本日(10月31日)山本太郎参院議員が、赤坂御苑で開かれた秋の園遊会で、天皇に文書を手渡したとのこと。報道では「手紙」を渡した、とされている。山本自身が記者会見で明らかにしているところでは、文書の内容は「原発事故での子どもたちの被曝や事故収束作業員の劣悪な労働環境の現状を記したもの」だという。
田中正造の直訴事件を思い起こさせる。予てから、足尾銅山の鉱毒問題に取り組んでいた田中は、被害農民の「押し出し」に対する警察の弾圧に憤激し、1901年12月天皇に直訴を敢行する。名文家として知られた幸徳秋水に案文の起草を依頼して直訴状を作成。これを懐に日比谷で天皇の馬車を待ち伏せ渡そうとするが、警備の警官に取り押さえられて失敗する。
直訴には失敗したが、この事件は天下の耳目を集めた大騒ぎとなって、直訴状の内容は広く市民に知れ渡ることとなった。田中の直訴の意図如何に関わらず、「直訴事件」の結果として足尾鉱毒問題への政府の対応を批判する世論喚起には絶大なものがあった。その意味で田中のパフォーマンスは大成功だった。
山本太郎の今回の行為は、田中正造のパフォーマンス成功に学んでのものであろう。おそらく彼の心中に、天皇の神聖性も権威もない。「手紙」を読んだ天皇が何ごとかをなす政治力があると考えているはずもない。とにもかくにも、天下の耳目を集めること、とりわけテレビの画像に映ることと、その後の記者会見で自分の見解を語る機会を得ることが意図するところであったろう。
そこまでは彼の意図は成功した。しかし、その先にあるはずの彼の見解への世論の支持を獲得できるかはまた別の問題。田中の成功は、限られたその時代状況の中でのもの。その後100年余を経た今、山本が同じ効果を狙ってのパフォーマンスが世論の支持を得ることは難しかろう。このパフォーマンスによって、原発事故による被害自体や被害の対処に関しての山本の問題提起を社会が肯定的に受けとめてくれるか、おそらくは否ではないか。
山本の行為に対して、天皇の政治利用という観点からの批判が予想される。まさか、「神聖であるべき天皇に手紙を渡すなんて怪しからん」「天皇から声をかけられるのを待つべきなのに、庶民の分際で自分から話しかけるとはもってのほか」などと言える時代ではない。せいぜいが、「本来政治的に無色であるべき天皇に特定の意見を披瀝し」「自分の意見を世に広めるために天皇との接触の機会を利用した」ことを天皇の政治利用ということになろう。そのことをまったく否定はできず、褒むべきこととは言わない。しかし、たいへんに怪しからんことをしたとも思わない。
そもそも、園遊会とは何であろうか。「各界で活躍する人々を招待して春秋に行われる園遊会も、天皇家のパーティではなく、公的行事として位置づけられ、公的支出である宮廷費でまかなわれている」(横田耕一「憲法と天皇制」)というしろもの。憲法に規定のない講学上の「天皇の公的行為」の典型なのだ。憲法上天皇の行いうる行為は「憲法の定める国事に関する行為のみ」に限られている(4条1項)。「公的行為」について合憲説もあるが違憲説も有力である。
天皇の園遊会主催は「国事行為」ではない。端的に言って、国民への人気取りのパフォーマンスであり、内閣による天皇の政治利用である。天皇・内閣の側の「天皇の政治利用」に比較すれば、山本の行為は批判するほどのものとは考えがたい。
園遊会に呼ばれてのこのこ出掛ける見識は問われようが、呼んだのは天皇の側、呼ばれた山本は客の立ち場である。客である山本が天皇に話しかけても、会話は長くなるから文書を読んでくれと言っても、格別に無礼な行為でも、非常識でもあるまい。所詮は、天皇の人気取りパフォーマンスに参加のチャンスをとらえての新進議員の個人的パフォーマンス。大事件と騒ぐほどのことではない。100年前の統治権の総覧者であり神であった天皇への直訴とは、そのインパクトにおいて格段の差がある。
園遊会とは、違憲の疑いが濃い、少なくとも憲法が想定していない、天皇利用の国民の人気取りイベントである。このイベントが内閣の思惑どおりに進行しなかったとして、不快感を露わにしているのが現状。マスコミも、市民も、内閣の尻馬に乗って、山本批判をすべきではなかろう。それは、天皇神聖化や天皇の権威拡大につながる。
しかし、山本議員には、申し上げておきたい。国会議員たるもの、国民に語りかけるべきが本来の在り方ではないか。天皇に語りかける発想は、民衆の側に立とうとする議員のものではない。心ある議員は、天皇に呼ばれてホイホイと園遊会などには出向かないものだ。天皇が出てくる国会の開会式にも出席すべきではなかろう。天皇から「親授」される勲章などはもらってはならない。憲法を厳格に遵守する姿勢とは、象徴としての天皇を否定はしないが、その一切の政治利用を厳格に拒否するものである。天皇の神聖性や権威の拡大に手を貸すことをしてはならない。
(2013年10月31日)
国家秘密を保護する立法の企ては初めてのことではない。1985年6月にも、議員立法としての「スパイ防止法案」が第102通常国会に提案された。第2次中曽根内閣の当時のこと。与党内に谷垣禎一議員らの反対もあり、言論界の評判も悪く、閣法としての上程ではなかった。それでも、自民党は数で押しきることができる状勢ではあったが野党が猛反発した。社会党・公明党・民社党・共産党・社民連がこぞって反対。審議拒否なども重なり、102国会では継続審議、103臨時国会の終了の同年12月21日審議未了で廃案となった。
この法案のフルネームは、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」。これを政府与党側は「スパイ防止法」と略称したが、マスコミの多くは「国家秘密法」と言い、運動側の多くは「国家機密法」と呼んだ。提案者の側は法案の趣旨を「スパイ天国・日本の不正常を正して、国の安全をはかる法律」と強調し、マスコミや運動側はスパイ行為の処罰に限らない広範な国家秘密保護が必然的に国民の知る権利を侵害する則面を重視したのだ。
公務員に秘密厳守を要求するのなら、公務員法や自衛隊法の守秘条項の手直しで足りる。別の立法が必要というのは、民間人の処罰を狙っているからだ。具体的にはメディアが狙われている。メディアが萎縮すれば、もっとも知らねばならなことが、隠される。そのことによって主権者が適切に主権を行使できなくなる。これは、民主々義の危機ではないか。到底黙ってはおられない。
当時私は岩手弁護士会の中堅弁護士で、この地での反対運動に参加した。運動の中心勢力は、地元のメディアと大学人と弁護士会と労働組合だった。「言論の自由を守れ」「国民の知る権利を侵害してはならない」「戦前の弾圧体制の再来を許さない」という訴えは、市民の理解を得て浸透した。
私が参加した岩手の運動において、中心のそのまた中心に位置したのが地元紙の第一線の記者たちだった。その反応のみごとさに、心強さを感じた。若手だけではない。老舗地方紙の幹部も、ジャーナリストとしての気骨を示した。紙面に「国家秘密法反対」の論陣が張られ、反対の意見広告が掲載された。この社の労組を中心に他の労組、他のマスコミ各社にも運動は波及した。
マスコミ・大学・弁護士会などをつないで、「国家秘密法に反対する県民の会」がつくられ、いくつもの企画を行った。弁護士と新聞記者とは、共同して国家秘密法に反対する演劇を行った。北上山中に米軍機が墜落しその取材の過程で重要な防衛秘密が明らかになる。果敢にこれを報道した記者が逮捕され‥、という筋書き。大ホールを大入り満席にして、盛岡と一関で2公演した。私も新聞社のデスク役で出演した。「国家秘密法に反対する歌」がつくられて集会で歌われ、録音テープも売られた。
私は、岩手弁護士会の担当委員として何度も上京し、日弁連の会議に参加し、国会議員周りもした。なかなか議員本人とは会えなかったが、地元の議員あるいは秘書には、良く耳を傾けていただいた印象がある。小沢一郎氏ひとりを除いては。
もっともアクチブに運動に参加した記者のひとりから、聞かされたことがある。「たまたま、ボクが日常目を通している新聞の中に赤旗がありましてね。その中の国家秘密法に関する記事や論説には、共感できるものがあった。ボクが比較的早くこの問題の危険性を認識したのは赤旗からですね」
