(2022年12月31日)
よく晴れた大晦日だが、時代は視界の開けない昏い印象である。世界も、国内も、どんよりと重苦しい。だれもが望んできたはずの平和が蹂躙されている。大量の兵器が世に溢れ、核の脅威さえ払拭できない。軍需産業とその手先の政治勢力が、不気味にほくそ笑んでいる。18世紀のスローガンであった、『リベルテ、エガリテ、フラテルニテ(自由・平等・友愛)』が、いまだに虚しいスローガンのままだ。明日の元日が、一陽来復とか初春の目出度さを感じさせるものとなろうとは思えない。
それでも、今年の私生活は比較的順調だった。身内の不幸がなかったことだけでもありがたいと思う。この夏には、「DHCスラップ訴訟」(日本評論社)を上梓した。表現の自由についてだけでなく、民事訴訟のあり方や、政治とカネ、消費者問題についても、それなりの言及が出来ていると思う。
そして、この夏にもう一冊、兄弟で父と母を偲ぶ歌集(兼追悼文集)を自費出版した。数年前に兄弟4人で作ることを決め、次弟の明(元・毎日新聞記者)が選句し編集していたが、昨夏突然に没した。そのあとを三弟の盛光が完成させた。明の遺した歌も入れ、編集後記は生前に明が書いた通りのものとなった。
B6版で88ページ、装幀と印刷は株式会社きかんし(東京都江東区辰巳2-8-21 TEL03-5534-1131)にお願いしたところ、手際よく手頃な値段で立派なものを作ってくれた。できあがってみると感慨一入である。200部の非売品である。
表題は「歌集 『草笛』 澤藤盛祐・光子 追悼」。歌集の題は、「草笛」という。歌集冒頭の父の一首からとった。
校庭の桜の若き葉をつまみ草笛吹きし少年のころ
この校庭は旧制黒沢尻中学(現黒沢尻北高)のもの。父にも、多感な「少年のころ」があったのだ。そのことを書き留めておく意味はあろうかと思う。
11月12日に、縁者が秩父の小鹿野町に集まって、このささやかな「追悼歌集」の出版記念会を開いた。盛祐・光子の子・孫・ひ孫と、その配偶者27名の賑やかな集いとなった。楽しいひとときではあったが、次弟・明の姿はなく、小鹿野に家を建てた妹の夫も鬼籍に入っている。時の遷りに、さびしさも感じざるを得ない。
なお、今年も365日このブログの連続更新は1日も途切れなかった。あと3か月、来年の3月末で、満10年の連続更新となる。その10年を一区切りにして、しばらく擱筆しようと思う。第2次安倍晋三政権の危険性に触発されて連載を始めた当ブログである。幸いに、明文改憲だけは許さずに、10年になろうとしている。そして、安倍晋三は、既に世に亡い。
目も歯も悪くなった。腰は痛い。筆が遅い。それでも、気力だけが健在である。あと3か月このブログを書き続けて、その後しばらくは今引き受けている仕事に専念しようと思う。
(2022年12月30日)
2022年が間もなく暮れてゆく。この年を振り返って、世界を揺るがした最大の出来事は、疑いもなく「プーチン・ロシア」によるウクライナ侵略である。事前には、まさかそんなことが現実にはなるまいと楽観していただけに、衝撃は大きかった。
2月24日の開戦以来、無数の人が無惨にも殺され傷付けられた。戦闘員も非戦闘員も、男も女も老人も子供も。多くの家が焼かれ、街が焼失し、家族が引き裂かれた。故郷を追われて逃げざるを得ない人が難民となって世界に散らばった。どこの国でも、殺人・傷害・放火・略奪の犯罪となる行為が、戦争の名で大規模に実行された。悲惨な歴史が繰り返されている。人類は、少しも賢くなっていないのだ。
この戦争の勃発が、我が国の安全保障に関する世論や政策に与えた影響も衝撃だった。右派勢力は大声で叫んでいる。「9条が前提とする国際環境は崩壊した」「9条の理念では国を守ることができない」「国民自身が、自らの国を守る覚悟をもたねばならない」「軍備の充実なくして国家の安泰はない」「防衛費を倍増せよ」
さらには、具体的にこうも言う。「今日のロシアは、明日の中国であり北朝鮮である」「中国・北朝鮮からの攻撃に備えよ」「防衛力の整備こそが、敵の攻撃の意図を思いとどまらせる」「古来言われているとおり、『平和を欲せば戦争の準備が必要』なのだ」。
だから、「専守防衛論は、今や誤りである」「敵基地攻撃能力の保有こそが不可避の安全保障政策である」「敵基地とは、ミサイル発射基地のみを意味するものではない。戦略的指揮系統の中枢を含むものでなくては意味がない」「自衛力を最小限度の実力に限定してはならない」「敵の攻撃が確認された後にのみ反撃できるとするのでは遅く実効性に欠ける」「敵が攻撃に着手することが明確になれば、躊躇のない反撃ができなくてはならない」
かくて、攻撃的な武器の取得を自制してきた防衛政策は大転換されようとしている。スタンドオフミサイルを備えようというのだ。1機2億とも3億とも言われるトマホークを500機も購入するという。
この道は、いつか来た道だ。暴支膺懲、鬼畜米英…。いつも我が国のみが正しい。我が国の軍備は自衛のためのやむを得ないもので、邪悪な諸国が我が国を狙っている。自衛のための装備の充実、自衛のための攻撃能力、そして、自衛のための先制攻撃。
こうして、相互が軍事優越を求めての悪循環に陥る。安全保障のジレンマこそが、悪魔のささやき、唆しである。こうなってはならないとするのが、9条の理念である。今、その実効性が試されてる時を迎えている。
そして、今年の国内ニュース最大の衝撃は、7月8日の安部晋三銃撃事件である。第一報での背筋の寒い思いは、テロの時代の到来かという恐怖感だった。幸い、この銃撃は、政治的な主張貫徹のための殺人ではなかった。その後に続く報復的なテロは起きていない。宮台真司襲撃事件の未解決が気がかりではあるが。
この事件の影響はまったく思いがけないものとなった。銃撃事件の被害者が悲劇の殉教者に仕立て上げられるのではと一瞬は考えた。保守政権は、当然にそのような思惑で動いた。改憲を悲願とした国家主義政治家安倍晋三をテロの殉教者とすれば、改憲に国民意識を動員できるだろう。おそらくはこのような思惑からの政治利用が安倍国葬強行の動機であったろう。
しかし、この政治利用は成功しなかった。世論は銃撃犯の動機に同情し、安倍晋三は銃撃犯に象徴される多くの統一教会信者の悲劇への加害者と捉えられた。しかも、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三の3代にわたるカルトとの深い結びつきが国民の目に晒されることとなった。
安倍晋三だけではなく、自民党そのものの加害責任を問う声が高まる中で歳を越すことになる。年明け、銃撃犯山上徹也が起訴されてその刑事訴訟が始まる。統一教会と安倍晋三との関係が、さらに深く暴かれることになるだろう。統一教会への解散命令請求も避けて通ることのできない事態に立ち至っている。そして、統一教会が起こしたスラップ訴訟には、私も関与している。
