(2022年3月31日・本日毎日連続更新満9年)
年度末の3月末日。例年、都立校関係者の『卒業式総括・総決起集会』が開催される。東京都教育委員会の《卒入学式における国旗・国歌(日の丸・君が代)強制》に抗議しての集会である。本年は、『卒業式総括・再任用打ち切り抗議 総決起集会』となった。
私も出席して、都立校の校内で起こっている様々な出来事の報告を聞いた。共感し、励まされ、元気の出る話が多かった。誇張ではなく、立派な教育者が悩み嘆かざるを得ない事態に追い込まれ、それでもよく頑張っているのが現状である。私も要旨次のような報告をした。
悪名高い「10・23通達」の発出から18年余。今の高校生が生まれる前のことだと聞いて、改めて感慨深いものがあります。あれから毎春の卒入学式が、東京都の公立校における教職員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の場となり、これに現場で、社会で、訴訟で闘ってきました。私たちは、この間何を求めて闘い、何を獲得して、未だ何を得ていないのか。
この旗と歌とを、国旗・国歌と見れば、国家と個人が向き合う構図です。憲法は、個人の尊厳をこそ根源的な憲法価値としており、国家が個人に愛国心を強制したり、国家に対する敬意表明を強制することなどできるはずはなかろう。
また、この旗と歌とを「日の丸・君が代」と見れば、この旗が果たした歴史と向き合わざるを得ません。「日の丸・君が代」こそ、戦前の天皇制国家とあまりにも深く結びついた、旗と歌。天皇制国家が宿命的にもっていた、国家神道=天皇教による臣民へのマインドコントロールの歴史を想起せざるを得ません。そして、軍国主義・侵略主義・民族差別の旗と歌。これを忌避する人に強制するなどもってのほか。
そして、問題は教育の場で起きています。国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制は。国家主義イデオロギーの強制にほかなりません。戦後民主主義は、戦前の天皇制国家による国家主義イデオロギー刷り込みの教育を根底的に反省するところから、出発しました。教育は、公権力から独立しなければならない。権力は教育内容を支配し介入してはならない。この大原則を再確認しましょう。
法廷闘争では、懲戒権の逸脱・濫用論の適用に関して一定の成果を収めています。懲戒処分対象行為が内心の思想良心の表明という動機から行われたこと、行為態様が消極的で式の進行の妨害となっていないことなどが重視されて、「実質的な不利益を伴わない戒告」を超える過重な処分は違法として取り消させています。この点は、憲法論において間接的にもせよ思想良心の制約の存在を認めさせるところまで押し込んだことが、憲法論の土俵では勝てなかったものの懲戒権の濫用の場面で効果を発揮したものと考えています。
私たちの闘いの成果は、十分なものとは言えませんが、闘ったからこそ、石原慎太郎教育行政が意図した民主的な教員をあぶり出し放逐しようという、邪悪な企てを阻止し得たのだと思います。
今、処分取消第5次訴訟。これまで積み残しの課題もあり、新たな課題もあります。この意義のある壮大な民主主義の闘いを、ともに継続していきたいと思います。
そのあと、大阪高裁の「再任用拒否国家賠償訴訟」逆転勝訴判決の内容紹介をした。またまた、東京でも、再任用打ち切りが問題となっている。
以下に、本日の集会が確認した抗議声明を掲載する。この声明、気迫に溢れた立派なものではないか。《「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える》という指摘は、今の情勢を見るとき重いものがある。
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「君が代」処分を理由とした再任用不合格に抗議する声明
1月19日、東京都教育委員会(都教委)により、1名の都立高校教員が校長を通じて再任用の不合格を告げられた。
当該教員が定年を迎えるに当たり再任用を申し込んだ2019年以来3回にわたって、毎年繰り返されてきた「懲戒処分歴がある職員に刻する事前告知」の内容を強行したものである。これは以下のように幾重にも許しがたい暴挙であり、私たちは断固として抗議するとともに再任用不合格の撤回を要求する。
まず、「事前告知」において問題として挙げられている処分は、2016年の卒業式における不起立に対する戒告処分であるが、当該処分については現在その撤回を求めて裁判を行っている係争中の案件であるにもかかわらず任用を打ち切ることは、裁判の結果如何によっては都教委が回復不能の過ちを犯すことにもなりかねない。
また、すでに戒告処分によって不利益を被っている者に対して任用をも奪うことは、二重処罰と言っても過言ではなく、これが容認されるならば行政処分の中で最も軽いとされる戒告処分が免職にも相当することになる。
さらに、「事前告知」では卒業式での不起立に対する戒告処分が理由として言及されていたにもかかわらず、今回の不合格通知に際しては理由すら明らかにされなかった。校長からの問い合わせに対しても、「判定基準を満たさなかった」とのみ回答した。しかも、再三にわたる私たちの要請や質問に対して、都教委は「合否に当たり、選考内容に関することにはお答えできません。」との回答に終始しており、任用を奪うという労働者にとっての最大の権利侵害に対して理由すら明らかにしない姿勢は、任命権考としての責任をかなぐり捨てたという他はない。
何よりも、卒業式での不起立は一人の人間として教員としての良心の発露であり、過去の植民地支配や侵略戦争、それに伴うアジア各国の人々と日本国民の犠牲と人権侵害の歴史を繰り返さないため、憲法と教育基本法の精神に基づいてなされた行為であると同時に、憲法が規定する思想良心の自由によって守られるべきものである。
「10・23通途」発出以来今日までの18年半の間に、通達に基づく職務命令によってすでに484名もの教職員が処分されてきたこの大量処分は東京の異常な教育行政を象徴するものであり、命令と処分によって教育現場を意のままに操ろうとする不当な処分発令と再任用の不合格に満身の怒りを込めて抗議し、その撤回を求める。
あまつさえ都教委は再三にわたる被処分者の会、原告団の要請を拒んで紛争解決のための話し合いの席に着こうともせず、この問題を教育関係考自らの力で解決を図るべく話し合いを求めた最高裁判決の趣旨を無視して「職務命令」を出すよう各校長を指導し、結果として全ての都立学校の卒業式・入学式に際して各校長が「職務命令」を出し続けている。それどころか、二次?四次訴訟の判決によって減給処分を取り消された現職の教職員に対し、改めて戒告処分を発令する(再処分)という暴挙を繰り返し、再任用の打ち切りまで強行するに至っては、司法の裁きにも挑戦し、都民に対して信用失墜行為を繰り返していると言わざるを得ない。
東京の学校現場は、「10・23通途」はもとより、2006年4月の職員会議の挙手採決禁止「通知」、主幹・主任教諭などの職の設置と業績評価制度によって、閉塞状況に陥っている。「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える。
私たちは、東京の学校に自由で民主的な教育を甦らせ、生徒が主人公の学校を取り戻すため、全国の仲間と連帯して「日の丸・君が代」強制に反対し、不当処分撤回一再任用打切りの撤回を求めて闘い抜く決意である。この国を「戦争をする国」にさせず、『教え子を再び戦場に送らない』ために!