確かに、赤旗はいち早く警鐘を鳴らし、その報道や論評は的確で圧倒的な分量でもあった。私の方は赤旗に加えて、日弁連と自由法曹団からのニュースや資料の提供があり、全国の弁護士の意見に接することもできた。私は貴重な立ち場にあったことになる。責任も感じた。
日弁連、赤旗や自由法曹団が問題を提起し、ジャーナリスト、学界などがこれに続く。マスメディアが動き、市民運動、大衆運動が盛りあがり、そして政党が動く。国会の内外で与党を包囲して、「こうなってしまってはゴリ押ししない方が得策」と思わせる状況をつくり出したときに、法案が廃案になった。
85年当時と比較して、国会内の議席分布では今回は格段に不利ではある。野党の力量の不足は覆いがたい。しかし、与党盤石ということではない。いくつもの分野で安倍自民の政策を批判する国民運動が起きつつある。
今しばらくは国政選挙の機会がない。このことが、政権を強気にさせていると言われる。しかし、いくつもの地方選挙で自民党は顔色を失っている。たとえば川崎市長選。たとえば神戸市長選。あるいは岡山市長選。自民・公明・民主3党推薦候補圧勝の思惑が、接戦にもつれ込み、あるいは無所属候補に敗れている。昨日の「毎日」社説は、この選挙結果を「消費増税の使途の説明不足や特定秘密保護法案への対応など危うさをのぞかせている」と説明している。政権安泰どころではない。安倍自民は薄氷を踏む事態というのが実態なのだ。
今回の法案は、その危険性が見え見えなのが最大の弱点だ。明文改憲、集団的自衛権行使の憲法解釈変更、NSC法、国家安全保障基本法、防衛大綱見直し、自衛隊に海兵隊機能・敵基地攻撃機能などと、パッケージとなった特定秘密保護法案である。そのきな臭い危険性は誰の目にも明らかではないか。さらに、消費増税、福祉の切り捨て、TPPと問題山積の中の問題法案である。運動の盛り上がりによって政権へダメージを与えること、そして85年当時のように、この法案を廃案に追い込むことは可能だと、私は考えている。
(2013年10月30日)
昨年(2012年)4月に発表された自民党「日本国憲法改正草案」は、右派陣営が望んでやまない「理想の憲法」のモデルである。赤裸々に彼らのホンネを語るものとしてまことに貴重な資料となっている。その批判的検討は、自ずから安倍自民の目指す国家像や基本政策と総体として対決するものとならざるを得ず、平和・人権・民主々義の各分野においての具体的な対立点と運動課題を明示することになる。
この度、「本の泉社」から、坂本修さんが、「アベノ改憲の真実ー平和と人権、暮らしを襲う濁流」を上梓された。10月15日の発刊。既にそれぞれの特色を持ったいくつかの「草案」批判解説書があるが、坂本書は、けっして屋上屋を重ねるものではない。
坂本さんは、私よりひとまわり先輩の弁護士。その発言には、常に抜きん出た存在感がある。坂本さんが何を言っているのかを知らないわけには行かない。さっそく読ませていただいた。
一読、その情熱に胸を打たれる。そして、あの人柄そのままの語り口が、無味乾燥になりがちな解説書をみごとに血の通ったものにしている。これは、余人にできることではない。もちろん、私などに真似はできない。坂本さんは数多くの労働訴訟や人権訴訟に携わってきた人。一々の具体的な事例の詳細紹介は省かれているが、その豊富な経験が分かりやすく説得力のある叙述となっている。
まずは、この書のはしがきにあたる「はじめにーあなたへの手紙として」をじっくりと読まねばならない。わずか2ページだが、この時代を誠実に生きてきた一個の知性が、読者の一人ひとりに真剣に語りかけている。これを読めば、背筋が伸びて、あとの100ページを読み通さねばならないという気持にならざるを得ない。
本文は全6章からなる。よく練られた章立てとなっていて読みやすい。
その第1章において「政治的背景事情」が語られる。その中で、安倍政権の「壊憲」の意図や戦略についても触れられる。第2章から、第5章が草案の解説となっており、終章である第6章が改憲阻止を展望する運動論となっている。
つまり、この書の構成は、法律的解説の前に政治状況と政権の意図を明らかにし、改憲草案解説の後に政治状況を切りひらいて改憲を阻止し「憲法の生きる日本を目指す」展望を示す実践の書となっている。これは、坂本さんの生き方そのものだ。法律を解説するだけの弁護士ではない。判例にしたがって、法廷活動をするだけの弁護士でもない。社会を変革する立ち場を旗幟鮮明にした弁護士が憲法についての書物を著せば、必然的にこうなるのだ。
さて、法律的な解説部分の章立ての構成を内容として示せば以下のとおりである。
第2章 総論=立憲主義と憲法3原則の否定
第3章 各論1 平和主義への攻撃
第4章 各論2 社会権への攻撃
第5章 各論3 自由権への攻撃
以上のまとめだと無味乾燥となる。現実の目次は以下のとおりに、工夫が凝らされている。
第1章 迫る『壊憲』濁流ーその陣立てと戦略をどう見るか
第2章 「改憲草案」の『壊憲』の原理ー憲法3原則抹殺と立憲主義の否定
第3章 「改憲草案」の第1の顔ー「戦争をする国」
第4章 「改憲草案」の第2の顔ー「弱肉強食の国」
第5章 「改憲草案」の第3の顔ー自由と人権のない強権支配の国
第6章 勝利の課題と展望をどう見るかー私たちは勝利できる
大雑把に言えば、「戦後レジーム」から脱却して「戦争のできる国・日本」を目指すことが「アベノ改憲」の正体であり、その中身は日本国憲法の骨格である近代立憲主義と憲法3原則を根こそぎ否定すること。具体的には、侵略戦争を任務とする国防軍を作り集団的自衛権の行使を認めて海外での戦争を可能とすること、新自由主義を徹底して弱肉強食の日本をつくること、市民的な自由も否定して国家秩序優先の社会をつくること、がたくらまれている。そして、その策動は、明文改憲だけでなく、解釈改憲・立法改憲の同時進行複合攻撃となっている。
問題は、国会での議席が足りないのに、この攻撃に対抗する運動に勝利の展望はあるのだろうか、ということ。坂本さんは、「知恵と力を合わせて闘えば勝利できると確信しています」と言う。ここが、坂本さんの真骨頂。精神論ではなく、「なぜか」が具体的に述べられている。
坂本さんは、「この改憲策動にはいくつもの弱点がある」とおっしゃる。改憲策動が進めば、その弱点も大きくなる。たとえば、安倍改憲を志向する政治は、社会のあらゆる分野で改憲阻止につながる大きな国民運動を巻き起こすことになる。原発再稼動反対、消費増税阻止、生活保護切り捨て反対、ブラック企業追及、TPP反対、辺野古やオスプレイ問題、言論の自由、公務員労働者の権利の問題‥、多くの要求闘争が憲法を活かす課題、改憲阻止の課題と結びつく必然性をもっている。また、安倍改憲策動は世界から孤立化するものという指摘も肯ける。
是非、熟読されるようお勧めする。100ページ余、価格800円と手頃なボリュームでもある。これをお読みのうえ、改憲阻止のために何をすべきか何が出来るかを、それぞれにお考えいただきたい。僭越ながら坂本修さんに代わってお願い申しあげる。
(2013年10月29日)
自信をもとう。風向きの変化を感じる。ようやく、特定秘密保護法案を批判する世論の風が吹き始めた。
先日、大新聞の元記者と雑談を交わす機会があった。「今の新聞社の内部の雰囲気が、国家秘密法に社をあげて反対した当時とはずいぶん違ってますね」とおっしゃる。「じゃあ、今回は負けいくさですか」と聞くと、「それは外の運動の盛り上がりしだいですよ」とのこと。「新聞は社会の木鐸をもって任じておられるじゃないですか。言論封殺の特定秘密保護法には真っ先に反対とはならないんですか」と再度問うと、「社内のみんな、反対と思ってはいるけれども、思いきって記事が書ける雰囲気にはなっていない」「外が盛りあがれば、新聞も書けるんです」と言われる。言外に、反対運動の盛り上がりが今ひとつではないか、ということのようだ。
この会話。必ずしも悲観的というばかりでもない。「市民の運動が盛りあがればメディアも動ける。メディアが動けば、大きく世論を変えることもできる」ということでもあるのだから。プラスの循環が始まれば、政権を追い詰めることができようというもの。なに、実は安倍政権の支持基盤が脆弱なことは政権自体がよくご存じのとおりだ。世論を甘く見て暴走すれば、政権の命取りになりかねない。議席数を数えるだけでは、法案の成否は分からない。与党に、「無理押しすると、政権がもたなくなるかも」という危惧を抱かせるだけの世論の形成ができるかどうか、それが勝負の分かれ目だ。
