(2020年9月30日)
戦争を語らねばならない8月が過ぎ、差別を語る9月も今日で終わる。この月の半ばに、7年8か月差別政策を積み重ねてきたアベ政権は終わった。が、アベなきアベ承継政権が既に始まっている。そのような時代の初秋の月の替わり目。
一昨日(9月28日)、自由法曹団の金竜介弁護士から、メールをいただいた。金さんは、かのマルセ太郎を父とする人。金さんの発言は、いつも貴重である。
もうお読みかもしれませんが昨日の朝日のコラム。
石川逸子さんの詩が正しく使われています
ご参考までに送ります。
ここで引用されている
遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
に続くのが
近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
添付されていたのは、「抗議のマスクと一編の詩」(福島申二)という、大坂なおみ選手の活躍に対する世評の在り方をテーマにしたコラム。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14637184.html
その中に、こういう一節がある。
思い浮かべるもう一編の詩がある。石川逸子さんの「風」という作品だ。次のような一節がある。
遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
自分からは遠い理不尽に対して人は美しい正義感を抱く。だがそうしたときの怒りや、他者の痛みへの共感は、感傷や情緒のレベルに終わりやすい。思えば人種差別について、わたし自身どれだけ主体的に考えられているだろうか。大坂さんのリアルな行為を映画のシーンのようにいっとき心地よく消費して終わらないよう、ここは自問しなければなるまい。
金さんは、もう一歩踏み込んで、
近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
を問題としている。改めて、石川逸子さんの「風」を抜粋して紹介しよう。
風 石川逸子
遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
遠くのできごとに
立ち向かうのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向かうのは近くの私たち
「遠くのできごとに うつくしく怒る」その人が、「近くのできごとには だまりこむ」のは、「遠くのできごとに立ち向かうのは遠くの人」だが、「近くのできごとに立ち向かうのは、自分自身」だからだというのだ。自分自身の問題として立ち向かうには、覚悟が必要なのだ。
黒人差別、アパルトヘイト、イスラム排斥、シリアの難民問題、ロヒンギャ、そして香港等々の「遠くのできごと」には、「美しく怒る」人々の多くが、在日差別、部落差別、朝鮮学校差別、ヘイトデモ、ジェンダーギャップ、天皇賛美等々の身近な出来事にはだまりこんでしまう。それでよいのか。そう問われているのだ。もちろん、私も。
(2020年9月29日)
東京2021オリンピズムの根本原則
1 東京オリンピズムは、金と政権浮揚と国威発揚のすべてのレベルを高めバランスよく結合させる、国民精神総動員とスポーツの政治利用の哲学である。スポーツを、経済と政治とに融合させ、より大きな儲け方と、より巧妙な民衆支配の方法を創造し探求するものでもある。東京オリンピズムを成功に導く民衆の生き方は、政治的、経済的、社会的、伝統的な秩序と権威に従順で、支配者の提示する倫理規範の尊重を基盤とするものでなければならない。
2 東京オリンピズムの目的は、時の政権と都政を安定させ、この社会の支配構造の尊厳の保持と市場原理の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
3 東京オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの経済的かつ政治的な価値に鼓舞された資本と国家とによる協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは「ワクチンが間に合わなくとも開催可能」と語る、野蛮・無謀・無責任のトーマス・バッハである。活動は5大陸にまたがるが、東京の偉大な競技大会に世界中の選手を集めるとき、頂点に達する。そのシンボルは、金と不正と権力と環境破壊と反知性の5つの結び合う輪である。
4 スポーツイベントを経済的な利潤獲得手段とすることは、侵してはならない神聖な権利の1つである。また、政治的な国民統合の手段とし、あるいは対外的な国威発揚手段として利用することも同様である。
すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、東京オリンピックの成功のために心身ともに動員されなければならない。そのためには、盲目的従順、権威主義的心情、自己犠牲の精神とともに忖度と迎合の姿勢が求められる。
5 東京オリンピック・ムーブメントは、その成功のために、大和魂と必勝の精神を最大限動員する。国民一丸となって竹槍を持ち、早朝宮城に向かって遙拝し、「鬼畜コロナには決して負けない!」「東京オリンピックは必ず開催するぞ!」「中止も再延期も考えない!」「無観客もないぞー!」「天佑は我にあり!」と唱和する。断じて行えば鬼神もこれを避く。大和魂は、コロナに打ち克って、五族協和・八紘一宇の東京オリンピック開催を実現する。必ず。
(2020年9月28日)
スガ政権とは何者であるのか、何をやろうとしているのか、まだ見えて来ない。見えてくるのは、枝葉の一部だけなので、なんのために何を目指しているのか、隔靴掻痒なのだ。
スガが総論として語っていることは、アベ政権の承継でしかない。アベ政権とはいったい何であったか。政治と行政の私物化政権であり、対米従属のもとでの軍拡・改憲強行政権であり、新自由主義的格差貧困拡大経済政策政権であった。しかも、こんなにウソとゴマカシを重ねた政権も珍しい。本当に、これをまるごと承継するというのか。
携帯電話料金の値下げ、行政の縦割り弊害解消や不妊治療費助成、デジタル庁新設などの各論が、大きな全体政策の中でどう位置づけられ、互いにどう関連するのかが、見えてこない。
それでも、国会論戦のないままに、河野太郎行政改革担当相が、ひとり張り切っている。「はんこをすぐにでもなくしたい」とのことだ。全省庁に対し、行政手続きで印鑑を使用しないよう要請し、使う必要がある場合は理由を今月中に回答するよう求める事務連絡を出した。この事務連絡では、年間1万件以上ある行政手続きについては月内に、それ以外は10月上旬までに回答するよう求めた。
河野は24日夜のテレビ朝日の番組で、「『どうしても使わなければいけない』と言ってこないものは、10月1日からはんこなしにする。欄があっても無視していいことにする」と述べたとか。
脱押印の前に、行政文書・公用文書の作成管理をしっかりして、隠蔽・改ざん・廃棄のないように徹底してもらいたい。アベ政権が失った、行政の透明性や説明責任の履行に対する国民の信頼を取り戻すことが、行政改革の第一歩ではないか。
