澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

安倍流解釈改憲ーその薄汚さの形容いろいろ

内閣法制局長官のクビのすげ替えによる、集団的自衛権行使容認への安倍流解釈改憲の薄汚さの形容。いろいろに言われているものを整理してみよう。

「これは改憲クーデターだ」
内閣限りの憲法解釈の変更で、日本を戦争ができる国に変えてしまおうというたくらみ。国民の意思を抑え込んでの国の基本構造の転換は、まさしく「改憲クーデター」というにふさわしい。

「立憲主義に反する」
恣意的な権力行使を許さぬよう、国民が権力者を縛るのが憲法制定の趣旨。権力が勝手な解釈で憲法の縛りをすり抜けることは、立憲主義を無にするものとして許されない。

「これは法治主義違反」
公権力の行使が法に基づくものであってはじめて国民生活は安定する。ところが、法制局長官の人事次第で法の内容が変わったとしたら…、それこそ「法治」ではなく「人治」の悪夢だ。

「まさしく脱法行為だ」
国民が制定した憲法は、国民が憲法改正手続をも決めている。この正規の手続を踏まずに、条文の解釈を変えることによって事実上の改憲をしてしまうもの。これが、憲法の改正規定を僣脱する「脱法行為」なのだ。

「なし崩し改憲は許されない」
例の麻生流「ナチスに学べ」手口。「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」というもの。安倍流解釈改憲は、その手口を学ぼうとしてのもの。
「憲法解釈がなし崩しに変更されたら、他国から攻撃されるより先に『法治国家』日本が崩壊する」。これは、毎日・特集ワイド(8月20日)の締めくくりの名言。

「これはどう見ても本末転倒」
「本」は憲法改正の正規の手続。「末」は人事権利用の解釈改憲手口。解釈改憲のすべてが本末転倒となる。視点を変えて、憲法の平和主義が「本」、アメリカへの従属が「末」と解してもよい。

「これは邪道だ」
邪道は、正道に対するもの。正々堂々と国民に信を問うのが正道。正道を歩んだのでは、国民を説得する自信を欠くからこその安倍流邪道なのだ。

「やり口が姑息だ」
姑息とは、卑怯、卑劣、怯懦の同義語。要するに、正々堂々としていない、公明正大なところがない、潔さも毅然さもない、アンフェアな手口ということ。

「これは裏口改憲ではないか」
表口からの訪問は、門前払いとなることが目に見えている。だから、こっそりと裏口から、という手口となる。改憲内容以上に、こういう改憲のやり方が国民の反発を招くことになるだろう。

「解釈の限界を超えている」
これは、手口の汚さそのものではないが決定的な批判である。阪田雅裕元内閣法制局長官が、「集団的自衛権の行使容認と9条2項の整合性は…憲法全体をどうひっくり返してもその余地がない」というとおりなのだ。

そして、この手口を薄汚さの視点から批判する人としては、今のところ、阪田雅裕・山本庸幸の元内閣法制局長官のお二人、自民党長老の古賀誠・山崎拓の両氏、それに元防衛庁官房長の柳沢協二氏などが目立っている。

加えて、公明党からも名乗りを上げた人がいる。
「公明党の斉藤鉄夫幹事長代行は20日夜のBS番組で、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使の容認について「本当に(行使を認める)必要があるなら、憲法改正の議論をすることの方が筋ではないか。憲法解釈上、認めるのは論理的にかなり無理がある」と、反対する考えを示した。
斉藤氏は集団的自衛権について「海外で外国軍と軍事行動することができる権利だ」と指摘。「(行使を認めれば)平和国家として生きていくと宣言してきた日本の生き方を根本から変える」と強調した。

公明党にも、筋の通った人がいる。他党からも、陸続とこれに続く人の出でんことを期待したい。

なお、実は今朝の「毎日」を開いて驚いた。昨日(8月20日)の山本庸幸氏記者会見記事についてである。

大きな活字の見出しが、「集団的自衛権:山本最高裁判事『改憲が適切』」となっている。そして、何とも小さな活字で、「解釈変更『難しい』」と添えられている。これだけ見れば、山本庸幸最高裁判事が「集団的自衛権容認に向けて改憲すべきが適切」と語ったごとくではないか。しかも、解釈変更「難しい」の添え書きは、「解釈の変更は難しいのだから断固憲法改正をすべきだ」とさえ読める。こんな見出の付け方でよいのか。

ちなみに各紙を較べてみた。
朝日「集団的自衛権行使容認『非常に難しい』 最高裁判事会見」
共同「前法制局長官、憲法解釈変更は困難 集団的自衛権で」
時事「憲法解釈変更『難しい』=集団的自衛権で山本新判事―最高裁」
東京「集団的自衛権『憲法解釈では容認困難』最高裁判事就任 山本前法制局長官」
日経「山本新判事、解釈変更『難しい』 集団的自衛権行使で」

読売の報道はなく、産経が「『憲法改正が適切』 前内閣法制局長官 最高裁判事就任で」である。今回の見出に関する限り、毎日が産経並みなのだ。何たる醜態…。

私は長年の「毎日」愛読者。型に嵌められずに、各記者がのびのびと記事を書いている雰囲気がよい。ということは社論に統一性を欠くということでもある。張り切って記事を書いた記者は、整理部にこんな見出しをつけられて、さぞ不満なことだろう。
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  夏の花「クサギ(臭木)」
夏の花木は情緒に欠ける。花の色が強烈なものが多い。ノウゼンカズラ(凌霄花)のあのオレンジ色はどうだ。ヒャクジッコウ(百日紅)の紅色は野暮ったい。百日もの長い間咲いて、一体全体、夏をいつまで長引かせるつもりだ。濃いピンクのぼってりした八重花のキョウチクトウ(夾竹桃)が咲いていると景色が重苦しくなる。排気ガスを生産しているのはお前さんか。紫紅のムクゲ(木槿)は毎日毎日花を咲かせ続けてよくも飽きないものだ。ムクゲの無限の強靱さに人は圧倒されてしまう。

と、あまりの暑さに、お門違いの言いがかりをつけてみる。実を言えば、ヒャクジッコウにも雪のような白花がある。キョウチクトウだってムクゲだって、一重の白花は清々しいものだ。夏の花は生命力と不屈のパワーにあふれて、暑さにも乾燥にもびくともしない。これくらいの暑さで、弱音を吐く人間は、恐れ入って見習うべきであろう。

その夏の花のなかで、とくに名前で大損をしている花がある。クサギ(臭木)である。触ったりもんだりすると枝や葉っぱに臭気がある。ビタミン剤のような、オナラのような臭いがする。けれども、この若葉は立派な山菜で、ゆでたり、油で炒めたりしておいしくいただける。臭いのは摘んでいるときだけで、加熱すると全く臭わなくなる。ゆでて乾燥して、飢饉のときのための保存食にしたこともある。

真夏の今頃、8,9月いっぱい咲くクサギの花はなかなか美しい。枝の先が散状花序でおおわれて、5メートルほどの木全体が薄いピンクのパラソルを拡げたようにみえる。近寄ってみると、1センチぐらいの真っ白いプロペラのような花が、ピンクがかった萼から長く突き出て無数に咲いている。こよりのような蘂が猫のひげのようにピンピンと出ている。不思議なことに、花はユリのような甘い香りがする。それに誘われて、昼はいろいろなアゲハチョウ、夜間はスズメガなどが群がって賑やかである。

そして、晩秋には、実がなる。つやつやとした赤紫色になった5弁の萼の真ん中に濃い藍色をした丸い実がコロンと鎮座する。これが木全体をおおうようについて、秋空に浮き上がる。大変派手で、サイケデリックである。この藍色の玉のような実を煮出して、「クサギ染め」ができる。媒染なしで、絹は青空のような透明なブルーに染まる。明礬などの媒染を使って、木綿もブルーから濃い紺色まで染めることができる。

「臭木」の名ゆえ、わざわざ庭に植える人も少ないが、実生がよく出るので、地方へ行けば、日当たりのよい道路脇などに無造作にはえている。学名は「クレロデンドロン・トリコトミュウム」で、「運命の木」の意だそうだ。なぜ「運命の木」なのかはよく分からないが、この学名をつけた人は、乾いた標本しか手に取ったことがなかったのだろう。

この美しい木には「臭木」の名はふさわしくない。「運命の木」もイマイチ。よい名前をつけてもらってさえいたら、この木はもっと人の身近に植えられたろうに、と少しかわいそうな気がする。
(2013年8月21日)

安倍晋三流改憲「手口」と、それゆえの孤立

安倍晋三流改憲手法の特徴は「薄汚さ」の一言に尽きる。正々堂々と国民に信を問おうという姿勢に欠けるのだ。彼の辞書にはフェアプレイという語彙がない。

その薄汚い姿勢は、彼の人間性に根差してもいるのだろうが、むしろ彼の自信のなさを物語るものとして理解すべきであろう。彼には、堂々と国民に語りかけ、説得し、手続きを踏んだ憲法改正を実現する自信がない。だから、「薄汚い」と言われても、「姑息」「邪道」と批判されても、奇手・奇道に走らざるを得ないのだ。

その薄汚い「手口」の典型が、96条先行改正論であり、内閣法制局長官のクビのすげ替えによる集団的自衛権行使容認の解釈改憲である。志を同じくする「薄汚い」連中が、同志として合い寄り、助け合って姑息な「手口」の実現をはかろうとしている。しかし、政界も官界も、ましてやジャーナリズムも学界も、当然のことながら国民も、けっして「薄汚さ」を容認する者ばかりではない。むしろ、「薄汚さ」には反発を感じる潔癖派が大勢を占めていると見るべきだろう。改憲の是非や集団的自衛権行使の可否以前に、まずはこの「手口」の汚さが問われなければならない。

おそらくは、安倍はその手口の汚さ故に、孤立を深めることになる。「兵は詭道なり」と衒って策を弄した安倍は、結局は策に溺れて改憲に失敗することになろう。

本日毎日夕刊「特集ワイド」の次の記事が目を引く。
「批判は身内からも上がる。『目指すところは安倍さんと同じ』という山崎拓・元自民党副総裁は解釈改憲を否定する。『長官を代えて解釈を変える手法は、スポーツの試合で自分に有利なように審判を代えるようなもの。集団的自衛権を行使したいのなら憲法改正手続きに沿って国民投票を行い、堂々と民意を問うべきだ。そうではなく、歴代政権の解釈が間違いというなら何が間違いだったのか、あるいは時代がどう変わったのかをきちんと説明する。本質的な議論なしに解釈改憲に向かえば国民は反発し、政権は揺らぐ。そうなれば憲法改正はできずに終わる』」
山崎拓は、「改憲派」ではあるが「薄汚い派」ではない。安倍流「薄汚い手口」には賛同できないし、この手口は結局失敗すると見ているのだ。

安倍流の改憲手口を容認していると見られることは、「薄汚い派」のレッテルを貼られていること。これは誰もが望むところではない。その表れが、本日(8月20日)の山本庸幸氏の記者会見発言である。

以下の共同の配信記事が、要点をとらえている。
「内閣法制局長官から最高裁判事に就任した山本庸幸氏が20日、最高裁で記者会見し、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する考え方について『法規範そのものが変わっていない中、解釈の変更で対応するのは非常に難しい。実現するには憲法改正が適切だろう』と持論を述べた。」

さすがに品の良い最高裁判事の言を補えば、
「憲法そのものが変わっていないのに、解釈の変更で実質的に憲法そのものを変えてしまうのは、本来やってはいけないこと」「集団的自衛権の行使容認を実現したいのなら、正々堂々と国民に信を問う手続を踏んで、憲法改正をやるのが筋というもの」
ということなのだ。言外に、姑息なやり口に対する批判がある。

各紙が、「憲法判断をつかさどる最高裁判事が、判決や決定以外で憲法に関わる政治的課題に言及するのは、極めて異例」と指摘しているとおりである。しかし、黙っていれば、氏は「薄汚い派」の仲間だと誤解されかねない立ち場にあった。懐柔されて、「栄転」した元長官と見られてもやむを得ない立ち場。「自分はこの薄汚い策動にコミットしていない」と明確に宣言しておきたかったのだろう。安倍流手口が孤立する側面を表している。

朝日の報道では、「氏は『集団的自衛権は、他国が攻撃された時に、日本が攻撃されていないのに戦うことが正当化される権利で、従来の解釈では(行使は)難しい』と述べた」という。

