宇都宮君と「人にやさしい東京をつくる会」のだまし討ちでみごとに討ち取られ、リベンジの「宣戦布告」をしてから10日が経った。「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のシリーズも、今日が「その10」である。
私は、10日前に、「自ら反みて直くんば、千万人と雖も吾往かん」(孟子)という、やや高揚した気分でルビコンを渡った。これまで付き合ってきた仲間からの孤立無援も、あるいは袋叩きも覚悟したうえでのこと。しかし、10日経って、「ルビコン」の対岸の景色もさして変わらぬことを知って、少し大袈裟だったかと苦笑している。
私がこのような形で、ルビコンを渡る決断をしたについては、河添誠さん(首都圏青年ユニオン)の発言に負うところが大きい。
彼は、12月20日の、だまし討ち決議をした会議の席(「人にやさしい東京をつくる会・運営会議」)で、私にこう言っている。
「澤藤さん、あなたはいいよ。しかし、息子さんのことを本当に考えたことがあるのか。これから先、運動の世界で生きていこうと思ったら、そんなこと(会と宇都宮君の責任の徹底追及)をやってどうなると思う。よく考えた方が良い」
「それは恫喝か」「いや忠告です」「君がそのように言えば、君の人格が、君の言葉を恫喝にしてしまう。私には恫喝としか聞こえない」。これが最後の会話。私は、このときに、ルビコンを渡らねばならないと決意した。
河添誠さんの類似の発言は以前にもあった。総合して、彼の発言内容を、私はこう忖度した。
「ここに出席している運営会議のメンバーは、みんなそれぞれの革新的な政党や政治勢力あるいは民主運動、さらには民主的なメディアまでを背負っているのだ。その大きな革新・リベラル勢力の結集体として、『やさしい会』があり、宇都宮選対がある。この会や選対に刃向かった場合には、革新・リベラル勢力全体を敵に回すことになる。そうすれば、あなたもあなたの息子も、この世界では大手を振っての活動できなくなる。あなたは老い先短いから、もう活動ができなくなってもよかろうが、将来ある身のあなたの息子さんについてはそれでよいとは言えないはずだ。息子のためを思って、会に刃向かうような愚かなことをしない方が良い。それでも、やるというなら、こちらも総力をあげて対抗して、思い知らせてやることになる」
発言者は河添誠さんただひとり。しかし、その場で彼をたしなめる者はなかった。私が感得したのは、議長を務めた宇都宮君を初めとするその他の出席者全員の暗黙の了解。そうか、そんな「会」なら、そんな宇都宮選対なら、私も覚悟を固めて徹底してやらなければならない。腰の引けていた私だったが、ようやくこれで決意ができた。はやり言葉で言えば、このときにようやく「倍返し」を決意した。
宇都宮君は、12月28日の「出馬意向表明記者会見」で、「今度はリベンジだ。倍返しで200万票を目指す」と言ったと聞く。しかし、倍返しの使い方を完全に間違えている。ドラマ「半沢直樹」が視聴率を上げ「社会現象」にまでなったのは、企業社会において不当な圧力に忍従を強いられているサラリーマン階層の共感を得たからだ。「倍返し」とは、サラリーマンだけでなく、この社会で不合理に鬱屈している弱者が夢みる、空想の抵抗の構図。こうあって欲しいというその願望の結実なのだ。だから、「倍返し」「リベンジ」を君が口にするとしらける。私こそ、君に、いや君が象徴した「運動の世界の不合理」に、「倍返しでリベンジ」をしなければならない。
従業員の人間としての矜持を圧殺するのがブラック企業だ。その伝で言えば、ブラック官庁、ブラック病院、ブラック学校、ブラック教室…、至るところにブラック集団がある。宇都宮選対はブラック選対であり、さしずめ悪口雑言を得意とする河添誠さんはその労務担当という役回りだった。
***********************************************************************
私は、騙し討ちは嫌いだ。騙し討ちされるのが不愉快極まることは当然として、騙し討ちすることも性に合わない。私が、このブログで述べていることは、突然に言い始めたことではなく、事前に宇都宮君や選対メンバーには伝えてあることばかり。とりわけ、会の代表である中山武敏君には、電話で何度も伝えている。しかし、結局は、彼らが私の指摘を重大視することなく、何の対応をすることもなかった。
昨日お伝えした宇都宮君自身の選挙違反(運動員買収)の事実については、選挙が終わってしばらく、私は知らなかった。このことを私が知ったのは、岩波書店と熊谷伸一郎選対事務局長との関係を問題にしようとした際に、偶然宇都宮君自身から聞かされてのこと。
今年の2月のある夜。宇都宮君の法律事務所の一室で、会合があった。その席上、私は、熊谷伸一郎(岩波書店従業員)事務局長に質問した。
「あなたは、1か月も選対に詰めていたが、岩波からは有給休暇を取っていたのか」
既にこの頃は、私と他のメンバーとの亀裂は大きくなっていた。彼は、警戒してすぐには回答しようとしなかった。
「どうして、そんなことを聞くんですか」
私は、こう言った。
「たとえば、東電が自分の社員を猪瀬陣営の選挙運動に派遣して働かせたとする。有給休暇を取っての純粋なボランティアならともかく、給料を支払っての派遣であれば、まさに企業ぐるみ選挙。私たちは黙っていないだろう。それが味方の陣営であれば、あるいは岩波であれば許されると言うことにはならない」
このとき血相を変えんばかりの勢いで私を制したのが、高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)さん。
「澤藤さん、そんなことを言うものじゃない。岩波と熊谷さんには、私たちがお願いして事務局長を引き受けてもらったんじゃないですか。その辺のところは、澤藤さんもご承知のはず。今ごろそんなことを言っちゃいけない」
助け船に勢いを得て、熊谷伸一郎事務局長(岩波)は「大丈夫ですよ。私は有給休暇をとっていましたから。それに、ウチはフレックス制ですから」と言っている。
思いがけずに、このとき続いて宇都宮君が発言した。その発言内容を明確に記憶している。
「えー澤藤さん。岩波が問題なら、ボクだっておんなじだ。ボクも、事務所の事務員を選対に派遣して選挙運動をお願いしたんだから」
これには驚いた。本当は、続けて発問したかった。いったい何人を派遣した? 誰を? いつからいつまで? 選挙運動って具体的にどんな仕事だったの? 賃金はいくら払ったの? 勤怠管理はどうしたの?…。しかし、制されて私は黙った。これ以上、彼らを刺激したら、大河(わたしの息子)と、とばっちりを受けたTさんの権利救済(名誉回復)の道は途絶えてしまうと考えてしまったからだ。
もちろん、私は、岩波書店従業員の熊谷伸一郎事務局長が、有給休暇をとって選挙運動にボランティアとして参加したとは考えていない。入社3年目の従業員が、あの時期にまるまる1か月の有給休暇が取れたはずはないからだ。また、彼が、真に有給休暇をとっていたとすれば、フレックス制に言及する必要はない。自ら有給休暇を取ってはいなかったことを自白したに等しい。なお、請負制の個人業者であればともかく、フレックスタイム制の従業員であったことが、公職選挙法違反を免責することにはならない。岡本厚岩波書店現社長も、選対メンバーのひとりである。熊谷伸一郎事務局長に便宜が図られたのであろうと考えている。
以上の経過のとおり、宇都宮君の選挙違反の事実は、彼自身の口から語られたもの。おそらくは、違法性の意識はなかったのだろう。しかし、この件での違法性の意識の欠如が故意の欠缺の理由にも責任阻却事由ともならない。犯罪の成立には何の影響も及ぼさない。
また、違法性の意識の可能性の存在は否定のしようもなく、疑うべくもない。宇都宮君は法律家だし、日弁連の会長までした身だ。法律を知りませんでした、というみっともない言い訳が通用するはずもない。
しかも、宇都宮君、君は革新統一の要の立場に立とうとしている。そのためには、極めて高い水準でのコンプライアンスの徹底が求められるのだ。君は既にその資格を失っている。
なによりも私は、選挙運動に派遣された君の法律事務所の事務員の方を気の毒に思う。君は、きちんと謝罪をしただろうか。彼/彼女らは、君の指示に従うしか術のない弱い立ち場だ。君は、その人たちに公選法違反の行為を指示したのだ。事務員の方には、君の指示を拒否する期待可能性がなく、犯罪が成立することにはならないだろう。また、捜査機関の君に対する訴追の可能性はともかく、事務員の方たちに及ぶ現実性はない。是非、そう説明してあげていただきたい。わたしの息子に対してしたような「忘恩」の態度ではなく、人への優しさを示していただきたい。
君が、再びの立候補をすれば、問題は再燃する。いろんな人に迷惑がかかる。それだけでなく、君の廉潔性の欠如は、到底革新統一候補にふさわしくない。だから、宇都宮健児君、都知事選への立候補はおやめなさい。
(2013年12月30日)
***********************************************************************
「宇都宮君立候補をおやめなさい」の件に関して、宇都宮君の立候補断念を確認するまで、私はこのブログだけで発言を続ける。ブログ以外の場所で発言するつもりはない。
今のところ、唯一の例外が下記の集会。主催者の強い要請があって、15分間時間厳守の「特別発言」をすることになった。これも、主催者の要請があって、当ブログに企画の広告を掲載する。
記
「活憲左派の共同行動をめざす会」発足記念集会
時 2014年1月19日午後1時30分開会
所 文京シビックセンター(後楽園)3階 A会議室
記念講演:伊藤誠さん 「日本経済はどうなるか?」
特別発言:澤藤統一郎 15分
参加費 700円
宇都宮君、今日はほかならぬ君自身の、公職選挙法違反の事実(運動買収罪)を指摘する。正直なところ、やや気が重い。しかし、やはり指摘しなければならないと決断した。今日指摘する君の行為は、徳洲会や石原宏高陣営が行った違反行為と変わらないのだから。
本日の赤旗が、君の「都知事選への出馬の意向を表明」を伝えている。奇妙なことだが、誰の推薦とも書かれていない。「人にやさしい東京をつくる会」の名さえまったく出てこない。昨年は、有識者40氏の声明を先行させて、候補者選定手続の正当性にそれなりの心配りをしたが、今回はそれもない。君の立候補によって、革新・リベラル陣営が、反石原・猪瀬、そして反改憲・反安倍・脱原発の勢力結集に、適任の候補者を探し出そうというプロセスが抑え込まれようとしている。「推す人もなしの出馬の意向」は、とにもかくにも「自分が出たい」という君の気持ちだけがぎらついて、他の候補者選びへの牽制の意図が見苦しい。
本日の赤旗は、共産党の宇都宮支持を報じてはいない。「政策を支持していただけるすべての団体、政党に支援を訴えたい」という君の言を紹介するだけだ。君は、これから政策を作って「この指とまれ」と声を上げるつもりのようだ。どなたが政策を作るのかは知らないが、その政策を実現するにふさわしい有能で魅力ある別の候補者を捜すべきではないか。
少し驚いたのは、君が記者会見で、「徳洲会からの5000万円裏献金疑惑について徹底解明し追及していく」と表明したとか。ほんとに、そんなことが君にできることなのか。君にそう言う資格があるのか。省みて、疚しいところはないのか。
同じ赤旗の別のページに、維新関連の不祥事が3件報道されている。一見すると「軽微」な事件、しかし、さすがに赤旗は政治がらみの違法に関する事件はきちんと報道している。
私は、選挙制度を大切に思っている。公選法の弾圧法規としての部分には断固反対し闘ってきたが、選挙の公正を確保するための公選法の規定は、大切にし、これを武器として保守陣営の金権政治の横行と闘ってもきた。
この点に、ダブルスタンダードがあってはならない。私は、自分のブログで、誰よりも熱心に、石原宏高を叩き、徳洲会を叩いてきた。宇都宮君、君の選挙だから例外というわけにはいかない。とりわけ、革新陣営には、高度な廉潔性、清廉潔白性が求められる。都知事選の候補者たらんとする革新統一候補となればなおさらのことだ。
ところが、君には廉潔性が欠けている。それどころではない。今日の赤旗が報道している事件と同列の疑惑がある。君が立候補の意向を表明したというのだから、そのことを指摘せざるを得ない。そして、まだ、宇都宮君を推すとは決めていない、各政党や政治勢力、各民主団体、そして選挙運動に参加しようという志をもつすべての市民に、警告を発したい。宇都宮君を推すことは、私が指摘するリスクを引き受けることになる、それでも敢えて宇都宮君を推すのかどうか。
本日の赤旗が報道する維新関連不祥事3件のうちの1件は、松井一郎大阪府知事が「政治資金収支報告書に、自分の会社からの『寄付』を記載しなかったこと」について告発された事件の不起訴の報道。これは、松井の政治団体への単純な金銭寄付の報告書不記載ではない。松井が経営する電気工事会社から二人の社員(秘書)が、政治団体の職員として派遣されていた。二人の給与全額は派遣元の電気工事会社から支払われていた。この、「給与相当分を寄付金として記載しなかったこと」が政治資金規正法違反に当たるとして市民団体から告発されたもの。その告発を支える法解釈は総務省見解に基づいてのものだ。不起訴の理由は「嫌疑不十分」だが、何がどう不十分だったのかは報道ではさっぱり分からない。
松井は、自分が経営する会社の社員を、自分が主宰する政治団体の職員として派遣して使ったのだ。松井の頭の中では、会社も政治団体も、自分が主宰し金を出しているのだから、何の区別もないのだろう。このことが良識ある市民からの大きな批判となった。松井の告発代理人には、私もなったし、宇都宮君もその一員だったではないか。
労働契約にだけ拘束される立ち場の労働者が、使用者の政治的立場を押し付けられてはならない。会社の従業員が、社長の主宰する政治団体に派遣や出向をさせられてはならないのだ。そのような事実があれば、きちんと事実関係を追跡することができるように、透明性が確保されなければならない。政治資金規正法による報告書に記載の義務がある。政治団体に派遣された「秘書」の給与相当分の報告書不記載は、単なる形式犯ではない。
問題は、この労働者の派遣先が、一般的な政治団体の活動ではなく、具体的な選挙運動となった場合のこと。このばあいには、公選法に明確に違反する犯罪「運動員買収罪」が成立する。派遣元も、派遣された労働者も、処罰対象となる。宇都宮君、君には心当たりがないか。保守陣営は汚い、違法を繰り返してきたと、我々は告発してきた。君には、その先頭に立つ資格があるか。
徳洲会は強く批判されている。君が追及するという猪瀬は、その徳洲会から金をもらっている。さて、その徳洲会とは何をしたのだろうか。
昨年12月の衆院選で、徳洲会は傘下の病院職員を鹿児島2区の選挙運動に送り込んだ。「徳洲会では選挙は業務が当たり前。ある意味、本業の医療より優先される」との職員談話も報道されている。病院職員が、労働契約上は生じ得ない選挙運動業務に動員されているのだ。
おそらくは、徳田虎雄の頭の中は、病院職員は自分の子飼い、医療をやらせようと選挙運動をやらせようと同じ賃金を支払っておけば何の問題があるものか、というものであろう。しかし、選挙運動は、無償でなくてはならない。病院職員としての賃金を支払いながら、選挙運動をさせれば、典型的な運動買収罪(公選法221条1項)に当たる。強制性が問題なのではない。無償原則違反が問題となるのだ。
そこで、脱法のためのカムフラージュが必要となる。この種のカムフラージュの常套手段は、「欠勤の扱い」か「有給休暇の取得」かのどちらか。まったくのボランティアとして自主的に、無償で選挙に参加したという形づくりが必要なのだ。徳洲会では、「欠勤による給与の減額分は賞与で加算支給するほか、1日3000円の日当が賞与に上乗せする形で支払われていた」と報道されている。つまりは、形だけの「無償の選挙運動」の体裁をとりながらも、実質において選挙運動に対価を支払うことが、犯罪とされているのだ。
徳洲会と言えども、脱法の形づくりくらいはやっている。宇都宮君、君の場合は、どうだったろう。君は、雇傭している複数の事務職員を選対事務所に派遣していなかったか。何のカムフラージュさえもなくだ。君の頭の中も、松井や徳田と同じように、自分の法律事務所の事務員なのだから、選挙運動をさせたところで何の問題もない、というものではなかったか。君の指示に従わざるを得なかった職員の方をまことに気の毒に思う。君の罪は深い。
事態を飲み込めない人のために、解説をしておこう。公職選挙法221条1項は、「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき」というのが構成要件となっている。分かりやすく、抜き書きをすれば、「選挙運動者に対し金銭(この場合はいつものとおりの給与)の供与をしたとき」は、運動員買収として犯罪なのだ、選挙運動はあくまで無償が原則、「いつものとおり賃金は払うから、選挙事務所で働いてきてくれ」というのは、運動員に対する金銭供与として、この条文の典型行為としての犯罪に当たるのだ。
徳洲会側が運動員買収の犯罪主体となった場合は、最高刑は3年の懲役。しかし、候補者本人が犯罪主体となった場合は、「4年以下の懲役・禁錮又は100万円以下の罰金」となる。宇都宮君、君は大丈夫か。徳洲会とは規模が違う、ことはそのとおりだ。しかし、徳洲会よりも人員も金額も少ないから問題がない、ことにならないことはお分かりだろう。
話題となった最近の類似事案として、2010年7月の参院選に民主党公認で立候補して落選した野村候補の事件がある。候補者自らが経営する不動産会社の複数従業員に給与を支払う約束をして投票依頼の電話をかけさせた。これが公職選挙法違反(選挙運動報酬約束罪)に当たるとして、起訴され一・二審とも有罪となり、最高裁でも上告棄却で確定した。給与相当額の金銭は合計70万2664円であったが、供与の約束だけで支払いはされなかった。それでも逮捕され、勾留され、有罪になった。運動員買収では、小林千代美衆院議員、後藤英友衆院議員の実例もある。
もちろん、すべての違反が摘発されるわけではない。このまま、公訴時効が完成する可能性は高いと思う。しかし、それまで君はそのリスクを抱えたままでいなければならない。万が一にも、当選したときには、君が「百条委員会」で脂汗を流すことになろう。3年連続の都知事選という悪夢ともなりかねない。君を推した政党や市民にも、迷惑をかけることになる。
なによりも、革新の候補者は清新で、高度の廉潔性を要求されるのだ。その点、君はまったく不適格。だから、潔く、立候補をおやめなさい。
(2013/12/29)
本日の毎日朝刊に、「宇都宮氏出馬へ」の記事がある。「支援者らは26日に対応を協議。別の候補者擁立を探る意見も出てまとまらなかったが、宇都宮氏が他陣営に先駆けて出馬表明を決断した」とやや奇妙なニュアンスを伝えている。推す人がなくとも、君は出たくてしょうがないようだが、みっともない。立候補は辞めたまえ。
昨年の選挙では、誰よりも強く君を支持し、家族を上げて、君を「素晴らしい候補者だ」と言ってまわった私だ。その私が、君には都知事候補としての資格がないと言っている。昨年の惨敗を繰り返すだけだから出ても無駄だ、と言っているのではない。もっと積極的に、きみは出るべきではない、と言っているのだ。その理由は、今日で8回目となるこのブログに綴っているとおりだ。このブログは終わらない。君が立候補を断念するまで、私は書き続ける。
もしかしたら、君は、批判の風当たりを強く受けている「上原公子選対本部長・熊谷伸一郎事務局長(岩波)」体制を清算し、新しい選対体制で再出馬することによって批判を避けうる、とでも思っているのかも知れない。しかし、それは間違っている。問題は、君自身の資質、能力、そして法的リスクにある。君が、立候補を断念することが最も賢明なことなのだ。仮に君が当選したとして、再びの百条委員会や、3年続けての都知事選は悪夢だ。
