澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

韓国政権提案の徴用工問題解決スキームを有効に作動させるためには

(2023年3月7日)
日韓関係を象徴する徴用工問題。主要なアクターは4者である。日本の政権と民衆をA・Bとし、韓国のそれをC・Dとする。Dの中に、被害者本人や遺族、そして広範な支援者が含まれている。

AとCとは、十分に事前の摺り合わせの上、問題解決のスキームを作った。そして昨日、Cがこれを発表しAが直ちに呼応して歓迎の旨を表明して、事態の打開を図ろうとしている。しかし、BとDとはいずれもこのスキームでの解決を支持する雰囲気にない。とりわけ、Dは拒否反応を示している。昨夜、ソウルではこのスキームに反対するロウソク・デモが行われた。

Dが最も望むものは、Aの謝罪である。正確には、Aと一体となった国策企業の真摯な謝罪である。理不尽な被害を被った者の加害者に対する当然の要求である。しかし、これに対するAとBの態度は、およそ真摯さとはほど遠いもの。だから、Dが反発している。

今朝、寝床でラジオを点けたら、民放の複数の番組から野蛮な論評が聞こえて来た。「問題はもう、全て解決済みなんですよ。今さら蒸し返されるべきことではない」「もう、二世代も昔の話ですよ。こんなこといつまで繰り返すんでかね」「1965年の請求権協定で、完全かつ不可逆的に日本の責任はないことになった。あとは全て韓国の国内問題ですよ」「あの国は、日本が譲歩すればゴールポストを動かすんだから」「もう、有償無償併せて5億ドルも払って解決済み」…。こういう発言が、Dを刺激するBの態度であり、この姿勢こそが問題の解決を妨害するものと知らねばならない。

得々とこう言う論者は、徴用工問題に関する韓国大法院判決をよく理解していないのではないか。判決は、必ずしも原告の言い分を全部認めたわけではない。賃金支払い請求を棄却して、慰謝料請求だけを認めたのだ。今、この意味は小さくない。

原告側の主たる主張は、1965年日韓請求権協定によって原告(元徴用工)の権利がいささかの影響も受けるものではないということだった。個人として日本企業に対して有する請求権を、頼みもしないのに、国家(韓国)が処分できるはずはない。ましてや、民意に基づかない当時の軍事政権に交渉の代理権はない、というものだった。

しかし、判決は当時の国際慣行に照らして、この主張を排斥した。その上で、国際法の推移を詳細に検討して、「企業の虐待による慰謝料請求権は、日韓請求権協定の協議対象に含まれていない」として、慰謝料の請求だけを認めたのだ。この意味が、今クローズアップされることになっている。

「日本企業の賠償義務肩代わり」と言われる「賠償義務」とは、日本製鉄などの企業が元徴用工に負う損害賠償債務である。その内容は慰謝料(精神的損害の賠償)である。これを第三者である、韓国の財団が弁済しようということなのだ。そんなことができるものだろうか。

大法院の判決が確定して、債務者・日本製鉄が、債権者・元徴用工に対して慰謝料支払いの債務を負担している。この債務を、債務者・日本製鉄以外の第三者に弁済させることを許してよいものだろうか。誰が考えても違和感が残るところではないか。

第三者に弁済させても問題のない債務もあるだろう。しかし、慰謝料は加害者に支払わせてこそ意味がある。第三者に慰謝料を支払わせた加害者が涼しい顔をしていたのでは、被害者の精神的な損害は慰謝されることにならない。

本来慰謝料とは、被害者の精神的な損害を金銭に評価して支払わせるものである。小さな精神的被害には少額の慰謝料、大きな精神的被害には高額の慰謝料を支払わせることになるが、いずれにせよ加害者に支払わせて、被害者の精神的被害を慰謝することとなる。債権者(元徴用工)の承諾なしに、第三者による弁済を許してよいことにはならない。

本件の元徴用工にとっては、自分を虐待して使役した加害者日本製鉄に支払わせてこそ、慰謝料の意味がある。他の第三者に弁済させたのでは、慰謝料としての意味がなくなるのだ。求償権は行使しない、などと言われればなおさらのことだ。元徴用工本人の明確な意思として第三者による弁済を認めない限り、第三者弁済は認められない。元徴用工の日本製鐵に対する債権は強制執行力あるものとして生き続けることになる。

結局のところ、今回発表のスキームで解決するためには、元徴用工やその遺族の意向を十分に尊重し、その精神的慰謝ができるように取り計らわねばならない。そうでなければ、「韓国政府が日本の強制連行加害企業の法的責任を免責させることに加担している」と批判されることになる。

結局は、A(日本政府)とC(韓国政府)との裏舞台の合意だけでは、このスキームは成功しない。まずはD(韓国の民衆)が納得できるスキームに調整し、これをBが支持するものとしなければ解決には至らないのだ。

侵略と植民地支配の傷は今も癒えていない ー 徴用工問題解決困難の理由

(2023年3月6日)
本日の「ソウル聯合ニュース」は、こう伝えている。「韓国政府は6日、日本による徴用被害者への賠償問題をめぐり、2018年の韓国大法院(最高裁)の判決で勝訴が確定した被害者に対し、政府傘下の財団が日本の被告企業の賠償を肩代わりして支払うことを正式に発表した。朴振(パク・ジン)外交部長官が記者会見を開き、政府の解決策を発表した。ただ、日本の被告企業が賠償に参加しない方式であるため、『中途半端な解決策』という声も上がる。一部被害者は強く反発している」

これに日本側も呼応した。岸田首相は参院予算委員会で「日韓を健全な関係に戻すためのものとして評価する」と韓国の対応を歓迎。「日韓、日米韓の戦略的連携を一層強化する」とも語った。バイデン米大統領も日韓の対応を評価する声明を出した。

とは言え、韓国の「一部被害者は強く反発している」だけではない。日本の「一部加害者も強く反発している」のだ。何よりも、債権者(元徴用工)の意に反する第三者(財団)の弁済は原則認められない。事態はけっして甘くない。解決までの途は遠い。

当然のことながら、日韓関係は難しい。政府間関係はさほどではなくとも、国民感情は複雑で微妙である。ロシアとウクライナの関係に照らせばよく分かる。仮に今停戦が実現したとしても、あるいは講和条約が締結されたにせよ、侵略者ロシアに対するウクライナ人民の怨嗟がにわかに解消されるはずはない。とりわけ、家族を殺された人、傷付けられた人、家を焼かれ壊された人、故郷を追われた人、辱められた人…にとっては。

近代日本の天皇制権力は、富国強兵を掲げて侵略戦争遂行を国是とした。侵略戦争の結果としての植民地支配を国力強盛の証しとして誇示さえした。恥ずべき強盗の論理と言ってよい。強盗国家は、台湾を侵略し、朝鮮を侵略し、満蒙から、華北に侵略の手を伸ばして泥沼の戦争に陥った。

ロシアのウクライナ侵略は、1年余である。近代日本の朝鮮侵略は、1876年の江華島事件以来の歴史をもつ。けっして日韓併合後の36年だけではない。積年の怨念が並大抵のものではないことを理解しなければならない。

朝鮮の侵略のために、日本の軍隊が朝鮮の人民をどれだけ殺戮したか。甲午農民戦争(1894年1月 – 1895年3月)だけで殺戮者数は3万?5万人とされている。また、「1919年、1年間で実に1542回にわたり行われたデモで、全国でおよそ7600人が死亡、1万6000人がけがを負い、4万6000人が逮捕・拘禁された」というのが、韓国政府の公式見解である。この「7600人の死亡」とは、日本の官憲による非武装のデモ参加者に対する虐殺ではないか。

人民の被害だけでなく、韓国の権力側にも被害が大きい。閔妃(明成皇后)の暗殺は、ナショナリストには衝撃であったろう。立場を替えれば、朝鮮の軍人が皇居に侵入し皇后を暗殺したのだ。

さらには、創始改名を強要し、民族のアイデンティティである言語まで奪おうとした。もう過去のこと、十分に謝ったじゃないか、何度蒸し返すんだ、と居丈高となるのは、歴史に学ぼうとしない態度というほかはない。

私見では、韓国大法院の徴用工判決は、穏当で説得力あるものとなっている。これに従うべきが本筋だと思う。が、日本側が真摯な態度を見せることで解決に至るのであれば、もちろん、望ましいところ。戦後の日韓交渉は困難を極めたが、交渉が進展したのは韓国側が保守政権の時に限られている。今、支持率低迷しながらも、親日保守政権である。日本側に問題解決の意思があれば、誠意を見せるべきであろう。誠意を見せる相手は、韓国の政権ではなく、植民地支配に虐げられた当事者としての民衆でなければならない。

「ソウル聯合ニュース」は、こうも伝えている。
「一部の被害者はこれまで韓国政府傘下財団による賠償肩代わり案に強く反発してきた。政府の正式発表でも被告企業の資金拠出は盛り込まれておらず、批判の声が相次ぐ見通しだ。」

本日、朴振外交部長官は被告の日本企業が参加しない「中途半端な解決策」との批判について、「コップに例えると、コップに水が半分以上は入ったと思う。今後続く日本の誠意ある呼応によってコップはさらに満たされると期待する」と述べたという。