さらに、詳報では次のとおりである。
Q 憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、どう考えるか
A 前職のことだけに私としては意見がありまして、集団的自衛権というのはなかなか難しいと思っている。というのは、現行の憲法9条のもとで、9条はすべての武力行使、あるいはそのための実力の装備、戦力は禁止しているように見える。
しかし、さすがに我が国自身が武力攻撃を受けた場合は、憲法前文で平和的生存権を確認されているし、13条で生命、自由、幸福追求権を最大限尊重せよと書いてあるわけだから、我が国自身に対する武力攻撃に対して、ほかに手段がない限り、必要最小限度でこれに反撃をする、そのための実力装備を持つことは許されるだろうということで、自衛隊の存立根拠を法律的につけて、過去半世紀ぐらい、その議論でずっと来た。 従って、国会を通じて、我が国が攻撃された場合に限って、これに対して反撃を許されるとなってきた。
だから、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、たとえば、密接に関係があるほかの国が他の国から攻撃されたときに、これに対してともに戦うことが正当化される権利であるから、そもそも我が国が攻撃されていないというのが前提になっているので、これについては、なかなか従来の解釈では私は難しいと思っている」
これは、理論的根拠にまで踏み込んだ発言として、インパクトが大きい。元内閣法制局長官であり現最高裁判事である人の、世人がもっとも関心を寄せている点での発言なのだから。

もっとも、氏は次のようにバランスをとる発言はしている。
「しかしながら、最近、国際情勢はますます緊迫化しているし、日本をめぐる安全保障関係も環境が変わってきているから、それを踏まえて、内閣がある程度、決断をされ、それでその際に新しい法制局長官が理論的な助言を行うことは十分あり得ると思っている。」
しかし、こちらには理論的な根拠付けがない。通り一遍の、リップサービスと見るしかない。

私には、氏の異例の発言には、これまで心血を注いで積み上げてきた整合性ある憲法解釈をゆがめられようとしていることに対する怒りが感じられる。怒りの源には、官僚としてのプライドと、人としての良心がある。安倍は、心ある人を敵に回して孤立しつつあるのだ。

なお、本日の毎日「特集ワイド」。標題は、「集団的自衛権行使の容認 憲法解釈変更は『脱法行為』」というもの。メインの取材対象者は浦田一郎教授。次のように、胸のすくような切れ味の名言が並んでいる。
「他国での武力行使に道が開かれれば、戦争放棄を貫いてきたこの国の形が変わる。それを解釈変更でやってしまおうなんて卑しい脱法行為だ」
「法に基づいて政治を行う『法治主義』の観点からすると、法は政治より優位性を持つ。集団的自衛権の解釈も何十年も論争を重ねて『できない』と確認したもの。閣議決定で済む話ではない。政治家がやりたくてもできないことをまとめた『足かせ』が憲法。政治家が何でもできるようになったら立憲主義でなくなる」

内閣法制局長官のクビのすげ替えの日に、中央紙がこれだけの特集記事を書ける状況が心強い。そしてその日の、異例の山本記者会見発言である。安倍は、手口の薄汚さで、確実に墓穴を掘っている。96条先行改憲に続いて、集団的自衛権行使容認論でも、これを封じ込める展望が開けつつある。秘密保全法も、国家安全保障基本法も、国家安全保障会議(日本版NSC)関連法案についても同様ではないか。

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 『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)より〔3〕 高度経済成長の企業戦士と戦記物
「青春といわれる時期にあの大戦争に直面し、その最も悲惨であった末期に、もはやほとんど何も選ぶこともできず、その第一線に骨身を削り、多くの友を失い、いわば戦争が日常であった大正二桁生まれを中心とする世代をさして、一般に戦中派と呼んでいる。」(小野田正之「落日の群像」)

その戦中派が「神武景気(56~57年)」、「岩戸景気(59~61年)」を経て、戦後の高度経済成長を担った。「(罪責型は)戦闘に直接参加して、生き残った者に多かった。死んだ戦友にすまないという気持ちの現れである。・・多くの場合、このすまないという気持ちは、死んだ戦友に代わって、祖国の再建のために努力しようという方向に変わっていった。この祖国の再建のためにという一種のナショナリズムは、高度成長期の労働エートスを、大きく特徴づけていた。」(間宏「経済大国を作り上げた思想」)

「戦士」だった男たちは、そのまま「企業戦士」に変身した。彼らは社会の中堅層になり、自信と自負心を回復しようとした。忘れようとしても忘れられない、戦死した戦友の慰霊に努め、一方で、敗戦や戦争の記憶を作り替えて傷痕を繕い、自分の心に受け入れられるものにしたいと願った。その時代気分が作りあげたものが、「戦記もの」ブームである。

「戦記の種別は、空戦記と海戦記、とりわけ空戦記が多い。陸戦記は極めて少なく中国戦線の戦記は全く登場しない。空戦記が多いのは、読者が無意識のうちに、暗く凄惨な戦闘の現実と向き合うことを回避し、勇壮で華々しい読み物としての『戦記もの』を求めていることの反映だと考えられる。戦記そのものの内容も、大部分の戦記は、戦争の性格や位置づけについての問いかけを全く欠いたままに、その戦争の中で、日本軍の将兵がいかに勇敢に戦い、自らに与えられた任務を忠実に実行したかを強調するものとなっている。(吉田裕)」。こうした戦争の肯定的な取り上げ方に対する批判は多くあったけれど、「戦記もの」はベストセラーになったと吉田裕は書いている。

その戦記作家の代表が伊藤桂一である。人気作家であった。中国に2度、計7年間、異常なほど出世しない一兵卒としての経験をもつ。自身の中国出兵中の駐屯地で起きた出来事を書いた「蛍の河」で1961年の直木賞を受賞した。1917年(大正6年)生まれの95歳で、現在も同人誌を主宰し、詩や短歌を発表されている。
明日は伊藤桂一さんについて。
(2013年8月20日)

自民党改憲草案「国防軍・審判所」とはなんだ

俄然有名になった石破茂・「軍法会議」発言。正確には、「軍事法廷」と言ったようだ。
4月21日「週刊BS-TBS報道部」での発言内容は次のようであったという。

石破「(自民党改憲案には)軍事裁判所的なものを創設するという規定がございます。『自衛隊が軍でない何よりの証拠は軍法裁判所が無いことである』という説があって、それは今の自衛隊員の方々が『私はそんな命令は聞きたくないのであります』『私は今日かぎりで自衛隊をやめるのであります』と言われたら、『ああそうですか』という話になるわけです。『私はそのような命令にはとてもではないが従えないのであります」といったら、(今の法律では)目いっぱいいって懲役7年です。
これは気をつけてモノを言わなければいけないけれど、人間ってやっぱり死にたくないし、けがもしたくない。『これは国家の独立を守るためだ』『出動せよ』って言われた時、『死ぬかもしれないし、行きたくないな』と思う人がいないという保証はどこにもない。
だからその時に、それに従え、それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年(を科す)。『そんな目にあうぐらいだったら出動命令に従おう』っていうことになる。
『お前は人を信じないのか』って言われるけど、やっぱり人間性の本質から目をそむけちゃいけないと思う。…軍事法廷っていうのは何なのかっていうと、すべては軍の規律を維持するためのものです。」(赤旗から)

要するに、国防軍の軍紀維持の必要から、軍人の命令違反には「死刑、無期懲役、懲役300年」という最高の厳罰をもって臨むべきが当然。そのような刑罰法規を整備して初めて、兵士は「出動命令に従おう」という気になるものだ、と言いたいよう。

なるほど、現行自衛隊法における処罰規定の最高刑は、「防衛出動命令を受けた自衛官が3日以上職務の場所を離れた場合」の懲役7年(自衛隊法122条1項2号)に過ぎない。対して、旧陸軍刑法・海軍刑法では、「軍人軍属が、敵前において上官の命令に反抗しまたは服従しない場合には、死刑または無期もしくは10年以上の禁錮」とされていた。石破は、「自衛隊法じゃだめだ。これでは戦争などできない。これからは本気で戦争しようというのだから、旧軍並みにしなければ」と言ったわけだ。

しかし、番組の質問の趣旨は、軍事実体刑法の問題ではなく手続法の問題。石破が「軍事法廷」と呼んだ、「軍法会議まがいの国防軍・審判所」とはいったい何だろうか。この辺、石破が改憲草案の起案者かと思っていたら、石破自身がよく分かっていないようだ。質問に的確に答えることができていない。軍紀紊乱には厳罰が必要だと言いながら、その厳罰を科す「軍事法廷」の何たるかをまったく説明しようとしていない。なぜ、「軍事法廷」が必要であるかも。

現行日本国憲法では、「軍法会議」の設置は違憲である。
憲法76条1項が、「全て司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」とし、同2項が、「特別裁判所は,これを設置することができない。行政機関は,最終的な上訴審として裁判を行うことができない」と明記しているから。
最高裁判所の系列の外にはみ出す「軍法会議」は、憲法上の「特別裁判所」にあたり、憲法上設置が許されない。

旧憲法は、特別裁判所としての軍法会議を許す規定となっていた。
第60条「特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム」は、法律次第で特別裁判所の設置を認める規定となっており、特別裁判所としての軍法会議が設置された。二審制で、通常の司法裁判所からは完全に独立した存在であった。

旧軍では、軍刑法違反の犯罪があった場合、軍法会議で刑罰を科せられた。しかし、現行憲法下では、自衛隊法違反の隊員は、通常の司法裁判所(地裁・高裁・最高裁)で裁かれることになる。「これではだめだ。本気で戦争やる態勢ではない」。で、自民党改憲草案は、その9条の2第5項に、「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため,法律の定めるところにより,国防軍に審判所を置く」という規定を新設した。

石破の口から「審判所」ということばが出てこなかった。それほど、なんたるかがよく分からない。その設置の趣旨も、構成も。ただただ、一人前の軍隊の格好をつける必要だけが、前面に出ている感がある。

自民党改憲草案は、76条にはほとんど手を付けていない。その2項は、「特別裁判所は,設置することができない。行政機関は,最終的な上訴審として裁判を行うことができない」となっている。国防軍の審判所は、「特別裁判所」ではあり得ず、最高裁系列からはみ出した「軍法会議」ではない。

軍法会議でないとすると、家庭裁判所や知財高裁のような「下級裁判所」の一形態であるのか、労働委員会や公害審査会、海難審判所のごとき、裁判的機能をもつ行政機関であるのか、実はよく分からない。

石破はTBS番組の発言では、「軍事法廷」の非公開を明言している。もしかしたら、「下級裁判所」との位置づけだと、非公開での審理がしにくいと考えたのかも知れない。問題は残るが、非公開での「審判所」の審理のあとの審級を、最高裁への上告審だけとするシステムが狙いなのかもしれない。事実審は、すべて行政機関としての「審判所」において非公開で行い、上告審だけを法律審である最高裁に行わせる。こんなことを考えているのではないだろうか。

軍隊は、人権擁護とはもっとも疎遠な場所である。軍人勅諭も、戦陣訓も、およそ人権とは無縁の思想で形づくられている。なによりも、国防軍を設置すると明言する改憲を許してはならない。

石破発言は、9条改憲によって現実化する人権の危うさを垣間見せたもの。本来、いかなる犯罪にも、被告人には防御の権利が保障されなければならない。軍隊とても、私刑は許されず、軍紀違反に対する制裁は裁判の手続を採らねばならない。しかし、「軍法会議」設置の思想は、「被告人に面倒な人権保護手続きを保障していたのでは戦争にならない」「軍隊なのだから、一般社会のとおりの人権保障重視ではなく簡易迅速重視。即決即断せざるを得ない」というものである。

軍隊は恐ろしい。軍隊の設計をたくらむ人は、もっと恐ろしい。
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 『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)より2-講和条約の発効と「逆コース」
戦後の、軍人たちの巻き返しは早かった。1950年朝鮮戦争が勃発すると、東側陣営との対決のためにアメリカは対日占領政策を明確に転換した。前線基地をおく地理的好条件を備えた下位の同盟者として、日本を利用する必要があった。また、日本自身も渡りに舟と、親米保守政権を作ってアメリカの期待にこたえた。51年にはアメリカ主導のサンフランシスコ講和条約を締結した。ソ連や中華人民共和国などが調印しない片面講和で、戦後に難問を残すこととなった。

