澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

韓国ピースツアー最終日。本日帰国。

2018年3月30日・金曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の5日目で最終日。本日は釜山の町を見学し、夕刻釜山空港から成田に。本日のブログも出発前に東京で書いた5件目の「予定記事」。

本日のテーマは、重い「日本軍『慰安婦』を中心とする歴史認識問題」。話題の総領事館前「少女像」との面会。そして、もう少し時代を遡った、「朝鮮通信使博物館」の見学などがスケジュールに入っている。

思えば、我が国にとって、長く朝鮮半島は文化薫る、尊敬すべき地であった。応神天皇の昔、百済の王仁博士が「論語」と「千字文」をもたらしたことをもって、我が国の文字文化の発祥とする伝承が定着している。上野公園の散歩では、清水観音堂の裏手に立つ、「王仁博士記念碑」とその由来を記した副碑を見ることができる。

やや下って、桓武天皇の生母も、百済の武寧王を先祖とする氏の出身と古事記にある。その内容の正確性如何が問題ではなく、そのように公定の歴史書に書かれていること自体が重要なのだ。

ところが、この先進文化の地というイメージは江戸時代までのことで、明治期にガラリと変わることになる。侵略先として、まずは朝鮮をターゲットとした公権力が意識的に、朝鮮に対する差別意識を醸成したのだ。日本人に、その根が深いことが恥ずかしい。日本に最も近い大都会・釜山で日本との交流の跡を見つめたいと思う。

いま、韓国の自立した市民運動には、学ぶべきところが多々ある。この5日間で、多くのことを吸収しよう。

その旅も、今日で終わる。さて、5日間で少しは見聞を広め得ているだろうか。少しは賢くなっているだろうか。夕刻釜山を発って成田に無事到着の予定。明日からは、仕事が待っている。リアルタイムでのブログの掲載もはじめよう。
(2018年3月30日)

韓国ピースツアー4日目。日本軍慰安婦問題と原発被害問題に向きあう。

2018年3月29日・木曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の4日目。本日は大邱から釜山へ。今日のブログも出発前に東京で書いた4件目の「予定記事」。

本日のテーマは、午前中が「歴史認識問題?日本軍『慰安婦』について」、そして午後が反原発である。今日も大忙しの日程。

午前中は、大邱「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」見学と運動団体との交流。そして、午後は陸路釜山へ。到着後、古里(コリ)原発の見学と反原発団体との交流。

「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」は2015年の建設。市民運動の成果が結実したものだという。「ヒウム」とは、「希望を花咲かせる」という意味とのこと。慰安婦被害者26人の苦難の生涯と活動が紹介されているという。

慰安婦問題の市民運動に携わっている人々との意見交換が楽しみ。日韓合意問題や、真の解決のありかたについて、現地の声に耳を傾けたいと思う。

韓国・古里(コリ)原発は、韓国初の商用原発。これが、1990年から97年まで、「世界で最も多く放射性物質を排出した原発」とのこと。その事故の隠ぺいを告発し、廃炉を求める運動の主体となっているのが、環境団体「環境運動連合」。原発事故の問題と影響についての意見交換が予定されている。

これは韓国ピースツアーに、意外なテーマ。とても興味深い。本日は釜山泊(の予定である)。
(2018年3月29日)

韓国ピースツアー3日目。在韓被爆者の運動と、「THAAD」強行配備反対運。

2018年3月28日・水曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の途上、韓国南部の大邱(テグ)を出発して陜川(ハプチョン)、星州(ソンジュ)を回る。今日のブログも出発前に東京で書いた「予定記事」。

このツアーの理念についての惹句はすごい。
「米軍基地反対・サード配備阻止、非核平和実現へ向けての連帯と日本軍『慰安婦』問題解決へ」というのだ。最前線で平和のために今、闘う人々との連帯。

本日が、一番盛り沢山の日。忙しそうだ。
早朝陸路慶尚南道の陜川(ハプチョン)へ。ここは、広島で被爆した多くの人々が住む町。かつて、この町から広島に渡った成功者があったという。この町の出身者の多くの人が、その伝手を頼って本土に渡り、広島に住んだ。そして、8月6日の悲劇に見舞われる。現在、在韓被爆者は2500人。その内600人が、ここハプチョンの居住者。「韓国の広島」の異名がある。

午前中はその町で、昨年(2017年)完成した原爆資料館の見学と被爆者救援・核廃絶に向けての運動団体との懇談が予定されている。

午後は「THAAD」配備が問題となっている星州(ソンジュ)へ。ここで、「THAAD」配備反対運動をしている住民と交流が予定されている。
星州(ソンジュ)は、伝統家屋が残る素朴な農村。朴槿恵政権の時代、そこに米軍の高高度迎撃ミサイルTHAADの配備が強行され、現在なお、反対運動が継続している。

なお、このツアーの「魅力とポイント」は、次のようにまとめられている。
1 北東アジアの非核平和実現へ向けて、「韓国の広島」と呼ばれるほど被爆者の多い場所で懇談・交流
2 日本軍占領下の実態と占領解放後の朝鮮統一を米軍が弾圧した「4・3事件」ゆかりの地をめぐる
3 日本軍「慰安婦」問題解決を前進させるための懇談
4 済州島の軍事基地建設を阻止する運動を継続する団体と交流・懇談
5 米軍の迎撃ミサイルシステム強行配備に反対する住民との交流・懇談