また、もしかしたら君は、裏交渉で、各政党や政治勢力に、それなりの支持の感触を掴んでいるのかも知れない。しかし、まだ正式に君を支持すると名乗りをあげたところはない。正式支持の表明まで、私のブログはあらゆる事実を提供し続ける。裏の約束が、表のものになる保障はないとお考えいただきたい。
私は、君を誹謗する立場にはない。消費者問題弁護士群の一員として君が真面目にやってきたこと、反貧困問題に足を踏み出したことは評価している。生涯、そのような立ち場でコツコツとやるのが君に似合っている。革新統一の都知事候補は、君の柄ではない。
君よりも、遙かに有能で、魅力に富む、適格な候補者はたくさんいるだろう。君は、そのような人選に汗をかくべきだ。そうすれば、私は君を見直す。ところが君は、早期に立候補表明をすることで、幅の広い革新統一の候補者選びを邪魔しているのだ。是非とも、立候補はおやめなさい。そして、出馬宣言もおやめなさい。
本日が、私の息子・大河の(おそらくは)最後の報告である。
**************************************************************
宇都宮健児さんと宇都宮選対に対して、一昨日・昨日と続けて批判の文章を公表した。しかし、思いの丈を書き切ってはいない。多くの人の目に触れることを意識した自制が働いている。
私も法曹を目指す者として、名誉毀損や侮辱の構成要件は心得ている。民事上の損害賠償請求権の要件事実についてもだ。受けとりようによっては辛辣な批判となっているかも知れないが、人格攻撃は避けている。けっして、批判されている者の社会的評価をおとしめることを目的としているわけでもない。
あくまでも私は、宇都宮さんについては、都知事という公職の候補者してふさわしい能力や姿勢をもっているかを問題にし、また、選対については、革新統一の選挙を担うに足りる能力や適格性を問題視しているに過ぎない。
仮に、私の文章の中に「公然と事実を摘示して」、外形的には「人の名誉を毀損」する部分があったとしても、摘示した事実は公共の利害に関する事実にかかり、事実摘示の目的はもっぱら公益を図ることにあり、摘示した内容は真実なのだから、当然に違法性はない。そもそも、言論は自由であり、とりわけ公職に就こうとする者についての批判が封じられてはならない。
私の指摘の事実はすべて、東京都知事選という巨大な自治体の選挙に関することであって事実の公共性は当然に認められる。有権者に正しい情報を提供して、次の都知事選挙に臨んでもらいたいという私の目的は、もっぱら公益を図ることにある。そして、何よりも摘示の事実として真実以外のことは語っていない。
以上の枠を意識しての私の文章の内容であるから、どうしても自制せざるを得ない部分がある。すべては真実であって誇張はない。むしろ、筆を抑えての報告である。
****************************
不当な任務外しに対する権利救済をめぐって
2012年12月11日夜不当に任務を外された私は、上原・熊谷両名に対し、解任の経緯の確認と理由を尋ねる何通かの公開質問状を作成し発送した。今に至るもこれに対する応答は一切ない。その内容は、当ブログにおいおい発表されるだろう。
なお、私は、この公開質問状を多くの関係者に見てもらおうとした。ところが、私の解任直後、投票日を迎えないうちに、全く事前の告知のないまま、私は選対のメーリングリストから排除されていた。私は、随行員としての任務の剥奪だけでなく、選対に結集する運動員としても排除されたのだ。これは理解に苦しむ。彼らが自分たちのしたことを、理由のある正当なことだと考えているのであれば、私の批判を恐れたり、発言の場を奪う必要はない。一切の批判を封じようという、露骨な姿勢を見せつけられた思いだった。
宇都宮候補の政策に共鳴し、選挙に協力したいと結集してきた者を、選対本部長と事務局長が追い出し排除することができるのだろうか? かつて安倍政権はその論功行賞による露骨な仲間内人事で「お友だち内閣」と揶揄された。宇都宮選対は、多くのボランティア参集者を排除した「お友達選対」になっていたというほかない。しかも、選対本部長や事務局スタッフについては、仲良く選挙カンパの分け前に与ってのことだ。
私は、選挙で知り合った知人に問題を知らせた。多くの知り合いから、選対の体質に批判的な意見が寄せられた。恣意的な人事、各党派に対する不平等な対応、要請に対して意図的とも思える無視や放置など、私に起きたことは氷山の一角だったことが少しずつ明らかになった。
宇都宮さんは、私とTさんが訴える、随行員外し事件の解決を約束した。しかし、積極的に動こうとはしなかった。問題解決の場を作ることは大変難航したが、私の父が運営委員として強く求めたため、渋々とではあったが、2013年2月28日に、1時間だけ事情聴取の場が作られることになった。この時点で父に友好的な運営委員は既に誰もおらず、父もまた「外部」の人と認識されていた節がある。結局、「内部」から自主的な解決の動きはなかったといってよい。
しかし、この事情聴取は到底公正・公平な形をもったものではなく、公正・公平な運用もされなかった。そもそも、宇都宮さんと宇都宮選対に、公正さを求めたこと自体が間違っていたのだ。
不当な解任劇の一方の当事者は解任された私とTさんであり、他方当事者は解任した上原選対本部長・熊谷事務局長ということになる。
一応公平な問題解決の場を作ろうとするのであれば、当事者以外の者が、両当事者の話を聞いたうえで事実を確定し、裁定する必要がある、というのが常識的な考えになろう。
しかし、私や父の、「当事者を除いた公正な「三面構造」の形をつくるべきだ」という要求は通らなかった。「そんなことをしたら、会が不当な解任を認めたことになる」と信じがたい発言をした委員(高田健)もいた。何が起きたのか、真摯に事実を解明しようという態度ではなく、不当な事実はなかったという結論の決めつけがそこにはあるだけだ。 父を除く全ての運営委員が、そのような仕組みに賛成し、あるいは反対しなかった。しかも、その場での発言内容は一切秘密であり、外部で話さないことを条件とされた。私はこの条件を拒否した。市民に開かれた選対が、選対が批判にさらされている点について秘密にするなど、自己矛盾としかいいようがない。父以外の出席した全ての運営委員が秘密にすることに賛成した。
私はこのような事情聴取そのものを拒否したかったが、「どんな形でも、訴えを聞いてもらった方が良い。中には、真面目に耳を傾けてくれる人もいるはず」という父の説得を一部分受け容れた。結果は、父の判断が甘かったことを示している。
結局は、上原・熊谷が当事者でありながら事情を聴取する側にいるという、糾問的なお白州状態となった。政府や政権党の秘密主義を批判し、特定秘密保護法に反対するかのような態度を示しつつ、自らが小さな権力を持てば、すぐに秘密にしたがる運営委員の体質と宇都宮さんの人間性は強く批判されなければならない。
私とTさんは解任された当事者側からの事実主張を1時間ほど行った。
その間、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店)は、机を叩いて立ち上がり、「侮辱だ!撤回しろ!」と私を罵倒したり、川添誠(首都圏青年ユニオン)運営委員は、「げす!げす!」と大声で怒鳴り続け、さすがに中山武敏代表にたしなめられるほどの醜悪さだった。
なるほど、この場は、選対に批判的な者をこのように罵倒するための場であり、罵倒したことを秘密に保ちたいからこそ秘密を要求したのかと、腑に落ちた。
私とTさん、そして事情を知る立ち場にあって、私が要請した証人のお二人が発言した段階で、私とTさんは退席した。私は、不当な質問があった場合や、運営委員会の在り方について疑問を持った場合に、それを公開する権利を留保することを譲れないとしたが、それが受け容れられなかったからである。
結局、その場で事実の解明も裁定もなされず、宇都宮さん・中山代表・上原選対本部長に解決方法を一任するという確認がなされた。一方当事者である上原に解決を一任しても何の意味もないことは明白だが、私はそれでも、間に入ると明言した宇都宮さん・中山代表を信じて、ずっと待ち続けた。
宇都宮さんの「何とかする、このまま放置はしない」という言葉を私は重く受けとめた。いやしくも彼は、信用を職業上の生命とする弁護士である。その弁護士が一度口にした以上、解決まではできなくとも、何らかの提案はなされると期待した。それができなくても少なくとも報告くらいはあるだろう。
ところが、ほぼ10か月が経過し、何も解決されないまま、猪瀬辞任、再選挙という運びとなった。問題は今に至るも放置されたままであり、責任の所在は明らかにされていない。それでも、会は再び邪魔者を排除して動き出そうとしている。
私は、これだけの手順と時間をかけ、選対や運動の内部での解決を訴えてきた。なんらかの解決の提案が約束されていたのに、それが反故にされてしまったのだ。
もう、黙っている必要はないだろう。外に向かって、事実を明らかにしてもよいだろう。
多くの人が結集し運動をすすめるうえで、意見が異なることがあるのは、当然のことだ。その解決は面倒でもじっくりと話し合うしかない。
宇都宮選対は、この解任劇の収拾程度の些細な問題について、意見の違いがある場合に、話し合うことをせず、多数派を批判する少数派を罵倒して追い出すことしかできなかったのだ。このような選対が、意見の相違のある都政の政策問題について、じっくりと話し合うことができるだろうか。わたしは、この選対には、幅広い都民の結節点となり、都知事選を勝ち抜く能力はないと思う。
積極的に私を排除する策動をした上原公子(前国立市長)・熊谷伸一郎(岩波書店勤務)・服部泉(東京プロデュース)・川添誠(首都圏青年ユニオン)、「お白州構造」に賛成し秘密会にするべきだと主張した高田健(市民運動)、その場では黙って何も発言しない海渡弁護士、調整のできない会の代表中山弁護士、運営委員の誰もが話し合いで問題を解決する姿勢も能力もない。
なによりも、解任直後には、私に、「随行員としての任務執行に何の問題もない」、「よくやってくれた」と言っておきながら、手のひらを返して、私の「コミュニケーション能力に問題があった」とした卑怯な宇都宮弁護士には、怒りを禁じ得ない。不足していたのは、前言を翻すことをためらわないあなたの良心と誠実さである。
選対も候補者も、選挙を担う能力も資質もない。
一般社会の常識に従い、丁寧に事情を聞き取り、一人の人間として尊厳を認めたあたりまえの対応がなされていれば、私もここまで態度を硬化させることはなかっただろう。
不当な解任までのあの一ヶ月間、ほぼ全生活を選挙に専念し、家族よりはるかに長い時間を共に過ごした私に対して、宇都宮さんから、一言のねぎらいも感謝の言葉もなかった。
端的に言って、宇都宮さんは人にやさしい弁護士ではない。弱者の側に寄り添おうという基本姿勢がない。不当な扱いを受けたと訴える人の気持が理解できない。真剣にその人の言い分に耳を傾けようという、人権を大切にする弁護士としてのひたむきさに欠ける。
彼には、同調圧力の中で、いじめの一端を担ったという自覚がないのだろうか。クレサラ問題、反貧困運動など彼の取り組んできた運動において、関わってきた社会的弱者に、これまでどういう態度で接してきたのだろうか。
そういえば、選挙期間中、彼に救われたと感謝して応援に駆けつけた人を一人も見ることはなかった。
(2013年12月28日)
昨日に引き続いて、本日も2部構成。第1部が、宇都宮選対に参加して不当な「任務外し」を経験した、澤藤大河(澤藤統一郎の息子)の執筆による報告。
そして、第2部が安倍首相の靖国神社参拝への、昨日とは別の切り口。興味をもってお読みいただけるように、工夫をしたつもり。是非お読みいただきたい。
**********************************************************************
宇都宮選対の体質と無能力について
・スケジュール管理の問題
昨日述べたとおり、宇都宮選挙での私の任務は候補者のスケジュール管理だった。
候補者の予定は多岐にわたる。主なものとして、各種支援団体への挨拶、マスコミへの取材協力、テレビ局での収録、運動を行っている団体と共に現地の視察、各種集会での幕間挨拶、そして街頭宣伝などがある。
この候補者スケジュールの設定に大きな問題があった。まず、「貴重な」宇都宮候補の身柄の時間的分配をどうするのかその基本的な原則がない。それだけでなく、意思決定の手続のあり方が全くわからない。
多くの団体・個人が集会を企画し、宇都宮さんに参加してほしいという要望を選対に寄せてきた。確かに、この全てに参加することはとてもできない。しかし、少なくともどういうルールで宇都宮さんが参加するのか原則の公開と、個別的にどのような理由で参加できないのかを誠実に説明することは最低限のマナーとして絶対に必要であった。しかし、現実には、選対は参加要請にきちんと返答することもなく、「メールしたのに返事がない」「返事を約束しておきながら、すっぽかしだ」という苦情が絶えず、宇都宮さんに同伴している私にも多くの方が不満が訴えられ、選対へ伝えるように依頼があった。私はその都度常に、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店編集部従業員)に伝えたが、苦情は終盤まで絶えなかった。
多くの政党や政治勢力が対等な立場で支援をしていたのだから、支援してくれる各政党や政治勢力に、実質的に等距離で接し、なによりも外形的に公平に扱う必要があることは明らかだった。このことは、総選挙と同時選挙になって、宇都宮さんが各党の衆院議員候補者と相互に応援し合う関係が生じてからは、とりわけ重大な問題となった。しかし、宇都宮選対の作成した実際のスケジュールが、公平なものでなかったことは誰の目にも明らかだった。どうして、選対内部や事務局から、あるいは支持政党の側からこのような非原則的な運営に批判が出なかったのだろうか。
候補者との個人的知り合いだったからか、選対本部構成員の誰かとの関係が深かったからか、例えば初鹿衆院議員候補への応援には2回行っているし、山本太郎衆院議員候補への応援も2回計画されていた(私を解任した後の無能な随行員の不手際により2回目は参加できていない)。各党の全候補者を平等にひと回りする時間的余裕はないのだから、特定候補者の応援に2度駆けつけるのは明らかに不公平。これに対して、例えば日本共産党やみらいの党(生活)などの衆院選候補者の多くは1回の応援も得ていない。
また、候補者スケジュールの決定は信じがたいほど不手際で、遅すぎた。これは、単なる事務的な能力不足という問題ではない。むしろ、この選挙の意義を自覚して勝とうという本気さが足りなかった。いや、足りないというのは不正確、皆無だったというべきだろう。アルバイト気分の選挙事務局スタッフには、選挙に勝ちたい、勝つために工夫をし、そのための努力をしよう、この選挙を勝ち抜くために人の意見も聞こう、苦い批判にも耳を傾けようというまじめさがなかったからではないか。「仲間内のなかよしを重視した楽しい選挙戦」に終始し、重要な選挙戦にふさわしい、選対事務が行われていたと胸を張れる者はいないはずだ。
驚くべきことだが、選挙序盤では、熊谷伸一郎事務局長(岩波)の「安全上の問題から、宇都宮候補の予定は公開されるべきでない」という馬鹿げた方針によって、選対に宇都宮候補はどこにいるのか問い合わせても、教えないし答えられないという状況だった。
一回一回の街頭宣伝に多くの人に集まってもらい、勢いのある様子を都民に見てもらうことが街頭宣伝チームの任務だと考えていた私は、選対事務局の秘密主義には困惑した。この選対事務局長の秘密主義により、街頭宣伝に全く人が集まらないことが続いた。あまりの事態に、私だけでなくチームのみんなが不満を述べた。その結果、この秘密主義は修正され、街頭宣伝の予定が公開されるようになる。熊谷さんはどうして、このような馬鹿げた指示を出したのだろうか。彼限りの判断だったのだろうか。誰が「秘密主義方針」の決定に賛成し、また方針変更することになったのか。こんな「大失敗」がきちんと内部的な総括の対象になっているとは今まで聞いていない。
しかし、秘密主義の方針撤回以後がたいへんだった。スケジュールの決定は極めて遅く、前日の夜になっても翌日の予定がよくわからないことがたびたびであった。これには、宇都宮さんも閉口し、私に対して、選対本部にスケジュールの早期決定を要求するように何度も指示している。この指示を受けての私と選対事務局との交渉が、先鋭的な対立の具体的な理由となった。
とにかくスケジュールの決定が遅いのだから、明日の街宣の予定が立たない。予定地付近の支援団体や勝手連に事前の告知ができない。その結果として行く先々の街頭宣伝に人が集まらない。候補者の行く先々が大変寂しい状況が続いた。これで宇都宮支持の熱気が盛りあがるはずもない。この状況を打開するためには、とにかくスケジュールを早く決めて、そこにたくさんの人が参加するように時間の余裕をもって呼びかける必要があることは自明だった。私だけでなく、街宣車の車長(杉原氏)も、その他の街頭宣伝メンバーも皆一致した認識だった。街宣車の主要なメンバーでの話し合いは頻繁にもたれ、選対本部に対してもっと早期のスケジュール設定と開示を求めることになった。
選対本部との交渉の役割を誰が担うべきか、特に任務分担があるわけではない。候補者はやらない。車長もやろうとはしない。候補者を予定通りに現場に連れて行くことが私の任務であり、その予定を得るためでもあるので、私がその役割を引き受けることになった。もちろん、選対には最初から厳しく要求したわけではない。電話でメールでFAXで、予定を求め続けた。しかし、選対の対応は、信じがたいほど緩慢だった。通常の企業であれば到底許容できない水準の怠慢といってよい。
私が、選対本部にスケジュールを求めると、「未だ決まっていない」と言う。じゃあ、いつ決まるのか、と問うと「分からない」と言う。誰がどのようにして決めるのか、聞いてもさっぱり要領を得ない。最終的には熊谷事務局長が決めるという。熊谷事務局長はどこかと聞けば病院に行ってしまい、いつ戻るかわからないという有り様。挙げ句の果てには、「街頭宣伝などでは大きな票を動かすことはできない。事務局はマスコミ対策で手一杯であり、街宣はその後に位置づけられている、スケジュールが出なくてもそのまま待っていればよい」と言われる始末。
ようやく熊谷事務局長をつかまえて、決定権者が不在で決定できないなら、別人が決定できるような仕組みを作るべきではないかと言えば、「おまえの仕事はそんなことではない。僭越だ。言われたとおりの仕事をやっていろ」というのが熊谷伸一郎事務局長(岩波)の言だった。言われたとおりの仕事をしようにも、どう仕事をすべきか事務局長が決めるべきスケジュールが決まらないから、仕事が出来ず困っているのだ。この人の言うことは非論理的でよく分からない。ともかく、これでは選挙戦の体をなさない。このときは、街宣車が大東京の中の「迷える仔羊」になったようで心細い限りであった。
・熊谷事務局長「居留守」問題
熊谷伸一郎事務局長(岩波)のその任に適さない事実をもう一つ挙げておこう。
四谷三丁目の選挙事務所を借りる前、東京市民法律事務所を間借りして選挙運動の立ち上げ準備をしていたころ。私が選対に参加して2日目だから、11月20日の出来事である。
「明るい革新都政を作る会」の中山伸事務局長が、熊谷伸一郎事務局長(岩波)と連絡を取ろうと、何度も何度も電話をかけてきた。
私はその度の電話を受け、帰ってきた熊谷事務局長に伝言し、返電するよう伝えた。
それに対する熊谷さんの言に驚いた。「ああその人には電話しない」「その人には(熊谷は)いないっていって」「ぼくはその人が嫌いなんだ」「その人が、出馬会見前に支持表明しようとして、生活の党からの支持が吹っ飛ぶところだった。大変な迷惑を被ったんだ」というのだ。
中山伸さんは、さらに熊谷事務局長が在室している時にも熊谷さん宛に電話をかけてきた。熊谷さんは、電話を受けた者に対して、声を出さないまま両手の人差し指をあごのひげの前で交差させ、居留守を使うように指示した。