果たして、「韓国側によってコップに半分の水が入った」だろうか。また、「日本側は、このコップに十分な水を注ぐ」ことになるだろうか。そもそも、この水は、植民地支配の辛酸を余儀なくされた人々を癒す滋味に溢れたものと言えるだろうか。

デマとヘイトのDHC商品を買ってはいけません ー 韓国のDHC商品不買運動の成果に学ぼう

(2021年9月4日)
 9月1日、DHCが韓国撤退を公表した。各メディアが、以下のように報道している。これは、民主主義にとっての朗報である。

「DHC韓国法人が撤退表明 会長のコリアン差別発言で不買運動」(毎日新聞)、「DHCが韓国撤退表明 差別問題で反発高まり」(産経)、「DHCが韓国撤退表明 嫌韓発言で不買運動も」(日経)、「DHCが韓国から撤退 相次ぐ嫌韓発言で物議」(聯合ニュース)、「『後頭部の絶壁で韓国系を見分けられる』 嫌韓発言のDHC、韓国から撤退」(朝鮮日報日本語版)、「『つき出たあご、後頭部の絶壁はコリアン系』嫌韓発言のDHC、結局韓国から撤退」(中央日報)

毎日の記事が、以下のとおり簡明に事態をよく伝えている。

 「化粧品会社ディーエイチシー(DHC)が、韓国からの撤退を決めた。同社の韓国法人「DHCコリア」が1日、「良い製品とサービスでお客様に満足していただくように努力したが、残念ながら、韓国国内での営業を終了することとなった」と公式ホームページ(HP)で表明した。DHCは2002年に韓国市場に進出していた。

 DHCは、創業者の吉田嘉明会長の声明として、在日コリアンを差別する内容の文章をHPに複数回掲載。批判の高まりを受けて、今年5月末までにすべての文章を削除した経緯がある。韓国国内では吉田氏の発言への反発から、DHC商品に対する不買運動が起きていた。」

 DHC会長・吉田嘉明の在日コリアンに対する差別発言を契機に、韓国にDHC商品に対する不買運動が起き、不買運動の成果としてDHCは韓国撤退を余儀なくされたというのだ。愚かな経営者の愚かな差別発言が、不買運動という形で制裁を受けたのだ。韓国だけでなく日本でも、DHCに反省を促すために、既に始まっているDHC商品の不買運動を盛り上げたい。

 私は、人前で話をする機会あるたびに、このことを語りかけてきた。たとえばこんな風に。

 「この場をお借りして、皆様に三つのお願いを申しあげます。
  一つ、DHCという会社の商品をけっして買わないこと。
  二つ、DHCという会社の商品をけっして買うことのないよう、できるだけ多くのお知り合いにお勧めしていただくこと。
  そして三つ目が、DHCという会社の商品をうっかり買ってはならない理由をことあるごとに話題にしていただくこと。

  DHCとは、「デマ(D)とヘイト(H)のカンパニー(C)」との評判ですが、それだけではありません。消費者を欺すステルスマーケティングでも、表現の自由を圧殺するスラップ訴訟の常習者としても悪名高い企業です。
  あなたが何気なしにDHCの商品を買えば、あなたの財布から出たお金の一部が資金となって、DHCの「デマ」と「ヘイト」と「ステマ」と「スラップ」を増長します。被害が拡大します。この社会はそれだけ悪くなる。

  その反対に、あなたが意識的にDHCの商品を買うのをやめれば、DHCの違法行為の規模はその分だけ小さくなります。DHCに反省を求め、不当な行為をやめさせることも可能となります。被害は減り、社会がそれだけよくなります。
  是非とも、より良い社会を作るために、DHC商品の不買にご協力ください。」

 ときにこんな質問を受けることがある。「それって営業妨害になりませんか」と。私は続ける、「そのとおりです。みんなで、DHC・吉田嘉明の営業を徹底して妨害しましょう。私は、そう呼びかけているのです」。「もし、『営業妨害』という言葉に抵抗感があるとおっしゃる方は、少し品良く『業務阻害』という言葉に置き換えてご理解ください」「私の呼びかける営業の妨害は、実力を行使したり、人を脅したり、デマを流したりするものではありません。飽くまで正当な言論と『不買』という消費者に許された当然の選択を呼びかけるだけ。これが、消費者の主張を貫徹するための、消費者の武器である不買運動なのです」

 「DHC・吉田嘉明には、『デマやヘイトやステマやスラップは、社会から反撃を受けることになって、商売上まずい』と考えてもらいたい。『やっぱり、真っ当な商売に立ちもどらないと売り上げに響く』と反省してもらいたいのです。そうなるまで、DHCの営業を徹底して妨害する必要があると思うのです」

 消費者には、良質で安全で安価な商品を選択する「賢い消費者」を脱皮して、消費者としての選択権を武器により良い社会づくりをする「主権者」としての自覚が求められている。その自覚にもとづき、企業の反社会的な行為に反省を迫り、制裁を課す強力な手段が、特定企業に対する商品ボイコットであり、不買運動なのだ。DHC商品に対する不買運動は、その典型である。

 ぜひ、皆様も、DHC商品のボイコットを。

日本政府は慰安婦訴訟判決控訴審を受けて立ち、被害者と事件に向き合うべきである。

(2021年1月10日)
衝撃的な一昨日(1月8日)のソウル中央地裁慰安婦訴訟判決。その判決文の全訳が読みたいものと思っているが、まだ入手できていない。同地裁は、判決言い渡しと同時に判決の要旨を記載した「報道資料」(4頁)をメディアに配布している。各紙は、これをもとに報道したようだが、その信頼に足りる全訳を昨日(1月9日)読売が配信した。これを引用させていただく。読売の判決評価の姿勢はともかく、この判決要約の全訳配信はジャーナリズムとして立派なものだ。

これを一読、さすがに良くできた判決理由である。焦点は「主権免除」適用の是非だが、例外的に適用はないとした理由について説得力は十分だと思う。「日本の国家が非道徳的な加害行為を組織的に行った」と一国の裁判所が認定して、仮に、このような場合にまで主権免除を認めれば、「(日本に)人権を蹂躙された被害者は憲法で保障された裁判を受ける権利を剥奪され、自身の権利をまともに救済してもらえない結果を招来し、憲法を最上位の規範とする法秩序全体の理念にも合致しない」と、指摘して被害者救済の判決を言い渡したのだ。

その理由(要旨)の中で、こうまで述べられている。

 「被告となった国家が、国際共同体の普遍的価値を破壊し、反人権的な行為によって被害者に甚大な被害を与えた場合にまで、最終的手段として選択された民事訴訟で裁判権が免除されると解することは、不合理で不当な結果を生むことになる。すなわち、ある国家がほかの国家の国民に対して人道に反する重犯罪を犯せないようにした各種国際協約に違反するにもかかわらず、これを制裁することができなくなり、これにより、人権を蹂躙された被害者は憲法で保障された裁判を受ける権利を剥奪され、自身の権利をまともに救済してもらえない結果を招来し、憲法を最上位の規範とする法秩序全体の理念にも合致しない。

 主権免除の理論は、主権国家を尊重し、むやみに他国の裁判権に服さないようにするという意味を持つものであって、絶対規範(国際強行規範)に違反し、他国の個人に対して大きな損害を与えた国家が、主権免除理論の陰に隠れて賠償と補償を回避できる機会を与えるために形成されたものではない。」

この指摘に対して逃げているだけでは解決しない。日本国政府は、控訴審を受けて立つべきだろう。主張は、そこで尽くせばよい。そして、重ねて言いたい。65年日韓請求権協定も、2015年慰安婦問題日韓合意も、その文言如何にかかわらず、対日個人請求権消滅の理由にはなりようがないのだ。それは、被害者個人を抜きにした国家間合意の限界と知るべきなのだ。日本政府は、旧天皇制日本帝国が犯した犯罪の被害者個人に直接謝罪し賠償しなければならない。国家無答責や主権免除で問題をはぐらかそうという姿勢が、真の解決を妨げているのだ。この訴訟の控訴審は、日本政府が被害者と向き合う、絶好の機会ではないか。

なお、「主権免除」については、朝日がこう報道している。朝日らしく客観的で分かり易い。

 日本政府は訴状を受け取らないなど一貫して裁判への参加を拒否する一方で、外交当局間では韓国側に対し、主権免除を理由に訴訟の不当性を訴えてきた。裁判で焦点になったのも主権免除の適否だった。

 戦争や統治で生じた被害への賠償と主権免除をめぐり、地裁が注目したのは、イタリアの判例だった。第2次大戦末期にナチスドイツに捕らえられ、ドイツで強制労働を強いられたとするイタリア人男性がドイツに賠償を求めた訴訟だ。

 04年にイタリア最高裁は「訴えられた行為が国際犯罪であれば主権免除は適用されない」とドイツに賠償を命じた。ドイツの提訴を受けた国際司法裁判所(ICJ)は12年、「当時のナチスドイツの行為は国際法上の犯罪だが、主権免除は?奪(はくだつ)されない」とした。

 地裁はICJ判決を検討しつつも、慰安婦制度について、
?逸脱が許されない国際法の強行規範に違反する反人道的な犯罪
?現場は日本が不法占領する朝鮮半島だった、
などの理由を挙げて例外的に韓国が裁判権を行使できると判断した。