気候変動問題に展望は開けない。コロナもおさまらない。日本の経済力は長期低落の中で危機的な状況だという。国民生活の低迷と格差の開きは厳しい。原発再稼働のみならず造設問題には腹が立つばかり。政治とカネの醜悪な関わりは、いっこうに改善されない。日本学術会議問題や大学の自治も心配でならない。国家主義の傾向進展も危うい。ヘイトや差別の問題も解消にはほど遠い…。
問題山積の年の瀬である。嘆いてばかりはいられない。力を合わせて何とかしなければならない。微力な者どうしで。
(2022年12月29日)
新型コロナの猛威は、中国における武漢の発症報告から、世界に知られるところとなった。その武漢での蔓延を中国当局が総力をあげて制圧したとき、世界は舌を巻いた。あの巨大都市をロックダウンし、全住民に繰り返しPCR検査をし、新規に病院を建造し、必要な医療スタッフを全国から集めて、住民に有無を言わせることなく強権的に有効な手立てを断行して…、成功した。
中国当局の強権的な手法に眉をひそめた者も、武漢での成功には脱帽するしかなかった。少なくともあの局面では、民主主義的な手続による対処よりは、中国共産党流の強引なトップダウン方式が有効に見えた。党、即ち当局、はその成果に胸を張り、自信を深めたに違いない。正しい党の指導こそが、人民を幸福に導くと。
それから3年、自信を深めた「正しい党」の指導のもと、中国は強権を発動してのゼロコロナ政策を継続した。これも、最初はうまく行きそうではあった。しかし、結局は破局を迎えることになった。民衆の不満が山積して噴出してのことである。
中国各地で同時多発的に生起した「白紙革命」の動きに押される形で、ゼロコロナ政策は終焉を迎えた。しかし、それと同時に中国全土でコロナの感染大爆発という報道である。これまでの事態をどう総括するのか、「正しい」はずだった党は説明らしい説明をしていない。そして、これからどうするのかもよく分からない。
いくつかの気になる報道がある。
12月26日付の毎日新聞朝刊1面トップの記事が、「中国 民間ゲノム解析制限」「コロナ 変異株情報 統制か」という大見出しの記事。これに続けて「感染者と死者数 公式発表を中止」との記事がくっ付いている。何とも、気の滅入る報道である。
中国政府は、11月下旬、国内に拠点を置く民間の企業や研究機関に対して新型コロナウイルスのゲノム(遺伝情報)配列の解析を当分の間、行わないよう通知したという。「感染爆発に直面する中国政府は、情報を厳格に管理することで、新たな変異株が見つかった場合などに、国内外の世論に与える影響を最小限に抑える狙いがあるとみられる」というのが、毎日の見方。
要するに、当局だけが重要な情報を独占しておればよい。民間が知る必要はない、必要な限りで党が情報をコントロールする、というのだ。人民を支配の対象としか見ない独裁権力の典型姿勢である。「由らしむべし、知らしむべからず」そのものなのだ。「正しい党」さえあればよい、みんなはこれに従おう。その方が気楽だし間違いはない、と教え込む。カルト並みの姿勢と言わざるを得ない。
また、ゼロコロナ政策終焉に伴って、コロナの危険性に関する当局の説明の様変わりが話題となっている。ゼロコロナ時代には、危険を強調されていたオミクロン株での感染を「新型コロナ風邪と言える」程度と喧伝しているのだという。
中国政府の新型コロナ専門家チームのトップとして著名な鍾南山という呼吸器研究の専門医がいる。この人が、「ゼロコロナ」政策の緩和以降感染が急拡大するなか、今月になってから急に国民の不安を払しょくしようとする発言を繰り返している。オミクロン株について、「致死率が低く、通常の季節性インフルエンザにほぼ等しい」「怖いものではなく、これは新型コロナ肺炎ではない。“新型コロナ風邪”と言える」「99%の患者は1週間ほどで回復する」などと危険性が低いことを強調する発言を続けている。
ネット上では、「なぜ先月はそう言わなかったのか、この2、3日で急に悟ったのか」「これは風邪なのか。国民を誤解させるな!」「誰かにプレッシャーをかけられてそう言っているのか」など、批判的なコメントが相次いでいるという(TBS)。
3年前には、権力的にゼロコロナ政策を強行した中国当局が、今度は権力的にウィズコロナに舵を切った。情報も、医学的知見も、それを実行する人材も、全て当局が独占し管理しているからこそ可能なのだ。しかし、権力による情報操作は、結局は破綻して、民衆の不信を招く結果とならざるを得ない。
東京新聞などによれば、中国国家衛生健康委員会は今月25日、2020年1月から毎日行ってきた感染状況の公表を取りやめた。理由の説明はなく、下部機関の疾病予防コントロールセンターが発表を引き継いだ。24日の全国の感染者数は前日より3割少ない2940人。20日以降の死者はゼロとなっている。死者数の定義が変更されたからだという。
公式発表の感染者数は小さくなったが、各地で感染者が激増し、火葬場の混乱が話題となり、著名人の死去のニュースが連日報道されている。だれの目にも、公式発表が実態を示していないのは明らかだ。そのような事態で、中国の地方政府当局で、新型コロナウイルス感染者数の推計値を相次いで公表し始めているところがある。
山東省青島市は23日、直近の感染者数が1日当たり49万〜53万人に上るとみられると発表。これに続いて浙江省政府当局の幹部は25日の会見で、「元日にピークを迎え、1日の新規陽性者は最大で200万人に上る」との見通しを示し、重症者の移送や治療態勢の確立を急いでいると説明した。交流サイト(SNS)では「真実のデータを公表した浙江省の勇気をたたえたい。民衆は虚偽のデータを見たくない」とのコメントが投稿されている。
香港星島日報は29日、「人口5200万人の四川省防疫当局が25日に標本15万人を調査した結果、人口の63.52%が感染したことが明らかになった」とし「全国的に少なくとも6割の人口が感染したとすると、8億人以上がすでに感染したとみられる」と報じた。
コロナは権力におもねらない。オミクロンは中国共産党のご威光を忖度しない。常に正しい党の指導に基づく中国当局の強権的人民支配は、一見効率よく政治目標を達成するように見えて、結局は人民の信頼を失うことになった。
民主主義とは、本来効率で評価されるべきものではない。しかし、コロナ対策においても、強権的対策よりも愚直な民主的手続による支配に軍配が上がったのではないか。
(2022年12月28日)
安倍後継の菅政権発足が2020年9月16日、その初仕事が学問の自治・学問の自由を蹂躙する、日本学術会議の新会員候補6名の任命拒否だった。有りうべからざる暴挙である。菅義偉という人物は、後世この一事をもってその悪名を語り継がれることになるだろう。
その後、「抜本的な組織改革」が必要として学術会議の自主性を奪おうとする政府と、学問の独立を擁護しようとする研究者側の緊迫した綱引きが行われてきた。やや水面下で進行した感のあるこのせめぎ合いが、2年を経て再び表面化している。この事態に注目せざるを得ない。
