澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「今年訪れるべき世界の52カ所」― その第2位に盛岡

(2023年1月19日)
 本日は憲法も人権も民主主義も無関係。私の故郷の話題である。「それがどうした?」と言われれば、「いえ、どうもしません。つまらぬ話題で済みません」と謝るしかない。

 あのニューヨークタイムズが、毎年の年頭に独自の情報を集め独自の基準で旅行先を紹介しているのだそうだ。今年も、1月12日に「2023年に行くべき(世界の)52カ所」を発表した。そのトップは、イギリスの首都ロンドン。世界に知られた大都会、歴史に溢れた街でもある。これには驚かない。さもありなんと思わせる。

 これに続く第2位が、なんと盛岡だという。私の故郷だ。これは驚くべきことではないだろうか。東京・大阪ではない。奈良・京都・鎌倉でもない。札幌・小樽・函館でも、倉敷・津和野・日田でもなく、那覇・金澤・静岡でもない。いったい、どうして盛岡なのだろうか。
 
 盛岡、けっして印象深く目立った街ではない。NHKラジオで全国の天気予報を聞いていると、仙台の次は秋田に飛び、その次は札幌となる。土地の人のプライドは高いが、全国では認めてもらえない。東北では、仙台以外は、なべて「その他」の街でしかない。

 盛岡市が選ばれた理由の第一は、「大正時代に建てられた和洋折衷建築や、現代的なホテルのほか伝統的な旅館もある。城跡も公園になっていて、歩いて楽しめる街」との評価だという。なんという薄弱な世界第2位の根拠。これなら、仙台も、会津若松も、山形も、二本松も、みんな2位ではないか。

 もっとも、推薦理由はそれにとどまらず、東京から新幹線で数時間で行ける便利さや、山に囲まれ川が流れる風景を紹介し「混雑を避けて歩いて楽しめる美しい場所」「完全に見落とされてきた街」と、盛岡を再評価する内容になっているともいう。そうか、「完全に見落とされてきた街の魅力」なのか。やや複雑な評価。褒められているのやら貶されているのやら。

 さらに、名物の「わんこそば」やコーヒー豆にこだわった喫茶店など、食についても紹介されているという。結局はその程度なのだ。その程度なのだが、訪れた人に、文章にはしにくい他にない魅力を感じさせるものなのだと理解しておきたい。

 52都市の中には、19番目に福岡市が選ばれているという。「焼き鳥やラーメンだけでなくワインやコーヒーなども屋台で楽しめる」と博多の中洲を紹介しているとか。これも、大した推薦理由とは思えないが、博多も魅力的な街である。どうして、2位と19位かは分からない。定量的評価は難しいのだ。

 ニューヨークタイムズのホームページには、秋の紅葉の時期に盛岡城跡公園で撮影したと見られる動画が掲載されている。これを「人混みを避けて歩いて楽しめる美しい場所」と言われれば、まったくその通りである。世界で何番目かは問題ではない。

 この山に囲まれ川が流れる美しい穏やかな街の風景は、乱開発から守られなければ維持できない。また、ここに住む人々の生業の持続なくしては維持できない。人々の文化的営みなくしては訪れる旅人を楽しませる街の空気の醸成もあり得ない。

 人々の経済活動と、環境の保護と、住民自治と…。やっぱり、こんな話題にも、人権や民主主義が関わらざるを得ないようだ。

 それにしても、盛岡の5月は、生命の息吹にあふれた地上の天国である。いや、盛岡に限らない。東北のすべてがそうだろう。いや、そう言えば秋も捨てがたい。

 汽車の窓 はるかに北にふるさとの山見え来れば 襟を正すも(啄木)

 方十里 稗貫のみかも稲熟れて み祭三日 そらはれわたる(賢治)

富田林市議会の統一教会との関係根絶決議にイチャモン提訴

(2022年12月24日)
 指折り数えて…間違いはない。南河内の富田林は、私の8番目の故郷である。小学校の5年生から高校卒業までの8年間をこの町で過ごした。暦年で数えれば、1954年4月から62年3月まで。地元の富田林小学校、富田林一中は私の母校である。懐かしい山と川、懐かしい街並み、懐かしい友人と河内弁。懐かしい私の少年時代を育んでくれた故郷の平穏と発展を願ってやまない。

 その富田林市が、統一教会といささかの関係を持っていたとの報道があって、心を痛めていた。大阪府の自治体に、聞き慣れない「アドプト・ロード・プログラム」というものがあるという。市民の市政参加の一態様で、地元市町村と協定を結んだ市民グループが、道路の清掃や緑化などの美化活動を継続的に行うものだという。これに、統一教会系の組織が名乗りを上げ、富田林市と協定を結んでいたということのようだ。

 市民からの指摘を受けて、市はこの協定を解消し、市議会は以下の「根絶決議」を採択した。全会一致でのことである。


旧統一教会と富田林市議会との関係を根絶する決議

 旧統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ、行政や政治家にまで関係をひろげていたことが注目されている。
 富田林市が世界平和統一家庭連合とアドプトロードの協定を結んでいたことがマスコミにも報道され、市民から疑問の声や、今後の市や市議会議員の姿勢を問う声が寄せられている。
 富田林市議会として、市民の疑問にこたえ、旧統一教会との関係を根絶するため、以下2点を決議する。

1.富田林市議会議員の旧統一教会とその関連団体とのかかわりについて、自ら調査し、議会が市民に明らかにする。
2.富田林市議会議員は、旧統一教会及びその関連団体とは一切かかわりを持たない。

 以上、決議する。

令和4年9月28日

大阪府富田林市議会


 何の文句もつけようのない決議である。自治体は、住民自治の原則に従って自由にその意を表明することができる。当然に議会も同様である。

 しかも、「統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ、行政や政治家にまで関係をひろげていたこと」は、否定のしようもない厳然たる事実である。「富田林市が統一教会系団体とアドプトロードの協定を結んでいたことがマスコミにも報道され、市民から疑問の声や、今後の市や市議会議員の姿勢を問う声が寄せられている」ことにも疑問の余地はない。

 市民の懸念や叱正に応えての「対統一教会・関係根絶決議」である。敬意を表すべきでこそあれ、これを貶めるべき何の理由もない。にもかかわらず、これを不当に貶めることをイチャモンという。

 統一教会としてはこの決議が面白くない。富田林市に続いて、他の自治体が同様の「関係根絶決議」を採択することを阻止したい。富田林市にも、これ以上の統一教会対策はさせたくない。なんとか牽制しなくてはならない。その思惑が、何の違憲も違法もない決議に、イチャモンを付けての昨日(12月23日)の提訴となった。

 いわゆるスラップ訴訟について、なかなか適切な訳語がないままに「恫喝訴訟」「いやがらせ訴訟」などと呼ばれている。これに倣えば、この裁判には、統一教会の「イチャモン訴訟」というネーミングがピッタリである。

