(2023年8月12日)
夏、戦後78年目の8月である。猛暑のさなかではあるが、既に新たな戦前ではないかというささやきが聞こえる中、あの戦争を忘れてはならない、戦争の悲惨と平和のありがたさを語ろう、という催しが例年に増して盛んである。
私の地元文京区でも、シビックセンターで、まず武田美通全作品展「戦死者たちからのメッセージ」(7月20日(水)?25日(火))が開催された。勇ましい兵士ではなく惨めに戦死した兵士、この上なく傷ましい戦没兵の鉄の造形。リアルな軍装のまま骸骨と化した兵士たちの群像が衝撃的である。
物言いたげな鉄の死者たち、死後もなお軍装を解くことを許されない兵士の群像から放たれているものは、鬼気迫る怨みの霊気。決して穏やかに靖国に鎮座などできようはずもない、浮かばれぬ者たち。
この兵士たちは、生前には侵略軍の一員であったろうが、欺され、強いられ、結局は無惨に殺されたことへの、憤懣やるかたない怒りと怨みとそしてあきらめ。生者を撃つ力を感じさせる死者の鉄の造形であった。
https://sites.google.com/view/takedayoshitou/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
次いで今年も、「平和を願う文京・戦争展」(8月10日(木)?12日(土))が開催されている。宣伝チラシに、「日本兵が撮った日中戦争『南京で何が起こったのか』」とテーマが語られている。
この「戦争展」は、第5回である。2019年の第1回展以来、文京区(教育委員会)に後援を申請している。そして、5回とも却下の憂き目に遭っている。どうにも、納得しがたい。
この間の経緯を昨日(8月11日)の東京新聞が、「戦争写真展の『後援』を文京区教委が5年も断り続けるのはなぜ? 『議論が分かれている』と展示に注文」という見出しで報じている。
「日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮った写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」を巡り、開催地の東京・文京区教育委員会が、主催者の後援申請を認めない状態が五年にわたり続いている。展示の中にある写真説明の表現が、政府見解と異なる点などが主な理由という。一方、主催者側に内容を変える意向はなく、議論は平行線をたどっている。
写真展は二〇一九年、戦争を加害と被害の両面から見つめ直そうと、日中友好協会文京支部が始めた。区出身の村瀬守保さん(一九〇九?八八年)が戦地で撮影した写真のパネルを展示。兵士の日常から遺体が並ぶ様子まで、さまざまな場面が写されている。
主催者側は、第一回から後援を申請。しかし、一九年七月の教育委員会定例会の議事録によると、「議論が分かれている内容で、中立の立場を取るべき教育委員会が後援することは好ましくない」などとして不承認を決定。翌年以降も同様の理由で承認していない。
区教委が問題視しているのは、展示の中にある「(慰安婦の)強制連行」や「南京大虐殺」などの表現だ。だが主催者側は、日中友好協会から写真と説明文をセットで借りており、表現は変えられないとする。日中友好協会文京支部長で実行委員長の小竹紘子さん(81)は「歴史に正面から向き合わなければ、日本が世界から信用されなくなってしまう」として、引き続き区教委の後援を求めていく考えを示す。
一方、区教委の担当者は「南京大虐殺」という表現が政府見解と異なるとした上で、「表現を変えるなどの対応をしてもらうことが、議論の入り口になると考えている」と説明しており、堂々巡りの状況が続いている。」
文京区が平和主義に特に後ろ向きというわけではない。1979年12月には、「文京区平和宣言」を発出している。宣言の文言は、下記のとおりである。
「文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、ここに平和宣言を行い、英知と友愛に基づく世界平和の実現を希望するとともに人類福祉の増進に努力する。」
さらに、1983年7月には、下記の文京区非核平和都市宣言を発している。
「真の恒久平和を実現することは、人類共通の願いであるとともに文京区民の悲願である。文京区及び文京区民は、わが国が唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張するものである。
文京区は、かねてより、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、平和宣言都市として、永遠の平和を確立するよう努力しているところであるが、さらに、われわれは、非核三原則の堅持とともに核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴え、「非核平和都市」となることを宣言する。」
文京区も、形の上では平和を希求する姿勢をもっている。戦争を考える企画を自ら主催することもないわけではない。しかしその企画は、戦争の被害面についてだけ、あるいは日本に無関係な他国間の戦争についてのものにとどまり、日本の加害責任に触れる企画はけっしてしようとしない。後援すら拒否なのだ。
本音は知らず。その表向きの理由を、教育委員会議事録から抜粋すると次のとおりである。
教育長(加藤裕一)「皆さんのご意見をまとめますと、中立公正という部分と、あと見解が分かれているといったところ、あるいは政治的な部分、そういったところを含めて総合的に考えると、今回についてお受けできないというご意見だと思います。それでは、この件については承認できないということでよろしいでしょうか。(異議なし)それではそのように決定させていただきます。」
この結論をリードしたのは次の意見である。
坪井節子委員(弁護士)「今の情勢の中で、この写真展、南京虐殺があった、あるいは慰安婦の問題があったという前提で行われる催しに教育委員会が後援をしたとなりますと、場合によってはそうでないという人たちから同じようなことで文京区の後援を申請するということが起きることは考えられると思います。シンポジウムをしますからとか、文京区は公平な立場であるのであれば、あると言った人も後援したんだから、ないと言っている人も後援しろというジレンマに陥りはしないか。そういうところに教育委員会が巻き込まれてしまうのではないか。そこにおいて私は危惧をするんです。教育の公正性ということを教育委員会が守るためには、シビアに政治的な問題が対立するところからは一歩引かないとならないんじゃないかと…。」「そういう意味において、今回の議案については同意しかねるという風にさせていただきたい。」
この「中立・公正」論は、いま全国で大はやりである。歴史修正主義者・ウルトラナショナリストの声高な主張を引用し、これを口実にして、真実から目をそらす手口なのだ。結果として、歴史修正主義に加担することになる。いや、これが、歴史修正主義に与するための常道なのだ。こんな形式論で、結論を出されてはたまらない。それこそ教育委員の見識が問われねばならない。
たとえば、ナチスのホロコーストの存在は歴史的事実と言ってよい。しかし、ホロコースト否定論は昔から今に至るまで絶えることはない。動かしがたいナチスの犯罪の証拠に荒唐無稽な否定論を対峙させて、「中立・公正」な立場からは、「両論あるのだから歴史の真実は断定できない」と逃げるのだ。
小池百合子の「9・1朝鮮人朝鮮人犠牲者追悼」問題も同様である。歴史を直視することを拒否する右翼団体が、「自警団による朝鮮人虐殺はウソだ」「犠牲者数が過大だ」「朝鮮人が暴動を起こしたのは本当だ」と騒いでいることを奇貨として、それまで毎年追悼式典に出していた都知事による追悼文を撤回する口実に使った。