それはさておき、行政文書の作成保管がしっかりしている限りにおいて、行政手続の効率化やスリム化に反対する理由はない。書類の偽造や変造を防ぐ工夫は当然として、ハンコをなくすことには賛成だ。まずは、御璽だの国璽だのから廃止せよ。これこそ、権威主義と行政遅滞の象徴なのだから。
そして、もう一つ提案したい。この際、公用文書の紀年法から元号を駆逐して、西暦に統一すべきだろう。元号使用は不便極まる。時間的にも空間的にも有限な紀年法は、欠陥品なのだ。グローバル化にともなって、民間では西暦使用が進行している。いつまでも、お役所だけが、元号固執は無理だろう。西暦表示採用、いずれはやらざるを得ないのだから、できるだけ早い方がよい。
1950年5月6日、日本学術会議が、「元号廃止 西暦採用について(申入)」の総会決議を採択し、衆参両院議長と内閣総理大臣に申し入れている。70年前のその申入書の一部を紹介する。
日本学術会議は,学術上の立場から,元号を廃止し,西暦を採用することを適当と認め,これを決議する。
理 由
1. 科学と文化の立場から見て,元号は不合理であり,西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は,もつとも簡単であり,明瞭であり,かつ世界共通であることが最善である。
これらの点で,西暦はもつとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に,現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれば,元号を用いるために,日本の歴史上の事実でも,今から何年前であるかを容易に知ることができず,世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく,天文,気象などは外国との連絡が緊密で,世界的な暦によらなくてはならない。したがって,能率の上からいっても,文化の交流の上からいっても,速かに西暦を採用することか適当である。(以下略)
(2020年9月27日)
昨日(9月26日)の毎日朝刊・仲畑万能川柳欄に掲載された入選句の内の1句。
役立たずアベノマスクと呼ぶあだ名 川崎 さくら
うまいものだ。アベ本人を「役立たず」と罵るのでは洒脱さに欠け、句にならない。アベノマスクを役立たずと言って、ペロリと舌を出すところに妙味がある。こういう秀句には、いくつも真似の句ができる。
無為無策アベノマスクと呼ぶあだ名
愚者愚物アベノマスクと呼ぶあだ名
浅知恵をアベノマスクと呼びにけり
能なしを呼んだあだ名がアベマスク
ろくでなしアベノマスクと呼ばれけり
無駄づかいアベノマスクのごとくなり
浪費癖アベノマスクのさながらに
中身なしアベノマスクのやってる感
先細りアベノマスクとあだ名され
そりゃひどいアベノマスクとイジメられ
こっそりと上司にあだ名アベマスク
もう一つ。9月18日の秀逸句。
従順な犬を利口と人は呼び 越谷 小藤正明
これは含蓄が深い。もちろん、犬をテーマに人間や社会を語っているわけだ。従順は生きるに易く、それゆえに利口である。抵抗する人生は生きにくい。それゆえ利口とは言えないが、敢えて利口ではない生き方の選択こそが「その人らしく生きる」ということではないか。人は犬ではないのだ。おや、犬に失礼。
従順な子らを良い子と人は呼び
従順な社員を模範と会社呼び
従順な判事をヒラメと人は呼び
従順な夫を利口と妻は褒め
主権者よ従順なれと総理言い
従順は臣下の美徳と君が言う
天皇は従順な民だけを慈しみ
犬と臣民従順なるが利口なり
まつろわぬ人を過激と人は呼び
聡明な人を危険と人は呼び
従順な限りでこの世は「自由」です
従順を捨てて拾いし自由かな
(2020年9月26日)
自民党衆議院議員の杉田水脈さん。本日(9月26日)の各紙朝刊に、あなたの言動についての記事が掲載されています。
お読みになっていますか。自分のことについて、このような記事にされていることに、心穏やかでいられますか。それとも、もう慣れてしまっているのでしょうか。メディアから、国会議員としての資質に欠けているという指摘を受けているとの自覚はありますか。この件について、弁明の記者会見をされる予定はありませんか。記事を書いた記者や、記者に情報を提供したという自民党議員と対決する覚悟はおありでしょうか。
これまでも、あなたの言動についての報道は、芳しいものとてありませんでした。しかし、今回の報道の内容は、あなたの議員としての資質に決定的に関わるものとお考えではありませんか。
冷静に事実を報道している代表的な記事として、共同通信配信のものを引用します。
杉田議員、女性はいくらでもうそ 自民党の合同会議で蔑視発言
自民党の杉田水脈衆院議員は25日の党の内閣第一部会などの合同会議で、女性への暴力や性犯罪に関し「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言した。被害者を蔑視する発言で批判が出るのは必至だ。
杉田氏は会議後、記者団に「そんなことは言っていない」と述べて発言を否定したが、会議に参加した複数の関係者から、杉田氏の発言が確認された。杉田氏は、会議で来年度予算の概算要求を受け、女性への性暴力に対する相談事業について、民間委託ではなく、警察が積極的に関与するよう主張。被害の虚偽申告があるように受け取れる発言をしたという。
あなたに対する辛口の論評を含む報道としては、日刊ゲンダイのこんな記事があります。
自民・杉田水脈また暴言 性暴力被害で「女性はウソつく」
やはり“付ける薬”はないようだ。自民党の杉田水脈衆院議員がまたやらかした。25日の党の内閣第一部会などの合同会議で、政府側から暴力や性犯罪の女性被害者の相談事業に関して説明を受けた際に、警察が積極的に関与するよう主張。その理由として「女性はいくらでもウソをつけますから」と、あたかも被害を虚偽申告する女性が多数いると受け取れる発言をした。
杉田氏は会議後、記者団に「そんなことは言っていない」と述べて発言を否定したが、複数の会議参加者が杉田氏の問題発言を確認した。発言に責任を持たず、往生際も悪すぎる。こんな国会議員を持つ国民は不幸だ。
また、「女性はウソつく」発言の背景事情について、こんな解説記事もあります。(リテラ)
このとんでもない暴言が飛び出したとされるのは、本日25日におこなわれた自民党の内閣第一部会などの合同会議。女性への性暴力や性犯罪について議論するなかで、杉田議員は、来年度予算の概算要求を受け、女性への性暴力に対する相談事業について、民間委託ではなく警察が積極的に関与するよう主張。そうした議論のなか、「女性はいくらでも嘘をつけますから」などと、女性被害者が虚偽申告するというような発言したのだという。
つまり、「女性はいくらでも性被害について嘘をつけますから」、民間委託の相談事業ではその嘘を見抜けず不適当なんです。犯罪捜査のプロである警察なら、女性の被害に関する嘘を見抜けるからより妥当なのです、という文脈で、あなたの発言がなされたというのです。頷ける話ではありませんか。
また、あなたの発言に、出席していた何人かの議員から失笑が漏れたという報道もあり、この失笑に違和感を感じたという議員の記者への発言もあったということです。あなたの発言についての報道は、極めて具体的で、リアリティに富み、しかも取材源は複数なのです。
