澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

10・23通達以来、10回目の卒業式

今春、都立校は、10・23通達発出以来10回目の卒業式を迎えた。もう一昔前となったあの頃を思い出す。

悪夢は石原慎太郎の再選から始まった。あの右翼に308万もの票を与えた都民の責任が大きい。この「都民の支持」を背景に、知事と右翼都議と、米長邦雄、鳥海厳らの石原取り巻きが都教委を私物化した。

あれから10年、事態は本質的には変わっていない。私たちは変わらないことに切歯扼腕しているが、都教委の側も同じ心情なのかも知れない。

本日、その卒業式で6名に懲戒処分(5名に戒告・1名に減給処分)が発令された。これで、「10・23通達」関連の処分者数累計は延べ447名を数えるに至った。

昨年の1月16日最高裁判決は、都教委の累積加重システムを違法とした。そして、多数の補足意見が、都教委に自制と問題解決への努力を期待することを表明した。
その結果、昨春の処分は、2回目以上の不起立等に対しても戒告処分としていたが、今回都教委は4回目の不起立者(1名)に対して減給処分の発令を強行した。都教委は、日の丸・君が代問題では、強気に出て良しと判断したのだ。

本日全水道会館で開催された処分発令に対する「抗議・支援総決起集会」では、怒りの渦が巻いた。日の丸・君が代を強制する10・23通達以後の学校現場が、命令と服従の場と化し、教職員がものも言えない状況に置かれており、この異常な事態を何とか変えていかねばならない、との切々たる訴えにも胸を打たれた。一方、自分の信念を貫く人々が、けっして現場で孤立してはいないことの報告に大きな拍手が湧いた。

訴訟と運動とが両輪とならねばならない。多くの人に、日の丸・君が代強制の不当と危険を訴え、支持を獲得しなければならない。精神的自由確立のために。教育を国民の手に取り戻すために。そして、過剰なナショナリズムの危険を防止するために。

10回目の卒業式で、あらためてそう思う。

拝啓 山口香様

山口香さん、東京都は元柔道選手のあなたを、東京都教育委員に起用する方針を固めたとのこと。瀬古利彦さんの後任で、議会が同意すれば4月1日付で就任する予定という。2020年東京オリンピック招致に向けての人事だとか。

山口さん、あなたには期待が大きい。オリンピック招致のことではない。あなたが管轄することになる都内公立校での「日の丸・君が代」強制という異常な事態を解決していただきたい。少なくとも、解決に向けての一石を投じていただきたい。

あなたは、暴力的体質にまみれた柔道界にあって、監督の暴力に抗議の声をあげた現役女子選手15人の側に立つことを躊躇しなかった。圧倒的な強者であるいじめる側にではなく、いじめられる弱者の側に寄り添うあなたの姿勢がすがすがしい。その意気や、おおいによし。そのすがすがしい心意気を、教育委員という職責においても貫いていただけないだろうか。

都内公立校の卒業式・入学式での「日の丸・君が代」の強制が始まってもうすぐ10年になろうとしている。これは、教育委員会による教員への、暴力・イジメにほかならない。教員の中には、「日の丸・君が代」大好き人間もいるだろう。しかし、自らの思想にかけて、あるいは教員としての良心を大切にする立場から、どうしても「日の丸・君が代」に敬意を表明することはできないという教員も少なくない。人間として、教員として、真面目にものを考える人ほど、こだわらざるを得ない問題となっていることを理解していただきたい。

あなたに質問したい。あなたは、スホーツ界で過ごしてきたその半生において、「日の丸・君が代」にまつわる問題を真剣に考えたことがあるだろうか。スポーツイベントや学校スホーツが、ナショナリズムの昂揚や国家主義に利用されていると考えたことはないだろうか。旧天皇制のもとで国家のシンボルとなった日の丸や君が代が、日本国憲法下の現在もなお、国旗国歌となっていることを奇妙と考えたことはないだろうか。少なくとも、「日の丸・君が代」の強制には服しがたいと考えている人の心情を理解しようとしたことがあるだろうか。