天動説と地動説、両論あるから「中立・公正」な立場からは真実は不明と言うしかない。科学者は進化論を真理というが、人間は神に似せて作られたと信じている人も少なくない。「中立・公正」な立場からは、どちらにも与しない。
教育勅語は天皇絶対主義の遺物として受け容れがたいという意見もあるが、普遍的道徳を説いたものという見解もある。放射線は少量であっても人体に有害という常識に対して一定量の放射線は人体に有益という異論もある。「中立・公正」な立場からは、シビアに問題が対立するところからは、一歩引かないとならないというのか。
中華民国の臨時首都であった南京で、皇軍が行った中国人非戦闘員や投降捕虜に対する虐殺には多くの証言・証拠が残されている。その規模についての論争は残るにせよ、この史実を否定することはできない。日本軍従軍慰安婦の存在も同様である。個別事例における強制性の強弱は多様であっても、日本軍の関与は否定しがたい。あったか、なかったかのレベルでの論争が存在するという文京教育委員諸氏の発言が信じ難く、その認識自体が、政治学的な研究素材となるべきものと指摘せざるを得ない。
一昨年(2021年)の「戦争展」では、来場者に文京区長宛の「要望書」(2020年12月14日付)が配布された。A4・7ページの分量。南京事件も、従軍慰安婦も、史実である旨を整理して分かり易く説いたもの。この件についての歴史修正主義者たちのウソを明確に暴いている。
「史実」の論拠として挙げられているものは、まずは外務省のホームページを引用しての詳細な日本政府の見解。そして、家永教科書裁判第3次訴訟、李秀英名誉毀損裁判、夏淑琴名誉毀損裁判、本多勝一「百人斬り訴訟」などの各判決認定事実の引用、元日本兵が残した記録や証言、南京在住の外国人やジャーナリスト、医師らの証言、この論争の決定版となった偕行社(将校クラブ)のお詫び、日中両国政府による日中歴史共同研究…等々。
それでも、文京区教育委員会は頑強に態度を変えなかった。この展示の中で、一番問題となったのは、揚子江の畔での累々たる死体でも、慰安所に列をなす日本兵の写真でもなく、中国人捕虜の写真に付された下記のキャプションであったという。
捕虜の使役 「漢口の街ではたくさんの捕虜が使われていました。南京の大虐殺で世界中の非難を浴びた日本軍は漢口では軍紀を厳重に保とうとして捕虜の取り扱いには特に気を使っているようでした。捕虜の出身地はいろいろです。四川省、安徽省などほとんど全国から集められているようで、中には広西省の学生も含まれていました。貴州の山奥に老いた母と妻子を残してきたという男に、私はタバコを一箱あげました。」
この文章の中の「大虐殺」「世界中の非難」がいけないのだという。とうてい信じがたい。これが、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」(2019年8月2日東京新聞記事見出し)の正体なのだ。
私は、かつて「『南京事件をなかったことにしたい』人々と、『あったかなかったか分からないことにしてしまいたい』人々と」という表題のブログを書いたことがある。
https://article9.jp/wordpress/?p=20462
毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。
私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。
私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。
しかし、日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせ、石原慎太郎や小池百合子のごときを都知事と据えていたことの不甲斐なさを嘆いても足りない。そんな社会を作ったことの責めを自覚しなければならない。
南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。
細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。
「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。
そういう人たちの「論理」の存在を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、「良識の皮をかぶっている」だけに、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。
旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。これが、後援申請を却下した文京区教育委員の面々である。人として、日本人として、胸の痛みを感じないのだろうか。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。
文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。
教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ、これに加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。
戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民全体が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」に後援を不承認というのは、あまりの不見識。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得してでも、後援実施してこその教育委員の見識ではないか。
「政府や世間に逆らうと面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
このような結論を出しつつけてきた不名誉な教育委員5氏の氏名を改めて明示しておきたい。なんの役にも立たずお飾りだけの教育委員であることに、少しは反省を気持ちを持っていただきたいのだが…。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
なお、田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)は昨年退任し、福田 雅(日本サッカー協会監事)に交替している。あたかも、「日本サッカー協会枠」があるがごとくではないか。はなはだ不明朗で、不快この上ない。
(2023年3月24日・連日更新満10年まであと7日)
昨日、東京「君が代」裁判・5次訴訟の第9回口頭弁論期日が開かれ、原告は準備書面(12)を陳述した。これが、新しい処分違法事由の主張となっている。
「行政手続法」上、公権力の行使としての不利益処分には処分理由の付記が要求される。その理由付記に不備があれば、それだけで当該の不利益処分は違法とされ、取消されることになる。そのような制度の趣旨を、最高裁は「行政庁の判断の慎重と合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を名宛人(処分対象者)に知らせて不服申立てに便宜を与える趣旨に出たもの」と説明している。