テーマは、反核・「4・3事件」・従軍慰安婦・基地反対・サード配備である。それぞれの問題の加害者は、日本の植民地主義・アメリカの帝国主義・そして韓国に残る軍国主義である。

夕刻陸路大邱へ戻り、大邱での2泊目となる(予定である)。
(2018年3月28日)

韓国ピースツアー2日目。佐川宣寿の証人尋問が気がかりでならない。

2018年3月27日・火曜日。今日も昨日に続いて、「韓国ピース・ツアー 『4.3事件』から70年」の旅の途上、済州島にある。だから、今日のブログも出発前に東京で書いた「予定記事」。

本日東京では、衆参両院で佐川宣寿の証人喚問が行われる。議院証言法に基づいての宣誓の上での証言。嘘は言えない。黙る権利はあるものの、黙れば事実の解明には至らない。だから、ダンマリさせて幕引きとはできない。

事実の解明に至るまでは、安倍昭恵にも、谷査恵子にも、迫田英典(前理財局長)にも、酒井康生(弁護士)にも、きちんと証人としてお出ましいただなくてはならない。

佐川証言の聞き所は、文書改ざんの動機が政権とどう関わっているかである。明らかな犯罪行為をしでかすのだ。行動に慎重なはずの公務員が、よほど切実な動機がなくては重要な公文書の改ざんに手を染めるはずはない。しかも、局内あるいは省内でのチームを作っての大規模な作業だ。常識的に、官僚個人の判断でのこととは考えられない。財務大臣以上の政治家の容認なくしてはあり得ない。直接の指示が誰から出たのかはともかく、究極的には政権の意向であることを確認せずに、これだけのことができるはずはない。

さて、韓国ピースツアー。旅のコンセプトは、次のとおり壮大なものだ。
「日本植民地支配下の実態や解放後の朝鮮自主独立に対する米軍の弾圧・虐殺の歴史を学びつつ、日本軍「慰安婦」問題の解決へ向けた交流、北東アジアの非核化実現と日韓両国の『米軍基地強化阻止』の連帯を深めます」

この旅の「魅力とポイント」は、次のようにまとめられている。
1 北東アジアの非核平和実現へ向けて、「韓国の広島」と呼ばれるほど被爆者の多い場所で懇談・交流
2 日本軍占領下の実態と占領解放後の朝鮮統一を米軍が弾圧した「4・3事件」ゆかりの地をめぐる
3 日本軍「慰安婦」問題解決を前進させるための懇談
4 済州島の軍事基地建設を阻止する運動を継続する団体と交流・懇談
5 米軍の迎撃ミサイルシステム強行配備に反対する住民との交流・懇談

テーマは、反核・「4・3事件」・従軍慰安婦・基地反対・サード配備である。それぞれの問題の加害者は、日本の植民地主義・アメリカの帝国主義・そして韓国の軍国主義である。

ツアー2日目の本日のテーマは、「祖国の統一と民主化のために市民が闘った『4・3事件』」となっている。
*「4.3」平和公園(記念館・慰霊塔・広場)訪問
* カマオルム平和博物館(日本軍が駐屯していた坑道陣地)見学
*「4・3事件」の虐殺地「ソダルオルム」訪問
* 海軍軍事基地建設阻止を掲げる運動との懇談
* サード配備全面破棄・4.3抗争70周年精神継承の人たちと「基地反対」についての交流

夕刻空路済州島から釜山に。そして陸路大邱へ。大邱泊となる(予定である)。
(2018年3月27日)

「韓国ピース・ツアー」初日

2018年3月26日・月曜日。早朝の成田発済州島行きの大韓航空機で韓国に出立する。4泊5日。月曜の朝から金曜の夕刻まで、今週は最も近い異国を旅する。

日本平和委員会が企画した「韓国ピースツアー『4・3事件」から70年」。総勢24名の団体旅行。主な訪問地は、済州島、大邱・陜川(ハプチョン)・星州(ソンジュ)・古里(こり)、そして釜山。ソウルには行かない。名所旧跡・観光地にも近づかない。ショッピングもエンタテインメントも予定されていない。ひたすら、現地の戦争の爪痕を見て歩き、平和運動との交流だけが予定されている。

ということで、今週の月曜から金曜日までの5日間、憲法日記を書く暇はない。手許にパソコンもない。そこで、今日から5日間は、全て事前に書きためた「予定記事」の掲載である。

ある晩、親しい吉田博徳さんからお電話をいただいた。韓国へのツァーに参加しないかというお誘い。聞けば、2名一室での同宿相手がキャンセルになった。1人部屋では、せっかくの旅行が寂しくなる。同宿者として、ご一緒しないかというありがたいお誘い。これは、断れない。日程を調整して参加申込みをした。

吉田さんは、去年まで日朝協会都連会長の任にあった人。韓国訪問は、50回にも及ぶという。韓国語も達者だ。こんな便利な同宿者はほかにない。いろんなことを教えてもらえる。

吉田さんは、1921年6月23日生まれで、現在96才。もうすぐ97才になる。が、年齢を感じさせないその矍鑠ぶりは人間離れしている。身体も達者だし、好奇心が旺盛。昨年は、ロシア革命100周年の故地を尋ねる旅にお誘いを受けたが、日程調整できなかった。今度は、4泊5日の同宿で、長寿と元気の秘密を探る機会でもある。

私は、韓国訪問は2度目。前回は、日民協の韓国司法制度調査の旅だった。メインは、韓国憲法裁判所の訪問。気候と天候に恵まれた心地よい旅行だったが、このときも吉田さんとご一緒だった。

