澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

卒業式直前・五者(原告団・元原告団)総決起集会で

弁護団の澤藤です。お集まりの皆さまに、冒頭のご挨拶を申しあげます。
本日はやや冷えておりますが、確実に春が近づいています。春は万物にとっての希望の季節。とりわけ学校にとっては、若者たちの巣立ちを祝い、また新しい生徒たちを迎え入れる、慶事の季節。

しかし、石原慎太郎第2期都政下で、「10・23通達」が発出されて以来、希望の春は憂鬱な春に変わってしまいました。それから年を重ねて今年は14度目の憂鬱な春。

この間、梅が咲けば重苦しい卒業式が間近となり、桜が咲けばまた重苦しい入学式。これは、きっと短い悪夢だ。いつまでもこんなことが続くはずはないと念じつつ闘いを続けながら、時を過ごしてまいりました。

この間、屈することなく闘い続けて来られた皆さまに心からの敬意を表明いたします。

この恐るべき事態がこんなにも続くとは、当初は思ってもみないことでした。これは、極右の知事が選挙で思いがけなくも308万票もとって舞い上がり、教育委員会を側近で固めてやってのけた、突出したできごとだと思っていたものです。知事が代わるまで教育委員が交替するまでの我慢…。ところが、今その知事の権勢は地に落ち、3代目の後継知事となっています。「10・23通達」発出当時の教育委員は、一人も残っていません。それでも、日の丸・君が代強制の「10・23通達」と卒業式入学式の「実施指針」は生き延びています。

じつは、私たちは「トンデモ知事」や、「トンデモ都教委」と闘ってきたのではなく、安倍政権の基本性格に見られるような、この時代の趨勢と切り結び闘ってきたのではないかと思うのです。

安倍政権は、明らかにこれまでの保守政権とは違います。従前の自民党の改憲案とは明確に質を異にする「自民党改憲草案」を掲げて、戦後レジームからの脱却を呼号する右翼政権。特定秘密保護法を成立させ、内閣法制局長官の更迭までして集団的自衛権行使容認の解釈改憲を強行し、戦争法成立を強行採決した暴走内閣。

このような国民主権や平和主義に背を向けて暴走する政治勢力が必要とするのが、ナショナリズムにほかなりません。ナショナリズムがもたらす、自国の優越意識と、他国への差別感情と排外主義。これらがなくては、改憲も軍事大国化もできることではありません。

ナショナリズムの第一歩。それこそが、日の丸・君が代の強制なのです。今は、そのようなナショナリズム鼓吹の時代なのではないでしょうか。

東京都に限らず、全国にナショナリズム鼓吹の風が吹いています。国旗国歌は小中学校高校だけでなく、保育園・幼稚園から国立大学にまで、事実上の強制が行われています。国家主義横行の時代には、平和も人権も蹂躙されていく。「国権栄えて民権亡ぶ」の図となるのです。

私たちの、日の丸・君が代強制との闘いは、そのような国家意思と切り結ぶ重大事なのだと考えざるをえません。

この間、法廷の闘いでは、まず予防訴訟があり、再発防止研修執行停止申立があり、人事委員会審理を経て4次にわたる取消訴訟があり、再雇用拒否を違法とする一連の訴訟がありました。難波判決や大橋判決があり、いくつかの最高裁判決が積み重ねられて、今日に至っています。

法廷闘争は一定の成果をあげてきました。都教委が設計した累積過重の思想転向強要システムは不発に終わり、原則として戒告を超える懲戒処分はできなくなっています。しかし、法廷闘争の成果は一定のもの以上ではありません。起立・斉唱・伴奏命令自体が違憲であるとの私たちの主張は判決に結実してはいません。戒告に限れば、懲戒処分は判決で認められてしまっています。

また、何度かの都知事選で、知事を変え都政を変えることが教育行政も変えることになるという意気込みで選挙戦に取り組みましたが、この試みも高いハードルを実感するばかりで実現にはいたっていません。

しかし、闘いは終わりません。都教委の違憲違法、教育への不当な支配が続く限り、現場での闘いは続き、現場での闘いが続く限り法廷闘争も終わることはありません。今、判決はやや膠着した状況にありますが、弁護団はこれを打破するための飽くなき試みを続けているところです。

時あたかも、第4次処分取消訴訟の東京地裁審理が結審を迎えます。来たる3月15日が結審の法廷となります。2月末〆切で、今弁護団は最終準備書面を作成中です。

その事件の判決が目ざすところは、これまでの最高裁の思想良心の自由保障に関する判断枠組みを転換して、憲法学界が積み上げてきた厳格な違憲審査基準を適用して、明確な違憲判断を勝ち取ることです。まだ、1件も大法廷判決はないのですから、事件を大法廷で審理して、あらたな判例を作ることはけっして不可能ではありません。

また、憲法19条違反だけでなく、子どもの教育を受ける権利を規定した26条や教員の教授の自由を掲げた23条を根拠にした違憲・違法の判決も目ざしています。国民に対する国旗国歌への敬意表明強制はそもそも立憲主義に違反しているという主張についても裁判所の理解を得たい、そう考えています。

国旗国歌は、国家と等値できる存在です。国旗国歌への敬意表明とは国家に対する敬意表明にほかなりません。ですから、公権力が国民に国旗国歌への敬意表明を強制することは、国家が主権者である国民に対して「オレを尊敬しろ」と強制していることなのです。主権者国民によって作られた国家が国民に向かって「オレを尊敬しろ」と強制することなどできるはずがない。それは、憲法的には背理であり倒錯だというのが、私たちの主張です。

現在の最高裁判決の水準は、意に沿わない外的行為の強制が内心の思想・良心を傷つけることを認め、起立斉唱の強制は思想良心の間接的な制約にはなることを認めています。最高裁は、「間接的な制約に過ぎないのだから、厳格な違憲判断の必要はない」というのですが、「間接的にもせよ思想良心の制約に当たるのだから、軽々に合憲と認めてはならない」と言うべきなのです。卒業式や入学式に「日の丸・君が代」を持ち出す合理性や必要性の不存在をもう一度丁寧に証明したいと思います。

第4次訴訟では、ほぼ全員の原告が法廷で意見陳述をし、原告本人として証言しました。毎回の法廷が感動的なもので、裁判官も真面目によく聞いてくれたという印象でした。原告のみなさんが、悩みながらも、生徒の前で教師としての生き方が問われているとの思いから、不当な職務命令には従えないとした心情をよく理解してもらえたのではないかと思っています。

闘うことを恐れ、安穏を求めて、長いものに巻かれるままに声をひそめれば、権力が思うような教育を許してしまうことになってしまいます。苦しくとも、不当と闘うことが、誠実に生きようとする者の努めであり、教育に関わる立場にある人の矜持でもあろうと思います。

私たち弁護団も、法律家として同様の気持で、皆さまと意義のある闘いをご一緒いたします。今年の卒業式・入学式にも、できるだけの法的なご支援をする弁護団の意思を表明してご挨拶といたします。
(2017年2月18日)