 報道では、見出しを「旧統一教会の友好団体、大阪市・富田林市議会の決議取り消し求め提訴」などとされている。

 訴えたのが「UPF(天宙平和連合)大阪」、韓国の本部が昨年開いたイベントに安倍晋三がビデオメッセージを送って銃撃される原因となった例の団体の地方組織。訴えられたのは大阪市と富田林市の両市(市議会には被告適格がない)。請求の内容は、決議の取り消しと慰謝料の請求(各350万円)。裁判所は大阪地裁である。

 報じられている原告の主張は、本件決議が「請願権を侵害」し、「思想の自由を保障した憲法19条」「信教の自由を保障した20条」に違反しているのだという。この言い分、いずれも「イチャモン」以外のなにものでもない。

 安倍晋三銃撃事件後の世に溢れた統一教会批判報道によって、統一教会ないしはUPF(天宙平和連合)の「請願権」行使が困難になったであろうことは想像に難くない。しかし、これを「決議」によるものと決めつけることはできない。俗な表現で言えば、単に統一教会の自己責任というだけの話なのだ。さらに「決議を取り消せ」「損害を賠償せよ」というのは、乱暴極まる「非論理」でしかない。

 原告UPFは、本件決議の違法を言わねばならないが、無理な話。市議会は、「統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ」たから、当該団体との関係を根絶したのだ。宗教団体だから霊感商法も許される、宗教団体だから強引な教化・伝道も許されるなどと勘違いしてはならない。

 宗教法人法86条は、「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない」と明記する。宗教団体が宗教団体ゆえに差別されてはならないが、宗教団体が宗教団体ゆえに何らの特権を持つこともない。あたりまえのことだ。

 「霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえた団体」との決別が、その団体の構成員に何らかの不利益をもたらしたとしても、これを違法な請願権侵害とも、思想の自由保障の侵害とも、信教の自由侵害とも言わない。

 勝ち目のない訴訟と分かっていての、市議会や世論を牽制する意図での提訴なのだ。富田林市民は、統一教会・UPFによって市が被告とされたこと、そのことによって市が応訴の費用を負担しなければならないことを怒らねばならない。あらためて、その怒りもて、統一教会の違法行為を糾弾しようではないか。

 自治体の『対統一教会断絶決議』に対するいやがらせ訴訟には、原告に対する応訴費用請求の反訴を

(2022年12月19日)
 統一教会と伝統右翼、その主張は水と油。むしろ互いに天敵の関係。天皇を含む日本人は韓国に跪いて奉仕すべしとする教義を持つカルトと、皇国史観から旧植民地韓国を差別して恥じないレイシスト集団。しかし、本来は不倶戴天のこの両者が、「反共」の一点では連携するのだ。だから、あの歴史修正主義者・安倍晋三が、統一教会の教主には歯の浮くようなお世辞のメッセッージを送ることになる。

 いま、統一教会に対する日本社会の風当たりが強い。当然に、それなりの理由あってのことである。しかし、これまで息をひそめていた教団が、少しずつ反撃を試みつつある。その主要なものが、メディアを通じての教団の主張の展開であり、スラップの提起である。また、「信者」による各自治体への要請・陳情などでも報じられている。

 さらに、あらたな手段が登場した。《旧統一教会と関係断つ富山市議会決議、取り消し求め信者が「全国初」提訴》(読売)と報じられている件。
 「富山市議会が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係を断つと決議したことで、憲法が保障する信教の自由や請願権を侵害されたなどとして、同市に住む50歳代の男性信者が16日、決議の取り消しと市議会を設置する市に慰謝料など350万円を求める訴訟を富山地裁に起こした。代理人弁護士によると、旧統一教会を巡る同種の決議に対し、取り消しを請求する訴えは全国初とみられる」。この原告訴訟代理人の弁護士が、伝統右翼側陣営の人物。

 富山市議会の決議は9月28日におけるもの。全会一致での可決だった。「旧統一教会や関係団体と一切の関係を断つ」とす内容。その全文は以下のとおり。

***********************************************************

富山市議会が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)及び関係団体と一切の関係を断つ決議

 安倍晋三元総理の銃撃事件をきっかけに政治と世界平和統一家庭連合(以下「旧統一教会」という。)との関わりの深さが浮き彫りとなっている。
 問題は、政治家が宗教団体と関わることではない。消費者の不安をあおり、高額な商品を購入させる「霊感商法」などで大きな社会問題となった団体とのつながりを持ってきたことにある。
 藤井市長並びに当局は、旧統一教会及び関係団体との関係について調査し、記者会見並びに議会でも公表した。富山市議会も藤井市長並びに当局と同じく、議会として過去の関係について次の通り調査し公表する。
1 各会派と旧統一教会及び関係団体との関係の有無について調査する。
2 会派として関係があった場合は、その内容について調査する。
3 会派の政務調査活動や政策立案の判断に影響が及んでいないか調査する。
4 以上のことを会派が取りまとめ議会として公表する。
 藤井市長並びに当局は、旧統一教会は極めて問題のある団体として、旧統一教会及び関係団体とは一切関わりを持たないことを決意し、表明した。
 富山市議会も、藤井市長並びに当局と同じく旧統一教会及び関係団体と今後一切の関係を断ち切ることを宣言する。

令和4年9月28日

富山市議会

***********************************************************

 この決議を違憲違法というのだから恐るべき偏見。恐るべき没論理。意見は勝手だが、被告となる自治体の住民に迷惑をかけてはならない。

 この決議についての一般紙の報道は、下記のように簡略である。

 「訴状で男性は、決議について『市における信者の政治参加を全面的に排除するものだ』と主張。取り消しを求める請願をしようと複数の市議にかけ合ったが、決議の尊重を理由にいずれも断られたといい、信仰を理由に不当な差別待遇を受けたとしている。
 また、決議自体についても、憲法が定める信教の自由や法の下の平等に反すると訴えている。」

 このようにしか報道されないのは、箸にも棒にもかからない、敗訴確実の提訴だからだ。行間に、記者の嘲笑が聞こえるような記事の書き方。

 ところが、統一教会の機関紙と目される「世界日報」だけは調子が異なる。内容が妙に詳細なのだ。タイトルは、「富山市を憲法違反で提訴 旧統一教会信者 断絶決議で請願権侵害」(2022年12月17日)

 「富山県富山市の男性が16日、自身が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者であることから市議会への請願を受け付けられなくなったことは憲法違反であるとして、富山市を相手取った訴訟を起こした。

 背景にあるのは、安倍晋三元首相銃撃事件で逮捕された容疑者が旧統一教会への恨みを供述したとの報道から激しい旧統一教会批判が巻き起こり、政党が競うように同教団との関係断絶をアピールしたことだ。

 特に自民党総裁である岸田文雄首相が8月31日、自民党と教団関連団体との長年の関係を陳謝し、同教団と一切の関係を断絶すると宣言。その後、自民党は地方組織にも通達した。