中国旅行は漢字の世界、漢字なら読める。しかし、まったく読めないハングルの世界は、勝手が違って戸惑うここと甚だしい。それでも、韓国の町と人々が作り出している雰囲気は、穏やかで好ましいものだった。

ところで、本日(3月26日)のテーマは、「日本占領下の済州島の歴史とゆかりの地訪問」。アルト飛行場跡(南京爆撃の際に使われた飛行場跡)、松岳山(旧日本軍の地下壕跡)、特攻艇「震洋」の格納庫跡、などを訪ねる。

まったく知らなかったが、済州島南部に辺野古同様の海軍基地建設が強行されており、激しい抵抗運動があるという。現地を見ての感想は、帰国後に書き綴ることとしよう。

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緊急声明 自民党改憲案の問題点と危険性

はじめに

昨日3月25日、自民党大会が開催され、憲法改正の基本的な方向性が確認された。もともと同党は、この大会で党としての改憲案をとりまとめ、今年中の改憲発議にはずみをつける思惑であった。ところが、財務省による森友学園への国有地売却にかかわる決裁文書の「改ざん」問題や、「働き方改革」法案における誤ったデータを根拠とした裁量労働制拡大部分の撤回、自民党議員が介入してなされた公立中学校での前川喜平氏の講演会に関する文部科学省の調査など、国民主権と議会制民主主義の根幹を揺るがす安倍政権の失態が相次ぐ中、確定案の策定までには至らなかった。しかし、昨日の自民党大会で明らかにされた改憲の基本的な方向性について、それらの問題点と危険性を指摘して世に問うことは、法律家としての使命であると考え、以下、表明する。

1.どれも現行規定を死文化させる9条改憲

自民党の「憲法に自衛隊を明記する」改憲案は、この間、?9条1項と2項を維持し「自衛隊」を明記、?9条1項と2項を維持し「自衛権」を明記、?2項を削除し「通常の軍隊」を保持の3案が検討されてきた。3月22日の同党憲法改正推進本部の全体会合では、具体的な条文案は?の方向で党大会後にとりまとめる方針となり、その作成は本部長に一任された。しかし、これらは、いずれも現行の9条2項を死文化させ、1項を変質させるものである。?がいう「自衛権」には集団的自衛権が当然に含まれる。?の「2項削除、軍隊保持」は現行9条を明示的に否定するものである。?の場合でも、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な(自衛の)措置をとる」と憲法に明記される自衛隊は、今でも違憲性が疑われている安保法制による活動が合憲化されるばかりか、それを超える海外での武力行使さえも可能となる。こうして、9条2項は維持されても、「後法は前法に優る(を破る)」との法の一般原則に従って、9条の2により実質的に死文化する。

いずれの案を採用しても、安倍首相が言うような「自衛隊の任務・権限は変わらない」、「自衛隊違憲論争がなくなる」などということはありえず、むしろ現行9条の下では政府自体も否定している「集団的自衛権の全面的な行使」や「海外での武力行使」が可能となる。自民党の9条改憲案は、現行憲法とその下で制定された安保法制ではできないことを可能にするためのものにほかならず、このことを決してあいまいにしてはならない。

2.いつでも武力攻撃時に適用可能な緊急事態条項

自民党の「緊急事態条項」に関する改憲案は、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」の際の内閣による政令制定権(非常事態権限)と国会議員の任期延長について定めている。しかし、大地震などの自然災害に対応するための措置権限であれば、すでに災害対策基本法や大規模地震対策特別措置法などによって規定されており、憲法で、内閣に立法権を委ねることなどあってはならない。

また、この「緊急事態条項」は、自然災害にとどまらず、軍事的な緊急事態における内閣の権限拡大と人権の大幅な制限に適用される危険性がある。現に下位法たる「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(国民保護法)では、武力攻撃によって生じた災害を「武力攻撃災害」と呼んでいる。自民党の改憲案における「その他の異常かつ大規模な災害」からこの「武力攻撃災害」が除外される保証は今のところ見当たらない。

3.選挙制度の基本原則を破壊する「合区解消」改憲案

自民党の憲法47条改正案では、参議院選挙での「合区」解消や、衆議院選挙での小選挙区間の「一票の価値の平等」の要件緩和が画策されている。しかし、これらは、憲法14条、44条に基づく「選挙権の平等」や、憲法43条が規定する衆参両院議員の「全国民の代表」性という、国民主権の下での選挙制度における基本原則を著しく損なうものである。

これらの原則に則りながら、国会議員と有権者との間の近接性の確保や選挙区割における行政区画や地域的な一体性に配慮することは、議員の総定数の見直しや選挙制度の抜本的な改革によって可能なはずであり、それは憲法改正ではなく法律改正で実現できる。以上の理由から、自民党の47条改憲案は、憲法の基本原則に背馳するとともに、かつ法律改正で可能なことを無理に憲法改正事項とするものである。

 

4.教育の充実につながらない26条改憲案

もともと「高等教育を含む教育の無償化」という謳い文句で提起された26条改憲案は、いつのまにか「教育環境の整備」に向けた国の努力義務規定に変質した。「高等教育を含む教育の無償化」それ自体は、国際人権A規約を批准した際に13条2Cにつけた留保を撤回した今では、国会と内閣がその気にさえなれば、憲法改正によらずとも法律や予算措置で可能であり、そのような施策の実現を強く望む。

