澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

7月1日結審法廷での被告本人陳述予定稿ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第45弾

私が被告とされているDHCスラップ訴訟は、7月1日に結審予定となっている。、
その7月1日(水)の予定は以下のとおり。
 15時00分~ 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
         被告本人(澤藤)意見陳述。その後に弁論終結。
 15時30分~17時 東京弁護士会508号会議室 報告集会
         弁護団長 経過説明
         田島泰彦上智大教授 ミニ講演
          本件訴訟の各論点の解説とこの訴訟を闘うことの意義
         弁護団・傍聴者 意見交換
          判決報告集会の持ち方
          他のDHCスラップ訴訟被告との連携
          原告や幇助者らへの制裁など
         被告本人 お礼と挨拶DHCスラップ訴訟

7月1日法廷では、私が口頭で意見陳述をする予定。その予定稿を掲載する。やや長文だが、読み物としても面白いのではなかろうか。この日、結審となって次回は判決期日となる。ぜひ、ご注目いただきたい。憲法上の言論の自由に関わるだけではない。政治とカネの問題にも、消費者問題の視点からの規制緩和問題にも関連している。
心底から思う。こんなスラップ訴訟の横行を許してはならない。そのためには、まず勝訴判決を取らなければならない。

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       目   次
 はじめにー本意見陳述の目的と大意
 1 私の立場
 2 ブログ「憲法日記」について
 3 「本件ブログ記事」執筆の動機
 4 言論の自由についての私の基本的な理解
 5 「本件ブログ記事」の内容その1ー政治とカネの関わりの視点
 6 「本件ブログ記事」の内容その2ー規制緩和と消費者問題問題の視点
 7 原告らの「本件提訴」の目的とその不当
 8 原告DHC・吉田の関連スラップ訴訟
 おわりにー本件判決が持つであろう意味

はじめにー本意見陳述の目的と大意
 口頭弁論終結に際して、裁判官の皆さまに意見を申し上げます。
 本件の法律的な論点については、被告代理人が準備書面で主張し尽くしています。私の陳述は、必ずしも法的構成にとらわれることなく、被告本人として周辺の事情について裁判官のご理解を得たいとするものです。ぜひ、耳を傾けていただくようお願いいたします。

 私は、人生ではじめての経験として突然に被告本人となり、この1年余の期間、心ならずも被告として応訴を余儀なくされる立場に置かれて来ました。当初は2000万円、途中請求の拡張があって6000万円の支払いを請求される立場の被告です。当然のことながら、心穏やかではいられません。不当な提訴と確信しつつも、あるいは不当な提訴と確信するからこそ、不愉快極まりない体験を強いられています。
 どんな提訴に対しても、応訴には、時間も労力も、そしてある程度の費用もかかります。軽率で不当な提訴が、被告とされる者にいかに大きな有形無形の負担を強いるものであるか、身に沁みて実感しています。この理不尽極まる事態を受容しえません。到底、納得することができません。
 どう考えても、私に違法と判断される行為や落ち度があったはずはありません。私は、憲法で保障されている「言論の自由」を行使したに過ぎないのです。いや、むしろ、私は民主主義社会の主権者のひとりとして、社会に有益で有用な言論を発信したのだと確信しています。提訴され被告とされる筋合いはありえません。
 本件で問題とされた私の言論は、政治とカネにまつわっての民主主義的政治過程攪乱への批判であり、消費者利益が危うくなっていることに関しての社会への警告です。「民主主義の政治過程をカネの力で攪乱してはならない」という自明の大原則に照らして厳しく批判されるべき原告吉田の行為に対して、必要で適切な批判と警告の言論にほかなりません。
 この点についての私の真意を裁判官の皆さまに、十分ご理解をいただきたく、以下のとおり意見を申し述べます。
なお、もう一点お願いしておきたいことがあります。私の書いた文章が、原告の訴状ではずたずたに細切れにされています。貴裁判所の指示で作成された「主張対照表」においても同様です。原告は、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。貴裁判所には、くれぐれも、原告が恣にした細切れのバラバラ文章の印象で、違法性の有無を判断することのないようにお願いしたいのです。
 まずは原告が違法と非難する5本の各ブログの文章全体を、私が書いたとおりの文章としてよくお読みいただくようにお願いいたします。文章全体をお読みいただくことで、常識的な理性と感性からは、各記事が、非難すべきところのない政治的言論であることをご理解いただけるものと確信しています。