今朝の共同配信記事が、「秘密保護法、世論調査では過半数が反対」というもの。これは、大事件だ。このところ、各紙の社説がかなり変わってきている。ここ数日、どこの集会でも特定秘密保護法に反対する声を聞くようにもなった。96条先行改憲論に反対世論が盛りあがったあのときのような、「春二番」を感じる。良い循環の歯車が回り始めたのではないか。
「共同通信社が26、27両日に実施した全国電話世論調査によると、政府が今国会に提出した特定秘密保護法案に反対が50・6%と半数を超えた。賛成は35・9%だった。慎重審議を求める意見は82・7%を占め、今国会で成立させるべきだとする12・9%を上回った。機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ特定秘密保護法案には国による情報統制が強まるとの批判がある。政府、与党は今国会での成立を目指しているが、調査結果は世論の根強い懸念を鮮明にした。」というのが記事の内容。
さらに、この調査結果の解説が立派なものものだ。
「共同通信社の世論調査で特定秘密保護法案に反対が半数を超えたのは、国民の『知る権利』が大幅に制約されかねないという国民の疑念を反映した結果だ。政府は『米国などとの情報共有には秘密保全のための法整備が不可欠』との立場だが、世論の理解が進んだとは言い難い。
今国会での成立にこだわらず、慎重な国会審議を求める声も82・7%に達した。与党は11月上旬に審議入りし中旬までに衆院を通過させたい考えだが、数の力に頼った『成立ありき』の国会運営は慎み、議論を尽くすべきだ。
『特定秘密』の指定は第三者のチェックを受けず、政府が 恣意的な運用をする懸念は消えない。特定秘密は30年を超える場合でも内閣の承認があれば延長可能で、政策決定過程が「歴史の闇」に葬られて検証できない恐れもある。
数々の問題が指摘される法案であるにもかかわらず、安倍晋三首相は所信表明演説で特定秘密保護法案に明示的に触れなかった。政府は国民が抱える不安を直視し、疑問に答えるべきだ」
元記者氏のおっしゃる「外の運動の盛り上がり」が既にできつつあるのではないか。なるほど、この世論調査の結果あればこそ、このような解説を書くことができる。
私見では、自民党の町村信孝さん(この問題の自民党プロジェクトチーム座長)の発言がジャーナリストのプライドを大いに刺激して、反対運動に大きな役割を果たしたのだとおもう。彼は、10月19日テレビでこう言った。「まっとうな取材をしている記者は法律の適用外だ。逮捕されることはない」。この発言、まっとうな記者には、「政府がまっとうと認める限りの取材なら記者の逮捕はしない」「政権がまっとうと認める範囲での取材をしておくのが身のためですよ」と聞こえたはず。まっとうなジャーナリスト魂をいたく傷つけ、果敢にたたかう筆をとらせたのだ、と思う。
以前当ブログに掲載したが、特定秘密保護法の賛否を問う世論調査は惨憺たる結果だった。国民にこの問題の本質が分かりにくいことがその原因。意識的な世論への働きかけなしには、自然に反対世論が盛りあがることはない。
これまでの世論調査結果についての当ブログの記事を再掲する。
時事通信が9月6?9日に行った世論調査で、「機密情報を漏えいした国家公務員らの罰則を強化する特定秘密保全法案」について賛否を聞いたところ、「『必要だと思う』と答えた人は63.4%、『必要ないと思う』は23.7%だった」という。
さらに、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が9月14?15両日に実施した合同世論調査では、「機密を漏らした公務員への罰則強化を盛り込んだ『特定秘密保護法案』について、必要だとしたのは83.6%、必要だと思わないが10.4%だった」という。
本日(10月4日)の「毎日」に、10月1?2日実施の新たな世論調査の結果が発表されている。これが、見出しを付けるとすれば、「特定秘密保護法必要の世論 6割に近く」として不正確とは言えない内容。産経の83.6%はさすがに眉唾としても、毎日の「必要だ」は57%、「必要でない」は15%に過ぎない。毎日の社会的信頼度を考慮すれば無視しえない。
時系列に、時事→産経→毎日⇒共同 の調査結果の推移を単純に比較してみよう。
反対 24%→10%→15%⇒51%
賛成 63%→84%→57%⇒36%
この推移は劇的な変化と言って良い。しかも、今国会で成立させるべきだとする「安倍追随世論」は13%に過ぎず、反対世論が83%を占めていることの意味は限りなく重い。同時に行われた内閣支持率、自民党支持率とも、着実に低下をしてもいる。
思い起こそう。「特定秘密保護法案の概要に対するパブリックコメント募集に対して、9月3日から17日までの15日間に94000件の意見が寄せられ、そのうち反対が77%を占め、賛成は13%に過ぎなかった」のだ。
自信をもって、世論の喚起に務めよう。できる限りの自分の周囲に法案の危険性を知らせよう。この法案、きっと潰せる。
(2013年10月28日)
来年(2014年)3月1日は、アメリカのビキニ核実験で、「ブラボー」と名付けられた水素爆弾が爆発してから60年となる。われわれにとっては、第五福竜丸被曝60年の「負の記念日」。その日に向けて、公益財団法人第五福竜丸平和協会は、「被ばく60年記念事業」を準備中である。記念の集い、連続市民講座、各地での第五福竜丸展の開催や出版の諸企画‥。多くの人にご賛同いただき寄付も募らなければならない。
木造のマグロ漁船「第五福竜丸」は、1947年に和歌山県古座町(現在串本町)で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に就航。1954年3月1日に、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被曝した。その後、練習船に改造されて東京水産大学で使われていたが、1967年に廃船になった。この廃船が夢の島に廃棄されていることが一青年の新聞投書によって社会に知られ、その後の市民運動によって、美濃部都政の時代、夢の島に第五福竜丸展示館が建設された。第五福竜丸は原水爆禁止運動の象徴として、多くの来館者に被災の事実を訴え続けている。
来年3月1日(土)に日本青年館で行われる「記念の集い」では、池内了さんの記念講演と、三宅榛名さんのピアノ記念演奏が予定されている。これは、豪華な顔ぶれではないか。
60年記念のメインの出版企画が、図録『第五福竜丸は航海中』。このタイトルは、第五福竜丸は今なお航海を続けてるというイメージのもの。物理的には展示館に据えつけられ固定されてはいるが、世界の原水爆禁止運動に携わる多くの人とともに、核のない平和な世界を目指して航海を続けているのだ、という思い入れ。良い題名ではないか。
本日、平和協会の役員らの懇談会があって、記念事業の進め方について協議した。その中で、「図録」における福島第一原発事故被災の取扱い方について、若干の議論があった。
「被曝50年の時とは異なって、60年の今回は福島の原発事故後の放射能被害問題を抱えている。核兵器による被爆・被曝と、原発による放射能被害との関連性を訴えるためにも、フクシマの被災についても図録に掲載すべきだ」
「ヒロシマ・ナガサキ、そしてビキニ被災、続いてフクシマという人類の核被害・放射能被曝の歴史を一連のものとして把握しなければならない。ビキニ事件の『3・1』とフクシマ事故の『3・11』とは、実は緊密に繋がっているのだということを確認したい」
「私は、人類対核、人類対放射線被害というように、過剰に抽象化した捉え方ではない方が良いと思う。ヒロシマ・ナガサキは大日本帝国の行き詰まりにおける事件だった。ビキニ被災は東西冷戦の産物だった。そしてフクシマは、戦後日本の経済や政治の在り方がもたらした悲劇。そのように異なる位相を具体的に把握すべきだ」
「一点注意を要すると思うので、ご留意いただきたい。福島の地元の一部には、福島をヒロシマ・ナガサキと同列に置いた議論を強く嫌う傾向がある。福島に対する差別意識につながるおそれを感じておられることに十分な配慮をしなければならない」