スポーツ会場は、理性ではなく激情が支配する空間だ。そこで日の丸を打ち振る人々の、他者に対する同調要求の圧力は凄まじい。同じことが学校現場に起きている。しかも学校現場では、社会的な同調要求圧力だけではなく、職務命令という公権力の発動までがなされている。

あなたは、日の丸を打ち振る観衆の声援を心地よいものと感じてきただろうと思う。しかし、教育委員として公権力の担い手となるからには、真剣にお考えいただきたい。社会的同調圧力の危険性について、また、公権力行使のあるべき限界について。「日の丸・君が代」への敬意の表明の強制、つまりは懲戒処分の恫喝のもとに起立・斉唱・伴奏を命じることの危うさについて。

柔道とは、柔道の修練とは、何を目指してなんのためにするものなのだろうか。柔道家が求める強さとはいったい何だろうか。一人ひとりが、全体に飲み込まれない個人としての強さを目指すものではないのだろうか。技も練習方法も個性を磨くためのものではないのだろうか。

自らの信念を貫いて、起立・斉唱・伴奏を拒否した教員は、この問題に真摯に向き合い、自らの怯懦と闘い、社会的圧力に抗し、最後は公権力の圧倒的な強制に立ち向かった、賞賛すべき勇者だと言えないだろうか。

少なくとも、必死で、自分と闘い、勇気をふるって社会と公権力に立ち向かっている人を辱め、嵩にかかっていじめる側にまわることは柔道家のよくするところではあるまい。いや、人としてそのような卑劣な振る舞いはできないとする感性を、あなたには期待したい。

残念ながら、この10年。そのような期待に応えていただける教育委員は1人もいなかった。もしこの期待に応えていただけるなら、日本の教育史の1ページにあなたの名が残ることになる。それに比べれば東京オリンピック招致の成否など、まことに小さな問題でしかない。

沖縄の怒りに心を寄せよう

沖縄には、41市町村があるという。その全首長と議会議長の連名とで、安倍晋三首相宛に作成したのが、今話題の「建白書」である。沖縄県民の総意の結集であり、県民の怒りのほとばしりと言ってよいだろう。
その全文は以下のとおり。

内閣総理大臣 安倍晋三殿 2013年1月28日
われわれは、2012年9月9日、日米両政府による垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの強行配備に対し、怒りを込めて抗議し、その撤回を求めるため、10万余の県民が結集して「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」を開催した。にもかかわらず、日米両政府は、沖縄県民の総意を踏みにじり、県民大会からわずかひと月もたたない10月1日、オスプレイを強行配備した。
沖縄は、米軍基地の存在ゆえに幾多の基地被害をこうむり、1972年の復帰後だけでも、米軍人等の刑法犯罪件数が6千件近くに上る。沖縄県民は、米軍による事件・事故、騒音被害が後を絶たない状況であることを機会あるごとに申し上げ、政府も熟知しているはずである。とくに米軍普天間飛行場は市街地の真ん中に居座り続け、県民の生命・財産を脅かしている世界一危険な飛行場であり、日米両政府もそのことを認識しているはずである。
このような危険な飛行場に、開発段階から事故を繰り返し、多数にのぼる死者をだしている危険なオスプレイを配備することは、沖縄県民に対する「差別」以外なにものでもない。現に米本国やハワイにおいては、騒音に対する住民への考慮などにより訓練が中止されている。
沖縄ではすでに、配備された10月から11月の2カ月間の県・市町村による監視において300件超の安全確保違反が目視されている。日米合意は早くも破綻していると言わざるを得ない。
その上、普天間基地に今年7月までに米軍計画による残り12機の配備を行い、さらには2014年から2016年にかけて米空軍嘉手納基地に特殊作戦用離着陸輸送機CV22オスプレイの配備が明らかになった。言語道断である。

