澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

マイナンバー? そんな数字は記憶にない。そんな記録は廃棄した。

鉄門を出て不忍池まで無縁坂を下りながらこう考えた。
今年もまた来た申告期。はてさてどうするマイナンバー。原則貫けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に税務は不愉快だ。不愉快が高じると、安い所へ引き越したくなる。しかし、どこへ越してもマイナンバーからは逃げられない。そう悟った時に決意が生れる。角が立っても窮屈でも、意地を通すが我がさだめ。今年も書いてはならないマイナンバー。

五條天神のみごとな梅をみながら、こうも考えた。
とりわけ今年は格別だ。国税庁の長官が、あの佐川宣寿。「記憶にない」「記録は廃棄した」と言い抜いて、そのご褒美で出世したあの佐川。まことに適材が適所に配置されているのだ。そんな政権に協力などしてやるものか。佐川が長官で、徴税はスムーズに行われたなどと、安倍や麻生に言わせてなるものか。

上野大仏の雪割草の咲き初めを愛でつつ考え続けた。
何ゆえ佐川が出世できるのか、なにゆえのご褒美頂戴なのだろうか。安倍と昭恵の窮地を救ったからとしか考えようがない。安倍は、官僚諸君にこう教えているのだ。「行政の公平や透明性の原則を守ろうなどとすれば角が立つ。意地を通せば窮屈だ。政権におもねれば褒められる。出世したければ忖度だ。百僚百官みんなこぞって忖度にやよ励めよ」と。これが、安倍政権の正体であり、ホンネではないか。だから、マイナンバーなど書いてやってはならないのだ。

上野公園から、湯島天神に足を伸ばして、人混みとタコ焼きの匂いの中で、結論に達した。
納税は拒否しない。拒否すべきでもない。しかし、佐川国税庁長官に協力してはならない。その意思表示として、マイナンバー記載は断固拒否しよう。これを咎められたら、大きな声で言ってやろうじゃないか。
「マイナンバー? そんな数字は記憶にない。そんな記録の保存はない。」
「マイナンバー? そんな記録は廃棄した。」
**************************************************************************
マイナンバー記載が昨年(所得税については2017年1月)以来、法的な義務であることはずいぶんと喧伝された。問題は、「マイナンバー記載を拒否したらどうなるか」である。刑事罰、行政罰はあるのか。そもそも受け付けてもらえないのではないか。まったく心配には及ばない。「マイナンバー記載を拒否」することの不利益はない。むしろ、マイナンバー記載は、重要な個人情報漏洩のリスクを覚悟しなければならない。

以下は、国税庁ホームページに掲載されている、「番号制度概要に関するFAQ」である。よくお読みいただきたい。
https://www.nta.go.jp/mynumberinfo/FAQ/gaiyou.htm

Q2-3-2 申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号を記載していない場合、税務署等で受理されないのですか。(平成29年9月7日更新)
(答)税務署等では、社会保障・税番号<マイナンバー>制度に対する国民の理解の浸透には一定の時間を要する点などを考慮し、申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合でも受理することとしていますが、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務ですので、正確に記載した上で提出してください。
なお、記載がない場合、後日、税務署から連絡をさせていただく場合があります。
ただし、その場合でも、税務職員が電話で直接マイナンバー(個人番号)を聞くことはありません。税務職員を装った不審な電話にはくれぐれもご注意願います。
※ 税務職員を装った不審な電話、メールなどにご注意ください。

Q2-3-3 税務署等が受理した申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合や誤りがある場合には、罰則の適用はありますか。
(答)税務署等が受理した申告書や法定調書等の税務関係書類にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合や誤りがある場合の罰則規定は、税法上設けられておりませんが、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務ですので、正確に記載した上で提出をしてください。
**************************************************************************
要するに、マイナンバー記載は、「形式的には法的義務」だが、違反に何の制裁もない。これを強制する手段もないのだ国税庁は、国民に「法を守るようお願いしている」に過ぎない。しかもその長官自身が、国会で嘘を突き通し 「記録は廃棄した」と答弁してきた人なのだ。国民の耳には、「そりゃ聞こえませぬ、長官殿」となるのは当然ではないか。

実のところ、私にとってはホントに知らないマイナンバー、知りたくもないマイナンバー、なのである。ナンバー通知の受け取り自体を拒否している。マイナンバーとは、国家が国民を管理して統治する技術としての国民皆背番号制である。マイナンバーをツールとして、あらゆる個人情報の統合が可能となる。いま、反対の声をあげないと、その使途は無限に拡大し、IT技術の発達と相まって、権力が国民生活の隅々まで管理する恐るべき事態を招くことになろう。

管理などされたくない人々の声が大きくなれば廃止できる。佐川宣寿の国税庁長官就任は、そのような大きな運動の起爆剤ととなり得る。これこそ、真の意味での「適材適所」ではないか。
(2018年2月18日)

これぞ未曾有の「適材適所」

何を失礼な。
未曾有をミゾユウと読んだ私だから、「適材適所」の意味が分かっていないのではないかって?  私だって、学習院を出ている。多少の知識も学問もある。ただ、生来の奥床しさから、普段は深く蔵してひけらかさないだけのこと。

中国の「清国行政法汎論」なる書物に、「適才適處」という用法が見えるそうだ。「才」とは、特別の才能もった人物のこと。その才能を生かすよう、官において、しかるべき地位・任務に配置する。これが語源のようだ。日本では、家屋の建築に際して数多い材木の種類から適材を選定して、その用途に適した使い方をすることから転じて、人材の用い方にも「適材適所」を使うようになったと心得ている。

佐川宣寿を国税庁長官に任命したことは、明らかに適材を適所に配した素晴らしい人事。いったいどこに問題がありますか。彼は、まぎれもなく「適才」ですよ。理財局長時代の国会答弁を見れば、誰の目にも明らかじゃないですか。「森友学園」への国有地売却問題に関して、あれだけ頑張った虚偽答弁。才能なくしてできることではない。その異能の才を配するに、国税庁長官は適材適所というにピッタリ、他の言葉では形容できません。

この佐川という人物。自らのプライドの保持などというケチなことを考えず、ひたすらに最高権力者の意向を忖度して、そのボロを隠すために言いつくろう、その見上げた役人魂。それこそ、尊敬に値する自己犠牲の精神。滅私奉公のお手本。論功行賞において適切にこれに報いることこそ、我が国の官僚組織を政権への忠誠に結びつける鉄則ではありませんか。

おそらく、彼も国税庁長官という職を引き受けることには、抵抗もあり葛藤もあったでしょう。彼なりに苦しかったとは思いますよ。しかし、やはり大したお人だ。納税者一揆とか、納税者の苦情爆発という世論を重々承知で、「適所」に落ちつかれた。世論の反発というごとき些事を意に介さずに、国家と政権の大義に生きようというその精神。見上げたものではありませんか。

よくお考えください。佐川宣寿が身を捨てて守り抜いたのは、首相と首相の妻ですよ。政権トップの明らかな政治私物化という最悪のスキャンダルを救ったのは彼なんです。ただ同然の国有地払い下げ。これが背後に首相夫妻なくしてあり得ないことは常識でお分かりでしょう。彼は、このことを隠蔽したというだけではない。「記録はない」「記憶もない」の一点張りで、権力犯罪を隠蔽して握り潰すというその豪腕というべき手法の確立こそが、彼を「適材」という所以ではありませんか。

