事長らの姿勢は時代錯誤と言わざるを得ない。
 学園を監督する大阪府は、教育基本法の趣旨を踏まえた教育内容に改めるよう指導を徹底すべきだ。(以下略)」

両紙の社説に賛同し、敬意を表したい。毎日の「政治について理解する力が身についていない幼児に、大人の思想を押しつけるのは教育ではなく、まさに洗脳である。」という一文が、本質を衝いている。

教育とは、特定の価値観を押しつけることではない。多様な見解に柔軟に接して咀嚼する姿勢を基本に、自らの価値観を形成する能力を育成することではないか。教育勅語こそは、天皇制権力による臣民への偏頗な國體意識刷り込み教育の象徴であった。現代の公教育の場にあってはならないものと言うべきである。これを口を揃えて幼児に暗唱させるなど、醜悪でおぞましい洗脳以外のなにものでもない。新設小学校でこのようなことがあれば、入学児童に対する人格破壊行為と言って過言でない。

森友学園に突出して見えている問題は、実は政権も抱えている。幼稚園児や保育児童に対して、「日の丸・君が代」に親しませるというのだ。まさしく、三つ子の魂に、ナショナリズムを吹き込もうということではないか。

森友学園への批判と怒りは、アベ政権への批判と怒りにしなければならない。
(3月3日)

籠池夫妻と首相夫人を参考人招致せよ

事態の推移が目まぐるしい。昨日(3月1日)の当ブログで、「アベ友学園疑惑」問題での攻防の焦点は4月開校予定の「瑞穂の國記念小學院」の開設許可を阻止できるか否かだ、と書いた。ところが、本日(3月2日)の毎日夕刊に、年度内の設立認可は保留となって、「開校は早くても来年4月になる見通し」の記事が出た。緒戦の勝利だ。これで、疑惑の全容解明に弾みがつこうというもの。昨日(3月1日)の参院予算委員会での共産党小池晃質問の衝撃の効果が大きい。

昨夕の鴻池議員の記者会見も衝撃だったが、本日の朝日夕刊には、「森友学園と国の交渉仲介か 鴻池氏の事務所、接触25回」の記事。「事務所は籠池氏と国の交渉を仲介し、籠池氏や国との接触は2年半で25回に上った。籠池氏の要求は次第にエスカレートし、具体的な金額を提示して金額を低くするよう国への働きかけを求めていた。」という。これこそは、今後解明すべき疑惑の本流であろう。

これは、甘利問題に続いての、あっせん利得処罰法(正確には、「公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律」)違反疑惑ではないか。もちろん、「コンニャク」(100万円)まがいを差し出したという籠池夫妻側にも、同法4条違反の「利益供与罪」の疑惑がかかることになる。法定刑は、「1年以下の懲役または250万円以下の罰金」である。

ところで、小池質問にアベが答弁を渋ってもち出したのが、「私の妻は私人」の論理。私人の行為についての質問に回答の義務はなかろう、という文脈での理屈。まともな理屈にならないことはアベもよく分かっているのだろう。一応は拗ねてみたものの、結局は不誠実ながらも回答はしているのだから。

この「首相の妻は公人か私人か」論争。結構紙面を賑わせている。たとえば、朝日が、「首相は、学園が開校予定の小学校の名誉校長になっていた昭恵氏について、『私人だ』と主張。これに対して、野党側は『学園のパンフレットや講演会でも『内閣総理大臣夫人』の肩書で紹介されている。明らかに公人だ』(共産党の小池晃書記局長)と批判している」という具合に。

小池質問とアベ答弁の該当個所を、産経の報道に基づいて抜粋してみる。
小池「『安倍晋三小学校をつくりたい』という話があったのは、総理を辞めたときとおっしゃっていますが、これはいつか?」
安倍いつかというのは、辞めた後でして、いつかということは記憶には定かではない。夫婦の会話ですから、それは、いつそういう会話をしたかは明らかではないのは当たり前なのではと思います
小池「『辞めたときに、妻が知っておりまして』ということは、それ以前から夫人は籠池氏を知っていたということか? 総理夫人は、籠池氏といつからの知り合いか? これまで何度会われているのか?」
安倍これは総理を辞めた後ですから、いつかはわかりませんよ。そして妻は私人なんです。いちいち、その妻をまるで犯罪者扱いするのは、極めて、私は不愉快です。極めて不愉快ですよ! 本当に私は不愉快ですよ、そういう犯罪者扱いするのは。それは、いつ知ったかということについてはこれは、私は承知をしておりません
小池「『私人』とおっしゃいますが、パンフレットにも出ている。講演会でも『内閣総理大臣夫人』という肩書が紹介されている。肩書が困るのであれば『やめてください』と言うべきだ。そのまま講演して、パンフレットに載っている。学校案内に載っている。明らかに公人としての活動だ。」

「公人」「私人」二分論が、論争の前提にある。「公人」にプライバシーはなく、批判の言論に高度の受忍義務が課せられる。「私人」のプライバシーは尊重を要するし、名誉毀損言論を甘受しなければならない筋合いはない。この分類において、いかに線引きがなされるのか。

「公人」という言葉は、法律の条文には出てこない。一般的な法律用語とも言いにくい。定評ある「法律学小辞典」(有斐閣)の項目になく、索引にも出て来ない。必ずしも明確な定義のある概念ではない。

「公人」は、アメリカの名誉毀損訴訟における判例紹介の中で、特有の意味を付与された用語だと考えられる。「公務員あるいは議員」として、公務についている人のみをさす言葉ではない。

アメリカの名誉毀損訴訟には、「現実的悪意の法理」というものが定着している。言論による名誉毀損被害者を「公人」と「私人」とに分け、公人に対する名誉毀損表現を手厚く保護する。表現者に現実的悪意(間違った表現であることを知っていてなお敢えてする故意)ない限り、違法とはならない。だから、公人と私人の区別は極めて重要となっている。

アメリカの名誉毀損判例法理では、公人は「公職者(public official)」だけでなく、「公的人物(public figure)」をも含む概念である。公的人物とは、「公職者と同等の政治的重要性をもった人物」「公衆が正当で重要な関心をもつ論点に関与した人物」などとされる(「表現の自由と名誉毀損」松井茂記)。あるいは、「公的な論争に自ら参加したり名声を得たりしたことで批判にさらされる『危険』を引き受け、しかもメディアにアクセスする手段を持つ人のこと」とも(「名誉毀損」山田隆司)。

いかなる定義を与えようとも、アベの妻が「公的人物(public figure)」に該当すること、つまりは「公人」であることにいささかの疑問の余地もない。「公務員でも議員でもないから、『公人』ではない」は、通用しない。国家からの録を食まず、選挙の洗礼も受けていないから、「私人」であるとも言えない。

この人、「公職者と同等の政治的重要性をもった人物」ではないか。「国民が正当で重要な関心をもつ論点に関与した人物」でもある。何よりも、「敢えて右翼教育礼賛の公的な論争に自ら参加したことで、真っ当な世論の批判にさらされる『危険』を引き受け、しかもその右翼教育機関の広告塔を引き受けて、メディアとの積極的な接点をもつ人」にほかならない。

ことは、わが国の政治体質の根本に関わる。徹底して疑惑を解明しなければならない。政治家への口利き依頼の有無については籠池夫妻を国会に招致しての質疑が必要である。そして、政権と右翼教育との橋渡し疑惑には、アベ妻の参考人招致が必要ではないか。けっして私人ではない。いずれも、「公的人物」として、公人としての資格において。
(2017年3月2日)

「国有財産不正払い下げ疑惑小学校・不名誉校長」辞められるかしら?