2022年3月31日
四者卒業式・入学式対策本部
(被処分者の会、再雇用2次訴訟を語りつぐ会、予防訴訟をひきつぐ会、解雇裁判をひきつぐ会)
(2022年3月30日・明日で連続更新満9年)
NHKの予算決算は国会の承認事項となっている。衆参両院の本会議に諮られる前に、各院の総務委員会で質疑が行われる。今年は、3月24日に衆院の、昨日3月29日に参議院の各総務委員会でNHK予算についての質疑が行われた。この質疑において、衆院では宮本岳志、参院では伊藤岳の、共産党の両議員が、経営委員会の議事録開示問題に関して、鋭く的確な質問を行った。
参院総務委員会での伊藤岳議員の反対討論を紹介しておきたい。
「日本共産党はNHKのかんぽ生命不正販売に関するクローズアップ現代プラスの報道をめぐって、NHKが日本郵政グループからの圧力に屈して、第二弾の放送を取り止め、さらに経営委員会が会長を厳重注意したことは、放送番組は何人からも干渉されないとする放送法第3条、および第32条第2項に違反する行為であると指摘してきました。しかも経営委員会は、放送法第41条に反して、会長を厳重注意した議事録の公開にも背を向けてきました。こうしたもと、わが党は2020年度、21年度のNHK予算の承認に反対しました。昨年7月、経営員会は『議事起こし』を情報公開請求者などに対して開示しました。そこには、日本郵政からの圧力に屈する経営委員会の対応が生々しく記されていました。しかし、未だに全文を議事録として作成・公表しておりません。放送の自主自律を遵守せず、視聴者・国民への説明責任も放棄したNHKの対応に、国民の信頼は揺らいだままです。こうしたもとで、執行部が編成し、経営委員会が議決をした予算を承認することは出来ません」
まことにこのとおりである。念のために、細かいことだが、用語の説明をしておきたい。NHKはその内規で、独自の情報公開制度を設けている。「情報公開」の態様を、「情報の開示」と「情報の提供」に分け、前者を開示請求者に対する「文書開示」とし、後者はホームページに掲載など全ての視聴者に閲覧可能とする。経営委員会議事録については、内規ではなく法律(放送法41条)が、遅滞なく作成して「公表」するよう命じている。公表はホームページに掲載して行われる。なお、『議事起こし』とは、経営委員会の議事の速記録と思われるが、文書開示請求者には開示されたが、NHKのホームページに掲載する方法での「公表」はなされていない。
言うまでもなく、健全なジャーナリズムは健全な民主主義の基盤である。ジャーナリズムが権力の膝下におかれた状況では、平和も国際協調も人権も自由も平等も全てが危うくなる。
歴史的経緯があって、日本のジャーナリズムの中心にはNHKが位置すると言って過言でない。おそらく今もなお、NHKは日本で最も影響力の大きなメディアである。その報道姿勢の如何は、日本の民主主義のあり方に死活的な影響を及ぼす。
NHK執行部を監督する立場にあって、会長の任免権を持つNHKの最高機関が経営委員会である。内閣総理大臣の任命によるが、安倍晋三国政私物化内閣が成立して以来、この経営委員会の人選がメチャクチャである。ジャーナリズムのなんたるかを理解し、その理念を貫徹しようという委員の存在はまったく見えない。とりわけ、委員長森下俊三の不適切性は際立っている。
今、100名余の原告がNHK情報公開訴訟に取り組んでおり、私も弁護団の一員である。原告らは、いずれも、これまでNHKに対する監視と批判の市民運動に携わってきた者。NHKが権力から独立していないことに危機感をもちつつも、NHKに真っ当なジャーナリズムの精神を期待して、一面批判し、一面激励してきたという立場である。
その訴訟における最重要の請求は、「2018年10月23日経営委員会議事録の開示」である。この会議で、経営委員会は上田良一NHK会長(当時)を呼びつけて厳重注意を言い渡している。明らかにNHKの良心的看板番組「クローズアップ現代+」が、日本郵政グループによる「かんぽ生命保険の不正販売問題」に切り込んだ報道をしたことに対する牽制であり、続編の制作妨害を意図した恫喝である。
これは、明々白々な経営委員会による番組制作への介入であって、放送法32条に違反する違法行為である。内閣総理大臣が任命した12人の経営委員が、このようなあからさまな違法行為を行っているのだ。
我が国の民主主義のあり方に重大な影響力をもつ公共放送の最高機関である経営委員会がどのように運営されているか。また、その識見を見込まれて内閣総理大臣が任命した各経営委員が、それぞれの問題について、どのような発言をしているか。その言動に関して、視聴者に対する徹底した透明性が確保されなければならない。その「透明性」「説明責任」の確保があって始めて、視聴者の経営委員会批判やNHKのあり方への批判が可能となり、その自由で闊達な批判の言論こそが公共放送のあり方を健全なものとし、日本の民主主義の発展に資するべきことが想定されている。
ところが、日本郵政グループの上級副社長・鈴木康雄と意を通じて、違法な「会長厳重注意」をリードした中心人物が、当時経営委員会委員長代行だった森下俊三である。こんな違法をやっているのだから、法が公表を明示しているにもかかわらず、議事録は出せない、出したくもない。2年にもわたって非公開とされ、文書開示請求も拒絶してきた。
もとより、情報公開とは、行政に不都合な情報の開示を強制する制度である。行政の透明性を高め、歪んだ密室行政を是正するために不可欠な制度である。行政文書の開示請求への拒絶が問題となるのは、文書の公開を不都合とする行政当局者の姿勢の故である。公開を不都合とする行政の実態があり、これを隠蔽しなければならないとする行政側の意図が働いているからである。国民の目の届かないところで、国民に知られては困る行政が進められていることが根本の問題としてある。
この点に関しては、NHKが自ら定めた情報公開制度においても、その理念も事情も異にするところはない。本件のごとき「経営委員会が隠したい議事録」こそが、正確に、且つ速やかに作成され、公表されなければならないのだ。
『議事起こし』が、法41条の要求する文書であるなら、遅滞なく、誰もが閲覧できるように、ホームページに掲載する方法で、「公表」しなければならない。そうすれば、誰にも、外部勢力と通じてNHKの良心的な番組の制作に圧力を掛けた森下俊三の違法行為がよく分かるだろう。森下と、森下を任命した安倍晋三内閣の責任が厳しく問われなくてはならない。我が国の民主主義を救うために。
(2022年3月29日・連続更新9年まであと2日)
一昨日の日曜日(3月27日)、維新が党大会を開催した。この党大会で採択された方針は穏やかではない。これまで、安倍自民が保守本流を逸脱した右翼路線と批判されてきたが、維新はさらにその右に位置して、自民党を右側から引っ張り、あわよくば侵食しようとさえしている。危険極まりない。
産経新聞が、「維新党大会、『現実路線』で保守層に訴え」という表題で、以下のようにまとめている。
「日本維新の会は27日の党大会で、…活動方針を決定した。議席を伸ばした先の衆院選以降、現実路線で保守層へのアピールを強めており、夏の参院選では与党に代わり得る責任政党の地位を盤石にしたいところだ。ただ、一部政策に関しては党内からも『維新らしさが失われた』と懸念の声が上がっている。」
「ロシアによるウクライナ侵攻もあり、維新は参院選を前に緊急事態に対応するための『憲法改正』、米国の核兵器を自国領土内や周辺海域などに配備して共同運用する『核共有』、エネルギー価格の急騰に備えた『原発再稼働の必要性』を率先して訴えている。自民や立憲民主党に満足できない保守・中道層に『維新は現実を直視する政党』だと印象付ける狙いも透けてみえる。」
「一方で課題もある。維新が打ち出す政策の意義は党内でも広く共有されていない。政府が国民に一定額の現金を毎月無条件で支給する『ベーシックインカム』を軸とした最低所得保障制度の導入に関して、維新ベテラン議員は「まるで社会主義国家だ。『自立する個人』を基本としてきた維新にはなじまない。財源の説明に困るのではないか」と主張。結党時からの熱心な支持者が離れかねないと懸念を示した。」
また産経は、「『核共有、三原則議論を』 参院選見据え」との見出しで、日本維新の幹部が次のように語ったと報じている。
「日本維新の会の馬場伸幸共同代表は27日、大阪市で開いた党大会で、夏の参院選を見据えて「核共有」政策や非核三原則をめぐる議論を始めるべきだとの認識を示した。「非核三原則は今、『語らせず、考えさせず』を加えた五原則になっている。タブー視せずに放置してきた課題を解決する」と述べた。