 その上で、「主権免除は主権国家を尊重し、みだりに他国の裁判権に服従しないようにするためのもので、強行規範に違反して他国の個人に大きな損害を与えた国に賠償逃れの機会を与えるためのものではない」として、日本政府に主権免除を認めなかった。また、主権免除の考え方は「恒久的ではなく、国際秩序の変動に応じて修正される」とも言及した。

 国際法に詳しい名古屋大大学院の水島朋則教授によると、主権免除の原則は、戦時行為などにおける賠償の問題は政府間で解決すべきだとの考えから、国際法として広まった。主権免除を認めなかったのはイタリアの判例など数例で、一般的ではないという。ただ、主権免除は不変の原則とも言えず、新しい判例が重なると、変化していく可能性もあるという。

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「報道資料」読売新聞訳

■主文
原告の請求をすべて認め、被告・日本国に対し、原告に1億ウォンずつを支払えとの判決を宣告する。

■主権免除の是非
主権免除は、国内の裁判所は外国国家に対する訴訟について裁判権を持たない、とする国際慣習法だ。19世紀後半からは、例外事由を認める相対的主権免除の理論が台頭した。

我が国の大法院(最高裁)の判決によっても、外国の私法的行為については、裁判権の行使が外国の主権的活動への不当な干渉となる懸念があるなど特別な事情がない限り、当該国家を被告として我が国の裁判所が裁判権を行使することができる。しかし、本事件の行為は、私法的行為ではなく主権的行為だ。

国際司法裁判所は2012年2月3日、ドイツとイタリアの事件で、「主権免除に関する国際慣習法は、武力衝突の状況における国家の武装兵力及び関連機関による個人の生命、健康、財産の侵害に関する民事訴訟手続きにも適用される」との趣旨の判決を宣告したことがある。

しかし、本事件の行為は、日本帝国による計画的・組織的で広範囲な反人道的犯罪行為として、国際強行規範に違反するものであり、当時日本帝国によって不法占領中だった朝鮮半島内で、我が国民である原告に対して行われたものとして、たとえ本事件の行為が国家の主権的行為だとしても、主権免除を適用することはできず、例外的に大韓民国の裁判所に被告に対する裁判権がある。

その根拠として、韓国憲法、国連の世界人権宣言でも、裁判を受ける権利をうたっている。権利救済の実効性が保障されなければ、憲法上の裁判請求権を空文化させることになる。裁判を受ける権利は、ほかの実体的な基本権とともに十分に保護・保障されるべき基本権だ。

主権免除は、手続き的要件に関するものではあるが、手続き法が不十分なことによって実体法上の権利や秩序が形骸化したり歪(ゆが)められたりしてはならない。

主権免除の理論は、恒久的で固定的な価値ではなく、国際秩序の変動によって修正され続けている。

1969年に締結された条約法条約53条によると、国際法規にも上位規範たる「絶対規範」と下位規範との間に区別があり、下位規範は絶対規範を外れてはならないと言える。この絶対規範の例として、国連国際法委員会の2001年の「国際違法行為に関する国家責任協約草案」の解説で挙げられた奴隷制及び奴隷貿易禁止などを挙げることができる。

被告となった国家が、国際共同体の普遍的価値を破壊し、反人権的な行為によって被害者に甚大な被害を与えた場合にまで、最終的手段として選択された民事訴訟で裁判権が免除されると解することは、不合理で不当な結果を生むことになる。すなわち、ある国家がほかの国家の国民に対して人道に反する重犯罪を犯せないようにした各種国際協約に違反するにもかかわらず、これを制裁することができなくなり、これにより、人権を蹂躙(じゅうりん)された被害者は憲法で保障された裁判を受ける権利を剥奪(はくだつ)され、自身の権利をまともに救済してもらえない結果を招来し、憲法を最上位の規範とする法秩序全体の理念にも合致しない。「慰安婦」被害者たちは日本、米国などの裁判所に何度も民事訴訟を提起したが、すべて棄却・却下された。(日韓)請求権協定と2015年の慰安婦合意もまた、被害を受けた個人に対する賠償を含むことはできなかった。交渉力、政治的な権力を持ち得ない個人に過ぎない原告としては、本事件の訴訟以外に具体的な損害賠償を受ける方法がない。

主権免除の理論は、主権国家を尊重し、むやみに他国の裁判権に服さないようにするという意味を持つものであって、絶対規範(国際強行規範)に違反し、他国の個人に対して大きな損害を与えた国家が、主権免除理論の陰に隠れて賠償と補償を回避できる機会を与えるために形成されたものではない。

■国際裁判管轄権の有無
不法行為の一部が朝鮮半島内で行われ、原告が大韓民国の国民として現在韓国に居住している点、物的証拠は大部分が消失し、基礎的な証拠資料は大部分が収集されており、日本での現地調査が必ずしも必要ではない点、国際裁判管轄権は排他的なものではなく併存可能である点などに照らすと、大韓民国は本事件の当事者及び紛争となった事案と実質的な関連性があると言え、大韓民国の裁判所は本事件について国際裁判管轄権を有する。

■損害賠償責任の発生
日本帝国は、侵略戦争の遂行過程で軍人の士気高揚や効率的な統率のため、いわゆる「慰安婦」を管理する方法を考案し、これを制度化して法令を整備し、軍と国家機関が組織的に計画を立て、人員を動員・確保し、歴史上前例を見いだしがたい「慰安所」を運営した。10代から20代の、未成年または成年になったばかりの原告らは、「慰安婦」として動員された後、日本帝国の組織的で直接・間接的な統制の下、強制的に、1日何十回も、日本の軍人たちの性的行為の対象となった。原告らは、過酷な性行為による傷害、性病、望まぬ妊娠などを甘受しなければならず、常時、暴力にさらされ、まともに衣食住を保障されなかった。原告らは最小限の自由も制圧され、監視下で生活した。終戦後も、「慰安婦」だったという前歴は被害を受けた当事者にとって不名誉な記憶として残り、精神的に大きな傷となり、これによって原告らは社会に適応するのに困難を抱えた。

これは、当時日本帝国が批准した条約および国際法規に違反するだけでなく、第2次世界大戦後、東京裁判で処罰することとした「人道に対する罪」に該当する。

従って、本事件の行為は、反人道的な不法行為に該当し、被告は、これにより原告が負った精神的な苦痛に対して賠償する義務がある。被告が支給しなければならない慰謝料は少なくとも1億ウォン以上とみるのが妥当である。ただし、原告が1人あたり1億ウォンを請求しているため、それを超える部分については判断しない。

■損害賠償請求権の消滅の是非
原告の損害賠償請求権は、(日韓)請求権協定や、2015年の慰安婦合意の適用対象に含まれておらず、請求権が消滅したと言うことはできない。

ソウル中央地裁慰安婦判決 ー 被害者と向き合う好機にせよ

(2021年1月8日)
「韓国裁判所が慰安婦被害者勝訴判決…『計画的、組織的…国際強行規範を違反』」こういうタイトルで、韓国メディア・中央日報(日本語版)が、以下のとおり伝えている。

旧日本軍慰安婦被害者が日本政府を相手に損害賠償訴訟を提起し、1審で勝訴した。日本側の慰謝料支払い拒否で2016年にこの事件が法廷に持ち込まれてから5年ぶりに出てきた裁判所の判断だ。

ソウル中央地裁は8日、故ペ・チュンヒさんら慰安婦被害者12人が日本政府を相手に起こした損害賠償請求訴訟で、原告1人あたり1億ウォン(約948万円)の支払いを命じる原告勝訴の判決を出した。

裁判所は「この事件の行為は合法的と見なしがたく、計画的、組織的に行われた反人道的行為で、国際強行規範に違反した」とし「特別な制限がない限り『国家免除』は適用されない」と明らかにした。

また「各種資料と弁論の趣旨を総合すると、被告の不法行為が認められ、原告は想像しがたい深刻な精神的、肉体的苦痛に苦しんだとみられる」とし「被告から国際的な謝罪を受けられず、慰謝料は原告が請求した1億ウォン以上と見るのが妥当」とした。

さらに「この事件で被告は直接主張していないが、1965年の韓日請求権協定や2015年の(韓日慰安婦)合意をみると、この事件の損害賠償請求権が含まれているとは見なしがたい」とし「請求権の消滅はないとみる」と判断した。

この判決の影響は大きい。被告は日本企業ではなく、日本という国家である。日本は、国際慣習法上の「主権免除」を理由に一切訴訟にかかわらなかった。いまさら、日本がこの判決の送達を受領して、適法な控訴をするとは考え難い。とすれば、この地裁判決は公示送達(韓国では、裁判所が書類を一定期間ホームページに掲示することで送達完了とみなすという)手続後の控訴期間徒過によって確定する公算が高い。またまた、韓国内の日本の国有財産差押えの問題が生じてくる。

菅首相がさっそく反応した。政府は、1965年の日韓請求権協定で解決済みだとする立場で、「断じて受け入れられない。訴訟は却下されるべきだ」と記者団に語っている。加藤官房長官も、「極めて遺憾で、断じて受け入れることはできない」と述べ、日本政府として強く抗議したことを明らかにしている。

あ?あ、このようにしか言いようはないのだろうか。原告となった女性に対する、いたわりやつぐないの心根はまったく窺うことができない。せめて、「原告となられた方々の御苦労はお察ししますし、我が国がご迷惑をおかけしたことには忸怩たる思いはありますが、当方としては、こういう立場です…」くらいのことが言えないのだろうか。そうすれば、韓国国民の気持ちを逆撫ですることもあるまいに。