本日の朝刊各紙に、次の見出しが躍っている。
「政府の改革案は『日本学術会議の独立性侵害』 研究者らが反対声明」(朝日)
「学術会議巡る政府方針『任命拒否上回る介入』 守る会が撤回要望」(毎日)
「『人類社会の福祉、さらには日本の国益に反する』 学術会議を巡る政府方針、学者らグループが撤回求める」(東京新聞)
「学術会議の独立性侵すな 学者・文化人127人、政府方針撤回要求」(赤旗)
昨日、学者やジャーナリストらが「学問と表現の自由を守る会」を結成し、127名連名の声明を発表して記者会見した。
声明は、日本学術会議の会員選考と運用に介入しようとする政府方針を厳しく批判し、政府が目前の通常国会での成立を目指すという関連法案を、学問や表現の自由を脅かす内容だとして撤回を求めるものである。127名の危機感・切迫感には厳しいものがある。
東京新聞望月衣塑子記者の記事では、「会見で、科学史が専門でアカデミーの歴史に詳しい東京大の隠岐さや香教授は『政府が独裁的な方向へ進む時は、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる。民主主義の危機が来ている』と訴えた」という。
問題が急浮上したのは、今月(12月)6日のことである。内閣府は、まことに唐突に「日本学術会議の在り方についての方針」を公表した。
https://www.cao.go.jp/scjarikata/20221206houshin/20221206houshin.pdf
この「方針」は、学術会議の会員の選考と運用に政府が介入することで、同会議の独立性・自律性を根幹から変質させる内容と批判せざるを得ない。しかも、政府はこの方針を盛り込んだ法案を目前の通常国会に提出し、この国会で成立させるという。強引極まりない。
この「方針」に対して、12月21日、日本学術会議総会はこれを批判して再考を求める声明を採択した。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s186.pdf
さらに同月27日、日本学術会議梶田会長による「声明に関する説明」が発表されている。そして、同日の「学問と表現の自由を守る会」声明となった。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s186-setumei.pdf
学術会議は、科学者が戦争に協力したことの反省から生まれた。平和主義を掲げる国家の学術機関として、科学者の自主性・独立性が尊重されてきた。学術は、国家目的に従属してはならない。これまで、学術会議は軍事研究に反対する声明を繰り返し出してきている。これが、現在の政権にとっては目障りなのだ。とりわけ、軍事優先の国家構築に舵を切ろうとしている現在、学術会議の硬い骨を抜いておかねばならない。これが政府の本音と見なければならない。
学問が権力の下僕となり下がることの危険を日本国民は戦前の体験から身に沁みている。そのための、憲法23条(学問の自由・学の独立)である。学術会議の政府からの独立性・自律性を失うことは、広く国民・市民の、学問、思想、良心、表現、信教等の精神の自由一般の喪失につながり、強権的国家の戦争への道を開くことにもなりかねない。
学術会議の会員人事の自律性は、学術会議の独立性の根幹をなすものだが、提出予定とされる法案は、会員選考のルールや選考過程への「第三者委員会」の関与が明記され「内閣総理大臣による任命が適正かつ円滑に行われるよう必要な措置を講じる」との文言まであるものという。明らかに、政府の息のかかった人物を通じて学術会議を支配しようとの魂胆が透けて見える。
権力は一極に集中してはならない。これが民主主義を標榜する国家における権力構成の大原則である。とりわけ権力は、司法や教育や学術や報道に介入してはならない。それぞれの分野を担う機関の独立性・自主性を尊重しなければならない。
学術会議の「改革問題」は、民主主義の原則と強権的国家主義との、極めて重要で象徴的なせめぎ合いである。『政府が独裁的な方向へ進む時は、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる。民主主義の危機が来ている』という、研究者の危機感を共有したい。
(2022年12月27日)
慌ただしい 年の暮れに、慌ただしい閣内の人事。秋葉賢也復興相と杉田水脈・総務政務官が更迭された。形の上では、任意の辞表提出が受理された。
岸田首相は、いつもながらの口先だけの「私自身の任命責任について重く受け止めている」。既視感ある光景というほどのことではない。何度も見飽き聞き飽きたことの繰り返し。この内閣発足は8月10日。4か月前のあのときから「秋の山寺」という言葉が飛び交い、誰が見ても不適切な杉田水脈の政務官登用には、世論への挑戦という臭いがした。あるいは安倍晋三後継勢力への阿りであつたか。
これで、「秋の山寺+1」の閣僚と、ヘイトの杉田が一掃されたことになるが、この間岸田の支持率は下がり続けた。世論は、「岸田内閣の本性見たり」という気分になったのだ。
岸田首相の、杉田更迭の説明は以下のとおりである。
杉田から、「差別意識はなく、その旨説明を尽くしたが、結果として国会審議に迷惑をかけることになった。過去の言動について精査して、問題があると判断したものは撤回することとしたが、自らの信念に基づき、撤回できないものもある。行政に迷惑をかけることはできないため、区切りがついたこの時点で辞任したいとの意向が示された」
おやおや、杉田はちっとも反省していないのだ。むしろ、「自らの信念に基づき、撤回できない」とさえ言ってのけている。岸田は、杉田の無反省を咎めていない。叱責するでもなく、更迭理由とするでもなく、聞き置くだけ。さすが、「聞くだけが特技」のお人。
また、辞表を受理した松本総務大臣は、「政府の一員として迷惑をかけてはいけないと考え、判断したという報告だった」と述べている。杉田水脈には、政府に迷惑をかけたという認識があるだけ。差別された少数者や、人権を重んじる市民社会への責任は感じていないのだ。
そして、杉田水脈自身が、「真意伝わらなかった」と開き直っている。「こんな人物」が大手を振って歩けるのが、日本の保守政界であり、「安倍政治」であり、岸田政権なのだ。
杉田の「辞任記者会見」の要旨は、「私の過去の発言、拙い表現に厳しいご指摘があり、それを重く受け止めて反省し、一部を取り消したが、その真意がなかなか伝わらないということもあった」「内閣の一員として迷惑をかけられないということで総合的に判断して、年末の節目としてこのタイミングで(辞職願を)提出した」(朝日)というもの。虚飾を剥げば、次のようなものである。