3歳児に日の丸・君が代を刷り込め

「三つ子の魂百まで」というじゃないか。国民をマインドコントロールする遠大な計画は3歳児の教育から始めなければならない。そう。マインドコントロールとは、ナショナリズムを国民に吹き込むことだ。マインドコントロールという言葉の響きが嫌いなら、「思想の善導」と言い換えておこう。国旗・国歌(日の丸・君が代)とは、善良な思想の象徴だ。日の丸・君が代を抵抗なく受容することは、権力に従順な証しなんだ。だから、今回の「3歳児からの日の丸・君が代」、素晴らしいことじゃないか。さすがは、アベ政権。さすがに極右に支えられた政権。よくぞ、その役割を果たしているじゃないか。

教え込まなければ、国家の価値など分かるわけがない。ナショナリズムとは、自然に育つものではなく刷り込まねばならないことなのだ。先人がそのために、いかに真剣に国民を欺す努力を重ね、硬軟さまざまなその技を磨いてきたか。国家のためには命を捨てるとまでの国民精神を鍛え上げた、その成功の過程をもう一度よく振り返って、貴重な教訓を噛みしめなければならない。

とりわけ、今は基本的人権などという余計なことを学校が教える。国際化の時代と言われたり、コミュニティが大切だと言われたり。企業が国家を凌駕したり。国家を単位とするナショナリズムは旗色が悪い。誰かが先導し鼓吹しなければ、愛国心も国家ファースト主義も自然に育つものではないのだ。国民の側からのナショナリズム煽動の動きが弱ければ、国家自身がナショナリズムを鼓吹する以外にない。それが、日の丸・君が代強制のホンネでないか。そのどこが悪い。どこに問題があるというのだ。なんと言っても、国家あっての国民じゃないか。

ナショナリズムを叩き込むのは、余計な知恵の付かないうちがよい。生まれ落ちた瞬間から、日の丸であやされ、君が代を子守歌にする環境が最も望ましい。それが無理でも3歳からは、日の丸・君が代に親しむ環境を作るのだ。親しむというよりは、叩き込むというべきだろう。子どもに知恵が付いて、「国家よりは、個人の尊厳」とか、「主権者としての自覚」などと言いだしたらもうおしまいだ。3歳ならまだ間に合う。まだ、国家の何たる、民族の何たるかも分からない。日の丸・君が代と天皇制や戦争との結びつきも、何も知らない。知らないことが重要なのだ。ものの分からないうちがナショナリズム煽動と刷り込みのチャンスだ。勝負のときは短いのだ。

3歳児の公的な預け先は3系統ある。
文科省管轄の幼稚園。厚労省管轄の保育園。そして幼稚園と保育所の機能を併せ持つ内閣府管轄の「認定こども園」。その全てが、3歳児から「国旗・国歌に親しむ」教育を受けさせることになる。これは、われらナショナリストにとって欣快の慶事ではないか。

これまで、幼稚園と認定保育園とは国旗についてだけ「親しむ」とされていたが国歌については定めがなかった。保育園に至っては、国旗・国歌の両方について、何の定めもなかった。これは、どう考えてもおかしい。保育園とはまるで、若い両親が自分の仕事を優先して子どもを施設に預けさえすればよいかのごときではないか。保育園には、国家や自治体が金の補助をしているのだ。それなら、見返りに国家が望む子どもに育つよう、ナショナリズムを刷り込む。「預けた子どもに余計な思想教育などもってのほか」などという輩は、保育園からも幼稚園からも閉め出せばよいのだ。

塚本幼稚園を見よ。毎朝、感心にも君が代を唱い教育勅語を暗唱しているというではないか。だから、アベの妻が名誉校長になるのだ。それだけではない。国有地をただ同然で払い下げてもらえるのだ。国家のための教育を行っているところに、国家が報いるのは当然だろう。

キミ、人間が上手に生きていくために一番大切な資質って何だと思う?
それは、従順ということだ。あるいは順応能力と言ってもよい。国家に、体制に、社会に、企業に、無理なく逆らわずに生きていくことのできる資質。善導されたとおりに善良な思想を形成し、柔軟に自分を体制に合わせて生きていく能力だ。なまじ自主性だのプライドなど持ち合わせているとこの世は生きにくくなる。付け焼き刃でない、体制ベッタリの順応能力、その資質を育むには3歳児からだ。そこまで見越しての、3歳児からの日の丸・君が代教育なのだ。

アベ内閣の遠大な、愚民化教育政策に万歳三歳。いや万歳三唱!!
(2017年2月17日)

これで共謀罪が成立することになるのかー学習会寸劇

本日は、我が澤藤法律事務所の澤藤大河弁護士が、埼玉県川口市で「共謀罪」学習会の講師を務めた。パワポを駆使した学習会だったようだが、好評だったのは、冒頭披露した寸劇だったとのこと。

主催者側の総選挙埼玉県2区の候補者が法務委員会の質問者役を、大河が法務大臣役を演じて議論が白熱したという。以下に、その台本を掲載しておく。

犯罪が成立するためには、構成要件に該当する実行行為がなければならない。「人を殺す」「火を放つ」「人の身体を傷害する」「他人の財物を窃取する」などが実行行為である。その着手がなければ未遂罪も成立しない。ところが、例外的にもせよ予備や準備や共謀を処罰するとなると、構成要件的行為としての定型性を持たない日常行為が処罰の対象となってしまう。寸劇は、そのあたりの問題点を描いている。  **************************************************************************

ある日の法務委員会審議にて(架空の質疑)

Q 大臣、なぜ,今,共謀罪を新設するのですか。共謀罪は、犯罪の実行行為がなくとも刑罰を科する、極めて広汎な処罰範囲を持つことになります。過去にも多くの懸念があり、国民の強い反対で廃案に持ち込まれてきたではありませんか。
A 今、委員のご質問でございますが、共謀罪ではなく、「テロ等準備罪」でございます。国際組織犯罪防止条約の批准のために必要な法案であると考えております。
国際組織犯罪防止条約、一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し,これと戦うための協力を促進することを目的とする国連条約です。
平成15年9月に発効しています。この条約については,同年5月にその締結について国会の承認を得ており,我が国としても,早期に締結することが重要です。
そこで,我が国も,国際社会の一員として,この条約を早期に締結し,国際社会と協力して,一層効果的に国際的な組織犯罪を防止するため,この条約が義務付けるところに従い,「テロ等準備罪」を新設する必要があります。

Q パレルモ条約は、テロ関係ないでしょう。大体何年に締結されたんですか。
A 平成12年です。

Q それじゃ、2000年じゃないですか。2001年の9・11の前じゃないですか。テロが国際的な関心事になる前の条約ですよ。だいたい、パレルモという都市で締結されて、パレルモ条約とも呼ばれるわけですが、パレルモとは、イタリア、シチリア島の都市です。つまり、マフィア、ヤクザ、そういう組織犯罪を対象にした条約じゃないですか。テロを対象にした条約ではなくて、経済的なマネーロンダリングを主たる対象にした条約じゃないですか。
A 委員は、よく勉強なさっているようですが、組織的な犯罪に対する対応は、テロでもテロ以外でも待ったなしなのであります。

Q 新たな刑罰法規を作ろうというのだから、やはり差し迫った必要性がなくてはならないわけです。では、どうして、テロが差し迫っているというのですか。日本がテロの脅威にさらされているという事ですか?
A 世界中で、不安定な地域がたくさんあります。これだけ安全保障体制が揺らいでおるわけでありまして、先進諸国、たとえばアメリカでの9・11事件、イギリス・ロンドンでの連続爆破テロ、フランス・パリでの出版社襲撃事件などが起こっているわけです。
日本だけが、これらの事件に目を背けていていいのでしょうか。自由と民主主義・人権という共通の価値を守るために、憎むべきテロリストとの戦いに、日本だけが安穏としていることはできないのです。