松井一郎代表は党大会に先立つ会合で、ロシアによるウクライナ侵攻を受け『日本に攻め込まれないようにする防衛力を議論すべきだと参院選公約に盛りこむ』と語った。」
維新とは、格別の政治理念を持つ政党ではない。権力を求める雑多なポピュリストたちの集合体である。その理念なき集団が、いまリベラルなスローガンや政策ではなく、「憲法改正」「核共有」「非核三原則見直し」「防衛力拡大」などという右翼的方針を打ち出すことで票が取れる、党勢を拡大できると、国民心理を読んでいることが重要なのだ。
日本維新の会が理念として掲げるものは、「自立する国家」、「自立する地域」、「自立する個人」の実現である。この順序が、国家からであることで、ぞっとさせられる。この自立の意味は不明で、菅義偉流の「自助努力強要路線」との違いは認めがたい。
同じ3月27日の日曜日、投開票された兵庫県西宮市長選挙では、維新候補が大敗した。党大会では、大阪府以外での勢力拡大が重要とされ、西宮市長選では、応援演説に松井一郎や吉村洋文を投入するなど党をあげて選挙戦に臨んだが、ダブルスコアに近い大敗となった。兵庫県内の市長選ではこれで4連敗だという。
なお、「法と民主主義」4月号(3月末日発行)は、維新の問題点を特集する。ぜひとも、乞うご期待。
(2022年3月28日・連続更新9年まであと3日)
先週の水曜日、3月23日に那覇地裁(山口和宏裁判長)で、政教分離に関する訴訟の判決が言い渡された。市民2人が原告となって那覇市を訴えた住民訴訟でのこと。請求の内容は、「那覇市営の松山公園内にある久米至聖廟(孔子廟)は宗教的施設なのだから、市の設置許可は憲法の政教分離に反する。よって、『那覇市が、施設を管理する法人に撤去を求めないことの違法の確認を求める』」というもの。
この訴訟には前訴があり、「那覇市が無償で、宗教施設と認定せざるを得ない孔子廟に公園敷地を提供していることは違憲」という最高裁判決が確定している。今回の判決は、「今は、適正な対価の支払いを受けている」ことを主たる理由として請求を棄却した。なお、原告になった市民とは右翼活動家で、弁護団も原告と政治信条を同じくするグループ。
さて、あらためて政教分離とは何であるか。日本国憲法第20条1項本文は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と信教の自由を宣言する。そして、これに続けて「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定める。宗教の側を主語として、政治権力との癒着を禁じている。さらに、同条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と、公権力の側からの宗教への接近を禁じている。これが、憲法上の政教分離原則である。
政教分離の「政」とは国家、あるいは公権力を指す。「教」とは宗教のこと。国家と宗教は、互いに利用しようと相寄る衝動を内在するのだが、癒着を許してはならない。厳格に高く厚い壁で分離されなくてはならないのだ。
なぜ、政教分離が必要か、そして重要なのか。「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた」(毎日新聞社説)、「かつて(日本は)国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられたのだ」(沖縄タイムス社説)などと説明される。
この原則を日本国憲法に書き込んだのは、戦前に《国家と神道》が結びついて《国家神道》たるものが形成され、これが軍国主義の精神的支柱になって、日本を破滅に追い込んだ悲惨な歴史を経験したからである。国家神道の復活を許してはならない。これが、政教分離の本旨である。そのとおりだが、《国家神道》とは、今の世にややイメージしにくい言葉となっている。平たく、『天皇教』と表現した方が分かり易い。創唱者イエス・キリストの名をとってキリスト教、仏陀を始祖とするから仏教。また、キリストや仏陀を聖なる信仰の対象とするから、キリスト教と称し仏教と言う。ならば、天皇の祖先を神として崇拝し、当代の天皇を現人神とも祖先神の祭司ともするのが、明治以来の新興宗教・「天皇教」である。 この「天皇教」は、権力が作りあげた政治宗教であった。天皇の祖先神のご託宣をもって、この日本を天皇が統治する正当性の根拠とする荒唐無稽の教義の信仰を臣民に強制した。睦仁・嘉仁・裕仁と3代続いた教祖は、教祖であるだけでなく、統治権の総覧者とも大元帥ともされた。
この天皇教が、臣民たちに「事あるときは誰も皆 命を捨てよ 君のため」と教えた。天皇のために戦え、天皇のために死ね、と大真面目で教えたのだ。直接教えたのは、学校の教師たちだった。全国各地の教場こそが、天皇教の布教所であり、天皇のために死ぬことを名誉とする兵士を養成し、侵略戦争の人的資源としたのだ。
目も眩むような、この一億総マインドコントロール、それこそが天皇教=国家神道であり、戦後新憲法制定に際しての旧体制への反省が政教分離の規定となった。
当然のことながら、戦前の天皇制支配に対する反省のありかたを徹底すれば、天皇制の廃絶以外にはない。しかし、占領政策の思惑は戦後改革の不徹底を余儀なくさせ、日本国憲法に象徴天皇制を残した。この象徴天皇を、再び危険な神なる天皇に先祖がえりさせてはいけない、天皇教の復活を許さない、そのための歯止めの装置が政教分離なのだ。
だから、憲法の政教分離に関する憲法規定は、本来が、『公権力』と天皇教の基盤となった『神道』との癒着を禁じたものである。それゆえに、リベラルの陣営は厳格な政教分離の解釈を求める。靖国神社公式参拝・玉串料訴訟、即位の礼・大嘗祭訴訟、護国神社訴訟、地鎮祭訴訟、忠魂碑訴訟等々は、そのようなリベラル側からの訴訟であった。これに反して、右翼や歴史修正主義派は、天皇教の権威復活を求めて、可能な限りの政教分離の緩やかな解釈を求めるということになる。
ところが、世の中にはいくつもの捻れという現象が起きる。那覇孔子廟訴訟(前訴)がまさしくそれで、今回の訴訟もその続編である。後に知事となった翁長雄志那覇市長(当時)に打撃を与えようとの提訴ではあったが、前訴では比較的厳格な政教分離解釈を導き出している。リベラル派としては、喜んでよい。
今回の判決では、「歴史や学術上価値の高い公園施設として市が設置を許可しており、実際に多数の観光客らが訪れたり、教養講座が開かれたりしていると指摘。最高裁判決後、久米崇聖会が市に年間約576万円の使用料を支払っていることにも触れ『特段の便益の提供とは言えない』として、政教分離原則に反しないと判示した」と報じられている。喜ぶべきほどのこともなく、残念と思うほどのこともない判決と言ってよいだろう。
(2022年3月27日・連続更新9年まであと4日)
誰がなんと言っても言わなくても、もう春ですな。
世の中は三日見ぬ間の桜かな
銭湯で上野の花のうわさかな
今日が満開の、のどやかな上野の桜でございますが、あの上野戦争のときは、のどかどころではなかったそうですな。長州藩のアームストロング砲が、本郷台から不忍池を飛び越して寛永寺に籠もった彰義隊を吹き飛ばしましてな。上野は火だるま、そりゃあ江戸中エライ騒ぎだった。戦争は勘弁ですな。
太平洋戦争末期の東京大空襲でも、上野のまわりは焼け野原になりましてな。上野のお山には、たくさんの亡骸が埋っているんでございます。もう、戦争は絶対にやっちゃいけません。ありゃあ、人殺しで、火付けで、強盗なんですから。誰だって、殺されるのも、殺すのもまっぴらご免でしょ。
ところが、戦争やりたい人って、実はいるんですな。だから、戦争がなくならない。たとえばプーチンというお人。人殺しをなんとも思わない。戦争に勝てば歴史に名を残せるとでも思ってるんでしょうか。今年の桜はこの人のお蔭で、十分に楽しむことができない。
そして、プーチンと大の仲良しという安倍晋三というお人。戦争大好きという点でプーチンと同類で気が合うようですな。いつでも戦争ができるように、準備を進めておこう。そのためには、憲法を変えて、戦争できるように法律を整備して、軍事予算を増やして…、ナショナリズムを吹聴し他国民を差別して…、というたいへんな食わせ物。
こんな人に、日本の国民は9年近くも総理大臣をやらせていたんですから、情けない。このお人に面と向かって、「アベ、やめろ」と叫んだ立派な人もいた。そしたらどうなったか。警察に取り押さえられ、現場から排除されちゃったんですよ。勇気をふるって、立派なことを言ったばっかりに。3年前のことですが、日本って、所詮そんな国なんですな。
一昨日(3月25日)、札幌地裁で、この事件についての国家賠償請求訴訟の判決が出て、話題となっていますな。裁判所も捨てたものじゃない。たまにはですが、立派な判決も出す。