「私の過去の差別発言、本音の表現が、思いがけなくも厳しい世論の批判に遭い、その批判に対して、心ならずも『重く受け止めて反省し、一部を取り消します』と言わねばならない羽目に陥った。それを『私の真意がなかなか伝わらない』と誤魔化してきたのだが、岸田内閣がとても支えきれないと私を切る判断と知らされた。たいへん不本意ではあるが、力関係を総合的に考慮して更迭に抵抗できない。やむを得ないので、年末の節目のこタイミングで(辞職願を)提出して、多少の体面を保つより仕方がない」
各社が、記者会見の一問一答を載せている。その一部を引用しておきたい。質問に対して、きちんと答えずにはぐらかす回答の仕方は、安倍晋三に学んだものだろう。何を言っているんだかよく分からず不愉快なやり取りだが、分かることは、この人のヘイトスピーチは「自分を応援する支援者もいる」という自信に支えられていることである。
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――このタイミングで辞職願を提出した理由は。
◆先の国会で、私の過去の発言、拙い表現にいろいろ厳しいご指摘があり、それを重く受け止めて反省し、一部は取り消したが、さまざまな発言を精査する中で、やはり私の真意を分かっていただきたいという思いがある一方、その真意がなかなか伝わらないのではないかということもあった。私自身、信念を持ってやってきたので、信念を貫きたいと思う一方で、内閣の一員として迷惑をかけるわけにはいかないという思いもあり、総合的に判断して、年末の節目ということでこのタイミングで辞表を提出した。
――信念を貫くために辞職願を提出したのか。
◆国会でも、私の発言の追及でずいぶんと時間をとってしまったこともあり、これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないと思った。また、この間、岸田文雄首相と松本総務相にすごくしっかり支えていただいて、私からは感謝しかないが、これ以上、迷惑はかけられないと思った。
――謝罪、撤回した発言以外も精査したとのことだが、そういったものも含めて発言自体は、信念を持って発言したことであって問題ないという考えなのか。
◆そうだ。そういう発言を聞いて応援をしてくださっている支援者もたくさんいる。
――これ以上、謝罪、撤回することはないか。
◆はい。しっかりと皆さんに真意を理解していただければ(と思う)。何度も申し上げているが、差別はしていない。ただ、その真意が伝わりづらいということだ。
――過去の発言で性的少数者の団体などが抗議したが、対応はどう考えているのか。
◆何度も申し上げているように拙い表現によって傷つかれた方がいるのであれば、謝罪する。ただ、それ自身が差別ではないということはずっと申し上げている。国会の場で謝罪、撤回したので、それをもって今回の謝罪と撤回にさせていただいたということだ。
――今後の政治活動についてはどう考えているか。
◆私を支援してくださっている方々がいっぱいいるので、代議士として、その方々の代弁者として、しっかり政治家として頑張ってまいりたい。
――杉田氏の貫きたい信念とはどういったものか。
◆私自身は差別は絶対にあってはいけないと思っている。そんな中で、やはり正直者がばかを見るというような社会にはしたくないと思っている。やっぱり、一生懸命頑張っている人が報われる社会にしていきたい。(毎日より)
(2022年12月26日)
年の瀬に、今年亡くなった人物を思い起こせば、まずは安倍晋三の名を上げねばなるまい。その亡くなり方が衝撃的だったからだ。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という。はたして彼は、どのような名を残しただろうか。
「棺を蓋いて事定まる」ともいう。しかし、安倍晋三については、容易に「事定まる」様子がない。「棺の蓋」を動かして噴き出てきたものが、統一教会との癒着だった。岸・安倍の3代にわたって、カルトと保守政治の接着役を果たしてきたその一端が明らかとなった。「反共」という黒い糸で結ばれた、統一教会と安倍晋三。その実態は、まだ十分には解明されてなく、十分な批判にも至っていない。
生前の政治家としての所業にも資質にも批判の大きかった安倍晋三である。加えて、その死後に統一教会との癒着が明らかとなったのだ。にもかかわらず、岸田文雄は、安倍国葬を強行した。独断専行したと言ってよい。この頃から、岸田の特技は「国民の声を聞かずに物事を決めること」として知られるようになった。
果たして、国葬は国論を二分した。世論調査では、およそ6割の国民が安倍国葬反対の意を表明した。独裁国家ではいざ知らず、民主主義を標榜する国家において、国民の過半が反対する国葬の強行はあり得ない。
9月の国会審議で国葬強行の追及を受けた岸田首相は、「国葬についての検証をしっかり行う」と約束せざるを得なかった。しかし、10月召集の臨時国会で議論するはずだった論点整理は、会期終了まで出てこなかった。「しっかり」は口癖だが、やる気がないのだ。
本来、安倍国葬の検証とは、だれのどのような思惑から、なにゆえにかくも奇妙な国葬が構想され強行されたかを解明しなければならない。そして、国葬がもつ、権力によるイデオロギー操作としての罪業と効果を徹底して暴くことでなくてはならない。安倍国葬は、安倍政治を美化する役割を果たすためのもので、安倍後継の保守政権をも美化することにつながるものであったのだから。
政府は12月22日、安倍国葬を検証する有識者ヒアリングに基づく「論点整理」を公表した。A4約200ページにわたる大部なものだが、検証の実はあがっていない。集約の方向も見えてこない。国葬に関する7つの論点について大学教授やメディアの論説担当者ら21人から対面聴取した意見が羅列されただけのものだという。
『法的根拠の必要性』『国葬実施の意義』『国葬の対象者の決定』などのヒアリングでは、「賛否が分かれた」という。当然であろう。安倍政治が国論を大きく、深く二分するものだった。安倍国葬の評価も、安倍政治への評価の分裂をそのまま反映するものとなったのだ。
このヒアリングでは、「国葬でどのようなレガシーが残ったか」という設問もあったという。こんな調子で、真っ当な検証ができるはずもない。結果の誘導を試みたが、成功に至らず、「21論」併記の羅列的「論点整理」となったものと思われる。
また、国葬を巡っては、衆院も議院運営委員の6会派6人による協議会の報告をまとめた。こちらの報告は、わずか3ページ。が、中身はけっしておかしなものにはなっていない。その全文を下記に掲載しておきたい。安倍晋三、どうやら葬儀のあり方までを含めて、民主主義社会の反省材料として「名を残した」ようである。
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◆衆院各会派協議会がまとめた検証結果(全文)
