「政府は、明日(7月1日)集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定に踏み切る方針」と、各紙が一斉に報道している。公明党が今日(30日)、行使容認に向けて党内の意見をとりまとめ、明日(1日)自民・公明両党の与党協議が成立して、即日政府が閣議決定するという段取り。さらにその後に、安倍首相が記者会見し、集団的自衛権の行使容認に踏み切る理由について説明するというスケジュール。
菅義偉官房長官の本日(6月30日)の記者会見では、「与党で調整ができれば、明日閣議決定を行いたい」と表明。自民、公明両党は、1日の閣議決定を目指し、正式合意前の意見集約を続行と報じられている。なお、官房長官は同じ改憲で、「政府として国民の生命・財産、国の安全を守るとの立場から、法制度の不備があるなら切れ目なくしっかり対応する」と強調し、憲法解釈変更の必要性を訴えた、という。
まだ、公明党の党内調整が完了したという報道には接してない。しかし、各紙が「公明党は本日(30日)午後に安全保障に関する合同会議を国会内で開催し、対応について幹部一任を取り付けたい考え」と報じている。また、「公明党は30日午後、外交安全保障・憲法両調査会合同会議を国会内で開き、行使を容認する方向で意見集約する。閣議決定に盛り込まれる武力行使の『歯止め』が厳格で、容認できると判断した」という報道もある。おそらくは、もう結論は出ている。問題として残されているのは、どのようにすれば「自民党から押し切られ陥落したのではない」という言い訳の形づくりができるか、それだけなのだ。
明日・2014年7月1日は、日本国憲法の歴史における恥辱の日となろう。立憲主義に大きな傷がつき、国民主権がないがしろにされ、恒久平和の理念に砂がかけられる。その罪を犯すグループの中心に位置するのが安倍晋三。それを囲んで右翼の徒党と化した自民党があり、自民党と心中を決めこんだ公明党がある。さらに右翼メディアと財界があり、そして、決して多数ではないが、積極消極に安倍を支持する国民がいる。
しかし、「立憲主義を尊重せよ」、「安倍政権による改憲クーデターを許すな」、「平和を守れ」、という世論は決して小さいものではない。政権にとっても、必ずしも成算があるわけではない危険な賭けに踏み切ったのだ。安倍よ、自公よ、右翼メディアよ、国民の良識を侮ってはならない。平和憲法を守れ、立憲主義を尊重せよという世論の厚みを見誤ってたことを思い知らねばならない。
明日は官邸に行こう。官邸の中にははいれなくとも、石の塀と鉄の扉の外から、抗議の声を届けよう。明日は、9時半?10時半(実行委員会と戦争をさせない1000人委員会)、12時15分?12時45分(憲法共同センター)、17時?18時半(実行委員会と1000人委員会)の官邸前集会が予定されている。時間の許す限り参加しよう。参加して、憲法をないがしろにすることについての抗議の意思を表明しよう。
また、内閣に、閣議の出席者に、自民党と公明党に、ファクスで電話で郵便で、抗議の意思を伝えよう。
明日は重要な日となるが、それでも解釈改憲は明日一日で完成するわけではない。新規立法や多くの関連法の改正が必要となる。国家安全保障基本法の上程もあるかも知れない。一つ一つの法案審議の過程が新たなせめぎ合いの舞台となる。集団的自衛権行使容認反対の運動は、特定秘密保護法反対運動の成果を引き継いでいる。この反対世論をさらに大きく強固なものとして行くことが王道だ。国民は、決して投票日だけの主権者ではない。
デモも、署名運動も、街頭宣伝も、パンフレットの配布も、ファクスも、電話も、投書も、ブログも、地方選挙も、床屋談義もコンパの議論も、世論調査も、そして一つ一つの集会も、一人ひとりの声を確実に社会に積み上げていく手段だ。平和のためではないか。億劫などと言ってはおられない。今なら、まだ声を上げることができる。手遅れにならないうちに、大きく声を揃えよう。「立憲主義を壊すな」「解釈改憲を許さない」「9条を守れ」「日本を戦争のできる国にしてならない」、そして「安倍内閣打倒」と。
(2014年6月30日)
解釈改憲の閣議決定を目前にして、ここ数日各紙が熱い。なかでも、毎日の熱さが群を抜いている。権力が暴走する今こそ、ジャーナリズムの本領を発揮すべき時ではないか。そのような気迫が伝わってくる。各界からの意見集約が質・量ともに充実しており、閣議決定案文や想定問題集などの資料の掲載も充実している。何よりも、立憲主義堅持の立場から集団的自衛権行使容認の閣議決定は認めがたいとする「社是」が紙面の隅々にまで感じられる。今、人に購読をお勧めするのは毎日新聞だ。
昨日(6月28日)の毎日社説はこの問題で2本。「集団的自衛権行使容認問題にかかる公明党の転換 『平和の党』どこへ行った」、そして「閣議決定案 9条改憲にほかならぬ」。
http://mainichi.jp/opinion/news/20140628k0000m070117000c.html
http://mainichi.jp/opinion/news/20140628k0000m070118000c.html
いずれもオーソドックスな姿勢で説得力ある明快な論旨。
続いて今日のトップは、世論調査の「集団的自衛権『反対』58%」「『説明不十分』8割」である。
「毎日新聞は27、28両日、全国世論調査を実施した。政府が近く集団的自衛権の行使を容認する方針となったことについて賛否を聞いたところ、『反対』が58%で、『賛成』の32%を上回った。政府・与党の説明が『不十分だ』とする人は81%で、『十分だ』とする人の11%を大きく上回った。安倍内閣の支持率は前回の5月調査より4ポイント低い45%。第2次安倍内閣発足以来、最低となった。不支持率は35%で前回調査より2ポイント増え、これまでで最も高くなった」という。
もう少し詳しく見てみると、「集団的自衛権の行使を容認『賛成』の32%」のなかで、「全面的に行使すべき」の意見は20%に過ぎないのに対して、「限定した内容にとどめるべき」の意見が74%である。
「また、安倍晋三首相が、行使を可能にすれば、他国が日本を攻撃することを思いとどまらせる『抑止力』になると説明していることについて尋ねたところ、抑止力になると『思う』と答えた人は27%にとどまり、『思わない』は62%だった。行使に反対する人のうちでは86%が抑止力になると『思わない』と答えた。首相は5月15日の記者会見で、行使容認で『あらゆる事態に対処できるからこそ、抑止力が高まり、紛争が回避される』と述べるなど、抑止力強化につながるとの考えを繰り返し説明しているが、国民への理解は十分には広がっていない」
