(2022年6月12日)
今朝、浪本勝年さんからメールをいただいた。
「本日(6.12)は歴史学者・家永三郎さん(当時・東京教育大学教授)が1965年6月12日、教科書訴訟を提起した記念すべき日です(もっとも、人それぞれに感慨は異なるでしょうが…)。
小生は当時、大学4年生。宗像誠也先生から、事実上の「予告」を受けていましたので、この日の記憶は鮮明で強いものがあります。
当日入手した夕刊2紙(朝日・毎日)及び家永さんの「声明」の3点をお届けします(添付ファイル参照)。」
念のため、吉川弘文館の「日本史総合年表」を検索してみたら、1965年6月12日欄に、次の記載がある。
「家永三郎、自著の高等学校教科書『新日本史』の検定不合格をめぐり教科書検定制度を違憲とし、国に対する損害賠償請求を東京地裁に提訴。(9月18日「歴史学関係者の会」、10月10日「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」それぞれ結成)」
そして、家永さんの「声明」は、以下のとおり。
声 明
私はここ十年余りの間、社会科日本史教科書の著者として、教科書検定がいかに不法なものであるか、いくたびも身をもって味わってまいりましたが、昭和三十八、九両年度の検定にいたっては、もはやがまんできないほどの極端な段階に達したと考えざるをえなくなりましたので、法律に訴えて正義の回復をはかるために、あえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました。
憲法・教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としても、だまってこれをみのがすわけにはいきません。裁判所の公正なる判断によって、現行検定が教育行政の正当なわくを超えた違法の権力行使であることの明らかにされること、この訴訟において原告としての私の求めるところは、ただこの一点に尽きます。
昭和四十年六月十二日
家永三郎
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当時私は、浪本さんより一学年下の文学部社会学科3年生。もっぱらアルバイトに忙しく、授業への出席率は極めて低かった。残念ながら家永教科書訴訟提訴の日の記憶はない。この声明文も初めて見た。へ?、家永さん、当時は西暦でなく、元号使っていたんだ。
この声明の中の、「法律に訴えて正義の回復をはかるために、あえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました」という、家永さんの決意がまぶしい。当時の司法は、比較的真っ当だった。田中耕太郎・反共長官(2代目)と石田和外・反動長官(5代目)の最悪時代の谷間にあって、裁判所が「正義の回復をはかる場」としての信頼を勝ち得ていた時代なのだ。
周知のとおり、家永教科書訴訟は大裁判となった。表現の自由・教育の自由・学問の自由をテーマに、憲法原則を支持する勢力と保守政権とがわたりあった。訴訟は、1次から3次にまで至り、最終確定まで32年を要した。
《教育裁判》と《教育の自由を求める市民運動》とが理想的に結びついた典型例が作られ、多くの市民が教育本来のあり方に関心を寄せ、教科書の内容を監視するようになった。教科書訴訟支援運動が、多くのリベラルな活動家を育てた。
第二次訴訟(1967年6月提訴)は、検定不合格を不当として、その取消しを求めた行政訴訟(処分取消訴訟)である。その第一審判決が《杉本判決》として知られるものとなっている。
1970年7月17日東京地方裁判所は、国家の教育権を否定して、家永教科書に対する検定を憲法・教育基本法に違反する、との画期的な判決を言い渡した。この判決は、杉本良吉裁判長の名をとって《杉本判決》と呼ばれている。《杉本判決》を象徴として、家永教科書裁判は、国民各層に教育政策への関心を喚起するとともに、教育権理論を深化させる役割を果たしたと評価されている。また、いくつもの制度の改正も実現している。その、教育権論争を中心とする理論的成果と、教育民主化の運動は、「日の丸・君が代」訴訟とその支援運動に引き継がれている。
(2020年11月29日)
11月26日、日本民主法律家協会の機関誌「法と民主主義」2020年11月号【通算553号】が予定どおりに発刊となった。
今号は、特集?「2020年夏 教科書採択をめぐるたたかいの成果と教訓」と、特集?「第5回 『原発と人権』全国研究・市民交流集会ーー福島原発事故から10年─これまでとこれから」の二本建て。「法民」ならではの内容で充実していると思う。
目次は以下のとおり。
特集 ? 2020年夏 教科書採択をめぐるたたかいの成果と教訓
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆欺瞞と瑕疵事項だらけの教科書制度
──教育者・市民と法律家との連携による是正活動への期待 … ?嶋伸欣
◆「つくる会」系教科書の激減と今後の課題 … 鈴木敏夫
◆これが、問題教科書の内容だ … 石山久男
◆教科書づくりの現場からの報告 … 吉田典裕
◆教科書づくりの夢を語る … 関 誠
◆この夏、全国の運動はこうだった。
── 自由法曹団の取り組みについて … 穂積匡史
特集 ? 第5回 「原発と人権」全国研究・市民交流集会 in ふくしま オンラインプレシンポジウム 福島原発事故から10年─これまでとこれから
◆特集にあたって … 「第5回 『原発と人権』全国研究・市民交流集会 in ふくしま」実行委員長・礒野弥生
◆講演:技術の存否や倫理的側面の議論を
── 核燃料サイクルと核エネルギーのあり方を考える … 池内 了
◆報告:10 年目の被災地の今 … 伊東達也
◆報告:飯舘などリスクの高い復興を問う
── 復興核災害の危険性 … 糸長浩司
◆訴訟報告:被害者訴訟の司法戦略について
── 裁判の到達点と今後 … 南雲芳夫
◆訴訟報告:いわき避難者訴訟・第一陣
仙台高裁判決の意義と、上告審における東電主張の問題点 … 米倉 勉
◆各地からの報告 … 東島浩幸/谷崎嘉治/今大地晴美/佐藤嘉幸
◆集会のまとめと閉会の挨拶 … 松野信夫
◆司法をめぐる動き〈61〉
・安保法制違憲訴訟の意義と課題
── 前橋地裁判決を受けて … 大塚武一
・10月の動き… 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2020 《菅内閣のメディア政策》
自著も改変、批判に「怒り」 「世論」狙って、あの手この手 … 丸山重威
◆改憲動向レポート〈No.28〉
日本学術会議問題の陰でも進む「壊憲」 … 飯島滋明
◆書籍紹介
◆時評 「デジタル化」と向き合う日本の民事司法 … 今村与一
◆ひろば 継承されるミーナーの精神 … 清末愛砂
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特集?のリードだけをご紹介しておきたい。編集担当者として、私が書いたもの。
本号の第一特集は、《2020年夏 教科書採択をめぐるたたかいの成果と教訓》である。教科書採択をめぐる運動に成果あったことを確認して、その成果を生み出した運動の教訓を汲み取ろうというもの。
教育をめぐる時代の状況が決して楽観できるものでないことは、共通の認識と言えよう。そのような中でも、各地の地道な運動が、貴重な「たたかいの成果」を生み出し得ることは、それ自体が学ぶべき教訓である。
学校教育において、教科書は重要な存在である。とりわけ、義務教育の授業で使われる「歴史」や「公民」の教科書の記述の在り方は、次代の国民の主権者意識に大きな影響を及ぼす。そのため、どのような教科書を作るか、どのような教科書を採択するかについて、自ずから熾烈なせめぎ合いとなる。その結果は民主主義の成熟度を示す象徴的なバロメータともなる。
近年、このバロメータの指し示すところが思わしくなかった。この国の政治の現状と符合して、歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書の採択が無視し得ないシェアを獲得してきたからである。
今年・2020年は、4年に一度の中学校教科書採択の年、熱い夏の攻防の焦点は、「歴史」と「公民」の教科書だったが、「つくる会」系の、育鵬社・自由社の教科書採択は両者ともに激減した。企業としての採算点を大きく割り込んでいることが報告されている。もちろん、自然にそうなったのではない。各地で積み重ねられた、教科書採択をめぐる運動の成果である。
