澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

醜悪なり。靖国参拝女性3閣僚。

「靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行されます」「当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます」(靖国神社ホームページから)

靖国神社は、戊辰戦争における官軍の戦死者を祀った東京招魂社(1869年創建)がその前身。「靖国」との改称(1879年)の後も、天皇制を支えた陸海軍と深く結びついた軍国神社であった。天皇の軍隊の戦死者を祭神とし、英霊と美称して顕彰する神社である。単に、追悼して慰霊するだけではない、戦死者の最大限顕彰を通じて天皇が唱導する侵略戦争を美化する宗教的軍事装置であった。天皇制との結びつきはこの神社の本質。だから、いまだに勅使が出向いて来るのだ。

戦死者を英霊とし祭神として最大限に賛美するとき、その戦死をもたらした戦争への否定的評価は拒絶されることになる。靖国神社をめぐる論争の根源は、明治維新以来天皇制政府が繰り返してきた戦争の侵略性を冷静に検証するのか、無批判に美化するのかをめぐってのもの。従って、宗教法人靖国神社は、一貫して歴史修正主義の一大拠点となってきた。

敗戦とともに、陸海軍は消滅した。しかし、軍と運命共同体であったはずの靖国との軍事的宗教施設であった靖国神社は、軍と切り離されて宗教法人として生き残った。形式上国家との関係を断ち切って、天皇とも軍とも一切無縁の存在になるはずだった。しかし、その実態はそうなっていない。靖国神社自身がかつてと変わらぬ権力との結びつきを強く希望し、国家主義・軍国主義推進勢力がこれを利用している。しかも、靖国の強みは民衆と結びつき、民衆がこれを支えていることにある。

かつては靖国国営化法案、その後は首相と天皇の公式参拝推進運動。自民党憲法改正草案でも、政教分離条項の骨抜き案‥。靖国問題は「戦後民主々義の理念を擁護」するか、「戦後レジームからの脱却」を志向するか。その象徴的なテーマとなってきた。靖国が軍や戦争と深く結びついた過去を持ち、その過去の心性をそのままに現在に生き残ったことからの必然と言えよう。ことは、何よりも戦争と平和に深く関わり、歴史認識や天皇制、民族主義等々での見解のせめぎ合いの焦点となっている。歴史修正主義派や軍国主義的傾向の強い保守派をさして、「靖国派」という言葉が生まれることにも必然性があるのだ。

その靖国神社の今年の秋期例大祭。話題は多い。
まず、安倍首相は参拝こそ見送ったが、参拝に代えて真榊を奉納した。「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書きを付しての奉納である。単なる記帳ではなく、これ見よがしに「内閣総理大臣」と明記した名札を誇示した真榊の写真が公開されている。

真榊とは神道において神の依り代となる常緑樹を祭具にしつらえたもの。その奉納が宗教性を帯びた行為であることに疑問の余地はない。県知事から靖国神社に対する玉串料の奉納が、憲法20条3項にいう「国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」に違反することは、愛媛玉串料訴訟の大法廷判決が確認しているところ。内閣総理大臣から靖国神社に対する真榊の奉納も違憲であることは明確というべきである。

憲法20条は、政教分離原則を定める。「政」とは政治権力のこと、「教」とは宗教のこと。この両者は厚く高い壁で遮られなければならない。お互いの利用は醜悪なものとして許されないのだ。形式的には、政治権力と厚い壁で隔てられるべき「教」とは宗教一般とされてはいるが、実は、憲法が警戒するのは国家神道の復活であり、分けてもその軍国主義的側面を象徴する靖国神社にほかならない。

国家を代表する立場にある首相が、特定の宗教団体を特別の存在として、「内閣総理大臣」と肩書きを付したうえ首相補佐官を使者として、宗教祭具を宗教施設に奉納することは、紛れもなく違憲である。首相が靖国神社参拝を見送ったことを評価する向きもあるが、真榊の奉納も違憲違法な行為であることを確認し強調しなければならない。

