澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「我が国の極端な司法消極主義」と「韓国の余りに果敢な積極主義」とー日韓憲法裁判事情の落差

12月19日、韓国憲法裁判所が「統合進歩党」(統進党、あるいは進歩党と略称)の解散を命じる決定を下した。裁判官は9名、うち認容8対棄却1の圧倒的多数での政党解散命令であった。

意外にも、韓国のメディアはこの憲政史上初の判決に好意的なようだ。「中道や進歩的と言われる裁判官まで統進党の目的と活動が民主的な基本秩序を深刻に害していると判断した」「自由民主体制を揺るがす憲法破壊政党に寛容ではないという峻厳な憲法守護の審判」などと報道されている。

私は、これまで韓国憲法裁判所を高く評価してきた。日本の極端な司法消極主義に比較して、果敢に体制に切り込むその積極姿勢を好もしいとし、羨望まで感じていたいたものだ。しかし、この度の政党解散命令には大いに戸惑うばかり。このような権力行使の権限を司法に与えてよいのだろうか。「日本国憲法を改正して、わが国にも憲法裁判所の創設を」という提唱は古くからある。一面魅力的な提案にも見えるが、韓国憲法裁判所のこの事態に接した以上は、「憲法裁判所設置には反対」と姿勢を明確にせざるを得ない。

一昨年(2012年)の5月、日民協は「韓国司法制度調査団」をつくって、韓国憲法裁判所を訪問した。きっかけは、前年(2011年)8月30日の「政府の不作為が違憲であることを確認する」という憲法裁判所の認容決定報道。その事件の請求人(原告)は「元日本軍慰安婦として被害を受けた女性たち」、事件名は「韓日請求権協定第3条不作為違憲確認請求訴訟」という。

請求人ら元日本軍慰安婦とされた女性の日本に対する損害賠償請求権が存続しているのか、それとも1965年「日韓請求権協定」に基づいて消滅してしまったかの解釈上の紛争に関して、憲法裁判所は「韓国政府は解釈上の疑義を条約に定められた手続きに従って解決すべき義務を負っている」と認定した上、その不作為を違憲と判断したというのだ。

高邁な憲法理念と高邁ならざる最高裁判決との落差に臍を噛んでばかりの日本の弁護士には、韓国憲法裁判所の判決は驚嘆の内容。行政に対する厳格なこの姿勢はいったいどこから生まれてきたのだろう。どのようにしてこのような「裁判所」が実現したのだろうか。その疑問ゆえの韓国憲法裁判所訪問であった。

韓国憲法裁判所では、見学者に対する応接の親切さと説明の熱意に驚いた。まずは15分ほどの憲法裁判所のプロモーションビデオを見た。みごとな日本語版であったが、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語版まであるという。そのタイトルが「社会を変える素晴らしい瞬間のために」というもの。憲法裁判所の、国民一人ひとりの幸福に直接つながる活動をしているのだという強い自負が伝わってくる。
 
その後、われわれの手許には、案内のリーフレットだけでなく、大韓民国憲法と憲法裁判所法の全文(英文)の小冊子が配布され、最高裁調査官にあたる憲法研究員から憲法裁判所の理念や仕組みそして、その運用の実態や社会的評価について2時間にわたって懇切な説明と充実した質疑応答があった。研究員のお一人は、日本に留学(東北大学)の経験ある方で、完璧な日本語での説明だった。その気取らない応対の姿勢にいたく感心し、わが国の最高裁のあの権威主義的な横柄な対応との懸隔を嘆いたものだった。

その憲法裁判所による政党解散の強権発動である。一院制の韓国国会の議席数は300のところ、統進党は国会議員5名をもつ。地方議員は37名だそうだ。選挙によって、これだけの国民の支持を得ている政党が強制的に解散させられた。

伝えられる決定の内容は、「統進党の真の目的と活動は、一次的に暴力によって進歩的民主主義を実現し、最終的に北朝鮮式の社会主義を実現するためのもの」「北朝鮮の対南革命戦略に追従し、自由民主主義体制を転覆しようとする統進党の隠れた意図が李石基議員内乱事件で現実のものとなった」「民主的な基本秩序に実質的な害悪を及ぼす恐れがある具体的な危険を招いた」というもので、さらに「北朝鮮という反国家団体と対立している大韓民国の特殊な状況も考慮しなければならない」と強調されているという。