オスプレイが沖縄に配備された昨年は、いみじくも祖国日本に復帰して40年目という節目の年であった。古来琉球から息づく歴史、文化を継承しつつも、また私たちは日本の一員としてこの国の発展を共に願ってもきた。
この復帰40年目の沖縄で、米軍はいまだ占領地でもあるかのごとく傍若無人に振る舞っている。国民主権国家日本のあり方が問われている。

安倍晋三内閣総理大臣殿。
沖縄の実情をいま一度見つめていただきたい。沖縄県民総意の米軍基地からの「負担軽減」を実行していただきたい。

 以下、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会、沖縄県議会、沖縄県市町村関係4団体、市町村、市町村議会の連名において建白書を提出致します。

1.オスプレイの配備を直ちに撤回すること。および今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
2.米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。

この建白書をあざ笑うがごとく、安倍政権は、普天間飛行場の辺野古沖への移転のための、公有水面埋め立て承認申請書を県知事に提出した。公有水面埋立法という法律がある。河川・沿岸海域などの公共用水域を埋め立てて土地を造成する場合には、知事の免許が必要とされている。その手続きが始まったのだ。

本日の琉球新報社説では、「日米が民主主義の国であるのなら、『建白書』こそ最大限尊重すべきだ」と言っている。沖縄県民の総意を蹂躙して、アメリカに迎合するこの国のあり方を、国民は座視してよいのか。

学校におけるイジメと安倍政権

本日は日本民主法律家協会の2012年度第8回執行部会。課題山積の3時間の論議。そのうち、教育問題にかなりの時間が割かれた。

4月12日(金)に「何をめざすか?安倍政権の教育政策」という緊急シンポジウムを主催する。時刻は18時30分から、場所は日比谷公園内の日比谷図書文化館内「日比谷コンベンションホール」。そして、「法と民主主義」6月号を教育問題特集とする。

イジメ問題の位置づけについて若干の意見交換があり、渡辺治理事長の発言もあった。私が理解した限りで、大要以下のとおりの内容である。

現在の学校におけるイジメは、「昔からあった」というレベルの問題ではない。そして、そのことは安倍政権の政策とも深く結びついている。

社会的背景として、90年代以後の新自由主義政策による貧困化や中間層の没落がある。子どもを取り巻く環境が劣悪化し、子どもの精神の安定性に影響している。

そのような子どもたちを抱える学校には競争至上主義が蔓延している。しかも、評価主義が徹底していて低評価につながるイジメは潜在化せざるを得ない。また、教員は子どもに向き合う余裕がなく、教員集団による教育力が低下している。

このような要因で噴出しているイジメ問題について、安倍政権は彼なりのやり方による対策を政策の目玉の一つにしようとしている。社会的背景にメスを入れ学校の体質を改善しようというのではない。道徳教育の徹底や教育委員会制度の破壊という対応によってである。自らの新自由主義政策がイジメをつくり出しているのに、これを改めるのではなくむしろこれを利用して新保守主義的政策推進の口実にしようとしている。

なるほど。指摘されてみればそのとおり。このことだけでなく、啓発を受けることが多々ある会議だった。

イラク戦争開戦から10年

本日(2013年3月20日)は、イラク戦争開戦から10年にあたる。米ブッシュ政権は、9・11事件の報復措置としてアフガン侵攻にとどまらず、イラクにまで戦争を仕掛けた。オバマの選挙公約によって撤兵が実行されたのは、昨年末のこと。この間のイラク民間人の死者数は10万人説から65万人説まである。
この悲惨な戦争は、「イラクに大量破壊兵器が存在している」というブッシュ政権中枢の「確信」によってもたらされた。当初、米国民は熱狂的にこの戦争を支持したが、今、厭戦の果ての撤兵となった。