憲法9条の制約をかいくぐって、50年には、警察予備隊、52年には保安隊・警備隊、54年には自衛隊と軍事力を整備した。こうして旧軍人が大手を振って活躍できる舞台ができた。政治的、社会的に民主化、非軍事化にストップをかける「逆コース」の動きは、いろんな面で素早かった。51年の靖国神社例大祭に内閣総理大臣吉田茂が参拝し、52年には天皇が「親拜」した。また、52年には国の主催で全国戦没者追悼式が行われ、戦没者慰霊の機運が盛り上がった。それに応える旧軍人の結集も着々と準備された。53年になると、日本各地で多くの「戦友会」がつくられ、英霊の顕彰を目的とする「日本遺族会」「旧軍人恩給復活連絡会」が結成された。戦犯の復権も国会議決された。こうして、53年8月には軍人恩給も復活した。200万人以上の旧軍人に、56年には国家予算の8.6%、889億円が支払われた。

「危険な思いをしたり、陛下のために不利益を受けたのは軍人だけじゃない。戦争犠牲者は国民の全部であり、中でも未亡人や戦災孤児が最も痛ましい。軍人に恩給をやるくらいなら戦禍を受けた国民のひとり残らずが、国家から何らかの補償を受けていい筈だと考えるのも尤も千万である。・・既得権益とか国家との契約だとかは敗戦という未曾有の出来事で一応キレイにすっかり忘れて白紙に還って、困る人を国家が扶けるという社会保障の中に包含するのが一番穏当だというのが、今日の私の考え方である」(久富通夫『職業軍人』1956年採光社)。こんなまともな考えの元陸軍中佐がいたのには驚きである。

恩給額は旧軍の階級や年齢で差がある。ちなみに、中佐の恩給最高額は年額8万5120円であった。小学校の教員の初任給が年額9万3600円であった時代のことである。
(2013年8月19日)

論争・靖国神社公式参拝の是非

公式参拝を「不当ではない」、あるいは「違法ではない」という推進派の論理は、類型化している。各パターンへの反論を整理してみたい。

(1) 「当たり前のことをしているだけだ」論
「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のこと」だろうか。死者に哀悼の念を表するのは当然の心情の発露だが、「英霊に尊崇の念を表する」のはけっして当たり前のことではない。英霊とは、皇軍将兵の戦没者の美称である。天皇への忠誠を尽くしての死が褒むべきものとされている。英霊ということばを発した瞬間に、天皇が唱導した聖戦として戦争が美化され、戦争への批判を許さないものとする。死を悼む心情へ付け入った戦争美化の手口である。英霊への尊崇の念を表するという公式参拝は、実は戦争の侵略性否定の試みである。

「自国のために命を落とした人に祈りをささげるのは日本人として当然のこと」であろうか。一般国民が、靖国神社以外の場所で、自分の流儀で同胞の死を悼むことは、それこそ自然の情の発露として何の問題もあろうはずがない。しかし、「国を代表する立ち場にある者」が、「靖国神社という天皇制国家と緊密に結びついた特定宗教施設」で、「祈りを捧げる」ことは、問題だらけである。英霊ということばを使わなくても、靖国神社という特殊な意味づけをされた場での、公的資格を持った者の、祈りは、現在の国家が、過去の戦争やその戦争による将兵の死に、靖国神社流の特定の意味づけをすることを意味する。その靖国流の意味づけは、政治的な批判の対象ともなり、政教分離原則に違反するものでもある。

「靖国神社を参拝し、国家、国民のために殉じた幾百万の尊い英霊に感謝を捧げることが、首相としての当然の責務である」。この言には、戦争への反省がない。国家の代表として、誤った国策によって国民に多大の辛苦をもたらしたことに対する謝罪がない。近隣諸国の民衆に対する加害責任の自覚も謝罪の気持も表れていない。戦前とまったく同じ「靖国史観」に固執している靖国神社への公式参拝は、他国から、「日本は侵略戦争をしたことを認めようとせず、何の反省もしていない」と非難されて当然である。「(国民のために殉じた幾百万の尊い英霊に感謝を捧げることは、)日本人が日本の伝統・文化に根ざした価値観を守り、日本人としての心を大切に伝え続けることにつながります」などと、余計なことを述べるのは、火に油を注ぐもの。

(2) 「個人の心の自由の問題だ」論
天皇や首相の場合はともかく、閣僚や国会議員の場合には、純粋に個人としての参拝はありうる。その場合は「個人の心の自由」の問題と認めざるを得ない。誰しも私人としての信仰の自由をもっているのだから。しかし、問題になるのは、これ見よがしに肩書をちらつかせ、マスコミへの露出を狙ってなお、「私人の行為」と言い抜けようとする場合に限られる。その参拝が純粋に私的なものかの厳格な見極めが重要である。記帳の肩書に公的資格を書き込めば私人の参拝とは言えない。公用車を使う参拝も、公費から玉串料を出す場合もである。ことさらにマスコミに肩書を露出する場合も問題で、軽々に私的行為と認めることはできない。

(3) 「どこの国だって同じことをやっている」論
どこの国も戦争犠牲者を追悼していると言うのなら、多分そのとおりだろう。しかし、そのことは靖国公式参拝を合理化する根拠にはならない。せいぜいが、「全国戦没者追悼式」の挙行を合理化するに足りる程度。
靖国神社は、近代日本が発明した特殊な軍事的宗教施設である。おそらくは近代以降の世界に類例を見ない。論者は、「どこの国だって」と言わずに、「同じことをしている国」を特定しなければならない。靖国神社の特徴は、戦前は軍の管轄する宗教施設として軍国主義の主柱をなしていたこと、戦後は一宗教法人となりながら戦前の史観を維持し続けていること、今なお戦没者の魂を独占して国家と関わりをもっていること、旧勢力と緊密に結びついて戦争を正当化していること、である。このような類似の例が他国にあろうはずはない

安倍晋三首相は靖国神社を米国のアーリントン国立墓地と同じだと言ったが、アーリントン国立墓地と靖国神社とは、その性格がまったく違う。なによりも、アーリントンは死者の魂を独占していない。遺族の選択に従って、望む者のみを埋葬する。埋葬に伴う宗教儀礼の方式は遺族の自由である。死者を神とすることによって戦死を名誉なものとし、戦争を正当化しようとする観念を持たない。これが、普通の国の在り方だろう。靖国神社の好戦的性格が特殊であり異常なのだ。このことは、ひととき遊就館を一回りすれば明瞭なことである。

(4) 「内政干渉を許すな」論
「戦没者をどのように追悼するかは純粋に国内問題だ。近隣諸国が靖国神社公式参拝を批判するのは不当な内政干渉だ」という論調が高まっている。被侵略国の民衆の批判に耳を傾けようというのではなく、声高にこれを排斥しようとしている。危険な徴候と憂えざるを得ない。

かつての被侵略国が、日本に対して侵略戦争を真摯に反省しているか、再びの脅威になることはないかに関心をもたざるを得ないことは当然のこととしてよく分かる。我が国は、近隣諸国に再びアジアの脅威になることがないことを態度で示し続けなければならない立場にある。近隣諸国にとっては、靖国神社公式参拝は、日本の反省と平和への姿勢が本物かどうかを確認する試金石である。しかも、靖国神社には後年に至って秘密裡にA級戦犯が合祀されたという経過さえある。靖国神社公式参拝とは、現在の国家代表が、神として祀られている過去の戦争指導者に額ずくという側面をもっているのだ。

近隣諸国の公式参拝批判を内政干渉と排斥しては、「日本の軍国主義復活」と指弾されかねず、我が国の国際協調主義の底の浅さを露呈するだけのこととなろう。

(5) 「靖国神社は宗教施設ではない」論
憲法の政教分離原則をすり抜けるために、「靖国神社は、宗教法人となってはいるが、憲法上の宗教ではない」「靖国参拝は、儀礼や習俗であって宗教性をもたない」という、暴論が散見される。

旧憲法28条は、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とされた。しかし、この条文で保障された「信教ノ自由」が、クリスチャンや仏教徒の靖国神社参拝強制を拒む根拠とはならなかった。そのための憲法解釈技術として、「神社は宗教に非ず」とされたからである。靖国神社参拝は「信教ノ自由」に属することではなく、「臣民タルノ義務」に属するものとされた。今、再びの靖国神社非宗教論も、公式参拝非宗教活動論も、馬鹿げた旧天皇制時代のこじつけ論法の再生に過ぎない。

なお、自民党の日本国憲法改正草案は、公式参拝に道を開くことを意識しての憲法20条3項改正案となっている。

(6) 「平和を祈念しているのに文句があるか」論
「靖国神社公式参拝を、軍国主義復活や歴史修正主義の顕れと短絡して理解することは、大きな誤りである。その反対に、国のために命を失った人とご遺族を慰めて、平和の尊さを確認し再び戦争をしない決意を披瀝するもの」。だから問題ない、という論法がある。

しかし、靖国神社が軍国神社であることは、いまさらどうにも動かしがたい事実である。歴史的に軍国主義の精神的主柱であり、国家神道の軍国主義的側面を担っていたというだけでなく、現在なお、戦争美化の靖国史観を持ち続けている。そこは、平和を語るにふさわしい場ではない。平和を誓うのにふさわしい機会ではない。国の代表が内外すべての戦争犠牲者に責任を認めて謝罪し、平和を語り、不再戦を誓うにふさわしい場所は、まずは国会である。あるいは国民的大集会でもよかろう。けっして靖国神社ではない。

靖国参拝は、軍国主義の鼓吹としか理解されない。平和を祈念しているとの強弁は通じないことを知るべきである。

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  ヒョウの「八紘」
ぼくはヒョウの「八紘」。なぜこんな名前をつけられたのか、たぶん予想がつくでしょう。そのとおり「戦争」です。1942年5月に中国の武漢に近い前線から、上野動物園に送られてきたんです。その1年前の春、まだ乳離れもしていないときに、日本の兵隊さんに捕まったんです。お母さんのいないときに、拉致されました。でも、捕まえた兵隊さんだけでなく、たくさんの兵隊さんが、僕を大変可愛がって育ててくれました。殺伐とした兵隊暮らしのなかで、僕は部隊のマスコットになったんです。名前は部隊の番号の8をとって、「ハチ」とつけてくれました。僕を捕まえた成岡さんとはずっと一緒に寝ていたぐらい仲良しでした。

でもそんな平和は続きませんでした。戦争ですもの。部隊は転戦しなければならなくなって、ぼくは遠い日本の上野動物園に送られてきたんです。
そこでは僕の名前は「ハチ」じゃなくて、厳めしい「八紘」になりました。中国で兵隊さんと一緒に戦ったヒョウだと宣伝されて、たくさんの人が僕を見に来ました。でも、いくらたくさんの人で賑やかでも、僕は寂しかったのです。

それから1年後の1943年8月に僕は死んで剥製にされました。毒の餌を食べさせられて殺されたのです。わけがわかりません、あんまりです。
それを知った成岡さんはとっても悲しんでくれました。幸い成岡さんは戦争が終わって日本に帰ってくることができました。そして、あちこち奔走して、僕を探し出して、引き取ってくれたのです。「あのまんま、洞窟の巣穴の中においたままにしておけばよかった、ごめんよ」と涙を流してくれました。

僕が死んでから70年もたちました。剥製の姿となった僕は、今高知子ども科学図書館にいます。夏休みでたくさんの子どもが来て賑やかです。なぜ僕がここにいるのか、事情を知ると子どもたちはみんな、気の毒でたまらないといってくれます。ぼくはひとりでも多くの子どもたちに、「戦争」の話をしようと思っています。
(2013年8月18日)

靖国神社公式参拝推進論のホンネ

8月の、「6日・9日・15日」が終わった。終わったけれども、何かが変わったわけではない。もうしばらくの夏の終わりまで、戦争と平和にこだわりたい。本日も靖国問題を。

天皇や、首相・閣僚、自治体首長らの靖国神社公式参拝あるいは玉串料奉納について、推進派から積極的根拠を聴かされる機会はまことに少ない。ほとんどが「反対派がこう述べているが、それはおかしい」の類である。これだけの物議を醸しながら、敢えて公式参拝が必要だという積極理由をホンネではどう考えているのだろうか。