Q 立法事実として、日本でのテロの危険があるかとお聞きしている。
A それはいろいろな評価がありうる。日本人が、イラクやシリアで誘拐され、殺害される事件も起こっている。

Q 日本でのテロが差し迫っている状況にあるのかと聞いている。
A 我々は、テロの脅威から、国民を守るべき責務を負っております。常に備えなければならないのです。オリンピックも迫っております。安全なオリンピックを開催するためにも、どうしてもテロ等準備罪は必要なのです。

Q 具体的に、日本にテロが迫っていると、あなたですら断言できないようでは、どうして、テロ対策が必要なんですか。では、そのような共謀罪、もし成立してしまったら、犯罪を実行することを話し合っただけで処罰されてしまうのではないか。
A そんなことは、絶対にないのであります。準備行為がなければ、処罰されることはありません。
共謀が成立しただけ、つまり計画しただけでは、犯罪が成立しないことは、法文上明らかであります。一般の方が話しているだけで犯罪者になるなど、絶対にあり得ません。

Q 労働組合や、市民団体が犯罪集団に当たることはないのですか。
A 組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
適法な活動をしている労働組合や、その他の団体は、その目的が犯罪はないのですから、当然対象とはなりません。

Q そんなことを言っているが、では、更にお尋ねします。既に存在する適法な団体の目的が、ある時点から犯罪目的に変化したと認定することはあり得ないのか。
A 一般論としてお答えすると、一般人が対象となることはないのです。組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
もし、犯罪を企む集団であるのなら、すでにその集団の構成員は一般人ではないのです。

Q 今、大変な答弁が出た。つまり、「この法律が罰するのは、一般国民ではない」という意味は、「この法律が罰するときには、既に一般人ではないからだ」と、こういうことではないか。論理が逆転している。
A 委員の解釈は、あまりに一方的で偏っているのではないでしょうか。重大犯罪を目的とする団体に、それと知って属しているということは、一般国民の目から見て、一般人とは呼べないことは通常の感覚ではないですか。

Q そんなことはない。企業でも、市民団体・労働組合、サークルでも、適法な通常の団体が、ある時点から犯罪目的だと認定されることはありうるのだから、国民誰でも、共謀罪の犯罪者になり得るじゃないですか。
A 重大な犯罪を計画している団体に属して、具体的な重大犯罪を計画していたら、罰せられるべきは当然ではありませんか。

Q ついに、誰もが対象になりうることが分かりました。しかも、犯罪目的があるかどうか、計画があるかどうか、捜査段階では、判断するのは、裁判所ではなく、捜査機関、大体は警察になるわけです。
その結果、警察が、国民生活に監視の目を光らせ、あらゆる団体が犯罪目的をもっていないかを調べる。これは、まさに現在の治安維持法ではないか。
A 全くそうではございません。
治安維持法は、私有財産制を否定し、国体を変革しようとするという、思想そのもの、つまり、犯罪とは切り離して、特定思想を有する団体を結成すること、加入することを処罰する法律でございます。
今回の、テロ等準備罪は、思想のみを処罰するのものではありません。準備行為という行為を要求しています。
また、団体も重大犯罪を目的とするという、犯罪集団に限って対象とするものですから、ご指摘はあたりません。
捜査についても、捜査機関は、刑事訴訟法、その他関連法令を遵守し、裁判所の令状審査を経て、適法な捜査を行うことになりますので、委員のご指摘はあたらないものと思います。

Q 結局は捜査機関が、最初の判断をする。しかも、政府に批判的な活動をしていると、犯罪を行っているとして、捜査の対象とされかねない。しかも、計画と準備で犯罪が成立するのだから、団体監視を常に行うことが主たる捜査方法になることは明白ではないか。団体に対する警察の監視、団体内部でも密告を恐れて活動が萎縮する。これこそ治安維持法そのものではないですか。
A 委員は、少し感情的になっておられる。お答えしたとおり、一般人が処罰されることはないのです。まあ、治安維持法も一般人は処罰されることはなかったわけですが。

Q 処罰範囲が拡大しすぎる危険がある。
以下の具体例でお聞きします。共謀罪は成立するのか。
米軍基地の建設に反対している市民団体。ついに本格的工事着手が3日後に迫ってきた。メンバーのXYは、今度は工事現場のゲートに座り込んででも、美しい自然を守ろうと話し合った。
翌日、Yはゴザを購入した。
2日後、台風のせいで、海が荒れ、とりあえず工事は延期になった。
どうですか。
A 細かい点がわからないため、お答えしかねる。

Q どこがわからないのか。
A 共謀が成立したといえるのか、議論の様子や、ゴザの購入目的なども検討しなくては、犯罪成否は軽々に答えられない。

Q つまり、犯罪が成立しうるから検討が必要だということですか。
A 犯罪が成立するか否かは、常に微妙な事実の問題を含んでいるのであります。
最終的には裁判官が判断するわけでありまして、今、この事例についてどうかということは、大変難しく、私の頭脳ではお答えしかねる。

Q 結局、どちらの事案も共謀罪が成立しうること、少なくとも、絶対に共謀罪が成立しないわけではないという答弁だった。
共謀罪は、国民の自由な団体活動のみならず、表現の大幅な萎縮を生み出し、思想・信条の自由を侵害する、違憲なものであることが明白になりました。絶対に成立させるわけにはいきません。

(2017年2月16日)

「アメリカ・ファースト」ではなく、「トランプ・ファースト」「金儲け・ファースト」だろう。

トランプの長女がイバンカ。そのイバンカが手がけるファッションのブランド名が、「イバンカ・トランプ」だという。「イバンカ・トランプ」は、人気が低迷して売れ行きが悪くなった。大手百貨店が売り上げ3割減の不振を理由に「イバンカ・トランプ」の販売中止を決めたという。売れ行き不振がトランプの不人気のゆえか、商品の質の悪さか、それはどうでもよい。大統領の名を冠した商品が、売れても売れなくても、政治や行政と何の関係もない純粋に私的な領域の問題だ。

ところが、まず、トランプ自身が大手デパートに対して、ツイッターで激怒した。その行為が「公私混同だ」と批判されてのテレビ取材で、大統領顧問が「イバンカ・トランプ」の宣伝をしたというから、これは事件だ。トランプ一族とその取り巻き連中の薄汚さが芬々たる腐臭を放っている。

事件は、次のようであったらしい。2月9日、コンウェー大統領顧問がテレビ局フォックス・ニュースに出演した際に、「イバンカ・トランプ」の商品を買うよう国民に呼びかけたのだ。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」「宣伝するわ」「皆さん、きょう、買いに行って!」と訴えたと報道されている。公私混同ここにきわまれり、ではないか。

コンウェーといえば、「オルタナティブ・ファクト」(「もう一つの事実」、あるいは「都合のよい真実」)発言で有名になった人。彼女にとっては、真実とは取り替えの利くもので、けっしてひとつのものではない。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」もオルタナティブ・ファクトの類だろう。いや、彼女の発言の全てが真実とは思えない。大統領府の発言全体の信憑性が怪しい。