アメリカのイラク参戦を批判する国と、支持する国との対比の鮮やかさを思い出す。
「参戦を拒否したドイツの当時のシュレーダー前首相は「難しい決断だったが、我々のナイン(ドイツ語のノー)は正しかった」と述べ、改めて攻撃不参加は正しい判断だったとの認識を示した」「独メディアによると、拒否の理由を『イラクに大量破壊兵器は存在しないと確信していた』と説明。さらに、『当時の野党党首(メルケル現首相)の主張通り参戦したら、ドイツ軍は今もイラクにいただろう』と述べ、今秋のドイツ総選挙を念頭に、参戦を促したメルケル氏を批判した」という(毎日)。

翻って、当時の小泉政権が、アメリカが参戦した途端にこれを支持する立場をとったことが強烈な印象として残っている。しかも、「イラクに大量破壊兵器が存在していない」ことが確認されたあとも、反省の言葉が聞けない。
政府と、自民・公明の与党(当時)は、いまでも、アメリカのイラク参戦を支持したことを正しい判断であったと考えているのだろうか。その考えかた、その理由について、国民に説明する責任を果たすべきであろう。

イラク参戦についてのいくつかの教訓がある。

日本は、アメリカの従属国の姿勢を露わにして、アメリカの参戦を支持した。しかし、イギリスやイタリア、ポーランドのごとく、多国籍軍の一員とはならなかった。自衛隊の派遣は、破壊されたイラクの国家再建を支援するためとされ、戦闘には参加していない。イラク派兵の根拠法となった「イラク特措法」のフルネームは、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」という。人道復興支援活動の名目でなくては海外派遣はできない。これは、憲法9条が生きている証しである。自衛隊を合憲であるとする理屈が、「自衛のための実力の保持は許される」としか言いようがない以上、他国で戦闘に参加するすることは許されない。

また、国民が熱狂するときは、理性の目が曇るということだ。戦争を支持する世論が多数だから、多数に従うべきだという短絡した結論は正しくない。現行憲法改正に法律制定以上のハードルが設定されていることは、理性を取り戻す期間を確保するために必要な智恵なのだ。

もう一つ。イラク派遣を違憲として、各地に「自衛隊のイラク派兵差し止め訴訟」が提起された。その中の一つ、名古屋訴訟において、名古屋高裁は2008年4月17日の判決で、「差し止め請求の根拠・国家賠償請求の根拠としての平和的生存権」の具体的な権利性を認めた。

同判決の平和的生存権に関する説示の骨子は以下のとおりである。
「憲法前文に「平和のうちに生存する権利」と表現される平和的生存権は,‥単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。憲法上の法的な権利として認められるべきである。そして,この平和的生存権は,‥裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。
例えば,憲法9条に違反する国の行為‥によって,個人の生命,自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ,あるいは,現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合,また,憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には,平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして,裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ,その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある」

判決は、違憲確認請求、民事訴訟としての差し止め請求、行政事件訴訟としての差し止め請求をいずれも不適法として却下し、国家賠償請求を棄却した。主文においては敗訴である。しかし、平和的生存権の具体的権利性を認めたことの画期的的な意義は大きい。ここを出発点とする可能性を展望できる。

自衛隊の海外派兵が繰り返されるとき、あるいは時の政権が好戦的な政策を採用して憲法9条に違反するときには、平和的生存権は平和を実現するための有益な手段となりうるのだ。

石原宏高議員選挙違反続報

16日「毎日」の夕刊は、「事務員がビラ配り」と見出しをつけて、以下の記事を報道している。
「石原宏高衆院議員(東京3区)が昨年12月の衆院選で、大手遊技機メーカー「ユニバーサルエンターテインメント」(UE社)から社員3人の派遣を受けた問題で、石原氏側が3人を有権者に直接働きかけのできない「事務員等」として東京都選挙管理委員会に届け、報酬を支払っていたことが分かった」「石原氏側が東京都選管に提出した選挙運動費用収支報告書によると、石原氏側は3人を「事務員等」として届け、それぞれに1日1万円(1人当たり選挙期間中計12万円)の報酬を支払った」「石原氏はこれまで『3人はボランティアで、選挙運動員としてビラ配りをしてもらった』と説明していた」