勤務2日目の私も、さすがに批判を口にした。「居留守なんか使わずに、電話に出てお話しすべきでしょう。選挙戦は短いんですよ」と言ったところ、「そのうち電話するからさ」との返事だった。ああ、この人は、不誠実きわまりない人物なのだ。
この「明るい革新都政を作る会居留守事件」が、熊谷事務局長と宇都宮選対全体の体質についての、私の第一印象として深く刻みこまれた。その後の事態の推移は、この第一印象を訂正するものではなく、正しさを確認するものだった。
この選対は、共闘の結節点としての重責を担う資格がない。共闘を成功させるための選対は、高い道義性によって信頼を勝ち得なければならない。その観点からは、共闘の重要な構成団体の事務局長への「嫌いだから、居留守」は、不適格を明らかにしたものではないか。意見の相違があれば、政治的に指摘すべき問題点があれば、会ったうえでそれを批判するのが当然の道義だろう。また、ひとりの社会人のあり方としても、居留守を使うのが恥ずかしいこととは思わない感性の持ち主は信頼し得ない。周囲の選対スタッフに、自らが裏表のある信頼できない人物であると公言しているに等しい、という認識がない。熊谷伸一郎事務局長の能力の不足は後に知ることになるが、道義の欠如はここで明らかだった。
また、生活の党からの支持を得ることが重要だという、選対(あるいは熊谷)の政治判断もまた批判的に検討されねばならない。生活の党の支持を得ることが「明るい革新都政を作る会」との友誼の形成を二の次としてた優先課題であったか、それがどれだけの効果を生じさせたのだろうか。この検証はされていない。
・随行員としての任務外し
私は、選挙戦を4日残した12月11日午後9時30分に、突如上原本部長から、選対事務所に呼び出され、そこで、随行員としての任務外しを言い渡された。青天の霹靂のことである。これは事後にわかったことだが、後任の人選まで事前に済ませており、周到に準備された「だまし討ち」だった。
熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、「翌日休むように命令しただけで、任務を外す命令ではない」と言っているようだが、詭弁も甚だしい。選挙戦はあと3日しかないこの時期に、候補者のスケジュール管理に責任をもっている私を、慰労のために休まようとしたとでも言うのだろうか。一刻も選挙活動のための時間が惜しいこの時期に、私を休ませる理由があるはずはない。実際、私を外したことによる後任の不慣れによる不手際は現実のものとなっている。上原本部長や熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、選挙運動の円滑な運営よりも、私への「小さな権力の誇示」と「嫌がらせ」を優先したのだ。
企業が、邪魔な労働者に嫌がらせをする際には、まやかしの理由でカムフラージュするものだが、「疲れているようだから休養の指示」というのは、もっともらしい理由にもなっていない。
私が、任務外しの理由を問い質したところ、まずは「疲れているから」というものだった。それに加えて、「女性は厳禁とされた随行員に、選対本部の許可なくTさんを採用したこと」も、理由とされた。なんと馬鹿馬鹿しい理由。
私は反論した。ここで一歩も退いてはならないと思った。直感的に、これは私だけの問題ではない。選挙共闘のあり方や、「民主陣営」の運動のあり方の根幹に関わる問題性をもっていると考えたからだ。
まず、「命令」なのか確認をしたところ、上原公子選対本部長は「命令」だと明言した。私はこれは極めて重要なことと考え、上原選対本部長には「命令」する権限などないことを指摘した。お互いにボランティア。運動の前進のために、合理的な提案と説得と納得の関係のはず。上命下服の関係を前提とした「命令」には従えない、ことを明確にした。このときの上原公子本部長の表情をよく覚えている。彼女は、熊谷事務局長と目を合わせて、にやにやしながら、「この人、私の命令を聞けないんだって」と笑ったのだ。私はこの彼らの態度に心底怒った。
それでも、論理的に説得しようと務めた。逃げ腰の上原公子選対本部長を制して、この不当な措置に対する私の言い分を聞くよう要求した。その結果、私は上原公子本部長にようやく2分間だけ弁明の時間を認めさせた。上原公子選対本部長は、夜の9時半にわざわざ私を呼び出しておいて、「忙しいから2分間だけ」ということだった。
私は、その2分間で、「ボランティアのTさんに随行員となってもらったのは、車長も含む街宣チーム全員の話し合いの結論だったこと。選対事務局に人員増強の要請をしても応じてもらえず現場の必要に迫られての判断だったこと。そして、市民選対の誰にも、命令の権限も服従の義務もないこと」を喋るつもりだった。
しかし、このわずか2分間の約束も守られなかった。私の弁明は途中で打ち切られた。上原公子選対本部長は、「会議に呼ばれているから、そっちに行かなくちゃ」と、結局は1分半で席を立って姿を消した。
得難い経験だった。不当解雇された労働者の無念の気持がよく分かった。理不尽な「小さな権力」の横暴の恐ろしさが身に沁みた。「この人、私の命令を聞けないんだって」という上原と熊谷の薄ら笑いを忘れることはないだろう。
こうして、私とTさんとは、随行員としての任務から外された。翌日のスケジュールにしたがって、いつものとおり街宣車に乗ろうとしたが、気の毒そうに車長から拒否された。
私は、その後は本郷の自宅付近で、近所の勝手連の人々と一緒に街宣活動やビラ撒きに参加した。Tさんは、心配して遠巻きに候補者を気遣い、ある局面では後任者の手際の悪さから、うろうろしていた宇都宮さんを誘導して昼食がとれるように案内したことがあったという。このとき、内田聖子運動員(選挙運動報告書によれば選挙運動報酬5万円受領)から、「あなたは任務を外されたのだから余計なことをしないで」と面罵されたそうだ。これは、宇都宮さんの面前のことだったが、宇都宮さんは見て見ぬ振りだった。そう、涙ながらに聞かされた。
この任務外しの真の目的が何であったのか、今冷静に考えても私にはわからない。残り3日という最終盤になって、人事をいじって混乱を持ち込む必要は全くないはずだった。私が選対に過度に批判的だったとしたところで(もちろん、私は正当な要求だと考えているが)、この選挙最終盤には私は候補者と共に移動し続け、選対事務所に戻る機会さえなかったのだから、選対事務に実害が及ぶはずがない。結局は、「小さな権力を誇示したい」「澤藤に嫌がらせをしておきたい」という動機しか考えようがない。その機会は、選挙が終わってからでは間に合わない、最終盤を迎えた選挙運動への影響はどうでもよい、今のうちにやってしまえ、と考えたのであろう。ボランティアのTさんは、あきらかに私の巻き添えで、申し訳ないと思う。しかし、私にとっての救いは、全ての経緯をよく知っているTさんが、私と一緒に、選対と候補者に怒りを燃やしていることである。選対にはそのやり口の汚さ、宇都宮さんには弱者の側に立たない優柔不断さに憤っておられる。
・市民選対内部の「権力関係」について
そもそも、市民選対において、選対本部長だろうが事務局長だろうが、ボランティア参加者に命令ができる権限があろうはずがない。この点で、あたかも「業務命令権限」をもっているかのごとき感覚の両名に反省を促したい。そんな感覚だから、人が集まらない。参加した人が生き生きと活動できないのだ。このような、市民運動を担うにふさわしくない人物が運動の中心に坐ったことが、選挙の失敗の大きな原因であったろう。
まずは、対等・平等な立場で市民が参加し結集していることを確認しよう。すべての参加者が自発性に支えられて活動をしている。そこには、命令服従の関係はなく、誰の誰に対する命令権限も服従義務もない。あるのは、合理的な提案と、自発的な賛意に基づく行動の原則である。提案には丁寧な説明・説得がともない、それに対する納得があって、個人が行動に立ち上がる。意見の齟齬があれば、批判の権利が保障されたうえで、説得と納得によって人を動かすしかない。問答無用で人を動かすことはできない。うっかり、そんな権力的な人に権限をもたせたらたいへんなことになる。
選挙運動参加者はあくまで平等である。もちろん、寄付の金額の大きな人が、大きな影響力を持ってはならない。誠実な運動参加者こそが、自ずから影響力をもつことになるだろう。
敢えて、選挙運動参加者の立場の上下に触れるとすれば、一円ももらっていないボランティアの運動員が本来的な選挙運動の主体である。金をもらった労務者(上原公子10万円・服部泉10万円・石崎大望17万円など)、あるいは派遣元から金をもらっている者は、実質的な意味での選挙運動、すなわち選挙政策の決定・宣伝・人事等に関わってはならない。「会」と、「労務者」「事務員」「車上運動者」との間には、単純な労務の提供、純粋な事務作業を目的とする雇用契約が成立し、そこでは職務命令が可能になる。つまり、会の運動を支えているボランティアと、金をもらった労務者との間には、明らかに法的な立場の区別がある。金をもらっている労務者に、ボランティアが命令されるという、本末転倒な状況が生じていたのだ。
私は随行員としての任務を誠実に遂行してきた。常に陣営の利益のために、4つの柱の政策のもと、時には候補者本人よりも原則的に対応してきた。現場に候補者を連れて行けなかったことは一度もない。これは、そう当たり前の簡単なことではない。交通事情・事故情報を勘案しながら、目的地に最も早く到着する方法を常に考え続けなければならない。宇都宮さんがタクシーで移動する時間を調整し、携帯電話で会話できる状況を作り上げ、三鷹公団団地弾圧事件の被害者と電話で会話できるように舞台設定もした。選対本部と相手先に到着予定時刻を刻々と報告し続ける。街宣車での自動車移動では間に合わないと判断し、途中で電車に乗り換え、集会に遅刻せず到着したこともたびたびある。
私が解任された後の後任の随行員は、漫然と街宣車での移動を続け事故渋滞に巻き込まれ、選挙戦最終日の前日、街頭宣伝集会に宇都宮候補を大幅に遅刻させ、集会参加を断念するという不手際を演じている。私は十分にその任を果たしたと自負している。
一方、スケジュール一つ決めることのできない選対本部長・事務局長・選対本部は、選挙戦全体を統括する能力に欠けていたというほかない。
その選対が、私を切ったのだから、何とも奇妙な本末転倒の出来事というしかない。
思い出すと、止めどがない。今日はこれまでとしたい。私も、受験生の身でこの作業に多くの時間を割く余裕はない。明日で一応完結としたい。明日は、私とTさんの、権利侵害回復の要請に、宇都宮さんと「人にやさしい東京をつくる会」がどのような対応をしたかについて、お知らせをしたい。
私は、このことは、重大なことと考える。明日の私の報告をお読みになった上で、宇都宮さんを本当に推せるのか、「人にやさしい東京をつくる会」の再度の活動が認められるのか、よくお考えいただきたい。
*********************************************************************
安倍晋三のホンネ
八百屋に行って魚は買えない。永田町では倫理を手にできない。靖国では平和を語れない。
富士には月見草がよく似合う。鳩にはオリーブだ。靖国は軍国神社、軍服を着たおじさんの進軍ラッパがよく似合う。とうてい「不戦の誓い」が似合うところではない。
安倍晋三個人が、こっそりと、まったく誰にも知られず(秘書にも神社側にも隠れて)の参拝であれば、どんな神社に行ったところで、「私的参拝」と言える余地はある。しかし、今回の参拝を私的な行為として言い逃れはできない。政教分離の憲法原則に違反することは明白だ。
昨日のブログで詳述したとおり、憲法は歴史認識の所産なのだ。つまりは、侵略戦争と植民地主義への反省に立脚して形づくられた。首相が、憲法の政教分離原則に違反して靖国神社参拝をしたということは、とりもなおさず侵略戦争への反省をしていない。植民地支配への反省もしていないということなのだ。だから、中国も怒る。韓国も叫ぶ。今度は「価値観を共有している」はずのアメリカまでが、「失望した」と言い出している。先の大戦の敵国であったことを思い出しているのだろう。
安倍が、参拝後の談話の中で、次のとおり言っているのは、噴飯ものである。
「日本は二度と戦争を起こしてはならない。私は過去への痛切な反省の上に立って、そう考えている。戦争犠牲者の方々のみ霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにしてきた。」
「アンダーコントロール」と「完全にブロック」の例を持ち出すまでもなく、安倍は嘘つきである。世界中の誰もが、安倍の言葉を信じていない。本気で不戦の誓いをするのなら、こんなに似つかわしからざる舞台は他にない。
「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くない。…中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っている。」のであれば、靖国神社に参拝すべきではなかった。
安倍は、思い切り人をぶん殴っておいて、「あなたを傷つけるつもりなど毛頭ありません。今後とも、敬意を持ってあなたとの友好関係を築いていきたいと願っています」と言っているのだ。
安倍談話の中で私が注目したのは、「また戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀(ごうし)されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも参拝した。」と、鎮霊社を持ち出したこと。かねて用意の小細工が、こんな形で利用されたか、という思い。
私は、ときに人を靖国神社に案内する。そのときは、必ず、鎮霊社をよく見ていただく。その壮大さや華麗さを、ではない。その規模の小ささ、みすぼらしさを、手入れの悪さを、である。壮麗な本殿のすぐ近くで、鎮霊社のみすぼらしさと粗末な扱われ方は際立っている。私は、これを「靖国の差別」の一例と紹介している。ここから、靖国における「魂の差別」「死者の差別」を語り始めることができるのだ。
鎮霊社とは、靖国神社にもともとあったものではない。靖国神社自身のパンフレットには、「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました。」とある。
1964年、自由民主党は「靖国神社国家護持に関する小委員会」を設置し、ここを拠点に靖国神社国家護持を内容とする法案提出を狙った。1969年から1972年にかけて議員立法案として自民党から毎年提出されたが、廃案に終わった。なお、この企図が潰えて後に、靖国神社公式参拝要請運動に転じることになった経緯がある。
靖国神社が国民的な支持基盤を持っていることは否定し得ず、この民衆の支持を侮ってはならない。また、遺族を中心とする靖国信仰の心情を理解するに吝かではない。戦死者の遺族に接するときには背筋を伸ばさなければならないとは思っている。
しかし、反靖国感情も根強い。それは、靖国神社が軍人軍属の戦死者だけを祀っているからだ。いわば、差別構造に支えられているから。靖国法案を成立させるにも、この点の反靖国感情がネックと考えられた。それならば、靖国神社の構内に、全戦没者の霊を祀る施設をつくればよいということになった。それが、鎮霊社創建の動機である。こうして、安直な動機で、鎮霊社が創建された。靖国神社の合祀対象者を除く国内外の全戦没者を祀っているという意味付けである。朝敵側の戦没者も、民間人戦没者も、外国人戦没者も、「その他」一切が祀られている。だが、明らかに、「英霊」と「その他」との取り扱いは天と地ほどの差なのだ。鎮霊社のみすぼらしさが、そのことを視覚的に表現している。
靖国神社(国家護持)法案は、その後、憲法問題をクリアーするには鳥居から賽銭箱から、神社という社号までなくさねばならないとなって、靖国神社自身も反対に回った。こうして、法案は断念されたが、靖国神社のご都合主義から創建された鎮霊社は残った。残ったもののこれは継子である。当然のごとく、継子としての粗末な扱われ方しかされない。靖国神社自身が、「鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが、御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象」としており、本殿祭神とは明確な差別を設けている。要するに、鎮霊社創建のあとといえども、「顕彰の対象」とされているのは、皇軍の軍人・軍属だけなのだ。賊軍にあって朝敵とされた者が、祭神として顕彰の対象となることは絶対にない。
靖国神社は、天皇制と軍国主義の結節点にある。天皇への忠誠の有無如何で、死者においても敵味方を差別するのが、靖国の特異な思想なのだ。賊軍の戦没者は未来永劫に敵、けっして靖国神社に祀られることはない。敵国人も同じ。そして、民間人も同様である。
もともとが血なまぐさい幕末の抗争の中での、「勤皇」方の復讐の儀式。この儀式を行う場所として1869(明治2)年東京招魂社が創建され、1879(明治12)年に靖国神社と改称された。招魂祭と名付けられたその儀式は、味方の死者の怨みの霊魂を祀って、その霊魂の前で復讐を誓った。その原型の思想は、今も靖国神社の教説に脈々と受け継がれている。
靖国神社とは、天皇のための忠死者を顕彰する施設。天皇への忠誠故の戦死を褒め称えるための施設。戦死は浄化され、その戦死をもたらした戦争も聖化される。侵略戦争という本質は覆い隠され、戦争批判は影をひそめることになる。幕末当時と同じメンタリティで、戦死者の前では復讐が誓われる。
鎮霊社の創建と、その後の継子いじめは、むしろ「皇軍戦死者」と「その他の戦争犠牲者」との差別を際立たせることになった。安倍の小細工利用の思いつきも、却って逆効果でなかったか。
安倍が隠したホンネは以下のとおりなのだ。
「英霊の皆様、とりわけA級戦犯として無念の死を遂げられた皆様。ようやく、臣安倍晋三が、皆様のご無念をお晴らし申し上げるときがやってきました。国家が、富国強兵の目的のもと、版図を拡大するための戦争を行うのは、正当なことです。しかも、皆様がご苦労された戦争は我が国の自存・自衛のためのもの。反省すべきは、果敢に闘ったにもかかわらず、武運拙く戦争に敗れたこと。兵力の不足と、鍛錬の不足、そして武装のための経済力の不足でした。これからは、一意専念、アベノミクス効果で国力を増強し、武器産業を拡充し、国民には愛国心を叩き込み、軍事費拡大による軍備の増強と軍事法制の充実をはかります。幸いに、特定秘密保護法は国会を通過し、新たな大本営であるNSCもできました。集団的自衛権行使容認ももうすぐ。憲法改正だって夢ではありません。大っぴらに戦争を語ることのできない異常な時代はもうすぐ終わります。着々と、天皇をいただいた大日本帝国時代の日本を取り戻す計画が進行しております。ですから英霊の皆様、なかんずくA級戦犯の皆様、安らかに我が国の軍国化の将来をお見守りください。」
(2013年12月27日)
本日のブログはかなりの長文になる。長いが、是非最後までお読みいただきたい。インパクトがあるはずだ。
本日は2部構成となっている。
第1部は、澤藤統一郎の息子の澤藤大河が執筆している。彼が、宇都宮選対で候補者の随行員として働き、不当な任務外しを受けた「被害者」の一人だ。もちろん、任務外しをした、上原選対本部長、熊谷事務局長の側にも、あるいはこれを「責任を問うような事件ではない」と看過した宇都宮君にも、それなりの言い分がないはずはない。しかし、まずは、「被害を受けた」という側の言い分に、耳を傾けていただきたい。その後に、「加害者」と指摘された側の言い分もじっくり聞いて、ご自身で、このような選対のこのような候補者が、都知事選の候補者としてふさわしいか否かをご判断いただきたい。
第2部は、本日唐突に強行された安倍首相の靖国神社参拝に対する憲法の立ち場からの評論である。このブログの訪問者数は、平均1500程度。それが、今毎日4000に近くなっている。「宇都宮君、立候補はおやめなさい」の記事を読みにいらしている新来の方が、半分以上と推察される。私のこのブログは、宇都宮君糾弾のためのブログではなく、「日々の憲法問題」を取り扱う「憲法日記」である。
