5月17日(土)「政教分離の会」主催の公開学習会ご案内。「岩手靖国違憲訴訟・東京『君が代』裁判から見えてくる象徴天皇制の危うさ」 私がお話いたします。
(2025年5月12日)
(2025年5月11日)
【統一教会スラップ・有田事件】に対する「反撃訴訟」の第1回口頭弁論期日は以下のとおり。
日時 2025年5月15日 午後2時~
場所 東京地裁103号法廷(地裁1階・一般傍聴席約90席)
進行 原告 訴状・第1準備書面陳述 甲号証提出
被告ら 答弁書陳述 乙号証・丙号証提出
原告本人有田芳生意見陳述・原告代理人光前幸一訴状要約陳述
被告代理人山地博貴意見陳述
閉廷後、同日午後3時半〜
裁判所の裏(東)側 弁護士会館5階502号室で報告集会
・有田さん挨拶、代理人解説、支援者発言
・前川喜平さん(元文化庁宗務課長) 記念講演
統一教会は、日本テレビの報道番組「スッキリ」にコメンテータとして出演した有田芳生さんの8秒間の発言を同教団に対する名誉毀損と主張し、2200万円の損害賠償請求訴訟を起こした。
有田さんだけでなく、併せて日本テレビも被告とした、明らかにテレビ番組における統一教会批判の言論萎縮を狙った典型的なスラップ訴訟である。
このスラップ訴訟は、当然のことながら一審・二審とも統一教会の敗訴となった。東京高裁で控訴棄却の控訴審判決が言い渡されたのが2024年12月23日。いま、統一教会は最高裁に上告受理申立を行ってはいるが、逆転の可能性は微塵もない。
この不当なスラップ訴訟による被害は大きい。有田さん本人の経済的・精神的被害もさることながら、メディアの言論の自由や、国民の知る権利が蹂躙されている。
有田さんは、統一教会スラップの違法を明らかにし、言論の自由を守るために、攻守ところを変えた反撃訴訟に立ち上がった。本年1月23日、有田さんが原告になっての1100万円の損害賠償請求事件の訴訟を東京地裁に提起した。被告は、宗教法人統一教会だけではなく、スラップ提訴の意思決定をした法人の田中富廣会長、及び顧問の福本修也弁護士を加えた3名。社会に横行するスラップの違法を確認する判例を確立し、言論の自由・国民の知る権利擁護に寄与する判決を勝ち取りたい。
(2025年5月3日)
憲法記念日である。日本国憲法の前途を祝するがごとき好天。空は澄んで高い。薫風の中の新緑がまぶしい。平和と人権の砦となっている日本国憲法を、政権や自公維国などの改憲勢力の攻撃から護り抜く決意を新たにしたい。
もちろん、日本国憲法は不磨の大典ではなく、理想の憲法でもない。不合理な点も不十分な点も多々ある。しかし、人権尊重を第一義とし、統治機構の基本理念として、国民主権・権力分立・平和主義を掲げる現行憲法が擁護に値するものであることに疑問の余地はない。「憲法改悪阻止」の一点で、幅の広い連帯を大切にしたい。
とは言え、この憲法を聖典の如くに拝跪する姿勢は危うい。歴史の進展段階の特定の一時期に、時代が生んだ憲法である。その解釈も運用も、国民世論次第でよくも悪くもなる。さらには、憲法の条文自体が真の意味で「改正」もされ、「改悪」の憂き目を見ることにもなる。
「憲法改悪阻止」をスローガンとする人々にとっても、この憲法の先進性のみならず、後進的な側面を認識しておくことは重要だと思う。そのような視点から、以下に日本国憲法の後進性に言及してみたい。結論からいえば、日本国憲法の後進性の主たる側面は、天皇制を廃絶できずに残存させたところにある。
✦日本国憲法は「朕」の1字から始まる。
周知のとおり、日本国憲法には優れた前文があるが、その前に「上諭」という一文がある。その冒頭の1字が「朕」なのだ。さらに憲法の第1章は「天皇」であり、第1条から8条までが天皇に関する条文。全103か条(含補則)の条文の最初の単語が「天皇」であって、主権者国民ではないことが情けない。
「大日本帝国憲法」を受け継いだ不徹底な構造だからである。残念ながら、80年近くこのいびつな憲法の構造を「改正」することができていない。
✦内閣総理「大臣」・国務「大臣」とは何たる滑稽
律令下では、文字どおりの「大臣(おおおみ・おとど)=天皇の大いなる臣」であった。王政復古の近代天皇制でも、「大臣」に違和感はなかったろうが、戦後80年を経ていまだに「大臣」とは滑稽千万、残念至極というほかない。
✦天皇の存在自体が、民主主義における後進性を再生産している
・国会開会式における主権者代表を見下ろして、文字どおり上から目線の「お言葉」。
・国歌は天皇讃歌「君が代」、国旗は天皇の祖先神アマテラスの象形「日の丸」。
・天皇は、叙位叙勲・褒賞を行う。子どもがオモチャをもらって喜ぶように、そんなものを欲しがるオトナが少なくない。その現実が天皇制を支えている。
・国民の祝日の多くが、いまだに天皇信仰の「祭日」である。
四方拝・紀元節・天長節・皇霊祭・新嘗祭・明治節…の焼き直し。
・天皇は、春・秋に、園遊会を催す。皇族も出てくる。招待者1400人規模。これに招かれたい、出席したい、天皇と話をしたい俗物がウヨウヨ。
・御苑・恩賜公園・御製・天皇賞・賜杯・天皇杯・皇后杯・皇室御用達等々。
東京六大学野球の選手諸君に聞きたい。天皇杯に抵抗感はないのか。天皇の名による戦争で、多くの先輩たちが戦死を余儀なくされたではないか。