他方、今回の自民党の26条改憲案では、教育が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである」と規定することで、国民の教育を受ける権利を定めた現行26条に対して、国家の教育権限を強調するものとなっている。前述の学校主催の講演会に対する文科省の調査などに鑑みて、自民党の改憲案は、教育に対する政治介入、国家統制の拡大を招く危険性があり、かつそれを意図したものと読まざるを得ない。

 

結語

以上、今回の自民党大会を通して明らかになった同党の改憲の基本的な方向性は、いずれもが、改憲の必要性・合理性を欠くうえに、日本国憲法の平和主義、国民主権、議会制民主主義、基本的人権の尊重などの基本原理を変質させ、破壊する性格の強いものである。こうした改憲案が現実のものになれば、「現在及び将来の国民に対し」て「信託」された日本国憲法の基本的な価値は大きく損なわれる。そのような改憲を断じて許してはならない。

私たち法律家6団体は、これらの案が基となる改憲発議を許さないための大きな国民世論を「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」が提起する3000万人署名の早期達成によって作り上げること、そのために全力を尽くすことを、現在及び将来の国民に対する法律家の責任として、ここに声明する。

2018年3月26日

改憲問題対策法律家6団体連絡会

 社会文化法律センター    ? 共同代表理事 宮里 邦雄

 自 由 法 曹 団          団  長 船尾  徹

 青年法律家協会弁護士学者合同部会 議  長 北村  栄

 日本国際法律家協会        会  長 大熊 政一

 日本反核法律家協会         会  長 佐々木猛也

 日本民主法律家協会?       理 事 長  右崎 正博

?(2018年3月26日)

銭湯で上野の花の噂かな(子規)

花満開の日曜日。どこに足を伸ばすべきか。上野、谷中、飛鳥山、六義園、あるいは小石川植物園、千鳥ヶ淵、墨堤、新宿御苑…。やっぱり、今日は上野だろう。

花の名所は数あるが、花見の名所は上野を措いてない。ここが花見の本場、花見のメッカだ。花見とは、花を見に行くことではない。ようやく訪れた春の、浮き浮きしたこの気分の共有を確認する集いなのだ。

花は植物で、花見は社会現象である。花は美しく、花見は猥雑である。人がいなくても花は花だが、大勢の人がいなくては花見は成立しない。老も若きも、男も女も、赤子も犬も、猫も杓子も参加しての花見だ。歩くあり、しゃがむあり、座り込むあり、寝込むもあり。杖をつく人も、車椅子の人も。人、人、人。寄せては返す人の波だ。

せわしなく歩く人と、シートに座を占めた人々。それぞれが、しゃべり、写真を撮り、弁当を開き、酒を飲んでいる。歌もあり、踊りもある。屋台の前のごった返し、席取りのいざこざ、満員のトイレの列への割り込みを非難する声も、カタクリの蕾を踏んじゃダメだという注意も、皆なくてはならない花見文化の構成要素。

年に1度のこの雑踏の雰囲気が、我々の民族的アイデンティテイ。とはいえ、この上野の人混みの中に飛び交ういくつもの外国語。そしていろんな肌の色の人々。ああ、花見文化の浸透力の強さよ。

 銭湯で 上野の花の 噂かな (子規)
子規の当時から、上野の山はこうだったのだろう。

ところで、その上野の桜ケ丘といわれる高台に、「王仁博士記念碑」と、その由来を記した副碑がある。彰義隊顕彰碑にほど近い場所。

「王仁博士」は、5世紀初日本に『論語』『千字文』を伝えたという百済人。その記念碑は、戦前植民地統治時代に建てられている。その建立の日付が、「皇紀2600年」となっていることに驚いた。朝鮮には、檀君神話に基づく檀君紀元(檀紀)という紀年法がある。その元年は、皇紀よりはるかに古い。これを用いず、西暦でもなく、わざわざ皇紀を使っているのだ。

転載だが、同碑の建立経緯は次のとおりであるという。

「昭和11年(1936)、趙洛奎という朝鮮人が、四宮憲章(国文学者・皇明会長)のもとを訪ねた。趙は、王仁の事蹟を聞き、彼を顕彰するための碑を建てたいとして、その自作の碑文を示し、四宮に添削を請うたのである。

四宮はこれを受け、建碑のための後援会を組織し、井上哲次郎・中山久四郎を主唱者に立てて寄付金を募った。この結果、協賛者として、近衛文麿・徳富蘇峰・林銑十郎・頭山満ら、特別賛助者として、水野錬太郎・鈴木貫太郎・宇野哲人・白鳥庫吉・韓相龍といった錚々たる顔ぶれが集まることになり、昌徳宮(李垠、註・大韓帝国最後の皇太子)から下賜金も交付された。また、同碑は、かつて弘文院や孔子堂などの儒学関連の建造物があったという由緒をもつ、上野公園の桜ヶ丘に建てられることが決まった。

その後、博士王仁碑は無事建立され、昭和15年(1940)4月にはその除幕式が挙行された。各大臣、朝鮮総督、東京府知事、東京市庁が祝詞を送り、来賓祝辞として荒木貞夫や林銑十郎が挨拶を行うなど、除幕式は官主導で大々的に行われた。

同碑は、将来的に、王仁の生誕地と見なされた扶余(朝鮮)や、伝王仁墓(大阪)にも建てられる予定であったが、戦局の悪化により、計画が頓挫してしまったようである。〔以上、先賢王仁建碑講演会編『紀元二千六百年記念 博士王仁碑』、1940年を参考〕

