澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「議会開設130年記念式典」 ー この奸悪なるアナクロニズム

(2020年11月30日・連続更新2800日)
昨日(11月29日・日曜日)国会では、「議会開設130年記念式典」なる催しがあった。不明にして、こんな行事の予定があったことは知らなかったが、参列者全員マスクを着けてのやや滑稽な儀式。コロナ禍のさなかに不要不急な行事の典型でもある。税金の無駄使いというだけではない、そんな暇があったら臨時国会の会期末が近い貴重なこの一日、集中審議に使ったら国民のためにさぞかし有益であったろうに。

マスクの天皇(徳仁)は、式辞で新型コロナウイルスの感染拡大で世界各国が困難な状況に直面しているとした上で、「国会が国権の最高機関として、国の繁栄と世界の平和のために果たすべき責務はますます重要になってきていると思います」と、述べたそうだ。おやおや、天皇の言としては少し危うい。「国会の…果たすべき責務は、ますます重要になってきている」などという上から目線調、天皇が主権者に向かっていう言葉だろうか。

130年前、1890年11月29日に明治天皇(睦仁)が、第1回の貴族院開院式で「朕 貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク」と、正真正銘の上から目線で勅語を発し、これに対して貴衆両院は、臣下として「奉答文」を奉ったという。11月29日は、国民主権の国会開設の日ではなく、天皇協賛の帝国議会が始まった記念日なのだ。そんな日を記念して、議会開設記念式典は1990年から10年ごとに実施されているという。バカバカしさに呆れるしかない。

各党各会派の代表者らが出席する中、共産党だけは「戦前の帝国議会と戦後の国会の歴史を厳格に区別していない」との理由で欠席した(共同)という。これは救いだが、どうして欠席は共産党だけなのだろうか。他の議員は、みんな喜々としてこんな式典に出席しているのだろうか。議員諸君の知性のレベルと、社会的同調圧力の底の深さを見る思いである。

あらためて、この式典の狙いを考えざるを得ない。「明治100年」も「150年」も、「元号」も、「日の丸・君が代」も、そしてなにより天皇制の存続自体が、敗戦と新憲法の制定で、日本社会の構造が根本的な転換を遂げたことを覆い隠そうというものなのだ。戦前の天皇制国家との断絶を明確に意識するところから、国民主権も、民主主義も、人権も、恒久平和も出発する。戦前も戦後も、帝国議会も国会も、連綿と続いているというイデオロギーを峻拒しなければならない。

なお、この日の式典では新型コロナ感染の危険に配慮して、国歌(「君が代」)は斉唱せずに演奏のみが行われたという。別に、唱わなかったからといって、何の不都合もなかったはず。次には演奏を止めてみてはいかがか。そして、全国の学校でも、これに倣ってまずは斉唱を止めてみるべきであろう。

《教科書採択》《原発と人権》特集の「法と民主主義」11月号購読のお願い

(2020年11月29日)
11月26日、日本民主法律家協会の機関誌「法と民主主義」2020年11月号【通算553号】が予定どおりに発刊となった。

今号は、特集Ⅰ「2020年夏 教科書採択をめぐるたたかいの成果と教訓」と、特集Ⅱ「第5回 『原発と人権』全国研究・市民交流集会ーー福島原発事故から10年─これまでとこれから」の二本建て。「法民」ならではの内容で充実していると思う。

目次は以下のとおり。

特集 Ⅰ 2020年夏 教科書採択をめぐるたたかいの成果と教訓
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆欺瞞と瑕疵事項だらけの教科書制度
──教育者・市民と法律家との連携による是正活動への期待 … 髙嶋伸欣
◆「つくる会」系教科書の激減と今後の課題 … 鈴木敏夫
◆これが、問題教科書の内容だ … 石山久男
◆教科書づくりの現場からの報告 … 吉田典裕
◆教科書づくりの夢を語る … 関  誠
◆この夏、全国の運動はこうだった。
── 自由法曹団の取り組みについて … 穂積匡史

特集 Ⅱ 第5回 「原発と人権」全国研究・市民交流集会 in ふくしま オンラインプレシンポジウム  福島原発事故から10年─これまでとこれから

◆特集にあたって … 「第5回 『原発と人権』全国研究・市民交流集会 in ふくしま」実行委員長・礒野弥生
◆講演:技術の存否や倫理的側面の議論を
── 核燃料サイクルと核エネルギーのあり方を考える … 池内 了
◆報告:10 年目の被災地の今 … 伊東達也
◆報告:飯舘などリスクの高い復興を問う
── 復興核災害の危険性 … 糸長浩司
◆訴訟報告:被害者訴訟の司法戦略について
── 裁判の到達点と今後 … 南雲芳夫
◆訴訟報告:いわき避難者訴訟・第一陣
仙台高裁判決の意義と、上告審における東電主張の問題点 … 米倉 勉
◆各地からの報告 … 東島浩幸/谷崎嘉治/今大地晴美/佐藤嘉幸
◆集会のまとめと閉会の挨拶 … 松野信夫

◆司法をめぐる動き〈61〉
・安保法制違憲訴訟の意義と課題
── 前橋地裁判決を受けて … 大塚武一
・10月の動き… 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2020 《菅内閣のメディア政策》
自著も改変、批判に「怒り」 「世論」狙って、あの手この手 … 丸山重威
◆改憲動向レポート〈No.28〉
日本学術会議問題の陰でも進む「壊憲」 … 飯島滋明
◆書籍紹介
◆時評 「デジタル化」と向き合う日本の民事司法 … 今村与一
◆ひろば 継承されるミーナーの精神 … 清末愛砂

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特集Ⅰのリードだけをご紹介しておきたい。編集担当者として、私が書いたもの。

本号の第一特集は、《2020年夏 教科書採択をめぐるたたかいの成果と教訓》である。教科書採択をめぐる運動に成果あったことを確認して、その成果を生み出した運動の教訓を汲み取ろうというもの。
教育をめぐる時代の状況が決して楽観できるものでないことは、共通の認識と言えよう。そのような中でも、各地の地道な運動が、貴重な「たたかいの成果」を生み出し得ることは、それ自体が学ぶべき教訓である。
学校教育において、教科書は重要な存在である。とりわけ、義務教育の授業で使われる「歴史」や「公民」の教科書の記述の在り方は、次代の国民の主権者意識に大きな影響を及ぼす。そのため、どのような教科書を作るか、どのような教科書を採択するかについて、自ずから熾烈なせめぎ合いとなる。その結果は民主主義の成熟度を示す象徴的なバロメータともなる。
近年、このバロメータの指し示すところが思わしくなかった。この国の政治の現状と符合して、歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書の採択が無視し得ないシェアを獲得してきたからである。
今年・2020年は、4年に一度の中学校教科書採択の年、熱い夏の攻防の焦点は、「歴史」と「公民」の教科書だったが、「つくる会」系の、育鵬社・自由社の教科書採択は両者ともに激減した。企業としての採算点を大きく割り込んでいることが報告されている。もちろん、自然にそうなったのではない。各地で積み重ねられた、教科書採択をめぐる運動の成果である。
6件の論稿は、全体として、原理的な教科書検定や採択の制度や運用の問題点を指摘しつつも、今夏の運動が獲得した成果と意義とを正確に把握し、これを勝ち取った全国の運動を素描するものとなっている。