議院運営委員会は、国葬儀の検証等を行うため、各会派の代表者からなる協議会を設置し、令和4年11月1日から12月2日にかけて、計5回協議会を開会し、政府からの説明聴取・質疑、2回にわたる有識者からの意見聴取・質疑も含め、各会派の代表者間で協議を行った。その議論の概要を以下のとおり報告する。
1、国葬儀の検証に当たっての基本的な認識
今般の国葬儀は、戦後において慣例の積み重ねがなく、またその在り方等について一般的な議論がなされていないことから、国民の間で国葬儀についての共通認識が醸成されていない状況にあった。結果、国葬儀の実施に当たって、世論の分断が招かれた。
2、国民、国会への説明
今般の国葬儀は、7月8日の故安倍晋三元総理大臣の逝去の後、同月14日に岸田総理大臣が国葬儀を行うことを表明し、同月22日に閣議決定が行われた。その後、9月8日に岸田総理大臣と松野官房長官が議院運営委員会に出席し、説明を行った後、同月27日に国葬儀が執り行われたが、この実施に至るまでのプロセスについて様々な意見・批判が示された。
すなわち、決定に際して国会への事前報告等がなされるべきである、閣議決定後1カ月以上経過してから国会へ説明を行ったのは遅きに失したなど様々な具体的意見が述べられた。
3、国葬儀の法的根拠及び国葬儀を行う理由についての政府の説明
政府は、今般の国葬儀を内閣府設置法上の国の儀式として、閣議決定を経て実施したものである。この点について、意見を聴取した有識者からは、国葬儀を行政権の裁量として行うことが直ちに違憲・違法であるとは言えないという見解、政府による法的根拠、理由の説明が国民の理解を十分に得られていないとの見解、内閣府設置法自体が、国葬儀を行うことを内閣限りで決定できることの根拠になるものではないとの見解が示された。さらに、国葬儀の実施に関する制度上の問題は解決していないとの見解もあった。
各会派の代表者からは、閣議決定自体には問題はなかったとの意見、示された法的根拠、実施理由に対して国民の理解が十分に得られておらず、国権の最高機関である国会の審議を十分に経ず国葬儀を実施したことはいわば行政府の独断であり適切でないとの意見、憲法の保障する国民主権、法の下の平等、思想及び良心の自由や政教分離原則との関係で違憲であるといった意見も示された。
4、国葬儀の対象者についてのルール化
国葬儀の対象とすべき者に一定の基準・ルールを設けることについては意見が分かれた。
各会派の代表者からは、法的根拠や基準を設けることで国民の理解に資するといった積極的な意見がある一方で、在職期間や功績等様々に考慮すべき事項があり、事前に基準を設けることは難しく、時の内閣が責任をもって判断すべきとの消極的な意見も示された。
意見を聴取した有識者からも、あらかじめ定められた基準があればここまで政治問題化されることはなかったのではないかという意見がある一方で、民主主義国家である以上、特に政治家の場合は国民による功績の評価は様々であることから合意形成は容易ではなく、一定の基準を設けることは非常に困難であるとの意見、国葬儀についての慣例のない中で改めてルールを作ろうとすると、ルールの在り方自体が論争の種になりかねないとの意見など、消極的な意見も多く示された。
5、国会の関与の在り方
今般の国葬儀の実施により、結果として世論の分断が招かれたとの共通認識の下、国民の幅広い理解を得られるよう国会による何らかの適切な関与が必要であることについては、大方の意見が一致した。一方、政治家の国葬の実施は認められないとの意見も出された。
国会の関与の具体的な方法としては、国葬儀の実施に国会の承認を要するものとすべきという意見も示される一方、国会の行政監視活動を通じて政府に説明責任を果たさせることによって対応すべきものであるといった意見、また、国会での承認に際して行われる審議が故人の評価に関する議論を招き、政治問題化が避けられず、故人及び遺族にとっても望ましくない事態になりかねないとの懸念も示された。
このように国会の承認を得るには合意形成に困難を伴うとの議論を踏まえ、代替案として、例えば、国会内のしかるべき委員会等における政府からの報告のような形にとどめる、両院議長への報告や相談を経るという方法もあり得るとの見解も示された。また、あえて国葬儀という形にこだわらず、他の形式で故人を偲(しの)ぶ方法もあるのではないかとの見解もあった。
いずれにせよ、国会が国葬儀に関し的確な行政監視を行う機会が確保されることが望ましく、政府は、適時・適切な情報提供を行うべきである。
(2022年12月25日)
我が国の安全保障政策を根本的に転換し、平和憲法をないがしろにする「安保3文書」の閣議決定。これに対する批判の声明が、各方面から相次いでいる。
法律家の分野で特筆すべきは、日弁連が12月16日付で「「敵基地攻撃能力」ないし「反撃能力」の保有に反対する意見書」をとりまとめ、19日付で内閣総理大臣及び防衛大臣宛てに提出したこと。
https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2022/221216.html
そして、一昨日(12月23日)の「立憲デモクラシーの会」の声明である。
同「会」は、「立憲民主党」とやや紛らわしいが、「憲法に従った民主政治を回復するために」結成された、著名な研究者で作る任意団体である。2014年、安倍晋三政権が集団的自衛権行使容認の憲法解釈に転じたとき、これを批判する立場の法学者・政治学者を中心に、安倍内閣の方針に対抗すべく設立された。設立時の共同代表は樋口陽一、山口二郎、奥平康弘。設立の際の記者会見で、奥平は「安倍政権の下で、立憲主義とデモクラシーはともに危機的状況にある。私たちには、異議申し立てをする義務がある」と述べている。
その「会」が、12月5日に「いわゆる反撃能力の保有について」とする声明を、さらにこの度「安全保障関連三文書に対する声明」を発表した。憲法や政治学の研究者の危機感は強い。
http://gifu9jou.sakura.ne.jp/democrcy221223.pdf
声明は、「『抑止力』が相手国に攻撃を断念させる保証はなく、逆にさらなる軍拡競争をもたらし安全保障上のリスクを高める」「先制攻撃と自衛のための反撃は区分が不明確。敵基地攻撃能力の保有は専守防衛という日本の防衛政策の基本理念を否定する」などと指摘した。
また、防衛費増額についても「GDP(国内総生産)比2%という結論に合わせた空虚なもの」として「税負担の増加は国民の疲弊を招く」と批判した。さらに、手続き面でも「国会で説明せず内閣と与党だけで重大な政策転換を行った」として「国民不在、国会無視の独断」と断じている。
同日、国会内で記者会見した研究者の各発言は、次のように報じられている。
長谷部恭男・早稲田大教授(憲法) 「なぜ軍拡を進めるのかについて、安全保障上の必要性や合理性に関する説明が欠けている」