問題は、どこまでの理由付記が求められるかである。理由付記の制度の趣旨に鑑みて、最高裁は抽象的にはこう言っている。「当該処分の根拠法令の規定内容、当該処分に係る処分基準の存否及び内容並びに公表の有無、当該処分の性質及び内容、当該処分の原因となる事実関係の内容等を総合考慮して決定すべきである」。こう言われても、よく分からない。
しかし、同じ最高裁が、一級建築士に対する免許取消の処分についての具体例において、必要とされる付記理由の範囲を、「処分の原因となる事実及び処分の根拠法条に加えて、本件処分基準の適用関係が示されなければ、処分の名宛人において、上記事実及び根拠法条の提示によって処分要件の該当性に係る理由は知り得るとしても、いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかを知ることは困難であるのが通例であると考えられる」(第3小法廷2011年判決)との判断を示した。
つまりは、付記すべき理由としては「処分の原因となる事実及び処分の根拠法条」だけでは足りない。これに加えて、「本件処分基準の適用関係」を示さなければならない。そうでなくては、「いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかが分からない」という。換言すれば、「いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかが分かるように、本件処分基準の適用関係まで理由を付記せよ」と言っているのだ。その観点から、最高裁は一級建築士に対する免許取消処分を、理由付記に不備の違法があるとして取り消した。
もっとも「行政手続法」の当該条項は、公務員の懲戒処分には直接適用はないこととされている。しかし、行政機関が公務員に対して懲戒処分をおこなうに際し、その手続的な適正・公正が同様に確保されなければならないことは、憲法31条(適正手続の保障)に照らして、当然のことというべきである。
最高裁判決が説く処分理由付記が求められる根拠と具体的な範囲は、君が代・不起立で懲戒処分を受けた本件原告ら各教員の件においても、「処分の名宛人において、当該処分が選択された理由を知ることができる程度の理由の記載が求められる」とした前記最高裁2011年判例の判示が妥当するものというべきである。
ところで、都教委が公表している服務事故に対する「懲戒処分及び措置の基準」としては、大別して、「措置(文書訓告)、指導、懲戒処分(免職、停職、減給、戒告)」により行政責任が問われるとされている。
ということは、本件原告ら教員に対する処分理由として、「なにゆえに、措置(文書訓告)でも、指導でもなく、地公法上の『懲戒処分』が必要と判断されたか」まで付記しなければならないが、それはない。したがって、原告らがその理由を読み取ることはできない。このことは、明らかな最高裁が求める理由付記の不備であり、手続上の違法である。
整理をすれば、こんなところである。
公務員に対する地方公務員法上の懲戒処分においても、「処分の名宛人において、上記事実及び根拠法条の提示のみならず、いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかを知ることができる程度」の理由の記載が要求されているとところ、本件において原告らに交付された各処分説明書においては、これが欠けることが明らかである。原告らは、いかなる考慮を踏まえて文書訓告や指導に止まらない懲戒処分が選択されたかを知り得ず、理由付記として十分ではない。したがって、本件各懲戒処分は理由付記不備の違法があり、手続的に公正・適正を欠くものとして取り消されなければならない。
準備書面(12)は以上の主張を前提に、いかなる考慮を踏まえて、文書訓告や指導に止まらない懲戒処分が選択されたかを中心に、被告都教委に対して詳細な求釈明をしている。
この訴訟では、君が代不起立に対する処分を違憲違法とし、また処分権限の逸脱濫用と主張してきた。それに加えて、本準備書面において、理由付記不備の手続き的違法を主張するものである。
(2023年3月20日)
書庫の整理をしていたら、「國體の本義 文部省」「文部科学省編纂 臣民の道」「陸軍省兵務課編纂 教練教科書 學科之部」の抜粋が出てきた。40年も前に、岩手靖国違憲訴訟の甲号証として提出したもの。それぞれに甲第141?143号証の号証が付されている。甲第143号証の巻頭に「軍人勅諭」、次いで「戦陣訓」が掲載されている。
靖国訴訟に携わった頃、懸命にこの種の資料を読みあさった。天皇崇拝だの、国体思想だの、招魂だの英霊だのという「思想」が理解できなったからだ。実は今にしてなお呑みこめない。これは「思想」などというに値するものではない。カルトのマインドコントロールの対象でしかないと割り切ると、何を言っているのかすこしは分かる気がする。
国家神道(天皇教)とはカルト以外の何ものでもなく、これを全国の学校を通じて臣民に吹き込んだ教育こそはマインドコントロールであった。これは、統一教会の「教義」と「布教手法」によく似ている。
統一教会の信者にとっては、死後の霊界でのあり方が最大の関心事だという。繰り返し畳み込まれると、一定確率で、地獄に落ちる恐怖から逃れるために何もかも犠牲にして献金をする新たな信者が現れる。この信者の心情を他者が理解することは困難だが、それは間違いだと論理を持って説得することも難しい。これがマインドコントロールというもの。天皇制も国体も英霊も、まったく同じことである。
マインドコントロールの道具としては「國體の本義」が出来のよいもののようだ。無内容な虚仮威しを美辞麗句で飾りたて、論証のできないことを無理にでも信じさせようという内容。「原理講論」の先輩格と言ってよかろう。
「國體の本義」中の、「第一 日本國體」「三、臣節」の長い長い文章の中のごく一部を抜粋してみよう。
「我が国は、天照大神の御子孫であらせられる天皇を中心として成り立つてをり、我等の祖先及び我等は、その生命と流動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我等の歴史的生命を今に生かす所以であり、こゝに国民のすべての道徳の根源がある。
忠は、天皇を中心とし奉り、天皇に絶対随順する道である。絶対随順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることが我等国民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威に生き、国民としての真生命を発揚する所以である。天皇と臣民との関係は、固より権力服従の人為的関係ではなく、また封建道徳に於ける主従の関係の如きものでもない。それは分を通じて本源に立ち、分を全うして本源を顕すのである。天皇と臣民との関係を、単に支配服従・権利義務の如き相対的関係と解する思想は、個人主義的思考に立脚して、すべてのものを対等な人格関係と見る合理主義的考へ方である。個人は、その発生の根本たる国家・歴史に連なる存在であつて、本来それと一体をなしてゐる。然るにこの一体より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に国家を考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。」
これは恐い。「天皇のために死ぬことは自己犠牲ではない。むしろ、それこそが国民としての真の生き方であり、天皇と一体となった真の生命の獲得方法である」という。これは死の哲学である。あるいは死のカルト。「国民はアリのように、女王アリのために死ね」というのだ。一匹のアリの価値、一人の国民の価値など眼中にない死のカルト。美化した自己犠牲を強要するとんでもない天皇教カルトなのだ。
