澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその33

東京都知事選は、とうとう明日が告示日。明日から選挙運動期間である。
念のために、今日また東京都選挙管理委員会に足を延ばした。2012年12月16日施行の東京都知事選挙における宇都宮健児候補の選挙運動資金収支報告書を閲覧してきたが、本日(1月22日)午後の時点で、何の訂正も変更もなされていないことを確認した。宇都宮陣営は、前回選挙における選挙運動収支報告書の重大な届出ミスを認めながら、これを放置して次の選挙に突入しようとしている。

上原公子選対本部長(元国立市長)の労務者報酬10万円受領の届出も、添付の選挙運動報酬受領証も何の変更もなくそのままであった。服部泉出納責任者についても同じこと。合計29名に及ぶ疑惑の「労務者」「事務員」についての届出訂正もない。宇都宮陣営の1月5日付文書「法的見解」では、随分と簡単に「記載ミスを訂正すれば済む問題である」と言っておきながら、何の訂正もせずに次の選挙に突っ込もうというのだ。誰の目にも、「コンプライアンス意識に問題あり」が明白ではないか。あるいは、「記載ミスを訂正すれば済む問題」と言ってはみたが、実は「労務者報酬受領」と届出を脱法しての運動員買収の事実は訂正のしようがないということなのであろうか。

私が指摘した数々のリスクを抱えながら、それでもなお宇都宮君には、立候補を断念する気配が見えない。私は、「宣戦布告」直前に、いくつかのメーリングリストに、「宇都宮君への批判を始めるからには徹底してやる」と宣言した。宇都宮君への警告を意識してのこと。その上で、今日まで33日間にわたって「宇都宮君、おやめなさい」と言い続けてきた。宇都宮君を立候補断念に追い込むことはできなかったが、その宣言のとおり、本日まで私のできる限りでの言論による批判は、やり通した。

この「おやめなさい」シリーズを書き始めた当初の覚悟は相当なものだった。以前にも書いたとおり、悲壮感をもってルビコンを渡るの心境だった。宇都宮君とともに自分も傷つくことは重々承知の上でのこと。だが、ルビコンを渡った向こう岸にも、広々とした天地があることを知った。花は咲き、鳥も歌っている。真摯にものを考える、新たな友人との出会いもあった。驚くべきことに、このブログをきっかけに、新たな業務の依頼さえあったのだ。私は、感動している。この世には、「自分の他に主人を持つまい」とし、「民主主義的理性」を磨こうとしている多くの真っ当な人々がいるのだ。

「悲しき玩具」の啄木の歌を思いおこす。

人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横よりみてゐる心。

私は、隊列を組むがごとくして皆と同じ方角に向かっていくことが苦手なのだ。啄木もそうだったのだろうが、自らの歌を「悲しき玩具」と言った啄木には、皆と同じ方角に向かっていくことができない自分を哀れむ心があったのではないか。
私は違う。人みなと違う方角に歩き出したことを、今は爽快に思っている。

もちろん、私に反省すべき点があるのは明らかだ。まずは、「徹底した批判」に踏み切るのが遅きに失したこと。私自身が「人にやさしい東京をつくる会」の情報開示と運営の透明性の徹底に鈍感だったこと。もっと以前に、問題が起こる都度、躊躇することなく、徹底批判に踏み切るべきだった。そうしていれば、問題がここまでこじれる以前に、宇都宮選対や「人にやさしい東京をつくる会」の体質を、修正できた可能性があった。

学んだことは、組織原則としての民主主義のあり方である。とりわけ、批判の言論の大切さ。組織の幹部は、自分の耳に痛い批判の言論に寛容でなくてはならない。これを、鬱陶しいからと強権を発動して報復に出たり、それへの抗議を問答無用でだまし討ちに切り捨てるなどしてはならない。

昔から英語が達者だった次弟が、私のブログを読んで、次のようにメールをくれた。
「昔、英語の参考書の中で覚えたヴォルテールの言葉が思い出されます。
I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
この to the death と言うところが味噌です。フランス語は知らず、英語では『あくまで』ということが『死をかけてでも』と同義語になっているわけです。『死をかけてでも』言論の自由を守るべき立場の人々の行動としては、まあ何とも『懐の狭い』を通り越して『滑稽さ』まで感じられます。大方の人がそう思ったことでしょう。」

そうだ、民主主義とは、「命をかけても」他の人の言論の自由を守ることなのだ。宇都宮君と宇都宮君につながる向こう岸の人々には、それが分からなかったのだ。次弟が即座に深い理解を示してくれたことが本当に嬉しかった。

