(2024年9月5日)
東京新聞の書評欄(9月1日)に原武史の[評]がある。酒井順子『消費される階級』を取りあげて、『「差」と「別」に鋭い視点』とタイトルを付けている。
原武史が『「差」と「別」』と述べれば天皇制についてのこと。「鋭い視点」での、天皇制批判に期待したが、さほどの切れ味はない。
原は、こう言う。『うならされたのは、皇室に対する著者の視点である。「上る」「下る」という京都の地名が示すように、天皇はもともと空間的に「上」の存在だった。明治以降、天皇は日本社会の頂点に君臨するとともに、京都から東京に移ることで「上京」の意味も変わった。そして皇室は戦後もなお、身分制の「飛び地」として維持されたのだ。』
『日本社会にまだ「差」や「別」が多く残っていた時代には、皇室の地位も比較的安定していた。しかし「差」や「別」があってはならないという見方が広がるにつれ、その安定に揺らぎが生じるようになる。
現行の皇室典範は、皇位継承資格を「男系の男子」に限定し、女性天皇も、母親しか皇統に属さない女系天皇も認めていない。一方で世論調査では、国民の8割以上が女性天皇はもちろん、女系天皇にも賛成という結果が出ている。』
酒井の「さらなる平等化に向かっている今、皇室内に冷凍保存されている様々な『差』や『別』は、世間の感覚とかなり乖離しつつあります。皇室を存続させるのであれば、そろそろそのズレをどうにかする時が来ているように思えてなりません」という一文を引いて、原はこう結論する。
「著者のこの言葉は、まさに問題の本質を突いている。身分の「差」と男女の「別」。この「差」と「別」を抱えたまま皇室が首都東京の中心に存在していることの負の側面を、見事に言い当てているからだ。」
ハテ? そうだろうか。 身分の「差」と男女の「別」の対比は、やや分かりにくい。身分の「差」は野蛮な社会が拵えたものとしてその存在自体が不合理なものだが、男女の「別」は生物学的なものでその存在自体が不合理であるはずはない。「夫婦別あり」の「別」は、不合理な社会意識のなせる業ではないか。
身分の「差」を維持しつつの平等の実現はあり得ないが、男女の「別」は必ずしも平等を害しない。身分「差」は絶対悪として身分を廃棄しなければならないが、男女の「別」については、両性の平等を害している不合理な現実を是正しなければならない。
この点に関して、原は「国民の8割以上が女性天皇はもちろん、女系天皇にも賛成という結果が出ている」ことを根拠に、皇位継承資格を「男系の男子」に限定し、女性天皇も女系天皇も認めていない現行の皇室典範を批判する。つまりは、皇室における男女の「別」の存在を批判して、皇室の存在という身分の差を批判せず、むしろ国民世論に追随して存続させようという立論になっている。
原が紹介する酒井の著書の立場は、もっと明瞭に「皇室を存続させるために、世間の感覚とのズレをどうにか修正して、女性・女系天皇を認めるべきだ」と読める。それでよいのか。
憲法14条2項は、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と明記する。人はすべて平等である。一方に「華族・貴族」を認めれば、他方に「賤民・被差別者」を認めることにならざるを得ない。生まれながらの貴い血も、汚れた血もあろうはずはない。人の差別を必要とする社会勢力が、不合理な差別を作り出しているに過ぎない。憲法14条はこれを否定して「華族も貴族も認めない」という。これが日本国憲法の1丁目1番地。
ところが憲法は、「華族・貴族」の存在を否定しながら、その頭目である天皇の存在を認めた。誰が考えてもおかしい、甚だしい矛盾。これが日本国憲法の「飛び地」であり「番外地」。もちろん、憲法起草者としては人畜無害の限りでの天皇の存在を認め、政治的な権能を剥奪された形式的存在に過ぎない、としたつもりではあろう。しかし、身分制度とは、その存在自体が絶対悪と言わねばならない。
結局、酒井も原も、「男女の別」を是正することで「身分の差」を維持しようという論法なのだ。女性・女系天皇を実現することで天皇制の存続をはかろうという立場。私は、その論法に与しない。差別の根源としての天皇制の矛盾は、もっともっと大きくなればよい。誰の目にも耐えがたい不合理として映るまで。国民の大多数が、天皇制そのものを廃棄することによって解決するしかないと考えざるを得なくなるまでに。
(2024年9月1日)
経歴詐称のウソつきとして天下に知らぬ者とてない小池百合子。本来、立候補の資格すらないこんなウソつきが平然と首都の知事の座に納まっている不思議、不気味、そして不合理。こんな事態を許してしまった都民の一人として、恥ずかしい限り。
そのウソつきが、毎年9月1日には見えすいた詭弁を弄して、排外主義者の正体を露呈している。この事態は、「恥ずかしい」では済まない、危険極まりないと言うしかない。本気になって、このレイシストを弾劾しなければならないと思う。
事件から50年に当たる1973年以来、東京・横網町公園で毎年行われている「関東大震災 朝鮮人犠牲者追悼式典」。実行委員会の呼び掛け文には、「虐殺された犠牲者 朝鮮の人、中国の人、日本の社会運動家を追悼します」と記載されている。台風の余波の中で、参加者数を絞って今年も行われた。同公園に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼碑があること、その碑の前で毎年継続して追悼式がおこなれることの意味は、とても大きい。まずはそのことを確認しておきたい。
関東大震災時の、朝鮮人・中国人・社会主義者らの虐殺は、震災に伴って必然的に生じたものでは決してない。震災をきっかけにして起こった虐殺は、当時の帝国日本が基本国策としていた、近隣諸国に対する侵略戦争と植民地支配の副産物であった。帝国日本の膨張主義の所産と言ってもよい。関東大震災は自然災害としての大事件である。その際に生じた、朝鮮人・中国人に対する虐殺は、別の大事件なのだ。対処や反省の仕方、再発防止のあり方、教訓の捉え方はまったく異なる。この点を曖昧にしてはならない。
膨張主義の国策を持つ国家は、侵略や植民地支配を正当化すべく国民心理を操作する。そのために、自国を賛美し対象国を侮蔑して排外主義を煽動する。根拠のない自国民の選民思想を吹聴し、近隣諸国の国民を故なく差別する。我が国の近代においては、そのための小道具として荒唐無稽な国体思想が一役も二役も果たしている。国民の大多数が、この天皇制国家の洗脳と煽動に乗せられた。本気になって、「日本は神国」で、近隣諸国は隷属すべきだと思い込んだ。国家が主導する教育の恐ろしさの実例である。
遅れた帝国主義国としての日本が、朝鮮・中国に侵略を開始して以後、その国の民衆からの抵抗を受けたのは当然のことである。それを苛酷に弾圧し、弾圧にさらなる反発があり…、という過程を経て、日本国民の心理に、中国人・朝鮮人に対する、潜在的な敵愾心や憎悪や恐怖が醸成されていった。
朝鮮全土での「3・1独立万歳運動」も、中国の「五四運動」も1919年に起きている。そのような緊張関係の中で、きっかけとなる大震災が起きたのだ。虐殺の本質的原因は、日本の侵略政策にあった。しかし、事件後100年に至るも、国はそのことを絶対に認めようとはしない。レイシストである東京都知事はなおさらのことなのだ。その状況の中での追悼式の継続は、日本と近隣諸国民の民衆間の友好と平和を築く礎としての高い意義を有している。この追悼の輪が国内に広がれば、平和と国際協調主義の基礎がそれだけ強固なものになる。