・一世一元と元号使用強制は、国民生活に天皇制を浸透させようという試みの最たる成功例。現代世界に例のない欠陥年表記法(将来を表記できない)である元号使用を意識的に拒否すべき。「元号」「改元」「元年」の元とは、天子が支配する時の初めの意味。「令和の百姓一揆」「平成の不況」などという時代表現もやめよう。
・神宮・神社・靖国・護国神社・忠魂碑…。
全国各地の至るところに、天皇教と、天皇の戦争遺跡・遺物が。
・天皇・皇室・皇族の税金と広大な土地(皇居や御用邸)の無駄遣い。
国民の困窮を傍観しつつ、働かざる者の贅沢。(学術会議予算が10億弱である)
皇室費(内廷費3億2,400万円・皇族費2億3,577万円・宮廷費108億1,223万円)と、宮内庁費(119億1,431万円)
・2025年4月12日、天皇は大阪万博開会式に出て、式辞を述べて、政治性濃厚で危険な万博の人寄せパンダの役割を果たしている。
✦天皇制と民主主義
・天皇は、かつては神なる権威として君臨し、主権者として臣民を統治した。
支配の権能を失った今も、神の末裔たる精神的権威として振る舞い続けている。
・健全な民主主義の成立は、自立した精神をもつ主権者の存在を前提とする。
精神的権威は、その権威を認める者に「服従の心理」として機能する。
・天皇の権威を否定して「服従の心理」を克服することが、民主主義の課題である。
権威に恐れ入らぬ精神、まつろわぬ批判の姿勢の涵養が必要である。
・象徴天皇とは、明治政府の創作した「神権天皇」の残滓として、けっして人畜無害ではなく、主権者の精神的自立の障害物となっている。
・その意味で、象徴天皇は退化した無害な盲腸ではなく、国民の精神の自立を蝕む有害なガンと認識すべきである。常に、転移と進行の危険がつきまとっている。
・象徴天皇を侮ってはならない。象徴天皇制批判を躊躇し怠ってはならない。
✦天皇信仰との訣別を
・戦前の天皇は、宗教的権威を基礎に陸海軍を統帥し統治権の総覧者となった。
象徴天皇は三層構造をもった神権天皇の末裔であり、その宗教性の残滓は色濃い。
・かつて、政治宗教である天皇教が、信者たる臣民にその教義の受容を強制した。
天皇教とは、皇祖皇宗と現人神を神聖な崇拝対象とし、天皇自身を最高祭司(教祖)とする信仰である(「国家神道」は、上品に過ぎるネーミング)。
・天皇教の教義は、万世一系の血統を高貴で神聖として崇拝するだけのもので、
社会がイメージする典型的なカルトそのものである。
・ミミズもオケラも、生きとし生けるものにして万世一系にあらざるはない。
天皇教は、高貴な血と卑賤な血とを分ける差別信仰に外ならない。
・かつて天皇教は、信者(臣民)の理性を眠らせ、教祖が一国の主権を簒奪した。
オウムは重武装を、統一教会は銃の大量輸入を企てたが、いずれも挫折している。
天皇教だけが、マインドコントロール下の陸海軍と将兵をもつことに成功した。
・日本国憲法下に天皇教の残滓は象徴天皇として、いまだに信仰者も絶えない。
マイホーム型のソフトな教祖の伝道手法に幻惑されてはならない。
✦主権者意識の障害物としての天皇
・象徴天皇の害悪は、臣民根性を涵養し、主権者意識を鈍麻させることにある。その害悪実現の実行主体は、権力、資本、そして社会的同調圧力の3者である。
・象徴天皇を巡る対峙とは、これを強制する権力や資本との対峙であるだけでなく、天皇に敬意を表明すべきが良識であるとする社会的同調圧力との対峙でもある。
・天皇・皇族に対する特殊な敬語は、臣民根性を再生産する小道具である。天皇・皇族に対する批判の言論にいささかの萎縮も遠慮もあってはならない。
・天皇自身に、憲法解釈や出過ぎた象徴としての行為を認めてはならない。
・近代天皇制とは藩閥政府(西南雄藩連合)の創作であって、日本の伝統ではない。
・近代天皇制は儒教的家父長制におけるイエモデルを国家大に拡大したもの。
「一国は一家である。天皇は慈父であり、臣民は赤子である」
夫婦同姓の強制にも、ジェンダーバイアスにも、根底に天皇制がある。
・戦前と戦後・大日本帝国憲法と日本国憲法、主権の転換、滅私奉公と個人の尊厳。この切断を曖昧化し、旧社会温存の骨格となっているものが象徴天皇である。
・濃厚に残存する臣民根性を払拭するのか温存を許すのか。常に問われ続けている。
✦差別の根源としての天皇制
・天皇制とは《高貴な血統》という、根底的な差別信仰であり、あらゆる差別の根源となっている。あらゆる差別の解消のために、天皇制の克服が必要である。
・すべての人は、生まれながらにして平等である。これは公理であって例外はない。高貴な血を認めることは、その対極に卑賤な血の存在を認めることである。
・この血統に関する信仰は、ナショナリズムと結びついて排外的差別となり、家父長制と結びついて、ジェンダーギャップをもたらしている。
・唾棄すべきは、門地・出自・家系・家柄・家格・毛並・血筋・氏素性…。これをひけらかす俗物。政治家2世3世の愚物。そして、極めつけが皇室皇族である。
・問題は、血への信仰ゆえに天皇の権威を容認する国民精神(臣民根性)にある。血統の珍重は、競走馬とペット業界のこと。人間界にはあり得ない。
