澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

弁護士会ともあろうものが、叙勲のお祝いなどすべきではない。

弁護士会には、インフォーマルな組織として「会派」というものがある。俗にいう「派閥」である。弁護士会長を目指す者は、この会派の活動を積み上げなければならない。最大の単位会である東京弁護士会には、老舗の「法曹親和会」と「法友会」との二大会派があり、「派閥の弊害解消」を目指した第3のグループとして、今や立派な派閥となった「期成会」がある。

私は、期成会に所属している。かつては、期成会から選挙に出て常議員(議決機関のメンバー)にもなり、会内選挙政策の立案にも携わった。今も、期成会への所属意識はもっており、その政策にほぼ共鳴している。

その期成会が、一昨日(7月11日)「東京弁護士会における叙勲受章会員のお祝い会についての意見書」を発表し、同時に東京弁護士会長に提出した。

東京弁護士会が5月31日付で、会内の諸団体に「会として叙勲受章会員のお祝い会を行うことの是非」についての意見照会をした。これに対する期成会の意見具申がこの意見書である。

私は、この意見の作成に関わっていない。まったく知らなかったが、すばらしい内容となっている。下記のURLでご覧いただけるが、全文を貼り付けるので是非お読みいただきたい。
  http://kiseikai.jp/pdf/20160711151800.pdf

2016(平成28)年7月11日付意見書
東京弁護士会会長小林元治殿
  東京弁護士会期成会代表幹事 千葉肇

2016(平成28)年5月31日付の意見照会(東弁28意照第7号-2)につき、期成会として次のとおり意見を述べる。
  意見の趣旨
東京弁護士会として叙勲受章会員のお祝い会は開催するべきでない。
  意見の理由
1 叙勲制度については,東京弁護土会内に多様な意見があり,叙勲受章者のみを対象にしたお祝い会を開催するのは不適当である。
 そもそも叙勲制度については,肯定的意見の外に叙勲制度そのものを否定する考え方,現行叙勲制度に疑問を有する考え方,その運用(いわゆる官優先など)に批判的な考え方など,多様な意見が存している。
 例えば,一般的な憲法教科書といわれている野中俊彦ら「憲法ⅠⅡ」(第5版)では,「栄典の授与は,伝続的に恩赦と並んで君主の特権と考えられできた。」,「位階及び褒章は勅令で,勲章は太政官布告で定められていたことなどから日本国憲法との適合性に疑義かあり,その授与を原則的に停止して,法律による新制度の制定を考えた。しかし栄典法案がなかなか成立しなかったので,政府は法律の制定を待たずに停止していた戦前の制度を復活させて活用する道を選んだ」(上出「憲法Ⅰ」129・30頁),「法律を制定しないで、戦前の制度に依拠して栄典授与を復活した現行の慣行には,問題かある。」(上出Ⅱ204頁)とされている。
 そして,東京弁護士会(以下,「当会」という)を含む弁護士会には,叙勲辞退者が比較的多数存することを考えても,他の団体等以上に多様な意見が存しているといえる。そのような状況のなかで,東京弁護士会として,叙勲を受章する旨の意思を示した会員のみを対象としたお祝い会を開催するのは不適当である。
2 弁護士は,在野法曹という立場から諸活動を行っているのであり,国家(天皇)が与える勲章に追随して,弁護士会がお祝いをすることは,在野法曹としての矜持にそぐわないというべきである。
 現在,多くの弁護士は,在野法曹として,一般市民の目線で,誠実・積極的に事件処理を行うことにより,基本的人権擁護・社会正義実現に寄与している。
 また,公害・労働・消費者事件など様々な先進的な分野で献身的努力をすることによって,従来の国の制度に対し,新たな弱者保護の判例・法制度を作り出してきた。このような在野法曹としての立場は,弁護士の原点であり矜持というべきである。
 これに対し,叙勲制度は,国家が表彰するに値すると評価した方に与えられるものであり,在野たる弁護士会が,これに追随してお祝いまでする必要は存しない。
3 表彰されるべき会員は多くいるのであり,あえて叙勲受章者を祝おうとするのは不公平・不適当といえる。
 上述のとおり,弁護士は,多様な分野で諸活動を行っているのであり,その活動を表彰されるべき会員は多数にわたる。ところが,現状の叙勲制度は,日弁連正副会長・理事など限定された役職者等を対象にしたものであり,表彰されるべき者としては限定的といえる。もちろんこれらの方々が多大な努力をしたことには敬意を表するものであるが,あえて叙勲受章者を祝おうとするのは不公平・不適当といえる。現在でも当会は,弁護士登録何十周年という形でお祝いをし,前年度当会理事者に感謝状を差し上げているといった,当会独自のお祝いをしているのであり,それで充分といえる。
4 当会は,叙勲対象者の推薦をしているものではなく,お祝い会をする必要もない。
 現在の叙勲対象者の決定シムテムは,日弁連の依頼により,当会が,慣行に基づく対象候補者に受章の意思確認を行い,叙勲を受章する旨の意思を示した会員を報告するというものに過ぎない。従って,当会が独自に推薦するというものではないのであり,会としてお祝い会を開催する必要もない。
5 叙勲辞退者が少なからずいる中で,お祝い会をするのは相当でない。
 上記のとおり,叙勲制度に対しては多様な意見があり,当会においても,叙勲受章の候補者推薦について辞退する会員が少なからずいるという状況がある。辞退者は自己の信念をもって辞退するものと考えられるが,このような状況下で,受章者を会として祝うことは,辞退者の意向・信念を軽視することにつながり,相当でない。
6 まとめ
 期成会としては,個々の会員が叙勲を受章するか否かにつき,意見を有するものでない。そして,叙勲対象者の方々が先輩会員として,弁護士会の信頼構築のために多大な努力をされたことに敬意を表するものである。
 但し,上記のとおり,多様な意見があり,少なからず辞退者もいること等からして,在野法曹団体である弁護士会として独自にお祝いをすることには反対する。 以上
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もちろん、私の私的意見ならこのように品良くはならない。しかし、全員加盟の弁護士会に対する意見書として、この内容に異論のあろうはずはない。