「日本が集団的自衛権を行使できるようにした場合、他国の戦争に巻き込まれる恐れがあると思うか聞いたところ、『思う』が71%で、『思わない』の19%を大きく上回った。政府は行使を限定すると説明しているが、範囲が拡大して戦争につながることへの危機感が強いことがうかがえる」
そして何よりも、今回の憲法解釈の変更に、「賛成」は27%、反対が60%である。前回調査より、「賛成」は10ポイント減り、「反対」は6ポイント増えた。勝負あったというべきだろう。
にもかかわらず、安倍自民よ、何故こうまで無理を通そうとするのか。公明党よ、何故こうまで安倍政権に追随しなければならないのか。
ところで、本日の毎日朝刊は、小泉敬太論説委員顕名の社説を掲載している。「視点・集団的自衛権 司法の審査」というもの。
論旨は、「安倍政権の解釈改憲は司法審査に耐えられるはずがない」ということ。そして、「違憲判決の影響の深刻さは計り知れない」という警告である。
「集団的自衛権に基づき自衛隊が派遣されるような事態を迎え訴訟が起こされれば、司法判断が出ることになる。解釈変更が憲法上「適正」かどうかを最終判断する権限(違憲審査権)は最高裁にある。その時、違憲判決が出ないとは言い切れない」「政府・与党には、三権の一角を占める司法の場で、いずれ事後チェックを受けることを見据えた慎重で冷静な論議が欠けているのではないか」と問いかけている。
同論説は「今の裁判所に違憲判決を出せるはずがないと、政府・与党は高をくくってはいないか」という問いかけ。これがキーフレーズだ。政府・与党は明らかに「高をくくっている」。「最高裁が、集団的自衛権公使は違憲などという判決を出せるはずはない」と思い込んでいる。そう思い込ませた最高裁の罪は重い。権力多数派の憲法からの逸脱にブレーキをかけねばならない立場の最高裁が、あらかじめブレーキ役を放棄していると見くびられているのだ。
言うまでもなく、砂川事件最高裁大法廷判決(1959年)以来の「統治行為論」である。「高度の政治性を有しているテーマについては、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、司法審査権の範囲外」という司法の権限と責務を放棄する立場。
しかし、毎日論説は、「もし『統治行為論』が再び持ち出され、審査の対象とされないようでは司法の消極姿勢が問われるだろう」と批判する。その上で憲法学者の意見を借りて「違憲判決が出た場合の影響は計り知れない。自衛隊活動の正当性に疑念が深まり、賠償責任を負うなど政府が抱え込む訴訟リスクはあまりに大きい」と警告している。
そうだ。もし、集団的自衛権行使容認が閣議決定から各立法に進展し、現実に国民誰かの権利や法的利益の侵害の恐れが明らかになった時点では、遠慮なく提訴をしよう。弁護団だけでなく、多くの学者や元官僚の皆さんの力を借り、圧倒的多数の国民の声をバックに無数の違憲訴訟で、最高裁を動かそう。
法律家として、集団的自衛権行使を合憲という者はよもやあるまい。必要なのは、違憲判断に踏み切る裁判官の勇気だけなのだから。
(2014年6月29日)
お招きいただきありがとうございます。
憲法の視点から、「自主的団体の役割と課題」を語れという、滅多にないテーマでお話しする機会をいただいたことを感謝いたします。
私が物心ついたころには既に日本国憲法の世でありました。親の世代から平和のありがたさをくり返し教えられて、憲法を糧に育ってきました。中学校で初めて憲法を学びましたが、民主主義(国民主権)・平和・基本的人権という3者の理念を相互に「幸福な調和」をなすものとイメージしました。
戦前は、この3者ともなかったのです。民主主義の欠如が戦争を招いた。人権を抑圧することが戦争を可能とした。天皇のために死ぬことを尊しとする無人権国家に、民主主義が育つはずはない。という時代だったと言えましょう。
敗戦を機に世の中は変わりました。民主主義が徹底すれば、人権と平和を尊重する政治が行われる。人権の尊重は自ずと平和と豊かな民主々義をもたらす。不戦の誓いが、人権と民主主義の担保となる。そのように、漠然としたものではありましたが未来をとても明るいものとイメージした記憶です。
しかし、弁護士として仕事をするようになって、なかなかそうではないことの悩みを抱え続けて来ました。とりわけ、「人権vs.民主主義」の対立構造が重要です。この2者について、どのようにして調和をはかるべきか。その現実的・実践的課題に現在も直面しています。
私は、究極の憲法価値は「個人の尊厳」だと思っています。それ以外の民主主義・平和・法の支配・権力分立・司法の独立・教育の自由・地方自治‥等々は、それぞれ重要ではありますが、人権を実現するための手段的価値でしかない。そう考えています。
今日のお話しのテーマは、その尊厳の主体である「個人の人権」と「参加団体の民主主義」との関係の問題です。
この社会において、個人が無数の砂粒としての存在である限りは無力な存在と言わざるを得ません。支配に対する抵抗の術を持たず、個人の尊厳を実現する力がありません。任意に設計した集団や組織を形成し参加することによって初めて、自己の尊厳を実現すべき力量を獲得することになります。
一面、無力な個人が集団や組織を形成することによって自らの人権を擁護し伸長する実力を獲得するのですが、他面、集団や組織をかたちづくった途端に、できあがった集団や組織とその構成員との間における対立を背負い込むことになります。この宿命的な課題をどう捉えるべきでしょうか。
究極に「個人」と「国家」の対立構造があります。「人権の尊重」と「社会秩序維持の要請」の対立と言い換えてもよいと思います。いうまでもなく、日本国憲法は自由主義・個人主義の立場でできています。ですから、個人の尊重を究極の価値とし、国家の価値に優越するものとしています。とはいうものの、秩序の無視はできません。重んずべき秩序の内実を十分に見極めることが必要で、おそらくは「秩序」自体は憲法価値ではないけれど、秩序の維持を通して守ろうとしている人権の実体があるはずで、結局は人権対人権の価値の調整をしているのだと思います。
国家と個人の間に、無数の、多様な「中間団体」があります。個人の自立と並んで、中間団体の公権力からの自立が社会の民主的秩序形成に死活的に重要だと思います。自立した個人がつくる自立した自主団体が、「公権力の支配」からも「全体主義的な社会的同調圧力」からも自由であることの重要性はどんなに強調しても過ぎることはないと思うのです。
その反面、あらゆる中間団体が、構成員の自立や権利と対峙する側面をもつことになります。「民主的に形成された団体意思が、成員の思想・良心を制約する」ことです。つまり、民主主義が人権を制約するという問題です。私たちが、日常生活で常に経験する葛藤と言ってよいと思います。
