大晦日。2018年最後の日である。世のならいでは、この日に旧年を振り返る。
財団法人日本漢字能力検定協会が発表する恒例の「今年の漢字」は、「災」であった。災難・災厄・災害の「災」である。その選定は、公募によるもの。この年をイメージするにふさわしい漢字一字を公募し、その中で最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として発表するという。多くの人々にとって、2018年は「災」の年であった。
応募総数193,214通のうち、「災」は20,858票(10.80%)におよんだという。「災」は、自然災害だけでなく、当然に人災も意味する。協会の発表の中にも、「レスリング、体操などのスポーツ界に於けるパワーハラスメント問題や財務省の公文書改竄(書き換え)問題などといった人為的災害が顕著であったこと。免震装置のデータ偽装…などの出来事があったこと。」という一文が見える。
財務省の公文書改竄問題は、森友問題において顕著に表面化した。アベ政権の悪質な政治の私物化と、その構造的隠蔽を象徴する事件。これぞ人災の極み。加計学園事件とともに、未解明のまま、年を越すことになる。
私も、2018年は「災」の年であったと思う。その最大のものは、「安倍三選」である。こんな「ウソとごまかし」で遊泳してきた人物が政権与党の総裁で、行政府の長であり続けている。そして、国民がこれを許してもいる。この事態こそが我が国の災厄・災難にほかならない。この災厄の元凶を摘除せぬまま放置していれば、憲法が危うくなる。平和も人権も議会制民主主義も危殆に瀕することになる。
ところが、当の本人には、そのような自覚がない。12月12日、彼が2018年を表す漢字として「転」を選んだ、と報じられている。その理由として、「若い力が台頭した。新しい世代への転換を予感させる一年」と説明したという。漢字協会ほどの危機感はなく責任感もない。新しい世代も見くびられたものだ。
もうひとりの災厄の元凶・菅義偉官房長官は、今年の漢字に「成」を選んだ。約70年ぶりの改革となった「働き方改革法」や「改正漁業法」などを列挙し、『様々な改革を成し遂げることができたと思っている』と自賛したとのこと。悪法を手柄にしているのだから、始末に終えない。こうした傲慢な精神がアベ政権を支えて、「災」の原因となっている。
一方、玉城沖縄県知事は、今年の漢字に「激」「揺」「動」「展」の4字を選んだという。同知事は、「私にとっても県全体にとっても激動の1年だった」と振り返り、「『激』しかったし、『揺』れ『動』いた。未来へ向かって皆で協力していこうという意味では展開の『展』もある」と説明したという。
アベはアベなりに事態の「転換」を願い、玉城は玉城で「展開」「発展」を願っている。もちろん、両者の願う未来図はまったく様相を異にする。明年は、さらに事態は揺れ動き、政権と民衆の側のせめぎ合いは激しくなるだろう。
それにしても、災厄の張本人であるアベが、自身で「転」を掲げるのがブラックユーモア。故事では、「禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」という。そのためには「禍」「敗」の原因を突き止め除去しなければならない。「旧年の『災』を転じて、新年の『福』となす」も同じ。「災厄の元凶」を除去してこその『転』ではないか。何よりもアベ自身が身を引くことが、厄落しであり「福」なのだ。
旧年の災を、新年の福に転じるには、アベ政治を終わらせねばならない。2018年4月の統一地方選を前哨戦として、7月の参院選で自・公・維の「改憲ブロック」から「立憲野党ブロック」が議席を奪還して過半数を獲得すること。その決意が、年の終わりに求められている。自分にそう、言い聞かせたい。
みなさま、よいお年をお迎えください。
(2018年12月31日・連続更新2101日)
当ブログは、アベ2次内閣発足直後から書き始めたもの。筆を起こした動機は改憲の現実的危機感からである。なんと、本日で2100回の毎日更新となった。2000日を超えてなお、こんな憲法の理念とはほど遠い人物が行政のトップに居座り続けているのだ。いまだに改憲の危機は去らない。当ブログも、腰を落ち着けて「アベ政治を許さない」論陣の一翼を担い続けたい。
本日は息抜き。共感していただけたら、ありがたい。
友 情
ないしょ ないしょ
ないしょの話は あのねのね
ゴルフの合間に ね 晋ちゃん
お耳へこっそり あのねのね
加計のおねがい きいてよね
ないしょ ないしょ
もちつもたれつ あのねのね
グラス傾け ね 加計ちゃん
ほんとにいいでしょ あのねのね
秘密のおねがい きいてよね
ないしょ ないしょ
ないしょの話は あのねのね
お耳へこっそり ね ウフフ
知っているのは あのねのね
加計と晋ちゃん 二人だけ
神 風
誰が風を 見たでしょう
僕もあなたも 見やしない
けれど役所を 顫わせて
通りぬけたの 神風が
誰が現場を 見たでしょう
僕もあなたも 見やしない
けれど値引きは 8億円
誰の指示なの 関与なの
誰が風を 起こしたの
あなたも僕も 知っている
けれども彼は どこ吹く風で
風のおさまり 待つばかり
一強国会
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等をのせて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード まっしぐら
審議も とぶ とぶ 答弁もとぶ
走れ 走れ 走れ
採決だ 強行だ やっちまえ
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
汽笛をならし
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆかいだ ゆかいだ いいながめ