「皇祖と天皇とは御親子の関係にあらせられ、天皇と臣民との関係は、義は君臣にして情は父子である。この関係は、合理的義務的関係よりも更に根本的な本質関係であつて、こゝに忠の道の生ずる根拠がある。個人主義的人格関係からいへば、我が国図の君臣の関係は、没人格的の関係と見えるであらう。併しそれは個人を至上とし、個人の思考を中心とした考、個人的抽象意識より生ずる誤に外ならぬ。我が君臣の関係は、決して君主と人民と相対立する如き浅き平面的関係ではなく、この対立を絶した根本より発し、その根本を失はないところの没我帰一の関係である。それは、個人主義的な考へ方を以てしては決して理解することの出来ないものである。我が国に於ては、肇国以来この大道が自ら発展してゐるのであつて、その臣民に於て現れた最も根源的なものが即ち忠の道である。こゝに忠の深遠な意義と尊き価値とが存する。」
ここに語られているのは、天皇と臣民の関係である。「義は君臣にして情は父子という、合理的義務的関係よりも更に根本的な本質関係」は、「西欧流の、個人を至上とし個人の思考を中心とした誤った考え方」からは理解できない、と言うのだ。理屈は抜きで、ともかく、おのれをなげうって天皇に忠を尽くせと、繰り返す。
おそらくは、疑うことなく、この文部省編纂本を受け入れた国民が多数に及んだのであろう。天皇カルトのマインドコントロールは大きな成功をおさめたのだ。その害悪は、今なお消えていない。
(2023年3月10日)
「西暦表記を求める会」です。国民の社会生活に西暦表記を普及させたい。とりわけ官公庁による国民への事実上の強制があってはならないという立場での市民運動団体です。
この度は、取材いただきありがとうございます。当然のことながら、会員の考えは多様です。以下は、私の意見としてご理解ください。
私たちは、日常生活や職業生活において、頻繁に時の特定をしなければなりません。時の特定は、年月日での表示となります。今日がいつであるか、いつまでに何をしなければならないか。あの事件が起きたのはいつか。我が子が成人するのはいつになるか。その年月日の特定における「年」を表記するには、西暦と元号という、まったく異質の2種類の方法があり、これが社会に混在して、何とも煩瑣で面倒なことになっています。
戦前は元号絶対優勢の世の中でした。「臣民」の多くが明治政府発明の「一世一元」を受け入れ、明治・大正・昭和という元号を用いた表記に馴染みました。自分の生年月日を明治・大正・昭和で覚え、日記も手紙も元号で書くことを習慣とし、世の中の出来事も、来し方の想い出も、借金返済の期日も借家契約の終期も、みんな元号で表記しました。戸籍も登記簿も元号で作られ、官報も元号表記であることに何の違和感もなかったのです。
戦後のしばらくは、この事態が続きました。しかし、戦後はもはや天皇絶対の時代ではありません。惰性だけで続いていた元号使用派の優位は次第に崩れてきました。日本社会の国際化が進展し、ビジネスが複雑化するに連れて、この事態は明らかになってきました。今や社会生活に西暦使用派が圧倒的な優勢となっています。
新聞・雑誌も単行本も、カレンダーも、多くの広報も、社内報も、請求書も、領収書も、定期券も切符も、今や西暦表記が圧倒しています。西暦表記の方が、合理的で簡便で、使いやすいからです。また、元号には、年の表記方法としていくつもの欠陥があるからです。
元号が国内にしか通用しないということは、実は重要なことです。「2020年東京オリンピック」「TOKYO 2020」などという表記は世界に通じるから成り立ち得ます。「令和2年 東京オリンピック」では世界に通じません。
それもさることながら、元号の使用期間が有限であること、しかもいつまで継続するのか分からないこと、次の元号がどうなるのか、いつから数え始めることになるのかがまったく分からないこと。つまりは、将来の時を表記できないのです。これは、致命的な欠陥というしかありません。
とりわけ、合理性を要求されるビジネスに元号を使用することは、愚行の極みというほかはありません。「借地期間を、令和5年1月1日から令和64年12月末日までの60年間とする」という契約書を作ったとしましょう。現在の天皇(徳仁)が令和64年12月末日まで生存したとすれば110歳を越えることになりますから、現実には「令和64年」として表記される年は現実にはあり得ません。そのときの元号がどう変わって何年目であるか、今知る由もありません。天皇の存在とともに元号などまったくない世になっている可能性も高いと言わねばなりません。
令和が明日にも終わる可能性も否定できません。全ての人の生命は有限です。天皇とて同じこと。いつ尽きるやも知れぬ天皇の寿命の終わりが令和という元号の終わり。予め次の元号が準備されていない以上、元号では将来の時を表すことはできません。
今や、多くの人が西暦を使っています。その理由はいくつもありますが、西暦の使用が便利であり元号には致命的な欠陥があるからです。元号は年の表記法としては欠陥品なのです。現在の元号がいつまで続くのか、まったく予測ができません。将来の日付を表記することができないのです。一貫性のある西暦使用が、簡便で確実なことは明らかです。
時を表記する道具として西暦が断然優れ、元号には致命的な欠陥がある以上、元号が自然淘汰され、この世から姿を消す運命にあることは自明というべきでしょう。ところが、現実にはなかなかそうはなっていません。これは、政府や自治体が元号使用を事実上強制しているからです。私たちは、この「強制」に強く反対します。公権力による元号強制は、憲法19条の「思想良心の自由の保障」に違反することになると思われます。
今、「不便で非合理で国際的に通用しない元号」の使用にこだわる理由とはいったい何でしょうか。ぼんやりした言葉で表せばナショナリズム、もうすこし明確に言えば天皇制擁護というべきでしょう。あるいは、「日本固有の伝統的文化の尊重」でしょうか。いずれも陋習というべきで、国民に不便を強いる根拠になるとは到底考えられません。
ここで言う、伝統・文化・ナショナリズムは、結局天皇制を中核とするものと言えるでしょう。しかし、それこそが克服されなければならない、「憲法上の反価値」でしかありません。
かつてなぜ天皇制が生まれたか、今なお象徴天皇制が生き残っているのか。それは、為政者にとっての有用な統治の道具だからです。天皇の権威を拵えあげ、これを国民に刷り込むことで、権威に服従する統治しやすい国民性を作りあげようということなのです。今なお、もったいぶった天皇の権威の演出は、個人の自律性を阻害するための、そして統治しやすい国民性を涵養するために有用と考えられています。
元号だけでなく、「日の丸・君が代」も、祝日の定めも、天皇制のもつ権威主義の効果を維持するための小道具です。そのような小道具群のなかで日常生活に接する機会が最多のものと言えば、断然に元号ということになりましょう。
ですから、元号使用は単に不便というものではなく、国民に天皇制尊重の意識の刷り込みを狙った、民主主義に反するという意味で邪悪な思惑に満ちたものというしかありません。
(2023年3月4日)
本日は、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の原告団会議。遠慮のない意見交換の場でありながら、和気藹々たる雰囲気が心地よい。訴訟進行に伴っての、こまごまとした打合せのあとに、メインの議題として、訴訟に提出する各原告の陳述書の内容の検討がされた。