その葛藤の中で、時に抜き差しならない具体的な問題が出てきて、大きな話題となることがあります。そのようなときに、問題の本質を考える手がかりを得ることになります。たとえば、著名な判決となっている次のような実例があります。
*八幡製鐵政治献金株主代表訴訟・最高裁大法廷判決(1970/6/24)
企業の特定政党への政治献金問題が許されるかという問題です。八幡製鐵の株主が、同社から自民党への350万円の政治献金を違法としての提訴でした。一審は、株主の主張を認めたのですが、高裁で逆転。最高裁は大法廷判決で上告を棄却しました。その理由として、「社会的実在たる法人は性質上許す限り自然人の行為をなしうる」という側面をのみ強調し、「会社が特定政党への政治献金をすることによって株主の思想信条を害することにならないか」という側面の吟味がないがしろにされています。「企業献金奨励判決だ」と、評判の悪い判決の代表格です。
*国労広島地本事件訴訟最高裁判決(1975/11/28)
「労働組合が特定の公職選挙立候補者の選挙運動の支援資金として徴収する臨時組合費について組合員は納付義務を負うか」という問題で、最高裁は否定の結論をくだしました。もとより、労働組合には、民主的な手続による組合の決定事項に関しては組合員に対する強制の権限があります。そのような統制なくして、企業と闘うことはできません。自分たちの要求を貫徹するために必要であれば政治的な決定もできます。民主的な手続を経て選挙の支援決議も可能です。しかし、その統制権限も、組合員の政治的思想を蹂躙することはできない、というのです。組合員の政党支持の自由こそが尊重されるべきで、労働組合が政党支持を決議することはできても、これを組合員に強制することはできない、という結論です。
*南九州税理士会政治献金事件・第3小法廷判決(1996/3/19)
南九州税理士会に所属していた税理士が、政治献金に充てられる「特別会費」を納入しなかったことを理由として、会員としての権利を停止されました。これを不服として、会の処置を違法と提訴した事件です。最高裁判所は、税理士会が参加を強制される組織であることを重視し、税理士会による政治献金を会の目的の範囲外としました。
次の理由の説示が注目されます。「特に、政党など(政治資金)規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり、これらの団体に寄付することは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである」
立派な画期的判決と言ってよいと思います。
私の問題整理の視点は、「団体の意思形成が可能か」「形成された団体意思が構成員を拘束できるか」と意識的に局面を2層に分けて考えることです。前者が団体意思形成における手続上の「民主主義」の問題で、後者が不可侵の「人権」の問題です。「民主的な手続を経た決議だから全構成員を拘束する」とは必ずしも言えないことが重要です。いかに民主的に決議が行われたとしても、そのような団体意思が構成員個人の思想・信条・良心・信仰などを制約することは許されない、ということです。
どんな団体も、その団体が結成された目的(厳密に定款や規約に書いてあることに限られませんが)の範囲では広く決議や行為をなしえます。が、成員の思想・信条・良心・信仰を制約することはできません。
私は、このことを「人権が民主主義に優越する」と結論して話しを終わらせたくありません。構成員の人権を顧みない乱暴な決議をするような団体運営があってはならないと思うのです。民主主義とは、決して多数決と同義ではありません。ましてや少数の意見を切り捨てることでもありません。徹底した意見交換の積み重ねによって、可能な限りメンバーの意見が反映されるような運営ができなければなりません。時間はかかり、面倒ではあっても、そのような組織運営の在り方が、その団体の連帯や団結を保障することになると考えます。
あらゆる自主的組織における「人権原理と民主主義との調和」は、組織の意思形成過程において徹底した組織内言論の自由、とりわけ幹部批判の自由を保障して論議を尽くすこと。その過程で、成員の思想・良心・信仰の自由に関わる問題については、十分な配慮がなされるはずではありませんか。
貴団体が、意識的にそのような組織運営をすることで世の模範となるならば、人権と民主主義との幸福な調和をもたらす社会の実現に大きな寄与をすることになるものと思います。ぜひ、そのような成果を上げていただきたいと切望する次第です。
(2014年6月28日)
本日(6月27日)の東京新聞のトップは、「集団的自衛権 公明代表が行使容認」である。とても分かりやすい記事となっている。公明党代表発言の変遷の経過と、その理不尽さ、そしてその影響の重大性が要領よくまとめられている。
公明党の山口那津男代表は、昨夜(26日)のNHK番組に出演して、「憲法解釈を変更し、他国を武力で守る集団的自衛権の行使を限定的に認める考えを表明した」。「山口氏が容認に言及したのは初めて」で、これで、自民公明両党の与党協議は近く合意する方向になった。政府は速やかに解釈改憲を閣議決定する方針で、「専守防衛に徹してきた日本の平和主義は大きな転換点を迎える」。
彼は番組で、「政府が国民の権利を守ろうとする場合には(自国を守る)個別的自衛権に近い形の集団的自衛権であれば、一部限定的に容認して国民を守り、国の存立を全うすることは許される余地があるのではないかと考えるようになった」と明言。「安全保障環境が大きく変わってきている」と理由を述べた。
また、与党協議で議論している「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」など、武力行使を認めるための新たな三要件については「『明白な危険』は客観的な概念だ。歯止めが利いている」と強調。閣議決定案概要の修正案が「自衛の措置」と位置づけたことも指摘し「二重三重の歯止めが利き、拡大解釈の恐れはないと思っている」と述べたそうだ。
これで、ムードはすっかり解釈改憲閣議決定が既定事実化したごとくである。各紙の夕刊は、「7月1日 与党合意」「同日にも閣議決定」と報じている。
ところで、さすがは東京新聞と思わせるのは、「集団的自衛権をめぐる公明党・山口代表の発言」の変遷の経過を目立つ囲みで明らかにしていること。
「4月23日 政府解釈の変更は、国民に何も聞かないで一方的にやることになるから、憲法の精神にもとる。」
「5月24日 国民や外国が受けとめてきた平和主義を方向転換するわけだから、憲法改正の手続を取るべきだ。」
