澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「ニントク君の回想ーボクって何者?」に重ねて。

ネットを検索していると、時に昔自分が発信した記事に出会うことがある。そして、希にそれが面白いと思うこともある。下記は、そのようなものの一つ。投稿の日付は2016年2月27日、3年10か月ほど以前のもの。

「ニントク君の回想ーボクって何者? ボクってなんの役に立っている?」
https://article9.jp/wordpress/?p=6490

新天皇のパレードという本日(11月10日)、このアーカイブを多少アレンジして、再掲したい。

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恐れ多くも畏くも、第16代の天皇となられたオホサザキノミコトには「仁徳」の諡が献じられています。本日パレードの126代とされる天皇のお名前は「徳仁」。偶然とはいえ、「仁徳」と「徳仁」、とてもよく似ているではありませんか。

「仁」とは古代中国における為政者としての最高の徳目ですから、仁徳天皇こそが古代日本の帝王の理想像なのであります。

その仁政と人徳を象徴するものが、「民の竈は賑わいにけり」という、あのありがたくもかたじけない逸話でございます。あらためて申しあげるまでもないのですが、あらまし次のような次第でございます。

ある日、ミカドは難波高津宮の高殿から、下々の家々をご覧になられたのです。賢明なミカドは、ハタと気が付きました。ちょうど夕餉間近の頃合いだというのに、家々からは少しも煙が上がっていないではありませんか。慈悲に厚いミカドは、こう仰せられました。

「下々のかまどより煙がたちのぼらないのは貧しさゆえであろう。とても税を取るなどはできることではない」

こうして3年もの長きの間、税の免除が続きました。そのため、宮殿は荒れはてて屋根が破れ雨漏りがするようなことにもなりました。それでもミカドはじっと我慢をなさいました。

そして、時を経てミカドが再び高殿から下々の家々をご覧あそばすと、今度は家々の竈から、盛んに煙の立ちのぼるのが見えたのでございます。

ミカドは喜んで、こう詠われました。

高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり

こののちようやく、ミカドは民草が税を納めることをお許しになり、宮殿の造営なども行われるようになったのです。なんと下々にありがたい思し召しをされる慈悲深いミカドでいらっしゃることでしょう。

これが、天皇親政の理想の姿なのでございます。何よりも下々を思いやり、下々の身になって、その暮らしが成り立つことを第一にお考えになる、これこそ我が国の伝統である天皇の御代の本来の姿なのでございます。消費増税によって、民の竈を冷え込ませたアベ政権には、仁徳天皇の爪の垢でも呑ませたいところでございます。

でも、この話には、いろいろとウラがございます。仁徳ことオホサザキノミコトご自身が、のちに次のような回想をしていらっしゃいます。ここだけの話しとして、お聞きください。

ボクって、天皇職に就職して以来、下々の生活なんかにゼーンゼン関心なかったの。何に関心あったかって。不倫。一にも二にも不倫。二股、三股。もっともっと。ボクって美女に目がないの。古事記にも恐妻の目を逃れての好色ぶりが描かれているけれど、まあ、あれは遠慮して書いてあの程度のこと。ホントはもっと凄かった。で、不倫って結構金がかかるんだ。それでもって、使い込んで…。結局民の竈の煙が立たなくなっちゃったんだ。

ある日ハタと気が付いたのは、下々の竈からの煙がなくなったってことじゃないんだ。毎日、上から目線で見慣れた景色だから、竈の煙が薄くなり消えそうになっているのは、前々から分かってた。

でも、ある日考えたんだ。このままだと、下々から税を取ろうにもとれなくなるんじゃないか、ってね。竈から煙が立たないって、民草は飢餓状態じゃん。これまで天皇や豪族が民草を「大御宝」なんて言ってもちあげてきたのは、ここからしか税の出所がないからさ。文字どおり金の卵を産み続けるニワトリだからなの。その民草が飢えて死にそうじゃ、税も取れなくなっちゃうじゃん。税が取れなきゃ、ボクの不倫経費も捻出できない。

