(2022年1月31日)
悪名高き都教委の「10・23通達」。これに基づいて、都内公立校の全校長が、全校の教職員に「卒業式・入学式においては、国旗に正対して起立し国歌を斉唱せよ」という職務命令を出すことを強要されている。しかし、どうしてもこの職務命令に従えないという一群の教職員が、18年にわたって、逐次の法廷闘争を継続している。
「10・23通達」関連訴訟としては、「予防訴訟」が先行し、その後懲戒処分の取消を止める訴訟が相次いで、現在は昨年(2021年)3月31日提訴の「第5次処分取消訴訟」が東京地裁民事36部に係属している。原告は15名、取消を求める処分の件数は26件である。その次回期日が、2月7日(月)午前11時、東京地裁631号法廷で開かれる。
各原告が起立斉唱には応じがたいとする理由は様々だが、自らの信仰がこれを許さないとする人々の存在は容易に想像できるのではないか。戦前にも、宗教者による宮城遙拝や靖国参拝や教育勅語に対する敬礼拒否などのの事件はいくつもあった。権力が信仰者の信念を曲げることは頗る困難なのだ。
これまでの主要訴訟の中には、必ずクリスチャンがおり、今回も自分の信仰を明示して、それゆえに、起立斉唱の強制には応じられないという原告がいる。下記に、第5次処分取消訴訟の訴状における、当該請求原因の一部(要約抜粋)である。比較的分かり易いと思う。お読みいただけたら、ありがたい。
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国旗国歌への敬意表明強制は原告らの信教の自由を侵害する
(1) 原告の中には,自らの信仰ゆえに「日の丸・君が代」に対する敬意表明の強制に服しがたいとする複数の者がいる。
当該信仰をもつ原告らに対して,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよと強制する10・23通達,同通達に基づく職務命令,そして当該原告に対する本件各処分は,いずれも当該原告の信教の自由を直接に侵害するものとして,憲法20条に違反する。
また,その余の信仰をもたない原告らについても,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよと強制する10・23通達,同通達に基づく職務命令,そして当該原告らに対する本件各処分は,消極的な信教の自由(信仰をもたず,信仰を強制されず,一切の宗教的関わりからの自由)を侵害するものとして,同じく憲法20条に違反する。
(2) 信教の自由は,憲法史において,常に基本権カタログの先頭に位置する典型的な基本権であった。近代憲法における精神的自由はなによりも信教の自由を意味し,特定の宗教と緊密に結びついていた王権や為政者に対して被治者の信教の自由を認めさせるために近代憲法が成立したとさえ語られる歴史がある。
我が国においても,特異な宗教と緊密に結びついた神権天皇制下、20世紀の中葉(1945年8月ないしは、47年5月)まで、信教の自由はなかった。1889年制定の大日本帝国憲法28条は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背サル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とし,天皇制を支える国家神道に抵触することのないよう、全ての宗教は管理され統制された。
よく知られているとおり、国家神道や国体思想に抵触する信仰は,「安寧秩序ヲ妨ケ」るものとして苛酷な宗教弾圧の対象となった。のみならず、天皇の神聖性に抵触するあらゆる思想活動が「国体ヲ変革」するものとして刑事罰の対象となった。また,すべての国民に対して,明らかな宗教行事である神社参拝や宮城遙拝が「臣民タルノ義務」の範疇の行為として強制された。
日本国憲法は,旧憲法体制が国民の信教の自由を蹂躙した深刻な反省から,憲法20条1項前段に,「信教の自由は,何人に対してもこれを保障する」と厳格な信教の自由保障の規定をおき,その2項で「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と明記した。
なお,憲法はさらに、人権としての信教の自由を擁護するための制度的保障として政教分離の規定を置いている(20条1項後段,同条3項,89条)が,本件では政教分離原則を援用する必要がない。原告らの主張は、人権論のレベルに尽きるものである。
各原告らに対する「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は,信仰をもつ原告らに対するものとしても,また信仰をもたない原告らについても,20条2項および同条1項前段とに違反する人権侵害となることを主張する。
(3) 「日の丸・君が代」は,大日本帝国の慣習法上の国旗国歌であった。大日本帝国が国家神道という特殊な宗教教義に基づく宗教国家であった以上,「日の丸・君が代」は,いずれも国家の象徴であるだけでなく国家神道という宗教上のシンボルでもあった。「日の丸・君が代」は,天皇の祖先神と現人神としての現天皇の弥栄を祈念する宗教儀式に必須の存在としての宗教的性格を持つ旗であり歌とされた。
日の丸は,太陽神を象形した宗教的デザインである。その象形が国家神道のシンボルとされたのは,天皇の祖先神(皇祖)であるアマテラスが太陽信仰に由来するところからとされる。また,君が代の歌詞は,神なる天皇の治世が代々継承して永久に続くように,という宗教的な祝讃歌である。
20世紀中葉まで,そのような意味付けをされていた「日の丸・君が代」は,象徴天皇制を採る日本国憲法下において現在なお,その宗教的性格を払拭し得ていない。とりわけ,自らの信仰を持つ者にとっては,「日の丸・君が代」が公的に宗教と結びついていた時代の、公権力による信仰の自由への圧迫の記憶はいまだに生々しい。のみならず,現在なお天皇の代替わりには、神秘的な宗教行事としての大嘗祭が挙行される。天皇とその祖先を神と祀る宮中祭祀が連綿と継承され,これに追随する全国の神社神道が社会に根を下ろしている今日,「日の丸・君が代」をアマテラス信仰やアラヒトガミ信仰と切り離して考えることのできない現実的な社会基盤が健在であると認識せざるを得ない。
(4) 信仰者である原告らにとっては,「日の丸」も「君が代」も,自らの信仰と厳しく背馳し抵触する宗教的シンボルとしての存在であって,信仰という精神の内面の深奥において,この両者を受容しがたく,ましてや強制に服することができない。
このような信仰を有する者に,「日の丸・君が代」を強制することによる精神の葛藤や苦痛を与えてはならない。そのことこそが,日本国憲法が旧憲法時代の苦い反省のうえに国民に厳格な信仰の自由を保障した積極的な意義にほかならない。また,人類史が信教の自由獲得のための闘いとしての一面をもち,各国の近代憲法の基本権カタログの筆頭に信教の自由が掲げられ続けてきた普遍的意味でもある。
なお,信仰者ではない原告らにとっても,宗教的性格を払拭し得ていない「日の丸・君が代」の受容を強制されることは,信仰を有する者とは違った形で,自己の消極的な信仰の自由(宗教行為の強制からの自由)の侵害にあたるものである。