韓国外務省の報道官は、8日の判決を受けて「裁判所の判断を尊重し、慰安婦被害者たちの名誉と尊厳を回復するために努力を尽くしていく」と論評したという。両国政府の落差は大きい。

この訴訟の原告は12人。日本政府の「反人道的な犯罪行為で精神的な苦痛を受けた」として、日本国を被告とする慰謝料の賠償請求訴訟だが、5年に及ぶ訴訟の期間に、半数の6人が亡くなったという。

「1965年日韓請求権協定で解決済み」が私的な請求権については通らない理屈であることは、実は日本政府もよく分かっている。徴用工訴訟判決で明確になってもいるし、日本の最高裁の立場も私的な請求権までが全て解決済みとは言っていない。

この訴訟の論点は、もっぱら『主権免除』適用の有無にあった。日本政府の立場は、「主権国家は他国の裁判権に服さない。これが国際法上確立した『主権免除の原則』であって、訴えは当然に却下されるべきだ」というもので、まったく出廷していない。訴状の送達も受け付けないし、当初は調停として申し立てられたこの事件に応じようともしなかった。

しかし、ソウル中央地方裁判所は本日の判決で、原告側の主張を容れて、主権免除の原則について「計画的かつ組織的に行われた反人道的な犯罪行為」には適用外とし、今回の裁判には適用されないとする判断を示した。

また、原告の損害賠償請求権は、1965年「日韓請求権協定」や、2015年の「慰安婦問題をめぐる日韓合意」の適用対象に含まれず、消滅したとは言えないとも判示しているという。

来週の13日(水)には、元慰安婦ら20人が計約30億ウォンの賠償を求めている事件での判決が言い渡される。おそらくは、本日と同様に請求認容の判決となるだろう。

これに自民党内からは韓国に対し、激しい怒りの声が上がっているという。佐藤正久外交部会長は「国家間紛争に発展する可能性がある」とツイートしたという。これは穏やかではないし、危険で愚かな対応でもある。

戦後補償問題においては、加害国・加害企業・加害者が、被害者本人と向き合わなければ、いつまでも真の解決にはならない。日本国対戦時性暴力被害者が、直接に向き合う恰好の舞台が設定されているのだ。日本政府は、これを好機として被害者と直接に向き合い真の解決を試みるべきではないか。

ベルリンの少女像は、国際的・普遍的な人権問題の象徴となりつつある。

(2020年10月14日)

本日の毎日新聞夕刊に「ベルリンに少女像設置、二転三転、区当局『当面認める』」の見出し。共同通信記事を引用の各紙は、「少女像設置『当面認める』 撤去要求の独首都自治体」としている。

これは朗報。真の当事者は、加害者としての日本なのだ。日本の保守層と政権の、ドイツに対する圧力が一時は功を奏しそうになったが、土俵際で形勢が逆転したというところ。理性的な解決への筋道が見えてきたと言ってよいようだ。

舞台は、ベルリン市中心部ミッテ区の公有地。9月下旬、ここに韓国系市民団体「コリア協議会」が従軍慰安婦を象徴する少女像を設置し、9月28日に除幕式を行った。もちろん、同区の許可を得てのことである。これに不快感をあらわにした茂木敏充外相が今月1日にドイツのマース外相とオンライン会談した際に、像の撤去を要請した。この会談が政治的圧力となって、区は10月8日、設置許可を取り消し、10月14日までに像を撤去するよう命じていた。「日韓間の複雑な政治的、歴史的な対立をドイツで扱うのは適切ではない」というのが、その理由だった。

「コリア協議会」側は、直ちに区の取り消し決定の効力停止をベルリンの裁判所に申立て、区にも異議を申し出た。その成り行きが注目されていたが、ミッテ区のフォンダッセル区長は13日の声明で「コリア協議会と日本側双方の利益となる妥協案を望む」とし、今後すべての関係者の意見を慎重に検討する考えを表明した。

私(澤藤)が、この事件を初めて知ったのは、10月9日の21時過ぎ、「産経ニュースメールマガジン」によってのこと。「韓国の手法、もはや国際社会で通じず 独の慰安婦像設置撤去要請」という、勝ち誇った見出しの下記産経記事(一部引用)の紹介だった。これが、日本の右翼勢力のホンネであり、願望である。

 【ソウル=名村隆寛】ドイツの首都ベルリン中心部に設置された慰安婦像の撤去を地元当局が求めたことは、戦時下における女性への性暴力を非難し、女性の人権を訴える名目で、慰安婦像設置を続けてきた韓国側の手法が、国際社会では通じなくなってきたことを示す。

 設置したのは韓国系の市民団体であり、製作費は韓国の慰安婦支援団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」が支援した。米国各地に設置された慰安婦像と同様、実際には韓国が地元自治体や市民を2国間の問題に巻き込む形で設置を強行したに過ぎない。

 韓国では日韓の問題と関係ない第三国で慰安婦像設置を拒絶されたことで「像を守れるか」(聯合)との危機感が出ており、メディアでは設置を続けようとする市民団体の姿勢が強調される一方、反日意識を強引に世界で広めることによる韓国のイメージダウンを懸念する声は聞かれない。」

これを追いかけるように、複数の友人から、下記の「★菅首相及び茂木外相宛の抗議文」への署名依頼のメールが送信されてきた。これは、格調が高い。

「ベルリンの『平和の少女像』撤去問題における『記憶の闘争』。問われているのは、日本政府であり、日本人である私(たち) なのだ。」という表題がついている。

日本軍『慰安婦』問題解決全国行動
http://www.restoringhonor1000.info/2020/10/blog-post_11.html?m=1

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★菅首相及び茂木外相宛の抗議文(抜粋)

「これまでは「日本政府の立場を説明していく」という表現に留め、妨害の事実についても認めようとしなかった政府が、菅政権になって初めての今回の碑に対しては、露骨に「撤去を要請する」と官房長官が言い切り、外相が当該国の外相に電話会談で撤去を要請したと臆面もなく発言することに恐怖すら感じます。

今からでも、このような姿勢を正すべきです。日本軍「慰安婦」を生んだ加害国として、誰よりも事実を正面から直視し、心から反省し、この教訓を人類が生かしていくことができるよう、率先して記憶し教育し継承していく姿を被害者たちに、被害国に、そして世界に示してこそ、日本は尊敬され尊重される国となり、日本軍「慰安婦」問題も解決することができるでしょう。

あったことを無かったことにはできません。日本軍「慰安婦」問題を記憶することで性暴力のない平和な社会をめざそうとする各国市民の動きも止めることはできません。できないことに邁進するのではなく、なすべきことに力を尽くすよう求めます。」

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幾つかの韓国からの報道が、興味深い。

★ドイツの大学教授が「日本の戦争犯罪否定」を批判
https://news.yahoo.co.jp/articles/4719faf6543c8d8243229436510f411e35dcb204

独ボーフム大学社会学科元教授のイルゼ・レンツさん(72)は11日、ハンギョレの電子メールインタビューで、なぜ少女像がドイツになければならないのかという質問に対し、「植民地主義と戦争暴力の歴史を持つドイツは、日本と似た問題に直面している」と説明した。レンツさんは「少女像は戦時性暴力と植民地主義を記憶しようとする記憶運動の象徴」だとし、「この暴力的な植民地時代の過去と、第2次世界大戦当時に東欧とロシアで起きた無数の性暴力を把握することこそ、私たちの課題」と述べた。レンツさんはまた「少女像の設置承認取り消しは、日本政府の外交的圧力に加えて、ベルリン市が慰安婦問題と戦時性暴力問題をきちんと知らないために起きた容認できない事件」と強く批判した。

★ハンギョレ新聞「裁判所に行った少女像」
http://japan.hani.co.kr/arti/international/37981.html

★ 市民が阻止した「ベルリン少女像」撤去…ドイツ、碑文修正など妥協案か
https://news.yahoo.co.jp/articles/483d57894e3e54e55b7f95f47d648beb2eb03826

ミッテ区のシュテファン・フォン・ダッセル区長は「我々は十分に時間をかけて論争の当事者と我々の立場を検討する」とし「コリア協議会と日本側の双方の利益を公正に扱うことができる妥協案を用意したい。みんなが共存できる方式で記念物が設置されることを望む」と明らかにした。続いて「ミッテ区は時間と場所、理由を問わず、女性に対するあらゆる形態の性暴力と武力衝突に反対する」とも強調した。

これに先立ちダッセル区長はミッテ区庁前で開かれた撤去反対集会に予告なく姿を現し、「裁判所に撤去命令中止仮処分申請が出され、時間が生じた。調和が取れた解決策を議論しよう」と述べた。

これに対しコリア協議会側は、少女像設置の趣旨が反日民族主義でなく国際的・普遍的な女性人権問題であることを強調した。

ダッセル区長の立場の変化は、現地同胞と市民の反発に加え、自身が所属する緑の党の内部でも撤去命令を取り消すべきという声が出たからだ。ただ、少女像撤去命令を完全に撤回したというより、今後の裁判所の判断を待って妥協点を見いだそうという意味と解釈される。現地では、少女像の碑文に慰安婦被害者問題の普遍的価値を強調する内容を追加する方向で妥協するという可能性が高いという見方が出ている。