最初の検討対象が、Sさんの第2稿。第1稿に対する意見を反映したものだが、私の第一印象は「よくできてはいるが、長い」ということ。ワープロソフトで字数を数えると、3万0673字、400字詰原稿用紙換算で77枚、裁判所提出用の標準書式では35ページとなる。ミニ卒論並みではないか。しかし、大方の意見は「長いが、よくできている」という評価。
「裁判官が読む気になってくれるだろうか」というのが、私の危惧だったが、反論が相次いだ。「いや、流れるような文章で読み易い」「どこかをカットして短くするのは難しいのでは」「野球部の顧問としての活動に相当のスペースが割かれているが、省くとすればここかも」「いや、日の丸・君が代にこだわる教員が、実はごく普通の教員だということを理解してもらうためには省かない方がよいと思う」「第1次訴訟では100ページを越す陳述書もあった。それにくらべて、異常に長いというほどではない」。結局は、これ以上長くはせぬよう、更に本人の推敲を期待するという結論に。
次いで、Kさんの第4稿。これはほぼ完成稿だが、結構な長文である。2万5722字、400字詰めで65枚分。この人特有の問題があって長文とならざるを得ないことで了解。この陳述書のなかの「校長が教員に卒業式の(起立・斉唱の)職務命令書を渡しているところを目にしました。若い教員が『かしこまりました。しっかり務めます』と言って、恭しく職務命令書を受け取っていました」という個所がひとしきり話題となった。
「昔の都立高では考えられない風景」「上司からの指示や命令には服従すべきが、当然と思っている雰囲気」「自分の頭でものを考えることを教員が放棄している」「教育現場も、まるで警察や軍隊と同じ上命下服の世界だと思わされている様子だ」「それにしても、最近若い教員が『かしこまりました』というのが気になる」「そう、教員たるもの、かしこまってはいかんのじゃないか」「研修マニュアルで教え込まれているようだが、反射的にこういう言葉が出て来る」「やはり、異議を述べる言葉を準備して、とっさの場合に言えるようにしておかねば」
どういう言葉を準備して、なんと言えばよいだろうか。
まずは、「校長、お言葉ではございますが…」と切りかえそう。
「この職務命令、まさか校長の本心とは思えません」
「すこし、考えさせてください」
「まだ納得いたしかねます」
「せっかくですが、お請けいたしかねます」
「教師を志した私の良心が、起立斉唱を許しません」
「ご了解ください。生徒を裏切ることはできません」
「主体的に生きよ、大勢順応に陥るな、と教えている自分です。到底、この命令に承服できません」
以下に、陳述書の話題提供の個所を抜粋する。やや長文だが、分かり易い。よくお読みいただくようお願いしたい。
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ロシアでは以前から卒業式などで国歌を流していましたが、義務ではありませんでした。けれど、ウクライナ侵攻を背景に、愛国心教育が強化され、2022年9月から小学校で週の初めの授業前に国旗掲揚と国歌斉唱が義務化されました。民主派への弾圧が続く香港では、中国式愛国教育を徹底して浸透させるため、2022年から国旗掲揚が授業日に義務化されました。ロシアや香港で起こったことは、国旗国歌の強制が、国民の愛国心を強化して戦争に向かわせようとすることや、民主主義の弾圧につながることをはっきり示しています。
先日、職員室で、校長が教職員に卒業式の(起立斉唱の)職務命令書を渡しているところを目にしました。若い教員が「かしこまりました。しっかり務めます。」と言って、恭しく職務命令書を受け取っていました。職務命令書が渡されることに何の疑問も感じていない様子でした。
沖縄修学旅行の際、元ひめゆり学徒の方や沖縄平和ネットワークの方が繰り返し言っていたのは、「真実を見極めてほしい。情報を鵜呑みにしないで、自分の頭で考えて、自分の考えを持ってほしい。」ということでした。それが平和を守るために一番重要なことなのです。しかし、今の都立高校で、真実を見極める力や批判力を身に付けさせることは出来るのでしょうか。評論家・吉武輝子の女学校の教員は戦後彼女に「批判のない真面目さは悪をなします。」と語ったそうです。最近の若い教員はとても真面目です。上司の命令には、どんなことでも素直に従いますし、従わなければならないと考えているようです。けれど、これはとても恐ろしいことなのではないでしょうか。
私は上司の命令が良心に照らして間違っていると判断された場合は良心に従うべきだと考えます。ドイツでは、過去の戦争において、上司の命令の下に非人道的な行為が繰り返されホロコーストの悲劇が起こったことの反省にたって、軍隊でも「上司の命令が自分の良心に照らして間違っていると判断される時は、命令に従ってはならない」と教育されるそうです。軍隊においてすらそうなのですから、ましてや人間を育てるという崇高な目的を持った教育現場において、教員はたとえ上司の命令であっても良心に照らして間違った命令には従ってはいけないと私は考えます。公教育に携わる者として、自分の未来よりも、この国の未来を考えなければならない、未来に責任を持てる行動をとらなければならないと考えた時、私はとうてい起立することができなかったのです。
(2023年2月27日)
私は、爆心地近くの広島市立幟町小学校に入学している。「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんの母校。小学校一年生だった私は、原爆ドームの瓦礫の中で遊んだ。広島が被爆して4年目のこと。そして、同じ広島市内の牛田小学校に転校し、さらに三篠小学校から、宇部の小学校に転校した。どこの小学校だったか、集合写真が1枚だけ残っている。もう、70年以上も昔のこと
私は、戦争のさなかに盛岡に生まれ、盛岡で終戦を迎えたのだから被爆の体験はない。が、原爆の爪痕の残る広島の姿は、おぼろげながらも記憶している。市民の「ピカ」に対する無念と恐怖の感情も。
私の平和志向は、あとで聞かされた戦時中の母の苦労と、この広島での生活体験が原点となっている。原爆こそは絶対悪である。けっして人類と共存することはできない。原爆を無くさなくては、人類が滅亡する。6歳での被爆体験を持つ中沢啓治の思いも同様であったろう。そして、はるかに強烈なものであったろう。
私は「はだしのゲン」には、思い入れが強い。感情を移入せずには読むことができない。広島市教育委員会が、平和教育の小学生向け教材から「はだしのゲン」を外す方針を決めたという報道が無念でならない。広島市よ、おまえもか。
広島市教委は2023年度、市立の全小中高の平和教育プログラム「ひろしま平和ノート」を初めて見直す。その際、小学3年向けの教材として、これまで採用していた漫画「はだしのゲン」を削除。別の被爆者の体験を扱った内容に差し替えるという。
「ゲン」を教材として採用した趣旨は、「被爆前後の広島でたくましく生きる少年の姿を通じて家族の絆と原爆の非人道性を伝える狙いで、家計を助けようと路上で浪曲を歌って小銭を稼いだり、栄養不足で体調を崩した身重の母親に食べさせるために池のコイを盗んだりする場面を引用している」(中国新聞)と報道されている。
これについて、教材の改訂案を検討した大学教授や学校長の会議で「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」との指摘が出たという。市教委も同調。その上で、漫画の一部では被爆の実態に迫りにくいとして、もう1カ所あった、家屋の下敷きになった父親がゲンに逃げるよう迫る場面も新教材には載せないという。
戦争は悲惨である。原爆の被害は、その最たるもの。悲惨な場面の描写は避けて通ることができない。被爆者の団体も教材としての使用の維持を求めている。