いやこの「適材適所」には、それだけではない深い意味があるんですよ。彼を国税長官に据えれば、当然に納税者からの反発がある。徴税行政に支障だって考えられるではありませんか。そのくらいのことが分からぬ私ではない。でもね、そうなりゃそうなったで、なかなか面白いことではありませんか。

佐川はね、獅子身中の虫でもあるんですよ。その意味では、「『敵』材『敵』所」なのかも知れない。納税者の叛乱が安倍政権の命取りになれば、ポスト安倍に私がキングメーカーとして動く余地が大きくなる。佐川が世論の反発を押さえ切ったら上司である私の手柄にする。反対に世論につぶされたら、痛手をこうむるのは安倍政権ということ。わたしの立場としては、どちらでもよいのですよ。そういうことを可能にするのが、佐川宣寿の適材適所。お分かりかな。
(2018年2月17日)

DHC・吉田嘉明のふざけた回答と関連事件 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第122弾

本日(2月16日)午後1時から、DHCスラップ訴訟口頭弁論。DHC・吉田嘉明側は、本日法廷で本訴債務不存在確認請求事件を口頭で取り下げた。これで、本訴がなくなって、私が原告になっている損害賠償請求反訴事件だけが残った。

かくて私は、被告業から念願の原告業に転業したことになる。バンザイ、と言うべきだろうか。

本日の法廷では、まずは反訴原告(澤藤)からの求釈明に対する反訴被告(DHC・吉田嘉明)の不真面目回答。この不誠実でふざけた回答は、DHC・吉田嘉明の非常識な姿勢を露わにしているだけでなく、結局のところDHC・吉田嘉明の回答不能を物語っている。あるいは、回答すれば不利益となることを自認しているもの。ところが、思いがけなくも裁判所からDHC・吉田嘉明側に、「求釈明で提出を求められている関連事件の訴状や判決書を、任意に提出してはどうか」と勧告があり、2月23日(金)までに、訴状・一審判決・二審判決などを提出の約束となった。

任意に提出された関連事件訴状や判決をよく読み込んだ上で、澤藤側から、再反論の準備書面を提出することになり、次回期日は4月26日(木)13時30分、415号法廷となった。

もう一度、澤藤側の求釈明事項とDHC・吉田嘉明の釈明、つまりは「問」と「答」を並べてみよう。そして、若干のコメントを付け加えてみたい。

(1)反訴被告吉田が週刊新潮に告白した事実に関し、反訴被告らを批判(事実無根の誹謗、中傷)する記事やブログは合計何件あったのか。
回答《多数あった。》

「合計何件あったか」という問に対する回答が、《多数あった》である。幼稚園児との会話の如くである。要するに、正確な回答が自分に不利益であることを自認するものにほかならない。

(2)批判する記事やブログはすべて「反日の徒」なる当事者からのものであったのか。「反日の徒」とはいかなる概念か。
回答《回答の必要性なし。》

「回答の必要性なし」の理由は、回答に窮し回答不能だからである。吉田嘉明によれば、私(澤藤)は「反日の徒」とのことである。何ゆえ、私が「反日の徒」であるか、是非とも聞かせていただきたい。

この法廷のあと、国税庁を包囲した納税者一揆でのコールが、「佐川は逃げるな」「佐川は出て来い」「昭恵も出てこい」というものだった。まったく佐川と同様ではないか。旗色悪くなると、「回答の必要性なし」と逃げる姿勢はみっともない。みっともないでは言葉が足りない。卑怯千万というほかはない。自分の言葉に責任を持てないのだ。逃げずに、堂々と、「『反日の徒』とは、かくかくの意味である」「澤藤はこれこれの理由あるから『反日の徒なのだ」と言ってみたらどうだ。

(3)反訴被告吉田が反日と評する当事者以外の者からも、反訴被告らを批判する記事やブログは存在したか否か、存在した場合はその合計件数。
回答《多数あった。》

件数を聞かれて、「多数あった」は答えになっていない。不誠実きわまるというほかはない。もともと、真っ当な訴訟進行などする気はないのだ。公の場で、真っ当ならざる姿勢をさらけ出して意に介さない、その種の輩なのだ。

(4)提訴基準とした「特に悪辣なもの」とは、具体的にどのようなものか。「悪辣」の要素に、「反日」なるものが含まれているのか。
回答《悪辣とは,反訴原告(澤藤)の記述のようなものである。》

この回答自体を「特に悪辣なもの」と指摘せざるを得ない。DHC・吉田嘉明は、少なくとも10件の同種関連事件の提訴をしたことを認めている。「多数」の批判記事やブログの中から、10件を選定した提訴基準を「特に悪辣なもの」と言っているのだ。「特に悪辣なもの」では分からない。いったい何が、具体的提訴基準だったかを問うているのだ。それに対して、「悪辣とは、反訴原告(澤藤)の記述のようなもの」では、まったく提訴基準を示しえていない。ということは、常識的な判断としては、提訴基準などは存在せず、吉田嘉明にとって耳が痛い順、あるいは吉田嘉明にとって真実を衝かれたことにより恫喝と封殺の必要を感じた順に10件を選んだと推認せざるを得ない。

(5)「確実に勝訴の見込みがある」ことの慎重な判断には、どの程度の時間と労力を費やし、どのような判断基準を採用したのか。その際、相手方との事前交渉を考慮したことはなかったのか。事前交渉をしたものがあるとすれば、その件数と内容。
回答《反訴被告ら代理人が相当の時間をかけて検討の結果,確実に勝訴の見込みがあると判断したものであり,事前交渉したものも複数あった。》

何とも、具体性に欠け自信のない回答だが、決して無意味なものではない。人証の申請に生かすことができる。尋問事項の作成にも役立つ。

(6)必ず勝てるとの判断は、検討に加わった顧問弁護士を含めた全員一致の結論か、それとも、顧問弁護士らの意見を踏まえた上での反訴被告吉田の判断か。
回答《検討に加わった顧問弁護士全員の判断である。》

そんなことはあるまい。これは措信しがたい。私に対する提訴も含んで、関連事件はすべてスラップ訴訟と言わざるを得ない。普通の能力を持った弁護士が「必ず勝てる」などと判断をしたとはとうてい考えられない。吉田嘉明のスラップ提訴の意図を止められなかったか、止める意図がなかったかだ。代理人らの責任も大きい。

(7)提訴件数は、反訴原告が知り得た10件のみか。提訴した事件の内容とその結末(提訴した全事件の訴状と、結末が分かる判決書もしくは和解調書を提出されたい)。
回答《10件のみである。訴状や判決等を開示する必要性はなく,反訴原告らにおいて必要なら記録の閲覧をされたい。》

この10件を末尾に記載しておこう。

(8)提訴事件の各損害賠償額と全事件の請求合計額、金額算定の根拠。
回答《反訴原告らにおいて記録の閲覧をされたい。金額算定の根拠は,反訴被告ら及び代理人が各事件において相当と思料した慰謝料額である。》

いうまでもないが、DHC・吉田嘉明のスラップ提訴は、すべて高額である。高額であることが、恫喝の効果をもち、言論萎縮の効果をもつことになる。そのような高額訴訟には、恫喝の目的ではない何らかの金額算定根拠があるのかを聞いているのだ。これに対する回答が「相当と思料した慰謝料額」である。なるほど、恫喝目的意外に金額算定の根拠はないことを自認しているのだ。

**************************************************************************
DHC・吉田嘉明が提訴したスラップ関連事件一覧
(すべて東京地裁、DHC・吉田嘉明が原告の事件)