サンク・コスト(埋没費用)という経済用語がある。回収不能な既投下費用のことで、その意味自体は分かりやすい。規制緩和を合理化する理論と結びついた概念なのだそうだが、そんな背景とは切り離して、いろんな場面で使われている。

あるプロジェクトの進捗が順調でない場合、撤退するか継続するか、その悩ましい局面でサンク・コスト(埋没費用)が問題となる。撤退すれば、これまでの投下費用がムダにはなるが、それ以上の損失の拡大は防止できる。敢えて事業を継続して成功に到達すれば、これまでの投下費用が生きることにはなるが、さらに費用を追加し損失を拡大して失敗に至るリスクを抱えなければならない。

サンク・コスト(埋没費用)が大きければ大きいほど撤退は困難になる。かつては、戦争や作戦継続のために軍がこの理を使った。「既に莫大な軍事費を投入し、人的資源も損耗した。いまさら方針を変更することはできない」「勝利を見ることのない撤収とあっては、満蒙の地に眠る英霊たちに申し訳が立たないではないか」として、結局のところ破局にまで暴走をかさねた。

原発も同様だ。あれだけの事故を起こしながら、サンク・コストに引きずられて、結局は原発と縁を切れない。なし崩しに再稼働を認めているのだ。この点は、ドイツとの対比が鮮やかだ。

投資でもバクチでも同じこと。これまでの損にこだわって、これを取り戻そうとあがくことが、結局は大損の原因となるのだ。これを「サンク・コスト効果」というようだ。あるいは、「サンク・コストの罠」「サンク・コストの呪縛」などとも。

もし、豊洲移転の方針を撤回して、これ以上、豊洲に金を注ぎ込む愚に終止符を打つことができれば、画期的なことになるだろう。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」は、道徳律であるよりは、経済原則なのだ。その場合、サンク・コストを生んだ責任を徹底して追及しなければならない。

さて、学校法人「森友学園」の「アベ友疑惑小学校」設立認可の問題について、「サンク・コストの罠」の視点から問題を考えてみたい。新学校開設を推進するか、あるいはここできれいさっぱり断念すべきか。

まずは、子供の立場を考えれば
そもそも、この小学校は社会への不適応児をつくるものと自覚されている。小学校設立の趣旨をアベ妻自身がこう語っている。
「せっかくここで芯ができたものが公立の学校に行くと揺らいでしまう」
ここというのは、塚本幼稚園のことだ。つまり、「せっかく塚本幼稚園で、『大日本帝国万歳』『安倍晋三総理万歳』という右翼教育をしても、小学校に行くと、そんなものは通らない。公立で普通の教育を受けることになれば、雲散霧消してしまう」。だから、サンク・コスト効果が働いて、幼稚園教育を生かした小学校の設立が必要というのだ。しかし、小学校にやれば、次は中学、そして高校。いずれは社会に出なければならなくなる。サンク・コストが大きくなるほど、社会への適応が困難になる。右翼幼稚園教育を継続するか、早めに清算すべきか。できるだけ、早いに越したことはない。設立認可などない方が子供のためだ。

学校法人「森友学園」の立場から
アベ夫妻のご威光のおかげで、学校敷地は国有財産をただ同然で手にすることができた。ここまでは順調で感謝感激。でも、校舎建設費やゴミ処理費用まではただ同然とはいかない。4月開校を前提に教職員の募集をし、これに相当の費用をかけてもいる。当法人の財政規模からは、相当過大な金額の学校開設費用を投じている。学校開設を断念すれば、これらがサンクス・コストとして埋没してしまう。いまさら、敵前逃亡はなしがたい。

さりとて、これから学校を開設するとなれば、生徒が集まるか否かにかかわらず、莫大な維持費がかかることになる。教職員に賃金を支払っていけるだろうか。はなはだ心もとない。これまで経営してきた塚本幼稚園でさえ、生徒の応募状況は募集定員の半数に満たない。新設予定の小学校では、新1年生と新2年生それぞれ80人を募集し入学予定者は1年生が45人、2年生が5人だったが、1年生予定者のうち、朝日の報道があって以来5人が辞退した。騒ぎが大きくなって今後さらに辞退者が増えることも覚悟しなければならない。採算点は60人なのだから、経営的にはまったく自信がない。やっぱり、早めに撤退した方がいいのだろうか。悩みは尽きない。

生徒の保護者の立場から
大事な我が子の小学校選び。安倍総理大臣ご夫妻が肩入れされているということで、立派な教育をしてくれる学校と思ったんです。でも、塚本幼稚園の教育内容をよく聞くとどうもおかしいことだらけ。一人ひとりの生徒が大切にされる雰囲気はないし、話題は、ヘイトスピーチに、児童虐待との報道。園を辞めたり辞めさせたりのトラブルが絶えない様子。

私の場合は、サンク・コストを考える必要はありません。この学校が抱える問題点がよく見えてきた今、もっと安心して常識的な教育を行う小学校に通わせた方がよいと思うようになりました。

昨日の私学審の席では、「避けなければいけないのは、開校したものの児童が集まらずに結果的に運営ができなくなること」「来年以降に児童が集まるのか」「(経営見通しは)みんな危惧している」と、発言が相次いだそうではありませんか。また、「常勤の教職員で小学校の教員経験者が少ない」「カリキュラム内容も不透明」とも報道されていますよね。そんなところに子供をやれますか。きっと、辞退者はどんどん増えていきますよ。

だいたいこの学校の経営がいつまでもつかは疑問だらけ。それにしても、私学審などの討議状況は、秘密にしないで公開していただきたいものですね。あとになって、保護者が、「そんなことを知っていたらこんな学校にやるはずはなかった」と後悔することのないようにお願いします。

アベ妻の立場から
あーあ、こんなことになるのなら、初めから名誉校長なんて引き受けるんじゃなかったわ。塚本幼稚園の教育には、錚々たる右翼のみなさんが関わっているでしょう。私も夫も、右翼は大好きで、教育勅語も五箇条のご誓文も軍歌もヘイトにも何の違和感もないんですよ。でもこれまでチヤホヤしていたマスコミが、突然に寄ってたかって叩き始めて面食らっているの。これでは「名誉校長」とは名ばかり。国有財産不正払い下げ疑惑の「不名誉校長」になってしまったじゃありませんか。

「瑞穂の國記念小學院」「名誉校長」の立場。本当はもう降ろしてもらいたいの。籠池さんは国会に呼ばれるって話があるけど、私はいやですよ。これ以上関わりたくはない。

でも、ここまで関わってしまった今になって抜けてしまうって言うと、右翼のみなさんがどう思われるかしら。せっかくのアベ内閣への右翼筋の信頼がなくなり、支持率がぐんと下がってしまうことにならないかしら。

とはいえ、このまま名誉校長を続けて開校すれば、たくさんの人の批判の的になってしまうことでしょう。アベ内閣のダメージにもなる。それだけでなく。いずれ開校後に財政が破綻して小学校がつぶれれば、そのときの名誉校長への世論の風当たりはこの上なく強いことになる。口さがないメデイァの恰好の餌になります。それなら、小学校の開設認可をストップするか、あるいは名誉校長を辞めるのがよいのでしょうね。

いっそのこと、私学審が小学校開設を認可不適当と答申して、大阪府知事が認可しないのが一番良い。それなら、名誉校長もなくなるし、すべてを私学審のせいにして収まるのではありませんか。
(2017年2月23日)

ヘイトスピーチに、もっと敏感になろう。もっと強く批判しよう。

岩波ジュニア新書「1945年8月6日ーヒロシマは語り続ける」(伊藤壮著)に、次の一節がある。

 満州事変がはじまって以来、町は戦争一色にぬりつぶされようとしていた。学校でも家庭でも、中国軍という「悪者」をやっつける「正義」の味方、日本車の勇敢な戦いぶりに、子どもたちはすっかり感激していた。
 満州事変のさなかに茨城県に住む小学校高等科一年生(いまの中学一年生)が書いた『朝日新聞』への投書がある。
「毎日、毎日の新聞は、連盟(国際連盟)における日本の不利を報じています。私は連盟って何だかわかりません。が、日本をつぶす会のようにしか考えられません。なぜ、外国は支那をたすけ正義の日本を悪くしているのでしょう。満州にいる兵隊さんたちよ、あまりにも馬鹿な支那をうちこらしてください。日本の国のために、たとえ支那にアメリカがつこうが、ロシヤがつこうとも、断然立って戦ってください。九千万の同胞のために戦ってください。二七年前に私たちの父祖が血を流した満州の地を守ってください。広い満州の野は日本の生命です。ああ私たちの兄さんよ、どうか奮闘してください。お国のために闘ってください。正義にはむかう不正なる支那をうちこらしてください。」

この投書を読んで、背筋が寒くならないか。恐怖を感じないか。これが、あの時代の日本であり、日本人だった。恐るべき国の恐るべき時代。

この投書の子どもは、しっかりとした文章の書ける明晰な頭脳を持っている。中学一年生の年齢で、国際連盟の動きにも、満州の歴史にも通じている。そして、おそらくは、「正義感」も強い優等生だったのではないか。

彼のいう「正義」とは、「お国」と同義である。日本こそが正義そのもので、これと闘っている「支那」は、「あまりにも馬鹿」なのだから、「うちこらして」当然なのだ。アメリカもロシヤも、国際連盟も、日本に敵対するものは全て不正義で、「お国のため」に闘うことが正義の闘いという確信に満ちて、少しの揺るぎもない。