この記事は極めて具体的で、信憑性が高い。石原宏高選挙事務所の総括主宰者・出納責任者は公選法221条1項1号(運動買収)・3項(加重要件)に該当して、最高刑は懲役4年の犯罪に当たる。石原宏高議員自身が関与していれば同罪である。また、UE社から派遣された3人は、221条1項1号の被買収罪に該当して最高刑は懲役3年の犯罪となる。

選対陣営が選挙運動員に金をやって選挙運動をさせることは典型的な買収罪(運動買収)に当たり、選挙運動員が選対陣営から金をもらうことも対抗犯として犯罪に当たる。予め届け出た事務員に日当を払うことは認められているが、証紙貼りや、宛名書きなどの純粋の事務作業に限る。事務員としての届出をしておいて日当を払った者に電話の応対やビラ配りをさせたり、作戦会議に出席させるなどの選挙運動をさせれば、犯罪になる。石原陣営も、金をもらったUE社の3人も完全にアウトだ。

17日「朝日」の朝刊は、「選挙応援『勤務扱い』」という見出し。こちらの記事では、さらに悪質な石原陣営とUE社の癒着が報道されている。

「朝日新聞は、UE社内で作成された『3人は通常勤務扱いとし、残業代を支給する』などの記載がある内部文書を入手した。石原議員は疑惑発覚後、『有給休暇中のボランティアだった』として公職選挙法違反(運動員買収)の疑いを否定しているが、説明と矛盾する内容だ」という。

朝日が入手したという「選挙応援の件(ガイドライン)」と題する文書は、UE社の人事部門が作成したもので、「衆院選当日までの約1カ月間、社員3人を選挙応援として動員する」として、「対応策(ガイドライン)」7項目が列挙されている。犯罪構成要件との関係で重要なのは、選挙運動中の賃金はUE社が支払うことが明記されていること。「選挙事務所にて残業(超過勤務)等が発生した場合には、残業代を支給する」とまでされている。交通費など経費の精算の際には「現地市場調査等」という名目にするとの指示もある。

石原陣営もUE社も、口裏を合わせて「有給休暇中のボランティア」としての選挙運動であったという。カムフラージュの常套手段だ。「選挙応援の件(ガイドライン)」には、「あくまでもボランティアを募集して行わせる体裁をとる」ことが明記されている。実態が違法であることを認識していた証左といえよう。

UE社の人事担当者について運動買収罪が成立し、賃金保障で選挙運動をした3人も被買収罪が成立する。いずれも最高刑は懲役3年である。

石原候補の選挙運動をしたUE社の3人。朝日の報道ではUE社から賃金保障を受け、毎日の報道では、選対から日当を受けていたという。どうやら、二重取りだった様子。とはいえ、所詮は宮仕えの身。同情の余地はある。選挙に絡んで金をもらうことの恐ろしさが身に沁みることであろう。この3人に金をばらまいた石原選挙事務所、賃金保障をしたUE社、いずれも罪が深い。
(2013年3月19日)

第五福竜丸平和協会理事会。

本日は公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会。私は、監事として出席。
新年度の事業計画と、2012年度の決算案・13年度の予算案について、川崎昭一郎理事長からのまことに丁寧なご説明を受ける。いつものことながら、透明性が確保されていること、出席者全員に良く分かるようにとの行き届いた配慮が心地よい。多くの善意が集まって、少額の予算ながらも、反核平和の運動に大きく寄与する活動がなされていることを実感する。

石原知事が去って猪瀬知事に交替したこと、オリンピックの誘致が実現した場合の「夢の島」の変貌と展示館のあり方に話題が集まる。第五福竜丸展示館が東京都からの委託事業である以上、都政のあり方に関心を寄せざるを得ない。

