澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

安倍政権批判こそが統一地方選挙の課題だ

昨日(3月26日)の10道県知事選の告示で、2015年統一地方選の前半戦の幕が開いた。4月12日(日)の投票日には、同知事選だけでなく、5政令指定都市市長、41道府県議会議員、17政令指定都市議会議員の各選挙の投票がおこなわれる。

そして後半戦の投票日が4月26日(日)。この日は、政令指定以外の市区町村長とその議会議員選挙の投票。

統一地方選としては、この度が18回目となるようだ。その第1回は、戦後間もない1947年4月。文字どおり全国統一の地方選挙だった。新憲法制定に伴う国と地方の議会構成のためにおこなわれたもの。

戦前にも、不十分ながら地方自治の理念と制度はあった。1925年の男子普通選挙(衆議院議員選挙法改正)に伴う翌26年の地方制度改正によって、市町村会議員、道府県会議員の各選挙に普通選挙制が導入された。市長は市会による選挙により選任され、町村長選任時の府県知事の認可は廃止された。もっとも、知事は新憲法制定まで官選のままで、官選知事は内務官僚出世コースの上がりのポストとされた。

敗戦後、「占領政策」の一環として、1946年9月に府県制が改正され、従来の官選地方長官(府県知事・北海道庁長官・東京都長官)は、住民の直接投票によって選挙される公選制都道府県知事となった。

そして、1946年11月に公布された新憲法は、旧憲法にはなかった地方自治の章を設け、4か条の地方自治に関わる原則を規定した。地方自治体の首長と議会議員は、住民の直接選挙によることが憲法上の制度として確立した。

翌47年5月の日本国憲法施行を目前とした同年4月、新しくできた参議院を含む両議院の議員選挙と、これも新たな知事公選を含む地方の首長と議会議員の選挙が全国一斉におこなわれた。初めての女性の政治参加、戦前非合法だった日本共産党も公然と国民の前に姿を現した。おそらくは、世の中が変わったことを国民が最も強く意識した政治参加の時であったろう。

手許の年表(吉川弘文館「日本史総合年表」)によれば、
 4月 5日 第1回統一地方選挙(知事・市区町村長選挙)
 4月20日 第1回参議院議員選挙(全国区・地方区)
 4月25日 第23回衆議院議員総選挙
 4月30日 都道府県議会・市区町村議会議員選挙
とある。この4月には国民は4投票日に、7回の投票をしたことになる。当時の国民には、自らがこの国をつくっているという実感があったことだろう。

私事にわたるが、私の父もこのとき、盛岡市議に立候補している。戦時中は関東軍の兵士として満州に駐屯し、終戦は弘前で迎えた。戦後盛岡市の職員として復帰し、33歳での市議戦への挑戦だった。推薦母体は日本社会党。結果は「惜敗だった」と聞かされた。のちに懇意になった岩手県共産党幹部の柳館与吉さんが同じ選挙に立候補しての落選組。私の父のことをよく覚えてくれていた。戦争を終えて、新生日本をつくっていこうとする若人たちの熱気が渦巻いていた時期であったろう。

地方選には国政とは別の課題がある。とりわけ、今回地方選は、地域の疲弊した現状と、その再生の在り方が、多くの人の関心事として浮かび上がっている。資本の最大限利益追求を積極的に容認する新自由主義政策は、必然的に競争力の弱い部分を容赦なく切り捨てることになる。そのことが、「中央」に対して競争力の弱い「地方(地域)」の疲弊と衰退をもたらし、「地方消滅」論すら喧伝される事態となっている。アベノミクスの負の側面である。

いま現政権は「地方創生」の看板を掲げているが、その政策の内実は、国家戦略特区構想や、農協切り捨て、TPP参加、カジノ合法化などに象徴されるように、中央資本による地方侵蝕を促進するものといわざるを得ない。

「地方創生」とは、これまで「地方(地域)」を支えてきた農・林・牧畜・漁業や地場産業にまで競争至上主義を持ち込み、結局はいっそうの地方衰退をもたらすものではないか。そのために、「地方(地域)」経済が切迫した危機にあり、それゆえのコミュニティの崩壊が危惧されている。

地方(地域)の再生とは、本来は住民一人ひとりの生活の向上をもたらすものでなくてはならない。にもかかわらず、財界と政権は、地域住民を切り捨てたうえでの、これまでの地域コミュニティとはまったく別ものとしての地方「創生」をたくらんでいるごとくである。

米価切り下げ、農協攻撃、TPP、農地法改正、特区への中央資本流入等々。これまで伝統的に保守の地盤とされてきた地方は、安倍政権に離反せざるを得ないのではなかろうか。この4月の統一地方選の結果が注目される。

それだけにとどまらない。安倍政権は、国政選挙の端境期に憲法を蹂躙する危険な政治を強行している。今回の統一地方選は、安倍政権の暴走への歯止めの選挙としての役割を果たすだろう。地方の立場からのアベノミクス批判としても、あるいは沖縄問題を含む日本の平和を守るためにも、自公の与党勢力にノーを突きつけ、さらに自公の政策を右側から引っ張っている次世代の党や維新の党を、投票行動によって批判したいものと思う。
(2015年3月27日)

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