澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第14弾

最近、スラップ訴訟被害者の述懐に目が行く。とてもよく分かる。口を揃えて「頭の中が常に裁判のことばかりで気持ちが落ちつかない」と言う。また、「応訴費用の負担がきつい」とも、「訴訟準備に忙殺されて仕事に支障が及ぶのが辛い」とも言う。おそらくは、「応訴がこんなに面倒なら少し筆を控えればよかった」という思いを振り払いながら、耐えているのだろう。

私は、スラップ被害者としてはもっとも恵まれた立ち場だろう。弁護団員も100人を超えた。カンパも順調に集まっている。多くの人が、澤藤個人のためではなく、言論の自由や民主主義のために、心底怒って支援を惜しまない。何とありがたいことかと思う。しかし、その私でさえ被告になったことの煩わしさにはうんざりすることが度々。少し筆を抑えようかという気持ちと、それではいけないという気持ちに揺れたりもする。一刻も早く被告の座から解放されたいとの気持ちは隠せない。

それでも自分を励まして、当ブログを通じてスラップに萎縮していないことをアピールしつつ、スラップ訴訟への警戒心を多くの人に呼び掛けるとともに、反スラップの世論を盛り上げたいと念じている。そのことを通じて、表現の自由と民主主義の擁護に寄与したいと思う。その思いから、多くのスラップ被害者に連携を呼び掛けたい。知恵を共有し、力を合わせることによって、一つ一つのスラップ訴訟に勝ち抜き、言論の自由を封殺するスラップを撲滅しようではないか。

今既に、アメリカの約30の州には「反スラップ法」があるという。その法によって、スラップ被害から市民やジャーナリストを救済する制度が確立しており、抑制の効果も出ていると聞く。その制度のない我が国では、まずは訴権の濫用による訴えの却下によって、被告の座からの早期解放の実現を求める試みが行われてしかるべきであろう。以下、このことについて、述べたい。

私は「DHC・渡辺喜美」事件について、私の意見を3度ブログに書いた。その趣旨は、「カネで政治が動かされてはならない」「政治資金の動きは透明でなくてはならない」という至極常識的で、真っ当な政治的見解である。卓見でもなく、オリジナリティもないが、このブログでの表現内容は、紛れもなく政治的言論であって、政治的言論を離れた人格攻撃などという色彩はまったくない。

DHCとその代表者には、その政治的言論が気に入らなかった。言論の中にある批判が、真っ当なだけに痛かったのだろう。しかし、言論が気に入らなくても、耳に痛くても、それを封殺することは本来なしえない。私の政治的言論の自由が憲法で保障された基本的権利である以上は、甘受せざるを得ないのだ。

あらためて確認しておこう。人に迷惑の及ばないことができるというだけのことを麗々しく「権利」とは言わない。人を褒める権利、人におもねる権利などは、意味をもたない。そんなものは、そもそも権利の名に値しない。人に迷惑かけても、人が嫌がっても、場合によっては具体的な被害を与えても、その被害の受忍を要求できることが「権利」の権利たる所以なのだ。

自由というのも同じこと。他人の自由や権利や利益と衝突しない自由は、無意味な自由に過ぎない。他人の自由や権利や利益と衝突してなお、自分の思うとおりに振る舞えるのが憲法の保障する「自由」である。

私に、DHCとその代表者を批判する権利があるということ、批判の言論の自由があるということは、批判される側の不愉快の感情を押し切る権利であり、自由であるのだ。

もっとも、普通の社会生活を送っている一般人が、他人からの面と向かっての批判を甘受しなければならない場面は想定しがたい。言論による批判を甘受しなければならないのは、原則として、権力や経済力を持って社会に影響力を持つ人だけである。それが、民主主義社会のルールである。

天皇、首相、大臣、国会議員、政治家、高級官僚、大企業幹部などが、その典型として言論による批判を甘受しなければならない人たち。とすれば、DHCとその代表者はどうであろうか。明らかに「一般人」ではあり得ない。日本有数の大企業経営者として社会的な影響力を持っていることから、批判の言論に対してその地位にふさわしい受忍義務(我慢しなければならないこと)の負担を負うと言わねばならない。

さらに強調しなければならなことがある。DHCの代表者は、多額のカネを政治に注ぎこんだのである。しかも、不透明極まる態様において。具体的には、DHCの代表者が、みんなの党の党首渡辺喜美に届出のないカネを渡した瞬間に、DHCの代表者は、公務員や政治家と同等に、国民からの徹底した批判を甘受すべき立ち場となった。公人に準ずる立場に立ったものというべきである。

このような立場の者に対しての国民の批判の言論は、最大限に保障されなければならない。このような人物は、公人と同様に批判の論評を真摯に受けとめ、節度をもって対応しなければならない。

にもかかわらず、直情的に提訴に至ったのは軽挙妄動と評せざるを得ない。この軽挙こそがスラップである。提訴自体が、私の政治的言論に対する攻撃である。このような提訴は、訴権の濫用の典型例というべきである。訴えを起こすことが国民の権利ではあっても、このような政治的言論に対する攻撃を意図し、萎縮効果を狙ったことが明らかな提訴は、訴権の濫用として実体審理に踏み込むことなく却下すべきである。かくして、スラップ訴訟の被害者は早期に被告の座から解放されることになる。
(2014年8月4日)

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 (カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)

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