(2025年4月8日)
本郷三丁目交差点ご通行中の皆さま、ご近所の皆様。こちらは「本郷湯島九条の会」です。毎月一度、この場をお借りして、「平和を守れ」と訴え続けております。昼休みのひとときですが、少しの時間耳をお貸しください。
春うらら、まことによいお天気の4月8日です。お釈迦様がお生まれになった日だとか申します。お釈迦様は、生母摩耶夫人の右脇から生まれいでて、そまま7歩を歩いて「天上天下唯我独尊」とおっしゃった。これを英訳しますと、「Buddha First(お釈迦様第一主義)」と言うんでしょうね。まあ、大昔のことで、赤ちゃんのお釈迦様の言葉だから、とても可愛い。
これを今、ならず者のトランプが、「天上天下、唯アメリカ独り尊し」「天上天下我トランプの思うがまま」と、駄々をこねて、あっちに関税、こっちにも関税と世界の金融市場を掻き回しています。なんと見苦しくも愚かな図でしょう。ちっとも可愛くない。
トランプが自国の産業を保護するために始めた唐突な関税引き上げは、相手国を敵視し威嚇した軍備の増強によく似ています。自国の防衛のためとして、こちらが軍備を拡大すれば、あちらも拡大せざるを得ない。そしたら、さらにこちらも…。お互い、負けるものかとエスカレートすることになる。軍備でも関税でも、問題はどちらがどれだけ、相手よりも優位に立つかということですから、お互いに負けてはいられないことになる。どうしてまた、こんなヘンテコリンで、おかしな人物が強大な権力を握ることになってしまったのでしょうか。
今世界は、確実におかしい。危険な事態と言わざるを得ません。プーチンやネタニヤフ、習近平・キムジョンウンなどが危険でおかしいと思っていたら、「オレだって負けるものか」とトランプがシャリシャリ出てきた。言葉の真の意味での、愚か者でならず者。世界最強国の権力者だけに、トランプ第一です。トランプが群を抜いて最も危険でおかしい。無茶苦茶なことをやり始めて、誰も手を付けられない。
プーチンやトランプに較べればまだマシには見えますが、日本だって危険でおかしい。プーチンやトランプと親友だと自慢する、ヘンテコリンで危険な首相の時代から、日本は確実におかしくて危険になっています。
今年は戦後80年。あの戦争の惨禍に対する反省を踏まえて、平和憲法ができて、国際協調や平和を基本とする国づくりをしてきました。これに真っ向から異を唱えたのが、ウラジミールやドナルドと親密なことを売り物とした、同じ穴の安倍晋三。彼の唱えた「戦後レジームからの脱却」とは、「憲法を根幹において改正し、教育や家族のあり方、経済のあり方も根本的に変更して、戦前の美しく強い国を取り戻そう」というもの。
彼が取り戻そうという「戦前の美しい国」っていったいどんな国でしょうか。言うまでもなく、天皇が主権者として君臨する国、富国強兵のために臣民に滅私奉公を求める国。人権も民主主義もなく、差別を容認する国。両性の平等も、思想・良心・信仰の自由も、言論の自由もない国でした。
ちょうど100年前の1925年3月、帝国議会は、稀代の悪法「治安維持法」を成立させました。施行は5月から。敗戦直後の1945年10月にGHQの指令を受けて廃止されるまでの20年間、治安維持法は思想弾圧に猛威を振るいました。
治安維持法の所管は内務省と司法省。つまりは、特高警察と思想検事と、そして思想判事でした。現人神である天皇という荒唐無稽な存在を維持するための非国民狩りに狂奔し、メディアも教育もこれを煽ったのです。大日本帝国とは、挙国一致の治安維持法体制であったと言って差し支えありません。
成立時の治安維持法は7か条。その第1条は、「国体を変革しまたは私有財產制度を否認することを目的として結社を組織しまたは情を知りてこれに加入したる者は10年以下の懲役または禁錮に処す」というもの。事実上、「国体の変革」(天皇制の否定)と「私有財產制度の否認」(資本主義の否定)という思想が処罰対象とされたのです。
治安維持法は小さく生まれて大きく育ちました。はやくも、1928年の緊急勅令に基づく「改正」で、最高刑を死刑とする重罰化とともに、「結社の目的遂行のためにする行為」を処罰する目的遂行罪を新設して処罰範囲を広く拡大しました。「目的遂行のためにする行為」という曖昧な罪で、何でも引っかけ、誰でも、しょっ引けるようにしたのです。
この悪法は、1922年創立の日本共産党弾圧を主たる弾圧目的に制定されたものではありますが、検挙対象は、共産党にとどまりませんでした。言論・出版・労働・宗教・学術・教育・文芸・芸術・法曹等々の各分野に及びました。
その結果、「治安維持法20年間の犠牲者は、…逮捕者が数十万人、送検された者の実数7万5681名。送検後の獄死者1682名、これに拷問により虐殺された者及び獄死した者加えると、ほぼ2千人」とされています。美しい国とは、実はこんな野蛮な国でした。この野蛮な国は、国民を天皇が唱導する聖戦に駆りたてるとともに、戦争に反対する勢力を根こそぎ弾圧の対象としたのです。