一日も早く、宇都宮君の出馬断念を確認して、日常の「憲法日記」に戻りたいと願っている。今日の安倍靖国神社参拝については、どうしても書かずにはおられない。宇都宮君の出馬の是非についての関心でこのブログを閲覧される方も、第2部まで目を通していただくよう、お願い申し上げたい。お読みいただくにふさわしい内容だと自負している。
*************************************************************************
私の経験した宇都宮選挙
私は、2012年の都知事選挙で、宇都宮候補の選挙運動員となった。当時、私は、勤めていた会社を退職し、司法試験の受験準備をしていたので選挙運動の時間をとることができた。候補者の宇都宮さんが父の知り合いだったことからの紹介だったが、強権的な石原都政の承継を阻止したいと強く願っての選挙戦への参加であった。
その際、以下の三つの私の経験が生かせると考えた。
まず、私は東大教養学部の学生自治会の委員長を2期務め、その際有権者8000人の選挙を経験している。私の経験した選挙戦は、選挙の原点を学ぶにふさわしい、普遍性に富む充実したものだった。
また、工学修士号を有し理科・工学の基礎的な知識のあることは、脱原発を訴える宇都宮選挙で重要な援助をなし得るものと考えた。
さらに、司法試験を目指している立ち場で、法律についての素養があることも、政策論争や選挙弾圧対策において重要な意味があると考えた。
わたしは、選挙の始まる以前の11月19日から、解任される12月11日夜までの全期間、ほぼフルタイムでボランティアとして選挙に参加した。場合によっては早朝から深夜まで。当然のことながら一円も受け取っていない。選挙とはそのようなものだと心得ていた。宇都宮さんの秘書的な立場にあって選挙運動開始以前から彼と行動を共にした。私の任務はスケジュールの管理である。具体的には、常に候補者に同行し、その安全をはかるとともに、彼が過ごしやすいように配慮して、必要な時刻に必要な場所に彼を送り届けることだった。
私は、候補者本人とは誰よりも長く時間をともにした。スケジュールを策定する本部とも密に連絡を取り合っていた。おそらく、私ほどにこの選挙の全体像を見てきた者はなかったと思う。その立場から、率直に申しあげる。宇都宮陣営の選挙は、およそ選挙の形をなしていなかった。候補者についても、選対についても、負けるべくして負けたというほかはない。
以下に、候補者と選対について、見聞した事実を語ることにする。事実を語れば、否定的な評価は避けられない。できることなら触れないでおきたいとは思う。それでも、やはり率直に語らねばならない。再びの過ちを繰り返さないという大義のために、である。
宇都宮候補について
・候補者としての魅力に欠けること
私が、宇都宮さんの随行員を買って出た動機のひとつには、宇都宮さんから多くのことを学ぶことができるだろうとの思いがあったから。きっと、魅力的な人物なのだろうとの期待が大きかった。しかし、一緒にいて、その期待が崩れるのに、たいした時間はかからなかった。その後は、宇都宮さんの魅力に感じてではなく、任務として頑張った。
候補者には、人と話をして魅了する資質が必要である。ところが、彼はそもそも話をしない。話しかけても膨らませて会話が弾むことがない。私も、最初は頻繁に話しかけたのだが、話しに乗ってくることがなかった。
彼の演説は毎日聴いたが、聴衆を魅了する憲法訴訟の経験談や、人権擁護の熱意がほとばしるという魅力に溢れた演説は一度も聞いたことがない。私の期待が、そもそも無い物ねだりだったのだ。人を感動させたり引きつけたりする内容のある話ができないのは、候補者として不適格というしかない。そもそも政治家としては向いていないのだと、どうして誰も言わないのだろうか。
選挙戦の初めのころ、ある運動員が宇都宮さんに話しかけたことがある。「是非、よい弁護士さんに都知事になってほしい。そして憲法の理念を都政に生かしてほしい。私は常々憲法13条こそ一番重要な条文であり、これを生かすような政治が必要だと考えている」
私は、弁護士が候補者であることの最大の利点は、法律を、とりわけ憲法を縦横に語れることにあると考えていた。これは、猪瀬や松沢、その他の候補者には全くできないことだ。弁護士が憲法13条を語ることは、まるごと自分の憲法観を語ることであり、自分の職業的な使命観を語ることでもある。宇都宮さんが弁護士としてがんばってきた今までの反貧困運動、クレサラの活動などが凝縮された、具体的で理想に満ちたすばらしいやりとりを期待した。
ところが、宇都宮さんの返事は「そうですか」というだけのもの。あとでその運動員は、大変がっかりしたと語っていた。
・都知事候補者としての政策能力が十分ではない
さらに候補者としての不適格な点は、具体的に都政を語る力が十分とは言えないことだ。
これは、彼だけの責任に帰するのは気の毒な面もあるが、都政について語るべきものをもっているとは言いにくい。これまでの蓄積のないことが見えてしまう。
街頭での演説は、常に同じ内容の繰り返し。選挙戦の進展に伴って、演説の内容が深化していったり、訴えるべき言葉の完成度が高まるということはなかった。
宇都宮陣営の政策は、抽象的には優れたものかもしれないが、具体性に乏しく、このままでは候補者の演説にはならない。この難題をこなすには多大な能力を必要とするが、明らかに宇都宮さんには重荷に過ぎた。候補者が、広大な東京都の中で、演説する場所に応じた、地域的な課題について触れることもなかった。あえて言えば、秋葉原で表現規制問題に触れた程度だろうか。
テレビにおける公開討論は総選挙と重なったことで2回だけだったが、宇都宮さんが他候補との議論において切り結び、圧倒するような場面は一度もなかった。切られないようにハラハラしながら祈るばかり。公開討論の回数が少なかったことは、猪瀬の傲慢さを都民に伝える機会が減った点で残念なことであったが、同時に、宇都宮さんの都政への知識不足と熱意不足が明らかにならなかったことは、むしろ陣営に利益だったといえるだろう。
以下、私が彼に失望した具体的事件を述べる。
・バッヂ事件(NHKでの収録)
弁護士の世界は別として、ささやかなりとも宇都宮候補が社会的知名度があったのは、年越し派遣村の名誉村長となり、湯浅誠氏などと反貧困運動に関わったから。宇都宮さん自身も、反貧困運動に取り組んできたことを周囲に誇らしげに語っており、どこに行くにも反貧困バッヂを背広に付けていた。
ところが、政見放送収録のため、渋谷のNHKに出向いたときのこと、収録直前にNHKの職員がそのバッヂを外すように指示してきた。
これには二重の問題がある。
一つは、表現の自由との関係である。およそ弁護士として、「表現手段としての大切なバッヂ」を外せと言われて簡単に応じられるはずはない。政見放送が完全に自由に収録されねばならず、あらゆる制限がなされるべきでないこと、それを争った憲法訴訟もなされたことは、広く知られている。憲法を擁護する立場を鮮明に打ち出した候補者として、表現の自由に対する制約に対して常に闘う姿勢を示すべきでないのかという問題が第一。
次に、反貧困運動を行ってきた仲間に対して、そして「自分のトレードマークはこのバッヂである」と語り真剣に行ってきた運動に対しての裏切りにならないのか、という問題が第二。
私は、NHKの職員にその指示の根拠となった文書を見せるように要求した。NHK職員が手渡したのは、上司からのメールの一部だったが、その後半には「それでも候補者がバッヂを外すことに同意しない場合はそのまま収録、放送すること」という指示が書かれていた。
私は、政見放送において、あらゆる制限は認められないという原則をNHKの職員に主張するとともに、選対の法対に連絡し、バッジを外すことを拒否した場合の法的リスクについて判断を仰いだ。法対の判断は外す必要はないし、なんらかの訴訟になれば憲法訴訟として受けて立つに足るものだというものだった。
私は、法対の判断と、NHK職員のメールから絶対的な要求ではないという先方のハラを宇都宮候補に伝え、どうするか相談した。
まったく意外にも、宇都宮さんは「ああ、はずしますよ」と理由も言わずバッヂを外してしまった。これには、唖然とした。NHKが政治的に偏向していることは周知の事実ではないか。彼は、何の抵抗も示すことなく、その指示に従ってしまった。たたかう姿勢皆無の人なのだと、私は失望した。
後日、宇都宮候補は、「マスコミ対応には彼(澤藤大河)よりも、私(宇都宮自身)の方がなれているから」と、私のいないところで語ったという。人権も、運動への誇りも、仲間を裏切る葛藤もなく、NHK職員の指示に従うことが「マスコミ対応になれている」ことにあたると宇都宮候補が考えているのならば、都知事になったところで、官僚や議会多数派の指示に従うだけの都知事になるだけだろう。
・収録時間超過事件(MXTVでの収録)
NHKでの政見放送の他に、民放各局合同の政見放送収録があり、MXTVに赴いた。
ここでの収録の際、宇都宮候補は、予め決められていた時間枠を数秒オーバーしてしまった。
事前に説明があったとおり、他の候補との平等取り扱いのため、収録のやり直しは認められない。さすがに、発話中に突然終わってしまうことは防ぐために、一番最後の「皆さん、ともに都政を作っていきましょう」という呼びかけを削除するのでよいかと、スタッフから質問された。しかし、これでは終わり方が不自然になってしまう。
私は、何度もビデオを見直して、カットするなら最初の頭を下げる挨拶部分を切ることはできないかと、提案した。最初は、「前例がない」というだけの答えだった。食い下がって、それが不可能であるか問い合わせてほしいと求めたところ、収録スタッフがわざわざ電話をかけて局長に問い合わせ、それが可能だとの答えを得た。
その結果、幸い冒頭のお辞儀の3秒ほどをカットすれば、時間内に収まることが現場で繰り返し再生することで確認され、無事に最後の呼びかけまで政見放送されることになった。
この件に関して、宇都宮候補は現場で一切発言しなかった。私のやり取りを傍観していただけ。しかし、やはり事後、この件について、「澤藤は何もしていない。局側スタッフがよいようにしてくれただけだ」と語っている。これには、呆れた。
そもそも、何百回でも練習して、きちんと時間内に演説できるように訓練してくることすらできない点で候補者としての熱意にも能力にも欠けている。そのうえ、自分の陣営の利益に誠実に活動する者を、守ろうとしない点でも候補者としての資質に欠けることになろう。
・同窓会
宇都宮さんの同窓会にも同伴した。東大駒場の文?(法学部進学)のクラス会だった。
30人も出席していただろうか。当時、宇都宮選対内のメールマガジンやツイッターでの情報発信のために、私は宇都宮さんの人となりについての情報をできるだけ集めて選対に送っていた。
宇都宮さんがどんな学生だったのか、学生時代の友人は彼をどう語るのか、最高の取材の場であると考えて、出席者に話を聞いてまわった。弱い立場の者に寄り添った話や、自分の信念を貫いた話が何か聞けるかと期待した。
しかし、みな口をそろえて言うのは、「地味だった」「目立たなかった」というものだった。具体的なエピソードについては一切聞けなかったのは、実に驚くべきことだった。
その場で誰かが、「立候補に当たっての供託金はどうしたんだ?借りたのか?」という軽口が飛んだ。宇都宮さんは、それに「自分で用意した」と答えていた。自ら用意すると一旦は言いながら、結局用意できずに、他人から借りた事情を知っている私の前で、なぜそのような嘘を申し述べるのか、理解に苦しんだ。
その上、その場で旧友に対し、供託金が高すぎて負担が大きいとの持論を繰り返し述べていた。供託金が高いことを問題視するならば、自分で用意できないほど高いのだと率直に語った方が、かわいげがあったのではないだろうか。
ずいぶん、長くなった。今日は、ここまでとする。明日は、私を切った選対の体質について、お話しをしよう。
*************************************************************************
安倍首相の靖国神社参拝を許してはならない
不意打ちのことで驚いた。本日(12月26日)午前11時半ころ、安倍晋三首相は、靖国神社に昇殿参拝したのだ。「内閣総理大臣 安倍晋三」と札をかけた花を参拝前に奉納したと報道されているのだから、首相としての公的資格における参拝と見るしかない。また、その後、首相は「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対し、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊やすらかなれとご冥福をお祈りした」との談話を発表した。特定秘密保護法採決の強行に次いでの、靖国神社不意打ち参拝である。この安倍の憲法に対する攻撃的な姿勢には背筋が寒くなる。
改めて思い出そう。「もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞそう呼んでいただきたい」との開き直った彼の発言を。いまさらではあるが、彼は正真正銘の「右翼の軍国主義者」なのだ。こんな輩を我が国の首相に留めておいてはならない。「抗議する」ではなく、首相の座から引き摺り下ろさねばならない。
安倍の靖国参拝が、中国・韓国・北朝鮮等の近隣諸国に対する挑発行為であることは明白である。冷え切った日中・日韓の関係を、さらに修復不能なまでに損ないかねない愚行でもある。当然のことながら、中・韓両国の反発は凄まじい。それだけでなく、アメリカ政府までが、安倍の暴走に懸念を表明している。
折しもこの日は毛沢東生誕120周年にあたる。抗日戦を闘い抜いた「建国の父」を偲んで、中国共産党の最高指導部が毛沢東記念堂を訪れたばかり。その日を選んだかのような安倍首相の靖国神社参拝。中国国内での、挑発行為への反発の感情がとりわけ厳しいと報じられている。
首相の靖国神社参拝はなぜ許されないのか。憲法の政教分離規定に違反するからなのか、あるいは中・韓などの近隣諸国との友好を損なうからなのか。答は二者択一ではない。実は両者は同根の問題なのだ。私は、日本国憲法とは、歴史認識の所産だと理解している。その面を最も典型的に表わしているのが、政教分離の原則(憲法20条3項)なのだ。
アジア・太平洋戦争の惨禍についての痛恨の反省から日本国憲法は誕生した。このことを、憲法自身が前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と表現している。日本国憲法は、一面普遍的な人類の叡智の体系ではあるが、他面我が国に固有の歴史認識の所産でもある。この歴史認識が、憲法解釈の基準でもある。
歴史認識とは、単に「大日本帝国」による侵略戦争と植民地支配の歴史的経過を正確に把握することではない。その戦争と植民地支配の歴史を国家的な罪悪とする評価的認識をさす。したがって、憲法前文がいう「戦争の惨禍」とは、戦争がもたらした我が国民衆の被災のみを意味するものではない。むしろ、旧体制の罪科についての責任を読み込む視点からは、近隣被侵略諸国や被植民地における大規模で多面的な民衆の被害を主とするものと考えなければならない。憲法は、近隣諸国の被害をも織り込んでできているのだ。
歴史認識は、必然的に、この加害・被害の構造を検証し、その原因を特定して、再び同様の誤りを繰り返さぬための新たな国家構造の再構築を要求する。日本国憲法の制定は、その作業の結実と理解しなければならない。
そのような作業において、歴史認識における反省の根本にあるものは、「天皇制」と「軍国主義」の両者であったと考えられる。日本国憲法は、この両者に最大の関心をもち、旧天皇制を解体するとともに、軍国主義の土台としての陸海軍を崩壊せしめた。国民主権原理の宣言(前文・第1条)と、平和主義・戦力不保持(9条1・2項)である。さらに、「天皇制」と「軍国主義」の両者を結節する憲法制度として、政教分離原則(20条3項)を置いた。
憲法をめぐるせめぎ合いは、歴史認識をめぐるせめぎ合いでもある。歴史修正主義派にはまったく別の憲法の評価と解釈がある。彼らは、戦前の天皇制も軍国主義も否定的な評価を受けるべきものとは考えていない。天皇の唱導する戦争に反省などありえない。歴史修正主義が憲法に敵対的であることは理の当然なのだ。
歴史修正主義は、敗戦に至る経過の中に格別の罪科も責任も認めない。戦前の否定も、それと比較しての戦後の肯定もない。したがって、敗戦による歴史の断絶も転換も認める立場になく、戦前と戦後の連続性の契機を強調する史観となる。その結果、戦後改革と憲法制定の意義を相対化し、あわよくばこれを覆そうとする。その彼らの思惑と角逐しているのが、オーソドックスに戦後改革と憲法の意義を強調して、敗戦時の歴史の断絶の契機を重視する思想である。その両者のせめぎ合いの最も重要な舞台の一つとして靖国神社がある。
日本国憲法を形づくる歴史認識の問題点が、究極的に「天皇制」と「軍国主義」の2点に帰着するとして、この両者の結節点に、かつての別格官弊社靖国神社があり、今なお宗教法人靖国神社がある。かつての靖国神社は、軍と天皇とに直結して、天皇制軍国主義の精神的支柱であった。いま、宗教法人靖国神社は、制度としては軍とも天皇とも直接の結びつきを失っている。しかし、旧靖国神社の思想をそのまま護持し、「靖国史観」を掲げて歴史修正主義の拠点となっている。
その「靖国史観」とは、皇国史観に連なりながらもさらに天皇美化の行きつくところ。天皇のために兵士として死ぬことを臣民の美徳とし、そのように慫慂する観点からの歴史の把握である。侵略戦争を聖戦視し、戦死の将兵を神として「英霊」なる美称を与えて顕彰し、戦争批判を「英霊への冒涜」として封じようとする史観でもある。日本国憲法の基本理念とはまったく正反対の立ち場にあって、「戦争」と「戦争の惨禍」を反省するという視点とは無縁である。
だから、靖国神社は、刑死した東条英樹以下14人のA級戦犯を合祀する場としてこそふさわしい。靖国神社への参拝者は、昭和殉難者として祀られている「平和への罪」の犯罪者に、尊崇の念を捧げることになる。誰にも明瞭に分かりやすい、靖国史観の仕掛けがここにある。本来内閣総理大臣や天皇が参拝に行けるはずはないのだ。
日本国憲法における政教分離とは、宗教一般と国家との分離の書きぶりではあっても、国家神道復活を警戒し、神道と国家との厳格な分離を要求するものである。就中、国家神道の軍国主義の側面を代表する軍国神社靖国こそ、20条3項が最も警戒の対象とする存在である。それが正統な歴史認識からの憲法の最も真っ当な読み方なのだ。
私は、憲法20条3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とは、「首相の靖国神社参拝」を禁じることを主眼として作成された規定であると理解している。
だから、首相の靖国参拝とは、憲法上は20条3項の政教分離原則違反となり、そのことが、とりもなおさず近隣諸国への侵略戦争や植民地支配の反省を否定するものとして、軍事的挑発行為になるのだ。中国や韓国など、「足を踏まれた側」の国民には、自明のことである。
ところが、歴史修正主義者としての安倍晋三には、そのような観点がない。安倍が叫ぶスローガンは、「戦後レジームからの脱却」と「日本を取り戻す」ことである。この二つを組み合わせれば、「戦後レジームから脱却した、取り戻すべき日本」とは、大日本帝国憲法時代の「皇国日本」であり、彼の祖父・岸信介が商工大臣を務めた東条英機内閣時代の「軍国日本」以外にはない。まさしく、安倍こそは、典型的な歴史修正主義派の政治家であり、戦前戦後連続史観の体現者でもある。
「皇国日本」と「軍国日本」との結節点に靖国神社がある。安倍の感性においては、今ある宗教法人靖国神社は、けっして一宗教法人ではない。皇国日本を支えた靖国の思想を顕現する場であり、軍国日本を支えた皇国の指導者と皇軍の将兵とが、かつての軍国の思想そのままに、英霊となって鎮座する聖なる社である。ここに、民主主義国日本を代表する資格をもって参拝したのだ。彼は、新旧憲法の断絶を認めない。政教分離という制度の理解を拒絶する。