「欺瞞と瑕疵事項だらけの教科書制度」(高嶋伸欣・琉球大学名誉教授)は、本質的に戦前と変わりのない教科書検定制度とその運用の実態の問題点を指摘して、その打開のために法律家への連携を呼びかけるものとなっている。
「『作る会』系教科書の激減と今後の課題」(鈴木敏夫・教科書ネット21事務局長)は、一覧表にして教科書採択シェアの激変を解説している。実践に携わった立場からの現場の運動の報告として貴重なものである。
「これが、問題教科書の内容だ」(石山久男・教科書ネット21代表委員)は、問題教科書の、歴史修正主義・侵略戦争と植民地支配の美化・改憲への誘導の具体的記述についての明快な指摘である。その上で、具体的な改善の道筋を提言して示唆に富む。
「教科書づくりの現場からの報告」(吉田典裕・出版労連教科書対策部事務局長)は、教科書を作る側からの貴重なレポートである。教科書を使う側の視点しかない者には、気が付かない「現実」を教えてくれる。教科書に自由を取り戻すための提言も興味深い。
「教科書づくりの夢を語る」(関誠・公立中学校社会科教師)は、現役の歴史教員が、「子どもと学ぶ」教育実践の中から、「学び舎」の歴史教科書を作った報告である。筆者の「教科書は誰のものか」という問いかけは重い。
「この夏、全国の運動はこうだった。ー 自由法曹団の取り組みについて」(穂積匡史・弁護士)は、法律家の運動のありかたについての典型を示している。成果著しかった神奈川と大阪の具体例が報告されているが、学ぶべきところが大きい。

全体として、成果ばかりが強調されてはいない。運動あればこそ、多くの課題も見えてきている。まずは、その両面を共通の認識としたい。
(編集委員 澤藤統一郎)
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「法と民主主義」紹介のホームページは下記のとおり。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

お申し込みは、下記のURLから。
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安倍晋三は、自らのフェイク投稿を削除せよ。

(2020年11月28日)
安倍晋三の「桜疑惑」再燃は、11月23日読売朝刊のスクープ以来のこと。それまで、9月に体調不良で退任したはずの安倍晋三が、あちこちではしゃいだ不快発言を繰り返していた。その一つが、慰安婦問題判決にコメントした11月20日フェイスブック投稿。安倍晋三のなんたるかをよく物語っている。

本日(11月28日)10時0分配信の共同通信配信記事のリードを引用する。標題は、「安倍前首相がSNS投稿で”事実誤認” 慰安婦報道の最高裁判決で削除要求」というもの。”事実誤認”と、ダブルクォーテーションが付けられている。

 「従軍慰安婦報道に関する名誉毀損訴訟を巡り、安倍晋三前首相が会員制交流サイト(SNS)に事実と異なる投稿をしたとして、削除要求の内容証明を送りつけられる騒動が起きている。訴訟は、従軍慰安婦に関する記事を「捏造(ねつぞう)」と決めつけられたとして、朝日新聞元記者の植村隆氏(62)がジャーナリストの桜井よしこ氏(75)らに損害賠償を求め、札幌地裁に2015年に提訴。一、二審は請求を棄却し、最高裁が今月18日に上告を退けて原告敗訴が確定した。」

安倍晋三は、自身のフェイスブックに、植村隆対櫻井よしこ訴訟の最高裁判決を報じた産経新聞の記事を添えて、「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」と投稿したのだ。「セカンドレイプ」という言葉を思い出させる。植村隆と朝日に対する櫻井よしこの悪罵を繰り返して、再び「捏造」と言ってのけたのだ。問題は小さくない。

真正の歴史修正主義者たる安倍晋三という人物、従軍慰安婦に関する記事は「捏造」であると言いたくて仕方がないのだ。こういう発言をすることで、自分の政治的支持者が喜び、自分の政治基盤が固まると計算もしているのだろう。

しかし、「最高裁判決によって、植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定した」という安倍晋三の投稿は、明らかなフェイクである。「ウソとごまかし」をもっぱらとしてきた彼らしい一文。ファクトチェックで正されなければならない。

民事訴訟の構造から言えば、「植村に対して、『捏造』という悪罵を投げつけた櫻井よしこの名誉毀損論稿」が、法的に損害賠償請求を根拠付けるには至らなかったという判決が確定したというにとどまり、裁判所が「1991年に植村が書いた記事が、『捏造』に当たる」と認定したものではない。

この点を共同配信記事は、「確定判決は植村氏に対する名誉毀損を認めた上で『植村氏が事実と異なる記事を執筆したと(桜井氏が)信じたのには相当な理由がある』とした内容。植村氏も『法廷では桜井氏自身が事実誤認を認め、捏造でなかったことも裁判で明らかになった』と話している。」としている。

櫻井よしこの論稿を不法行為として損害賠償を認定するためには、
(1) 当該論稿が植村の名誉を毀損し、
(2) しかも、当該論稿の摘示事実が真実性を欠く、だけでは足りない。

(3) 櫻井よしこが、自分の間違った事実摘示を真実と信じるについて相当な理由があった場合は不法行為の成立要件である違法性が阻却される。

この裁判では、(1)と(2)は明確に認められ、(3)の論点で争われた。結果的に、植村敗訴となったことは残念だが、ジャーナリスト櫻井よしこにとっては、真実性のレベルでは勝てなかったのだから、薄氷を踏む厳しい判決内容でもあった。11月26日付植村弁護団の声明をよくお読みいただきたい。

2014年に週刊文春が火付け役になった植村・朝日バッシングが、私には衝撃の体験だった。とりわけ、文春や、産経や、西岡力や、櫻井よしこらの煽動に踊らされた、いわゆるネトウヨ族の跳梁には、背筋に寒いものを感じざるを得なかった。時代はここまで退行しているのか、日本の社会はここまで劣化しているのか、という絶望にも似た恐怖感である。

とりわけ、「植村氏の娘の実名や高校名、顔写真などがネット上にさらされ「(娘を)必ず殺す」と書かれた脅迫状が届き、警察が身辺警護に動いた時期もあった。植村氏は、家族や勤務先の大学を巻き込んだバッシングを止めるため、桜井氏らを札幌地裁に、同様の主張をしていた西岡力・東京基督教大教授(当時)と文芸春秋を東京地裁に、それぞれ提訴した。」のは緊急避難的意味合いが強かった。「植村氏が非常勤講師を務める札幌の大学には、爆破予告などの脅迫状が相次いで届いた」という事情もあった。