1 私の立場
 私は、司法修習23期の弁護士です。学生時代に、松川事件被告人の救援運動や鹿地亘氏事件の支援運動に携わったことなどから、弁護士を志望しました。修習生の時代に青年法律家協会の活動に加わり、「法は社会的弱者の権利擁護のためにある。司法は弱者の権利救済を実現するための手続である」と確信するようになり、そのような「法や司法本来の理念を実現する法曹になろう」と思い立ちました。
 1971年に弁護士登録して、今年が45年目となります。この間、労働事件、消費者事件、医療・薬害訴訟、教育関係事件、職場の性差別撤廃・政教分離・国旗国歌強制反対・平和的生存権などの憲法訴訟に携わってまいりました。常に弱者の側、つまりは、労働者・消費者・患者・市民・国民の側に立って、公権力や大企業、カネや権威を持つ者と対峙して、微力ながらも弁護士本来の仕事をしてまいりました。概ね、これまで初心を忘れることなく職業生活を送ってきたとのいささかの自負があります。
 とりわけ、日本国憲法を携えて実務法律家として職業生活を送ることができたことを何よりの人生の好運と考え、憲法擁護、平和・人権・民主主義の憲法理念の擁護のための姿勢を堅持してきたつもりです。
 本件に関連していえば、政治資金規正法や公職選挙法問題については、刑事弁護実務において携わった経験から、また、いくつかの選挙運動に関係したことから、関心をもち続けてきました。政治資金規正法の理念である政治資金の透明性確保の要求については、民主主義の基礎をなす制度として強く共感し、カネで政治を動かそうとすることへの強い嫌悪と警戒感を有してきました。
 また、市民が弱者として経済的強者に対峙する消費者問題にも強く関心をもち、広範な消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験してきました。弁護士会内の消費者委員会活動にも積極的に関与し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤め、消費者問題をテーマにした日弁連人権擁護大会シンポジウムの実行委員長も経験しています。消費者問題に取り組む中で、官僚規制の緩和や規制撤廃の名目で、実は事業者の利益拡大の観点から消費者保護の社会的規制が攻撃され、その結果消費者保護行政が後退していくことに危機感を募らせてきました。この規制緩和策への警戒感は、現実の消費者被害や被害者に直接に向き合う中で獲得した心構えとして、貴重なものと考えています。
 
2 ブログ「憲法日記」について
 私は、インターネットに「澤藤統一郎の憲法日記」と標題するブログを書き続けています。これも、弁護士としての職業的な使命の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。とりわけ、弁護士としての行動の理念的な指針となるべき憲法を擁護する立場を鮮明にし、憲法や憲法の理念について、実務法律家の視点からときどきの話題のテーマを取り上げて書き続けているものです。
 以前にも断続してブログを書いた経験がありますが、現在継続中のものは、第2次安倍政権の発足に危機感を持ち、その改憲路線に警鐘を鳴らすことを主たる目的として、2013年1月1日から書き始めたものです。当初は、以前私が事務局長を務めていた、日本民主法律家協会のホームページの片隅を借りていたのですが、同年4月1日に自前のブログを開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めました。幅広く憲法関連問題を題材として、途切れることなく毎日記事を掲載しています。もちろん顕名で、自分の身分を明示し、自分の言論の内容に責任をもっての記事です。
 このブログを書き続けて、本年6月9日で、連続更新記録は800日となりました。この間、私のブログは、公権力や権威や社会的強者に対する批判の姿勢で貫かれています。政権や大企業や天皇制などを批判することにおいて遠慮してはならないと自分に言い聞かせながら書き続けています。そのような視点で世の中を見据えて、批判すべきを遠慮なく批判しなければならない。そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。

3 「本件記事」執筆の動機
 2014年3月に週刊新潮誌上での吉田嘉明手記が話題となる以前は、私はDHCという企業とは馴染みがなく、主としてサプリメントを製造販売する大手の企業の一つとしか認識はありませんでした。もっともサプリメントについては、多くは実際上効果が期待できないのに、あたかも健康や病気の回復に寄与するかのような大量宣伝によって販売されていることを問題視すべきだとは思い続けていました。
 業界に問題ありとは思っていましたが、DHCや原告吉田には個人的な関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについて、公益目的でのブログ記事であることに、一点の疑いもありません。