「連邦政府の倫理規定は、政府職員が立場を利用して商品を宣伝することを禁じている」と報道されているが、規定の有る無しにかかわらず当たり前のことだ。コンウェーの行為を倫理規定違反として公的機関に申告する動きは速かった。テレビ番組で発言を問題視した下院監視・政府改革委員会のチェイフェッツ委員長(共和党)が米政府倫理局に調査を申し立てた。

米政府倫理局は13日付で結論を出した。実に素早い。コンウェーが「公的な立場でテレビ番組に出演し、イバンカの製品を宣伝する機会として利用した」点を取り上げ、「公的立場の悪用を禁じる規定に明確に反する」と断定。ホワイトハウスに対し、コンウェーの発言を調査し、懲戒処分を検討するよう勧告した。

ウォルター・シャウブ局長名のこの勧告は、「コンウェー氏が行動規範を違反したと強く疑う理由があり、懲戒処分が必要」と指摘。そのうえで、トランプ政権に調査の実施を求めるとともに、「2週間以内に調査結果を提示し、懲戒処分を行ったら詳細を説明するよう」求める、具体的なものである。

この勧告は、2月14日公表され、15日には世界を駆け巡った。さて、ホワイトハウスはどうするか、注目しなければならない。トランプ政権の独善性の程度がいかほどのものか、また、自省や反省による自浄能力がいかほどのものか、それが問われている。

いくつかの感想がある。
一つは、トランプ一族の金儲けへの執念である。何もかも、金儲けのためなのだ。「アメリカ・ファースト」は嘘っぱち。「トランプ・ファースト」であり、「金儲け・ファースト」なのだ。政治も行政も選挙も、彼にとっては全てが金儲けの手段なのだ。

二つ目。そのような貪欲な金の亡者の大富豪を、失業や貧困に悩む大衆が支持し、大統領職に就けたというパラドックスである。トランプの政策は、けっして搾取や収奪、格差や貧困をなくするものではない。大企業減税と規制緩和の徹底した企業優遇策であり、長目では明らかに反労働者政策である。オバマケア撤回に見られる反福祉政策でもある。奴隷が、奴隷主を称賛するがごとき、奇妙な現象なのだ。

三つ目。それでも、政府倫理局の審理と結論の素早さには驚かざるをえない。迅速であるだけでなく、萎縮のない真っ当な結論も称賛に値する。「古い」アメリカのリベラルな秩序が、トランプ流の乱暴な暴走に歯止めを掛けているのだ。

共和党の委員長が共和党のトランプ政権の非に申立をしているのも立派ではないか。わが国で、自民党の議員がアベ内閣の非を申し立てることができるだろうか。アベの妻が名誉校長を務める小学校の敷地に、ただ同然で国有地を払い下げるなどの醜聞に、自民党員が疑義を糺すことができるだろうか。

わが国のチェック機関もこのようであって欲しい。たとえば、BPO。TOKYO MX「ニュース女子」番組(DHCシアター作成)についての辛淑玉さんの人権侵害申立に、迅速に曖昧さを残さない結論を出していただきたい。こんなに露骨なデマとヘイトにまみれた地上波放送は前例がないだろう。BPOの存在と役割が問われている。いや、BPOの存在意義をアピールする絶好の機会ではないか。
(2017年2月15日)

象徴天皇制のあり方について、横田耕一(九州大学名誉教授)の原則論

天皇(明仁)の生前退位希望発言をきっかけに、象徴天皇制のあり方をめぐる議論が活発化している。しかし、その活発化した議論は未整理のまま昏迷しており、幾つかの「ねじれ」さえある。泥縄的に天皇の生前退位を認める法整備が急がれているいま、原理的で原則的な象徴天皇についての議論が求められている。

天皇自身の生前退位希望発言は、象徴天皇の公的行為についての積極的拡大論とセットになっていて、その公的行為拡大論には、世論の一定の支持がある。これまでの天皇(明仁)の発言が憲法に親和的でリベラルなものと認識され、また被災地慰問や戦没者慰霊などの行為が世論から好感を持たれているという事情による。

そのため、いまリベラル派の一部にも「公的行為拡大」論を容認する論調が見られ、むしろ守旧派が「公的行為縮小」論を主張するという「ねじれ」た論争が展開されている。しかし、生前退位の可否と、公的行為容認の可否とは厳格に分けて論じなければならない。

明らかに、天皇自身が「象徴としての公的行為」拡大を意識し、そのような「象徴天皇像」を作ろうと意図してきた。今回の天皇の生前退位の法的措置を求める発言は、天皇が憲法解釈に容喙するものとして看過しえない。本来天皇とは、国民主権原理を標榜する日本国憲法体系の本流になく、その例外としての夾雑物的存在に過ぎない。天皇の存在と行動可能範囲、影響力を極小化する立論こそが出発点であって、「国民統合の象徴」という憲法規定からの法律効果を主張する議論を警戒しなければならない。

そのような視点から、信頼に足る論者の一人が、横田耕一(九州大学名誉教授)であろう。
「法学セミナー」(日本評論社)2017年2月号に、特別企画「座談会 憲法学から天皇の生前退位を考える(上)」が掲載されており、そこで、横田耕一さんが「象徴天皇制」についてのブレのない原則的な憲法論を展開している。

冒頭、横田さんが7ページに及ぶ発言で学説を整理している。これを目次にまとめてみる。
〔1〕大日本帝国憲法の「天皇制度」と、日本国憲法の「象徴天皇制度」とは、根本的に異なる。
 両者は、①天皇の「地位」、②その地位の「根拠」、③天皇の「権能」、において根本的に違うもの。
〔2〕両「天皇制度」の関係ー「断絶説」と「連続説」
 (1) 断絶説
 (2) 連続説
 (3) 現実は、「連続説」に立って展開している
〔3〕「主権者国民」の「総意」に基づく天皇制度
〔4〕「象徴」
 (1) 象徴の意味
 (2) 「日本国・日本国民統合の象徴」の意味
  そしてそのことに積極的な意味があるのか
〔5〕天皇の「お務め」
 (1) 国事行為
 (2) 私的行為は公務ではない
 (3) 「公的行為」
 ①「象徴としての行為」説(清宮四郎など)
 ②「公人としての行為」説(佐藤幸治など)
 ③「準国事行為」説(清水睦、岩間昭道など)
 ④「国事行為」説(宮澤俊義、高橋和之など)
 ⑤違憲説(横田説など)

横田さんの見解における結論は、以下のとおり明快である。
「私は、天皇はそのようなこと(公的行為)は一切やるべきではなく、憲法違反であるという立場です。この説に対しては、実際的でない、非常識という批判がありますが、何か実際的でないか、非常識であるかは、私には分かりません。」

