澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

参院選6日目ー供託金という障壁の克服を目指して

共産党は、この度の参院選において、選挙区選挙に46人(沖縄を除く全選挙区)、比例代表区には17人の候補者を立てている。大量候補者の擁立は全国規模での党勢拡大の観点からは不可欠だが、ご存じのとおり供託金の金額は半端ではない。選挙区では一人300万円、比例区では600万円だから、総額2億4000万円となる。政党助成金制度を憲法違反として1円の交付も受けていない共産党には、大きな負担となっている。

供託金は、候補者の得票が少なければ没収される。
選挙区では得票が有効投票総数を議員定数で割った(一人区なら1で、2人区なら2で割った)数の10分の1未満の場合に全額が没収となる。
比例代表区では、当選者数の2倍に600万円を掛けた金額を超える分が没収される。したがって、17人のうち5人が当選すれば、10人分の供託金6000万円が返還される。没収は7人分の4200万円となる。これが、4人当選だと8人分4800万円が返還で、5400万円が没収となる。当選者一人の差が、1200万円の返還金額の差となる。
あなたの一票が、選挙区選挙でも比例代表区選挙でも、大きな財政支援につながる。その意味でも、一票が大事なのだ。

政党や立候補を志す者にとって、この高額な供託金制度は明らかなアクセス障壁となっている。この制度をどう考えるべきか、また、どう克服すべきだろうか。選挙権の問題ではなく被選挙権の問題であるだけに、熱く語られることは少ないが、重要なことと思う。

東京都知事選挙の供託金が300万円と聞かされて、「意外と少額」との感想もあるのではないだろうか。首都の知事たらんとする者には、そのくらいの金の用意は当然にできるだろう、という常識的感覚である。しかし、共産党の参院選供託金の合計額が2億4000万円と聞けば高額に過ぎると思うののも、常識的感覚ではないだろうか。なんとなく、供託金制度は当たり前で、当該の選挙との兼ね合いで、金額の多寡だけが問題という「常識的感覚」である。

しかし、ことは憲法の視点から考察すべき問題である。そして、憲法上の原則を踏まえてなお、供託金制度の存在を合理化する理由があるかを考察しなければならない。この点で、「ウィキペディア」の『供託金』についての記述に拠ったと思われる、かなりの数の文章を目にする。「調べてみたら…」というのが、明らかに「ウィキペディア」の丸写しであることが明瞭でシラける。「ウィキペディア」の影響力恐るべしである。「ウィキペディア」の記述には敬意を表することが少なくないが、『供託金』の項については不満が残る。憲法的な考察にまったく言及がなく、選挙公営について論じるところが欠けているからである。

我が国の選挙制度の歪みは、1925年の改正衆議院議員選挙法(いわゆる「普通選挙法」)に始まる。このときそれまではなかった「立候補制度」が初めて導入され、これに伴って立候補の要件としての供託金の制度もつくられた。

時の若槻内閣が「英国の制度に倣ったもの」という提案に対して、「2000円の供託金額が高額に過ぎて、普通選挙の趣旨にそぐわない」との議論もあったが、政府原案のとおり成立した。没収点についての定めは、このときに作られたものが基本的に現在に至っている。

戦後、明治憲法下の衆議院議員選挙法から、日本国憲法下の公職選挙法に代わった。にも拘わらず、旧法そのままの制度が生き残っている。これが、違憲ではないのか、問題とならざるを得ない。

選挙権・被選挙権は、基本的人権ではなく資格(権利能力)に過ぎないという議論がまだ根強い。とりわけ、被選挙権については憲法上直接の根拠規定がないから、かつての最高裁判例もそのような立場をとっていた。これを変更して、「憲法15条1項に規定はないが、被選挙権、特にその立候補の自由もまた同条同項の保障する重要な基本権の一つと解すべきである」(1968年3月12日最高裁大法廷判決)というのが現在の判例。

被選挙権・立候補の自由が基本的人権であるとすれば、軽々にこれを制約することはできない。供託金制度の違憲を争った判例はまだないが、供託金制度が立候補の障害となっている以上は、供託金制度を簡単に合憲と言ってはならない。立法裁量の範囲だからとか、国会が決めたルールだからとかという理由では、立候補の自由制約は許されない。目的・手段・目的と手段の関連性という3ステージにおいて、厳格な違憲審査基準のテストをクリヤーしなければならない。

供託金制度創設の趣旨は、1925年若槻内閣時代から、「当選の目的をもたず、他人の当選を妨害する立候補などの弊害を防止すること。立候補に慎重ならしめ、いわゆる泡沫候補の輩出を防止すること」とされた。近年は、これに加えて選挙公営の費用負担が大きな合理的理由とされている。

一切の公営を排した資金自由の選挙モデルは一つの典型としてあり得よう。経済的格差も、国民の支持の大小を反映してるのだから、資金力を含めての獲得運動を肯定する立場である。このような制度には選挙公営の資金預託という意味での供託金制度は存在し得ない。しかし、経済的弱者に選挙運動における実質的平等を確保せしめる見地からの選挙公営の制度はそれなりの合理性を有する。ウィキペディアは、「諸外国では供託金が低額、あるいは制度そのものがない」としているが、選挙公営との関連性を論じていないことから説得力をもたない。

私は、選挙公営による実質的な候補者間の平等を確保するという制度の目的を徹底する限りにおいて、厳格な審査基準を適用してなお、供託金制度を合憲とする余地があると思っている。ただ、そのためには、供託金制度が真面目な立候補者のアクセス障害になってはならない。供託金の金額は現行の10分1程度にすることを考えるべきだと思う。

共産党が全国に候補者を立てて存分に選挙運動を行い、自らの主張を国民にアピールする、そのための供託金億4000万円はあまりに高額に過ぎよう。金額が2400万円程度であれば、そして選挙公営の十分な見返りがあれば、立候補の自由を人権としながらも、実質的な競争力平等確保の目的を肯定して、制度の合憲性を認めてもよいのではなかろうか。

そのような制度改正まで、それぞれの政党の支持者は、応分のカンパを覚悟しなければならない。
(2013年7月9日)

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Published in 水曜日, 7月 10th, 2013, at 00:09, and filed under 未分類.

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