1 平成26年(ワ)第9172号
被告 ジャーナリスト
提訴年月日 平成26年4月14日
損害賠償請求額 6000万円

2 平成26年(ワ)第9407号
被告 ジャーナリスト
提訴年月日 平成26年4月16日
損害賠償請求額 2000万円

3 平成26年(ワ)第9411号
被 告 業界紙
提訴年月日 平成26年4月16日
損害賠償請求額 2000万円⇒後に1億円に増額

4 平成26年(ワ)第9408号
被 告 弁護士(澤藤)
提訴年月日 平成26年4月16日
損害賠償請求額 2000万円⇒後に6000万円に増額

5 平成26年(ワ)第9412号
被 告 弁護士
提訴年月日 平成26年4月16日
損害賠償請求額 2000万円

6 平成26年(ワ)第10342号
被 告 出版社
提訴年月日 平成26年4月25日
損害賠償請求額  2億円

7 平成26年(ワ)第1 1 3 0 9号
被 告 出版社
提訴年月日 平成26年5月8日
損害賠償請求額 6000万円

8 平成26年(ワ)第1 5 1 9 0号
被 告 出版社
提訴年月日 平成26年6月16日
損害賠償請求額 2億円

9 平成26年(ワ)第1 5 1 9 1号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 平成26年6月16日
損害賠償請求額 2000万円

10 平成26年(ワ)第1 5 1 9 2号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 平成26年6月16日
損害賠償請求額 4000万円

(2018年2月16日)

「新元号制定に反対する署名」集めにご協力ください

戦前の軍国主義・侵略主義・植民地主義を支えたものが天皇制だった。富国強兵・滅私奉公のスローガンを支えたのも天皇制だった。権威主義と差別が蔓延する社会を支えたのも天皇制。

戦争の惨禍に最大の責任を負うべきは、明らかに天皇であり天皇制であった。国家と国民を滅亡の一歩手前まで追い込んだ諸悪の根源としての天皇制。敗戦時、国民は深刻に旧体制の欠陥を検証し、これを剔抉しようと試みたが、天皇制を清算できなかった。生き残った旧天皇制の残滓は、いつまた再生し、肥大化しないとも限らない。

天皇制とは、国民に対する精神支配の仕組みである。支配しやすい権威主義的精神の国民を作りあげるための道具立て。天皇の生前退位と代替わりが来年(2019年)に行われる。国民を臣民とし、臣民根性を刷り込んだ天皇制の新たなかたちでの復活を警戒しなくてはならない。

現在なお、天皇制刷り込みの小道具はいくつも残存している。まずは元号。そして、「日の丸・君が代」。さらに祝日と叙勲。それに、歌会始や天皇出席の諸行事…。

中でも、存在感の大きいものが元号。明らかに元号は天皇制を支えている。こんな不便で、不合理なものは、そろそろ退場の潮時だろう。頃合いよろしく、新元号制定に反対する署名運動の要請が舞い込んできたので、ご紹介したい。

署名用紙は、下記URLでプリントアウトを。
http://han.ten-no.net/wp-content/uploads/2018/02/shomei_20180207_1.pdf
**************************************************************************
新元号制定に反対する署名
内閣総理大臣 殿

天皇退位特例法にもとづいて、天皇の退位を2019年4月30日とすることが決まりました。「平成」は、この日をもって終わります。政府は「元号法」に基づき新しい元号を発表するとしていますが、わたしたちはこれを機に、新しい元号を制定しないことを求めます。
元号制度は、古代中国において、皇帝が時間を支配することを目的として作られたものです。「王」や「君主」の在位に合わせて暦を法律で変える国は、現在では日本しかありません。元号は「君主」の時間に民衆を従わせるための、本来的に非民主的な制度であるといえます。
2017年にNHKが行った世論調査によると、「西暦よりも元号をつかう」と回答した人は28%に過ぎません。63%が「元号よりも西暦をつかう」と回答しています。改元のたびの暦がリセットされる不便さを多くの人が感じ、元号は民衆生活の中からも急速に後景化しています。しかし残念ながら、役所や学校などでは元号の使用が慣例化され、市民も公共機関と関係をもつ場面では元号を使うことが事実上強制されています。
元号を変更することによる様々なシステム変更によって、大きな混乱や事故、また経済的な損失がもたらされることは、「昭和」から「平成」への改元でも起きたことです。このような混乱をもたらす元号は無用の長物でしかありません。新しい元号を制定せず、元号制度を終わりにしてください。

【請願事項】
 『新しい元号を制定しないでください。』

【元号はいらない署名運動】
氏名
住所
1次集約:2018年4月30日
集約先■靖国・天皇制問題情報センター(「元号署名在中」と明記下さい)
東京都新宿区西早稲田2-3-18-31 キリスト教事業所連帯合同労組気付
**************************************************************************
★仲間のみなさんへ★おねがい★
「新元号制定に反対する署名」集めにご協力ください
2019 年5 月1 日の天皇代替わりにむけて、政府は新しい元号を2018 年中に発表するとしています。
一昨年来、首都圏各地でさまざまなかたちで反天皇制の運動に取り組んできた私たちは、この新元号制定に反対する署名活動を皆さんによびかけます!
「昭和」の時代と比べれば、市民生活から元号は急速に姿を消しつつあります。インターネットでも元号不要論・不便論が公然と語られだしてきました。「最も生活に身近な天皇制」であるはずの元号と、民衆意識との乖離は着実に進んでいるのです。この天皇制の大きな弱点である元号制度を突くことを通じて、「終わりにしよう天皇制」の声を、共に、さらに広げていきましょう!
「8・8天皇メッセージ」から始まった「平成」代替わり反対闘争の重要な一環として、この署名運動に取り組んでいただけるようお願いします。目標は5000筆です。たくさんの仲間と共同できることを心待ちにしています。

1 署名を集めて、集約先または取り扱い団体までご郵送下さい
2 署名の取り扱い団体(個人ももちろん可)になってください
新元号制定に反対する取組みをするチャンスは、そう何回もないと思います。運動の広がりを示すために、ぜひ、皆さん自身が取り扱い団体・個人となって、署名集約のハブになってください。
3 街頭署名集めを計画してください
このテーマは街頭署名集めもしやすいテーマだと思います。ぜひ計画してください。一緒にやる仲間が見つからない方は、下記いずれかの連絡先までお気軽にご相談ください。
4 提出行動にご参加ください
署名の集まり具合や、新元号制定に向けた政府の動きなどを勘案して、内閣府に対して署名提出
行動を行います。あらためて日程をお知らせしますので、ご参加ください。

「元号はいらない署名運動」呼びかけ団体
■反天皇制運動連絡会 千代田区神田神保町1-21-7-2A 淡路町事務所気付 hanten@ten-no.net
■「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2 かながわ県民センター9FレターケースNO.333
■靖国・天皇制問題情報センター 新宿区西早稲田2-3-18-31 キリスト教事業所連帯合同労組気付
■天皇制いらないデモ実行委員会 立川市富士見町2-12-10-504 立川テント村気付 tennoout@gmail.com

(2018年2月15日)

DHC・吉田嘉明のスラップ諸事件 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第121弾

明後日(2月16日・金)は忙しい。午後1時からがDHCスラップ訴訟口頭弁論で、終わり次第、日比谷公園集合の「モリ・カケ追及! 緊急デモ」に参加しよう。

まずは、DHCスラップ訴訟の口頭弁論期日である。
 2月16日(金)午後1時00分。民事第1部(415号法廷)
今回の口頭弁論期日は、反訴被告(DHC・吉田嘉明)の求釈明回答書の陳述が主たるもの。次回に、反訴原告(澤藤)側の、本格的な主張という段取りになる。
今回は薄味の法廷ではあるが、それでも傍聴にお越しいただけたらありがたい。閉廷後に、弁護団からのご報告とご説明をしたい。