そして、最後をこう締めくくっている。
「以上、五つの説を説明してきましたが、まとめると、国事行為以外に公的行為を認めた場合の問題点は、(1)その範囲が不明確になる、(2)責任の所在が不明確になる、(3)内閣による政治利用ができる、(4)天皇の意思が介在することで天皇が政治的機能を果たすことになる危険性があり、その結果として天皇制度の安定的な運用において困った事態が生じる可能性がある、といったところにあると考えられます。
今の天皇は国民意識に沿うことを行っているので評判が良いのですが、もしも変な天皇が出てきて変なことをやり出したらどうなるのかという話になります。これは受け取り側の意識の問題ですが、天皇の発意に内閣は背けないでしょう。今度のお言葉についても放っておくこともできるはずですが、それには背けないということがあるでしょう。
以上のことから言える大切なことは、第一に、仮に公的行為の存在を認める立場からしても、それは義務的行為ではない。だからそれが過多であれば適宜やめればよいだけの話です。そしてまた、政府見解によれば、皇族が公務をやってもよいことになっていますから、他の皇族に任せればよいわけです。
そして、第二に、天皇には積極的に国民を統合することは期待されていない。この二つをしっかり押さえて天皇の生前退位の問題を議論すべきです。これらのことについては、学説でもおそらく異論はあまりないだろうと思います。」

「公的行為」ないし、「象徴的行為」を、違憲として認めないのが横田説。国事行為以外に公的行為を認めることの問題点は既述のとおりで、積極説はその問題点に目をつぶるもの。

憲法に忠実な厳格解釈が、膨れ上がった公的行為という現実規制に有効に機能しうるかは、主権者としての意識をもった多くの国民の支持を得ることができるかに、かかっている。

(2017年2月14日)

アベとトランプ この朝貢外交に無批判であってよいのか

古代、中国の周辺諸国は皇帝に朝貢することで臣属の意を表した。進貢とこれを上回る恩賜があって、朝貢貿易が成立したという。周辺各国の安全保障と経済とは、この時代から超大国との関係に律せられていたのだ。

江戸時代、武家諸法度によって1万石以上の諸大名のすべてが、首都・江戸への参勤交代を義務づけられた。幕府に謀反の意を疑われることは、藩の命運に関わることとして、全ての大名が表面上喜々としてこの義務を果たし、その莫大な経費で藩の財政をすり減らした。

そして今、古代の皇帝の如くに、はたまた江戸時代の将軍の如くに君臨する、超大国の暴君・トランプの前に、アベ・シンゾーがひざまずき、満面の笑みをたたえて臣従の意を表明する。まさしく、その心根は朝貢であり、参勤交代にほかならない。恥ずかしくないのか。こちらは日本国民であることが恥ずかしくてならない。

トランプは、近代市民社会の理想や良識とは無縁の存在。ポピュリズムが生みだした、時代錯誤の醜悪なモンスターだ。格差と貧困にうちひしがれた大衆の支持で誕生した、大金持ちの支配者。その存在自体が説明不能のパラドックスである。

この皇帝は、実はさびしさをかこっていた。焦りもあった。まともな国の首脳たちは、朝貢にも参勤交代にも来ようとしないのだ。唯一、トランプに媚態を見せたイギリスのメイが、国内でブーイングを浴びている。そこへ、タイミングよく平身低頭のアベが来た。阿諛追従、お世辞とへつらいとゴマすり男。これ以上はない、見事な相性のカップル。

朝貢は服属国に経済的利益をもたらし、参勤交代は経済の疲弊をもたらした。アベの服属の結果は、朝貢よりは参勤交代に近いこととなるのだろう。

朝日が、「米メディア、冷ややかな見方も」と報じている。
「ただ、こうした首相の姿勢を、一部の米メディアは冷ややかに報じた。
NBCニュースの政治担当ディレクター、チャック・トッド氏はツイッターで「メイ英首相よりもさらに、日本の安倍首相はトランプ大統領に取り入ろうとしている」と投稿。米タイム誌(電子版)は「日本の首相は大統領の心をつかむ方法を示した。お世辞だ」と題した記事で「首相は記者会見で大げさに大統領をほめた」などと皮肉った。ニュース専門局MSNBCのアナリスト、デビッド・コーン氏もツイッターで「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」と述べている。
CNNなど主要テレビは共同記者会見を生中継したが、終了後は日米関係にはほとんど触れず、大統領令を集中的に報じた。ワシントン・ポストは「安倍首相がホワイトハウス訪問。だが、入国禁止の大統領令がニュースを独占した」と報道。「晴れ渡った安倍首相との会談を、裁判所の判断が曇らせた」と表現した。」

毎日は、パックンことパトリック・ハーランの次の言を紹介している。
「自分と距離を置く首脳もいる中、最初から近付いてきた安倍首相は大統領にとってありがたい存在だったのだろう。日本国内には、大統領と距離を縮める首相に大きな批判はなく、厚遇ぶりをエンターテインメントとして見ているのでは」「対日・外交方針も固まっていない時期の厚遇の首脳会談はアメリカ人から見れば非常識。日米首脳の動向がアメリカでも報道されているのは、日本との外交政策が注目されているのではなく、大統領が非常識だから

皇帝側のメデイアがこれだけ冷めているのだ。属国側のメディアに、その気概ありや? 「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」とまで言われることは、世界の良識からトランプの同類と見なされること。アベには、そのことをリスクとする認識があるか?
(2017年2月13日)

マイナンバー 知らせて危険。知らせられるともっと危険。

年末から年初にかけて確定申告のための支払い調書(源泉徴収の票)が届いた。
今までにないこととして、事前に「調書作成のためにマイナンバーをご連絡ください」とする問合せが何件かあった。そのいずれの問合せにも、「マイナンバー記載なしで調書の作成をお願いします」「その方がお互い面倒でないでしょう」ということで、なんの問題も起きていない。行政が「どうしても必要」という場合には、それなりの対応をしなければと思ってはいたが、そのようなケースに遭遇することはなかった。

マイナンバー、使って何の得もない。うっかり使えば、漏洩のリスクが大きい。知られた者も知らされた者も、リスクを抱えることになる。こんなもの、ないに越したことはない。こんな制度は眠り込ませるに如くはない。

目についた限りで、関連した幾つかの情報をご紹介する。

不記載の給与支払い報告書 市が受け取り拒否を撤回
小松島市(徳島県)「生活と健康を守る会」は、1月18日小松島市に対し、マイナンバー不記載を理由とする申請書等の受け取り拒否を改めるよう申し入れました。
 1月16日、漁業を営む会員の島田佳代さん(仮名、74歳)がマイナンバー不記載を理由に、市から給与支払報告書の受け取りを拒否されました。
 小松島市生健会は3月の税金集団申告に向け、昨年11月から税金学習会を3回開催。その中でマイナンバーについて学習をし、プライバシー侵害のおそれがあるため、マイナンバーは書かないことを確認してきました。
 1月18日は、毎月第1、第3月曜に開催している「なんでも相談会」の日でした。受け取りを拒否された島田さんは相談に訪れ、「給与支払報告書を仕上げ、市役所に提出しようとして拒否された」ことを話しました。
 早速、市に申し入れることにし、島田さんと井上博善会長ほか役員3人が参加しました。市役所からは税務課長と担当係長が出席。初めに、生健会から「給与支払報告書の受け取り拒否は、国の定めたマイナンバーの取り扱い原則から逸脱している。不記載でも受け取るのが原則だ。なぜ受け取り拒否したのか」と質問し、その経緯の説明を求めました。
 担当係長は「窓口担当職員から事情を聴いた。受け取り拒否でなく、会員の方がどうするか考えるため持ち帰った」との説明。島田さんは「マイナンバー不記載では受け取れないと、担当者が言った」と反論。
 その後担当係長から「行き違いがあり、迷惑をかけました。不記載の意思が確認できる場合は受理します」と謝罪がありました。
 その場で(マイナンバー記載のない)給与支払報告書を提出しました。
 2月14日から始まる確定申告のマイナンバー記載の取り扱いについても、尋ねました。「所得税に関するマイナンバーについては、市税務課(所得税申告を受け付ける市の窓口)では確認しないよう税務署から指示されている」「住民税については、マイナンバー記載の場合、証明するものの提示を求める。不記載の場合は、『来年の申告では記載するよう』指導する」との説明がありました。
 最後に井上会長は、「マイナンバー制度により事業所は事務が増えている。国民はマイナンバー漏えいによるプライバシー侵害を心配している。マイナンバー制度は廃止すべきである」と述べました。
(以上、2017年2月5日号「守る新聞」。同会ホームページから)