当時から、このような時代の空気を作った張本人として、安倍晋三の名が上がっていた。しかし、さすがに首相が個別事件に口を出すことはなかった。今、首相の座を離れた安倍晋三が、自ら当時の推測を証明しているのだ。

その安倍晋三フェイスブックのフェイク投稿、削除要求の期限は、12月3日となろう。注目したい。

なお、判決内容の評価については、リテラ「捏造したのは櫻井よしこのほうなのに…『慰安婦報道を捏造』と攻撃された元朝日記者・植村隆の名誉毀損裁判で不当判決」との表題で詳しく報じている。
https://lite-ra.com/2018/11/post-4354_4.html

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最高裁判決を踏まえての植村訴訟札幌弁護団声明

 植村隆氏が櫻井よし子氏らを相手取った名誉毀損訴訟で、最高裁判所第2小法廷は去る11月18日付で上告棄却・上告不受理決定を出しました。
これによって、櫻井氏が植村氏の記事を「捏造」と書いたことが名誉棄損に当たることを認めつつも、「捏造」記事と信じたことに相当の理由があるとして櫻井氏を免責した札幌地裁判決(2018年11月9日付)が確定しました。
この札幌地裁判決は、「従軍慰安婦とは、太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称のひとつ」などと、河野談話をはじめとする政府見解にも反する特異な歴史観をあからさまに示した上で、櫻井氏による名誉毀損行為を安易に免責した不当判決にほかなりません。札幌高裁判決もこれを追認しました。
最高裁がこれまで幾多の判断で営々と積み上げてきた名誉毀損の免責法理を正当に適用せずに、植村氏への直接取材もしないなど確実な資料・根拠もなく「捏造」と決めつけた櫻井氏を免責する不当判決を追認してしまったことに、強い憤りを覚えるものです。
とはいえ、札幌訴訟の一連の司法判断は、「捏造」と決めつけた櫻井氏の表現行為に真実性を認めたものではなく、むしろ、札幌地裁判決でも「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」という櫻井氏の表現が真実であると認めることは困難である旨を認定しています。
また、櫻井氏自身も、元慰安婦の1人が日本政府を相手取った訴状には「14歳の時、継父によって40円で売られたと書かれている」と真実に反することを述べていたことを被告本人尋問で認め、産経新聞とWillに訂正記事を出さざるを得なくなりました。
何よりも、植村氏が敢然と訴訟に立ち上がったことによって、櫻井氏による一連の「捏造」表現を契機とした植村氏への激しいバッシング、同氏やその家族あるいは勤務先だった北星学園大学に対する脅迫行為を止めることができました。
私たちは、こうした成果を確信するとともに、植村氏の訴訟をこれまで支援してくださった皆さまに対し、心からの感謝を申し上げます。
そして、植村氏の東京訴訟の勝利のために引き続き連帯を強めることを決意するとともに、二度とこのような人権侵害が繰り返されることのないよう、取り組みを続けていく所存です。

   2020年11月26日
植村訴訟札幌弁護団

安倍晋三擁護の妄言に反駁する。

(2020年11月27日)

「桜を見る会・前夜祭」問題では、再度世論が沸騰している。さすがに、誰もが「安倍晋三は汚い」「国民と国会を愚弄した虚偽答弁書の責任は重い」と考えざるを得ない。しかし、こういうときにも、必ず権力批判に水を差し、汚い政治家にヨイショ(迎合)する輩が出て来る。このヨイショは、潔癖さを欠いた同類人物の「嘘つき擁護」であり、また、お仲間の麗しい「共助」の精神の発揚でもある。たとえば、一昨日(11月25日)の「ムネオ日記」。維新の会の参院議員鈴木宗男がブログで、拙い安倍晋三擁護論を試みている。その抜粋を紹介して、批判しておききたい。

「安倍前総理の後援会が「桜を見る会」で上京した際、ホテルでの会食費を巡り、メディアが大きく扱っている。」

 鈴木宗男ブログのこの冒頭の一文、原文のママである。主語と述語、修飾語と被修飾語との関係が不明瞭で、文意必ずしも明確ではないが、無理にも文章を整えれば、「安倍前総理の後援会員が『桜を見る会』のために上京した際に行われる、安倍晋三後援会主催のホテルでの会食の費用を巡る問題を、メディアが大きく扱っている。」というところだろうか。

問題の舞台は「桜を見る会」ではなく「前夜祭」であるが、「前夜祭」という言葉が出て来ない。筆者(鈴木)の頭の中で、内閣総理大臣主催の公的行事である「桜を見る会」と、政治家安倍晋三後援会主催の「桜を見る会前夜祭」の区別がしっかりできていないからか、あるいは単に「会食」と表現することによって、メディアはいかにも些細なことで騒いでいると言いたいのか。

メディアが大きく扱っていることを、「上京した際のホテルでの会食費」と表現することはまことに不正確で不適切。会の正式名称は、「桜を見る会前夜祭」である。政治家安倍晋三の後援会が主催する山口4区選挙民およそ800人を招待したホテルニューオオタニ東京での宴会。この飲み食いに、会費5000円以上の資金が政治家安倍晋三側から注ぎ込まれていたというのだ。検察のリークであろうとなかろうと、マスコミ各社が自分の足で調べて確認したことを報道しており、「安倍事務所周辺」も認めている事実。首相(当時)の犯罪疑惑なのだ。些細な問題ではない。

 「…野党に言いたい。捜査中の案件なのに、安倍前総理に参考人招致を要求するとはなんたる事か。民主主義を否定する行為である。」

 これは驚いた。こんなに居丈高に野党を非難し、安倍を擁護する必要もあるまいに。この人の頭の中にある「民主主義」とは、いったい何なのだろうか。最高権力者の刑事訴追を防御する道具として持ち出されては「民主主義」も随分と迷惑なことだろう。

捜査中の案件だから国会に呼び出してはならないという理屈は通らない。捜査は刑事司法の作用であり、国会への招致は刑事司法とは無関係な国権の最高機関である国会の活動の一端である。両者は、要件も効果も趣旨も異なる。それぞれ独立に進行するもので、一方の手続が開始されれば、他方の手続が停止すべき根拠はない。ことは、国会における虚偽答弁疑惑の解明である。国会の権威も、自浄能力も問われている局面である。国会招致を躊躇するようなことがあれば、悪しき前例として今後に禍根を残すことになろう。

何よりも、捜査されていることを錦の御旗にする安倍晋三擁護派の疑惑隠しは、見苦しい。「安倍前総理に参考人招致を要求するとはなんたる事か」とは、それこそなんたる言い草か。

 「安倍前総理は逃げ隠れしない。『捜査には全面的に協力する』と言い、『捜査中だから今は話せない』と正直に、公(おおやけ)に話している。これで十分ではないか。」

「安倍前総理は逃げ隠れしない。」のであれば、堂々と国会で真実を吐露すればよい。国会の招致には応じない、国会ではしゃべらない、としている態度を「逃げ隠れ」しているというのだ。鈴木ツィートは、安倍晋三に「逃げ隠れ」を勧奨しているにほかならない。