 茂木外相の政治的圧力は、どうやら藪を突いて蛇を出したごとくである。勝ち誇った産経ニュースの思惑も裏目に出たようだ。事情をよく知らなかったドイツの世論が、この事件を切っ掛けに、日韓の植民地処理問題未解決の現状に関心をもつことになった。ドイツと日本のその歴史的な責任の記憶と反省のありかたについて比較して、大いに意見を述べてもらいたいと思う。まさしく、国際的・普遍的な人権問題の立場から

「女帝」が、今に刻む「国恥」の歴史

(2020年9月1日)
コロナに加えての熱暑の8月がようやく終わった。暦が替わると、照りつける8月から涼やかな9月に、鮮やかな様変わり。なるほど、明けぬ夜はなく、遷ろわぬ季節もない。横暴な政権も、いつまでもはもたないのだ。

戦禍と平和を考えるべき8月が去って、常であれば、今日からの9月は侵略の歴史を噛みしめるべき日。今年はこれに、アベ後継政権の構成が絡まる。また、日本国憲法の命運に重要な時季となった。

ところで、本日(9月1日)は私が名付けた「国恥の日」である。「国」は、国家だけではなく国民をも指している。「恥」の第1は、無抵抗の者を大量に虐殺したこと。これに過ぐる恥はない。「恥」の第2は、その虐殺が民族差別・排外主義と結びついていたこと。そして、いま強調されねばならない決定的な「恥」の第3は、いまだにその事実を認めず謝罪をしようともしないことである。

1923年9月1日午前11時58分、関東地方をマグニチュード7.9の巨大地震が襲った。地震はたちまち大火災となり、死者10万5千余といわれる甚大な被害を生じた。関東大震災である。その被害はいたましい限りだが、自然災害としての震災は恥とも罪とも無縁である。

「国民的恥辱」「日本人として恥を知るべき」というのは、震災後の混乱のなかで日本の軍警と民衆の手によって行われた、在日朝鮮人・中国人に対する無数の虐殺事件である。これは、まぎれもなく犯罪であり刑罰に値する行為。人倫に反すること甚だしい。その事実から目を背け、まともに調査と責任追求を怠り、反省も謝罪もしないままに97年を徒過したこの態度を「国恥」といわざるを得ない。そして、今なお、この事実に正面から向き合おうとしない日本社会の排外主義容認の姿勢を「国恥」というのだ。

もちろん、日本の歴史に真摯に向き合おうという日本人も少なくない。日本の民衆が、民族差別と排外主義とによって在日の朝鮮人・中国人を集団で大規模に虐殺した事実を直視し、自らの民族がした蛮行を恥辱としてこれを記憶し、再びの過ちを繰り返してはならないと願う人々。

そのような思いの人々が、毎年9月1日に、東京都墨田区の都立横網町公園内の追悼碑前で、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」を開催している。今年も行われたが、コロナ禍のなか、On-line式典として挙行された。私も、YouTubeで「参加」した。いつもなら、ここで友人に遭って挨拶を交わすことになるのだが、勝手が違った。

恒例の行事ではあるが、我が国の世論が政権とメディアによって、いびつな「反韓・嫌韓」の方向に煽動されているこの数年、日韓関係の根底をなす歴史を想起するために格別の意味づけをもった式典となっている。

「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、1973年に都議会全会派の賛同で設置されたものである。以来、追悼式典は毎年行われ、歴代知事が追悼文を送付してきた。あの右翼・石原慎太郎でさえも。しかし小池百合子現知事は、就任翌年の2017年追悼文送付を意識的に中止した。そのきっかけは、「朝鮮人虐殺はデマ」派の極右・古賀俊昭都議(故人・日野)による、都議会での追悼文送付やめろという質疑だった。悪質極まりない、工藤美代子のデマ・ヘイト本をネタにしてのものである。こうして、いまや小池百合子が、「国恥」を代表する人物となっている。

その小池百合子は今年(2020年)7月5日の都知事選に圧勝して再選された。なぜ、圧勝できたか。対抗勢力が余りに脆弱であり、全体として本気度が足りなかったから。野党共闘のスジができず、フライング立候補者に振り回されて、形作りの選挙しかできなかったという体たらくだったから…。ではあるが、実は、小池百合子の何たるかが選挙民に知られなかったことが最大の理由ではなかったか。選挙のあとに話題の「女帝 小池百合子」(石井妙子著・文藝春秋社)を読んで、選挙前に読んでおくべきだったと後悔した。

この書物の刊行は2020年5月29日。選挙までの期間はわずか1か月余に過ぎない。もう1年前、あるいは半年前にでも出版されていれば、選挙は違った様相になったのではないか。野党も真剣に選挙に取り組み、勝てる候補者の出馬も可能となったのではないだろうか。

出版後、選挙期間中にも話題にはなり、私も内容は一通り把握した気になっていたが、選挙後にようやく書物を手にし目を通してみて、その内容に衝撃を受けた。ひとつは、外面の虚像とは甚だしいギャップの小池百合子という実像の凄まじさに。そしてもう一つは、民主主義社会における政治家として最もふさわしからぬこの人物が、「嘘の物語」と「遊泳術」を駆使して有力政治家となり都知事にまでなることを許している日本社会の現実に、である。

著者石井妙子は、こう述べている。

「私は、小池氏の実像を追いかけることに徹しました。ノンフィクション作家として、極めてオーソドックスな手法を取っています。本書で利用した資料のほとんどは公刊されているもので、誰でも見る事ができます。それらを精読すれば、小池氏の発言の矛盾や『おかしさ』には気づけるはずなんです。でも、今まで誰も、彼女を取材対象として正面から扱ってこなかった。まともな批判にさらされることなく今に至ってしまったのです。」「小池さんは『女性であること』『女性のイメージ』を巧みに利用した。『女性』も本書のテーマの一つです。“有能な女性政治家小池百合子”というキャラクターを、小池氏は今も演じ続けています。メディアにはそれを持て囃してきた罪がある。彼女の共犯者です。『小池百合子』を生み出した、日本社会の歪みにも目を向けて欲しいです」

なるほど、そのとおりの内容となっている。また、「読者メーター」というサイトに、こんな読書感想が寄せられている。

…彼女の内面を抉る。 地位や権力自体が目的で、それらを得て実現したいことがあるわけではない、全ての言動はそれらの維持・拡大のためで、人を助けるとか世の中を良くするというマインドは皆無‥と完全にこき下ろし。著者の個人的感情が強過ぎとの書評を事前に幾つか目にしていたが、十分な取材や証言に基づいた客観的な結論との印象。カイロ大主席卒業についても(実質的には)事実ではなさそうだ。

エジプト人が言ったという、「辿々しい日本語のエジプト人が東大を4年でしかも首席で卒業したと聞いたら信じますか?」これが一番しっくりきた。

読み終わった今、表紙の小池さんを直視できない。不安や恐怖を感じる。人間性は遺伝子や幼少期からの環境に左右されると聞く。彼女の生い立ちを知ると同情心も覚えるけれど、長年にわたり形成された小池百合子という人格は、もう誰にも変えられないのだろうと思う。犬猫150匹近くを殺処分したあとで、“ペット殺処分ゼロ”の公約達成を笑顔で報告する彼女に心はあるのかな。?

自らが生きていくために、地位と名声を求め虚飾にまみれた小池百合子の人生を丹念にあぶり出すオーソドックスかつ丹念な取材のもとにかかれた名ノンフィクション。生い立ち、時代、様々な要素があるなかで、こんなにかわいそうな生き方(蔑んだ意味で)しかできない人もいるのかと、絶句する。都民には是非読んでほしい。

小池百合子という人間は、働く女性の象徴だと何となく思っていたし、同じ女として応援するのが普通になっていた。 今回、女性をテーマに本を書くことが多い石井さんが、こんなにも批判的に割と心配になる強い書き方で、小池百合子の物語を書いたのはすごく意味があると思うし、あって欲しいと思った。 こんなにも売れていて政治系の本かなあと思って読んだ一冊が、読んだ今では、読まなかったかもしれない自分がいたかもしれないと思うと怖い。今後、この本を読んだ都民はどう判断してどう投票したら良いのか。

環境相時代のアスベスト被害者との懇談や都知事として築地女将さん会とやり取りしたエピソードが印象的。知事に窮状を訴え、気持ちが伝わり信頼関係を築いたと思った人々の失望が語られる。知事の資質だけでなく、政党や権力者、マスコミの問題が描かれている。私(有権者)もしっかりせねばと思う

著者の記述を信用するかは一つの判断だが、(法的措置のリスクを考えると)現為政者に対してここまで踏み込んだ内容を記述していること自体、かなりのエビデンスを保有していると考えられること、また、多くの核心的な部分で取材源が明かされトレーサビリティが確保されていることを考えると、私は信用出来ると考える。 イカロスの翼の例えは秀逸だ。今日も氏をテレビで見た。翼が燃え尽きるまで、昇っていくのだろうか。

「小池都知事を見る目が180度変わるというのが、共通の読後感ではないか。私も同感だ。そして改めて、こんな人物に都政を任せてはならない、こんな人物を選任してしまう民主主義の質を変えなければならない、と強く思う。

この書のなかでは、小池百合子から欺され裏切られた多くの人の怨みが語られている。この小池に対する怨みのグループの結集が力になってくるのではないか。そうして、傲慢な「女帝」を掣肘し、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」の事実を認識して追悼の意を表するくらいのことはさせねばならない。そのことが、「国恥」を雪ぐ第一歩になるだろう。