税申告マイナンバー不要 全生連が省庁交渉で確認

全国生活と健康を守る会連合会(全生連・安形義弘会餐)は8日、国が個人情報を管理するマイナンバー(共通番号)制度をめぐり、担当省庁と国会内で交渉し、税申告の際、マイナンバーの記入がなくても申告が受け付けられることを確認しました。総務省、国税庁、内閣府の3省と交渉しました。
 総務省の担当者は、「マイナンバーの記入がない場合も税申告を拒否することはない。申告を受け付ける。記入がないことによる罰則もない」と話しました。参加者は、新潟県南魚沼市の住民が税申告の際にマイナンバーを記入しないことを伝えたところ、市役所から「記入拒否の理由書を住所・氏名とともに提出せよ」と同市が作成した「マイナンバー未記入理由書」への記入を求められた事例を紹介。「まったく必要がないと周知徹底してほしい」と申し入れました。
 総務省の国税庁の担当者は、「法令上、そういった書類を出してもらう必要はない。自治体にもそういった指導はしていない」と回答しました。
 全生連はこのほか、▽行政から発送される通知などにマイナンバーを記載しない▽国民のプライバシーを侵害するマイナンバー制度そのものを廃止する-ことを求めました。
(しんぶん赤旗 2017年2月10日)

マイナンバー 記載なくても不利益ない 全中連に各省庁が回答
全商連も加盟する全国中小業者団体連絡会(全中連)が(2015年)10月27、28の両日に行った省庁交渉ではマイナンバー(共通番号)制度実施の延期・中止を求めるとともに「共通番号の記載がなくても提出書類を受け取り、不利益を与えないこと」などを要望しました。主だった各省庁の回答を紹介します。

【内閣府】
・「扶養控除等申告書」「源泉徴収票」などの法定資料や雇用保険、健康保険、厚生年金保険など書類に番号が記載されていなくても書類は受け取る。記載されていないことで従業員、事業者にも不利益はない。
・従業員から番号の提出を拒否されたときは、その経過を記録する。しかし、記録がないことによる罰則はない。
・「個人番号カード」の取得は申請によるもので強制ではない。カードを取得しないことで不利益はない。
【国税庁】
・確定申告書などに番号未記載でも受理し、罰則・不利益はない。
・事業者が従業員などの番号を扱わないことに対して国税上の罰則や不利益はない。
・窓口で番号通知・本人確認ができなくても申告書は受理する。
・これらのことは個人でも法人でも同じ。
【厚生労働省】
・労働保険に関して共通番号の提示が拒否され、雇用保険取得の届け出で番号の記載がない場合でも、事務組合の過度な負担が生じないよう、ハローワークは届け出を従来通り受理する。罰則や不利益はない。
・労働保険事務組合が番号を扱わないことによる罰則や不利益な扱いはない。
・番号を記載した書類を提出するとき、提出者本人の番号が確認できない場合でも書類は受理する。

以上のとおり、マイナンバー不記載による納税者等の不利益はない。一応、事業者にはマイナンバー記載の義務は定められており、労働者には協力義務があることにはなっている。だから、行政が、マイナンバー記載の指導を求めることは違法ではない。しかし、国民が自らのマイナンバー不記載の意思を明示すれば、法はこれを強制することを想定して作られてはいない。刑罰のないことはもちろん、強制や誘導のための一切の制度はない。

一方、うっかり番号を預かると、担当者には秘密保持義務が課せられ、「秘密を漏らし、又は盗用した者は、3年以下の懲役若しくは150万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する(番号法第50条)」とされる。これはたいへんなことではないか。
マイナンバー人に知らせて危険。人から知らせられると、もっと危険。
(2017年2月12日)

「瑞穂の國記念小學院」入学予定の生徒と父母の皆さまへ

よい子のみなさん、お集まりなさい。お父さまお母さま方も、ご参列ください。

さあ、まずは天皇陛下のいらっしゃる宮城に向かって、みんなで遙拝しましょうね。それから、いつものとおり教育勅語を唱えて、「君が代」と「海ゆかば」を合唱しましょう。天皇陛下や皇室を敬い、立派な日本人になる気持ちを込めて唱うのですよ。

みなさんは、塚本幼稚園を卒業して、この春から新しくできる「瑞穂の國記念小學院」の一年生になります。その学校では、ほかの学校とは違った正しい日本人になるための教育をうけることになります。その正しい日本人としての心得を、これから安倍昭恵名誉校長先生がビデオメッセージでお話しになります。みなさん、しっかりお聞きしましょうね。

ご存じのとおり、安倍昭恵名誉校長先生は安倍晋三首相の奥様でいらっしゃいます。安倍晋三首相は、常々「今の時代はまちがっている。戦争に負ける以前の強く正しい、立派な日本を取り戻さなければならない」とおっしゃって、これまでの塚本幼稚園の教育をお褒めいただいてまいりました。奥様には、新設の小学校の名誉校長就任までお引き受けいただき、当学校法人森友学園にはいろいろ便宜をはからってただいたことを、心から感謝申し上げます。では、名誉校長先生のお話しのビデオのスイッチを入れます。

私が、「瑞穂の國記念小學院」名誉校長の安倍昭恵です。夫・安倍晋三は、右翼だ、軍国主義者だ、歴史修正主義者だと悪口を言われておりますので、本校のような、真正の右翼で、軍国主義で、歴史修正主義の教育支援をすることはなかなか難しいのです。そこで、妻である私が代わってお引き受けし、右翼の皆さまに安倍の本心を察していただくとともに、リベラルの皆さまから安倍への直接の攻撃を避けているわけでございます。

「瑞穂の國記念小學院」は、清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくることを目的としています。教育勅語を教育の基礎に据えて、教育勅語に書かれた理想のとおりの民草を育てることが校是です。生徒は教育勅語と五箇條のご誓文を暗記して毎日奉唱いたします。けっして、日本国憲法の条文を暗記させるなどいたしません。こうしてこそ、天皇陛下や皇室を敬い尊ぶ立派な日本人が育つのです。

たまたま、今日は紀元節です。日本という國の誕生日というおめでたい日。日本という國は万世一系の天皇がしろしめす國ですから、初代の天皇が即位した日をもって國の誕生日と定めたのです。