 来年に統一地方選挙を控えて各地の地方議会で教団との接点が政治材料となり、関係断絶を求めるなどの決議案が主に共産党から提出されている。が、富山市議会では、党中央の方針を受け自民党市議団から教団との関係を断絶する決議案を提出し、9月28日に可決した。

 富山市を相手取った原告の代理弁護人がツイッターで公表した訴状によると、原告の男性Yさんは現市長や自民党市議団所属の議員を応援し、選挙協力してきたという。しかし同決議を理由に請願の紹介議員となることを断られたという。

 Yさんは、『何人も…請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない』とする憲法16条、同14条の法の下の平等、同19条の思想良心の自由、同20条の信教の自由などに違反するとして、同決議の取り消しと請願権を侵害された損害などから慰謝料など350万円の支払いを富山市に求めた。

 直近の選挙まで篤い支持を選挙で受けながら、教団の信仰を理由に信者が投票した議員が請願を拒否する問題は国政から地方にまで広がっている。このような「関係断絶」決議案を否決する地方議会もあれば、可決する地方議会もある状況だが、要は基本的人権にかかわる問題だ。」

 こう詳しく報道されれば、一見して無理筋の訴訟であって、勝ち目のなさが明々白々である。被告の自治体(議会)が、こんな提訴で萎縮することはあるまいが、応訴の費用は自治体住民の負担となる。富山市は、この提訴にかかった全費用を、原告の「Yさん」に請求すべきであろう。また、場合によっては、共同不法行為として原告代理人の弁護士にも請求してしかるべきである。

 そのようにして、傍迷惑な濫訴を防止する必要がある。この手の濫訴の放置は民主主義の脆弱化につながりかねないのだから。

「南京事件をなかったことにしたい」人々と、「あったかなかったか分からないことにしてしまいたい」人々と。

(2022年12月15日)
 毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。

 私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。

 私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。

 1937年の事件当時、私はまだ生まれていない。だから、私に責任のあることではない。責任とは一人ひとりに生じるものではないか、などと強弁することはできるかも知れない。しかし、現地では、とうていそんな気持ちにはなれない。日本人の一人として、中国の民衆に深く謝罪しなければならない、と思う。

 日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせていたことの不甲斐なさを嘆くだけではく、そんな社会を作ったことの責めを負わねばならない。
 
 事件から85年となる一昨日、現地の「紀念館」で、恒例の追悼式典が行われた。
 式典で演説した中国共産党幹部の蔡奇(ツァイ・チー)は旧日本軍の行為について、「人類の歴史において非常に暗い1ページだ」と指摘した上で、「中日国交正常化から50年、様々な分野での交流と協力が実を結び、両国の国民に重要な利益などをもたらし地域の平和や発展、繁栄を促進した」「新時代の要求にふさわしい中日関係を構築すべきだ」などと述べたと報じられている。これが、本当に中国国民の気持ちを代弁する言葉なのだろうか。疑問なしとしない。

 南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。

 細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。

 「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。

 そういう人たちの「論理」を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。

 旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。たとえば、文京区教育委員の面々である。

 戦争の悲惨は語り伝えなければならない。被害の責任だけではなく、加害の責任も。そのような姿勢で、日中友好協会・文京支部は、2018年以来毎年8月に、「平和を願う文京・戦争展」を企画し、「日本兵が撮った日中戦争」の写真展示を続けている。その写真の中に、南京事件直後の生々しい写真がある。これが、問題となった。

 この企画展について後援申請をしたところ、文京区教育委員会は「後援せず」と決定したのだ。このことが、18年8月2日東京新聞朝刊『くらしデモクラシー』に大きく取りあげられた。

 同記事の見出しは、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。

 日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。

 同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」で8?10日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(1909?88年)が中国大陸で撮影した写真50枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。

 区教委教育総務課によると、区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。

 文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。

 教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。

 教育長 加藤 裕一
 委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
 委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
 委員 坪井 節子(弁護士)
 委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

「維新よ。議員が決めたのだから住民の意見を封殺してもよい、とお考えか」 ー 大阪府議会カジノ住民投票条例案否決

(2022年7月30日)
 大阪は私が少年時代の8年間を過ごした懐かしい土地。その大阪が壊れそうだ。大阪はどうなってしまうのだろう。心配でならない。大阪を壊そうとしている張本人は維新。公明がその尻馬に乗っている。

 「都構想」の実現はようやく避け得たが、今度はカジノだ。大阪にカジノ誘致とは、賭博場をつくって人を呼び込むことで、大阪の経済を立て直そうというアホな試み。バクチに負けた人の不幸の積み重ねで、胴元の自治体は潤うという算段だ。

 「コロナにはイソジンがよく効く」と大真面目に記者会見したあの知事が、おなじノリで「地域経済活性化にはカジノが特効薬」と言って反対論に耳を貸さない。大真面目に「カジノには非常に大きな経済波及効果が見込まれる」として大規模カジノ誘致を強行し、賭博場の運営で大阪の経済再生をはかろうというのだ。

 これに反対する大阪府民が、カジノ誘致の可否を問う住民投票実施のための条例を制定すべく運動を展開した。住民運動体「カジノの是非は住民が決める 住民投票をもとめる会」は、7月21日法定数(14万6千)を超える署名を府に提出して条例制定を請求し、これを受けて昨日(29日)に臨時府議会が開かれた。知事は、露骨に住民投票の実施に敵意を見せ、「計画案が府・大阪市の両議会で議決・同意され、国に認定申請している」「したがって、住民投票には意義がない」とする意見を付して条例案を提出した。

 昨日の大阪府議会は、署名に表れた20万府民の民意を文字どおり「封殺」して、カジノ住民投票条例案を否決した。委員会審議への付託もなく、即日の否決。民主主義というものがうまく機能していないのだ。維新や公明に、民主主義の理解はない。維新と公明の罪は重い。

 同日の本会議では、条例制定請求代表者6氏が意見を陳述。「21万人を超える署名(有効数19万2773人)の重み」「ギャンブル依存症の恐ろしさ」などを語り、熟議と条例制定への賛同を訴えた。山川義保事務局長は住民投票実施に否定的な維新などに対し「『選挙で選ばれた議員が決めた、それだからいいんだ』と、私たち住民の意見を封殺している」と批判した。これは、民主主義の根幹に関わる批判である。それたけに、カジノ実施に凝り固まった維新議員の耳には入らなかった。

 維新や知事は、なぜかくも頑なに、住民投票の実施を拒否するのか。これだけ叩かれ、評判の悪い「夢洲カジノ」である。住民投票で過半の賛成を得られる自信があれば、住民投票でのお墨付きで批判を封じることが可能ではないか。しかし、投票すれば必ず負けるから住民投票はしない、住民投票条例は作らない。仮に負けた場合には、知事の座も市長の座も吹き飛ぶ。維新勢力の消滅ともなりかねないのだから。

