澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

韓国国会「靖国神社参拝等糾弾決議」 たった一人の棄権の意味

他人の足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みが分からない。踏んだ方が忘れても、踏まれた方はその痛みを忘れることができない。

韓国国会は29日の本会議で、日本の閣僚らの靖国神社参拝や、歴史認識をめぐる安倍晋三首相の発言を非難する決議を出席議員239人のうち、棄権1人を除く圧倒的な賛成多数で採択した(ソウル共同)。

その決議の標題は、「日本閣僚等靖国神社参拝及び侵略戦争否認妄言糾弾決議」。内容は、麻生太郎副総理ら日本の閣僚らによる靖国神社参拝と、安倍晋三首相の歴史認識をめぐる一連の発言について、「非理性的な妄動や妄言は、未来志向の韓日関係構築や北東アジアの平和定着に深刻な悪影響を及ぼす外交的な挑発行為だ」と厳しく糾弾するもので、日本の「責任ある立場の人々」に対して、靖国神社参拝や「過去を否定する」発言をやめ、心からの謝罪を表明するよう要求。また、韓国政府には、「日本の軍国主義回帰の動きについて、国際社会と協力しあらゆる外交的手段を動員して強力な措置を取ること」を求めるとの内容。

尹炳世(ユンビョンセ)外相は、さっそく同日のうちに、訪韓中の米下院外交委員会のスティーブ・シャボット・アジア太平洋小委員長と面談し、この決議の内容を伝えた、という。

同決議に関して、菅義偉官房長官は30日午前の記者会見で、「国のために命をささげた方に尊崇の念を表するのは当然だ」と述べ、正当性を重ねて強調。同時に「2国間関係全体に影響を及ぼすことは全く望んでいない。外交ルートを通じ真意を説明していきたい」とした、と報じられている。

相変わらずの、足を踏まれた者の痛みを理解しようとしない傲慢な姿勢というほかはない。

ところで、韓国議会の「日本糾弾決議案」が「全会一致」ではなく、1人の棄権票があることが気になった。日本に気兼ねする議員もひとりくらいは‥、と思ったのだが、大まちがいだった。

「中央日報」(韓国の大手保守系紙)日本語版によると事情は次のとおり。
「与野党ともに最近の日本の極右化に反対し、決議案の“全会一致”通過が当然視されていたが、結果は在籍議員239人のうち238人が賛成し、議員1人が棄権した。棄権の主人公はキム・ギョンヒョプ民主統合党議員だった。
同議員は決議案表決直後の記者会見で、『今回の糾弾決議案の趣旨には賛成する』としながらも『日本に対する実効的な措置が含まれていないから』と棄権の理由を明らかにした。『外交的な抗議レベルにすぎなかった今までの対日決議案が実質的に影響力があったかどうかは疑問』とし『日本の閣僚と政治家に対する入国禁止など強力な制裁案が決議案に含まれるべきだが、与野党の合意過程でこうした中身が抜けてしまった』と指摘した」

要するに、「こんな実効性のない生温い決議に賛成できるか」という意思表示の棄権なのだ。足を踏まれた側の痛みの記憶は、かくも強くかくも厳しい。

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 もう一つ、こちらもどうぞ。   
 
  『バングラデシュのビル倒壊とグラミン銀行』
 24日バングラデシュの首都ダッカ近郊で、縫製工場などが入った8階建てビルが倒壊し、死者が380人、負傷者1000人にのぼると伝えられている。瓦礫の下の死傷者はまだ増える模様で、このビルには3000人以上の人が働いていたという。事故前にビルのひびがみつかり、いったんは労働者が屋外に避難したにもかかわらず、経営者が屋内で働くよう強制して、この悲惨な災害が起こった。

 近年、中国の労働コストの3分の1という労賃の低さにひかれて、日本企業も含め外国企業が流入している。輸出の80パーセントは繊維製品で、「世界のアパレル工場」といわれている。衣料品の安さをノーテンキに喜んで、こうした犠牲に思いが至らなかったことに、暗澹たる気分になる。

 バングラデシュは世界最貧国に数えられる。国民の75パーセント(1億1800万人)が1日2ドル未満で暮らしている。ほぼ日本の人口に相当する人々が年収7万円ほどで暮らしているのだ。国土の大部分がガンジス川のデルタ地帯の低湿地で、周期的に洪水、津波、干ばつ、サイクロンに襲われので富の蓄積ができない。そのうえ、行政がうまく機能していない。日本を始め外国からの経済援助も有効に利用されていない。政治家や官僚の汚職が多い。

 そうした政治の貧困を補うように、NGO活動が盛ん。その中で一番有名なのが「グラミン銀行」だ。貧困層へ低金利の少額融資(マイクロクレジット)をする。「グラミン」とは「村の」という意味で、はじめ農村部の女性の自立と貧困改善をめざして始められた。その業績をたたえて経済学者で創設者のムハマド・ユヌス と「グラミン銀行」は2006年にノーベル平和賞が授与された。ほかならぬ「平和賞」だ。

 1974年、アメリカに留学して帰国したユヌスはチッタゴン大学の経済学部長として、学生たちに「あらゆるタイプの経済問題を解決してくれるエレガントな経済理論」を教えていた(ムハマド・ユヌス自伝「貧困無き世界をめざす銀行家」早川書房)。ところが、その年バングラデシュは大飢饉に襲われ、大学の外には無言で死んでいく餓死者があふれていた。愕然としたユヌスは農村の貧困をどうにかして救おうと決意する。大学の近くの村で竹で編んだ椅子を作っている女性は、材料の竹を買うわずかな金がないために高利貸しから金を借り、悪循環に陥っていた。1日中働いてもたった2セントしか稼げない。「大学の講義で、私は何万ドルもの金について論じてきた。ところが、今、私の目の前ではわずか数セントの金を巡って生と死の問題が起こっているのだ」(同書より)。

 ユヌスは学生と共に村の貧困の調査をし、銀行に金を貸してくれるように頼み回るがどこも応じてくれるところはない。策に窮したユヌスは村の42所帯のために 、ポケットマネーの27ドルを提供した。ここから壮大な「グラミン銀行」の事業が始まっていく。働き者であるけれど、イスラムの戒律に縛られて、字を書くことはおろか、お金など触ったこともなく、見知らぬ男性と口もきけなかった貧しい農村の母親たちが、家庭の経済に責任を持ち、子供に教育を与え、プライドを持って人生を切り開いて成長していくのだ。しかし、貧困の根は深い。倒壊した縫製工場で働いていた人たちは一日働いて、いくらの収入があったのだろうか。ユヌスの自伝に取り上げられた母親の子供たちや同胞が、ダッカの縫製工場の瓦礫の下に横たわっているのかと思う。

 「自分がグラミンの仲間たちと一緒にしてきた仕事のすべては、この目の前にある問題を解決するために捧げられたものだと見なしている。その問題とは、人類のあらゆる努力を汚し、侮辱するものー貧困である」(同書より)。

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Published in 水曜日, 5月 1st, 2013, at 18:59, and filed under 未分類.

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