戦前の政府は、子どもたちをこのように育てることに成功したのだ。恐るべき「教育」いや、マインドコントロールの成果。戦争とは国家の名における大量殺人にほかならない。自国を美しい正義とし、敵国を醜い不正義としなければ、闘いはできない。敵国の民を憎むべき人々に仕立て上げなければ、大量の人殺しはできない。そのような刷り込みがあって初めて、戦争を始めることができるのだ。

ヘイトスピーチとは、そういう刷り込みの性格をもったものだ。他国を他民族を、憎むべき集団として描き出す。その差別者意識は、薄汚いだけでなく、きわめて危険なのだ。

たとえば、今話題の「アベ疑惑・小学校」の開設申請者として知られるようになった籠池泰典塚本幼稚園長などは、中国・韓国などへのヘイト感情を隠そうともしない。

同園への批判に対し、「これらの内容は全くの事実無根であり、保護者間の分裂を図り、当園の教育活動を著しく害するものです。専門機関による調査の結果、投稿者は、巧妙に潜り込んだ韓国・中国人等の元不良保護者であることがわかりました」と言ってみたり、「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと記載した文書を保護者向けに配布したり。また、「名古屋の塾から小学校を興した人も市内の高校を買収した人も在日ですから、この学校では勉強はできても国家観はズタズタになり反日の人間になり得る」「現(沖縄)知事は親中華人民共和国派、娘婿も支那の人である。もともと中共に従いたいと心から思っているので、中共の手先かもしれない」といった調子。

安倍晋三は、国有地払い下げへの関与は否定しても、この右翼・差別主義者との親密さを隠そうとはしていない。「価値観を共有する間柄」の如く思われて痛痒を感じないようなのだ。一方、この右翼幼稚園経営者は「アベの後ろ盾」を誇示する如くである。

ヘイトスピーチを行う者は、唾棄すべき存在として、この社会から強く指弾されなければならない。だが、もう子どもではないアベと籠池。諭しても説教しても聞く耳は持たないだろう。有効な手段は、ヘイトスピーチを繰り返している限り、問題のアベ疑惑小学校の開設はなく、幼稚園の経営も成り立たないと知らしめる以外にない。

塚本幼稚園の元保護者が作る「T幼稚園退園者の会」がホームページを立ち上げて、貴重な情報を提供している。
https://youchienblog.wordpress.com/

園から保護者に対して、信じられない数々の愚行が繰り返されてトラブルを引きずっており、この幼稚園の経営が継続できるとは思えない。

昨年(2016年)5月の時点で、定員315人に対して、園児の数は以下のとおり。
年長 51名
年中 36名
年少 68名
計155名で充足率は50%を切っている。そして現在の実数は、もっと少ないという。これでは、経営がずいぶん苦しかろう。もう少しの批判の積み重ねで、園の方針を変えることができるのではないか。

新設予定の「アベ疑惑小学校」の定員は1学年80名。塚本幼稚園の年長組が全員入学しても30名不足という。世論の批判を大きくすれば、経営が成り立たなくなる。さすれば、小学校の開設認可もなくなる。アベに擦り寄っても意味のないことを明らかにもできる。ヘイトスピーチ幼稚園、ヘイト小学校の経営が成り立たない状態をつくり出すことが、最も現実的な対応策だろう。

「お国のために闘ってください。正義にはむかう不正なる支那をうちこらしてください。」と投書する子どもを再び作ってはならない。アベと籠池と、両者に対して強い批判を積み重ねなければならない。
(2017年2月22日)

大阪府知事は「アベ疑惑小学校」の認可を留保せよ

当ブログでは、2月11日(建国記念の日)に取り上げた「瑞穂の國記念小學院」の設立認可問題。次から次へと「疑惑」が噴出している。その「疑惑」とは、安倍晋三夫妻と真正右翼との関わりであり、その関わりが、国有地払い下げに格別の取り計らいをもたらしたのではないかという強い疑いである。

校舎建設は進んでいる様子だが、この右翼小学校の設立認可はまだ下りていない。その認可の権限は大阪府知事にある。「大阪府私立小学校及び中学校の設置認可等に関する審査基準」によれば、3月31日が手続的には、知事権限による認可の期限である。しかし、「首相関与の国有財産不正払い下げ疑惑」はますます深まっている。その解明あるまで、軽々に認可を与えてはならない。

本日(2月21日)の赤旗は、同紙が入手した、大阪府私立学校審議会(私学審)での審議録に基づいて、次のように報道している。

「府側は私学審での認可適当の答申を前提に15年2月に国有地の処分の是非を審議する国有財産近畿地方審議会が開かれると報告したものの、14年12月の(私学審)会議では結論を保留。15年1月27日に臨時の審議会(私学審)を開催。指摘された問題について学園側が提出した書類についてなお『人件費が30%いかない。相当ひどいことをしないとできない』『まずい場合は認可しかるべしを取り下げる』などの意見が出されました。しかし、学校建設にかかる工事請負契約の締結状況や寄付金の受け入れ状況、詳細なカリキュラム、入学志願の出願状況など、開校にむけた進捗状況を次回以降も審議会に報告する条件付きで認可適当と認め府に答申しています。」

私学審の認可適当の答申は実は条件付きなのだ。その条件に関わって、重要な事実が2点大きな疑惑として浮かびあがってきている。

第1点は、法人の基本財産でもある校地(校舎敷地、屋外運動場等)の取得が確定的であるかの疑問である。国有地を「ただ同然」で取得した疑惑の経過が世に明らかとされてなお契約が有効として維持されるかどうか、はなはだ疑問ではないか。適正な価格を再算定してなお、経営主体がこれを取得する十分な財政能力を有しているとは考え難い。

要するに、特別のはからいでの価格と支払い方法での校地取得を否定されたら、学校経営などできはしないだろうということだ。

近畿財務局と森友学園とが、どんなからくりを使って文字通り「ただ同然」で、国有財産をアベとつるんだ右翼に払い下げたか。今のところ、最もよく調べているのは、下記のサイトであろう。筆者は京都の自由法曹団員弁護士である。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20170220-00067887/

第2点は、「寄付金の受け入れ状況」についての疑惑である。森友学園が、「安倍晋三記念小学校」の校名で、設立費用の寄付を募集していたことが明らかになっている。いつからいつまで、安倍晋三の名を使って、いったいいくらの金額を集めたのか。これが明らかにされないうちの認可はあり得ない。アベ首相自身が、「自分の名が使われたことは知らなかった」と国会答弁しているのだ。アベは、金集めのために勝手に自分の名が使われたことをもっと怒ってしかるべきではないか。

私学審答申の「認可適当」の条件は、単に形式的に報告があればよいというものではない。報告の内容が、再議を必要とするものであれば、当然に条件成就とはならないはずではないか。

それにしても、「秘すれば花」とは風流の世界のこと。豊洲にしても、南スーダンの日報にしても、「隠すのは醜悪さを見られては困る」からなのだ。情報公開請求を拒否した近畿財務局の経過隠蔽が、疑惑の発端となったこの事件。隠しきれなくなっての疑惑がふくれ、その醜悪さが際立ってきた。

森友学園理事長籠池泰典とは、経営する塚本幼稚園の保護者に「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと記載したヘイトスピーチ文書を配布して物議を醸した人物。アベとは「類は友を呼ぶ」、あるいはもともとが「同じ穴のムジナ」というべきか。「あい寄る魂」は美しいが、政治右翼と真正右翼の醜悪この上ないあい寄る疑惑の関係。

両者の関係を白日の下にさらけ出す努力が今求められている。その疑惑解明までの間に、この「アベ疑惑小学校」設立の駆け込み認可があってはならない。
(2017年2月21日)

「瑞穂の國記念小學院」入学予定の生徒と父母の皆さまへ

よい子のみなさん、お集まりなさい。お父さまお母さま方も、ご参列ください。

さあ、まずは天皇陛下のいらっしゃる宮城に向かって、みんなで遙拝しましょうね。それから、いつものとおり教育勅語を唱えて、「君が代」と「海ゆかば」を合唱しましょう。天皇陛下や皇室を敬い、立派な日本人になる気持ちを込めて唱うのですよ。

みなさんは、塚本幼稚園を卒業して、この春から新しくできる「瑞穂の國記念小學院」の一年生になります。その学校では、ほかの学校とは違った正しい日本人になるための教育をうけることになります。その正しい日本人としての心得を、これから安倍昭恵名誉校長先生がビデオメッセージでお話しになります。みなさん、しっかりお聞きしましょうね。