中野晃一・上智大教授(政治学) 「国会で説明せず、閉会後に独断でなし崩し的に閣議決定した。2014年に安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定だけで決めた手法が、いよいよ先鋭化している」
石川健治・東大教授(憲法) 「露骨に『敵』や『攻撃』という観点が打ち出されているが、周辺国の危機意識を高めただけだ。閣議決定で決め、法整備や財源を後付けしている」
声明は、以下のとおり(一部割愛)。
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安全保障関連三文書に対する声明(2022年12月23日)
岸田文雄内閣は、12月16日、安全保障関連三文書の改定を閣議決定した。立憲デモクラシーの会は、すでに敵基地攻撃能力保有の問題性を指摘する声明を発表しているが、今回の三文書について、改めて、その内容と手続きの両面から疑義を呈したい。
政府は敵基地攻撃能力の保有により「抑止力」を高めることが日本の安全に不可欠だと主張する。しかし、一般に抑止という戦略は相手国の認識に依存するので、通常兵力の増強が相手国に攻撃を断念させる保証はなく、逆にさらなる軍拡競争をもたらして、安全保障上のリスクを高めることもありうる。
また、政府は日本が攻撃を受ける事態の意味について、「敵国」が攻撃に着手することを含むかどうかについてあえて曖昧にしている。すなわち、日本に向けたミサイルの発射の前に日本から攻撃を行う可能性を否定していない。そもそも、「敵国」が発射するミサイルが日本を攻撃するためのものか否かは、発射された後にしか確定し得ない。「先制攻撃」と自衛のための「反撃」の区分はきわめて不明確であり、敵基地攻撃能力の保有は専守防衛という従来の日本の防衛政策の基本理念を否定するものと言わざるを得ない。
政府の打ち出した防衛費増額についても、それが日本の安全確保に資するものかどうか、疑問である。来年度から5年間の防衛費を43兆円、GDPの2%にすると政府は表明した。しかし、今回の防衛費急増は、必要な防衛装備品を吟味したうえでの積み上げではなく、GDP比2%という結論に合わせた空虚なものである。すでに、第二次安倍晋三政権がアメリカから有償武器援助で多くの防衛装備品を購入しており、その有効性についての検証もないまま、いたずらに防衛費を増加させることは、壮大な無駄遣いに陥る危険性をともなう。
臨時国会が閉幕してわずか1週間の間に、与党調整を済ませ、閣議決定するという手法も批判しなければならない。そもそも防衛費大幅増、敵基地攻撃能力の保有は今年4月からウクライナ戦争に便乗する形で、自民党内で声高に叫ばれるようになった。岸田首相にその気があれば、7月の参議院選挙で防衛費急増とそのための増税を争点とし、国民の審判を受けることができたはずである。選挙の際には争点を隠し、秋の臨時国会でも国会と国民に対する説明をせず、内閣と与党だけで重大な政策転換を行ったことは、国民不在、国会無視の独断である。
今回の防衛政策の転換と防衛費急増は、国民の疲弊のみならず、東アジアにおける緊張を高め、軍拡競争を招くことが憂慮される。立憲デモクラシーの会は、日本の安全保障政策のあるべき姿と防衛力の規模について、来年の通常国会において白紙から議論を進めることを求める。
(2022年12月24日)
指折り数えて…間違いはない。南河内の富田林は、私の8番目の故郷である。小学校の5年生から高校卒業までの8年間をこの町で過ごした。暦年で数えれば、1954年4月から62年3月まで。地元の富田林小学校、富田林一中は私の母校である。懐かしい山と川、懐かしい街並み、懐かしい友人と河内弁。懐かしい私の少年時代を育んでくれた故郷の平穏と発展を願ってやまない。
その富田林市が、統一教会といささかの関係を持っていたとの報道があって、心を痛めていた。大阪府の自治体に、聞き慣れない「アドプト・ロード・プログラム」というものがあるという。市民の市政参加の一態様で、地元市町村と協定を結んだ市民グループが、道路の清掃や緑化などの美化活動を継続的に行うものだという。これに、統一教会系の組織が名乗りを上げ、富田林市と協定を結んでいたということのようだ。
市民からの指摘を受けて、市はこの協定を解消し、市議会は以下の「根絶決議」を採択した。全会一致でのことである。
旧統一教会と富田林市議会との関係を根絶する決議
旧統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ、行政や政治家にまで関係をひろげていたことが注目されている。
富田林市が世界平和統一家庭連合とアドプトロードの協定を結んでいたことがマスコミにも報道され、市民から疑問の声や、今後の市や市議会議員の姿勢を問う声が寄せられている。
富田林市議会として、市民の疑問にこたえ、旧統一教会との関係を根絶するため、以下2点を決議する。
記
1.富田林市議会議員の旧統一教会とその関連団体とのかかわりについて、自ら調査し、議会が市民に明らかにする。
2.富田林市議会議員は、旧統一教会及びその関連団体とは一切かかわりを持たない。
以上、決議する。
令和4年9月28日
大阪府富田林市議会
何の文句もつけようのない決議である。自治体は、住民自治の原則に従って自由にその意を表明することができる。当然に議会も同様である。
しかも、「統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ、行政や政治家にまで関係をひろげていたこと」は、否定のしようもない厳然たる事実である。「富田林市が統一教会系団体とアドプトロードの協定を結んでいたことがマスコミにも報道され、市民から疑問の声や、今後の市や市議会議員の姿勢を問う声が寄せられている」ことにも疑問の余地はない。
市民の懸念や叱正に応えての「対統一教会・関係根絶決議」である。敬意を表すべきでこそあれ、これを貶めるべき何の理由もない。にもかかわらず、これを不当に貶めることをイチャモンという。
統一教会としてはこの決議が面白くない。富田林市に続いて、他の自治体が同様の「関係根絶決議」を採択することを阻止したい。富田林市にも、これ以上の統一教会対策はさせたくない。なんとか牽制しなくてはならない。その思惑が、何の違憲も違法もない決議に、イチャモンを付けての昨日(12月23日)の提訴となった。
いわゆるスラップ訴訟について、なかなか適切な訳語がないままに「恫喝訴訟」「いやがらせ訴訟」などと呼ばれている。これに倣えば、この裁判には、統一教会の「イチャモン訴訟」というネーミングがピッタリである。
報道では、見出しを「旧統一教会の友好団体、大阪市・富田林市議会の決議取り消し求め提訴」などとされている。