首相だけが問題なのではない。相変わらず、保守派議員の集団での靖国神社参拝が絶えない。秋季大祭の初日(10月17日)には、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の111人が参拝した。この議員の数が、憲法の危機的状況をよく物語っている。この議員たちには、靖国神社参拝の集団に加わることが選挙民の支持獲得に有利だという計算がある。そのような計算をさせる「主権者」の意識状況であることを肝に銘じなければならない。もっとも、昨年春の例大祭時(2013年4月23日)には、衆参合計168議員が集団参拝(衆議院議員139人、参議院議員29人)と報じられていたから、やや少なくはなっている。

ハイライトは、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相の女性3閣僚が、18日相次ぎ靖国を参拝したこと。安倍内閣右翼3シスターズのそろい踏み。この女性たちが、靖国派閣僚の急先鋒なのだ。

参拝後の各閣僚のコメントが、下記の通り右派に通有の決まり文句。
「国のために尊い命をささげられたご英霊に感謝の誠をささげた。平和な国づくりをお誓い、お約束した」「1人の日本人が国策に殉じられた方々を思い、尊崇の念を持って感謝の誠をささげるという行為は、私たちが自由にみずからの心に従って行うものであり、外交関係になるものではない」「国難に際し命をささげられたみ霊に対し、心を込めてお参りをした。国難のとき、戦地に赴き命をささげられた方々にどのように向き合うか、どのように追悼するかは国民が決める話であり、他国に『参拝せよ』とか『参拝するな』と言われる話ではないと認識している」

これらのコメントには、侵略戦争への反省のかけらもない。そもそも、軍国神社は平和を語り願うためにふさわしい場ではない。「ご英霊に尊崇の念を捧げる」行為が自由にできるのは私人に限ってのこと、「国またはその機関」としての資格においては違憲違法な行為である。「外交関係になるものではない」は、現実を見ようとしない勝手な思い込み。「他国に『参拝せよ』とか『参拝するな』と言われる話ではない」は、被侵略国、被植民地の民衆の神経をことさらに逆なでする傲慢な暴言。右派閣僚3シスターズ。その無神経な参拝も、その後のコメントの内容も醜悪というほかはない。

ところで、朝日が10月17日付社説で、次のように「靖国参拝―高市さん、自重すべきだ」と呼びかけている。

「高市さん、ここは(靖国神社参拝を)自重すべきではないか。
そもそも、首相をはじめ政治指導者は、A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではない。政教分離の原則に反するとの指摘もある。
しかも、北京で来月開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中首脳会談の実現に向けて、関係者が努力を重ねているときである。それに水を差しかねない行為を慎むのは、閣僚として当然だ。」
というもの。参拝反対の立場は結構だが、何とも生ぬるい指摘ではないか。

「A級戦犯の合祀」は靖国神社の立場をわかりやすく象徴するものだが、合祀以前に問題がなかったわけではなく、分祀が実現すれば問題がなくなるわけでもない。「A級戦犯以外の英霊の合祀」なら問題なしと解されかねない危険も秘めている。
「A級戦犯合祀」の問題性指摘は欠かせないものではあるが、「A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではない」との書きぶりは、「靖国問題」を「A級戦犯合祀問題」へと矮小化する誤解を生じかねない。

「政教分離の原則に反するとの指摘もある」とは、自分の見解としてではなく他人事として触れている姿勢。迫力を欠くことこの上ない。あとは、「国益にマイナス」論だ。

朝日は、どうして真っ向から靖国神社のなんたるかを語らないのか。遊就館の偏頗な歴史認識を語らないのか。天皇制や、軍国主義や、侵略戦争、植民地支配の国策がもたらした惨禍から日本国憲法が成立し、政教分離原則もできていることをなぜ敢えて文章にしないのか。本質論を避けて通ろうとするごとくで、歯がゆさを禁じ得ない。
(2014年10月19日)

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Published in 日曜日, 10月 19th, 2014, at 21:59, and filed under 政教分離・靖国, 歴史認識.

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