ご存じのとおり、安倍昭恵名誉校長先生は安倍晋三首相の奥様でいらっしゃいます。安倍晋三首相は、常々「今の時代はまちがっている。戦争に負ける以前の強く正しい、立派な日本を取り戻さなければならない」とおっしゃって、これまでの塚本幼稚園の教育をお褒めいただいてまいりました。奥様には、新設の小学校の名誉校長就任までお引き受けいただき、当学校法人森友学園にはいろいろ便宜をはからってただいたことを、心から感謝申し上げます。では、名誉校長先生のお話しのビデオのスイッチを入れます。

私が、「瑞穂の國記念小學院」名誉校長の安倍昭恵です。夫・安倍晋三は、右翼だ、軍国主義者だ、歴史修正主義者だと悪口を言われておりますので、本校のような、真正の右翼で、軍国主義で、歴史修正主義の教育支援をすることはなかなか難しいのです。そこで、妻である私が代わってお引き受けし、右翼の皆さまに安倍の本心を察していただくとともに、リベラルの皆さまから安倍への直接の攻撃を避けているわけでございます。

「瑞穂の國記念小學院」は、清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくることを目的としています。教育勅語を教育の基礎に据えて、教育勅語に書かれた理想のとおりの民草を育てることが校是です。生徒は教育勅語と五箇條のご誓文を暗記して毎日奉唱いたします。けっして、日本国憲法の条文を暗記させるなどいたしません。こうしてこそ、天皇陛下や皇室を敬い尊ぶ立派な日本人が育つのです。

たまたま、今日は紀元節です。日本という國の誕生日というおめでたい日。日本という國は万世一系の天皇がしろしめす國ですから、初代の天皇が即位した日をもって國の誕生日と定めたのです。

古事記には、次のように書かれています。
神倭伊波禮毘古(かむやまといはれびこ)の命、その同母兄(いろせ)五瀬の命と二柱、高千穗の宮にましまして議(はか)りたまはく、「いづれの地(ところ)にまさば、天の下の政を平けく聞(きこ)しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向(ひむか)より發(た)たして、…… かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向けやはし、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下治(し)らしめしき。

分かりやすく言えば、こういうことです。
昔むかし、「かむやまといはれびこ」という神様がいらっしゃって、日向の高千穗から東に征伐の旅を続け、土地土地の悪い神と闘い、苦労してやっつけて、畝傍の橿原宮まできて天下を治めた、というのです。

日本書紀には、「かんやまといわれひこのすめらみこと」が、即位して、「はつくにしらすすめらみこと」と称したとなっています。この方が、初代・神武天皇で、以来皇統が連綿と続いているのでございます。古事記にも日本書紀にも、これがいつのことかは、書いてありません。しかし、明治時代に、きっとこの日に違いないと、2677年前の2月11日に決めたのです。特に、大した根拠はないのですが、立派な日本人はそんなことは問題にしません。縄文期に国家の形成はあったのかしら、などと不敬なツッコミをしてはなりません。隣国朝鮮の檀君神話などは非科学的だと攻撃してもよいのですが、日本の皇室の尊厳をおとしめてはならないのです。

なぜ、皇室が尊いか。それは、皇室が神様の子孫であるからです。古事記には、こう書かれています。

天照らす大神の邇邇藝の命(ににぎのみこと)へのお言葉として、「豐葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあきの)水穗(みづほ)の國は、汝(いまし)の知(し)らさむ國なりとことよさしたまふ。かれ命のまにまに天降(あもり)ますべし」

アマテラスオオミカミの孫がニニギノミコトで、その子孫が神武天皇なのです。「水穗(みづほ)の國」とは日本のことで、アマテラスオオミカミがおっしゃったとおり、「水穗(みづほ)の國・日本」は、ニニギノミコトの子孫である万世一系の天皇が永遠に治める国とされたのです。神様がそうおっしゃったのだから、絶対に間違いありません。このことを少しでも疑うものは、立派な日本人とは言えないのです。

私が名誉校長となった、「瑞穂の國記念小學院」の名前は、この古事記や日本書紀の「みづほの國」から取ったものです。この学校では、その名前のとおりの、立派な日本人を育てようというのですから、日本の国が便宜を払ってくれてよいはずと思います。

この学校の敷地は、近畿財務局から国有地を払い下げていただいて取得しました。この払い下げの件について、一昨日(2月9日)の朝日新聞が、あたかも裏に重大な疑惑があるような悪意の記事を書いています。今日(2月11日)の赤旗新聞もこれに続いています。

朝日も、赤旗も、敬神尊皇の心をもたない荒ぶる輩ですから、書いてあることを信用してはいけません。たとえ記事が真実と証明されてもです。真実などには、大した価値はありません。大切なのは、皇室と日本を敬い尊ぶ心であり、政権を支えようとする善意なのですから。

朝日の記事の見出しは次のとおりです。
「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」
国が本校の敷地を払い下げるにあたって、汚い裏工作があったのだろうと思わせる、意地悪な見出し。問題は3点ほどとなっています。

第1点。払い下げ価格が隠されていたこと。
国有地の払い下げ価格は公表が原則なのに、本件では公表されなかった。不審に思った、地元の豊中市会議員が情報開示を求めたが、却下された。朝日新聞も情報開示を求めて却下された。近畿財務局管内の類似払い下げ案件は36件あり、他の35件は全て公開されているのに、本件だけが非公開。これは、意図的な隠蔽ではないのかという指摘にほかなりません。常識的には、後ろ暗いところがあるから、値段を非公開に隠蔽したのだろうと思われても仕方がないようですが、けっして朝日や赤旗の尻馬に乗ってはいけません。

第2点。払い下げ価格が安すぎるという点。
報道のとおりだと、相場の10分の1程度の安い価格での払い下げだったようです。そして、財務当局は、朝日新聞の取材に対して、「価格は土地の個別事情を踏まえたもの。その事情が何かは答えられない」と話しているそうです。これだけ聞くと、朝日や赤旗の多くの読者が、何か不正なことが行われているのだろうと思うことになるでしょう。しかし、立派な日本人を育成するための小学校の敷地の払い下げなのですから、安ければ安いほどいいんじゃございません。

朝日の記事では、同じ土地について、「別の学校法人が森友学園より前に校舎用地として取得を希望し、路線価などを参考に『7億円前後』での売却を財務局に求めていた。これに対し、財務局から『価格が低い』との指摘を受け、12年7月に購入を断念したという。それから約4年後、近畿財務局は同学園(学校法人森友学園)に1億3400万円でこの国有地を売却したとみられている。」と意地の悪いことを書いています。どうせこの別の学校では、皇室の尊厳など教えないんだから、結果はよかったんじゃないでしょうか。

なお、その後の報道では、払い下げ土地内の廃棄物の除去費用をいくらに見積もるべきかが問題になっているようです。情報開示を求める裁判で、いずれは明確になることなのでしょうが、財務局や学校法人側の説明がいかにも歯切れが悪く、心配でなりません。

そして、第3点。この土地払い下げを受けた学校法人が、右翼的思想で安倍首相と通じて、特別のはからいを受けたのではないか。それでなくては、こんなに安くし、こんなに秘密にした理由の説明はつかない、という政治的なものです。

朝日も、赤旗も、あからさまにそこまで書いてはいませんが、普通の人が読めばそう読める記事の内容になっています。

朝日の記事は、「森友学園の…籠池理事長は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員で、ホームページによると、同校は『日本初で唯一の神道の小学校』とし、教育理念に『日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる』と掲げている。同校の名誉校長は安倍晋三首相の妻・昭恵氏」としています。

赤旗は、大きな見出しで、「名誉小学校長は安倍首相夫人」とし、「同小学校の名誉校長には、安倍晋三首相夫人の昭恵氏が就いています」と、私の写真まで載せています。政治的意図がありありですね。

なお、朝日は、「昭恵氏には安倍事務所を通じて文書で質問状を送ったが、回答は届いていない」と意地悪を重ねています。確かに、質問状は届いていますよ。でも、何と答えても、次の矢が来ることになるではありませんか。じっとしているのが、一番利口なやり方でしょう。どうせみなさん、理解ある日本人。その内、忘れてくれますよ。

でも思うのです。この学校の教育の表向きは、「清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくる」こと。でも、「だんまり、ごまかし、不正直、裏工作」も上手にできなけれは世渡りなんてできませんよね。今回のこと、学校の姿勢や安倍政権の実態、世の中の裏表がよく見えて、生徒たちには、とてもよい勉強になったのではないでしょうか。プツリ。(ここでビデオメッセージは中断)
(2017年2月11日)