それゆえ、靖国神社への参拝について「第1次安倍政権で任期中に参拝できなかったことは、痛恨の極みだった」と言い、「その気持ちは今も変わらない」と繰り返し、そして今日、敢えて参拝を強行したのだ。
再確認しておこう。靖国神社参拝是非の考察には、歴史認識問題の考察が不可避であり、歴史認識を凝縮した日本国憲法は、公的資格における参拝を許容するところではない。それは、たまたま一条文に違反して形式的に違憲というだけの問題ではない。歴史認識の問題として、戦争の惨禍をけっして繰り返してはならないとする憲法制定時の主権者の叡智と決意との所産としての憲法の体系に反しているということなのだ。
安倍は靖国派のエースであり、歴史修正主義派のエースでもある。本日の安倍の靖国神社公式参拝は、まさしく、安倍の「戦後レジームからの脱却」の行為でもあり、「脱日本国憲法」を体現する無法な行為でもある。
自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日発表)を作成した憲法改正推進本部の最高顧問の一人として安倍は名を連ねている。この草案に明記された「天皇を戴く国」「国防軍を持つ国」「軍法会議を整備した国」こそが、安倍の望むところ。必然的に、天皇と軍との結節点である靖国神社への公式参拝を許容するように政教分離規定は書き改められようとしている。
先に紹介した現行憲法の20条3項に次の文言を書き加えて、国には禁止されている宗教的活動に、穴を開けようというのである。
「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」
つまり、靖国神社参拝は、「社会的儀礼」または「習俗的行為」の範囲を超えるものではない、として大っぴらに参拝しようということなのだ。
憲法解釈の基準はまさしく正確に把握された歴史認識にある。政教分離の解釈には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」を読み込まなければならない。そのためには、天皇のために玉砕し散華した戦死者を神として祀り美化する宗教施設と国家との関わりを持たせてはならない。安倍晋三のような危険な人物の靖国神社公式参拝を認めてはならない。
靖国神社参拝という違憲行為を敢えてした、安倍晋三を首相の座に留めていてはならない。
(2013年12月26日)
2014年都知事選が、1月23日告示、2月9日投開票に決まった。保守側の候補者の名は賑やかに取り沙汰されているが、革新陣営の候補者擁立の動きは私の耳には聞こえてこない。
革新陣営・市民運動参加者がこぞって、一日も早く、しかるべき候補者の擁立を進めるよう願っている。前回の革新(統一)候補者であった宇都宮健児君に気兼ねし、あるいはその擁立の可能性にこだわって、統一候補選任の進展を遅らせるようなことがあってはならない。彼は、前回選挙の惨敗で到底勝てない泡沫候補であることを実証済みではないか。都知事候補として、選挙民を惹きつける情熱と力量と魅力を持っていない。しかも、けっして「人にやさしくない」。弱者の権利救済に意欲も力量もない。しかも彼のやり口は、姑息で狷介だ。到底革新統一の御輿に乗る資格はない。それだけではない、前回選挙では彼自身に違法の疑惑がある。仮に彼が当選するようなことがあれば、再びの百条委員会開催問題となりかねない。3年続けての都知事選は、悪夢だ。
前回選挙を経験した多くの人が、宇都宮君の候補者としての適格性に疑問をもっていることは明々白々と言ってよい。しかし、その多くの人が、善意から「では誰が候補者として出馬してくれるのだろうか」「急なことで、結局は宇都宮さん以外に候補者がないのが現実ではないか」「候補者として清新さも魅力もなく、勝てそうにもないけれど、宇都宮さんでしょうがないじゃないの」「不戦敗よりは、宇都宮選挙の方がましではないか」「現実的な候補者案を出さずに宇都宮さんを批判するのは無責任」などとお考えではなかろうか。
私は、このような考えを払拭しなければならないと思う。こんな考えが頭の隅にでも残っているから、ずるずると時を過ごして、候補者選びが遅滞しているのではないだろうか。まず、「宇都宮君は候補者として不適格。別の共闘候補者を本気になって選任する」というスタンスに立つべきである。
申し上げておきたい。宇都宮君を候補者として推薦することは無責任だということを。前回選挙における問題行為を指弾されるおそれが濃厚であることを。敢えて言う。仮に候補者が見つからなければ、不戦敗の方が「まだマシ」なのだ。宇都宮君の再びの惨敗は、「革新の惨敗」と記憶される。それは望ましいことではない。そして、それ以上に宇都宮君の擁立は危険なのだ。
不戦敗が望ましくないという陣営は、各グループ独自の都知事候補を立てるべきであろう。宇都宮候補では勝てないことが分かりきっているのだから、同じ負けるにしても、歯がゆい共闘をして負けるよりは、「わが陣営独自の候補」を擁立して、精いっぱい「わが陣営の政策」を訴え切る政治戦を行うのが筋ではないのか。
誤解されては不本意なので、ハッキリさせておきたい。私は、革新統一選挙の実現を強く願う立ち場にある。統一のための政策協定が締結されて、選挙民に訴える力のある、魅力的な候補者の選任が一刻も早く実現することを希望している。宇都宮君はそのような候補者としての資格はない。
特定秘密保護法反対運動の中で、知る権利の重要性が強調された。そこでは、行政の秘密主義が、国民の政策選択の基礎であって、正しい政策判断に到達する権利を奪うものであることが熱く語られた。「国民に知らせることが適当でない情報があることは当然」「全てをさらけだしては、効率的な行政はできない」などという、政府見解が厳しく指弾された。
私は、行政と国民とのこの局面における関係は、「市民選対」と「市民選対を支える市民」との関係とまったく同じだと思う。市民選対は、市民を舐めてはいないか。「市民は由らしむべし、知らしむべからず」とでも思っているのではないか。選対が許容する範囲の情報だけを流しておけば十分という誤りを犯してはいなかったか。
市民選挙が市民に開かれたものであり、市民にカンパや労力の提供を求め、支持の拡大を図るものであるからには、選対はできる限りの選挙関連情報を提供しなければならない。市民には、選対の動向について「知る権利」がある。ネット社会において、情報の発信は難しいことでもなく、手間や費用のかかることではない。にもかかわらず、選対の一部が情報を独占して秘匿し、これを小出しにするということは、市民の権利を侵害することである。
市民すべてが、十分な情報に接することによって、宇都宮君再出馬の是非について検証しなければならない。少なくとも、私が当ブログで提供する情報については、判断材料としていただきたい。
そんな意味合いで、本日は、金にまつわる問題の一部について、事実の提供と若干の意見とを申し上げておきたい。
前回2012年選挙における宇都宮君の立候補供託金(300万円)は、私の妻が捻出した。妻の即断で、妻名義の預金を下ろして用立てた。立候補届出直前に彼が用意できないとなったからだ。選挙運動収支報告にも、政治資金収支報告にも記載はないが事実である。
そのとき、ふと私の脳裏をよぎったものがある。「もしや、法定得票数に達せず、供託金が没収されるようなことがあったらどうしよう」というもの。まさかとは思ったが、あり得ないことではない。「そのときに、いま300万円を用立てることができない人物からの回収が可能だろうか」と。
しかし、「当選を目指して選挙運動を始めようという自分が、初めから惨敗を予想してはいけない」と自分を抑え、「仮に、供託金没収になったら、そのときはやむを得ないとあきらめよう。潔く300万円カンパしたと思えばよい」。そう夫婦で話し合った。このときには、一切の書類の作成はない。
結局は大敗ではあったが、幸い法定得票(有効投票数の10%)はクリヤーして、供託金は没収を免れた。当然、宇都宮君自身が直ちに供託金を取り戻して、返済してくれるだろうと思ったが、しばらく何の音沙汰もない。借用証書の一枚もないのだから不安になって返還を請求した。「え?、まだ返していないの。会計責任者がやっていたと思っていた」という他人事のお返事。4月12日付で「4月末までに返済をする旨の誓約書」が差し入れられ、4月16日に返済された。正直なところホッとした。
次の話題。
12月21日付の当ブログで、上原公子さんが「労務者」として金銭を受領していることについて、次のように書いた。
「極めつけは、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、報酬を受領していたことです。支出の目的は二人とも「労務者報酬」と明記されています。私は、選挙が終わって約半年後の6月17日付で東京都選管から選挙運動報告書の写しをもらって、初めてこのことを知りました。さすがに、これには驚きました。多くの無償(ただ働き)ボランティアを募集し運動をお願いする立ち場の人が、ちゃっかり自分は報酬をもらっているのです。お手盛りと言われても、返す言葉はないでしょう。」
「選対本部長も、出納責任者も、「労務者」として届け出て、「労務者報酬」を受領したのです。明白な脱法行為です。もし、「労務者」として届けられた人が、単純労務の範囲を超えて、少しの時間でも人に働きかける実質的な選挙運動に携わっていれば、運動買収(日当買収ともいう)罪が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となります。総括主催者が有罪となれば、場合によっては、連座制の適用もあるのです。」
前の文章が選対本部長の道義的責任を問うたもの。後のものが法的責任を問うたもの、端的に言えば選対本部長と事務局長に犯罪の容疑があるという指摘である。
このブログを書いたのが4日前。連休明けの昨日・今日には、「知らなかった」「驚いた」「許せない」「カンパしたことが馬鹿馬鹿しい」などという、もっともな反応に接している。ところが、「道義的に問題だとは思いますが、上原さんの行為が本当に犯罪になるのですか」という率直な声にもぶつかった。言外に、「法は厳しすぎるのではないか」というニュアンスが感じられる。そこで、もう一度、この点に触れなければならない。
明らかに犯罪になるのだ。これは、選挙運動収支報告への届出の有無や届出内容とは無関係。「労務者としての届出が間違い」というレベルの形式犯罪ではない。労務者としての事前の届出対象者が、純粋の労務提供をしている限りおいては、労務提供の対価としての金銭の支払いは違法ではない。しかし、人に働きかける選挙運動としての実質を持つ行為を行った者は、労務者としての届出があろうとなかろうと、金をもらってはならない。これに金銭の授受があれば支払った側も、支払いを受けた側も犯罪になるのだ。
面倒だが、適用条文を引用する。
「第221条1項 次の各号に掲げる行為をした者は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
1号 当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき。
4号 第1号…の供与、供応接待を受け若しくは要求し、第1号…の申込みを承諾し…たとき。」
この条文には、投票買収と運動買収の両方が含まれているので、必要な箇所だけを書き抜けば次のとおりとなる。
「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をしたとき」(法221条1項1号)、または「第1号の供与を受けたとき」には、金を払った側は、買収罪(1号)、金をもらった方は被買収罪(4号)として、最高刑が懲役3年の犯罪になる。
そもそも選挙運動は金をもらってやるものではない。金を渡して選挙運動をさせても、選挙運動員に報酬を渡しても犯罪なのだ。金を払った方も、受けとった方も処罰される。このことがよく分かっていない人が多いように思える。漫然と、「選挙事務所に詰めて働くのだから、報酬をもらって当然」という感覚があるとすれば、一掃してもらわねばならない。これは弾圧立法ではない。民主主義社会の常識が法の条文に結実したものと考えなければならない。徳洲会や石原宏高や、猪瀬事案を批判しながら、宇都宮選対の違法に目をつぶってはならない。
なお、市民選対の本部長や、出納責任者には、高い道義性や献身性が求められる。運動の中心にあって、多くの人にカンパや労力の提供を呼び掛ける地位にある人は、自分がその金をもらってはならない。これは市民常識であり、市民運動に携わる者の健全な道義感覚である。しかし、それはあくまで道義的責任であって、「私の道義感覚や基準は違う」「このくらいの金額、金をもらってどこが悪い」「長時間詰めているのだからこのくらいもらわなくちゃ」と開き直られれば、批判はそれぞれの市民が自分の判断でするしかないことになる。「ご苦労様なのだから、金をもらったくらいでは、私は責めない」という人もいておかしくはない。しかし、それは道義的責任のレベルの問題でのこと。法律解釈においては、そのようないい加減は許されず、本人の主観的見解を問題とすることなく犯罪が成立する。
次の話題。
インターネット公開されている「人にやさしい東京をつくる会」収支報告書によれば、2012年12月23日に「会食会 206,500円」の支出がある。支出先は、「中華料理 日興苑」。選挙終了後であっても、選挙運動者の飲み食いに、20万円が支出されている。市民のカンパから、これだけの金額の「供応接待」に当たる支出がなされているのだ。誰の裁量で支出したのかは知らないが、これはやばい。少なくとも、道義的には大きな問題であろう。
もうひとつだけ書いて、今日は終わりにする。
11月29日午前0時39分に中山武敏君から、次のメールをいただいた。
中山君とは、携帯電話で気軽に話し合う中である。わざわざのメールは、記録を残しておきたいということだと印象を受けた。
「人にやさしい東京をつくる会」の名で契約しているウエイブサイトやサーバーの処理、持っている什器類の整理等の実務的な問題を前回会議での決裂で処理ができなくて実務方が困っています。どこかの段階で会議を開かなければなりませんが、出席の有無の意向についてお知らせください。
私も、電話ではなく、メールで回答の記録を残しておこうと考えた。以下に回答の全文を掲載する。
「澤藤です。
狭山再審も、東京大空襲弁護団としての特定秘密保護法反対運動もご苦労様です。
久しぶりにメールをいただきましたが、「前回会議での決裂」とはまったく意外なご認識。意見の相違は以前からありましたが、前回会議での「決裂」はありません。
「出席の有無の意向」は会の全メンバーに尋ねているのでしょうか。それとも、特定の者についてだけ?
前回会議では、中山・宇都宮・上原の3者で協議して、今後の議論の進め方をどうするか素案をつくってみんなに提案することを「確認事項」としたはずです。
会議には議事録を作成するということで、書記役が会議に参加していました。これまで、その議事録を見せていただいていませんので、ぜひ拝見したいと思います。郵送か、メール添付でお送りください。
前回会議のあと、私は中山君に電話して、確認事項に基づく3者の協議は進行しているのか尋ねたことがあります。ご記憶あるはずです。あなたの回答は、「まだ協議はしていない」ということでした。また、その際には、「間にはいってくれる人がいる。その人から(澤藤に)連絡があるはずだ」とも聞いています。
しかし、今日に至るも「前回会議の確認事項」について何の進展の連絡もなく、「間にはいってくれる」はずの人(誰かは知りませんが)からの連絡もありませ
ん。
問題の中心は、選対本部長と事務局長から、強権的に任務剥奪の処置を受けたSとTさんの救済措置にあります。これをどう解決する予定であるのかご連絡をください。人権課題に関心をもつ者であれば、権利侵害を放置して済ませることができないことはよくお分かりいただけるはずです。
会議が必要であれば、当然に出席します。しかし、事前に議題や議事の進行方法などについて、きちんとお知らせください。会議で唐突に資料を示されても十分な検討ができません。その点についてはくれぐれも十分なご配慮をお願いします。
取りあえずは、実務方が処理に困っているといわれる「実務的な問題」について、その内容と処理方針を全メンバーにメールでお知らせいただくようお願いいたします。
なお、徳洲会の運動買収事件が猪瀬陣営に飛び火して、会計上の不正が大きな話題となっています。私は、宇都宮陣営の会計にはまったくタッチしていませんが、清廉なはずの革新リベラル候補の陣営に、保守の選挙とよく似た問題の指摘がなされるおそれを払拭できません。
東京都の選管に報告された選挙運動収支報告と政治資金収支報告とを閲覧した限りでは、収支の内容がよくわかりかねます。辻褄の合わない疑問点も多々あります。いまさら、引っ込めることはできませんが、よくもこんな内容を公開したものと驚くこともあります。
「会」の代表である貴君は、報告書によく目を通していらっしゃるのでしょうか。
もし、まだということであれば、公職選挙法上の選挙運動収支報告は都庁の選管で、政治資金規正法上の政治資金収支報告はインターネットで閲覧可能です。よくお読みください。
そのうえで、少なくとも選対メンバーには、会の立ち上げから現時点までの正確な会計報告をしていただくよう、正式に要請いたします。
また、選挙費用としてカンパをいただいた金銭の余剰分について、どう処理をすべきかお考えでしょうか。石原慎太郎が尖閣の購入資金として集めた寄付の処理については、批判が集中したところです。その二の舞をしてはならないと思います。
選挙直後には、政治団体である「会」への寄付だったのだから「会」の運動に使って問題はない、という雰囲気でした。私も、その時には異議を差し挟むことはしませんでした。しかし、今は違います。選挙のためのカンパとしていただいたものですから、選挙以外の目的に使うべきではないというのが筋の通った考えだと思います。
面倒でも、費用がかかっても、カンパした人に按分して返還しなければならない
と考えています。
貴君に腹案あればお知らせください。」
その後何の連絡もなく、12月19日の「だまし討ち会議」招集の通知に接した次第。その会議の席でも、会計報告はなかった。
私は、会計報告にごまかしがあるとはまったく思っていない。まさか、私物化もなかろう。しかし、この不透明性には我慢がならない。どうして、みんなのカンパの集積である会計の徹底した公開ができないのだろうか。
ズケズケとこんなことを言うから、解任されてしまったのだろう。
(2013年12月25日)
本日は「だ・ま・し・う・ち」の顛末をお伝えします。
私が、宇都宮君を見限った最後の決定打が、このだまし討ちでした。私は、宇都宮君をこのような姑息な小細工のできる人物とは思っていませんでした。優れた人物であるかどうかはともかく、少なくとも汚いやり口とは無縁の人と思っていたのです。その人格への信頼が崩壊した経過です。
猪瀬退陣が確定した12月19日(木)の午後5時28分に、以下のメールが届きました。発信人は、「人にやさしい東京をつくる会」の熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)です。その全文を掲載します。
皆様 まことにご無沙汰しております。
「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議メンバーの皆様にお送りしております。
宇都宮先生と中山先生より、会議招集の要請がありましたので、ご連絡を差し上げます。
ご存知の通り、猪瀬知事の辞任という事態を受けまして、会としての対応を緊急に話しあうため、下記の運営会議を緊急に開催したいと存じます。遅い時間になってしまい、恐縮です。
前回の運営会議で、今後の取り扱いについては宇都宮先生と中山先生に一任するということになっておりました。この会議は宇都宮先生と中山先生からの招集ということになります。
ご出席できない方は、恐縮ですが、どなたかに委任のご連絡をお願い致します。
日時:2013年12月20日(金) 午後9時?