しかし、この記事の報道内容が100%真実かどうか。それは、まだ私ども部外者には断定できません。報道でも、あなたは記者団に、「そんなことは言っていない」と発言を否定したそうですし、本日14時42分アップのブログでも、「一部報道における私の発言について」と題する記事を投稿して、「昨日、一部で私の発言についての報道がございましたので、ご説明いたします。まず、報道にありましたような女性を蔑視する趣旨の発言はしていないということを強く申し上げておきたいと存じます。」と書き込んでいます。
昨日の会議が終り、記者団に囲まれた時点では、あなたには二つの選択肢がありました。
(1) 発言を肯定する。その上で、自分の信念を披瀝する。あるいは、口を滑らせての本意ではない発言として、弁明する。
(2) 記者から指摘された発言を否定する。
(1) を選択すれば、あなたが嘘つきと言われることはなかったのです。しかし、あなたは、(2)を選択しました。今さら、(1)に戻る術はありません。
(2) の選択を前提とすると、以下のいずれかということになります。
(A)あなたは、真実のところ「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言したのに、「発言していない」とウソをついた。
(B)多くのメディアが、あなたが「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言してはいないのに、虚偽の報道をした。
今、あなたは、多くのメディアから、
(1) 「嘘つき政治家」だと非難されているのです。それだけではなく、
(2) 「女性でありながら、女性を差別視し女性の性被害救済を妨害しているとんでもない政治家」だと非難されているのです。
メディアの報道は「真実らしさ」が十分です。一方、あなたの「発言否定」は、あなたのこれまでの言動や、昨日の記者に対する不十分な対応によって、「嘘らしさ」に満ちています。
私は、ネットで見かけた、以下の意見に強く賛同します。
日本では、女性が性被害やセクハラ被害を訴えると、必ずと言っていいほど、SNSなどで「嘘だ」とか「ハニートラップだ」とか「売名行為」などと攻撃される。また、性暴力をめぐる刑法や裁判のあり方においても、男性優位目線がいまだ根強く、被害女性は性被害やセクハラ被害そのもの以上に、大きな二次被害を受けているというのが現状だ。そんななか、国会議員が「女性はいくらでも嘘をつけますから」などと発言することは、被害者攻撃をさらに助長するもので、断じて許されない暴言だ。(リテラ)
杉田水脈衆院議員が、女性への暴力や性犯罪被害に関し、「女性はいくらでもうそをつけますから」と公的な場でセカンドレイプ発言。複数の関係者が証言しているのに、記者団には「そんなことは言っていない」と発言を否定。いくらでもうそをつくのは女性じゃなくて自分だろう。(匿名)
国会議員として、絶対に言ってはならないことがある。人権の軽視や否定はその最たるもの。杉田水脈議員の場合、雑誌への寄稿で特定の人を「生産性がない」と書いた時点で国会議員失格だった。だがメディアは傍観した。今度こそ、この低劣な人権感覚の人物を、国会議員の地位から放逐しないといけない。(匿名)
杉田水脈さん。あなたは、今これだけの質の批判を受けているのです。しかも、その批判は今のところ十分な根拠をもつものと言わざるを得ません。あなたが、この批判を跳ね返す努力をして、それに成功しない限り、あなたは「嘘つき政治家」で、しかも「女性蔑視政治家」という汚名を甘受しなければなりません。ということは、国民の代表者である国会議員としての資格はなく、議員を辞任すべきということです。
あなたが今、直ちになすべき具体的行動は、自民党事務局に、昨日の会議の録音を公開させることです。それができなければ、記者会見を開いて、堂々と記者の追及を受けとめ、記者に情報を提供した同僚議員の「ウソ」を暴く工夫をすることです。それができなければ、あなたは「嘘つき政治家」で、しかも「女性蔑視政治家」なのですから、議員は務まりません。せめて、潔く議員の職を自ら辞することをお勧めします。
(2020年9月25日)
本年(2020年)3月18日に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審判決。DHC・吉田嘉明両名の私(澤藤)に対する損害賠償請求の提訴を違法として、165万円の支払を命じた。その判決理由において、DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法を一審以上に明確に認めている点で、私にとって極めて満足度の高いものとなっている。
私の満足は、DHC・吉田嘉明の不満足。両名は、この判決を不服として上訴期限最終日の4月1日(水)に、最高裁宛の上告状兼上告受理申立書を原審裁判所(東京高裁)に提出した。6月1日付の各申立の理由書が最高裁に到着したという通知を9月15日に受け、同日副本送付の申請をして、これを同月17日に受領した。係属は第一小法廷である。その各要旨は、以下のとおりである。
上告理由要旨(R2年(オ)第995号)
原判決は,上告人ら(DHC・吉田嘉明)の提訴を不当提訴と判示したが,その判断は,憲法32条に違反する。
上告人ら(DHC・吉田嘉明)が,訴訟提起したのは,披上告人(澤藤)が,8億円を貸付けた動機について政治を金で買ったなどと事実無根の主張をし,それが犯罪動機についての最高裁判所の判例の考え方に従えば,事実の摘示となり,名誉毀損が成立すると考えたからであり,言論の萎縮効果を狙ったからでは毛頭ない。
また,債務不存在確認訴訟を提起したのは,前訴において,裁判所が,不当提訴には当たらないと判断したからである。
それにもかかわらず,裁判所が前訴と異なる判断をすることは矛盾挙動であるし,事実の摘示か意見ないし論評かの区別は,通常人が容易に判断できる事項ではない。
いずれにせよ,原判決は,結論ありきで,上告人ら(DHC・吉田嘉明)の主張に対して全く説得力のない判示をしており,上告人らの裁判を受ける権利(憲法32条)を侵害するものであり,原判決は,すみやかに破棄されるべきである。
上告受理申立理由要旨(R2年(受)第1245号)
原判決は,申立人ら(DHC・吉田嘉明)の提訴を不当提訴と判示したが,その判断は,不当提訴の要件を判示した最高裁判所の判例に違反しており,民法709条の違法性について重要な法令解釈を誤った違法がある。
また,対抗言論を経ないで訴訟提起したことを不当提訴の根拠としており,これは,東京高判平成21年12月16日(平成21年(ネ)第2519号)に違反する。
申立人らが,訴訟提起したのは,相手方(澤藤)が,8億円を貸付けた動機について政治を金で買ったなどと事実無根の主張をし,それが犯罪動機についての最高裁判所の判例の考え方に従えば,事実の摘示となり,名誉毀損が成立すると考えたからであり,言論の萎縮効果を狙ったからでは毛頭ない。
また,債務不存在確認訴訟を提起したのは,前訴において,裁判所が,不当提訴には当たらないと判断したからである。
それにもかかわらず,裁判所が前訴と異なる判断をすることは矛盾挙動であるし,事実の摘示か意見ないし論評かの区別は,通常人が容易に判断できる事項ではない。