四宮憲章も李垠も、もう知る人とてないだろう。今も名を知られているのは、評判の悪い人物ばかり。この碑。王仁博士と韓国民衆にとっては、どうも屈辱の碑であるようだ。

この碑の由来なんぞには無関心に、多くの人がこの碑の周りで寛いでいた。この碑に腰掛けて弁当を開いている者も。平和な風景ではある。この碑建立当時の桜は、どんな風情だっただろうか。
(2018年3月25日)

改ざん問題質疑議事録の改ざん問題

まず、醍醐聰さんの昨日(3月23日)付ブログを転載させていただく。
タイトルは、「自民党議員の暴言を議事録から抹消するのは公文書の『改ざん』である」というもの。

渡邊美樹議員、和田政宗議員の暴言が議事録から消されようとしている
今朝の『東京新聞』の<特報>欄に「議事録からの発言削除次々」と題する記事が掲載された。それによると、自民党の渡邊美樹議員が3月13日に開かれた参議院予算委員会の過労死防止等に関する公聴会で出席した過労死遺族に対して「お話を聞いていると、週休7日が人間にとって幸せなのかと聞こえる」と発言した箇所が議事録から削除することを同委理事会で決したとのことである。
また、自民党の和田政宗参院議員が3月19日の参議院予算委員会で、財務省の太田充理財局長に向かって、「民主党政権時代の野田総理の秘書官も務めており、増税派だからアベノミクスをつぶすために、安倍政権をおとしめるために意図的に変な答弁をしているのか」と発言した件も、翌20日、自民党の申し出を受けて、予算委理事会で会議録から削除されることになった、と伝えている。

そこで、参議院事務局の文書課に問い合わせたところ、次の通りだった。
・予算委員会の理事会で渡辺議員、和田議員の該当する発言箇所を削除することが決まっている。その箇所を含め、目下、議事録を作成中である(未完)。
・渡辺議員の該当発言箇所は全て削除、和田議員の該当発言は一部を削除(書き換えではない。)
・こうした削除は「参議院規則」第158条に基づいてなされた。

しかし、こうした暴言はそれ自体、発言した国会議員の資質を国民が判断する上で必要な情報であり、それを会議録から削除することは議員・政党に不都合な事実を抹消する『改ざん』=公文書の私物化にほかならない。

削除は参議院規則にも背く
ちなみに「参議院規則」第158条は、次のとおりである。
「発言した議員は、会議録配付の日の翌日の午後五時までに発言の訂正を求めることができる。但し、訂正は字句に限るものとし、発言の趣旨を変更することができない。国務大臣、内閣官房副長官、副大臣、大臣政務官、政府特別補佐人その他会議において発言した者について、また、同様とする。<以下、省略>」

つまり、発言の「訂正は字句に限」り、「発言の趣旨を変更することができない」と定められているのである。今回の渡邊議員発言、和田議員発言は「字句の訂正」で収まるものでないことは明らかであり、当該箇所を削除すれば、「発言の趣旨」は不明となる。したがって、発言の削除が「参議院規則」第158条に違反することは明らかである。

削除前の発言は決裁文書で残されるが公開されない
今日、参議院事務局文書課にかけた電話の最後で、こんなやりとりをした。
 醍 醐「委員会議事録も公文書と考えてよいか?」
  (しばらく間をおいて)
 参議院「そう考えている」
 醍 醐「では、削除前(元)の発言はどこに残るのか?」
 参議院「決裁文書に残る」
 醍 醐「その決裁文書は情報公開の対象となるのか?」
 参議院「非公開としている」
 醍 醐「不開示理由のうちのどれに該当するのか?」
 参議院「そこまでここで説明できない」
 醍 醐「決裁文書も公開されないなら議事録から削除された暴言は国民の目に触れる機会がなくなる」
 参議院「録画はある」
 醍 醐「しかし、それでは『公文書管理法』が定めた文書主義を遵守することにならない」

公文書としての議事録は国民共有の知的資源であり、国民の知る権利をかなえる公器であって、政党・政治家が身勝手に手を加えることができる私物ではない。この意味で、議事録の改ざんは国民の知る権利を冒涜する不当行為である。
……… 以上引用 ………

森友決裁文書「改竄問題」に関する和田政宗の質問は大きな話題となった。自民党議員の質の低下ここに極まれりという、格好の見本としてである。幇間(たいこもち)さながらの政権へのへつらい・ゴマすり。そして、居丈高に文書改竄の責任を理財局長以下官僚に押しつけようという露骨な意図が見え透いた、聞くに堪えない質問。

恥ずかしげもなく、強きを助けてゴマを摺り、弱きをいじめる。その体質を見せつけたもの。記念碑的質問として、しっかり記録に残しておくべきが、問題箇所削除とは、重ねての「改竄問題」である。

3月19日(月)の参院予算委員会の森友問題の集中審議における和田政宗と太田充理財局長とのやり取り。話題となった部分の「改ざん前」の問題個所は以下のとおりだ。参議院の職員が醍醐さんに語ったとおり、「録画はある」のだから、起こすことは可能なのだ。

