先天性心疾患(総肺静脈還流異常症)で亡くなったSちゃんの願い
今、取り組んでいる医療過誤訴訟を紹介したい。
Sちゃんは、生後46日で短い命を落した。そのことに、どうしても納得できないお父さんとお母さんが原告となって、診療を担当した病院に対して、損害賠償請求の訴訟を提起した。提訴の動機は、同じ病の子を救いたい、自分たちのような悲劇を繰り返させたくない、という思いからだ。
Sちゃんの死亡原因は、先天性の心疾患で「総肺静脈還流異常症」という。心臓と連結する血管の正常な構造においては、左右の各肺から各2本計4本の肺静脈が左房に接続しているところ、総肺静脈還流異常症においては先天的にその接続が欠けている。
本来、体内の血液循環過程において肺胞でガス交換を終えて十分な酸素の供給を得た高酸素飽和濃度血は、肺静脈を経て左房に流入し、左房から左室を経て拍動しつつ大動脈に流出して全身の細胞に酸素を供給することになる。つまり、肺静脈は高酸素飽和濃度血(体循環における動脈血)の心臓への流入口である。ところが、総肺静脈還流異常症においては、肺静脈を経ての左房への酸素血の流入がないため、胎児期はともかく、出生後の生存は極めて困難となる重篤な心疾患なのだ。
この先天性心疾患は、Sちゃんの出生当時、その機序も診断方法も臨床に知られており、胎児期にも、出生直後にも、退院時にも、そして1か月健診時にも、その特異的、非特異的な症状が児に表れ、その児に表れた症状を的確に把握することによる診断が可能だった。さらに、同疾患の心臓外科手術による治療方法は確立していて、胎児期、あるいは出生直後に診断さえできれば救命可能であったことは当事者間に争いはない。
その診断ができずに看過されれば、総肺静脈還流異常症患児は、出生後ほぼ確実に死に至る。ちょうど、Sちゃんのように。
その疾病の機序と生命に関わる重篤性とがよく知られ、かつその疾病の診断が可能である以上は、人の生命と健康に携わる医師・医療機関には、患者との診療契約において負担する「最善の注意義務」の具体的内容として、これを診察し診断する義務があった。それが、最高裁判例の立場だ。そう、原告側は主張している。
Sちゃんは、胎児期に胎児エコー専門医の胎児心エコー検査を受けている。そのとき、カラードプラに切り替えて心臓を見てもらえば、おそらくは肺静脈が左房に接続していないことが確認できたはずなのだ。ところが、専門医は、モノクロモードだけで心臓を診て、心臓が終わってからカラードプラに切り替えている。お父さんとお母さんにしてみれば残念でならない。
被告側の主張は、「医師の診断マニュアルでは、肺静脈の接続まで確認せよとされていない。だから診断しなかったのはミスとは言えない」という。
総肺静脈還流異常症は、患者の数が少ないから、手間暇かけて診てはおられない、そこまで診断する義務はない、というのが医療現場のホンネのところ。しかし、その手間は、妊娠期間中1回か2回ルーチンの胎児心エコー検査の際に、数十秒ないし2分の検査で済むのだ。もちろん、全例診断を尽くしている病院や医師もある。アメリカのマニュアルでは診断せよとなっている。中国の大病院も悉皆検査をしていると報告している。本件の担当医も、「本件事故以後は全例肺静脈の正常な接続を確認することとしている」と法廷で証言している。
医療過誤訴訟では、医師が依拠すべき医療水準が常に問題となる。判例は、この医療水準を客観的に定まる規範としての規準であると言い、現実の医療慣行を規準としてはならないという。患者の人権を重視し、医療の改善につながる医療水準論でなくてはならないと思う。
先天性心疾患は、新生児100人に約1人の割合で認められるという。そして、総肺静脈還流異常症は、先天性心疾患児100人に約1?2人の確率で発生するとされる。つまり、1万人の新生児出生に対して、約1?2人の割合で総肺静脈還流異常症が発症していることになる。
毎年日本では約100万人の新生児が誕生しているのであるから、毎年約100人?200人の総肺静脈還流異常症罹患の新生児が誕生している。総肺静脈還流異常症は、診断さえできれば、外科手術によってほぼ確実に救命できる。しかし、診断できなければ、死亡に至る可能性が極めて高い。現実に、総肺静脈還流異常症と診断されて、専門病院に搬送されて救命されるのは好運な事例で、多くは診断されることなく死亡に至っている。
産科・新生児科の医師に総肺静脈還流異常症の診断の義務がないとすれば、今後も毎年100人?200人の新生児の疾患が見逃され、せっかく得た尊い生命が失われる悲劇の現状が続くことになる。判決が、総肺静脈還流異常症の診断義務を認めるとすれば、今後、毎年100?200名の新生児の命が救われ、同数の悲劇が歓喜に変わることになる。
確実に一定の割合で生じる将来の患児の生命が、救われるか見捨てられるか。Sちゃんも見守っている。
(2018年12月12日)