今や、排外主義をめぐってのせめぎ合いは、この追悼文送付をめぐる攻防に集約した感がある。
せめぎ合いの一方は、歴史的事実を直視して朝鮮人・中国人虐殺の事実を謙虚に認め、真摯に謝罪のうえ、今からでも真実を掘り起こす調査を開始し、その調査結果を各国で共有するとともに、その原因を国際的な叡智をもって究明して、絶対に同様の事態を繰り返さぬ再発防止の策を定めることを要求する。そして、それがアジアの平和につながるものと考える。
他方は、歴史的事実を無視し、あるいは偽造し、隠蔽して、朝鮮人・中国人虐殺の事実はなかったとし、あるいは正当防衛として、謝罪も調査も必要ないとする。排外主義と民族差別を肯定して、憎悪を煽る。保守陣営の中に、このような勢力が確かに存在する。いまや、小池百合子がその勢力の代表者となりつつある。
小池百合子は、毎年9月1日に横網町公園で開かれている朝鮮人犠牲者追悼式典に2017年以降、追悼文を送っていない。日朝協会など市民団体でつくる式典実行委員会は追悼文の送付を小池百合子に求めたが、「都慰霊協会が営む大法要で、関東大震災のすべての犠牲者に哀悼の意を表している」との理由で拒否し続けている。
本日、追悼式典の宮川泰彦実行委員長は小池都知事の姿勢を念頭に「過去の悲惨な歴史は恥ずかしいことだが、そこから逃げ回ることはもっと恥ずかしい。過ちを繰り返さないために子や孫、周りの人に語り継ぐことが我々の責務ではないか」とあいさつしている。そのとおりではないか。
「都慰霊協会が営む大法要で、関東大震災のすべての犠牲者に哀悼の意を表している」は、ウソつき百合子の詭弁に過ぎない。
虐殺犠牲者は震災で亡くなったのではない。震災の被害を免れて生き延びたのに殺害されたのである。災害死ではなく、無惨な虐殺死を遂げたのだ。人が人に対して加えたこれ以上はない残酷さで。その悲惨さ、無念さを同一に捉えることはできない。
人の死は哲学的にはすべて同じかも知れない。しかし、社会的、政治的、法的には、死は一様ではない。冤罪による刑死と、家庭内虐待死と、イジメによる自殺と、交通事故死とは、明らかに違う。最も異なるのは、原因と責任と社会としての対策の点である。ことさらに、すべてを同一の死と見ることは、それぞれの死の原因と責任を曖昧にすることを狙ってのこと以外にはない。
災害死には加害者が考えられないが、虐殺死は集団での殺人罪該当行為である。必ず、犯人がいる。文明社会では、責任の所在を明確にしなければならない。恥ずべき犯罪を煽動した国家と、軍と警察と、国家の煽動に乗せられた国民の、それぞれの責任を。
だから、災害死と虐殺死を同一視して「関東大震災のすべての犠牲者に哀悼の意を表している」と言うのは、ことさらに虐殺者の加害責任を隠蔽しようという、ウソつき百合子の姑息な詭弁と言わざるを得ないのだ。
また、これまでの歴代知事(あの石原慎太郎でさえも)が送付を続けてきた知事としての追悼文を突然中断したことについて、小池百合子は本当のところを説明しなければならない。右翼のデマ宣伝を根拠としていること、自分を支持する政治勢力の中心に歴史修正主義者がいること、実は自分は排外主義者だということ、などなどを。
真実を語ることができないウソつきだから、災害死と虐殺死を同列に置く詭弁を弄せざるを得ないのだ。このことは、何度でも繰り返さなければならない。
(2024年8月18日)
フィフィというタレントが、一昨日(16日)に自身のX(旧ツイッター)に議員による靖国神社参拝を肯定する意見を述べた。彼女の私見はどうでもよいが、多少の話題になったのは、都知事時代の石原慎太郎の記者会見記録が引用されていたこと。
この記録は、右翼・慎太郎の面目躍如たるところで、並の感覚では慎太郎の問題発言材料として忘れてもらいたいというところ。フィフィなるタレントは、この慎太郎記者会見記録を立派な見解の表明と考えているようだから、泉下の慎太郎も苦笑しているのではないか。
以下に、2012年8月10日定例都知事記者会見記録を紹介して、その続きをパロデイとして綴ってみたい。
【記者】今年も8月15日が近づいてきましたけれども、知事は例年靖国神社に参拝されていますが、今年のご予定を教えてください。
【知事】当然行きます。
【記者】それは、いつもの質問で恐縮ですけれども、公で行かれるのか、個人として行かれるのか。
【知事】公と個人の両方。私の家内のお父さんもいるし、私の又いとこ2人も、海軍の軍人で亡くなっていますからね。それに公人として私人として会いにいくのはどこが悪いんだね。シナが怒るからかね。毎日新聞、反対なのか、賛成なのか、どうなんだい。僕が行くことに、君どう思う。君の意見聞きたいな。
【記者】すみません。個人の意見としてはちょっと言えないんですけれども。
【知事】君個人の意見を聞いているんだよ。せっかくだから、個人対個人で話そうじゃないか。質問した人間がどう考えているか、言ってみろよ。
【記者】会社としての意見もいろいろありますし、個人としても意見ありますけれども…。
【知事】個人の意見聞いているんだよ、君の。個人の意見述べたら首になるのか。そんな会社なのか君の会社は。
【記者】いや、そうではありませんけれども。
【知事】じゃ、君はどうなんだよ。賛成か反対か、俺が行くのに。
【記者】私は個人として行くのは、規制はできないと思いますけれども、公として行かれるのは、ちょっと、疑問がいろいろ残るんではないかと。
【知事】どうやって肩書外すんだね。それは、記帳するときに東京都知事と書いちゃいけないの。馬鹿なこと言うな、本当にお前ら。どこの人間なんだ貴様。日本の近代史知っているのか、現代史。あの戦争がどんなもんだったか知らないから馬鹿なこと言うんだよ。君のお父さん、お母さん、ひいじいさん、ひいばあさん、命がけで国を守ってきたんだよ。
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【記者】録音を切ります。「シナが怒るからかね」とか、「本当にお前ら。どこの人間なんだ貴様」などという知事の本音を都民に紹介できて、私の任務は十分に果たせたと満足しています。ありがとうございました。
【知事】まだ、貴様の、いや君の意見をちゃんとは聞かせてもらっていない。言いたいことがあるなら言ってみたらどうだ。
【記者】私は意見を述べる立場にはありませんが、そこまでおっしゃるのなら、少しだけ。公人が靖国神社参拝をしてはいけないのは憲法上自明なことです。中国や韓国に指摘されるまでもないこと。しかし、純粋に私人として参拝することまでを咎めるのは難しいとも思います。要は、厳密に公人としての疑いを払拭できるような参拝の仕方であれば、認めざるを得ないということです。
【知事】じゃあ、「東京都知事」という肩書は、いったいどうやって外せというんだ。