いずれも正論である。まったくそのとおりだ。
おっしゃるとおり、「政府解釈の変更は、国民に何も聞かないで一方的にやること」だ。誰もがそう考える至極真っ当な認識。しかも、ことは憲法の根幹に関わる問題。解釈の変更に名を借りた実質的改憲というべき暴挙。これを国民の意見をまったく聞くことなく、一方的に時の政権限りでやってしまおうというのは掟破りにほかならない。憲法に縛られる立ち場にある内閣てはないか。その縛りが邪魔だとして実質において憲法を変えてしまおうというのだ。骨太のルール違反であり、96条の改正手続をパスしての姑息な邪道以外のなにものでもない。「憲法の精神にもとる」こと極まれり、というほかはない。政府の解釈改憲の意図をこのように論難すべきことに関して、4月23日以後今日まで何の事情の変化もない。
また、解釈改憲は「国民や外国が受けとめてきた平和主義を方向転換する」ことになる、というのもおっしゃるとおり。「平和主義の方向転換」とは、専守防衛路線を放擲して実質的な9条改憲に踏み切るということ。だから、「憲法改正の手続を取るべきだ」という山口意見はまっとうな感覚。96条に定められた改正の手続を経ずしてできるわけがない。ところが、今になって、この「憲法改正の手続ないままの平和主義の方向転換」に加担しようと言い出したのだ。
だから、公明党には、抗議が殺到しているという報道だ。東京新聞3面に、「反対貫いて・9条壊さないで」という内容で、「議員にファクス1日100通超も」と報じられている。
「与党協議メンバーのある議員の事務所には連日50通ほど、日によっては100通を超えるファクスが届く。厳しい言葉で(集団的自衛権行使容認)賛成に回らないように求める内容が多いという。衆院の中堅議員の事務所では、500通に上るファクスが山積みになっている」
「『個別的自衛権に近い形の集団的自衛権』であれば、一部限定的に容認」というのが山口発言の骨格。「これでは歯止めになってない」という批判の仕方もあろうが、問題の本質は、「歯止め」の成否ではない。専守防衛路線を放擲して、自国が攻撃を受けた場合の自衛権の行使に限定することなく武力の行使を可能とする質的な原則の転換にある。専守防衛に徹することで、自衛隊を「自衛のための最小限度の実力」として、9条2項にいう戦力ではないとしてきたロジックは破綻する。
この9条解釈のロジックの破綻は、直ちにわが国のイメージの変化に直結する。疑いもなく、日本国憲法9条は、わが国の平和国家としてのイメージシンボルである。これがあればこそ、わが国は戦後国際社会に仲間入りを許され、その中でのしかるべき位置を占めることを可能とした。近隣諸国や旧植民地国との友好関係を結ぶこともできた。いま、それが壊され、打ち捨てられようとしている。「9条をもつ平和国家・日本」ではなく、「9条をねじ曲げて国外での戦争を辞さない」非平和国家日本のイメージを自ら作出しようというのだ。「首相が軍国神社に参拝し、武器輸出を認め、歴史を歪曲して戦争を反省しない教科書を容認し、学校では日の丸・君が代を強制し、軍事秘密法制を整備する、好戦国家・日本」の印象に加えてのことである。
しかも、である。毎日のトップは、「政府が集団安全保障容認」の大見出し。「想定問答に明記」「集団的自衛権『限定』方針逸脱」と続いている。政府が用意している閣議決定後の想定問答集によれば、公明との協議も合意も、政府・自民党が望んでいる集団的自衛権の行使にも、また集団安全保障における武器使用にも、何の障害にもならないのだという。
政府・自民党の立ち場では、新3要件とは魔法の呪文のごとくである。新3要件に基づけば、なんでもできる。たとえば、「集団安保については、▽他国への武力攻撃の直後▽日本が自衛権を行使中−−に国連安保理の決議が出た後でも、『国際法上は決議が根拠(集団安保)だが、憲法上、我が国の自衛の措置として許容される』のだから、武力行使できる」と明記されている。
その記事の締めくくりで、毎日はこう明言している。
「政府・与党は閣議決定に集団安保を明記しない方針だが、想定問答は、逆に日本政府が集団安保による武力行使に踏み出す可能性を明確に示し、新3要件が歯止めにならない実態を浮き彫りにした」
こうまで、与党合意の「新3要件」は歯止めにならないと言われているのだ。それでも、下駄の雪であり続けることを選択しますか。公明党さん。
(2014年6月27日)
本日、日民協の機関誌「法と民主主義」が届いた。特集は『「ブラック化」する労働法制』安倍政権が主唱する労働法制激変の凄まじさがよく分かる。ご注文は下記URLまで。
http://www.jdla.jp/
たまたま、同時に国際法律家協会の「Inter Jurist」(タイトルは横文字だが、本文は邦語)の最新号も届いた。この中に国連人権理事会が取り組んでいる「平和への権利」の小特集がある。平和を人権と構成する試みは、わが国の平和的生存権思想に端を発して、世界の潮流になろうとしている。今年末には、国連総会で「一人ひとりが平和のうちに生きることを、国家や国際社会に要求できる権利」を国際人権法とする決議が採択される見通しだという。例によって、日本はアメリカとともに、この決議に反対を表明しているとのことではあるが。
関心を惹かれたのは、一人ひとりに求める権利があるとされる「平和」の内実である。1969年以来世界の平和学が提唱している「積極的平和(Positive peace)」が目指されているという。
ノルウェーの平和研究者であるヨハン・ガルトゥング教授の名とともに語られる、「積極的平和」について、大田昌秀の要を得た解説がある。
『一般に平和とは何かと聞かれた場合に、すぐに思い浮かぶ答えは「戦争のない状態」と言えます。しかし、ガルトゥング教授は、戦争を「直接的な暴力」と規定した上で、戦争がないからと言ってわれわれの社会はけっして平和とは言えないとして、直接的な暴力に対し「構造的な暴力」ということばを対置しています。教授の言う構造的な暴力とは、偏見とか差別の存在、社会的公正を欠く状態、あるいは正義が行き届いていない状態、経済的収奪が行われている状態さらには、平均寿命の短さ、不平等などを意味します。ですから、今日の社会は至る所に平和でない状態、つまり構造的な暴力がはびこっていると言っても過言ではありません。したがって、ガルトゥング教授は、この構造的な暴力を改善していくのでなければ、本当の意味での平和は達成されないと述べているのです。
このように平和問題というのは、単に戦争の問題に限定されるのではなく、社会的偏見や差別の問題、政治的不公平の問題から男女間の不平等、経済的貧富の問題に至るまで広範、かつ多岐にわたるのです。したがって、それらの問題を解決して初めて言葉の真の意味での平和の創造が可能となるわけであります。
