澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「言っちゃった 金で政治を買ってると」-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第3弾

過日の毎日新聞・万能川柳欄の一句。知らない人の作句だが、この内容はみごとに私のことなのだ。ぜひともこの作者に、私のブログとスラップ訴訟を知ってもらいたい。そして次の句作のネタにしていただきたい。

DHCの会長が、みんなの党渡辺喜美代表に8億円の金銭を渡していた。そのことが明らかになって、世間の風当たりはカネを受けとった側に強かった。しかし私は、「カネで政治を買おうとした」側に批判の目を向けなければならないとブログに書いた。まさしく、「言っちゃった 金で政治を買ってると」というわけだ。それに対する2000万円のスラップ訴訟提起なのである。

古来、政治にはカネが大きくものをいった。お代官様は、越後屋から密かにカネを受けとっているのが通り相場。見えないところでうごめく巨額のカネが、政治の公正を歪めてきた。

民主主義の成熟には、金権政治からの脱却という大きな課題がある。この点について、丸山眞男が1952年に発刊した「政治の世界」(同名の岩波文庫に所載)の中に次のような一文がある。

「第一次大戦の頃、或るアメリカの経済学者が、『われわれの社会は一方、政治権力が大衆に与えられているのに他方、経済的権力が少数階級の手中にある限り、常に不安定で、爆発的な化合物たるを免れないであろう。最後にはこの二つの力のうちどっちかが支配するだろう。金権政治がデモクラシーを買取ってしまうか、それともデモクラシーが金権政治を投票によって斥けるかどちらかである』(H.Lasswell)と警告していますが、いまやますます激化して行くこの矛盾を解決しうるかどうかに、代議制の将来はかかっているといっても過言ではないでしょう」

第一次大戦の勃発はちょうど100年も昔のこと。そのころから、社会の基本構造をどう見るかに関わる年季の入った論争が行われてきた。「政治権力が大衆に与えられている」という民主主義の美しい原理は、実は社会の病理を解決するほどの現実的な力を持っていない。端的に言えば、「大衆に与えられている政治権力」とは見せかけだけのもので、社会を動かす実権は「少数階級の経済的権力」が握っているのだ。

この「大衆にあるとされている政治的権力」と、「少数階級が握っている経済的権力」との角逐が、この社会の基本構造をかたちづくっている。前記丸山の引用するハロルド・ラスウェルの言葉を借りれば、両者の角逐は、「金権政治がデモクラシーを買取ってしまうか、それともデモクラシーが金権政治を投票によって斥けるか」どちらかの決着まで続くことになる。まさしく、今の日本の政治もそのような角逐の途上にある。

言うまでもなく、社会の建前は、デモクラシーを是とし金権政治を非とする。民主主義の徹底を正義とし、金権をもってこれを攪乱しようという策動を不正義とする。

だから、「金権政治がデモクラシーを買取ってしまう」という手法は、基本的に隠密裡に行われる。裏金がうごめく世界なのだ。そのアンダーワールドにおいては、裏金を動かす人物がご主人様であり、裏金に拝跪してこれを押し戴く政治家がそのパシリである。かくて政治は、ご主人様のご意向を汲む方向に流される。

見かけの上の「人民の人民による人民のための政治」は、内実において「金主の金主による金主のための政治」となりかねない。

だから、この種の事案に対する徹底した批判が重要なのだ。そして、批判を封じようとするスラップ訴訟への批判はさらに重要といわねばならない。
(2014年7月15日)

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