長い名前の「ヤジ排除訴訟札幌地裁判決に対する原告・弁護団声明」をご紹介しましょう。
「ヤジ排除訴訟」というのが、この裁判の名前。届出の制度があるわけではないから、訴訟の名前は自由に付けていいんですな。途中で変えたってよい。「安倍やめろ訴訟」でも、「安倍やめろと叫ぶ自由を求める裁判」でも、「安倍やめろと叫ぶ自由を圧殺した警察を糾弾する訴訟」でも、あるいは「安倍晋三に忖度して、『安倍やめろ』『増税反対』と叫ぶ表現の自由を蹂躙した警察を、安倍の代わりに道警を管轄する北海道を被告とする国家賠償訴訟」でもよかったんですが、寿限無のような長い名前は不便ですから、スッキリと「道警ヤジ排除訴訟」。総理大臣のヤジはみっともないが、庶民のヤジは有益で大切、排除なんてとんでもないというわけ。
「原告」はお二人。「安倍やめろ」「安倍かえれ」発言の30代の男性(原告1)と、「増税反対」と叫んだ20代の女性(原告2)。性別も年齢も、なんの意味もありません。意味があるのは、お二人とも憲法に保障された「表現の自由」を行使したということ。それも、最高権力者に面と向かって。最初は、男性一人の裁判だった。あとから、女性も裁判を起こして、併合されています。そして、「弁護団」は、正式には「道警ヤジ排除訴訟弁護団」。道内の弁護士8名での構成。いや、お見事。
声明は、冒頭でこう言っています。
「本日(3月25日)、札幌地方裁判所民事5部(廣瀬孝裁判長)は、2019年7月15日にJR札幌駅及び札幌三越前で参議院議員選挙の応援演説を行う安倍晋三元内閣総理大臣(以下「安倍元首相」という)に対して、「安倍やめろ」「増税反対」などと発言したことによって警察官らに排除された原告2名が北海道(警察)を訴えた国家賠償請求事件について、合計金88万円の支払いを認める判決を言い渡した。
この判決は、北海道警察による表現の自由への侵害を正面から認めた歴史的な判決である。」
3年前何が起こったのか。どんな裁判を提起したのか、そしてどんな判決が言い渡されたのか。これで、だいたい分かりますな。「声明」は、これに続けて「歴史的な判決」と評価する3点の理由をこう説明しています。
「本日の判決については次の3点を高く評価したい。
第1に、警職法4条及び5条を理由に警察官らの行為は正当化されるとの被告(警察側)の主張を明快に排斥し、警察官らの排除行為を違法であると判断した点は、当然のこととはいえ、正当な事実認定及び法適用を行ったものであり、高く評価する。
第2に、原告らのヤジをいずれも、「公共的・政治的事項に関する表現行為であることは論をまたない」と断じ、かかる表現の自由を警察官らが排除行為によって侵害したと認めた。これは、民主主義社会における表現の自由の重要性を明示した点において、本件の社会的意義について正面から向き合った判断を行ったものであり、この点も高く評価したい。
第3に、原告2(20代女性・当時学生)に対する警察官らの執拗な付きまとい行為について、原告2の移動・行動の自由、名誉権、プライバシー権の侵害であることを明確に認めた点も、警察官らの同様の行為を抑止する効果を有するものであり、この点もまた、高く評価したい。」
警察という実力組織が勝手なことを始めたら、官営の暴力団になってしまいます。その大親分が内閣総理大臣の安倍晋三。これは、洒落にもユーモアにもならない怪談噺。実際、その寸前だったわけですな。恐ろしいことではありませんか。警察は安倍晋三に十分喋らせるために、ヤジを即刻取り締まったんですぞ。
警察を国営暴力団にしない歯止めとして、警察官職務執行法がある。警察官は、この法律で決められたことしかやってはいけない。この裁判でも、警察側は「警職法4条及び5条に基づく権限を行使したもので、違法ではない」と言ったわけですが、何しろ白昼、衆人環視の中での出来事。たくさんのカメラが見つめていた。天網恢々動画が残されていたと言うわけ。判決は、警察側の言い分を詳細に動画に照らし合わせて検証して、全て否定しました。北海道新聞はこの点を「道警完敗」と見出しを打っています。
声明は、最後にこう言っていますな。
「市民が街頭において抗議の声をあげることは表現の自由として保障されている。特に、市民が政治家とのコミュニケーションをとる機会が限られている中、政治家の演説に対して直接抗議や疑問の声を届けることは、民主主義社会において重要な権利行使の局面である。民主主義社会において賛否両論があることは当然であり、一方の主張を警察権力を用いて封じ込めることは断じてあってはならない。
本日の判決は、北海道警察による排除行為が、警察権力による表現の自由の侵害であるとして、その手法を厳しく断じた。北海道警察はもとより全ての警察機関には、本日の判決を重く受け止め、違憲・違法な警察活動を繰り返さないことを求める。」
教訓とすべきは、不当なことには声を上げなきゃいけないということ。その権利が保障されていることは、この判決が明らかにしています。声を上げることなく自制を続けていると、声が出なくなる、権利が弱まる、権力者をのさばらせる、そして、戦争準備を加速させる。
この札幌地裁判決。本当の被告は、安倍晋三とこれに忖度した幹部警察官僚というもの。痛烈な安倍と安倍におもねる警察権力への批判。憲法が正常に機能した場面を見ることはまことに心強いものですし、多少は溜飲が下がる思いもいたします。今年の桜、美しく見直すこともできようというものでございますな。
(2022年3月26日・連続更新満9年まであと5回)
疫病が蔓延していても、外つ国に戦争があっても、季節の巡りは変わらない。春はきて花が咲く。小鳥もさえずる。そして、巷では相も変わらぬ改憲論である。
北朝鮮がミサイル発射した、それっ改憲だ。コロナ対策に改憲だ。中国の脅威に備えて改憲だ。1票の格差是正にカイケンだ。天皇の跡継ぎ確保にカイケン。箸が転んでも改憲、転ばなくても改憲、カイケン。そんなカイケン論者が、マイクを握っていた。
「諸君、この度のロシアのウクライナ侵攻を見よ。目を覚ませ。もはや憲法9条で国は守れないことが明白になったではないか」
「おや、まったく存じませんでした。ウクライナは憲法9条をもっていたのに、侵略されたんですか」
「いや、そうではない。ウクライナには立派な軍隊もあり、徴兵制もある」
「じゃあ、立派な軍隊も徴兵制も侵略防止には役立たなかった、と言うべきではありませんか」
「私が言いたいのは、ウクライナの軍備が足りなかったということだ。もっともっと軍事力を増強しておけば、ロシアも侵略できなかったはずなのだ」
「ロシアの侵略を阻止するために、もっともっと軍事力を増強って、いつたいどのくらいの軍事力が必要だったのですか」
「愚問だ。そんなことは分からん。多ければ多いに越したことはないとしか言ようがない。ロシアの兵力を上回ることができれば万全だが、それは無理だろう」
「ウクライナが軍備を増強していればロシアに侵略を断念させたかも知れません。でも、その反対にロシアを刺激してロシアの軍事力を増強させる切っ掛けにも、もっと早い侵略の口実にもなったかも知れません」
「そんなことは当たり前だ。軍備の増強とは、国民の負担を覚悟してやるものだ。ウクライナであろうとも、ロシアであろうとも、国民がその負担を嫌がったら他国の侵略を許すことになる」
「軍事力で国を守ろうとすれば、相互に軍事的な優位を競わねばならない。たちまちにして軍備拡大の負のスパイラルに落ち込んでしまう。日本国憲法の平和主義は、その歴史的教訓を踏まえてのことではありませんか」
「古来から、『汝平和を欲さば戦への備えをせよ』というではないか。侵略を阻むための国民の負担はやむを得ない。軍備の後れが敗戦につながったら悲惨なことだし、元も子もなくなるのだから」
「『汝平和を欲すれば、平和への備えをせよ』でなくてはならないと思いますよ。それが9条の精神。むしろ今こそ、しっかりと9条を守らねばなりません」
「じゃあ、私から聞こう。憲法9条とは、丸腰の思想だ。この奸悪な国がひしめく国際社会で、9条丸腰論で日本を守ることができると思っているのかね」
「軍備で平和を守るという方途に平和へのリアリティがなく、むしろ危険が大きいのですから、非武装の道を選択するしかありません。日本国民は敗戦後、その覚悟の選択をしたのです。9条と前文とが一体となった日本国憲法の非武装平和主義は、軍備による平和をしのぐリアリティがあるのは当然です」
「後生大事に9条さえ守っていれば、平和が保てるとでも?」