「詭弁のイナダ」の防衛大臣辞任を要求する

「白馬は馬にあらず」とは詭弁である。
詭弁は、何らかの実益をもたらす「論証」のためのものである。
「それゆえ、馬の所有への課税も、私の白馬には非課税だ」
「それゆえ、白馬に乗っているかぎり、『下馬』も『乗馬禁止』も無視してよい」
「馬は徴発の対象となっても、白馬を徴発することは許されない」

「殺傷行為も武力衝突も戦闘ではない」は詭弁である。
 この詭弁はPKO派遣部隊の違憲行動を糊塗する。
「それゆえ、殺傷行為があっても武力衝突があっても戦闘があったとは言えない」
「現地に戦闘がない以上、自衛隊の憲法9条違反が問題となる余地はない」

「法は法的概念のみを取り扱う」は、もう一つの詭弁である。
「殺傷行為も武力衝突も事実的な概念であって、法的概念ではない」
「だから、いかに砲弾が飛び交い人が死んでも、全ては『殺傷行為・武力衝突』に過ぎず、戦争を放棄した憲法9条違反ではない」

この詭弁の行き着くところは、こんなところだろうか。
「事実として何が起ころうとも、憲法に禁止されている言葉以外で表現すれば、違憲の問題は起きない」
「戦争も、武力による威嚇も武力の行使も、『殺傷・破壊・武力衝突』と言い換えた途端に、憲法9条違反とはならない」

昨日(2月8日)と今日(9日)、イナダ防衛大臣の答弁として報じられているところは、こうだ。
「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」「戦闘行為ではないということに、なぜ意味があるかと言うと、憲法9条の問題に、関わるかどうかということでございます。その意味において、戦闘行為ではないと言うことでございます」「法的な意味の戦闘行為ではない。国会答弁する場合には、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」「紛らわしい言葉は使わない」

南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)をめぐり、稲田朋美防衛相が8日の衆院予算委員会で「国会答弁する場合には、(戦闘という)憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから『武力衝突』という言葉を使っている」と答弁したことについて、菅義偉官房長官は9日午前の記者会見で「(PKO参加5原則が崩れた状態としないために言い換えているとの)批判は当たらない。全く問題ない」と述べた。(朝日)

だれが聞いても、イナダの答弁は、「PKO参加5原則が崩れた状態としないために言い換えている」以外のなにものでもない。「批判は大当たり」だからこそ、弁明が必要なのだ。

この人は、イデオロギーのいびつさ以前に、事実を事実として認めるという謙虚さに欠けている。こんな詭弁を弄する人物が防衛大臣とは、危険きわまる。野党からの辞任要求は当然のことではないか。

なお、一言。こういう人物が弁護士であることが恥ずかしい。
多くの人が思うことだろう。
「イナダはひどい詭弁を弄する」
「イナダは弁護士だ」
「きっと、弁護士とは詭弁を弄する生業なのだ」

こんなことを思われたくはない。私も、声を大にして要求する。
「一刻も早く、イナダは防衛大臣をヤメロ」「議員を辞めろ」「政治家を辞めろ」
(2017年2月9日)

極右排外主義者同士の「ドン」「シン」会談

よう。オレのファストネームはドナルドだ。ドンと呼んでくれ。
では、ワタクシはシンゾーですから、シンとでも。

オレがドンで、あんたがシン。意味深でいいじゃないか。今後はずっとこれでいこう。
ドンとシンの友情。結構でございます。

あんたとは、ウマが合いそうだ。ドイツやフランスの首脳は、結構うるさいことを言って面白くない。礼儀に欠けるんだな。あんただけが、私に批判めいたことを一切言わないのが、気に入った。
それはもう、ワタクシは身の程をよくわきまえていますから。

メルケルも、オランドも、メイも、みんなヒラリーとおんなじ気取り屋だ。オバマも、オレをバカにしている。あんただけだよ、オレと同類という雰囲気をもっているのは。
そりゃそのとおりです。ワタクシもオバマとは肌が合わない。オバマはワタクシのことは「右翼の軍国主義者」という目で見ていますから。

オレは、「偉大なアメリカを取り戻す」というのがスローガン。
ワタクシは、「戦後民主々義を脱却して日本を取り戻す」。よく似ているのは偶然でしょうか。

お互い、支持勢力が極右の排外主義者。差別のホンネもそっくりだ。民主主義とか人権が大嫌いなところも、よく似ている。
それだけじゃありません。反知性のレッテルがよく似ているし、選挙の前とあとでは、正反対のことを言って平気なことも一緒。お友だちや身内を平気で登用することまで似た者同士。こういうのを、価値観を同じくするって言うんでしょうね。

オレが、次期大統領に決まって以来、全米が湧いているぜ。これまでしおたれていた白人が、ようやく男らしさを取り戻して、ヒスパニックや黒人に威勢を張り始めた。クー・クラックス・クランも眠りから覚めたようだし、ヨーロッパのネオ・ナチ連中も、勢いづいている。
さすがに大きなドンの影響力。でも、ワタクシだって負けてはいませんよ。ワタクシが総理になって以来、日本の差別主義者は勇気百倍、在日に対するヘイトスピーチ・ヘイトデモでの弱い者イジメに懸命です。やっぱり、彼ら右翼は分かるんですね。右翼を支持し差別を推進している、ワタクシの心の内が。

そうだよ、トップの心もちひとつで、国中が変わる。なんてったってアメリカ・ファーストだ。アメリカっていうのは、白人ってことだ。ヒスパニックもムスリムも黒人も「アメリカ」じゃなくて、よそ者だ。民主党の連中は、こんな簡単なことをはっきり言えないから、選挙に勝てない。
日本でもがんばって、在日だけでなく沖縄を差別しています。先日は、内地の機動隊が現地のデモ隊に、「土人」と差別語を浴びせて侮辱しています。鶴保庸介という沖縄・北方担当大臣が、現地の沖縄県民の側に立たずに、土人発言をした内地の機動隊員の擁護に回っています。大臣も、機動隊も、右翼も、ワタクシの気持を忖度してくれています。

ところで聞きたかったのは、あんたの「積極的平和主義」ってやつ。平和主義なんて、あんた嫌いだろう。一人前の男が口にすることじゃない。でも、国民の多くは平和主義が好きだ。そこで「積極的」を付けると、言葉は平和主義だけど、内容は武力行使容認なんだ。このからくりでどこまで国民をだませる?
国民騙しのテクニックは、ワタクシが先輩ですからお教えします。問題は、TPPですよ。以前はTPP反対で、「ぶれない自民党」と言ってました。「反対だけど、アメリカや近隣諸国が望む以上は、聖域を護りつつの交渉参加はやむを得ない」と言って舵を切りました。今では自民党は強行採決までしてTPPを通そうとしています。もちろん、すべてはアメリカへの義理立てでのことです。そんなことをお考えいただき、もう選挙は済んだことですから、TPPについては、候補者としての発言と、行政の責任者としての発言は分けていただきたいところ。

あんた、そりゃ駄目だ。TPP離脱は、オレの公約の目玉だ。他のことはとかく、この公約はアメリカ・ファーストと結びついているんだ。どうしても骨抜きにはできない。
とは言ってもですね。そもそも、自由貿易の伸展は歴史の流れでございまして、貴国の利益にもなることですから、ここは相互主義の立場から譲歩をお願いしたのです。

なんだと。あんたはオレに説教しようというのか。
いいえ、とんでもない。お願いしているだけで。

なら、お断り。こちらは、アメリカ・ファーストの旗は降ろせない。アメリカ・ファーストとは、日本も敵ということだ。
それは上等でございます。こちらも、ジャパン・ファーストの旗は降ろせない。ジャパン・ファーストとは、アメリカが敵ということでございます。

そういえば、お互いが排外主義のナショナリストだ。そもそも利害が一致するはずはないんだ。我が合衆国には、「黄禍」という言葉が伝統としてある。
こちらも一緒でございます。表面は取り繕っても、排外主義者同士が親密になれるはずはございません。我が日本には、「鬼畜米英」という言葉が伝統としてあります。

「リメンバー・パールハーバー」だ。
東京を焼き、広島・長崎に原爆を落としたのはアメリカじゃないか。

今日のところは、決裂はまずい。表面だけは取り繕っておこう。「両者は、日米関係の緊密化こそが、両国の利益のみならず、世界の平和や経済発展にとって、死活的な重要事であることを相互に確認した」くらいの発表で、お茶を濁しておこう。それでいいな。しんきくさいシンよ。