ホンネの第一は、「戦争美化論」である。「侵略戦争糊塗論」と言っても良い。これは靖国神社存立の根拠と緊密に関わる。戦死者を「英霊」と称え神聖な存在として祀ることによって、戦争を美化し、戦争に対する批判を封じ、同時に戦争を起こした国家の責任を回避しようとするものである。ここには、遺族感情や同胞の死に対する国民意識のあからさまな利用が意図されている。公式参拝は、くり返しの戦争美化確認の演出効果を狙ってのものである。

さらに、ホンネを語って最もあからさまなのが、「次の戦争準備論」である。中曽根康弘の「国のために倒れた人に国民が感謝を捧げる場所がなくて、誰が国に命を捧げるか」という、あの名言のとおりである。靖国神社は、「戦没者に国民が感謝を捧げる場所」であり、公式参拝は「国民の代表者が感謝を捧げるセレモニー」と位置づけられる。戦死を意味づけ、英雄視することによって、「次に国に命を捧げる人を得よう」というのだ。英霊の顕彰を通じての英霊再生産が目的なのだ。

そのバリエーションと言ってよいであろう。軍法会議厳罰発言で俄然注目の的となっている石破茂の次のように主張がある。「国家誓約説」とでも名付けようか。
「靖国神社を建立した際の政府の国民に対する約束はいかなる人であっても戦争で散華した人は靖国神社に祀られる。天皇陛下が必ずご親拝下さるという2点であったはず。第1の約束は概ね果たされてはいても、第2については所謂A級戦犯が合祀されて以来、果たされていない状況が続いている」
ここでは、天皇親拝が国家の国民に対する約束であり、その約束の履行として天皇親拜を実現する環境を整備しなければならないとする。この人の頭の中では、親拝を約束したとされる旧憲法時代の国家と、約束の履行をしなければならないとされる現行日本国憲法下の国家とが、切れ目なく連続している。いまだに、天皇親拝を実行しなければならないとする目的は、天皇を利用した戦争へむけての国民統合にあると言わざるを得ない。

以上は、国家の立ち場からのホンネであり、かつ靖国史観のホンネである。遺族感情利用の意図が透けて見えるが、けっして遺族の立場からのホンネではない。改憲して国防軍を創設しようという、自民党の今にこそふさわしいホンネであるが、それだけに今大っぴらに広言することははばかられる類のもの。

ホンネというには不適切だが、最も分かりやすい参拝目的の説明は、「遺族心情論」である。遺族と遺族に連なる人々にとって、社会が戦争や戦死者を忘れ去ること、戦死者の死の意味を否定しさることは耐えがたい精神的苦痛である。戦没者の氏名を霊爾簿に登載し、その一人ひとりを祭神として祀るとされている靖国神社に、国を代表する者が参拝することで、戦死者の霊はいくぶんなりとも慰められようし、遺族の気持ちも慰藉される。そのような遺族の心情に応えることが、天皇や首相らの公式参拝の目的だというものである。

「遺族心情論」に悪乗りした形の「選挙目当て論」ないしは「大衆迎合論」も分かりやすい。遺族会単体での集票力はかつてほどではないが、遺族と遺族を取り巻く人々、あるいは戦争に関わる記憶をもつ多くの人々の数は大きく、保守支持層の相当部分を占める。この層への保守政治家の支持取り付け策として公式参拝推進は格好のテーマである。ぞろぞろと、国会議員が集団参拝する所以である。

私は、「遺族心情論」こそが、靖国問題の核心だと思っている。靖国は確実に、このような遺族やその周囲の心情に支えられている。それあればこそ靖国も靖国派も根無し草ではなく、民衆に支えられている。違憲と言い、外交上かくあるべしと言ってもなかなか通じない。遺族の心情は無下に排斥しがたい点において、反靖国派はたじろがざるを得ない。ここが、靖国派の強みの源泉である。

しかし、ここが切所。感性の上では辛くても苦しくても、逃げることなく理性において遺族の心情に配慮しつつも、これと切り結ばなければならない。戦争を始めたのは国家ではないか、赤紙一枚で国民を戦場に狩り出したのも国家ではないか。「死は鴻毛より軽きと知れ」と国民の命を奪ったのは国家ではないか。そして、国家は、そのまま天皇と置き換えてもよいのだ。天皇を頂点とした国家こそが、かけがえのない国民一人ひとりの戦死に、責任を取らねばならない。その責任に頬被りしての戦死者の利用は許されない。

しかも、あの戦争は、自存自衛のための戦争ではなく侵略戦争であった。被侵略国の民衆が、日本が戦争を反省し再び戦争をしない国家に再生したのかどうかを見つめている。軍国神社靖国と国家の結びつきは、海外から見れば、軍国主義の復活と映るのだ。

靖国神社公式参拝に対しては、政治的な批判と法的な批判が可能であり必要である。政治的批判とは、公式参拝が国内政治や外交の観点から平和や民主々義に反することの批判である。その際のキーワードは、歴史認識となろう。先の戦争を侵略戦争と認めるか否かである。

法的な批判とは、憲法の政教分離原則に違反していることの論証である。憲法原則は、歴史的な反省に立脚してのものであるから、政治的な批判と法的な批判とは究極において一致する。ただし、政治的な批判は、「靖国史観」の体現者としての現在の靖国神社の実態に重きが置かれることになろうが、法的批判においては靖国神社や参拝・玉串料奉納の宗教性が問題であり、その論証は容易であると言えるだろう。

靖国を論じるたびに、心に引っかかりを感じる。靖国思想の最大の犠牲者である戦没者の遺族の心情に切り込まざるを得ないからだ。いわば、戦没者の魂と遺族感情が、靖国神社に人質に取られている状態なのだ。靖国問題の困難さはそこにある。それでもやはり、乗り越えねばならない困難なのだ。

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  『兵士たちの戦後史』読後感
吉田裕の同書(岩波書店)は、読者の関心に応えて、多数の文献を手際よく引用して集大成した好著である。同書によれば、第二次大戦敗戦時に日本兵は、本土に436万人、海外に353万人いた。戦後、元兵士、復員兵に対する銃後の国民の冷ややかな蔑視、憎悪は想像を絶するものがあった。

軍神として歓呼の声で送られて、帰ってくればうって変わって、敗残兵、戦犯、やっかいの種という声が投げつけられた。飢えてすさんだ国民は、浮浪者、浮浪児、パンパン(米兵相手の売春婦)と一緒にして、復員兵を鬱憤晴らしの弱い者いじめの対象にした。「軍部」と「国民・天皇」という意識的に設定された2グループの間に、くさびを打ち込もうとするアメリカ軍の対日占領政策が、それを助長しお墨付きを与えた。

「敗戦の祖国はかくも憐れなり、英霊立てど席譲る人もなし」(古庄金治)
と復員兵は嘆いている。

その理由について、中国に7年間の従軍経験のある兵隊作家・伊藤桂一は次のように言っている。「私たち天皇の軍隊は、終戦後、武器なき集団として故国に帰ってきた。迎えてくれたのは、それぞれ近親者だけである。私たちは民族自身のために戦ったのではなかったから、祖国の土を踏んでも、祖国の人たちとまるで他人同士のようにしか接しなかった。前線も銃後も、ともに惨憺たる目にあいながら、互いをいたわり合うことさえしなかったのである。このようなみじめな負け方をした国は、古来歴史上にその例をみないだろう」(「草の海ー戦旅断想」文化出版局)

戦争を挟んでその前後の民衆意識の連続性について、「民衆は天皇・天皇制を存置した上での平和・デモクラシーを求めていた」「アジアに対する優越感、帝国意識も崩壊をまぬかれ、敗戦後も頑強に生き続けた」と、吉見義明は「草の根のファシズム」(東京大学出版会)で述べている。

田中宏巳「復員・引揚げの研究」(新人物往来社)は、南方からの帰還兵は襟章、階級章を剥いで海に投げ込んだが、「中国からの帰還兵には、自分たちは負けていなかったとして、襟章を外そうとしない者が多かった。敗れた軍隊にいた兵士には、襟章、階級章は敗戦、敗北の象徴であったが、一方で決着がつかなかった中国戦線の兵士たちにすれば、日本軍の襟章、階級章はむしろ誇りであったのだろう。」といっている。

こうした意識が敗戦後の国中に複雑に蔓延し、他人を思いやる心を失わせ、空虚な絶望感のただよう社会を作り出した。日本政府からも連合軍からも、意識的に見捨てられた朝鮮人や台湾人の軍人、軍属、従軍慰安婦などの立場を顧慮できるはずもなかった。なまじの経済発展がアジア諸国への優越感を助長した。そして未だに、植民地政策や蔑視の歴史的事実を認識したくない、思い出したくない、忘れたい、できることならなかったことにしようとしている国民意識が確実に存在する。これでは、踏みつけにされた民族や民衆は、たとえ何年たとうとも、屈辱を忘れることができない。
(2013年8月17日)

戦没者追悼の名で、戦死者の利用を許してはならない

8月15日を何の日と呼ぶべきだろうか。迷いはするが、大勢に随って「終戦記念日」ということにしたい。「終戦」は当時の人々の実感であったろう。貴重な平和を希求し忌むべき戦争を繰り返さない決意を新たにするべき日。

「終戦」のそのときまで、夥しい死が積み重ねられた。近親や身近な人の死への哀悼の念は厳粛なものとして受け止めるべきが当然である。しかも、「終戦」を境に、死を免れた国民が、心ならずもの死を余儀なくされた戦没者を追悼する心情も自然な発露として共感せざるを得ない。軍人軍属の戦死であろうと、民間人の空襲による死であろうと、追悼に異論があろうはずはない。

同胞の死を悼む気持は自然の感情である。しかし、戦争相手国の民衆の死を悼む気持は必ずしも自然なものではない。敵国兵であり敵国民であった人の死、言葉も解せずどのような生活をしていたのか想像しがたい人々の死、ことさらの蔑称をもって敵意や差別感情を煽るように仕向けられていた人々の死。その死に心を痛め追悼する気持は、理性や想像力を必要とする。自分だけではない、他人も自分と同様に近親の死は辛い。自国だけでない、相手国の人々も自国と同様に戦争被害は国民的な惨事なのだ。戦争による同胞の死の痛みを、敵国や敵国民への憎悪のままとするのではなく、相手国の人々も同様の痛みを体験しているのだという理解への努力は、平和のために不可欠である。

さらに、先の戦争は、我が国の近隣諸国に対する侵略としてなされた戦争であった。大義のない戦争を仕掛けた加害者として被害国への謝罪が必要なのだ。このことは、辛いことだが認めざるを得ない。我が国は、今次の戦争が侵略戦争であることを前提とした東京裁判の判決を全面的に受け入れることを公式に認めて、国際社会に復帰したという事情もある。

近隣諸国の民衆の悲惨は、我が国の戦争の惨禍の何層倍ものものであり、しかもその被害は我が国の侵略によるものである。この侵略戦争の加害責任を認めるか否か、これが「歴史認識」問題である。加害の罪は謝罪し清算しなければならない。被害者の心情を癒すにたりる衷心からの謝罪をし、これを受け入れてもらうところから近隣諸国との友好の関係が始まる。

戦死者の遺族には辛くとも、その戦死をもたらした戦争を美化してはならない。戦死者の死を意義あらしめる唯一にして最高の方途は、その死をもたらした戦争をありのままに見つめることを通じて、再びの戦争をなくし再びの戦死者を出さないことなのだ。

終戦記念日恒例の全国戦没者追悼式においては、天皇のことばにも、安倍首相の式辞にも、加害責任に触れるところはなく、近隣諸国の民衆に対する一言の謝罪もなかった。ひたすらに、内向きの戦没者追悼に終始し、近隣諸国の厳しい目からは、平和への決意を疑わざるを得ないものとなっている。

政府の姿勢は、首相の靖国神社参拝にも表れている。安倍首相は、内外の批判の高まりの中で自身の参拝は見送ったが、代理人によって参拝し私費で玉串料奉納をした。記帳の肩書きは、「自民党総裁」だったという。

靖国神社とは、もともとが天皇軍の戦死者の霊を神として祀り、その霊に天皇に仇なす敵への報復を誓う軍事的宗教施設であった。日本が対外戦争を重ねるようになってからは国を挙げての軍国主義鼓吹の道具としての宗教的軍事施設となった。天皇への忠誠を尽くしての戦死者を「英霊」と美称して褒め称えるき、戦争の性格を問うことは許されない。戦後靖国神社が一宗教法人となってからも、靖国神社の思想にいささかの変更もない。A級戦犯を含む戦死者を英霊として合祀する靖国神社は、先の大戦を自尊自衛の戦争として、侵略戦争であることをけっして認めない。国や自治体の代表者の靖国への参拝は、英霊を生んだ戦争を公式に肯定することに繋がる。