【記者】もちろん記帳は個人名だけにしていただいて「東京都知事」という肩書を記入してはいけません。肩書ないのは寂しいとおっしゃるのなら、「作家」でも「文筆家」でも、あるいは「日本人」「壮士」「憂国の志士」でもよろしいんじゃないでしょうか。なお、いけないのは肩書の記帳だけではありません。公用車の利用もいけません。随行員の同伴もダメ。常識的な執務時間帶の参拝は避けた方がよいでしょう。
【知事】そんな卑俗な低次元の議論をしているのではない。石原慎太郎という生身の私人と、公人としての東京都知事石原慎太郎とは不即不離、分けられるはずがないと言っているんだ。
【記者】分けられますよ。分けなきゃいけない。人は皆、いくつもの属性を持ち、いくつもの肩書を使い分けながら社会生活を送っているのですから。でも、知事が分けられないと思うのであれば、靖国参拝はせぬことです。参拝しようとされるのなら、できるだけひっそりと神社に出かけて、人目につかないように参拝なさることです。それが、ギリギリ許される私人としての参拝のあり方。
【知事】なんだと。こっそり参拝しろだと。馬鹿なことを言うんじゃない。
【記者】馬鹿なことではありません。都知事在任中にはそうしなければならないということは、憲法20条の政教分離原則が命じるところです。もっと厳しい解釈もあるでしょうが、私が言っているあたりが常識的なところ。
【知事】君は、憲法の片言隻句よりも大切なものがあることを理解できないのかね。
【記者】当然のことですが、公人の行動規範として憲法に優越するものはあり得ません。もしや、知事は日本国憲法を認めないという立場なのでしょうか。
【知事】当たり前じゃないか。民族の歴史や大義と矛盾するような憲法を認められるはずはない。
【記者】どんなに嫌いな憲法でも、認めたくなくても、公人には憲法遵守義務があります。もちろん知事にも憲法を守っていただかなくてはなりません。
【知事】さっきも言ったが、君のお父さん、お母さん、ひいじいさん、ひいばあさん、命がけで国を守ってきたんだよ。その先人たちが、靖国に眠っているんだ。その人たちを参拝することよりも、憲法の遵守が大切だというのかね。
【記者】知事の座にある者が、憲法秩序をないがしろにしてはいけませんね。また、残念ながら、先の戦争は誰が見たって日本が仕掛けた戦争ではありませんか。命がけで国を守ってきたという言葉は、日本に侵略された隣国の人々にこそふさわしい。
【知事】何を言うんだ、貴様。現象だけでものを見てはいかん。裏の裏のそのまた裏を読めば明らかだ。一見日本が侵略しているように見えても、その実は、自存自衛のための戦争だった。白人の支配からアジアを解放するための戦争でもあった。太平洋戦争はアメリカが仕掛けたものなんだよ。日本ははめられて、先制攻撃をさせるように仕向けられたたんじゃないか。
【記者】結局、靖国参拝は、知事のような大東亜戦争肯定論と深く結びついているということがよく分かりました。
【知事】君はちっとも分かっていない。分かろうともしていない。東京裁判やらシナ人やら三国人に吹き込まれた自虐史観に洗脳されたままで、「もっと反省しよう」「反省が足りない」などと、どこかの国のお先棒をかついだ愚かしいことをやっているだけじゃないか。いい加減に目を覚ましたらどうかね。
【記者】驚きましたね。いまだにこの国には、皇国史観の亡霊がさまよっている。でも、こうやってお話しいただいてはじめて、知事の古色蒼然たる考えを知ることができました。重ねて御礼を申し上げます。
(2024年8月17日)
野分のあしたである。東京の空は、早朝より常ならぬ抜けるような青さ。散歩コースにしている東大の構内に、今年初めてギンナンが落ちていた。そして、安田講堂を背景に、けっこうな数のトンボが往き来している。珍しいほどの景色ではないが、今年、東大で見るトンボには、格別の趣きがある。
皇位継承権を持つ高校生(天皇の甥)が、トンボの研究で東大に入学するかも知れないと話題になっている。もちろん、この研究は高校生一人でのものではない。その道の大家との「共同研究」の成果だという。どうでもよい、くだらぬことのようでもあり、見過ごせないことのようでもある。その捉え方の分岐は、東大、あるいは東大が象徴するものをどう理解するかにかかっている。
東大を学歴社会や権威主義の象徴と見て、くだらぬ存在と否定的に評価すれば、「トンボを介在しての天皇制と東大」は、愚と愚、俗物と俗物の、釣り合いの取れたお似合い同士。冷笑して見ているだけでよい。
しかし、多少なりとも東大や大学の存在意義を認める立場からは、「学問の府に天皇制を持ち込むな」「東大構内にトンボの出入りは自由だか、皇族を入れるな」「皇位継承権者に入学の特権を与えてはならない」ということになろう。
言うまでもないことだが、東大が象徴する学歴社会には負の側面が大きい。多くの人が18歳で輪切りにされ、ランクづけられる。その不合理の克服は、常に社会の課題としてある。
しかし、学歴社会は、身分社会よりはずっとマシである。経済的格差や社会の階層固定を攪拌し流動化する役割も果たている。万人に開かれた機会均等の教育制度と、厳格に平等な入学試験制度は、民主主義社会に適合的な制度と言えるだろう。
今、大きな問題となっているのは、大学、とりわけ東大の入学者が富裕層に偏っていることである。正規教育機関以外の塾や家庭教師などへの「経済的投資」能力に恵まれた者だけが東大に入学している現実が克服すべき課題とされている。その現状の問題性に加えて、東大の学費値上げが目論まれている。これでは、社会階層の流動化という高等教育の社会的機能が果たせない。
私は、60年前の4月、19歳で東大に入学した。親からの仕送りを一切期待できない立場で、入学金はアルバイトで調達し、年1万2000円の学費は免除の扱いとされた。当時、私のような苦学生はさほど珍しくはなかった。私にとって、学費の安い東大と生活費の安い駒場寮のセットは、まことにありがたい存在だった。その後卒業はせず中退しているから、学士でもなく、東大卒のレッテルもない。が、自に学ぶ機会を与えてくれた東大という存在には感謝している。
高等教育についての課題は種々目につくが、まずは形式的にではなく、もっと実質的な教育の機会均等を実現しなければならない。活力ある社会を築くために、そのような工夫と努力を怠ってはならない。富裕層に大学を占領させてはならないのだ。
ましてや、権門や出自や家柄や血統で、教育の機会均等をないがしろにしてはならない。トンボの研究を口実に、天皇の甥を東大に招き寄せる愚はやめたがよい。確実に、東大の存在意義を減殺させ、東大の社会的評価を落とすことになる。
もちろん、天皇の甥が実力で東大入試に挑戦し堂々と入学を果たすのなら、トンボと一緒にこの構内で学ぶ資格を与えられる。そのときには、どの分野を選ぶにせよ、本格的に学問を修めていただきたい。どんな学問も普遍性を追及することになる。民主主義社会に普遍ならざる天皇制というものをいかにして超克すべきかを研究対象とされるよう期待したい。
(2024年8月16日)
昨8月15日。不敗の大日本帝国が無条件降伏したその記念の日に、腐敗の広瀬めぐみが参議院議員の職を辞した。大日本帝国の降伏は明らかに遅すぎたが、広瀬めぐみの辞職は合点がいかない。チト早すぎたのではないか。