ところで来年は、ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被災してから60周年に当たる。来年の春に記念シンポジウムの提案があって了承された。
コンセプトは、「ビキニ水爆実験と第五福竜丸被災の今日的な意味を明らかにし、核と人類の関係についての問題提起とする」というもの。次のようなテーマの研究発表集会になるはず。
・アメリカの太平洋核実験による世界規模のフォールアウトの実態。
・放射能の雨による被曝と漁業被害の実態。
・放射線被曝による人体への影響の解明。
・ビキニ事件と市民の平和意識の覚醒、その今日的意味。
・核兵器と原子力エネルギー利用問題。
・核と人類の未来
これから、専門家との共同作業が始まる。

また、60周年を期して、ブックレットのシリーズを刊行していくことに。
?第五福竜丸ものがたり。
?久保山愛吉さんの死と乗組員の被曝を解明する。
?木造漁船第五福竜丸に見る船大工の技
?私とビキニ事件
?第五福竜丸保存史 など。
絵本もつくろう。各地での巡回企画展を呼び掛けよう。その事業のための募金活動を成功させよう。

すがすがしい、理事会であった。

近隣諸国から日本はどう見えるのか

本日は、東京弁護士会「憲法問題対策センター」の学習会。名古屋大学の愛敬浩二さんのレクチャーを拝聴した。憲法9条についての「非武装主義的解釈の意義」というテーマ。講演後の率直な意見交換における、大要以下のような発言が印象に残った。

中国や韓国の姿勢が挑発的というご意見がありましたが、立場を代えて向こうから見れば、日本こそ挑発的ということになるのかも知れません。
同じ敗戦国で、同じく経済発展を遂げたドイツは、自国の戦争責任を徹底して償った。たとえば、西ドイツのブラント首相がポーランドを訪問し、雨の中ワルシャワ・ゲットーの前でひざまずいてナチスの犯罪に対して深い謝罪の姿勢を示すわけです。こうして、ヨーロッパの中で再びドイツが近隣と紛争を起こす国となることはあり得ないという信頼を勝ち得ているのです。しかし、日本は近隣諸国への謝罪をしてこなかった。再びアジアの脅威となることはあり得ないという信頼を勝ち得てはいないのです。
近隣諸国からそのような日本を見れば、この重苦しい時期に、先祖返りのように旧体制を象徴する人の孫を首相に据えたということになる。従軍慰安婦などはなかったと言って河野談話を破棄しようという人物を首相にすることだけで、十分に挑発的ととられることを理解すべきではないでしょうか。

まったく同感。立場を代えてものを見てみよう。きっと、ちがった景色が見えてくるだろう。北朝鮮にも、イランにも言い分はある。それに耳を傾けることからしか、相互理解も平和も築けない。

金権・金まみれの選挙運動を糾弾する

金権・金まみれの選挙運動を糾弾する

選挙とは投票日だけのものではない。有権者が投票行動を決める過程において、自由な言論戦が保障されなければならない。これが選挙運動であり、選挙運動の自由は最も重要な場における言論の自由として保障されなければならない。選挙運動の自由(戸別訪問・文書の掲示頒布)に対する権力的規制は不当な弾圧にほかならず、この弾圧はもっぱら革新陣営を対象としてなされる。

一方、選挙の公正が金の力でゆがめられてはならない。金がものを言うこの世の中で、買収・供応等の金権選挙・企業ぐるみ選挙を許してはならない。経済的な格差を投票結果に反映させてはならず、取り締るべきは当然のこと。その摘発は、もっぱら保守陣営を対象としてなされ、現実にけっこうな数にのぼっている

革新陣営を対象とする買収・供応等の実質犯の摘発事件がないのは、革新陣営には金がないからだ。多少のカンパが集まっても、法定ビラや電話代に消える。金で票を集める、金で運動員を集める、運動員に日当を出すという発想がそもそもない。まず金を集めて始める保守の選挙との根本的な違いがある。