 トップはともかく、大阪府・市の官僚組織はアホではなかろう。府民・市民の賛否の分布を調査して、把握しているに違いない。おそらくは、知事も市長も、住民の過半数がカジノ誘致に反対という調査結果を耳打ちされている。だから、カジノ誘致の賛否を問う住民投票など絶対にやらせるわけにはいかないのだ。
 
 2020年10月16?18日、日本経済新聞社とテレビ大阪が、大阪市内の有権者を対象に実施した電話世論調査がある。大阪府・市が誘致を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)について「賛成」が37%で「反対」が52%だった。これは信頼できる数値である。しかも、同年6月下旬の前回調査と比べて反対が3ポイント増え、賛成が3ポイント減っている。おそらくは、今はもっと反対派のリードが大きいと思われる。

 同年1月25・26日の朝日新聞社による全国世論調査(電話)もある。カジノを含む統合型リゾート(IR)について、政府が整備の手続きを「凍結する方がよい」は64%に上り、「このまま進める方がよい」は20%だった。もっとも、この調査でも大阪府内では「このまま進める」が3割と、全国平均(20%)より高めだった。とは言っても、3割に過ぎない。

 「求める会」は府議会の直接請求否決を受けて抗議声明を発表した。

 「民意を問うことさえ否定し、みずから固執する政策を押し通そうとする府知事とカジノIR推進派議員の態度は、さらに厳しい府民の批判を招くことは必至だ」

 まことにそのとおりであると私も思う。今は、維新を支持している大阪府民だが、けっしていつまでもではない。大阪府民を舐めてはならない。

気をつけよう「身を切る改革」あなたの身 ― 維新の正体を見つめよう

(2022年4月5日)
 「法と民主主義」4月号(567号・3月末発刊)の特集タイトルは、「『維新』とは何か」というもの。下記の目次のとおり、維新を多面的によく語っている。維新という事象を考えるについて必読と言ってよい。

 『維新』とは何か? その性格を表すのに、次の3ワードが必要にして十分ではないだろうか。
 新自由主義・ポピュリズム、そして改憲策動。

 このほかに、この特集を通読すると「成長至上主義」「幻想ふりまき」「管理・統制」「略奪型経済政策」「メディア露出」「新たな利権」「自助努力・自己責任」「反科学主義」「批判拒絶体質」「政権擦り寄り」等々の評価も述べられているが、概ね前記の3点で包括できるだろう。

 維新と言えば、何よりも極端な新自由主義政党である。資本の利益のために、府民・国民の利益を切り捨てようという政党。それでいて、府民・国民の利益を擁護するごときポーズで幻想を振りまき、選挙民の欺瞞に一定の成功を収めてきたポピュリスト集団である。

 だから、この特集の中の教育面解説「維新政治による教育破壊の“ほんの一部”」の記事の中にあるように、《気をつけよう「身を切る改革」 あなたの身》なのだ。維新は、容赦なく大阪府民・市民の身を切ってきた。そして、府外からの収奪も狙う。それでいて、「開発幻想」を振りまいているのだ。

 そしていま維新は、現政権の言いにくいことを代弁して改憲策動の尖兵となり、「非核三原則の見直し」「核共有」の声を上げている。野党ではなく、与党の政策をさらに保守の立場から引っ張る存在である。

 維新を語る際の最大の関心事は、いったい誰が維新支持の担い手なのかということ。近畿圏以外の人には、まったく分からない。この点について、特集リードの中に、次の一節がある。

 「関西学院大学の冨田宏治教授が三年前に分析した論文(「維新政治の本質ーその支持層についての一考察」)は次のとおり、維新支持層のイメージを描いている。
 そこに浮かび上がってくるのは「格差に喘ぐ若年貧困層」などでは決してなく、税や社会保険などの公的負担への負担感を重く感じつつ、それに見合う公的サービスの恩恵を受けられない不満と、自分たちとは逆に公的負担を負うことなくもっぱら福祉医療などの公的サービスの恩恵を受けている「貧乏人」や「年寄り」や「病人」への激しい怨嗟や憎悪に身を焦がす「勝ち組」・中堅サラリーマン層の姿にほかなりません」

 本号の巻頭論文に当たる「日本維新の会の『支持基盤』を探る」(岡田知弘・京大名誉教授)は、この見解をベースにしつつも、維新は「さらなる成長を」というスローガンによる「開発幻想」を振りまくことによって、「勝ち組」以外からも集票したとみる。強固な支持層としての、新自由主義の利益に均霑する「勝ち組」 中堅サラリーマン層 と、「開発幻想」にすがるしかない立場の「非勝ち組」層

 しかし、現実の地域経済の衰退は覆うべくもないことを指摘し、在阪マスコミの維新擁護の報道を乗り越えて、「維新が振りまく幻想の危険性」と「真実にもとづく維新批判」の言論高揚の必要を説いている。

目次は、下記のURLをご覧いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

そして、お申し込みは下記URLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html

************************************************************************** 

特集●「維新」とは何か

◆特集にあたって … 岩田研二郎
◆日本維新の会の「支持基盤」を探る … 岡田知弘
◆在阪マスコミと中央政権が育てた新たな利権政党 … 幸田 泉
◆大阪IRカジノの問題点 … 桜田照雄
◆大阪都構想の問題点とその後の動き … 森 裕之
◆地域経済を疲弊させる維新の略奪型経済対策 … 中山 徹
◆維新府政のもとでのコロナ禍の保健所の現状 … 小松康則
◆維新政治による教育破壊の“ほんの一部”
 ?大阪は 維新政治で 滅茶苦茶に? … 今井政廣
◆維新政治による人権侵害と闘う弁護団活動 … 岩田研二郎
◆維新による公務員の団結権への侵害と反撃 … 豊川義明
◆改憲勢力としての日本維新の会 ── 憲法審査会での策動を中心に … 田中 隆
◆維新は政党政治の一翼を担えるか … 栗原 猛

特集外記事
◆連続企画・学術会議問題を考える〈5〉
 「日本学術会議の在り方に関する政策討議取りまとめ(令和4年1月21日)/ CSTI有識者議員懇談会」をどう読むか … 広渡清吾
◆司法をめぐる動き〈72〉
 ・「日の君」再任用訴訟で逆転勝訴判決
  ── 再任用拒否の違法性を正面から認定 … 谷 次郎
 ・2月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2022●《「核時代の戦争」と世論・情報・メディア》
 どんな理由でも戦争は認めない 不戦、非核、非武装の外交の確立を
 ── ウクライナ戦争を機に … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№11〉
 「戦争の不条理」を胸に … 鶴見祐策先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№39〉
 憲法改正を「今こそ成し遂げなければならない」と主張する岸田首相 … 飯島滋明
◆書籍紹介
◆インフォメーション
 ロシアによるウクライナ侵攻に対し強く抗議するとともに直ちに戦闘行動を停止し撤退することを求める声明/ロシアのウクライナへの軍事侵攻に強く抗議し、ロシア軍の即時撤収を訴える声明/自民党改憲案(4項目改憲案)に反対し、改憲ありきの憲法審査会の始動には反対する法律家団体の声明
◆時評●地位協定と新型コロナ対策 ── 日伊の比較 … 高橋利安
◆ひろば●和歌山での憲法を守る取り組み ── 93回目のランチタイムデモ … 阪本康文