國体の護持にこだわっての聖断の遅疑逡巡は数十万の同胞の生命を奪った。その罪万死に値する。これに較べれば、広瀬の罪は取るに足りない。一死に値するほどでもありえない。が、検察権力と敢然と闘ってこそ、弁護士にして国会議員ではないか。特捜への卑屈な迎合ぶりは、あまりにも惨めでみっともない。もっと立派な権力との闘い方を見せて欲しかった。
広瀬はこの日、議員辞職に関するコメントを報道各社に発表している。公設秘書詐欺疑惑については、「事務所の経費捻出のため、公設第1秘書の配偶者に公設第2秘書をお願いし、秘書給与から資金提供を受けたことは事実」との説明。これは往生際が悪い。この期に及んで、「秘書給与から資金提供を受けた」では、詐欺を認めたことにはなっていない。潔さのカケラもない、中途半端な「自白」である。
広瀬の公式ホームページの冒頭に、「岩手にめぐみ」とある。これはブラックジョークだ。「岩手に災厄」「岩手に恥」と書き改めねばならない。この人が岩手の印象に与えたマイナスの大きさを思う。が、自民党とは何か、自民党議員とはいかなる存在かを広く世に知らしめた、この人の功績を忘れてはならない。
なお、ホームページには、いまだに、「【抗議文】 広瀬めぐみ議員の『幽霊公設秘書疑惑』と題する記事に関して」などの掲載があり、「平日は主として遠野市に在住してリモートワークで支援者の方々のリスト作成・更新作業や祝文作成などをし、土日は盛岡に在住して、上記のような作業のほか、盛岡事務所で事務作業をしたり、私の駅などへの送迎をしてもらったりしました」「以上のとおり、令和4年12月から同5年8月まで、B氏には公設第二秘書としてしっかりと働いていただいていましたことをご説明させていただきました」などと述べられている。もちろん、国民にも県民にも、そして自民党へも、謝罪の言葉は一切ない。
エッフェル視察も、不倫疑惑も、議会での居眠りも、褒められたことではないが犯罪ではない。しかし、公設秘書詐欺疑惑はれっきとした犯罪の指摘である。しかも、政治資金規正法上の不記載罪などは異なる実質犯。メディアにたたかれ、自民党を離党し、議員を辞任した…だけでは済まない。起訴を前提に、「逮捕はいつか」が当面の問題となる。国会議員の、公費詐取事案である。しかも、ウソで固めた反論の準備もあった。常識的には、証拠を散逸させないように逮捕が予想される。身柄事件として起訴に至り保釈請求が認められてしかるべき事案。
だが、一部の報道では、逮捕ないままの在宅起訴の方針とささやかれている。真偽のほどは定かではないが、この問題に火を付けたデイリー新潮の報道が以下のとおりである。
「広瀬めぐみ参議院議員(58)が、8月15日、秘書給与を国から詐取していた疑惑を認めて議員辞職した。検察は広瀬氏を逮捕せず「在宅起訴」する方針だという。」
「7月に女性初の検事総長に就任したばかりの畝本直美氏は逮捕に後ろ向きで、在宅起訴する方針を固めているとのことです。表向きは逮捕要件となる『逃亡のおそれ』『罪証隠滅のおそれ』がないという判断ですが、実際はこれから総裁選を控える政権与党への配慮があると思われます」
いずれ詐欺の罪名で起訴があり、有罪判決の言い渡しあることはほぼ間違いのないところ。公職選挙法や政治資金規正法違反事件ではないから、公民権停止は問題にならないが、弁護士資格の剥奪は免れない。議員の職だけでなく、弁護士という職も失わざるを得ない。
弁護士法7条1項一号は、「禁錮以上の刑に処せられた者」を、(弁護士の欠格事由)とする。詐欺罪の法定刑は10年以下の懲役だから、広瀬に対する有罪判決の確定は弁護士資格の自動的な剥奪を意味する。仮に、執行猶予が付せられても「刑に処せられた」ことに変わりなく、弁護士資格を喪失する。執行猶予を取り消されることなく猶予期間満了となれば資格は回復するが、軽々に入会を認める弁護士会があるだろうか。
辞職した広瀬の欠員を埋める参院岩手選挙区補選は、10月27日(日)投開票が有力だという。おそらくは、この補選での自民党候補の当選はあり得ず、野党候補が議席を獲得することになるだろう。そのとき、もう一度、広瀬めぐみの民主主義への貢献に感謝しよう。
(2024年8月15日)
本日「敗戦の日」。非戦を誓うべき日である。また、忘れてならないことは、旧国家体制が瓦解して新生日本が誕生した記念の日でもある。「戦前」が終わって「戦後」が始まった、その節目の日。天皇の時代から国民の時代に。国家の時代から個人の時代に。戦争と軍国主義の時代から平和と国際協調の時代に。そして、野蛮な専制の時代から人権と民主主義の時代に…。
この時代の転換は、多大な犠牲によって購われた。その犠牲を悼み、平和の尊さを確認することが、歴史の歯車を逆転させてはならないとする決意につながる。
8月15日にはポツダム宣言(13か条)を読み直そう。せめて、下記の抜粋くらいは。
アメリカ合衆国、中華民国及びイギリスの首脳による宣言
1 我ら合衆国大統領、中華民国政府主席及びイギリス国総理大臣は、我らの数億の国民を代表して協議の上、日本国に対し、現在の戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。
5 我らの(戦争終結の)条件は次のとおりである。我らは、この条件を逸脱することはない。これに代る条件は存在しない。我らは、遅延を認めない。
6 我らは、無責任な軍国主義が世界より駆逐されるのでなければ、平和、安全及び司法の新秩序が生じ得ないことを主張しているから、日本国国民を欺瞞して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者の権力及び勢力は、完全に除去されなければならない。
9 日本国軍隊は武装を完全に解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を得ることができなければならない。
10 我らは日本人民族を奴隷化したり、国家を滅亡させる意図は有さないが、我らの俘虜を虐待する者を含む一切の戦争犯罪人は、厳格な司法手続に附されなければならない。日本国政府は、日本国国民の間における民主主義指向の再生及び強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由、並びに基本的人権の尊重は確立されなければならない。
11 日本国は、その産業の維持を許され、公正な現物賠償の要求を受けなければならない。ただし、日本国をして戦争のために再軍備を行うことを可能とするような産業は、この限りでない。この目的のため、支配とは異なる形で原材料の入手を許されなければならない。将来的には日本国は、世界貿易関係への参加を許されなければならない。
13 我らは、日本国政府に対し、直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、この行動における同政府の信頼性に関し、適切かつ充分な保障を提供するよう要求する。日本国に採り得る対策は、これ以外の場合には、迅速かつ完全な破壊となる。
この「日本への降伏要求の最終宣言」が発せられたのは、1945年7月26日。当初は、「米・英・支」3国の宣言だったが、後にソ連も加わった。日本政府は、広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦の事態に、8月14日にこの宣言を受諾し、翌15日に天皇のラジオ放送で国民に敗戦を告げ、組織的戦闘行為はこの日に終熄した。法的には、9月2日ミズーリ船上で日本国政府の全権代表が降伏文書調印して太平洋戦争が終結している。