ちなみにガルトゥング教授は平和を実現するため、三つのPが必要だと述べています。第一にPeacemovement(平和運勤)、第二にPeaceresearch(平和研究)、第三にPoliticalparty(政党)の三つであります。これらが三位一体となって平和の創造に取り組むのでなければ、人々が期待するような平和は成り立だないと説いているのです。」(「沖縄 平和の礎」岩波新書)
「平和運動」に関する次の部分も紹介しておきたい。
「戦争を廃絶すると言えば、そんなことは、この人間世界ではありえないことだとつい考えてしまいます。そのため、実際にはユートピア的とか、気違い沙汰だと馬鹿にされがちです。しかし人類の歴史を振りかえってみると、奴隷制度の廃止とか、植民地の廃棄などということは、ある時代においてはそれこそユートピア的思想であったにもかかわらず、今日ではすでに実現しているのも少なくないのです。」
同じ言葉を使いながら、安倍晋三流「積極的平和主義」はまったく異なる思想の産物である。武装を強化し、軍事同盟を強固なものとすることによって「平和」を達成しようという考え。平和主義といえば、少なくとも軍縮と結びつく。しかし、安倍流では「積極的」と冠することによって、軍事力強化をもたらす「平和」に意味内容が変えられているのだ。軍事力によって維持される平和の危うさに思いをいたさざるを得ない。
迂遠なようでも、この世から「構造的な暴力」を廃絶することによって、真の意味の「積極的平和」の達成を求めるしか選択の道はないのだと思う。それは決して、ユートピア思想ではない。
(2014年6月26日)
集団的自衛権行使容認に向けて、与党間協議の決着がつきそうな危ない雲行き。昨日(6月24日)の第9回協議会で、政府・自民党が「自衛権発動の新3要件・修正案」を提示し、公明党執行部は大筋で了承する方針と報道されている(毎日)。
一見すると、「平和の党・公明」が「好戦集団・安倍自民」にズルズルと押し切られ値切り倒された形での決着となりそうな事態のように見える。しかし、本当にそうなのだろうか。このような形づくりが必要なだけだったのではないだろうか。ショーとしてのプロレスと同様、予め練られたシナリオのとおりにことが運んだものではないだろうか。
そういう根拠の一つが、この協議会の席で、公明党の北側氏が「我が党の議論で(自民党に)迷惑をかけているが、いつまでも引きずる考えはない。そう遠くなく結論を得たい」と語った(毎日)こと。「金目」発言も、「いじめ」発言も、失言ではない。本音がこぼれるのだ。北側氏の「迷惑をかけている」発言も本音である。本音だからこそ、問題が大きい。「できれば、安倍自民のご言い分を直ぐにでも呑んで、ご迷惑をお掛けするようなことはしたくない」と本心を語っているのだから。
北側発言は、国民の立ち場でものを考えていないことの表れである。彼の頭の中には、国民がなく、安倍政権と自民党だけがあることをものがたっている。また、憲法の理念を守れるか壊さざるを得ないのかの重大な議論をしていることについての自覚がない。慎重に審議をすることを「いつまでも引きずる」「迷惑をかけている」と本気になって考えているのだ。
国民の集団的自衛権行使への危惧の念は日々増している。だから、いつまでも引きずることなく、世論の盛り上がりのないうちに、抵抗したという格好だけはつけて決着しようということではないか。当然に、与党に残るメリットを考えての党利党略。
当てにできない者を当てにし、もしかしたらと幻想を抱いた国民が愚かだったというほかはない。国民的議論は皆無、国会での議論もろくろくないままに、憲法9条をなし崩しに壊そうという恐るべき合意を、自公2党はしつつあるのだ。
公明党は、開き直って「武力行使3要件」の細部の手直しをさせたと虚勢を張ってみせるのだろうか。一緒に戦争する「他国」に「わが国と密接な関係にある」という修飾詞をつけたのが手柄だとでも言う気だろうか。もし、本気でそんなことを言いだしたとしたら、それこそ噴飯もの。当たり前だろう。密接な関係にもない他国に味方して戦争をするなどあり得ないこと、「わが国と密接な関係にある他国」と言い換えることに何の意味もない。一緒に戦争をしようという国が、「わが国と密接な関係にある他国」でないはずはない。
「おそれ」を「明白な危険」に変えさせたって、限定が厳しくなったとはとうてい言えない。ある曖昧な言葉を、別の曖昧な言葉に置き換えてみただけのことではないか。3要件はダダ漏れのザルだ。日本国憲法の解釈において、集団的自衛権行使はいかなる場合も容認し得ないという大原則を崩してはならないのだ。
集団安保への参加についても、「自民党の高村正彦副総裁は24日の与党協議後、記者団から『集団安保はできないのか』と問われると『そうではない。できないならできないと(閣議決定案で)触れるのだから』と主張。政府関係者も『(閣議決定案に)明記しなくても集団安保に参加できる』と語った」と報じられている(朝日)。
曖昧な言葉使いが納得し得ないことに輪をかけて、「できないと明白に書かれていないのだから、できる」という論法が持ち出されている。あきれて怒り心頭だ。
これが許されるならば、日本は憲法9条を持ったまま、政府と与党の解釈次第で際限もなく「自衛の措置」としての武力行使をする国に落ちていってしまう。
公明党の井上幹事長は24日「安倍晋三首相に『何と言っても国民の関心は経済。ぜひ経済中心でお願いします』と述べた」という(朝日)。集団的自衛権問題の与党協議が始まる前でのことなら、「憲法問題よりは経済の協議を」ということに意味があろう。いま、この時点での「経済中心」への論及は、安倍自民の壊憲から国民の目を逸らそうという発言としての意味しかない。平和の問題を経済の問題にすりかえて、「最後は金目でしょ」と言って総スカンを食った石原環境相と同質のの批判を受けなければならない。
日本の進む道をねじ曲げる密談をこらした与党の政治家には、元陸将・元カンボジアPKO施設大隊長渡辺隆さんの言葉を届けたい。
「正直なところ、私は今、制服を脱いでいて、つまり退官していて、ありがたかった。もし制服を着ていたら、自分が指揮官として集団的自衛権をどう隊員に説明するか、夜も眠れないぐらい悩むだろうと思うからです」(朝日)
共産党、社民党だけではなく、民主党も結いの党も、集団的自衛権行使容認には批判的な姿勢を固めつつある。かつての保守本流と言われた人々も憂慮を深めている。自治体の首長にも慎重論が広がっている。地方議会の反対決議も100の大台を超えて増えつつある。岐阜県のごとく自民党組織の足下の一角が崩れてもいる。世論は日々好転している。いくつかの世論調査がそのことを明瞭に示している。まだ遅くはない。まだ、蟻の一穴をふさぐことは可能だ。公明党に、「自民に擦り寄ることは、結局墓穴を掘ること」と判断させる世論の形成まで、もう一歩ではないか。