石原慎太郎の生前の言動には、死後もこだわり続けねばならない。

(2022年3月15日)
 「死屍に鞭打った」のは、春秋時代の伍子胥である。父と兄の仇である楚の平王の墓を暴き、掘り起こした死体を鞭打って父と兄との恨みを晴らしたという。あまりに殺伐とした野蛮な行為だが、実は、その昔から死者は鞭打たぬものという常識あればこそ語り継がれた故事なのであろう。

 石原慎太郎という、民主主義と人権の仇が亡くなったのが今年の2月1日。生前の石原の言動に対する批判の不徹底が歯がゆい。死者に対する肯定的な評価の傾向を「デス・ポジティビティ・バイアス(死による肯定バイアス、DPB)」と呼ぶのだそうだ(3月14日・毎日「過去の言動は死後に美化されるのか 石原慎太郎氏の死去から考える」)。そのような社会的現象が、石原の死にも生じているごとくだが、これは危険なことだ。徹底して、「デス・ネガティブ・バイアス(死による否定バイアス、DNB)」でなければならない。そうでなくては民主主義と人権の恨みは晴らせない。

 石原慎太郎が亡くなったその日、法政大法学部の山口二郎が「石原慎太郎の訃報を聞いて、改めて、彼が女性や外国人など多くの人々を侮辱し、傷つけたことを腹立たしく思う。日本で公然とヘイトスピーチをまき散らしてよいと差別主義者たちを安心させたところに、彼の大罪がある」とツイートした。言わば、「死屍に鞭打った」のだ。これに批判的なリプライ(返信)が殺到したという。「自分も(石原の)遺族のこと傷つけてるのに」などというもの。

 一方、同じ1日に共産党委員長の志位和夫は、国会内で記者団に「心からのお悔やみを申し上げたい」と述べた。さらに、「私たちと立場の違いはもちろんあったわけだが、今日言うのは控えたい」と語ったと報道されている。これに対して、SNS上では「礼節を重んじる常識人」「大人の対応」などと称賛の声が目立ったという。SNSとはそういうものなのだ。

 私は、石原の訃報に機敏に反応した山口ツィートに共感する。石原とは弱い者イジメを気取って追随者を集めてきた人物である。実は世の中には、弱い者イジメ大好き人間がウヨウヨしている。石原慎太郎とは、彼らのアイドルだった。世に有害この上ない。

 志位和夫の本心は知らず、そのわざとらしい振る舞いに辟易する。もっと率直にものを語ってもらいたい。弱者の側の味方に徹してもらいたい。

 石原慎太郎は、ヘイトスピーチを振りまく差別主義者であるだけでなく、都政を私物化した、実質的意味での犯罪者でもある。

 毎日新聞デジタル(最終更新 2/17 10:47)が、「石原慎太郎氏 都知事としての仕事ぶりはどうだったか」と題して、下記の検証記事を掲載しているのが興味深い。要点をご紹介させていただく。

 「1999年に初当選して以来、圧倒的な得票で2回の都知事選を制してきた石原氏が初めて逆風にさらされたのが07年知事選だった。「都政私物化」が争点になったからだ。その源流は「サンデー毎日」が04年1月18日号から6回連載した調査報道「石原慎太郎研究」にある。取材・執筆の大半を私(日下部聡記者)が担当した。

交際費で飲食 登庁は週3日
 都知事になった石原氏をそれまで、多くのメディアは国政を巡るキーマンか「ご意見番」的な位置づけで取り上げることが多かった。…むしろ、他の都道府県知事と同じように、自治体の長としての働きぶりを事実に基づいて検証する必要があるのでは――という問題意識が出発点だった。

 都の情報公開制度を活用した取材の結果、飲食への交際費支出が異常に多く、米国出張時のリムジン借り上げやガラパゴス諸島でのクルーズ乗船など、海外視察の豪華さが浮かび上がった。一方で都庁に来るのは平均して週3日ほど。日程表には「庁外」とだけ記されて、秘書課ですら動静を把握していない日が多数あった。

 サンデー毎日の記事を読んだ都民が石原氏に公金の返還を求めて起こした住民訴訟を契機に、都議会で「都政私物化」が問題化。記事掲載の3年後に知事選の争点となったのだった。

「ちまちました質問するな」
 連載をしていた時、私は記者会見に出席して石原知事に見解をただした。

 「キミか。あのくだらん記事を書いているのは」

 石原氏は開口一番、そう言った。

 「知事の親しい人に高額の接待が繰り返されていますが」

 「親しい人間で知恵のある人間を借りてるわけですから、それをもって公私混同とするのはちょっとおかしいんじゃないの」

 (石原慎太郎・東京都知事が新銀行東京の幹部らを知事交際費で接待した際の料亭の請求書がある。都への情報公開請求で開示されたこの請求書では、石原氏を含む計9人で総額37万2330円の飲食をした。1人あたり4万円あまりの計算となる。)

 「知事は就任直前『交際費は全面公開する』『公開したくないなら、私費で出すべきだ』と言っています。他の道府県のようにホームページで全面公開するようなことは考えていませんか」

 「いや、公示の方法はいくらでもありますから。原則的に公示してんだからですね、それを関心のある人がご覧になったらいいじゃないですか」

 「本誌は海外出張が必要以上に豪華だと指摘しました」

 「必要以上に豪華か豪華じゃないか知らないけど、乗った船のイクスペンス(費用)は払わざるを得ないでしょう。(中略)何か文句あんのかね、そういうことで。ちまちました質問せずに大きな質問しろよ。ほんとにもう」

 約20分間続いた記者会見の最後に、私は再度質問の手を挙げたが、石原氏は「もういいよ」と遮り、会見場の出口へ歩きながら「事務所に聞け、事務所に」と言って姿を消した。

公人としての意識がどれだけあったか
 石原氏は税金が都民のものであることを、どのくらい認識していたのだろうか。

 石原都政最大の失策ともいうべき「新銀行東京」の設立から撤退への過程では、最初の出資金1000億円に加え、破綻回避のための400億円の追加出資にも税金がつぎ込まれた。しかし、経営が好転することはなく、少なくとも850億円の都民の税金が失われた。