戦後80年、日本人の多くは、平和と自由を愛し、差別をなくして、豊かな福祉国家建設を望み目指してきました。もう戦争はないだろう。もう大きな思想弾圧もないだろう。今日より明日は、豊かな住みよい社会になるだろう。そう考えてきましたが、安倍晋三政権以来、私たちの国にはキナくささが抜けません。戦争の準備が着々と進められているという危惧を払拭できません。
皆さん、うららかな春の日和ですが、治安維持法の暗い厳しい時代を忘れてはなりません。戦争に反対すれば、否応なく非国民だとしてしょっぴかれる、あの時代を繰り返してはなりません。今、私たちは言論の自由を持っています。今は、戦争政策を批判することができます。この自由は、使わないと錆び付きます。皆様、ものを言いましょう。戦争に反対。平和を守れ。危険な安保条約は廃棄せよ。防衛予算の増額はやめろ。企業・団体献金は禁止だ。杉田水脈は落選させよう。トランプ批判に遠慮するな。アメリカにおもねらず、中国とも仲良くせよ。消費税はなくせ。大企業と大金持ちから税金を取れ。そして、学術会議の独立性をまもれ。選択的夫婦別姓を実現せよ。再審法制定を急げ。危険な大阪万博やめろ。あらゆる差別を許すな。無法者トランプに屈するな…。
言論の自由を行使し、選挙で主権者の意思を表明しましょう。日本の民主主義を錆び付かせないように。
(2025年3月24日)
《東京「君が代」裁判・第5次訴訟》が本日結審となり、判決言い渡しは本年7月31日午後2時(東京地裁709号法廷)と指定された。希望をもちつつ、判決を待ちたいと思う。
実は、この訴訟の最終口頭弁論期日は、いったんは昨年12月16日に指定されていた。ところが、その一週間前になって突然期日延期となった。裁判長交代が理由であることが後に分かった。これまで、原告の切実な訴えに直接耳を傾け、岡田正則教授の証言にも積極的に質問をしていた裁判長の交代は、まことに残念ではあるが、我々は裁判官を選べない。3か月の延期となっての本日、更新弁論に続いて、260頁の原告側の最終準備書面を要約した意見陳述となった。
本日の法廷の陳述は、原告お二人、弁護士7名の力のこもったものだった。この合計時間はほぼ1時間20分。充実した内容であったと思う。
《東京「君が代」裁判・第5次訴訟》は、都立学校の教職員が、卒業式・入学式において起立斉唱命令に違反したことを理由とする懲戒処分の取消を求める訴訟である。原告数は15名、取消を求める懲戒処分の件数は26件である。
26件の懲戒処分の内訳は、減給6件、戒告20件であるところ、戒告20件のうち16件は、過去に減給処分を受けて提訴で争い、取消の判決が確定したあとに、取り消された処分と同一の事実を理由として科された再度の戒告処分(「再処分」と呼んでいる)である。
下記は、私が担当した、最後の意見陳述である。
1 司法本来の責務と、本来の司法への期待
(1) 結審に当たって、代理人の澤藤から貴裁判所に要望を申しあげます。
司法本来の役割とは、公権力行使の誤りを正し、憲法の理念を実現することにあります。いやしくも司法が公権力の違法な行使を看過し追認することで、人権の侵害や民主主義的秩序の荒廃に手を貸すようなことがあってはなりません。
残念ながら、今、我が国の首都の公教育は、あってはならない異常な事態に呻吟しています。その元兇は、憲法や教育の理念の何たるかについておよそ理解を欠いた東京都の教育行政ではありますが、司法も、その本来の役割を十全に果たしてきたかについて憾みなしとせず、一半の責任を指摘せざるを得ません。
我が国の教育行政は、いつの間にか複数の国際人権専門機関から、繰り返し是正勧告を受けるという不名誉な人権後進国扱いになっています。実は、同時に我が国の司法の在り方も、国際人権機関からの批判の対象となっているのです。
(2) 原告らは、司法本来の役割に期待して、本件提訴に及びました。侵害された自らの思想・良心・信仰の自由を回復し、さらには、「10・23通達」以来の異常な都立学校の教育を本来あるべき姿に取り戻そうと願ってのことです。
貴裁判所には、この原告らの切実な願いに、誠実に向きあっていただきたい。本件は、憲法訴訟であり、教育訴訟であり、憲法理念を行政に反映すべき行政訴訟でもあります。いくつもの重要な法的論点を提示しています。原告らの切実な期待に応えて、その判断に遺漏のなきよう十分な配慮をお願いいたします。
2 本件は立憲主義の根幹を問う訴訟です
何よりも本件は憲法訴訟です。しかも、個別の憲法条文解釈のあり方を超えて、立憲主義の根幹を問う訴えとなっています。
「国旗に正対して起立し、国歌を斉唱せよ」という本件職務命令は、国旗・国歌が象徴する国家に対する敬意表明の強制にほかなりません。国家とは、公権力の主体であり、公権力の唯一の源泉であります。本件起立斉唱の強制は、《権力主体として国家》が、主権者の一人であり、かつ《人権主体としての個人》に対して、「我に敬意を表明せよ」と権力を行使している構図なのです。
この構図において、国家と個人との憲法価値の優劣が問われています。憲法は、明らかに個人の尊厳を、根源的な、国家に優越する至高の価値としています。従って、国家が個人に対して、国家象徴への敬意表明を強制することは、原理的になし得ないと言うしかありません。従って、本件各懲戒処分はすべて違憲・違法として取り消されなければなりません。