「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」 ー ようやく、雨降って地固まるの趣

(2020年8月7日)
今年(2020年)の「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」の準備は、例年にない波乱含みだった。一つは、3年越しの排外ヘイト団体「そよ風」の挑発妨害と、それに呼応した小池都政のイヤガラセ。そして、もう一つがコロナ禍である。が、両者ともに問題解決となった模様である。当たり前のことが当たり前に行われるために、どれほどの苦労が必要かを思い知らされる。

一昨日、たまたま実行委員長の宮川泰彦さんと顔を合わせる機会があって、「9月1日、例年のとおり横網町公園で会いましょう」と声をかけた。ところが、「いや、今年はいらっしゃらないで結構。ご夫婦で、ユーチューブをご覧になってください」との返答。では、安心してそうすることにいたしましょう。

問題になっていたのは、東京都が実行委員会に対してとうてい応じることのできない、不当な「誓約書」の提出を要請していたことだったが、多くの人々の批判を受けてその要請は取り下げざるを得ない事態となった。のみならず、東京都は、8月3日に昨年(2019年)9月1日における「そよ風」の言動をヘイトと認定して公表した。これで、基本的な解決となった。

下記が、最新の経過を報告する実行委員会のネット記事である。

https://sites.google.com/site/japankoreatokyo/911
https://sites.google.com/site/japankoreatokyo/912

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東京都の「誓約」要請取り下げと、今年の追悼式典の一般参加中止(ネット中継)についてのご報告

2020年8月3日

9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会

実行委員長  宮 川 泰 彦

                 記

■東京都がついに「誓約書提出を求めない」と明言

7月29日、9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会(以下、当実行委)と東京都建設局の交渉が行われました。建設局はこの場で、「誓約書提出を求めない」と明言し、その日のうちに申請を受理しました。昨年12月以来の「誓約書」問題に一定の区切りがついたのです。これにより、今年の式典が無事に執り行われることとなりました。

建設局は昨年12月、2020年の追悼式典に向けた占用許可申請に対して、「横網町公園において9月1日に集会を開催する場合の占用許可条件について」と題する文書を当実行委に提示し、「公園管理上支障となる行為は行わない」「(集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とすること」などの条件の順守を求めました。問題なのは、これらを守れない場合は「次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」との誓約を求めてきたことです。

その背景には、この3年間、同じ横網町公園内で、追悼式典と同日同時刻に意図的にぶつけるかたちで右翼団体「そよ風」主催の集会が行われていることがあります。彼らは「不逞朝鮮人が震災に乗じて凶悪犯罪を行ったのが真相」などと虚偽の主張とヘイトスピーチを叫び、拡声器を追悼式典に向けて放送するなどの妨害を行っています。これによって「慰霊の公園」である横網町公園の静穏が破られてきました。建設局の「誓約書」要請が、この集会と追悼式典の双方を同列に規制することでこうした「トラブル」を回避しようと考えたものであることは間違いありません。しかし、ヘイトスピーチなどの問題を起こしている集会と何の瑕疵もない追悼式典を同列に規制することを公正と呼ぶことはできません。

そのため当実行委はこの要請を認めず、5月18日には撤回を求めて声明を発表しました(注)。その反響は大きく、ネット署名を呼び掛ける人々が現れて「誓約要請撤回」を求めて3万人を集めたほか、知識人127人と1団体が賛同する共同声明、自由法曹団東京支部による声明、そして東京弁護士会の会長声明が発せられるなど、様々な抗議の声が上がりました。この他にも、建設局や総務局人権部に抗議の声を届けた方は少なくないようです。

今回の「誓約書」要請の取り下げは、私たちの呼びかけに応えて様々な立場から抗議の声を上げ、奔走して下さった多くの方々の努力の成果です。心より厚くお礼を申し上げます。

また建設局は同日、10項目からなる、横網町公園使用に当たっての「注意事項」を示しました。内容はごく常識的なものであり、建設局は「追悼式典は例年通りに行うことができる」と明言しています。

この「注意事項」には「ヘイトスピーチ解消法の趣旨を踏まえ、いかなる差別的言動もしないこと」との項目もあり、これについては高く評価します。ただし、同法と東京都人権尊重条例によれば、建設局と総務局人権部には、公共施設である横網町公園において差別的言動をさせないように対処する責務があるはずです。集会主催者に注意するだけでなく、東京都が「慰霊の公園」における差別的言動を確実に防ぐため、実効ある取り組みを行うことを求めたいと思います。

■今年の追悼式典は一般参加なしのインターネット中継に

新型コロナウイルス感染拡大の勢いは今のところ収まる気配はなく、すべての行事において、感染防止対策が最大の課題となっています。当実行委では議論の結果、今年の式典行事については例年どおりに行いつつ、一般参加者の参加はご遠慮いただくこととしました。追悼の場を守るために声を上げて下さった方々、追悼碑の前で犠牲者に手を合わせたいという思いでいらっしゃる方々に対し、こうしたお願いをするのは心苦しい限りですが、何卒ご諒解ください。

ただし、追悼式典はIWJ(Independent Web Journal)のご協力をいただいてインターネット生中継を行いますので、PCやスマホでのご視聴を通じて全国の人々にご参加いただければ幸いです。チャンネルは以下の通りです。

2020年 9月1日(火)午前11時から1時間強。youtubeチャンネル「Movie Iwj」にて。

https://www.youtube.com/user/IWJMovie/videos?shelf_id=4&view=2&sort=dd&live_view=501

(yahooやgoogleで「Movie Iwj」と検索すればアクセス可能)

Movie Iwj https://www.youtube.com/channel/UCO6c-ejeQxxKArNHWieU2OQ

3年後の2023年には、関東大震災100年、朝鮮人犠牲者追悼碑建立から50年を迎えます。虐殺犠牲者への追悼を捧げ、民族差別による暴力を「繰り返しはせぬ」と誓う場である朝鮮人犠牲者追悼式典と追悼碑を、今後とも幅広い人々と共に守っていきたいと考えます。引き続き、多くの皆さんのご支援、ご協力を訴えます。

以上

(注)「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会が声明を発表」

https://blog.goo.ne.jp/nicchokyokai-honbu/c/4bf22b0296e721d49361f7334619df04

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占用にあたっての注意事項(東京都から実行委員会に示されたもの)

1 占用目的外及び占用許可区域外の使用はしないこと。
2 他の公園利用者や近隣住民の迷惑となるなど、公園管理上支障となる行為は行わないこと。
3 9時50分から10時50分はマイク・スピーカー等、音響装置を使用しないこと。それ以外の時間に音響装置を使用する場合は、他の公園利用者や近隣住民等に影響がないよう、当該集会参加者の方向に向けて設置し、必要最低限の音量とすること。
4 掲示物・看板等を設置する場合は、当該集会参加者の方向に向けて設置すること。なお、当該集会め会場の場所を示すための看板を設置する場合には、行事名・主催音名のみを記載すること。
5 搬出入に使用する車両は必要最低限の台数とするとともに、公園内では徐行すること。また、指示された場所以外に車両の乗り入れ及び留め置きはしないこと。
6 平成28年6月3日に施行された「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(ヘイトスピーチ解消法)の趣旨を踏まえ、いかなる差別的言動もしないこと
7 原状の回復については、公園管理者の確認を受けること
8 新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止のため、適切な対策を講じること
9 公園管理者からの指示に従うこと
10 本注意事項について、集会参加者に周知・指導すること

東部公園緑地事務所

言うまでもなく、上記の第6項が、そよ風のヘイトスピーチを意識してのもの。

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その、「そよ風」のホームページには、8月4日付で次の記事が掲載されている。

生き残りをかけた左翼総攻撃に、都が負けた!
「誓約書」を引っ込めさせられた東京都!

そよ風が、関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊碑(以降、朝鮮人碑)を支持する左翼から、総攻撃を受けている事はお伝えしてきました。しかし話はそれで終わりませんでした。
私達は、その攻撃がどれほど恐ろしい事か目の当たりにしました。

かねてより両団体に都庁から求められていた、慰霊祭で公園を使わせて頂く為の誓約書を提出しに行った時の事。
なんと、都は、今度は、誓約書は受け取れない、というのです。
思わず、一同、椅子から転げ落ちそうになりました。
理由は、両団体とも信頼できると思えるに至ったから、と、理解不能な説明。

役所がきちんと審議し、一旦は、決定し、要請した誓約書を、途中で、必要がなかったことにするとは、前代未聞、驚天動地。

私はこれを「都庁文書引っ込め事件」と呼びたい。

都を庇うわけではないが、都は、慰霊祭を開催させないとは一言も言っておらず、誓約書は、去年、朝鮮人碑を支持する側の人間が、そよ風慰霊祭参加者に、なぐりかかるという暴行事件(逮捕、10万円罰金)があり、安全を担保するためには、公園管理者として、当然の文書でした。

それを左翼は、あたかも、都が、慰霊祭を許可しなかったかのごとく、ネットで訴え、煽りに煽りました。
正に、左翼の、生き残りをかけたかのように、自分たちと、そよ風ごときを、同格に扱うとは何事だ!と大キャンペーンを張り、必死の署名活動で、3万筆を集め、暴行事件を起こした本人等が都に提出、又、知識人127人と1団体の声明、まで出し、朝日、前衛などのメディアを使って、公園を使わせろ!と絶妙に論点をすり替えて、危機感を煽りました。