「そんなことは誰も言っていません。まったく逆です。日本国憲法の平和主義は、日本国と国民に、積極的な平和への努力を要請していると理解すべきです。多くの戦争の原因である、主権侵害、国際的収奪、経済格差、人種や民族による差別、貧困、人権侵害等々の解消に積極的に参加し、各国の国家や国民の交流を盛んにし、国際機関の運営に協力する…。そのような平和のための積極的な行動を通じて日本国民の平和と安全が保障されるものとの理解です」
「とは言うがね。現に、どこかの国から侵略されたらどうする。そのとき、丸腰ではどうしようもないではないか」
「現に侵略されたらどうするか? 軍備があろうとなかろうと、たいへんな事態であることに変わりはありません。アフガンもイラクも、相当の軍備があってなお、ソ連やアメリカによる侵略で悲惨な目に遭っています。現在のウクライナも同様。こうならないような努力をしなければなりません」
「集団安全保障や集団的自衛権を積極的に活用せよということかね」
「むしろ、どの国とも等距離を保っての中立策が現実的ではないでしょうか」
「この度のウクライナ侵略問題では、NATOの支援が有効に働いているように見えるが」
「ウクライナはNATOに加盟はしていませんが、明らかにその庇護の元にある。準加盟国といっても、事実上の加盟国といってもよい。しかし、アメリカはウクライナに対する直接支援を自制せざるを得なかった。また、NATO加盟の米・英・仏は核保有国です。その核威嚇もロシアの開戦意欲を封じることはできなかった。大国との軍事同盟が有効であるか。よく考えなければならなりませんよね」
「問題は9条だが、これは理念や精神の問題で、それ自身に戦争を抑止する効果はないという説明かね」
「戦争には侵略戦争と自衛戦争とがあります。過去の皇軍の戦争も今回のプーチン・ロシアの戦争も、明らかな侵略戦争。非武装なら侵略戦争は仕掛けられませんよね。これだけでも、9条には大きな効果があります。国内に軍隊がなければ軍人が威張ることもないし、軍国主義教育がはびこることもない。9条は大切ですよ」
「そうか。納得はしないけど、分かった」
その場を離れて、しばらく歩くと、またスピーカーからの声が聞こえた。
「諸君、北朝鮮のICBMのEEZへの着水を見よ。さらに、香港蹂躙を経て台湾侵攻を目論む中国を見よ。今日のウクライナは明日の台湾である。目を覚ませ。もはや憲法9条で国は守れないことが明白になったではないか。核共有の議論も必要となっているではないか」
(2022年3月25日・連続更新満9年まであと6回)
ロシアのウクライナ侵攻1か月目に当たる昨日(3月24日)の毎日新聞夕刊トップに「露軍 死傷・捕虜4万人」「侵攻1カ月 NATO推計」という大見出し。
リードは、「ウクライナに侵攻したロシア軍の死傷者や捕虜などの人的損失は3万?4万人に達するとの推計をNATO軍当局者が23日、明らかにした」「露軍の侵攻開始から24日で1カ月。ウクライナ軍の激しい抵抗を前に露軍の被害は増大している。都市部への遠距離攻撃が増え、民間人の被害が拡大している」というもの。
もちろん、ロシア軍の被害の正確性はよく分からない。が、あらためて戦争とは人を殺し合う野蛮なもので、業の深いものと思わざるをえない。侵略側のロシア軍の軍事作戦が順調であってはならない。その思いは強いが、さりとて、ロシア軍兵士の死傷者の増大を歓迎する気持ちにもなれない。
私の父も関東軍の兵士として、ソ満国境の守備隊に駐屯していた。紛れもない侵略軍の一員である。しかも、終戦まで「五族協和」などという皇軍のプロパガンダを信じ込んでいたという。定めし、今のプーチンが、当時の裕仁の役どころ。プーチンやらヒロヒトの妄言を信じ込んだ罪の代償が戦死であり、その母の涙というのはあまりにも切ない。
私が愛読する米原万里の著書の中に、「ロシアは今日も荒れ模様」がある。その一節に、ソ連崩壊直前の1990年夏時点での、「兵士の母の会」会長のモノローグが掲載されている。
ナタリア・シェルジェコア(「兵士の母の会」会長):4年前一人息子を徴兵されてから軍隊生活の恐るべき非人間性に改めて驚かされる。兵舎内のリンチ事件や事故で息子を奪われたソ連各地の母親と連絡を取り合い、89年4月に兵舎内の人権確立を求めて軍を外側から監視する市民組織「兵士の母の会」を結成。今息子はすでに兵役を終えて大学生になっているが、母親の方は徴兵制が廃止されるまで兵士の母を続けるそうだ。本職は経済研究所の研究員。
「9年余も続いたアフガン戦争で、ソ連軍は15000人の戦死者を出している。けれど、ペレストロイカ以降のたった4年間で、戦場ではなく兵舎内で同じ数の兵士が命を奪われているの。その原因は古参兵による新兵いじめ、異民族出身者間のリンチ、土木工事に動員されての事故死。ソ連の軍隊がどれほど非人間的なところか分かるでしょう
中国でも東欧でも学生たちは改革運動の先頭に立っているというのに、ソ連の学生は天安門事件の時も知らん顔。大学入学前の3年間の兵役中に、想像力も思考力も奪われた従順な家畜の群れに改造されてしまうからよ。新兵いじめはその格好な手段。だから死人が出るほど悲惨なこの悪習を軍当局は温存しているのね。
しかも軍隊は上官の命令が絶対的な世界だから、18歳から21歳までの青年たちを不当に使役している。危険な土木工事や、チェルノブイリの除染作業に、労働安全規定など完全に無視して動員しているわ。その強制労働の代償が月70ルーブルよ。それに許せないのは将軍たちの別荘作りにまで兵士たちを動員していること。
今年90年6月1日には、モスクワのゴーリキー公園で「兵士の母の会」主催の大集会を開いたのよ。軍に息子の命を奪われたり身障者にされた母親たちが全国から馳せ参じてくれた。息子達の遺影を抱えた母親たちが一斉に壇上に上がって訴えたの。
1.憲法も国際協定も禁じている軍隊内強制労働を直ちになくすこと
2.国会議員と親の代表に兵舎内立入検査を認めさせること
3.戦時平時の別なく軍勤務中に落命した将兵の母親を全て対等に扱い、一人当たり5万ルーブル以上の賠償金を支払うこと
どれも当たり前のことでしょう。」
ロシア兵の母親による抗議は、30年後の今も起きている。英国紙テレグラフやラジオ局「スバボーダ」などによると、ロシア南部のケメロボ州で、兵士の母親たちがツィヴィリョフ州知事と面会し、次のような厳しいやりとりを交わしたという。(岡野直報告)
母親 みんな騙された。
知事 誰もだましていません。
母親 大砲の餌食になるため送られた。ベラルーシで演習なんてやらなかったのでは。準備もできていなかったのに、なんで若者が送られたんですか。みんな20歳ですよ。
知事 これは特別な作戦で、誰もコメントはしないんです。それは正しい。彼ら(若者)を使ったのは…
母親 「使った」って!私たちの子供を「使った」のですか。
知事 彼らは、特別な任務を与えられて、そのため努力しているのです。
母親 彼らは自分の任務を知りません。
知事 叫ぶことや、誰かを批判したりすることはできますが、今行われているのは軍事作戦です。結論めいたことを言ったり、批判したりしてはいけません。作戦はまもなく終了します。
母親 その時には、みな死んでいる。
息子たちの遺影を抱いた、万を超えるロシア軍「兵士の母」の涙を思わずにはおられない。その涙は、ウクライナ兵士の母のものと変わるところはないのだ。罪深いのは戦争であり、責めを負うべきはプーチンである。
(2022年3月24日・毎日連続更新満9年まであと7回)
ロシア軍がウクライナに侵攻を開始したという仰天の報から、本日でちょうど一か月、そして4週間。まさかの戦争、まさかの侵略、まさかの原発攻撃、まさかの無差別爆撃…。多くの市民の家が焼かれ、非戦闘員が逃げ惑い、市民や兵士の命が失われた。数え切れない悲しみと怒りと不幸を生み出した、この悪夢の一か月。
プーチン・ロシアのウクライナ軍事侵攻に対する批判は、ほぼ世論を席巻している。親ロシア派として知られる維新の鈴木宗男までが、議会のロシア批判決議に賛成した。こうなると、自公維国や右翼とも声を揃えてのプーチン批判には、内心忸怩たる思いもあるのだが、今はともかくプーチン非難に徹しなければならない。ロシア・プーチンに対する抗議の声を積み上げなければならない。
もう30年も前のこと、湾岸戦争に伴って自衛隊の海外派兵を可能とする「国連平和協力法案」が国会上程されたとき。我が家では「家族声明」を出した。私と妻と中学生の長男と、当時家族の一員で平和を願うチャウチャウの「シシ丸」、4名全員の合議一致の声明。これを新聞に取りあげてもらったことがある。大組織の声明も大事だが、一人ひとりの無数の声明はより重いと思う。
当ブログでは、2月28日に「ロシアのウクライナ侵攻に抗議する、東京弁護士会・兵庫県弁護士会・大阪弁護士会・自由法曹団の各声明紹介」を掲出した。
https://article9.jp/wordpress/?p=18650