いずれにせよ,原判決は,結論ありきで,申立人らの主張に対して全く説得力のない判示をしており,申立人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利をも侵害するものであり,原判決は,すみやかに破棄されるべきである。
裁判所を説得しようという迫力はない。すべきではなかった提訴をしてしまったことについての言い訳に終始しているとしか読めない。
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ところで、本日(9月25日)配達された『週刊金曜日』の「金曜アンテナ」欄に、ジャーナリスト北健一さんの「美々卯がスラップ訴訟」「東京都内一斉閉店・従業員解雇の報道に社長が激怒」の記事。このスラップの被告が北さんご自身なのだ。同病相憐れむの強い親近感を抱かざるを得ない。
北さんには、私のDHCスラップ訴訟の公判傍聴や報告集会にも参加していただいた。勝訴判決に祝意のメールもいただいた。ジャーナリストとしての関心からか、出版労連役員としての行動なのかは分からない。この人、とても落ちついた雰囲気で、筆を滑らせるような人には見えない。それでも、スラップの被害者となっているのだ。
私のスラップ訴訟は、DHCと吉田嘉明が原告だった。北さんは、美々卯とその社長薩摩和男が原告。私は6000万円を請求された。北さんは1100万円だが、大阪地裁で応訴を強いられている。私の事件は被告は私一人。北さんは、記事を掲載したダイヤモンド社と編集長も訴えられているという。
美々卯スラップの訴状には、薩摩社長の「平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物である、という仮にこれが真実であれば会社経営者として万死に値する恥ずべき汚名を着せられた」との述懐があるそうだ。
こういうことであろうか。「私・薩摩は、決して平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物などではない」。にもかかわらず、「平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物と描写されてしまった」。「仮に私が真実そのような人物であるとすれば、会社経営者として万死に値する恥ずべきことである。」しかし、それは事実と異なるので、「私は、その記事によって不実の汚名を着せられた」。
これは、DHC・吉田嘉明の言い分とたいへんよく似ている。今回の上告理由書・上告受理申立理由書にも、まったく同文でこんなことが書いてある。
「真実は,脱官僚を目指して頑張っている政治家を支援するためにお金を貸したのに,これを政治を金で買ったなどの誹膀中傷がなされた」
つまりこういうことだ。「真実は,(吉田嘉明は)脱官僚を目指して頑張っている政治家(渡辺喜美)を支援するためにお金(8億円)を貸したのに,これを(澤藤から)『政治を金で買った』などの誹膀中傷がなされた」。美々卯事件の薩摩社長と同じことだ。
「私・吉田嘉明は、決して『政治を金で買う』などと考える人物ではない」。にもかかわらず、「脱官僚を目指して頑張っている政治家(渡辺喜美)を支援するためにお金(8億円)を貸したことを捉えて、あたかも私が、『政治を金で買った』人物と描写されてしまった」。「仮に私が真実『政治を金で買う』人物であるとすれば、まことに恥ずべきことである。」しかし、それは事実と異なるので、「私は、その記事によって不実の汚名を着せられた」。
問題は、吉田嘉明が、政治家(渡辺喜美)に8億円もの裏金を提供したことを、常識的にどう捉えるかということである。政治資金収支報告書にも、選挙運動費用収支報告書にもまったく記載しない、明らかに選挙のための巨額のカネの交付である。これを『政治を金で買った』と表現するに何の差し支えがあろうか。これを司法が咎めるようなことになれば、民主主義社会は崩壊する。
美々卯スラップ訴訟を知っていただくために、また、北さんを支援する意味で、金曜日の記事を紹介しておきたい。
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「東京都内一斉閉店・従業員解雇の報道に社長が激怒」
美々卯がスラップ訴訟
うどんすきの老舗として名高い美々卯(本社・大阪市)とその社長・薩摩和男氏が筆者(北)を訴えた名誉毀損訴訟が波紋を広げている。筆者が執筆した記事が対象で、原告は被告の筆者と記事を掲載したダイヤモンド社、編集長にI100万円の支払いと記事削除、謝罪を求めている。
問題の記事はウェブ媒体「ダイヤモンド・オンライン」に掲載の「『美々卯』 一斉閉店の裏に再開発利権か コロナ便乗解雇の深層」(6月26日付)。美々卯から暖簾分けした東京美々卯が今年5月20日に解散、全6店を閉鎖し約200人の従業員を退職、解雇させた事件の背景を探っている。同社は無借金で、雇用調整助成金も申請することなく解散を決めた。
訴状には薩摩氏が「平気で従業員の生活の糧を奪い、その人生を踏みにじる人物である、という仮にこれが真実であれば会社経営者として万死に値する恥ずべき汚名を着せられた」とある。薩摩氏らは他方で東京美々卯解散や退職・解雇は問題なかったと主張している。問題のないことへの関与がなぜ「汚名」になるのだろうか。
9月16日、大阪地裁で第1回目頭弁論が開かれた。新型コロナ感染防止で一人置きに座る形の傍聴席は関心を持った市民でいっぱいに。薩摩氏は法廷に姿を見せなかったが、被告側の意見を受け、金地香枝裁判長は次回以降も公開の口頭弁論とすることを決めた。
弁論後のミニ報告集会で美々卯元店長が出汁づくりの苦労にふれると、交響楽団でバイオリンを弾く音楽ユニオンの斎藤清さんは「いい味といい音とは共通する。同じ職人として解決を望む」。不当配転と闘う連帯ユニオン・十三市民病院分会の大西ゆみさんは「職人さんは素晴らしい。私も問題が解決したら美々卯に食べにいきたい」と会場を沸かせた。批判封じのスラップ訴訟に見える提訴が却って連帯の輪を広げた格好だ。
次回弁論は‥11月18日13時10分から大阪地裁807号法廷の予定。
北健一 ジャーナリスト
(2020年9月24日)
米誌タイムは、例年「世界で最も影響力のある100人」を選出して発表している。「パイオニア(Pioneer)」「Artists(アーティスト)」「Leaders(リーダー)」「Titans(巨人)」「Icons(アイコン)」の5カテゴリーに分けてのこと。
昨日(9月23日)今年の「100人」が発表になった。日本からは、2人の女性が選出されている。自らの性暴力被害を公表しているジャーナリスト伊藤詩織さんと、人種差別反対を訴えているテニスプレーヤーの大坂なおみさんである。伊藤さんについては「勇気ある告発」で日本人女性の在り方を大きく変えたと評価され、大坂さんについては、全米オープンの場で人種差別に抗議、スポーツの領域を超えた存在感を示したと紹介されている。
伊藤さんの選評は、社会学者の上野千鶴子さんが執筆しているという。伊藤さんの告発を機に、日本でほかの女性もセクハラ被害に声を上げるようになったことなどを紹介し、「勇気ある告発で、日本人女性の生き方を永遠に変えた」などとした。