『捜査中だから今は話せない』を逃げ口上という。真実は、ひとつではないか。身の潔白の弁明にせよ、深刻な自白にせよ、「今は話せない」ことが、後でなら話せることにはならない。求められたときに話さなければならない。また、安倍晋三と言えば、「丁寧にご説明します」と言って、説明をネグレクトしてきたことで名高い。「今は話せない」「後で話す」を真実とは受けとめてもらえない。自業自得というものだ。

「安倍前総理の秘書が『調べた結果、事務所からの持ち出しはありません』と報告、説明されたら、当時の安倍前総理はその報告をもとに国会答弁して当然ではないか。
 秘書の記憶違い、あるいは調査不足で、安倍前総理の答弁を全否定するよう話は公平・公正ではない。」

これは、はしなくも保守政治家の思考パターンを露呈した貴重な発言記録である。永久保存に値する。秘書の言い分を口移しに国会答弁することを、「当然ではないか」とする開き直り。「私の所為ではない、秘書が…」パターンの正当化である。国会を軽んじるにもほどがある。主権者国民を愚弄しているのだ。こんな政治家をしっかりと監視し、叱りつけなければならない。

本件は、「秘書の記憶違い、あるいは調査不足」などと言う生易しい案件ではない。しかし、仮に「秘書の記憶違い、あるいは調査不足」であったとしても、政治家たる者は、秘書の間違いの責任を取らねばならない。秘書は政治家の分身である。政治家は、秘書の間違いがないように、注意し監督する責任を負う。これを、秘書に責任を押し付けて、自らの保身をはかることは許されないのだ。国会議員とは、そのような重責を担う存在であることを自覚してもらわねばならない。

これだけの疑惑があり、これだけの虚偽答弁を重ねてきた安倍晋三である。国会は、その権威に掛けて、安倍晋三を国会に招致し、疑惑の真否を問い質さねばならない。これまで厖大な嘘を重ねてまた実績に鑑みて、参考人としての招致では生温い。安倍晋三を証人として喚問すべきが当然ではないか。

もちろん安倍晋三にも、憲法上の自己負罪免責特権が保障される。証人として国会に呼び出された場合には、黙秘権を行使しうることは当然である。では、どうせ黙秘権を行使するだろうから証人喚問は無駄、ではない。それは、どうせ尋問しても被疑者は黙秘権を行使するだろうから逮捕も尋問も無意味、という立論と同列である。

安倍晋三が、どのような質問に対してどのように回答し、あるいはどのような質問にどのように黙秘するのか、有権者国民が、自分の目でしっかりと見極める機会を得ることは極めて有益なのだ。鈴木宗男さんよ、そうは思わないか。

なお、当該のブログは下記URLでアクセスできる。

https://ameblo.jp/muneo-suzuki/entry-12640197749.html

 

安倍晋三の虚偽答弁は主権者国民に対する背信行為であって、政治家失格である。

(2020年11月26日)
民主主義とは、国民自身が統治の主体であるという思想であり制度である。思想として語ることは易いが、現実の制度を設計し運用することは決してたやすいことではない。常に、国民一人ひとりに、主権者としての自覚が求められることになる。

制度としては、間接民主制の手続を採用して、選挙を媒介に執行機関を作らざるを得ない。主権者国民と、国民から選ばれ国民から委託された行政権とが対峙して、あたかも行政権の長が国民に対する支配権を持つような倒錯の関係が生じる。

しかし、間違ってはならない。飽くまでも主権者は国民である。行政権の長といえども、主権者国民に奉仕すべき公僕に過ぎない。行政府の長は、国民の利益のために、国民に対する説明責任を果たしつつ、その職責を全うしなければならない。

主権者は当然に公僕の判断や活動について報告を求め、その内容を詳細に知る権利があり、公僕は主権者にその活動の全てを報告し説明する義務がある。公文書の作成・保管・開示や、国会での誠実な答弁がその主要な手段である。

ところが、この度明らかになった「桜を見る会・前夜祭」の会計処理。国会における首相(当時)答弁が明らかな虚偽であることが判明した。民主主義の観点からは、大きな問題点が2点ある。ひとつは、首相が選挙民を飲み食いに誘う形での集票行為をしていたこと。そして、国会での野党からの追及に虚偽答弁を重ねて、主権者を欺し続けていたことである。

折も折、衆院調査局の調べで、安倍晋三の虚偽答弁ぶりが明らかになった。「17年2月15日から18年7月22日までに、衆参の国会質疑で安倍政権が行った答弁のうち、事実と異なる答弁が計139回あった」という。

民主主義社会の主権者である国民は、この息を吐くように平然と嘘をつき続けてきた公僕を徹底的に叱りつけなければならない。平然たる首相の嘘によって、主権の行使に歪みが生じたことに、また虚偽答弁それ自体によって主権者の矜持を傷つけられたことに怒らねばならない。そして、こういう嘘つき公僕を、さっさと取り替えなければならない。

本日の毎日新聞、万能川柳欄の秀逸句がピッタリである。

 選挙区の民度と合った当選者 (東京 恋し川)

安倍晋三という嘘つきを、このまま政治家として永らえさせておくことは、山口4区(下関市、長門市)の「民度」を貶める恥ではないか。また、こんな人物を長期間首相にして、たぶらかされていた日本人の恥とも考えねばならない。

有権者国民が安倍晋三のやり口に怒らず、安倍晋三を叱らず、安倍晋三的な政治を許していれば、いつまでもその「民度」と合った政治しかもつことができないことになる。我等主権者、大いに怒らねばならない。

安倍晋三による国政私物化の本命は「桜を見る会」であって、「前夜祭」ではない。

(2020年11月25日)
安倍晋三とは、右翼陣営の期待を担って改憲に執念を燃やしながら挫折した政治家である。また、長い任期の中で何のレガシーも残すことのできなかった愚昧な首相としても記憶されることになる。のみならず、近い将来の歴史教科書には、「国政を私物化した未熟な日本のリーダー」として名を残すことにもなろう。

「国政を私物化した」典型事例のひとつが「桜を見る会」である。昨日(11月24日)以来話題急浮上の「桜を見る会前夜祭」ではなく、白昼堂々と新宿御苑で行われた、政府主催の「桜を見る会」。本来、招待される資格のない、安倍晋三の地元である山口4区の有権者を呼んで、飲み食いさせたのだ。公私混同、これに過ぐるものはない。

野党議員から問題視され、招待者の名簿の提出を求められるや、その1時間後に名簿の全部をシュレッダーにかけて廃棄し、「不存在で提出できない」と開き直った。この汚いやり口が強く印象に残る。これが、私たちの国のトップが実際にやったことなのだ。こんな人物を、私たちの国の国民は、7年余も首相の座に就け続けていたのだ。なんと情けない民主主義ではないか。