市教委の今回の措置は実のところ、「悲惨な描写」が理由ではあるまい。「ゲン」がもつ「反戦」の姿勢が不都合なのだ。あるいは『反日』のしせい。戦争とは、加害と被害がないまじったものである。永く続いた日本の保守政権は、過去の戦争の被害の訴えには積極的だが、加害の反省にはまことに消極的である。地方自治体も、戦争の被害者性の訴えには寛容だが、戦争における日本の加害者としての描写には極めて非寛容となる。南京大虐殺にも、シンガポールの大検証にも、三光作戦にも、平頂山事件にも、731部隊にも、従軍慰安婦にも…。
広島・長崎への原爆投下を、それ自体としてだけ見れば、明らかなアメリカの過剰な加害行為で、日本の市民は甚大な被害者である。だから、原爆の被害を訴える展示や集会には、広島市に限らず地方自治体は寛容である。
しかし、「はだしのゲン」は、原爆被害だけを描いていない。原爆被害を素材としながらも、侵略戦争を引き起こした日本の加害者としての戦争責任にも遠慮なく踏み込んでいる。天皇への怨嗟も、軍部の横暴も描いている。戦時下の言論統制にも異議を唱えている。そして、アメリカの戦後責任にも。これが「反戦」の基本姿勢である。そして、ある種の人々から見れば『反日』でもある。これこそが、「ゲン」が単なるマンガを超えて多くの市民から支持された理由であり、同時に右翼や政府や自治体からは疎まれ煙たがられてきた原因なのだ。真実を語ればこその受難というべきであろう。
「はだしのゲン」を読み継ぐということは、日本の加害者としての責任を自覚し続けるということであり、反戦の思想を守り続けることでもある。「はだしのゲン」を大切に読み続けよう。
(2023年2月12日)
「建国奉祝派」というものがある。日本会議だの、神社本庁だの、自民党安倍派だの…。今年も各地で奉祝行事が報告されているが、盛り上がりには欠けるようだ。盛り上がりには欠けるものの、それなりに行事は続いているというべきか。伝統右翼のイデオロギーは、統一教会とともに健在なのだろうか。これを支える民衆の意識はどうなっているのだろうか。実はよく分からない。
右派の論調のトレンドを見るには、まず産経新聞である。分かり易い。昨日の「主張」(社説)が、「建国記念の日 美しい日本を語り継ごう」というもの。何とも、色褪せた「美しい日本」。要するに、愛国心の押し売り、押し付けであるが、愛国心の鼓吹が国防や軍拡に直結していることに、今さらながらギョッとさせられる。
「美しい日本」という言葉は、社説の最後の結びとして出て来る。「いまこそ、日本を美しいと思い、守ろうとする心を語り継ぐ意義は大きい」と言うのだ。自ずから湧き起こる『日本を美しいと思う心』ではなく、『無理にでも、日本を美しいと思い、守ろうとする心』である。愛国心の強制が語られている。
建国記念の日に関してはこういう。
「国を愛するには、建国の物語を知らねばなるまい。日本書紀によれば辛(かのと)酉(とり)の年(紀元前660年)の正月、初代天皇である神武天皇が大和の橿原宮で即位し、日本の国造りが始まった。現行暦の2月11日である」
「国を愛する」ことが当然の善だという大前提。そして、「建国の物語を知れば、国を愛するようになれる」と言わんばかりの非論理。と言うよりは、信仰と言ってよい。
「以来日本は、貴族の世となり武士の世となっても、ただ一系の天皇をいただく国柄を守り続けてきた。19世紀に西洋列強がアジア諸地域を次々に植民地化するようになると、明治維新により天皇を中心に国民が結束する国家体制を築き、近代化を成し遂げた。時の政府が2月11日を紀元節の祝日と定めたのは明治6年で、そこには、悠久の歴史をもつ国家の素晴らしさを再認識し、国民一丸となって危機を乗り切ろうとする意味があった。」
恐るべし産経。いやはや、目の眩むような、恥ずかしげもない皇国史観。「素晴らしい天皇」教であり、「美しい日本」教の信仰でもある。いまごろ、こんなアナクロのマインドコントロールに引っかかる、産経読者もいるのだろうか。
美しい日本も、愛国心の押し付けも、これまで言い古されてきた。この産経主張のトレンドは、愛国心の涵養が国防や軍拡と直接に結びついていることなのだ。
「ウクライナの戦闘は、国を愛し守ろうとする意志がいかに大切であるかを教えてくれた。寡兵のウクライナ軍と市民の懸命な戦いに世界は瞠目し、当初は及び腰だった支援が次々に寄せられた。もしも将来、日本が同じ惨禍に見舞われたとき、同じような意志を示しうるだろうか」という書き出しは、いつもながらの、「侵略されたらどうする」論の繰り返しだが、これが愛国心と結びつけられる。
「祝日法では『建国をしのび、国を愛する心を養う』日とされている。ウクライナ情勢だけでなく、台湾有事への懸念など東アジア情勢も厳しさを増す中、改めてその思いを深める必要があろう」
「戦争を肯定するつもりは毛頭ない。むしろその逆だ。国を愛し守ろうとする意志を持つことが、他国に侵略の野望を抱かせない抑止力となる」という論法。日本は他国に侵略の野望を一切有せず、他国のみが日本に侵略の野望を抱いているという前提。
「日本の建国を祝う会」も、明治神宮会館(東京都渋谷区)で行われた奉祝中央式典で、大原康男会長は主催者代表あいさつで、「我が国では政府主催の式典は行われていない」。教育基本法上の教育の目標「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という項目を挙げた上で、「政府主催の奉祝式典を開催すべきだ」と強く訴えたという。こちらも、愛国心の押し売りである。
12月16日閣議決定の「国家安全保障戦略」の中に、次の一文がある。
「2 社会的基盤の強化
平素から…諸外国やその国民に対する敬意を表し、我が国と郷土を愛する心を養う。そして、自衛官、海上保安官、警察官等我が国の平和と安全のために危険を顧みず職務に従事する者の活動が社会で適切に評価されるような取組を一層進める」
今や、権力をもつ者は、愛国心と国防とを、不即不離・表裏一体と意識している。これまでにも増して、愛国心の鼓吹は危険なものとなった。愛国心は危ない。触ると火傷する。暴発して身を滅ぼすことにもなりかねない。
(2023年1月18日)
来週の月曜日、1月23日に開会が迫った通常国会。その論議の最大のテーマは、安保改定3文書に表れた安全保障戦略の大転換である。これを許すのか否かが、日本の命運に関わる。そして、これに関連する学術会議法改正案にも注目せざるをえない。
安倍・菅や、それを支える右翼陣営が、日本学術会議を攻撃する真の理由は、同会議が《日本の「軍事・防衛研究」に反対してきた》という点にある。政府は、学術会議の独立性を剥奪して政府の方針を注入し、科学技術の軍事転用を図りたいのだ。さらに本音を言えば、大学の自治も、メディアの自由も、日弁連の在野性も認めたくはない。すべてを政府・与党の方針が貫く日本にしたい。そうすれば、大軍拡も防衛産業の育成も思うがまま。日本の大国化が実現できる。北朝鮮や中国が、羨ましくてしょうがない。だから、安全保障戦略の大転換と関わりが出てくるのだ。
日本学術会議の会員は250人。3年ごとに半数が改選されるが、菅政権発足以前その人選に政府が介入することはなかった。「学問の自由」(憲法23条)は、「学術団体の自治・独立の保障」をも意味するものと理解され、政府の任命が形式なものであることは当然と理解されていた。「政府は、金は出すがけっして口は出さない」というお約束なのだ。
これを乱暴に蹂躙したのが、安倍晋三亜流・菅義偉前首相の初仕事だった。長年の慣行を破って、政府が快しとしない研究者6名の任命を拒否したのだ。後世の歴史書には、学問の自由に対する悪辣な弾圧者としてだけ、菅義偉の名が遺ることになるだろう。