なお、本日関連事件9件について、東京地裁に謄写閲覧の申請をした。DHC・吉田嘉明は、私(澤藤)に対するスラップ提訴と前後して、弁護団が把握している限りで、少なくとも10件の同種スラップ訴訟を提起している。DHC・吉田嘉明は、スラップ常習者なのだ。その関連事件について、訴状・一審判決・控訴審判決・そして上告受理申立の不受理決定の全部を取り寄せて、DHC・吉田嘉明の提訴による言論抑圧の意図を明確にしようということだ。

記録謄写の後は、スラップをかけられた方々のプライバシーには十分な配慮をしつつ、DHC・吉田嘉明の提訴の違法性を明確にし、その負けっぷりを訴訟資料として活用したい。

なお、下記は、各関連事件の閲覧・謄写申請書に添付した、謄写申請についての利害関係を有する旨の上申書である。

**************************************************************************
平成26年(ワ)第○○○○○○○号 損害賠償等請求事件
原 告  株式会社ディーエイチシー・吉田嘉明
被 告  △△△△△△△

                          2018年2月14日

                                上 申 書
東京地方裁判所民事記録閲覧室御中
澤藤統一郎法律事務所
申請者 (弁護士)澤藤統一郎
上記事件について、澤藤統一郎は以下のとおり利害関係を有するので、閲覧及び謄写の許可を求める。
1 申請者は、別件の東京地裁平成29年(ワ)第30018号債務不存在確認請求事件及び同第38149号損害賠償請求反訴事件における、本訴被告・反訴原告の地位にある(同事件を、以下29年事件という)。
2 現在係属中の同事件は、株式会社ディーエイチシー及び吉田嘉明の両名が申請者を被告として提訴した東京地裁平成26年(ワ)第9408号損害賠償等請求事件の提訴自体が不法行為に当たるか否かについて争われている訴訟である。(同事件を、以下26年提訴事件という)
26年提訴事件は、請求棄却、控訴棄却となり、上告受理申立が不受理となって、株式会社ディーエイチシー及び吉田嘉明両名の全部敗訴が確定した。
 29年事件において、反訴原告(申請者)は、DHC・吉田嘉明の26年提訴事件を、自己の権利救済のための訴訟ではなく言論の萎縮を狙った「スラップ訴訟」(経済的強者が、自らに対する批判の言論を封殺するための高額請求訴訟)であると主張し、それゆえ民事訴訟が予定する制度の趣旨を逸脱する濫訴として違法と主張している。
  DHC・吉田嘉明は、26年提訴事件提訴の同時期に、事案の内容が類似の訴えを多数提起しており、申請人が事件番号を把握しているものだけで10件を数える。このことは、DHC・吉田嘉明において、26年提訴事件の提訴の目的が、他の多数提訴と相まって、自分を批判する言論を攻撃することによる言論萎縮にあることを強く推認せしめる。
4 29年事件において、反訴原告は、反訴被告に対して、各事件の訴状・各審級の判決書を任意に提出するよう求めたが、反訴被告に拒絶されたので本申請に及ぶ。

                                                                      以上
**************************************************************************

同日1時30分からは、「モリ・カケ追及! 緊急デモ」だ。

 13時30分 日比谷公園 西幸門 集合
13時40分 ~財務省・国税庁 包囲行動
宣伝カーを使ったアピール行動
14時15分 デモ出発(西幸門)→ 銀座・有楽町の繁華街を行進
15時(予定) 鍛治橋(丸の内)で解散

背任、証拠隠滅の悪行を犯しながら、責任逃れの答弁で逃げ切りを図ろうとする悪代官たちを許さない主権者の怒りを総結集して、納税者一揆を爆発させましょう!
皆さまのご参加、お知り合いへの呼びかけをぜひともお願いします。
PDFダウンロード
https://app.box.com/s/ktgpzbj9uw92kh9hx5ye7ui1h46b57jn

ところで、本日(2月14日)の日刊ゲンダイ。トップが「火に油 納税者の乱」の大見出し。「なぜ、こんな首相や財務省が長くやれるのか」「常識が通用せず、嘘は言ったもん勝ち、権力者の横暴とそれへの服従が当たり前になった異様な国は、どんどん狂った方へ流れている」…と続く。
そして3面。「2・16納税者一揆 全国に拡大」「ナメ切った麻生答弁が、国民の怒りに火」「佐川は国税庁長官としては適任」。これだけで、あらかたは分かる。

当日は、叫ぼう。
・「モリ・カケ」食い逃げ 許さんぞ
・音声・録音 嘘はない
・佐川は罷免だ
・任命責任 麻生だろ
・嘘つき大将 安倍晋三
・昭恵夫人は 喚問だ
・加計孝太郎氏も喚問だ
・おれたち国民怒ってる
・納税者一揆の爆発だ!
(2018年2月14日)

慰安婦問題日韓合意 ― 韓国側の言い分に十分な理がある

対立する当事者との意見の食い違いがあるとき、何よりも必要なことは、相手の言い分をよく聞くことだ。対北朝鮮、対韓国、対中国の諸問題では、圧倒的なメディア・ナショナリズムが、相手側の言い分を掻き消している感がある。慰安婦問題に関する2015年日韓合意でも、その印象が深い。

一昨日(2月11日)の毎日新聞朝刊第7面(国際面)「世界の見方」欄に、南基正(ソウル大日本研究所副教授)が、「10億円の意味 確認を」というタイトルの寄稿が掲載されている。達意の文章で、説得力に富む。読後、「なるほど、韓国世論はこう考えているのか」と蒙を啓かれた思いがある。目立たない隅っこの記事でネットにもアップされていないが、貴重な意見として紹介したい。

「平昌五輪開会式に安倍音三首相が出席し、文在寅大統領と首脳会談を行ったことはひとまず良かった。2015年の慰安婦問題に関する日韓両政府合意をめぐる意見の隔たりにもかかわらず、未来志向を確認したことは、大人の外交の可能性を示した。
 合意直後から日本側は日本政府が拠出する10億円は日本政府の責任認定と関係ないかのように説明し、安倍首相は元慰安婦たちにおわびの手紙を送ることは『毛頭考えていない』と切り捨てた。首相のこの言葉は韓国国民に衝撃を与え、元慰安婦たちの心の傷口を広げた。
 合意の基本精神は、慰安婦問題について日本政府が責任を認め、謝罪し、元慰安婦の心の傷を癒やすための措置をとることだったはずだ。その基本精神を否定されて渡される金銭的措置に何の意味があるのか。10億円の意味を確認することは、事業継続と合意履行のために不可欠だ。
 合意には、日本政府の予算で拠出した資金で、『全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う』ために韓国政府と協力することが明記されている。韓国が求めているのはこの範囲内でのことである。さらに合意は、日本政府の取るべきこの行動を前提に、問題が最終的に不可逆的に解決『される』ことを確認している。条件を伴った未来形であるので、条件が満たされない限り、問題が解決「した」ことにはならない。
 合意と関連し、韓国はゴールポストを動かしてはいない。ゴールのなかにボールをいれる方法を示したのである。10億円の意味に対する疑心こそ、合意完成への道をふさぐ最大の障害だ。日本がその疑心を晴らすのは合意の枠内で日本がしなければならない責務である。その責任を果たす真摯な態度が合意を拒む元慰安婦たちの心に届く時、合意は完成に向かって動き出すだろう。(日本語で寄稿)」