(2014年6月25日)
「いじめ」という現象は、社会の縮図だ。個別の「いじめ」は、社会がもっている病理の表れである。
いじめの構造は、「加害者」と「被害者」だけで成り立っているのではない。周囲の「傍観者」の存在が不可欠な構成要素となっている。加害の実行者は、多数傍観者の暗黙の支持を得ることによって加害行為に踏み切る。明示黙示の支援を得つつエスカレートする。傍観者グループと加害者との距離は、わずかに一歩、あるいは半歩のものでしかない。加害者は傍観者からリクルートされて膨張する。傍観者は実行犯予備軍でもある。
もとより、傍観者の色合いは一様ではない。自らは実行犯にならないが背後から積極的にけしかける者もあれば、消極的に「笑みを浮かべる」程度で加担する者もあり、無関心を装う者もある。内心ではいじめを止めたいと望みながらも力及ばずとして何も出来ない者も多くいることだろう。しかし、それぞれの濃淡のレベルはありながらも、客観的にはいじめへの加担をしていることを自覚しなければならない。声を上げるべきときには黙っていること自体が罪となることもあるのだ。
さて、東京都議会でのセクハラ野次の事件である。問題なのは、この卑劣な野次に議場が凍りつかなかったことだ。むしろ「周りで一緒に笑った」者がいたと報道されている。いじめの構造と同じく、社会がもっている病理が端的に表れている。
世論の批判に耐えられず、遅まきながら自民党の鈴木章浩都議が「加害者」として名乗り出て謝罪した。しかし、これで問題が解決したわけではない。分けても、自民党都議団は、いじめの傍観者と同質の責任を問われている。暗黙の支持のレベルの責任ではない。加害実行者を生みだした集団としての責任であり、卑劣な野次を許す議場の雰囲気を積極的に作りだした集団としての責任である。自民党自身がその責任のとりかたを考えなければならない。そのことが、自らの体質を深く抉る作業となるだろう。
納得しかねるのは、鈴木都議が責任のとり方として議員辞職ではなく、会派からの離脱を表明していることだ。彼は、都民に対して責任をとろうというのではなく、自民党都議団に責任をとろうと言っているのだ。「組にご迷惑をお掛けしました。盃をお返しいたします」という博徒のノリではないか。
自民党都議団は、被害者の対極にある。その体質からセクハラ議員を生みだした責任母体であり、セクハラ野次に「周りで一緒に笑った」セクハラ助長責任集団でもある。その自民党という責任集団に謝罪し会派離脱することは、そちらの世界の掟なのかも知れないが、都民に対しては責任をとったことになっていない。
この鈴木議員の責任のとりかた表明も、社会の縮図。民主主義の未成熟を反映している。
なお、この鈴木議員は、「2012年8月19日には、尖閣諸島の魚釣島沖に戦没者の慰霊名目で洋上から接近した日本人団のうち10人が、船から泳いで魚釣島に上陸し、灯台付近で日の丸を掲げたり、灯台の骨組みに日の丸を貼り付けたりした。この10人のうち1人が鈴木氏だった。鈴木氏はYouTubeで、『支那』という言葉を使い、『ここで上陸できなければ日本人としての誇りが保てない』などと説明し、石原慎太郎・東京都知事(当時)の尖閣諸島購入方針などへの支持を表明していた」(ハフイントンポスト)と解説されている人。なるほど、そういう人なのか。日本の保守派・民族派には、両性の平等についての理解なく、保守固有の伝統的性別役割分担論にもとづく女性観がある。セクハラ発言もむべなるかな。
彼のウエブサイトを覗いてみて、憲法の欠陥を論じる一文を読んだ。再び、なるほど。彼には、人権の重みについての理解がない。国家権力後生大事の人なのだ、
次の彼自身の文章の「主権」は、国家権力という意味である。
「法治主義に則った通常の社会秩序の維持が不可能になった状態、国民の生命、財産の安全が脅かされる事態、また著しく国民に不利益を与える状況において、『主権』の役割が決定的になるのであります。このことから、非常事態の法的秩序が欠落した日本国憲法は、社会生活が一定の秩序を保って営まれている時のみ有効な憲法であり、政治権力の正統性のすべてを規定する『憲法』として、重大な欠陥があるのです。
『主権』を欠いた国家はあり得ず、『憲法』は国民の名のもとに付託を受けた、国家の『主権』(に)おいて作り出されるものでなければならないのです。言い換えれば、『主権』が『憲法』を生み出し、『主権』が『憲法』を停止することもできるのです。それは『主権』という絶対的な権力が、人々の生命や財産を守るものだからであり、これが西洋近代国家の理論になっているのです」
法学部で憲法を学ぶ学生諸君。彼のこの文章を採点してみてはいかがかな。
(2014年6月24日)
沖縄県には、2か条の「沖縄県慰霊の日を定める条例」がある。1974年10月21日に制定されたもの。その全文が以下のとおり。
「第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
第2条 慰霊の日は、6月23日とする。」
本日が、その沖縄県の「慰霊の日」。「その日は県はもちろん県下の全市町村とも閉庁となり、沖縄戦の最後の激戦地であった南部の戦跡地で『沖縄全戦役者追悼式』が行われます」(大田昌秀「沖縄 平和の礎」岩波新書)。
この日の慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象とする。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。
味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さは微塵もない。一途にひたすらに、すべての人の命を大切にして平和を希求する日。それが、今日、6月23日。
6月23日は沖縄戦終了の日とされる。酸鼻を極めた国内で唯一の地上戦終了の日。第32軍(沖縄守備軍)司令官牛島満と長勇参謀長が自決し、旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日をもって、沖縄戦終了の日というのだ。
私は、学生時代に、初めてのパスポートを手に、ドルの支配する沖縄を訪れた。右側の車線を走るバスで南部の戦跡を回った。牛島中将の割腹の姿を模したものという黎明の塔を見て6月23日を脳裡に刻した。沖縄戦は1945年4月1日の米軍沖縄本島上陸から牛島割腹の6月23日までと教えられた。