訴えたのが「UPF(天宙平和連合)大阪」、韓国の本部が昨年開いたイベントに安倍晋三がビデオメッセージを送って銃撃される原因となった例の団体の地方組織。訴えられたのは大阪市と富田林市の両市(市議会には被告適格がない)。請求の内容は、決議の取り消しと慰謝料の請求(各350万円)。裁判所は大阪地裁である。
報じられている原告の主張は、本件決議が「請願権を侵害」し、「思想の自由を保障した憲法19条」「信教の自由を保障した20条」に違反しているのだという。この言い分、いずれも「イチャモン」以外のなにものでもない。
安倍晋三銃撃事件後の世に溢れた統一教会批判報道によって、統一教会ないしはUPF(天宙平和連合)の「請願権」行使が困難になったであろうことは想像に難くない。しかし、これを「決議」によるものと決めつけることはできない。俗な表現で言えば、単に統一教会の自己責任というだけの話なのだ。さらに「決議を取り消せ」「損害を賠償せよ」というのは、乱暴極まる「非論理」でしかない。
原告UPFは、本件決議の違法を言わねばならないが、無理な話。市議会は、「統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ」たから、当該団体との関係を根絶したのだ。宗教団体だから霊感商法も許される、宗教団体だから強引な教化・伝道も許されるなどと勘違いしてはならない。
宗教法人法86条は、「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない」と明記する。宗教団体が宗教団体ゆえに差別されてはならないが、宗教団体が宗教団体ゆえに何らの特権を持つこともない。あたりまえのことだ。
「霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえた団体」との決別が、その団体の構成員に何らかの不利益をもたらしたとしても、これを違法な請願権侵害とも、思想の自由保障の侵害とも、信教の自由侵害とも言わない。
勝ち目のない訴訟と分かっていての、市議会や世論を牽制する意図での提訴なのだ。富田林市民は、統一教会・UPFによって市が被告とされたこと、そのことによって市が応訴の費用を負担しなければならないことを怒らねばならない。あらためて、その怒りもて、統一教会の違法行為を糾弾しようではないか。
(2022年12月23日)
岸田文雄内閣成立以来、この内閣は正体を見極めにくい厄介な代物、と思い続けてきた。当然のことながら、安倍晋三内閣の分かりやすさに比較してのことである。
安倍晋三は、極右陣営の取り巻きに担がれた存在で、立憲主義をないがしろにした改憲論者で、歴史修正主義者で、古典的ナショナリストで、復古的伝統論者で、極端な新自由主義者で、かつ人事を壟断した権力の亡者で、政治を私物化し、官僚に忖度させ、質問議員に意味不明の野次を飛ばす品位に欠けた人物。自分でも、「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのなら、そう呼んでいただきたい」とも言っていた、その危険性の分かりやすさにおいてこの上ない貴重な政治家だった。だから、「ゆ党」までふくむ野党の面々が、「危険な安倍が唱導する改憲には反対」でまとまっていた。
ところが岸田には、多少の人の良さの幻影があり、本当のところは危険人物ではないのではと思わせる雰囲気がある。もともとが宏池会の出身、ハト派の面影が消せない。総裁選に打って出たときの印象も悪くなかった。「成長よりは分配重視の『新しい資本主義』」だの、「国民の言葉に耳を傾けるのが特技」だの、なかなかのもの。その後の豹変ぶりも、あのときの言葉こそが彼の本音で、いずれ本音を言えるときが来るのではないか、と思わせられる。岸田は本性を出せずに、自民党の安倍・麻生・茂木・二階派などに面従腹背せざるを得ないのだろうとも思わせる憎めないキャラクターなのだ。
ところが、次第にこの政権どうもおかしいと思わざるを得ない事態が進展している。参院選挙あたりからだろうか。国葬を言い出したのが決定的だった。そして何よりも、臨時国会閉幕直後の「安保3文書の閣議決定」(12月16日)である。戦後の安全保障政策の大転換、とうていハト派のやれることではない。内心がどうであろうとも、これだけのことをやってのける岸田政権。タカ派と評せざるを得ない。
さらにもう一つの大転換、「原発回帰」である。岸田が議長を務める「グリーントランスフォーメーション(GX)実行会議」は、昨日(12月22日)新たな基本方針を決定した。政府自身の「原発依存度を低減する」としてきた、これまでの立場から、原発再稼働の加速、老朽原発の運転期間延長、そして新規原発建設という原発推進への大転換である。福島第1原発事故の悪夢消えやらぬ今、核のゴミの処理方針もないままにである。何よりも、政策決定の手続がおかしい。事前に民意を聞こうという姿勢がない。今や口癖になっているのが、「ていねいに説明する」。民意に反する決定をしておいて、「丁寧に説得して、反論を封じたい」ならまだマシ。じつは、できない説明を先送りしているだけ。
民主主義とは、政策決定のプロセスにおける理念である。政策決定に実質的な意味で、どれだけの国民が参加するかが民主主義成熟度のバロメータなのだ。国民にとって、決定された政策が、どれだけ自分が決めたものという実感をもつことができるか。それが問われている。
「人の話を聞くのが特技」言った岸田政権に期待した国民が、いまや国民の声も、国会の声も聞かない政権を見離しつつある。12月18日の毎日新聞世論調査結果、岸田内閣を支持する25%、支持しない69%は、このことを物語っている。
下記は、私も所属する自由法曹団東京支部の「安保3文書の閣議決定に対する抗議文」である。この第4項にも、民意を顧みない岸田政権の非民主的な姿勢が批判されている。
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安保3文書の閣議決定により敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有することは許されない
1 2022年12月16日、岸田内閣は、反撃能力という名目で敵基地攻撃能力の保有を明記した国家安全保障戦略、国家防衛、防衛力整備計画の3文書(以下「安保3文書」という。)を閣議決定した。
しかし、閣議決定により敵基地攻撃能力を保有することは日本国憲法に反し許されない。
2 日本国憲法は、二度に亘る世界大戦の悲惨な戦争体験を踏まえた深い反省に基づき平和主義を基本原理として採用し、第9条において、一切の戦争と武力の行使及び武力による威嚇を放棄し、戦力の不保持を宣言するとともに、国の交戦権を否認している。
これら日本国憲法が採用した平和主義は、世界史的に見て比類のない徹底した戦争否定の原理を打ち出したものと評価されてきた。