眼目は、「合意の基本精神は、慰安婦問題について日本政府が責任を認め、謝罪し、元慰安婦の心の傷を癒やすための措置をとることだったはずだ。その基本精神を否定されて渡される金銭的措置に何の意味があるのか。10億円の意味を確認することは、事業継続と合意履行のために不可欠だ。」というところにある。

安倍政権側は、「カネで解決できるのなら10億を出そう。形だけ謝って済むのなら謝罪の表明もしよう。しかし、これっかぎりだ。この合意で、『最終的かつ不可逆的に解決』なのだから、これ以上は1ミリも譲歩はしない。元慰安婦に謝罪の手紙を書くなんて約束していないことをすることは『毛頭考えていない』」というわけだ。

韓国側は、安倍政権に「その責任を果たす真摯な態度」を要求し、安倍政権側は、「そんな約束はしていない。カネで解決の約束のはずだ」「それ以上の要求は筋違い」とすれ違っている。

あらためて、日韓慰安婦合意の内容を確認しておこう。以下は、外務省のホームページからの転載である。これ以外に密約があるとも言われるが、密約の存在もその内容も気にする必要はない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html

2015(平成27)年12月28日
1 岸田外務大臣
日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。
(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。
(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。
(3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。
あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

2 尹(ユン)外交部長官
韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,韓国政府として,以下を申し述べる。
(1)韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し,日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,日本政府の実施する措置に協力する。
(2)韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。
(3)韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

**************************************************************************

なるほど、よく読めば、南氏のいうとおりではないか。安倍政権には、韓国政府とともに、「日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行う」義務を負うのだ。「10億出したから終わり」と逃げることは許されない。明らかに、韓国側の言い分に分がある。
(2018年2月13日)

水俣公害の真の解決とはー石牟礼道子語録から

石牟礼道子が亡くなって、各紙に追悼記事が満載である。昨日(2月11日)には毎日が、本日(2月12日)は朝日が社説で取り上げた。

毎日の社説は、「石牟礼道子さん死去 問いつづけた真の豊かさ」というもの。
「石牟礼さんの代表作『苦海浄土』は鋭く繊細な文学的感性で水俣病の実相をとらえ、公害がもたらす『人間と共同体の破壊』を告発した。1969年刊行の同書は高度経済成長に浮かれる社会に衝撃を与え、公害行政を進める契機ともなった。」

この解説はそのとおりではあろうが、言葉の足りなさがもどかしい。この社説が「苦海浄土」から引用する下記の一節がすべてを語って余りある。これを引用した社説子に敬意を表したい。

「『苦海浄土』の中で老いた漁師が語る。
『魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい』
天の恵みの魚を要るだけとって日々暮らすような幸福。今は幻想とも思える、そんな充足感をどこかに失ってしまった現代を、石牟礼さんの作品は見つめ続ける。」

この漁師の述懐の中に見えるものは、公害行政への批判とか資本主義経済構造の矛盾の指摘などというものではない。それをそれをはるかに超えた、文明そのものへの批判や人の生き方についての省察である。

朝日は「石牟礼さん 『近代』を問い続けて」というタイトル。
「虐げられた人の声を聞き、記録することが、己の役割と考えた。控えめに、でも患者のかたわらで克明な観察を続けた。
運動を支えるなかで、国を信じて頼りたい気持ちと、その国に裏切られた絶望感とが同居する患者らの心情も、逃さずに文字にした。『東京にゆけば、国の存(あ)るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ』(苦海浄土 第2部)
権力は真相を覆い隠し、民を翻弄(ほんろう)し、都合が悪くなると切り捨てる。そんな構図を、静かな言葉で明らかにした。
…………
「水俣」後、公害対策は進み、企業も環境保全をうたう。だが、効率に走る近代の枠組みは根本において変わっていない。福島の原発事故はその現実を映し出した。石牟礼さんは当時、事故の重大性にふれ、『実験にさらされている、いま日本人は』と語った。明治150年。近代国家の出発が為政者から勇ましく語られる時だからこそ、作家が生涯かけて突きつめた問題の深さと広がりを、改めて考えてみたい。」

こちらは、文明論というよりは国家論となっている。
「東京にゆけば、国の存(あ)るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ」は、沖縄の思いでもあろう。「本土に復帰すりゃあ、祖国の存(あ)るち思うとったが、そんなものはなかったなあ」と。

昨日(2月11日)の毎日社会面に、石牟礼道子語録があり、そのなかに、「水俣だって補償金は勝ち取りましたけれども、(魂の対話)という本質はつぶされていますから」という一節が見える。73年の荒畑寒村との対談中の言葉だというから、「水俣だって」とは、「足尾鉱毒事件ばかりではなく…」という意味だろう。しかし、同じことはあらゆる公害闘争でも、原発被害でも、戦後補償問題でも、冤罪事件でも、言えることだろう。被害者が求めているものは、「(魂の対話)」を通じての、人間としての尊厳の回復である。カネの補償で済む問題ではないのだ。

慰安婦問題をめぐる日韓合意も、石牟礼のいう「(魂の対話)という本質はつぶされている」事態の典型だろう。加害者側が、「最終的かつ不可逆的な合意」などとうそぶいている限り、被害者の人間としての尊厳の回復はあり得ない。いま、この問題解決のゴールは遠のくばかりだ。
(2018年2月12日)

盛岡の集会で、「建国記念の日」の危うさを語る。

本日(2月11日)は「建国記念の日」。盛岡で開かれた「2018 『建国記念の日』について考える県民のつどい」に招かれての講演。『岩手靖国違憲訴訟と安倍改憲』というのが演題。故郷・盛岡に、この日、このテーマで招いていただいたことがありがたい。

『建国記念の日』とは、まことに怪しい祝日。「国民の祝日に関する法律」それ自体が、まず怪しい。その第1条は、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける。」とある。読むだに気恥ずかしくなる文章ではないか。

取って付けたかのごとき、「自由と平和を求めてやまない日本国民」「美しい風習」「よりよき社会」「より豊かな生活」の美辞麗句。自由・平和といったいどんな関係があるのか、わけの分からない祝日の主旨説明が並ぶ。そのなかに、次の一節。

「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」

「建国記念の日」を2月11日と定めたのは、国会ではない。内閣が政令で定めたのだ。それにしても、「建国をしのび、国を愛する心を養う」ための祝日とは、いったいそりゃ何だ。「建国」「国を愛する」の国とはいったい何だ。本日は、日本という国家について思いをめぐらし、国の来し方行く末を考える日とすべきであろう。

国家とは、突然作られるものでも、できあがるものでもない。しかし、その存立の原理なり理念が転換することはある。アンシャンレジームを廃して自由・平等・友愛を基本理念とする市民革命勃発の日であれば「建国の日」にふさわしい。毛沢東が、「中華人民共和国成立了!」と宣言した、1949年10月1日も、まさしく「建国の日」あるいは「建国記念の日」であろう。

今の日本の「建国の日」にふさわしいのは、法的に戦前の旧天皇制国家からの訣別の日としてのポツダム宣言受諾の8月14日か、敗戦記念の日とされている8月15日、あるいは降伏文書調印の9月2日であろう。あるいは、新国家建設の、新たな原理と理念を確認した日本国憲法公布の11月3日か、憲法施行の5月3日。