(5) 「日の丸・君が代」の宗教的性格の有無や宗教的な意味付けの内容についての判断は,特定の宗教的行為を強制される人権の被侵害者の認識を基準とすべきである。百歩譲っても,被強制者の認識を最大限尊重しなければならない。人権侵害者の側である公権力においてする意味付けは,ことの性質上まったく意味をなさない。また,一般的客観的な基準によるときには,少数者の権利としての人権保障の意味は失われることにならざるを得ない。
とりわけ留意されるべきは,問題の次元が政教分離原則違反の有無ではなく,個人の基本的人権としての信教の自由そのものの侵害の有無であることである。公権力への禁止規定としての政教分離原則違反の有無の考察においては、宗教的色彩の存否は一般的客観的な判断になじむにせよ,基本的人権そのものである信教の自由侵害の有無を判断するに際しては,人権侵害の被害を被っている本人の認識を判断基準としなければならない。
信仰をもつ原告らにとっても,また信仰をもたない原告らにとっても,既述のとおり現在なお,「日の丸」も「君が代」も,神なる天皇と天皇の祖先神を讃える宗教的象徴である。その宗教的象徴に対して敬意表明を強制させられることは,信仰をもつ原告らにとっては自己の信仰と直接に背馳し抵触する受け容れがたいものであり,信仰をもたない原告らにとっても信仰をもたない自由に対する侵害にあたるものである。
(6) 公権力の行使によって,原告らに対して「日の丸・君が代」への敬意表明を強制することが憲法20条に保障された信教の自由の侵害に該当するか否かの判断の過程では,憲法19条についての判断の枠組みと同様,一応は,原告らに対する起立や斉唱という外部行為の強制が,原告らの宗教的精神性を侵害するものであるかという関係性が検討の対象となる。
ア 信仰をもつ原告らについては,その判断の帰趨は自明というべきである。当該原告らにとっては,「他宗の神への礼拝の強制」にほかならず,「日の丸・君が代」に敬意を表明するよう強制されることは,自らが信仰する教義と深く結びついた自己の人格そのものを否定されることであり,精神の深奥にあるものへの受け容れがたい破壊的攻撃以外のなにものでもない。
イ 16世紀、江戸時代初期に,当時の我が国の公権力が発明した信仰弾圧手法として「踏み絵」があった。この手法は,公権力がキリスト教の信仰者に対して聖像を踏むという身体的な外部行為を命じているだけで,直接に内心の信仰を否定したり攻撃しているわけではない,と言えなくもない。しかし,時の権力者は,信仰者の外部行為と内心の信仰そのものとが密接に結びついていることを知悉していた。だから,踏み絵という身体的行為の強制が信仰者にとって堪えがたい苦痛として信仰告白の強制になること,また,強制された結果心ならずも聖なる像を土足にかけた信仰者の屈辱感や自責の念に苛まれることの効果を冷酷に予測し期待することができたのである。
ウ 事情は今日においてもまったく変わらない。都教委は,江戸時代のキリシタン弾圧の幕府役人とまったく同様に,「日の丸・君が代」への敬意表明の強制が,教員らの信仰や思想良心そのものを侵害し,堪えがたい精神的苦痛を与えることを知悉しているのである。
エ また,信仰をもたない原告らについても,事情は本質において変わらない。信仰をもつ原告においては侵害されるものが自己の信仰であるのに対して,信仰をもたない原告らにおいて侵害されるものは,特定の信仰から自由な精神そのものである。踏み絵の強制は,信仰をもたない一般人に対しても宗教的精神性に対する被害を及ぼしうる。特定の信仰をもたない自由とは,いかなる宗教にも,いかなる態様においても,一切関わりなく精神生活を送ることの自由をいう。「日の丸・君が代」の宗教性が払拭されていない以上は,これに対する敬意表明を強制される原告らについても,宗教から完全に自由であるべきとする精神への侵害となるものである。
(7) 以上の原告らの主張に対する被告の反論として、「日の丸・君が代」の強制が各原告の信仰(積極・消極の両者を含む)に抵触することまでは否定せずに,「『日の丸・君が代』への敬意表明の強制が信仰に抵触するとしても,間接的なものに過ぎない」とする反論が考えられる。
しかし,既述のとおり、信仰あるいは積極消極両面の宗教的精神性の侵害の有無は被害者の判断を尊重すべきが当然である。その場合,侵害は「ある」か「ない」かのどちらかでしかない。
「間接的侵害」とは,意味不明な概念に過ぎず,「直接」と「間接」の意味も範疇の区分・境界も判然としない。このような曖昧な概念を弄して,憲法が至高の価値としている精神的自由に関する基本的人権制約を合理化する論拠としてはならない。信仰をもつ者にとって,侵害が「直接」であろうと「間接」であろうと,信仰を侵害されることによる心の痛みに軽重はない。
(8) 憲法20条2項は,「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と定める。条文の文言において最も広い禁止範囲は,「何人も,宗教上の行為…を強制されない」であり,強制を禁止される「宗教上の行為」の典型として「祝典,儀式又は行事への参加強制」が例示されていると解すべきである。
原告らに対して,懲戒処分を伴う職務命令が発せられている以上は,公権力の行使としての強制があったことに疑問の余地がなく,検討を要する問題点は,当該原告らに強制された「日の丸に正対して起立し君が代を斉唱する行為が,憲法20条2項にいう宗教的行為にあたるか」であり,また「日の丸を掲揚し,君が代を斉唱するプログラムをもつ学校儀式が憲法20条2項にいう宗教的儀式または行事にあたるか」である。
念のために再度言及しておくが,憲法20条2項は政教分離原則を定めた条項ではない。精神的自由権についての人権保障規定そのものであって,いわゆる制度的保障の規定ではない。制度的保障は公権力に対する行為規範であるから,政教分離原則に関して当該公権力の行為の宗教性の有無を判断するに際しては,一般的客観的な判断になじみやすい。しかし,本件のごとき憲法20条2項の判断においては個別具体的に信仰の自由侵害の有無が判断されなければならない。
信仰をもつ原告らは,自己の信仰にしたがって「日の丸・君が代」を意味づけ,自己の信仰に背馳し抵触するものとして「日の丸・君が代」を受け容れがたいと主張しているのであって,それで20条2項の該当要件は充足されている。したがって,信仰をもつ原告に関する限りにおいて,被告が「日の丸・君が代」は一般的,客観的に宗教的意味合いがない,と反論することはまったく無意味である。問題は,「日の丸・君が代」が一般的客観的に宗教的意味合いを持つか否かではない。飽くまで,強制される信仰者にとって,自らの信仰ゆえに強制を受容しがたいと言えるか否かなのである。
本件においては,信仰を持つ当該原告らにとって,「日の丸・君が代」の宗教性は否定できず,それゆえ「日の丸・君が代」の強制が信仰に背馳する行為の強制としての認識がある。したがって,当該強制は明らかに20条2項違反である。
この理は,基本的に剣道実技受講拒否事件最高裁判決(1996(平成8)年3月8日最高裁第二小法廷判決民集50巻3号469頁)において最高裁がとるところと言ってよい。
「エホバの証人」を信仰する神戸高専の生徒が受講を強制された剣道の授業受講は,一般的客観的には,宗教的な意味合いをもった行為とは言えない。しかし,当該の生徒の信仰に抵触する行為として,その強制の違法を最高裁は認めた。本件でも同様の関係があり,しかも「日の丸・君が代」への敬意表明という強制される行為は,剣道の授業受講とは比較にならない宗教性濃厚な行為というべきである。
(2022年1月30日)