3 そして本件は、現代の「踏み絵」の違憲性を問う訴訟です
もう一つの憲法問題が、各原告の基本権侵害です。その典型として、「日の丸・君が代」に対する敬意表明の権力的強制が、強制される者の信仰の自由を侵害するという問題として表れています。
原告の一人は、起立斉唱の職務命令を受けて、信仰者であることと教師であることとが二律背反となる事態に初めて遭遇し、この葛藤を「踏み絵」と表現しています。信仰を貫けば制裁を受け、制裁を避けようとすれば信仰に反する行為を余儀なくされる、これが現代の「踏み絵」にほかなりません。
貴裁判所には、真剣にこの原告の言葉に耳を傾け、その痛切さ、深刻さを理解していただくようお願いいたします。
国歌斉唱時に、自らの信仰の命じるところに従って、自らが信じる宗教的信念を護るために、行事の進行を妨害することのない消極的な態様での不起立・不斉唱に制裁を科すことは許されません。この法理は、憲法を学ぶ者の初歩的な常識であり、国際的な共通認識でもあり、そして、神戸高専剣道実技拒否事件において最高裁が判例として示しているところでもあります。
仮に司法が、本件の「踏み絵」の違憲違法を看過し追認するようなことがあれば、憲法20条1項の「信教の自由」は、画餅に帰すことになってしまいます。そして、その理は、憲法19条についても、同様なのです。
4 司法とは一人ひとりの独立した裁判官であることについて
最後に釈迦に説法を申しあげます。憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めています。
行政が人権を侵害し教育を歪めているとき、これを糺すのが司法の役割であり、唯一司法のみがなし得ることです。その重大な役割を担う司法とは、実のところ一人ひとりの裁判官にほかなりません。「憲法の番人・人権の砦」とは、一人ひとりの裁判官が独立して果たすべき役割を指しています。違法な教育行政を糺し、個人の尊厳を取り戻し、次代の主権者を育てるにふさわしい教育を実現することができるのは、本法廷の裁判官席にある裁判官諸氏以外にありません。
本件各原告は教員としての良心に従って、必死の思いで立ち上がって本法廷で訴えました。是非とも、この原告らの切々たる魂の叫びに、人として、また憲法擁護の使命を持った法律家として応えていただきたい。
裁判官の使命は、安易に先例を穿鑿しこれを踏襲するところにはありません。本件具体的事例において、あるべき憲法理念、あるべき憲法秩序、憲法が要請する人権保障や教育の自由を見極めた上、血の通った、そして裁判官の良心に照らして道理のある判決を、心からお願いいたします。
(2025年3月3日)
ゴロツキ・トランプを戴くアメリカは、経済マフィアが政権を乗っ取ったという構図となった。ホワイトハウスには、今や理性も品性のカケラもない。アメリカが民主主義の先進国として世界から尊敬を集める日は、もう永遠に来ないかも知れない。アメリカの有権者は、大いに恥じなければならない。
ゴロツキ・トランプは、火事場泥棒でもある。火付け人殺しの侵略者プーチンと同じ穴のムジナとして気が合うようだが、侵略されたウクライナ国民の悲劇に胸を痛める感性の持ち合わせはない。
どのゴロツキにもゴマスリ茶坊主が付いている。トランプにはバンスだ。ゼレンスキーに向かって、「トランプに失礼だ」「トランプに感謝せよ」との繰り返し。「失礼」はおまえだろう。侵略された国の国民にいたわりの言葉はないのか。
アメリカは、世界の文明国と決別し、「価値観を異にする国」となった。もはやこの国には、法の支配も、民主主義も、人権も、権力分立も、多様性の尊重も、真実への敬意も平和主義や国際協調もない。ひたすら、「カネだ」「銭だ」「領土の拡大だ」「支持者の利益だ」としか言葉を知らない野蛮国となった。世界の良識から軽蔑の言葉を投げかけられるだけの存在。アメリカ人よ、こんなゴロツキに乗じられたことを大いに恥じるがよい。
ホワイトハウスでの会談は、大国の無法が、小国の窮状に付け込んで火事場泥棒を演じる一幕を見せつけようというものだった。しかし、一寸の虫にも五分の魂があった。結局、トランプは何ら得るところないまま一幕を終えた。ひたすらに、その無法と醜態を世に曝した末のことである。
ウクライナ側にも誤算ではあっただろう。だが、公平に見て、この意外な一幕は、トランプ政権の無法を世界に印象づけたという点に最大のインパクトがあった。トランプ・アメリカの世紀の失策として後世に残ることになるだろう。
翻って我が国には、かつて、ウラジミールと親友で、ドナルドとも同じ穴にいた政界のトップがいた。あんなのを長年首相にしていたことが、日本の有権者の一人としてなんとも長年恥ずかしかった。いまは、まだマシだ。
我が国の民主主義はプーチンやトランプを生んでいない。それだけで、まだ捨てたものではない。これ以上の民主主義のレベルの切り下げは御免だ。
(2025年2月23日)
2月23日、天皇(徳仁)の誕生日。もちろん、とりたてて目出度い日ではない。思惑ある人だけが大袈裟に空虚な祝辞を述べ合う日なのだが、その空虚さにシラける日。そして、国民一人ひとりの主権者意識や、人権意識の強靱性が試される日。おべんちゃらではない、言いにくいことを言える社会であるかの真価が問われる日でもある。
