澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

お薦めの書「原発と大津波 警告を葬った人々」

月に群雲、花に風。原発には地震と津波である。誰もがそう連想し、原発の設計や管理には地震と津波への十分な対策がなされてきたのだろうと考える。

ところが、1966年福島第1原発の設置申請時の設計思想は、そのようなものではなかった。耐震性についてはともかく、こと津波については、これに対応しようとの設計上の配慮はおよそなきに等しかったのだと教えられて愕然とする。それだけではない。その後の大津波来襲の危険は、実は東電には想定内のものであった。しかし、想定しながらもなんの対策もとられないまま、あの3・11の悲劇を迎えたのだという。

サイエンスライター添田孝史の話題の書「原発と大津波 警告を葬った人々」(岩波新書 2014年11月20日発行)を読んで、あらためて「知らないことは恐ろしい」と思い、「知らされないことはさらに恐ろしい」とも思う。国会事故調の協力調査員として津波分を担当した著者が、このような形で有益な情報を提供してくれたことに感謝するとともに、この情報を後世に向けて使いこなすにはどうすればよいのか、考え込まざるをえない。

福島第1原発設計上想定された最大の津波の高さは「3.1m」であった。驚くべきは、その数値自身ではなく、その決め方である。当時は、「既往最大」が想定する津波の規模を決める基本思想であった。「過去に起きたレベル以上に危険な現象は将来も起きるまい」という安易な考え方。仮にこの考え方に合理性があることを認めたとしても、「既往」のスパンをどれほどに斟酌するかで具体的な内容は大きく変わってくる。地球史の中でのできごとである津波について、どれほどの「既往」の期間を考慮すべきか、悩ましいところではある。

福島第1原発の場合、設計時から遡って「過去12年!」の津波の記録から割り出されたものがこの想定最大津波高だというから驚かざるを得ない。これは、原発立地近くの小名浜港におけるチリ津波(1960年)時の津波の高さで、正確には「3.122m」だという。これ以上の津波はあるまいという想定で、危険な原発が作られたのだ。そして、建設後40年目の2011年3月11日、福島第1原を遡上高14メートルを超す津波が襲った。発電所は全電源を喪失し、原子炉冷却が不能となって、1号炉・2号炉・3号炉でメルトダウンが発生。水素爆発を伴う重大な放射能被曝事故となった。

この書の標題が示すとおり、著者は「警告を葬った人々」の責任を浮き彫りにしようとしている。この書に、「脱原発」「原発ゼロ」「再稼働反対」というスローガンは出てこない。その時代の科学的知見に照らして、津波に対していかなる対応をすべきであったかを検証する姿勢に徹している。

著者の基本的な考えは「バックチェック」という言葉に集約されている。福島第1原発設計時には、地震学は未熟であり津波のメカニズムや既往の津波の規模についても知見は乏しかった。だから、想定津波高3.1mという設計思想でもやむを得なかったかも知れない。しかし、その後急速に地震学は進歩し、津波についても歴史的地質学的知見が著しく豊富になった。問題は、その都度の最新の科学的知見が生かされなかったことだ。「新しい知見に基づいて基準を改定し、それに照らして安全かどうかチェックする仕組み」(バックチェック)が働いた形跡はない。むしろ、最新の科学的知見による警告は意識的に「葬られた」のだという。「葬った人々」とは、東電の幹部であり、土木学会の研究者であり、保安院の官僚たちである。

本書が解説する「地震と津波に関する新たな科学的知見」とは、プレートテクトニクス理論であり、過去の津波の周期と規模を特定する地質学的調査手法であり、「地震津波」(特別に大きな津波を生ずるタイプの地震。3・11はこのタイプ)の理解であり、コンピュータ解析に基づくシミュレーション解析等々である。

この書の18頁に、「福島第1原発と津波に関する年表」が掲載されている。常にこの表を見ながら読み進めることになるが、この表の中に「東電による津波想定」の変化が記されている。学界や行政からの警告によって、東電自身がどのように「対応をすべき津波高」を想定したのかという変化の後付けである。これを抜き書きしてみよう。
 1966年 設置許可申請時               3.1m
 1993年 資源エネルギー庁の津波の想定見直し指示時  3.5m
 1997年 津波の想定方法についての7省庁手引き発出時 4.8m
 2000年 福島第1の余裕不足を指摘の電事連報告時   5 m
 2002年 土木学会が津波評価技術を発表        5.7m
 2008年 東電が「津波地震」の津波高を計算     15.7m

間違ってはならない。「このような認識が可能だったはずの数値」ではなく、「東電自身が現実に認識していた想定値」である。しかし、この認識が対策として生かされることはなかった。40年間に津波対策として実行されたのは、2002年3月に土木学会手法に従って、想定される津波の高さを5.7mと見直した際に、6号機の非常用海水ポンプ電動機をわずか20センチかさ上げしただけなのだ。「たった一回の20センチ」、しかもこれとて余裕はわずかに3センチ。想定に誤差があれば、ポンプの機能が失われる恐れがあった、という(40頁)。

この書は、原発政策についての理念的な問題提起であるよりは、法的責任追及根拠の資料のまとめとして有益である。

適用の有無と範囲について争われることになる原賠法上の民事無過失責任は別として、刑事責任にせよ民事責任にせよ、責任追及には過失の存在が要求される。過失は注意義務違反として設定されるが、法が不可能なことを人に要求はできないことから、注意義務は予見可能性の存在を前提とする。したがって、責任追及する側と防御する側において、予見可能性の有無が激しく争われることになる。そのときには、問題の性質によって予見可能性のレベルも決せられる。そして、原発のような最大限に安全でなくてはならない危険物の製造や管理には、事故の発生を防止し、人に対する危害を防止すべき最高レベルの作為義務が設定されることになる。

本件の責任追及では、現実に3・11で福島第1原発を襲った規模の津波が想定可能であったか否かがまず問題となる。ところが、添田新書が具体的に明らかとしているのは、東電はこの規模の津波の可能性を現実に想定していたのだということだ。であるからには予見可能性の有無は問題にならない。謂わば、「想定外の津波がきた」は設計時にはともかく、その後には通用しないのだ。作為・不作為の結果回避義務は当然に認められてしかるべきである。

この書に一貫している太い筋は、以上のとおり「原発の危険性に鑑みて、これを管理するには、科学的知見の進展に沿った真摯な対応が必要ななのだ。ところが、検証してみれば、東電はまったく必要な対応をしてこなかった」というものである。

しかし、この書に表れているディテールは、以上を訴えるにとどまらない。政治や社会の機構は、真摯に人間の安全を第一義とすることを困難にしている。結局は、権力や資本の論理が優先し、これと癒着した学界や巨大組織内で保身を優先する人々が、人間の安全をないがしろにする。そのような実態が暴かれている。

この点について、この書のエピローグに次のような詠嘆がある。
「規制当局や東電の実態を知るにつれ、彼らに原発の運転を任せるのはとても怖いことを実感した。間違えば、国土の半分が使い物にならなくなるような技術を、慎重に謙虚に使う能力がない。しかも経済優先のため再稼働を主張し、科学者の懸念を無視して『リスクは低い』と強弁する電力会社や規制当局の姿は、事故後も変わっていない」

今後とも、原発というこのとてつもない危険物を、この社会が安全に設計し管理できるとは到底考えがたい。やはり、原発をなくし、原発ゼロの社会を目指すしかない。そう思わせる読後感である。
(2014年12月28日)

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