その後に目についたいくかの「声明」をご紹介する。ぜひとも、もっともっと、抗議の声を挙げていただくよう期待したい。
(1) ロシアのウクライナ侵攻反対する一庶民声明
一、戦争は、庶民を犠牲にするものであり、どんな戦争も庶民に対する犯罪である。
私は、軍事で儲けようとする国家権力者と対峙する庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、大日本帝国が近隣諸国にしたことは、ロシアがウクライナにしていることと同様である。
私は反大日本帝国の庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、アメリカが敗戦確実の日本に原子爆弾を落とし、日本をアメリカの言いなり国家にしたことは、ロシアがウクライナにしていることと同様である。
私は在日米軍基地の返還を求める庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、アメリカがイラクにしたことは、ロシアがウクライナにしていることと同様である。
私はこれまでの大国の軍事攻略を批判する庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、ウクライナは、チェルノブイリ原発事故を起こしながらなおも原発大国である。
私は、福島原発事故を起こしながらなおも原発大国である日本が、「憲法9条を改正し、大日本帝国のような軍国主義を復活させ、原子爆弾を製造しようとしている」と大国から侵攻されることを憂い、憲法9条の実現と原子力発電所の廃止を求める庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
一、戦火を逃れて難民になっているウクライナ庶民、経済制裁で苦しんでいるロシア庶民、そして戦闘をしている兵士たちも庶民。
私は、ウクライナ庶民、ロシア庶民と連帯する庶民として、ロシアのウクライナ侵攻に反対する。
(この一庶民が、どこのどなかは知らない。たった一人の「声明」もネットでは拡散できる時代となつているのだ)
(2) ロシアによるウクライナ侵攻について(地方6団体声明)
2月24日、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を行った。
このことは、国際社会ひいては我が国の平和と秩序、安全を脅かし、明らかに国連憲章に違反する行為であり、断じて容認できない。
ここに我が国の地方自治体を代表して、ロシア軍による攻撃やウクライナの主権侵害に抗議するとともに、世界の恒久平和の実現に向け、ロシア軍を即時に完全かつ無条件で撤退させるよう、国際法に基づく誠意を持った対応を強く求める。
また、政府においては、邦人の確実な保護や我が国への影響対策について万全を尽くしていただきたい。
令和4年(2022年)2月25日
地方六団体
全 国 知 事 会 会 長 平井 伸治
全国都道府県議会議長会会長 柴田 正敏
全 国 市 長 会 会 長 立谷 秀清
全国市議会議長会会長 清水 富雄
全 国 町 村 会 会 長 荒木 泰臣
全国町村議会議長会会長 南雲 正
(衆参各議院の決議の前に、地方6団体がこの声明を発していた。侵攻の翌日のこと、素早い対応に驚かざるを得ない。)
(3) 【緊急声明】ロシア軍のウクライナ軍事侵攻を強く非難する
東京を本拠とする国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、2022年2月におけるロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻を強く非難する。
武力による軍事侵攻は、武力行使を原則禁止する国連憲章に対する重大な違反であり、ウクライナの民間人の生命及び安全に対する権利を深刻に侵害するものである。なお、プーチン大統領は、軍事侵攻の事実上の理由として、過去8年間の脅しと大量虐殺の対象となってきたウクライナ国内の人々を守ることであり、そのためにウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指すと述べているが、そのような大規模な人権侵害の具体的な証拠は何ら示されていない。また仮に事実だとしても、国連憲章上、そのために一国の判断により武力を行使することは許されない。
ヒューマンライツ・ナウはロシアに対し、直ちにウクライナにおけるすべての軍事行動の停止とウクライナからの全ての兵の撤退をすることを求める。また、ロシアで戦争に反対して拘束された人々の即時釈放と拘束下での人道的処遇の確保を求める。
2022年2月25日,東京
特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ
(人権団体の緊急声明である。さすがに早い。ウクライナ侵攻開始翌日の声明。ロシア国内での人権侵害にも言及されている。)
(4) 3月5日毎日新聞の報道では、同時点で、日本の大学や学会少なくとも計約50団体が、ロシア軍のウクライナ侵攻に抗議する声明を学長名などで出している。海外の戦争に学界が強く反応するのは異例という。
日露大学協会の幹事校を務める北海道大の宝金清博学長は「ウクライナ侵攻は許容されない」とする声明を日本語、英語、ロシア語、ウクライナ語で発表した。国内唯一の旧ソ連圏・東欧の地域研究機関、同大スラブ・ユーラシア研究センターも、ウクライナ市民と戦争に反対するロシア市民への連帯を表明。ロシア・東欧学会などロシア関連の学会のほか、東京大や九州大も同様の声明を出した。
また、プーチン露大統領の核兵器を念頭に置いた発言などに関して、原爆被爆地にある広島大や長崎大、原発事故からの復興でウクライナと協力してきた福島大が批判した。
大学事情に詳しい教育ジャーナリストの小林哲夫さんは「大学の反戦声明は、ベトナム戦争でもイラク戦争でもほぼなく画期的だ」としている。
声明を出した主な大学や学会など(3月5日時点、毎日新聞調べ)
【国公立】北海道大、東北大、福島大、東京大、奈良女子大、広島大、九州大、長崎大、新潟県立大、京都市芸大、神戸市外大【私立】北海学園大、酪農学園大、高崎健康福祉大、聖学院大、早稲田大、上智大、明治大、立教大、国際基督教大、明治学院大※、東洋大、武蔵野大、桜美林大、東京農大、東京基督教大、日本福祉大、朝日大、立命館大、龍谷大、京都外大、京都ノートルダム女子大、関西大、大阪観光大、神戸親和女子大【学会など】日本学術会議、ロシア・東欧学会、日本ロシア文学会、日本スラヴ学研究会、日本社会学会、日本18世紀学会、日本社会文学会、日本平和学会、日本医学会連合、日本天文学会、居住福祉学会、日本私立大学連盟、国立大学協会 ※は学科名義や部局有志名義など。他はトップ名義など。
(5) こういう声明には最も縁遠い印象の慶應大学も、慶應義塾大学(関係)教員有志名で、下記の「ロシア政府によるウクライナ侵攻に関する緊急声明」を発出している。
我々、慶應義塾大学でロシア・東欧・ユーラシアに関する研究と教育を行う者は、ロシア政府によるウクライナへの軍事侵攻を強く非難し、即時停戦を求めます。
また同時に、ウクライナとロシアの両国に対し、また全世界に対して、すべてのウクライナ語話者およびロシア語話者、ウクライナ国民およびロシア国民に対する、迫害・差別・誹謗中傷・行動の強制が行われることのないよう、強く要望します。暴力はもちろん、暴言の応酬、政府と国民とを同一視した個人攻撃、少数派や弱者に対する差別、発言や行動の強要は、どのような状況下であれ許されるものではありません。
現在、ウクライナ国内はもとより、世界中に暮らす当事国の国民と関係者がこの戦争に傷つき眠れぬ日々を送っています。その原因の一つは、周囲の人々からの、あるいはネット上での心ない非難や態度、無責任な言葉です。ウクライナやロシアにおける民族構成と歴史認識には想像を越える複雑さがあり、両国民一人一人のこの戦争に対する立場は、属する国家のそれと必ずしも一致しません。また出自や思想信条の違いによってその生命や職業が脅かさることは、そもそもあってはなりません。
我々は、だから部外者は黙っていようと言うのではありません。むしろ今こそ、少しでも客観的な情報を求め、多くの当事者たちの生の声に耳を傾けるべきでしょう。戦争終結後も両国には深い傷と溝が残ります。失われた人命と遺族の悲しみは永遠に歴史に刻まれ、ウクライナ社会は復旧に多大な時間を要し、ロシアは国際社会で孤立を深めるでしょう。そうした戦後世界で共に生きるために今できることは何か、我々は考えるべきです。
2022 年 3 月 2 日