佐渡金山の世界遺産登録推薦の可否が問題となってきた。日中戦争開始後の朝鮮人労働者に対する強制労働や苛酷な扱いがあった以上は不適という見解と、無視せよという意見との角逐である。何度も繰り返されてきた、未解決の論争。一部では、「歴史戦」という物騒な言葉さえ飛びかっている。なるほど、安倍晋三や高田市早苗ら歴史修正主義者が口角泡を飛ばしている。
これまで、政府は登録推薦に消極的だと思われてきた。「歴史戦」に巻き込まれるのはごめんだ。韓国をはじめとする近隣諸国との軋轢をこれ以上大きくしたくはない。安倍はともかく、岸田ならそう考えるだろう。多くの人が、漠然とそう思っていた。
ところがそうではなかった。一昨日(1月28日)の夕刻、岸田首相は、「佐渡島の金山」を世界文化遺産の候補として推薦する方針を決めたと公表した。2月1日の閣議で正式決定の予定だという。毎日は、「『大逆転』と地元安堵」という見出しで報道している。問題は、岸田の聞く力だ。右の耳だけに聞く力があることが判明した。左側の耳は詰まっていて聞く力はないのだ。当然、韓国は怒るだろう。日本は、その植民地制政策をまだ何も反省していない、と。
さすがに、この記者会見では、「自民党議員の意見を聞いて方針転換をしたのか」という質問が飛んだ。これに岸田は、「全くあたらない。登録されるためには何が効果的なのか、ことし申請を出す案と来年以降に出す案を、そ上に乗せてずっと議論してきた。今回、申請を行うことをきょう決定し、変わったとか、転換したという指摘はあたらない」と述べている。
さらに韓国が、朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だと反発していることへの対応については「これは文化遺産の評価の問題だ。しっかりと登録への歩みを進めていきたい」と述べたという。お得意の答弁回避戦術。不都合なことを聞かれた場合には、関係のないことをなんとなくしゃべっておこうというわけだ。
この首相の会見を受けて、韓国外務省は、28日夜、報道官の声明を発表した。「朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされていた場所だとして、「深い遺憾の意を表明し、こうした試みを中断するよう厳重に求める」というもの。ソウルに駐在する日本大使を呼んで抗議もしている。今後は、韓国の関係省庁や専門家などでつくるタスクフォースを発足させ、関連する資料の収集を行ったり、対外的な交渉や広報活動を展開したりしていくとも説明していいるという。韓国側は大問題として受け止めているのだ。
本日の赤旗一面トップに、「日本政府は、戦時の朝鮮人強制労働の事実を認めるべきである―佐渡金山の世界遺産推薦について」という、昨日(1月29日)付の党委員長談話が掲載されている。これが真っ当な立場だろう。
「わが党は、佐渡金山は世界文化遺産として推薦に値するものだと考えるが、日本政府が、登録推薦を行うならば、戦時中の朝鮮人強制労働の歴史を認める必要がある」という趣旨。
「佐渡金山についても、戦国時代末から江戸時代にかけてだけでなく、明治以降、戦時の朝鮮人強制労働などを含む歴史全体が示されることが必要である。戦時中の歴史を「時代が違う。まったく別物」とする政府・自民党の中にある主張は、世界遺産の趣旨に反する。ユネスコやICOMOSが掲げる原則をふまえるならば、世界文化遺産の登録推薦にあたっては、負の歴史を含めて、歴史全体が示されなければならない」
「アジア・太平洋戦争の末期に、佐渡金山で当時日本の植民地支配の下にあった朝鮮人の強制労働が行われたことは、否定することのできない歴史的事実である。新潟県が編さんした『新潟県史 通史編8 近代3』は「朝鮮人を強制的に連行した事実」を指摘し、佐渡の旧相川町が編さんした『相川の歴史 通史編 近・現代』は、金山での朝鮮人労働者らの状況を詳述したうえで、『佐渡鉱山の異常な朝鮮人連行は、戦時産金国策にはじまって、敗戦でようやく終るのである』と書いている。この歴史を否定することも、無視することも許されない。」
問題は、事実(ファクト)である。実態はどうだったのか。ネットで、下記の論文を読むことができる。全て、日本が作成した公開資料にもとづく論述。少なくとも、この資料を共通認識にした上での論争が必要である。
新潟国際情報大学情報文化学部紀要
佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939?1945)
著者・広瀬貞三(新潟国際情報大学 情報文化学部 教授)
https://cc.nuis.ac.jp/library/files/kiyou/vol03/3_hirose.pdf
文中にこんな一節がある。なお、朝鮮人労働者の圧倒的多数は抗内の鑿岩あるいは運搬作業に従事していた。
事故による死傷以外に、朝鮮人労働者を苦しめたと推定されるのが珪肺である。佐渡鉱山は母岩の多くが石英鉱であり、珪酸分が高いことで有名である。そのため、鑿岩作業の際に粉塵(珪酸)が肺に沈着し、繊維増殖が起こって咳や痰がでる。その後、呼吸は苦しくなり、胸部に圧迫感を覚え、それが深化していく。大正期に作られた「称明寺過去帳」には「安田部屋」所属労働者137名の死亡記録が掲載されている。これによると、平均死亡年齢は32.8歳である。死因は「変死」10名、「窒息」2名、「溺死」2名、「寝入死」1名と、15名の死因が明らかだが、それ以外は不明である。しかし、その多くは珪肺の可能性が高いといわれる。1944年に佐渡鉱業所の珪肺を斎藤謙医師が調査した『珪肺病の研究的試験・補遺』によれば、粉塵の平均概数は鑿岩夫810?、運搬夫360?、支柱夫350?、坑夫240?である。この時期、これらの職種の比率が高かったのは前述したように朝鮮人であり、この記録も朝鮮人を対象にした調査ではないかと思われる。
(2022年1月29日)
日本弁護士連合会の会長選挙は2年に一度。現在その選挙の真っ最中で2月4日(金)が投開票日、1月31日から「不在者投票」が始まる。コロナ禍・第6波のさなかの選挙に「郵便投票」の制度はあるが、「遠隔、長期疾病等」に要件が限られ使い勝手は頗る悪い。もう、郵便投票は締め切られた。投票率に影響するかも知れない。
立候補者は、受付順に下記の3名。どの候補者も、憲法問題や人権・民主主義、そして弁護士自治、司法権の独立などの基本課題について、それなりの見識を示している。「ともかく、弁護士会費を値下げしろ」「人権課題への取り組みをやめよ」「一切の政治課題とは手を切れ」「政財界と歩調を合わせろ」などという、乱暴な主張はない。
? 及川智志弁護士(51期・千葉県弁護士会)
? 小林元治弁護士(33期・東京弁護士会)
? ?中正彦弁護士(31期・東京弁護士会)
選挙公報における各候補者の公約は、下記の日弁連サイトで見ることができる。
https://www.nichibenren.or.jp/news/year/2022/220114.html
詳細な公約は、各候補者の公式ホームページをご覧いただきたい。
https://2022kobayashimotoji.com/
https://2022takanakamasahiko.jp/
https://oikawasatoshi2022.com/
そして、いつもながら大阪の山中理司弁護士のブログが、周辺情報を満載している。