古事記には、次のように書かれています。
神倭伊波禮毘古(かむやまといはれびこ)の命、その同母兄(いろせ)五瀬の命と二柱、高千穗の宮にましまして議(はか)りたまはく、「いづれの地(ところ)にまさば、天の下の政を平けく聞(きこ)しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向(ひむか)より發(た)たして、…… かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向けやはし、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下治(し)らしめしき。

分かりやすく言えば、こういうことです。
昔むかし、「かむやまといはれびこ」という神様がいらっしゃって、日向の高千穗から東に征伐の旅を続け、土地土地の悪い神と闘い、苦労してやっつけて、畝傍の橿原宮まできて天下を治めた、というのです。

日本書紀には、「かんやまといわれひこのすめらみこと」が、即位して、「はつくにしらすすめらみこと」と称したとなっています。この方が、初代・神武天皇で、以来皇統が連綿と続いているのでございます。古事記にも日本書紀にも、これがいつのことかは、書いてありません。しかし、明治時代に、きっとこの日に違いないと、2677年前の2月11日に決めたのです。特に、大した根拠はないのですが、立派な日本人はそんなことは問題にしません。縄文期に国家の形成はあったのかしら、などと不敬なツッコミをしてはなりません。隣国朝鮮の檀君神話などは非科学的だと攻撃してもよいのですが、日本の皇室の尊厳をおとしめてはならないのです。

なぜ、皇室が尊いか。それは、皇室が神様の子孫であるからです。古事記には、こう書かれています。

天照らす大神の邇邇藝の命(ににぎのみこと)へのお言葉として、「豐葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあきの)水穗(みづほ)の國は、汝(いまし)の知(し)らさむ國なりとことよさしたまふ。かれ命のまにまに天降(あもり)ますべし」

アマテラスオオミカミの孫がニニギノミコトで、その子孫が神武天皇なのです。「水穗(みづほ)の國」とは日本のことで、アマテラスオオミカミがおっしゃったとおり、「水穗(みづほ)の國・日本」は、ニニギノミコトの子孫である万世一系の天皇が永遠に治める国とされたのです。神様がそうおっしゃったのだから、絶対に間違いありません。このことを少しでも疑うものは、立派な日本人とは言えないのです。

私が名誉校長となった、「瑞穂の國記念小學院」の名前は、この古事記や日本書紀の「みづほの國」から取ったものです。この学校では、その名前のとおりの、立派な日本人を育てようというのですから、日本の国が便宜を払ってくれてよいはずと思います。

この学校の敷地は、近畿財務局から国有地を払い下げていただいて取得しました。この払い下げの件について、一昨日(2月9日)の朝日新聞が、あたかも裏に重大な疑惑があるような悪意の記事を書いています。今日(2月11日)の赤旗新聞もこれに続いています。

朝日も、赤旗も、敬神尊皇の心をもたない荒ぶる輩ですから、書いてあることを信用してはいけません。たとえ記事が真実と証明されてもです。真実などには、大した価値はありません。大切なのは、皇室と日本を敬い尊ぶ心であり、政権を支えようとする善意なのですから。

朝日の記事の見出しは次のとおりです。
「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」
国が本校の敷地を払い下げるにあたって、汚い裏工作があったのだろうと思わせる、意地悪な見出し。問題は3点ほどとなっています。

第1点。払い下げ価格が隠されていたこと。
国有地の払い下げ価格は公表が原則なのに、本件では公表されなかった。不審に思った、地元の豊中市会議員が情報開示を求めたが、却下された。朝日新聞も情報開示を求めて却下された。近畿財務局管内の類似払い下げ案件は36件あり、他の35件は全て公開されているのに、本件だけが非公開。これは、意図的な隠蔽ではないのかという指摘にほかなりません。常識的には、後ろ暗いところがあるから、値段を非公開に隠蔽したのだろうと思われても仕方がないようですが、けっして朝日や赤旗の尻馬に乗ってはいけません。

第2点。払い下げ価格が安すぎるという点。
報道のとおりだと、相場の10分の1程度の安い価格での払い下げだったようです。そして、財務当局は、朝日新聞の取材に対して、「価格は土地の個別事情を踏まえたもの。その事情が何かは答えられない」と話しているそうです。これだけ聞くと、朝日や赤旗の多くの読者が、何か不正なことが行われているのだろうと思うことになるでしょう。しかし、立派な日本人を育成するための小学校の敷地の払い下げなのですから、安ければ安いほどいいんじゃございません。

朝日の記事では、同じ土地について、「別の学校法人が森友学園より前に校舎用地として取得を希望し、路線価などを参考に『7億円前後』での売却を財務局に求めていた。これに対し、財務局から『価格が低い』との指摘を受け、12年7月に購入を断念したという。それから約4年後、近畿財務局は同学園(学校法人森友学園)に1億3400万円でこの国有地を売却したとみられている。」と意地の悪いことを書いています。どうせこの別の学校では、皇室の尊厳など教えないんだから、結果はよかったんじゃないでしょうか。

なお、その後の報道では、払い下げ土地内の廃棄物の除去費用をいくらに見積もるべきかが問題になっているようです。情報開示を求める裁判で、いずれは明確になることなのでしょうが、財務局や学校法人側の説明がいかにも歯切れが悪く、心配でなりません。

そして、第3点。この土地払い下げを受けた学校法人が、右翼的思想で安倍首相と通じて、特別のはからいを受けたのではないか。それでなくては、こんなに安くし、こんなに秘密にした理由の説明はつかない、という政治的なものです。

朝日も、赤旗も、あからさまにそこまで書いてはいませんが、普通の人が読めばそう読める記事の内容になっています。

朝日の記事は、「森友学園の…籠池理事長は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員で、ホームページによると、同校は『日本初で唯一の神道の小学校』とし、教育理念に『日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる』と掲げている。同校の名誉校長は安倍晋三首相の妻・昭恵氏」としています。

赤旗は、大きな見出しで、「名誉小学校長は安倍首相夫人」とし、「同小学校の名誉校長には、安倍晋三首相夫人の昭恵氏が就いています」と、私の写真まで載せています。政治的意図がありありですね。

なお、朝日は、「昭恵氏には安倍事務所を通じて文書で質問状を送ったが、回答は届いていない」と意地悪を重ねています。確かに、質問状は届いていますよ。でも、何と答えても、次の矢が来ることになるではありませんか。じっとしているのが、一番利口なやり方でしょう。どうせみなさん、理解ある日本人。その内、忘れてくれますよ。

でも思うのです。この学校の教育の表向きは、「清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくる」こと。でも、「だんまり、ごまかし、不正直、裏工作」も上手にできなけれは世渡りなんてできませんよね。今回のこと、学校の姿勢や安倍政権の実態、世の中の裏表がよく見えて、生徒たちには、とてもよい勉強になったのではないでしょうか。プツリ。(ここでビデオメッセージは中断)
(2017年2月11日)

「ナンチャッテ大統領」(so-called President)の裁判官攻撃

権力は有用なものだが、同時にこの上なく危険なものでもある。権力の暴走を許さぬために、法の支配の大原則があり、権力の分立がある。

「法の支配」確立の歴史ににおいては、イングランドの法律家エドワード・コーク(コークは、クックとも表記される)の名が語られる。

暴政で名高い国王ジェームズ1世が王権神授説をもって国王主権の絶対を主張したのに対して、コークは「王権も法の下にある。王の判断が法律家の判断に優先することはない」と説いた。これを快しとしない王が「王である余が法の下にあるとの発言は反逆罪にあたる」と詰問したのに対し、コークは、次の法諺を引用して王を諫めたという。