6件の論稿は、全体として、原理的な教科書検定や採択の制度や運用の問題点を指摘しつつも、今夏の運動が獲得した成果と意義とを正確に把握し、これを勝ち取った全国の運動を素描するものとなっている。
「欺瞞と瑕疵事項だらけの教科書制度」(高嶋伸欣・琉球大学名誉教授)は、本質的に戦前と変わりのない教科書検定制度とその運用の実態の問題点を指摘して、その打開のために法律家への連携を呼びかけるものとなっている。
「『作る会』系教科書の激減と今後の課題」(鈴木敏夫・教科書ネット21事務局長)は、一覧表にして教科書採択シェアの激変を解説している。実践に携わった立場からの現場の運動の報告として貴重なものである。
「これが、問題教科書の内容だ」(石山久男・教科書ネット21代表委員)は、問題教科書の、歴史修正主義・侵略戦争と植民地支配の美化・改憲への誘導の具体的記述についての明快な指摘である。その上で、具体的な改善の道筋を提言して示唆に富む。
「教科書づくりの現場からの報告」(吉田典裕・出版労連教科書対策部事務局長)は、教科書を作る側からの貴重なレポートである。教科書を使う側の視点しかない者には、気が付かない「現実」を教えてくれる。教科書に自由を取り戻すための提言も興味深い。
「教科書づくりの夢を語る」(関誠・公立中学校社会科教師)は、現役の歴史教員が、「子どもと学ぶ」教育実践の中から、「学び舎」の歴史教科書を作った報告である。筆者の「教科書は誰のものか」という問いかけは重い。
「この夏、全国の運動はこうだった。ー 自由法曹団の取り組みについて」(穂積匡史・弁護士)は、法律家の運動のありかたについての典型を示している。成果著しかった神奈川と大阪の具体例が報告されているが、学ぶべきところが大きい。
全体として、成果ばかりが強調されてはいない。運動あればこそ、多くの課題も見えてきている。まずは、その両面を共通の認識としたい。
(編集委員 澤藤統一郎)
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「法と民主主義」紹介のホームページは下記のとおり。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html
お申し込みは、下記のURLから。
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(2020年8月27日)
香港教育当局が「愛国教育」を重視する中国の習近平指導部の意向を受け、学校で使う教科書への管理を強化している。今年の検定では複数の出版社が当局の修正要求を受け、香港に「三権分立」の仕組みがあるとの記述や、民主化運動に関する写真などを削除した。香港各紙が18日に報じた。民主派は「教科書を通じて『親中国政府』の考え方を浸透させる狙いだ」と強く反発している。(毎日)
人民支配の鉄則は「アメとムチ」…だが、それだけでは十分でない。全人民にムチすることは現実には不可能であり何より非効率で愚策である。ムチよりはアメが先行するが、アメの量は常に限られている。のみならず、人民は必ずしもアメのみにて生きるものではない。アメとムチ以外に、人民の精神を自発的服従に仕向ける工夫が必要なのだ。
それを「マインドコントロール」と言っても、「洗脳」と言ってもよい。あるいは、端的にダマシとか、イデオロギー支配、共同幻想、ナショナリズム喚起とでも。その結果としての、国家ないし権力への忠誠心の醸成、少なくとも意識的な抵抗心の放棄がなければ、安定した人民支配はできない。そのために、手垢のついた愛国心が持ち出される。
国家の経営者は、国民に経済的利益を与えることに腐心し、権力にまつろわぬ者には刑罰を与えるだけでなく、当該の国家や権力を正義とするマインドコントロールに知恵を絞る。その知恵の働かせどころは、まずは教育であり、次いでメディアである。情報と考え方をコントロールして、権力に好都合なことだけにバルブを開き、不都合なことはシャットアウトするのだ。
だから、国家や権力に絡めとられぬように、教育もメディアも、権力から独立して自由でなければならない。これが、市民革命を経た近代社会の常識であり、約束ごとである。もちろん、前近代の天皇制国家は、教育にもメディアにも徹底して介入を試みた。今なお日本の現実は、この弊風を払拭しきれていない。
が、中国の香港教育への介入のこの露骨さは驚くべきものだ。あらためて、中国には、民主主義思想も人権思想もなく、一党独裁あるのみと確認するほかはない。「党は正しい方針を持っている。だから近視眼的な批判は慎むべきだ」という思想と対決しなければならないと思う。
香港は、中国とはまったく別のリベラルな教育制度を運用してきた。その象徴が、「通識」という科目だという。日本の公民に近いものだろうか。日本でも一時流行った「リベラルアーツ」教育のようでもある。《幅広い社会問題を学んで批判的精神や多様な見方を育てる》というのが科目の目標で、高校の必修科目となっている。これが、中国から危険視の対象となった。
この「通識」が、香港の若者の民主的な思考や態度を養ってきたと言われ、2019年6月に本格化した政府への抗議デモでは、高校生らが校舎前で手をつないで政府に抗議の意思を示す「人間の鎖」が各地で繰り返し見られた。
中国にしてみれば、これを何とかしなければならない。《絶対であるべき党のものの見方を相対化して、幅広く社会問題を学び、批判的精神や多様な見方を育てる》ことは危険視されるのだ。中国政府は昨年来、この通識を「愛国心ではなく、批判的思考を育んでいる」として非難してきた経緯があるという。
中国政府はよく分かっている。《批判的な精神》と《愛国の精神》とは、真っ向から対立する理念なのだ。香港に対する統制を強化する「香港国家安全維持法」(国安法)が6月に施行されたことを踏まえ、香港当局は中国の意を受けて愛国教育を徹底する方針を打ち出した。まずやり玉に上げられたのが、通識教育である。
「通識」の教科書の書き換えが要求された。「香港教育図書社」の教科書の例では、「香港の法制度の特徴として『三権分立の原則に従い、個人の自由と権利、財産の保障を極めて重視する』との記述があった。だが検定後は削除され、代わりに『デモで違法行為をした場合、関連の刑事責任を負う』との記述が加えられた。」(香港明報)という。他の三つの出版社でも「香港では三権分立の制度が取られている」との表記が削除された。
なるほど、中国には権力分立の観念はない。立法・行政・司法の各権力の上に、党という「権威兼権力」が君臨している構造なのだ。あたかも、大日本帝国憲法において、議会と内閣と司法の上に、天皇という「権威兼権力」が君臨していたごとくに。
この他にも教科書の検定では、14年の民主化要求デモ「雨傘運動」の現場や政府への抗議メッセージを記した付箋が貼られた壁を撮影した写真や、19年の政府への抗議デモに関して「警察がデモを禁止したことで市民の自由が侵害された」「政府が経済、政治、生活に関する市民の要求に応じなかったことも一因」などの記述が削除された。いずれも民主派の抑え込みを図る当局の意向が反映されたとみられる。(毎日)
香港では19年、抗議活動に関連して18歳以下の学生約1600人や19歳以上の学生約2000人、教職員100人以上が拘束された。中国政府は教育現場への締め付けを強めるため、国安法で学校に対して「宣伝、指導、監督および管理を強化する」と明記し「国家安全教育」を進めると盛り込んだ。香港当局は6月、教育現場で国歌斉唱などを義務づける「国歌条例」も施行。教育現場への締め付けは着実に強まっている。(毎日)
1989年の天安門事件や2014年の雨傘運動など民主化デモに関する記述の削除・削減が加速した。教師ら学校関係者は21日、「洗脳教育を断固拒否する」との声明を発表、反発を強めている。(産経)
また、ある教科書では「私は香港人だ」と記された旗を持つデモ参加者のイラストが、「中国の経済発展の成果を享受できて、私は中国人であることが誇らしい」と説明されたイラストなどに差し替えられた。(産経)
中国国営新華社通信は21日、「通識科の『消毒』は、香港の教育が正しい道に進む第一歩だ」と題する論評を配信し、教科書改訂を歓迎しました。ある在日香港人は本紙に「今回の改訂は、政権に従順な新しい世代をつくり出すための第一歩だ」と警戒感を示しました。(赤旗)