場所:東京市民法律事務所
【議題】・新しい情勢にあわせた取り組みについて
なにとぞよろしくお願いいたします。
私には、事前に議題についての意見の打診も、日程の都合の問い合わせもありません。夕方のメールで、翌日午後9時からの会議の設定です。しかも、はじめての「委任のご連絡」という言及。不自然な感じは拭えませんでしたが、私も運営会議メンバーの一人ですから、招集された会議には出席の義務はあります。さすがに、午後9時には日程差し支えの事情もありません。出席することにはしました。
念のために、会の代表の立場にある中山武敏君に電話をしました。なかなか、電話がつながらなかったのですが、翌日の10時54分に彼から電話をもらいました。電話で聞きたかったことは2点ありました。
その一つは、議題「新しい情勢にあわせた取り組み」に関連しての、発言内容の準備です。「結局今日の会議では、宇都宮君の再出馬の是非をめぐる議論になるんだろうね」と聞いたのですが、中山君は「自分はどのような議事になるかは知らない」と言っていました。会の代表が「知らない」と言うのも不自然なのですが、「宇都宮君は出馬の意向なのか」と聞いたのですが、「宇都宮は推されれば出る、ということだと思うよ」という以上は語りませんでした。私は、今日発言すべき自分の立ち場を明確に伝えておきました。「私は宇都宮君の再出馬には反対だ。前回選挙で彼の非力は明らかではないか。それだけでなく、彼も選対も、法的に大きな傷を抱えている。立候補すれば問題になる」。このことについて、中山君がどれほど深刻に受けとめたかは、よく分かりません。
もう一つ。昨年選挙の最終盤で任務外しをされた二人の随行員の名誉回復措置について、宇都宮君と中山君・上原さんの3名で、どう処置するか預かりになっていたはずだが、その結論はどうなったか、という問題。
これについては、中山君は率直に「自分の力ではどうにもならなかったんだよ」と言っています。解決できなかったことを自分の非力の結果とする、誠実さをみせてはくれました。
その夜。ビルの7階にある市民法律事務所で、午後9時10分ころ、これまでになく議長席にふさわしい場所に宇都宮君が着席して会議が始まった。中山君が議長を務めるのが自然なのだが、同君から「議長はボクじゃなく、宇都宮君にお願いする」との発言があって、宇都宮君が「では、私が議長を務めます」となりました。
ここで、私が、「夜が遅い。私は体調も良くない。ぜひ大事な議題から手際よく議事を進めていただき、11時には終わるようにお願いしたい」と発言し、「分かった」という宇都宮君の答がありました。
そして、宇都宮君が「今日の議題を準備していますので、熊谷事務局長から配布してください」と議長として発言しました。メールでは会議の議題は具体化されていなかったけど、事前に議題を練っていたのだ。そう思いつつ配布された「議案」に、目を通して驚きました。なんということ。
2013年12月20日 人にやさしい東京をつくる会運営会議
議案1:現在の運営会議を本日付で解散すること。
理由:現在の運営会議については、前回2012年の都知事選挙に対する取り組みの終了にともない役割を終えたため、本日をもって解散することとしたい。
議案2:会の新しい協議機関の選任・招集については宇都宮・中山の両氏に一任すること。
理由:議案1の運営会議解散を受けて、新たな協議機関を設ける必要があるが、これについては、宇都宮氏と会代表の中山氏に一任することとしたい。 以上
以下は、専ら、私の発言です。もっとも、発言の順序は必ずしも、正確ではありません。
「何ですか、これは。運営会議委員の全員を解任して、うるさい誰かだけを除いて、仲良しだけを再任しようというのですか」「こんな議題の通知は事前にはなかったではないですか」「こういう汚いやり口を、普通は『だまし討ち』というんじゃないか」「こんなことをたくらんで、私を除いてこっそりみんなあつまって相談したのか」「だいたいがおかしい。都知事選挙に対する取り組みの終了にともない役割を終えたため『会』を解散するというのなら話は分かる。どうして会は存続して、今ごろになって運営会議だけが役割をおえたというのか。どうして、『人にやさしい東京をつくる会』の役割が終わったとは言わないのか」
これに対する応答は、「ともかく議案が提出されているのだから賛否の意見だけを言ってもらえばよい」「あなたは、ほかのメンバーと信頼関係を築けないんだから、袂を分かつのはやむを得ない」というものでした。
なお、一点印象に残っているのは、熊谷事務局長の「運営委員会の解散も、会の解散も同じことですよ」というものだった。もしかするとこの人は、会の解散を決議したものと理解しているのかも知れない。
「恥を知れ」「恥ずかしくないのか」という言葉は呑み込みました。私が、この会から追い出されることが明確になった以上、二人の随行員外し問題については、確認しておかなければなりません。
「この問題の解決方法については、前回会議の終了時点で、中山・宇都宮・上原の三君に預かりとなっていたはずだ。会が解散するかも知れないということだから、その結論を聞かせていただきたい。上原さんは当事者だから意見は聞きません。順序から言えば、まず中山君」。中山君の答は、「私の力では解決できない。どうすることもできない。残念だが、やむを得ないので、双方ともこのまま、相手方を攻撃しないということで、大人の解決をして欲しい」
「で、宇都宮君、君は?」「ぼくも同じですよ」
「大事なことだ。同じなんて言うな。自分の言葉で語れ」
「結局はやむを得ない処置で、選対本部長や事務局長の責任を問うべき事件だったとは思わない」
「そうか。分かった。これまでは君が仲裁に入るということだったから、批判を控えてきた。今後の発言には遠慮をしない」
ここで上原さんからひと言ありました。「事実でないことを言われては困りますよ」「あなたには、求釈明をして、事実確認を求めている。お返事をいただきたい」「返事はしません」
このあたりで、「採決をしましょう」「みんな忙しいんだから」という声があがりました。「採決に反対する。そもそも、こんなことが多数決で決められるのか疑問だ」という私の発言は取りあげられず、
「議案1の賛否を求めます」「賛成」「反対1名で議決が成立しました」
「議案2の賛否を求めます」「賛成」「反対1名で議決が成立しました」
これで終わり。9時40分でした。会議時間は30分余。なるほど、多勢に無勢とはこういうこと。それにしても、これはついこの間、どこかで見た景色。同じことを、やっぱり薄汚い連中がやっていた。
全部終わってから、ようやく見えてきた。そうか、だから委任状が必要だったのか。
「【議題】・新しい情勢にあわせた取り組みについて」と言って招集して、実は「澤藤解任決議」を準備していたのか。中山君が事前の電話で「今日の議事についてはよく知らない」と言ったのは、真っ赤な嘘だったのか。
「澤藤解任」の議案では、解任の理由を特定しなければならない。そんな面倒なことをせずに、うるさい私を解任する方法を考え出したのだ。いかにも、労務屋が考えそうな汚い手口。会社解散ということで全員解雇しておいて、会社に忠誠を誓うものだけを再雇用するあの手口だ。革新共闘で選挙に出馬しようという候補予定者のとるべきやり方ではない。宇都宮君、そしてあの会に出席していた諸君、恥ずかしくないか。
どうして、もっと正々堂々とものが言えないのか。「澤藤の言動は独善的で、協調性に欠ける」というなら、真正面から批判したらいいだろう。もちろん私にも反論の言い分があるが、当たっているところもあるかも知れない。十分な議論を尽くせばよいではないか。
「時間がない。会期延長には応じ難い」として、特定秘密保護法の強行採決をやった安倍自民と同じことを宇都宮君はやったのだ。いや、もっと姑息で、薄汚い「議論封じ」でだ。これは、忌むべき数の暴力ではないか。問答無用で少数者を排除するこのやり方は、国会の保守派以上のひどいやり口ではないか。
宇都宮君よ、君は今、ほくそ笑んでいるだろうか。「うるさい奴をうまく切ってやった」と。しかし、ボクを切った君の薄汚い手口が、君の革新共闘候補としての不適格を雄弁に物語っている。そのことを肝に銘じて欲しい。
だから、宇都宮君、来るべき都知事選に立候補はおやめなさい。
(2013年12月24日)
私は、宇都宮君とは同期の弁護士という間柄になります。ともに、1969年春に大学を中退して司法修習生となり、そこで知り合いました。ですから、付き合いの期間は40年を遙かに超えることになります。
ともに71年に東京弁護士会に登録をしましたが、活動の分野を異にすることとなりました。私は主として労働事件に携わる弁護士となり、青年法律家協会や自由法曹団などに拠って活動をする立ち場となりました。彼が何をしているのか、しばらくはよく分かりませんでしたが、次第に「サラ金問題の宇都宮」として知られるようになってきました。
私の関心の分野が労働問題オンリーから、憲法訴訟や教育問題、医療事件などを経て消費者問題にも拡がり、東京弁護士会の消費者委員長を務めました。そのころ、宇都宮君は「サラ金問題」のエキスパートとして6代目の日弁連消費者委員会の委員長に就任しました。彼の後塵を拝して、私は8代目の委員長となりました。(なお、中坊公平さんが2代目でした。)
同じ「消費者族」と見られる立ち場となって、当然に宇都宮君を仲間と思って信頼もし、彼の温和な人柄も好もしいものと思ってきました。それだけでなく、サラ金問題を個別事件としての解決に終わらせず貸金業法改正問題に取り組む姿勢も、「反貧困」の運動に足を踏み出したことも大いに評価していました。
そんなことから、2012年暮れに降って湧いた東京都知事選では、喜んで宇都宮健児候補陣営の選対本部委員になりました。友人としての自発性に支えられたもので、何の組織的な背景を背負ってのものでもありません。
「人にやさしい東京をつくる会」の中の、「人にやさしい」のネーミングは私の発案です。私は、傲慢な石原都政に我慢がならず、宇都宮君であれば、その対極として、一人ひとりの都民にやさしい都政を実現してくれると、心から期待したのです。とりわけ、弱い立場にある者、貧しい者、差別されている者、少数者の側、たった1人で孤立する公益通報者にも、意識的に味方してくれるはず。そう信じての精いっぱいの応援でした。
私的なことですが、私は肺がん手術後の身で、十分な体力はありませんでした。それでも、自分の影響力の及ぶ限りは、宇都宮君を「弱者の味方」として、大きく声を上げて推薦してまわりました。
その私の内部にあった、宇都宮君の虚像は選挙に関わったころから、徐々にメッキが剥がれて瓦解を始め、ちょうど1年かかって完全な崩壊に至りました。この選挙に関わるようになってから1年余。今は、自分の「人を見る目のなさ」を嘆き、深く恥じいるばかりです。1年前、このような候補者についての私の推薦に耳を傾けてくれた皆様、とりわけ熱心に選挙を支えていただいた都教委と闘う退職教員の皆様にお詫びの言葉もありません。
前回選挙が終わって、宇都宮健児君という人物が候補者としてふさわしかったのかどうか。これまで、私を含めて誰もきちんと検証する発言をしていません。民主的な「市民選挙」にあるまじきことではないでしょうか。選挙戦が終わるまでは、候補者の能力や資質を攻撃するのは愚かなこと。しかし、これだけ大差で敗れたあとでも、適切な候補者であったかをきちんと検証しないことはさらに愚かなこと。一年経って再びの選挙に、その適格性の検証のないまま再び候補者として擁立しようというのは、愚の極みといわざるを得ません。
私は、宇都宮君が、都知事としても革新陣営の候補としても不適格だと確信するに至っています。その理由を整理すれば、
(1) 彼は都知事選候補者としての資質・能力に欠けます。到底、「魅力のある、勝てる見込みのある候補者」ではありません。このことは既に実証済みと言えましょう。
(2) 彼は、弱者の立場に寄り添おうという誠実さに欠けています。「勝てないとしても推すべき候補」というべきではありません。
(3) 彼の流儀はけっして正々堂々としたものでなく姑息で、道義的に問題が大きく候補者としてふさわしくありません。
(4) 前回選挙において、彼と彼の取り巻きのした行為には明白な違法があって、仮に当選した場合には、追及を受けて油汗をかかなければならない危険な立ち場にあります。
反対のご意見があることは当然だと思います。その方たちが、宇都宮君を擁立するという選択もあり得ましょう。しかし、意識的に宇都宮君をチヤホヤするだけのコマーシャルメッセージで判断されることのないよう、ご忠告いたします。賢い消費者として、売らんがための宣伝を鵜呑みにすることなく、シビアな自分自身の目で商品の品定めをしていただきたいのです。私が知る限りの材料は、このブログで提供いたします。できれば、その材料も吟味してご判断をいただけたら有り難いと思います。私のように、1年前の自分の判断を悔やむことのないようにお願いいたします。
私の願いは、革新の共同行動の先頭に立つにふさわしい、清新な候補者の選定作業が迅速に進展することです。宇都宮君の存在を意識して、その作業が遅滞することを恐れています。人を見る目のないことにおいては実証済みの、私の出る幕ではありません。都政のことを深く考えたことのない一夜漬け・俄か勉強の候補者ではなく、常々都政の問題に取り組んでいる市民グループを中心に、宇都宮君以外の候補者の人選を進めていただきたいのです。
特定秘密保護法反対運動では、著名な多くのジャーナリストや作家、表現者が忌憚のない声を上げて運動の先頭にも立ちました。このような人々に白羽の矢を立てることは十分に可能ではありませんか。
「時間がないからしょうがなく」「ほかに手を上げてくれそうな人がいないから不戦敗よりはマシ」などという消極的な理由で前回選挙で「泡沫」「惨敗」の刻印を深く押された宇都宮君を再び革新共闘の候補者にはすべきでありません。およそ有権者にたいする魅力に欠ける宇都宮君を再び擁立しての再びの惨敗は、宇都宮君自身の惨敗であるだけでなく、「革新の惨敗」でもあるのです。再びあの苦い味を噛みしめたくはありません。
さて、昨日のブログで、私が「宇都宮君、立候補はおやめなさい」ということに至った「対立」の発端としての「私的総括」を紹介しました。この中には、選対の無能・無為無策について触れてはいますが、候補者の無能・不適格については触れていません。私の、腰の引けた批判の姿勢が露呈しています。
その程度であっても、宇都宮選対のメンバーはこの公表を問題としました。私は、批判を封じようとする集団の圧力を感じざるを得ませんでした。内容的に最も問題とされたのは、私が文中で指摘した、選挙最終盤での選対本部長と事務局長による「問答無用の複数随行員に対する任務外し強行」の指摘です。
これについての私の言い分は、不当極まりない選対本部長・事務局長の「小さな権力の横暴」で、選対の体質の象徴的な表れ、だというものです。最も献身的で、最も有能な選挙運動参加者を恣意的に切って捨てたということは、世にブラック企業があり、ブラック官庁もあるが、ここには「ブラック選対」があったということなのです。こんなやりかたで、市民選挙が発展するはずもない。選対の体質は、「選挙運動は気のあった者どうしだけで楽しくやればよい」というものではないか。「真剣に選挙運動をしようとする市民の参加は邪魔として抑えてきたのだ」というものでした。これに対して、選対本部長・事務局長は、任務外しにはそれなりの理由があるのだということでした。この件については、後に詳しく述べます。
多少のやり取りがあって、この点に関して宇都宮君が問題解決のために調停にはいるということになって、1月5日掲載の「私的総括」は、その調停作業が進行中はブログ掲載から下ろすことを承諾し、数日を経ずして「当たり障りのない総括文」に差し替えました。
もちろん、私は大いに不満だったのですが、「大人の態度」で妥協したのです。私には、その時点で、宇都宮君にまだ幻想がありました。弁護士でもあり、日弁連の会長も務めた人物です。弱者の立場に立つ人とも思っていました。彼が調停してくれるという事案は、さほど複雑でも、解決困難な深刻なトラブルでもない。解決のためにそれなりの知恵を発揮してくれるだろう。そう、期待したのです。
しかし、私は甘かった。期待はまったく裏切られました。形ばかりの「調停」の作業は、実効的な進行をすることのないままグズグズと時を過ごしました。そして、最終的には、ほぼ1年を経た今年の12月20日、私の「解任決議」が行われた「人にやさしい東京をつくる会」運営会議の席上で、「いったいこの事件の調停作業の結論はどうなったのか」という私の問いかけに、「あれは、選対本部が責任をとるべきことではないと認識しています」というのが宇都宮君の結論の言い渡しでした。
この件は、宇都宮君の姿勢や能力をよく表しています。彼は、人にやさしい資質を持っていません。弱い立場にある人の側に立とうという気概もない。人の屈辱や悩みを理解できない。ただ、ただ、集団の多数派に身を寄せる保身にしか考えが及ばないのです。弱い立場にある者が、強者や多数派の横暴に被害を受けたという訴えがあったとき、これに真剣に耳を傾け、たとえ能力が及ばなくても解決をはかろうという誠実な姿勢がありません。せめては、公正な第3者委員会の体裁を作って、選対側の唐突な随行員解任の理由を特定して「被害者」に示し、被害者側からの十分な反論を聞こうという常識的な最低限の行動くらいはすべきだったのです。しかし、彼はそれさえやろうとしませんでした。
彼には、身近な小さなトラブルを解決する能力がまったく無いのです。紛争の両当事者を説得し納得させる力量もなく、度量も迫力も持ち合わせていません。革新共闘の候補者としてのレベルの問題ではなく、通常の弁護士としての能力にも欠けるものと指摘せざるを得ません。
到底、推すことができないとする具体的理由について、明日から順次詳細に報告いたします。私は現役の弁護士ですから、依頼者のために仕事をすることが本分です。ブログの作成に費やせる時間には自ずから制約があります。おそらくは、あと10回くらいで、一通りのことを述べることができるでしょう。ただし、宇都宮君に、再出馬の意向がないことが確認できれば、必ずしも、「立候補をおやめなさい」と呼び掛け続ける意味はなくなります。
また、一通りのことを述べたあとも、宇都宮君の立候補断念が確認できなければ、さらに声を上げ続けなければならないと決意しています。
(2013年12月23日)
私は、2012年東京都知事選における宇都宮健児候補陣営の選対本部委員になりました。自分なりに当選のための努力は尽くしたつもりでしたが、大差で惨敗したことの衝撃は大きく、シビアな総括が必要だと考えました。下記の文が、昨年末ちょうど1年前(12月22日)時点で作成した私の「私的総括」です。
私と宇都宮選対の「対立」は、私がこの「私的総括」を1月5日付ブログで公表したことに端を発します。この公表が怪しからんというのです。その意味では、この「総括」は、「歴史的文書」であるかも知れません。事情あって、その直後にブログからの掲載を下ろして今日に至ったものです。改めて当時のまま再掲載いたします。
宇都宮選対メンバーの大勢的な見解は、「1月6日に予定されていた総括会議の前の私的総括の公表は選対内部の信頼関係を損なう」というものでした。しかし、私は、市民選挙に参加した者がそれぞれの立ち場で総括をすることは歓迎すべきことであり、ある程度中心にいた者にとっては責務ですらあると考えています。当然のことながら総括は公表しなければ意味がありません。どんな時点でもかまわない、それぞれが「私的総括」を発表し合うことには、積極的な意味があるはずです。多数の人がお互いに情報を交換することによって、事実認識は多面的に豊富になり間違いがあれば訂正されます。意見の交換を通して、それぞれの意見を深めることが期待されます。
また、市民運動の原則からいえば、討論の過程が広く公開され、透明性が徹底されることこそが原則だと思います。、宇都宮選対メンバー(念のため、全ての人ではないことを申し添えます)の言い分は、愚かなものとしか考えられません。
やや長文ですが、以下の「歴史的文書」を、私が「宇都宮君、立候補はおやめなさい」というに至った「対立」の発端として、お読みください。今読み返して、なんと腰の引けた、奥歯にものが挟まったような、具体性を欠いた物言いだろうと思わずにはおられません。今書けばもっと歯切れ良く明確な、別のものになったとは思います。しかしそれでも、私が、「革新の統一」と「革新勢力の伸長」を真摯に願う立ち場から発言をしていることについては、十分にお分かりいただけるものと思います。