ちからだ 多数だ ほら 成立だ
走れ 走れ 走れ
暴走だ 脱線だ 気にするな
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
けむりをはいて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆこうよ ゆこうよ けちらして
強い お国が 目の前だ
走れ 走れ 走れ
改憲だ 強兵だ まっしぐら
辺野古の海
あした浜辺を さまよえば
ジュゴンの昔 しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 珊瑚の色も
ゆうべ浜辺を もとおれば
美ら海汚す 土砂の山
アベの仕打ちに 胸ひしぐ
月も涙や 星も泣く
はやてとなりて 波を吹く
民の怒りを アベや見よ
病みし浜辺を いえさせて
真砂の浜よ よみがえれ
希 望
どこかで「春」が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで議論が 交わされて
どこかでデモも 起きている
どこかで声が 上がってる
くりかえさないぞ あやまちは
声と声とが響き合い
「春」の生まれは ここかしこ
(2018年12月30日・連続更新2100日)
私は、文部省発行の中学生教科書「あたらしい憲法のはなし」(1947年発行)を批判的に紹介してきた。しかし、この教科書は、発刊間もなく保守政治から嫌われ、逆コースのなかで姿を消したものである。表面にこそ出てこないが、「平和主義に傾きすぎている」「政治の現実に合わない」「憲法解釈がリベラルに過ぎる」と、右から批判されたのであろう。憲法をないがしろにしてきた保守政権にとっては、この水準でも耳が痛いのだ。とりわけ、アベ内閣の沖縄政策は、日本国憲法の地方自治を蹂躙するもの批判せざるを得ない。じっくりと、この中学1年生向けの教科書で勉強をし直さねばならない。(以下の青字が教科書の記載。赤字が、その沖縄への具体的な適用である)
十三 地方自治
戰爭中は、なんでも「國のため」といって、國民のひとりひとりのことが、かるく考えられていました。しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとりひとりがよくならなければ、國はよくなりません。それと同じように、日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、その地方が、それぞれさかえてゆかなければ、國はさかえてゆきません。
戰爭中の沖縄の人々は、「天皇のため國のため」だけでなく「本土の捨て石になる」よう強いられました。本土決戦の時期を遅らせるための沖縄地上戦は、「天皇も國も本土も」、沖縄県民ひとりひとりのことなどまったく考えていなかったことをよく示しています。この地上戦で、沖縄県民の4人にひとりが殺されているのです。戦後も、天皇は沖縄をアメリカに差し出して占領を続けるよう要請し、「本土」の独立をはかりました。今も、沖縄には米軍の基地が密集して、沖縄の経済の発展を妨げています。しかし、沖縄も他の県と同じように、日本の一部としてさかえてゆかなければなりません。外の地方が、沖縄を犠牲にすることは許されないのです。
そのためには、地方が、それぞれじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方には、その地方のいろいろな事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」といいます。それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。
沖縄が発展するためには、沖縄がじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、沖縄には、沖縄のいろいろな事情があり、沖縄に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。國の地方ごとに、じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「地方自治」というのです。もちろん、沖縄にも自治の権利があります。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいます。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいます。沖縄県も「地方公共團体」です。國は、その自治をみとめ、住民の意思を尊重しなければなりません。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、地方公共團体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。また、地方公共團体の仕事をする知事や、その他のおもな役目の人も、地方公共團体の議会の議員も、みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することになりました。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、沖縄にも、県民を代表する「沖縄県議会があり、沖縄県知事もいます。みな沖縄に住むひとびとの選挙で選ばれています。今度の沖縄県知事選挙では、住民の意思を尊重しなければならない國が、自分の言うことを聞く人を知事にしようと一方を応援しました。これは、憲法の立場からはとてもおかしなことです。でも、沖縄の人々は、國が応援する人ではなく、自分たちのために働いてくれる人を選びました。沖縄の自治が根付いていることをよく表しています。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、ある一つの地方公共團体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。
みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしましょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってください。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、國は沖縄県の自治を尊重し、沖縄県民の意思を代表している玉城デニー知事の意見をよく聞かなければなりません。もちろん、あと2か月後にせまった住民投票の結果も厳粛に受けとめなければなりません。
いま、沖縄県民は一致して、危険で生活の邪魔になり、経済発展の障害にもなっている米軍基地を減らせ、新しい基地を作ってはならないと、國に訴えています。また、県民の多くの人が、苦しかった戦争体験から平和を願う立場で、辺野古の新基地建設に反対しています。ところが、國は沖縄県民の意思を無視して、基地建設を強行しています。
みなさん、誰もがじぶんの住んでいる地方を愛しています。沖縄の人たちもまったく同じです。また、沖縄のさかえは、國のさかえです。いま、沖縄で起こっている問題は、決して「沖縄の問題」ではなく、「この國のありかたの問題」なのです。他人ごととして見過ごすことなく、我がこととして、横暴なアベ政治に批判の声を上げてください。それが、日本国憲法からのお願いです。
(2018年12月29日・連続更新2099日)
昨日(12月27日)は盛岡だった。少し時間に余裕があったので、原敬記念館に足を運んでみた。初めての見学。年末だからであろうか、閑散として見学者は他になかった。
館自身の案内はこうなっている。
「大正時代に平民宰相として活躍した原敬(はらたかし)の生家に隣接して建設された記念館です。
原敬はわが国最初の本格的政党内閣を実現し民主政治の確立に命をかけて活躍しました。記念館には、原敬の業績をたたえ政界の貴重な資料や原敬日記(はらけいにっき)、遭難時の衣服、遺品、遺墨等を展示しています。」
郷土の有名人を顕彰したいという気持はよくわかる。できるだけ偉人として讃えたいのだ。そのキャッチフレーズが、終生爵位を受けなかったところからの「平民宰相」だ。が、「民主政治の確立に命をかけて活躍し」は本当だろうか。さて、讃えるほどの業績として、いったい何があるのだろうか。
盛岡出身の私だが、地元に原敬人気というものを感じたことはない。盛岡ゆかりの人として啄木や賢治を熱く語る人は無数にいる。しかし、「原敬を慕う」「尊敬する」などという風変わりな人物の存在は寡聞にして知らない。むしろ、「利益誘導型保守政治家の原型」「徹底して普通選挙に反対した宰相」というイメージが強い。アベ政治の原型を作った政治家と言ってもおかしくはない。展示物の中には、「民衆からの人気はない」という辛口の記事もあった。
記念館のリーフレットにある原についての解説は次のとおりである。
安政3年(1856)に生まれる。15歳の時、戊辰戦争の敗戦の屈辱を心に秘めて上京し勉学に励んだ。新聞記者を経て主として外務省を中心に明治政府の役人となり、井上馨や陸奥宗光にその才能を認められて活躍し外務次官にまで昇進した。
明治30年(1897)外務省を退官して再び言論界に戻り、大阪毎日新聞社長として論説及び経営に腕を振るった。明治33年立憲政友会の創設に関わり、政治家の道に入って、明治憲法のもとで政党政治の確立につとめた。明治35年、衆議院議員に立候補して以来故郷の盛岡より連続8回当選し、また中央政界では立憲政友会の幹事長から総裁となり、大正7年(1918)9月首相となった。
新聞社時代には署名論文に筆をとる一方、数々の著書を残した。
満19歳から、65歳の兇刃に倒れた当日までの記録「原敬日記」83冊は、学術上の貴重な文献となっている。
趣味として俳句をたしなみ、「一山」や「逸山」の号でその時々の心境を託したすぐれた作品が数多く残されている。
「勉学に励んだ」「役人となり活躍」「外務次官にまで昇進」「新聞社長として腕を振るった」「政党政治の確立につとめた」「数々の著書を残した」「『原敬日記』は、学術上の貴重な文献」が、褒め言葉なのだろうが、具体的に何をしたのかさっぱり分からない。丹念に展示品を見て回ったがやっぱり分からない。
分かったことは、ちょうど100年前の1918年に原敬が初めて本格的な政党内閣を組織したこと。1921年に彼は暗殺され、早くも政党政治は揺らぐ。そして、政党内閣時代は1932年の5・15事件で終焉を迎える。わずかに15年たらずのこと。
本日になって、ネットで検索をしてみた。ウィキペディアが肯ける内容の解説をしている。興味深いところだけを引用しておきたい。
原は政友会の結党前と直後の2度、貴族院議員になろうとして井上(馨)に推薦を要請している。…また、爵位授与に関しても実はこの時期に何度か働きかけを行っていた事実も明らかになっている(原自身が「平民政治家」を意識して行動するようになり、爵位辞退を一貫して表明するようになるのは、原が政友会幹部として自信を深めていった明治末期以後である)。
この人、ジャーナリスティックな感覚に優れていたのだろう。「平民宰相」のネーミングを有効に活用したのだ。しかし、「平民」は彼にとってそれ以上のものではなかったようだ。所詮は無産階級や無産政党とは異世界に住み、実のところ、「ポーズだけの平民政治家」「普通選挙に反対しとおした平民宰相」であった。
また、つぎの一文が目についた。