あれから79年目の8月15日。政府が言う「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、「全国戦没者追悼式」が行われた。その主催者である内閣総理大臣の式辞を点検しておきたい。
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天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
「天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ」は余計。抹消してしかるべきだ。天皇こそは、ポツダム宣言第6条が言う「無責任な軍国主義」の首魁であり、「日本国国民を欺瞞して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者」にほかならない。したがって、民主主義的な秩序からは「完全に除去されなければならない」存在であって、このような式典出席にふさわしくない。しかも、「ご臨席」「仰ぎ」との歯の浮く敬語も見過ごせない。
先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。今、すべての御霊の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
失われたのは、「300万余の同胞の命」だけではない。2000万人と言われる加害責任の犠牲者に言及しないのは、片手落ちではないか。また、「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら」の順は逆だろう。「家族の幸せを願いながら」を最優先にしなければ、軍国主義礼賛の愚を繰り返すことになる。兵士として余儀なくくされた死は、君のためでも、国のためでもない。自分の身のまわりの愛する者のための死以外のなにものでもない。
今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。
なんという、傍観者的な物言い。いやしくも、国家を代表としての言葉であれば、深甚の謝罪と反省と平和への決意がなければならない。「戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史」は、誤った国策の結果ではないか。
未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施してまいります。
この点だけは、具体性ある提言として評価に値する。後は、次の政権担当者に予算措置と実行を期待したい。
戦後、我が国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。
そりゃウソだろう。「戦後、我が国の保守政権は一貫して平和憲法を敵視し、9条をないがしろにして、軍事大国化をはかってきました。しかし、平和と国際協調を願う国民の声に押されて憲法には手つかずのまま、せめぎ合いの中で今日に至っています」が本当のところ。
戦争の惨禍を二度と繰り返さない。戦後79年が経ちますが、歳月がいかに流れても、この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫いてまいります。未だ悲惨な争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化を進め、「人間の尊厳」を中心に据えながら、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組み、国の未来を切り拓いてまいります。
この部分は、8月8日に9条改憲のスケジュールにまで踏み込んだ岸田文雄の言とは思えない。が、「人の将に死なんとする其の言や善し」なのかも知れない。もう、党内右派や国内右翼におもねる必要もなくなった「レイムダック・岸田」の本音だとしたら言うことはない。
終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
えっ? なんと? 戦没者とは、戦争で死亡した軍人や軍属・準軍属のことではないか。゜戦傷病者戦没者遺族等援護法」での用語法もそうなっている。「300万余の同胞の命」と語り始めながら、結局は民間人犠牲者を外して軍人や軍属の死没者だけの霊に平安を祈っているということなのか。
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ところで、この式典には天皇(徳仁)が参加して、ものを言っている。国民を戦争に動員するために、聖なる天皇とはまことに便利な道具であった。神なる天皇の戦争が万が一にも不正義であるはずはなく、敗北に至るはずもない。日本男児として、天皇の命じる招集を拒否するなど非国民たる振る舞いのできようはずもない、上官の命令を陛下の命令と心得て死をも恐れず勇敢に闘おう。ひとえに君のため国のために。天皇制政府はこのように国民をマインドコントロールすることに成功していたのだ。
だから、そもそも戦没者追悼式典に天皇の出席はふさわしくない。何をどう言いつくろっても、その存在自体が、式典の趣旨にそぐわないというしかない。それでも、現実になされた徳仁発言を点検しておきたい。こんなものをありがたがったり、崇めたりしてはならないという戒めのために。
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本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
「深い悲しみ」とは、なんという軽い言葉だろうか。「かけがえのない命」が失われたのは、天皇の名による戦争でのこと。天皇が起こした戦争に、天皇の命令によって兵士とされ、天皇の令命によって戦地に赴き、天皇の命令によって戦闘に従事し、戦闘に敗れても決して捕虜になるなとの天皇の命令によってジャングルを敗走し、あるいは海を漂い、餓え、病を得、苦しみながら、家族を思いつつ無惨な死を迎えたのだ。天皇に殺されたといっても過言ではない。天皇は、臣民の死を思いやる心根をもっていたか。どれだけの責任を感じていたのか。そして、戦後も生き延びた天皇は。
終戦以来79年、人々のたゆみない努力により、今日のわが国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
苦難に満ちた歩みの経験のない人物が「苦難に満ちた国民の歩み」に言及しても、真実味はさらさらにない。「誠に感慨深いもの」との言に共感はありようもない。
これからも、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