▼和田政宗
これ、何にも調査していないですよね、これ。調査、本当にこれやっているんですか、もう答弁全然最初から変わっていないじゃないですか、これ。
この書換えに関して、安倍総理の、「私や妻が国有地払下げに関わっていたのであれば総理大臣も国会議員も辞める」という発言について、この発言があったから財務省の官僚がそんたくして書換えをやった、不用意だったと言っている人や一部のメディアがありますけれども、これはとてもおかしな話でありまして、やましいことがあれば国会議員を辞めるという決意は、これ政治家として皆が肝に銘じておかなくてはならないことでありまして、これだけの気概を持った政治家がどれだけいるでしょうか。その覚悟が褒められるなら分かりますけれども、批判される意味が分かりません。
政治家は身を賭して政治を行う、こうした決意が批判されるなら、政治はそうした覚悟のない、もう極めて甘っちょろいものになってしまいます。
そこで、財務省に聞きますが、麻生財務大臣は、書換えにこの総理発言の影響はないというふうに答弁をしているのに、先週金曜日に太田理財局長は、首相や大臣も答弁がある、政府全体の答弁は気にしていたと思うと答弁をしています。麻生財務大臣は財務省が作った答弁要領を基に答弁しているのに、一方で太田理財局長は矛盾したことを言う。佐川前理財局長の答弁矛盾から書換えが起こったのに、まだこうしたことをやっているわけです。
太田理財局長、この答弁について説明してください

△太田理財局長
基本的に、今回のことは国会の答弁を気にして、そのことをということで申し上げました。それは、基本的には佐川局長の答弁が主ですけれども、じゃ、総理大臣なり大臣なり、政府の答弁は気にしていないというふうに言えるほどの材料は持ち合わせておりません。
(略)

▼和田政宗
(略)
まさかとは思いますけれども、太田理財局長は、民主党政権時代の野田総理の秘書官も務めておまして、増税派だから、アベノミクスを潰すために、安倍政権をおとしめるために意図的に変な答弁しているんじゃないですか、どうですか。

△太田理財局長
お答えを申し上げます。私は、公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なので、それを言われると、さすがに幾ら何でも、そんなつもりは全くありません。それは幾ら何でも、それは幾ら何でも御容赦ください。

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太田理財局長の最後の答弁は、悲鳴である。
「それを言われると、さすがに幾ら何でも、そんなつもりは全くありません。それは幾ら何でも、それは幾ら何でも御容赦ください。」とは、言葉を補えば、
「それは言ってはならないことでしょう。それを言われると、私だって腹が立つ。真面目に仕事をしている官僚全体に対する侮辱じゃないですか。さすがに幾ら何でも、ことさらに安倍政権を貶めるなんて、そんなつもりは全くありません。にもかかわらず、それは幾ら何でも酷い言いぐさではありませんか。それは幾ら何でもあり得ぬことの押しつけですから、そんな質問はせぬよう御容赦ください。」

恐らくは、それに続けて、「国会議員の立場を笠に着て、権高に弱い立場にある官僚を苛めおって、それがまともな人間のやることか」と言いたいところを我慢して呑み込んだのだろう。

この和田政宗質問は、共産党小池書記局長から「恐喝的な質問で言語道断」といわれただけでなく、その低劣さは麻生太郎財務相によっても、裏書きされた。翌日(3月20日)の参院予算委員会で、麻生は「少なくとも、その種のレベルの低い質問というのはいかがなものかというのは、軽蔑はします」と言っている。せっかくヨイショして、あからさまに軽蔑されたのだ。

まだ3月だが、「それは幾ら何でも、それは幾ら何でも御容赦ください。」は、今年(18年)の流行語大賞ものだ。受賞者は、もちろん理財局長ではない。こんなセリフを言わせた和田政宗でなければならない。アベを支える者の低劣さを表現したことにおいて称賛に値するからだ。**************************************************************************
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(2018年3月24日)

石割り桜の開花は遠く ー 「浜の一揆」判決報告

本日、盛岡地裁にて、「浜の一揆」訴訟の判決言い渡し。残念ながら、思いもかけない「完敗」である。裁判所構内の石割り桜、蕾も堅く開花は遠かった。

事案は、「サケ」「刺し網」許可申請を不許可とした岩手県知事の行政処分に対する取消請求訴訟である。判決は、訴訟の形式面では、原告側の言い分をほぼ全面的に認めた。被告が「そのような許可の制度は想定されていない」とした、原告らの「年間漁獲量を年間10トンに限定した」「サケ」「刺し網」漁業許可申請を適法なものと認めた。つまり、門前払いとはせずに、適法な訴えとして行政訴訟(取消請求訴訟)の土俵には乗っけたのだ。

その上で、裁判所は、本件申請を不許可とする実質的理由が認められるとして、取消請求を棄却した。

固定式刺し網漁業によるサケの採捕を禁止することについては,
(1) 漁業調整上の必要性が認められる。
(2) サケ資源の保護培養上の必要性も認められる。
というのだ。

到底納得しがたく、原告らとともに控訴審を闘う決意だが、本日の感想のいくつかを述べておきたい。

原告らは「浜の一揆」の心意気でこの訴訟を提起した。このネーミングは、幕末の南部三閉伊一揆を意識したものである。三閉伊一揆は、「弘化の一揆」と「嘉永の一揆」の2度の蜂起からなる。「弘化の一揆」は大きな成果を上げて収束したかに見えたが、やがて南部藩は、一揆衆への約束を反故にする。弘化の一揆を「失敗」と総括した農民たちが、再度結集し作戦を練り上げて7年後に「仙台藩への強訴」を敢行し、今度は一揆の犠牲者を出すことなく、49か条の要求のほとんどを実現させたという。いわば、「弘化の失敗を嘉永で挽回した」のだ。