4 言論の自由についての私の基本的な理解
 本件訴訟では、原告(DHCと吉田嘉明)両名が、被告の言論によって名誉を侵害されたと主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つけられる人の存在を想定してのものにほかなりません。傷つけられるものは、人の名誉であり信用であり、あるいは名誉感情でありプライバシーです。
 そのような人格的な利益を傷つけられる人の存在を想定したうえで、なお、人を傷つける言論が自由であり権利であると保障されているものと理解しています。誰をも傷つけることのない言論は、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。
 視点を変えれば、本来自由を保障された言論によって傷つけられる「被害者」は、その被害を甘受せざるを得ないことになります。DHCと吉田嘉明の原告両名は、まさしく私の権利行使としての言論による名誉や信用の毀損(社会的評価の低下)という「被害」を甘受しなければならない立場にあります。これは、憲法21条が表現の自由を保障していることの当然の帰結といわねばなりません。
 もちろん、法が無制限に表現の自由を認めているわけではありません。「被害者」の人格的利益も守るべき価値として、「表現する側の自由」と「被害を受けるものとの人格的利益」とを衡量しています。本件の場合には、この衡量の結果はあまりに明白で、原告DHCと原告吉田嘉明が「被害」を甘受しなければならないことは自明といってもよいと考えられます。
 その理由の第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。しかも、原告吉田は週刊誌に手記を発表することによって自らの意思で「私人性」を放棄し、「公人性」を前面に押し出したのです。
 もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。これだけで「公人」性は十分というべきでしょう。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出し提供して政治に関与した人物なのです。しかも、そのことを自ら暴露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったというべきです。自分で、週刊誌を利用して、自分に都合のよいことだけは言いっ放しにして、批判は許さない、などということが通用するはずはないのです。まずは、この点が強調されなければなりません。
 その第2点は、私のブログに掲載された、原告らの名誉を侵害するとされている言論が、優れて公共の利害に関わることです。
 無色透明の言論というものも、具体的な言論の内容に関わらない表現の自由というものも考えられません。必ず言論の内容に則して表現の自由の有無が判断されます。原告吉田は、自分がした政治に関わる行為に対する批判の言論を甘受すべきなのです。しかも、政治とカネというきわめて公共性の高いシビアなテーマにおいて、政治資金規正法の理念を逸脱しているというのが、私の批判の内容なのです。これは、甘受するしかないはずです。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となってしまいます。民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
 さらに、第3点は、私の言論がけっして勝手な事実を摘示するものではなく、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づいて、常識的な推論をもとに論評しているに過ぎないことです。意見や論評を自由に公表し得ることこそが、表現の自由の真髄です。私の原告吉田に対する批判の論評が表現の自由を逸脱しているなどということは絶対にあり得ません。これを違法とすれば、それこそ言論の自由は窒息してしまいます。
 仮に私が、世に知られていない原告らの行状を暴露する事実を摘示したとすれば、その真実性や真実であると信じたことについての相当性の立証が問題となります。しかし、私の言論は、すべて吉田自身が公表した手記を素材として、常識的に推論し論評したに過ぎないのですから、事実の立証も、相当性の立証も問題となる余地はなく、私の論評がどんなに手厳しいものであったとしても、原告吉田はこれを甘受せざるを得ないのです。

5 「本件ブログ記事」の内容その1ー政治とカネの関わりの視点
 私のDHC・吉田両原告に対する批判は、純粋に政治的な言論です。原告吉田が、小なりとはいえ公党の党首に巨額のカネを拠出したことは、カネで政治を買う行為にほかならない、というものです。
 原告吉田はその手記で、「私の経営する会社…の主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」と不満を述べています。その文脈で、「官僚たちが手を出せば出すほど日本の産業はおかしくなっている」「官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と続けています。
 もちろん、原告吉田自身、「自社の利益のために8億円を政治家に渡した」などと露骨に表現ができるわけはありません。しかし、原告吉田の手記は、事実上そのように述べたに等しいというのが、私の意見であり論評です。これは、原告吉田の手記を読んだ者が合理的に到達し得る常識的な見解の表明に過ぎないのです。そして、このような批判は、政治とカネにまつわる不祥事が絶えない現実を改善するために、必要であり有益な言論なのです。
 政治資金規正法は、その第1条(目的)において、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるように」としています。まさしく、私は、「不断の監視と批判」の言論をもって法の期待に応え、「民主政治の健全な発達に寄与」しようとしたのです。