政府は、この任命拒否に続いて、学術会議の独立性を剥奪しようと追い打ちの算段を重ねて、大きな世論の反撃を受けることとなった。3年間のせめぎ合いを続けた末の改正法案は、新規会員の選考過程をチェックする第三者委員会新設を盛り込む内容となっている。
日本学術会議はこれを深刻に受けとめ、昨年暮れ12月21日の総会で、法改正を目指す政府方針に「学術会議の独立性に照らして疑義があり、存在意義の根幹に関わる」として再考を求める声明を出している。
今、この問題での担当大臣は、後藤茂之(経済再生担当相)。この人が、1月13日閣議後の記者会見で、下記のように発言して、科学技術の軍事転用を視野に入れた改正案ではないことを強調した。
「(改正法案は)学術会議の独立性はこれまで同様に保つ。会員選考には基本的に現行方式が続く」「会員以外の有識者からなる第三者委員会を学術会議に設置するが、第三者委員会の委員は一定の手続きを経て会長が任命するものと考えている」「会員などの候補者を最終的に決定するというのも学術会議であることを今検討している法案で想定している」「基本的に現行方式が続き、その手続きを第三者委が透明化して国民に示すということだ」「学術会議の活動に政府が口を出すことは全く想定していない」「軍事研究にシフトするために、第三者委員会で学術会議の独立性に手を入れるという趣旨は全くない」
これに、今度は右翼が噛みついた。産経新聞社が発行する「夕刊フジ」の公式サイトが「zakzak」。その昨日の記事が、「第三者委メンバーを会議が任命!? 日本学術会議?大甘?改革案 岸田政権が提出検討 虫のいい話『お手盛り調査になるのは明白』島田洋一氏」というタイトル。記事を読まなくても、内容はあらかた分かる。島田洋一(福井県立大学教授)とは、こういうときに引っ張り出される、常連の右翼。櫻井よしこらとのお友達。
zakzakの記事中の「学術会議に対しては、年間約10億円もの血税が投入されながら…」という一節にあらためて驚く。何ということだ。日本の学問の殿堂に、「年間わずか10億円」という情けなさ、恥ずかしさ。あの、天下の愚策・アベノマスクの予算措置が466億円だった。違憲の疑い濃い政党助成金が年間315億円。日本がアメリカから売り付けられた戦闘機F35Aの価格は、1機100億円をはるかに超えている。
同記事は、おしまいに島田洋一のコメントを引用する。
「『税金はよこせ、人事は自分たちにやらせろ』という虫のいい話は社会では通用しない。自分たち独自で政府から離れて独立性を確保すればいい」
この俗論、俗耳に入り易いのだろう、繰り返されている。名古屋市長・河村たかしが、あいちトリエンナーレに粗暴な介入をしたときにも同様のことを言っていた。「税金を使って、天皇陛下の肖像画をバーナーで燃やして足で踏みつけるという展示をやっていいのか」。
同種の理屈はいくつも展開されている。「国立大学は国家の税金で運用されているのだから、国旗を掲揚し国歌を斉唱するのが当然」「教育公務員は税金を支給されているいるのだから、教育の理想を求めるなどと言ってはならない。教育行政の命じるとおりの教育方針に従え」。
これを放置しておくと、こんなことまで言いかねない。
「裁判官は国から支給される税金で喰っているのだから、国が当事者となる訴訟では、国を敗訴させてはいけない」
公費の支給は、近視眼的な国家の利益のためにのみなされるものではない。国益を越えた、学問・科学・文化・芸術のために支出されてよいのだ。そのことによって、国民の精神生活や社会性が多様で豊かになるからだ。むしろ、学問や学術会議を時の政権の都合で縛ってはならない。
民主主義社会では、政府が自らの政策を批判する団体にも、公費を支出する寛容さが求められる。『金は出す、口は出さない』は、「虫のいい話」ではなく、そのことを通じて政府は自らの姿勢の検証を可能としているのだ。
(2022年11月19日)
本日は、「東京・教育の自由裁判をすすめる会」の第18回(2022年度)総会。会場は後楽園の全水道会館で、私の事務所からは徒歩の距離。歩いている途中に、突然に大きな日の丸が目に飛び込んできた。何だ、これはいったい。
文京区立本郷小学校の校門に堂々たる一旒の「日の丸」である。これは、戦前の風景ではないか。何ごとならんと、思わず足を止めた。教員であるかはよく分からぬが、近くにいた男性と女性が「なにか御用でしょうか」と声をかけてきた。「日の丸に驚いています。何があるんですか。右翼の集会にでも、学校を貸しているんですか」と聞くと、「今日は、子どもたちの学習発表会なんです」という返事。なるほど、「日の丸」ほどには目立たぬながらも、その旨の看板が立っている。
「どうしてまた、子どもの学習発表会に、日の丸なんですか」 答はない。クレーマーだと思われたのかも知れない。「日の丸の掲揚に、だれも異論を述べないのですか」 答はない。「なんと、世の中も変わったもんだ。小学校に日の丸か」と、声を出してはみたが、無表情の二人の耳にはいっただけ。
私が本郷に法律事務所を構えて27年になる。この間、祝日でも民家に日の丸を見たことはない。けっして、「日の丸」大好き地域ではない。なのになぜ、本郷小学校の学習発表会に「日の丸」なのだろうか。旗を立てたきゃ校旗でいいじゃないか。
この学校、元は「真砂小学校」だった。地元の評判は悪くない、ごく普通の公立小学校。そこに、どうして「日の丸」なのだろう。もしかして、校長が日の丸大好きなのだろうか。あるいは、「日の丸・君が代」大好きの振る舞いが、教育委員会の校長の出世に役立つと思わせる雰囲気があるのだろうか。教職員は、何も言わないのだろうか。父母からの疑問の声は出ないのだろうか。
ネットで調べて見ると、溝畑直樹校長の実に細かい「学校経営方針」を読むことができる。この校長の熱心さが伝わってくる。が、「日の丸」掲揚方針は出てこない。疑問は深まるばかりである。
経営方針によれば、目指す学校像は、「子供を自立に導く学校」で、経営理念は、「自らが主体者となって生きる力を育む本郷オリジナルの教育の推進」だと言う。結構ではないか。それが、どうして「日の丸」に結びつくのかが分からない。
【行動面の目標】(おそらくは、生徒についてのものだろう)として、
● 私たちは自立します。
● 私たちは社会と調和して暮らします。
とある。「自立」と「調和」の両立は難しい。「日の丸」は、国家や民族や現行秩序との「調和」の象徴といってよい。明らかに「自立」の目標とは矛盾する。
「先生、どうして校門に「日の丸」なの?」と問い質す子どもこそが、「自立」した子ども像であろう。2000年3月の国立二小卒業式当日、子どもたちは屋上に「日の丸」を掲揚した校長を囲んで質問している。「どうして「日の丸」なのですか」「どうして卒業式に「日の丸」を揚げなければならないのですか」「ボクたちの意見を聞いてくれてもよかったのではありませんか」。校長の回答に納得できない子どもたちの質問が続き、校長は子どもたちに謝罪している。
後日、このときの様子が、センセーショナルな産経の記事になり、右翼の街宣車が学校に押しかける騒ぎになった。右翼と「日の丸」は、常に好一対なのだ。
校長の「学校経営方針」の中には、「地域…町の誇りであり、シンボルであり、いつまでも関わり続けたくなる学校」という記述もある。今日は、突然のことで、私も上手にものを言えなかった。今度、本郷小学校の「日の丸」を見たら、落ちついて、この地域にふさわしくないことをアピールしてみよう。
「本郷小は、『地域社会に開かれた教育』を謳っていますが、この地域に「日の丸」はふさわしくありません。私は長く本郷におりますが、この地域に「日の丸」を歓迎する雰囲気はありません。むしろ、「日の丸」アレルギーの人々を数えることができます。この町の誇りでありたいとする学校に、「日の丸」掲揚は逆行するものでしかありません」