もちろん、こんなことだけで都庁が動くとは思われませんが、強力な圧力で、役所をねじふせ、誓約書を吹き飛ばしたのだと思います。

あれほど、厳格であるべき役所の指導を、指導してしまう共産党。
役人をも意のままに出来る共産党。恐るべき日本共産党!
(以下略)

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その前日の8月3日、東京都は、2019年開催の関東大震災追悼式の際の「そよ風」の言動について、本邦外出身者に対する不当な差別的言動と認定したことを公表している。

東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例第12条第1項の規定に基づく表現活動の概要等の公表について

東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例(以下「条例」という。)第14条の規定により設置する審査会(以下「審査会」という。)の意見を踏まえ、以下のとおり条例第12条の規定に基づき表現活動の概要等を公表する。

1 表現活動の内容
令和元年9月1日、東京都墨田区内の集会における以下の言動

1.「犯人は不逞朝鮮人、朝鮮人コリアンだったのです。」
2.「不逞在日朝鮮人たちによって身内を殺され、家を焼かれ、財物を奪われ、女子供を強姦された多くの日本人たち」
3.「その中にあって日本政府は、不逞朝鮮人ではない鮮人の保護を」

2 都の対応
1.上記1.について、条例第12条第2項の規定に基づく申出を受け、これらの表現は、不逞朝鮮人という言葉を用いながら、本邦外出身者を著しく侮蔑し、地域社会から排除することを煽動する目的を持っていたものと考えられる。
 また、当該発言がなされた日時、場所、その他の態様等に照らせば、別の集会に対して挑発的意図をもって発せられたものであって、その表現内容も朝鮮人を貶め、傷つける差別的表現であることから、本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当すると認められるため、適切な措置をとるべきとの審査会の意見を聴取した。
2.条例第13条第1項の規定に基づき、審査会の意見を踏まえ、都としては、上記1.の表現は、条例第8条に規定する本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当する表現活動であると判断した。
3.都は、条例第12条第1項の規定に基づき、本件公表を行い、このような本邦外出身者に対する不当な差別的言動はあってはならないものとして、その解消を推進していく。

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この経過を報道する朝日新聞の記事を引用しておきたい。

朝鮮人虐殺の追悼式、公園使用に誓約書求めず 都が一転

 関東大震災の際のデマなどで虐殺された朝鮮人犠牲者らの追悼式典をめぐり、会場の公園を管理する東京都が主催者に誓約書の提出を求めた問題で、都は、誓約書なしで公園使用を許可する方針に転換した。

追悼式典は1974年から日朝協会などでつくる実行委員会が、9月1日に都立横網町公園(墨田区)の朝鮮人犠牲者追悼碑前で開いてきた。これに対し2017年から、虐殺の事実を否定する団体「そよ風」も同時刻に同じ公園で「慰霊祭」を開催。昨年は抗議する活動家との衝突もあった。

都は昨年末、公園使用許可申請の際に、管理に支障となる行為をしないなどの条件が守れない場合は「管理者が集会の中止を指示したら従います」とする誓約書の提出を双方の主催者に求めた。実行委は「誓約書は集会運営を萎縮させる」と反発。抗議署名や抗議声明の動きが相次いだ。

都は7月末に方針を転換。「注意事項を守り、行事を平穏に行う意思が口頭で確認できた」として、誓約書なしで実行委の申請を受理した。そよ風からも申請の相談はあり、意思確認をした上で受理する方向という。都公園緑地部の樽見憲介・適正化推進担当課長は「今後も必要が生じたら誓約書を提出してもらう」と話す。

実行委は3日、「都が誓約書の要請を取り下げたのは、多くの方々の抗議の成果」との見解を発表。都に対し「差別的言動を防ぐため実効ある取り組みを」と求めた。9月の追悼式典は新型コロナウイルスの感染防止のため、一般参加者を入れずに実施し、インターネットで中継する。

そよ風が昨年開いた集会では「不逞(ふてい)在日朝鮮人たちに身内を殺された」などの発言があった。この発言について、都は人権尊重条例に基づく不当な差別的言動(ヘイトスピーチ)にあたると認定し、3日発表した。

追悼式典をめぐっては歴代の都知事が追悼文を送ってきたが、小池百合子知事は「犠牲者数については様々な意見がある」と発言し、2017年から見送っている。

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この間の事情の詳報が、年8月3日付ハンギョレ新聞(日本語・デジタル版)にも掲載されている。朝日が「客観報道」に徹しているのに対して、ハンギョレは小池都政の意図にも言及した「論評報道」に踏み込んでいる。このハンギョレの論評部分は常識的なもので、全体の流れが分かり易い。

東京都は、関東大震災の時に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式の開催条件として提示していた一種の「順法誓約書」提出要求を撤回した。

「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」(以下、実行委)は3日、先月29日に東京都が「誓約書提出を求めない」とし、(追悼式典開催)申請を受理したと明らかにした。東京都は右翼団体との公平性を口実に、追悼式典開催のための公園占有許可を出す条件としてマイクやスピーカーの使用などを自制することを要求していた。
追悼式典の開催を妨害してきた右翼団体の「ヘイトスピーチ」(特定集団に対する公開的差別、嫌悪発言)を事実上、朝鮮人犠牲者追悼式典と同様の性格の集会と規定しようとしたものの、市民の反発にぶつかり、要求を撤回した格好だ。実行委は、1923年の関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼するために、1974年から毎年9月1日に、東京墨田区の横網町公園で追悼式典を開いてきた。しかし、右寄りの小池百合子東京都知事の就任後、制動がかかっていた。

東京都は昨年12月、実行委に対し、追悼式典開催に必要となる公園の占有を許可する条件として、「(すべての関東大震災犠牲者を対象に東京都が行う行事の時間帯には、集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とすること」などを内容とする誓約書の提出を要求し、物議を醸していた。誓約書には、これらの内容が順守できない場合は、「次年度以降、(行事開催のための)公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」との内容も含まれていた。さらに東京都は、追悼式典の開催を妨害することを目的として3年前から同じ公園で集会を開いている右翼団体にも、同一の誓約書を提出することを求め、波紋はさらに広がった。事実上、右翼団体の「ヘイトスピーチ」と朝鮮人犠牲者追悼式典を同じ性格の集会と規定し、規制しようという意図があるという分析がなされた。実行委が5月に東京都のこうした措置を批判する声明を発表したところ、日本の市民社会からは「民族差別の犠牲者を追悼する式典と、民族差別を煽動する集会とを同列に扱い規制することは、『公平』でもなければ『公正』でもない」とする「文化人声明」などが相次いだ。

実行委は「『誓約書』要請の取り下げは、私たちの呼びかけに応えて様々な立場から抗議の声を上げ、奔走して下さった多くの方々の努力の成果」とし「心より厚くお礼を申し上げます」と述べた。そして「(東京都)建設局は同日、10項目からなる、横網町公園使用に当たっての『注意事項』を示しました。内容はごく常識的なものであり、建設局は『追悼式典は例年通りに行うことができる』と明言しています」と明かした。

一方、実行委は、今年の横網町公園での関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典はコロナ感染拡大防止のため、一般参加者なしで行うことにしたと発表した。追悼式はオンライン中継される予定だ。

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なお、賛同・支援の募金は下記まで。

郵便振込 00110?5?401438
加入者名 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会

朝日社説「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」に敬意

(2020年7月25日)
本日(7月25日)の2本の朝日社説。ひとつは、「朝鮮人犠牲者追悼式」に対する小池知事の姿勢を批判するもの。そうして、もう一つが「検察刷新会議」の議論の在り方についてのもの。いずれも、分かり易く説得力があり余計な忖度のない、優れた内容である。

そのうち、「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すなと表題する小池知事の姿勢についての社説を取りあげて紹介したい。

「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」という表題が立場を明確にしている。「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は「揺るぎない史実」なのだ。小池都政は、「その史実の改ざんに手を貸してはならない」と警告している。

冒頭の一文が、次のとおりである。

「こうしたおかしな行いが自由な社会を窒息させ、都政に対する不信を膨らませると、小池百合子知事は気づくべきだ。」

「史実の改ざんに積極的に手を貸す、こうしたおかしな行い」は、「自由な社会を窒息させ」る罪の深い醜行である。にもかかわらず、小池百合子は自分の生来の歴史修正主義思想や差別意識から、あるいは支持勢力への慮りから、敢えて「こうしたおかしな行い」をしようとしているが、そのことは、結局のところ、都民の小池都政に対する不信を膨らませることになるのだから、「結局あなたの得にはならないことに気づくべきだ」と、説得を試みているのだ。

「関東大震災後の混乱の中で虐殺された朝鮮人や中国人の追悼式典を開いてきた団体が、会場の公園を管理する都から「誓約書」の提出を求められている。
 (提出を求められている誓約書の)内容は、
▽参加者に管理の支障となるような行為をさせない
▽順守されなければ都の式典中止指示に従う
▽次年度以降、公園利用が許可されなくなっても異存はない、というものだ。」