 原告吉田は、明らかに法の理念に反する巨額の政治資金を公党の党首に拠出したのです。しかも、不透明極まる態様においてです。この瞬間に、原告らは、政治家や公務員と同等に、いやそれ以上に拠出したカネにまつわる問題について国民からの徹底した批判を甘受し受忍すべき立場に立ったのです。これだけのことをやっておいて、「批判は許さない」と開き直ることは、それこそ許されないのです。

6 「本件ブログ記事」の内容その2ー規制緩和と消費者問題の視点
 私はブログにおいて、8億円の拠出が政治資金規正法の理念に反するというだけでなく、原告吉田の政治家への巨額拠出と行政の規制緩和との関わりを消費者問題としての視点から指摘し批判しました。
 薬品・食品の業界は、国民の生命や健康に直接関わる事業として、厚労省と消費者庁にまたがって厳重な規制対象となっています。個々の国民に製品の安全に注意するよう警告しても無意味なことは明らかなのですから、国民に代わって行政が企業の提供する商品の安全性や広告宣伝の適正化についての必要な規制をしなければなりません。国民に提供される商品の安全を重視する立場からは、典型的な社会的規制である消費者行政上の規制を軽々に緩和してはならないはずです。しかし、企業は利潤追求を目的とする組織ですから、消費者の利益を犠牲にしても利潤を追求する衝動をもちます。業界の立場からは、規制はコストであり、規制は業務拡大への桎梏と意識されます。規制を緩和すれば利益の拡大につながると考えます。だから、行政規制に服する立場にある企業は、なんとかして規制緩和を実現したいと画策するのです。これがきわめて常識的な見解です。私は、長年消費者問題に携わって、この常識を我が身の血肉としてきました。
私のブログ記事は、なんのために彼が政治家に巨額の政治資金を提供したのか、という動機に関して、私は原告吉田の政治家への巨額なカネの拠出は行政の規制緩和を狙ったものと指摘し、彼のいう「官僚機構の打破」の内実として機能性表示食品制度導入問題を取り上げました。このようなものの見方は、極めて常識的なものであり、立証を求められる筋合いのものではありません。機能性表示食品制度は、アベノミクスの「第3の矢」の目玉の一つです。つまりは経済の活性化策として導入がはかられたもので、厳格な社会的規制の厳守という消費者利益の保護は二の次とされているのです。

 私のブログの記載のなかで、最も問題とされているのは次の記事です。
「サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、『官僚と闘う』の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。
 大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携」

 今読み直してみて、どこにもなんの問題もないと思います。消費者問題をライフワークとしてきた弁護士として、これくらいのことを社会に発信しなくては、職責を全うしたことにならないとさえ思います。
 「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される」とはガルブレイスの説示によるものです。彼は、一足早く消費社会を迎えていたアメリカの現実の経済が、消費者主権ではなく生産者主権の下にあることを指摘しました。彼の「生産者主権」の議論は、わが国においても消費者問題を論ずる上での大きな影響を及ぼしました。ガルブレイスが指摘するとおり、今日の消費者が自立した存在ではなく、自らの欲望まで大企業に支配され、操作される存在であるとの認識は、わが国の消費者保護論の共通の認識ーつまりは常識となっているものです。
 このような基本認識のとおりに、現実に多くの消費者被害が発生しました。だから、消費者保護が必要なことは当然と考えられてきたのです。被害を追いかけるかたちで消費者保護の法制が次第に整備されてくるそのような時代に私は弁護士としての職業生活を送りました。ところが、それに対する事業者からの巻き返しを理論づけたのが「規制緩和論」です。「行政による事前規制は緩和せよ撤廃せよ」「規制緩和なくして強い経済の復活はあり得ない」という経済成長優先が基調となっています。企業あるいは事業者にとって、消費者保護の規制は利益追求の桎梏なのです。消費者の安全よりも企業の利益を優先する規制緩和・規制撤廃の政治があってはじめて日本の経済は再生するというわけです。
 アベノミクスの一環としての機能性表示食品制度は、まさしく経済活性化のための規制緩和です。コンセプトは、「消費者の安全よりは、まず企業の利益」「企業が情報を提供するのだから、消費者注意で行けばよい」「消費者が賢くなればよい」「消費者被害には事後の救済という対応でよい」という考え方です。消費者サイドからは、けっして受け容れることが出来ません。
 機能性表示食品制度は本年4月から実施されています。報道では「機能性表示食品として消費者庁に届け出した食品の中には、以前、特定保健用食品(トクホ)として国に申請し、「証拠不十分」と却下されたものも交じっている」とされています。「トクホ落ち」という業界用語で語られる食品が、今や機能性表示食品として堂々と宣伝されることになったのです。まさしく、企業のための規制緩和策以外の何ものでもないのです。
 原告吉田の手記が発表された当時、機能性表示食品制度導入の可否が具体的な検討課題となっていました。「経済活性が最優先。国民の安全は犠牲になってもやむを得ない」という基本路線に、業界は大いに喜びました。国民の安全を最優先と考える側からは当然に反発の声があがりました。もちろん、日弁連も反対の立場を明確にしています。そのような時期に、私は機能性表示食品制度導入問題に触れて、「DHC吉田が8億円出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての『規制緩和という政治』を買い取りたいからなのだと合点がいく」とブログに表現をしました。まことに適切な指摘だったと思います。