「ヒロシマ・ナガサキの被ばく者も、事件後すぐに立ち上がったわけではない。いろんな葛藤を克服して立ち上がるまでには10年余を要した。地元の世論が成熟して力になるまでにはそれなりに時間がかかることに理解を示すべきであって、福島への言及は慎重を要する」
「とはいえ、何もしないで無為に時を待ちさすえば、自ずから『3・1』と『3・11』の距離を縮める結果になるとは限らない。むしろ、ヒロシマ・ナガサキの被ばく者運動の経験から今の時期にどう福島に言及すべきかをアドバイス願ったうえで、図録には福島についても書くべきだと思う」
「なによりも、被害内容の正確な把握が大切だと思う。いま、現地の子どもたちの日常の被曝量の調査を進めているが、新しい知見がまとまりつつある。けっして、過小評価してはならないが、また被害を誇張してもいけない。そのような正確な事態把握のうえであれば、過不足のない言及ができるのではないか」
なるほど、なるほど。すべての発言がもっともだ。今、国民の中には福島原発事故によって直面せざるを得なくなった放射線への強い恐怖がある。そして、そのような被害をもたらした原発が、実は日米の核政策の中から生まれたことも知られようになってきている。
3・1ビキニ事件は、核爆発の威力の凄まじさと核実験による放射線被曝の恐怖とを世界に示した。3・11福島第一原発事故も、核の恐怖と放射線被曝の恐怖とを世界に示した。とりわけ日本人には深刻な恐怖である。「3・1」と、「3・11」と。その両者の距離は、実はそんなに離れたものではない。そして、実は、「8・6」「8・9」と「3・11」とも。核による甚大な被害を受けてきた我が国の国民は、「8・6」「8・9」「3・1」「3・11」を、つながる被害として把握すべきであろう。その根源を同じくし、それぞれの事件の被害者の連帯した運動によって共通に克服すべき課題を抱えていることを確認すべきだろう。そうあって欲しいと願っている。
(2013年10月27日)
10月18日付で、共産党が「国民の知る権利を奪う『秘密保護法案』に断固反対する―『海外で戦争する国』づくりを許さない」という声明を発表している。さすがに、その全体像をしっかりと把握し、問題点を明らかにしている。なによりも、よく練られた文章で読みやすい。この声明が、当面法案反対運動全体の論拠としてスタンダードなものとなるだろう。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-10-19/2013101903_01_0.html
翌19日付の赤旗一面トップが、「『秘密保護法案』阻止へ共同を 共産党、断固反対の声明」と報じている。併せて、志位委員長と小池副委員長が揃って会見しており、「わが党は、立場の違いを超えて民主主義破壊の悪法に反対する一点で力を合わせ、たたかいぬく」と決意を表明。「秘密保護法案の恐ろしさをわかりやすく国民に伝え、急いで、たたかいの火の手を全国であげていきたい」と述べたという。
ところで、この声明の中に、次の一節がある。この悪法によって、国民の行動が犯罪として処罰される危険を指摘したもの。
「法案は、『特定秘密』を漏らした者だけでなく、ジャーナリストの取材活動や一般市民による情報公開要求など『特定秘密』にアクセスしようとする行為まで処罰対象としています。さらには『共謀、教唆、煽動(せんどう)』も処罰するとしており、処罰の対象は、市民のあらゆる行為におよび、家族・友人などにもひろがる危険があります。」
委員長記者会見でも、次のとおり述べられている。
「たとえば、『日米密約の内容を明かせ』『TPP(環太平洋連携協定)の秘密交渉の内容を明かせ』『原発資料を明らかにしろ』と集会や街頭演説で訴えた場合も『教唆、煽動(せんどう)』を行ったとして、処罰の対象とされる危険がある」
この点は、けっして虚偽でも誇張でもない。これこそ、どこに埋め込まれているか分からない地雷である。この地雷に近づくことを任務としているのが、ジャーナリスト。平和運動や労働運動に携わる者、市民運動の活動家にとっても危険極まりない。もちろん、一般市民もいつどこで、この地雷を踏むことになるのか分からない。なにしろ、どこに地雷が仕掛けられているかが秘密なのだから。この地雷がどこにどれだけあるかが分からないことが、情報提供の萎縮効果を生む。そして、国民の知る権利を侵害する。民主々義がやせ細ることになる。
行政の担当者に接触して、「日米密約の内容を明かせ」「TPP(環太平洋連携協定)の秘密交渉の内容を明かせ」「原発資料を明らかにしろ」と要求することは、ジャーナリストの取材の基本活動である。しかし、権力の側では、できるだけ不都合な情報は、国民に知られたくない。これを封じ込めることができれば、国民の批判をかわして政権運営にこの上なく便利と考える。そのために、取材活動自体を犯罪と構成できれば、こんなに素晴らしいことはない。取材活動自体を犯罪とするには、いくつかの方法が考えられる。
一つは取材活動それ自体を新たな犯罪として構成する手法。これはさすがに、あからさまに全ての取材活動を犯罪にはしにくい。「違法な手段による取材活動を禁止する」という手法をとらざるを得ない。そうしておいて、「違法な手段」の範囲をうんと広げる工夫に悪知恵をはたらかすことになる。そして、もうひとつが、教唆犯の活用だ。こちらは「違法な手段による」という限定を付ける必要がない。だから、こちらの方が遙かに広く、ジャーナリストや市民に余計な行動をせぬよう網をかぶせることが可能となる。
特定秘密を保有する公務員が秘密を漏らすことが犯罪とされる。最高刑は懲役10年・罰金1000万円という重罪(同法22条)。この犯罪を犯すよう唆すことが教唆だ。教唆とは「人に特定の犯罪を実行する決意を生じさせるものであれば足り、その態様は多様である。命令、指揮、嘱託、依頼、甘言、誘導・・などによることが可能である。教唆行為は明示的でなく黙示的・暗示的なものでもあり得る」と説かれる。
「記者が、特定秘密を保有する公務員を取材して、情報を引き出すこと」。これが、典型的な特定秘密漏洩の教唆にあたる。もっとも、普通の犯罪の場合、教唆犯(記者)は正犯(教唆されて犯罪を犯す側、この場合秘密を保有する公務員等)の犯罪が成立して初めて処罰対象となる。「取材攻勢をかけたが、公務員側は頑として口を割らなかった」場合には、犯罪にはならないというのが大原則。ところが、この特定秘密保護法は普通の法律ではない。権力の欲するとおりに、「取材の働きかけをした」だけで、教唆犯が成立する仕組みとなっている。これを「独立教唆犯」という。おそらく、ジャーナリズムにとっても一般国民にとっても、この法律のここが一番恐いところ。萎縮効果が甚だしいものになる。
独立教唆犯をこしらえて、広く市民に網をかぶせようという権力の側からの発想は、この悪法の生みの親となった「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」が明言しているところ。2011年8月8日付の「秘密保全のための法制の在り方について」と題する報告書には、次のとおりに明記されている。
「独立教唆行為及び煽動行為
特定秘密取扱業務者(秘密を取り扱う公務員)等に対し、特定秘密を漏えいするよう働きかける行為(教唆)は、その漏えいの危険を著しく高める行為であって悪質性が高い。他の立法例も考慮すると、正犯者の実行行為を待つことなく、特別秘密の漏えいの独立教唆及び煽動を処罰対象とすることが適当である。また、特定取得行為(取材記者などの違法または著しく不当な手段による秘密取得行為)は漏えい行為と同様に秘密を漏えいさせる高い危険性を有することから、同行為の独立教唆及び煽動を処罰することが適当である。」
このような報告書を作成した「有識者」の名前は、よく記憶に留めておくべきであろう。縣公一郎(早稲田)、櫻井敬子(学習院)、長谷部恭男(東大)、藤原静雄(筑波)、安富潔(慶應)の諸氏である。
この報告書の提言が、法案に取り入れられて条文化され、「ジャーナリストの取材活動や一般市民による情報公開要求など『特定秘密』にアクセスしようとする行為まで処罰対象としています。」と危惧せざるを得ない事態となっている。
特定秘密の保有者(秘密を取り扱う公務員)等に対し、ジャーナリストや市民が秘密を漏えいするよう働きかける行為の処罰2類型は下記のとおりに条文化されている。
その一つが「特定取得行為」、つまり、違法または著しく不当な手段による秘密取得行為を独立した犯罪としたもの。法案の条文は次のとおり。