けっして、戦死者の利用を許してはならない。戦死者を哀悼する痛切な遺族の念を戦争の合理化のために利用してはならない。戦死を美化する死者の利用や、遺族の気持ちの利用への反対に怯んではならない。

憲法の危機の中で迎えた終戦の日の決意である。

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  『さしもの猛き夏も・・』
夏日、真夏日、連日の猛暑日。さらに今年は酷暑日という言葉も飛び交う。去年、新記録で意気が大いに上がた熊谷市が今年はがっかりしている。高知県の四万十市の41℃には完敗してしまったからだ。そんなことで「暑く」ならなくてもいいのにとおかしい。

桁外れの猛暑なのに、「電力がなくなって大変だ、大変だ」と電力会社が、去年のように騒がない。消費者が上手に節電できるようになって、東京電力も当てがはずれているようだ。9月15日には大飯原発4号機も止まって、再び原発ゼロが実現する。

終わりなき夏にうんざりしていたら、今朝、今年初めてのツクツクボウシが鳴いた。ツクツクオシイという声を聞くと、耐えがたいこんな暑い夏でも終わるのが「惜しい」気分になる。夜になると窓の外では、コオロギもリッリッリッと鳴き始めている。秋ももうすぐだ。

とは言え、天気予報では、もう少し炎暑は続きそう。世界ではイラクのバスラというところで、58.8℃(計測が怪しいという声もある)、日本では東京足立区で42.7℃という記録があるそうだから、まだまだ油断は禁物。ぜひ、ご自愛を。
(2013年8月16日)

終戦の日の各紙社説を読む

本日は8月15日。戦争が日常であった時代が終わって、平和が訪れた日。軍国日本が滅びて平和国家としての日本が再生した日。今日こそ、各紙が平和について、また、平和を支える民主々義と人権について、渾身の社説を書かねばならない。でなくして、社会の木鐸としての存在意義はない。

そんな思いで、各紙に目を通した。普段は一顧だにすることもない産経にまで。その結果、残念ながら、期待は裏切られた。この憲法の危機のときに、各紙の平和や民主々義への危機意識がまるで伝わってこない。戦争の禍根と平和の希求を語る気迫に欠けていると言わざるを得ない。

まず、日経。「戦争と平和を考え続ける覚悟を持とう」という標題の社説を一応は書いている。しかし、文字通り、「一応は書いてみた」のレベル。この社説には、何の「覚悟」もない。「通り一遍のおざなり社説」と評するほかはない。いやしくも日本「経済新聞」ではないか。経済合理主義にもとづいた憲法論、平和論の展開が期待されるところ。今日こそ、憲法の平和主義と民需中心の経済の関係を語るべきではないか。戦後68年の平和あるが故の経済発展の歴史を書くべきではないか。石原慎太郎の尖閣都有化という愚行に端を発した日中の政治緊張が、いかに日本の経済に悪影響を及ぼしているか、さらには、今後の日本経済の発展は近隣諸国との平和なくしてあり得ないことを、堂々と書いてみてはどうか。それなくして、感想文程度のおざなり社説で紙幅を埋めて新聞を売るのは、商品価値と代金額との等価性を大きく損なうことになる。これは消費者問題だ。

続いて読売。標題は「中韓の『反日』傾斜を憂えるー歴史認識問題を政治に絡めるな」というもの。内容を読む必要なく、タイトルだけで何を言わんとしているのかがよく分かってしまう。ところが、真面目に内容を読み込むと、何を言っているのか分からなくなる。おそらく、読売論説子は、まともに社説を読む新聞購読者を想定していない。大学入試の小論文なら、「論旨不明確」「論旨に一貫性なし」として不合格になること間違いない。この社説は、読み手に焦躁感を与えることにおいて、日経よりも罪が深い。日経は「紙代を返せ」のレベルだが、読売には「慰謝料も支払え」と言わねばならない。

その点、毎日の「8・15を考えるー積み重ねた歴史の重さ」は、さすがに読売よりは数段マシ。書き出しなどは手練れの文章として洗練もされている。しかし、これも結論として何を言いたいのかは良く分からないで終わってしまう。
長く政権にあった穏健保守の一貫した「中国への侵略」という認識にゆらぎが生じ、現政権によって変更されようとしていることを憂慮してはいる。村山談話を外交資産とすべきであって、新たな談話を出すよりも、過去の談話を変えないことが大切と言っている。靖国や、領土問題を論じるときに、「内向きの論理」ではなく、「世界史的、客観的な視点」で判断する必要がある、とも言う。ところが、唐突に「韓国で日韓合意に反する賠償判決が相次いだ。中国は尖閣付近の領海侵犯を繰り返す。歴史と外交をからめ、過去の積み重ねを一方的に変えようとする動きだ」と、読売まがいの「一方的に相手が悪い」トーンに転じる。そのあとは歯切れが悪く、まとめがまとめになっていない。結局、人をうなずかせるものがなく、心に響くものとなっていない。起・承・転・結を別々の人が書いて無理につなげたような印象さえのこる。

次いで、東京新聞。標題は「哀悼の誠尽くされたかー68回目の終戦記念日」というもので、終始、靖国問題を論じている。論旨に破綻はない。社の立ち場を明快に述べている。それだけに、内容は心底がっかりさせられる。予想とのギャップという点では、この社説が一番。戦後68年経ってなお、昭和天皇の立ち場からの靖国論なのだ。「A級戦犯合祀への昭和天皇の不快感やその後の不参拝が私憤であるはずがありません。戦死者と死を命じた戦争指導者を同じ神として祀ることへの国民の反発や違和感へ配慮したかもしれませんが、それにもまして合祀が問う戦後日本のあり方の是非への根源の認識があったと思われるのです」には驚く。ここには、靖国問題をA級戦犯合祀問題に矮小したうえで、天皇のA級戦犯合祀への不快感を深慮に基づくものと肯定して見せている。恥ずかしいほどに、天皇の戦争責任を追求する姿勢に欠ける。また、「A級戦犯合祀さえなければ、天皇にも参拝していただけるのに」というニュアンスさえ窺える。天皇への責任追及を避けようと健気な努力をしながら、死刑になった後にまでこれだけ天皇から裏切られたA級戦犯に、同情の一つもしたくなる。

朝日「戦後68年と近隣外交ー内向き思考を抜け出そう」は、さすがにすぐれた社説。読ませるし、品よく穏やかで、鋭い内容となっている。
「戦前戦中の日本の責任を問う声がアジアから湧き起こるまでには時間がかかった。70年代までに終えた近隣との国交正常化は、冷戦構造の産物でもある。日本への賠償請求権は消えたとされたが、当時の近隣諸国では外交に民意が反映される状況ではなかった。やがて冷戦は終わる。グローバル経済の時代、韓国は先進国へ、中国は大国へと成長した。日本と国力の差がなくなるにつれ、歴史問題に由来する大衆感情が噴き出している。日本はもはや軍国主義は遠い遺物と思っても、隣の民衆にとっては戦争を問う時が今やってきた。そこには歴史観の時差ともいえる認識のズレがある」。やや長い引用だが、重要な指摘だと思う。加害者側には責任を忘れるに十分な時間が経過したときに、ようやく被害者が責任追及の声をあげることのできる条件が整ったというのだ。だから、「今の時代こそ、じっくり考えよう。お隣は今なおなぜ、怒り続けているのか、と」が締めくくりの文章となる。
さらに、「中韓首脳にとって、歴史は、貧富の格差など国内問題から国民の目をそらす手段にもなる。だとしても、そんな思惑に対抗するかのように日本もナショナリズムの大衆迎合に走ってしまえば悪循環は止まらない」というのは、良識に満ちた姿勢である。ナショナリズムを煽動して部数と売上げを伸ばそうというさもしさはなく、このような冷静な良識を、国内他紙にも、中・韓のメディアにも期待したい。
さはさりながら、すぐれた社説と認めつつも、今ひとつ物足りなさを禁じ得ない。格調高さの反面現実の課題への切り込みがないからだ。総論的に歴史認識・外交問題を論じるにとどまって、明文改憲問題、立法改憲・解釈改憲、軍事大国化、靖国問題等々への泥臭い、焦眉の急につながる問題提起となっていないことの物足りなさである。これが、「朝日らしさ」なのであろうか。

最後は産経。私はこの新聞をジャーナリズムとして認めていない。街宣右翼と自民党右派の宣伝紙に過ぎないと思っている。だから、無視してもよいのだが、せっかく年に1度のこととして産経紙を購入した以上は、これへの批判をしておきたい。また、歴史修正主義者や靖国参拝推進勢力の真意がどこにあるかを考える材料ともしたい。

産経「主張」のタイトルは、「終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った」というもの。自信ありげに「参拝反対論は根拠を失った」と断定しているので一瞬戸惑うが、「産経新聞が今春発表した『国民の憲法』要綱」という、ほとんど誰にも相手にされることのない改憲案に基づく憲法改正が実現すれば、ということのようだ。なるほど、タイトルの付け方からしていかにも産経らしい。

「国に命を捧げた人々の霊は静かに追悼したい」
この一文から引っかかる。戦没者のすべてが「国に命を捧げた人々」なのか。実は、心ならずも戦争に狩り出されて「国に命を奪われた人々」ではないのか。国に命を捧げることなく亡くなった人には追悼したくないというのか。上官抗命や敵前逃亡で処刑された人についてはどうなのだ。軍人・軍属ではない民間戦死者をどう思っているのだ。「静かに追悼したい」のであれば自宅で毎日すればよいではないか。クリスチャンの戦死者になぜ神社なのだ。仏教徒になぜ靖国なのだ。なぜ、なぜ…。
ここでのキーワードは、「国」である。「霊」ではなく、ましてや「人々」でもない。国の、国による、国のための戦没者慰霊独占システム。それが靖国なのだ。憲法20条3項の政教分離は、まさしく天皇や閣僚の靖国参拝を禁止するための規定である。
念のため申し添えれば、憲法が戦没者に対する追悼に干渉するところはない。宗教法人靖国神社の存在も教義にも容喙するところはない。ただ、公的立場にある者の参拝や宗教的意味合いをもつ金銭の奉納という形での関わりを禁じているに過ぎない。

「後世の指導者がぬかずくことを憲法違反とする議論は、国民感情と乖離している。」
これは憲法の何たるかを理解しない者の妄言に過ぎない。憲法とは、主権者国民から「後世の指導者」に対する作為・不作為の命令である。その命令は、「国民感情」というものを徹底して無視せよという内容を含むものなのだ。なぜなら、憲法とは究極のところ、少数者の人権を擁護することが目的だからである。「国民感情」という多数派の意見は、人権擁護のためにことさらに排除されなければならない。もっとも、内容において曖昧模糊で、あるのかないのか、多数のものであるか否かする不明の「国民感情」などが憲法解釈に介在する余地はない。

「戦後68年も経て、なお続く論争の決着を急がなければならない。産経新聞が今春発表した『国民の憲法』要綱がその解決への道筋になることを期待したい」
政治・外交論としての論争については、その性格上決着はつけがたい。しかし、憲法論としては決着は当初からついている。敗北を認めているからこそ、それを不都合として、自民党の改憲草案が出てきたり、産経案が出てきたりしているのだ。

「違憲論はそもそも、国は『いかなる宗教的活動もしてはならない』という日本国憲法第20条3項を根拠としている。条文を厳格に解釈し、参拝はそれに抵触するとみる原理主義的な考え方だ」
この主張の本気度を疑う。憲法の条文を厳格に解釈しなければならないことは当然のこと。ユルユルの解釈で結構というのは、立憲主義を理解しようとしない反憲法的立場。とりわけ、政教分離条項は、戦前の国家神道跳梁の苦い経験と、靖国神社という軍国主義跋扈の歴史体験に鑑みて、その解釈に格別の厳格性を要する。産経主張は、憲法に敵意むき出しの反立憲主義であり、憲法敵視原理主義にほかならない。