 振り返ってみれば、非常識な知事交際費や海外出張費の使い方は、新銀行の行方を暗示していたように思える。

 若い時から作家として、「裕次郎の兄」として「注目を集め」続けてきた石原氏に、都の予算は公金であり、自身は有権者の負託を受けた公人であるという意識は薄かったのではないかと私は考えている。

 高まる「都政私物化」批判の中、石原氏は都知事選2カ月前の07年2月2日の定例記者会見で一転、「反省してます」と述べ、以降は知事交際費の使用状況や海外視察の内容を都のウェブサイトで公表するようになった。選挙戦でも「反省」を前面に押し出した結果、「情報公開」を掲げた浅野史郎・元宮城県知事に大勝したのだった。」

 都民は、こんな人物を長年知事にしていたわけだ。都民の民主主義成熟度や人権意識の低レベルを反映したものと嘆かざるを得ない。

岸田政権は卑劣で汚い。? 沖縄を愚弄するな。「米軍再編交付金」を使っての名護市長選挙介入をやめよ。

(2021年12月26日)
 街中に参院選予定候補のポスターが目につくようになった。我が家にも、山添拓のポスターが2枚。今年10月の総選挙の結果が革新の側に厳しかっただけに、来夏の参院選の重みが一入である。
 
 とりわけ来年復帰50周年を迎える沖縄である。いくつもの課題を抱えた沖縄の選挙には全国の関心が集まる。2022年は沖縄にとっての「選挙イヤー」であるが、注目度の高いのは、県知事選をハイライトに下記の各選挙。

名護市長選挙      1月23日
南城市長選挙      1月23日
沖縄県議会議員選挙   6月24日
参議院議員通常選挙   7月25日
沖縄県知事選挙     9月29日
那覇市長選挙      11月15日

 緒戦となる、名護・南城両市長選は来月16日が告示。その後を占う選挙として、注目せざるを得ない。とりわけ、辺野古新基地を抱えている名護市長選に大きな関心が集まっている。

 前回2018年名護市長選挙では、オール沖縄が擁立した現職の稲嶺進候補が、渡久地候補にまさかの敗北を喫した。政党勢力としては、《立民・民進・共産・自由・社民・社大》対《自民・公明・維新》の対立構造であった。

 今回選挙も保革の一騎打ちとなる。オール沖縄陣営からは、新基地建設阻止を掲げて岸本ようへい市議(49)《立民・共産・社民・沖縄社大・「新しい風・にぬふぁぶし」》と、渡具知武豊現市長(60)《自公政権丸抱え》が立候補する。前回も同様だが、渡具知陣営は「辺野古新基地建設」に賛否を明らかにしない。「見守る」というだけ。

 政権に擁立されている立場だから、口が裂けても「反対」とは言えない。しかし、「賛成」「基地容認」と明言すれば、市民感情を刺激する。ダンマリを決めこむしかないのだ。

 辺野古新基地建設反対の立場を明言する岸本ようへい(予定候補)のホームページが下記のとおりである。明快で、とてもよくできている。好感がもてる。説得力がある。応援したくなる。ぜひ、拡散をお願いしたい。

https://www.yoheikishimoto.com/

 「オール沖縄」が闘っている相手は、実は渡具知候補ではない。中央政府であり、自公政権とその補完勢力なのだ。「オール沖縄派」対「非オール沖縄派」とは、《沖縄県民》と《沖縄を支配している内地権力への服従者》との対抗関係なのだ。渡久地派とは懐柔された政権派にほかならない。

 だから、中央政府(自公政権)は露骨に、「非オール沖縄派」に利益を供与し、そのことで投票を誘導する。その最も分かり易い利益供与が、「米軍再編交付金」というつかみガネである。

 「渡具知氏は初当選した18年の前回市長選で辺野古移設の是非に言及しない戦略を徹底。その後も「国と県の裁判の推移を見守る」と繰り返してきた。一方、自公政権は市長選で支援した渡具知氏が就任すると、移設に反対した稲嶺進市長時代(10?18年)に凍結していた米軍再編交付金の交付を再開。渡具知氏は再編交付金を財源に学校給食費や保育料の無償化を進めた。」(2021年毎日新聞)

 「再編交付金は、米軍再編で負担が増える自治体に交付される。(名護市は)09年度には約3億8千万円を受け取り、道路整備などに充ててきた。だが10年の市長選で移設反対の稲嶺氏が当選すると、交付は止まった。市の13事業が宙に浮き、2事業は中止や保留となった」「前市議の新顔渡具知武豊氏はこの点を突く。借金増加は稲嶺市政が移設反対に固執しすぎているためだとし、再編交付金を含め『国から受け取れる財源は受け取る』と主張する。集会では『政府としっかり協議し、ありとあらゆる予算を獲得するために汗をかく』と声を張った。ただ、普天間移設については、ほとんど触れない」(2018年朝日)

 私が入手した「岸本ようへい・後援会ニュース」(内部資料)の表紙には、大きな字で「必ず守る! 保育料・給食費・子ども医療費は これからも無料」とあった。前市政を批判するのではなく、前市政を踏襲して「これからも無料」と訴える選挙公約の押し出し方に違和感があった。このことについて、次のように報道されている。

 「渡具知氏が子育て支援策の財源としてきた国の米軍再編交付金は、移設に反対する岸本氏が当選した場合に凍結される可能性が高く、岸本陣営は『交付金がなくなれば、無償化も打ち切られるのでは……』という市民の不安を打ち消すことに躍起だ」(毎日新聞)

 なるほど、名護市のホームページを閲覧すると、米軍再編交付金による事業を次のように報告している。政府はこの財源を、基地建設反対の「オール沖縄」派が勝てば止める、基地建設反対とは言わない「非オール沖縄」の市長には給付を継続する、というのだ。

幼保助成事業 (6か年)           2,613,835,000円 

学校給食事業 (4か年)         1,021,989,000円

こども医療費助成事業 (4か年)    394,659,000円

 

これっておかしくないか。卑劣ではないか。汚くないか。地方自治を尊重し、地元の民意に耳を傾けようというのではなく、中央政府のつかみ金で市長選を左右しているのだ。カネで言うことを聞かせようという姿勢。同じことは、県知事選についても行われている。「岸田政権、沖縄振興予算で揺さぶり」と報道されているとおりである。

 「来年度当初予算案について、玉城知事は3000億円台の維持を求めていたが、政府は前年度比で約300億円減の2680億円程度とする。3000億円を下回るのは12年度以来、10年ぶり。振興予算は安倍晋三元首相が13年に3000億円台を確保する意向を表明し、18?21年度はいずれも3010億円だった。」

 「防衛省が申請した辺野古移設の設計変更を不承認処分とした玉城知事に対し、官邸関係者は「移設は反対だが、振興予算は確保したいというのは虫がよすぎるのではないか」と指摘。基地問題と沖縄振興を絡める「リンク論」を安倍・菅両政権以上に前面に押し出し、沖縄の切り崩しを図る構えだ」(毎日新聞)

