(2025年6月6日)
1979年6月6日元号法が成立した。その全文が下記のとおり。
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
たったこれだけの法律である。元号使用強制の根拠とはなっていない。これだけの法律の制定に右翼陣営は総力をあげた。天皇制の礎の貴重な小道具の一つが崩れることへの危機感に依ってのこと。伝統右翼、生長の家、国際勝共連合、神道政治連盟、神社本庁等々をとりまとめたのが、元号法制化実現国民会議。その議長が、第5代最高裁長官だった石田和外である。戦前は思想判事として知られた人物。生涯、「ぞっとするほどの天皇主義者」であり続けた。
もともと元号は、古代中国の専制君主がでっち上げたもの。「皇帝は時をも支配する」とのイデオロギーの産物である。皇帝が新たな時のはじめである元(年)を定めて、新たな時に名前をつける。これが元号。元号の使用は、皇帝への服属を意味した。古代日本はこれを真似た。そして近代日本は「一世一元」を発明した。こうして、天皇の統治と時の記憶が重ねられることになった。
元号は天皇の治世には不可欠のアイテムではあったが、今やアナクロニズムの象徴。日常生活にも、ビジネスにも不便この上ない。不便だけでなく、国際関係との共時感覚を麻痺させ、独善日本の形成の要因ともなりかねない。
こんな不便この上ない欠陥表記方法の強制はやめさせようと言い続けているのが、
「西暦表記を求める会」
https://seirekiheiyo.blogspot.com/p/blog-page_15.html
ぜひ、ホームページを覗いて欲しい。
(2025年6月4日)
1989年6月4日早朝、北京天安門広場とその周辺に集まった無防備・無抵抗の群衆に人民解放軍が襲いかかった。「人民からは針一本、糸一筋も盗まない」ことで、人民からの信頼を得てきた中国共産党の人民解放軍であった。人民から生まれ、人民とともにあるはずの人民解放軍。その人民解放軍が人民に銃を向け発砲したのだ。何のためらいもなく、容赦なく。
天安門広場に集まった大群衆は、党と国家の民主化を求めていた。この人たちが銃撃され、夥しい死傷者を出した。殺戮されたのは広場に集まった学生や市民ばかりではない。民主主義や人権という文明の普遍的価値も虐殺された。以後、中国は民主主義や人権とは無縁の野蛮国となる。そして人民解放軍は、人民の軍ではなく、党幹部の私兵となった。
あの日、私の中で撃たれて崩壊したものは、中国共産党や中華人民共和国への期待や肯定的な評価だけではない。人類の進歩への楽観や希望も崩れたのだ。いま、中国共産党の野蛮と危険は、さらに深刻化している。彼の地に、人権と民主主義が根付くには、百年河清を俟つがごとき感を拭えないが、やむを得ない。百年を俟つ覚悟をしようではないか。百年批判の声を挙げ続ける覚悟を。
中国共産党は、民主化を求めた人々の運動を『反革命暴乱』とし、「党と政府は旗幟鮮明に動乱に反対して社会主義国家の政権を守った」と言っている。中国共産党にとって、人民の民主化運動は『反革命暴乱』なのだ。
この衝撃の「事件」だけでなく、事後の対応にも許しがたいものがある。我々が、日本の保守勢力を「歴史修正主義」と非難していることを、中国共産党もやった。事件そのものがあたかもなかったごとくに、事実を語る言論は統制され、歴史は塗り替えられようとしている。これが天安門以後の中国共産党の実像である。
そして、さらに深刻なことは、野蛮の側が腕力において圧倒的に強盛なことである。文明の側、人権や民主主義の旗を掲げる側は、腕力において劣勢を免れない。
習近平共産党指導部は、事件を「動乱」と認定して民主化要求運動を武力で抑え込んだ対応をいまだに正当化し、さらに国内民主化運動をおさえこもうと躍起である。「天安門」から、「08憲章」・「チベット・ウイグル」・「香港」、そして台湾と矛先は広がっている。自由に発言のできる立場にある者は、「天安門の母」や香港の市民に代わって民主勢力を弾圧する野蛮な中国共産党を批判しなければならない。小さな声も、無数に集まれば力になる。そうすれば、百年待たずして河清を実現できるかも知れない。