(2020年8月26日)
今年の夏は常の夏ではない。コロナの夏であり、異常な猛暑の夏。そして首相引きこもりのなんとも冴えない鬱陶しい夏である。そこに、思いがけない一陣の涼風が吹き込んできた。教科書採択の成果である。端的に言えば、全国的規模での、育鵬社教科書(歴史・公民)不採択の涼風なのだ。
育鵬社教科書とは何であるか。2015年9月17日付けで、「★育鵬社教科書採択570校一覧(9月17日現在)」という、勇ましいネット記事が残されている。冒頭にこうある。
「正統保守の敵『つくる会』一部首脳を追撃します。『新しい歴史教科書をつくる会』が自由社から出した教科書は反日自虐。」「教科書改善の会のメンバーが執筆した フジサンケイグループ育鵬社こそが正統保守教科書です。」
継続採択も含め私立中の採択は24校です。公立中は約550校(特別支援学校で該当生徒のいる校数が確定しないため、正確な数はまだ分かりません)で、合計約570校の生徒が育鵬社の教科書で学ぶことになりました。
採択冊数は、歴史が7万2000?7万3000冊(シェア6.2?6.3%)、公民が6万6000?6万7000冊(シェア5.7%前後)と推定されます。
つまり、「フジサンケイグループ育鵬社(扶桑社の100%子会社)の教科書こそが、正統保守教科書です。」というのだ。ここでいう「正統保守」とは、歴史修正主義・国家主義・排外主義・権威主義を指す。まさしく、安倍晋三を行政トップに押し上げた勢力の歴史観・政治観をいう。その立場は明らかに、《反日本国憲法》であり、同時に《親大日本帝国憲法》でもある。
そんな教科書で、毎年7万2000?7万3000人もの中学生が歴史を学んできた。これが今年度(2020年度)までの現実である。
今年は、通常4年ごとに行われる教科書採択の年。「つくる会」系教科書採択の消長は、わが国の民主主義度のバロメータともなっている。「フジサンケイグループ育鵬社の正統保守教科書」の採択状況に衆目が集まる。そして、ほぼその結果が出てきた。まさしく、一陣の涼風である。日本の民主主義勢力決して先細りではない。
「子どもと教科書全国ネット21」の集計では、公立学校での育鵬社の歴史教科書採択冊数を71,510冊、公民教科書冊数を65,480冊と報告している。
それが今回の採択では、注目すべき大型採択地域で軒並み育鵬社は敗退した。前回育鵬社を採択して、今回は逆転不採択となったのは、確認できる範囲で以下のとおりである。
横浜市(146校) 歴史2万7000冊、公民2万7000冊
大阪市(130校) 歴史1万8500冊、公民1万8500冊
東大阪市(26校) 公民4200冊
松山市(29校) 歴史4200冊
藤沢市(19校) 歴史3500冊、 公民3500冊
呉市(26校) 歴史1900冊、 公民1900冊
東京都立中(10校) 歴史1400冊、 公民1400冊
新居浜市(11校) 歴史1100冊
四国中央市(7校) 歴史 800冊、 公民 800冊
泉佐野市(5校) 歴史1000冊、
河内長野市(7校) 公民 900冊
武蔵村山市(5校) 歴史 700冊、 公民 700冊
四條畷市(4校) 歴史 600冊、 公民 600冊
愛媛県立中(3校) 歴史 480冊、 公民 480冊
東京都立特別支援学校(10校)歴史100冊、公民100冊
以上で、歴史教科書の削減冊数は61,000冊を超え、公民は60,000冊を超える。来年(2021年)度からの育鵬社版教科書の使用冊数は、歴史は1万冊を割り、公民は5000冊に届かない。
この成果を切り拓いたものは何か。もちろん、自然にこうなったわけではない。右翼の運動に抗して各地で起こった市民運動の成果なのだ。歴史修正主義や憲法を軽んじる歴史や公民の教科書を我が子には使わせないという地道な市民運動が結実したものである。その具体的な運動のあり方は、追々語られることになるだろう。横浜・大阪だけではなく、全国至るところで教育運動が盛り上がったことの意味は大きい。
もう一つの感想がある。5年前育鵬社教科書が採択数で伸びた時期は、安倍政権の勢いがまだ安泰だった。右翼も威勢を張っていたということである。森友学園事件は、まだ世に明るみに出ていない。安倍政権をバックとして、「フジサンケイグループ育鵬社の正統保守教科書」の採択は順調だったと言えよう。しかし、今年の夏、安倍政権のたそがれが誰の目にも明らかだ。右派勢力がアベ晋三に期待した憲法改正などできっこないと認めざるを得ない。
「つくる会」系の右翼偏向教科書の採択状況は、右翼勢力の力量消長のバロメータでもあり、右翼を背景とするアベ政権の盛衰のバロメータでもある。この真夏に、そのバロメーターが示したアベ没落のご託宣はまことに目出度い。まさしく、猛暑のなかの一陣の涼風である。
(2020年8月10日)
注目の4年に1度の教科書採択、いま真っ盛りである。注目される理由は、これが日本の民主化度のバロメータであるからだ。残念なことに、このバロメータの指し示すところが最近芳しくない。歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書で次代の主権者教育が行われてはたまらないのだが、歴史修正主義や国家主義、改憲基調の政治がまかり通っているのがこの国の現実。そんな勢力を代表する政治家が、長期政権を維持しているご時世なのだ。
攻防の焦点は、公立中学校の「歴史」と「公民」の教科書である。採択権者は、学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会。いつもは名ばかりの教育委員だが、このときばかりは時の人になる。自分の権限の重さに、うろたえてしかるべきである。
この攻防、アベ晋三政権終焉の空気を反映してか、改憲気運衰退のしからしめるところか、歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書には、採択の勢いがない。
いわゆる「つくる会」系の、歴史修正主義派教科書の出版社としては、「育鵬社」と「自由社」がある。両社の教科書とも、これまでのところ軒並み不採択で不調この上ない。
都教委が、都立中学10校と特別支援学校中学部22校の教科書採択において、これまでの姿勢を覆して育鵬社、自由社版を不採択にした。続いて、藤沢市・横浜市でも逆転不採択となり、さらには心配された名古屋市で8月7日不採択となった。
ここまで、歴史修正主義派教科書は完敗と言ってよい。とりわけ、全国で最多校数・最多生徒数を誇る横浜市の動向が象徴的である。地元、神奈川新聞がこう伝えている。
横浜市教委、育鵬社版不採択に 中学の歴史・公民教科書
横浜市教育委員会は(8月)4日、定例会を開き、市立中学校など147校で2021年度から4年間使用する歴史と公民の教科書について、育鵬社版を不採択とした。鯉渕信也教育長と教育委員5人が無記名で投票し、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版を採択した。使用する生徒は全国最多の約7万4千人。
歴史は7社、公民は6社の教科書を審議した。定例会では、学識経験者や校長、保護者ら20人でつくる「市教科書取扱審議会」の答申が公表され、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版の評価が高かった。
採決を前に、大場茂美委員が「責任ある判断をする上で、冷静な判断ができる環境を維持したい」と無記名投票を提案。他の委員から異論は出なかった。投票の結果、歴史は帝国書院が4票、公民は東京書籍が5票で、育鵬社はそれぞれ2票と1票だった。
さて、これからである。維新の牙城である大阪府内では育鵬社版教科書採用率が高い。前回は、大阪市、東大阪市、泉佐野市、四條畷市、河内長野市などが育鵬社版を採択していた。本日まで、四條畷市、河内長野市が不採択となり、残る大阪市、東大阪市、泉佐野市の帰趨が注目されている。
言うまでもないが、この教科書採択の結果は、多くの人の運動の反映である。教員や父母が連携し、地域の市民団体も意見を集約して教育委員会に届けている。委員会の傍聴も続けられている。その熱意、その論理、その説得力が、教育委員に影響を与えているのだ。
その運動の全国組織である「子どもと教科書全国ネット21」が、7月30日に「育鵬社教科書不採択の流れを全国に波及させよう」と題する【緊急アピール】を発している。