ここで言われているのは、叙勲を「祝う」ことについての、二重の意味での否定的見解である。

ひとつは、国家の制度としての叙勲がもつそれ自体の問題点。位階・褒賞・叙勲などの栄典は、君主の特権として付与されるものであり、日本では天皇制がその権力保持の手段として使われたという指摘である。天皇が、天皇への忠誠者として功労あった者に、厳密な序列と等級を付して位階や勲章を与えた。臣民は、奴隷の心情をもって天皇からの栄典を名誉として感謝する。位階も勲章も奴隷操縦法の一手段なのだ。戦前、これを栄誉としてありがたがった一群のあったことは天皇制教育の偉大な「成果」にほかならない。

時に墓地を歩いて、墓石に位階と勲章の等級が刻みつけられているのを見ることがある。それだけでしかなかった人物の、それだけでしかなかった人生。哀れを禁じ得ない。さらに哀れむべきは、戦後に至ってなお、天皇の名による叙勲に喜々とする一群の人びと。

期成会意見書は、叙勲を受ける人を愚かとも哀れともいわず「(受勲者の)多大な努力に敬意を表する」とさすがに品がよい。しかし、憲法の教科書を引用して、「日本国憲法との適合性に疑義かある」と指摘する。

つまりは、天皇制を支えたシステムの残滓を無批判に受容することについて、受容者限りで喜ぶことには介入しないが、周囲がこれに巻き込まれたり、持ち上げたりすべきではないという意見表明なのだ。

そしてもう一つは、弁護士という在野の存在が叙勲を祝うという特殊な問題の指摘である。弱者の側に立ってその人権の擁護に徹してこその弁護士ではないか。そのような観点とはまったく異なる、天皇からの叙勲。そんなものをありがたがって、それで弁護士か。それが在野に徹したあり方か。そんな弁護士会でよいのか、という問題提起なのだ。

さすがに期成会の意見書はそのような品の悪さのない文章になっているが、ツボははずしていない。

あらためて、弁護士の使命や在野性について考えさせられる。在野に徹し、弱者の人権擁護を使命とする立場から、強者であり多数派の象徴である天皇からの叙勲に祝意を表してはならないとする組織もある。まさしく弁護士会がそれに当たる。おそらくは、報道機関も大学も同様であり、宗教団体も似た立場にあるだろう。弁護士会が、「天皇からの叙勲、おめでとうございます」などと言っては世も末なのだ。

期成会がんばれ。東京弁護士会もがんばれ。
(2016年7月13日)

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Published in 水曜日, 7月 13th, 2016, at 16:15, and filed under 天皇制, 弁護士.

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