澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその8

本日の毎日朝刊に、「宇都宮氏出馬へ」の記事がある。「支援者らは26日に対応を協議。別の候補者擁立を探る意見も出てまとまらなかったが、宇都宮氏が他陣営に先駆けて出馬表明を決断した」とやや奇妙なニュアンスを伝えている。推す人がなくとも、君は出たくてしょうがないようだが、みっともない。立候補は辞めたまえ。

昨年の選挙では、誰よりも強く君を支持し、家族を上げて、君を「素晴らしい候補者だ」と言ってまわった私だ。その私が、君には都知事候補としての資格がないと言っている。昨年の惨敗を繰り返すだけだから出ても無駄だ、と言っているのではない。もっと積極的に、きみは出るべきではない、と言っているのだ。その理由は、今日で8回目となるこのブログに綴っているとおりだ。このブログは終わらない。君が立候補を断念するまで、私は書き続ける。

もしかしたら、君は、批判の風当たりを強く受けている「上原公子選対本部長・熊谷伸一郎事務局長(岩波)」体制を清算し、新しい選対体制で再出馬することによって批判を避けうる、とでも思っているのかも知れない。しかし、それは間違っている。問題は、君自身の資質、能力、そして法的リスクにある。君が、立候補を断念することが最も賢明なことなのだ。仮に君が当選したとして、再びの百条委員会や、3年続けての都知事選は悪夢だ。

また、もしかしたら君は、裏交渉で、各政党や政治勢力に、それなりの支持の感触を掴んでいるのかも知れない。しかし、まだ正式に君を支持すると名乗りをあげたところはない。正式支持の表明まで、私のブログはあらゆる事実を提供し続ける。裏の約束が、表のものになる保障はないとお考えいただきたい。

私は、君を誹謗する立場にはない。消費者問題弁護士群の一員として君が真面目にやってきたこと、反貧困問題に足を踏み出したことは評価している。生涯、そのような立ち場でコツコツとやるのが君に似合っている。革新統一の都知事候補は、君の柄ではない。

君よりも、遙かに有能で、魅力に富む、適格な候補者はたくさんいるだろう。君は、そのような人選に汗をかくべきだ。そうすれば、私は君を見直す。ところが君は、早期に立候補表明をすることで、幅の広い革新統一の候補者選びを邪魔しているのだ。是非とも、立候補はおやめなさい。そして、出馬宣言もおやめなさい。

本日が、私の息子・大河の(おそらくは)最後の報告である。

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 宇都宮健児さんと宇都宮選対に対して、一昨日・昨日と続けて批判の文章を公表した。しかし、思いの丈を書き切ってはいない。多くの人の目に触れることを意識した自制が働いている。
 私も法曹を目指す者として、名誉毀損や侮辱の構成要件は心得ている。民事上の損害賠償請求権の要件事実についてもだ。受けとりようによっては辛辣な批判となっているかも知れないが、人格攻撃は避けている。けっして、批判されている者の社会的評価をおとしめることを目的としているわけでもない。
 あくまでも私は、宇都宮さんについては、都知事という公職の候補者してふさわしい能力や姿勢をもっているかを問題にし、また、選対については、革新統一の選挙を担うに足りる能力や適格性を問題視しているに過ぎない。
 仮に、私の文章の中に「公然と事実を摘示して」、外形的には「人の名誉を毀損」する部分があったとしても、摘示した事実は公共の利害に関する事実にかかり、事実摘示の目的はもっぱら公益を図ることにあり、摘示した内容は真実なのだから、当然に違法性はない。そもそも、言論は自由であり、とりわけ公職に就こうとする者についての批判が封じられてはならない。

 私の指摘の事実はすべて、東京都知事選という巨大な自治体の選挙に関することであって事実の公共性は当然に認められる。有権者に正しい情報を提供して、次の都知事選挙に臨んでもらいたいという私の目的は、もっぱら公益を図ることにある。そして、何よりも摘示の事実として真実以外のことは語っていない。

 以上の枠を意識しての私の文章の内容であるから、どうしても自制せざるを得ない部分がある。すべては真実であって誇張はない。むしろ、筆を抑えての報告である。
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      不当な任務外しに対する権利救済をめぐって
 2012年12月11日夜不当に任務を外された私は、上原・熊谷両名に対し、解任の経緯の確認と理由を尋ねる何通かの公開質問状を作成し発送した。今に至るもこれに対する応答は一切ない。その内容は、当ブログにおいおい発表されるだろう。