もう一つ考えたのは、少し恐ろしいことになっているんじゃないかってこと。これまでは、下々や民草は、搾ればおとなしく言われたとおりに税を払うと思っていた。だけど、竈に煙も立たない状態となると、窮鼠となって反抗しないだろうか。考えてみれば、ボクと下々の格差はすさまじい。民草が怒っても、当然といえば当然。何も失うもののない民草が捨て鉢になって、団結して立ち上がってしまうことになるのではないだろうか。そして、宮殿に押し入って、火を付けたり公卿堂上や天皇にまで危害を加えたりしないだろうか。彼らが、突然にテロリストに化し、いままで甘い汁を吸ってきた私たちが、テロられることにはならないだろうか。

それで、方針を変えてみたんだ。金の卵を産むニワトリがやせ細ってきたのだから、しばらく卵をとるのは我慢して、ニワトリを太らせなくっちゃ。そして、よいテンノーを演出して、下々から攻撃されないよう安全を確保しなくっちゃというわけ。宮殿が荒れ果てたって雨漏りしたって、火を付けられるよりはずっとマシ。

こうして、税を取らないことにしたんだけど、誰でも思うよね。その間、何をしていたのかってね。もちろん、不倫はどうしてもやめられなかった。でも、ボクなりに相当の努力はしたんだ。不倫相手の数も減らして、出費も縮小した。そうして蓄えを少しずつなし崩しに減らしていった。とうとう金庫が底を突いたから、もう一度高殿に登って、「民の竈はにぎはひにけり」ってやったんだ。ニワトリは、もう十分に太った頃だろうからね。この程度で「仁政」だの「聖帝」だのといわれているんだから、ま、楽な商売。

でも、ここからは真面目な話し。この件のあと、いったいボクってなんだろう、天皇ってなんだろうって真剣に悩むようになった。自己肯定感の喪失っていうのだろうか。自分の存在意義に自信がなくなったんだ。ボクが税をとっているから、その分民が貧しくなる。3年でなく、ずっと税を取らなけりゃ、民の竈はもっともっといつまでも賑やかになっているはず。ボクって、実はなんの役にも立っていないことに気が付いたんだ。

おとなしい民草から、税を取り立てるだけのボク。自分じゃ働かず、人の働きの成果をむさぼっているだけのボク。おべんちゃらだけは言われているけれど、実は世の中にいてもいなくてもよいボク。いや、不倫の費用分だけ、いない方がみんなのためになるボク。こんなボクって、いったい何なのだろう。

ちょっぴりだけど反省して、河川の改修や灌漑工事など公共工事なんかやってみた。やってみたと言ったって、「よきにはからえ」って言うだけだったけど。それが、記紀に善政として出ている。せめてもの罪滅ぼし。それでも、不倫は生涯やめられなかったんだ

ところで、仁徳ならぬ徳仁、つまり本日パレードの新天皇のことでございます。台風19号の被災者を慮って、予定されていた10月22日のパレードを20日ばかり先に延ばしたのは、大先輩の故事に倣ってのことでございましょうか。4回もございました飲み食いの饗宴は予定どおりにしておいて、パレードだけは形ばかりの先延ばし。本日は19号被災者の復旧を確認されたわけでもなく、大がかりな警備の下、華やかに挙行されたご様子でございます。

さて、新天皇がどのような心境でいらっしゃいますことやら、窺い知ることはかないません。象徴天皇という職について張り切られも困るのですが、自己肯定感に満ちておれることやら、あるいはニントク君のように自己喪失感に襲われているやら。そのことは、年を経た後に、主権者の一人として聞いてみたいところでございます。
(2019年11月10日)

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Published in 日曜日, 11月 10th, 2019, at 21:01, and filed under 天皇制.

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