首相就任前の民衆の原への期待は大きいものだったが、就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが政商、財閥向けのものであった。また、度重なる疑獄事件の発生や民衆の大望である普通選挙法の施行に否定的であったことなど、就任前後の評価は少なからず差がある。普通選挙法の施行は、憲政会を率いた加藤高明内閣を待つこととなる。
100年後のアベ政権はこうなるだろうか。
首相就任前の安倍への期待は右翼や改憲勢力や歴史修正主義者において大きく、国民の大半は民主党政権への失望からの消極的支持に過ぎなかった。就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが大企業や金持ち階級、そして歴史修正主義派向けのものであった。また、森友事件や加計学園問題など、度重なる政治の私物化事件の発生や、公文書の隠匿・捏造・改竄を特徴として、民意の失望を招いた。さらに、立憲主義を理解することなく、首相自らが明文改憲を提唱し、解釈の変更による壊憲に奔走して、平和と民主主義の衰退をきたす元凶と指弾された。
この100年、議会制民主主義に進歩はあるのだろうか。そして、アベ政治後の議会制民主主義の危機を心配しなくてもよいのだろうか。
ところで、同館のリーフに、みごとな筆の「遺墨」が掲載されている。盛岡での戊辰戦争殉難50周年慰霊祭のあとの書だという。
焚く香の煙のみだれや秋の風
という句に添え書きがあり、「余は、戊辰戦争は政見の異同のみ、誰か朝廷に弓をひく者あらんやと云って、その冤を雪げり」と読める。
「冤を雪ぐ」(えんをそそぐ)は、「冤罪」を晴らして無実を明らかにすること。賊軍とされた南部藩の死者について、「官軍側と政治的見解の相違はあったが、どこにも天皇に刃向かう者などいるはずはない」と弁護してその無実を晴らした、という一文。
時代の制約と言えばそれまでだが、この人どっぷりと天皇制に浸りきった生涯を送った。それが、安全な時代だった。今の時代には恥ずかしい天皇を敬する歌や句を遺している。たとえば次のような。
大君の御面にかへて御かたみを 年のはじめにをがみつるかな
はれ衣着て御幸拝むや秋日和
同じくフランス語とフランス文化を学びながら、中江兆民と原敬との天と地ほどの落差はどこからきたのだろうか。肝に銘じたい。「原敬なる勿れ、中江兆民たれ」と。
それでも、議会制民主主義にもとづく政党政治は大切だ。薩長藩閥政治よりも、軍閥政治よりも、よっぽどマシなのだ。今、原敬とアベ晋三とを比較して、この100年間の進歩のなさを確認しなければならないことが哀しい。
(2018年12月28日・連続更新2098日)
「金子みすゞ」。何という清澄な響き。その名を耳にすれば、心が洗われる。
「安倍晋三」。何という汚濁にまみれた響き。その名を聞くだに心がきしむ。
みすゞと晋三。およそかけ離れた、対照的な存在。住む世界が根本的に異なるのだ。聖なるものと俗なるもの。清らかなるものと穢れたもの。真実と嘘。善きこととと悪しきこと。そして、美しいものと醜いもの。
ところが、この両者に接点がないではない。繋ぐものは、出身地と鯨である。
よく知られているとおり、みすゞの生地は山口県大津郡仙崎村。今は、長門市の一部。長じてからは下関に出て、そこで幸薄い短い生涯を終えた。
晋三の生地は東京だが、本籍地は山口県大津郡油谷町。これも、現長門市である。その選挙地盤は、長門市と下関市からなる山口4区。
みすゞの詩には漁をうたったものが少なくない。仙崎が漁師町だったからだ。また仙崎は、捕鯨で知られた漁港でもあった。地元では、近代捕鯨の発祥の地と言っているようだ。みすゞの詩のなかには、鯨をテーマにしたものが見える。よく知られているのが、「鯨法会」だろう。
鯨 法 会
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁夫が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いています。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
念のため、法会は「ほうえ」と読む。鯨の死を悼み供養する仏事が詩の題材になっている。みすゞの、獲られる側を思いやる気持が心に沁みて、何とももの悲しい。
もの悲しさとは異なる『鯨捕り』という詩も知られている。以下は、その一部。
むかし、むかしの鯨捕り、
ここのこの海、紫津が浦。
海は荒海、時季は冬、
風に狂うは雪の花、
雪と飛び交う銛の縄。
岩もこ礫もむらさきの、
常は水さへむらさきの、
岸さへ朱に染むという。
厚いどてらの重ね着で、
舟の舳に見て立って、
鯨弱ればたちまちに、
ぱっと脱ぎすて素っ裸
さかまく波におどり込む、
むかし、むかしの漁夫たち。
晋三には、引用すべき句も歌も詩もない。心に沁みるスピーチも、人を感動させるフレーズも皆無である。あるのは、ウソ、ごまかし、隠蔽、捏造、デンデン…。
しかし、選挙区の自分の支援者の声を聞くことには熱心なのだ。長門市と下関市からなる山口4区は、和歌山の太地と並ぶ捕鯨の拠点だという。なるほど、それがIWCを脱退して、商業捕鯨を始めようという理由と聞かされれば、合点がゆく。何とも唐突で、理解し難い政府の決定の、これか舞台裏であったか。
来年(2019年)7月開始が宣言された商業捕鯨は、沿岸捕鯨と沖合捕鯨(EEZ内)の2種があるという。沿岸捕鯨の中心地が、和歌山県の太地で、沖合捕鯨の基地は下関だという。つまりは、二階幹事長とアベ晋三の選挙区。たいへん分かり易い。
本日(12月28日)の「日刊ゲンダイ」が次の記事を掲載している。
「約30年ぶりの商業捕鯨再開に踏み切ったキーマンに、政府関係者は『山口と和歌山の政権ツートップ』を挙げ、安倍首相と二階幹事長の関与を示唆。太地町を選挙区に抱える二階幹事長は、この日も三軒町長に『(捕鯨を)徹底的にやれ』とハッパをかけたというが、日本の国際機関からの脱退は極めて異例だ。戦前に孤立化を深めた国際連盟脱退すら想起させる。