 なお、私は、この公開質問状を多くの関係者に見てもらおうとした。ところが、私の解任直後、投票日を迎えないうちに、全く事前の告知のないまま、私は選対のメーリングリストから排除されていた。私は、随行員としての任務の剥奪だけでなく、選対に結集する運動員としても排除されたのだ。これは理解に苦しむ。彼らが自分たちのしたことを、理由のある正当なことだと考えているのであれば、私の批判を恐れたり、発言の場を奪う必要はない。一切の批判を封じようという、露骨な姿勢を見せつけられた思いだった。

 宇都宮候補の政策に共鳴し、選挙に協力したいと結集してきた者を、選対本部長と事務局長が追い出し排除することができるのだろうか? かつて安倍政権はその論功行賞による露骨な仲間内人事で「お友だち内閣」と揶揄された。宇都宮選対は、多くのボランティア参集者を排除した「お友達選対」になっていたというほかない。しかも、選対本部長や事務局スタッフについては、仲良く選挙カンパの分け前に与ってのことだ。

 私は、選挙で知り合った知人に問題を知らせた。多くの知り合いから、選対の体質に批判的な意見が寄せられた。恣意的な人事、各党派に対する不平等な対応、要請に対して意図的とも思える無視や放置など、私に起きたことは氷山の一角だったことが少しずつ明らかになった。

 宇都宮さんは、私とTさんが訴える、随行員外し事件の解決を約束した。しかし、積極的に動こうとはしなかった。問題解決の場を作ることは大変難航したが、私の父が運営委員として強く求めたため、渋々とではあったが、2013年2月28日に、1時間だけ事情聴取の場が作られることになった。この時点で父に友好的な運営委員は既に誰もおらず、父もまた「外部」の人と認識されていた節がある。結局、「内部」から自主的な解決の動きはなかったといってよい。
 しかし、この事情聴取は到底公正・公平な形をもったものではなく、公正・公平な運用もされなかった。そもそも、宇都宮さんと宇都宮選対に、公正さを求めたこと自体が間違っていたのだ。

 不当な解任劇の一方の当事者は解任された私とTさんであり、他方当事者は解任した上原選対本部長・熊谷事務局長ということになる。
 一応公平な問題解決の場を作ろうとするのであれば、当事者以外の者が、両当事者の話を聞いたうえで事実を確定し、裁定する必要がある、というのが常識的な考えになろう。
 しかし、私や父の、「当事者を除いた公正な「三面構造」の形をつくるべきだ」という要求は通らなかった。「そんなことをしたら、会が不当な解任を認めたことになる」と信じがたい発言をした委員(高田健)もいた。何が起きたのか、真摯に事実を解明しようという態度ではなく、不当な事実はなかったという結論の決めつけがそこにはあるだけだ。 父を除く全ての運営委員が、そのような仕組みに賛成し、あるいは反対しなかった。しかも、その場での発言内容は一切秘密であり、外部で話さないことを条件とされた。私はこの条件を拒否した。市民に開かれた選対が、選対が批判にさらされている点について秘密にするなど、自己矛盾としかいいようがない。父以外の出席した全ての運営委員が秘密にすることに賛成した。
 私はこのような事情聴取そのものを拒否したかったが、「どんな形でも、訴えを聞いてもらった方が良い。中には、真面目に耳を傾けてくれる人もいるはず」という父の説得を一部分受け容れた。結果は、父の判断が甘かったことを示している。

 結局は、上原・熊谷が当事者でありながら事情を聴取する側にいるという、糾問的なお白州状態となった。政府や政権党の秘密主義を批判し、特定秘密保護法に反対するかのような態度を示しつつ、自らが小さな権力を持てば、すぐに秘密にしたがる運営委員の体質と宇都宮さんの人間性は強く批判されなければならない。
 私とTさんは解任された当事者側からの事実主張を1時間ほど行った。
 その間、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店)は、机を叩いて立ち上がり、「侮辱だ!撤回しろ!」と私を罵倒したり、川添誠(首都圏青年ユニオン)運営委員は、「げす!げす!」と大声で怒鳴り続け、さすがに中山武敏代表にたしなめられるほどの醜悪さだった。