また、思い出す。私は、岩手靖国訴訟を担当して盛岡地裁で敗訴した。「最悪にして最低」の判決だった。あの敗訴判決には足が震える思いをした。その後、2年を経て、仙台高裁で「天皇や内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は違憲」という、実質勝訴の判決を得た。「盛岡の仇を仙台で討った」のだ。

あのときもそうだったが、幸いにも、原告らが代理人の無念と失意を慰めて意気軒昂である。再び、「盛岡の仇を仙台で返したい」と思う。

「弘化の一揆」の指導者として知られるのが、浜岩泉村牛切の牛方・弥五兵衛(またの名を万六)。彼は、老齢の身を押して三閉伊一帯を再度の蜂起のために単身オルグして歩く途上で、身元が割れて捕らえられる。藩都盛岡の牢内で、法によらず斬首されたと伝えられている。「嘉永の一揆」の指導者として知られるのが、田野畑村の太助。彼は明治期になって、維新政府に再び蜂起を試みて失敗。新政府に拷問され、自ら命を断っている。

文字どおりに命を懸けた、彼ら一揆指導者の決意の凄まじさに、たじろがざるを得ない。原告たちは、まさしくその子孫である。今の時代、裁判に負けても命に関わることはないが、「浜の一揆」と言うにふさわしい、気合いのはいった控訴審にしなくてはならない。
(2018年3月23日)

卑怯な池田佳隆議員から前川氏指弾の責任を転嫁された選挙民よ、怒れ。

ことごとしく言うほどのことではないが、教育と教育行政とはまったく異質のものである。両者は異質のものとして厳格な区分が必要で、教育行政による教育への支配や介入は厳に慎まなければならない。

教育とは真理あるいは真実と確認された知の体系を次代に伝達し承継するという優れて文化的な営為である。また、その知を獲得して国家や社会を建設する主体となる人格を育てる崇高な営為でもある。

教育行政とは、国民の教育を受ける権利を実現するにふさわしい、教育条件の整備をその任務とする。予算を獲得し、校舎を建設し、教員を採用し、しかるべく配置し、給与を支払い…、教育が成り立つよう外的な条件を整備することであって、教育そのものではない。学生・生徒に何をどのように教えるかという教育そのものには、本来関与しない。むしろ関与してはならない。

これもことごとしく言うほどのことではないが、学校教育の主体は飽くまで学校である。学校とは、校長をリーダーとする教育専門家としての教員集団を指す。そして、教育行政の主体は各自治体に設置されている教育委員会であって文科省ではない。文科省は教育委員会に対して、限定された範囲での指導助言ができないではないが、つとめて抑制的でなくてはならない。

ところで、「教育と教育行政は異なる」「教育行政は教育を不当に支配してはならない」。これは当然のこととして世に受け入れられているだろうか。

「農林水産業と農水行政は異なる」「薬事業と薬事行政は別物である」「食品業と食品規制行政とを混同してはならない」「原子力発電に対し規制行政は独立していなければならない」などは、あまりにも当たり前のことだろう。ところが、教育と教育行政の関係となると、「あまりにも当然」ではない現実がある。

文科省は、2階から平場にある教育現場を見下ろして、教育内容に指図し介入することができると考えている節がある。彼らの目の下、中2階の位置に教育委員会があり、現場への指図は、ここを通じてやれるものとの思い上がりがあるようなのだ。

また、この2階は、3階に位置する政権や政権与党からは監視を受け、介入を許してもいる。教育委員会も、文科省も、露骨な政治的介入に対しては、本来防波堤にならなければならない。

戦前にはこんな議論はなかった。国家が教育を支配した。天皇制国家は臣民支配の無限の徹底を求めて、教育を膝下に置いたのだ。教育は全て天皇の勅令に基づいて行われた。天皇制権力の望むままに、「臣民」に対して、「天皇は神の子孫であり、現人神である」「天皇のために命を捧げることこそ、臣民の生くべき道」と、荒唐無稽の限りを吹き込んだ。壮大な一億総マインドコントロールを試み、半ば成功したのだ。

戦後の教育は、その反省から再出発した。「今回の敗戦を招いた原因はせんじ詰めれば教育の誤りにあった」(幣原喜重郎元首相)という問題意識が、戦後教育改革の原点となった。これが「戦後レジーム」だ。アベが脱却を図ろうというのは、このことなのだ。

戦前教育の基本だった大日本帝国憲法と教育勅語のセットが、日本国憲法と教育基本法に換えられた。教育勅語は参院では「失効」、衆院では「排除」の決議がなされた。

1947年制定の教育基本法の眼目は、その10条「教育は、不当な支配に服することなく」という、教育の国家支配からの独立にあった。同条文の文言は、「どこからの不当な支配」と明記されてはいないが、教育行政からの支配を含むものであることは明らかである。

第1次安倍政権下の2006年、教育基本法が「改正」された。しかし、47年教育基本法10条の「不当な支配に服することなく」の文言は、かろうじて「改正」法16条に残された。

今必要なことは、公権力や政治勢力による教育に対する支配・介入に、国民が監視の目を光らせなければならないと自覚することだ。今回の前川喜平講演に対する、政権与党と文科省の執拗で高飛車な圧力は、目に余る。徹底して糺弾しなければならない。

安倍政権下、民主主義が劣化し、貶められている。政権や与党そして教育行政の支配から、教育を独立させることの重要性を再認識したいものと思う。安倍内閣と自民党に教育に手を出させてはならない。赤池誠章、池田佳隆などというタチの悪い時代錯誤議員は、選挙で落とさねばならない。