https://yamanaka-bengoshi.jp/2022/01/10/2022kaityousenkyo-rikkouhosha/
もちろん、各候補者には、以下のようなそれぞれの独自色がある。
(1) 弁護士人口はその需要に比して既に過飽和の事態にある。まずは、弁護士の増加に歯止めを掛けなければ、弁護士の経済的な逼迫の進行が人権課題への取り組みを不可能にする。その対策が喫緊の課題と強調する候補者。
(2) 若手弁護士の業務支援への理解と実績を誇り、非弁対策問題、隣接士業との業際問題で、弁護士の利益を擁護してきたことを強調する候補者。
(3) そして、立憲主義・平和主義と基本的人権の擁護を政策の第一に掲げる候補者。
弁護士の使命は人権の擁護にあり、弁護士がその使命を果たすための制度的な保障として弁護士自治がある。弁護士が権力から独立し、民衆の側に立って、権力の暴走による民衆の自由や人権を擁護する活動のためには、弁護士自治が保障されなければならない。
弁護士の自治は、けっして永遠不滅のものではない。保守政権にとっては、目の上のコブであるこの制度は、潰せるものなら潰してしまいたいに違いない。ちょうど、学問の自由が政権運営への桎梏であるように。
日本学術会議を潰しにかかっている現政権である。折りあらば弁護士自治にも牙を剥くであろうことは、不思議ではない。だから、弁護士は国民からの信頼を勝ち得なければならない。その意味で、弁護士会の選挙は国民的な関心事でなければならない。
全員加盟制の弁護士会である。だからこそ合意形成は難しいが、だからこその発言は法律専門家集団としての重みをもつことになる。
私が所属する東京弁護士会の会長選・副会長選も始まっており、候補者からの選挙葉書が届いている。概ね、その言や良し、である。主要なキャッチフレーズとして、「憲法とともにある弁護士会に」「足もとの弁護士自治にかがやきを」「弁護士自治を堅持し、多様性を増進する」「人権と社会正義を実現する東弁」「憲法価値の尊重・人権問題への取り組み・弁護士自治の堅持」等々の言葉が並んでいる。
このような理念の訴えが、まだ選挙公約として有効なのだ。この弁護士会全体の雰囲気を大切にしたいものと思う。弁護士会が理念を失って職能の利益団体と化すれば、たちまちにして国民の信頼を失うことになろう。それは、民主主義や人権にとっての由々しき事態。心したいものと思う。
(2022年1月28日)
あいちトリエンナーレ展の展示を「不敬」として、その責任を問おうというのが愛知県大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動。先頭に立って旗を振ったのが高須克也、その後ろにくっついたのが河村たかし。そして実務を担当したのが維新の田中孝博である。いま田中は起訴されて有罪判決を待つ身であるが、高須と河村は全ての責任を田中にかぶせて「オレは知らん」「オレは被害者」というスタンス。維新も、無関係を決めこんで知らん顔。麗しき友情の哀れな末路。
先頭に立って旗を振った者人を煽動した者には相応の責任があるはずだが、彼らの逃げ方は、彼らが神聖視する裕仁を手本にしたもの。「開戦の詔勅は出したが、あれは自分の意思ではなかった」「皇軍が何をしたかオレは知らん」、だから「オレに責任はない」というわけだ。
高須らが振った旗に共鳴し煽動されて、リコール運動に加わり『不正署名の請求代表者』の一人となった活動家が、リーダーたちの姿勢に業を煮やして、民事訴訟を提起した。1月25日、名古屋地裁(斎藤毅裁判長)その判決があり、《「“不正署名の請求代表者”で精神的苦痛」知事リコール運動の参加男性が損害賠償求めた裁判 男性の訴え棄却》と報道されている。
訴えを起こしていたのは、大村知事へのリコール運動で請求代表者を務めた男性(73)。この男性は、署名偽造事件のために、社会から「不正署名をした請求代表者」というレッテルを貼られて精神的苦痛を受けたなどと主張。リコール団体と代表の高須克弥、事務局長の田中孝博被告(60)らに対し、500万円の損害賠償を求めていた。
この請求を棄却した名古屋地裁判決は、「男性が不快感などを覚えた事実は認められるものの、法律上保護される利益が侵害されたとはいえない」「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』と指摘。署名偽造という不法行為をしたとしても、男性の権利が侵害されたとは認められないと判断した」と報じられている。
報道だけでは、判決の論理がどうにも分かりにくい。「被告らが署名偽造という不法行為(おそらくは違法行為のまちがいだろう)をしたとしても、原告となった男性の権利が侵害されたとは認められない」のは、余りに当然のこと。原告がそんな主張をしていたはずはない。
これまで報道されてきた請求の原因は、「誘われたリコール運動に参加したところ、世間から『不正署名をした』と責められ精神的苦痛を受けた}ということ。少し整理をしてみれば、「被告らが、大宣伝をして原告をはじめとする多数活動家をリコール活動への参加を誘い、誘われた原告が真面目にリコール活動に従事したにもかかわらず、被告らが犯罪行為に及んだために、原告までが犯罪者集団の一味と社会的指弾を受けるに至って、精神的苦痛に苛まれた」というものであろう。違法行為の本筋は、被告らが原告を犯罪行為に巻き込んだことにある。
敗訴の原告は控訴する方針とのこと。あらためて、高須・河村・田中らの責任を厳しく追及していただきたい。
トンチンカンなのは、判決についての高須のコメントである。「高須氏は代理人を通じ『主張を全面的に認めていただきありがたく思っている』とのコメントを出した」という。へ?え。あなたの主張は、「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』から、署名偽造という不法行為があっても、原告の権利が侵害されたとは認められない」ということだったのか。
こんないい加減なリーダーが振った旗に惑わされ踊らされた人々が哀れである。ちょうど、裕仁を神と教えられ裕仁に盲従して不幸を背負い込んだ、かつての臣民たちと同様に。
(2022年1月27日)
内外のニュースに接していると、人類は急速に退化しているのでないかと疑問を持たざるを得ない。日本だけでなく、あの国もこの国もなんと情けないことか。どこかに未来への希望はないものか。コスタリカや北欧・バルト3国などを思い描いていたところ、突如として新生チリが希望の星として現れた。しばらく、チリから目を離せない。
先月の19日、チリ大統領選の決選投票で、左派のガブリエル・ボリッチが極右の対立候補ホセ・アントニオ・カストを破って当選した。本年3月11日に、35歳の新大統領が誕生し、その政権が発足する。ボリッチは元チリ大学の学生運動のリーダーだった人物。その基本政策は、新自由主義との決別、格差是正、地方分権、福祉、ジェンダー平等、先住民の権利擁護など。年金や健康保険改革を進め、労働時間を週45時間から40時間に減らし、環境への投資を増やすなどと具体的な公約を掲げているという。
今月21日、ボリッチ新政権の閣僚24人が発表された。30代が7人、40代が4人と若く、女性が14人、過半数を占める。「フェミニズムの政府」を作るという公約の実行だという。