この2人が、今の日本で「最も影響力のある人物」という、タイムの見識に敬意を表さねばならない。今年は、アベ晋三やスガ義偉を選ばず、小池百合子や吉村洋文も、そしてトヨタやホンダの経営者も無視したセンスに肯かざるを得ない。
タイム誌のフェルセンタールCEO兼編集長は「(コロナ禍や反人種差別デモで)6カ月前には考えられない顔ぶれになった。政府首脳ら伝統的な権力者だけではなく、あまり知られていないが素晴らしい人たちも多く含まれている」と述べたという。なるほど、そのとおりとなっている。
さて、伊藤詩織さんである。上野千鶴子さんの選評は、「彼女は性被害を勇敢にも告発することで、日本人女性たちに変化をもたらしました」と評価。「彼女は日本の女性たちにも#MeToo運動に加わることを後押しし、全国の女性たちが花を持って集まり、性被害の経験について語ることで、性暴力に抗議するフラワーデモにも火をつけました」とのこと。
彼女は2017年、山口敬之・元TBS記者から性行為を強要されたことを記者会見で公表した。この件は、刑事事件としては嫌疑不十分で不起訴となり、検察審査会でも「不起訴相当」と判断された。山口敬之と官邸との親密な関係から、この不起訴にまつわる濃厚な疑惑を払拭できない。
その後、伊藤さんは山口を相手に民事訴訟を提起し、2019年12月の一審・東京地裁で勝訴判決を得た。この判決は、「合意のないまま本件行為に及んだ事実」などが認められるとして不法行為の成立を認定している。また、いわゆる「セカンドレイプ」に当たる誹謗中傷表現について、漫画家のはすみとしこや議員の杉田水脈らの責任を追及して損害賠償を求める訴訟を起こしてもいる。
彼女は今回の発表の後、「私の中ではまだまだ変えていくべきところの途中にいると思っています。選ばれたことを見たとき、確実な一歩が踏めたんだなという気持ちになりました」と話したという。
彼女が選出されたカテゴリーは、「パイオニア(Pioneer)」部門であるという。彼女は、その行動によって日本のジェンダー意識を変えた。ジェンダー文化を変革したと言ってもよいかも知れない。まさしく「パイオニア(先駆者)」なのだ。このジェンダー不平等社会を代表する山口敬之や、官邸まで繋がる一連の人脈の男性たち。そして、はすみとしこや杉田水脈ら、多くの野卑な女性たち。こういう人たちの存在の中での、泣き寝入りを拒絶した勇気ある行動が、彼女を「パイオニア(先駆者)」たらしめているのだ。
そして、大坂なおみさんである。こちらは2年連続の選出だが、今年の重みは昨年の比ではない。彼女は、アメリカで広がっている警官による黒人への暴行に抗議する「Black Lives Matter」の主張に賛同して、2020年全米オープンでは、犠牲になった黒人の名前をプリントしたマスクを7着を用意して試合に望み、全7試合に勝利した。
彼女には、「スポーツの場に政治を持ち込むな」「スポーツと政治は混同させるべきではない」という、非難が浴びせられる。だが、このような、ネトウヨ諸君からの誹謗や中傷あればこそ、輝きを増す勇気ある行為であり褒むべき影響力なのだ。
「スポーツの場に政治を持ち込む」とはいったいどんなことなのか、「Black Lives Matter」は「政治」なのか、それがなぜ非難されるべきことなのか、非難する者からの説明は一切ない。
大阪さん自身は、「アスリートは政治に関与してはいけない、ただ人を楽しませるべきだと言われることが嫌いです」とはっきりと表明し、「第一に、これは人権の問題です。第二に、なぜ私よりもあなたの方がこの問題について『話す権利』があると言えるのでしょうか? その論理だと、例えばIKEAで働いていたら、IKEAの “グローンリード”(ソファのシリーズ)のことしか話せなくなりますよ」と小気味よく反論している。
報道されている中で、「天気やランチの話をするように、人権について話をすべき」という賛同のコメントが、素晴らしい。
彼女も、日本女性やアスリートの文化を変えた。自分の信念を堂々と表現してよいのだ。とりわけ、人権について、差別についての、見て見ぬふりの沈黙はむしろ『裏切り』でさえある。彼女の発言は、まことに爽やかである。確かに、影響力は大きい。
(2020年9月23日)
スガ新政権抱負のスカスカぶりに、暗澹たる思いである。下記の9月16日総理就任記者会見を読み直して、改めてそう思う。
コロナ対策も、経済の建て直しも、外交方針も、アベ内閣が失った国民からの信頼回復も、なんともスカスカでしかない。新政権の政策といえば、「省庁の縦割り是正」と「ケイタイ料金の値下げ」くらいではないか。これが総理大臣会見の目玉のテーマであることがさびしい。ケイタイ料金問題など、所轄の大臣か局長のいうべきことではないか。
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2020/0916kaiken.html
9月14日自民党の総裁となったスガは、翌15日公明党代表の山口那津男との間で、自公新政権合意文書を作成している。
産経が、「『拉致』消える コロナ、デジタル化前面」と見出しを打って、大要次のとおり、報道している。
9項目にわたる合意の中で新型コロナウイルス対策に関する項目を新設し、ワクチン・治療薬の確保などを通じ「国民の命と健康を守る」と記した。一方、前回衆院選後の平成29年10月の政権合意に明記した「拉致問題」の解決との文言は盛り込まなかった。
菅氏の「デジタル庁」構想を踏まえ「デジタル化の推進をはじめ、日本経済社会の脆弱(ぜいじゃく)性を克服する」とも盛り込んだ。憲法改正は前回と同様に「改憲に向けた国民的議論を深め、合意形成に努める」とした。
自民党と公明党の与党合意の全文は以下の通り。念のためだが、これが全文である。
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自由民主党、公明党は、新政権発足に当たり、これまでの安倍政権における政権合意(平成二十九年十月二十三日)を継承し、国民のための政策をさらに前へ進めることを確認する。
現在、わが国は、新型コロナウイルス感染症と、これによる経済や国民生活への影響が広範に及び、未曽有の国難に直面している。自民・公明両党は、この国難を乗り越え、その先に新たな繁栄の道筋を切り拓くため、以下の政策を強力に推進するものとする。
一、新型コロナウイルス感染症(以下、「新型コロナ」)から国民の命と健康を守るため、ワクチン・治療薬の確保をはじめ、医療機関への支援にも全力を挙げる。
二、新型コロナの影響から、産業と雇用を守り、成長軌道に回復させるとともに、国民生活、中小企業、地方などの“安心“を取り戻す。
三、デジタル化の推進をはじめ、日本経済社会の脆弱性を克服する。
四、全ての人が安心して暮らせる全世代型社会保障の構築を急ぎ、とりわけ深刻な少子化を克服するための取組みを強化する。
五、全国津々浦々まで元気にする地方創生を成し遂げる。
六、防災・減災、国土強靱化を強力に推し進めることにより、災害に強い国づくりを進めるとともに、東日本大震災をはじめ、近年の災害からの復旧・復興に全力で取り組む。
七、気候変動対策や環境・エネルギーに関する課題への取組みを加速化させ、エネルギーの安定供給と、持続可能で強靱な脱炭素社会の構築に努める。