この間雲隠れしていた池田佳隆(愛知3区・安倍チルドレン)が本日(3月22日)、2分足らずの間だけだが、カメラの前に立ったという。そこで池田が語ったことが次のとおりと紹介されている。

「今回、問題となりました(前川氏の)授業が、果たして法令に準拠した授業であったのかどうか、地元の皆様方からのご懸念があれば、その大切なお声を国にしっかりとお届けすること、地元の皆様方の大きなお力で今こうして国会議員を務めさせていただいている私にとりましては、当然、大切な仕事であると常々考えてまいりました。今回、その信念に従ってお問い合わせをさせていただいた次第であります。」

池田は、こう言っているのだ。
「選挙民が、前川氏を不快に思い、選挙民が文科省に問合せを要求しているから、それにしたがったまでだ。これが民主主義だ。どこが間違っているのか」

目を覆わんばかりの議員の劣化である。選挙民への責任転嫁。これは民主主義ではない。民主主義とは理性に基づく政治だ。議員たる者、違法は糺さなければならない。違法を要求する選挙民を説得しなければならない。教育の何たるかを弁えず、戦後の教育法体系の転換を理解しない愚かな議員。責任転嫁された人々を含め、選挙民はこんな程度の議員を選出したことを恥じなければならない。
(2018年3月22日)

前川さん 負けるな 民意はここにあり

昨日(3月20日)の毎日朝刊トップ記事は衝撃だった。
「文部科学省が前川喜平・前事務次官の授業内容を報告するよう名古屋市教育委員会に求める前、文科省に照会したのは自民党文科部会長代理の池田佳隆衆院議員(比例東海)で、市教委への質問項目の添削もしていたことが取材で明らかになった。文科部会長を務める赤池誠章参院議員(比例代表)が文科省に照会していたことも判明した。」

これは問題が大きい。これまでは、「文科省の不祥事」だった。これで一気に、「政権与党と安倍政権の体質露呈事件」となった。この池田佳隆。安倍政権を支える安倍チルドレンの一人だという。

この露骨な教育への権力的介入に、野党が合同ヒアリングでスクラムを崩さない。前川さんを招いた中学校長、地元名古屋市教委も原則を貫いて清々しい。中日新聞もよく頑張っている。

そしても何よりも、前川さんご本人の姿勢が頼もしい。
「文部科学省の前川喜平・前事務次官は21日、長野市内で講演。自民党国会議員の指摘を受けて文科省が自身の授業内容を名古屋市教委にメールで報告を求めた問題について「メールは、威嚇効果を狙ったともとれる内容で前代未聞だ。『政治家が関与しているのでは』と思ったら、やはりそうだった。文科省も情けない。断れなかったとしても、うまくかわすべきだった」と述べた。」(毎日)

かつては「面従腹背」だったという前川さんだが、いまは政権と自民党を相手に、一歩も引かない姿勢が小気味よい。しかも、悲壮感なく、大言壮語せず、落ちついて誰もが納得せざるを得ない原則論を語るところが素晴らしい。

前川コメントの中で、「『政治家が関与しているのでは』と思ったら、やはりそうだった」という点が印象的だ。元事務次官の長い官僚経験が、(「官僚だけでやれることではない」)「政治家が関与しているのでは」との判断に至らせたのだ。背後関係発覚後の「やはりそうだった」という、この「やはり」が重い。

ひるがえって、森友問題が同じ構図である。こちらは、財務省理財局の国有地9割引不当廉売だから、文科省のメールよりは格段にその違法が分かり易い。この極端な値引きが違法であるだけでなく、その決裁関連文書の書き換えがこれに輪をかけた重大な違法である。国民誰もが、「官僚だけでやれることではない」「官邸か有力政治家が関与しているにちがいない」と思っているのだが、いまだにスッキリと「やはりそうだった」と言えないもどかしさが残っている。

また、前事務次官が「メールは、威嚇効果を狙った(ともとれる)内容」と言っていることを噛みしめなければならない。

「命令も禁止もしていない」「質問しただけだ」「何の問題もない」は、失当も甚だしい。権力をもつ者と、権力に従わざるを得ない弱い立場にあるものとの関係で問題は生じる。権力者の意向を忖度して、その意向のとおりに動かざるを得ないのが、弱い立場にあるということである。権力をもつ者が、含意のある質問をしただけで、命令や禁止の効果を持つことは当然なのだ。これが権力の側から見た威嚇効果であり、弱い立場にある者の萎縮効果である。

この不当な政治介入は自民党文科部会の組織的な教育内容への「不当な支配」である点で深刻な問題である。しかも、文科省メールで誹謗された前事務次官は、安倍首相の腹心の友が理事長を務める学校法人加計学園の獣医学部新設に関して、「国家戦略特区での学部新設を認める過程で行政がゆがめられた」と明言した人物である。

衆目の一致するところ、これは政権の腹いせとしての「見せしめ」を、文科省のメールで行っているということなのだ。これも、安倍政権とこれを支える与党の質の低下を示して余りある事件だと言ってよい。

前川さん、政権に負けるな。自民党に負けるな。不正に負けるな。教育の何たるかを知らない野蛮な行為に負けるな。真っ当な教育行政回復のために、負けてはならない。

今、野党は一丸となって前川さん、あなたを応援している。メディアもそうだ。そして何よりも、民意があなたを支えている。これで、内閣支持率は、さらに確実に低下する。目指せ支持率20%。
(2018年3月21日)

不当な支配

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