「産経新聞の『国民の憲法』要綱第26条3項は、『国および地方自治体は、特定宗教の布教、宣伝のための宗教的活動および財政的支援を行ってはならない』と規定し、曖昧さを排した。これに照らせば、「布教」などの意図がないことが明らかな首相参拝は合憲、儀礼的な玉串料の公金からの支出も可能になる」「憲法改正が実現し、この規定が生命を得るなら、長年の議論は一夜にして解決をみるだろう」

恐るべき、政教分離破壊への改悪案である。おそらく、産経は政教分離の理念についてほんの少しも考えたことがない。「解釈の曖昧さを排する」ことが唯一の憲法的価値であるなら、政教分離そのものをなくしてしまうことが最善の方策ではないか。産経案は、96条改正限界を超えるものとして許容しがたいが、現実性がないので、これ以上取りあう必要は無い。ただ、仮に産経案の憲法改正が実現しこの規定が生命を得るなら、憲法は死文化し、戦前の復活という事態を招くことになるだろう。産経がそのような提案をしているという事実だけは押さえておかねばならない。

「最高裁で参拝自体への憲法判断が示されたことはない重い事実を指摘しておきたい」
最高裁でも高裁判決でも、参拝の合憲判断が示唆されたことすらない。高裁判決として重要なのが、私も関わった岩手靖国訴訟の仙台高裁判決。曖昧さを残さずに、天皇と首相の公的資格による参拝を、違憲と断じている。

「反対論の論拠の一つに、いわゆる「A級戦犯」14人の合祀がある。昭和天皇がそれを機に親拝を中止されたのだから、総理大臣も参拝を控えるべしとの主張だ」
A級戦犯14人の合祀問題も、天皇が合祀に不快感を示していたかどうかも、憲法論のレベルではまったく無関係。政治・外交レベルの問題としては、論者によっては大きな問題だが、「天皇も参拝しないのだから、首相もおやめなさい」という意見があることを私は知らない。あったとしても説得力のないつまらない意見に過ぎない。なお、A級戦犯合祀は靖国神社のなんたるかを象徴するものではあるが、分祀が実現したとしても、合憲にはならないし、外交的にも問題解決にはならない。

「朝日新聞の調査を紹介しよう。同紙が非改選を含む全参院議員に聞いたところ、『首相の靖国参拝』に賛成が48%、反対は33%だった。憲法改正の是非では『賛成』『どちらかといえば賛成』が計75%と改正の発議に必要な3分の2を超えた。憲法改正、公式参拝の道は開けた、とみるべきだろう」
朝日の調査を信用しての引用だがおそらくそのとおりの危機的状況なのだ。参院選の結果、「衆参のネジレ」は解消したが、「民意と、議席とのネジレ」は解消していない。「憲法的良心と議席とのネジレ」はさらに大きい。これから、熾烈な綱引きをしなければならないが、もちろん、その綱引きが続いている限り、つまりは改憲が実現するまでは公式参拝はできない。それが、法治主義の帰結である。

「残るは近隣諸国の干渉だが、その不当性について、今さらあらためて論じる必要はあるまい。」
おやおや、論じないのですか。もっとも、近隣諸国の不当を論じるよりは、近隣諸国の言い分にじっくりと耳を傾けた方が良いと思いますよ。国際的に孤立しているのは、わが国の方なのですから。

産経「主張」の最後は、次のように締めくくられている。
「安倍晋三首相がきょう、予想を裏切って大鳥居の下に現れることを望みたい。さもなければ秋の例大祭は、ぜひ参拝してほしい」

問題は、なぜ、安倍晋三や産経という右翼連中が、かくも靖国参拝にこだわるのかである。せっかく100円支払って購入した8月15日付けの産経。隅々まで目を通してみたが、「靖国公式参拝は違憲ではない」「公式参拝は国内問題だから外国が口を出すのは不当」は書き連ねられているが、積極的に公式参拝が必要な理由はどこにも書いていない。「国に命を捧げた人を国が追悼するのは当然」程度のことなのだろうか。

目に留まったのは、「産経抄」というコラム。ここで宮崎駿の新作アニメ「風立ちぬ」への批評に関して、「ある指摘が気になった。主人公に、戦争に協力することへの葛藤がみられない、というのだ」という。また、「『まど・みちお全詩集』のあとがきを読んだときも、似たような違和感を覚えた。この詩集には、まどさんが「戦争協力詩」と呼ぶ2編も収められている。まどさんは自分を責めてやまない。『懺悔も謝罪も何もかも、あまりに手遅れです。慚愧にたえません、言葉もありません』…何がいけないというのだろう。戦闘機の設計者や詩人だけではない。当時の日本人は、それぞれ自分の持ち場で精いっぱい戦った」「国家の再建に失敗すれば、英霊たちに申し訳が立たない」

ここには、「国民がそれぞれの立場で精いっぱい戦争協力することは賞賛されるべき素晴らしいこと」「国家の再建に失敗すれば英霊たちに申し訳が立たない」という二つの命題が、脈絡不明確なまま語られている。この二つを繋げるように論理を補えば次のようになるだろうか。

 ①国家の隆盛は文句なく価値のあることである
 ②国家がその隆盛のためにする戦争は正しい
 ③正しい戦争に、国民が協力することは賞賛されるべき素晴らしいこと
 ④国民みんなで闘った戦争での犠牲はこの上なく尊い
 ⑤生き残った国民は犠牲者を英霊として尊崇しなければならない
 ⑥戦争目的であった国の隆盛を実現せねば英霊に申し訳ない

産経抄は、③と⑥を語り、公式参拝は④と⑤に関わる。その前提として、①と②がある。
「戦没者の尊崇」や「戦死者の遺志」を口実に、生者が戦争を美化し聖化して次の戦争を画策し、あるいは国の隆盛に国民意識を動員するため装置が靖国神社であり、その靖国神社と国家との結びつきを国民にアピールするための演出として閣僚の参拝があるのだ。

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  『かわいそうなぞう』(土家由岐雄著)と
  『ぞうれっしゃがやってきた』(小出隆司著)

上野動物園で3頭の象が死んだ。象は利口で、毒も注射も受け付けず、最後に餓死させるしか殺す方法がなかった。餌をもらおうとして、飼育員に懸命に芸をしてみせるやせ衰えた象たちの話は、子どもたちだけでなく、親も涙なしには読みすすむことができない。

これは太平洋戦争たけなわの70年前のちょうど今頃の夏の話。戦況悪化著しいシンガポールの軍政官から東京都長官に転任した大達茂雄は、全猛獣の1カ月以内の殺処分を上野動物園に厳命した。空襲による猛獣の市街地逃走を恐れてのことである。それ以前から、園側は懸命に動物を地方に疎開させようとしていたが、努力は報われず、結局、ライオン、ヒョウ、ニシキヘビなど14種27頭の貴重な動物たちが殺された。象は「かわいそうなぞう」の話のとおり、30日間の絶食の後に、ガリガリにやせて死んでいった。

これを「戦時猛獣処分」という。上野動物園を皮切りに全国の動物園で同じ事が行われた。わざわざ殺さなくても、燃料不足のために暖房が切れて、熱帯地方の動物は死んだ。飼料不足で、草食動物も死んだ。無論、肉食動物に与える肉などあろうはずもなく、食糧不足でたくさんの動物が死んでいった。街路樹の枝葉集め、畑の草刈り、空き地での芋作りなど飼育員の餌づくりの努力と工夫は焼け石に水だった。
これらの動物は「時局捨身動物」と称されて慰霊されたが、言葉が話せるなら「納得できない、恨めしい」といっているに違いない。

そんな時局のなか、すべての動物が処分されたわけではない。名古屋東山動物園では、北王英一園長の努力と懇願が通じて、2頭の象が戦争を生き抜いた。当時東山動物園は軍の兵糧庫とされていたが、飼育員が兵糧の中から象の餌を盗んでいたのを、わざと見逃してくれた獣医大尉がいたお陰でもあった。戦後、そのうちの1頭を東京の子どもたちのために上野動物園に送ろうとしたが、泣き叫ぶ仲良しの2頭を引き裂くことができなかった。
日本中でたった1カ所象のいる、名古屋東山動物園へ「ぞう列車」で全国の子どもたちがやってきた。木下サーカスで育ったマカニーとエルドは人なつこく、子どもたちに触られたり、乗せたり大サービスをした。子どもたちは無論のこと、苦しい戦争を生き延びた2頭の象の喜びはいかばかりだったろう。飼育員たちの得意さやうれしさが伝わってくる話である。アメリカ軍占領下の当時、国鉄、私鉄関係者の並々ならぬ努力によって仕立てられた「特別専用ぞう列車」は6万人もの子どもたちを東山動物園に運んだ。

そのことを教訓に、1950年の朝鮮戦争激化にあたって、上野動物園は「非常事態計画」を策定した。「戦時猛獣処分」の再現や空襲による動物の死を避けるため、伊豆大島への疎開を計画したのだ。しかし、本当に動物園関係者は、再び日本が戦争に巻き込まれることを考えたのだろうか。

動物園の動物の命と子どもたちの笑顔や喜びを踏みにじってまで、起こして価値のある戦争などありはしない。憲法第9条を変えさせてはならないと改めて思う、8月15日である。
(2013年8月15日)

地方各紙の「良識」と、読売の「不見識」

「法制局長官の首のすげ替えで集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更」という、安倍流解釈改憲の「手口」。これに反対の各紙の社説を集めてみよう、と思っていた。96条問題の先例に倣ってのこと。

この春、96条先行改憲の策動を断念させた大きな要因として、地方紙の主張がある。とりわけ、5月3日憲法記念日の各紙の社説が、こぞって反対姿勢を明確にしたことが大きなインパクトをもった。各紙それぞれの角度から個性豊かに、96条改憲の非道理と危険性に警鐘を鳴らすものであった。

国会図書館で、全国53紙の5月3日社説を調査したのは、ジャーナリストの岩垂弘さん。その結果を、5月13日付ネットマガジン「リベラル21」に発表した。「新聞各紙の8割近くが憲法96条の改定に反対ー憲法記念日の社説を点検する」という標題である。

「全国の新聞各紙の大半は、5月3日の憲法記念日にこの問題を論じたが、その8割近くが『96条改定』に反対であった。とりわけブロック紙・地方紙の間で改定反対が強いことが浮き彫りとなった」「その論調を大まかに分類すると「改定賛成」が6紙、「論議を深めよ」といった、いわば中立的な立場が5紙、「改定反対」が35紙であった。つまり、「改定賛成」13%、「中立」10%、「改定反対」76%という色分けだった。」

注目すべきは、「改定賛成」の少数派6紙のうち、読売・産経・日経と3紙までが中央紙であること。中央各紙と地方紙の歴然たる温度差が報告されている。今や、ジャーナリズムの良識は地方紙の論説にあって、中央紙にはない。産経・読売・日経は、いずれも自民党や経団連の主張と変わるところがない。不見識というほかはない。朝日もこれに近いと言わざるを得ない。

解釈改憲については、各紙の8月15日社説を調べて比較してみよう、などと思っていたところ、本日の赤旗に「地方紙から批判相次ぐー集団的自衛権容認に向けた法制局人事」の記事。残念、先を越された。

見出しに、「法治主義揺らぐ」「あまりに強引」とある。ここら辺りが、現状の世論であろうか。

引用された各地の社説は以下のとおり。
  宮崎日日新聞(11日)
  沖縄タイムス(10日)
  福井新聞(10日)
  愛媛新聞(5日)
  東京新聞(9日)
  京都新聞(9日付)
  徳島新聞
  山陰中央新報
  熊本日日新聞

赤旗に紹介されている主要な論調は以下のとおりである。
「憲法解釈を容易に覆せるのなら、法治主義、議会制民主主義の根幹が揺らいでしまう」(宮崎日日新聞)
「歴代の首相や内閣法制局長官らの答弁を積み重ねて構築した憲法解釈が覆されるようなら法治国家とはいえない」(沖縄タイムス)
「ハードルが高い憲法改正を回避する形での解釈変更は大きな問題をはらむ。…日本はあくまで『平和主義』追求の中心軸であるべきだ」(福井新聞)
「過去に日本が積み上げてきた国際的信頼と平和主義は貴重な財産だ。それを崩し、後世に負の歴史として刻まれる愚を犯してはなるまい」(愛媛新聞)
「なし崩し変更許されぬ」(東京新聞)
「容認できぬ強引な手法」(京都新聞)
「憲法解釈の変更は、対中韓関係を一層悪化させる恐れがある」(徳島新聞など)。