あくまで、現行の国の仕組みと理念ができあがったことが「建国」でなくてはならない。だから、「建国をしのび」とは、天皇制国家の不合理と理不尽を清算するために、いかに過大な犠牲を必要としたかを思いめぐらせることなのだ。だから、「国を愛する」の国とは日本国憲法が定める国民主権原理に基づいて作られ、平和と人権をこよなく大切にする「国」のことである。その国を「愛する」とは、決して再び天皇主権や天皇を傀儡にして国政の壟断を許した旧体制に戻してはならない、富国強兵のスローガンで、軍国主義・侵略主義を謳歌した過去と厳しく訣別することと決意することだ。

2月11日は、神話の上の天皇制起源の日。しかも、神なる天皇が、神勅によってこの国の統治者となり、国民を臣民に宿命づけた日である。「建国記念の日」として、かくもふさわしからぬ日はない。12月8日よりも、7月7日よりも、9月18日よりも「悪い日」というほかはない。

「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために」、建国記念の日には、「明治150年」のデマゴギーを語らねばならない。「明治150年」の始まりの明治維新とは王政復古による天皇制再構築であった。それによって、軍国主義・侵略主義の国家が作りあげられたのではないか。今ある、「国民主権の日本」とはまったく別物の、「神なる天皇の国」の「建国」を、「国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、記念」してはならない。

かの「神なる天皇のしろしめす国」は、主権者天皇と臣民からできていた。国民は、民草でしかなかった。臣民一人ひとりに価値はなく、天皇に随順し、天皇のために死ぬことでその価値が認められるという、恐るべき靖国の思想が臣民に植えつけられた。我々は、今自立した主権者として、このようなマインドコントロールを排斥し得ているだろうか。臣民根性を捨て切れていないのではなかろうか。

だから、今日「建国記念の日」には、天皇制のマインドコントロールの恐ろしさを再確認して、「再び権力者に欺されない」「マインドコントロールを許さない」「天皇や天皇制の権威に恐れ入らない」「天皇や天皇制を批判する言論に萎縮しない」「奴隷根性も、臣民根性も払拭して自立した主権者となる」ことを確認し決意すべきなのだ。それこそが、「自由と平和を求めてやまない日本国民として、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために」必要なことではないか。

本日、そのような視点から、岩手靖国違憲訴訟を語りたい。以下はそのレジメ。

**************************************************************************
第1 岩手靖国違憲訴訟とその判決
1 岩手靖国違憲訴訟とは二つの(住民)訴訟
☆岩手靖国公式参拝違憲訴訟
天皇と内閣総理大臣の靖国公式参拝を求める県議会決議の違憲を問題に
原告(牧師・元教師) 被告(議長・県議40人)県が補助参加
☆岩手玉串料訴訟(県費からの玉串料支出違憲訴訟)
原告住民(多彩な市民) 被告(知事・福祉部長・厚生援護課長)県
(提訴の日が愛媛玉串料訴訟と同日)
2 政教分離とは、象徴天皇を現人神に戻さないための歯止めである。
国家に対して「国家神道(=天皇教)の国民マインドコントロール機能」
利用を許さないとする命令規定である。
・従って、憲法20条の眼目は、「政」(国家・自治体)と「教」(国家神道)
との「厳格分離」を定めたもの
・「天皇・閣僚」の「伊勢・靖國」との一切の関わりを禁止している。
・判例は、政教分離を制度的保障規定とし、人権条項とはみていない。
このことから、政教分離違反の違憲訴訟の提起は制約されている。
・住民訴訟、あるいは宗教的人格権侵害国家賠償請求訴訟の形をとる。
3 運動としての岩手靖国訴訟(公式参拝決議の違憲・県費の玉串料支出の違憲)
靖国公式参拝促進決議は 県議会37 市町村1548
これを訴訟で争おうというアイデアは岩手だけだった
県費からの玉串料支出は7県 提訴は3件(岩手・愛媛・栃木)同日提訴
☆訴訟を支えた力と訴訟が作りだした力
戦後民主主義の力量と訴訟支援がつくり出した力量
神を信ずるものも信じない者も 社・共・市民 教育関係者
4 政教分離訴訟の系譜
津地鎮祭違憲訴訟(合憲10対5)
箕面忠魂碑違憲訴訟・自衛隊員合祀拒否訴訟
愛媛玉串料玉串訴訟(違憲13対2)
中曽根靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
滋賀献穀祭訴訟・大嘗祭即位の儀違憲訴訟
小泉靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
安倍首相靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟(東京・大阪で)
5 岩手靖国控訴審判決の意義と影響
・天皇と内閣総理大臣の靖国神社公式参拝を明確に違憲と断じたもの
・県費からの玉串料支出の明確な違憲判断は愛媛とならぶもの
・目的効果基準の厳格分離説的適用
目的「世俗的目的の存在は、宗教的目的・意義を排除しない」
効果「現実的効果だけでなく、将来の潜在的波及的効果も考慮すべき」
「特定の宗教団体への関心を呼び起こし、宗教的活動を援助するもの」
☆政教分離国家賠償訴訟の経験は、戦争法違憲訴訟に受け継がれている。
6 1983年夏の陣
原告側証人 村上重良・大江志乃夫・高柳信一
被告側証人 神野藤重申(靖国神社禰宜)
7 「最低・最悪」完敗の一審判決(1987年3月5日)から
「完勝」の仙台高裁控訴審判決(1991年1月10日)へ
☆ 天皇・首相の靖国公式参拝は違憲
☆ 県費からの玉串料支出は違憲
いずれも、目的効果基準に拠りつつ、これを厳格に適用しての違憲判断。
☆ 上告却下 特別抗告却下
第2 政教分離問題の本質をどうとらえたか
1 信教の自由の制度的保障規定⇒基本的人権(精神的自由権)に関わる問題
2 天皇を再び神にしてはならないとする規定⇒国民主権原理に関わる問題
3 軍国神社靖国と政権との癒着を禁じる規定⇒恒久平和主義に関わる問題
4  政教分離の「教」とは、「国家神道の残滓」であり、
「天皇の神聖性」鼓吹であり、国民精神を戦争に動員した「軍事的擬似宗教」  である。
5 政教分離は、憲法の根幹に関わる大原則。
自衛隊の海外派兵や自民党改憲論にからんで、
ますますその重要性を高めている。
第3 自民党改憲草案第20条との関わり
1項 信教の自由は、保障する。
国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを
強制されない。
3項 国及び地方自治体その他の公共団体は、
特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。
ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、
この限りでない。
☆自民党のホンネは、「社会的儀礼」又は「習俗的行為」として、
国や自治体の神道的行事を認めさせようというところにある。
自民党の憲法なし崩し策動に、一歩の譲歩もあってはならない。
第4 天皇退位と明治150年
否定されたはずの、天皇の権力や権威が、今旧に復そうとしている。
※天皇の生前退位表明は、明らかに越権。
※明治150年のイデオロギー攻勢
※自民党改憲草案前文冒頭
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
※草案第1条 「天皇は、日本国の元首であり…」
※草案第4条(元号について)
「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。
解説(Q&A) 4条に元号の規定を設けました。この規定については、自民党内でも特に異論がありませんでしたが、現在の「元号法」の規定をほぼそのまま採用したものであり、一世一元の制を明定したものです。

「日の丸・君が代」、元号、祝日、勲章・褒賞は、今の世に払拭しきれない神権天皇制の残滓である。天皇の権威にひれ伏す臣民根性を払拭して、主権者意識を確立しよう。
(2018年2月11日)

反訴被告DHC・吉田嘉明の応訴態度をよくご覧いただきたい ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第120弾