「約20年にわたって「つくる会」系教科書の採択に、都立学校でいったん終止符を打つことができたことは、大きな前進です。大阪府でもこれまで育鵬社の公民教科書を採択してきた四条畷市と河内長野市で、採択を許さないという成果を上げることができました。
この流れをさらに強め、
1 育鵬社歴史・公民教科書、自由社公民教科書(日本の植民地支配やアジア太平洋戦 争について歴史的事実をゆがめて正当化し、日本国憲法の価値を否定し、憲法改悪に誘導しようとする)
2 日本教科書道徳教科書(生徒の内心に踏み込む、数値による徳目の達成度を求める 自己評価や、植民地支配を肯定的に描く題材まで載せている)
これら教科書の採択を許さない取り組みを、全国の市民、保護者、教職員、労働組合、研究者、弁護士などの幅広い皆さんと全力をあげて進めていきましょう。」
ところで、最も注目される大阪市である。
「子どもと教科書大阪ネット21」の平井美津子事務局長は、育鵬社の歴史教科書について、以下の問題点を指摘している。
・大日本帝国憲法と天皇制を賛美する。
・植民地政策を正当化し、日本が近代化を進めたとする。
・ 15年戦争をアジア解放の戦争と位置付ける。
・日本国憲法は「押し付けられた」ものと否定的。
(ちなみに、育鵬社は、公民では、憲法について、人権の保障より「公共の福祉による制限」を強調し、人権についての正しい知識・感覚を持ちにくい。また、憲法改正へ誘導する記述となっている。)
・最後は中国・北朝鮮への敵愾心を煽り、「日本クール」を謳って締める。
「わが国は、過去の歴史を通じて、国民が一体感を持ち続け、勤勉で礼節を大事にしてきたため、さまざまな困難を克服し、世界でもめずらしい安全で豊かな国になりました。世界の中の大国である日本は、これからもすぐれた国民性を発揮して、国内の問題を解決するとともに、世界中の人々が平和で幸せに暮らしていけるよう国際貢献していくいことが求められています。」
7月30日に、大阪市教育委員会事務局が「戦争美化の教科書を子どもたちにわたさない大阪市民の会」と「教科書採択について」の協議を実施している。形式は、「協議」だが、実際は「要請」に対する「回答」と説明であろう。大阪市のホームページに、6項目の「要望」と「回答」が、次のように掲載されている。
?国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を原則とする日本国憲法の精神に反する育鵬社版、自由社版の教科書は絶対に採択しないでください
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。
?本市の学校には在日外国人の子どもたちも多数在籍しています。諸外国との友好・連帯を何よりも大切にし、まかり間違っても、排外主義や嫌中、嫌韓感情を助長する教科書は採択しないように強く求めます。
(回答)大阪市教育振興基本計画において、「我が国や郷土の文化・伝統を尊重し、広く伝えるとともに、世界における多様な文化を互いに理解し合い、異なる文化を持った人々とともに生き協働していこうとする、多文化共生社会をめざす資質や能力を持った子どもをはぐくみます。」と示しています。
採択にあたっては、教育基本法、学習指導要領、大阪市教育振興基本計画等に示された基本的な目標に基づいて調査研究を行い、調査会等が作成する資料により、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。
?教室で実際の教育活動にあたる教師の意見に耳を傾けてください。
(回答)採択にあたっては、大阪市立義務教育諸学校教科用図書選定委員会規則に基づき、教科用図書選定委員会(以下「選定委員会」という。)を設置することとし、教育委員会が諮問し、選定委員会が調査、研究を経て作成した答申を参照し、採択を行います。
選定委員会は、採択地区ごとに専門性の高い校長及び教員で構成される専門調査会と、各学校の校長及び教員で構成される学校調査会を設置しており、現場教員による調査の結果が選定委員会に報告されます。調査会等が作成する資料については、文部科学省の通知に則り、採択権者の責任が不明確になることのないよう留意しつつ、採択権者の判断に資するよう一層充実したものとなるよう努めてまいります。
?教科書閲覧などを通じて、市民の声に真摯に耳を傾けてください。
(回答)本市では、保護者や学校協議会委員をはじめ市民の皆様に教科書や教科に対する理解を深めていただけるよう教科書展示会を実施しております。教科書展示会では、市民の皆様に教科書への関心を持っていただくとともに、教科書について広く意見を集めることを目的として、アンケート箱を設置しています。アンケートの集約結果並びに皆様からいただいたご意見やご感想につきましては、教科書採択にあたっての参考資料の 1 つとして、教育委員、選定委員にお伝えしてまいります。
?新型コロナ問題の先が見通せないなか、教職員や保護者や市民が教科書の検討を可能とする十分な閲覧会場と日程を保証してください。
(回答)本市では、市立図書館・区役所・区民センター・区役所出張所等、市内31か所の教科書センターで、令和3年度使用教科書展示会を開催いたします。
なお、「新型コロナウイルス感染症」に係る感染拡大防止の観点から、来場者へのマスク着用や近距離での会話をご遠慮いただくなどのお願いや、来場者が多い場合は同時に入場する人数を制限する措置をとらせていただく場合があります。
しかしながら、「法定外展示期間」を例年よりも長く設定している「教科書センター」もあり、できるだけ多くの方々に教科書に触れていただく機会の確保に努めております。
?教育行政にあたる皆さんが、如何なる政治的圧力にも屈することなく、日本国憲法の精神と、良心のみに従って、教科書選定作業を行われるよう強く要請いたします。
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。
「採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。」では、実はなんの回答にもなっていない。問題は、「公正かつ適正な採択」の具体的な中身である。2015年の初採択時も今と同じタテマエだった。それでどうして育鵬社版採択に至ったのか。育鵬社版教科書のこんな内容が、どうして「公正かつ適正な採択」に馴染むのか。「公正かつ適正」が、育鵬社版教科書とどう折り合えるのか、ではないか。
全国の適正な教科書採択を求める運動の圧倒的な成果を期待したい。全ては、今月中に決着が着く。
(2020年7月29日)
学校教育における教科書が子どもに与える影響力は大きい。とりわけ、歴史観や社会観に関わる教科書は将来の国民の主権者意識を決定しかねない。教科書の記載は、歴史の真実を曲げてはならず、その社会の良識をよく反映するものでなくてはならない。
かつては、国定教科書が皇国のイデオロギーを臣民に注入する役割を果たした。その歴史教科書は、荒唐無稽な神話の伝承と区別されるところはなく、國體の賛美に満ち満ちていた。この過ちを繰り返してはならないとして、国定教科書は廃絶された。しかし、これに代わる教科書検定の制度が必ずしもあるべき運営となってはいない。
複数の検定済み教科書からの採択が最も問題となるのは公立中学校の社会科の教科書である。採択の権限は、管轄の各地教委にある。市立中学校なら各市教育委員会に、区立中なら各区教育委員会に…。歴史や公民の教科書採択には、各教育委員のイデオロギーが表れる。侵略戦争を美化するもの、日本国憲法をあからさまに敵視する教科書の採択が現実に問題となっている。
一昨日(7月27日)東京都教育委員会は、都立中高一貫校10校と特別支援学校22校の各中学部の教科書採択を行なった。
https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/press/press_release/2020/release20200727_01.html#link1
その結果、採択されたのは、都立中学では【歴史=山川出版】、【公民=教育出版】(1校のみ日本文教出版)、【道徳=廣済堂あかつき】。特別支援学校では、【歴史=東京書籍】、【公民=日本文教出版】、【道徳=光村図書出版】で、歴史修正主義派とされる育鵬社・自由社・日本教科書の採択はなかった。