日本国憲法に政党についての定めはないが、韓国憲法第8条は、政党について下記の定めをしているという。

第8条
① 政党の設立は自由であり、複数政党制は保障される。
② 政党は、その目的、組織及び活動が民主的でなければならず、国民の政治的意思形成に参与するのに必要な組織を有しなければならない。
③ 政党は、法律が定めるところにより、国の保護を受け、国は、法律が定めるところにより、政党運営に必要な資金を補助することができる。
④ 政党の目的又は活動が、民主的基本秩序に違背するときは、政府は、憲法裁判所にその解散を提訴することができ、政党は、憲法裁判所の審判により解散される。

日本国憲法に馴染んだ感覚からは、1項は当然として、2項はなくもがな、3項は異様、4項は恐るべき規定である。政党に対する強権的解散命令の制度と憲法裁判所の存在とがセットになっていることが注目される。

政党は議会制民主主義の展開過程において、民意と議会をつなぐ不可欠の組織である。民主主義の基礎をなす組織と言ってよい。反憲法的スローガンをもつ政党と言えども、選挙によって淘汰されるのが本来のあり方で、解散命令には原理的に馴染まないと思えるのだ。憲法裁判所としては、もっと抑制的な対応の仕方があったのではないだろうか。

たとえば、ここでは日本の最高裁に倣って、悪評さくさくの司法消極主義採用の智恵を働かせてもよかったのではないだろうか。
「民主主義的基盤を持たない憲法裁判所が、有権者の一定の支持を得ている政党に解散を命じるに当たっては、有権者の意思を尊重して可及的に抑制的であるべきで、当該政党の基本理念とその基本理念が表出された外形的行為の両面において、違憲性が一見明白と言えない限りは解散命令を避けるべきである」
というふうに。

以下は、衆議院の憲法調査会での議論のまとめ(2005年)の一部として紹介された見解である。傾聴に値するのではないだろうか。
「憲法裁判所による抽象的審査には、『裁判所が政治的判断を迫られる』、『人権保護より秩序維持に走りやすい』などの問題点があるのに対し、付随的違憲審査制は、具体的事件において深い議論の下で司法審査が行われる、立法作業の抽象的側面を補完するなど優れた制度と考える」
「憲法裁判所を導入しても司法が積極主義に転ずる保証はなく、また、憲法裁判所は政治的に利用されやすいため人権保護の点からも好ましくない」
「抽象的違憲判断の効力が当該法令の改変にまで及ぶとすれば、正に立法権を裁判所が行使することになる」

要は三権分立のバランスの問題としてある。人権の擁護のために、国家機関の権限を分立しなければならないとする自由主義的要請を貫徹するには、どのようなバランスが望ましいのだろうか。民主主義的な基盤を持たない司法(憲法裁判所も含むと理解する)が、過度に積極的に立法や行政の一部の権限を侵蝕することはけっして望ましいものではない。ましてや、政党活動の自由・結社の自由という重要な基本権を否定する方向での積極性の発揮であればなおさらのことである。

私は、ネオナチや極右に対する批判の言論は極めて重要だと思う。しかし、ネオナチ政党だから、あるいは極右だから極左だからという理由で、その主張を理念とする政党の存在が否定されるようなことがあってはならないと思う。日本国憲法の用語で表現すれば、結社の自由を否定してはならない。その政党や政党の主張への批判の言論の保障は、批判対象の政党の存立否定を意味するものではない。司法は、いかなる政党についてであるにせよ、その結社の自由侵害に手を貸すようなことがあってはならない。

なお、韓国憲法裁判所のこの度の統進党解散決定理由の中に、「合法的な政党を装い、税金である政党補助金を受け取って活動した。民主的基本秩序を破壊しようとする危険性を除去するには解散決定のほかに代案はない」との一節があるという。前記の韓国憲法8条3項の「政党に対する国の保護」「政党運営に必要な資金の補助」に絡む問題である。「政党に対する保護」「政党運営への資金補助」は、明らかに国の政党介入の根拠を確保するための制度である。「カネを出すからには口も出す」ことが了解されているのだ。この度の韓国憲法裁判所の決定は、そのことを露骨に語っている。

我が国においても、政党助成金は、国家による政党統制の根拠とされる恐れが濃厚というべきであろう。国家から独立した健全な政党政党政治の発展のため、政党助成金制度はできるだけ早期になくするに越したことはない。
(2014年12月29日)

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