この「誓約書」提出の要求が、「自由な社会を窒息させるおかしな行い」であり、都政に対する都民の不信を膨らませる」問題の行為なのだ。

 なぜ問題か。虐殺の事実を否定する団体が3年前から式典と同じ時間帯に「犠牲者慰霊祭」と称して集まり、大音量で「虐殺はでっち上げだ」などと演説を行っているためだ。昨年はこれに抗議する人たちとの間で衝突もあった。
 同様のことが起きれば来年から式典を開けなくなる恐れがある。否定派の団体の関係者はブログで「目標は両方の慰霊祭が許可されないこと」だと公言している。その思惑に手を貸し、歴史の改ざんにつながる「誓約書」になりかねない。

「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は、検証された史実である。しかし、この史実を認めたくない人々がいる。「常に清く正しい日本人がそのような悪逆非道の行いをするはずはない」「存在しない虐殺をあたかも存在したように吹聴するのは、悪意の陰謀である」「仮に、朝鮮人殺りくがあったとしても、それは悪行に対する懲罰に過ぎず、朝鮮人の自業自得で日本人に責任はない」と言いたいのだ。史実を直視しようとしない、歴史修正主義派の一群。その典型である「そよ風」というグループが、小池百合子の知事就任直後から、追悼式典にぶつける形で集会をもち、大音量で「虐殺はでっち上げだ」と演説を始めたのだ。

 そもそも地方自治法は「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」と定め、安易な規制は許されないとする最高裁の判例もある。都の対応は集会や表現の自由への理解を欠き、いきすぎと言わざるを得ない。

この問題に関する東京弁護士会の「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典のための公園占用許可につき不当な誓約書の提出を条件とすることの撤回を求める会長声明」(本年6月22)の次の一節を引用しておきたい。
言うまでもなく、集会の自由(日本国憲法第21条第1項)は、民主政の過程を支える憲法上優越的な人権として尊重されるべきものである。これを受けて公共施設の利用について、地方自治法第244条第2項は、「普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」としているところ、判例上も、特段の事情がない限り、妨害者の存在を理由として、被妨害者の不利益を帰結するような取扱いはなされるべきではないものと解されているところである(最判平成8年3月15日・民集第50巻第3号549頁)

 知事の姿勢が影響していることはないだろうか。小池氏は歴代知事が式典宛てに出してきた追悼文をとりやめ、虐殺について「様々な見方がある」などとあいまいな発言を繰り返す。

「知事の姿勢が影響していることはないだろうか。」は、反語表現である。明らかに影響しているのだ。小池の姿勢が、歴史修正主義派、ヘイトスピーチ派の跳梁を誘発している。しかし、かろうじて、小池自身にあからさまにホンネを語らせないだけの世論状況にはある、ということなのだ。

 だが「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を投げ込んだ」といった虚偽の話が広がり、市民や軍、警察によって各地で虐殺が行われたのは厳然たる事実だ。多くの公的記録や証言があり、内閣府中央防災会議の報告書にも明記されている。にもかかわらず、否定派の団体は差別的表現を使いながら、暴動やテロがあったと言い募る。

歴史の修正は一種の信仰である。「神聖なる陛下ご親政の御代の日本人が、理由もなく他国の民を虐殺することなどあり得ない」「伝えられる自警団の朝鮮人への懲罰は、あったとしてもやむを得ない正当防衛に過ぎない」。明治維新後権力者によって意図的に作られたこのような信仰が、いま息を吹き返しつつあるのだ。恐るべきことではないか。

 小池氏は先の知事選で、ヘイトスピーチ対策を盛り込んだ都条例の制定を1期目の成果に挙げた。そうであるなら、事実に基づかぬ差別的な言説を放置せず、適切に対応するのが知事の務めではないか。自らも歴史に誠実に向き合い、都民の代表として追悼文を出すべきだ。

まったく、そのとおりだと思う。ここで提言されているのは以下の2点である。
(1) 事実に基づかぬ差別的な言説を放置せず、知事の務めとして適切に対応すべきこと
(2) 自らも歴史に誠実に向き合う証しとして、都民の代表として追悼文を出すべきこと

(2) は、都知事独断でできることだ。追悼式実行委員会への「誓約書」要求は撤回して、改めて都民の代表として追悼文を提出するべきであろう。できることなら、ご自分で起案をされて、心情のあふれるものとしていただきたい。
(1) については、3年後に迫った100周年の記念史を編纂してはどうだろうか。史実に基づく生々しい過去の記録に留めず、この史実を踏まえて「共生の東京」の未来図を描くものとして。

朝日の社説は、ここで終わらない。関東大震災時に振りまかれ今に至る「災害時のデマ」に筆を進めて締めくくっている。この締めくくり方には、やや不満が残る。

 災害時のデマは過去の問題ではない。東日本大震災では外国人窃盗団が暗躍しているとの流言が広がり、現下のコロナ禍でも外国人の排斥や感染者へのいわれない攻撃が起きている。
 社会不安が広がるとどんなことが起き、そうさせないために日頃からどうすべきか。97年前の惨劇から学ぶことは多い。

97年前の軍・警・民間が一体になっての朝鮮人虐殺は、決して「災害時のデマ」一般の問題に矮小化してはならない。帝国日本の朝鮮侵略に伴う作られた差別意識と反抗への恐れの感情を基本に据えて読み解かれるべきであろう。

とは言うものの、この朝日社説の見識に敬意を表したい。

フジ住宅ヘイトハラスメント訴訟。原告女性は何を求めて提訴を決意したのか。

(2020年7月20日)
ヘイト企業として名を馳せている「フジ住宅」(大阪府・岸和田市)。社内での「ヘイトハラスメント」を苦痛とした、在日3世の女性社員が果敢に会社を訴え、5年の審理を経て、7月2日に大阪地裁堺支部で一審勝訴判決を得た。文字通り、勝ち取ったというにふさわしい。世の中にはたいした人がいるものだ。こんなひどい会社の中でのたった一人の闘いを毅然とやり抜いた人。おそらくは、同僚からの暗黙の支援があったのだろうと想像する。

原告弁護団は、「ほぼ完全勝訴! ご支援ありがとうございました!!」という判決の評価。ただし、原被告双方が控訴の見込みだという。おそらくは、双方の控訴があって、既に大阪高裁に控訴審が係属しているのだろう。

この訴訟は、損害賠償請求事件。原告は、フジ住宅株式会社に勤務する在日コリアン3世の女性、被告はフジ住宅とその創業者で会長の今井光郎。
判決は両被告に連帯して110万円の支払いを命じる請求の一部認容。判決理由で会社の次の行為を違法と認めた。

(1) 被告らが社内で全従業員に対し、ヘイトスピーチをはじめ人種民族差別的な記載あるいはこれらを助長する記載のある文書や今井会長の信奉する見解が記載された文書を大量に反復継続して配布した。この行為は、労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益である内心の静隠な感情に対する介入として社会的に許容できる限度を超え、違法であるとした。

(2) また、フジ住宅及び今井会長は、地方自治体における中学校の教科書採択にあたって、全従業員に対し、特定の教科書が採択されるようアンケートの提出等の運動に従事するよう動員した。これは、業務と関連しない政治活動であって、労働者である原告の政治的な思想・信条の自由を侵害する差別的取扱いを伴うもので、その侵害の態様、程度が社会的に許容できる限度を超えるものといわざるを得ず、原告の人格的利益を侵害して違法であるとした。

(3) フジ住宅は、本件訴訟の提訴直後の2015年9月に、社内で、原告を含む全従業員に対し、原告について「温情を仇で返すバカ者」などと非難する内容の大量の従業員の感想文を配布した。

会社がこれだけのことをやれば当然にアウトだ。判決は至極当然のこと。但し、判決の認容額はあまりに低額である。ネットに、こんな記事を見つけた。

フジ住宅控訴!!がんばれフジ住宅!!
東京都知事選まであとわずか 桜井誠一択
300万円の和解案を提示された時点で(民族関係なく)まともな人なら和解で済ます。裁判所が昨日認めた慰謝料金額を見ると、この原告は実質的には負けているのでは…弁護士費用だけで100万飛ぶだろうに。フジ住宅側から控訴状キター、民事弁護士費用は自己負担だからさらに費用がかかります。裁判所も「在日の訴訟好き」にあきれていると見た。今回の控訴でフジ住宅は間違いなく注文が立て続けに入りますね。

この匿名ネトウヨ君は、「人は、金を求め、金のために裁判をする」「裁判の目的は金なのだから、金額の最大化のために行動することが合理的」としか考えていない。そんな思考回路の持ち主。人が、ブライドのために、自由や平等の理念を実現するために裁判を起こすことなどは、考えも及ばないのだ。

裁判所から300万円の和解案があったのに、それを蹴って110万円の判決を得た。これは原告の200万円の損。費用をかけて何をしているのか、理解ができないという。

しかし、人はパンのみにて生きるものに非ず。裁判は金のみを求めて提訴するものではない。何よりも、不合理に怒りこれを是正しようとして訴えるのだ。判決が、会社の違法を確認する。メディアがそれを報じる。社会も、正義が女性社員の側にあることを認めることになる。原告は、自分の精神の矜持を保ったのだ。そして、どんな会社も、フジ住宅のようなヘイトハラスメントをしてはならないことを天下に示したのだ。110万円の金額以上に判決の価値は大きい。

とは言うものの、認容額は高いに越したことはない。こんな違法行為を根絶するためには、慰謝料も弁護士費用ももっと高水準にしなければならない。

控訴審、さらなる闘いの成果を期待したい。

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