24人の閣僚の内訳は、左派連合から12人、中道左派連合から5人、無所属が7人と色分けされている。ボリッチ自身の所属する政党は左派連合に属する社会収束党。この政党から5人が入閣する。左派連合にはチリ共産党も加わっており、3人が入閣。その中の一人、カミラ・バジェホが内閣官房長官に就任する。33歳の女性で、閣僚名簿の発表式には、幼い一人娘の手を引いて登壇している。権威主義やら、エリート臭やらスノビズムとは無縁。学園祭のノリと雰囲気ではないか。日本では天皇の認証が必要と言えば、そのバカバカしさに嗤われそう。新しいものが生まれる予感がする。
もう半世紀も前のことだが、チリのサルバドル・アジェンデ政権が、世界の「民主主義革命」の旗手だった。自由な選挙を通じて、真に貧困や格差を克服する社会を実現できるのではないか。その希望は、突如野蛮な軍事クーデターで覆された。クーデターの首謀者は憎むべきピノチェット、その背後にアメリカがいた。アジェンデは、クーデター軍からの銃撃を受けつつも、最後まで国民に向けたラジオ演説を続けて命を落とした。1973年9月11日のことである。
中道左派連合からボリッチ政権に入閣し、国防相に就任するのがマヤ・フェルナンデス。この人が、かのサルバドル・アジェンデ大統領の孫に当たる人で、下院議員議長を務めた経験もあるという。
ボリッチ次期大統領は「今日、民主主義の新たな道が始まる、私たち政府の使命は非常に明確で、国民の正義と尊厳が守られるように変化と変革を促進することだ」とコメントした。選挙戦では、富裕層や鉱山会社への増税で社会保障の充実を図る考えを示している。
アジェンデを殺害したピノチェットは、自ら政権を握ると、シカゴ学派のエコノミストにしたがって、新自由主義経済政策を採用した。その結果としてのチリ社会の貧困格差である。新政権は、これとの決別を明言している。新自由主義から福祉国家へ転換の壮大な実験が始まる。その成果に期待したい。
ひるがえって、我が国の野党間の連携の課題に思いをいたざるを得ない。チリでは、共産党を含む左派連合12人、中道左派連合5人、無所属7人から成る「連合政権」の樹立が可能なのだ。対右派統一戦線的大統領選挙の協力が可能で、その大統領選を通じての信頼関係の形成が、連立内閣を作った。芳野友子のごとき、反共主義者の妨害はなかったようだ。
チリの新政権に学ぶべきは多々あると思う。敬意をもって見つめ続けようと思う。
(2022年1月26日)
昨日(1月25日)、習近平とトーマス・バッハが北京(釣魚台国賓館)で会談したという。かたや権力欲の巨魁、こなた商業主義の権化。それぞれが腹に一物の醜悪な相寄る魂。その両者が五輪利用の思惑では一致しての、持ちつ持たれつ。
習近平にとっては「中華人民共和国の、中国共産党による、習近平自身のための北京五輪」であり、ボッタクリ・バッハにとっては「カネの、カネによる、さらなる儲けのための北京五輪」なのだ。民衆は、脇役としてさえ出る幕がない。
会談で、習は「コロナ対応の徹底ぶりをアピール。選手や関係者の健康を守ることに自信を示した」と報じられている。コロナ対応現場の担当者はさぞや気の重いことだろう。バッハは、習におもねって、「北京五輪は幅広い支持を十分に得ている。国際社会もスポーツの政治化には反対している」と述べたそうだ。
そりゃ間違いだ。正しくは「北京五輪にたいする国際世論の風当たりが厳しいが、我々の権力とカネの力とを共同すれば恐くない。お互い、がんばって世論の批判をはねのけよう」と言うべきだった。そして、「この際、国際世論には『スポーツの政治化反対』と悪罵を投げつけ、実のところは徹底したスポーツの政治化で、北京オリンピックを権力浮揚と金儲けのイベントとして成功させよう」が正しい言葉づかいだ。
その北京五輪開幕まで、あと9日。大会関係者は、コロナ対策に懸命のご様子。なにせ、ゼロコロナの成功に党と習との威信がかかっているのだ。失敗すると、秋の党大会での習の3期目が吹き飛ぶ。
昨日(1月25日)APが現地から伝えるところでは、
「北京市内で新型コロナウイルスの新規感染者が確認されたため、該当する行政区に住む約200万人全員にPCR検査が命じられた。豊台区で25例、その他の区で14例の新規感染者が確認されたことを受けて、北京市当局は、感染リスクが高いと思われる行政区の全住民に対して、首都を離れないよう命じた。
2月4日に迫った北京五輪の開幕を前に、中国共産党は感染者全員の隔離を目指して、「感染者ゼロ」対策の実施をさらに強化。そのため、冬季五輪はアスリート、スタッフ、報道関係者など全員を住民から隔離する厳格な管理下で開催され、選手全員は入国時にワクチン接種を受けるか、隔離されることになる。」
そんなにまでしての五輪、どこにやる意味があるというのか。すっぱりと、やめた方が良かろう。選手役員をバブルに詰め込み、習近平もお一人用のバブルに閉じ込めての、長丁場のオリパラ。いつ、どこで、どんなことが起きるやら。
共産党政権によるゼロコロナ政策の強権的な押し付けに、中国の民衆は唯々諾々と従っているかのようだ。傍目には痛々しく映るばかり。これに対して、欧米ではワクチン強制反対運動が活発化している。
ワクチン強制反対派の主張の根拠は、自己決定権にある。いかなる医療を受けるか、あるいは拒否するか、その可否を決定する主体は自己以外にはなく、権力的強制を受ける筋合いはない、というシンプルなもの。
これに対して、自己決定権も公共の利益に譲らなければならないとするのが、ワクチン強制許容派の言い分となる。説得による同意が得られない場合、強制ができるか。微妙な問題となる。
最初に目立った動きが出たのは、オーストリアだった。先月(12月)9日、オーストリア政府はワクチン接種の義務化に関する法案を発表した。妊婦などの例外を除く14歳以上の全国民に、ワクチン接種を義務付け、違反者には罰金を科すというもの。
この法案に対して、同月11日には、首都ウィーンの道路を埋め尽くすほどの人々が抗議デモを行ったという。その数、およそ4万4000人。プラカードに書かれたスローガンは、「強制接種はファシズム」だった。
今年にはいってからは、米連邦最高裁の「企業へワクチン接種義務化措置差し止め命令」が話題となった。バイデン政権が、企業に新型コロナウイルスワクチンの接種を義務化した措置について、各州政府からの違憲を根拠とする差し止めの訴えが提起され、今月13日連邦最高裁判所は、連邦政府の機関の権限を逸脱しているとして、差し止めを命じている。これは、バイデン政権にとって、大きな痛手と報じられている。
そして、欧州連合(EU)が本部を置くベルギー・ブリュッセルで23日、新型コロナウイルスのワクチン接種の強制やこれに伴う規制に抗議する約5万人(警察推定)のデモが行われた。
さらにフランスである。1月24日の月曜日から、フランスでは「ワクチンパス」が施行されることとなった。これが、実質的なワクチン接種強制であるとして、5万を超える人々が抗議と反対の意思を示すデモに参加した。
問われているのは、徹底した個人主義の当否である。自分の主人公は自分自身であって、自分が納得できることには従うが、他から強制されて納得できない薬物を自身の体内に注入させるようなことは絶対にあり得ない、という強烈な個人主義。
個人主義の対義語は、いうまでもなく「全体主義」である。だからこそ、ワクチン強制反対派のスローガンが「強制接種はファシズム」となる。私は、このワクチン強制反対派の心情や主張に首肯するところ大きいが、断乎北京五輪成功に突っ走っている中国共産党には聞く耳はないだろう。今なお、習近平共産党を支持している人々にも。
(2022年1月25日)
