澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

参院選・投票日まであと7日       ーこれが自民党の「公約」だ

「日本を、取り戻す。」
残念ながら、いま日本は我が手にない。奪われた日本を取り戻さなければならない。
日本を奪ったのは、戦後民主々義という迷妄を信じた勢力。奪われたのは、「天皇を戴く」単一民族国家・日本。
今こそ、国民が主人公という迷信を本気にしたサヨクやリベラルから、真正の日本を取り戻そう。国民の手から国家の手に、人民の手から天皇の手に、貧しき者の手から一握りの富める者の手に、この金鵄に輝く日本の弥栄を取り戻そう。それこそが安倍自民の目指す偉業である。

「まず、復興。ふるさとを取り戻す。」
ふるさとは、いま、我が手にない。奪われたふるさとを取り戻さなければならない。
ふるさとを、そこに住む人のものとしていては、いつまでも復興はできない。
ふるさとを取り戻そう。被災地で苦しんでいる人たちから、復興ビジネスで一儲けをたくらむ企業の手に。原発事故の再発を憂慮する住民から、原発稼働利益共同体の手に。
とりわけ、一枚の通知で4億7100万円も我が党に献金をしてくれたゼネコンには格別の配慮が必要だ。取り戻したふるさとをまるごと提供して、その恩義に報いなければならない。

「経済を、取り戻す。」
日本の経済は、いま我が手にない。日本の経済を、資本主義本来の聖なる姿に取り戻そう。
福祉国家思想だの、生存に必要な最低限の保障だのとのたまう連中から、日本の経済を取り戻して健全化しよう。
今こそ、経済を労働者の手から、財界に取り戻そう。
企業に、労働者使い勝手の自由・使い捨ての自由を保障して、財界の信頼を取り戻そう。
まず成長だ。企業が十分に潤って、余裕があれば労働者にも多少はおこぼれを、という真っ当な経済政策をとりもどそう。庶民には空前の大増税を押し付け、大企業と富裕層には大盤振る舞いをすることによって、経済本来の姿を取り戻そう。

「教育を、取り戻す。」
日本の教育は、今我が手にない。戦後民主々義によって奪われた、国体思想を叩き込む教育を取り戻さなければならない。
主権者を育てる教育から、企業の役に立つ人材育成の教育を取り戻さねばならない。
国民による国民のための教育から、国家による国家のための教育を取り戻そう。
真理を教える教育は投げ捨てて、歴史修正主義の教育を取り戻そう。
そして、懐かしいあの国定教科書時代の「唯一正しい」戦前教育を取り戻そう。

「外交を、取り戻す。」
日本の外交は、今我が手にない。憲法9条によって奪われた、武力による威嚇の外交を取り戻そう。
平和に徹した外交努力から、ナショナリズムの昂揚を背にした緊張外交を取り戻そう。
国民本位の外交などは目指すべきものではない。しっかりと、アメリカ追随徹底の外交を取り戻そう。沖縄県民に甘い立ち場はさらりと捨てて、アメリカべったりの安保外交を取り戻すのだ。

「安心を、取り戻す。」
いま我が手には、安心も安全もない。でも、企業経営者と富裕層にとっての安心と安全を必ず取り戻します。ご安心を。
社会保障は切り捨て、財界の皆様にご負担のない安心を取り戻します。
公助と共助を切り詰めて、貧者にも自助努力を押し付けます。当然、そのしわ寄せが社会不安となってあらわれますが、そこは治安政策の強化によって抑え込みますから、ご安心ください。

こうして取り戻した日本は、なによりも自由という価値が輝く日本でなくてはなりません。儲け自由の日本を取り戻そう。規制を緩和して市場原理万能の社会を作りあげよう。低賃金で人を雇う自由、長時間人を働かせる自由、弱者切り捨ての自由を確立しよう。競争に勝利した一握りの企業と富裕層にとっての住みやすいルールをつくろう。そうやって、うんと儲けた者どうし、優雅なカジノでルーレットをまわそう。

個人ではなく、国家を大切にしよう。人権ではなく、公の秩序と公共の利益を優先する社会をつくろう。国民主権の徹底ではなく、天皇の権威を復活させよう。近隣諸国との信頼関係よりは、民族の歴史・伝統・文化、そして日本の誇りを大切にしよう。国防軍をつくって、自衛の範囲を超えた戦争ができる国にしよう。

そのための障壁となる憲法を根こそぎ変えてしまおう。

こうして、日本を、国民の手から自民党の手に奪い取ろう。参院選こそ、そのチャンスだ。国民の多くが、こんなホンネの見え透いた我が党を支持してくれるというのだから。

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   『放生談義』
上野不忍池で蓮がそろそろ咲き始めた。まだ盛りには間がありそうだけれど、何だか蕾が少なくて、心配。花は少なくても、つややかでたっぷりとした葉っぱは、蓮池を一面におおって風にゆれている。白い葉裏をひるがえす風は見ているだけで涼しい。連日の猛暑などどこ吹く風である。蓮の葉を「荷」という。永井荷風はそれを渡る風がよほど気に入って、雅号に用いたのだろう。
池之端に何やらかがんで、苦労している若い女性がいる。そういうのを見ると放ってはおけない。事情を聞くと、亀を包んだネットがほどけなくて、爪を痛めて困っているという。「今日は自分の誕生日で、『放生』をするために、アメ横から亀を買ってきました」と言う。手伝って、包みをほどくと、出てきたのはかなりの大きさの「スッポン」が2匹。「スッポン」じゃまずいなと思っていると、案の定、外野から「生態系を乱す」「池に放しちゃダメだよ」と意見がはいる。
女性は中国人で、なぜ自分の善行が非難されるのか解らない。怪訝な表情でききかえすので、「生態系」の意味をみんなで説明して納得してもらった。「アメ横のお兄さんは大変良いことだといって、6千円で買ってきたのです。持って帰るわけにはいかない。どうしましょう」。すかさず外野から、「俺にくれ。食べる」。女性は「功徳を積むための不殺生なのに、食べる人にあげるわけにはいかない」と涙ぐむ。動物園に引き取ってもらうということで、外野を納得させ、スッポンと女性を人混みから連れ出す。
しかしどう考えても、たくさんの動物を連れ込まれることに困惑している動物園が引き取ってくれるはずはない。おそらくは、このスッポンは外来種ではなさそう、ということにしておいて「隅田川」へ。乗りかかった舟なのでタクシーを飛ばした。駒形橋の脇から川縁に下りて、ここに放そうというと、女性も喜んで納得した。
女性はインターネットで調べてきた「経文」と願い事を唱える。怖がってスッポンには触れない女性に代わって、スッポンをトボントボンと隅田川に落として、無事「放生の儀式」を終える。女性は、誕生日に良いことをした、良い人に会えて良いことがあったと大喜び。こちらは「日中友好」ができて良かった。アメ横のお兄さんは良い商いができたと喜んでいることだろう。窮屈な包みをとかれて、突然水の中に放り込まれたスッポンだって、スッポン鍋にされなくて良かったと喜んでいることだろう。
そのあと、一緒に金竜山浅草寺に行って、女性はお賽銭を上げて、敬虔に拝んで、私は参拝はしなかったけれど付き添いをした。1945年3月10日の東京大空襲の話や、中国に対する戦争犯罪のお詫びなどして、「ご縁があったらまたお会いしましょう」と名前も聞かずにお別れした。

もしかしたら、スッポンの恩返しがいつかあるかもしれないと、かすかな期待が残る経験だった。
(2013年7月14日)

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