「桜を見る会」とは何であるか、去る5月21日、弁護士662名が提出した安倍晋三らに対する告発状から引用する。

 「桜を見る会」とは、戦前の「観桜会」を前身とし、1952年、吉田茂が内閣総理大臣主催の会として始めた会とされており、「皇族、元皇族、各国大使等、衆参両議院議長及び副議長、最高裁判所長官、国務大臣、副大臣及び大臣政務官、国会議員(中略)、その他各界の代表者等」、「各界において功労・功績のあった者」が招待範囲とされ、毎年4月、新宿御苑を会場として行われてきた。
 ところが、被告発人安倍が2012年12月第二次安倍内閣を組閣して「桜を見る会」が安倍首相主催になった途端、それまでは1万人前後であった出席者数が2013年には約1万5000人に跳ね上がり、2018年には1万7500人に、2019年には1万8200人にまで膨れ上がった。予算額が1766万6000円であるのに対し、支出額は、2018年は5229万円、2019年は5518万7000円と、異常な予算超過ぶりを示している。このように出席者数も支出額も激増させながら、被告発人安倍主催の「桜を見る会」は7年連続で行われてきたのである。
 しかも最も問題になったのは、「桜を見る会」の出席者の中に、被告発人安倍の後援会員が800名から850名も含まれていたことである。これは、毎年、「安倍事務所」が、都内観光や「前夜祭」という「安倍晋三後援会」の行事とセットにして、国の行事である「桜を見る会」への参加を後援会員に無差別に呼びかけ、応募してきた後援会員やその家族、知人らがほぼ全員「桜を見る会」に招待されるというシステムによるものである。何ら「各界の代表者」でも「功労・功績のあった者」でもない後援会員らが、国費によって皇族や「各界の代表者」らと共に、無償で酒食の提供を受け、被告発人安倍や有名芸能人らと共に写真撮影の機会も与えられるなどの特権的な扱いを受けてきたのであり、公的行事や国家予算の私物化であるとの国民の厳しい批判を受けたのは当然であった。
 そればかりか、被告発人安倍は、「桜を見る会」の招待者名簿はシュレッダーにかけて廃棄した、データも残っていないなどと強弁して一切の検証作業を拒む姿勢を取り続けており、国民の憤りは沸騰している。

 レコードにA面とB面とがあるように、また、プランAがだめなときに予備的なプランBの出番がまわってくるように、国政私物化のメインの問題は飽くまで、「桜を見る会」であって、「前夜祭」はサブの問題なのだ。この点を、告発状は、こう述べている。

 私たち法律家は、被告発人安倍の「桜を見る会」私物化についても強い批判を持ち、その違法性の追及を検討している。すでに本年1月、「桜を見る会」6年分の予算超過額が財産的損害であるとする背任罪による告発がなされているが、背任罪以外にも公職選挙法違反等が疑われるところ、上述した招待者名簿の破棄・隠蔽などにより、現時点では分析、検討のための確たる資料を入手するに至っていない。

 今、B面としての「前夜祭」問題で安倍晋三の嘘が明らかになりつつある。この機会に、A面としての「桜を見る会」問題についても、きちんと安倍晋三の嘘を究明しなければならない。そのことが明確となって相応の責任を取ったとき、安倍晋三は、日本の民主主義のために、なにがしかの貢献をすることになるだろう。

2020年5月21日、662名の弁護士と法学者が提出した告発状は、かなり長文のものとなっている。その冒頭部分を、以下のとおり転載する。なお、その後、同趣旨の告発状の提出は進み、近々1000名に達すると報告されている。

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告  発  状

2020年5月21日

東京地方検察庁 御中

被告発人
住所 山口県下関市…(略)
(東京都千代田区永田町2丁目3番1号 首相官邸)
氏名 安倍晋三
職業 衆議院議員・内閣総理大臣
生年月日 1954(昭和29)年11月12日

被告発人
住所 山口県下関市東大和町1丁目8番16号 安倍晋三後援会事務所
氏名 配川博之
職業 安倍晋三後援会代表者

被告発人
住所 山口県下関市東大和町1丁目8番16号 安倍晋三後援会事務所
氏名 阿立豊彦
職業 安倍晋三後援会会計責任者

第1 告発の趣旨
1 被告発人安倍晋三、被告発人配川博之及び被告発人阿立豊彦の後記第2-1の所為は、刑法60条、政治資金規正法第25条1項2号、同法12条1項1号ホ及び同2号に該当する。
2 被告発人安倍晋三及び被告発人配川博之の後記第2-2の所為は、刑法60条、公職選挙法249条の5第1項及び同法199条の5第1項に該当する。
よって、上記の被告発人らにつき、厳重な処罰を求め、告発する。

第2 告発の事実
被告発人安倍晋三(以下、「被告発人安倍」という)は、2017(平成29)年10月22日施行の第48回衆議院議員選挙に際して山口県第4区から立候補し当選した衆議院議員、被告発人配川博之(以下、「被告発人配川」という)は、安倍晋三後援会(以下、「後援会」という)の代表者、被告発人阿立豊彦(以下、「被告発人阿立」という)は、後援会の会計責任者であった者であるが、
1 被告発人安倍、被告発人配川及び被告発人阿立は、共謀の上、政治資金規正法第12条1項により、山口県選挙管理委員会を経由して総務大臣に提出すべき後援会の収支報告書につき、2019(令和元)年5月下旬頃、山口県下関市東大和町1丁目8番16号所在の安倍晋三後援会事務所において、真実は、2018(平成30)年4月20日、ホテルニューオータニ東京において開催された宴会である「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」(以下、「前夜祭」又は「本件宴会」という)の参加費として、参加者1人あたり5000円の参加費に参加者数約800名を乗じた推計約400万円の収入があり、かつ、上記前夜祭の前後に、ホテルニューオータニ東京に対し、少なくとも上記推計約400万円の本件宴会代金を支出したにもかかわらず、後援会の2018(平成30)年分の収支報告書に、上記前夜祭に関する収入及び支出を記載せず、これを2019(令和元)年5月27日、山口県選挙管理委員会に提出し、
2 被告発人安倍及び被告発人配川は、共謀の上、法定の除外事由がないのに、2018(平成30)年4月20日、ホテルニューオータニ東京において開催された前夜祭において、後援会を介し、被告発人安倍の選挙区内にある後援会員約800名に対し、飲食費の1人あたり単価が少なくとも1万1000円程度であるところ、1人あたり5000円の参加費のみを徴収し、もって1人あたり少なくとも6000円相当の酒食を無償で提供して寄附をし
たものである。

安倍晋三得意の「尻尾切りの遁走」を許してはならない。

(2020年11月24日)
季節外れの「桜」の話題が盛り上がっている。話題の火を付けたのが、昨日(11月23日)付け読売のスクープ記事。これにNHKが続いた。しっかりと、安倍側有罪の証拠の存在を報じている。