1月20日であったという山田さんの逝去を知ったのは、日本国民救援会からの「訃報」のメール。都本部、文京支部へと転送されての今日のこと。1928年1月のお生まれだから、94歳での大往生ということになる。「日本国民救援会中央本部事務局長、副会長、会長を歴任し、長年にわたって救援運動にご尽力いただいた山田善二郎さんが永眠されました」「50年以上にわたり、国民救援会の専従者・役員として運動をけん引されました」「葬儀については、現時点で不明です」とある。
国民救援会の「訃報」は、山田さんについて、「戦後間もないころに陸軍情報機関(CIC)や、特殊諜報機関(通称キャノン機関)、横須賀のアメリカ海軍基地などで日本人の従業員として勤務し、キャノン機関に拉致・監禁された作家・鹿地亘の救出に関与され、これを機に国民救援会の専従となりました」と紹介している。
戦後史の一ページに特異な位置を占める、キャノン機関による反戦作家・鹿地亘の拉致監禁事件。その救出劇の立役者が山田善二郎さんだった。そして、山田さんは、私が弁護士となったきっかけを作った方でもある。以前にもこのブログに書いたことがあるが、あらためて書き留めておきたい。1963年の晩春か初夏の出来事。ほぼ60年も以前の、昔話である。
私は東大教養学部の1年生で、学部キャンバス内の駒場寮に起居していた。その「北寮3階・中国研究会」に割り当てられていた居室の記憶が今なお鮮やかである。私は仕送りのない典型的な苦学生で、確か一か月90円だつた寮費の生活をありがたいと思っていた。その部屋のペンキの匂いまで覚えている。
ある夜、その寮室の扉を叩いて集会参加を呼びかける者があった。「これから寮内の集会室で白鳥事件の報告会があるから関心のある者は集まれ」ということだった。白鳥事件とは、札幌の公安担当警察官・白鳥一雄警部が、路上で射殺された事件である。事件が起こったのは1952年の厳冬。当時武闘方針をとっていた共産党の仕業として、札幌の党幹部が逮捕され有罪となった。これが実は冤罪であるとして、再審請求の支援活動が市民運動として盛り上がりを見せていた。
そのころ、私は毎晩家庭教師のアルバイトをしており、帰寮は常に遅かった。集会の始まりは深夜といってよい時刻だったと思う。なんとなく参加した、薄暗い電灯の下での少人数の深夜の集会。その報告者の中に、若手弁護士としての安達十郎さんと、まだ30代だった国民救援会の専従・山田善二郎さんがいた。もちろん私は両者とも初対面。自由法曹団も、国民救援会についても殆ど知らなかった。
具体的な会合の内容までは記憶にない。格別にその場で劇的な出来事があったわけではない。しかし、そこで初めて、弁護士が受任事件について情熱を込めて語るのを聞いた。私はその集会をきっかけに、山田さんを介して国民救援会と近しくなった。札幌での白鳥事件の現地調査に参加し、駒場での松川守る会の活動にも参加し、さらには山田さんに誘われて鹿地亘事件対策協議会の事務局を担当した。そこで何人かの弁護士にも出会って、やがて弁護士を志すことにになる。
山田さんの人生の転機となった、「鹿地亘、拉致監禁と救出事件」については、下記のURLをぜひご覧いただきたい。手に汗握る、実話なのだから。
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2019122702000240.html
生涯を決めた「決断」に至るまで
─山田善二郎著「決断」を読む─
弁護士 上 田 誠 吉
https://www.jlaf.jp/old/tsushin/2000/995.html
また、事件の全容が、鹿地・山田両名出席の1952年12月10日衆院法務委員会議事録で読むことができる。こちらも、どうぞ。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101505206X01019521210
多くの人との出会いの積み重ねで、自分が今の自分としてある。安達十郎弁護士と山田善二郎さんには、大いに感謝しなければならない。なお、駒場寮の存在にも感謝したいが、いま駒場のキャンパスに寮はなくなっている。寂しい限りと言わざるを得ない。
さて、占領期には、下山・三鷹・松川を始めとする数々の政治的謀略事件があった。占領軍の仕業と言われながらも、真犯人が突き止められてはいない。その中で、鹿地事件は、米軍の謀略組織の仕業だということが確認された稀有の事件である。占領末期、キャノン機関といわれる「GHQ直属の秘密工作機関」が、著名な日本人作家鹿地亘を拉致して1年余も監禁を続け、独立後の国会審議で事態が明るみに出たことから解放した。その命がけの解放劇の立役者が、山田善二郎さんだった。
偶然にも監禁された鹿地に接触した山田さんの決死の救助行動がなければ、鹿地は行方不明のまま消されていただろう。すべては闇に葬られたはずなのだ。
当然のことながら、これは米占領軍に限った非道ではない。「民主主義の国・米国でさえもこんな汚れたことをした」と考えなければならない。戦争・軍隊にはこのような陰の組織や行動が付きものなのだ。
戦争のそれぞれの面の実相を語る「貴重な生き証人」だった山田善二郎さんの紹介記事を引用しておきたい。「法と民主主義」2003年7月号【380号】の「とっておきの一枚」から。
善なる者の軌跡 ?惻隠の心あふるるばかり
国民救援会会長:山田善二郎さん
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)
一九五一年一二月二日
「内山様 信念を守って死にます。
時計は一時を 鹿地
看守の方に ご迷惑をお詫びします」
「なんて書いてあるのか読んでくれと」と、二世の光田軍曹から渡された紙片の文字を、わたしはゆっくりと声を上げて読んだ。一字一句、噛みしめるように詠みあげながら、わたしは、言いようのない何かに激しく心をつき動かされた。その人の姓と思われる「鹿地」の読みは、相撲取りの鹿島灘や、終戦をそこで迎えた鈴鹿海軍航空隊から、ごく自然に「カジ」と読んだ。人びとの寝静まった深夜、誰一人みとる者もいない寒々とした部屋に監禁されたその人物は、「鹿地」という名を残して自殺をはかったのだった。「余計なことをしてくれたものだ」とでも考えているのだろうか、光田は、無造作にその紙切れをポケットにねじ込んだ。「ここにいてくれ」無表情なまま言い捨てて、わたしだけを残して、自殺未遂に終わったその人の汚れた衣類などをまとめて外に出て、裏庭でガソリンを振りかけて燃やしてしまった。焼けかすが黒く残っていた。その人は、二〇畳ほどの畳をはがしてリノリウムをはった部屋の中にポツンと置かれた軍用ベットの上で気を失って横たわっていた。部屋の中央のシャンデリア風の電灯は、その人が首を吊った時にもぎ取れ、床に転がっていた。薄暗く、ひんやりとした部屋。意識を失ったその人の口から流れてくる汚物を拭きとり、洗面所で洗い流したわたしの手は、突き刺されるように冷たく痛かった。建物の周辺を取り囲むように植えられていた、十数本のヒマラヤ杉の茂った葉のあいだから、かすかに差し込んでくる日の光に手を当ててこすりながら、光田のもどるのを待っていた。
(決断ー謀略・鹿地事件とわたし)
山田善二郎さん23才コック、占領軍総司令部参謀の諜報機関キャノン機関に拉致された反戦作家鹿地亘四八才、場所は米軍に接収された川崎市新丸子の東京銀行川崎グラブ。私は山田善二郎さんが50年を経て書いたこの本を途中で置くことが出来なかった。冒頭の一章から息を呑むような場面が続く。迫りくる諜報機関の黒い手、善二郎青年のとまどいと正義感、突き動かす思いと関わる人びと。時代の匂いと「間一髪の歴史のほほえみ」が見事に描き出されている。善二郎さんの原点はここにある。そして彼の書き手としての力量、事実を見る目の確かさはどこで作られたのだろうか。