今だに臣民根性の染みついた愚民連中が「一般参賀」に動員されて、天皇一族がこれに手を振っている滑稽。なんともおぞましい景色。だが、この滑稽、このおぞましさは本日限りのものではない。
愚の極みは、産経新聞の本日の社説の末節。これ1925年の記事ではない。2025年2月23日、今朝の朝刊に掲載されたとおりなのだ。
日本の皇位は初代の神武天皇から第126代の天皇陛下まで一度の例外もなく、男系(父系)の血統で続いてきた。これからも皇統は永く受け継がれていく。世界で最も古くから続く皇室を戴(いただ)く喜びを、この佳(よ)き日にかみしめたい。
「初代から当代まで一度の例外もなく、男系(父系)の血統で続いてきた」は、言うまでもなくフィクションである。が、仮に真実だとして、一体それがなんだというのだ。ミミズだって、オケラだって、生きとし生けるものにして万世一系にあらざるはなし。
「これからも皇統は永く受け継がれていく」「世界で最も古くから続く皇室を戴く喜び」「この佳き日にかみしめたい」は、どっぷり浸ったカルトの世界。皇統・皇室はなにゆえに価値ある存在なのか説明抜きで、ひたすらに「アリガタヤ、アリガタヤ」と呪文を唱える。これが、カルト・天皇教である。
あらためて思う。日本の民主主義は天皇制に抗うところから生まれ、天皇制に対峙して育ってきた。もちろん、今もなお。
実は、我々の身の周りには、下記のとおり、天皇制の遺物が満ち溢れている。真っ当な主権者は、意識的にこれを払い除ける覚悟が必要だと思う。
・日本国憲法は朕の1字から始まる。
日本国憲法は、10章99か条に4か条の補則があって全103か条からなるが、これに貴重な「前文」が付されているのは周知のとおり。そして、「前文」の前に「上諭」といわれる一文が付いている。これが、「朕は」で始まるのだ。「朕は、…この憲法を交付せしめる」と結ばれる。
憲法の第1章は「天皇」である。第1条から8条までが天皇に関する条項。旧「大日本帝国憲法」からの構造をそのまま受け継いだ構造。残念ながら、80年近く、この構造を改正することができずに、今日に至っている。
・三権の長は天皇の任命。
天皇は政治的な権能を一切有しない。が、三権の長を任命する。もちろん、形式的なものだが、まことにもってつまらぬ形式主義。
・内閣総理「大臣」・国務「大臣」とは何たる屈辱。
律令制下では、文字どおりの「大臣」であったろう。これを模した近代天皇性でも、「大臣」に違和感はなかったろうが、戦後80年を経ていまだに「大臣」で恥ずかしくないか。
・即位式のバンザイ。国会開会式の愚かさ。
で、大臣や議員らが、ことあるごとに、「テンノーヘーカ・バンザイ」をやる。どうやら酔余の余興ではなく、素面でやっているようである。
・国歌は「君が代」、国旗はアマテラスの象形。
いまだに、我が国の国歌は天皇讃歌である「君が代」、国旗は天皇の祖先神「アマテラス」の象形である日の丸とされている。
・叙位叙勲・褒賞制度の威力。
子どもがオモチャをもらって喜ぶように、叙位叙勲・褒賞をむやみにありがたがる「オトナ」が少なくない。天皇制の小狡いところ。そして、限りなく汚いところ。
・国民の祝日は、天皇教の「祭日」である。四方拝・紀元節・皇霊祭・新嘗祭・明治節・天長節…と限りがない。今さら言うまでもないことだが。
・御苑・恩賜公園・御製・賜杯・皇室御用達・天皇賞、等々のオンパレート。東京六大学で優勝を争っている選手諸君、天皇杯の授与を受けることは、いったい名誉なことなのか。天皇の名による戦争で、多くの先輩たちは戦死を余儀なくされたではないか。天皇杯に抵抗はないのか。
・元号使用強制の不都合
国民の私生活に天皇制を浸透させようという試みの最たるもの。意識的に、元号使用を拒否したいものである。
・メディアの天皇・皇族へのいたずらな敬語の使用には虫酸が走る。普通にやったらよかろうに。
・神宮・神社・靖国・護国神社・忠魂碑…。全国至るところに、天皇教と、天皇の戦争の遺跡・遺物が。
・天皇・皇室・皇族の税金と広大な土地の無駄遣い。国民の困窮を他人事にしながらの、働かざる者の栄華。
・最後に、皇族の絶滅危惧回避策としての女性天皇問題。
ここしばらくは、憲法改正を発議して、天皇制を廃絶する展望は描きにくい。それよりは、安倍派主導の男系男子主義の墨守で、天皇制の自然死を待つ方が、現実的なのかも知れない。
いろんなことを考えざるを得ない、天皇誕生日である。
(2025年1月21日)
2025年1月20日、アメリカ合衆国第47代大統領として、ドナルド・トランプが就任した。選挙という民主主義における手続を経てのことである。
この日人類は、この男の頭一つ分、確実に野蛮の度を高めた。フェイクな情報に操られる衆愚が作り出した歴史の逆流が多くの人々を巻き込んで巨大な潮流となり、醜悪な権力を作った。民主主義の空虚な実態を曝け出している。
東にプーチンと習近平、そして西にトランプである。なんたる悪夢。世界に暗黒の3王朝鼎立の構図である。民主主義が敗北している。平和と人権が崩れている。
二つの大戦を経て、人類が到達した「常識」が厳しい挑戦を受けている。このままで、人類が生き延びていけるだろうか。