八、平和外交と防衛力強化により、国民の生命と財産を守る。
九、衆議院・参議院の憲法審査会の審議を促進することにより、憲法改正に向けた国民的議論を深め、合意形成に努める。
令和二年九月十五日
自由民主党総裁 菅義 偉
公明党代表 山口那津男
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他方、野党側である。9月19日、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は19日、「立憲野党の政策に対する市民連合の要望書 いのちと人間の尊厳を守る『選択肢』の提示を」を発表した。「立憲野党」と、これを支持する人々への呼びかけとなっている。
https://shiminrengo.com/archives/3171
同要望書は、前書きがあり、4本の柱・15項目からなっている。
4本の柱とは、以下のとおり。
(1)憲法に基づく政治と主権者に奉仕する政府の確立
(2)生命、生活を尊重する社会経済システムの構築
(3)地球的課題を解決する新たな社会経済システムの創造
(4)世界の中で生きる平和国家日本の道を再確認する
以下、まず、前書きと15項目の表題だけを紹介する。
はじめに
私たち、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合は、2015年の安保法制反対運動以来、憲法に基づく政治を求めてきた。しかし、法と道理をわきまえない安倍晋三政権およびその継続を公称する菅義偉政権の下で新型コロナウイルスの蔓延を迎える状況となった。人間の尊厳を顧みず、為政者の自己正当化のために情報を隠蔽してきた安倍・菅政権の対策が的外れであることは、必然の帰結である。我々は今までの運動の延長線上で、法と道理に基づいて人間の生命と尊厳を守る政治を確立するために運動を深化させなければならない。そして自民党政権に代わり、新しい社会構想を携えた野党による政権交代を求めていきたい。
政治の最大の使命は、いのちと暮らしの選別を許さないことにある。新型コロナウイルスの危機のさなか、医療、介護、福祉など「この人たちがいないと社会は回らない」エッセンシャルワーカーたちが注目を浴びた。と同時に、このエッセンシャルワーカーたちが、この30年間の「小さな政府」や「柔軟化」を旗印とする雇用破壊によって、過酷な労働を強いられてきたことも明らかになった。彼ら・彼女らの過酷な状況は、一部の企業に富を集中する一方で働く人々に貧困と格差を押し付けてきたこれまでの経済システムの象徴である。個々の人間の尊厳、およびジェンダー平等はじめ互いの平等という基本的価値観の上に立ち、このシステムを転換し、社会を支える人々の尊厳を守ること、さらにすべての働く人々が人間らしい生活を保障されることを、新しい社会像の根幹に据えなければならない。
次期総選挙は、自民党政権の失政を追及する機会であると同時に、いのちと暮らしを軸に据えた新しい社会像についての国民的な合意、いわば新たな社会契約を結ぶ機会となる。野党各党には、この歴史的な転換を進めるべく、以下の政策について我々と合意し、国民に対して選択肢を提示し、その実現のために尽力するよう要望する。
? 憲法に基づく政治と主権者に奉仕する政府の確立
1.立憲主義の再構築
2.民主主義の再生
3.透明性のある公正な政府の確立
? 生命、生活を尊重する社会経済システムの構築
4.利益追求・効率至上主義(新自由主義)の経済からの転換
5.自己責任社会から責任ある政府のもとで支えあう社会への転換
6.いのちを最優先する政策の実現
7.週40時間働けば人間らしい生活ができる社会の実現
8.子ども・教育予算の大胆な充実
? 地球的課題を解決する新たな社会経済システムの創造
9.ジェンダー平等に基づく誰もが尊重される社会の実現
10.分散ネットワーク型の産業構造と多様な地域社会の創造
11.原発のない社会と自然エネルギーによるグリーンリカバリー
12. 持続可能な農林水産業の支援
? 世界の中で生きる平和国家日本の道を再確認する
13. 平和国家として国際協調体制を積極的に推進し、実効性ある国際秩序の構築をめざす。
14. 沖縄県民の尊厳の尊重
15. 東アジアの共生、平和、非核化
そして、以下に各項目の全文を掲載する。時宜を得ての体系性、全面性、現実性が明らかである。与党の自公合意の内容と比較して、その政策としての優位性は余りに明らかではないか。
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立憲野党の政策に対する市民連合の要望書 ー いのちと人間の尊厳を守る「選択肢」の提示を
? 憲法に基づく政治と主権者に奉仕する政府の確立
1.立憲主義の再構築
公正で多様性にもとづく新しい社会の建設にむけ、立憲主義を再構築する。安倍政権が進めた安保法制、特定秘密保護法、共謀罪などの、違憲の疑いの濃い法律を廃止する。自民党が進めようとしてきた憲法「改定」とりわけ第9条「改定」に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くす。日本国憲法の理念を社会のすみずみにいきわたらせ、公正で多様な社会を求める市民、企業、団体との連携をすすめ、安倍政権で失われた民主主義の回復に取り組んでいく。
2.民主主義の再生
主権者が、自分たちの生きる公共の場をどのように作り出すか自由闊達に議論し、決めていくという民主主義を取り戻す。そのために、国会の行政監視機能の強化、選挙制度の見直し、市民参加の制度の拡充、学校教育における自由な主権者教育を実現する。また、地方自治体の自由、自立を確保するために、中央省庁による無用な制度いじり、自治体の創意工夫を妨げる統制、操作、誘導を排し、一般財源を拡充する。
3.透明性のある公正な政府の確立
安倍政権下ですすんだ官邸主導体制の下で、権力の濫用、行政の歪みが深刻化している。政府与党による税金の濫用や虚偽、隠蔽により生じた市民の政府への不信の高まりが、効果的な新型コロナウイルス対策を妨げている。透明性のある公平な行政の理念のもと、科学的知見と事実に基づく合理的な政策決定を確立し、政策への信頼を取り戻すことが求められている。内閣人事局の改廃を含め、官僚人事のあり方を徹底的に再検討する。一般公務員の労働環境を改善し、意欲と誇りをもって市民に奉仕できる体制を確立する。国民の知る権利と報道の自由を保障するために、メディア法制のあり方も見直し、政府に対する監視機能を強化する。
? 生命、生活を尊重する社会経済システムの構築
4.利益追求・効率至上主義(新自由主義)の経済からの転換
新型コロナウイルスの危機は、医療、教育などの公共サービスを金もうけの道具にしてきた従来の改革の失敗を明らかにした。医療・公衆衛生体制、労働法制、教育政策等への市場原理の導入により、社会的な危機が市民の生活の危機に直結する事態が生じている。信頼できる有能・有効な政府を求める世論の要求は高まっている。利益・効率至上主義を脱却し、国民の暮らしと安全を守る新しい政治を目指していく。
5.自己責任社会から責任ある政府のもとで支えあう社会への転換