善二郎さんの父親は陸軍省の下級公務員だった。住まいは杉並区の天沼、七人子供を薄給で育てるのは容易でなく山田家はいつも貧乏だった。尋常小学校を卒業したら兄のように高等小学校にいき一家の働き手になるつもりだった。小学校で江藤价泰さんと同級生だったと言う。「僕はぼんくらだったけど江藤さんは秀才で」担任の先生は善二郎少年に東京市立第一中学の夜間部、九段中への進学を勧めた。入学試験に合格、昼間は給仕として働きながら学校に通っていた。九段中学は靖国神社の隣にあった。軍国少年は日本の戦況に一喜一憂「1943年5月戦局が傾き始めると、押さえがたい憂国の念にかられたものだった」。ついに七つボタンに憧れ、親に内緒で海軍の予科練を志願する。最年少15才合格、中学4年一学期であった。1年で予科練を卒業、飛行練習生として鈴鹿海軍航空隊に移転。練習飛行の燃料も無くなりアメリカ空軍の空爆も激しくなって、「飛行場では、練習機に爆弾を積んだ特攻隊を見送るようになっていた」。1945年8月、農村の神社に疎開して防空壕を掘っていたとき天皇の「詔勅」を聞く。「ラジオのガーガーピーピーの雑音の中に天皇の甲高い声が混じっていたが、なにをしゃべっているのかさっぱりわからなかった」
頭の中は軍国主義のまま善二郎青年は生きるために進駐軍の仕事を始める。「エンプロイ ミイ アズ ウエーター」初めて米兵と交わした言葉である。その後キャノン機関のボス ジャック・Y・キャノンに会うのである。「まじめに働けば、良い職場を探してやる」とのキャノンの甘い言葉に乗る善二郎青年。キャノンの家族のコックとなった。なかなか器用な善二郎青年パーティ料理まで作ったという。誠実で働き者、優秀な彼をキャノンは重宝したに違いない。1950年6月朝鮮戦争が勃発、しばらくしてキャノンがピストルで撃たれて重傷を負う。1951年キャノンは帰国。善二郎青年は米軍諜報機関の日本人従業員として働き続けた。山田家では、長男は戦争から帰らず、長女は子どもを産んだ直後に結核で死亡、脳腫瘍で重複障害になったその子を引き取っていた。家計は妹弟達を含め善二郎青年の双肩に掛かっていた。両親に給料袋を差し出すと母は「ありがとう。ありがとう。」と拝むように受け取って仏壇に供えたと言う。
自分も消されるかもしれない恐怖、一家の糧を失う不安の中で善二郎青年は鹿地の手紙を密かに届け続ける。届け先は内山完造。1952年6月善二郎青年はアメリカの秘密機関から脱出する。元キャノン機関のエイジェントとして活動した松本政喜は「山田を消してくれ」と光田軍曹からピストルを渡されていた。12月6日、猪俣浩二代議士の自宅で乾坤一擲の記者会見、翌七日鹿地は明治神宮外苑絵画館近くで解放される。生き証人善二郎青年は時の人となり、命は落とさずにすんだ。
この時から善二郎青年は国民救援会を知り、活動をともにするようになる。そこで活動している人々の一途な姿に魅了された。特に難波英夫は善二郎青年の師となる。50年間善ちゃんは「スティック ツウ ユアー ブッシュ“食らいついたら離れるな”」の精神で救援会を支えてきた。支援する人と同じ地平で「おっかさんの気持ちで接することが大切だ」難波さんの口癖である。おっかさんは我が子を絶対的に信じ無私の精神で支える。その存在自体を愛おしむ。善ちゃんは何人のひとの母となったのだろうか。
「小さくやせ細った平沢貞道が、拘置所の面会室の金網の向こうから、仏様を拝むように両手を合わせてこちらに向かい、『ありがとうございます』と深々と頭を下げて礼を述べた。…1987年八王子医療刑務所で95才の生涯を閉じる。」無実の死刑囚の再審事件は力及ばないときはその死を招く。無実が晴れないうちに命つきる多くの人を善ちゃんは無念の思いで送った。
75才になる善ちゃんはいつも強く人に優しい。この素朴な暖かさは救援会の筋金入りである。
山田善二郎
1928年新潟県三条市に生まれる
1946年キヤノン機関勤務
1992年日本国民救援会会長に選出
2022年1月20日 逝去
(2022年1月24日)
岸本洋平さん、あなたの渾身の奮闘に敬意を表します。そして、岸本さんを市長にと投票された1万4439人の名護市民の皆様、本当にご苦労様でした。
選挙の結果はなんとも残念でした。もし勝利していたら、どんなにか日本中のみんなが喜んだことでしょう。でも、結果以上に闘うこと自体が大きな意味をもつこともあります。岸本さんと支援の皆様方の毅然とした姿勢が、日本中の多くの人たちの励ましとなりました。
「所詮大きなものには勝てっこない。勝てない無駄な闘いはせぬのが利口。不利な闘いをするよりは勝つ方に付くのが得に決まっている。勝つ方に付いて取れるものを少しでも多く取るのが処世の常道。『長いものには巻かれよ』というではないか」。こんな考えに染まらず、『一寸の虫にも五分の魂』を見せていただいたのが、岸本洋平さんたちの闘いでした。
岸本洋平さんと支持者の皆様。あなた方の志には、人を感動させるものがあります。故郷の美ら海を孫子に伝えよう、誇るべき自然環境を守ろう、あの戦争の記憶を教訓に平和を守ろう、米軍基地がもたらす様々なトラブルから故郷の平和な暮らしを守ろう。それは、誰にも通じる思い、誰にも共感できる願いです。
私には、渡具知さんたちが当選してバンザイと言っているその姿に大きな違和感があります。その気持が理解できないのです。おそらく彼らの胸の内には、当選してもなお整理の付かない忸怩たる思いがあるに違いないのです。彼らには大義がありません。ただ政権が投げて寄こしたアメにたかろうというのですから。
私は、この選挙に政治の理想と現実を見る思いがします。政治には理想が必要です。理念が欠かせません。岸本さん、あなた方は理念を掲げました。それは自然環境の持続性であり、平和に生きる権利であり、本当の意味での住民自治の思想でした。それに対して、渡具知さんたちは現実を選択しました。「米軍再編交付金の給付なければ、地域振興も住民福祉も成り立たないではないか」という現実。しかし、その現実は孫子の代までに及ぶ大きな負の遺産とセットになったもの。結局は、中央政府の強権ににひれ伏したのです。
この局面では、理想を選んだあなたたちは、現実を選択した彼らに敗れました。しかし、その闘いは、けっして終わっていません。まだまだ長い闘いは続くことになります。
この大切な選挙挙戦の敗北が明らかになった昨夜の午後10時過ぎ、雨の中の静まり返った選挙事務所で、岸本さんは赤いネクタイを締め直し、支持者に深々と頭を下げ、「結果を重く受け止める。私の力不足」と声を絞り出したと報じられています。そのうえで、辺野古の新基地建設については「民意は反対だったと受け止めている」と言い切ったとも。
「オール沖縄」の象徴だった、故翁長雄志前知事の妻樹子さんはこう言ったそうではありませんか。「相手は辺野古を受け入れると言って当選していない。この選挙結果は辺野古についての民意ではない。そう、政府は自覚してほしい」と。
玉城デニー知事も同じです。記者団に「新基地問題に何の懸念もない。軟弱地盤を抱える工事で完成は不可能だ」という従来の姿勢を崩さなかった、と。
重苦しい、大事な選挙の敗北ですが、飽くまで長い闘いの一局面。岸本さんには、これからの新基地建設反対闘争の新しいリーダーとしてのご活躍を期待いたします。