わたしが、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という現在の立ち場も、その点では一貫していることをご理解いただきたいと思います。まさしく、「革新の統一」と「革新勢力の伸長」のために、宇都宮君は再度の立候補はすべきではないのです。
(2013年12月22日)
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
2012年東京都知事選・私的総括 2012/12/22
澤 藤
※はじめに?「革新統一」を目指す立場から
*2012年12月16日東京都知事選と総選挙とのダブル選挙の投開票は、両選挙とも最悪の「惨憺たる大敗」の結果となった。悪夢が現実となった思いを禁じ得ない。
苦い敗北の味を噛みしめて、「この事態を打開するための覚悟が必要だ」と自分に言い聞かせている。
* たまたま、私は候補者の友人であることから、都知事選選対メンバーの一員となった。都知事選の「敗北」には、少なからぬ責任を負うべき立場にある。外部の人よりは事情を知る者として、自分なりの「敗北の総括」をすることが責務だと考えた。「この事態を打開するための覚悟」にもとづいてこの私的総括を綴っている。
* 美濃部都政を支えた「革新統一」や「革新共闘」が解体して久しく、時代の移り変わりのなかで、かつての「統一」の枠組みが成立しえなくなった。しかし、石原都政のあまりの酷さを耐えがたいとする「反石原」統一候補を擁立すべきとする気運は高まってきた。
そのような雰囲気の中で、前々回(2007年)都知事選における「革新」統一候補擁立が不成功に終わったことの無念の印象が深く、統一への期待と相乗効果への期待は大きかった。
同選挙において「革新」勢力が推した候補の獲得票数は以下のとおりである。
浅野史郎 1,693,323
吉田万三 629,549
合計 2,322,872(得票率41.7%)
周知のとおり、浅野史郎の選挙運動は無党派市民の「勝手連選挙」として注目され、独自候補を出さない民主党・社民党の支援、生活者ネットワーク・新社会党などの支持を受けた。吉田万三は「革新都政をつくる会」を確認団体とし日本共産党から推薦を受けた。敗れたとはいえ両候補の合計得票率は40%を超えた。統一した候補者擁立に成功すれば、その相乗効果によって過半数獲得も不可能ではない。「美濃部革新都政の再樹立」もけっして夢ではないと考えられた。個人的には、浅野・吉田の両陣営とも「日の丸・君が代」強制に反対の立場を明確にしたことに注目して、候補が統一されればとの思いは強かった。
* 2007年都知事選の選挙結果に、統一の相乗効果が加われば‥。この期待が今回選挙の、統一候補擁立の実現の原動力であり、選挙運動参加者のエネルギーの源泉であったと思う。
その統一の願いが今回知事選で実現した。反貧困の運動の旗手である宇都宮弁護士が市民の要求に応じて立候補を決意した。そして、市民運動が擁立した候補者を、複数政党が後景で支持するという統一の枠組みができあがった。候補者の選任や政策の策定、運動の進め方について、公式に各政党に意見を聞く機会は設けられず、候補者と各政党との政策協議も協定もなかった。すべては、阿吽の呼吸のもとにことが運んだ。また、政党以外の市民運動体として、各地域・各界に「勝手連」が形成された。その余に、労働組合や市民団体の支援の活動もあった。
この形での共闘の成立は、まさしく2007年に壊れた夢の実現であった。しかし、この期待は実らなかった。「なぜ‥?」と問わねばならない。
* 私は、革新の統一を心から願う立場にある。「統一」にまで至らずとも、革新の「連携」も「連帯」も、「共同行動」も歓迎する。この立場は、今回の都知事選に関わる以前も現在もまったく変わるところはない。しかし、選挙が終わった今、革新の統一とは極めて困難な事業であって、周到な準備が必要であり、智恵と工夫とたいへんな労力と能力とを要するものであることを実感している。
今回の都知事選は、革新の政策をたて、革新統一候補を擁立して、革新都政の樹立を目指した貴重な試みであった。にもかかわらず「惨憺たる敗北」に終わったのは、なぜなのか。私なりに、革新統一の成功を願う立場から、この貴重な試みを通じての見聞と教訓とを記しておきたい。
(なお、ここでの「革新」の定義は厳格である必要はない。今回の場合、改憲阻止・脱原発・反貧困・反石原がメルクマールであったろう)。
※総括の姿勢?運動の教訓を引き出すために
* 敗北の総括が傷の舐め合いであってはならない。次の展望を切りひらく手がかりをつかむためには、厳しい敗因の掘り下げが要求される。相互批判が不可避であり、自分自身を批判の対象外とすることも許されない。責任の一端を担う立場となった私も、自らの不明と無能を告白しなければならない。
また、運動の総括は評論ではない。実践的な教訓を引き出すものでなくては意味が無く、そのための視座・視点が必要である。獲得目標が何であったかを明確にして、目標達成に至らなかった原因を見極めなければならない。
なお、闘い終わっての将が兵の強弱や巧拙を語ることはない。むろん、支持政党が社交辞令以上の本音を語ることもあり得ない。この選挙に関わった者のすべてが、それぞれの立場と体験に基づいて、教訓を探る姿勢での忌憚のないそれぞれの総括をなすべきである。選対内部に身を置いた者にとっては最小限の責務であろう。私もその一端を果たさなくてはならない。
* 私的な総括においては、バランスに考慮して客観的な情勢や条件、主体的な運動のあり方の長所・欠点を羅列することはしない。安易に「不利な情勢と条件」を強調して、これを「敗北」の主要な原因とすることは意識的に避けたい。「厳しい情勢に悪条件が重なった中での選挙だった。だから、よく闘いはしたがこの結果はやむを得ない」「厳しい情勢を考慮すれば、むしろ、評価すべき票を得た」式の、外向け公式見解的総括では何の実践的教訓も引き出すことはできないと考えるからである。
※総括の視点?獲得目標は何であったか
* 今回の選挙戦の第一義的獲得目標は選挙に勝つこと、宇都宮候補補の当選を実現して、革新都政を再樹立することであった。これが、最大限獲得目標である。
また、当選には至らずとも、「革新諸勢力の統一した選挙運動の有効性を確認し、しかるべき時期における革新都政実現の第一歩とすること」が現実的な最小限獲得目標であった。
* 獲得目標は二方向にあった。一つは選挙民に働きかけて票を獲得することである。獲得票数ないし得票率が追求の対象となる。もう一つは、革新の共同に向けての運動の前進である。前進とは、選挙戦を通じての革新諸勢力の連帯・連携・共同の基盤を作り固めることである。その両者は相関しているが別のものであり、各獲得目標の達成如何は、前者は目に見える形で結果が現れるが、後者については検証が容易ではない。検証困難ではあっても、選挙戦を通じて革新諸勢力間の信頼感や連帯感を醸成し、今後の諸課題の行動における連携への第一歩を築けたかが問われなければならない。
私的総括においては、このことを中心としたい。このことは、「革新」諸勢力の統一した選挙運動の枠組みの有効性の確認でもあり、有効性を確保する条件の検証でもある。
* 今回の都知事選は極めて貴重な革新統一の試みであった。その試みが結果として「敗北」に終わったその原因が、今回の統一の枠組み自体にあったのか、今回の統一の枠組みの有効性を生かしきることのできない運動のあり方にあったのか、が問われなければならない。二項対立図式の設定が過度に問題を単純化する危険は承知の上で、「正しい枠組みを生かし切れなかった」のか、「十分な運動をしたのにこの枠組みの有効性の限界が露呈したのか」である。
換言すれば、選挙には敗北したが、革新諸勢力が連携して運動する土台を築き得たか、また今後どのようにすれば、その土台の上に共同の館を築くことができるか、という視点からの総括である。
※期待された相乗効果はなかった
* まず、選挙結果においては「大敗」を認めざるを得ない。第一義的な獲得目標達成にはほど遠い票数であるというだけでなく、「候補者統一による相乗効果」が見えていないことが重要である。
* 選挙得票数は、猪瀬4,338,9360、宇都宮968,960であった。選挙当日の有権者総数は10,619,652人、有効投票者数は6,647,744人。有効投票者数に対する得票率は、猪瀬65.3%、宇都宮14.6%である。当選に届かなかったというだけではない。ダブルスコア、トリプルスコアの域を超えて、得票比は4.48倍となった。「惨憺たる大敗」というほかはない。マスコミの一部に「不戦勝」の語が見える。まともな取り組みにすらなっていなかったという厳しい評価である。
マスコミの予測報道は一貫して「猪瀬リード」というものであり、選対の電話掛けでも「A票は10%前後」との報告は得ていた。しかし、「猪瀬リード」がこれほどの大差とは思わなかったし、A票の割合がそのまま得票率(対有権者比)になるとも考えなかった。開票結果の大差は予想を遙かに超えるものであった。
* 現実的な獲得目標に照らして、主要な問題は、得票の絶対数よりは、統一による相乗効果の有無にある。
相乗効果とは統一候補を擁立したことによる革新票全体の底上げの効果である。統一選挙の効果として、各勢力がそれぞれ独自に立候補して獲得するであろう各予想得票の総数を上回る統一候補の得票増をいう。それが、統一選挙戦の成功不成功のメルクマールとなる。選挙戦前はそう考えていた。
今回思いがけなくも総選挙とのダブル投票となって、もう一つの「相乗効果」が浮かびあがった。都知事選候補者についての得票増効果ではなく、革新諸政党の側にとっての得票増効果の有無である。都知事選への革新統一候補擁立によって革新票が底上げされ、革新政党の側に総選挙での得票増の効果が生じたか否か。
*都知事選と同時におこなわれた総選挙比例代表東京区の確定投票数は以下のとおり。
共産 484,365 7.4%(前回2009年総選挙時9.6%)
未来 448,689 6.8%
社民 136,899 2.0%(前回2009年総選挙時4.3%)
3党合計 1,069,953
宇都宮票968,960は、その合計に及ばない。
しかも、いくつかの出口調査によれば、宇都宮候補への投票者は、共産・社民支持層の3分の2、未来支持層の半分、無党派層の4分の1であったという。各陣営が統一したことによる宇都宮票増の相乗効果は、極めて乏しかったというほかはない。
毎日新聞出口調査が「宇都宮健児氏に投票したのは、‥無党派層の26%にとどまり、広がりを欠いた」と指摘していることの意味は重い。
* 前回(2011年)都知事選における「革新」候補は共産推薦の小池晃一人であり、その得票数は623,913票(10.35%)であった。前回の共産単独の小池得票率10.35%に対して、「未来・社民・緑の党・勝手連」を支持母体に加えた今回の宇都宮得票率14.6%は、4%ほどの上積みでしかない。正確な検証は困難であるが今回知事選の構図からは、小池が今回単独推薦で立候補していた場合、前回得票率を大きく下回ることは考えにくい。
結局は、各党分立した場合の単純合計の票すら確保できなかったのではないか。少なくとも、相乗効果が見えないという意味において「敗北」というほかはない。
*また、共産・社民とも前回(2009年)総選挙票を減らしている。未来の退潮は、東京都内の選挙こおいても顕著であった。定量的な検証は難しいが、政党の側にも都知事選統一候補擁立の相乗効果はなかったといってよい。
※「敗北」の原因・政党の側について
* 今回選挙の枠組みが有効に機能したかについては、枠組みの骨格を形づくる選挙対策活動を担った「市民運動」の側(以下「市民選対」、私もその一員である)と、候補者を支持した「政党」の側のそれぞれの事情を見なければならない。
各政党にとって今回知事選はいかなるものであったか。政党の側は各党とも、統一の原則を堅持する立場で極めて自制的に行動した。そのことは高く評価できるとしても、各党とも「自分の選挙」として積極的に取り組む姿勢には欠けたと言わざるを得ない。
所詮は各党にとって、都知事選は「我が党の選挙」ではなかった。ダブル選挙となって、そのことは際立った。各党に都知事選を「我が党の選挙として闘う」モチベーションを持てなかったその責任は、主として市民選対の側にある。市民選対は、各政党に「我が党の選挙」として取り組んでもらうべく熱意を示すことはなく、そのような戦略ももたなかった。働きかけが弱かったというよりはむしろ、「口は出すな」、「自党の候補者であるという顔をしてもらっては困る」「しかし、労働力と票だけは出していただきたい」という、虫のよい要求を言い続け、結局は政党の持つ力量を生かすことに失敗した。共闘の難しさが露呈した点である。
* 各政党の側に立てば、(市民選対の側にそれなりの配慮はあったものの)、基本的には、押し付けられた候補、押し付けられた政策、割り当てられた実務の分担による選挙において、「口は出すな」、「自党の候補者であるという顔をしてもらっては困る」と言われつつ、「労働力と票だけは出す」ことを要求されていたのである。これで、「我が党の選挙」となるはずはない。
* 各政党は、市民選対に無理な要求をすることなく、統一を擁護するために必要な信義を守る努力を惜しまなかったが、市民選対の側のこれに接する態度において、十分な配慮があったとは言いがたい。各政党や政党支持を表明している諸団体の提言や要望に謙虚に耳を傾けようとする姿勢に乏しく、共闘を構成する各政党、各団体の対等平等性が確保されていることへの信頼確保の努力も見えなかった。
市民選対は、漫然と政党の支持を期待するだけでは足りないことを自覚すべきである。各政党に対して、統一の大義だけを語るのではなく、統一による具体的なメリットをつくりだし具体的なメリットの大きさを示して説得し、各政党が積極的に統一選挙に参加することについての戦略をもたなければならない。
また、共同する仲間としての連帯をつくり出すための連絡や協議を徹底し、情報を共通にして運動の透明性を確保しなければならない。
※「敗北」の原因・勝手連について
* 各地区・各界の勝手連については未だにその実態も活動内容もよく分からない。無数の自主的な勝手連の活動があって到底把握しきれない、からではない。要するに把握する努力がないからである。少なくとも報告はない。選対が、その自発性を尊重しつつも勝手連の諸活動を把握し、自覚的に経験を交流して相互の刺激の上に活動を盛り上げようという戦略も戦術もなかった結果である。
* 目に見える限りでの勝手連の実体は、各地区の無所属議員グループである。都政要求についての市民運動体ではなく、各議員個人の実績作りが第一義となった活動とならざるを得ない。この人たちが街宣カーのウグイス嬢となった地元で、自分の名前を売り込んでいたとの苦情も耳にはいっている。選対は、勝手連を称する無所属議員には街宣車に乗せる機会を与えて、政党の議員にはそのような機会を与えていない。私には、選挙が終わってようやく見えてきた問題点であるが、各地区の政党支持者には当時から意識されていたことであろう。
* 告示直後のポスター貼りは、各地の勝手連が引き受けたと報告されていたが、結局は勝手連を称する無所属議員が、第一次の中継地点となったにすぎない。街宣なども、このような無所属議員を軸として予定が組まれた。中には、地元での各勢力の連携が上手にとれて街宣成功という報告も受けたが、特定の地元議員を中心にしたことによる不満も聞かれた。
* 勝手連は当初爆発的に広がるかと思われた。しかし、告示後のひろがりは見えなかった。
東大にも、早稲田にも、明治にも、学生勝手連は立ち上がらなかった(東大職組の勝手連はあった。早稲田卒の弁護士が数回早稲田でビラ撒きをして、学生の受け取りはよかったという報告はあった)。愛媛大からの学生一人の支援が話題となるほどに、学生の支援運動は乏しかった。労働組合の機関決定を乗り越えた勝手連の活動もなかった。作家や劇団や音楽家やスポ?ツ関係者の勝手連もなかった。アニメ問題の関係者の運動参加はあったはずだが、ひろがりについての報告はなかった。
脱原発運動グループと、日の丸・君が代強制反対の教育関係者の動きが目立ったが、反貧困・反格差の運動体も、クレ・サラ問題の運動体も、消費者団体も、中小業者も、オリンピック反対運動も、築地移転反対運動も、いずれも選対への結集はなかった。
市民運動がつくる選対の最大メリットであるはずの、市民運動諸組織の都政革新に向けた糾合という図式を描くことはできなかった。
※「敗北」の原因・労働組合等について
* 労働組合は、組織性をもって活動するグループとして、その行動力と集票力には大きな期待がかけられる。本来であれば、労働組合の勢力地図を分析して、オルグ活動を担当する部門が必要であった。
偶然の所産で寄り集まった選対メンバーにそのような能力はない。事情に通じた活動家から情報と意見を聞かなければならなかったが、選対にそのような発想はなかった。
* それでも、全労連・東京地評の系列労働組合には、支援決議をしていただいた。教育関係の労働組合諸組織についても支援決議がなされた。しかし、これは、自覚的な組合が自発的にしたもので、選対の働きかけによるものではなかった。
* 明るい革新都政をつくる会など選挙運動に経験をもつ運動体や、吉田万三氏などとの連携の必要性については、何度か意見が出された。その経験や情報、あるいはノウハウを受継することの重要性は自明だったが、生かされるに至っていない。
※「敗北」の原因・市民選対の能力の不足について
* 1000万有権者を相手に都政の革新を目指す選挙を担う組織として、選対の能力不足は自明であった。準備期間も不足し、担当者の経験も不足している以上は、まずはこれまでに蓄積された経験と智恵とを陣営のものとする努力が必要であった。
しかし、そのような努力はおよそなされなかった。たまたま候補者を中心として集合した集団の能力の限度で「可能なことをやればよい」というのが選対の一貫した姿勢で、「当選のためには何をなすべきか」という追求はなされなかった。
まさしく、今にしての後智恵からの後悔であり、私自身の不明・無能の責任も大きい。
* 選挙運動に参加する者のアマチュアリズムは最大限尊重されなくてはならないが、選挙戦を組織する者にはプロフェッショナルな構想力と手腕が要求される。都民の要求を把握し、その要求を政策化し、政策を争点化して、票を掘り起こすこと、また、選挙民の感性に訴える候補者イメージをつくりあげることは、豊富な経験に基づくプロの仕事というべきであろう。また、ガラス細工のような寄り合い所帯の良好な関係を保って、各陣営の運動の熱意を昂揚することも困難な業である。
このような難事をおこなうには、我が選対はあまりに非力であったと言わざるを得ない。その非力は当初は明らかでなく、次第に明確になっていくが、「今さらどうにもならない」という空気の中、最後まで外部からの助力を得る方向で改善されることはなかった。
* 小さなエピソードがある。開票直後の選対事務所での記者会見の席で、たまたま隣り合わせた選対本部長から「東京都の有権者数って、何人でしたっけ?」と聞かれた。
これには驚いた。選対本部長たる者が、得票の獲得目標や具体的な目標到達度の基礎となる数字を頭に叩き込んではいないのだ。そのような選対であった。
※「敗北」の原因・市民選対の体質について
* 選対が選挙運動のボランティア参加者に期待したものは、選対の指示を忠実に実行する労働力の限りであったように印象をうけている。
当然のことながら、選対の方針に従う者との間には軋轢は生じない。しかし、自主的な意見をもつ者や、選対の方針や事務能力に批判的な者は疎まれた。自発性や献身性に優れた者が排除の対象となった具体的な実例を挙げることが可能である。しかも、排除は極めて権力的に行われた。まったく「人へのやさしさ」を欠いた選対であったというほかはない。
* ボランティアで候補者の随行員をしていたT(女性)とS(男性)とは、選挙最終盤において問答無用で随行の任務からはずされた。何の理由も示されることもなく、何の説得もなかった。納得を得る試みはなく、弁明の機会すら与えられなかった。傲慢な石原流そのままの強権発動である。突然の要員交代に候補者も驚いたことであろう。その後のTとSからの「命令撤回と謝罪を求める」要求に、選対本部が応答することはなかった。