この徹底した平和主義原理に基づく日本国憲法の枠組みの中で、歴代内閣は、日本が保持できる自衛力は、専守防衛の理念の下での最小限のものでなくてはならないとの立場をとり、敵基地攻撃能力の保有は否定してきた。閣議決定で採用された安保3文書は、歴代内閣が堅持してきた従来の専守防衛の理念の立場をかなぐり捨てるものである。
3 今般、閣議決定された安保3文書には、敵基地攻撃能力を保有するために外国製のスタンド・オフ・ミサイルを導入することが明記されている。同ミサイルの導入は、専守防衛の理念の下での最小限の自衛力保持の限界を超えてしまうものであり、到底認められない。
射程距離の長いスタンド・オフ・ミサイルを導入することは、近隣諸国との軍事的緊張を一層高め、際限のない軍拡競争に日本を巻き込む事になり、かえって国民の生命・財産を危険にさらしかねない。
4 安保3文書には、敵基地攻撃能力を保有するための防衛費として、今後5年間で総額43兆円もの税金を投入することが明記された。
ロシアによるウクライナ侵略等の影響に基づくエネルギー価格の上昇や、新型コロナウィルスによる経済的打撃等により国民が苦しむ中で、多額の税金を投入することに対し国民の納得は得られていない。
5兆円の国庫資金は年間の医療費自己負担分を無料にできる、3兆円あれば大学の学費を無償化できること等も報道されており、今般政府が費やそうとしている莫大な防衛費を医療・教育・福祉等に投入すれば、国民の生活を豊かにする実効的な政策を実施することができる。
国民の代表者で構成される国会での議論を経ずに閣議決定のみにより、従来の憲法解釈を覆し多額の税金の投入を決定することは、国民主権、国会中心主義、及び、財政民主主義にも反するものである。そのことによる国民の不信は、岸田内閣の不支持率が7割にも迫っているという世論調査結果によく表れている。
5 以上のとおり、岸田内閣による安保3文書の閣議決定は、立憲主義および平和主義を破壊する重大な暴挙であり、歴史に禍根を残すものと言わざるをえない。
自由法曹団東京支部は、岸田内閣による敵基地攻撃能力の保有を認める安保3文書の閣議決定を即刻撤回するよう求める。
2022年12月21日
自由法曹団東京支部幹事会
(2022年12月22日)
NHKと森下俊三経営委員長の両者を被告として、NHKの報道姿勢と総理大臣任命の経営委員会のあり方を根底から問う《NHK文書開示請求訴訟》。その第6回口頭弁論が、下記のとおり開かれた。
日時 12月21日(水) 14時
法廷 東京地裁415号
パワーポイントを使っての法廷での原告代理人意見陳述は、原告第7・第8準備書面の主張と、それに対する両被告の応答を整理した上で、4名の人証の申請をし、その採用の必要性を強調した。
ことの発端は、NHK「クローズアップ現代+」が、「かんぽ生命保険」の不正販売を追求する番組を報道したことにある。この報道に日本郵政から圧力がかかってきたとき、NHKの最高意思決定機関である経営委員会は、番組制作の現場を守ろうとせず、日本郵政と一体となって、報道の妨害に手を貸した。その手段が、経営委員会の席上における「NHK会長に対する厳重注意」というもの。公共放送としてのNHKの歴史的な汚点であり、明らかな放送法(32条2項)違反でもある。
114名の原告らが開示を求めているのは、この「会長厳重注意」を言い渡した経営委員会議事録にほかならない。「厳重注意」部分を除いた不完全なものではなく、法規に則った完全な議事録。そしてその議事録の正確性を確認するために必要な、会議録音の生データ。
原告の主張は、この文書開示請求妨害の先頭に立ってきたのが、現経営委員長(当時は委員長代行)の被告森下俊三であり、同人こそが一連の不祥事の元兇として不法行為損害賠償の責めを負うというもの。
この日、裁判所は、原告と両被告に対しそれぞれの主張は尽くしたものであることを確認し、証拠調べの段階に入りたいと述べた。そのうえで4人申請の人証の内、原告1人と、経営委員会事務方の責任者の2名の採用は問題がないとして、残る証人・上田良一(元NHK会長)と、被告本人・森下俊三(経営委員会委員長)両名の採否について、各被告代理人に口頭での意見を求めた。
これに対して、被告森下の代理人からは、「当方から人証申請をして主尋問をしたい」旨が述べられ、被告NHKの代理人は「NHKに対する請求は文書開示に尽きるもので当該文書の存否は会長に聞いても分からない。従って証人としての採用は無用」との意見だった。
若干の意見交換の後に、裁判所は森下側には「次回までに被告森下の本人尋問申請書を提出し、併せて陳述書を準備するよう」指示。NHK側には、「上田証人採否についての意見を文書にして提出するように。原告はこれに反論を。その後に採否を決したい」との意向を明らかにした。
以下に、両名の立証趣旨と尋問事項を抜き書きして掲載する。
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第2 立証趣旨
1 証人 上田良一(元NHK会長)
・NHK会長以下の執行部が、経営委員会の違法な指示にも従わざるを得ない立場にあること
・被告NHKが視聴者からの開示の求めに対して開示すべき文書を、経営委員会委員長の指示によって義務不履行、あるいは遅滞とした経験があったこと
・被告NHKの本件各文書の開示義務不履行あるいは遅延が被告森下の指示によるものであること
・本件開示請求対象である議事録及び会議録音記録の存在
2 被告本人 森下俊三(経営委員会委員長)
・被告森下において、被告NHKに対して、本件各文書の開示をしないように働きかけたこと及びその動機が放送法違反行為の隠蔽にあったこと
・開示対象である本件議事録及び会議録音記録の存在
第3 尋問事項
1 証人 上田良一元NHK会長(2017年1月25日?2020年1月24日)
・経営委員会による「会長厳重注意」に至った事情
・「厳重注意」がどのような意図・目的でなされたと理解したのか
・公表すべき「厳重注意」に関する議事録が未公表のまま放置された経過とその理由
・甲1-2?1-4(以下「粗起こし」とする。)について被告NHKの開示義務履行が遅延した事情
・その他関連事項
2 被告本人 森下俊三(経営委員会委員長)
・本件開示の求めへの対応についての協議のために、被告森下から被告NHKに対しどのように接触したか
・上記接触に対する被告NHKの反応はどのようなものであったか
・本件開示請求に関して、経営委員会から被告NHKに対する接触の有無
・本件開示請求に関して、被告森下から被告NHKに対する接触の目的ととその結果
・通常の経営委員会議事録作成手順
・通常の経営委員会における議事録音の手順
・通常の経営委員会における議事録音記録の保存
・本件経営委員会議事録作成手順
・本件経営委員会議事録音の手順
・本件経営委員会議事録音記録の管理
・録音記録を消除した具体的な経緯
・その他関連事項