「親密に、将来の夢と希望を語り合った」とか。今日のところだけはね。どんくさいドンよ。
(2016年11月17日)

稲田朋美核容認防衛大臣誕生の悪夢

都知事選の敗北を引きずっての8月である。脱力感が抜けないまま、はや原爆忌。この間、内閣改造があって、えっ? 稲田朋美が防衛大臣だと?。悪い冗談はほどほどに、と言わざるを得ないできごと。共和党の大統領候補となったトランプ同様の悪夢。と言うよりはリアリティのないマンガ的なできごとではないか。とはいえ、小池百合子都知事同様、イナダ防衛大臣が現実となっている。そもそもアベ政権の存在が、既に悪夢であり、信じがたいマンガ的できごとであり、冗談のはずの現実なのだ。

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8月3日深夜のイナダ就任記者会見は、さすがにご祝儀会見とはならなかった。記者諸君のツッコミはなかなかのもの。防衛省のホームページに防衛大臣臨時記者会見概要として掲載されている。
    http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2016/08/04a.html

見出しをつけ、多少質疑の順番を入れ替えて整理してみた。少し長いがイナダなるものがよく分かる。ぜひ目を通していただきたい。イナダが、防衛大臣として不適任なこと明々白々ではないか。こんな人物を物騒な地位に就けては、日本の安全にもアジアの平和にも有害だ。もっとも、外の省庁なら適任という意味ではない。この人、過去の自分の発言に無責任だ。質問に噛み合った答弁の能力がない。言っていることが論理的整合性に乏しい。上手に切り返す政治的センスがない。答弁に余裕もユーモアもない。要するに政治家としてはまったくダメということだ。

イナダの歴史認識を問う
Q:大臣は、日中戦争から第2次世界大戦にいたる戦争は、侵略戦争だと思いますか。自衛のための戦争だと思いますか。アジア解放のための戦争だと思いますか。
A:歴史認識に関する政府の見解は、総理、官房長官にお尋ねいただきたいと思います。防衛大臣として、私個人の歴史認識について、お答えする立場ではありません。

Q:防衛大臣としての見解を伺いたい。
A:防衛大臣として、お答えする立場にはないと考えております。

Q:大臣の就任が決まってから、中国やフランスのメディアなどが、右翼政治家と指摘していたと思うのですけれども、大臣のそれについての御見解と、自分をどういう政治家だと。
A:多分、弁護士時代に関わっていた裁判などを捉えられたりされているのではないかというふうに思っておりますけれども、私自身は、歴史認識の問題について、様々な評価はあるでしょうけれども、一番重要なことは客観的な事実が何かということだと思います。私自身の歴史認識に関する考え方も、一面的なものではなくて、やはり客観的事実が何かということを追求してきたつもりであります。その上で、私は、やはり先ほども申し上げましたように、東アジア太平洋地域の平和と安定、そしてそのためには、中国、韓国との協力的な関係を築いていくということは不可欠だろうというふうに思っております。いつでも、私は、交流というか、話し合いの場を自分から設けていきたい。そして、議論することによって、私に対する誤解も、多分払拭されていくのではないかというふうに思っております。

Q:それに関連して、前の大臣、中谷さんは、訪中についてかなり追求されていたと思うのですけれども、大臣、先ほどの質問で聞かせていただいたのですが、訪中に関する考え方を教えて下さい。
A:機会があれば、訪中したいというふうに思っております。

Q:海外メディアは、大臣の歴史問題に関しまして、南京事件について御見解がいろいろあると思うのですが、聞きたいということと、防衛省の正式な見解では、非戦闘員の殺害、略奪行為をやったことは否定できないと。正しいか、いろいろな説はあるのでどれかとは整理はできませんとあるのですけれども、この見解についてはどう御覧になられますか。
A:私が、弁護士時代取組んでいたのは、南京大虐殺の象徴的な事件といわれている百人切りがあったか、なかったか。私は、これはなかったと思っておりますが、そういったことを裁判として取り上げたわけであります。それ以上の歴史認識については、ここでお答えすることは差し控えたいと思います。

Q:外務省の方の見解は、これは政府としての正式な見解ではないと思うのですけれども、どうお考えですか。
A:外務省の見解を申し上げていただけますか。

Q:南京入城の時に、非戦闘員が殺害、略奪行為があったことは否定できないと思われていますと。具体的なニュースについては、諸説あるので政府はどれが正しいか言えませんと。歴史のQ&Aのホームページ、外務省に書いてあるのですけれども、これはいかがでしょうか。
A:それは、三十万人、四十万人という数が、南京大虐殺の数として指摘をされています。そういった点については、私は、やはり研究も進んでいることですので、何度も言いますけれども、歴史的事実については、私は、客観的事実が何かということが最も重要だろうというふうに思います。

Q:この見解については、虐殺があったと。略奪行為。民間人の虐殺であったと。数は分からないと。この認識だと思うのですけど。これはお認めになるのですか。
A:数はどうであったかということは、私は重要なことだというふうに思っております。それ以上に、この問題について、お答えする立場にはないというふうに思っています。

Q:例えば秦郁彦なんて、ああいった右の方だと思うのですが、日本軍の陣中日記ですとか、その作戦の照合とか御覧になって、捕虜になって捕まった人は、正式な軍事裁判にかけられずに殺されていると。これは、民間人ではないし、虐殺に当たる。虐殺というか、不法な殺害に当たるので、そういう意味では数万の殺害は認めざるを得ないと。これは、かなりコンセンサス的にできあがっているところだと思うのですけれども、戦闘詳報とか、先ほど「事実が大切」と仰いましたが、日本側の残した正式な記録に残る少なくとも数万の殺害というのは、認められるのかどうかというのをぜひお伺いしたいのですが。
A:秦先生を含め、様々な見解が出ていいます。何が客観的事実かどうか、しっかりと見極めていくことが重要で、それ以上について、私がお答えできる立場にはないと思います。

Q:外務省の見解についてはどうなのですか。ホームページに載っているのですけれども。外務省と防衛省、見解が違ったら困ると思うのですが。
A:外務省の見解が、政府の見解と反するということではない、当たり前のことですけれども。

Q:大臣もこの見解をとられると、従うということですか。
A:大臣もというか、私は、歴史的な問題については客観的事実が全てであり、数は関係ないという御意見もありますけれども、数を含めて客観的事実が何かということを、しっかりと検証していくことが重要だというふうに思っています。

Q:その点でのポイントというのは、ここ20年ぐらいは議論が進んでいなくて、歴史家でこれに挑戦する人ってあまりいないのですけれども、大臣、そこら辺は、事実、事実と仰られますが、この点についても、捕虜の殺害、この点、疑義があられるということなのでしょうか。
A:私がここで秦先生の見解について、何かコメントをする立場にはありません。

イナダの靖国参拝の意向について問う
Q:大臣は、靖国の参拝を心の問題だとおっしゃったけれども、かつて小泉内閣時代に、総理は堂々と靖国に公式参拝するべきだとおっしゃられていました。それが、なぜ今、防衛大臣になられて、公式参拝をするとも、しないとも言えないのですか。
A:私は、靖国神社に参拝するか、しないか、これは、私は、心の問題であるというふうに感じております。そして、それぞれ一人一人の心の問題について、行くべきであるとか、行かないべきであるとか、また、行くか、行かないか、防衛大臣として、行くか、行かないかを含めて、申し上げるべきではないと考えております。

Q:かつて、総理大臣が一国のリーダーとして、堂々と公式参拝するべきだというふうにおっしゃっていましたけれども、それとは考え方が変わったということですか。
A:変わったというより、本質は心の問題であるというふうに感じております。

Q:そのときには、総理大臣は行くべきだというふうにおっしゃっていた訳ではないですか。心の問題だというふうにおっしゃっていないではないですか。
A:そのときの私の考えを、ここで申し上げるべきではないというふうに思います。また、一貫して、行政改革担当大臣、さらには政調会長、もうずっとこの問題は心の問題であって、行くとか、行かないとかは、お話しはしませんけれども、安倍内閣の一員として適切に判断をして行動してまいりたいと思っております。

Q:行政改革担当大臣としては行かれた。防衛大臣としては、なぜ行くとも行かないとも言わないのですか。
A:行政改革担当大臣の時代にも、何度も予算委員会、それから様々な記者会見でもお尋ねを受けました。その際にも私は、心の問題であり、靖国に参拝するとか、しないとか、すべきであるとか、すべきでないとか、申し上げませんということを一貫して申し上げてきたとおりです。