吐き気を催すほどの不愉快な就任式の演出であった。驚くべきことに、世界の富の大半を我が手にしていると言われるハイテク企業の総帥たちが、君臨するトランプの側に恥ずかしげもなく侍っている。
資本の資本による資本のためのトランプ政権。その政権を、貧しい群衆が、嬉々として支えているのだ。愚かしくもあり、恐ろしくもある、何というパラドックス。
ちょうど100年前の日本で普通選挙(とは言え、男子のみ)が実施されたとき、選挙によって人民の利益に奉仕する政治が実現するかの評価は区々に分かれた。天皇制権力の側は、普通選挙の民主主義的効果を過度に恐れた。
それゆえに普通選挙法(正確には改正「衆議院議員選挙法」)に、人民には自由な選挙をさせない徹底した規制を盛り込み、さらに抱き合わせで治安維持法を制定した。天皇制下の選挙制度とは、治安維持法とともにあったことを記憶しなければならない。
今、治安維持法はない。選挙運動の自由も緩和されつつある。それでも、勤労大衆の利益を標榜する政党が政権を取ることはない。実は、ここにもトランプのパラドックスが見える。
選挙が代議制民主主義における中核の制度として本来の機能が発揮されるためには、主権者に正確な情報の提供が保障されていること、そして有権者に立候補者の資質や政策を選択する能力が備わっていることが条件となっている。
中国のようにはなりたくない。ロシアのようになってもならない。そして、トランプのアメリカにも。吐き気を催すほどのバカげた就任式を見せつけられて、私たちの国の民主主義を大切にしたいものとあらためて思う。
(2024年12月8日)
12月8日、けっして再びの戦争を起こしてはならないとの誓いを新たにすべき日である。あの戦争の究極の責任者は誰か。回答は幾様にもあるだろうが、天皇と軍隊の責任を挙げることに大方の異存はないだろう。民主主義の欠如と、野蛮な武力が戦争の惨禍を引き起こした。
軍隊は危険な存在である。国防を建前にしながらも、易々と自国の人民に銃を向ける。為政者にとって、これ以上に頼もしく強力な統治の手段はない。
平時においては、軍は人民を威嚇するだけの存在に過ぎないが、非常時にはその実力を行使し武力をもって人民を制圧する。その典型が戒厳令である。いつ、何をもって非常の事態というのかは、軍を統率する為政者の一存で決まる。
戒厳令とは、民主主義を停止して軍に全面的な統治の権限を委ねることである。民主主義が権力を制約する理念と制度である以上、権力行使に対する民主的束縛を解放する威厳令は、常に権力者にとって妖しい魅力に輝いている。
戒厳令が施行されれば、民主主義は眠り込まされる。場合によっては永遠の眠りとなりかねない。戒厳令は民主主義の対立物というだけのものではない。民主主義を死滅させかねない劇薬でもある。
1989年6月4日、戒厳令下の中国人民解放軍は天安門広場とその周辺に市民的自由を求めて集まった群衆に発砲し、流血の惨事を引き起こした。権力を握る中国共産党の命じるままにである。この日、人民から生まれた人民解放軍が、人民に銃を向けただけなく、実弾を発砲して、人命を奪い、自由や民主主義を求める人民の声を封殺した。この日、中国の民主主義も殺戮されたのだ。
2024年12月3日、韓国の尹錫悦大統領が「非常戒厳」を宣布した。韓国軍に国会の包囲と制圧が命じられた。戒厳令が民主主義の停止である以上は、議会の制圧は当然のこととなる。議会内の議員の逮捕や排除も命じられたという。
しかし、軍は結局この命令に従わなかったと報じられている。これが、戒厳令の発動を失敗に終わらせた。その直接的な要因は成熟した軍隊の抗命であったが、軍隊の抗命は、大統領糾弾を叫ぶ圧倒的な国民世論に支えられたものであった。
通例、軍隊とは上命下服の厳正な規律下にある。この規律を欠いて文民統制に服さない軍隊の危険は言うまでもない。さりとて、中国共産党の命令に盲従して人民を殺戮した人民解放軍も危険極まる存在である。
国連の国際法委員会(ILC)が、ニュルンベルク裁判で確認された戦争犯罪に関する法原則を成文化した、7か条の「ニュルンベルク諸原則」というものがある。その第4原則が「政府または上司の命令にしたがって行為した者は、道徳的選択が現実に可能であったとき、国際法上の責任を免れない」と宣言している。
訳文の完成度が低いが、違法行為を犯した将兵は、「政府または上司の命令にしたがったのだから」という理由では免責されないのだ。
兵の主たる任務は、殺人である。あるいは、放火であり、建造物破壊である。いずれも、一般には犯罪とされる違法行為。その任務遂行としての違法行為が、上官の命令であるからして免責されることはないというのだ。
韓国の将兵はこのことをよく心得ていた。そのゆえの抗命であった。携えていた銃に実弾は装填されていなかったともいう。立派なものであったと思う。
もちろん、日本国憲法に戒厳令の制度はない。戦前の反省を踏まえ、意識的に類似の制度も作られなかった。にもかかわらず、何とか戒厳令に似たものを作ろうという狙いが、2012年自民党改憲草案における緊急事態条項に透けて見えている。