問題は、当時首相だった安倍晋三が主催する「桜を見る会・前夜祭」。ホテルニューオータニ東京の豪華な会食は、どう見ても一人あたり最低1万1000円はするという。それを、前夜祭出席者は、5000円ポッキリの会費で堪能していた。安倍の側から、資金が注ぎ込まれているに違いないというのが疑惑。金を出していれば、公職選挙法違反にも、政治資金規正法違反にもなる。

 細かい法律の条文を知っているかどうかなどという些細な問題ではない。これは選挙民の政治家へのタカリの構造なのだ。山口4区の安倍晋三後援者は、恥を知らねばならない。そして、同時に政治家が未熟な選挙民を買収・供応する構造でもある。飲ませ喰わせして票を集めた汚い政治家が、汚い政治で金を集め、その金でまた汚い票を集める、その悪循環の縮図が「桜を見る会」「前夜祭」に浮かび上がっている。

この前夜祭という宴会の主催者の側から、飲食費に金を出していたのだろうという疑惑に対して、これまで安倍は全否定して、なんと言っていたか。

「夕食会に関しても、参加者が実費を払って、支払っており、安倍晋三後援会としての収入、支出は一切ありません」

「夕食会の費用については、ホテル側との合意に基づき、夕食会場入口の受付において安倍事務所の職員が一人5千円を集金し、ホテル名義の領収書をその場で手交し、受付終了後に集金した全ての現金をその場でホテル側に渡すという形で参加者からホテル側への支払がなされたものと承知しております。」

「夕食会に関して安倍晋三後援会としての収入、支出は一切ないことから、政治資金収支報告書への記載は必要ないものと認識しております」

つまり、会の参加者一人ひとりが、ホテルに費用を支払ったもので、安倍も事務所も関与していない、と言ったのだ。これを、「我が国の総理大臣がそう言うのだから、そのとおりだろう」と信用した人柄のよい方も少数はいたようだが、国民の大部分は安倍晋三を嘘つきだと判断した。おそらく、安倍晋三後援会員もそうだろう。

NHKは、安倍の嘘の証拠となる領収書の存在を報じた。その宛先について、「複数の関係者への取材で、ホテル側の領収書の宛名がいずれの年も、安倍前総理大臣自身が代表を務める資金管理団体「晋和会」になっていたことが新たに分かりました」と具体的に指摘した。これは安倍にとっての嘘つきの証明書。政治家としての致命傷と言ってもよい。

読売もNHKも、安倍晋三のオトモダチではないか。しかるべき誰かが、何らかの思惑あって、この2者を選んでリークしたものと見るべきではあろう。だから、単純に、「特捜よくやった。がんばれ」とまでは言いにくい。

それでも、前首相の陣営に対する捜査の衝撃は大きい。「#安倍晋三の逮捕を求めます」が、Twitterでトレンド入りしているという。特捜には、徹底した捜査を期待したい。それが、政権の番犬とまで言われる事態に追い込まれて失墜した検察の権威を回復する唯一の方途であろう。

「モリ・カケ・桜」は、安倍前政権による《政治の私物化》を象徴する三大事件である。安倍晋三という個性の問題性もさることながら、安倍晋三の「悪事」を抑制できないこの時代状況の深刻さを噛みしめなければならない。この社会、この国の民主主義が正常に機能していないのだ。巨悪が枕を高くしてきた、7年8か月。

「モリ・カケ・桜」とも、真相の徹底究明はなされず、生煮えのまま安倍晋三の政権は幕を下ろした。しかし、事件が終熄したわけでも解決したわけでもない。安倍やその後継の立場は、権力の旧悪を隠蔽したままにしておこうという魂胆。これに対して、徹底して旧悪を暴いて究明しようという法的正義追及派との対峙が続いている。その決着は、国民世論の動向次第である。

本日(11月24日)昼過ぎに、安倍晋三は、記者団の取材に応じてこう語ったという。

「告発を受けて捜査が行われていると承知している。事務所としては全面的に協力していく。それ以上のことについては、まだ今の段階でお答えすることは控えたい」

翻訳すれば、こんなところだろうか。
「告発があったから、検察庁も立場上捜査を行わなければならないということでしょう。まさか、本気で捜査しているとは思っていないはず。最悪の場合でも、安倍事務所の問題で私自身の問題ではない。安倍事務所の秘書たちが責任追及されても、私が刑事訴追される筋合いではない」

さらに、夕刻にははっきりとその筋書きが見えてきた。例の「秘書がー」という、政治家の常套手段である。安倍晋三、またまた、何本かの尻尾を切ろうというのだ。

安倍晋三前首相(66)の後援会が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏周辺は24日、ホテルに支払った費用総額の一部を同氏側が補塡(ほてん)していたことを明らかにした。安倍氏は首相在任中に国会などで、「後援会としての収入、支出は一切ない」などと事実と異なる答弁をしていた。

 「周辺によると、安倍氏は前夜祭の問題が発覚した昨年後半、経緯について事務所の秘書に「会費の(参加者1人当たり)5000円以外、(安倍)事務所が支出していないよね」と電話で確認。秘書は会費以外の支出はないと答えた。秘書は前夜祭の総額の一部を安倍氏側で補塡している事実を把握していたが、政治資金収支報告書に記していなかったため、帳尻を合わせるため、そう答えたという。
 この秘書は、安倍氏に23日、自身の報告が誤りだったと伝えたという。」(毎日)

逃げ切れないとなって、安倍は秘書への責任押しつけをはかったのだ。今や、問題は、安倍得意の尻尾切りの術での遁走を許すか否かである。「#安倍晋三の逮捕を求めます」がトレンド入りするのもむべなるかなの事態なのだ。

誰が言ったか、「嘘つきはアベの始まり」とは至言である。嘘つきの政治家に甘い主権者は、主権者として失格である。今回も、アベノウソは厳しく糾弾されなければならない。しかし、々が告発し、特捜が捜査をしているのは、安倍晋三の国会内外での嘘という政治的・道義的責任ではない。あくまでも、刑事責任なのだ。7年間・7回も続いた安倍晋三後援会の恒例目玉行事の「前夜祭」である。その会計のありかたを、安倍晋三自身がまったく知らなかったはずはない。知らぬ存ぜぬで通してはならない。

リコール署名の偽造・水増しは、犯罪である。その隠蔽は許されない。

(2020年11月23日)
「あいちトリエンナーレ展」の「表現の不自由展・その後」の顛末は、日本の今を象徴する大事件だった。その大事件からスピンオフした小事件が、河村たかしと高須克弥が中心となった、お馴染み右翼言論人総がかりの「大村愛知県知事リコール」運動である。

河村・高須らの主張は、こういう一面的で単純なもの。
(1) 天皇(裕仁)の写真を燃やす展示は、日本人として許せない。
(2) そんな展示に公金を支出した大村知事は怪しからん。辞めさせよう。