Q:一国の総理大臣は、公式参拝すべきだと言っているではないですか。べきだと、「べきだ論」を言っているではないですか。
A:私は、これの本質は心の問題だというふうに感じております。

イナダの従軍慰安婦問題の認識を問う
Q:慰安婦問題に関して聞きたいのですけれども、2007年に、事実委員会が、報告をアメリカの新聞に出したのですけれど、そのときは、大臣は賛同者として名前をつけたのですけれども、慰安婦は、強制性はなかったとコメントもあったので、今の考え方は変わっていますか。
A:慰安婦制度に関しては、私は女性の人権と尊厳を傷つけるものであるというふうに認識をいたしております。今、そのワシントンポストの意見公告についてでありますが、その公告は、強制連行して、若い女性を20万人強制連行して、性奴隷にして虐殺をしたというような、そういった米国の簡易決議に関連してなされたものだというふうに思っております。いずれにいたしましても、8月14日、総理談話で述べられているように、戦場の影に深く名誉と尊厳を傷つけられた女性達がいたことを忘れてはならず、20世紀において、戦時下、多くの女性達の尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻みつけて、21世紀は女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていくという、その決意であります。

Q:強制性はあったということですか。
A:そういうことではありません。そういうことを言っているのではありません。

イナダの沖縄・辺野古政策を問う
Q:別件になるのですけれども、先ほど沖縄の件で、大臣は辺野古が唯一の解決策だというふうに従来の政府の見解を示されました。ただ、なかなか移設は進んでいない状況があると、この根本的な原因はどこにあるとお考えでしょうか。
A:まずは、普天間の辺野古移設が決められた経緯でありますけれども、この問題の本質は、普天間飛行場が世界一危険な飛行場と言われ、まさしく市の中心部、ど真ん中、小学校のすぐ近くにあるということだというふうに思っております。そういったこの問題の本質を、やはり住民の皆様方にしっかりと説明をしていくということが必要であろうと思っております。そして、大きな議論の末に、裁判所で国と県が和解をして、和解条項が成立したわけでありますので、その和解条項に基づいて、今、国も提訴し、さらには協議も進めて行くのだということも説明した上で、誠実に対処していく必要がある、引き続き粘り強く取組んでいく必要があるというふうに思っております。

Q:住民に説明するのが必要と仰いましたけれども、防衛大臣になられて、自ら沖縄に訪問する、行きたいというお考えはありますか。
A:この問題については、しっかりと知事や県民の皆様方にも、御説明をする必要があるというふうに思っています。今、具体的にスケジュール的なものを検討しているわけではありませんけれども、その必要があるというふうに考えております。

Q:今日、午前の菅官房長官の会見で、基地問題と振興策がリンクしている部分があるのではないかという懸念が出ました。大臣御自身は、沖縄の基地問題、現在の辺野古移設とか止まっていますが、これが進まない段階では、振興策は減らすべきだとお考えですか。
A:振興策を減らすとはどういうことでしょうか。

Q:沖縄の振興予算を減額すべきだとお考えでしょうか。
A:私は、沖縄の基地移転、そしてその負担軽減、これは、政府を上げて安倍政権が出来ることは全て行い、また、目に見える形で実施するという基本方針の基で、在日米軍の再編を初めとした施策を着実に進めて行きたいというふうに思っております。その上で、振興策について、防衛省として、お答えする立場にはないというふうに思います。また、基地問題と沖縄振興をリンクさせることについては、本日午前の官房長官会見において、菅長官が述べられたとおりだと承知いたしております。

防衛費について問う
Q:防衛費についてお聞かせください。一時的な例外を除いて、日本の防衛費はGDPの1%以下に抑えられていたという整理だったと思うのですけれども、事実として、1%に抑えられてきたと、それが意識されていたという経緯もあるかと思うのですけれども、そういった防衛費の扱い方というのは、適正かどうかというのを、大臣、どのようにお考えでしょうか。

A:予算の中で防衛費がどうあるべきか、日本の安全を守るためにどれぐらいの防衛予算が必要か、非常に重要な問題だと思います。そういった点を踏まえて、中期防も計画を立てているわけでありますので、その中で着実に、必要な防衛費ということは、つけていくということだというふうに思います。

Q:必要があれば、1%を超えることも、躊躇するべきではないというふうに、大臣、お考えでしょうか。
A:しっかりと、いろいろなことを勘案して計画は立てております。そして、その結果が防衛予算、それが必要なものを積み上げたものであるというふうに、私は認識をいたしております。

北朝鮮弾道ミサイル発射に関して
Q:別件で大変恐縮なのですけれども、北朝鮮の弾道ミサイル、発射されたものについて、回収作業というのは、現在、どのような感じで進んでらっしゃるのか。一部報道で、打ち切ったということも報じられているのですけれども、大臣としては、どのように認識されていますか。

A:昨日から今朝にかけて、弾道ミサイル、あるいは、その一部が落下したと推定される海域において、自衛隊のP-3Cや護衛艦、海上保安庁の航空機や巡視船による捜索を実施し、発見した漂流物を回収しているところであります。他方、現在までに回収した漂流物の中に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるようなものは確認されておりません。引き続き、自衛隊の護衛艦や艦載ヘリによる捜索を実施し、仮に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるような物体を発見できれば、それを回収し、分析することを考えております。

自衛隊員の戦死の持つ意味について問う
Q:戦死ということについてお伺いしたいのですけれども、国民国家においては日本に限らず、戦死ということに様々な意味が付与されてきたと思います。現在、自衛隊員を預かる防衛大臣として、戦死、戦争で亡くなるということに対して、どういうふうなお考えを持つのか、戦死という言葉が持つ意味についての御認識をお聞かせ下さい。
A:憲法上、日本は戦争を放棄いたしております。ただ、憲法ができた時には9条があるので、攻めてこられたとしても、白旗を揚げて自衛権も行使しないというのが解釈だったわけですけれども、1954年に解釈を変えて、そして、日本も主権国家であるので、自衛隊は憲法違反ではない、合憲である。そして、自衛権の行使も、必要最小限度の行使を可能であるということを解釈上決め、また、それは最高裁でもそのような解釈にあるわけであります。自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。

重ねて歴史認識を問う。先の戦争は侵略戦争ではないのか。
Q:先ほどお答えいただけなかったので、もう一回聞きますけれども、軍事的組織の自衛隊のトップとしての防衛大臣に伺いますが、日中戦争から第二次世界大戦にいたる戦争は侵略戦争ですか、自衛のための戦争ですか、アジア解放のための戦争ですか、見解を教えてください。
A:政府の見解は、総理、官房長官に聞いていただきたいと思います。私は、昨年総理が出された談話、これが政府の見解だと認識しております。

Q:大臣自身の見解もそのとおりですか。異論はないのですか。
A:昨年の総理が出された談話に異論はありません。

Q:侵略戦争ですか。
A:侵略か侵略でないかというのは、評価の問題であって、それは一概に言えないし、70年談話でも、そのことについて言及をしているというふうには認識していません。

Q:大臣は侵略戦争だというふうに思いますか、思いませんか。
A:私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います。

Q:防衛大臣として極めて重要な問いかけだと思うので答えてください。答えられないのであれば、その理由を言って下さい。
A:防衛大臣として、その問題についてここで答える必要はないのではないでしょうか。

Q:軍事的組織のトップですよ。自衛隊のトップですよ。その人が過去の戦争について、直近の戦争について、それは侵略だったのか、侵略じゃないか答える必要はあるのではないですか。何故、答えられないのですか。
A:何度も言いますけども、歴史認識において、最も重要な事は、私は、客観的事実が何かということだと思います。

Q:侵略だと思うか、思わないかということを聞いているわけです。
A:侵略か侵略でないかは事実ではなく、それは評価の問題でそれぞれの方々が、それぞれの認識を持たれるでしょうし、私は歴史認識において最も重要なことは客観的事実であって、そして、この場で私の個人的な見解を述べる立場にはありません。