本日(7月29日)の赤旗が、「都教委 育鵬社版採択せず」「侵略美化の教科書不使用」と大きく見出しを打って、「19年ぶり」という小見出しを付けている。都教委は2001年以来、歴史修正主義派の教科書を採択してきた。都立校に「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書採択がなくなったのは、実に19年ぶりのことなのだ。
来年度から使われる中学教科書の採択で、東京都教育委員会が都立の中高一貫校と特別支援学校について、育鵬社の歴史教科書・公民教科書を不採択にしたことが28日、わかりました。都立学校から侵略美化の中学教科書がなくなるのは19年ぶりです。27日の会議で決定しました。
現在、都立の中高一貫校(10校)と聴覚障害・肢体不自由・病弱の特別支援学校中学部(22校)では全校で育鵬社の歴史・公民教科書が使われていますが、来年度からは育鵬社の教科書は都立学校では使われないことになります。
これはまことに喜ばしい。インパクトが大きい。だが、実は薄氷を踏む思いの成果なのだ。
都教委のメンバーは下記の6名である、問題の歴史や公民の採択についての投票の表決は、いずれも「過半数」とはならなかった。育鵬社を支持した委員は2人、自由社は1人、計3名だった。もし、2回目投票で自由社の1票が育鵬社に流れれば計3票となり、教育長の決裁で育鵬社版採択もあり得たのだ。これが、都教委の実態である。
藤田 裕司(教育長・都職員)
遠藤 勝裕(実業家)
山口 香(元柔道選手)
宮崎 緑(元ニュースキャスター)
秋山千枝子(小児科医)
北村 友人(東大大学院准教授)
このうち、誰が育鵬社や自由社の教科書採択を支持していたかは、公表されていない。
よく知られているとおり、1996年歴史修正主義派は「新しい歴史教科書をつくる会」に結集して、「子供たちと日本の名誉を守る」ための教科書を作り、その採択運動に奔走してきた。その立場は、極めて明白である。発足時、「Mission 子供たちと日本の名誉を守る!」として、こう言っている。
皆さんはご家庭でお子さんが学校で使われている教科書をのぞいてみたことはありますか?
「南京大虐殺」「従軍慰安婦」…今、全国の学校で使われている歴史教科書の多くは、ありもしない話を多く並べた、過去の日本を貶めるものばかりです。
そして今年に入り、「従軍慰安婦」問題は、いよいよ世界中に広がりを見せ始めました。これで子供たちは、自分の国に誇りを持ち、健全に育つことができるでしょうか。
自国の歴史・伝統と文化をないがしろにした国の未来に「繁栄」はありません。子供たちのため、そしてこの国の未来のために、健全な歴史教育・公民教育が行われる環境を、私達と一緒に作っていきましょう。
ここに謳われていることは、「歴史の真実」ではなく、「国の誇り」であり、「自国の歴史・伝統」である。1999年石原慎太郎が都知事となり、「石原教育行政」が始まった。都教委は、2001年に「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した扶桑社の歴史教科書と公民教科書を、都立養護学校(現特別支援学校)で採択した。公立学校での扶桑社版教科書採択はこれが全国で初めてのこと。都教委はその後、新設された都立の中高一貫校でも扶桑社の教科書を採択した。
そして、2003年石原都政2期目となって、悪名高い「10・23通達」が発出される。こうして、つくる会系教科書採択に引き続いて、「日の丸・君が代」強制が始まった。その後、「つくる会」の運動は離合集散を繰り返し、扶桑社版教科書は、その後継の育鵬社や自由社の教科書となっているが、都教委はその後掲教科書の採択を続けてきた。19年にもわたってのことである。その19年も続いた、「つくる会」系教科書採択が薄氷を踏む思いながらも終焉したのだ。
6人の教育委員の内、「つくる会」系教科書支持の委員が3人というのは、余りにも偏頗な構成。とは言え、去年まではもっと酷かったというわけだ。「日の丸・君が代」強制を続けてきた都教委は、少しは変わってきているのだろうか。希望的な観測も込めて、そう思いたい。
しかし、問題は東京にだけあるのではない。横浜市の教科書採択が8月4日に行われる。横浜市教委は育鵬社教科書を採択しているのだ。東京同様に逆転できるだろうか。育鵬社版を採択している大阪市、東大阪市も注目される。大阪府下で前回採択時に育鵬社教科書を採択した四條畷市、河内長野市で、今回は育鵬社教科書が不採択となったという報告もある。
安倍政権という存在が、「新しい歴史教科書をつくる会」や育鵬社・自由社を鼓舞してきた。あるいは、「つくる会」や育鵬社・自由社教科書が跋扈する世の中の空気が、安倍政権を長く支えてきたというべきだろうか。その育鵬社・自由社の衰退である。最初に「歴史修正主義教科書」に手を差し伸べた都教委の、その手が引っ込められたのだ。続く、都教委の変化に、また全国の動向に注目したい。
上には上があるというベきか。あるいは、下にはさらに下があると驚くべきか。オーナーの身勝手なヘイト志向の信念を従業員に押し付けるブラック企業としてはDHCが極め付けと思っていた。が、世の中は広い。DHCに勝るとも劣らぬ企業が関西にあることを知った。これまで知らなかったその社名が、「フジ住宅」。大阪府岸和田市に本社を置く東証1部上場の不動産大手。従業員数は1000人に近く、関連会社を含めると1200名規模だという。
DHCは、デマとヘイトとスラップの3拍子で知られる。フジ住宅は、従業員へのヘイト文書大量配布と、育鵬社教科書の採択運動に社員を動員してきたことで有名になった。どちらのオーナーも、独善と押し付け、嫌韓・反中の信念の強固なことにおいて、兄たりがたく弟たりがたい。
フジ住宅が一躍全国区で有名になったのは、この夏のこと。大阪弁護士が、この会社の女性従業員からの人権救済申立を容れて、異例の人権救済勧告を出し、本年(2019年)7月16日にこのことを公表してからのこと。
同月11日付の勧告の主文は、以下のとおりである。
勧告の趣旨
1 被申立人(フジ住宅)はその従業員に対し、大韓民国等本邦外出身者の国民性を侮蔑する文書を配布しないこと
2 被申立人(フジ住宅)はその従業員に対し、中学校の歴史及び公民教科書の採択に際し、特定の教科書を採択させるための運動に従事させ、その報告を被申立人にするよう求めないこと
つまり、フジ住宅は、弁護士会から「人権侵害に当たるからおやめなさい」と注意を受けるほどに、「社員に対して、韓国など本邦外出身者の国民性を侮蔑する文書を配布」していたし、「社員に、歴史・公民教科書の採択に際し、歴史修正主義派の教科書を採択させるための運動に従事させ、その報告を会社にするよう求め」ていたということなのだ。
この会社のヘイトぶりに我慢ができなくなった在日三世の女性従業員は、弁護士会に対する人権救済申し立てだけでなく、大阪地裁堺支部に名誉毀損の損害賠償請求の提訴もしている。ネットで、両者の主張を読むことができる。
通常この種の事件で裁判所に提出される主張は、法律家のスクリーニングを経て、それなりの抑制が利いたものとなる。ところが、この会社の準備書面は、弁護士が作成したとは思えないほどにストレートな会社の言い分そのままなのだ。そのストレートな会社側の主張が興味津々である。たとえば、これが準備書面の文章である。
「被告会社会長である被告今井の信念として、戦後の日本人が自らの国に誇りを持てないことが社会に大きなひずみを生みだしているところ、それは東京裁判に象徴される第二次世界大戦戦勝国の措置によって日本人に植え付けられたいわゆる「自虐史観」が主な原因であるから、自らの国に誇りを持つためには「自虐史観」を払拭する必要がある。この観点から、戦後日本において多くの国民の自己肯定感情の障害となってきたと考える「自虐史観」の払拭に役立つと思われる文書を配布している。」
この会社のホームページには、こうある。
「弊社が当裁判に負けることは、原告を除くほぼ全ての、外国籍の方を含む社員全体が支持してくれている弊社の仕事の進め方、それを通じて広く社員が見識を高めてくれることを期待する社員育成の方法が採れなくなることを意味しており、弊社としましては、この点で、妥協できる余地は一切なく、弊社の存立に深く関わるこの経営のあり方を続けたいと思っております。