こなれない拙い文章だから、この部分は官僚ではなく、自分で書いたのかも知れない。もしかしたらこの人、今の世が「平和で人々が幸せ」なよい時代だと思い込んでいるのかも知れない。いずれにせよ、毒にも薬にもならない一文。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。
最後は、一転して官僚の作文調。「深い反省の上に立って」が、よく言ったという評価のネタとされる。が、何をどのように「深く反省している」というのか、この人に尋ねてみたい。反省の主語は、国家か、当時の天皇か、あるいは軍部か、国民か。祖父ヒロヒトの責任と、自分の立場をどう重ねているのか、あるいは重なるものとは考えていないのかについても。
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それにしても、平和を祈念する「8月15日式典」にヒロヒトの孫の天皇としての出席は、どうしても違和感を否めない。ドイツの「5月8日記念式典」にヒトラーの孫が招かれているようなものではないか。
戦争にまつわる式典への天皇の出席は、天皇の戦争責任を思い出させるだけである。もう来年からの天皇の出席はやめたがよい。
(2024年8月13日)
89年前。1945年の8月まで、軍国日本は戦争に継ぐ戦争を続けてきました。そして、45年8月の敗戦を機に、平和国家に生まれ変わった日本は、今日まで戦争をすることなく、長い平和を謳歌してきました。今後とも、この貴重な平和を続けるべく、改めての決意を確認すべきが、9条を持つこの国の国民の8月のあり方。
明治維新後の10年で、日本の内戦は終わります。それ以降、日本は「富国強兵」を掲げて国外で戦争を続けてきました。「富国強兵」とは、国家が「強兵」を養って侵略戦争を起こし、敗戦国を植民地として富を収奪しようという、とんでもない軍国のスローガンでした。
台湾出兵、朝鮮侵略、日清戦争、日露戦争、日独戦争、シベリア出兵、そして当時は満州事変・北支事変と名付けられた日中戦争の泥沼に陥り、1941年12月8日には、英米蘭に不意打ちを仕掛けて太平洋戦争を開始しました。世界の目には、この上なく危険な好戦国・軍国日本の印象が強かったことと思われます。
もちろん、戦前の戦争に継ぐ戦争は、天皇を頂点とする非民主的な国家が行ったもので、民衆の意思で行われたものではありません。大日本帝国憲法では、宣戦布告も、講和も、天皇の専権事項とされ、国民は臣民としての身分しか与えられていませんでした。だから、戦争は天皇の命令によって天皇の軍隊が行ったものです。あの戦争は天皇が準備し、天皇が開戦し、天皇が爆撃し、天皇が町を焼き、天皇が多くの人を殺傷した戦争でした。
しかし、当時の日本の民衆の多くは、決して戦争を呪ったわけでも嫌ったわけでもありません。多くは徴兵を忌避しませんでした。むしろ、積極消極濃淡はあったにせよ、戦争を支持していました。その理由はいくつも考えられますが、多くの国民にとって戦争は「富国」の源泉と考えられていました。言わば、近隣諸国を食い物にして、日本が繁栄する手段との実感があったと思われます。
それだけでなく、戦場は遠い外国で、国民の身のまわりに戦火の被害はなかったのです。何人かの知り合いの息子は出征して戦地で苦労はしているようだが、自分の住む町に爆弾は落ちてこなかったのです。
この様相は、ガラリと変わりました。79年前の8月、連合国との勝ち目のない戦争を続けていた日本は、絶望的な戦況を迎えていました。沖縄だけでなく、東京も大阪も焼かれていました。誰の目にも、敗戦は必至でした。
この年の2月には、有名な近衛上奏文が早期終戦を求めています。近衛文麿は、太平洋戦争に突っ込んだ東条内閣の前の内閣総理大臣。その人が、敗戦は必至だから今のうちに戦争を止めた方が利口だ、と天皇ヒロヒトに上奏したのです。今のうちの終戦なら、國体の護持は可能だし、戦後の共産主義革命も防止できる、という内容。しかし、ヒロヒトは、これに耳を貸しません。「もう一度戦果を上げてから」と希望を述べただけ。
このときヒロヒトが真摯に考えて近衛の考えを受け入れていれば、3月10日に10万人の東京都民が死ぬことはなかった。東京山手空襲も、大阪空襲も、名古屋空襲も、釜石艦砲射撃もなかった。4月1日から6月23日までの沖縄地上戦の惨劇も避けられたのです。
そして、ポツダム宣言の発付は7月26日。これは受諾するしかなかった。にもかかわらず、グズグズしているうちに、8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が落とされる。さらに9日にはソ連の対日参戦という決定的な新事態も生じる。もちろん、原爆を落としたアメリカの責任を忘れてはなりませんが、「遅すぎた聖断」の天皇ヒロヒトの責任も限りなく大きい。
こうして8月14日、ようやくにして天皇はポツダム宣言を受諾し、15日に「日本が戦争に負けた」ことをラジオ放送します。15年続いた過酷な戦争が終わっただけでなく、繰り返されてきた侵略戦争の歴史も、軍国日本も、妙ちきりんな天皇の御代も、このときようやくにして終わったのです。
戦争の元兇だった天皇は、神でもなく、主権者でもなく、軍の統帥者でもなくなります。が、連合国(≒GHQ)は東条英機以下の戦犯を死刑にしながら、思惑あって天皇を戦犯として訴追せず、天皇は生き延びることになります。
かつての軍国の戦争に国民の責任はありません。何しろ臣民に過ぎなかったのですから。国民は被治者として、すべての情報から遮断され、唯々諾々と為政者に従うべき存在に過ぎませんでした。
今は違います。国民は主権者です。すべての情報にアクセスしなければなりません。そして、戦争につながる一切の国家の動きを不断に監視し、遠慮するところなく批判の言論を行使すべき責務があります。
かつての臣民に戻ることを絶対に拒否しましょう。自分たちの運命が、知らないところで、知らない人に、知らないうちに決められる、などと言う屈辱を拒否しましょう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者にも、権威あるとされる者にも、操られることを拒否しなければなりません。
そして、「平和のために、戦争を準備しよう」などという現政権の倒錯した論理を許さず、「平和を擁護するためには、やっぱり平和を準備するしかない」そう、あらためての決意を固めましょう。
以上、地元9条の会からの、8月の訴えでした。ご静聴、ありがとうございます。
(2024年8月6日)
8月6日である。毎年、厳粛な気持ちでこの日を迎える。今年は、厳粛なだけでなく焦慮の気持ちも抱かざるを得ない。併せて、少なからぬ恐れの気持ちも。
当然のことながら、人は過つ。時には、大きく過つ。が、人は過ちから学ぶ。大きな過ちからは、深く学ぶ。この、過ちを省み、過ちを繰り返すまいとする習性と能力によって、人は生き延びてきた。個人としても、国家や民族としても、そして人類としても。
戦争は国家の大きな過ちである。しかし、国家は戦争の惨禍から深く学んだだろうか。戦争を繰り返さぬよう、十分な反省をしたであろうか。残念ながら、今なお戦争は繰り返されて絶えることがない。