その文案は、「国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、…政令を制定することができる」という、国会という民主主義の根幹をなす機関の機能を停止して、内閣が立法権まで吸収しようとのたくらみである。その危険性を見抜かなくてはならない。
戦争は民主主義のないところに起こる。また、戦争は未成熟の野蛮な軍隊を抱えた国に起こる。12月8日の今日、中国と韓国のそれぞれの例から教訓を引き出して、他山の石としたい。
(2024年11月12日)
小春日和のお昼時。「本郷・湯島9条の会」の街頭宣伝活動。14人が参加した。いや、15人と訂正しなければならない。
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昨日、特別国会開会となり、首班指名の決選投票の結果、石破茂第2次政権が発足しました。その石破さんの態度の殊勝で神妙なことが印象的です。しかしこの人、態度も言うことも、コロコロ変わることで有名です。なぜ今こんなにも、神妙なのか。それはちっとも不思議ではありません。主権者の意思次第なのです。
かつて、安倍晋三という傲慢極まりない首相がいました。嘘とごまかしで有名な人です。モリ・カケ・サクラ・クロ・カワイという諸事件を引き起こし、身贔屓な人事で勢力を作った人。なぜこんなことができたか。国民が増長させたからです。
国民が何を間違えたか、安倍晋三を総裁とする自民党、安倍晋三を総理とする政権を支持したからです。彼は、国民をナメ切って、嘘とごまかしの政治を続けて、歴代最長政権の記録を作りました。このような国民の安倍自民党への支持が、腐敗したアベ政権を生み出したのです。裏金政治は、そのなれの果ての姿です。
政権とは、甘やかせば必ずつけあがるものなのです。付け上がり甚だしかった安倍政権がそのよい見本です。今度の選挙では、国民は石破自民党を甘やかさず、お灸を据えました。これが素晴らしい効き目。
前回の2021年総選挙に較べて、自公両党の得票は、650万票減りました。そして、73議席を減らして、自公は215議席に後退しました。事後の追加公認を加えても、過半数議席233に手の届かない少数与党。
少数与党であればこそ、石破政権は神妙に国民の声に耳を傾けなければなりません。石破総理の神妙さは、この緊張関係がもたらしたものです。
少数与党からの改憲発議などあり得ません。しばらくは憲法改悪の策動も鳴りを潜めることにならざるを得ません。そして、裏金政治をきれいにするために、政治資金規正法の再改正もやると、自分から言い出している様子です。
強すぎる与党は禁物です。侮ることのできない野党との緊張関係で、民意が反映されます。強すぎる与党の政権は、閣議決定だけで物事すべてを決めてしまいます。これでは、良い政治ができるわけはない。いつまでも、政権与党の頭を叩き続けて強大にせぬよう、心がけが肝要です。
今回、与党が弱くなったとたんに、しゃしゃり出てきたのが「ゆ党」と呼ばれる連中です。野党でも与党でもないから「ゆ党」。実は、与党の補完勢力で、与党が劣勢になれば、その受け皿となるのが主たる役割。
神妙な石破さんを、いつまでも神妙で謙虚なままに保つ否決は、あらゆる選挙において、与党に過大な票をやらないこと、それだけでく、与党から離れた票の受け皿となる「ゆ党」にも、ご用心・ご用心。
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本日の街宣活動中に、思いがけないことがあった。男子中学生の何人かの集団が、わたしたちの街宣を見ながら通過して、「今、学校で習っているよ」と、憲法9条の暗唱を始めたのだ。「すごい」「素晴らしい」と、声をかけているうちに道路を渡って行ってしまった。
その後、同じ制服の中学生の一人が、興味深そうに私たちのプラスターを眺めている。そこで声をかけてみた。「ねえ、キミも一緒にプラスター持って立ってみない?」 そしたら、「ハイ」という答え。「被団協ノーベル平和賞おめでとう、憲法9条も喜んでます」というプラスターをしっかり読んで、胸にかざして私の横に立ってくれた。
そして、自主的に人通りの多い方に移動して、5分以上もスタンディングを続けて、「もう時間がありません」と立ち去った。別れるときには握手し、名残惜しそうに小さく手を振って歩いて行った。わたしたちにとって初めての経験。何とも嬉しい一幕。
そんなことがあったから、本日の街宣参加者は、14名ではなく、15名に訂正しなくてはならないことに。
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[プラスター]★これが民意だ!自民党アベ派落選で「改憲論議」は永久凍土に。★トランプに押しつけられた兵器購入「軍事ローン」9兆4,500円。★国民民主の玉木さん、企業団体献金、原発推進反対しなくちゃダメですよ、身辺整理のしましょうね。★殺すな撃つな子ども泣かすな、ネタニヤフよイスラエルよ。★九条の会迷わず平和路線。★被団協ノーベル平和賞おめでとう、憲法9条も喜んでます。★核兵器禁止条約、日本は直ちに批准せよ。★裏金うやむや許さない、参院選で審判くだそう。