慶應義塾大学 熊野谷葉子(法)、越野剛(文)、朝妻恵里子(理工)三神エレーナ、大串敦(法)、北川和美、深澤洋子、守屋愛、アナトーリー・ヴァフロメーエフ, 廣瀬陽子(総政)、後藤クセーニヤ
(6) 日本ペンクラブは、日本文藝家協会、日本推理作家協会とともに、3月10日、「ロシアのウクライナ侵攻に関する共同声明」を発表しました。13時からの共同記者会見には日本ペンクラブ桐野会長、日本文藝家協会林真理子理事長、日本推理作家協会京極夏彦代表理事が出席し、声明を発表後、記者の質問に答えました。
「ロシアによるウクライナ侵攻に関する共同声明」
私たちは、ロシアによるウクライナ侵攻に強く反対します。
これは、完全に侵略であり、核兵器使用に言及した卑怯な恫喝であり、言論の自由を奪い、世界の平和を脅かす許し難い暴挙です。
私たちは表現に携わる者として、人々の苦悩や悲嘆、そして喜びを表してきました。しかし、新たな戦争の愚かさについてなど、書きたくはありません。
ウクライナの人々の命、人々が築いた文化、産業、街や学校、施設などがこれ以上破壊されないように、そしてロシアの人々の自由と命も無用に奪われることのないように、一日も早い戦争の終結を願います。
2022年3月10日
日本ペンクラブ・日本文藝家協会・日本推理作家協会
各団体理事会および有志による声明文
日本ペンクラブ 会長 桐野 夏生
日本文藝家協会 理事長 林 真理子
日本推理作家協会 代表理事 京極 夏彦
(7) ロシアによるウクライナ侵攻に関する緊急声明
2022年3月1日
一般社団法人日本医学会連合
会長 門田 守人
2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始しました。独立国家の主権を侵害し国際秩序を毀損する行為として許されるものではありません。さらに、戦闘に関わる人的被害の報告とともに、国連難民高等弁務官事務所(the office of the united nations high commissioner for refugees; UNHCR)からは、故郷を追われた避難民は36万人以上に達するとの報告がなされています。
人々の生命・健康を守るべき立場の医学・医療に関わる学会を代表する学術団体として、日本医学会連合は、人命および人権を代償に一方的に現状変更を迫る軍事侵攻に強く反対します。
世界各国が協調と対話を重ね、平和的外交手段で可及的速やかに事態を収拾することを求めます。
(医学界が平和を求め戦争を忌避するというのは、当然のことながら心強い)
(8) 平成2年に平和都市宣言をした君津市は、世界の恒久平和は人類の共通の願いであり、その実現には人々が互いに理解を深め合い、戦争のない社会を追求するとともに、あらゆる差別や暴力を排除していかなければならないと考えています。
よって、今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻を断じて容認することはできず、令和4年3月7日に、市と市議会の共同による声明を発表しました。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対する共同声明
2月24日、ロシアは国際社会の声を無視し、ウクライナへの軍事侵攻を開始した。
これは、武力の行使を禁ずる国際法や国連憲章に違反し、国際社会の平和と秩序を根幹から脅かすもので、断じて容認することはできない。
平成2年に「世界の恒久平和は、人類の共通の願いである」とする平和都市宣言をした君津市及び君津市議会は、ロシアによる軍事侵攻に対し、抗議と非難の意を強く表明するとともに、ロシア軍の即時無条件での撤退を強く求める。
また、政府においては、国際社会と連携し、ウクライナの人々及び在留邦人の安全確保や国民生活にもたらす影響への対策に万全を尽くすよう要請する。
令和4年3月7日
君 津 市 長 石 井 宏 子
君津市議会議長 三 浦 章
(国際問題についての声明に元号使用は情けないが、市長と議会議長の連名で、地方自治体の声明として簡潔に立派なものとなっている。)
(9) ロシアによるウクライナ侵攻に抗議する声明(文京区)
文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、昭和54年12月「文京区平和宣言」を行うとともに、昭和58年7月には「文京区非核平和都市宣言」を行い、核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴えています。
この度、ロシアがウクライナに軍事侵攻を行ったことは、国際社会の平和と秩序、安全を脅かす行為であり、断じて容認することはできません。
加えて、核兵器の使用を示唆したことは、唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張している文京区及び文京区民の声を踏みにじるものであります。
ここに、私は、平和宣言及び非核平和都市宣言を掲げる首長として、核兵器の使用に断固反対し、ロシアに対して厳重に抗議するとともに、即時に攻撃を停止し、完全かつ無条件での撤退を強く求めます。
令和4年3月4日
文京区長 成澤 廣修
(私の地元自治体の区長声明。核兵器核兵器に断固反対と言っている)
(10) ウクライナ侵攻に関する声明文(中央大学)
2022年2月にはじまったロシア政府によるウクライナ侵攻によって、多くの市民の生命が失われ、平和の中に生きるという本質的な人権が侵害されています。中央大学は、この惨禍を終わらせようとする国際社会の努力に敬意を表するとともに、大学を設置する学校法人として、また高等教育研究機関としての責任を果たし続ける所存です。
いうまでもなく、学びは人類の福祉、平和と人権の基礎であり、それを守ることが高等教育研究機関の重大な責務です。そこで、中央大学は、その使命の一つを「人類の福祉に貢献すること」であると学則に定め、また中央大学ダイバーシティ宣言においても「すべての人びとに学びの機会が平等に開かれることの重要性を認識」していることを表明して、世界中の国や地域から、多くの学生・研究者・教員を受け入れています。
中央大学は、この惨禍の一日も早い終息を祈望しつつ、ウクライナやロシアからの学生・研究者・教員の皆さんが安心して教育研究を継続できるよう全力で努力するとともに、キャンパスの内外を問わず、ロシアをはじめとする出身地に基づく全ての差別やヘイトに反対することを表明いたします。
2022.03.17
理事長 大村 雅彦
学 長 河合 久
(ウクライナ・ロシア両国からの留学生・研究者・教員の人権に配慮を、という趣旨の声明。なるほど)
(11)(一社)国際空手道連盟極真会館 田畑 繁 理事長が、日本国内外に「ウクライナ侵攻」についての声明文を発表しました。
声明文「ウクライナ侵攻について」
理事長 田畑 繁
大山倍達総裁は1975年の第1回世界大会において、極真理念を発表しました。
「極真カラテは人種、民族、国境を越え、政治、宗教、思想の垣根を撤廃し、世界人類の平和の実現を目指す。」
私たちは一人一人の命の尊さを知っています。武道は、人命を尊重し、敬意を表し、礼儀礼節を尽くします。両親に授けていただいたかけがえのない命ほど大切なものは、世の中にはありません。世界中どの国でも、両親の愛、家族の愛を一身に与えられて、人は育っていきます。人は元々、愛し合う力を持っています。人間は愛の結晶です。
しかし、戦争は命を殺す行為です。平和とは真反対の行為です。戦争の犠牲の上に成り立つ平和などありません。この、何物にも代えられない尊い命を戦争の犠牲にしてはなりません。
私たちは、これ以上、戦争による犠牲者が出ないこと、又、亡くなった全ての人に哀悼の誠を尽くします。
そして、極真会館は戦争に反対します。
(空手界からの戦争反対の声明、スポーツ界から、もっと同様の声が欲しい)
(12) 東京藝術大学 学長声明
ロシアによるウクライナ侵攻は、許しがたい暴挙であり、決して容認できるものではありません。
ウクライナは、作曲家のセルゲイ?プロコフィエフ、カロル?シマノフスキ(キエフ県生まれ)、20世紀最高のヴァイオリニストのダヴィッド?オイストラフやナタン?ミルシュタイン、そして1931年から13年間にわたり東京藝大音楽学部の前身である東京音楽学校で多くの音楽家を育て、日本音楽界の恩人とも言うべきピアニストのレオ?シロタなど多くの優れた音楽家を輩出しています。戦禍に直面するウクライナ市民の苦しみはもちろんですが、ロシアの人々もごく少数の一部の指導者たちの過った判断によって突入した侵略戦争により、世界中からの経済制裁や、優れたアーティストやアスリートもロシア人であるからという理由で締め出されるなどの理不尽を強いられています。