核戦争は、さらに大きな人類の過ちである。徹底した自省なければ、人類の滅亡を招きかねない。だから私たちは、死者に向かって、語り続け、誓い続けなければならない。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と。
本日の平和公園での平和記念式典。事前に幾つかの問題が語られていた。公園へのデモ隊の入場規制、手荷物検査、そしてウクライナの参加は認めず、イスラエルには認めるというちぐはぐさ。それでも、式典には被爆者や遺族の代表をはじめ、岸田文雄首相や、109か国の大使などを含むおよそ5万人が参列した。
広島市の松井一実市長は、主催者としての平和宣言で核抑止論の危険を訴えた。
「国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっている」「心を一つにして行動すれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずだ」と呼びかけた。
また、岸田首相を前に、日本政府に対しては、来年3月の核兵器禁止条約の締約国会議にまずはオブザーバーとして参加することを求め、さらに一刻も早く締約国になるよう求めている。まずまずの内容。
注目を集めたのは、湯崎英彦広島県知事のあいさつ。
「現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、…男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。
いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には、核兵器を。しかし、そこでは、もう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか再び使われることになるでしょう。
私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。核廃絶は遠くに掲げる理想ではないのです。今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。」「現実を直視することのできる世界の皆さん、私たちが行うべきことは、核兵器廃絶を本当に実現するため、資源を思い切って投入することです。想像してください。核兵器維持増強の十分の一の1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう。」
そして、最後を「『過ちは繰り返しませぬから』という誓いを、私たちはいま一度思い起こすべきではないでしょうか。」と締めくくっている。
愚かな核戦争の過ちは、繰り返すことができない。過ちを予防するには核廃絶以外の途はなく、そのためには核抑止論を克服して、核禁条約を締結する大道を歩むしかない。
本日は、原爆の犠牲者に合掌するだけの日ではない。核抑止論を克服して、我が国に核禁条約を批准させることを誓う日でもあるのだ。
(2024年8月5日)
今、話題の人物と言えば、広瀬めぐみ。瞬間のことではあろうが、国会議員として最も知名度の高い「時の人」である。この人のやること、とても分かり易い。分かり易く、自民党のなんたるか、自民党議員とはいかに破廉恥な存在であるかを、身をもって世に知らしめる貴重な役割を果たしている。まことに得がたい人物と言わねばならない。
袖擦り合ったこともない間柄だが、私とは同郷の盛岡出身、そして所属弁護士会も活動分野も異なるにせよ弁護士だそうだ。真面目に、普通の弁護士として身を処していればよいものを、なまじ選挙に担ぎ出されて汚名をさらすことに。いや、実にタイミング良く、自民党の没落を目指して八面六臂の大活躍となった。
2年前の夏、22年7月10日投開票の参院選岩手選挙区で、広瀬は26万4000票を獲得して当選した。何の実績も理念もない候補者、政治家としてこれをやりたいという個性もアピールもない、典型的な数合わせのためだけの陣笠議員。こんなものに、26万人を超える県民が票を投じたのだ。おそらくは、その大部分が、「こんな候補者に投票した覚えはない」「こんな人物と知っていたら投票したはずはない」「ダマされた」「票を返せ」と思っているに違いない。ダマしたのは、広瀬ではなく、自民党である。
「故郷の誉れ」「故郷に錦」などという言葉がある。疑いもなく、広瀬めぐみは「故郷の恥」「岩手の恥さらし」となった。いや、県内全域に自民への嫌悪感を醸成した点において、故郷岩手民主化の功労者と言うべきであろう。表彰に値する。
この人の頭の中はネトウヨ並みである。およそ知性とは縁がない。
自民党公認の参院選予定候補者になって後の22年2月4日、自身のツイッターで広瀬は、無知をさらけ出して、以下のたどたどしい反共作文を投稿をしている。
「立民は資本主義、民主主義に立脚するはずなのに、なぜ、個人の資本を否定する共産党と組めるのか、法律家の私には最大の謎。自分の稼いだものも、他人の稼いだものも、すべて“みんなのもの”で、党が管理し分配する“共産主義”と手を組んだのですよね?!私たちの自由を手放したも同然じゃないですか。」「票取りのために耳触りのよいことを言っても、本質は個人の自由を認めない共産主義。どれだけ恐ろしいかは歴史が証明していると思います。」
なんと底の浅い前世紀の、いや19世紀の世迷い言。この人、資本主義も民主主義も共産主義もまったく分かってはいないのだ。《自分の稼いだものも、他人の稼いだものも、すべて“みんなのもの”で、党が管理し分配する“共産主義”》《個人の自由を認めない共産主義》って、どこの宣伝物からの借り物なのだろうか。統一教会による反共宣伝のウロ覚えのレベル。
なお、「耳触りのよいこと」は、現在の国語としては間違い。こういう言語感覚の鈍い人の言葉づかいは、どうにも「耳障り」で抵抗感が強い。
まずはエッフェル姉さんの一人として名を馳せ、次いで赤いベンツの不倫騒動で世の中の顰蹙を買い、国会では居眠りの大写しで恥をかき、そして今回の公設議員秘書報酬詐欺疑惑。国会議員が東京地検特捜部から詐欺の疑惑ありとされ、しかも、弁護士が強制捜査の対象とされているのだ。こんな屈辱的なザマはない。
もちろん、権力による理不尽な弾圧という可能性もないではない。ならば、敢然と検察権力と闘う姿勢を見せなければならない。しかし、広瀬にはそのような毅然たる態度の片鱗もなく、定番コースの離党届け提出止まり。闘う姿勢は皆無というばかりでなく、身を引く潔さも微塵も見えない。
通常の羞恥心を持つ「廉恥の人」なら、即刻身を引いて議員辞職をするところだろう。このあと、不倫問題専門弁護士として身を処すこともできないではなかろう。しかし、ここで身を引いてもらっては身も蓋もない。飽くまで議員としてのイスにしがみついて、残る4年間の歳費をもらい続けるのが、自民党公認候補として当選した議員の正しい姿ではないか。また、潔く身を引いては、広瀬めぐみの広瀬めぐみたる所以も失われかねず、それではまことに惜しい。
私は、同郷人として、また一人の弁護士として、議員としての広瀬めぐみを応援し続けたい。できることなら、次の選挙まで何もせず、ただただ、歳費の取得を続けていただきたい。自民党の候補者だ、当選のためには定めし金も使ったであろう。投下資本を回収するまではがんばらなくちゃあ。できることなら、不倫も復活し、議会ではもっと派手に居眠りして、その醜態を国民にさらし続けていただきたい。