また、読売も、「自民推進派 脱退を主導」のタイトルの記事で、「二階氏中心的役割」をメインとしつつ、アベ晋三についても、こう書いている。
「安倍首相も、捕鯨の拠点がある山口県下関市を地盤としている。10月29日の本会議では、『一日も早い商業捕鯨の再開のため、あらゆる可能性を追求していく』と表明した」
今度は、鯨疑惑か。アベ晋三よ。鯨が泣いているぞ。
沖で鯨の子がひとり、その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、こいし、こいしと泣いています。
海のおもてを、鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら。
この鐘は、議会制民主主義の弔鐘に聞こえる。鯨の子だけではない。みすゞも泣くだろう。民主主義も泣かざるを得ない。
(2018年12月27日・連続更新2097日)
「あたらしい憲法のはなし」は、青空文庫で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
その第1章から15章までの各章は、出来のよしあしの落差が甚だしい。「第6章 戰爭の放棄」「第3章 民主主義」の出来が比較的よく、最悪なのが「第5章 天皇陛下」。本日紹介する『第4章 主権在民主義』は、最悪の部類ではないが、なんとも出来が悪い。まずは、さして長くない全文に目を通していただきたい。
四 主権在民主義
みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。
みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。
なんだ、このお説教口調は。「よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません」が、主権在民の論理的帰結だというのか。この文章が説くところは、主権在民の解説ではなく、主権在民の「履き違え弊害」防止説教なのだ。主権在民の世となったのだから、「民」である自分がエライと勘違いしてはいけない。そのことが著者の言いたいことなのだ。「じぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。…責任を感じなければなりません。」というのだ。およそバカげている。
この解説を読んで胸のつかえが治まらないのは、主権在「民」とは、主権在「君」の対立概念であることの説明がないからだ。天皇主権から国民主権への大転換の意義こそが熱く語られなければならない。天皇が主権者だった大日本帝国はなくなり、国民が主権を獲得した日本国が新たに生まれたことを、どうしてきちんと説明しないのか。こう言うべきのだ。
これまで天皇は、じぶんがいちばんえらいのだから、なにをしてもゆるされると思ってきました。そのような天皇を利用しようという人々にあやつられてもきました。国民は、いちばんえらい天皇が命じることに逆らってはいけないと教えられ、天皇に命令されれば、外国に出かけて行って天皇のために外国の人々を殺したり、天皇陛下万歳と言って死んだりしなければなりませんでした。これからは、そんなバカなことはいっさいない世の中に変わったのです。国民が主権者なのですから、天皇を認めるかどうか、国民の考え方次第で決めることができるようになったのです。
また、この解説には権力の概念がない。この解説の著者には、立憲主義の理解がないと言うべきなのだろう。「みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいか」という発題が、「國を治めてゆく力のことを「主権」といいます」と、どう結びつくのか、極めて分かりにくい。主権とは、「だれがいちばんえらいか」ではなく、政治権力の淵源がどこにあるか、である。「新しい憲法のはなし」では、端的にこう言うべきなのだ。
「これまでは、天皇を主権者と認めて、天皇には国民を治めていく力があるとしてきました。しかし、新しい憲法はこれを逆転しました。天皇を除いた国民に、国を治めていく力があり、天皇は国民にしたがわなければならないことになったのです」
(2018年12月25日)
クリスマスである。私自身はキリストに対する信仰とは縁もゆかりもなく、キリストの誕生を祝う気持は皆無である。釈迦やマホメットや天皇の誕生を祝う気持がないのと変わらない。
ところがこの社会には、クリスマス文化が定着している。クリスチャンならざる人々が、クリスマスソングを唱い、クリスマスツリーを飾って、クリスマギフトを交換する。同じ人が、大晦日には寺に参詣して除夜の鐘を撞き、明けては神社に初詣をする。すべてが信仰とは無縁。これが文化と割り切ってのこと。そして、商業主義がしっかりとこのシンクレティズムを支えている。
信仰心なき輩が購入するクリスマスプレゼント。その経済効果は小さくない。社会全体がクリスマスセールやクリスマスパーティによるクリスマス景気で、つかの間の活況に沸くことになる。その意味では社会が、クリスマスプレゼントをもらうのだ。
ところが、今年のクリスマスプレゼントは、皮肉なものとなった。つかの間の経済活況に沸くどころか、大幅株安の打撃である。イブの24日、ニューヨークダウが653ドル下げて21,792ドルで引けた。続いて本日(25日)、東証日経平均が連休前終値の20,166円から1010円値下がりして、大台の2万円を割った19,155円で引けた。実に、一日にして5%を超える下げ幅。特大級のクリスマスプレゼント。
株が上がるたびに手柄顔をしてきたトランプには、ずっしり重いプレゼント。例のごとく、慌てふためいて株価下落の犯人捜しだ。商務長官あたりの首を斬ろうとしているとか。
