澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「粛々」とではなく「轟轟」とー辺野古沖埋立工事停止要求の声を上げよう

いったいいつころから、権力者は「粛々と」という言葉を使うようになったのだろう。粛の原意は、厳粛、粛然などの熟語に表れている「おごそか」「つつしむ」「ひきしまる」などの意味のようだ。これに加えて静粛の「しずか」も意味している。「鞭声粛々夜河を過る」の粛々も、「静かに」、「ひっそり」ということ。これに「やや緊張して」のニュアンスが感じられる。

権力を持つ者、力の強い者、法的な権利性に自信をもつ者は、騒ぐ必要がない。誰にも遠慮したり配慮したりすることなく、「粛々と」ことを運ぶことができる。その意味で、「粛々と」は権力者の余裕を誇示する用語となっている。「下々がどう騒ごうと、なんの痛痒もない。やりたいようにやらせていただくまでのこと」という語感が込められている。

これに対して、力なき者、弱い立場にある者は、粛々とはしておれない。大いに騒ぎたてなければならない。力弱き者が力を獲得するためには、まずは多くの人に訴えなければならない。こちらは「轟轟と」ことを進めなければならない、あるいは「喧々囂々と」だ。

今回の辺野古沖海面埋め立て工事の停止指示をめぐる議論においても、国は「粛々と」という言葉を使っている。菅官房長官は、「翁長氏の指示は違法性が重大かつ明白で無効だと判断」「法律に基づいて工事を粛々と進めることに全く変わりはない」と言うのだ。たしかに、「違法性が重大かつ明白」ならば、知事の工事停止指示は「無効」となる。無効とは、なんの法的効果ももたらさないということ。ならば、指示を無視して、「粛々と工事を進める」ことができる。国は工事を継続するために何の手続も必要ないのだ。

ところが、国は大いに慌てて農林水産大臣に対する審査請求の申立をした。併せて、執行停止も申し立てた。知事の岩礁破砕許可申請という歴とした行政処分を待ってからではなく、許可条件にもとづく工事停止指示に対する不服申立であり、執行停止である。国の、衝撃の大きさ、慌てふためいている心情がよく表れている。

県の工事停止指示は、あくまで知事による岩礁破砕許可に付された条件を根拠とするものである。これに行政不服審査の要件としての処分性が認められるとする国の主張は自明ではない。また、岩礁破砕許可の条件が遵守されているか否かを調査する必要があるとの県の言い分を、理由ないとして一蹴することは農水相としてもなかなか困難ではないか。

とは言え、農水相は内閣を構成する一員である。審査請求に対して国の望むような裁決を出さざるを得ないということになる公算も大きい。その場合、「工事停止指示に関する執行停止申立」も認容されることもあり得る。なにせ、プレーヤーとアンパイアが一心同体なのだから。

しかし、そうなったところで、県が本気になって岩礁破砕許可を取り消してしまえば、結局は無駄な手続だったことになる。あらためての取消処分に対する行政不服審査の申立が必要になる。そして、引き続いての行政訴訟係属となり、あらためての執行停止申立手続きが進行することにもなる。

このような法的手続における国の強硬姿勢は、沖縄の民意をますます反基地、反米、反政権に追いやり、新辺野古基地建設などは事実上不可能になっていくだろう。時あたかも、統一地方選挙目前である。政権には痛手となるだろう。

さて、行政不服審査手続に及んだ国の態度は、もはや「粛々と」などというものではない。まったく余裕なく、髪振り乱しての手続申立である。粛々と工事を進捗させるなどと言っておれないことを表白している。既に騒がざるを得なくなっているのだ。

一方の沖縄県側。こちらは国にも増して大いに騒ぐ必要がある。沖縄の民意が蹂躙されているのだ。怒らずにはおられない。知事を支えて、国の不当を訴えねばならない。私も本土での応援団の一人として声を上げよう。「粛々と」ではなく、「喧々囂々と」である。
(2015年3月25日)

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