 なるほど、この場は、選対に批判的な者をこのように罵倒するための場であり、罵倒したことを秘密に保ちたいからこそ秘密を要求したのかと、腑に落ちた。

 私とTさん、そして事情を知る立ち場にあって、私が要請した証人のお二人が発言した段階で、私とTさんは退席した。私は、不当な質問があった場合や、運営委員会の在り方について疑問を持った場合に、それを公開する権利を留保することを譲れないとしたが、それが受け容れられなかったからである。

 結局、その場で事実の解明も裁定もなされず、宇都宮さん・中山代表・上原選対本部長に解決方法を一任するという確認がなされた。一方当事者である上原に解決を一任しても何の意味もないことは明白だが、私はそれでも、間に入ると明言した宇都宮さん・中山代表を信じて、ずっと待ち続けた。

 宇都宮さんの「何とかする、このまま放置はしない」という言葉を私は重く受けとめた。いやしくも彼は、信用を職業上の生命とする弁護士である。その弁護士が一度口にした以上、解決まではできなくとも、何らかの提案はなされると期待した。それができなくても少なくとも報告くらいはあるだろう。

 ところが、ほぼ10か月が経過し、何も解決されないまま、猪瀬辞任、再選挙という運びとなった。問題は今に至るも放置されたままであり、責任の所在は明らかにされていない。それでも、会は再び邪魔者を排除して動き出そうとしている。

 私は、これだけの手順と時間をかけ、選対や運動の内部での解決を訴えてきた。なんらかの解決の提案が約束されていたのに、それが反故にされてしまったのだ。
もう、黙っている必要はないだろう。外に向かって、事実を明らかにしてもよいだろう。

 多くの人が結集し運動をすすめるうえで、意見が異なることがあるのは、当然のことだ。その解決は面倒でもじっくりと話し合うしかない。
 宇都宮選対は、この解任劇の収拾程度の些細な問題について、意見の違いがある場合に、話し合うことをせず、多数派を批判する少数派を罵倒して追い出すことしかできなかったのだ。このような選対が、意見の相違のある都政の政策問題について、じっくりと話し合うことができるだろうか。わたしは、この選対には、幅広い都民の結節点となり、都知事選を勝ち抜く能力はないと思う。
 積極的に私を排除する策動をした上原公子(前国立市長)・熊谷伸一郎(岩波書店勤務)・服部泉(東京プロデュース)・川添誠(首都圏青年ユニオン)、「お白州構造」に賛成し秘密会にするべきだと主張した高田健(市民運動)、その場では黙って何も発言しない海渡弁護士、調整のできない会の代表中山弁護士、運営委員の誰もが話し合いで問題を解決する姿勢も能力もない。

 なによりも、解任直後には、私に、「随行員としての任務執行に何の問題もない」、「よくやってくれた」と言っておきながら、手のひらを返して、私の「コミュニケーション能力に問題があった」とした卑怯な宇都宮弁護士には、怒りを禁じ得ない。不足していたのは、前言を翻すことをためらわないあなたの良心と誠実さである。
 選対も候補者も、選挙を担う能力も資質もない。

 一般社会の常識に従い、丁寧に事情を聞き取り、一人の人間として尊厳を認めたあたりまえの対応がなされていれば、私もここまで態度を硬化させることはなかっただろう。
 不当な解任までのあの一ヶ月間、ほぼ全生活を選挙に専念し、家族よりはるかに長い時間を共に過ごした私に対して、宇都宮さんから、一言のねぎらいも感謝の言葉もなかった。
 端的に言って、宇都宮さんは人にやさしい弁護士ではない。弱者の側に寄り添おうという基本姿勢がない。不当な扱いを受けたと訴える人の気持が理解できない。真剣にその人の言い分に耳を傾けようという、人権を大切にする弁護士としてのひたむきさに欠ける。

 彼には、同調圧力の中で、いじめの一端を担ったという自覚がないのだろうか。クレサラ問題、反貧困運動など彼の取り組んできた運動において、関わってきた社会的弱者に、これまでどういう態度で接してきたのだろうか。

 そういえば、選挙期間中、彼に救われたと感謝して応援に駆けつけた人を一人も見ることはなかった。
(2013年12月28日)

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Published in 土曜日, 12月 28th, 2013, at 21:12, and filed under 宇都宮君おやめなさい.

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