ご真影をありがたがった戦前さながらの精神構造によるリコール運動である。この社会の国民主権意識も人権の理念も、いったいどこまで退歩したのかを見せつけようという策動にほかならない。

戦前と言えども決して、天皇制官僚や、軍人や、財閥や右翼政治家右翼メディアが、民衆を煽動して偏狭なナショナリズムや軍国主義に染め上げたというばかりではない。民衆は、必ずしも不本意ながらも天皇礼賛や八紘一宇を受け入れたという受け身の存在だったわけではなく、積極的に「非国民の不敬言動」を摘発もし非難もしたのだ。民衆自身の責任も自覚されなければならない。

「万世一系」や「八紘一宇」や「非国民」の思想と心情は、いま「反日」に収斂されている。右翼政治家と、右翼メディアと、右翼タレントが、ネットの世界にうごめき繁殖して、ときにリコール運動などの形で、リアルな政治世界に顔を覗かせる。そのような視点から、このリコール策動の成り行きを看過してはおれない。

幸い、リコール運動は低調と聞いていたが、11月4日の期限に提出された署名数は、高須らの発表で、計43万5231人分だったという。発表された数は必要な有効署名数の半分にとどまり、リコール失敗は明らかとなって、同月7日高須は運動の撤退を宣言した。だが、問題は終了していない。

津田大助が素早く反応した。

「(リコール署名運動)中止はいいんですが集めた43万5000人の署名、複数の選管から「同じ筆跡の署名が大量にある」という報告があったり「署名してないのに自分の名前入ってた」という報告も聞こえてきて事実なら健全な民主主義を阻害する大問題なのでメディアはぜひこの件の追加取材お願いします。」

 これに対する高須の対応ツイートが、余裕のない狼狽ぶりだけでなく、その品性や人間性をも表しているように見える。

「津田くんには僕が不正投票するような人間に見えるか。僕は断じて不正はしない」「津田くんは選挙管理委員会の誰もが知らないはずの情報を知ってるんだ」「謝罪を求める」「デマ流して妨害しただけでなく、再挑戦の妨害を始めた津田くんとその一味。早く謝罪したまえ」「遅れたら次は法廷だ。癌で僕が弱っていると思ってなめるな」

ここまでの事情は、(2020年11月8日)付当ブログの下記記事を参照していただきたい。
高須克弥さん、みっともない「スラップ訴訟」はお止しなさい。
http://article9.jp/wordpress/?p=15906

あれから2週間余。高須の対津田提訴の動きはもう立ち消えたようだ。高須と言えば、かつて大西健介(当時民進党)の国会内発言に関して、まったく勝ち味のないこと明らかなスラップ訴訟を提起したことで知られる。大西だけでなく、民進党と、党首の蓮舫、そして国までを被告とした濫訴ぶり。もちろん、簡単に敗訴で決着がついたが、スラップを提起された側の応訴の煩わしさはたいへんなもの。威嚇の効果は十分なのだ。

もっとも、高須が代表者となったリコール運動は、今内部分裂で津田提訴どころではなさそうなのだ。詳細な経過は紹介するに値するものでもないが、「高須の支持を受け容れる付和雷同派」と、「高須の指示などには従わない、潔癖な右翼」との対立のように見受けられる。

「潔癖な右翼」の側から見れば、高須とこれを支えた運動体の、いいかげんさ、汚さに我慢ならない。そんな運動に加担させられていたことの怒りが、内部告発となり、造反になっている。

まとめると、下記のとおりだという。
・同じ筆跡で、大量の署名がなされている
・同じ拇印が押されている
・同じ名前の人が大量に署名している(1人で100筆を数える事例もあったという)
・何かの名簿を書き写したのか、生年月日が未記載の署名が大量にある
・全く違う地区の署名が紛れ込んでいる
・存在しないような住所、氏名が書かれている

こういう「ウソとごまかし」の水増し分も数えての43万5231筆なのだ。「有効な署名数を正確に数えろ」という要求は、リコール批判派からだけではなく、かつての仲間からも出ているのだ。

津田が「同じ筆跡の署名が大量にある」「署名してないのに自分の名前入ってた」と指摘し、これに高須がうろたえて「津田くんには僕が不正投票するような人間に見えるか。僕は断じて不正はしない」と言っているのには訳がある。津田の指摘が明確になったら、これは犯罪なのだ。

ことは、いやしくも県知事に対するリコール運動である。いいかげんなやりかたは許されない。署名の偽造は地方自治法が定める犯罪になるのだ。

地方自治法第74条の4第2項は、【違法署名運動の罰則】を次のように、定めている。

「条例の制定若しくは改廃の請求者の署名を偽造し若しくはその数を増減した者又は署名簿その他の条例の制定若しくは改廃の請求に必要な関係書類を抑留、毀壊若しくは奪取した者は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。」

地方自治法上の主要な直接請求制度には、「条例の制定若しくは改廃」を求めるものと「自治体首長らの解職請求」(リコール)とがある。

上記の第74条の4第2項は、【「条例の制定又は改廃の請求」に関する違法署名運動の罰則】であるが、これは下記のとおり、81条によって「知事のリコール署名」に準用されている。

第81条 第1項「選挙権を有する者は、政令の定めるところにより、(所要の数)以上の者の連署をもつて、当該普通地方公共団体の長の解職の請求をすることができる。
第2項 …第74条の2から第74条の4までの規定は前項の規定による請求者の署名について、第76条第2項及び第3項の規定は前項の請求について準用する。

この度の大村知事リコール運動には、高須が責任を自任している。そして、全てを公開すると広言している。犯罪の指摘を受けたことに関しては、高須自身の名誉にかけて隠蔽してはならない。姑息に、「署名者のプライバシーを守る」などを口実に、署名簿を廃棄してはならない。疑惑の指摘に、誠実な対応をしなければならない。それが、潔癖な右翼諸君の要望でもあるのだから。

憲法23条は「専門領域の自律性」「公的学術機関による人選の自律」を保障するために置かれた。― 「加藤陽子の近代史の扉」

(2020年11月22日)
昨日(11月21日)の毎日新聞朝刊に、「加藤陽子の近代史の扉」が掲載されている。月に一度、第3土曜日に連載の「学術コラム」だが、平易な表現で読み易い。

日本学術会議正会員になるはずが菅政権から任命を拒否された、あの10月1日以来2度目のコラムである。前回、10月17日の記事は、「学術会議『6人除外』『人文・社会』統制へ触手」というものだった。そして、今回は、より踏み込んだ「学術会議の自律性保障 『日本側が磨いた学問の自由』」というタイトル。はからずも任命拒否の対象となり、自らが権力と対峙する近代史のアクターとなったことを自覚しての重い内容となっている。覚悟を決めたという印象が強い。