7 「本件提訴」の目的とその不当
 カネをもつ者が、そのカネにものを言わせて、自分への批判の言論を封じようという濫訴が「スラップ訴訟」です。はからずも、私が典型的なスラップ訴訟の被告とされたのです。私の口を封じようとしたのはDHC会長の原告吉田嘉明。彼が不愉快として封じようとした私の言論は、私がブログ「憲法日記」に書いた3本の記事。政治とカネにまつわる政治的批判の言論。そして原告吉田の政治資金提供の動機を規制緩和を通じての営利追求にあるとした、消費者問題の視点からの指摘の言論です。これらが社会的に有用な言論であることは既述のとおりです。
 原告吉田が私をだまらせようとして、2000万円の損害賠償請求訴訟を提起したことに疑問の余地はありません。私は、原告吉田から「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならないと決意しました。もっともっと大きな声で、何度も繰りかえし、原告吉田の不当を叫び続けなければならない。その結果が、同じブログへの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。6月12日現在で、44回書き連ねたことになります。読み直してみるとなかなかに充実した内容で、貴重な問題提起になり得ていると思います。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、請求原因を追加し、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。

8 原告DHC・吉田の関連スラップ訴訟
 原告吉田嘉明の週刊新潮手記が発表されると、政治資金8億円を裏金として受けとっていた「みんなの党」渡辺喜美代表に対して、ごうごうたる非難が巻きおこりました。8億円の内、3億円については借用証が作成されたとのことですが、5億円については貸金であることを示す書類はないようです。カネの動きも、貸金にしては極めて不自然。そのほかにも、渡辺側の不動産を原告吉田が渡辺の言い値で購入したことも明らかとなりました。このような巨額のカネが、政治資金規正法にもとづく届出のない裏金として動いていたのです。
 この事件について、渡辺だけでなく原告DHC・吉田側をも批判する論評も多くありました。原告吉田はその内の10件を選び、ほぼ同時期に、削除を求める事前折衝もしないまま、闇雲に訴訟を提起しました。明らかに、高額請求訴訟の提起という爆弾により、市井の言論を委縮させ、更なる批判言論を封じ込むという効果を狙ってのものというべきです。
 10件もの提訴自体が、明らかに濫訴であることを物語っています。また、原告吉田が公表した手記を契機に、同じような原告DHC・吉田批判が、彼らの経済的支配の埒外にあるミニコミに噴出したのは、その批判(言論)内容が多くの人に共通した、普遍的な推論と所見であることを推認させるものと考えられます。
 東京地裁に提起された訴訟10件の賠償請求額は最低2000万円、最高2億円です。私は当初「最低ライン」の2000万円でしたが、その後ブログに「口封じのDHCスラップ訴訟を許さない」と書き続けて、請求額は6000万円に増額となっています。
 その10件のうち、折本和司弁護士(横浜弁護士会)が被告になっている事件は今年の1月15日に第1号判決となり、次いで3月24日に被告S氏についての第2号判決が、いずれも「原告完敗・被告完勝」の結果となりました。私の事件がこれに続く第3号判決になることが予想されます。
 そのほかに、関連する2件の仮処分申立事件があって、それぞれに申立の却下決定(東京地裁保全担当部)と抗告却下決定(東京高裁)があります。判決2件とこの4件を合計して計6件、原告DHC・吉田は連戦連敗なのです。私は、可能な限りの記録閲覧をしていますが、今後も、原告DHC・吉田の連敗記録が途切れることはありえないと確信しています。
 本年3月24日に東京地裁民事第23部合議部(宮坂昌利裁判長)が、私のブログなどに比較して手厳しいツイッターでの発言について、なんの躊躇もなく、名誉毀損も侮辱も否定して、原告の請求を棄却しています。注目すべきはこの判決の中に次のような判示があることです。
 「そもそも問題の週刊誌掲載手記は、原告吉田が自ら『世に問うてみたい』として掲載したもので、さまざまな立場からの意見が投げかけられるであろうことは、吉田が当然に予想していたはずである」「問題とされているツイッターの各記述は、この手記の公表をきっかけに行われたもので、その手記の内容を踏まえつつ、批判的な言論活動を展開するにとどまるもので、不法行為の成立を認めることはできない」
 私の事件での被告準備書面は、原告吉田が週刊新潮に手記を発表して、「自ら政治家(みんなの党渡辺喜美)にカネを提供したことを暴露した」という事実を捉えて、「私人性の放棄」と構成しています。これに対して宮坂判決は、原告吉田が「自ら積極的に公人性を獲得した」と判断したのです。