やはり、「良識の地方紙」だ。安倍内閣がこの手口を断念するまで、くり返しの主張を期待したい。

それに引き換え、「不見識紙」の代表格である読売の社説について一言しておきたい。
読売も、以前から今のようだったわけではない。本日配送された、「自由と正義」(日弁連機関誌)8月号に、孫崎享さんの講演録が掲載されている。標題は「日本の生きる道ー平和的手段の模索」。
その講演の冒頭で、1979年5月31日の読売新聞社説の一部が紹介されている。「尖閣問題を紛争のタネにするな」という堂々たる正論。本当にこれが読売の社説かと見まごうばかり。私も、我が目を疑う。

「尖閣諸島の領有権問題は、1972年の国交正常化の時も、昨年夏の日中平和友好条約の調印の際にも問題になったが、いわゆる『触れないでおこう』方式で処理されてきた。つまり、日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が“存在”することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。
それは共同声明や条約上の文書にはなっていないが、政府対政府のれっきとした“約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は、これを順守するのが筋道である。鄧小平首相は、日中条約の批准書交換のため来日した際にも、尖閣諸島は『後の世代の知恵にゆだねよう』と言った。日本としても、領有権をあくまで主張しながら、時間をかけてじっくり中国の理解と承認を求めて行く姿勢が必要だと思う。」

この社説の全文は、下記のサイトで読むことができる。
www005.upp.so-net.ne.jp/mediawatching/yomiurieditorial19790531.htm‎
「『小さな岩』で争うよりも、日中両国が協力する方向に、双方の雰囲気を高めていくことが大事だ」「こんごとも、尖閣諸島問題に対しては慎重に対処し、けっして紛争のタネにしてはならない」と結んでいる。良識があふれた社説ではないか。

それから30年余を経た、2013年8月13日の「日中条約35周年『平和友好』の精神はどこへ」と題する社説の変貌ぶりは正視するに耐えない。

一方的に相手の非を鳴らし、「日本は警戒を怠れない。政府は尖閣諸島を全力で守り抜く姿勢を示し続けねばならない。」という好戦的姿勢。良識のカケラも見えない。戦前もかくやと思わせる大新聞の扇動的な論調に、背筋が寒くなる。

指摘したいのはその「姿勢」や「論調」ではない。79年社説との明らかな「変節」についてである。

「習政権は、途絶えている日中首脳会談開催の前提として、日本側が尖閣諸島を巡る領土問題の存在を認めた上で、双方が棚上げすることを求めている。
だが、尖閣諸島は日本固有の領土であり、棚上げすべき領土問題は存在しない。安倍首相が中国側の要求に応じないのは、当然である。政府は、国際社会に日本の立場を訴え、粘り強く理解を求めていかねばなるまい。
安倍首相は『対話の窓は常に開けている』と中国側に呼びかけている。習政権はいつまで会談の前提条件を掲げ続けるつもりか。」

かつては、「触れないでおこう」方式での処理を、「政府対政府のれっきとした“約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は、これを順守するのが筋道である」と言いながら、今になって、「尖閣諸島は日本固有の領土であり、棚上げすべき領土問題は存在しない。安倍首相が中国側の要求に応じないのは、当然である」というのは、食言ではないのか。

今や、産経とともにナショナリズムを煽る読売。かつては、「『小さな岩』で争うよりも、双方の雰囲気を高めていくことが大事」「尖閣諸島問題に対しては慎重に対処し、けっして紛争のタネにしてはならない」と言ったことを思い起こしていただきたい。そのうえで、地方各紙の良識に倣っていただきたいと切に思う。

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   『三光作戦の新証拠』
本日(8月14日)の毎日新聞は、1938年日中戦争初期、上海近郊の村における「抗日ゲリラ」掃討作戦の様子を写した写真46枚が見つかったと報じている。「銭家草」という村を日本軍部隊が急襲し、村民をとらえ、ゲリラとしてその場で40人を処刑する一連の写真だ。撮影助手をしていたとおもわれる兵士が、内地の妻らに宛てて手紙と一緒に送ったもの。

それぞれの写真には、ていねいなキャプションが書き込まれている。「戦地ならではできない放火の光景、面白いでしょう」「静かにして居ろ あばれるとタタッ切るぞ」「自分の這入る穴を一生懸命に掘って居ます」(処刑前の写真)などというおぞましい内容。

日清、日露、第一次大戦は天皇の宣戦の詔書に「国際法規ノ遵守」がうたわれていた。近代文明国家として認められたいため、せいぜい見栄を張っていたのだ。しかし、日中戦争については、宣戦布告を行う戦争ではなく、事変だといいはった。見栄も外聞もかなぐり捨てた戦争だったのだ。陸軍省から派遣軍にあてて「今次事変ニ関スル交戦法規ノ適用ニ関スル件」として「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約ノ具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ」という通牒が繰り返し出されている。「戦利品、俘虜等ノ名称」は使うなとも指示された。俘虜収容所は作らなかったので、捕虜の大量虐殺は黙認された。

日本軍はこの通牒に従って、見せしめのために、「燼滅掃討作戦」と称して、「銭家草」のような村をたくさん焼き尽くして無人地帯にした。いわゆる「三光作戦」である。三光とは殺光・焼光・搶光をいい、人を殺し尽くし、家を焼き尽くし、物を奪い尽くすの意である。三光作戦などというのは中国側の宣伝であり、そんなむごいことを皇国の兵士が行ったはずはないと認めようとしない日本人もいる。従軍慰安婦問題を否定した人たちは同じように「三光作戦」の存在も否定する。たとえ本日の毎日新聞に掲載された写真のような揺るぎない証拠を突きつけられようとも。毎日新聞は中国における取材もし、この写真の真実性の検証に3年をかけたそうだ。

この写真と一緒に内地に送られた手紙は「頭目以下を殲滅せしめ我隊には何等の損傷なく凱歌を奏して帰営致し候事は将兵一同痛快を覚え申候」といっている。また、写真に同封の便せんには「内地に持ち帰ることは軍でも許しません。秘密写真として取締がうるさいですからやたらの人には御覧に入れないで下さい。殺すところや穴掘りは絶対にいけないのです」と書いている。

内容のおぞましさにかかわらず、文面からは、この書き手が「通常の社会人」であることがうかがえる。戦地にさえ行かなければ、達者な読み書きの能力で社会生活を送っていただろう人。そんな人が、戦場の狂騒に巻き込まれると、愛する妻にとくとくと、このような想像を絶する凶悪さを誇る手紙を書くようになる。受け取った妻はどう思ったことだろうか。

次なる戦争を画策している安倍首相は妻になんと言うのだろうか。「当時は戦国時代から連綿と続く『野蛮な首狩り』の伝統がまだ生きていたんだ。今度の戦争は家にいてボタンひとつで決着がつく。血の一滴も見ることはないから心配することはない」と、優しく説得するのだろうか。
(2013年8月14日)

戦争にならないための一票、その投票先は…

愛読している「毎日・仲畑流万能川柳」。本日、7月の月間大賞が発表となった。
   戦争にならないように投票す(東京 かもめ)
簡潔なこの句、なかなかに考えさせる。

ある詩の1節を思い出す。
   彼の国が、戦争を始めたので、彼も兵隊になった。(竹内浩三「愚の旗」)
竹内は、1945年4月ルソン島の戦場で23歳の生涯を終えた天性の詩人。この上なくやさしい性格で、このうえなく戦争と軍隊をきらいながら、結局は招集されて戦争に命を奪われた人。いかに個人が「戦争にならないように」願っても、「彼の国が戦争を始め」れば如何ともしがたいことを、身をもって教えている。だからこそ、戦争を始めるような国にしてはならない。今ならできる。その手段は、選挙である。さて、かもめ氏は、どの党どの候補者に投票したのだろうか。

かもめ氏の「戦争にならないように」は、時代の声である。私たちには何の違和感もない。しかし、かつては、そのようなつぶやきすら許されなかった。ましてや、反戦・非戦の党に投票しようという呼びかけの川柳が一般紙に掲載され、賞賛されるなどとは思いもよらなかった。

近代日本の歴史は侵略と戦争の歴史である。明治維新後の内戦が終わると、帝国日本は対外侵略と戦争を重ねた。台湾侵略・朝鮮侵略、日清・日露戦争、第一次大戦参戦、「満州」事変・日中戦争、そして太平洋戦争である。その他にも、北清事変・シベリア出兵・張鼓峰事件・ノモンハン事件…等々。侵略と戦争に明け暮れたと言って過言でない。

政府は「富国強兵」をスローガンとし、すべての国策に軍事を優先させた。国民は「戦争は国富を生む」ものと信じ込んだ。戦争が悪であると語られることはなく、侵略は英雄的行為であると教えられた。国定教科書「国語」の第1頁が、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」とさえ書かれた。

天皇は統治権と統帥権の主体とされ、「戦ヲ宣シ、和ヲ講ジ」る権限を握っていた。神なる天皇が主導する聖なる戦争に異を唱えることは許されず、敢えてこれを行ったものには、徹底した野蛮な弾圧が加えられた。

しかし、すべては虚妄であった。1945年8月に、累々たる内外の犠牲を代償として、ようやくの平和が訪れた。国民は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」した。

さらに、その憲法には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」 と書き込まれている。8月、改めて背筋を正して精読すべきである。

なにゆえ、日本は遠くない過去に、侵略と戦争に明け暮れたか。民主々義がなかったからであり、人権が確立されていなかったからであり、権力が教育を掌握して国民に軍国主義を鼓吹したからであり、平和を希求する政党や政治勢力の弾圧を合法化したからであり、権力が情報を独占し権力によるマスメディアの統制を許容したからであり、国家神道が国民精神を操作したからであり…。現行日本国憲法は、その反省のすべてを総括するものとして生まれた。まさしく、再びの戦争をなくするための「平和憲法」として制定されたのだ。

その後、68年間、日本は戦争を起こしていない。自衛隊はできたが、政府解釈によっても外国での戦闘行為は禁じられ、一人の「敵」兵を殺したことも、殺されたこともない。平和憲法が存在したからこその平和であったと言って良い。

ところがいま、政権与党は、その平和憲法を改悪しようと躍起になっている。天皇を元首化し、国防軍と軍法会議を作り、表現の自由ほかの人権を抑制しようとしている。情報を独占して、再び心おきなく戦争のできる国作りを目指しているのだ。集団的自衛権の容認、秘密保全法の制定、敵基地攻撃能力と海兵隊機能の整備、そして国家安全保障基本法の制定、武器輸出三原則のなし崩し空洞化…、すべてが戦争の準備ではないか。

本日の毎日に、安倍晋三が地元の山口県長門市でこう語って、「より踏み込んだ表現で改憲への意欲を表明した」と報じられている。
「将来に向かって憲法改正に向けて頑張っていく。これが私の歴史的な使命だ」「厳しい批判も恐れずに決断しなければならない」「私はまだ志を果たしたわけではない。これからが私の仕事の正念場になってくる」

舌足らずを補って翻訳すれば、彼のホンネは次のとおりである。
「私の志は、日本の文化伝統歴史を取り戻すこと。そして、強い軍事大国日本を取り戻すこと。具体的には、天皇を戴く日本という国家体制を整備し、国防軍をつくって他国の侵略を防ぐだけでなく、場合によっては敵地に攻め込んで敵を殲滅するだけの強力な戦力をもとうということだ。それこそが平和を守る抑止力になるのだ。その国作りのためには、反戦だの平和だのと言う、不埒な連中をのさばらせない法整備が必要だ。マスメディアに勝手なことを言わせておいてはならない。教育にもきちんと目を光らせて、まずは国旗国歌への忠誠を教え込まなければならない。もちろん、戦争準備は、極秘に進めなければならないから、秘密保全法が必要だし、当面はアメリカと一緒になって戦争するのだから、集団的自衛権容認の解釈変更も喫緊の課題だ。最終的には、憲法96条を改正して、その先9条を変えなければならないが、なかなか道は遠い。
幸い選挙戦術がうまく当たり、かなりの国民をアベノミクスの疑似餌で釣ることができたし、右翼国民の支持を得て、参院選では勝てたが、まだまだ志を果たしたわけではない。
これからが、戦争のできる国作りのための私の仕事の正念場になってくる。一路戦前の軍事優先国家を目指して断固勝ち抜く、これが私の歴史的な使命だ。厳しい批判も恐れずに決断していく覚悟なのだ」