また、当方を応援して下さる方の中には、当裁判の帰趨が非常に重要な歴史的意味を持っており、日本国民として絶対に負けられない裁判であると言ってくださる方も多くおられます。弊社と致しましても、万が一当裁判に負けるような事があれば、日本人全体の人権や、言論の自由が大きく毀損される事になるとの危機感を共有しており、当社経営理念「社員のため、社員の家族のため、顧客・取引先のため、株主のため、地域社会のため、ひいては国家のために当社を経営する」をしっかりと守り、「ひいては国家の為に当社を経営する。」と述べている事に、嘘、偽りの無い姿勢を貫きたいと思っています。
この会社には、従業員を主体性ある独立した人格と見る視点がない。労使の関係が、対等な法主体間の労働契約であることの基礎的な理解を欠いている。この会社も、この弁護士たちも、近代的労使関係の何たるかをまったく分かっていないとしか評しようがない。「社風」とか、「社員育成」によって、社員の人格や思想・良心を蹂躙することができて当然と思い込んでいるのだ。従来、企業側弁護士はこのような会社をたしなめ、説得し、教育してきたはずだが、ただただこの会社の愚かな主張に追随しているようにしか見えない。
この大阪弁護士会の異例の勧告を、朝日(関西版)は、こう伝えた。
東証1部上場の住宅販売会社で、韓国人などを侮辱する表現を記した文書が繰り返し配布されていたとして、大阪弁護士会は(7月)16日、人権侵害に当たるため配布をやめるよう勧告したと発表した。同社では、中学校の教科書に育鵬社版が採択されるよう社員の動員もしていたといい、思想・良心の自由を侵害する可能性も指摘した。
毎日はこうだ。
今月11日付の勧告書によると、同社は2013年、「息を吐くようにうそをつく」など、韓国や北朝鮮、中国を差別する表現がある雑誌記事などを少なくとも8回にわたって全従業員に配布した。さらに15年、「新しい歴史教科書をつくる会」の元幹部らが編集に関わった育鵬社の「歴史」と「公民」が公立中学校の教科書に採択されるよう従業員に各自治体の住民アンケートなどへの回答を推奨。同社の会長に結果を報告するよう求め多くの従業員が応じていたという。
どうも、メディアの伝え方が、いまいち十分ではないという印象を否めないが、それはとかく、これからはこう決意し、こう訴えよう。
DHCの製品は買わない
アパホテルには泊まらない
フジ住宅で家は建てない
播磨屋のせんべいは食べない。
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以下に、大阪弁護士会「勧告」の判断部分を要約してご紹介する。極めて常識的なものだが、この会社の耳にははいらないようだ。
https://moonkh.wixsite.com/hateharassment/blank-7
2 当会の判断
(1)別紙一覧表1記載の文書の配布について
何人も平穏に生活して人格を形成し、自由に活動することによって名誉・信用を獲得し保有する権利は、憲法第13条に由来する人格権として強く保護され、かかる権利は、国籍・民族の知何を問わず本邦に居住する者に等しく保障されるべきものである。
ただし、憲法は私人間の関係を直接規律するものではなく、私人相互の関係に直接適用または類推適用されるものではないから、民法第709条その他私法の一般条項の解釈適用を通じて間接的に私人間の行為を規律することになる。
ところで、一般に私人の表現行為は、個人の基本的な自由として憲法第21条第1項に基づき厚く保障されるべきものである。しかし、本邦以外の特定の民族または国籍の出身者を侮辱し、これらの者に対する差別的意識を醸成させる行為は、憲法第13条、第14条に照らし、社会的に許容される合理的範囲を超えて他人の法的利益を侵害していると認められるときは、人権侵害行為にあたり、民法第709条の不法行為(ないし契約関係が存する場合には、契約内容に応じ債務不履行)が成立すると評価できる。
これを本件についてみると、申立人(従業員)は、韓国国籍を有する在日韓国人3世として本邦に居住しているのであるから、平穏に生活して人格を形成し、自由に活動することによって名誉・信用を獲得し保有する人格権を有しているというべきである。他方、被申立人(フジ住宅)には、会社の目的に必要とされている範囲で表現行為の自由が保障されているところ、被申立人が、自身に所属する全役職員に対し配布した別紙一覧表1記載の文書には、いずれも韓国又は韓国国民に対する批判的論評の域を超えた侮辱的表現が随所に見られる上、被申立人代表取締役会長が、侮辱的表現部分に丸印や下線を引くなどしている。確かに、被申立人による上記文書配布は、申立人を被申立人の職場から排除することや申立人の人格権を侵害することを直接の目的とするものではなく、また、配布された文書を申立人が受領することが強制されていた事実は認められない。しかし、被申立人は、1000名を超える従業員を雇用する東証一部上場企業であり、いわば社会の公器として多様な価値観・歴史観を許容し、国籍や人種等による差別的意識を排する職場環境の構築が求められるところ、被申立人の創業者であり、被申立人の全役職員に対して極めて大きな影響力を持つと考えられる被申立人代表取締役会長が、侮辱的表現部分に丸印や下線を引くなどして上記文書を被申立人の全役職員に配布した行為は、いずれも被申立人の業務に必要とは言いがたく、被申立人の全役職員に対して上記文書を配布することを保障する必要性に乏しい。以上からすると、被申立人による別紙一覧表1記載の文章の配布が、被申立人の人格権を侵害したものといえると評価されたとしても、その評価が不当であるとは決していえない。
(2)別紙一覧表2記載の文書の配布について
憲法第19条が思想・良心の自由を保障しているのは、いかなる国家観、世界観、人生観を持とうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家権力は、内心の思想、に基づいて不利益を課したり、あるいは特定の思想を抱くことを禁止することができないということである。そして、かかる自由が国籍・民族の如何を問わず本邦に居住する者に等しく保障されること、憲法が私人相互の関係を直接規律するものではなく、私人相互の関係に直接適用または類推適用されるものではないので、民法第709条その他私法の一般条項の解釈適用を通じて間接的に私人間の行為を規律することになることは、前記(1)と同様である。これを本件についてみると、本邦の歴史、とりわけ明治維新以降の近現代史における歴史的事実については、個人の歴史観や思想・信条によって様々な評価があることは、公知の事実である。そのため、中学校における歴史及び公民の教科書は、各執筆者が近現代史における歴史的事実を各々評価し執筆しているので、異なる叙述がされている。したがって、教科書に対する評価は、個人の歴史観その他思想・信条と密接に結びついているといえる。しかるに、創業者であり被申立人役職員に強い影響力を持つと考えられる被申立人代表取締役会長が、被申立人の全役職員に対し、別紙一覧表2記載の文書を配布するなどして特定の教科書を採択させるための運動に従事するよう強く推奨するとともに、かかる運動に従事したときは、その内容を上記代表取締役会長に報告することを求めている。そして、現にかかる推奨に応じて多くの役職員が上記報告に及んでいる。被申立人のこの一連の行為は、被申立人の業務に必要とはいい難く、しかも、被申立人は、これらの収集した報告をどのようにでも使える立場にあるので、例えば、上記採択運動に従事したか否かで、従業員の待遇に差を設けることもできる。以上からすると、かかる運動に従事することを被申立人の全役職員に強制するものではないことが、別紙一覧表2記載の文書の一部に明記されているとはいえ、被申立人が、その収集した思想・良心にかかる報告を自由に使える立場あることからして、かかる運動に従事したか否かによって、申立人を含めた従業員がその待遇等において差別的取扱いを受ける可能性が高い状況下にあるので、申立人を含めた従業員が自己の思想・良心を侵害されるおそれの高いことを否定することはできない。
3 結語
以上によれば、被申立人による各行為に対し、申立人の救済には今後の人権侵害の防止につき適当な措置を採ることを勧告することが相当であるから、勧告の趣旨記載のとおり、勧告する。
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なお、会長の信念によって、全社員に配布されたヘイト文書の一部を抜き書きしておく。
多くは、「月刊WILL」「正論」「産経」「加瀬英明」「呉善花」「中山成彬」「櫻井よしこ」などの文章の転載である。