本日の「朝日」一面のトップ記事。見出しは、「石原宏高議員側が運動員要請 UE社派遣、法抵触の疑い」とつけられている。分かりにくいが、「石原宏高議員に公選法上の買収の疑い」がある、ということだ。警察や検察が動いているという記事にはなっていないが、常識的に当局からのリークと見るべきであろう。一面トップの扱いは、朝日が、本件を摘発必至と判断したということだ。

公選法上の買収には、「投票買収」と「運動買収」との2種類がある。「投票買収」は金で票を買うという古典的な形態だが、いまどきそんな事案はほとんどない。摘発されているのは、もっぱら「運動買収」である。これは、人に金を渡して選挙運動をさせるということ。選挙運動員に金を渡せば、運動買収になって刑事責任を科せられる。

選挙が金で動かされてはならない。選挙運動とは金をもらってするものではない。この潔癖さが、保守陣営にはない。石原宏高選挙がその見本である。純粋のボランティアで選挙運動員が集まるはずはなく、金をばらまくしか運動員を確保できないのだ。

例外がないわけではない。当不当の議論は別として、純粋に単純労務を提供する者は所定の日当をもらっても良いことになっている。ウグイス嬢・手話通訳者・ポスター貼り・封筒の宛名書きなど。この人たちの名と日当額とは選管に届出ることになる。もし、この人たちが、単純労務の範囲を超えて、電話受けをしたり、ビラ配りをするなど、少しの時間でも選挙運動をすれば、運動買収(日当買収ともいう)が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となる。

朝日の報道では、
(A)「UE社は3人の社員を派遣して12月16日の投開票日まで選挙の手伝いをさせた。応援の期間、3人については、UE社が給与のほか、選挙運動で遅くなったときの宿泊代や交通費、食事代なども負担した」
(B)「石原議員側が都選挙管理委員会に届け出た選挙運動費用収支報告書には、UE社の社員3人が「事務員等」と記載されている」
(C)「石原議員側からUE社役員に選挙を手伝う社員を出すよう依頼があった」という。
これを、金権体質の金まみれ選挙という。

(A)の文脈における「UE社」側の行為は、公選法221条1項1号の「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をした」に当たり、買収罪として最高刑は禁固3年の犯罪となる。また、「UE社」から派遣された社員3名は、同条1項4号の「第1号の金銭の供与を受けた」にあたり、同じく最高刑は禁固3年となる。

(B)の文脈における刑事責任は、これだけでは判然としない。労務提供の事務員としての登録者に選挙運動をさせていたということのようだが、石原陣営からの金銭の供与がともなっていれば、選挙運動を総括主宰した者あるいは出納責任者の刑事責任が生じ、最高刑は懲役4年となる。

(C)の文脈では、「UE社役員に選挙を手伝う社員を出すよう依頼をした」という石原議員側の人物に刑事責任が生じる。221条1項6号の「前各号に掲げる行為に関し周旋又は勧誘をしたとき」に当たるか、あるいは依頼行為が教唆罪(刑法61条1項)に当たるからである。
石原議員自身が「周旋又は勧誘をした」とされる場合には、候補者であるが故の加重要件に該当して最高刑は懲役4年となり、有罪の確定と同時に公民権の停止も行われて議員資格を失う。選挙運動の総括主宰者あるいは出納責任者が有罪になった場合にも、連座制の適用によって石原議員の資格が剥奪される。

選挙運動は金をもらってやるものではなく、選挙運動者に金を渡せば、渡した方も受けとった方も犯罪なのだ。また、当然のことだが、「法律を知らなかった」は言い訳にならない。アルバイト募集に応募したところが選挙運動をさせられ、結局有罪になったという気の毒な実例もある。「UE社」側のみならず、派遣社員の有罪も動かしがたい。