大田昌秀はこれに異を唱えている。終戦50年を記念して、知事として沖縄戦の犠牲者のすべての名を永遠に記録しようという「平和の礎」建設の計画に関連して語っている。
「さて、沖縄戦で亡くなられた方々のお名前を刻んでいこうとする場合に、沖縄戦がいつ始まっていつ終わったのかがはっきりしないと非常に困ります。ところが、その簡単に思えるようなことでも、意見が分かれているのです。」
大田は、1945年3月26日米軍の慶良間諸島上陸から、米第10陸軍沖司令官スチルウェル大将との間で降伏文書の正式調印がなされた9月7日までという。形式的な問題ではなく、そのようにしないと3月の慶良間諸島住民700人の集団自決強要の犠牲者や、6月26日久米島での地元の住民40人の死(その半数は日本海軍の兵隊によって殺戮されたと表現している)などが沖縄戦の慰霊対象から落ちてしまう、という(前掲書)。なお、大田は久米島の出身である。
毎日新聞「今日沖縄慰霊の日」の関連記事に、懐かしい顔の写真が掲載されている。端慶山茂君。司法修習同期の沖縄出身弁護士。1年4か月の東京での実務修習を一緒にした。国に対して法的な戦争責任を追求する訴訟を始めたと報道されている。
「沖縄本島で地上戦が本格化する前にも、日本の支配下にあったサイパンやパラオなどの南洋諸島に移り住み、米軍との戦闘(南洋戦)で命を落とした沖縄の人々が大勢いた。民間人2万5000人以上が死亡し、補償から外れた被害者や遺族も1万人以上いるとされるが、国の調査は行われておらず、実態は今も不明のままだ。23日は、沖縄戦の戦没者を弔う沖縄慰霊の日だが、南洋戦に巻き込まれた32人は、国に賠償を求めて那覇地裁で争っている。」という。
毎日の記事は、こう伝えている。
「南洋諸島には日本の植民地政策のもと、沖縄県を中心に約10万人の民間人が移住した。瑞慶山(ずけやま)茂さん(71)の両親も、沖縄からパラオのコロール島に移住した。1歳だった1944年夏、米軍の攻撃を受けて島から逃れようと一家が乗った船が沈没した。瑞慶山さんは母に抱かれて漂流中に救助されたが、3歳の姉はおぼれて亡くなった。後に母から聞かされたこの時の話が忘れられず、被害者を掘り起こして訴訟を起こすことを決意した。」
鉄の暴風と言われた沖縄戦のことはともかく、南方植民地の悲惨な経験については、彼から聞かされたことはない。確か北部の辺土名の出身と記憶している。パラオのできごととは結びつかない。当時は語るべく心の整理ができていなかったのではないだろうか。いまや、その訴訟がライフワークなのだろう。
訴訟は、「(国の)国民を保護する義務に違反した責任、戦争行為で民間人の命を危険にさらした責任、戦後70年近く損害の回復を怠った責任を問い、国に謝罪と1人当たり1100万円の損害賠償を求めている」という。
戦争の惨禍は国がもたらすもの。過去の戦争の被害については、端慶山君に倣って、徹底して国家の責任を追求しよう。そのことが、再びの戦争の惨禍を防止することにつながる。
今日は、「慰霊」の日。死者を悼み慰めることは、再びの戦争を絶対に繰り返さないと誓いを新たにすることでもある。集団的自衛権の行使容認にも、集団安全保障としての武力行使にも反対の意思を再確認する日だ。
(2014年6月23日)
梅雨の晴れ間。久しぶりの池袋演芸場昼席。取り立ててお目当てがあったわけではないが、柳家さん喬が出ていた。これは儲けもの。「替わり目」の一席だったが、志ん生の「替わり目」とは違う、独自に練りあげたさん喬の世界が現出した。
寄席に出掛けて、来なきゃよかったと悔やんだことはない。芸人たちのプロとしての水準にいつも感心させられる。とりわけ今日は良かった。鈴本とは違った小さな小屋。演者と客との距離が近い。プロといえども、的確な客の反応に乗せられないはずはない。庶民が作りあげ、支えてきた確かな文化のかたちがある。
プロの演者がいて、何千という演目があり、定席がある。そしてなによりも、カネと時間を惜しまず寄席に足を運ぶ庶民がいて作りあげられている文化だ。一朝一夕にできあがったものではない。客の好みで噺は淘汰され、また新しく生まれてくる。落語を愛する庶民が健在である限りプロの噺家の輩出が途絶えることはない。今日の演者も介護士から転職したと自分を語った二つ目。就職列車で新潟から上京してきたことを語ったベテラン。噺家の個性は実に豊かだ。そして演目の重なりはない。漫才や切り紙などの色物も楽しかった。落語万歳。寄席の未来に幸あれ。
本日トリを執ったのは歌武蔵。ドスの利いた声で「ただいまの勝負について申しあげます」との開口一番で客を湧かせた。元は、武蔵川部屋の力士だったという変わり種。四股名は森武蔵だったとか。
長いマクラのあとに巨体の迫力が演じたネタは「宗論」だった。メジャーな噺ではないが、寄席にはよくかかる。今日の歌武蔵の宗論も出来のよい爆笑の連続。
原型は、真宗と法華の「宗論」を題材とした古典落語なのだという。それが、ご存じのとおりの、真宗門徒の大旦那の父親と、キリスト教信者の若旦那の熱烈な「宗論」に改作されて今日に至っている。信仰の対立は、伝統文化と新興文化の対立でもある。そして、「古い父親」と「新しい息子」の対立という図式。
父親が阿弥陀信仰のありがたさを語るが息子の耳にははいらない。替わって、息子がキリストのありがたさを語るのだが、これがかなりきついキリスト教への揶揄となっている。釈迦も阿弥陀もそしてキリストも、現代日本の文化の中では、安心して揶揄できるというお約束。仏教もキリスト教も成熟し、批判や揶揄を許容する寛容さをもつに至っている。
未熟な人や団体や文化は、批判や揶揄に過敏であり非寛容である。今日の池袋演芸場の客席にも門徒も信者もいたのであろうが、おそらくは他の客と一緒に笑うことができたであろうと思う。
しかし、「宗論」のレベルで、マホメットやイスラム教を揶揄することができるだろうか。筑波大学構内での「悪魔の詩訳者殺人事件」を思い出してしまうのは偏見だろうか。日本を離れた世界の各地で、宗教対立は想像を絶する深刻さ。
宗教・宗派の対立は実に厄介な問題。政治がこれに介入してはならない。宗教と権力とはお互いに相寄って利用し合おうとする衝動をもっている。この接近を許してはならないとするのが政教分離原則である。
「宗論」のストーリーでは、父親は、阿弥陀信仰を理解しようとせずキリストの教義を言い募る息子に業を煮やして殴りつける。息子は、いったんは「右の頬をおぶちになりましたね。左の頬もどうぞ」と言うのだが、「お父さん、本当に左の頬までやりましたね。もう我慢できない」と修羅場になってしまう。これは親子の間だからこその笑い話。権力が息子の信仰を弾圧したのでは、落とし噺にも、シャレにもならない。それこそシリアスなキリシタン弾圧の歴史物語。キリスト教への弾圧や社会の偏見がごく小さくなって初めて、「宗論」という落語が成立することになったと言えよう。