書き出しを引用させていただく。

 敗戦からほどない1949年に日本学術会議は設立された。第1回総会において、科学者の戦争協力を反省し、科学こそ文化国家・平和国家の基礎となるとの決意表明がなされたことについては、昨今の報道などにより、かなり世に知られるようになってきた。
 ただ、戦争協力のくだりを読むと、わずかだが胸のうずきを覚える。母国が戦争を遂行したのであれば、科学者たる者、協力すること以外に選択肢はあったかとの問いが生ずるからだ。国防への貢献を要請される重責と、自らの基礎研究への情熱と。この葛藤に全く苦しまなかった科学者の姿は想像しにくい。よって、この苦悩と葛藤を二度と招来しないとの決意から、軍事研究を行わないと選択したのは自然なことだったろう。

このコラムで加藤は、「学術会議誕生の背景を考えていると、日本国憲法そのものもまた戦争の結果誕生したと改めて腑(ふ)に落ちる。」とした上で、「『学問の自由は、これを保障する』と規定した憲法23条は、いかにして生まれたのか。」を問うて、次のように述べている。

 実のところ、本条(23条)は日本側の熱意によって磨かれた条文だった。総司令部の原案は「学問の自由および職業の選択は、保障される」であり、いささか雑な出来だった。…日本国憲法の審議過程で、議会答弁を一手に担当したのは金森徳次郎国務大臣だった。金森は美濃部達吉の天皇機関説事件の折、同じく機関説論者だとして法制局長官の地位を追われていた。金森以上に憲法23条を語るにふさわしい人物はいなかった。高らかに金森はうたう。「この憲法の狙い所の一つは、この人間の完成と云(い)う所に狙いを持って居(お)ります。学問を止めて人類の完成と云うものがどうして出来るであろうか」と

そして、このコラムの最後はこう結ばれている。

 金森の説明に加え、判例を踏まえた憲法解釈をまとめておきたい。23条は生まれながらの人一般の学ぶ権利を保障したものではない。それは思想・良心の自由(19条)、表現の自由(21条)で保障されうるからだ。23条は専門領域の自律性、公的学術機関による人選の自律を保障するために置かれた。学術会議問題の根幹には、確かに学問の自由の問題があるのだ。

加藤が語るところは、日本国憲法と日本学術会議とが、出自を同じくしているということである。日本国憲法が国民的な不戦の誓いの結実であるごとく、日本の科学者は、軍事研究を強いられた苦悩と葛藤を二度と招来しないとの決意から、非軍事の道を選んで日本学術会議を設立した。憲法23条は、その両者を結ぶ結節点にある。

「23条は専門領域の自律性、公的学術機関による人選の自律を保障するために置かれた。」と言いきる、加藤の言葉は重い。「権力からの自律性の保障」こそが、問題の根幹に位置するキーワードなのだ。

「学術会議問題の根幹には、確かに学問の自由の問題があるのだ。」とは、任命を拒否された当事者の言として、居住まいを正して耳を傾けるべきであろう。

湯島天神境内での消費税論争

(2020年11月21日)
この頃の朝の散歩は、安直に湯島天神まで。本郷通りをほんの少し南下して、三丁目交差点を左に折れ春日通りを10分ほど上野方面へ。アップダウンのない楽な行程。

途中に、春日通りの地名の起源となった、春日局ゆかりの麟祥院がある。ときに、その境内をめぐって春日局の墓を見てくる。ただ、墓を眺めるだけ…なのだが。

湯島天神は婦系図の舞台として名高く、泉鏡花の筆塚もあるが、原作には出て来ないのだという。落語では、「宿屋の富」の舞台。ひしめきあう群衆を集めて、寺社奉行が富くじの抽選を行うのがここの境内。また、柳田格之進が、油屋の番頭徳兵衛と出会うのが正月で賑わう湯島天神。今、その賑わいの面影は淡い。

湯島と言えば白梅だが、季節は菊。例年、「湯島天神菊まつり」が開催される。コロナ禍の今年は規模を縮小して、「まつり」ではなく「湯島天神菊花展」となっている。11月1日~22日の日程だが、準備期間から菊の花の開花の様子を眺めている。早朝の人気のない境内で、ゆっくりとみごとな菊を眺める贅沢な散歩。

今年は、新型コロナウイルス感染症に関する対応として、「授与所には透明パネルを設置しています」「お神札・お守りの授与は職員から直接のお渡しを避けるようにしています」「ご祈祷の際には可能な限り参拝者一組づつの斎行をしています」「ご祈祷後の直会(お神酒)を取り止めています」「手水舎の柄杓は撤去いたし、流水にてお清め頂いています」「神職・職員がマスク着用にて対応しています」「『撫で牛』への接触中止しています」と、心づくしが細かい。「授与品とご祈祷の郵送依頼」も受け付けているという。

例年よりは少なめだが、早くも合格祈願の絵馬がたくさん飾られている。私は、これを見るのが楽しみなのだ。善男善女の祈願の内容よりは、絵馬を書いた日付が、西暦か元号か、興味はそれに尽きる。

神社に奉納する絵馬なのだから当然に元号表示だろうと思うのは、素人の浅はかさ。実は、圧倒的に西暦表示派が圧倒的に優勢なのである。ほぼ、8対2という勢力図ではないか。「令和二年」よりは、「2020年」の方が、遙かに書き易く、読み易く、今年を意識しやすいのだろうと思う。西暦派と元号派と、どちらが合格率が高いか調査をしたら面白かろう。ひいき目には、西暦派の絵馬の方が知性高そうに見えるのだが。

土・日・祭日には、境内で幾つかのイベントが行われた。ちょうど一週間前、先週の土曜日には、本郷税務署と「本郷間接税会」との共催による、「消費税に関するクイズ」をやっていた。「本郷間接税会」とは、業者団体のようだが、もちろん「消費税をなくす会」ではない。クイズとアンケートに答えると粗品をもらえる。粗品には当然のごとく税務署の宣伝パンフも付いてくる。ここで、こんな会話を聞いた。

「軽減税率ってなんて分かりにくい。消費税なんて、なくなればよいのにね」「いや、それは大事な安定した財源ですから、なくなっては困るんですよ」「なに言ってんのよ。業者が税務署の肩もってどうすんの。弱い立場の消費者からむしりとらないで、大企業やお金持ちからきちんと税金取ったらどう?」「でも、これは大事な福祉の財源ですから、なくなれば立場の弱い人にしわ寄せが」「まるで政府答弁みたいなウソを言わないでよ。これまでの消費税の収入って、ちょうど企業減税と所得税の累進化をなくした減税分を合わせた額と同じっていうじゃない。庶民から税金むしりとって、大企業と大金持ちに分配してやったんでしょ」「それは極端な考え方で…」「コロナで、みんな困っている。消費税なくするのが、みんなの生活を助ける一番よい方法でしょ」

天神様の境内も神威に満ちみちて穏やかとばかりはまいらない。俗事の風が吹き込んで天神様の境内もなかなかに騒々しい。

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