小さな政府路線と裏腹の自己責任の呪縛を解き、責任ある政府のもとで支えあう社会をめざす。新しい社会をつくりあげるために、財政と社会保障制度の再分配機能を強化する。消費税負担の軽減を含めた、所得、資産、法人、消費の各分野における総合的な税制の公平化を実現し、社会保険料負担と合わせた低所得層への負担軽減、富裕層と大企業に対する負担の強化を図る。貧困対策においては、現金・現物の給付の強化と負担の軽減を組み合わせた実効的対策を展開し、格差のない社会をめざす。
6.いのちを最優先する政策の実現
新型コロナウイルスとそれに伴う経済危機による格差の拡大を阻止するための政策が求められている。医療・公衆衛生体制に国がしっかりと責任をもち、だれでも平等に検査・診療が受けられる体制づくりをめざす。感染対策に伴う社会経済活動の規制が必要な場合には、労働者、企業への補償に最優先の予算措置を講じ、公平性、透明性、迅速性を徹底する。
7.週40時間働けば人間らしい生活ができる社会の実現
先進国の中で唯一日本だけが実質賃金が低下している現状を是正するために、中小企業対策を充実させながら、最低賃金「1500円」をめざす。世帯単位ではなく個人を前提に税制、社会保障制度、雇用法制の全面的な見直しを図り、働きたい人が自由に働ける社会を実現する。そのために、配偶者控除、第3号被保険者などを見直す。また、これからの家族を形成しようとする若い人々が安心して生活できるように公営住宅を拡充する。
8.子ども・教育予算の大胆な充実
出産・子育て費用の公費負担を抜本的に拡充する。保育の充実を図り、待機児童をなくし、安心して働ける社会を実現する。教育予算を拡充し、ゆとりある小中高等学校の学級定員を実現する。教員や保育士が安心して働けるよう、待遇改善をすすめる。教育を受ける機会の平等を保障するために、大学、高専、専門学校に対する給付型奨学金を創設するとともに、大学、研究機関における常勤の雇用を増やす。学問の自由の理念の下、研究の自立性を尊重するとともに、政策形成に学問的成果を的確に反映させる。
? 地球的課題を解決する新たな社会経済システムの創造
9.ジェンダー平等に基づく誰もが尊重される社会の実現
雇用、賃金、就学における性差別を撤廃し、選択的夫婦別姓を実現し、すべての人が社会、経済活動に生き生きと参加する当然の権利を保障する。政治の世界では、民主主義を徹底するために議員間男女同数化(パリテ)を実現する。人種的、民族的差別撤廃措置を推進する。LGBTsに対する差別解消施策を推進する。これらの政策を通して、日本社会、経済の閉塞をもたらしていた政治、経済における男性優位の画一主義を打破する。
10.分散ネットワーク型の産業構造と多様な地域社会の創造
エネルギー政策の転換を高等教育への投資と結びつけ、多様な産業の創造を支援する。地域における保育、教育、医療サービスの拡充により地域社会の持続可能性を発展させる。災害対策、感染対策、避難施設の整備に国が責任をもつ体制を確立する。中小企業やソーシャルビジネスの振興、公共交通の確保、人口減少でも安心して暮らせる地域づくりを後押しする政策を展開する。
11.原発のない社会と自然エネルギーによるグリーンリカバリー
地球環境の危機を直視し、温暖化対策の先頭に立ち、脱炭素化を推進する。2050年までに再生可能エネルギー100%を実現する。福島第一原発事故の検証、実効性のある避難計画の策定をすすめる。地元合意なき原発再稼働は一切認めない。再生可能エネルギーを中心とした新しいエネルギー政策の確立と地域社会再生により、原発のない分散型経済システムをつくりあげる。
12. 持続可能な農林水産業の支援
農林水産業については、単純な市場原理に任せるのではなく、社会共通資本を守るという観点から、農家戸別補償の復活、林業に対する環境税による支援、水産資源の公的管理と保護を進め、地域における雇用を守り、食を中核とした新たな産業の育成を図る。また、カロリーベースの食料自給率について50%をめどに引き上げる。
? 世界の中で生きる平和国家日本の道を再確認する
13. 平和国家として国際協調体制を積極的に推進し、実効性ある国際秩序の構築をめざす。
平和憲法の理念に照らし、「国民のいのちと暮らしを守る」、「人間の安全保障」の観点にもとづく平和国家を創造し、WHOをはじめとする国際機関との連携を重視し、医療・公衆衛生、地球環境、平和構築にかかる国際的なルールづくりに貢献していく。核兵器のない世界を実現するため、「核兵器禁止条約」を直ちに批准する。国際社会の現実に基づき、「敵基地攻撃能力」等の単なる軍備の増強に依存することのない、包括的で多角的な外交・安全保障政策を構築する。自衛隊の災害対策活動への国民的な期待の高まりをうけ、防衛予算、防衛装備のあり方に大胆な転換を図る。
14. 沖縄県民の尊厳の尊重
沖縄県名護市辺野古における新基地建設を直ちに中止し、環境の回復を行う。普天間基地の早期返還を実現し、撤去を進める。日米地位協定を改定し、沖縄県民の尊厳と人権を守る。さらに従来の振興体制を見直して沖縄県の自治の強化をめざす。
15. 東アジアの共生、平和、非核化
東アジアにおける予防外交や信頼醸成措置を含む協調的安全保障政策を進め、非核化に向け尽力する。東アジア共生の鍵となる日韓関係を修復し、医療、環境、エネルギーなどの課題に共同で対処する。中国とは、日中平和友好条約の精神に基づき、東アジアの平和の維持のために地道な対話を続ける。日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止向けた多国間対話を再開する。
以 上
(2020年9月22日)
秋分の日である。あの猛暑が嘘のような玲瓏な秋日和。不忍池に昨日は3輪の蓮の華を数えたが、本日はおそらくは最後となる一華を視認。本日9月22日を、2020年の「蓮じまいの日」と認定しよう。蓮華の命も彼岸まで。6月半ばから3か月余、目を楽しませていただいた。
国民の祝日に関する法律(祝日法)によれば、秋分の日とは「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨としている。(なお、春分の日は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」である)
秋分の日は、戦前の「秋季皇霊祭」を受継したもの。「皇霊」とは、明治期皇居内に新設された「皇霊殿」に祀られた《歴代天皇および皇族の霊》のこと。1908年9月制定の「皇室祭祀令」で、春季皇霊祭・秋季皇霊祭ともに大祭に指定され、宮中では国家行事としての春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行われた。戦後になって、まさか「国民こぞって歴代天皇をうやまい、しのぶ」などとは言えないので、仏教習俗としての彼岸の定義を趣旨とした。
皇霊祭とは何か。天皇やら皇族やらの権威を、コテコテに盛るための演出のひとつである。なぜ、天皇やら皇族やらの権威を盛る必要があるのか。この世に、人と人との差別が必要だと考えたからである。天皇やら皇族やらを、貴なる存在として特別視することで、その対極に賤なる人々を作ることができる。社会に貴や賎を作れば、その中間段階で無限のバリエーションをもって人と人との差別を作り出すことが可能となる。