東証は深刻な様相だ。「平均株価の値下がりは5営業日連続で、1年8カ月ぶりの安値を付けた。市場関係者によると、直近の高値からの下落率は2割を超え、悲観的な見方が優勢になる『弱気相場』入りした。」(共同)
明日の相場がどうなるかは誰にも読めない。しかし、公共資金を湯水のごとく注ぎ込んで支えていた「アベノミクス相場」の崩壊を思わせる。国民生活を支えるはずの原資をバクチにまわして、「スッてしまった」では、腹を切っても治まるまい。
別の話。12月上旬のころ、某有名証券会社からのセールス電話を受けた。爽やかで自信にみちた女性の声が、「あなたの資産運用に絶好のチャンス」という。例の携帯会社「ソフトバンク」株式の新規公開に伴うセールスだった。
「NTTの株式公開以来の話題でございましょう」「たいへんな人気なんですよ」「あのとき以来のチャンスです」とのたまう。普段なら電話を切ってしまうところだが、おもむろに聞いてみた。「で、私がその新規上場株を買っておけば、必ず儲かるということでしょうか」。セールストークの滑らかさが、少し言い淀んだ口調になった。「必ず儲かるとは言えません。でも、このような大型の株式公開では、これまではほとんどが順調に推移しています」という。「やっぱり、必ず儲かるという話しではないんですね。大事なお金。バクチにはまわせませんね」「だいたい、ソフトバンクなんて会社を育てようなどとは思わない。」
ここで腰折れしていては、セールスはできない。投資勧誘とは、人に不幸を押しつけることを厭わないのが真骨頂。「リスクがないとは言いませんが、利益の出る可能性は高いんですよ。銀行預金にしておいたところで、微々たる利息でしょう」「リスクがある投資よりは、タンス預金の方がマシだと思ってますから」「ではお客様。利は薄くてもリスクのない債権の購入をお勧めしたいと思いますが、いかがでしょうか」 なるほど、立派なもんだ。
12月19日、発行価格1500円での新規上場は、初値が1463円と発行価格に満たず、その日の終値は1282円と15%も下回る低調な出だしとなった。うっかりセールストークに乗せられなくて正解だった。公開されたソフトバンク株、本日(12月25日)も順調に値を下げて終値は、1271円である。
相場は政策的につくられ得る。しかし、いつまでもは続かない。最終的には、株は誰もの思惑を裏切ることになる。悪評さくさくのアベ政権だが、株高に支えられてきた。この株高の終焉は、政権の終焉にもつながる。明日の東証がどうなるか、政権の未来をも占うものとして関心をもたざるをえない。
この株安。ならず者トランプや、嘘つきアベの政治生命の終焉につながれば、その点は本物のクリスマスプレゼントになるのだが。
(2018年12月25日)
表面上は至極真っ当な発言も、発言者が誰であるかでニュアンスは大きく変わってくる。「あれが真意であるわけはない」「裏があるに違いない」と勘繰りが先に立つのだ。場合によっては、字面とは真逆の真意が忖度されることにもなる。アベが言う「丁寧な説明」や「積極的平和主義」はその典型だろう。麻生太郎が口にした「セクハラ罪はない」や、河野太郎の「次の質問をどうぞ」も同類。
しかし他方、裏があるにせよ、真っ当なことには反論なしがたい。真っ当な発言はその内容ゆえに、真意の忖度とはかかわりなく、発言の重みをもつこともある。とりわけ、発言の相手がよほど真っ当ならざる場合には。
伝えられるプーチンの沖縄辺野古問題への言及も、その真意の忖度を超えた発言の重みを認めざるを得ない。なにせ、批判の対象が安倍晋三なのだから。
「ロシアのプーチン大統領は20日に開いた年末恒例の記者会見で、ロシアが北方領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、『日本の決定権に疑問がある』と述べた。安倍晋三首相はプーチン氏に北方領土には米軍基地を置かない方針を伝えているが、プーチン氏は実効性に疑問を呈した形だ。」
さらにプーチンは、「(米軍基地問題について)日本が決められるのか、日本がこの問題でどの程度主権を持っているのか分からない」「平和条約の締結後に何が起こるのか。この質問への答えがないと、最終的な解決を受け入れることは難しい」と言及し、安倍晋三の言の実効性を疑問視する理由を、辺野古基地建設問題を挙げて、こう発言したという。
「(沖縄県)知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みなが反対しているのに計画が進んでいる」。これが、「日本の主権のレベルを疑ってしまう」につながる。だから、2島返還後米軍基地が置かれる可能性を否定できないではないか。アベの言は信を措けない、との結論となる。
毎日の記事が具体的である。
日本が配備する米国製のミサイル防衛(MD)システムに関し、プーチン氏は「防衛目的だと(いう日本の説明)は信じていない。システムは攻撃能力を備えている」と語った。ロシアは、日本が配備予定の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」にも懸念を表明している。
また、沖縄県の玉城デニー知事や住民の反対にもかかわらず、米軍普天間飛行場の移設計画に伴い同県名護市辺野古沿岸への土砂投入が始まったことについて「日本の主権のレベルを疑ってしまう」と批判的な見解を示した。
さて、このプーチン発言。来月(19年1月)中旬から始まる日露の北方領土返還交渉の前哨戦と解説されているが、これが改憲問題に絡むかも知れないということで注目せざるを得ない。一部の観測では、今八方ふさがりの安倍政権にとって、唯一の点数稼ぎの展望が、「日露平和条約」の締結。「2島返還+α」を「現実的成果」として、ジリ貧挽回の解散だってないではないという。