石原議員とUE社の行為を「このくらいのことで、金権・金まみれの選挙というのは大袈裟ではないか」「懲役・禁固は厳しすぎるのでは」という意見もあるだろう。しかし、金の力で選挙の公正をゆがめてはならないとする公選法の理念を理解しない者の謬見と斥けざるを得ない。飽くまでも、選挙運動とは、個人が無償で行うべきものなのだ。企業の出る幕はなく、金をもらってする選挙運動はないものと知るべきである。

自民党改憲草案の全体象と96条改正

本日は、ネットテレビ(IWJ)での自民党改憲草案批判の鼎談。これが4回目。準備不足ではあるが、しゃべっているうちに考えが整理されてくる。

日本国憲法の理念は3本の柱にたとえられます。国民主権、基本的人権の尊重、そして恒久平和主義。この3本の柱が、立憲主義という基礎の上にしっかりと立てられています。堅固な基礎と3本の柱の骨組みで建てられた家には、国民の福利という快適さが保障されます。いわば、国民のしあわせが花開く家。それが現行日本国憲法の設計図です。

今、自民党の改憲草案は、そのすべてを攻撃しています。

(1) まず、基礎となっている立憲主義を堀り崩して、これを壊そうとしています。つまりは、憲法を憲法でなくそうとしているということです。国家権力と個人の尊厳とが厳しい対抗関係に立つことを前提として、個人の尊厳を守るために国家権力の恣意的な発動を制御するシステムとして憲法を作るという考え方が、近代立憲主義。これをねじ曲げて、国民に憲法尊重の義務を課し、あるいは国民にお説教をする憲法に変えてしまおうという意図がありありです。

(2) 3本の柱のどれもが細く削られようとしています。腐らせようとされているのかも知れません。
?まずは、「国権栄えて民権亡ぶ」のが改正草案。公益・公序によって基本的人権を制約できるのですから、権力をもつ側にとってこんな便利なことはありません。国民の側からは、危険極まる改正案です。
?9条改憲を実現して、自衛隊を一人前の軍隊である国防軍にしようというのが改正案。現行法の下では、自衛のための最低限の実力を超える装備は持てないし、行動もできません。この制約を取り払って、海外でも軍事行動ができるようにしようというのが、改正草案の危険な内容。
?国民と主権を争う唯一のライバルが、天皇という存在です。その天皇について、「日本国は天皇を戴く国家」とするのが改正草案前文の冒頭の一文。第1条では、「天皇は日本国の元首」とされています。現行憲法に明記されている天皇の憲法尊重・擁護義務もはずされています。恐るべきアナクロニズム。

(3) その結果として大多数の国民には住み心地の悪い家ができあがります。とはいえ、経済的な強者には快適そのものなのです。自分たちの利潤追求の自由はこれまで以上に保障してくれそうだからです。日本国憲法は、経済的な強者の地位を制約し弱者には保護を与えて、資本主義社会の矛盾を緩和する福祉国家を目標としました。今、政権のトレンドは新自由主義。強者の自由を認め、弱肉強食を当然とする競争至上主義です。自助努力が強調されて、労働者の労働基本権も、生活困窮者の生存権も、切り詰められる方向に。

臆面もなくこのような改正案を提案しているのが、安倍自民党です。かつての自民党内の保守本流とは大きな違い。おそらくは、提案者自身も本気でこの改正案が現実化するとは思っていないでしょう。しかし、96条の改正手続条項の改正だけは、現実に改正まで漕ぎつけたい。そう思っているにちがいありません。

憲法改正のハードルを低くし、一度改憲の実績をつくってしまえば、そのあとは本格改正に道を開くことができる。あわよくば、9条改憲まで。96条の改正は、内堀を埋めるようなもの。本丸の落城が危ぶまれることになりかねません。その意味で、96条の改正問題は重要だと思います。

96条改正だけを見るのではなく、96条改正のあとに押し寄せようとしている大津波を警戒されるよう訴えます。

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