本土の私たちも、非力ではありますが、精一杯の応援をしたいと思います。けっして他人事としてではなく、そうです、自らの問題として。
(2022年1月23日)
核兵器禁止条約は、昨年1月22日に発効した。それから1年である。条約の批准国・地域は現在59。この3月には、オーストリア・ウィーンで第1回締約国会議が開かれる。日本は唯一の「戦争被爆国」として、この条約への姿勢が問われている。当然にこの条約を締結すべきでもあり、少なくも締約国会議にオブザーバー参加をしなければならない。被爆者団体も、原水禁運動団体も、広島・長崎の市民も、国内の平和運動も、一斉に声を上げている。
核禁条約はあらゆる核軍備を違法とする内容である。初めて、核兵器の開発、実験、生産、保有、使用などを全面的に禁じた画期的な内容。国連加盟の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。世界の122か国が賛成して採択されたこの条約を日本が批准できなはずはない。いや、日本がこの条約に背を向けることは許されない。締約国以外では、ドイツがオブザーバー参加する方針を表明して話題となっている。日本政府も決断すべきだ。
岸田首相や林外相の言うところは、「(核禁条約は)核兵器のない世界に向けての出口にあたる重要な条約だ」との認識を示しつつ、「世界最大の核兵器国である米国を動かすことを日本としてやらなければならない」「核兵器保有国が1カ国も参加していない。最終的なゴールを目指すには、核を持っている国と持っていない国がしっかりと話をしていくことが重要だ」というだけのことである。核禁条約に加盟できない理由になっていない。
「核禁条約に米国が入っていない。核兵器保有国が1カ国も参加していない。だから日本も参加できない」はまったく理解不能である。日本が締約国になって、国民の核廃絶の大きな世論を背景に、核保有国との協議を続ければよいではないか。それができないとする考えは理解しがたい。
岸田内閣は、核禁条約は敬遠して、核不拡散条約(NPT)大事に執着しているようだが、とうてい納得できない。かつて部分核停条約ができたとき、その平和への一歩前進は、大きく評価された。しかし、部分核停条約からNPTに至る国際条約は、核保有大国の核兵器所持を合法化する側面を持ち続けてきた。それでよいはずはなかろう。
今、日本の政府が、核不拡散条約(NPT)体制擁護に固執して、核超大国の核独占合法化を支援すべきときではない。なすべきことは、《核保有独占を許容する核不拡散条約(NPT)の島》から、《核廃絶の理念に立った核禁条約の島》に、橋を渡して移らねばならない。いつまでも、核保有国と一緒に《不拡散条約(NPT)の島》に留まっていては、この先導役を果たすことはできない。理想を示す先に、自らの位置を置くべきが当然ではないか。
昨日は、各地で、被爆者団体、平和運動体が、「核兵器禁止条約に全世界の参加を」と訴え、日本政府の署名・批准などを求める声明を発表した。「最も被害を知る日本が世界に向けて発信しなければ、核兵器廃絶はできない」と声を上げている。
岸田首相にはこの声が聞こえないのだろうか。このことに関しては聞く耳はなく、聞く力もないというのだろうか。核保有国の声だけに耳を傾けていては、政権もたないことを知らないのだろうか。
(2022年1月22日)
早いもので、名護市長選挙の投開票が明日(1月23日)となった。選挙は、民意反映の手続だが、この民意の何たるかは必ずしも選挙結果のとおりのものではない。名護市民の新基地建設反対世論は、賛成派を圧倒している。これが最大争点である以上、本来はオール沖縄派の岸本ようへい候補の圧勝である。
ところが、政権は基地負担を地元に押し付ける見返りとして、地元に交付金・助成金をばらまいている。渡具知候補が勝てば、このばらまきで引き続き地元が潤う、岸本が勝てばこのバラマキはストップだという脅しと誘導がかけられている。
カネで選挙がゆがめられてはならないというのが、民主主義の大原則である。にもかかわらず、名護の選挙は完全に札束で選挙民をひっぱたいての選挙になっている。これでもなお、公正な選挙なのか。カネでゆがめられた投票行動は本当に「民意」反映の機会なのか。
そのハンディを背負っての選挙戦であり、明日の投開票である。清々しい、「本当の民意」の勝利の報を待ちたい。
もう一つ、選挙についての話題に触れておきたい。今夏の参院選に対する連合の方針に関しての問題である。昨夕の朝日新聞デジタル記事の見出しが、「『なんて乱暴な』立憲幹部は絶句 連合の野党離れ、なくした政治の軸」という見出し。
例の芳野友子率いる連合本部が今夏の参院選に向けた方針(案)を出した。支援政党を明記せず、支援しない政党だけを明記した。唯一の非支援政党とは、自民党でも維新でもなく、労働者の党を名乗る日本共産党のことである。日本共産党を支援しないというだけではなく、日本共産党と連携する候補者を一切支援しないとする基本方針案をまとめたという。
恐るべき反共主義である。共産党を支援しないというだけではなく、露骨に共産党の共闘を妨害しようというのだ。なるほど、連合の新年交歓会に、岸田文雄が招かれるわけだ。連合とは、労働者の組織ではない。資本の手先、財界の犬、政権の回し者でしかない。
朝日の記事は、「なんて乱暴な……」。「連合の基本方針案を知った立憲幹部は絶句し、『今までのような共産との連携はできなくなり、新しい方法を考えないといけない。これで得をするのは自民党だけだ』とこぼした」というもの。
とはいうものの、連合には、傘下の労働者の投票行動を左右するだけの力量があるのだろうか。連合の推薦の有無が選挙結果を左右するほどの影響力を持つものだろうか。大政翼賛の時代でもあるまいし、労組組合の連合体が、こんな露骨に反共主義を剥き出しにして、組織がもつのだろうか。むしろ、分裂の気運が盛り上がることになるのではなかろうか。
読売の報道では、「連合、参院選の支援政党明示せず…基本方針案『目的が異なる政党等と連携する候補者は推薦しない』」となっている。
もしかしたら連合は、日本共産党を買いかぶって、「連合は資本主義体制を大前提に組合員の労働条件向上だけを目的とするが、日本共産党は政治闘争至上主義の革命を目的とする集団として相容れない」と説明するのかも知れない。
しかし、ホンネのところはこうであろう。
「連合は恵まれた大企業正規労働者と公務員労働者の組織だ。だから、現自民党政権にベッタリくっついて楽に甘い汁を吸うことを目的としている。だから、政権にも資本にも最も厳しく敵対している日本共産党は、けっして連合の目的と相容れない存在なのだ」
自民党の元政調会長の亀井静香がこう批判しているという(『月刊日本』12月号)。これを、常識というべきであろう。
「立憲の支持母体の連合というのは、革新の仮面をかぶってるけど中身は自民党なんだよ。労使協調と言ってるだろう。経営者は自民党支持なんだから、結局自民党が勝つほうが今の労使協調体制を維持するのには都合がいいんだ。本当の労働者政党が政権を取ったら困ると思ってるんだよ」
連合は、労働者のために闘わないというだけではない。反共を唱えて、労働者のために闘おうという政党の足を引っ張って、積極的な妨害を企てているのだ。
連合も、今夏の参院選での「民意」反映を意識的にゆがめようという存在。民主主義に敵対する組織と言ってよい。このままの方針であれば、先は長くない。