「韓国の国民性を痛烈にえぐっている。…嘘と無恥の国なのだ」
「では、なぜ韓国人は第三国でこれほど反日活動に走るのだろうか。それは韓国人の習性に由来している。韓国人同士がケンカする時は相手の言い分などに耳を貸さず、ひたすら自分の主張を大声で怒鳴り合う。さらに、周りの人々に訴えて自分の味方を増やそうとする。直接相手に堂々と挑むのではなく、第三者に訴えてねじ伏せようとするのが韓国流のケンカである。彼らは味方を増やすために『いかに自分の主張が正しいか』嘘八百を並べながら、身振り手振り、場合によっては号泣して周りに訴える」
「『金王朝』を信奉する朝鮮学校出身者のせいか・・・息を吐くように嘘をつく反日サヨクの生き様そのもの」「自分たちの悪事を批判されるとすぐに『差別ニダ』!と大騒ぎする在日朝鮮族」
「韓国も中国も、日本人とは異なった国民性を持つ民族であると認識しなければなりません。私たちは親から『嘘をついてはいけません』と教育されます。しかし、中国や韓国は『騙される方が悪い』『嘘も100回言えば本当になる』と信じている国民です」
「日本非難を共産党独裁の正当化につなげる無神論の中国と、日本たたきを民族プライドにつなげる情緒的な韓国からしか参拝糾弾が出てこない点注目すべきです」「『ワイロは国民性』日本とは逆に韓国・北朝鮮はワイロを当然とする民族性があります。ワイロを与えることによって見返りを得るという伝統です」「今の韓国も北朝鮮もワイロ無しでは社会が成り立たないほど、ワイロはまさしく国民性にまで、なっています」
「韓国人の思考の中に敵相手ならどんな非道をしても許されると勘違いしているところがありますよね、確かに野生動物がまさしくこれです。鳥類、ほ乳類、は虫類ではないが、恐に足りないものに対しての攻撃性は、見るに堪えがたいものがあります」
「韓国は未だ売春は犯罪という意識もなく普通に売春している」
「中学校であれば『育鵬社』、高校で在れば『明成社』が良いということを・・」
「アンケート記入に行かれる方は、昨年同様、ボールペンで、記入し、フジ住宅の社章と拉致被害者救う会のバッジは外して行ってくださいネ・・・女性の方は私服で、行ってくださいネ。」「市長や教育長にお手紙を書かれたり、FAX、メールをされたり、また会いに行かれたり、あるいは教科書アンケートに行かれる場合は、勿論勤務時間中にしていただいて結構です。」「市長や教育長の方にお手紙やメール、FAXをされました方は、私(会長)・・(に)ご報告してくだされば、ありがたく思います。」「一般的に(各市)2?3名で十分かナアと思います。あまり多くの方がお手紙を出すとかえってマイナスになると思いますので。」
(2019年9月28日)
私は、文部省発行の中学生教科書「あたらしい憲法のはなし」(1947年発行)を批判的に紹介してきた。しかし、この教科書は、発刊間もなく保守政治から嫌われ、逆コースのなかで姿を消したものである。表面にこそ出てこないが、「平和主義に傾きすぎている」「政治の現実に合わない」「憲法解釈がリベラルに過ぎる」と、右から批判されたのであろう。憲法をないがしろにしてきた保守政権にとっては、この水準でも耳が痛いのだ。とりわけ、アベ内閣の沖縄政策は、日本国憲法の地方自治を蹂躙するもの批判せざるを得ない。じっくりと、この中学1年生向けの教科書で勉強をし直さねばならない。(以下の青字が教科書の記載。赤字が、その沖縄への具体的な適用である)
十三 地方自治
戰爭中は、なんでも「國のため」といって、國民のひとりひとりのことが、かるく考えられていました。しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとりひとりがよくならなければ、國はよくなりません。それと同じように、日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、その地方が、それぞれさかえてゆかなければ、國はさかえてゆきません。
戰爭中の沖縄の人々は、「天皇のため國のため」だけでなく「本土の捨て石になる」よう強いられました。本土決戦の時期を遅らせるための沖縄地上戦は、「天皇も國も本土も」、沖縄県民ひとりひとりのことなどまったく考えていなかったことをよく示しています。この地上戦で、沖縄県民の4人にひとりが殺されているのです。戦後も、天皇は沖縄をアメリカに差し出して占領を続けるよう要請し、「本土」の独立をはかりました。今も、沖縄には米軍の基地が密集して、沖縄の経済の発展を妨げています。しかし、沖縄も他の県と同じように、日本の一部としてさかえてゆかなければなりません。外の地方が、沖縄を犠牲にすることは許されないのです。
そのためには、地方が、それぞれじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方には、その地方のいろいろな事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」といいます。それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。
沖縄が発展するためには、沖縄がじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、沖縄には、沖縄のいろいろな事情があり、沖縄に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。國の地方ごとに、じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「地方自治」というのです。もちろん、沖縄にも自治の権利があります。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいます。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいます。沖縄県も「地方公共團体」です。國は、その自治をみとめ、住民の意思を尊重しなければなりません。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、地方公共團体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。また、地方公共團体の仕事をする知事や、その他のおもな役目の人も、地方公共團体の議会の議員も、みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することになりました。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、沖縄にも、県民を代表する「沖縄県議会があり、沖縄県知事もいます。みな沖縄に住むひとびとの選挙で選ばれています。今度の沖縄県知事選挙では、住民の意思を尊重しなければならない國が、自分の言うことを聞く人を知事にしようと一方を応援しました。これは、憲法の立場からはとてもおかしなことです。でも、沖縄の人々は、國が応援する人ではなく、自分たちのために働いてくれる人を選びました。沖縄の自治が根付いていることをよく表しています。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、ある一つの地方公共團体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。
みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしましょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってください。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、國は沖縄県の自治を尊重し、沖縄県民の意思を代表している玉城デニー知事の意見をよく聞かなければなりません。もちろん、あと2か月後にせまった住民投票の結果も厳粛に受けとめなければなりません。
いま、沖縄県民は一致して、危険で生活の邪魔になり、経済発展の障害にもなっている米軍基地を減らせ、新しい基地を作ってはならないと、國に訴えています。また、県民の多くの人が、苦しかった戦争体験から平和を願う立場で、辺野古の新基地建設に反対しています。ところが、國は沖縄県民の意思を無視して、基地建設を強行しています。