天皇やら皇族やらの権威を作り出し維持しようとする人々は、この社会に人と人との差別あることを利益とする人々である。あらゆる差別の根源として、天皇やら皇族やらの尊貴という権威を演出したのだ。
ある生身の人間を、常人とは異なる特別の人間と権威付けるためにどうすればよいか。特別な服装をさせてみよう。特別な場所に住まわせ、ときどき、民衆に見せて手を振らせることにしよう。それだけでは足りない。一見凡庸に見えるこの人物こそ、実は神なる祖先に連なる貴い血筋だということにしよう。そのための皇霊祭なのだ。
もちろん、全ての人は平等である。あまりにも当然のことだ。ところが、いまなお、天皇やら皇族やらを常の人ならぬ神聖な存在とする迷妄が存在し、その迷妄を社会に差別的秩序あることを利益とする人々が支えている。
天皇やら皇族やらの神聖性は、一人の幼児の「王様は裸だ」という一言で吹き飛ぶ虚飾に過ぎない。この儚げな虚飾を剥ぎ取るか、剥がされることを恐れてさらに虚飾を重ねるか、そのせめぎ合いが続いている。
いまだに差別が残る社会である。差別の存在を利益とする者がこの社会を牛耳っているからである。その差別の根源としての天皇の権威を受け入れている人が少なくない。天皇神聖や天皇尊貴の根拠が「血統への信仰」という馬鹿げた虚妄にあるのだから、「血統」による貴賤や優劣の存在を、意識的に徹底して否定しなければならない。今どき、自分の先祖を自慢する愚物を鼻先で嗤ってやろう。天皇であれ華族であれ、その血筋に恐れ入って見せる人を徹底して軽蔑しよう。
不忍池の蓮の華には虚飾がない。あるがままで美しい。社会も、このようでありたいものと思う。今年の「蓮じまい」が惜しい。来年も、あるがままに美しい蓮の華を楽しみたい。
(2020年9月21日)
天安門事件は、1989年6月4日の出来事である。この日、当時昂揚した民衆の民主化運動を、中国政府(共産党)が人民解放軍の武力をもって弾圧した。中国の現代史における恥辱の日として記憶されなければならない。
この武力弾圧による犠牲者の数はよく分からない。中国共産党の公式発表では、「319人」となっているが、信用されていない。「1000人超」説もあれば、「1万人余」説まである。
この事件は、以後中国国内では情報統制の対象となって、あたかもなかったかのごとき扱いだという。これを香港の民主主義は、黙過出来ないとした。毎年6月4日、香港島ヴィクトリアパークにおいて事件で犠牲になった学生たちを追悼する大規模な集会が開催されてきた。2012年にはその参加者が18万人にも達したという。
今年(2020年)の6月4日にも、例年のとおり、香港島ヴィクトリアパークで天安門事件追悼集会が開催された。しかし、今年の集会に警察の許可は下りなかった。理由は、新型コロナウイルスの感染防止のためとされた。この不許可を不当として、会場の公園には数千人の市民が参集した。
香港当局は、不許可の集会に参加の民主活動家24人を起訴した。罪名は「違法な集会に参加した罪」なのだという。香港国家安全維持法が6月末に施行され、民主的活動家らの逮捕や起訴が相次いだ時期のことである。中国共産党の意向による香港民主派への締めつけと捉えられている。
当然に、民主派からの反発は強い。今回の起訴について、主催団体は「集会やデモは香港で認められた市民の権利で、警察は感染防止策を悪用して追悼集会の火を消そうとしている。私たちは弾圧を恐れない」とコメントしている。
その民主派活動家24人の裁判が始まっている。9月15日が第1回の法廷であった。被告人のひとり、李卓人氏はこう述べたという。
「天安門事件を追悼することは私たちの権利だ。天安門事件の追悼は無罪だ」
ところで、天安門事件の責任を追及することは、ひとり香港のみならず国際社会の責務ではないか。天安門事件の追悼を犯罪視している中国の現状に接すると、その思いは一入である。31年前、国際社会は、民主主義と人権を蹂躙した野蛮な中国政府(共産党)を厳しく批判すべきだったのだ。しかし、現実はそうならなかった。日本の対応について、今外交文書が公開されて明らかになっている。
時事通信の「『人権軽視外交』検証を=天安門事件外交文書」という記事が配信されている。記者の秘めた怒りがほとばしるような文章となっている。
「外務省が時事通信の開示請求に対し天安門事件外交文書ファイル9冊(計3123枚)を公開した。西側諸国が対中制裁を強化する中、日本政府はいち早く政府開発援助(ODA)再開に動いたが、当時の詳細な外交方針が判明したのは初めて。」
「(89年6月)22日に作成された極秘文書「わが国の今後の対中政策」には、「わが国が有する価値観(民主・人権)」より「長期的、大局的見地」を重視し、中国の改革・開放政策を支持すべきだと明記。その上で「今次事態の衝撃がなるべく小さくなるよう対処」するとともに、「西側が一致して対中非難等を行うことにより中国を孤立化」することは「得策でない」と基本的考えを記していた。」
「日本政府は1989年の天安門事件を受け、犠牲となった市民の人権よりも、国際的孤立に陥った中国共産党に手を差し伸べる外交を優先していた。31年がたち、強大になった中国が、自由を謳歌(おうか)した香港への統制を強化するなど、中国が絡む人権問題が深刻さを増す中、当時の日本の対中外交について徹底した検証が必要だ。
改革・開放が進めばいずれ自由化・民主化する国なのか、市民に銃口を向けることをためらわない強権国家なのか。国際社会は流血の惨事を目の当たりにし、対中関係で難しい決断を迫られた。
結局、前者の見方を選択し、国際社会の中に取り込むことで中国の変化を促す「関与政策」が主流となった。日本はその先頭に立ち、軍事拡張路線を続ける中国の経済発展のため政府開発援助(ODA)をつぎ込んだ。天安門事件後の日中外交は、「内政不干渉」の下で中国の政治体制や人権問題に異を唱えず、経済的な実利を追求することで両国関係の安定を目指したものと言えた。
しかし強国路線を掲げる習近平政権に入り、民主化はますます「幻想」と化した。人権や台湾・香港、南シナ海、尖閣諸島などの問題で、日米欧への対抗を強める中、ポンペオ米国務長官は今年7月、関与政策の失敗を宣言した。
天安門事件後の日本外交文書によると、日本政府は当時の「弱い中国」を国際的に孤立させれば、「冒険主義的対外政策に走らせる」と懸念した。この分析は共産党の本質を見極めたものだが、孤立させない道を選択したのに、なぜ民主化へと進まなかったのか。
日本をはじめ各国が、巨大市場に目を奪われ、人権問題などで妥協した関与政策を進めた結果、巨額資金が中国に流れ込み、独裁体制をパワーアップさせてしまったという歴史的側面を忘れてはならない。[時事通信社]
この度明らかになった当時の外交方針のもと、1990年に日本は世界に先駆けて対中円借款凍結を解除して経済的関係を修復し、91年8月には海部俊樹首相が訪中、翌92年4月には江沢民総書記が来日、その年の10月には天皇夫妻に訪中させて、日本は民主・人権問題よりは、経済関係の安定を選択し実行した。その結果が、今日の香港・台湾・内モンゴル・ウィグル、チベットの問題ではないか。
遅きに失してはいようが、日本は、「天安門事件犠牲者の追悼を犯罪として起訴する」中国・香港当局に、「民主・人権」擁護の立場から、厳しい批判をするべきであろう。