Q:防衛大臣としての見解ですよ。
A:防衛大臣として、今の御質問について、答える立場にはありません。

Q:では、関連ですけれども、日中戦争と太平洋戦争は若干違うと思うのですが、日中戦争の前、日本は、あの時は南満州鉄道あたりしか駐留する権利はなかったわけですね、軍隊を。そこからはみ出して、傀儡国家を打ち立てて、満州国を作ったと。これ侵略じゃないのですか。普通の常識から言って、いろいろ議論はあるのでしょうけれど、太平洋戦争は議論があるとしても、満州国を作るときの経緯というのは、どういう法律に基づいたのか、しかも、あのとき陸軍は、天皇の統帥権を最後無視して、暴走して、拡大して、後から認めた件はありますけれども、それが日本にとって最大の軍事的な教訓なわけですよね。日中戦争、あるいは、その満州国の作り方について、評価できないというのは、国のリーダーとして、いかがなものかと思いますけれど、この2点いかがですか。
A:私は、安倍内閣の一員として、政府の大臣として、この場におります。私の個人的な見解や、また、この場は、歴史論争をする場ではないと思います。政府の一員として、私は、政府の見解、これは昨年の70年談話において総理が示されたとおりだというふうに認識をいたしております。

Q:別に歴史認識(論争)をしたいわけではなくて、これはリアルな、過去をどう捉えて、軍をどうコントロールするか、あるいは、今の近隣諸国とどう仲良くやっていくか、今のリアルの問題と繋がっているからお聞きしているので、別に学者的な論争をしたいわけではないのですけど。日中戦争の、特に満州国の作るときの過程というのは、これは侵略じゃないと、歴史学者は、普通、侵略と言うと思うのですけれども、国際法の専門家の議論はあると思うのですけれども、国民感情からして、歴史学者は、普通、侵略というのは、一般の常識じゃないかと思うのですけれども、そういった一般の、例えば世界中の人々に受け止め方ですね。これ、侵略じゃないと言い切って、どこの欧米の方でもリーダーとして議論されたらいいと思うのですけれども、まともに議論できるとお思いなのでしょうか。
A:私は、歴史認識において、最も重要なのは、客観的事実が何かということだと思います。また、昨年の70年談話でも示されたように、我が国は、過去の歩みをしっかり反省をして、戦後、しっかりと憲法の下で、法律を守り、法の支配の下で、どこの国を侵略することも、また、戦争することもなく、70年の平和な歩みを続けてきたこの歩みを続けていくということだと思っております。

Q:これから、例えば、中国、韓国のリーダーとか、欧米のリーダーと会うときに、あの戦争、太平洋戦争はいろいろ議論があるかもしれませんが、日中戦争に関しても、侵略かどうか、私、言えませんというふうにおっしゃって議論されるわけですね。
A:そういう単純な質問はないと思うのですね。

Q:でも、報道関係、みんなに見られているからですね。欧米のメディアは、そこに歴史認識を集中しているわけですよ。単純と言われようがそういう具合に、この人こういう歴史認識を持っているのではないかとみんな懸念しているわけですよ。別に、単純に議論を私がふっかけるのではなくて、割と世界中のメディアがそういう懸念を持って、書いていると。それに対して答える影響というのは、我々国民なのですから、説明責任はあると思うのですが、いかがですか。
A:私は、昨年、総理が出された70年談話、この認識と一致いたしております。

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イナダは、2011年3月号の雑誌「正論」の対談で、「長期的には日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべきではないでしょうか」と発言していた。小池百合子と同類。軽佻浮薄の極みというべきだろう。

昨日(8月5日)の記者会見で、この点を記者から突っ込まれて、「憲法上、我が国がもてるとされる必要最小限度(の武力)がどのような兵器であるかということに限定がない」と述べ、憲法9条で禁止しているわけではないとする従来の政府見解に沿って説明した。ただ、「現時点で核保有はあり得ない」としつつ、「未来のことは申し上げる立場にない」とも語った。

イナダが述べたことは、「我が国が核武装することは憲法上は許されることだ」。だが、「現時点では諸般の事情に鑑み、政策として核保有はあり得ない」。もっとも、政策の問題だから、状況次第で未来の核政策はどうなるか分からない。未来とは過去と現在を除くすべて、つまりは明日からのこと」と理解すべきなのだ。

その発言の翌日に当たる今日(8月6日)が、71年めの広島平和記念式典。松井一実市長は平和宣言で、「今こそ『絶対悪』を消し去る道筋をつけるために連帯し、行動を」と呼びかけた。核は、絶対悪なのだ。絶対悪の廃絶こそが平和への道であり、国内外の世論ではないか。

状況次第で核保有が許される、核政策がころころ変わるようなことを許してはならない。「日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」などとは、悪魔の言と言わねばならない。

アベ首相は、6日、広島市内で記者会見し、イナダの発言を「我が国は核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない。稲田防衛大臣の発言はこのような政府の方針と矛盾するものではない」と擁護したという。これも同罪なのだ。都知事選敗北の脱力感は払拭し得ないが、早く悪魔が跳梁するこの悪夢を終わらせないと、世界が滅びてしまうことにもなりかねない。
(2016年8月6日)

ネトウヨ諸君、匿名でも探し出される。インターネットの誹謗中傷に高額賠償判決。

本日(8月3日)東京地裁民事第24部で、注目すべき判決が出た。新しい法解釈を含むところはまったくないが、インターネット上に氾濫する匿名言論の誹謗中傷記事に歯止めが掛かることを期待させる判決である。

在特会の京都朝鮮学校襲撃事件や徳島教組威力妨害事件では、首謀者だけでなく、付和雷同した参加者も有罪となり高額損害賠償責任を負担した。今度は、ネットだ。匿名に隠れての言いたい放題は通じない。ヘイト記事はなおさらのこと。本人は匿名に隠れて安全地帯にいるつもりでも、探し出せるのだ。住所氏名が割り出せれば、あとは簡単。本日のような判決になる。そして、弁護団は判決認容の170万円とほぼ1割の遅延損害金を厳しく取り立てるはずだ。

原告は女子高生。卑劣なネトウヨ君は、葛飾区四つ木の住人。このネトウヨ君が何をしたのか。判決から要約引用すれば、「被告は,平成26年9月8日,インターネット上のサービスであるツイッターにおいて,原告の写真を掲載し,『原告が,高校生平和大使に選ばれた。詐欺師の祖母,反日韓国人の母親,反日捏造工作員の父親に育てられた超反日サラブレッド。将来必ず日本に仇なす存在になるだろう。』との投稿をした。これは,原告の社会的評価を低下させ,原告の名誉権を侵害するものである。さらに,本件投稿は,原告の肖像権を侵害する。」

ネトウヨ諸君、原告の請求が満額認容されて、このツイッター1通が170万円だ。君も、「反日韓国人」「反日捏造工作員」などと書いてはいないか。口は災いの元、筆は損害賠償の源だ。悪いことは言わない。今後は慎んだ方がよい。君も、被告となり得るのだから。

興味深いのは損害論だ。170万円の内訳は以下のとおり。
ア 精神的損害に対する慰謝料 100万円
イ 調査費用 
  発信者情報開示の仮処分に関する弁護士費用20万円
  発信者情報開示の仮処分に関する翻訳費用20万円
  経由プロバイダに対する発信者情報開示手続に関する弁護士費用20万円
ウ 本件訴訟の弁護士費用10万円

実は、裁判所は判決理由の中で、「本件の慰謝料額は200万円が相当」と意見を述べている。しかし、原告が100万円しか請求していないから、その上限の判決となった。実質的に本件は270万円の判決と理解しなければならない。

匿名を暴くのには手間暇かかる。そのための手続費用が加算されることになる。これも教訓として世のネトウヨ諸君に知ってもらわねばならない。

本件の被告ネトウヨ君は、ネトウヨ族の代表として、貴重な体験をした。身をもって「匿名に隠れての言いたい放題は、実は真っ当な社会では通用しないことなのだ。」「調子に乗ってバカ言ってると、手痛い損害賠償の判決を喰うことになる」ことを学んだ。その学習費が170万円だ。世のネトウヨ諸君も貴重な教訓として、我が身を糺してほしい。

以下はNHKの報道。
「判決のあと、元記者の長女(原告)は、弁護士を通じてコメントを出しました。
この中で、当時の気持ちについて『ひぼう中傷の言葉が大量に書き込まれた時、私は「怖い」と感じました。匿名の不特定多数からのいわれのないひぼう中傷はまるで、計り知れない「闇」のようなものでした」と振り返っています。
 その上で『今回の判決がこうした不当な攻撃をやめさせるための契機や、健全なインターネットの利用とは何かについて考える機会になってほしいと思います』と訴えています」

この言は立派なものだ。原告は「将来必ずや日韓の平和に貢献する存在」になるものと思わせる。
(2016年8月3日)

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