事後の事務局長メールでは、「選対の同意を得ずに、街宣現場が恣にTの随行員人事を決めた」「その中心にSがいた」ことが問題とされているごとくである。しかし、実際には現場の人手不足に選対本部が応えることがなかったことから、車長、副車長、随行員、古参ボランティアなどが協議して、現場の必要から随行員を補充したものである。
* もちろん、無償のボランティアの任務の取り上げであって、解雇や配転などの経済的な不利益が伴うものではない。しかし、献身的にボランティア参加した本人にとっては屈辱的な仕打ちであることに変わりはない。
選対本部長は小さな権力を振りかざして運動参加者に「命令」し、「市民運動参加者に対する命令の権限はあり得ない」とする者を、実力で排除したのである。市民運動の原則上見過ごしがたい。
このような選対の体質が運動参加者の意欲を殺いだことを否めない。
* 革新統一の要の地位にある市民選対には高い道義的な正当性が求められる。その要請に照らして、この件は今回の市民選対の権力的体質を露わにした象徴的事件であり汚点である。このような「事件」は表に現れにくく、表に現れても事実の確認が困難である。たまたま、私の身近に起こった事件として明らかにしておきたい。外にも多くの「小事件」があったことを仄聞する。
このような体質の選対に、革新統一の要をなす資格があろうとは思えない。今からでも遅くないから、選対本部長と加担者は、非を認めて誠実に関係者に謝罪すべきである。それ以外に、道義的な権威を回復する術はないと思われる。
※「敗北」の原因・選対事務局の情報開示の不透明について
* 私が選対メンバーに名を連ねることとなったとき、市民運動型選挙であれば当然のこととしてすべての情報の透明性が徹底されるのだろうと考えた。
たとえば、どのような団体や集会に候補者の参加が要請されており、あるいはいつのどこの街宣活動が誰によってどのように計画され、選対は各要請にどのように応答したのかが誰にも明瞭になるのだろうと考えていた。
しかし、現実には情報は事務局長に集中し、そこから選択された小出しの情報しか降りてこなかった。
* 街宣行動についての私の事前のイメージは、各地での小集会の連続ととらえていた。各地の選挙運動参加者が、市民運動も政党も無所属議員も勝手連も共同してどのような街宣行動にするか企画を練り上げ実行する。その企画の立案実行を通じて革新の共闘が進むことになる、漠然とではあるがそう考えていた。
しかし、街宣のスケジュールは(終盤には若干の改善をみたが)、前日にならなければ分からなかった。また、選対メンバーも候補者自身も、街宣計画の立案には参加していない。各地の誰からどのようなリクエストがあるかについては事前に明確にされることはなく、誰がマイクを握るか、誰が何をしゃべるか、そのことがどう決まるかは不明確なままであった。
* 以上の情報の不透明は、選挙参加者の参加意欲を殺ぐものであった。
※選挙政策の優位性について
* わが陣営の選挙政策は優れたものだった。単なる要求の羅列ではなく、体系として整合性のとれたものとなっている。今後の運動に有効に使えるものとして有用であり、「4本の柱」は都政における革新統一の旗印となるものと考えられる。
* 問題は、この政策を争点化して、各有権者の関心に応じて、具体的に論争的に宣伝しなければならない局面での弱点の露呈である。このことは、永遠の課題であるのかも知れないが、せっかくの優れた政策を生かし切れなかった点のもどかしさが残る。
※ 弁護士グループに関して
* 弁護士グループの活動は、各界勝手連活動の一種ではあるが、候補者が弁護士であることからの特別の期待もあり、法律家として公選法をクリアーする運動を先進的に示すことへの要請という特殊性もあった。
選挙活動に参集した弁護士は「会」を作って定期的に会合をもち、集会・賛同アピール・法定ビラ配布・電話掛け・カンパ要請活動をおこない、銀座ウォークなどのイベントを企画した。各行動への参加者はたいへん熱心だったが、ひろがりに欠けたことは否めない。
* 運動のひろがりを欠いた最大の原因は日弁連会長選挙の後遺症であった。しかし、それだけではなく、選挙政策を弁護士集団に訴える工夫と努力が足りなかったことを、私自身の問題として反省しなければならない。
脱原発も、反格差貧困も、日の丸君が代強制反対も、憲法改悪反対も、過半の弁護士に支持を得られるはずの政策である。しかし、消費者問題や格差貧困問題に取り組む弁護士を取り込むような動きにはならなかった。働きかけが一通りのもので終わった憾みが残る。
* 弁護士グループの役割として特筆すべきは法対の活躍である。
告示以前の公選法学習会とレジメの作成、告示後の電話相談張り付きの態勢作りと、事態への迅速な対応には瞠目すべきものがあった。
法対は問題が発生した後の事後処理担当であるよりは、運動員が自信をもって活動を行えるような環境をつくるという積極的な役割がある。そのことを意識させた、法対の活躍であった。
* 法対の活躍は、公選法による不当な運動規制や住居侵入罪を適用しての弾圧の存在を前提とするものである。優れた法対参加の弁護士たちに、継続して、公選法改正や住侵適用の不当を世論化する運動の先頭に立ってもらいたいと希望している。
※今後に生かすべき教訓
* 革新統一の方向の正しさに私自身は疑義がない。今回は、十分な成果をあげることができなかったとはいえ、革新諸勢力の共同行動が現実に可能であることが確認された意味は大きい。
前記の問題提起に答えれば、「十分な運動をしたのに革新統一の枠組みの有効性の限界が露呈した」とは到底言えない。「これしかない革新統一の枠組みを運動は十分に生かし切れなかった」と言わざるを得ない。
今回選挙の革新統一の枠組みは、「まず市民運動が先行し、その運動を各政党が横並びで支援するという形」での試みとして実践され、その現実性も実証された。しばらくの間、地方自治レベルでの共闘は、この枠組み以外での現実性はなさそうである。
* この枠組みの有効性を十分に引き出せるか否かは、革新諸勢力の姿勢如何にあるが、とりわけ要の地位に立つ市民運動の力量と資質が死活的に重要となる。
市民選対を受け持つグループはその力量と真摯性と献身性において十分な信頼を勝ちうるものでなくてはならない。
最低限、選挙運動に参加する各団体・政党に十分な情報を提供し十分な意思疎通によって、信頼関係を保持する能力と努力とが求められる。
※「会」を残すことには賛成する。
その基本的な役割は、今回選挙の貴重な経験を正確に次に伝えること、都政監視活動を継続して、市民運動と革新諸政党との貴重な連携の場を保存し、次の都知事選の準備に遅れかないように備えることである。
そのほかには、今回選挙を通じて露わとなった選挙運動妨害法制の改善運度などに取り組むことも考えられるが、会や会のメンバーが各級の選挙に関わるようなことがあってはならない。選対の中心メンバーであった者は、会が存続する間は各級選挙に出馬しないという申し合わせをすべきではないか。今回の会の運動が、特定のグループや特定の人物の選挙運動のステップとしてなされたと誤解を受けるようなことがあっては、せっかくの「革新統一」の貴重な試みに傷がつくことになることを恐れる。
私は、当ブログで、「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」に「宣戦布告」をします。今日はその第1弾。
念のために申し上げれば、開戦は私の方から仕掛けたものではありません。宇都宮君側から、だまし討ちで開始されました。だから、正確には私の立ち場は「応戦」なのです。しかし、改めて私の覚悟を明確にするための「宣戦布告」です。
昨夜、私は「数の暴力」というべき「強行採決」によって、「人にやさしい東京をつくる会」の運営委員から解任されました。「追い出された」というのが正確なところです。さすがに、「お・も・て・な・し」を期待はしていませんでしたが、まさか「だ・ま・し・う・ち」に遭うとは思ってもいませんでした。もちろん、ここまでにはいろんな経過があります。当然、宇都宮君側にも、それなりの言い分はあろうというもの。詳細は、おいおい当ブログでご説明します。
外野からは、誰にも、つまらぬ「内ゲバ」と見えることでしょう。「相互に相手の弱点を暴露し合って双方とも得るものはない」「それこそ利敵行為ではないか」などというご批判は当然に予想されるところです。私も、そのように思って1年の我慢の期間を、自浄作用が働くことを期待して忍耐強く待ちました。その結果が「だまし討ち解任」です。よほどうるさいと疎まれたのでしょう。私は岐路に立ちました。この仕打ちを甘受して物わかりよく何も言わず黙って身を退くべきか、それとも不合理に声を上げ敢然と闘うべきか。迷いがなかったわけではありませんが、熟慮の末に後者を選択しました。
「宣戦布告」の動機の半分は私憤です。一寸の虫にも五分の魂。私の五分の魂が叫ばずはおられません。その五分のうち三分ほどは、これまでの自分の言動との整合性を貫徹したいとの思いです。私は、「少数者の人権」や「個の尊厳」をこの上なく大切なものと思い、これを圧殺する国家や社会、あるいは企業や集団の多数派と闘うべしと言ってきました。その集団が、政党や民主団体あるいは選挙対策本部であっても原則に変わりはありません。誰かの代理人としてのことではなく、いま、私自身が闘わねばならない立ち場にあることを自覚しています。改めて、たった1人で、組織や社会と闘っている人の気持ちを理解できたように思います。私も、公益のためにホイッスルを吹き鳴らす覚悟です。
五分の魂の残りの二分ほどは、私のプライドの叫びです。感情的に屈辱を受け容れがたいとと言ってもよいし、汚いやり方への怒りと言っても良い。これはこれで、きわめて強固な動機になっています。
「宣戦布告」の動機のもう半分は、私憤とは無縁の公憤です。冷静に客観的に見れば、「惨敗」と「泡沫」の烙印を押された魅力のない候補者、そして無為無策の取り巻き連では、選挙に勝てるはずもない。また、勝敗は別としても、せめてリベラル・民主派陣営の団結や力量を高める選挙であって欲しいと思いますが、前回の教訓からはこれも無理。目前に迫っている都知事選を、「急なことで他の適切な候補者の選定が間に合わないから、やむを得ず再度宇都宮候補で」として、前車の轍を踏み、あの屈辱的な惨敗の愚を繰り返すことのないように願っています。
私を解任した宇都宮君とその取り巻きは、問答無用の数の力を誇示しています。彼らの論理は、明らかに、「多数決が民主々義で正義だ」というもの。その考えこそ、私が忌避し続けてきた体制側の論理なのです。しかし、数で劣る者、力のない者は実力で対抗すべき術をもちません。できることは、言論で対抗すること。多数派の横暴・不当を、広く社会に訴えるしか方法がありません。
幸い、私にはブログというツールがあります。「貧者のツール」でもあり、「弱者のツール」としても機能します。また幸い、この社会には、真摯な見解に耳を傾けてくれる人々もいると信じています。そのような思いで、当ブログを手段として、「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」の非を明らかにして、皆様の公正な判断を仰ぎたいと思います。
私の目的は、宇都宮君は2014年都知事戦候補者としてふさわしくないことを明確にして、立候補を断念してもらうこと。少なくとも、社会に十分な警告を発して、彼を支援するには、それなりのリスクを引き受ける覚悟が必要であることを心得ていただくことです。
私は、昨年の選挙では、宇都宮君の同期の友人弁護士として、彼を積極的に支持し、柄にもなく選対委員にもなって、同君を素晴らしい候補者だと率先して説いてまわったのですから、今回は豹変したことになります。昨年、私の話しに耳を傾けていただいた多くの皆様には、たいへん申し訳ないと謝るしかありません。自分の不明を恥じいるばかりです。それだからこそ、今は、宇都宮君の候補者不適格を敢えて発言しなければならない責任を痛感しています。私は、信頼すべきでないものを信頼し、もっと強く発言すべきときに躊躇してきました。自分の迂闊さと、人を見る目のなさ、判断力の欠如と優柔不断に、いまさらながら臍を噛んでいます。
経過は込みいっており、問題の根は深く、考えねばならない問題点は多々あります。私は、宇都宮君が立候補を断念するまで、順次丁寧に一つ一つ問題点を明らかにして行くつもりです。ぜひ、今日からの私のブログに、ご注目ください。そしてぜひとも、ご理解をお願いします。
「宣戦布告」第1弾の今日、お知らせし、お考えもいただきたい最初の問題は、前回宇都宮陣営選対(上原公子選対本部長・熊谷伸一郎事務局長)がした複数の選挙違反容疑の一端についてです。私は、公職選挙法上のつまらぬ手続規定の形式違反や、弾圧立法としての選挙運動の自由制限規定の違反などを言挙げするつもりは毛頭ありません。市民選挙と銘打った宇都宮選挙が、そのような市民主体の選挙にふさわしいものであったかを問題にしたいのです。民主々義の根幹に関わる選挙のあり方についての問題だけを取りあげます。
いうまでもなく、公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています。選挙の主体は、主権者国民です。一人ひとりの国民が、自分の支持する候補者を当選させるため、あるいは支持しない候補者を当選させないように、有権者に働きかける行為が選挙運動です。その選挙運動は、原理的に金をもらってやることではありません。また、選挙の公正が金の力でゆがめられてはなりません。金がものを言うこの世の中ですが、選挙運動が金で動かされるようなことがあってはなりません。経済的な力の格差を、投票結果に反映させてはならないのです。
市民選挙においてこそ、そのような健全な民主主義的常識が生かされるのだと思います。そのような思いを一つにする多くの人々が、前回宇都宮選挙にボランティアとして参加しました。私も知っている方々が、あの選対事務所に長時間張り付いて、黙々と証紙張りをしたり、ビラ折りをしたり、宛名書きをしたり、選対事務局員の指示に従って労務を提供しました。また、多くの人が、都内各地でポスティングやビラ配りも分担しました。そのようなボランティア参加者は当然のこととして、交通費自弁、手弁当で無償でした。ところが、これに指示をする側の選対事務局員の多くは有償、交通費支弁、弁当支給でした。これは、健全な市民的常識からおかしいことではありませんか。同じ部屋で、同じ仕事を同一時間して、どうして有償と無償の区別が出て来るのでしょうか。これは健全な市民感覚にてらして合理的なことでしょうか。
極めつけは、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、報酬を受領していたことです。支出の目的は二人とも「労務者報酬」と明記されています。私は、選挙が終わって約半年後の6月17日付で東京都選管から選挙運動報告書の写しをもらって、初めてこのことを知りました。さすがに、これには驚きました。多くの無償(ただ働き)ボランティアを募集し運動をお願いする立ち場の人が、ちゃっかり自分は報酬をもらっているのです。お手盛りと言われても、返す言葉はないでしょう。
「おまえも選対の一員でありながら、どうしてそんな不正を許したのか」という、お叱りはもっともなことと甘受せざるを得ません。こんなことになっているとは夢にも知りませんでした。おそらくは、このことを知っていたのは、選対本部長と事務局長、出納責任者、その他のごく少数者だけだったと思われます。情報も会計も極めて透明性の低い選対の体質でしたから。
私に印象が深いのは、「日の丸・君が代」強制に服従できないとして訴訟を継続中の退職教員の方が大挙して選対事務所に詰めて、黙々と労務の提供をしていたことです。もちろん、交通費自弁、手弁当、無報酬です。それだけではありません。たとえば、Fさんは、定期収入のない身で10万円の選挙カンパをしています。都政の転換を願ってのことです。同じ事務所で、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、隣り合わせで働いていました。Fさんのカンパは、一度選挙会計をくぐって、「労務者」として届けられた上原公子選対本部長の懐にそっくり移転したのです。
市民選挙における選挙カンパとは、選対事務局員への報酬のカンパではないはずと思うのです。少なくとも、選挙カーでマイクを握る選対本部長への報酬のカンパであろうはずはありません。そもそも市民選挙の選挙運動は皆無償、皆同じ資格で運動に参加しているはずではありませんか。
どなたでも、東京都選挙管理委員会で選挙運動費用収支報告書が閲覧できます。都庁第第一本庁舎N39階。担当職員は親切で、嫌がる顔などしません。少し時間がかかりますが、コピーもとれます。ついでに、猪瀬や石原宏高(総選挙東京3区)の報告書も入手できます。ぜひ、選対本部長(上原公子)・出納責任者(服部泉)が「労務者」として報酬の支払いを受けていた旨の報告届出と、添付の領収証をご確認ください。
上原公子選対本部長に限ってお話しを進めます。選対本部長がマイクを握って選挙演説をしていたことは誰でも知っていることですし、たくさんの写真も残っています。明らかに選挙運動者にあたります。けっして「労務者」ではありません。この人に金銭が支払われたのですから、選挙運動無償の原則に反し、公職選挙法上の犯罪に当たります。この報酬を支払った者が買収罪、支払いを受けた者が被買収罪にあたります。報酬を支払った者は、選挙運動収支報告書には直接の記載はありません。その実質において、おそらくは選対事務局長ということになるでしょう。報酬を受けとったのは、上原公子選対本部長と明記されています。
公選法上の買収には、「投票買収」と「運動(者)買収」との2種類があります。「投票買収」は直接に金で票を買うという古典的な形態ですが、いまどきそんな事案はありえません。摘発されているのは、もっぱら「運動買収」の方です。これは、「人に金を渡して選挙運動をさせる」ということ。あるいは、同じことですが、「選挙運動員に金を渡す」ということです。これを許せば、選挙運動無償の原則は崩れて、金のある者が、金にものを言わせて、経済的な格差を選挙結果に反映することができるようになります。
なによりも、市民がカンパした浄財の一部を、金額の大小にかかわらず選挙対策本部長が報酬として受けとるということは、市民選挙に参集したボランティアや、カンパ提供者の感覚から見て批判さるべきことではないでしょうか。
当不当の議論は別として法律上は、車上運動員(ウグイス嬢)・手話通訳者と、ポスター貼り・封筒の宛名書きなど純粋に単純労務を提供する者には、所定の日当を支払っても良いことになっています。この人たちの氏名と日当額とは事前に選管に届出ることになっています。選対本部長も、出納責任者もこのような名目で「労務者」として届け出て、「労務者報酬」を受領したのです。明白な脱法行為です。もし、「労務者」として届けられた人が、単純労務の範囲を超えて、少しの時間でも人に働きかける実質的な選挙運動に携わっていれば、運動買収(日当買収ともいう)罪が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となります。総括主催者が有罪となれば、場合によっては、連座制の適用もあるのです。
適用条文を引用すれば、公選法221条1項1号の「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をした」に当たり、買収罪として最高刑は懲役3年の犯罪です。選挙運動の総括主宰者または出納責任者の実質がある者が行った場合は公選法221条1項1号(運動買収)だけでなく、3項(加重要件)にも該当して、最高刑は懲役4年の犯罪に当たります。多数回の行為があったとされれば、さらに加重されて5年となります(222条1項)。仮に、候補者自身が関与していれば同罪です。
以上のとおり、宇都宮選挙を支えた選対には、選対本部長が「労務者」として届出て貴重なカンパから金をもらうという市民感覚に反した不当な金銭の扱いがあっただけでなく、明らかな公職選挙法違反の犯罪もあるのです。宇都宮君も、自分自身の陣営の違法については、政治的道義的な責任を免れません。しかも、弁護士であり、元弁護士会長ではありませんか。みっともなく、「ボクは知らなかった」「選対本部長か事務局長に聞いてくれ」などという、猪瀬のような弁明は通用しません。
だから、宇都宮君に忠告します。再度の立候補はおやめになることが賢明ですよ。
(2013年12月21日)