「23条1項 人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為により、又は財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為その他の
『特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得』
した者は、10年以下の懲役に処し、又は情状により10年以下の懲役及び1000万円以下の罰金に処する。
23条2項 前項の罪の未遂は、罰する」
もう一つの類型が、独立教唆である。
「24条1項 第22条第1項又は前条第1項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、5年以下の懲役に処する。
24条2項 第22条第2項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、3年以下の懲役に処する。
行為は、「共謀、教唆、煽動」と極めて広い。教唆は被教唆者が特定されている場合、不特定多数が相手だと煽動となる。
「特定秘密の取扱いの業務に従事する者」(典型的には公務員)が正犯である場合が1項。
「特定秘密の取扱いの業務に従事する者から当該特定秘密を知得した者」(たとえば、政府と契約をした民間業者)が正犯である場合が2項と分けている。
これが、独立教唆罪としての構成要件。判例・通説とされている刑法理論(共犯従属性説)からは、本来正犯が犯罪として成立しなければ、共犯は不可罰なのだが、このように、教唆行為を独立した構成要件とすれば、「教唆として十分な行為が行なわれた以上は、被教唆者が犯罪の実行を決意したか否か、あるいは現実に犯罪を実行したか否かとは無関係に、独立した犯罪として成立」することになる。未遂処罰規定がなくても、本犯の行為をまたずに行為が完結するから処罰可能となる。独立教唆犯は、教唆の未遂を独立罪としたものなのだ。
だから、「日米密約の内容を明かせ」「TPP(環太平洋連携協定)の秘密交渉の内容を明かせ」「原発資料を明らかにしろ」と取材で要請した場合にも、集会や街頭演説で訴えた場合も、「教唆、煽動(せんどう)」を行ったとして、処罰の対象とされる危険があることになる。秘密を保有するものがその教唆・煽動行為によって、秘密を漏示することなく、教唆・煽動が未遂に終わっても犯罪が成立する。ここが、独立教唆犯の恐いところ。
余りに、処罰範囲が広がるから、法は「配慮」規定を置いた。
21条1項 この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。
21条2項 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。
1項は、格別の実効性はなく、この法律の危険性を自白するものに過ぎない。2項ははたらく余地があればお飾りでないが、さていったいはたらく余地があるだろうか。
「日米密約の内容を明かせ」「TPP(環太平洋連携協定)の秘密交渉の内容を明かせ」「原発資料を明らかにしろ」と取材で質問した場合、集会や街頭演説で訴えた場合、あるいは情報公開請求をしたところ墨塗りの資料しか公開されないので原本を見せてくれと要求した場合、24条違反の独立教唆となる。仮に、21条2項の正当業務との推定規定がはたらいたとしても、ジャーナリストだけが処罰を免れる。集会や街頭演説で訴えた市民運動の活動家は完全にアウトだ。
もちろん、ジャーナリストなら安全ということではない。また、23条の特定秘密取得罪(最高刑懲役10年)については、正当業務行為推定規定がはたらく余地がない。
特定秘密保護法はことほどさように、国民生活に危険な存在であり、民主々義への敵対物でもある。
(2013年10月26日)
いよいよ正念場。政府は本日(10月25日)「特定秘密保護法」案の上程を閣議決定した。また、既に上程されて継続審議となっている「国家安全保障会議(日本版NSC)設置法」案が、本日衆院本会議で審議入りした。政府・与党は、両法案をセットとして今臨時国会で成立を目指している。
公明党の修正提案がどう反映しているかが気になるところ。
第7章の「罰則」の前に、第6章「雑則」(18?21条の4か条)を置いて、ここにはめ込んでいる。が、これではダメだ。「焼け石に水」程度の効果もなく、却って「法案成立のための呼び水」の役割でしかない。
18条が、「(特定秘密の指定等の運用基準)」で、調整役を置いて各省庁で秘密指定のバラツキが出ないよう「統一的な運用を図るための基準を定める」とするもの。19条が(関係行政機関の協力)と題して、「関係行政機関の長に秘密の漏えいを防止するため、相互に協力する」義務を課すもの。20条が、「(政令への委任)」条項。そして、21条が問題の「国民の知る権利・メディアの取材活動の自由」への配慮規定である。
第21条(この法律の解釈適用)
第1項 この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。
第2項 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。
これで安心という言論人がいたら、オメデタイ限り。むしろ、「自分は、政府ベッタリの立場なのだから、どんな条文になっていようとも関心がない」との表白であろう。
まず、このような文言を条文の中に入れざるを得ないこと自体がこの法案のもつ危険性の証しである。この条文の真意は以下のとおり。
「この法律は、適用に当たって拡張して解釈される虞が極めて高いことは覚悟してください。なにしろ、誰にも検証のしようがないのですから。行政をチェックする国会ですら基本的にアンタッチャブルになるのですから、議員の皆様はそれを覚悟で賛否を決してください」「国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならないのですが、そうなる可能性は際限なく高いのですよ。いや、きっとなりますよ。なにしろ、この法案の基本思想が、人権よりは国家の安全を優越価値とするのですから当然といえば当然なのです」「そして、この法律で地雷を踏むことになるのは記者なのだということを、『報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない』という形で警告をしておきますよ。この法律ができたら、よくよく考えて、賢く身を処すことですね」
なお、配慮の対象は、「国民の知る権利の保障」とはなっていない。これに資する限りでの「報道又は取材の自由」だけが配慮の対象となっている。どうも違和感を拭えない。
実践的には、第2項の、違法性阻却(犯罪構成要件に該当する行為があっても、実質的に処罰に値しないとして犯罪不成立とする)事由存在の推定規定の解釈・運用が問題となる。
まず、「出版又は報道の業務に従事する者」以外には適用がない。そして、「出版又は報道の業務」の定義規定はない。私は、日民協の機関誌「法と民主主義」の編集委員だが、はたして「出版又は報道の業務に従事する者」として、私も保護されるのか。おそらくはダメだろう。問題は、境界が限りなく不透明で、萎縮効果が大きいということだ。
「法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする」が最大の疑問点。まず、法令違反があった場合には、違法性を阻却しないという。そもそもこれがおかしな話し。形式的な法令違反があったとしても、正当な業務行為としてなされたものなら、違法性を阻却して犯罪不成立」としなければならない。ところが、この条文は「形式的に法令違反あれば、正当業務としては認めない」という宣言と読まざるを得ない。しかも、「法令違反」の「法令」のうちには、特定秘密保護法もはいるのだから、「この秘密保護法に違反した取材があれば、法令違反だから正当業務としては認めない」ということになる。最悪の解釈としては積極的違法性阻却排除条項であり、最善の解釈としてもトートロジーとして無意味な条項である。
