澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

参院選・投票日まであと3日ー脱原発を願う有権者の皆様に

3・11の福島第1原発事故以来、脱原発・原発廃棄・廃炉は日本社会に突きつけられた大きな課題となった。人類史的な課題と言って過言でない。実はもっと以前から問題は存在していたのだが、長く顕在化しなかっただけなのだ。人それぞれに、脱原発問題の捉え方があろうが、私は、人類と核兵器の共存の可否が問われた時代から、人類が原発を含む核と共存可能かを問われる時代となったと考える。

私は、経済問題として原発を論じることに違和感を禁じ得ない。エネルギーコスト問題としてではなく、多種のエネルギー選択の問題としてでもなく、人類と共存できない危険物として、あるいは人類が管理不可能なものとして原発をとらえるべきだと思う。どんなに小さな確率でも、長い年月にはリスクは確実に顕在化する。顕在化したその災禍が、修復不可能で人類に耐えがたいものである場合には、敢えてリスクを抱える選択をすべきではない。10万年もの長期間にわたる核廃棄物管理が不可能であることだけでも、到るべき結論は自ずから明らかである。我が国特有の地震・津波・噴火・台風の頻度を考慮すればなおさらのことではないか。

そのような観点から、「原発即時ゼロ」という標語で、脱原発に徹底した政策を掲げているのは日本共産党である。少なくとも、3・11以後この姿勢に揺るぎがない。「何年かの期間をおいて」「老朽化施設から順次廃炉にして」「経済的にペイしないようにして」ではなく、即時・全面のゼロ化。そして、破廉恥な原発の輸出セールスも止めさせる。これは経済合理性の問題ではない。人類の生存のための選択なのだ。

首都圏反原発連合が作成した、脱原発候補への投票を呼び掛けるポスターやフライヤーの類でも、日本共産党の徹底した姿勢が評価されている。そのような運動の先頭に、かつては吉井英勝さんがおり、今は笠井亮さん、小池晃さん、そして吉良よし子さんがいる。

その吉良よし子さん(東京選挙区の共産党公認候補)について、本日の赤旗社会面に、宇都宮健児君が推薦の弁を述べている。おざなりの内容ではなく、きちんとした推薦の理由が具体的に述べられており、「一貫して、脱原発、脱貧困、憲法擁護を貫いている吉良さんを私は応援します」と結んでいる。宇都宮君が吉良候補事務所開きで挨拶したことも赤旗には報じられていた。革新の共闘で知事選候補となった人の言動として、当然のことながら結構なこと。この姿勢を貫いて欲しい。

宇都宮君は、上原公子さんと並んで「緑茶会」という脱原発市民運動団体の結成呼びかけ人となっている。この「和製ティーパーティー」は、参院選で脱原発の候補者を選別し調整して、当選可能性の高い候補者を支援することが目的だという。

この会のホームページで、上原さんは、設立呼びかけのメッセージとして、「国民の不幸は2つある。国民を守るべき政府が、国民を置き去りにしていること。選ぶべき信頼(に)堪えうる政党がないことである」と言い放っている。この人、社民党から参院選に立候補して落選した経験があるはずだが、社民だけでなく、共産・みどり・生活・緑の党まで含めて、すべての政党を「信頼に堪えうる」ものでないというのだ。この人の頭の中では、「政党」と「市民」とは水と油のごとく親和せざるものとなっているのだろう。

もちろん、政治信条は人それぞれに自由、表現も自由だ。上原さんの言動を怪しからんというつもりはない。しかし、言論には責任が伴う。この人は革新陣営の共同行動を呼び掛けるにふさわしい人ではなく、この人の呼びかけによる運動に信を措くことはできない。「信頼に堪えうる」政党がないという人の呼び掛けに、のこのこ応じる政党人の見識も問われることになるだろう。