おわりにー本件判決が持つであろう意味
 本件は本日結審して判決を迎えることになります。
 その判決において、仮にもし私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判的言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。
 仮に私のブログの表現によって原告らに不快とするところがあったとしても、原告はそれを甘受し受忍しなければなりません。原告両名はこの上ない経済的強者です。サプリメントや化粧品など国民の健康に直接関わる事業の経営者でもあります。原告らは社会に多大の影響を与える地位にある者として、社会からの批判に謙虚に耳を傾けねばならない立場にあります。
 原告らの提訴自体が違法であることは明白です。貴裁判所には、このような提訴は法の許すところではないと宣告の上却下し、あるいは請求を棄却して、一刻も早く私を被告の座から解放していただくよう要請いたします。

 なお、最後に一言いたします。スラップ訴訟提起の重要な狙いとして、「論点すりかえ効果」と「潜在的言論封殺効果」があるといわれています。
 本来は、原告吉田嘉明が小なりとはいえ公党の党首(渡辺喜美)に8億円もの政治資金を拠出していたこと、しかもそれが表に出て来ないで闇にうごめいていたことこそが、政治資金規正法の理念に照らして重大問題であったはずです。私の指摘もそこにありました。ところが、その重要な問題が、いまは私のブログの記載が、あるいは原告DHC・吉田からスラップを受けて被告とされたライターの記述が原告DHC・吉田に対する名誉毀損にあたるか否かという矮小化された論点にすり替えられてしまっています。
 さらに、本件スラップ訴訟は、けっして私の言論だけを封殺の標的にしているのではありません。私に、あるいは他の9人に対しスラップ訴訟を仕掛けることによって、同じような発言をしようとした無数の潜在的表現者を威嚇し萎縮させて、潜在的言論封殺効果を狙っているのです。だから私は、自分ひとりが勝訴しただけでは喜べない立場にあります。
 本件不当訴訟を仕掛けたことに対して、原告DHC・吉田やこれを幇助したその取り巻きに対する相応のペナルティがなければ、スラップ訴訟は「やり得」に終わってしまいます。やり得を払拭し、再発の防止の効果を挙げるために有益な判決を期待しています。

 以上のとおり、本件は優れて憲法21条の問題ではありますが、それだけではなく政治資金規正法の理念の問題でもあり、消費者問題と規制緩和の問題でもあり、民事訴訟を濫用しての言論萎縮効果の問題でもあります。これらの問題にも十分配慮され、公正かつ妥当な判決の言い渡しによって、貴裁判所がその職責を果たされるよう、期待申し上げる次第です。
(2015年6月14日)

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