そのようにして初めて、故郷岩手の有権者に貴重な教訓を与えることができる。うっかり自民党公認候補などに投票すると、こんなばかげたことになるという優れた見本として、真に役に立っていただけることにもなる。岩手の有権者が、「こんな薄汚い候補者に投票した覚えはない」という臍を噛むレベルを超えて、「二度と自民党の推す候補者に投票などするものか。絶対に」と決意していただくまで、広瀬議員にはもう一働きお願いしたいのだ。わが故郷、岩手の民主主義の発展のために。
(2024年8月1日)
連日の猛暑と豪雨の中で暦は8月になった。間もなく6日と9日を迎え、やがて15日となる。戦争の惨禍を心に刻み、平和を希求すべき季節、8月。
昨日(7月31日)、「法と民主主義」2024年8・9月号【591号】が発刊となった。特集は、この時期にふさわしく、《第五福竜丸被爆から70年― 突きつけられた課題の今》。この時期にふさわしいという理由は、原水爆の禁止を求める平和運動は、1954年の第五福竜丸被爆を期に国民的大運動となったからだ。
なお、今号の責任編集担当は、私である。公益財団法人第五福竜丸平和協会の全面協力を得て、充実した内容になっている。あらためて、協会に篤く御礼を申し上げたい。
法と民主主義|日本民主法律家協会 (jdla.jp)
リード(抜粋)
「第五福竜丸」がビキニ環礁で被爆してから、今年で70年になる。本特集は、70年前の衝撃を振り返り、この時に提起された課題の現状を確認しようとする企画である。ことは、人類の生存に関わる重大事である。事態は、今なお深刻であるが、人類の叡智と良識に根差した平和を求める運動の昂揚に光明を見出したい。
1954年3月1日、アメリカは南太平洋上で「ブラボー」と名付けられた15メガトンの大気圏内水爆実験を行った。広島に投下された原爆の1000発分の規模である。爆心地から東に160キロの海域で操業中の第五福竜丸船員23名全員が、その死の灰を浴びて「急性放射線症」に罹患した。同月14日、同船が母港焼津に帰港して日本中がことの重大さに驚愕することになる。各地の漁港に水揚げされた「原爆マグロ」が廃棄処分となり、全国に「放射能の雨」が降った。そして、9月23日には無線長久保山愛吉氏が闘病虚しく、国民注視のうちに亡くなった。この悲劇の体験は、あらためて原水爆と放射線の恐怖を国民共通のものとし、原水爆禁止を求める国民運動の発火点となった。
同年3月の内に神奈川県三崎町と静岡県焼津市の各議会が、全国に先駆けて原爆禁止の決議を成立させ、4月からは各地で原水爆反対の署名運動が始まっている。この署名運動は前例のない規模で国内から海外に広がり、最終的な署名者数は日本国内で3000万人、世界では6億人を超えたとされる。
このうねりは、翌1955年8月の第一回原水爆禁止世界大会の開催となり、9月には「原水爆禁止日本協議会」の結成に至る。また、翌56年8月には「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協)の結成を見ている。さらに、原水爆の禁止を求める声は世界の良識を動かし、ラッセル・アインシュタイン宣言を経て、核兵器廃絶を目指す国際世論を形成した。
久保山愛吉氏が遺した「原水爆の被害者は、私を最後にして欲しい」という言葉は、幾つかの課題を提示している。まずは、核兵器の廃絶である。核抑止論の神話に支配されて核軍拡と核拡散を進めている世界の異常を正気に復さなければならない。今、その鍵となる現実的な運動課題は、核兵器禁止条約の世界各国での批准の実現である。
次いで、放射線の恐怖から人類を救う課題である。入市被曝・黒い雨・ビキニ被災・福島原発事故・原発の存廃と連なる問題として顕在化しているが、本来は地球史的な環境問題である。核兵器だけでなく、原発事故がもたらした地球規模の環境汚染が人類の生存を脅かしている。
さらに、核被災の被害救済も突きつけられた課題となっている。ビキニで被災した漁船は第五福竜丸だけではなかった。高知船籍船を中心に900隻もの被災漁船があった。もちろん、現地住民の被害は遙かに深刻である。広島・長崎の被爆者救援は十分ではない。被害を確認し責任を明確にすることは、再発の防止に不可欠である。
世界終末時計が「設置」されたのは1947年。この時の表示時刻は、終末までの時間は「あと7分」と警告された。米ソの核開発競争が進んだ1954年当時には、時計の針は「2分前」まで進んでいた。幸い、冷戦終結の1991年には、針は「17分前」まで戻ったが、ロシアがウクライナに侵攻して戦術核兵器の使用を口にしている今、終末時計は「90秒前」を指している。危機は、ここまで進行しているのだ。核兵器の恐怖も、放射線の脅威も深刻ではあるが、ビキニ事件を機に世界に昂揚した反核運動は今なお健在である。
本特集には10本の貴重な論稿をいただいた。概要をご紹介しておきたい。
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆ビキニ事件とラッセル=アインシュタイン宣言 … 奥山修平
◆広島、長崎とビキニを結びつけるもの
── 苦しみと孤独に耐え続けた原爆被害者が立ち上がった … 田中煕巳
◆キャッスル作戦・ブラボー実験と被ばく … 豊?博光
◆核兵器禁止条約 ── その意義と批准に向けた運動の現在 … 川崎 哲/浅野英男
◆地球環境汚染問題としての放射線被曝 ── 人類史的視点から … 樋口敏広
◆核実験による日本漁船の被災 … 市田真理
◆高知のビキニ事件 ── ビキニ被ばく船員訴訟の原告として … 下本節子
◆ビキニ被ばく船員訴訟 ── 力による切り捨てと時間の壁を越えて … 内藤雅義
◆反核運動における法律家の役割 ―― 「原爆裁判」を材料として … 大久保賢一
◆第五福竜丸は航海をつづける … 安田和也
◆資料:「朝日新聞」投書「沈めてよいか第五福竜丸」/美濃部都知事メッセージ
特集以外の記事は以下のとおり。
◆連続企画・憲法9条実現のために(53)
アジアの民主的法律家によるCOLAP日本大会 … 笹本 潤
◆司法をめぐる動き〈96〉
・7月3日優生保護法国賠事件最高裁大法廷判決 ── すべての優生手術被害者の解決へ道開く … 新里宏二
・6月の動き … 司法制度委員会・町田伸一
◆メディアウオッチ2024●《問われるジャーナリズムの役割》
国民の「知る権利」と「公益通報」 知らせる責任、知らせる義務 … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№30〉
今も「熱血弁護士」 … 梓澤和幸先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№61〉
「憲法問題は先送りできない課題の最たるもの」と発言する岸田首相 … 飯島滋明
◆書籍紹介
◆時評●地獄の門の扉開く地球環境と国際社会の混迷 … 鷲野忠雄
◆ひろば●問われる民主主義と選挙制度 ── 24 東京都知事選 … 丸山重威
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