安倍政権は、いまやあれもこれもうまく行っていない。経済も、原発も、沖縄も、国会運営も行き詰まっている。何よりも、ウソとごまかしにまみれたイメージが色濃く定着し、「信なければ立たず」という政治不信のジリ貧状態。トランプとも、習近平とも、韓国ともうまくやれない。そこに、プーチンの平和条約締結の提案。これがうまく行けば、タイミングを見計らっての解散総選挙。乾坤一擲の勝負に勝てば、改憲の目がまだ残されているというのだ。
興味深いのは、「沖縄県の玉城デニー知事や住民の反対にもかかわらず、…辺野古沿岸への土砂投入が始まったことについて『日本の主権のレベルを疑ってしまう』」とされたこと。安倍が、民主主義や地方自治の精神について、プーチンから諭されている図。さすがに、プーチンには言われたくないが、アメリカへの過剰な義理立てが、他国には尋常でない国における尋常ならさる事態と映っているのだ。
住民の意思を蹂躙して、宗主国への思惑忖度を優先する「独立国」にあるまじき奇矯な行動。プーチンにまで、『日本の主権のレベルを疑ってしまう』と言われたことを恥辱ととらえなければならない。そうではないか。首相よ、外務大臣よ。そして防衛大臣と国交大臣よ。
(2018年12月24日)
本日は、天皇誕生日。読売の社説が、「天皇陛下85歳 平成最後の誕生日を祝いたい」とある。さて、何ゆえに「祝いたい」のだろうか。本当に目出度いのだろうか。
佛教では、人の逃れ得ぬ不幸を、生・老・病・死の「四苦」と教える。その生とは、そもそも生まれいづることなのだ。「生」は「苦」そのものというニヒリズムに徹した人生観。なるほど、生こそは、老・病・死の出発点であり、愛別離苦・怨憎会苦をはじめとする七難八苦の根源ではないか。とすれば、具眼の士には、人の誕生も誕生日も目出度くなんぞはないことになる。
しかし、凡夫の身には、人の誕生は目出度い。人の成長も目出度い。人の長寿もまた目出度い。苦が伴えども、生きていることは寿ぐべきことではないか。だから、親しい人の誕生日には、祝意が述べられる。
もっとも、赤の他人の誕生日にまで、祝意を述べてはおられない。親しい人であればこその心からの祝意であって、上辺の祝意や祝意の強制ほどいやみでやっかいなものはない。私にとって、天皇は赤の他人。面識もないし、メールのやり取りもない。世話になったことも、世話をしたこともない。多少の関係があるとすれば、私の納めた税金の幾分かが、彼の生活を支えているというくらいのこと。彼の誕生日は、彼の家族や友人には慶事であろうが、私にとっては格別に目出度いことではない。
一昨年(2016年)の今日の「日記」には、「天皇誕生日に思う」を書いた。以下は、その一節。
https://article9.jp/wordpress/?p=7870
昭和天皇(裕仁)の第1子から第4子までは女児であった。女児の誕生は「失望」と受けとめられていた。第5子にして初めての男児誕生が、「日本中が大喜び」「うれしいなありがと」と、目出度いこととされたのだ。もっとも、今退位を希望している天皇である。男児として生まれたことを自身がどう思っているかは窺い知れない。
私の母は、自分の心情として「嬉しかった」とは言わなかったが、「みんなが喜んでいた。嬉しがっていた」とは言っていた。おそらくは、お祭り同様の祝賀の雰囲気が巷に満ちていたのだろう。
天皇制は、不敬罪や治安維持法、あるいは宮城遙拝強制・徴兵制・非国民排斥・特高警察・予防拘禁・拷問などの、おどろおどろしい制度や強制装置によってのみ支えられたのではない。天皇制を内面化した民衆の心情や感性に支えられてもいたのだ。
昨年(2017年)の今日の「日記」には、「12月23日・A級戦犯処刑の日に」。以下は、その一節。
https://article9.jp/wordpress/?p=9654
本日、12月23日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において死刑の宣告を受けたA級戦犯7名が処刑された日として記憶される。69年前の今日のことだ。
判決が言い渡されたのは、同年11月12日。刑の執行の日取りについて特に定めはなかったが、皇太子明仁の誕生日を選んでの執行と伝えられている。
当時の皇太子はその後40年を経て天皇となった。本日は、その地位に就任して29回目の天皇誕生日である。今日、A級戦犯の刑死はさしたる話題にならず、もっぱら明後年(2019年)の天皇の生前退位だけが話題である。GHQと極東委員会の思惑ははずれたことになるのだろうか。しかし、今日は昭和天皇の戦争責任を考えるとともに、国民精神を戦争に動員した天皇制の危険性について、思い語り合うべき日であろう。
天皇は、本日の誕生日に記者会見用の談話を発表している。そのうちの下記の点について、最小限のコメントを付しておきたい。
昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。
戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
この人は出自の重荷を背負って生きてきた人なのだと改めて思う。端的に言えば、親のしたことの償いを自分の使命と考えて生きてきたのだろう。もちろん、昭和天皇(裕仁)の戦争責任を意識してのこと。天皇の戦争責任については、これまで何度も書いてきた。最近のものとしては、下記をご覧いただきたい。
「『あの無謀な戦争を始めて、我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか』」 ― 天皇(裕仁)の戦争責任を追及する正森成二議員の舌鋒」(2018年8月23日)
https://article9.jp/wordpress/?p=10939
その書き出しは以下のとおりである。
