澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

特定秘密保護法は、良心に基づく公益通報を圧殺する

組織の悪と個人の良心の相克。社会が続く限りの永遠のテーマである。
ニュールンベルグでも、東京裁判でも大きな課題として浮かびあがった。とりわけ、BC級戦犯の場合は深刻だった。「上官の命令は天皇の命令」とされた皇軍兵士には、良心の発露を期待することが困難であった。もともと、良心を圧殺すべく訓練を受けて兵となるのだ。帝国陸海軍という組織の罪は重く、その最上位に位置した天皇の責任はさらに重い。おそらくは、戦争に普遍的な側面と、皇軍に特有な側面との重なりがあったのであろう。

戦場という異常な環境に限らない。平時、企業においても、官庁においても、あるいは学校においても、自治組織においても、組織に違法があった場合に、これを咎める良心をもった個人はいかに行動すべきか。「罪の文化圏」では、当然に良心を全うせよという倫理となろうが、「恥の文化圏」で良心を貫くのはなかなかに困難だ。

しかし、社会は、組織の威圧に負けずに良心を貫く者の勇気ある行動によって、利益を享受する。建築偽装然り、食品偽装然り、入札談合然りである。敢然と良心の笛を吹く、ホイッスルブロアーを「内部告発者」ではなく、「公益通報者」と上手な訳語を選んで、2004年に公益通報者保護法が制定されたときは、非常な興奮を覚えた。個人と集団をめぐる日本の文化が大きく変わることになるのではないかと思ったのだ。BC級戦犯の如く良心を守ることが死をもたらす戦場の環境とは正反対に、良心を貫くものを擁護する制度が完備され、さらには公益通報者を賞賛する文化が生まれるやも知れない。もしかしたら、集団の圧力で少数者を「非国民」として排斥したこの国の文化や国民性に決定的な変革をもたらすことになりはしないか。

ところが文化は根強い。国民性も一朝一夕では変わらない。ひとつの法の制定が、企業文化、官庁文化を変革するには至らなかった。十年一日である。そればかりではない。立法も公益通報を奨励するどころか、反対に秘密を保護しようとしている。個人の良心に期待し良心に基づく行動を保護して、秘匿された違法を暴こうという公益通報者保護法の精神を忘却したごとくである。

「毎日」朝刊に連載されている「特定秘密保護法案に 言いたい」欄に、本日は柳沢協二さんが登場している。よく知られているとおり、氏は、元防衛庁官房長、そして内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)という、防衛秘密にどっぷりと浸かった経験をもつ人。その人の証言は貴重この上ない。要旨次のとおり。

「外国から情報がもらえないから、特定秘密保護法によって秘密指定範囲の拡大と厳罰化を進める−−というのが安倍政権の主張だ。しかし、実務経験から言うと、現行の法体系でも必要な情報は得られていた。米国が法制度について要求してきた記憶はない。法制度があれば情報がもらえるという単純なものではない。
現実的な必要性を説明できないのに、理念だけが独走している印象がある。それは国家安全保障会議(日本版NSC)と集団的自衛権の行使についても同じだ。
秘密のほとんどは30年で公開できると思う。その情報に関わった人たちが皆、社会的にリタイアするまでの時間が「30年」だ。
国会は安倍政権が目指す国家像について本質的な議論をすべきだ。『国の安全のためには国民の知る権利の制限もやむを得ない』というのが安倍政権の考え方だが、それは国民主権の否定につながる」

柳沢さんは、特定秘密保護法が成立すれば、指定される特定秘密にまみれて職業生活を送ってきた人。特定秘密漏示の罪は、離職後も永久につきまとう。

法案22条は、「特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。」というもの。特定秘密の守秘義務、つまりは秘密の漏示に対する「懲役10年+1000万円罰金」の威嚇は、退職しても墓場までつきまとうのだ。おそらく、柳沢さんは、今のようには発言ができなくなる。少なくとも、今以上の格段の覚悟がなくてはは在任中のことを話せなくなるだろう。良心の笛を吹くことを萎縮させるのが法律の大きな狙いだ。

事情は、オバマ政権下のアメリカでも同じことのようだ。たまたま「必見」と勧める人があって、小林雅一という人の「米国の秘密情報を保護する法律は、今、どんな結果を招いているか」というネットの記事を閲覧した。本家アメリカの事情は次のとおりだという。

「元々は敵国を利する悪質なスパイ活動などを取り締まるための法律だった米『スパイ活動法』は、近年、『米国政府が、メディアへの情報提供者、いわゆる「内部告発者(whistle blower)」を取り締まるための法律』へと、実質的に大きな変化を遂げたという。」「スパイ活動法ができた1917年からブッシュ政権の時代まで、メディアへの内部告発者を摘発するために同法が適用されたのは通算3回。ところがオバマ政権になってからは既に7回も適用されている」というのだ。

元ネタが、11月26日付のニューヨーク・タイムスの記事だという。アクセスして、乏しい英語力で「諜報と真実との、明瞭ならざる境界」と題する記事を読んでみた。冒頭にこんなことが書いてある。

「オバマ政権(カーニー報道官)は、シリアで果敢に真実に肉薄して凶弾に倒れた二人の記者を再三絶賛している。しかし、それは遠くの外国ならではのこと。米国内において現政権は、まことに果敢に防諜法を活用して内部告発者を法廷に送っている。オバマ政権は、真実は外国でこそ明らかにされるべきだが、国内では別だ、と考えているようだ」

結局は、防諜法(スパイ活動法)は、外国の諜報活動を取り締まるよりは、国内のジャーナリズムと公益通報者を弾圧しているのだ。これが、これから真似をしようという米国の姿。特定秘密保護法も、成立すれば、軍事立法というだけでなく、言論弾圧立法として猛威を振るうことになるだろう。

そのときは、国家の論理が、組織の違法を社会に通報しようとした良心を圧殺することになる。おそらくその影響は、日本の社会全体に及ぶことになろう。
(2013年11月28日)

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Published in 木曜日, 11月 28th, 2013, at 22:35, and filed under 未分類.

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