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ところで、昨日話題にしたメルマガ「宇都宮けんじニュース」は「希望のまち東京をつくる会」から配信されている。おそらく今回の選挙では「希望のまち東京をつくる会」が宇都宮候補を擁立する確認団体となるのだろう。しかし、「希望のまち東京をつくる会」とは何なのか、誰がどのように関わり、誰が決定権をもって会の運営に携わっているのか、外からは分からない。「会」のホームページには記載がない。念のため、「宇都宮けんじニュース」を第1号(1月1日)から本日付の22号まで全部目を通してみたが、ここにもなんの記載もない。私は、今にして思う。市民選挙の主宰団体がブラックボックスであってはならない。きちんと公表すべきではないか。著しく、公共性も公益性も高い事項なのだから。公表されて困ることでもあるまい。

前回選挙の確認団体となったのは、「人にやさしい東京をつくる会」だった。
その意思決定機関(運営会議)のメンバーは以下のとおりである(敬称略)。
宇都宮健児(候補者)
中山武敏(会代表)
上原公子(選対本部長)
熊谷伸一郎(事務局長)
岡本厚
海渡雄一
河添誠 
澤藤統一郎
高田健
豊田栄一郎(会計責任者)
服部泉(出納責任者)
渡辺治

以上の「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議委員は、選挙期間中は選対委員となった。選挙終了後は4回の運営会議(2012年12月23日・2013年1月6日・2月28日・12月20日)が開催されている。その最後の2013年12月20日第4回運営会議において、宇都宮君は「運営会議全員解任」「再任は宇都宮・中山に一任」という、澤藤追放の「だまし討ち」決議をやってのけた。議事録上は、私以外の全員の賛成でのこととなっているはず。

しかし、「人にやさしい東京をつくる会」の解散決議はされていない。520万7907円のカンパ残額の処理をどうするかをうやむやにしたまま解散はできない。

しかも、第2回運営委員会(2013年1月6日)の議事録では、次のとおりに確認されている。
「6.会の今後の方向性について
・会として、次回の都知事選挙の母体とはならないこと、また今夏の参議院選挙を含む選挙運動に関わらないことを確認した。
・会計の問題もあるために、会としては当面存続させる。3月31日のシンポジウムと、その後の期間(一年程度)をおいての集会を経て、活動自体は休止状態にしていく。完全に解散するか、解散するとして現在のメンバーで何らかの運動を展開していくかは、今後検討していく。」

もちろん、この確認は私も参加した席でのこと。問題の選挙カンパは、2012年都知事選についてのものだったのだから、次回都知事選挙や他の選挙への「流用」は筋が違うとの考えによるもの。「人にやさしい東京をつくる会」が、「次回の都知事選挙の母体とはならない」「今夏の参議院選挙を含む選挙運動に関わらない」ことを正式に確認している以上、今回選挙でこの前回選挙カンパの残金520万円に手を付けることは許されない。

なお、「人にやさしい東京をつくる会」の政策には次のとおりのことが明記されている。
「尖閣諸島購入のために集めた寄付金は返却します。
1. 都が集めた寄付金は寄付者に返金します。寄付者が不明の場合には、早急に検討します。
2. 返金作業にかかる経費については、当時の都の責任者に請求します。」

ダブルスタンダードは望ましくない。「人にやさしい東京をつくる会」は、前回選挙でカンパに応じた人にだけでなく、社会に納得を得るような残金の処理をしなければならない。

前述の決議がある以上、「人にやさしい東京をつくる会」は、今回都知事選挙の母体とはなりえない。新たに登場した「希望のまち東京をつくる会」が今回選挙の確認団体となるのだろうが、最低限次のことを明確にすべきだろう。

1 「希望のまち東京をつくる会」は、「人にやさしい東京をつくる会」とはどのような関係になるのか。「人にやさしい東京をつくる会」の残余財産は、どう処理される予定なのか。
2 「希望のまち東京をつくる会」の代表者は誰なのか。どのようなメンバーが、意思決定に参画しているのか。会の規約などはどうなっているのか。
3 「希望のまち東京をつくる会」と「支援・支持の関係にある政党や政治団体」との間に政策協定その他何らかの共闘についての取り決めはあるのか。あるとすれば、どのような内容なのか。ないとすれば、支援・支持の具体的な内容はどのようなものか。

私は、開かれた市民選挙を標榜して、広く市民に賛同を求め、寄付を募る以上は、「希望のまち東京をつくる会」には上記3点について回答すべき道義的責任があるものと考える。私自身が、「人にやさしい東京をつくる会」の運営に関わりながら、積極的に情報を開示し会の運営の透明性を高める努力をしなかったことを自己批判しなければならないと思っている。

もっとも、宇都宮陣営が、「市民に開かれた選挙など標榜していない」「情報公開も運営の透明性の確保も、私的な組織には無縁なこと」というのであれば、それはそれでやむを得ない。しかし是非、そのようなお考えを社会にあきらかにすべきだろう。
(2014年1月22日)

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Published in 水曜日, 1月 22nd, 2014, at 23:57, and filed under 宇都宮君おやめなさい.

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