このような愚かな戦争が、一刻も早く終結することを願います。
令和4年3月4日
東京藝術大学長 澤 和樹
(平和あっての芸術。専門性高い分野からの声明は貴重)
(13) 日本遺族会声明
ロシアのウクライナ侵攻に対する抗議声明
先の大戦で、愛しい肉親を亡くし、二度と私たちのような戦没者遺族を出さないという固い決意のもと、昭和22(1947)年に結成以来、70年余の長きにわたり、一貫して恒久平和な社会を求め活動を続けている日本遺族会は、ロシアのウクライナ侵攻に断固抗議する。
ロシアは、2月24日ウクライナ東部で攻撃を開始した。露軍は東部、北部、南部から侵攻し戦闘は全土に広がり、首都キエフでは市街戦が激化し、多数の民間人が死傷し、戦線は拡大を続けている。
ウクライナでは、18歳から60歳の男性は出国が禁じられ、90日以内に軍に動員される国民総動員令が発動され、ウクライナ国防省は火炎瓶を作って市民に徹底抗戦を求めている。50万人以上が国外に退避し、逃げ場を失った多くの市民は、地下鉄を防空壕とし、不安な日々を過ごしている。市街地のマンションや学校への砲撃、国を守るために銃を手にする市民、この惨状を目の当たりにし、かつての戦争を思い出さずにはいられない。
ウクライナの現状は対岸の火事ではない。愚かな指導者の誤りで、戦争はいつでも始まることを今、示している。
ロシアのウクライナ侵攻は、人々のささやかな幸せを、ありふれた日常を一瞬にして奪った。いかなる理由があろうと、誰であろうと個人の自由を奪う権利はない。そして、いかなる場合も、意見の相違を埋めるのは、対話による話し合いしかありえない。
国籍も、言語も、肌の色も、全てが違ったとしても、世界中の誰しもが、愛しい人がいて、その人の幸せを願っている。
武力による報復は、更なる悲劇しか生み出さない。故に本会は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴え続けることで、平和を希求してきた。
ここに日本遺族会は、ロシアのウクライナ侵攻を非難し、即時停戦、撤退を求める。
令和4年3月2日
一般財団法人日本遺族会
会長 水落敏栄
(遺族会が、「ウクライナの現状は対岸の火事ではない。愚かな指導者の誤りで、戦争はいつでも始まることを今、示している」という言葉は重い。ロシアとウクライナの両国に新たな「戦争遺族」が生み出されることは、いかにも辛い)
(2022年3月23日)
本日午後6時、注目のゼレンスキー・ウクライナ大統領の国会演説。オンラインで12分間のスピーチだった。激したところはなく、戦時下のリーダーの言とは思えない穏やかな内容。軍事につながる支援要請はなかった。安倍・プーチン関係についても、真珠湾攻撃も口にしなかった。ロシア軍の原発攻撃についての言及はあったが、核の脅威や核威嚇についての踏み込みは意外なほどに浅かった。あれもこれも、計算し尽くしてのことなのだろう。
日本の国会での演説。当然全国に放映される。この機会をどう生かすべきか。ゼレンスキーは、なりふり構わぬ軍事支援要請ではなく、戦争終結後までを見据えて日本からの好感獲得を第一目標としたようだ。ところが、その「日本」は一様ではない。何を訴えれば好感につながるか、実はなかなかに難しいのだ。
一方に《政権とそれを支える自公維国》があり、他方に《野党と自覚的市民勢力》の存在がある。この2グループの望むところはまったく異なる。「平和を守るためには武器が必要だ」「侵略者ロシアに対抗するための武器の提供を」「武器を購入するための資金の提供を」と言えば、与党側は身を乗り出してくるだろうが、野党側はそっぽをむくことになる。また、ロシアの核脅迫をとことん非難し核廃絶を訴えれば、野党陣営は喝采するだろうが、与党側は渋い顔をせざるを得ない。
なにしろ生中継での演説でである。ゼレンスキーが何を言い出すか与党側も心配だったようだ。「日本企業はロシアから全部撤退しろと言うのでは」とか、「真珠湾攻撃には触れないでと要望した」などと報道されていた。結局、与野党とも、胸をなで下ろす結果となったというところ。
結局、ゼレンスキーはロシア非難に徹し、その余は無難なスピーチに終始した。それが、ソフトで穏やかな印象の演説となった。パンチの効かない、話題性に欠ける、印象の薄い演説になったことは否めない。しかし、それでも、多くの日本人から広く好感を獲得するという目的には成功したと言えるだろう。
とはいえ、現に攻撃を受けている被侵略国の大統領の発言である。ロシアに対する非難は痛烈だった。何よりも日本のロシアに対する制裁を継続するよう求めた。そして、同時通訳では要領を得ないところもあったが、「1000発以上のミサイル、空爆があった。多くの街では家族、隣人が殺されても、彼らはちゃんと葬ることさえできない。家の庭、道路沿いに(埋葬)せざるを得ない」と説明した。また、ロシアの侵攻で多数の子供が犠牲になっていることを強調して、「最大の国(ロシア)が戦争を起こしたが、その影響・能力の面では大きくない。(ロシアは)道徳の面では最小の国だ」と非難している。この点については、多くの日本人の共感を得たものと思う。よかったのは、それ以上に「祖国のために、ウクライナ国民は立ち上がり、闘っている」などとは言わなかったこと。抑制が利いていたとの印象を受けた。
ところが、ぎごちなくオーバーに「閣下の勇気に感動しております」「わが国とウクライナは常に心は一つ」などと続けた参院議長山東昭子の空回り挨拶。完全に白けた。聞くだにこちらが恥ずかしい。
ウクライナと日本、はからずも両国のタレント出身政治家のスピーチが並んだが、彼我のレベルの大きな落差を見せつけられることとなった。
(2022年3月22日)
最近落ち着かない。なんとなくウロウロ、という心もちなのだ。3・11のときもこんな感じだったが、あれ以来のこと。いま、戦争の惨禍が現実のものとなって人々を苦しめている。恐怖、飢餓、家族の離散、そして生命の危機。
ウクライナの市民の多くの命が奪われている。もちろん、兵士の命なら失われてもよいとはならない。ロシア兵の命も同じように大切だ。1000万人という難民一人ひとりの心細さを思う。胸が痛む。落ち着かない。
先月まで、マリウポリという都市の名さえ知らなかった。いまその街が、ロシア軍に包囲され、孤立無援の状態にあるという。住宅の8割は破壊され、35万を超える市民が電気や水の入手も困難な状況で息をひそめていると報じられている。ロシア国防省は20日、ウクライナに対し「マリウポリから軍を撤退させ、市を明け渡せ」と要求したが、ウクライナの副首相は21日、この降伏要求を拒否したという。落ち着かない。これからどうなるのだろう。降伏要求拒否でよいのだろうか。
私は生来臆病なタチで、「命がけで」「英雄的に闘う」とか、「愛国心」やら「民族の団結」などという勇ましい議論には馴染めない。そして、「戦争だから犠牲はやむを得ない」とか、「国家の立場から」「民族としては」「歴史を俯瞰すれば」という大所高所からの語り口にも、ざらつくものを感じてしまう。「国益を重視する立場からは…」という物言いには心底腹が立つ。
国家よりも、民族よりも、栄光の歴史よりも、一人ひとりの今が大切なのだ。何よりも命、自分と家族の命、そして安心、暮らしに必要な水・灯り・家・パンとケーキ・庭に咲く花・学校・病院・畑・山林…、その全てが一体となった平和、平和な暮らし。
しかし、言われるだろう。「個人の尊厳が最重要だとしても、国や民族が団結して英雄的に立ち上がらねば、今は個人の尊厳も守れない切迫した事態になっている」と。それはそうなのかも知れない。だから、そのことに腹を立てているのかも知れない。そんな事態に追い込んだのは誰だ。誰の責任なのだ。
ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終わったとき、平和の世紀が幕を開けると思った。しかし、そうはならなかった。あれ以来、地域紛争、民族紛争、宗教戦争が絶えることなく頻発してきた。湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争…。多くはアメリカの責任が大きかった。今や、世界の秩序が変わり、一強のアメリカに代わって、幾つかの大国が悪役を演じる時代となった。
どうすればよいのやら。平和への道筋は見えてこない。だから、落ち着かない。胸が痛んで、ウロウロするばかりなのだ。一つだけ、心に留めておこう。平和を願う声を発信し続けよう。そして、この機に乗じて、非核3原則を揺るがせにしたり、9条の理念を攻撃する動きに、断乎として抵抗しよう。せめて、そのくらいの決意を固めよう。うろうろしながらも。