「著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。」も同様。たとえ「著しく」が付こうとも、「違法ではなく、不当に過ぎない方法」での取材活動が、権力的に規制されてはならない。この条文は、本来犯罪とはならない「不当な取材まで」許さないとしているのだ。
こんな法案を成立させてはならない。法案成立に固執すれば、与党は民意に見放される、そんな雰囲気が作れるかの問題だが、昨日・今日の報道での脈絡のない下記3題の話題が、「この法案の成立は無理だろう」と思わせる。
その1 「原発情報も『秘密』指定」
昨日(24日)国会内で開かれた超党派議員と市民による政府交渉の場で、法案担当の内閣情報調査室の橋場健参事官が、「原発関係施設の警備等に関する情報や、テロ活動防止に関する事項として特定秘密に指定されるものもありうる」と説明したと報じられている。核物質貯蔵施設などの警備実施状況についても同様だという。これは一大事。世論を動かし得る重大問題だと思う。
つまりは、原発の危険性に関わる情報を国民に漏らしてしまえば、テロリストの活動に利することになり、「我が国及び国民の安全」に支障を来すことになる、という論法。原発の内部構造や事故の実態も、警備に支障になるとして特定秘密に指定される危険が明確にされたのだ。
原発の内部構造はテロリストの侵入計画立案に利する。メルトダウンした核燃料の状態、汚染水の現状やアルプスの配管構造や脆弱性等々、国民が知りたいことは全て「テロリストに最も有効な攻撃目標を教示すること」になってしまう。これは、この法案がもつ、本質的な問題点なのだ。
福島県議会の全会一致の決議「特定秘密保護法に対し慎重な対応を求める意見書」(10月9日)を思い起こそう。「当県が直面している原子力発電所事故に関しても、原発の安全性に関わる問題や住民の安全に関する情報が、核施設に対するテ口活動防止の観点から『特定秘密』に指定される可能性がある」ことが指摘されている。単なる危惧ではない。担当者がこのことを認めたのだ。特定秘密保護法が成立したら、原発に関する報道も、国会での追及も、まったく様変わりしてしまうことになるだろう。「テロ」と「スパイ」を口実に、国民の原発事故についての詳細を知る権利は奪われる。政府にしてみれば、便利この上ない、喉から手が出るほど欲しい法律だと言えるだろう。
また、1989年のこと。海上自衛隊那覇基地内にASWOC(アズウォック・対潜水艦戦作戦センター)の庁舎が建築された。その際、建築基準法に基づきこの庁舎の建築工事計画通知書が、那覇市に提出された。この資料を市民が情報公開請求し、那覇市が市条例に基づいてこれを公開した。ところが国(那覇防衛施設局長)が公開に「待った」をかけた。「防衛秘密に属するから公開はまかりならぬ」というのである。国は、那覇市を被告として公開取り消しの裁判を起こした。公開情報から防衛力の内容が「敵国のスパイに漏れる」「設計図面は、テロリストの攻撃に利用される」という理由。最高裁まで争われて、幸いこの件では那覇市側が勝訴したが、現行法下でもこのような争いが起こる。特定秘密保護法が成立したら、この程度では済まないことになるだろう。情報の公開ではなく、秘密の保護が優先する社会になる。
その2 「メルケル首相携帯電話盗聴」事件
スノーデンの身を挺しての行動は民主々義に大きなインパクトをもたらした。彼の勇気ある公益通報で、「国家秘密」「特定秘密」とは具体的にどんなものかのイメージがつかめる。その最たるものが、米諜報機関によるメルケル首相の携帯電話盗聴である。スノーデンが入手していた国家安全保障局(NSA)の機密文書にメルケル氏の当時の携帯電話番号が記載されていた。これを発端としたドイツ政府の調査は米情報機関による盗聴があったとの結論に至って、米に強く抗議をした。米側は表向き疑惑を否定したとされているが、微妙な言いまわしで実は盗聴の事実を認めている。
アメリカ国民も大いに驚いたことだろう、自国の政府は同盟国の首相を対象とした盗聴までしていた。問題は、CIAやNSAが何をしているかが一切秘密になっていることだ。秘密保護法が成立し日本版NSC(行政機構としてのNSAも)ができれば、日本も同じようになるだろう。たとえ、オバマの寝室に盗聴器を仕掛けても、「何が秘密かは一切秘密」で押し通すことができるのだ。
その3 「首相の趣味」身内も批判報道
自民党衆院議員の村上誠一郎元行革担当相が毎日新聞の取材に「財政、外交、エネルギー政策など先にやるべきことがあるのに、なぜ安倍晋三首相の趣味をやるのか」と述べ、特定秘密保護法案にこだわる安倍内閣の姿勢を痛烈に批判した、という。「法案に身内から強い反発が出た」と報じられている(毎日10月24日夕刊)。
「村上氏は特定秘密保護法案と国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案について「戦争のために準備をするのか。もっと平和を考えなければいけない」と懸念を表明。さらに「(特定秘密保護法案には)報道・取材の自由への配慮を明記したが、努力規定止まりだ。本当に国民の知るべき情報が隠されないか、私も自信がない。報道は萎縮する。基本的人権の根幹に関わる問題だ」と、国民の「知る権利」が侵害を受ける危険性に言及した。」と立派な発言をしている。
村上氏は衆院政治倫理審査会長。愛媛2区選出で当選9回。新人時代の1986年11月、谷垣禎一氏(現法相)、大島理森氏(元党幹事長)ら自民党中堅・若手国会議員12人の一員として、中曽根康弘内閣の国家秘密法案への懸念を示す意見書を出した、とのこと。自由民主党の国民政党という看板がそれほどおかしくはなかった時代の良識派なのだ。
「おーい、谷垣さん、大島さん。そして、かつての『12人組』の皆さん、村上さんを孤立させたままで良いのかい」
この三題噺。「国民の知りたいことこそ、秘密にされる」(その1)、「何が秘密が分からぬ以上、秘密は際限なくひろがる」(その2)、だからこそ「まともな保守派も、内心は反対している」(その3)という関係。
誰がどう考えても、特定秘密保護法はおかしい。おかしいだけでなく危険極まりない。多くの人に内容を理解してもらうことができれさえすれば、世論はこぞって反対することになる。きっと与党幹部の面々に、「無理して法案の成立にこだわると、政権の命取りになりかねない」と思わせることが可能となる。
(2013年10月25日)
弁護士とは、法を駆使して国民の人権を擁護するための専門職である。人権擁護の職務は必然的に国家権力と切り結ぶことになるのだから、在野に徹しなければならない。在野の職務ではあるが、法的に弁護士法に基づく存在である。その法が弁護士会に自治を保障していることによって、国家権力と切り結んでも身分が剥奪されることはない。
戦前はそうではなかった。もっとも良心的にもっとも果敢に人権のために闘った優れた弁護士の多くが、法廷で権力と切り結んだ弁護活動を理由に起訴され有罪になり、弁護士資格を剥奪された。3・15事件、4・16事件などの弾圧で逮捕された多くの共産党員活動家が治安維持法で起訴され、その弁護を担当した良心的な弁護士が熱意をもって弁護活動を行った。この法廷での弁護活動が治安維持法違反の犯罪とされて起訴されたのだ。悪名高い、「目的遂行罪」である。「外見上は弁護活動に見えるが、実は共産党の『国体を変革し私有財制度を否定する』結社の目的遂行のために法廷闘争を行ったもの」と認定されて有罪となった。有罪となった弁護士が司法省(検事局)から資格を剥奪されたとき、弁護士会が不当な資格剥奪として闘うことはなかった。
戦後、1949年に制定された弁護士法は、戦前における痛恨の反省から、高度の弁護士自治を認めた。珠玉のごとくに大切なこの弁護士自治は、国民の貴重な財産である。弁護士の不祥事などはもってのほか。多くの国民に、弁護士自治の積極的な意義を理解してもらい、支えてもらわなくてはならない。
弁護士法第1条に「弁護士の使命」が記されている。第1条1項「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」は、よく知られている。しかし、同条2項の「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない」は余り知られていない。注目すべきは、「(弁護士は)法律制度の改善に努力しなければならない」ということである。「法律制度の改善」は、当然に「改悪の阻止」を含む。その最たるものが、「改憲の阻止」であり、諸悪法反対闘争への寄与である。悪法を制定しようという権力に臆するところがあっては、遠慮のない批判ができない。つまりは弁護士の使命を全うすることができない。