溝畑校長の方針には、立派なものもたくさんある。たとえば、次の一節。
※ 人権尊重の教育 ー 学校の教育活動全体を通して人権尊重の精神を培い、どの命も等しく大切にし、差別や偏見、いじめを許さない良好な人間関係を築くために主体的・協働的・創造的に行動できる児童を育成する。
立派なものだ。が、人権とは優れて国家権力からの自由権として機能する。小学校から、国家の象徴である「日の丸」に馴染ませることは、けっして人権尊重の教育とは調和しない。人権よりは国家秩序に従順たれという、国家主義の刷り込みにしかならない。だから、小学校の校門に「日の丸」は、戦前の風景と思わせるのだ。
はからずも、日の丸・君が代強制反対の裁判を支援する集会に出席する途上での、「日の丸」遭遇記となった。
(2022年10月23日)
本日は、私にとっての特別な日。いや私だけではなく、憲法や人権や真っ当な教育を考える人々にとって、忘れてはならない忌まわしい日。毎年、この日がめぐってくると、当時の自分の記憶をあらため、闘う気持ちを新たにする。
19年前のこの日、東京都教育委員会が「日の丸・君が代」の強制を教育現場に持ち込んだ。悪名高い「10・23通達」の発出である。東京都教育委員会とは、石原慎太郎教育委員会と言って間違いない。この通達は、極右の政治家による国家主義的教育介入なのだ。以来、卒業式・入学式などの学校儀式における国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明が全教職員に強制されて現在に至っている。
「10・23通達」の形式は、東京都内の公立校の全ての校長に宛てた命令である。各校長に所管の教職員に対して、入学式・卒業式等の儀式的行事において、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」よう職務命令を発令せよ、職務命令違反には処分がともなうことを周知徹底せよ、というものである。実質的に、知事が校長を介して、都内の全公立校の教職員に起立斉唱命令を発したに等しい。この事態は、教育法体系が想定するところではない。
あの当時、元気だった次弟の言葉を思い出す。「都民がアホや。石原慎太郎なんかを知事にするからや。石原に投票するセンスが信じられん」。そりゃそのとおりだ。私もそう思った。こんなバカげたことは石原慎太郎が知事なればこその事態、石原が知事の座から去れば、「10・23通達」は撤回されるだろう、としか考えられなかった。
しかし、今や石原慎太郎は知事の座になく、悪名高い横山洋吉教育長もその任にない。石原の盟友として当時の教育委員を務めた米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員は内舘牧子を最後にすべて入れ替わっている。教育庁(教育委員会事務局)の幹部職員も一人として、当時の在籍者はない。しかし、「10・23通達」は亡霊の如く、いまだにその存在を誇示し続け、教育現場を支配している。
この間、いくつもの訴訟が提起され、「10・23通達」ないしはこれに基づく職務命令の効力、職務命令違反を理由とする懲戒処分の違法性が争われてきた。この訴えを受けた最高裁が、
秩序ではなく人権の側に立っていれば、
国家ではなく個人の尊厳を尊重すれば、
教育に対する行政権力の介入を許さないとする立場を貫けば、
思想・良心・信教の自由こそが近代憲法の根源的価値だと理解してくれさえすれば、
真面目な教員の教員としての良心を鞭打ってはならないと考えさえすれば、
そして、憲法学の教科書が教える厳格な人権制約の理論を実践さえすれば、
「10・23通達」違憲の判決を出していたはずなのだ。そうすれば、東京の教育現場は、今のように沈滞したものとなってはいなかった。まったく様相を異にし、活気ある教育現場となっていたはずなのだ。
19年目の10月23日となった本日、関係17団体の共催で、恒例の「学校に自由と人権を!10・23集会」が開催された。メインの企画は、小澤隆一さんの講演「憲法9条の危機に抗して」。教育の危機は、戦争の危機につながるのだ。本日の私の気持ちを、下記の集会アピールが代弁してくれている。
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?10・23通達発出から19年にあたって?
「学校に自由と人権を!10・23集会」アピール
東京都教育委員会(都教委)が卒業式・入学式などで「日の丸・君が代」を強制する10・23通達(2003年)を発出してから19年経ちました。これまで「君が代」斉唱時の不起立・不伴奏等を理由に延べ484名もの教職員が処分されています。10・23通達と前代未聞の大量処分は、東京の異常な教育行政の象徴です。
小池都放下で都教委は、卒入学式で不起立を理由とした処分の強行などこれまでの命令と処分の権力的教育行政を続けています。新型コロナ感染拡大の最中の今年の卒業式は、昨年に続き、式を短縮しても、式次第に「国歌斉唱」を入れ生徒・教職員を起立させ、CDで「君が代」を大音量で流し、「起立」を命じ、まさに「君が代」のための卒業式という異常さが改めて浮き彫りになりました。
岸田政権は、安倍・菅政権を継承し、参議院選挙の結果を受けて、憲法改悪の動きを一層加速し、ロシアのウクライナ侵略に便乗し、敵基地攻撃能力の保有、防衛費2倍化の検討など「戦争する国」へと暴走しています。何としても憲法改悪を止めるために、草の根から、大きな闘いを構築しなければなりません。
また、小中学校の「道徳」の教科化、高校の科目「公共」、教科書の記述への露骨な政治介入等、教育の政治支配と愛国心教育による「お国のために命を投げ出す」子どもづくりが狙われています。
最高裁判決は、職務命令は思想・良心の自由を「間接的に制約」するが「違憲とはいえない」として戒告処分を容認する一方、減給処分・停職処分を取り消し、機械的な累積加重処分に歯止めをかけました。
一連の最高裁判決とその後の確定した東京地裁・東京高裁の判決により、10・23通達関連裁判の処分取り消しの総数は、77件・66名にのぼります。
これまで都教委は、違法な処分をしたことを反省し謝罪するどころか、減給処分を取り消された現職の都立学校教員を再処分(戒告処分)するという暴挙を行いました。また、2013年3月の卒業式以降、最高裁判決に反し、不起立4回以上の特別支援学校、都立高校の教職員を減給処分にしています。また、被処分者に対する「再発防止研修」を質量ともに強化し、抵抗を根絶やしにしようとしています。
しかし、これらの攻撃に屈することなく、従来の最高裁判決の枠組みを突破し、戒告を含む全ての処分及び再処分の取り消しを求め、東京「君が代」裁判五次訴訟が東京地裁で闘われています。粘り強く闘う原告団を支え共に闘います。
破処分者・原告らは、19年間、都教委の攻撃に屈せず、東京の学校に憲法・人権・民主主義・教育の自由をよみがえらせるために、法廷内外で、学校現場で、粘り強く闘いを継続しています。多数の市民、教職員、卒業生、保護者がともに闘っています。
本日、10・23通達関連訴訟団・元訴訟団が大同団結し、「目の丸・君が代」強制に反対し、「憲法を変えさせず、誰も戦場に送らせない」運動を広げるために、「学校に自由と人権を!10・23集会」を開催しました。
集会に参加した私たちは、広範な教職員、保護者、労働者、市民の皆さんに「日の丸・君が代」強制と都教委の教育破壊を許さず、共に手を携えて闘うことを呼びかけます。何よりも「子どもたちを再び戦場に送らない」ために!
2022年10月23日
「学校に自由と人権を!10・23集会」参加者一同