まずは、下記DHC・吉田側の準備書面をご一読いただきたい。文字通り、ペラ1枚のものだが、これが2月9日付で正式に裁判所に提出された書面である。
**************************************************************************
平成29年(ワ)第38149号 同損害賠償請求反訴事件
反訴原告 澤藤統一郎
反訴被告 吉田嘉明,株式会社ディーエイチシー

 反訴被告ら準備書面1

 平成30年2月9日

東京地方裁判所民事第1部合議孫 御中

 反訴被告ら訴訟代理人弁護士 今 村  憲

 反訴原告準備書面(1)の求釈明に対する回答
(1)多数あった。
(2)回答の必要性なし。
(3)多数あった。
(4)悪辣とは,反訴原告の記述のようなものである。
(5)反訴被告ら代理人が相当の時間をかけて検討の結果,確実に勝訴の見込みがあると判断したものであり,事前交渉したものも複数あった。
(6)検討に加わった顧問弁護士全員の判断である。
(7)10件のみである。訴状や判決等を開示する必要性はなく,反訴原告らにおいて必要なら記録の閲覧をされたい。
(8)反訴原告らにおいて記録の閲覧をされたい。金額算定の根拠は,反訴被告ら及び代理人が各事件において相当と思料した慰謝料額である。
以 上
**************************************************************************
これはいったい何なのだ。これだけでは分りようがない。何を言っているのかという内容についてだけではなく、DHC・吉田側の訴訟に取り組む真摯さの欠如についても、だ。下記の反訴原告・澤藤側の求釈明準備書面と併せて読むことで、はじめて、DHC・吉田の応訴態度がよく見えてくる。

平成29年(ワ)第30018号 債務不存在確認請求事件
平成29年(ワ)第38149号 同損害賠償請求反訴事件
反訴原告(本訴被告) 澤藤 統一郎
反訴被告(本訴原告) 吉田嘉明、株式会社ディーエイチシー

 準備書面(1)

 2018年(平成30年)2月1日

 東京地方裁判所民事第1部合議係 御中

反訴原告(本訴被告)訴訟代理人弁護士 55名

反訴被告らの答弁書に反論するにあたり、反訴被告らに対し、以下の点を明らかにするよう求める。

1 反訴原告は、反訴被告らの前件訴訟提起が違法であることを、最高裁昭和63年1月26日判決に基づき主張しているが(反訴状7頁)、同判決は、訴訟提起が違法になる場合として、「・・当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的に根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる場合に限られるものと解するのが相当である。」と判示している。
同判決は、その事案に即し、訴訟提起が違法(著しく相当性を欠く)となる場合の一例として、「提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的に根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえた場合」を挙げているが、もとより、違法提訴がこれに限定されるわけではなく、違法性の判断指標は、「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる」か否かにあり、この指標に基づき、当該訴訟提起の違法性を、主観、客観の両面から検討し、時代に即した判例法の発展(言論、評論の自由と個人の名誉という対向する権利の困難な調整)が期待されている。
この点において、反訴被告らが、反訴答弁書において、ことさら同判決の例示部分のみを引用する論述は(反訴答弁書5頁)、軽挙な前件訴訟提起の一因を示している。

2 本件において反訴原告は、前件訴訟提起の違法性について、敗訴の客観的予見可能性とともに、反訴被告らの訴訟提起の意図、目的が、裁判による権利回復よりも、意に沿わない公共事項に関する公益目的の言論を封殺することにあったと考え、これを裏付ける事実の一つとして、反訴原告が知りえたものだけでも、反訴被告らが10件の類似の高額名誉毀損訴訟を一括提起し、多数の敗訴を受けているという事実を主張している。

3 これに対し、反訴被告らは、10件の訴訟提起の事実を認め、その一部につき和解調書(甲A17~18)と判決書(甲A19)を提出し、また、反訴被告吉田は、反訴被告会社のブログ(乙9の2)で、多数の訴訟提起に至った経緯について、「渡辺騒動の後、澤藤被告始め数十名の反日の徒より、小生および会社に対する事実無根の誹謗中傷をインターネットに書き散らかされました。当社の顧問弁護士等とともに、どのケースなら確実に勝訴の見込みがあるかを慎重に検討した上で、特に悪辣な10件ほどを選んで提訴したものです。やみくもに誰も彼もと提訴したわけではありません。」と述べている。

4 そこで、反訴被告らに対し、以下の各点を明らかにするよう求める。
(1)反訴被告吉田が週刊新潮に告白した事実に関し、反訴被告らを批判(事実無根の誹謗、中傷)する記事やブログは合計何件あったのか。
(2)批判する記事やブログはすべて「反日の徒」なる当事者からのものであったのか。「反日の徒」とはいかなる概念か。
(3)反訴被告吉田が反日と評する当事者以外の者からも、反訴被告らを批判する記事やブログは存在したか否か、存在した場合はその合計件数。
(4)提訴基準とした「特に悪辣なもの」とは、具体的にどのようなものか。「悪辣」の要素に、「反日」なるものが含まれているのか。
(5)「確実に勝訴の見込みがある」ことの慎重な判断には、どの程度の時間と労力を費やし、どのような判断基準を採用したのか。その際、相手方との事前交渉を考慮したことはなかったのか。事前交渉をしたものがあるとすれば、その件数と内容。
(6)必ず勝てるとの判断は、検討に加わった顧問弁護士を含めた全員一致の結論か、それとも、顧問弁護士らの意見を踏まえた上での反訴被告吉田の判断か。
(7)提訴件数は、反訴原告が知り得た10件のみか。提訴した事件の内容とその結末(提訴した全事件の訴状と、結末が分かる判決書もしくは和解調書を提出されたい)。
(8)提訴事件の各損害賠償額と全事件の請求合計額、金額算定の根拠。
以上
**************************************************************************
念のため、澤藤側の求釈明事項と吉田嘉明の釈明、つまりは問と答を並べてみよう。

(1)反訴被告吉田が週刊新潮に告白した事実に関し、反訴被告らを批判(事実無根の誹謗、中傷)する記事やブログは合計何件あったのか。
《(1)多数あった。》

(2)批判する記事やブログはすべて「反日の徒」なる当事者からのものであったのか。「反日の徒」とはいかなる概念か。
《(2)回答の必要性なし。》

(3)反訴被告吉田が反日と評する当事者以外の者からも、反訴被告らを批判する記事やブログは存在したか否か、存在した場合はその合計件数。
《(3)多数あった。》

(4)提訴基準とした「特に悪辣なもの」とは、具体的にどのようなものか。「悪辣」の要素に、「反日」なるものが含まれているのか。
《(4)悪辣とは,反訴原告の記述のようなものである。》

(5)「確実に勝訴の見込みがある」ことの慎重な判断には、どの程度の時間と労力を費やし、どのような判断基準を採用したのか。その際、相手方との事前交渉を考慮したことはなかったのか。事前交渉をしたものがあるとすれば、その件数と内容。
《(5)反訴被告ら代理人が相当の時間をかけて検討の結果,確実に勝訴の見込みがあると判断したものであり,事前交渉したものも複数あった。》

(6)必ず勝てるとの判断は、検討に加わった顧問弁護士を含めた全員一致の結論か、それとも、顧問弁護士らの意見を踏まえた上での反訴被告吉田の判断か。
《(6)検討に加わった顧問弁護士全員の判断である。》

(7)提訴件数は、反訴原告が知り得た10件のみか。提訴した事件の内容とその結末(提訴した全事件の訴状と、結末が分かる判決書もしくは和解調書を提出されたい)。
《(7)10件のみである。訴状や判決等を開示する必要性はなく,反訴原告らにおいて必要なら記録の閲覧をされたい。》