これを受けて、弁護士法第33条は、「弁護士会は、日本弁護士連合会の承認を受けて、会則を定めなければならない」「弁護士会の会則には、次に掲げる事項を記載しなければならない」として、弁護士会に「建議及び答申に関する規定」を措くことを義務づけている。全国51の単位弁護士会の全部、そして日本弁護士連合会(日弁連)のいずれもが、「建議及び答申に関する規定」を有して、「決議・声明・要望書・会長談話・申し入れ」などの形式で、旺盛に官公署等への建議を行っている。
日弁連の会長人事は複雑で不透明ではある。特に識見豊かで、仲間内で尊敬されている弁護士が会長になるわけでもない。しかし、誰が会長になっても日弁連の方針にブレはない。人権擁護、被疑者・被告人の権利伸長、司法の独立、使いやすい司法の実現などというテーマは、一貫したものになっている。その日弁連の姿勢は評価に足るものと思う。
最近の日弁連の動きを紹介したい。10月3日?4日に、広島市において、第56回人権擁護大会・シンポジウムが開催された。シンポジウムには2490名、人権擁護大会には1235名の参加があり、次の4本の決議が採択された。
☆立憲主義の見地から憲法改正発議要件の緩和に反対する決議
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2013/2013_1.html
☆福島第一原子力発電所事故被害の完全救済及び脱原発を求める決議
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2013/2013_2.html
☆恒久平和主義、基本的人権の意義を確認し、「国防軍」の創設に反対する決議
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2013/2013_3.html
☆貧困と格差が拡大する不平等社会の克服を目指す決議
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2013/2013_4.html
いずれも、時宜を得た、なかなかの内容である。
なお、昨年のテーマの一つに、「日の丸・君が代」強制問題に触れた決議があった。これも紹介しておこう。
☆子どもの尊厳を尊重し、学習権を保障するため、教育統制と競争主義的な教育の見直しを求める決議
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2012/2012_1.html
ところで、喫緊の課題である「特定秘密保護法案」についての日弁連の姿勢である。1985年当時の国家秘密法を全力をあげて阻止した、その伝統に陰りは見えない。この法案の成立を阻止しようという本気度は十分である。
日弁連ホームページをご覧いただきたい。以下のとおり、たいへんな努力が重ねられている。
2013年10月23日 秘密保護法制定に反対し、情報管理システムの適正化及び更なる情報公開に向けた法改正を求める意見書作成
2013年10月21日 チラシ「いま、『秘密保護法』案が国会で審議されようとしています!」を作成してホームページに掲載
2013年10月03日 特定秘密保護法案に反対する会長声明
2013年09月12日 「特定秘密の保護に関する法律案の概要」に対する意見書
2013年09月05日 憲法と秘密保全法制?私たちの「表現の自由」を守れるか
そして、昨日には「日弁連会長先頭に緊急宣伝」活動が行われた。山岸憲司会長を先頭に、「秘密保護法案」反対を訴える、有楽町マリオン前の弁護士たちの写真が報道された。会長以下がマイクを握って、「国民の知る権利を侵害する同法案を廃案に追い込みましょう」「情報は国民のものです。必要な情報は公開されなければならない。政府にとって都合の悪い情報を隠そうとするのは民主主義にとってきわめて危険です」「法案が成立することのないよう、反対の声を上げていきましょう」と呼び掛け、通行人にビラを配った。
そして、本日の記者会見で、新たな秘密保護法反対の意見書がマスコミに公表された。重要な秘密を漏らした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案に反対して「漏えい防止は厳罰化でなく、情報管理システムの適正化で実現すべきだ」と訴えるもの。むしろ、国民への情報開示を充実させるため、公文書管理法や情報公開法の改正を求めている。そして、情報管理システムの充実によって必要な秘密の漏えいを防ぐことができ、秘密保護法の制定は必要ないとしている。
日弁連は、全弁護士の強制加盟団体である。決議や声明は、会内合意形成の結果として出てくる。そのため、自由法曹団や日民協などの任意団体の決議内容と同じようには行かない。それでも、人権擁護の立ち場の徹底が、あるいはオーソドックスな現行日本国憲法の解釈が、安倍自民の悪法量産に対する強い批判とならざるを得ないのだ。
臆するところなく、在野に徹し、人権擁護を貫く日弁連の本気の姿勢を、私も弁護士の一員として誇りに思い、改めての支持を表明したい。
(2013年10月24日)
本日は、2003年に「10・23通達」が発出されてからちょうど10年。その「負の記念日」に、教育庁交渉をした。
またまた、東京都教育庁の情報課長に苦言を呈しなければならない。
10・23通達関連での前回のわれわれの請願は、教育委員会の場に届けられていないというではないか。教育委員会は、最高裁で敗訴が確定し、自らの行為が司法によって断罪されたことに関して何の反省もしていないばかりか、検討もしていない、議論もしていない、関連書類が委員の目に触れてさえいない。
教育委員諸氏は裸の王様だ。一番大切な問題について、周りの人間が真実を知らせていない。だから、自分がピエロの存在に貶められていることをご存じないようだ。当たり障りのない問題に限って、決まった結論に到達するよう、議論をしたような振りをさせられているだけの哀れな存在。事務局から提供された資料だけに基づいて、お膳立てされた筋書きに沿って、「異議なし」というだけの役割。本当にこれでよいのか。
教育委員会の諸氏が「裸の王様」でないのなら、私の言うことに耳を傾けていただきたい。まずは、10・23通達に基づく「日の丸・君が代」強制訴訟で、25人についての30件の懲戒処分が違法とされ、取り消されていることの重みを受けとめていただきたい。1行政機関のこれだけの数の行政処分が、最高裁によって、違法と指摘され取り消しが確定したのだ。国家の基本構造としての三権分立の運用には、各国それぞれの流儀がある。我が国の司法が、就中最高裁が、行政の行為を敢えて違法というのは、よくよくのことだ。しかも、ことは憲法や教育基本法の大原則に関わる問題。本件で、懲戒処分が違法と判断されて取り消されたことは、都教委の姿勢に根本的な誤りがあったことの指摘なのだ。最高裁の処分違法の判決を深刻に受けとめていただきたい。何とも、みっともなくも恥ずべき事態だということを認識していただきたい。
当然のことながら、まずは誤った処分によって深く傷つけられた教員に対して、深甚の陳謝の意を表しなければならない。それは、現在の教育委員のメンバーの仕事になる。それだけでは済まない。このような不祥事がなぜ生じたかを真摯に反省しなくてはならない。そして、責任の所在を明確にし、責任者を処分しなければならない。そして、再発を防止するためにはどうするか、実効性のある方策を考えねばならない。おそらくは、教育委員や教育庁の幹部職員の、教育の本質や、憲法・人権・教育法規の神髄などについての徹底した講習が必要だろう。そのときには、是非私を講師の一人として加えていただきたい。
「最高裁で敗訴したのは、450件の処分のうちの一部でしかない」という考えがあるとしたら、大きな間違いだ。たった1件でも行政に違法があるのは大問題だというだけではない。最高裁によって違法と断罪されたのは、一連の「日の丸・君が代」強制に表れた都教委の思想の根幹であり、本質部分なのだ。このことを銘記していただきたい。