みなさん、誰もがじぶんの住んでいる地方を愛しています。沖縄の人たちもまったく同じです。また、沖縄のさかえは、國のさかえです。いま、沖縄で起こっている問題は、決して「沖縄の問題」ではなく、「この國のありかたの問題」なのです。他人ごととして見過ごすことなく、我がこととして、横暴なアベ政治に批判の声を上げてください。それが、日本国憲法からのお願いです。
(2018年12月29日・連続更新2099日)
「あたらしい憲法のはなし」は、青空文庫で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
その第1章から15章までの各章は、出来のよしあしの落差が甚だしい。「第6章 戰爭の放棄」「第3章 民主主義」の出来が比較的よく、最悪なのが「第5章 天皇陛下」。本日紹介する『第4章 主権在民主義』は、最悪の部類ではないが、なんとも出来が悪い。まずは、さして長くない全文に目を通していただきたい。
四 主権在民主義
みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。
みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。
なんだ、このお説教口調は。「よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません」が、主権在民の論理的帰結だというのか。この文章が説くところは、主権在民の解説ではなく、主権在民の「履き違え弊害」防止説教なのだ。主権在民の世となったのだから、「民」である自分がエライと勘違いしてはいけない。そのことが著者の言いたいことなのだ。「じぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。…責任を感じなければなりません。」というのだ。およそバカげている。
この解説を読んで胸のつかえが治まらないのは、主権在「民」とは、主権在「君」の対立概念であることの説明がないからだ。天皇主権から国民主権への大転換の意義こそが熱く語られなければならない。天皇が主権者だった大日本帝国はなくなり、国民が主権を獲得した日本国が新たに生まれたことを、どうしてきちんと説明しないのか。こう言うべきのだ。
これまで天皇は、じぶんがいちばんえらいのだから、なにをしてもゆるされると思ってきました。そのような天皇を利用しようという人々にあやつられてもきました。国民は、いちばんえらい天皇が命じることに逆らってはいけないと教えられ、天皇に命令されれば、外国に出かけて行って天皇のために外国の人々を殺したり、天皇陛下万歳と言って死んだりしなければなりませんでした。これからは、そんなバカなことはいっさいない世の中に変わったのです。国民が主権者なのですから、天皇を認めるかどうか、国民の考え方次第で決めることができるようになったのです。
また、この解説には権力の概念がない。この解説の著者には、立憲主義の理解がないと言うべきなのだろう。「みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいか」という発題が、「國を治めてゆく力のことを「主権」といいます」と、どう結びつくのか、極めて分かりにくい。主権とは、「だれがいちばんえらいか」ではなく、政治権力の淵源がどこにあるか、である。「新しい憲法のはなし」では、端的にこう言うべきなのだ。
「これまでは、天皇を主権者と認めて、天皇には国民を治めていく力があるとしてきました。しかし、新しい憲法はこれを逆転しました。天皇を除いた国民に、国を治めていく力があり、天皇は国民にしたがわなければならないことになったのです」
(2018年12月25日)
「あたらしい憲法のはなし」は、青空文庫で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
これに目を通して驚いた。底本が、日本平和委員会発行のものだという。この底本平和委員会版「あたらしい憲法のはなし」は、1972年11月3日初版発行で、2004年1月までに、なんと38版を重ねている。確かに、ロングセラーなのだ。日本平和委員会発行ということは、日本の正統護憲勢力からお墨付きを得ていると言ってよい。何を隠そう、私も日本平和委員会の末端会員である。
護憲勢力から最も評価されたのが、「第6章 戰爭の放棄」であろう。確かに、ここは違和感なく読める。まず、全文を掲出しよう。
六 戰爭の放棄
? みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
? もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
? みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
いくつも、心に留めなければならないフレーズがある。
こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。
(戰力の放棄に関し)みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
立派な文章だと思う。しかし、どうしても手放しでの賛美はできない。この文章の足らざるところに、やはり批判が必要だ。
まず何よりも、ここには被害感情と厭戦の気分は書き込まれているが、加害責任については、まったく触れられていない。
この一文は「こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。」から始まっている。そのとおり、「日本は兵隊を戦地に送り出した」のだ。だから、戦争とは長く、「外地」でのできごとだった。その「外地」に、兵隊として「送りだされたおとうさんやにいさんたち」は何をしたか。もちろん、侵略者として闘ったのだ。明らかな加害者だった。
「こんなおそろしい、かなしい思い」は、実は皇軍に蹂躙された近隣諸国の民衆が真っ先に味わったことなのだ。その加害の責任に、この書が言及するところはない。
もう一つ。戦争の加害責任に触れないだけでなく、日本の植民地支配にも触れていない。台湾・朝鮮・満州などの支配について、「いったい、日本はこれまでどんなことをしてきたのでしょうか」と反省を述べるところが皆無なのだ。
また、「どうして戦争が起きたのでしょうか」「誰に責任があったのでしょうか」と考えさせる視点もない。国民を戦争に駆りたてた、教育や言論統制や国民監視体制や、思想統制についての反省も皆無である。
戦争を命じた天皇の責任、「上官の命令は天皇の命令」として軍を統帥した天皇の責任、戦争を煽る道具としてこの上なく便利な役割を果たした神なる天皇についても一言も書かれていない。
この教科書をつくる過程で、どのような綱引きが行われたのだろうか。次の文章には、筆者が言いたいことが押さえつけられたような印象をもたざるを得ない。
「だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。」
これは、日本としての反省を文章化したものだろうか。
終わりは、「あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように」で文章を終わらせず、「戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」と結んである。
戦争は、自然災害ではない。「二度とおこらないように」祈るだけではなく、「二度とおこさないようにいたしましょう」と、やや主体性ある姿勢を見せているのだ。さらに、「おこさせないようにいたしましょう」だと、天皇や財閥や保守政治家に釘を刺す内容となったはずなのだが。
ところで、「護衛艦『いずも』の空母化」や、「政府 F35戦闘機を105機購入へ」と話題となる時代が到来している。
「ほかの國よりさきに、正しいことを行ったはずの日本」が、今や「正しくないこと」に手を染めている。まこと、「世の中に正しいことぐらい強いものはなく、正しくないことぐらい弱いものはありません」。だから、われわれは、いま、安倍政権のもとで、心ぼそい思いをしなければならないのだ。
たまたま本日(12月13日)、日中戦争での日本軍南京入城の日。
(2018年12月13日)