(8)提訴事件の各損害賠償額と全事件の請求合計額、金額算定の根拠。
《(8)反訴原告らにおいて記録の閲覧をされたい。金額算定の根拠は,反訴被告ら及び代理人が各事件において相当と思料した慰謝料額である。》

**************************************************************************
求釈明の意図や必要性については、十分に伝わっている。にもかかわらず、「合計何件あったのか」という問に「多数あった」という回答の類は、不真面目きわまる。

また、「『反日の徒』とはいかなる概念か。」という質問に対して、「回答の必要性なし」は、普通は「まずいことを言ってしまった。失点は認めるからこれ以上の追求は勘弁してください」という含意と理解することになる。

しかし、今回に関しては、どうにも私は納得しがたい。世に「愛国者」「国士」「憂国の士」などを気取って自らを飾り、他を貶める輩は星の数ほどいる。その悪罵の常套句が「反日」である。私は「国士」だの「大和魂」などという言葉は大嫌いだが、自らをホンモノの「国士」や「憂国の士」を任じる人物の気骨や正直さには敬意を払うにやぶさかではない。

私が相手をしている吉田嘉明なる人物は、「渡辺騒動の後、澤藤被告始め数十名の反日の徒より、小生および会社に対する事実無根の誹謗中傷をインターネットに書き散らかされました」と明言したのだ。吉田嘉明は、自分の言葉に責任をもたなければならない。いったい、私(澤藤)を指して「反日の徒」と言ったのは、いかなる意味なのか。何を根拠にしているのか。「回答の必要なし」ではなく、己の信ずるところを堂々と開陳してしかるべきではないか。

私の理解するところでは、「国士」とは卑怯、未練、逃げ隠れを恥と心得ている人物像である。責任を回避せず、逃げも隠れもしない態度を示してこそ、「似非日本人」を批判しうるのではないか。自分の言葉に対する責任を放棄して、「『反日の徒』とはいかなる概念であるか回答の必要性はない」は、卑怯というしかない。それこそ、「似非者」と罵られても甘受せざるを得ない、と指摘しておこう。

こうした、吉田嘉明の投げやりで真摯さを欠く応訴態度は、私のみならず、この裁判を注視している、多くのディーエイチシー製品の顧客たちをも落胆させることになるだろう。

****************************************************************

なお、次回口頭弁論期日は、2月16日(金)午後1時~
東京地裁庁舎415号法廷です。傍聴にお越しください。

(2018年2月10日)

目出度さも中くらいか ― 2018年弁護士会選挙結果報告

常々思っていることだが、弁護士会は市民に開かれていなければならない。市民に支えられ市民とともに歩む姿勢を大切にしなければならない。弁護士会は権力と対峙する側にあるのだから、市民に支えられなければ権力に抗する力を持ち得ない。

弁護士会が何を考えているか。市民に対する広報も重要だが、弁護士会の役員選挙での公約を市民に知ってもらうことも大切だと思う。弁護士が、真に市民の利益のための弁護士会を作ろうとしているのか、それとももっぱら弁護士の利益を考えているのか、選挙戦はリアルに弁護士らの姿勢を映し出す。

本日(2月9日)は、日弁連会長選挙の投開票であり、各単位会の役員選挙の投開票でもあった。日弁連次期会長(任期2年)には、東京弁護士会の菊地裕太郎候補が当選した。いわゆる主流派の路線が継承されることになる。この路線の生ぬるさを批判する立場から立候補した武内更一候補は、意外と水を開けられた。得票数1万3005対2847であった。

両候補についての評価は、1月31日の当ブログ「日弁連会長選挙 保守派も革新派も『弁護士自治を堅持』」をご覧いただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=9852

最大単位会である東弁の会長選挙立候補者は2名、二大派閥の法友会と法曹親和会を地盤とした各候補。第三の派閥である期成会は、過去3人の東弁会長を出している。かつて、右翼誌が「日弁連は東弁が動かしている」「東弁は期成会がキャスティングボードを握っている。」「その期成会は共産党が牛耳っている」「だから、共産党が日弁連を動かしている」という『名言(迷言)』を語らしめた期成会である。今年は、久しぶりにその期成会から会長候補擁立をという声が高かった。

しかし、期成会からの東弁会長候補擁立は立ち消えになり、親和の冨田秀実候補を推すことになった。その冨田候補の公約のメインスローガンは、「憲法的価値を護り、法化社会を実現する」である。立派なものと言ってよい。対立する安井規雄候補のものは、「すべての市民の人権が等しく保障される社会に」というもの。これとてなかなかのものだが、冨田候補に比較すれば明らかに薄味。もっとも、濃い味が好まれるとは限らない。薄味であればこその支持・支援もあるだろう。

本日投開票の結果、2408票対2126票の僅差で、薄味派が当選した。これが現実。

破れた濃い味派冨田候補の選挙公約の一部を特に記して記憶しておきたい。公約全体は膨大だが、立憲主義と弁護士自治堅持の部分に限って。

☆立憲主義を堅持する
政治権力の恣意的な権利行使を制限する立憲主義は堅持しなければなりません。解釈によって実質的に憲法を改変した安全保障関連法に対してはその廃止を含め見直しを求め、その運用も監視すべきです。国民の権利を制約する特定秘密保護法や共謀罪の運用についてもその監視を怠ってはなりません。そのためにも、国民の知る権利の保障を充実させ、情報公開の促進と権力監視の仕組みを強化することが必要です。
憲法の基本原理である国民主権主義、平和主義、基本的人権尊重主義に反するような改正には、断固として反対します。したがって、憲法9条に自衛隊を明記しようとする加憲論については、同9条が「原理」規定である点や平和主義・立憲主義の観点から賛成することはできません。

☆憲法的秩序を護るためにも弁護士自治を堅持する
憲法は、刑事被告人に対して弁護人依頼権を保障し(37条3項)、弁護士(弁護人)が刑事被告人の人権を護る重要な役割を担うことを認め、国民には裁判を受ける権利を保障(32条)しています。刑事事件では国家と対峙することから、国家の圧力から、また、民事事件においては、外部の不当な圧力から弁護士の職務の独立性を担保するために、弁護士法によって弁護士自治が認められています。同時に、弁護士法は、弁護士の使命を「基本的人権の擁護と社会正義の実現」と定め、その使命を遂行するための活動についても、弁護士が外部から不当な干渉を受けないように弁護士自治が認められています。このように、弁護士が、その職務を遂行し、活動をするにあたって、弁護士自治は個々の弁護士の職務や活動の独立性を護るためのもので、ひいては、依頼者の人権や権利を護るための制度的な保障ともなっているのです。
ところで、近時、弁護士不祥事事件が多発し、国民の弁護士に対する信頼が揺らいでいる状況があり、その対策は喫緊です。依頼者見舞金制度や預り金□座の届出制のみならず、東弁における具体的な防止策や対策を講じ、国民の信頼を回復し、弁護士・弁護士会にとって最も重要な弁護士自治を堅持します。

冨田候補による弁護士自治堅持の語り口の熱さには脱帽であり、冨田候補の落選は残念と言わざるを得ない。敗れたとはいえ、これだけの公約を掲げた候補がこれだけの票を取ったのだ。その影響は小さいはずがない。

当選後のあいさつで、安井候補は、こう言ったそうだ。

「私は、三つのことを守ると約束する。国民の人権を守る。平和憲法を守る。そして、弁護士自治を守る」

その言やよし。

(2018年2月9日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2018. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.