 余りに露骨ではないか。こういうやり口を「札束で頬を叩く」というのだ。沖縄県民を見くびっているのではないか。根本のところから、民主主義に反しているのではないか。

ホンマ、身を切る覚悟が必要や。市長の覚悟やのうて、市民一人ひとりの身を切る覚悟や。ついでに、市民の身銭を切る覚悟もな。

(2021年12月23日)
 大阪市長でっせ。府知事とコンビで、大阪・夢洲へのカジノ誘致に血まなこや。横浜は、カジノ誘致を断念しはった。こんだけ儲かるもんに背を向けて、横浜市民はアホちゃうか。マ、おかげでウチは順風満帆や。

 なんちゅうても、夢洲にカジノを作ればやな、経済効果は1兆1400億や。目も眩むような大した金額やおまへんか。このカネに文句をつけるアホがおるのが信じられん。ちまちまと、数字の根拠を説明せいやら、説明資料が黒塗りで怪しからんとか、なにを言うてんねん。こんな難癖つけるのにろくなヤツはおらん。話半分にしても、立派なもんやと思うてもらわなならん。

 そもそも賭博は人倫に反する、ギャンブル依存症を蔓延させる、マネーロンダリングの温床になるだの、こういう頭の固い絶対反対派いう連中はどこにもおるもんや。もちろん、大阪にもおるんやが、こんな連中をまともに相手にしていたら、せっかくの儲けのチャンスを逃がすことになるんや。早うにことを進めんと、アリのように甘い汁に群がってきた業者が、嫌気をさして「カジノ離れ」を起こすことになる。せっかくの経済効果がしぼんでくるやないか。こんな簡単なことが、どないしてわからんのやろ。

 問題は、夢洲のカジノ場建設予定地「適性確保」のための790億円の支出や。内訳は、液状化防止の地盤改良に410億、土壌汚染対策に360億、地中障害物撤去に20億。この出費はしゃあない。1兆1400億の経済効果のためのコストとしての790億。安いもんや。こんな支出に騒ぐのがおかしい。

 しかもやな、この790億、大阪市の一般会計から支出しよういうんやない。市には、「港営事業会計」いう特別会計がある。その財源は、大阪港にある倉庫の使用料や埋め立て事業の収益や。ここから支出するんや。ナンヤテ? どちらにしても大阪市民の財産やて? ナニ?「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)」破綻時も同じ手口やったろうて? マ、そりゃそうやけどな。

 それに、ホンマに790億円だけで済むのかちゅうんか? オリンピックやら辺野古や、森友学園を連想させるてか? そらまあ、多少は増えるやろな。

 それにしても、なんでみんなこんなに騒ぐんや。きっと裏に何かあるんやろ。そりゃあ、確かに2016年の説明会では、当時知事だったワイはこう言うた。
 「特定の政党が間違った情報を流布してますけど、これだけははっきり言っときます。IR、カジノに税金は一切使いません。民間事業者が大阪に投資してくれるんです」とね。

 けど今回、民間業者の誰も土壌改良の費用を出しはせん。ほたら、市が出すのはしゃあないがな。「カジノ建設に公費は一銭も使わん」と以前に言うたあのときはあのとき、今は今や。ワイも政治家や、それくらいのことは言わいでか。

 最終的には、十分採算ベースにのるんや。決して市民に負担をかけっぱなしにはせえへん。そやさかい、なんの問題もあらへんのや。えっ? そやかて、当初は見込んでいた大阪・関西万博との相乗効果はもう無理やろうて? そりゃコロナのセイや、イソジンが効かへんかったからや。市や府のせいやない。それに、ホンマに観光需要が回復するかって…? きっと回復する…はずや…多分…と思う。格別の根拠はないけれど、そないに思うんや。ここは、賭けなあかんとこや。

 仮に、観光需要が回復せんとしてもやな、この790億円はリスクテイクや。みんなが「身を切る改革」をせなアカンのや。身を切るのは、市長でも知事でもない。市民・府民一人ひとりに決まっている。甘えたらアカンのや。市のカネは市民のカネやから、結局大阪市民は身を切るだけやなく、身銭も切る覚悟も必要や。

 もちろん大阪に博打の空気が蔓延はするやろ。賭博依存症の流行も、風紀の乱れも、暴力団の跋扈も、マネロンも、みんな選挙で維新を選んだときに覚悟したはずやんか。今ごろ、イヤ言うてみたかて、そりゃ時既におそしや。カジノの経営が失敗したときは、市民も府民も一蓮托生や。人間、潔く身を捨てる覚悟が大切。そやないか?

 しかも、こんなことになるのは最初からわかっていた話や。夢洲は市が建設残土や浚渫土砂を埋め立てて廃棄物で造成した人工島や。液状化も土壌汚染も以前から指摘されていたんや。大量の産業廃棄物を夢洲に不法投棄していたこともみんな知っていたやろ。

 それだけやない。カジノを運営するのは、外資とオリックスの共同グループや。竹中平蔵はんが社外取締役を務めていやはるんや。竹中はんのパソナと大阪の行政とは、切っても切れん仲や。そんなことよく分かって、維新は大阪での選挙に勝ったきたんや。今さら、オリックスに冷たくもできんのや。790億円くらいは身銭を切らなきゃならんのよ。

 そんでもな、心配のタネがないわけやない。一番が住民訴訟や。一部の偏った新聞が暴露しおったけど、「これまで大阪湾の埋め立て用地の販売でその対策費を市が負担したことはなく、大阪港湾局は『民間業者の建設費の一部を負担するとみなされ、地盤改良をせずに売却してきた土地との公平性を保てず、住民訴訟で敗訴する可能性がある』とする弁護士の意見を紹介した」んや。

 万が一にも、住民監査かそれに続く住民訴訟でこの790億円が違法支出とされるとやな、最終的には責任者である市長個人にその負担を命じられることにもなりかねん。そうなると、身を切っても、身銭を切っても、責任を背負いきれない。これはえらいこっちゃ。そんな覚悟はできっこない。

「愛知県知事リコール・署名偽造事件」捜査の進展に注目。

(2021年2月24日)
「愛知県知事リコール・署名偽造事件」で、本日県警が初めて動きを見せた。各地の選管に保管されていた署名簿を押収したのだ。大きく動き出した事態を、朝日はこう伝えている。

 《美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らによる愛知県の大村秀章知事へのリコール署名問題で、愛知県警は24日、地方自治法違反(署名偽造)の疑いで、署名簿が提出された県内の複数の自治体の選挙管理委員会に容疑者不詳で強制捜査に入った。署名簿を押収したとみられる。

 署名活動を担ったボランティアからは憤りの声があがる。「筆跡が似ているのがいっぱいあった。おかしいと感じた」という。「僕らは真面目にやった。民主主義を守るために行動したのに、これ(不正)はない」》