それにしても、真宗とキリスト教、どちらが正しいかなど論証不可能な世界での論争の行きつくところを示すストーリー展開である。お互い、相手よりも優越していることの説得などできはしないのだ。あの宮沢賢治でさえも、父親政次郎を真宗から日蓮宗に改宗させようと努力して、できなかった。第三者としては、どちらの信仰も尊重するとしか言いようがない。
「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」というフレーズが出てくる。これは、当事者に対する戒め。第三者としては、「宗論のどちらに加担しても憎まれる」「触らぬ神に祟りなし」とするしかない。とりわけ権力者には、これが肝に銘ずべき教訓だ。
爆笑の中で、政教分離を考えさせられた「宗論」であった。
(2014年6月22日)
安保法制懇報告を受けての5月15日首相記者会見は今や指弾の的。リアリティのない状況設定をむりやりに拵えあげて、集団的自衛権行使容認のための世論つくりをねらった姑息なやり口と悪評この上ない。
とはいうものの、同日の記者会見の席上、首相は「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と確かに言った。これは集団安全保障への日本の参加はないことを明言したものである。さすがに集団的自衛権行使容認だけで手いっぱい、それ以上ははむりだと判断して先送りとしたのだな、そう了解した。
ところで、これまで当ブログは、わが国の首相の言動について、「悪徳商法セールスの才能豊か」「『コントロールとブロック』のウソでオリンピック招致を掠めとった」などと酷評してきた。だから、国民は軽々に危険なこの人物の言うことを信用してはいけないと警告してきたつもり。自分は欺されないとの思い込みを前提にしてのこと。
ところが、昨日(6月20日)の朝刊トップの見出しにおどろいた。「集団安保でも武力行使 政府自民容認へ転換」(朝日)、「集団安保で武力行使 政府・与党調整」(毎日)。与党協議を経ての閣議決定には、集団的自衛権行使容認だけでなく、集団安全保障における武力行使容認まで含まれるというのだ。えっ? 5月15日会見はウソだったか。私もころっと欺されていた。警戒心が足りなかった。
反省して、あらためて教訓を胸に刻んでおこう。
「安倍の話は、たっぷりと眉に唾を付けて聞け」
6月19日に突如として降って湧いたように、自民党は「国連の集団安全保障での武力行使にも自衛隊が参加できるようにすべきだ」と言いだした。こういうのを、「どさくさ紛れ」「火事場泥棒」というのではないか。いや、悪徳商法のあの常套手法、「高い値段をふっかけて、半値にまけて買わせる」ことを狙っているのだろうか。憲法がもてあそばれている。
これまでの与党協議では、自衛権の話しをしていたはず。「集団的自衛権とは『他国防衛のための武力行使を認める』ということ自衛とは無関係ではないか」などと議論していたはずが、自衛とも他衛とも無関係の、集団安全保障という「特定国に対する武力制裁の話し」にまで進行してしまっている。
「政府・自民党の提案は、安倍晋三首相が意欲を示すシーレーン(海上交通路)での戦闘中の機雷掃海を、集団的自衛権だけでなく、集団安全保障としてもできるようにするのが狙いだ」というのが各紙のもっぱらの見方。
「安倍首相は‥今月9日の参院決算委員会では、武力の行使には2種類あると説明。『爆撃を行ったり、部隊を上陸させて戦闘させたりする行為』である武力行使は行わない一方、『受動的かつ限定的な行為で性格を異にする』機雷掃海は行うべきだと主張した」という(6月21日「毎日・クローズアップ2014」)。自民党は「集団的自衛権の行使としての機雷除去が集団安全保障に切り替わったら継続できないのはおかしい」とも言っているようだ。ホルムズ海峡に敷設された機雷の掃海に争点が移ってきた如くである。掃海は受動的かつ限定的な防御行為であるのだから、集団的自衛権の行使としても、集団安全保障の武力行使としてであろうとも、最小限度性をクリヤーできるのではないか、と語られているわけだ。
同様の議論を20年前にたっぷりした経験がある。1991年の湾岸戦争の時のことだ。時の首相は海部俊樹。自民党の幹事長が小澤一郎だった。政府は海上自衛隊の掃海艇部隊をペルシャ湾に派遣した。戦後の日本にとって、はじめの海外軍事行動である。また、日本は多国籍軍に対して90億ドル(当時のレートで1兆2000億円)の戦費を負担した。
この掃海艇派遣と戦費の支出を差し止めようという1000人余の提訴が、市民平和訴訟であった。私が弁護団の事務局長を務めた。そのとき、なじみのない軍事用語に向き合った。掃海とか航路啓開の手法を学んだ。掃海艇がすべて木造船であること、機雷の種類も多種あって、海上自衛隊の掃海能力が国際的に高水準にあることなども初めて知って驚いた。このとき軍事知識の基本を教えてくれたのが大江志乃夫さん。大江さんがなによりも強調したのは、掃海あるいは航路啓開という行為は、海上の戦闘に不可欠で優れて戦闘そのものというべき積極的行為だということ。
防御行為と攻撃行為とは、常に一体としてある。戦闘行為の一部を切りとって、攻撃とは無縁の受動的な防御行為というのは詭弁に過ぎない。「攻撃こそ最大の防御である」とは言い古された言葉であり、「防御を固めておればこそ、強い攻撃に徹することができる」ことも理の当然である。しかし、掃海の戦闘行為としての積極性はそのレベルではない。
堂々たる大艦巨砲の進路を啓開するのが掃海艇の役割。いわば、掃海艇は、戦艦や駆逐艦、潜水艦の艦隊を後に従えて先頭を行く尖兵なのだ。爆撃機を護衛する戦闘機の役割を「防御」という者はない。掃海も同じことなのだ。だから、自衛隊による機雷掃海とは、まさしく積極的戦闘参加行為であって、これを「受動的・限定的」などという言い訳が通じるはずもなく、機雷敷設国から日本に対する反撃を覚悟しなければならない。
だから、湾岸戦争が終結する以前には掃海部隊の派遣はできるはずもないとされた。掃海艇が出航したのは、湾岸戦争終了後、PKO協力法に基づいてのことだった。戦争終結後は無主の浮遊物となった機雷の除去は戦闘参加ではないと確認してのことである。それでも反対世論は沸騰した。
しかしあの頃、「戦争終結以前に、多国籍軍の一員として、戦闘海域に自衛隊の掃海艇を派遣して多国籍軍艦隊の航路を啓開せよ」などという乱暴な議論は聞かなかった。いま、臆面もなくそのことが言い出されている。当時の「海部・小澤」と、今の「安倍・石破」との危険度の開きの大きさを痛感せざるを得ない。
(2014年6月21日)