なぜ、最高裁は減給以上の懲戒処分を違法としたか。それが、憲法解釈と深く結びついていることの理解が必要である。最高裁は、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」、あるいは、「ピアノ伴奏をせよ」という職務命令に対して、自らの思想や良心、あるいは信仰から、これに応じ難いとした人の動機が真摯なものであったことを認めている。精神的自由の根底にある「思想・良心の自由」(憲法19条)が最大限尊重されなければならないことが、懲戒権の逸脱濫用論に反映しているのだ。
さらに、もっと分かりやすい理由がある。懲戒処分は、軽い方から戒告・減給・停職、そして極刑としての免職まで4段階がある。当初都教委が企図していた処分量定は、初回処分が戒告。2回目は減給(10分の1)1か月、3回目は減給6か月。4回目となると停職1か月、5回目停職3か月、6回目停職6か月。そして、おそらく7回目は免職を予定していたはず。われわれは、都教委が発明したこの累積加重の処分方式を、「思想転向強要システム」と名付けた。不起立・不斉唱・不伴奏は思想・良心に基づく行為である。思想や良心を都教委の望む方向に変えない限り、処分は際限なく重くなり最後には教壇から追われることになる。この、「踏み絵」と同様の、思想・信仰への弾圧手段が違法と断罪されたのだ。
さらに、理解していただきたい。最高裁は、30件・25人以外の戒告処分については問題ないと言ったのではない。「10・23通達⇒職務命令⇒懲戒処分」による国旗・国歌強制は、少なくとも教員の思想・良心を間接的には強制していることを認めた。そして、違憲・違法とまでは判断しなかったが、けっして問題なしとはしていないのだ。多数の裁判官の、補足意見がそのことを物語っている。何とも、教育の場で、見識を欠いたことをやっていることか、というのが最高裁のホンネなのだ。
いま、都教委に、10・23通達関連問題以上の喫緊の課題があろうはずはない。最高裁からのシグナルを適切に受けとめるにはどうすればよいか。真剣に議論していただきたい。またまた、本日の請願が握りつぶされるようなことがあれば、請願権の侵害についての国家賠償請求も本気になって考えなければならない。
改めて、教育庁の情報課長に申し上げる。あなた方は、壁になり、防波堤になって、教育委員会への申立を事務レベルで処理しようとしているが、そのような姑息な態度を根本的に改めていただきたい。あなた方は、この問題では防波堤になり得ない。勝手に作った内部規則を盾にとって、都民の請願権をないがしろにすることはできない。これだけ大勢の教員や元教員が、真摯にあるべき教育を考え、憂えて、訴えているのだ。是非とも、われわれの請願が関係資料とともに、教育委員諸氏に読んでもらえるように、あなたにも真摯な努力を期待したい。
(2013年10月23日)
子育ては難しい。褒めるか叱るか、その兼ね合いが悩ましい。手に余る悪さを重ねてきた子どもがいるとせよ。これまで幾ら言いきかせても聞く耳をもたなかった。ところが、周りの非難に耐えかねてであろうか、この度、ちょっぴりいい子ぶりを見せた。こんなときに、親として、あるいは教師として、この子にどう声をかけるべきだろうか。
国連総会第一委員会(軍縮)で、核兵器の非人道性と不使用について訴える、ニュージーランドなど125か国参加の共同声明が発表された。10月21日午後(日本時間22日午前)のことである。同様の声明はこれまで3回出されたが「唯一の戦争被爆国」である日本の参加は初めて。日本が従来、この声明に賛同しなかったのは、「米国の核抑止力に依存する安全保障政策と合致しない」ことが理由とされた。
日本が「唯一の被爆国」として、国内世論を背景として、国際舞台で主導的に核軍縮世論の喚起に熱意をもっていたと誤解していた向きも多かったのではないか。これまで、「核兵器の非人道性と不使用について訴える共同声明」を主導的に呼び掛けていたのではない。呼び掛けられて消極的に賛同していたのでもない。熱心に呼びかけを受けて、明示的に拒否をしていたのだ。当然に、被爆地や被爆者らから批判の声が上がっていた。
それが今回、批判にいたたまれず、声明の文言が修正されたとして方針転換した。核軍縮熱意度において、日本は世界で、およそ100番目というところなのだ。これが、国内に、広島、長崎、そして第五福竜丸を有する日本の政府の寒々しい現状なのだ。
菅義偉官房長官は22日の記者会見で「段階的に核軍縮を進める日本の取り組みと整合性が取れていることが確認できた」と説明。また、同日岸田外相は、「我が国の安全保障政策や核軍縮アプローチとも整合的な内容に修正されたことを踏まえ、同ステートメントに参加することにしました」と述べたという。なによりも大事なのは、「安全保障政策」つまりは「核の傘」であるという。そして、我が国のとるべき核政策は、「段階的な核軍縮」であって、「核廃絶」でも、「核軍縮」でも、「核の不使用」でもない、というわけだ。
同日、125か国声明に対抗する形で、オーストラリアなど18カ国声明が発表されている。こちらは、「核の傘・命」連盟。明らかに125か国声明の効果の減殺を狙ってのもの。日本は、世界で唯一の両声明参加国となった。日本の国際的な立ち位置を象徴する出来事と言えよう。
こんな「悪さをし続けてきた子ども」。その子が、これまでよりは少しはマシと言える「良い子ぶり」を見せたことに、どう接するか。これまでのダメぶりと、まだまだ不十分なところを強く指摘して叱責するか。それとも、よいところを褒めて育てることとするか。
広島市長は「歓迎したい」と評価の談話。
広島市の松井一実市長は「核兵器の非人道性を踏まえ、核兵器廃絶を訴える国々とともに行動する決意の表明と受け止め歓迎したい。日本政府には声明に参加した国々をリードして、被爆地の思いを世界に発信し核兵器廃絶に向けてより一層積極的に取り組んでもらいたい」という談話を発表している。
長崎市長は「ようやく先行集団に合流」という評価の談話。
長崎市の田上富久市長は「被爆地としてこれまで核兵器の非人道性を訴えてきたので、今回の声明の参加については被爆者の皆さんとともに喜びたい。これでようやく日本が、核兵器廃絶に向けて取り組んできた集団に合流できたことになり、今後は被爆国の政府として、北東アジア地域の核兵器廃絶に向けてリーダーシップをとることを強く期待したい」と述べました。
被団協は「核の傘からの離脱」「核保有国に核兵器廃絶を迫るべき」の談話
日本被団協は「共同声明に参加した日本政府に求められるのは、いかなる状況下でも核兵器が使われないため、速やかにアメリカの核の傘から離脱し、核保有国に核兵器廃絶を迫る責務を果たすことだ」との声明を発表。
坪井直氏は「前進」の評価
被団協の代表委員である坪井直氏は「平和に向かって一歩も二歩も前進したと思っていて、日本の参加を大いに評価している。被爆者としては国とも協力して今後の運動を進めたい」との談話。
山田拓氏は「取り繕っただけの可能性」の指摘
長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長は、一定の評価をしつつ、岸田外相が「(共同声明の修正で)我が国の立場からも支持しうる内容に至った」と述べていることに「政府を批判する世論に押されるような形で取り繕っただけの可能性もあり、声明の中身を慎重に見ないといけない」と話したという。
志位和夫氏は、「核の傘に頼る政策からの脱却」を強調。
共産党の志位和夫委員長は22日、核不使用共同声明に日本が賛同したことを受けて談話を発表し、「ヒロシマ・ナガサキの悲劇を経験した国の政府として、遅すぎたとはいえ当然のことだ」と評価した。その上で「核兵器使用を前提とした核抑止力論にしがみつく立場は矛盾している。米国の『核の傘』に頼る政策から脱却することが不可欠だ」と主張している。
総じて、これまでのこの子の悪さ加減に呆れながらも、今回は少しはマシな良いことをしたとして褒めてやり、同時にこの子のこれからをきちんと戒めておこうというものだ。
さて、これまではどれだけ悪い子だったのか。今回どれだけマシなことをしたのか。これから良い子になれるのか。そもそも、この子が悪い子に育ったのはなにゆえなのか。褒めるだけで性根を変えることができるのか。これを機会に、しっかりと見極めたい。
(2013年10月22日)