 この「署名偽造事件」は、決してローカルな話題にとどめ置くべき些細なものではない。ようやくにして、この国の民主主義のレベルを映し出す深刻な問題として、全国紙報道テーマとなりつつある。軽忽な人物群のドタバタ劇と看過せずに注目しなければならない。こんな輩に、日本の民主主義が掻き回されているのだ。

一昨日(2月22日)、大村知事が記者会見で、この事件を「組織的で隠蔽の意思があり極めて悪質。誰が指示し、誰のお金でやったのか追及されなければならない」と述べたとおり、この「署名偽造」は極めて悪質である。大村知事のコメントを補えば、真意はこんなところであろうか。

「愛知県知事リコールに関わる大量の署名偽造は、多数の人と資金と資料がなければできないことだ。これが明らかにスケジュールされた期間に計画的に実行されていることから、組織的な犯罪行為であることに疑問の余地はない。」「しかも、この組織的な犯行に及んだ複数の犯罪者には、犯行隠蔽の強い意図が窺える。」「民主主義に対する挑戦ともいうべきこの犯罪行為は、その態様、その組織性、その計画性、そして隠蔽を決めこむ諸点において、極めて悪質である。」「捜査機関は、この組織的・計画的犯罪の首謀者、共犯者、実行者、支持者、そして金銭提供者と汚いカネの流れを徹底して捜査して明るみに出し、刑事訴追しなければならない。」

まずは事実の追及、これが第一歩である。その上で、捜査によって明らかになった諸事実をもとに、この犯罪の動機や背景や影響、そして教訓を考えなければならない。なにゆえに、かくまでして、犯罪者グループは、愛知県知事の追い落としにこだわったのか。

極めて大がかりな組織的で計画的な犯罪、しかも民主主義を冒涜する悪質な犯罪が行われたことに疑問の余地がない。この犯罪者グループが、大村知事リコール運動の主導者たちだったことについての確たる証拠は今のところない。従って、疑惑は疑惑でしかないが、リコール運動の主導者たちは、疑惑の対象とされる資格を十分に備えている。だから、自ら疑惑を晴らす努力をつくすべきことが求められている。彼らには、そのことの自覚に乏しいことを率直に指摘しなければならない。

「彼ら」とは、醜悪なトライアングルを指している。署名活動団体「愛知100万人リコールの会」の代表を務めたのが高須克弥というネトウヨ、事務局長を引き受けたのが田中孝博という維新の地方政治家。そしてこの両者をつないだのが、河村たかし名古屋市長である。

高須には、お馴染みの極右の面々が応援団として取り巻いていた。が、この事態にほとんどが逸早く身を引いた。さすがに変わり身が早く、状況をよく見て賢い選択をしている。田中には、吉村洋文という大阪府知事が付いている。あの、イソジンが新型コロナによく利くという、「ホントみたいにイイカゲンな」記者会見で話題をさらった人物。が、吉村も最近はこの件に発言をしていない。そして、歴史修正主義者同士として高須と意気投合した河村である。彼は、高須や田中と違って、この件で失うべきものがあまりに大きい。政治生命の危機を多少は認識しているようだ。

さて、人は、その支配が及ぶ範囲で生じた不祥事には責任を持たなければならない。少なくも説明責任は免れない。誠実に説明責任を果たそうとしない者には、疑惑の目が向けられる。これは当然のことなのだ。

事態を確認しておこう。メディアが次のように整理している。「リコール運動では、県選挙管理委員会が、提出された約43万人の署名のうち83%にあたる約36万人分を無効と判断。同じ人が書いたと疑われる署名が90%、選挙人名簿に登録のない署名が48%などとされ、県選管や名古屋市は地方自治法違反容疑で刑事告発し、県警が捜査を進めている。」(毎日)、「県選管の調査によると、有効でないと判断された約36万2千人分の約24%は、選挙人名簿に登録されていない受任者が集めた署名だった。」(共同)

人を手配し配置してリコール署名を集め、整理し、点検して、県内各選管に提出した責任者は高須である。その事務作業は田中が担当した。こうして、堂々と高須・田中が選管に有効なものとして提出した署名の大部分が、一見して明らかな偽造だったというのだ。署名集め・整理・点検・提出の全過程に関わった高須、田中の両名が「知らなかった」はまことに不自然で信じられず、常識的に通じるものではない。

「私が不正するわけがない、陰謀だと感じる」などという児戯にも等しい強弁は片腹痛い。

一昨日(2月22日)、高須・田中・河村が記者会見をして、それぞれに発言をしている。これが興味深い。

まず高須
「リコール署名は河村たかし市長から成功させたいので手伝ってほしいと頼まれた。田中事務局長は河村市長が紹介してくれた人材。事務局長を信じます」。〈この運動の首謀者は河村で自分ではない。自分は頼まれて手伝っただけ〉〈事務局長も河村の手配によるもので自分はこれを信じるしかない〉と明らかに腰が引けてきた。

それだけではない。「(自分は)なんの関係もありません。佐賀県は一度ヘリコプターで行ったことがあるだけで、それ以来一度も行ったことはありません」という高須の力んでの発言には驚いた。

この人、医師としての判断能力に心配はないのだろうか。患者の症状を正確に把握して疾患を特定し適応のある治療を的確に実施するという、医師に要求される高度な論理判断の能力を持っているのだろうか。「佐賀に行ったことがない」ことが、高須の偽造関与の否定の根拠になりようもないことは分かりそうなものなのだが。

次いで田中
16日の記者会見で署名簿の一部が「佐賀で作成されたのは間違いない」と話したが、22日は「佐賀県で作成されたものかはわからない」とした。

高須、田中とも、佐賀が遠方であることなどから「調査はほとんど何も進んでいない」とも話した。

事務局長として具体的な偽造関与否定の根拠を挙げることができないのは、致命的である。手掛かりはいくつもある。潔白を主張するなら、メディアの前に、全てのカネの流れを明らかにすることだ。そして、署名の獲得に携わった関係者全員の名簿を明確にして、メディアの徹底取材に応じることだ。この事態での無為無策は、疑惑を晴らそうという意欲の欠如にほかならない。

そして河村

「署名活動団体の会議に自身がほとんど入っていなかったなど複数の理由を挙げ、署名が偽造された疑いに関与していないことを強調した」という。これも逃げ腰。高須への責任転嫁。

ただ、注目すべきは、「何者かによって全く分からないようにやられていた、それでも『気づいていない河村はたわけ』と言われれば、もう少し真実を明らかにしてから評価は自分でする」という言葉。「何者か」とは、高須・田中を念頭においてのことなのだろうか。

われわれも、愛知県警の捜査の進展を見守りたい。その上で、『気づいていない高須・田中・河村はたわけ』のレベルで済むのか、実はそれ以上であるのかを見極めねばならない。そして、相応の責任の取り方を要求しよう。大切な民主主義を擁護するために。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2021. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.