月間大賞のかもめさん、平和を願う一票はまさか自民党への投票ではなかったでしょうね。「改憲3人組」の維新やみんなの党へもダメですよ。その票を最も有効に平和に役立てたいのなら、戦前から野蛮な弾圧に屈することなく反戦平和の主張を貫いてきた、日本共産党への投票が正解だったと思います。

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   『同行二人ーイザベラと伊藤』
イザベラ・バードは「日本奥地」へ行くときに、召使い兼通訳を募集し18歳の日本人青年「伊藤」を選んで連れて行く。面接の日、何人かの見栄えのよい応募者の最後に、なんの推薦状ももたない頑健そうながに股の若者がやってきた。容貌はハンサムなところは全くない。一見愚鈍そうだが、目つきにはしこそうなところがみえる。イザベラが彼を雇うことにすると、思いがけなくも伊藤は「約束の給料に対して、神仏に誓って忠実に仕える」と書いた契約書を作ってきた。イザベラもこれに署名する。

旅行の準備をテキパキ行い、役どころを心得た行動をする伊藤に、イザベラは一安心する。旅のはじめに、「この先3カ月間、彼は守り神として、あるいは悪魔として一緒にいることになる」と言っている。幸いに、彼は守り神であって悪魔ではなかった。

1ヶ月半もするとイザベラは「日ごとに彼を頼りにしているように思う。夜になると彼は、私の時計と旅券、金の半分を預かる。もし彼が夜中に逃亡したらどうなることだろうかと、時々考える」ほどになる。
伊藤は、毎日日記を細かくつけて、イザベラに読んで聞かせる。宿泊と運行、請求書と受取書を整理する。駅逓係や警官から必要な情報を集めて記録する。外国人に臆さず、遠慮しない。酒は飲まず、給料の大部分を母親に送る。英語はメキメキ上達し、上品な語彙か、俗語か、口語か、しっかり確かめ、メモをとる。礼儀作法をたしなめると、少しも怒らず、態度を改めますと答え、「しかし、私はただ宣教師のまねをしただけです」とケロリとしている。

伊藤自身も初めて見る、地方住民の貧しさや服装について、「こんな場所を外国人に見せるのは恥ずかしい」と恥じ入る。村長や病院や師範学校などを訪問するときは、通訳官として正装する。イザベラが礼儀に叶った行動をするよう注意して、侮られたり、笑いものにならないようにと気を遣う。

3カ月間の旅が終わったときは、「たいへん残念であった。彼は私に忠実に仕えてくれた。最後の日にもいつものように私の荷物を詰めるといってどうしてもきかず、私の身の回りの品物をすべてキチンと片付けてくれたのだが、彼がいないと、もうすでに私は困ってしまっている。」と別れを惜しんでいる。また、「伊藤は去る前に、私に代わって室蘭の長官宛てに一通の手紙を書いてくれた。人力車の使用その他私に親切にしてくれたことに対する礼状である。」と結んでいる。47歳の婦人と18歳の青年の3カ月は、いつか、母親と息子のような関係を作っていたのかもしれない。

この青年のフルネームは伊藤鶴吉。後に、横浜通訳協会会長となり、通訳の第一人者として活躍したということぐらいしか分かっていない。詳細につけていた日記が見つかったら、たいへん面白いものだろう。イザベラとは違った、若い日本人の「日本奥地」見聞録となっていようし、外国人女性への感想も興味深い。もしかしたら、こんなことが書いてあるかも知れない。

「最初は、身体が弱いくせに、困難なところへばかり行きたがる、口うるさくて我が儘なおばさんにはうんざりだと思ってた。それに、女なんて知能が低いんだと軽蔑もしていたけど、どうしてどうして、なかなかたいしたもんだよ。いや、すごいと言ってもいいんじゃない。知らない土地で、言葉もわからないのに、よくやるのには感心。ついつい、悪い人から守ってやらなきゃというだけでなく、この人の役に立ってあげたいという気持になっちゃったよ」
(2013年8月13日)

共産党と市民運動ー新たな共同のあり方

村岡到という不思議な御仁に最近知り合った。同年配だが、どうラベルを貼ったらよいのか良く分からない。ご自分では肩書を「社会主義者」「雑誌編集者」としているが、人からは、社会評論家、運動家、思想家とも呼ばれているようだ。いくつもの市民運動を主宰する立場で、一昔前の言葉だが「奔走家」というのが似つかわしい。

この人が「活憲左派の共同行動をさぐる」とのテーマで集会を企画している。その集会に昨年の東京都知事選の私的な総括について報告を求められた。この人が企画する集会なら枠を嵌められることなく、遠慮なくものが言える雰囲気になるのだろう。食指は動いたが、残念ながら日程の都合が付かない。

何度かいただいた企画への参加要請連絡に、参院選後の状況についての村岡見解をまとめた文章が添えてあった。論旨は、選挙で躍進した共産党は、「自共対決」が鮮明になった状況の中で重大な責務を負っている、というもの。示唆に富むもので、ほとんど異論がない。

村岡さんは、予てから「社・共・新左翼の共同行動」提案者だそうだ。「共産党への投票」を呼びかけてきたともいう。その立場から、今回選挙の「共産党の躍進」を、ややほろ苦く「歓迎すべきこと」と肯定評価する。

『(参院選の結果は)或る意味では「共産党の勝利」として喜ぶこともできる。だが、誰に勝利したのか。自民党に勝利したと思う人はいない。戦後一貫して対立・抗争してきた社会党・社民党や新左翼に対しては「勝利」した。長年の抗争は決着がついたとも言える』という。私も、そのとおりだと思う。

続けて彼は言う。
『この「勝利」によって、共産党はかつてない重大な責務を負うことになった。共産党は、社会党・社民党や新左翼に期待を寄せた多くの人びとの願いと要求をも代弁して、ともに実現する、さらに広く視野を拡げ、大きな度量を発揮しなければならない。そのためには、自らの弱点や限界についても真摯に向き合い、克服することが不可欠の課題である』
『安倍晋三政権による改憲策動に対して、恐らく次の結節点となる2016年の参院選挙(総選挙とのダブル選挙の可能性も高い)に向けて、共産党との協力を明確にした〈活憲左派〉の共同行動を真剣に追求しなければならない。共産党もその方向で脱皮することが強く求められている』

〈活憲左派〉とは、聞き慣れない言葉だが、言わんとするところは良く分かる。「護憲」というスローガンは余りに受動的で消極的ではないか、「現行憲法典を改悪から擁護する」にとどまらず積極的に活用して実効あるものとして社会に定着させる運動をこそ目指すべきだ、というものであろう。「左派」とは、そのような課題を担うことを意識している「社会党・社民党・新左翼」支持者を指すと思われる。

ここでは、民主党や生活の党、緑の風などという「保守諸党」は、共闘・共同運動の対象としては出てこない。「勝つためには、右にウィングを広げなければ」というさもしさがない。この点、清々しささえ感じさせる。

そして、共闘・共同運動の基軸になるテーマは、〈活憲〉すなわち「憲法問題への姿勢」である。原発でも貧困問題でも、あるいはTPPでもオスプレイでもない。やはり憲法という総括課題なのだ。派生的にはすべての個別課題を含むテーマとも言える。

村岡さんの共産党へのスタンスは、「概ね賛意と敬意を表するが、批判と注文を忘れない」というもの。共産党への不満点と、注文とが具体的に書き連ねられている。この点も、当然といえばあまりに当然。

私も似たようなもの。日本共産党には大いに敬意を表するが、「無謬の党」であるなどという幻想は毛ほども持たない。信仰ではないのだ。また、共産党が個人崇拝とは無縁であるからこその支持でもある。さらに、基本的人権や民主主義の諸原理を徹底して尊重し擁護する姿勢に共鳴しての支持・支援なのだ。日本国憲法を護り生かす立ち場において、理論と実践的に、最も優れた政治勢力としての信頼に基づく支持・支援である。

村岡さんの意見に表れているとおり、参院選の結果を経て、共産党の権威が飛躍的に高まった。今後の革新共闘(ないし共同行動)の図式も自ずと変らざるを得ない。あらゆる個別課題について、共産党と市民運動との新しい形の連携の模索が試みられ、定着していくことになるだろう。その集積として、新たな形の選挙共闘が試みられることになる。

市民運動がその個別要求をもって積極的に共産党に接近し、議会内外での運動を共にすることの活発化が大いに期待される。市民運動は、要求を獲得するために政権党に擦り寄るよりは共産党を強くする選択肢を現実性あるものとして意識することになるだろう。村岡意見に述べられているとおり、共産党は、独善に陥ることなく、市民運動を尊重しつつ各分野の個別課題において市民との連携を深める努力を尽くさねばならない。

共産党自身は、今回の選挙結果を「第三の躍進」と言っている。第一の躍進、第二の躍進が、どのような攻勢に曝されて退潮に至ったか思い起こしての予防措置が必要である。これから大規模な反共宣伝・反共攻撃が予想される。そのとき「自らの弱点や限界についても真摯に向き合い、克服」しておかなければ、「第三の退潮」を招きかねない。具体的な課題は、市民運動との緊密な連携である。そのことを通じて、反共宣伝を跳ね返すだけの世論を形成しなければならない。

今回参院選の結果は、自民圧勝による閉塞感ばかりではない。着実に新たな希望の芽吹きも感じられる。

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   「セミ」につづいて「蚊」
都心ではあるが、ここ本郷の界隈に「セミ」と「蚊」はそれこそ佃煮にするほどたくさんいる。セミなら「自然がいっぱい」などと気取ってられるが、蚊の方は対応がたいへんだ。「日本奥地紀行」のイザベラ・バードも蚊と蚤には、終始悩まされ、蚊帳と蚤取り粉は必需品だった。蚊に刺されてもかゆいだけなら「30分の我慢」ですむが、本当に怖いのは日本脳炎やマラリア。

現代日本ではマラリアは撲滅されたが、明治時代には、とりわけ北海道の開拓地などでは、土着マラリアでたくさんの死者が出ている。古く、「瘧(おこり)」といったのはマラリア熱であったようだ。太平洋戦争中に、栄養失調や負傷して弱った日本兵が、マラリアに罹って、ガダルカナルで1万5千人、インパールで4万人、ルソンで5万人もが死亡したといわれている。どうにか帰還した兵士のなかにも、戦後長い間、マラリアの治療に悩んだ人がたくさんいた。

「蚊」をあまく見てはいけない。現在でも世界中では年間累計8億人がマラリアに罹り、100万から150万人が死亡している。マラリアのワクチンは存在しない。マラリアにも色々な種類があり、マラリア原虫は日々耐性を強め、抗マラリア剤が効かなくなってもいるらしい。

そこで、マラリア原虫を媒介するハマダラカを退治すればいいと誰でも思いつく。しかし、蚊はゴキブリと同じく中生代からしぶとく生き続け、人間様の「蚊」撲滅研究はいまだ効果をおさめていない。「蚊」は、地球上北から南まで、どこにでもいる。いない場所は南極大陸だけらしい。世界中で、マラリアだけでなく色々な感染症を引き起こしている。

蚊は、何とか撲滅しようとしてもできない。せいぜい増加を防ぐための消極策しかない。水たまりや低湿地をなくす。「蚊」を食べてくれる小鳥やカエルやトンボ、クモなどの昆虫をふやす。ボウフラを食べてくれるカダヤシ、メダカ、フナなどの魚をふやすなど。殺虫剤を下手に使えば、「沈黙の春」を引き起こしてしまう。

あとは網戸と蚊帳で人間から遠ざける。一番効果的なのは日本の「蚊取り線香」。世界中でひっぱりだこらしい。除虫菊の成分「ピレスロイド」は昆虫には神経毒が作用し、殺虫効果がある。ほ乳類は解毒ができるので、喘息などを患っていなければ、人間には安全とされている。

日本では毎日うんざりするような猛暑が続いている。この調子だと日本は亜熱帯化して、「蚊」の生息条件は改善されて、1年中「蚊」が生息できるようになる。デパート、スーパーマーケット、本屋さんなどじっくり立ち止まって、商品の品定めが必要な場所に行くには、携帯用蚊取り線香が必需品になる日も遠くない。とりわけ古書店は、蚊取り線香の臭いでむせることになるだろう。
(2013年8月12日)

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