人は兵士として生まれない。特殊な訓練を経て殺人ができる心身の能力を身につけて兵士となる。人は将校として生まれない。専門的訓練によって躊躇なく部下を死地に追いやる精神を身につけて将校となる。人は帝王として生まれない。「だれもが自分のために死ぬことが当然」とする人倫を大きく逸脱した帝王学によって育てられて帝王になる。
兵士は戦場で死ぬことを覚悟しなければならない。将校は作戦の失敗に責任をとらねばならない。帝王は帝国と運命をともにしなくてはなららない。革命や敗戦によって帝国が滅びるとき、当然に帝王も死すべき宿命を甘受する。が、ごくまれにだが、おめおめと生き延びる例外がないでもない。
昭和天皇(裕仁)は、沖縄地上戦で天皇の軍隊が沖縄の住民に加えた蛮行を知悉していたはず。また、「天皇メッセージ」によって、奄美・沖縄を占領軍に売り渡したことでも知られる。生前、沖縄を訪問することはできなかった。現天皇は、父に代わって贖罪の沖縄訪問を重ねたのだ。サイパンやパラオ、フィリピンの慰霊のため訪問も、贖罪の旅であった。惜しむらくは、自国民の犠牲に対する追悼が明確であったのに比して、加害責任と謝罪の意思は曖昧であった。
(2018年12月23日)
本日(12月22日)の「東京新聞・こちら特報部」。タテの見出しに、「沢藤弁護士に聞く」とある。「沢藤弁護士」とは、私のことではない。澤藤大河のインタビュー記事。ヨコ見出しは、「『自衛隊マンガ』から見えるもの」。そして、「『空母いぶき』現実先取り?」「いじめや閉鎖体質描く作品も」「大きな顔しない自衛隊望ましい」等の中見出しが続く。最近のマンガが自衛隊をどう描いているか。そのことから、何を読みとることができるかを澤藤大河が解説している。
リードは、下記のとおり。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2018122202000151.html
「海上自衛隊の護衛艦「いずも」の空母化が新たな防衛大綱などに明記され、その現実を先取りしたかのようなマンガ「空母いぶき」が注目されている。近年自衛隊が登場するマンガには、フィクションの世界ながら、艦船などの装備や隊員生活をリアルに描く作品が多い。そこから自衛隊や社会の何が読み取れるのか。法律雑誌で作品を分析した沢藤大河弁護士に聞いた。」
この「法律雑誌」とは、「法と民主主義」(2018年7月号・№530)のこと。その特集が、「自衛隊の実像」だった。
https://www.jdla.jp/houmin/
◆特集にあたって………編集委員会・澤藤統一郎
◆旧軍と自衛隊 シビリアン・コントロールの視点から………纐纈 厚
◆「防衛計画の大綱」改定への動向………大内要三
◆現代の戦場経験から考える自衛隊の憲法明記問題………清末愛砂
◆防衛大学校の「教育」と人権侵害の実態………佐藤博文
◆自衛隊関連文献解説・文献編 読書ノート・自衛隊………小沢隆一
◆自衛隊関連文献解説・漫画編 漫画に描かれた自衛隊………澤藤大河
特集のコンセプトを要約すれば、次のようなもの。
本特集は、安倍九条改憲案が、憲法上の存在として位置づけようという自衛隊と、隊員の実像をリアルに把握するための論稿集である。これまで「専守防衛」に徹するとされてきた自衛隊の実態は安保法制下、どう変容しようとしているのか。また、実力組織としての自衛隊を統制する仕組みは、今どうなっているのか。統帥権干犯を口実に暴走を始めた旧軍の歴史の教訓はどう生かされているのだろうか。そして、にわかにクローズアップされてきた、自衛隊隊内とりわけ幹部教育における人権侵害の実態は、どうなっているのか。
その特集にふさわしい錚々たる研究者・実務家の論稿に混じって、ひとり錚々ならざる少壮弁護士が「漫画に描かれた自衛隊」を寄稿している。その紹介文が下記のとおり。
◆「漫画に描かれた自衛隊」(澤藤大河・弁護士)。こちらは漫画編。サブカルが社会の雰囲気をよく反映している側面は軽視し得ないし、社会への影響力も看過できない。漫画でもリアルにいじめやしごきの実態が描かれ、「これがあってこそ精強な軍隊を維持できるというイデオロギーが根付いている」という。また、「最近、何のてらいもなく自衛隊を絶賛する漫画が増えている」「戦争や兵器、しごきやいじめまでエンターテイメントとして消費している現状は、読者も戦争を巡る理不尽にならされてきているのではないか」という居心地の悪さが語られている。
硬い、硬すぎる法律雑誌に、異例の軟派記事。それだけで多少の話題となり、「こちら特報部」の目にとまったということなのだろう。
なお、この「漫画に描かれた自衛隊」の稿の末尾に、「この稿を書くのに、漫画評論家紙谷高雪氏の助言を得ました」とある。この人、大河の学生時代の友人だそうだが、当時は無名の人。その人が、12月3日の「ユーキャン新語流行語大賞」のトップテンに入賞した「ご飯論法」の名付け親として上西充子さんと共同受賞して、俄然有名人になった。人とのマンガつながりも面白い。
本日の「こちら特報部」、何よりも分かり易い。書き出しはこうだ。
「かっては『軍隊もの』の中で自衛隊はマイナー分野だった。専守防衛を掲げる自衛隊を扱っても、実戦が描けずドラマになりにくいためでした」
それが、今は違うという。リアリティをもった自衛隊の実戦がストーリー化されている。また、自衛隊内部のリアルなイジメやシゴキが、それなりの意味づけをほどこされて描かれてもいるという。マンガに描かれた自衛隊像・自衛隊員像は明らかに変化しているというのだ。少なからぬ人々の意識の変化を反映するものなのだろう。
その社会意識の変化に対するインタビュー記事の結びの言葉は、以下のとおりだ。同感である。
「軍事力を増強し、実力行使でものごとを解決しようという姿勢は幼稚だが、それが正しいと考える社会に向かっている。平和を語ると、理想主義だとあざける風潮もあるが、私には熱に浮かされているように見える」
(2018年12月22日)