緑茶会は「脱原発候補が複数立候補する選挙区においては、当選確率がより高いと客観的に判断できる候補を推薦する」として、東京選挙区では、大河原まさこ候補(無所属)だけを推薦している。吉良よし子候補はもちろん、その他の「脱原発・原発ゼロ」を掲げる候補の推薦はない。端的に言えば、有権者の脱原発票を大河原候補に集中しようとしているのだから、排他性の高い運動となっている。大河原候補を推薦したければ、その実績や政策を訴えればよいこと。同候補を「当選確率がより高いと客観的に判断できる」などとまで根拠のないことを言って、脱原発志向の有権者を惑わせるのは罪が深い。

宇都宮健児君も緑茶会設立呼びかけ人の一人である。東京選挙区では、「当選確率がより高いと客観的に判断できる」大河原候補に脱原発票を集中するように呼び掛けている立ち場にある。この排他性の高い運動の呼びかけは、吉良候補への応援とは両立しない。敢えて吉良候補への支援の弁を赤旗に掲載したことを評価するとして、緑茶会呼びかけ人としての立ち場は放棄したのか、そうでないのか気にかかるところ。革新共闘の要に位置した人として、排他性の高い運動に加担してはならない。その辺のケジメを大切にしていただきたい。

脱原発志向の有権者には、宇都宮君の推薦の弁のとおり、是非とも、吉良よし子さんと日本共産党へのご支援をお願いしたい。

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  『ヤマユリ』
切ったヤマユリを飾ったら、部屋が急に狭くなった。この大きさ、この形、この色、この香り、なんという存在感。一つ一つの花が、大人の掌にあまるほどの大きさがある。白い花びらに散らばる薄赤色の斑点と、六枚の花びらの花芯から外に流れる六筋のレモン色が、宇宙に拡がる光と星のようだ。そのうえ、むせかえるような香りがする。空気が重くなって、息苦しいほど。

  百合の香に全身投げて眠りけり(北島俊明)
これは健康にあふれた若者ならではのことで、羨ましいかぎりである。病人や老人は香りに負けて、眠るどころではない。

日本は百合の宝庫で、シーボルトがスカシユリやカノコユリをオランダに持ち帰って大いに注目を集めた。1862年ジョン・ベイナがヤマユリをロンドンに紹介し、熱狂的に迎えられた。それから明治・大正時代を通じて、球根の流出が始まった。大正元年には、2000万球も輸出されたという。日本の山里を華麗に飾っていたヤマユリは掘り尽くされてしまった。咲けば遠くからも目立つ大きさと白さ、そしてあたりにただよう香りが災いして、我が身を滅ぼしたようだ。種はたくさんできるけれど、芽生える数は百に一つ、球根が大きくなって花を持つまでは4、5年はかかる。現在、球根の生産が始まっているが、園芸店で、一球1000円以上する。まさに高嶺の花である。

  山百合を捧げて泳ぎ来る子あり(富安風生)
山里の渓谷に、こんな風景は遠い昔話になってしまった。
ヤマユリは神奈川県の県花となっている。横横道路(横浜と横須賀を結ぶ高速道路)から鎌倉へはいる途中の朝比奈峠の道路脇の崖に、以前はブランブランとヤマユリが揺れていた。残念ながら、この頃はとんと見えなくなってしまった。春先に崖の草刈りをするときに、みさかいなく刈り倒されてしまうようだ。ヤマユリ姫はその場所が御意に召せば、種ではなく、球根の子玉ができて殖える。半日陰で、根元に草などが生えて、適度な湿り気が保たれ、木陰からチラチラと朝日がさすような場所であれば、けっこうらしい(ずいぶんな我が儘)。

今回の参議院選挙で神奈川選挙区の畑野君枝さんが当落線上にあると報道されている。ヤマユリ姫には是非とも当選してもらって、横須賀から原子力空母を追い出してもらいたいと思う。美しく華麗なヤマユリの里に米軍基地はまつたくふさわしくない。
(2013年7月18日)

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