「国王は、何人の下にもあるべきではない。しかし、国王といえども神と法の下にあるべきである。なぜなら、法が王を作るからである」

これが1606年のできこと。国王の権力と言えども法の下にあり、法律家の判断に従わざるを得ないとされたのは、400年も昔からのことなのだ。

なお、コークが引用した法諺は13世紀のローマ法学者ヘンリー・ブラクトンの言とのことである。つまり、国王も法に従うべきとする思想は、800年も前に遡ることになるのだ。

さて、問題は21世紀の「so-called President」ドナルド・トランプである。「so-called President」の適訳は、「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」ということになろう。その彼に権力を与えたのはアメリカ合衆国憲法なのだから、これに逆らうのは背理である。その憲法の解釈の権限は裁判所が担っている。コークの言葉を借りれば、「大統領も法の下にある。大統領の判断が裁判官の判断に優先することはない」のだ。

アメリカ合衆国憲法に限らず、近代憲法は法の支配という大原則のもと、立法府と、法の執行機関と、法のチェック機構である司法との三権が分立している。大統領は、連邦議会がつくった法に縛られ、司法のチェックには服さなければならない。当然のことだ。

トランプなる「ナンチャッテ大統領」は、このことがお分かりでないようだ。もしかしたら、分からないふりをしているのかも知れないし、分かりたくないのかも知れない。中東・アフリカ7カ国の国民の入国を一時禁止した米大統領令をめぐる裁判の仮処分事件で、敗訴となるやワシントン連邦地裁の裁判官に毒づいた。

曰く、「法の執行をこの国から根本的に取り上げる、いわゆる裁判官のこの意見はばかげている。覆されるだろう!」。あるいは、「入国禁止令は裁判官によって解除されたので、多くの非常に悪い危険な人々が私たちの国に押し寄せるかもしれない。ひどい決定だ」。

さらに、昨日(2月9日)には、連邦第9控訴裁判所(カリフォルニア州・サンフランシスコ)で敗訴を重ねると、往生際悪く「法廷で会おう。我が国の安全保障が危機にひんしている!」とツィートで発信した。米メディアによると、「政治的な決定だ。我々はこの法廷案件に勝利する」とも語っている。

もとより、裁判所も権力の一部である。その判決を批判することは、国民の権利でもあり責務と言ってもよい。しかし、権力の他の機構、とりわけ行政府がこのようなかたちで、司法に圧力をかけてはならない。飽くまでも、裁判官は他の権力機構から独立して、法と良心に従っての判断が保障されなければならない。「ナンチャッテ大統領」が裁判所に圧力をかけることは許されないのだ。

こんな人物をそのまま大統領職におくことは、米国民の恥ではないか。また、こんな人物に、喜々として参勤交替する日本の首相も情けない。ジェームズ1世は自らの王権の正統性を神から授けられたものと主張した。さすがに、「ナンチャッテ大統領」も400年前の言葉を繰りかえしはしない。代わっての説明が選挙の勝利である。人民の意思にもとづく権力の万能を信じている如くである。

彼は、こう言いたいのだ。「選挙に勝利を収めた以上は、私の言こそ人民の意思」「大統領である私が、法の下にあるとは民主主義に反する」「私に逆らう裁判官は人民の意思に逆らっているのだ」。

これこそ、法の支配の大原則を枉げ、権力を集中し、独裁者として権力の暴走をたくらむ権力者の許されぬたわごとである。こういう、専制君主並みの暴君で、無知蒙昧な人物を「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」というのだ。

一方、大統領令の無効を求める訴えの原告となったワシントン州のファーガソン司法長官は意気軒昂。9日の記者会見で「この国は法律の国で、大統領を含めてみな法律に従わなければならない」と語ったと報じられている。このたびは、彼が立憲主義を代表する栄えある立役者になった。

愚かでお騒がせな「ナンチャッテ大統領」を選んだのもアメリカ。三権分立と司法の独立を貫徹したのもアメリカ。日本の司法もアメリカ並みに政権に毅然としてもらいたいもの。いずれにせよ、アメリカは奥が深い。
(2017年2月10日)

「詭弁のイナダ」の防衛大臣辞任を要求する

「白馬は馬にあらず」とは詭弁である。
詭弁は、何らかの実益をもたらす「論証」のためのものである。
「それゆえ、馬の所有への課税も、私の白馬には非課税だ」
「それゆえ、白馬に乗っているかぎり、『下馬』も『乗馬禁止』も無視してよい」
「馬は徴発の対象となっても、白馬を徴発することは許されない」

「殺傷行為も武力衝突も戦闘ではない」は詭弁である。
 この詭弁はPKO派遣部隊の違憲行動を糊塗する。
「それゆえ、殺傷行為があっても武力衝突があっても戦闘があったとは言えない」
「現地に戦闘がない以上、自衛隊の憲法9条違反が問題となる余地はない」

「法は法的概念のみを取り扱う」は、もう一つの詭弁である。
「殺傷行為も武力衝突も事実的な概念であって、法的概念ではない」
「だから、いかに砲弾が飛び交い人が死んでも、全ては『殺傷行為・武力衝突』に過ぎず、戦争を放棄した憲法9条違反ではない」

この詭弁の行き着くところは、こんなところだろうか。
「事実として何が起ころうとも、憲法に禁止されている言葉以外で表現すれば、違憲の問題は起きない」
「戦争も、武力による威嚇も武力の行使も、『殺傷・破壊・武力衝突』と言い換えた途端に、憲法9条違反とはならない」

昨日(2月8日)と今日(9日)、イナダ防衛大臣の答弁として報じられているところは、こうだ。
「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」「戦闘行為ではないということに、なぜ意味があるかと言うと、憲法9条の問題に、関わるかどうかということでございます。その意味において、戦闘行為ではないと言うことでございます」「法的な意味の戦闘行為ではない。国会答弁する場合には、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」「紛らわしい言葉は使わない」

南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)をめぐり、稲田朋美防衛相が8日の衆院予算委員会で「国会答弁する場合には、(戦闘という)憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから『武力衝突』という言葉を使っている」と答弁したことについて、菅義偉官房長官は9日午前の記者会見で「(PKO参加5原則が崩れた状態としないために言い換えているとの)批判は当たらない。全く問題ない」と述べた。(朝日)

だれが聞いても、イナダの答弁は、「PKO参加5原則が崩れた状態としないために言い換えている」以外のなにものでもない。「批判は大当たり」だからこそ、弁明が必要なのだ。

この人は、イデオロギーのいびつさ以前に、事実を事実として認めるという謙虚さに欠けている。こんな詭弁を弄する人物が防衛大臣とは、危険きわまる。野党からの辞任要求は当然のことではないか。

なお、一言。こういう人物が弁護士であることが恥ずかしい。
多くの人が思うことだろう。
「イナダはひどい詭弁を弄する」
「イナダは弁護士だ」
「きっと、弁護士とは詭弁を弄する生業なのだ」

こんなことを思われたくはない。私も、声を大にして要求する。
「一刻も早く、イナダは防衛大臣をヤメロ」「議員を辞めろ」「政治家を辞めろ」
(2017年2月9日)

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